2011年05月20日

謝りたいことと、これからの僕

今まで、僕は自分の幸せを追求してきました。

そして、それを伝えて行く事が、
人の幸せに貢献する事だと思ってきました。


でも、自分の幸せを追求していくほど、
ひとつの弊害が立ちはだかってくるんです。


それは……、

友達がいなくなるという事です。


何故かというと、

自分の価値観や感覚がどんどん一般と離れていくので、
人と共感できにくくなっていくんです。


もちろん、本質的に言えば、
学校教育やメディアの情報がネガティブなのであって、

幸せな人が間違っている訳ではありません。

でも、一般的な価値観や感覚とはどうしても乖離していくんです。


それでも、僕は自分の幸せを追求することをやめませんでした。

ネガティブな事態が起こったらそれに感謝し、
ネガティブな観念やトラウマを外し続けて来ました。


おかげで、今ではストレスを感じることが本当に少なくなりました。

たまにはありますけどね(笑)


でも、感じても必要以上に落ち込んだり、
イライラしたりはしません。

それは、本当に心理を理解しているおかげです。


ただ、頻繁に会う人はどんどん減っていって、
ついには限界までやってきてしまいました。


自分と周りの人を幸せにしたいという思いでやってきたのに、
何かが違う…。

そんな違和感はずっとありました。


ストレスは無い。 でも、何かが違う…。

自分はもっと多くの人を幸せにしたかったはず…。


そんな事を考えていたのですが、
結局、人それぞれ、幸せのカタチはみんな違います。

僕みたいにストレスを極限まで減らしたいって人もいれば、

そこまでしなくても、
友達とバカやってる方が幸せだという人もいます。

誰がどこで満足するかって言うのは、本当に千差万別です。


精神面でも、経済面でも、健康面でもそうです。


僕は、「最高の幸せ」をプレゼントしたいと思ってきましたが、
それは僕の基準であって、相手の基準じゃないんですね。


だから、僕の目線から見た「与えたいモノ」なんていうのは、

相手から見たら、
本当にくだらないもので、しょうもないモノなんですね。

相手が喜ぶだろうと思ってたら大間違いでした。


相手がたった今、欲しいモノ、得たい感情を与える、
相手がたった今、解決したい問題を解決する、

それが、本当に相手の幸せに貢献する事なのです。


少し前までは、

「自分の与えたいモノ」と「周りの人が受け取りたいモノ」が
自然とマッチしていただけなんです。

それが、僕が変化する事に乖離してきたんです。


そして、ついに自分は周りの人たちに対して、
貢献できない状況まで追い込まれていきました。


なんとかしようと思って、

いろいろ考えて、試行錯誤していましたが、
根本的な考え方がずれてしまっていた為に、

たくさんの人に迷惑をかけていたと思います。


本当に申し訳なかったと思います。


きっと、「昔の中井さんの方が良かった、楽しかった」
なんて思っている方も多いと思います。

そういう印象を持たれている方にはお詫びします。


ただ、今までのプロセスに後悔はしていません。

この学びによって、さらに多くの人を救う事ができますから。


これからは、昔以上に、
縁ある人を、一人一人大切にしていきたいと思っています。


今までは、縦に深く掘ってきて、
ついには自分が納得する底まで辿り着きました。

これからは、横に広く生きていきます。


個人個人が求めているモノを知り、
相手のニーズに合わせたサービスを提供する。

そうやって生きていきます。


ビジネスに完璧性なんか必要ありません。


完璧性を求めるくらいなら、

すぐに相手の問題が解決するレベルのモノを、
いかに早く、安く提供するかの方が大切です。


それで、相手の問題が解決したら僕はもう用無しでいいんです。

僕はまた次の人の問題を解決していきます。



今幸せな人を、もっと幸せにする。

それももちろんやっていきますが、

一人を究極的に幸せにする事、その追及は一旦終わりにして、


これからは、出来る限り多くの人たちの、
今すぐ解決したい死ぬほどの悩み、ストレスを素早く解決する。

その追及に入っていきます。


仕事のやり方も大きく変えていきます。


マザー・テレサのように…、と言えばおおげさですが、

目の前の苦しんでいる人を一人一人、
淡々と繰り返し繰り返し助ける。 淡々と同じことを続ける。

そういう生き方を目指して生きたいなと思っています。



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