2014年04月11日

「自由」と「責任」

私は「幸せについての研究家」ですが、
 
「幸せ」と「自由」はとても深い関係がありますし、
私自身、自由をとても大切にしています。
  
  
でも、「自由」には「責任」が伴います。
  
人は、【責任を背負った分だけ自由になれる】と言う事です。
  
  
「責任を負う」って言葉には、
「不自由になってしまう」様なイメージがありますが、
   
何事も表裏一体だと言う事です。
  
  
【自由】というのは、
「自分で好き放題選択できる」と言う事ですが、
 
逆に言うと、その「自らの選択の結果」に対しては、
責任を負わなければなりません。
  
  
例えば、ニートを例に取ってみると、
近年では「働きたくない」という若者も多いと思いますが、
   
   
「自分は働かない」という自由を選択する代わりに、
 
「お金がもらえない」という、責任を負い、
 
ある部分では、経済的に不自由になってしまうと言う事です。
  
  
対極の例でいうと、
 
大きな組織のリーダーやトップというのは、決裁権を持ち、
その組織に対して自由に影響を与える事ができます。
  
しかし、その組織全体の責任を負っている事になります。
  
  
ある部分で、【責任(不自由)】を背負うからこそ、
 
【自由】が手に入るのです。
  
  
私は昔っから「自由」を目指してきたので、
今ではかなり「自由な生活」をしていますが、
  
その分だけ、大きな責任も背負っています。
  
  
弟子やお客さんに対する責任です。
   
   
その責任を背負っているからこそ、
私は自由でいられるのです。
  
私がお客さんに対する責任を放棄すれば、
今の私の自由なライフスタイルも失う事になります。
  
  
自由が欲しければ、

自分が背負えるだけの責任を、
積極的に背負っていく必要があります。
  
  
多くの人は、「自由(成功)」は欲しいけど、
「責任は背負いたくない」と思っています。
   
   
ですから、不自由なままなのです。
  
  
「価値ある何か」手に入れるには、
「相応の対価」を支払う必要があるのです。
  
  
その対価を支払いたくないというのは、
非常に「子供じみた発想」だという訳です。
  
  
どんな組織を見ても、
 
トップは自由ですが、その分だけ重い責任を背負っています。
  
  
【自由】が欲しければ、
【その分だけ責任を積極的に背負う事】です。
    
  
「他人のせいにして、責任転嫁して、被害者意識を持つ」

と言う事は、自己責任の反対です。
  
  
ですから、不自由になってしまうのです。
  
  
自由な人は、「自己責任」で生きています。
  
不自由な人は、「他人のせい」にして生きています。
  
  
企業の社長や、一家の主など、  
他人に対する大きな責任を背負っている人もいますが、
  
まずは、「自分一人ぐらいの人生」に対して
責任を取れる様にならなければ、
 
ずっと自分以外の他の誰かからの【指示と命令】に従い、
【拘束と束縛の元に】生きる事になります。
  
  
「責任を放棄」するのは、目先ではラクですが、
 
その分だけ、「自由を放棄」する事にもなるのです。
  
   
私は、弟子8人の人生を背負っています。
  
  
今、組織が大きくなろうとしているので、

さらに大きな責任を、
これからもたくさん背負っていく事になります。
    
  
でも、だからこそ私の自由度はさらに増えていくのです。
  
  
責任を背負うほど、自由度は広がり、

責任を放棄するほど、自由度は減るのです。
  
  
自由になれない人は、責任を背負う事を怖れています。
  
  
多くの人が大口を叩けない理由は、
「自分の発言には責任が発生するから」です。
   
   
大口を叩いたのに出来なかったら恥を掻きますから、
その恥を怖れて、大きな事が言えないのです。
  
  
私は大口を叩いていますが、
将来に対して、それだけの責任を背負っています。
  
  
「責任を積極的に背負う姿勢と覚悟」が、【自由への道】なのです。


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