2015年11月22日
過去の聖人(有名人)に固執する人たち
私が前々から、言いたかった事なのですが、
よく、【 般若心経の解釈は、ああだこうだ 】と言っている人、
居るでしょう?
別に、その解釈が分かったところで、
それで、「その瞬間にめっちゃ幸せになれるか? 悟れるか?」
って言うと、違いますよね。
幸せになる為には、【 地道な積み重ね 】です。
「般若心経の解釈」が分かったところで、
奇跡が起こる訳でもありません。
じゃあ、「なぜ人は般若心経に固執するのか?」っ言うと、
結局は、「釈迦」とか「キリスト」とか、
そういうビッグネームにすがりたい、【 虎の威を借る狐 】なのです。
「般若心経の解釈」が知りたいという人は、
【 真理を理解したい 】というモチベーションを持っている人でしょう。
しかし、真理を理解するために、
釈迦やキリストなどに固執する事自体、ズレています。
たしかに、釈迦やキリストは真理に到達した人でしょう。
しかし、釈迦やキリスト以外にも、真理に到達した人はいます。
ただ、「釈迦やキリストの教え」は、
【 結果的に、大きな宗教になった 】と言うだけです。
それだけの理由です。
釈迦やキリストは、
【 自分を特別な存在として崇めたまえ! 】
という様な教えを残したでしょうか?
そんな事は言っていません。
釈迦やキリストの教えは、
「全ての存在が等しく一つであるという事に気付きなさい」
という教えでしょう。
釈迦やキリストを特別視する事自体、
釈迦やキリストの教えに背いています。
バシャールも言っていますが、
「メッセージの内容」を各々が吟味するのでは無く、
「メッセンジャー自体」に依存する様になったのが、
宗教だと言っています。
釈迦やキリストに固執する人は、
結局、「地位、肩書き、名誉、名声、権威」など、
【 目に見える要素に囚われている 】のです。
「地位、肩書き、名誉、名声、権威」などの
【 ビッグネーム 】や【 物質世界 】に囚われておきながら、
目に見えない精神世界、スピリチュアルを語るな!って事です。
「スピリチュアル的に成熟した人」というのは、
「有名人が言っているから信じよう」という様な、
【 短絡的、盲信的な発想 】をしておらず、
有名無名、誰が言ったかに関わらず、
【 メッセージの内容を吟味し、正しく識別できる人 】です。
キリストが言ったからどう、釈迦がいったからどう、
と言う人は、
自分の頭で考えてないし、検証もしていないし、【 盲信的 】なのです。
「盲信的な姿勢」では、真理に到達する事など、到底出来ません。
釈迦やキリストなどの「有名人が言ったから…」
といって盲信して、
メッセージの内容を自分で考えない、検証しない…、と言う人は、
スピリチュアルに見せかけて、【 物質世界に囚われている 】のです。
エセスピリチュアルです。
それに、2000年以上も「伝言ゲーム」を続けているのです。
釈迦やキリストの教えも、
長い年月を経て、そうとう歪められています。
それに、2000年前の人たち向けに伝えたことですから、
昔と今では、状況も全然違います。
釈迦とキリストは、有名人と言うだけで、
二人以外にも、
真理に到達した人、真理を語る人は、腐るほどいます。
なのに、その二人だけを崇めるというのは、
結局は、「有名人だから…」という、
【 非常に短絡的な理由 】なのです。
そんな短絡的な発想をしている人が、
スピリチュアル的に成熟している訳が無い。
「釈迦の発言、キリストの発言に固執する人」は、
ハッキリ言って、レベルが低いです。
釈迦も、キリストも、
それはそれは偉大な人物だったでしょう。
しかし、SMAPがとても魅力的なアイドルだとして、
SMAPのポスターを部屋中に張りまくっている、
熱狂的信者の様な人が、
魅力的な人物かどうかは、また別の話です。
やたらと「キリストや釈迦の発言」に固執する人は、
結局は、【 虎の威を借る狐 】です。
自分自身が【 虎 】になっていく事が、真理に向かっていくことです。
【 狐 】のままでは、到底、真理は理解できないのです。
よく、【 般若心経の解釈は、ああだこうだ 】と言っている人、
居るでしょう?
別に、その解釈が分かったところで、
それで、「その瞬間にめっちゃ幸せになれるか? 悟れるか?」
って言うと、違いますよね。
幸せになる為には、【 地道な積み重ね 】です。
「般若心経の解釈」が分かったところで、
奇跡が起こる訳でもありません。
じゃあ、「なぜ人は般若心経に固執するのか?」っ言うと、
結局は、「釈迦」とか「キリスト」とか、
そういうビッグネームにすがりたい、【 虎の威を借る狐 】なのです。
「般若心経の解釈」が知りたいという人は、
【 真理を理解したい 】というモチベーションを持っている人でしょう。
しかし、真理を理解するために、
釈迦やキリストなどに固執する事自体、ズレています。
たしかに、釈迦やキリストは真理に到達した人でしょう。
しかし、釈迦やキリスト以外にも、真理に到達した人はいます。
ただ、「釈迦やキリストの教え」は、
【 結果的に、大きな宗教になった 】と言うだけです。
それだけの理由です。
釈迦やキリストは、
【 自分を特別な存在として崇めたまえ! 】
という様な教えを残したでしょうか?
そんな事は言っていません。
釈迦やキリストの教えは、
「全ての存在が等しく一つであるという事に気付きなさい」
という教えでしょう。
釈迦やキリストを特別視する事自体、
釈迦やキリストの教えに背いています。
バシャールも言っていますが、
「メッセージの内容」を各々が吟味するのでは無く、
「メッセンジャー自体」に依存する様になったのが、
宗教だと言っています。
釈迦やキリストに固執する人は、
結局、「地位、肩書き、名誉、名声、権威」など、
【 目に見える要素に囚われている 】のです。
「地位、肩書き、名誉、名声、権威」などの
【 ビッグネーム 】や【 物質世界 】に囚われておきながら、
目に見えない精神世界、スピリチュアルを語るな!って事です。
「スピリチュアル的に成熟した人」というのは、
「有名人が言っているから信じよう」という様な、
【 短絡的、盲信的な発想 】をしておらず、
有名無名、誰が言ったかに関わらず、
【 メッセージの内容を吟味し、正しく識別できる人 】です。
キリストが言ったからどう、釈迦がいったからどう、
と言う人は、
自分の頭で考えてないし、検証もしていないし、【 盲信的 】なのです。
「盲信的な姿勢」では、真理に到達する事など、到底出来ません。
釈迦やキリストなどの「有名人が言ったから…」
といって盲信して、
メッセージの内容を自分で考えない、検証しない…、と言う人は、
スピリチュアルに見せかけて、【 物質世界に囚われている 】のです。
エセスピリチュアルです。
それに、2000年以上も「伝言ゲーム」を続けているのです。
釈迦やキリストの教えも、
長い年月を経て、そうとう歪められています。
それに、2000年前の人たち向けに伝えたことですから、
昔と今では、状況も全然違います。
釈迦とキリストは、有名人と言うだけで、
二人以外にも、
真理に到達した人、真理を語る人は、腐るほどいます。
なのに、その二人だけを崇めるというのは、
結局は、「有名人だから…」という、
【 非常に短絡的な理由 】なのです。
そんな短絡的な発想をしている人が、
スピリチュアル的に成熟している訳が無い。
「釈迦の発言、キリストの発言に固執する人」は、
ハッキリ言って、レベルが低いです。
釈迦も、キリストも、
それはそれは偉大な人物だったでしょう。
しかし、SMAPがとても魅力的なアイドルだとして、
SMAPのポスターを部屋中に張りまくっている、
熱狂的信者の様な人が、
魅力的な人物かどうかは、また別の話です。
やたらと「キリストや釈迦の発言」に固執する人は、
結局は、【 虎の威を借る狐 】です。
自分自身が【 虎 】になっていく事が、真理に向かっていくことです。
【 狐 】のままでは、到底、真理は理解できないのです。
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