2014年07月11日

可哀想な人を助けても、誰も助からない理由

私は、【矛盾】というのが、どうも気になってしまうのですが、
 
例えば、
 
「他人を見下すヤツは、頭の悪いクズ野郎だ!」と、
誰かが言ったとします。
 
 
でも、「頭の悪いクズ野郎だ!」という発言が、
既に他人を見下しているので、
 
自分自身の事を、「頭の悪いクズ野郎だ!」
って宣言したいって事ですか?
 
って事になりますよね?
  
  
私は、こういう「矛盾」や「パラドックス」が気になるんですね。
 
 
それで、「ネガティブ観念」というのは、矛盾しているんです。
 
  
ですから、
 
ネガティブな人ほど、自己の内面に矛盾を抱えている事になりますし、
 
内面に矛盾を抱えて生きている人ほど、ネガティブなのです。
  
  
逆に、ポジティブと言うことは、矛盾がなく、
 
自分の考えていること、言うこと、行動する事が、一致しているのです。
  
  
私も、普通の人よりはかなり少ないとは言え、
まだ少しはネガティブ観念を持っていますから、
 
発見する度に、除去するように努めています。
  
  
私は矛盾が非常に嫌いですから、
常に、自分自身の「言行が一致」していないと、気が済まないのです。
 
 
もちろん、自分だけでなく、
他人の「言行不一致(矛盾)」も気になりますが、
 
まぁ他人にやったことは自分に返ってきますし、
 
私は売られたケンカは買いますけど、
ケンカ自体は嫌いですし、できる限りやりたくないので、
 
自分から「それって矛盾してますよね?」と、仕掛けるのは好みません。
  
  
それで、もうちょっと複雑な例になりますけど、
  
  
よく、「可哀想な人(弱者)を助けたい!」
って思っている人がいるんですけど、
   
それって実は、本当の意味で人を助ける事にはならないんですよね。
  
  
私自身も、「人を助けたい」という気持ちを、
誰よりも強く持っていると思います。
  
  
でも、私が助けたいのは、【助かりたい人】です。
  
「弱者、強者」関係無く、助かりたい人。
  
  
何故かというと、【助かりたい人しか助けられないから】です。
  
  
私は今まで、誰にでも良くなって欲しいと思い、
たくさんの人にお節介を焼きましたが、
   
相手が望まぬ「お節介」を焼いて、人を助けられた試しがありません。
  
  
「可哀想な人を助けたい」と思っていると、
  
【相手が望まぬお節介を焼くこと】になります。
  
  
過剰なお節介は、相手にイヤがられるか、
  
相手を甘やかして、過保護にして、自立心や強さを奪うか、
  
どちらかです。
  
  
本当の意味で、相手の役に立たないばかりか、
  
自分にとっても、エネルギーの無駄遣いです。
  
  
「助かりたくない人」を助けようとしていると、
 
自分自身も含め、誰も救われないのです。
  
  
根本的な部分で、本当に人を助けると言うことは、
  
【自立させてあげる事、強くさせてあげる事】です。
  
  
ただ魚を渡し続けるのではなく、
「魚の釣り方」をマスターさせてあげる事です。
  
  
これが、本当の意味で、相手に、全体に貢献する事です。
  
  
そして、前にも言いましたが、
 
弱者を一人一人、ポジティブに変えていくよりも、
 
「たくさんの弱者」に影響力を持つ、
「少数の強者」をポジティブに変える方が、
  
より効率が良く、全体の為になります。
  
  
末端の人たちを、一人一人相手にしていく事に、
情熱を感じる人もいるでしょうが、
 
私は、【リーダーの教育】に情熱を感じています。
  
  
店舗で直接お客さんを相手にする店員の役割もあれば、
社長として全体をプロデュースする役割もあります。
  
人それぞれ、ポジション、役割は違うのです。
  
  
私の記事は、真実を含んでいるとしても、
まだまだ一般人受けしないと思いますし、
  
一般人が読まなくとも、各業界のリーダーが読んでくれて、
 
人を指導する時や、仕事や使命を全うする上での
参考にしてもられば嬉しいです。
  
  
そうすることによって、
私は間接的に、非常に多くの人々に好影響を与えていることになるのです。
  
  
本当に世の中のことを思えば、
  
常識とは違う所に「答え」があることばかりなのです。
 
 
そして、その「答え」というのは、
 
時に、人間の感情などを一切無視するかのような、
【非情なほどに、シビアな結論】だったりします。
  
 
要するに、私が言いたいのは、
  
  
「世の中を良くする」という使命を優先するよりも、
  
自分のエゴで、弱者を助ける事によって、ヒーローを気取って、
ヒーロー気分に浸る事を優先するのであれば、
  
「それは、あなたのネガティブな個人的欲求を満たすだけで、
 全体の為の最善になってませんよ」
  
と言う事です。
  
  
もちろん、人を助けたいという想い自体は素晴らしいです。
  
自分の事しか考えない利己的な人間よりも、
よほど、精神的に成熟していると言えるでしょう。
   
   
しかし、その想いが【結果に結びつく手段】と結びつかなければ、
   
「最善の結果」は生まれないのです。
  
  
そして、リーダーというポジションに就く人にとっては、
 
結果に執着してナンボだと思います。
  
  
一般の人々にとっては合格点でも、
 
リーダーは、自他共に厳しく、
さらにその上を目指さなければならないと思います。 
   
   
本当に、世の中の事を思えば、全体の事を思えば、
 
  
・「善人」を「強者」にする
 
・「強者」を「善人」にする
 
・可哀想な人を助けるのではなく、
 弱者、強者関係無く、助かりたい人を助ける
 
・自分の成長、精神性向上こそ、他者への最大の貢献と理解する
 
という方向性を持つ事が大切です。
  
  
ただ自分のエゴ(個人的欲求)に生きるよりも、
全体を良くするという「使命」を何よりも優先する人には、
 
共感してもらえると思います。


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この記事へのコメント

1. Posted by 今みた    2014年08月06日 07:29
素晴らしい