2014年12月14日

自分の限界に挑戦する人生

私は、「自分がどういう人生を目指しているのか?」
  
それを明確に自覚しています。
  
  
・自分の限界まで挑戦する人生
・一切の後悔を残さない人生
  
これを目指しています。
  
  
弟子たちには、
  
「たとえ周りと比べて一番になっても慢心せず、
 常に自分の限界を追求し、
 自己ベスト(最高記録)を更新していくのが本物の一流だ」
   
と言う風に、伝えています。
  
  
その基準に比べれば、
弟子たちはまだまだ三流程度かもしれませんが、
 
「やる気」だけはあるので、
「私の定義する一流」まで育てて行くつもりです。
  
  
やはり、「やる気(意志)」が一番大事ですし、
「やる気」さえあれば、いくらでも人生は良く出来るのだ、
  
という事を人々に伝え、
他人に「希望」と「可能性」を与えたいと思っています。
  
  
私は、自分の限界にチャレンジしていますから、
  
何でも全力で、限界までやり抜きます。
  
  
正直、「何もそこまでせんでええんちゃうやろか?」
  
「自分がしんどいだけやし、ほっといた方がええんちゃうか?」
  
と、自分の行動を振り返って問いたくなる事もありますが、
   
でも、後になって後悔したくないし、
限界へのチャレンジが自分の人生の命題なので、
 
やっぱりトコトンまでやってしまいます。
  
  
なぜ、しんどい思いをしてまで、
自分の限界にチャレンジしたいのか?
 
と言うと、【自分の好奇心が異常に強いから】なんですね。
    
  
自分を高めれば高めるほど、見える視点・視野が変わります。
  
手を抜いて、ほどほどで止まってしまったら、
  
【せっかく見えたかも知れない景色】を見ずに死んでしまう事になります。
  
  
それがイヤだから、自分の限界というのを知りたいから、
  
私は自分の限界にチャレンジしたいと思うのです。
  
  
私の、「知りたい、理解したい」という欲求は、
留まるところを知りません(笑)
  
  
それに、自分が手を抜くことによって、
  
せっかく助けられたかもしれない人を、
救えなくなるかもしれない。
   
   
そう思うと、やっぱり手を抜けないのです。
  
  
私は、過去に助けられなかった人を思い出しては、
 
・あの時の自分の判断は正しかったのだろうか…?
・あの人に対して、自分は完璧な仕事をしたと言えるだろうか…?
・もしかしたら、助けられたのかもしれないのではないか…?
 
と言う風に、振り返っては、考え続けています。
  
  
自分はどうも、そういう性格なのです。
  
  
もし、「自分が全力を尽くした」と自信を持って思えれば、
相手に対して何の未練もありませんが、
   
自分のやった仕事に疑いを持ってしまったら、
ずっと「あれで良かったのか?」と、考え続けてしまうのです。
  
  
自分がそういう性格だから、後悔したくないのです。
    
  
自分みたいな生き方をしていると、正直しんどい事もたくさんあります。
 
でも、だんだんマゾになってきます(笑)
  
  
苦しい時に、「この苦しみが自分を高めてくれるんだ!」
 
と、喜びに変わってしまうのです(笑)
  
  
何も問題が起きず、平和すぎると、
もっと自分を高めてくれるチャンスは無いものか?
  
と探してしまいますからね(笑)
  
  
【「感情」と「感覚」を切り離せるかどうか?】
  
というのは、幸せに生きる上でとても大切な事です。
  
  
献血をしている人は、「痛み」を感じながら、
「他人に貢献しているという喜び」を感じています。
  
  
ですから、「感覚がネガティブ」になっても、
  
「感情をポジティブに維持出来るかどうか?」と言うのが、
  
【精神的な成熟度】を計る目安になります。
  
  
「痛みや苦しみの中に、光を見いだせるかどうか?」 なのです。
  
  
私は、もう日々の生活の中で、あまり痛みも苦しみも感じませんが、
 
過去、痛み、苦しみ、悲しみを感じていた時に、
 
「これで、自分をもっと高められるのだ、現実が良くなっていくのだ」
  
と言う風に、
  
客観的にポジティブ面を見て、冷静に忍耐を続けてきました。
  
  
その過去の忍耐があってこそ、
  
現在の「ストレスの無い生活」が手に入ったのです。
  
  
【自分の限界まで挑戦する人間】というのは、
  
おそらく、みな「好奇心」が異常に強いのです。
  
  
「好奇心」というのも、最も偉大な才能のひとつですね。


mixiチェック

haxe501 at 22:31│clip!