2015年12月16日
自信の根拠
私は、【 心理や幸福に関する研究、教育 】において、
自分の事を「世界一の実力者」だと思っています。
(※ 知名度は全然ありませんけどね 笑)
なぜそう言えるのか?って話なんですけど、
まずひとつに、同業者の中で、
【 自分以上に「限界」と「完璧」を追求している人間が、
他に存在しているとは考え難い 】
という事です。
それぐらい、自分は「限界」と「完璧」にこだわっていて、
自分の研究、教育に対して、【 一切の妥協無き姿勢 】を貫いています。
自分以上の人間がいるなら、会ってみたいです。
たぶん、そんなヤツはいないだろうなと思えるぐらいに、
私は徹底的にやっていると言う事です。
もうひとつは、同業者の中で、
「世界的権威」と呼ばれるような人を見ても、
自分から見れば、
【 レベルが低すぎて呆れてしまうから… 】です。
きっと、素人から見れば、
「天才数学者」と「一般的な数学者」の【 レベルの差 】って
わかんないと思うんですね。
素人から見れば、
「日本で最強のプロの将棋指し」の人と、
「アマチュアでめちゃくちゃ将棋が強い人」
のレベルの差って、わかりにくいと思います。
だって、その分野の専門家じゃ無いから、
何がすごいのか? 基準がわからないでしょう?
でも、私はその道のプロですから、
同業者を見れば、相手のレベルがわかっちゃうんです。
で、いろいろ同業者を見て回っても、
私の研究成果や実力は、
他と比べて、「ズバ抜けてレベルが高い」と感じます。
だから、私は自分の実力に自信があるのです。
それと、もう一つ私のパーソナリティとして、
【「カッコ良さ」をめちゃくちゃ大事にする】
という事があります。
「外見のカッコ良さ」ではなく、「生き様のカッコ良さ」です。
生き様がダサイ、カッコ悪いなら、
死んだ方がマシだと思えるくらいです(笑)
「生き恥を晒すくらいなら、腹を切って死ぬ」という、
【 武士の精神 】です(笑)
つまり、自分にとっては、
【 命より美学の方が大事 】なのです。
だから、私は自分がいくら苦しい状況に追い込まれようと、
自分の【 正義感、信念、美学 】を折らないのです。
それを折るくらいなら、死んだ方がマシだと思うからです。
マザー・テレサの有名な詩(メッセージ)で、
【 あなたの中の最良のものを 】というモノがあります。
「人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行なうと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行ないなさい
目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行ないをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」
というモノです。
私は、これを本当に実践し続ける事ができれば、
間違いなく【 偉人になれる 】と思います。
それぐらい、この詩をただの「人としての理想」と捉えるのでは無く、
リアルに実践していくのは、難しい事だと思います。
でも、私は胸を張って言えますが、
【 私は、この詩の通りに生きています。 】
別に私は、この詩を知って、感銘を受けてそうしている訳では無く、
幼い頃から私は正義感が強かったですし、
自分の信念を折って、自分を嫌いになりたくなかった。
自分の信念を折ってしまえば、自分を嫌いになります。
「自分の事が嫌いな状態で、人生を生きること」が、
もっとも苦しく、辛い事だと思います。
私は、お金が無くても、他人に誤解されて、嫌われても、
自分だけは、「自分の事を好きでいたい」のです。
だから、自分の事を好きでいられるような行動をしているだけです。
「根拠の無い自信」という言葉がありますが、
それは最初の一歩踏み出すには良いかもしれませんが、
【 根拠の有る自信 】を持たない限り、
やがて「根拠の無い自信」は、
【 現実の厳しさ 】に打ち砕かれることになります。
根拠のある自信を持つには、
普通の人が逃げ出して、出来ないくらいの、
【 勇気を出す、努力する、苦しみに耐え抜く 】
そういったプロセスを経て、身につきます。
ラクな方に流されていては、
自信など、いともカンタンに失われてしまいます。
上記のマザー・テレサの詩も、
要は、【 ラクな方に流されるな 】という事でしょう。
【 ラクな方に流されてこなかったからこそ 】
私は、自分に自信があるのです。
むしろ、普通の人には到底マネの出来ないくらいの、
「勇気」と「努力」と「忍耐」を貫き続けて来ました。
服装をオシャレにしたら、
ダサイ格好をしているよりかは、少しは自分に自信が持てるでしょう。
しかし、【 揺るぎない自信 】を持つためには、
愚直に、ひとつずつ積み重ねていくしか無いのです。
自分の事を「世界一の実力者」だと思っています。
(※ 知名度は全然ありませんけどね 笑)
なぜそう言えるのか?って話なんですけど、
まずひとつに、同業者の中で、
【 自分以上に「限界」と「完璧」を追求している人間が、
他に存在しているとは考え難い 】
という事です。
それぐらい、自分は「限界」と「完璧」にこだわっていて、
自分の研究、教育に対して、【 一切の妥協無き姿勢 】を貫いています。
自分以上の人間がいるなら、会ってみたいです。
たぶん、そんなヤツはいないだろうなと思えるぐらいに、
私は徹底的にやっていると言う事です。
もうひとつは、同業者の中で、
「世界的権威」と呼ばれるような人を見ても、
自分から見れば、
【 レベルが低すぎて呆れてしまうから… 】です。
きっと、素人から見れば、
「天才数学者」と「一般的な数学者」の【 レベルの差 】って
わかんないと思うんですね。
素人から見れば、
「日本で最強のプロの将棋指し」の人と、
「アマチュアでめちゃくちゃ将棋が強い人」
のレベルの差って、わかりにくいと思います。
だって、その分野の専門家じゃ無いから、
何がすごいのか? 基準がわからないでしょう?
でも、私はその道のプロですから、
同業者を見れば、相手のレベルがわかっちゃうんです。
で、いろいろ同業者を見て回っても、
私の研究成果や実力は、
他と比べて、「ズバ抜けてレベルが高い」と感じます。
だから、私は自分の実力に自信があるのです。
それと、もう一つ私のパーソナリティとして、
【「カッコ良さ」をめちゃくちゃ大事にする】
という事があります。
「外見のカッコ良さ」ではなく、「生き様のカッコ良さ」です。
生き様がダサイ、カッコ悪いなら、
死んだ方がマシだと思えるくらいです(笑)
「生き恥を晒すくらいなら、腹を切って死ぬ」という、
【 武士の精神 】です(笑)
つまり、自分にとっては、
【 命より美学の方が大事 】なのです。
だから、私は自分がいくら苦しい状況に追い込まれようと、
自分の【 正義感、信念、美学 】を折らないのです。
それを折るくらいなら、死んだ方がマシだと思うからです。
マザー・テレサの有名な詩(メッセージ)で、
【 あなたの中の最良のものを 】というモノがあります。
「人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行なうと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行ないなさい
目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行ないをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」
というモノです。
私は、これを本当に実践し続ける事ができれば、
間違いなく【 偉人になれる 】と思います。
それぐらい、この詩をただの「人としての理想」と捉えるのでは無く、
リアルに実践していくのは、難しい事だと思います。
でも、私は胸を張って言えますが、
【 私は、この詩の通りに生きています。 】
別に私は、この詩を知って、感銘を受けてそうしている訳では無く、
幼い頃から私は正義感が強かったですし、
自分の信念を折って、自分を嫌いになりたくなかった。
自分の信念を折ってしまえば、自分を嫌いになります。
「自分の事が嫌いな状態で、人生を生きること」が、
もっとも苦しく、辛い事だと思います。
私は、お金が無くても、他人に誤解されて、嫌われても、
自分だけは、「自分の事を好きでいたい」のです。
だから、自分の事を好きでいられるような行動をしているだけです。
「根拠の無い自信」という言葉がありますが、
それは最初の一歩踏み出すには良いかもしれませんが、
【 根拠の有る自信 】を持たない限り、
やがて「根拠の無い自信」は、
【 現実の厳しさ 】に打ち砕かれることになります。
根拠のある自信を持つには、
普通の人が逃げ出して、出来ないくらいの、
【 勇気を出す、努力する、苦しみに耐え抜く 】
そういったプロセスを経て、身につきます。
ラクな方に流されていては、
自信など、いともカンタンに失われてしまいます。
上記のマザー・テレサの詩も、
要は、【 ラクな方に流されるな 】という事でしょう。
【 ラクな方に流されてこなかったからこそ 】
私は、自分に自信があるのです。
むしろ、普通の人には到底マネの出来ないくらいの、
「勇気」と「努力」と「忍耐」を貫き続けて来ました。
服装をオシャレにしたら、
ダサイ格好をしているよりかは、少しは自分に自信が持てるでしょう。
しかし、【 揺るぎない自信 】を持つためには、
愚直に、ひとつずつ積み重ねていくしか無いのです。
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