2014年11月05日

「恋愛」と「無条件の愛」

最近、「中井貴雄 恋愛」というワードで検索されている事が多く、
  
私の「恋愛について書いた記事」を探している人が
少なからずいるみたいです。
  
  
ただ、私が恋愛について書いたからといって、
それが記事のタイトルになっているとは限りませんけどね(笑)
  
  
何度も言っていますが、私は恋愛に興味があまりない方です。
  
「恋がしたい!」という女性の気持ちはよく分かりません。
  
  
「恋をしたい!」と言いますが、大事なのは「相手」であって、
  
  
「自分に見合う相手がいなけりゃ、
 そもそも恋愛なんてする必要無くないですか?」
  
「相手は誰でも良いって事ですか?」
  
「恋愛以外に人生で楽しい事無いんですか?」
  
と思ったりします。
  
  
「旅行」も、【何処に行くか?よりも、誰と行くか?】
「仕事」も、【何をするか?よりも、誰とするか?】
  
と言いますからね。
  
  
恋愛なんて、「相手ありき」だろうと思ってしまいます。
  
  
私は研究者タイプなので、一人でいることがかなり好きです。
  
静かに一人で考え事をしたり、寝ている時間が好きなのです。
  
  
11月1日に国本さんが新居に引っ越してから、
セッションルームに出勤してくる回数と常駐時間が減って、
  
私の生活は非常に快適になりました(笑)
  
  
国本さんの私物もかなり持ち込まれていましたが、
それもほとんど引き取ってもらいましたしね。
  
  
弟子が自立すればするほど、私の負担は減っていきますね(笑)
  
  
  
で、ここからが本題ですが、
  
【精神性】が高まっていくと、「恋」というのはしなくなるのです。
  
  
「恋」というのは、相手のエネルギーに依存している状態です。
  
一種の、麻薬中毒のような状態なのです。
  
  
言い方を換えれば、脳内麻薬に依存しているという事ですね(笑)
  
  
「恋」をするメカニズムというのは、
 
   
【 自分には、何か欠けている要素があって、
  「恋の相手」が、その「自分の欠けている部分」を満たしてくれる。
 
  だから、自分には自分を満たしてくれる「恋の相手」が必要なのだ 】
  
  
というネガティブ観念によって、
 
【相手のエネルギーに依存している状態】なのです。
  
  
そして、自分が相手に依存しているからこそ、
相手に対して「自虐/過保護」の状態になってしまい、
  
  
女性が男性に依存している多くの場合、
男性から理不尽な扱いを受ける事になってしまうのです。
  
男性が女性に依存している場合は、
逆に女性から理不尽な扱いを受ける事になってしまうでしょう(笑)
  
  
だいたいの場合、
  
・女性は「男性に対して自虐的」で、
・男性は「女性に対して傲慢」です。
   
(※ 私の過去の場合、逆に女性に対して自虐的でしたが 笑)
  
  
ですから、「精神バランスを取る」という意味では、
  
女性に対しては、励ましてあげて、
「男性に対する自信」を付けてあげなきゃなりませんし、
    
男性に対しては、「女性に対して謙虚」になってもらう為に、
傲慢な天狗の鼻をへし折ってあげなきゃなりません。
  
  
そして、「精神性」が高まっていくと、
  
自分に欠けている(と思い込んでいる)部分が、
だんだん埋まっていきますので、
  
どんどん他人のエネルギーに依存しなくても良い状態になっていきます。
  
  
そうすると、
  
【「恋の相手」なんて別に要らないな】という境地に辿り着きます。
  
  
今の私は、だいたいそんな状態です。
  
  
「恋」というのは、「自分を満たして欲しい」という気持ちです。
  
  
しかし、「恋愛」から「恋」が無くなると、「愛」だけが残ります。
  
  
それが、【無条件の愛】です。
  
  
「自分を満たして欲しい」という、飢えた気持ちが無くなって、
  
ただ、「相手を満たしてあげたい」という気持ちだけが残ります。
  
  
私が思うのは、ただ、
  
相手に【「自分は愛されている」という感覚を持って欲しい】
  
という事だけです。
   
  
【「自分は愛されていない」という感覚】は、
 
人生のあらゆる局面に「大きな悪影響」を及ぼし、    
  
  
【「自分は愛されている」という感覚】は、
  
人生のあらゆる局面に「大きな好影響」を及ぼします。
   
  
「自分は愛されているんだ」と感じられるかどうかは、
   
【人生の根幹】とも言える、非常に大切な部分なのです。
  
  
だからこそ、私は 
 
相手に【「自分は愛されている」という感覚】
  
を、持って欲しいと思っています。
  
  
だから、私は相手に対して「無条件の愛」を絶えず注ぐのです。
  
  
それは、まるで「親が子を想う気持ち」に似ていると思います。
  
  
私は両親からそれを受け取ったので、
 
次は、「自分の縁ある人」に対して、
そういう風に思って欲しいと思っています。
    
  
【無条件の愛】とは、
  
・相手の「ネガティブな部分」を許し、受け入れ、まるごと愛すること
・相手の(ネガティブな選択も含めて)「自由意志」を尊重すること
・相手に「優しく」するのと同じくらい、「厳しく」もできること
  
という事です。
  
  
「無条件の愛」を注ぐことは、
  
他人の人生を根こそぎ変えるぐらいのパワーがあります。
  
  
「無条件の愛」は、相手の持っている無意識の恐怖を表面化させ、
  
一掃させるチカラがあるのです。
  
  
「恋」は依存の関係です。 「愛」は自立の関係です。
  
  
「恋」を通じて、お互いが精神的に成熟していくことによって、
  
徐々に「(無条件の)愛」に近づいていくのです。
  
  
なので、精神的に未熟な若いカップルには、
刺激も多ければ、その反面、ケンカも多いですし、
  
お互いを尊重し合っている円熟な夫婦などは、
ケンカもしないし、落ち着いているのです。
  
  
それは、依存的な「恋の関係」から、
  
自立した「愛の関係」へと成長しているのです。
  
  
「恋」は刺激的かも知れませんが、その反動は必ずありますから、
  
落ち込んだり、ケンカしたり、苦しんだり、
思い通りに行かない事にイライラしたりする事があります。
  
  
「愛」は、刺激的ではありませんが、
  
いつも落ち着いていて、「平穏と安寧と愛しさ」に満ちています。
  
  
今は「恋」に没頭している人も、
  
いつかは「恋のストレスや悲しみ」に疲れて、
  
いずれ「愛の道」へと成長していく事になるのです。
  
  
それは、今世ではなく、来世以降の事かもしれませんがね(笑)
  
  
今世で「恋」を卒業して、「愛」に生きたい人は、それも可能です。
  
「精神性」を高めていけば、誰でもそうなります。
  
  
「恋」も「良い経験、良い思い出」にはなるかもしれませんけど、
   
「恋」には「大きなストレス」が伴いますが、
「愛」にはストレスがありませんよ(笑)
   
   
「無条件の愛」に生きたければ、
自分の「精神性」を高める意志があるかどうかが大切です。


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