2015年06月21日

信じること

私は、「スピリチュアル(宇宙的)な生き方」をしています。
  
宇宙の常識は、現代社会の非常識、
現代社会の常識は、宇宙の非常識。
 
 
ですから、そんな自分を常識人が見たとしたら、
理解できない部分も多いと思います。
  
  
私の生き方の根幹は、
 
【 自分がどう生きるべきかを、天(高次元存在)に委ねている 】
 
と言うことです。
  
  
どういう事か? と言うと、
  
【天が自分を幸せに導いてくれる】という事を完全に信頼し、
  
その代わり、【自分は天の導きに完全に身を委ねる】
  
と言うことを、コミットメントしているのです。
  
  
・天が、この人を助けろ!と言うなら、何が何でも助けます。
・天が、この人は放置しろ!と言うなら、ぐっと堪えて放置します。 
・天が、全体の為に死ね!と言うなら、潔く死にます。
  
それぐらいのコミットメント(信頼・覚悟)です。 
  
  
この時点で、訳がわからない人がいると思いますが(笑)
  
  
でも、私にとってみれば、
 
徹底的に論理的に考えて導き出した、
非常に「理に適った結論」なのです。
  
  
結局、自分という存在は、視野が狭いのです。
  
高次元存在の視野の広さに比べれば、
自分は【盲目にも等しい】と思います。
  
  
自分は目が見えていないのだから、
目に見える人に導いてもらった方が確実。
  
非常にシンプルで、カンタンな事です。
  
  
で、「自分が盲目だ」って事が解っていない人は、
  
人生を無闇に歩いて、壁に頭をぶつけるのです(笑)
  
  
地球上で生きている人間は、みな盲目です。
  
  
高次元存在ならば見える「オーラ」も見えない人間が多い訳で、
  
高次元存在に比べれば、「見えていない領域」が多すぎます。
  
  
だから「盲目の私」は、
天の視野の広さに頼り、天に身を委ねるのです。
    
  
私は、視覚で見えなくとも、
  
自分をポジティブな方向に導こうとしている高次元存在が
存在している事を、確信しています。
  
存在を感じるから、身を委ねるのです。
  
  
私は、自分が世界一になるとか、弟子を偉人にするとか、
  
【 人の可能性、将来性、ポテンシャル、潜在能力 】
  
というモノも、信じています。
  
  
「なぜ信じられるか?」 と言うと、
  
これも【論理的に考えて導き出した結論】です。
  
  
もしかしたら、夢は叶わないかも知れないけど、
  
夢を掲げて、夢に向かっていくプロセス自体が楽しいから、
夢を掲げて、夢に向かっていくのです。
  
  
もちろん、無謀な挑戦という訳では無く、確かな自信もあります。
  
  
なぜ、それほどまでに自信があるのか?と言うと、
  
私の研究してきたことが、「宇宙の法則」だからです。
  
  
私の開発した「成長メソッド」は、
【やる気さえあれば、絶対に結果が出せるメソッド】なのです。
  
  
私には「やる気」がありますし、弟子にも「やる気」があります。
 
だから、「結果が出る事が目に見えている」という訳です。
  
  
私の研究してきたことが「法則」では無く、
やる気があっても、結果が出るかどうかわからないメソッドだったら、
  
私もここまでの自信は持てません。
  
  
弟子に対して、「私に命を預けろ! 人生を預けろ!」
なんて、自信を持って言えるわけがありません。
  
  
しかし、私は自分のメソッドに「絶対的な自信」があるので、
  
【私に命を預けろ! 人生を預けろ!】と、
自信満々で言うことが出来るのです。
  
 
「他人の人生を自信満々で背負える人」なんて、
ほとんどいないと思いますけどね(笑)
 
  
でもそう言えるのは、
 
私が開発したのは、
【絶対に揺るがない、法則に基づいたメソッド】だからです。
  
  
そうでなければ、「他人の人生」など怖くて背負えません(笑)
  
もし、自分が結果を出せなかったとしたら、責任取れませんからね(笑)
  
  
天の意志に従い、天に身を委ねる、天の操り人形。
  
わかりやすく言うと、 
私は、仏陀やキリストみたいな役割をもった人間だと思います。
  
  
「自分は仏陀やキリストの生まれ変わりだ!」とか言うと、
怪しい宗教家ですがね(笑)
  
  
私は、「天の意志」に従い、「自分の使命」に生きることが、
  
【もっとも自分が幸せになれる道】だと信じています。
  
  
男女関係においても、
誰とどのように結ばれるか?とか、いつ子供が出来るか?とかも、
  
天の導きに従います。
  
  
「お前に自分の意志は無いのか!?」
  
と言われそうですが(笑)
  
  
でも、「天の意志に従う」と決めたのは、紛れもない自分の意志です。
  
今からでも、自分の意志によって、
「天の意志から外れる」という事も出来るわけです。
  
  
でも、天の意志から外れたら、自分は幸せになれないと思うから、
私は天の意志に従い続けます。
  
  
別に、私は誰かに「強制」や「命令」をされている訳ではありません。
  
私の意志は、完全に自由です。
  
 
私は、自分の頭で徹底的に考え抜いて、全て納得した上で、
誰に従うか?を決めているのです。
 
  
私は、自分が「天の意志」に従うことで、
  
自分も、自分を取り巻く周りの人たちも、
【みんなが幸せになれる】と言うことを信頼しているのです。
   
   
【結果的(最終的)に、
 みんなが幸せになれるよう、自分を導いて下さい】
  
と、天に祈り、お願いをしています。
  
  
私は、地球上で生きている人間の中でも、
最も高次元存在に近い人物の一人だと思います。
  
だから、弟子に対しても、
私と同様のコミットメント(覚悟・信頼)を求めます。
  
  
私には、「天の視野」があり、「絶対に結果が出るメソッド」があり、
 
必ず弟子たちを「ポジティブで幸せな方向」に導けるのだから、
  
「私に人生を預けろ」と言うことです。
  
  
もし、私を信じられないのだとしたら、
  
それは、
 
・論理的に考えていないか、
・裏切られる事への怖れがあるか、
 
どっちかでしょう。
  
  
「論理的」に考え、「怖れ」を無くせば、
【 信じる事の方が自然だ 】と、思える様になります。


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