2015年02月19日

正当化の罠

マクロビオティックのセミナーに行くと、
  
「玄米が健康に良い」
「果物や動物性食品は食べない方が良い(極端な陰性・陽性)」
  
という情報が得られるでしょう。
  
  
一方、健康フルーツジュースを売っている会社のセミナーに行くと、
  
「果物こそ、霊長類の食べ物だ!」
  
という様な情報が得られるでしょう。
  
  
ネットワークビジネスのセミナーに行くと、
 
どこも、「自分のところの商品が最強だ!」と言います(笑)
  
  
「自己啓発やビジネス」の「書籍、セミナー」も同じです。
  
  
結局は、どこもかしこも、
 
自分の信じている事や、自分に都合の良い事を
【 正当化しようとしているだけ 】で、
  
「真実を探求しよう!」と言うつもりは無いのです。
  
  
上記の様に、この世には無数の情報が溢れていて、
 
ほとんどの人は、
「自分に都合の良い事」しか信じようとしないし、
 
既存の【統計データ】を利用するにしたって、
 
「自分に都合の良いデータ」ばかりを信じて、
「自分に都合の悪いデータ」は無視するのです。
  
  
統計なんて、
 
統計を取る側の人間が偏見を持っていれば、
そのデータを採取する人間の偏見が結果に大きく影響しますし、
  
データを利用する側の人間が偏見を持っていれば、
自分に都合の良いデータしか見ようとしません。
  
  
だから、【 真実・本質の探求に「統計」は使えない 】
  
それが私の結論です。
  
  
まぁ、統計は統計で、
全体の傾向を計るのに役に立つ事もありますが、
  
本質というのは、例外を許しません。
  
  
【 真実(本質)の究明 】が無ければ、
  
本当に結果を出す方法など、わかりっこありません。
  
  
自分を正当化し続ける限り、
間違った事を信じ続ける事になってしまいます。
   
  
私の弟子に、
過去にめちゃくちゃ大きな無駄遣いをしてきた子がいますが、
  
初めは、「自分は間違った事をしてきたとは思っていない!」
  
と語っていました(笑)
  
  
「これはヤバいな…」と、私は思いましたが(笑)
  
  
しかし、その弟子が精神的に成長していくと、
 
過去の自分の過ちを素直に認め、
「自分はなんて愚かな事をしてきたのだろう…!」
 
と、過去の無駄遣い、無駄な買い物を、悔い改めるようになりました。
  
  
ようやく、まともな神経、まともな感覚になってきた訳です。
  
  
その弟子が、なぜ自分の間違いを正当化しようしていたか?
 
というと、
 
「間違う人間には価値が無い」
「ミスをする人間には価値が無い」
 
というネガティブ観念を持っていたので、
  
【間違う自分、ミスをする自分】を、決して認めたく無かったのです。
   
   
「間違っている自分」を認めたく無いから、
「間違っている自分」を無理矢理に正当化するのです(笑)
  
  
そして、「間違う自分」を否定しているからこそ、
  
逆に、「自分が間違ってしまうような」シチュエーションを、
自ら引き寄せてしまうのです。
  
  
人間というのは、
「自分が強く否定しているモノ」も引き寄せてしまいますからね。
  
  
真実・本質を究明するには、一切の偏見を捨てなければなりません。
 
そして、どこまでも中立・中庸の精神を持っていなければなりません。
   
  
自分を正当化しようとしている時点で、考えが偏っているのです。
  
  
その偏見を持っている限り、真実や本質は見えてきませんし、
  
本当に結果が出る方法など、解りっこないのです。
  
  
例えば、なんらかの成功法を教えて、
  
「100人中、90人は結果が出た」としましょう。
 
そんな時、私はなぜ10人は結果を出せなかったのか?
  
という事を徹底的に研究しようとします。
  
  
でも、平凡な教育者は逆です。
  
100人中、10人でも成功したら、  
「どうだ! 10人も成功したぞ! すごいだろう!」
  
という風に思って、
残り90人の、結果が出ていない人たちの事は無視です(笑)
  
  
要するに、【自分に都合の良い情報】しか見ようとしていない訳です(笑)
 
自分のやった事を正当化させることに必死なのです。
 
   
私の様に、「なぜ100%では無いのか?」と、
改善法を探求するどころではありません。
  
  
私は理想が非常に高いので、
   
100人中1人でも結果が出ない人がいたら、
なんで、この人は結果が出ないのだろう?と答えが出るまで考えます。
  
  
これは、「自分のやっている事は正しいはずだ!」と、
自分を無理矢理に正当化させる事とは逆です。
  
  
「もっと良い方法があるのでは無いか?」と、
常に自分自身のやっている事を疑っているのです。
   
   
今、自分が信じている事、やっている事より、
「もっと他に良い方法があるんじゃないか?」という、
  
【疑う姿勢】が、自分のメソッドを洗練させてきましたし、
 
「真実、本質の探究」に役立ってきました。
  
  
「今、自分が信じている事、やっている事は、正しいはずだ!」
   
と、自分を盲目的に正当化させようとしている時点で、
それ以上の成長はありません。
  
  
「もしかしたら、
 自分のやってること、信じていることは違うんじゃ無いか?」
 
私は自分を疑って、限界まで疑って、
 
疑い切れなくなるまで真実・本質を探求してきたから、
 
【 もう疑いようのない「真実・本質」 】に辿り着けた訳です。
  
  
自分に都合の良いことだけを信じて、
自分を正当化させようとするのは、宗教の盲信者と同じ思考です。
   
  
徹底的に疑って、疑って、それでも「シロだ!」という結論になった時、
  
本当に信じられるモノに出会うのです。


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