2015年05月28日

全力・限界が基準

最近、弟子たちの意識がたるんでいる様に思える…。
  
  
何故なら、「何の為に頑張っているのか?」
という、【目的と動機】を見失っているからだと思います。
  
  
今までは、「イヤな事から逃れたい!」
という気持ちで、頑張ってきた訳なので、
  
当然、「イヤな事」が無くなってくると、
モチベーションも下がるわけです。
  
  
そういう時は、スムーズに次の【目的と動機】を見つけて、
モチベーションを保つ必要があります。
  
  
で、どういう風にプレッシャーをかけようか?と、
考えていたのですが、
  
  
先日、一人の弟子に伝えたことが使えるなと思ったので、
それについて書きたいと思います。
  
  
まず、上手く行かなかった時、思う様に結果が出なかった時に、
「仕方無かった…」と言い訳する人がいますが、
  
「仕方無かった…」などという言葉は、
全力を尽くした人間にのみ、発言する「資格と権利」がある訳で、
  
全力を尽くしていない…、限界まで努力していない…、
  
そういう人間は、
  
「仕方無かった」などという言葉を発言する
「資格も権利」も無いのです。
   
   
なぜなら、全力を尽くしていないのであれば、
まだ自分に何かできる「余地」があったと言う事。
  
その「余地」を残したまま、
仕方無かったなどと言うのは理に適っていません。
  
  
で、ある一人の弟子がどうも自分の失敗を、
「仕方無かった事」にしたい様だったので、
  
【 自分は全力で頑張った!って、胸を張って言える? 】
  
って聞いたら、「言えません」って。
  
  
「舐めとんか!?」って話ですよ。
  
  
【人事を尽くして天命を待つ】って言う言葉がありますが。
   
人事も尽くしてないのに、良い天命なんか来ない訳ですよ。
  
  
私はいつも、自分に対して
「これが限界か? これが全力か?」と自問自答していますし、
 
いつも全力を尽くしていると胸を張って言えるので、
  
思う様に行かない事があっても、
仕方無かったと言う資格と権利があります。
  
  
でも、全力尽くしてない人間には、それを言う資格が無い。権利も無い。
  
  
いつも目先の見返りを考えずに全力を尽くしていると、
それが習慣になって、
 
【 手を抜く方が難しい 】という境地に至ります。
  
  
そうなれば、将来的に一流の人材になるのは目に見えています。
  
  
まず、【常に全力を尽くす習慣】も身についていないのに、
 
「言い訳」をするなど、100万年早い!
  
  
しかも、弟子の大半は、私が助けなければ、
  
「引きこもりになって自殺」していたか、
「ホームレス」にでもなっていた様な子たちばかり。
  
  
私は彼らの人生の恩人、命の恩人なのだから、
「私に人生を捧げろ!」と言いたい。
  
  
命の恩人の為に命を張るのは普通の事でしょ。
  
  
軍人は、国のために命を捧げる覚悟があり、
宗教家は、仏の道、神の道に人生を捧げる覚悟があります。
   
   
それに比べたらラクなモンだろうと。  
  
  
軍人や宗教家になって、偉大な人物になれるかどうかはわかりませんが、
私に人生を捧げたら、偉大な人物になれるのです。
  
  
国や神や仏に人生を捧げるよりも、よっぽど良い人生送れるんだから、
何も悩む余地なんか無いでしょう。
  
  
私に人生を救ってもらっておいて、
目先の自分の事しか考えていないって言うのは、
 
私から受け取っているモノを
「軽視している」としか言いようがありません。
  
  
私の定義する一流のプロ、偉大な人物になる気が無いのであれば、
今からでも弟子を辞めて、路頭に迷えば良い。
  
  
私に弟子入りするという事は、天国か地獄か。 二つに一つ。
  
中間(平凡)はありません。
  
  
元々、地獄行きコースだったんだから、
覚悟決めて、全力で天国まで駆け上がれよと。
  
  
それが出来なきゃ、地獄行きコースに戻れば良い。
  
  
人間、「逃げ道」を作ろうとするから、
いつまで経っても成長しないのです。
  
  
逃げ道なんてモノは存在しないのです。
  
  
宇宙とは自分自身。 
 
どんなに頑張っても、自分からは逃げられません。
  
  
「逃げ道なんてモノは存在しないんだ」と言う事に、
さっさと気付けるかどうかです。
  
  
それがわからないのであれば、私が二択を迫ります。
  
  
全力尽くして、限界まで頑張って、天国行きか、
言い訳して、手を抜いて、地獄行きか。
  
  
弟子には、この2択しかないのです。


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