2012年02月10日

最後のトラウマ

今日は、情けない話をします。


ここ一週間、過去のトラウマ解放ばかりしていました。

流した涙の量は計り知れず(笑)

いやぁ、よくこれだけの悲しみを溜め込んでいたものです(笑)


私はネガティブ「観念」はだいぶクリアにしているので
新たにネガティブ「感情」を生み出す事は少ないですが、

過去のトラウマというのは、過去に生み出した感情ですから、
それは解放するまでずっと無意識の領域に残り続けるんですね。


そのほとんどが孤独のトラウマで、
「今まで自分は他人から愛されなかった」という悲しみでした。

それをだいぶクリアにした後に、
おそらく最後のトラウマに気付きました。


それが、「他人に理解されなかった悲しみ」です。

いつもセミナーではお伝えするのですが、

私は中学の時、正義感の強い生徒で、
校則を守らないクラスメイトに注意をするような存在でした。

それが、正しい事で、
学校の味方、先生の味方のつもりでした。


もちろん、クラスメイトとモメる事が多かったです。

でも、ある日先生から呼び出しをくらって、
「おまえはよくモメごとを起こすから気を付けろ!」

と、私が怒られてしまったのです。

その時の衝撃は本当に強烈でした。


今まで先生の味方のつもりだったのに、

自分が怒られ、裏切られ、
「もう学校に自分の味方はいないんだ…」と思いました。


その時に、

「自分がいくら良いことをしても、正しい事をしても、
 他人には理解できない、認められない。」

という観念をもってしまったのだと思います。


でも、自分の中には怒りがありました。

「なぜ自分が怒られなければならないのか?」

「正しいのは自分、悪いのは周りの人間であって、
 自分が悪者にされる道理はない!」

という怒りです。


その怒りが原動力となって、

「私は他人を見返したい、
 他人が否が応でも認める様な存在になりたい。」

と思うようになったのだと思います。


でも、人間は完璧になれません。

しかし、「人間は完璧に近いもの」を創造する事はできます。


ですから、

私は「完璧に近いもの」をこの手で生み出す事により、
他人が認めざるを得ないものを創りたかったのだと思います。


それで、完璧なモノって「法則」しかないんですね。

ですから、私は「法則・メカニズム」を探求してきました。


もちろん、それはそれで楽しかったのですが、

ネガティブな動機としては、
「他人に一切否定されない論理」を創り上げたかったのです。


まぁ幼稚な考えですが、

「完璧なものを創り出せば、人は認めざるを得ないに違いない」
という考えを持っていたのです。
 

そこで、徹底的に「穴のない論理」にこだわり、
理論武装してきました。


その「穴のない論理」のおかげで、

多くの人にわかりやすく心理を伝える事ができますし、
たくさんのネガティブ観念を外す事ができました。

その「穴のない論理」の恩恵は本当に大きなものでした。


でも、「穴のない論理」を構築したとしても、
他人が自分を認めるとは限りません。

なぜなら、人は「感情」で判断する生き物だからです。


私は徹底的に「論理」にこだわってきました。

でも、「感情」で自分の事を認めない人もいました。
自分の「論理」の価値を認めない人もいました。

そう言う人を見ると、
めちゃくちゃフラストレーションを感じました。


そう言う人を見ると、

「自分が完璧で正しい論理的な主張をしているにも関わらず、
 一時的な感情で間違った判断をしてしまう人」

という判断を下してきました。

ネガティブなレッテルを貼ってきました。


無意識的に、

「一時的な感情」でなく、
「長期的な論理」で判断を下せる人が
優秀な人だと思い込んでいました。


そして、延々と、自分の価値を認めさせるために、

「穴のない論理」かつ「高くて新しい視点」を追究し、
その知恵を周りの人々にシェアしてきました。

そうすれば、「自分のすごさを認めるだろう」と思っていたんですね。


でも、自分が思うどれだけ正しい行い、良い行いをしても、
自分が満足行くほど、人は認めてくれませんでした。


自分は正しいこと、良いことをしている、
でも人は認めてくれない。

その悲しみが、
いつの間にか蓄積されて巨大になっていました。


その悲しみや怒りが、

「否が応でも他人が認めざるを得ない存在になりたい」
という、ネガティブな動機を生み出していました。

でも、ネガティブな動機はネガティブな結果しか生みません。


そのいろいろな観念やトラウマが複合的に絡み合い、

「自分がいくら正しくて素晴らしい信念を突き通しても、
 完璧な論理で、世界の全員が幸せになる主張をしたとしても、

 自分の持てる最高のものを与え尽くしたとしても、

 結局他人は自分の事が一番大事で、
 僕の為に何かしてくれるわけじゃない。

 自分は周りから愛されない、認められない。

 だから、諦めるしかない。

 ネガティブな感情を生み出さないために、
 自分は他人に一切依存、期待、要求をしない。

 そうやって、一生完全に孤独でいるしかない。」


という、超ネガティブな「観念」と
「思考パターン」を創り出すに至ったわけです(笑)


でも、根底にあったのは、

自分の「人の幸せを想う気持ち」をわかって欲しい、
認めて欲しいという願いでした。


でも、自分の目に見えない「想い」なんか
どうせ理解できないだろうから、

理解させるには、

完璧な論理で人類全員が幸せになれる主張をして、
「全員が同意する意見」でねじ伏せるしかない、と(笑)


もちろん、自分が辛い思いをしてきたので、
純粋に人の幸せを願って生きてきましたけど、

そういうネガティブな部分があったのも事実です。


そうやって、私の本質の研究と心理学、
そしてわかりやすくて論理的な表現が生まれました(笑)

純粋に人の幸せを願う超ポジティブな動機と
自分の価値を認めさせる為の超ネガティブな動機の融合体です(笑)


でも、今週でもうほとんどのトラウマを解放できて、
スッキリして本当に清々しいです。


最後に言いますが、
人間が幸せになる為に一番必要なのは、「素直さ」だと思います。


自分がどんな問題を抱えていたとしても、
それを一瞬で解決できる人はこの世に存在しています。

表舞台には出てこれないだけで、
それを徹底的に研究し尽くしている人は必ず存在しています。


環境問題でも、エネルギー問題でも、経済問題でもそうです。

ちゃんと、その道の天才とかオタクはいるんです(笑)


そう言った人を引き寄せるには、
自分が素直であり、他人の言うことに耳を傾ける姿勢が必要です。


でも、「自分の間違いを認めたくない」というエゴが
素直な姿勢の邪魔をします。

そのエゴがどれくらい少ないかどうかが大切だと思います。


自分よりスゴイ人なんていくらでもいます。


自分で考えたり、議論したりするのが好きなら構わないですが、

結果だけを求めるのであれば、
知ってる人に頭を垂れて聞いた方が早いです。

それを認めて、素直に謙虚になれるかどうかだと思います。


私は人類全員幸せになれば良いと思っていますが、
素直な人でないと、成長して幸せになる事ができないと知っています。


負けを認める勇気が、
成長と幸せの最短最速のチケットだと思います。



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