2014年11月11日

教育者としてのプライド

今朝、高級ホテルのスイートルームで目が覚めて、
ホテル内のジムに行って、ランニングと筋トレをして、
  
その後、プールに入って、テラスがあったので、
ガウンを羽織って外の空気を吸うために出てみると、
  
電車や自動車が走っていて、
  
「毎日働いている人は、
 みんないつもの日常を過ごしているんだろうな」
  
と、想像していました。
  
  
私は、混雑している土日ではなく、
平日の宿泊料金が安い時に泊まって、
  
しかも、人がほとんどいない時間帯に行くので、
施設もほとんど「貸し切り状態」で利用しています。
  
  
ホテルのジムは、
サービスの質が高いのに、人は少ないと言う事で、
  
他人を気にせずに、
マイペースにトレーニングに集中できるので最高です。
   
  
同じ街に住んでいて、でも違う生活をしている。
  
日本と発展途上国を比べてみると、
さらに過酷な労働環境で毎日働いている人もいる。
  
  
昔は自分も、
  
毎日、目覚まし時計に起こされ、
イヤな職場に電車に揺られて出勤し、
  
イヤな仕事、イヤな上司…、
イヤに囲まれた生活をしていました。
  
  
今は、好きな仕事、好きな時間、好きな人間関係、
  
全部「好き」に囲まれて生活をしています。
  
  
昔、働いていた会社の上司も、
きっと昔と同じような生活を続けているのでしょう。
  
  
現状に耐えられる人間と、
現状に耐えられずに人生を変えようとする人間で、
  
生活の質というのは、こうも変わってしまうのですね。
  
  
私の弟子やお客さんも、
きっと今の私と同じような生活をする時が来ると思います。
  
  
私は、自分を信じて頼ってくれる人たち、
全員を引き上げるつもりでやっています。
  
  
そもそも、「そこまで向上心が無い人」というのは、
  
自分の「成長に対するやる気の無さ」を自覚して、
私の元から離れていきますからね。
   
  
私の元に残り続けるという事は、
  
【無意識レベルでは、自分の可能性を信じている】という事です。
  
  
「今の自分」に自信が無くても、
   
無意識レベルでは自分の将来性に自信があるから、
成長に取り組み続けますし、
  
それがその人のポテンシャルなのです。
   
  
私は、自分を頼り続けてくれる人、【全員の夢・理想を叶える】
 
それが、私の教育者としてのプライドです。
  
  
巷の教育者は、成功できる人が少ない事を知りながら、
 
「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」的な発想で、仕事をしていますし、
 
たまに「当たりの人」が出たら、
それを前面に押し出して、誇大広告するのです。
  
  
「私の指導で大成功した人がいるから、
 あなたにも可能性とチャンスがありますよ。」
  
という様なニュアンスで。
  
  
でも、実際の所、結果が出る人は、ごく少数。
  
それが一般の教育者のレベル。
  
   
しかし、私の場合は【全員を「当たり」】にするつもりです。
  
そこが、「他の人」と「私」を比較した時の【基準の違い】です。
  
  
一般の教育者の考えを端的に表現すれば、
  
【生徒の結果よりも、自分の結果の方が大事】なのです。
 
 
私は逆です。
 
【自分の結果よりも、生徒の結果の方が大事】です。
  
  
なので、「私の人生がどれくらい変わったか?」
 
という事よりも、
  
「私の生徒たちの人生が、どれぐらい変わったのか?」
  
という事を見て欲しいと思います。
  
  
実際、みんな人生が好転し、生活水準が上がっています。
  
・人間関係が良好になった
・収入がアップした
・情熱、充実、やりがいを手に入れた  
  
そういう、きちんとした結果が出ています。
  
  
私の人生がいくら良くなったからと言って、
  
それは、私の【教育者としての資質】を表しません。
   
  
「自分が結果を出す」のは、プレーヤーとしての資質です。
  
「生徒に結果を出させるの」は、コーチとしての資質です。
  
  
教育者は、名プレーヤーでは無く、名コーチでなければならないのです。 
  
  
そういう意味で、【教育】という仕事は、他と比べて特殊です。
  
  
だから、巷の教育者なんて、ろくなもんじゃ無いですね。
  
  
生徒に結果を出させるには、時に厳しい事も言わなければなりません。
  
  
でも、厳しい事を言うと、
「やる気の無いネガティブな人」は逃げていきます。
  
しかし、数で言うと
「やる気の無いネガティブな人」の方が多いのです。
  
  
だから、教育でお金を儲けようと思ったら、
  
大多数の「やる気の無いネガティブな人」を相手にした方が儲かります。
  
  
だから、巷の教育者たちは、自分の金儲けのために、
  
「やる気の無いネガティブな人」が喜びそうな、
質の低い、くだらない話をするのです。
  
  
一方、私は厳しい事も言います。
  
私にとっては、「結果を出してもらう事」が大切だからです。
  
  
そうすると、【本当に優秀な人】しか寄ってきませんし、残りません。
  
数としては、非常に少数になってしまいます。
  
  
でも、それでも良いのです。
  
  
その少数派の「やる気のあるポジティブな人たち」をサポートして、
  
彼ら、彼女らが非常に大きな結果を出した時に、
  
私のやってきた事、積み上げてきた事の意味が、
「目に見える形」で現れて、
  
その価値を誰もが認めざるを得なくなる時が来るのです。
  
  
「みにくいアヒルの子」と言うのは、非常にわかりやすい童話ですが、
  
初めのウチは、
 
ポジティブな少数派(白鳥の子供)が、
ネガティブな多数派(アヒルの子供)にいじめられるのですが、
  
時を経ていくと、それが逆転していくというお話しです。
  
  
例え他の誰にも理解されなくても、認められなくても、
  
忍耐を持って自分の道を進み、成長し続ける事の大切さを教えてくれます。
  
  
【教育者の能力】を判断する時に、
 
その人自身が「有名である」とか、
「結果を出している」なんていうのは、
 
何の意味もありません。
  
  
例えば、年齢に対して見た目が若い医師が、
「若さを保つ秘訣」なんかを教えている本がありますが、
 
本人では無く、
教えている生徒がみんな若さを取り戻しているのかどうか?
 
という事が、その人の「教育・指導の質の高さ」を示すのです。  
  
  
たまたま、産んで育ててくれた親が健康的だったので、
今まで健康的に生きてこられただけかもしれませんから。
  
  
その人の教育・指導によって、
  
【「生徒」がどれだけの結果を出したのか?】
  
  
それが唯一、「教育者としての資質や能力を示す部分」です。
  
  
例えば、浄水器の性能を示すのは、水がどれだけキレイになったのか?
  
という事だと思います。
  
  
見た目がカッコいいとか、デザインが優れているとか、
 
それも大切かも知れませんが、
 
「安全な水を飲みたい」という【結果】を求める人にとっては、
「見た目など二の次」でしょう。
  
  
それと同じ事です。
  
    
優れた教育者かどうか?というのは、
 
【生徒に結果を出させる事が出来るかどうか?】で決まるのです。
  
  
私は、自分の教育に強いプライドを持っています。
  
だからこそ、【生徒の結果】に対して、徹底的にこだわるのです。
  
  
それが、教育者としてのプライドです。


mixiチェック

haxe501 at 21:35│clip!