2015年09月05日

「検証」と「責任感」

最近、弟子たちに対して、
「検証しろ」という事を言っています。
  
   
知り得た情報を、鵜呑みにせず、盲信せず、 
  
実際に自分の目で確かめて、経験を通して、
検証し、理解し、腑に落とさなければ、
  
【 本物の「自信」や「理解」は得られない 】
  
という事です。
  
  
まぁ、宗教の教祖などは、信者に対して、
  
「検証しろ、鵜呑みにするな、盲信するな」
とは言わないでしょうが(笑)
    
  
で、今日も弟子と喋っていて、
 
どうも、私が「今までにさんざん言ってきた事」を
あまりよく理解していなかったので、
   
・なんで理解できてないのかな? 
・どうして腑に落とせていない無いのかな?
  
って事を深堀りしていくと、
  
  
結局は、
 
【 教えられた事が正しい事かどうか? 
  どれほど重要な事かどうか?
  自分の経験と照らし合わせて、検証する 】
  
という作業を、頭の中でやっていないからだ!
  
という結論に至りました。
  
  
私にとっては、あまりにも自然にやっている事なので、
  
そんな所でつまづいているのか!?と、思いましたが(笑)
  
  
私は今まで、いろんな事でつまづいてきたので、
ある程度いろんな人の「つまづくパターン」がわかるのですが、 
   
弟子を育てていると、私が全くつまづいていないところで、
大いに転んでいる…という事があるので、
   
そういう事がわかると、
また「新たな症例の発見」という事で、非常に勉強になります。
  
  
で、みなさんは、
「腑に落ちる」という言葉は知っているでしょうが、
  
具体的に、どういう状況になったときに、
理腑に落ちるのか?
 
というメカニズムについては、
あまりよく分かっていないと思います。
     
   
【 腑に落ちる(完全に理解できる)瞬間 】というのは、
  
「自分の経験と照らし合わせて、検証して、
 論理的に筋が通っていると分かった時」に、腑に落ちるのです。
   
   
つまり、「検証」を行って、
「経験」と「論理」が繋がったときに、腑に落ちる訳です。
   
   
「経験」と「論理」と「検証」が無ければ、
【 完全な理解は得られない 】という事です。
  
  
しかし、一部の弟子は、
  
・論理的思考力に乏しかったり、
・検証を怠っているので、
  
私の言っている事が全く理解できていない訳です。
  
  
では、【 なぜ「検証」を怠るのか? 】
  
って事を、また深掘りしていくと、
    
その結論は、
 
【 責任感が無く、無責任だからだ 】
  
という結論に至りました。
 
 
要は、重い責任を背負っている人というのは、
 
【 失敗できない立場 】にいるわけです。
   
  
例えば、社長というのは、自分が判断をミスすれば、
   
「社員、取引先、顧客」に多大な迷惑をかけ、
信頼を失い、事業が破綻してしまうリスクを背負っています。
  
  
だからこそ、
  
(失敗を怖れるのではなく、)できる限り失敗を避けるために、
真剣だし、慎重だし、検証も重ねるのです。
   
   
政治家や有名人の発言には、大きな影響力があります。
  
その反面、失言などしてしまえば、
掲示板で叩かれたり、炎上したりする訳です。
  
  
だから、「言葉選び」や「事実の確認」には慎重になるわけです。
  
  
「検証しない」という事は、
つまり【 慎重さに欠けている 】という事です。
  
  
「なぜ、慎重さに欠けているか?」というと、
  
責任感が無く、重い責任を背負っていないからです。
  
  
自分がもし失敗しても、
  
・「他人が尻を拭いてくれるだろう」と甘い考えをしていたり、
・失敗を「他人のせい」にして、「責任転嫁する気」が満々なのです。
   
   
私も、弟子の国本さんも、非常に慎重な人間です。
 
それは、何故かというと、【 責任感が強いから 】です。
  
  
もし、間違った情報を鵜呑みにして、
自分が判断をミスした場合には、
     
自分や他人に害が及ぶことになります。  
  
  
それを避けるために、慎重に、検証を重ねるわけです。
  
  
一方、【 検証しない人間 】は、
  
もし自分が間違った情報を鵜呑みにして、
自分が判断をミスしたとしても 、
  
・自分が失敗したら他人にケツを拭いてもらおうとか、
・自分が失敗したら他人のせいにして、責任をなすりつけようとか、
   
  
自分が責任を負うつもりが、一切無い訳です。
  
責任感が無く、無責任なのです。
  
  
だから、慎重さに欠けるし、検証もしない訳です。
  
  
しかし、有名になるとか、人の上に立つという事は、 
 
もし自分が失敗したら、  
 
【 掲示板で叩かれたり、
  周りから袋叩きに遭ったり、
  炎上する立場に立つ 】
 
という事です。
  
  
それを怖れて、ビビっている限り、
 
有名にもなれませんし、人の上にも立てません。
  
  
他人の分の責任も背負っている人間が、リーダーなのです。
  
自分一人分の責任を背負って、ようやく大人、一人前。
  
自分一人分の責任も背負えず、他人に背負ってもらっている人間は、
「お子ちゃま、ガキんちょ」なのです。
  
  
私は、「他人の人生」も背負っている立場に居ます。
  
だから、リーダーなのです。
  
  
じゃあ自分は、「自分の人生」に対して、
「自分の判断、決断、発言、言動、行動」に対して、
 
【 完全に、100%、責任を背負っているのかどうか? 】
  
  
もし、自分が失敗した時に、
 
「他人のせいにしてやろう」「他人に何とかしてもらおう」
なんて思っているヤツは、
   
一生、人の上に立つ事などありません。
  
  
もし、組織の上役に就けたとしても、
実際に他人が信頼して付いてくる事はありません。
  
 
そういう人間は、
慎重さに欠けますし、そのせいで失敗を繰り返します。
    
  
私の弟子にも、「慎重さ」に欠けている子はいますが、
 
そういう子は、【 責任感が無く、無責任 】なのです。
  
   
もし自分が失敗したら、
 
【 他人に迷惑がかかるし、自分も害を被る 】
 
という、【 緊張感が無い 】のです。
  
  
だから、自分の発言や判断、決断、行動に対して、
 
・「真剣味」も無い、
・「危機感」も無い、
・「緊張感」も無い、
・「慎重さ」も無い、
・「検証」もしない、
 
という事なのです。
  
  
そんな人間に、
「責任のあるポジション」が任されることはありません。
  
  
重い責任を背負っているから、緊張感があり、
 
真剣になり、慎重になり、検証もするのです。
  
  
今日は、
 
【 検証しない人間 = 無責任 】
 
【 検証しない人間 = 自信も無いし、理解も無い 】
 
 
という、新たな方程式を発見する事が出来ました。


mixiチェック

haxe501 at 02:16│clip!