2014年02月16日

「徳を積む」とはどういう事か?

昨日、新たな弟子候補が誕生し、
これで弟子の合計が7〜8人となりました(笑)
  
  
会社の社長さんは、
「社員の生活を背負っている」なんて言いますが、

私も、弟子の「人生」と「成功」を背負うつもりで支援しています。
  
  
それで、私がいつも言っている、
「徳を積む」とは具体的にどういう事か?

という質問をされたので、今日はこれについて書きたいと思います。
  
  
【徳を積む】と言う事は、他人に対して

「親切・誠実・奉仕・貢献」の姿勢を持ち、実践、行動する
   
と言う事です。
  
  
ただし、【「自己犠牲」と「過保護」にならない範囲で】
という注釈は付きますが。
  
  
私は、常に他人の事を考えています。
  
「他人に対して、自分に何が出来るか?」

と言う事を考え続けています。
  
  
何故かというと、

【他人に与えたモノが、自分に返ってくる】

という宇宙の絶対的な法則を信じているからです。
  
  
最終的には自分の為になるとわかっているので、
 
後先考えず、自分に貢献できる事があれば、
何でもやろうとします。

(※ 自己犠牲、過保護にならない範囲で)
  
  
もちろん、一人でいるときに、
自分の事を徹底的に考え尽くしているからこそ、
 
人を目の前にしたときに、
他人の事だけを徹底的に考え尽くす事ができるのです。
  
  
そうは言っても、
「他人に与えたら自分に返ってくる」とわかっていても、

やっぱり、目先の事に囚われて、
保身に走りたくなる事もありますが、

私は意志がとても強いので、その誘惑に負けることなく、

己の信念を貫き、
自分を守る事よりも、他人に与える事を優先しています。
  
  
例えば、私はブログ記事を書くときに、
出し惜しみをせずに書いていますが、

普通、「知識」や「教育」を売っている人間は、
情報を出し惜しみするものです。 

だって、情報が商品だから。
  
  
何でも公開して出しちゃうと、
売る物がなくなってしまう恐れがあります。
    
それに、ライバルにパクられる可能性もあります。
  
  
私もそういう恐れがありましたけど、
それを乗り越えて、出し惜しみせずに書いている訳です。
  
【人に与えたら返ってくる】 

その信念を強く持っているからです。
  
  
なので、私は他人に貢献、奉仕できるチャンスを常に探しています。

他人に与える事は、自分に与える事ですから、
いつも、他人に与えられる機会にアンテナを張っています。

いつでも、人の役に立つ気が満々です。
  
  
何度も言いますが、「自己犠牲」と「過保護」はいけませんから、
自分が気持ち良く、楽しくできる貢献、奉仕という条件で、です。
  
  
私にとっては、教える事が何よりも楽しいので、
「自己犠牲」と「過保護」にならない範囲で、何でも教えちゃいます。
  
  
そうすると、より高度な知識が自分に返ってきてもたらされるのです。
    
   
与える過程で、
自己犠牲と過保護になりそうだな、与え過ぎかな、と感じると、
 
「対価(お金など)をもらうか」
「それ以上与えるのを止めるか」します。
  
  
そうやって、バランスを保つようにしています。
  
  
自分は【徳が積めていない】と言う人は、
 
・視野が狭いか、
・恐怖に負けているか、
・与えたモノが返ってくるという法則を信じていないか、
・他人に対して、「誠実・親切・奉仕・貢献」の意識が無いか、
・日常的に自分を抑え込んで、我慢しているか、

そのいずれかだと思います。
  
  
特に、「自分を抑え込んで我慢している人」と言うのは、
他人に貢献する事なんて考えられないでしょうね。
  
  
表面的に自分を抑え込んで、他人に合わせている分、
その反動で、内心では自己中心的になってしまいます。
  
  
ですから、私はいつも言うのですが、

【八方美人で日和見の人間こそ、保身的で自己中心的な人間】

だと言うのです。
 
 
表面的には他人を気遣っているようで、
内心では「自分が傷つかない様にする事」しか考えていませんから。
  
  
「内側(本音)」と「外側(表面で見せる部分)」は表裏一体です。
  
  
自分自身を尊重するからこそ、
他人に対しても尊重できるようになります。
   
 
自分を抑え込む事は、自分を尊重していませんから、
他人を尊重する事も出来ないのです。
  
  
まず自分に与えないと、他人にも与えられないのです。
  
  
私は自分自身をすごく大切にしているので、
他人もすごく大切にしています。
  
  
徳を積んでいくには、勇気と覚悟も必要です。
  
  
他人の目を気にする事なく、
まず自分自身を大切にする必要があるからです。
  
  
他人の目を気にして自分を抑え込んでいる事は、
徳を積むことにはなりません。
  
それは、恐怖から逃げているだけです。
  
他人に合わせているから、他人の為にやっているように見えて、
真実は「自分を犠牲にし、他人を犠牲にする行為」です。
  
  
徳を積んでいくには、

・まず自分を大切にして、
・法則を信じて、
・他人に対して親切・誠実・奉仕・貢献の意識を持って、
・目先の恐怖を強い意志で乗り越える事が

必要になってきます。
  
  
まぁ、「言うは易し、行うは難し」かもしれませんが。
  
  
それが出来る人は、良い人生が送れますよ。 絶対に保証できます。


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この記事へのコメント

1. Posted by 松本 隆司   2014年05月26日 16:02
徳を積む:努力ですね