2014年08月28日

無条件の厳しい愛

一般的に【愛】とは、
「優しさ」をイメージするものだと思われがちですが、
  
実際には、【愛】は「優しさ」と「厳しさ」の二面性です。
  
  
私は、弟子に対しては「容赦ない厳しさ」を向ける事があります。
  
  
つい昨日も、弟子の一人に非常に厳しいメッセージを伝えましたが、
  
そのおかげで、「気合い」が入ったようで、
今日から【前向きに頑張る気】が起きたようです。
  
 
私は、相手の声を聞いたら、だいたい精神状態がわかるのですが、
 
今日電話したら、「前向きな声」だったので、非常に安心しました。
  
 
   
「他人に依存して、甘えている人」というのは、
無意識の領域では「厳しさ」を求めていて、実は厳しくされたいのです。
  
  
ですから、厳しくしてあげる方が、喜ばれたりするんですね。
  
  
私は、弟子に対して、時に、鬼の様に厳しいですが、
 
その10倍くらい、いつも仏の様に優しいです(笑)
  
  
その「優しさ」がベースにあるからこそ、
  
必要な時に厳しく接しても、
抵抗もされないし、摩擦も起きないのです。
  
  
その「優しさ」のべースが無いのに、相手に厳しくしようモノなら、
  
【なんでお前にそんな事言われなあかんねん!】
   
と、抵抗を受けることになってしまうでしょう。
  
  
「厳しさ」を上手く用いるには、
普段から信頼され、頼りにされるような、
  
深い愛情を相手に注ぎ続けることです。
  
  
【 「優しさ」は認めるけど、「厳しさ」は認めない 】
  
と言って、「厳しさ」から逃げ続ける人は、
  
現実で追い詰められて、痛い目を見て、厳しさを知ることになります。
  
  
  
例えば、借金取りに追われて、逃げ回っている人の多くは、
  
お金に対して非常に甘い見方をしていて、
他人に対してとても依存している訳です。
  
  
その「甘えた精神のバランス」を整えるために、
【厳しい借金取り】という人間を、引き寄せる事になるのです。
  
  
自分がお金に対して厳しくなって、
「責任を果たそう!」という気になったら、
  
「厳しい借金取り」は、「優しい借金取り」になりますからね(笑)
  
もしくは、「優しい援助者」が現れるかです。
  
  
この宇宙で生きている以上、
  
【優しさと厳しさのバランス】からは、逃れる事は出来ないのです。
  
  
【必要な時に、相手に対して厳しく接する事が出来ない】
 
というのも、「無条件の愛」ではありません。
  
  
相手の「成長」と「幸せ」に厳しさが必要な時には、
厳しくしてあげる事こそが、愛です。
  
  
そこで、厳しくできないと言う事は、
    
単に、自分が嫌われる事や、責められる事、攻撃される事を
怖れているだけです。
  
  
目線が相手に向いているのでは無く、自分に向いているのです。
  
  
【無条件の愛】とは、
  
相手の「自由意志」を尊重しつつ、 
相手の「幸せ」と「成長」の為に、愛を注ぐことです。
  
その愛は、時には優しく、時には厳しいのです。
  
  
リーダーにとっては、【相手に嫌われる恐怖】を乗り越え、
 
【必要な時に、目下の人間に厳しく出来る事】は、必要不可欠な素養です。
 
 
そして、その何倍もの優しさを、日常から与え続ける事も、大切です。


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