2014年04月26日

才能とは何か?

最近、「将棋」がテーマの物語を読んでいました。
 
その物語の主人公は、将棋に人生を懸けていて、
「自分から将棋を取ったら何も残らない」

という風に言っているんですが、
「自分も同じだな」と思いました。
  
  
私も同じです。
 
「自分の強み」を取ったら何も残りません。
 
ただの社会不適合者です(笑)
  
  
雇われて働いて生きていくという道は私にはありません。
 
ですから、常に【背水の陣】なのです。
  
  
この道を絶たれたら、もう生きていけない…。
 
それぐらいの危機感を持って生きてきました。
  
  
ですから、安穏となんかしていられませんし、
 
いつでも全力で、本気で、ぶち当たって行くしかないのです。
  
  
私は、やりたくない事は出来ませんし、
頑固ですし、協調性もありません。
  
  
この【協調性が無い】というところが、
常識的に生きていくには致命的な部分ですね(笑)
  
  
たぶん多くの人は、自営業者であっても、

多かれ少なかれ、仕事を取るために協調や譲歩をして
他人に合わせたり、ヨイショしたりしている部分があると思います。
 
私は、それが一切出来ないのです(笑)

自分に正直すぎるので。
  
  
私の弟子にも、そういうタイプの人がいます。
 
「やりたくない事は一切出来ない」という人が。
   
   
そういう人は、雇われて働いていても、
まず出世しないタイプですから、
  
【自営のライフワークで生きる】という道しかないんです。
  
  
生きていくにはその道しかないのだから、
覚悟が決まっているし、諦めないのです。
 
 
逆にサラリーマンでも生きていける人は、
 
いざダメだった時にも安心と言えば安心ですが、
逆に言うと、「逃げ道」があるということなので、
 
覚悟が決まりにくいかもしれません。
   
   
私は音楽をやっていましたけど、その時の友達の多くは、
まだフリーターをやっているかもしれません。
   
将棋も同じでしょうけど、
「自分のやりたい事」に人生の全てを懸けて、
  
それで敗れて、人並み以上の生活が出来るなんて言うのは、
なかなか無いと思います。
  
  
やはり、全ては表裏一体です。
  
  
とんでもなく「尖った長所」がある人は、
とんでもなく「致命的な短所」があるものです。
   
   
逆に、常識的に「致命的な短所を持っている」と思われている人は、
裏を返せば、「素晴らしい才能を持っている」かもしれません。
  
  
私は、常識的に素晴らしいと思われている様な事は全然出来てません。
  
そもそも、既存の社会の枠組みの中で
要領良くやっていこうなんて考えていません。
   
  
むしろ、私は既存の枠組みや常識に囚われず、
 
「やりたい事で生きる」という、 
新しい生き方のモデル、新しい社会のカタチを今作っているのです。
  
  
【人の評価】なんて言うのは、
 
「その人のどの部分を切り取るか?」で、いくらでも変わってきます。
  
  
芸術に長けていても、
普通の仕事をやらせたら全然ダメかもしれないし、
 
逆に、仕事での評価は高くても、
違う土俵で戦ったら全然ダメかもしれません。
  
  
私は、既存の社会ではまったく評価されていなくても、
 
将来的に有望な【素質ある人間】を見抜くことが出来ます。
  
  
そういう人たちに、活躍の場を与えることによって、
 
【新しい価値観】を広げていきたいと思っています。
  
  
私は、既存の社会や常識で評価される事に価値を感じません。

私にとっては「宇宙の視点から見てどうか?」が大切です。
  
  
そして、それがこれから来る新しい時代の新常識となり、

古い価値観は徐々に崩れていく事になるのです。
  
  
常識的な感覚を持っている人は、今は生きやすいかもしれませんが、
これからはどうなるかわかりません。
 
 
逆に、既存の「社会の枠組み」や「常識」の中で、

社会不適合者、非常識と呼ばれる人たちが、
大いに活躍するかもしれません。
  
  
私はいろんな価値観がひっくり返ると思ってますけどね。
  
今生きやすい人ほど、これから生きにくくなり、
今生きにくい人ほど、これから生きやすくなると思います。
  
    
・「既存の価値観」にしがみつき続けるのか?
・「新しい時代」に向けて準備をするか?
 
 
【先見性】が問われます。


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