2010年12月11日

哀れみを覚える

私は、ずっと自分を高める事をしてきました。

そして、周りの人たちの成長にも貢献してきました。


たぶん、相手には理解されないだろうな…、

という方法も使ってきました。



人の成長を阻害するのは、「我」です。


今の自分をすごいと思いたい気持ち、

今の自分を認めて欲しいと思う気持ちです。


そういう気持ちを捨て去るには、

自分の「分を知る」という事が、非常に重要なのです。


もちろん、まずはセルフイメージを高く持たないと、
自分の未熟さをなかなか認められないので、

セルフイメージ向上とメンタルブロック解除は必須です。



その基本を押さえた上で、

自分はまだまだ何も知らない。

自分はまだまだ未熟な存在だ。

自分なんて大したことがない存在だ。


という事を自覚しなければ、成長は無いのです。



将来すごくなりたければ、今の自分はすごくないと認める事です。

その謙虚さが自分を成長させるのです。


今の自分をすごいと思って欲しいと思っている限り、
そのレベルから上に行くことはできないのです。



ですから、私は人の我を自覚させる事をしてきました。

それは、「嫌われる覚悟」があるからできるのです。


私ぐらい、「他人にどうみられても良い」と思っている人も
珍しいと思います(笑)


表面が陰であれば、内面は陽。
表面が陽であれば、内面が陰となります。


ですから、

不自然なくらい愛想の良い人、良い面しか見せない人というのは、
実は他人の事をあまり考えていないのです。



私は、普通の人が見たら、
嫌われてもおかしくないような事をたくさん書いています。

でも、それは見た人の「我」を自覚させるためにやっているのです。

まぁ、余計なお世話かも知れませんが(笑)


でも、その中でもほんの一部の向上心のある人が、

そこから価値あるものを
学び取ってくれたらいいなと思っています。



それで、仏教の勉強をしていくと、

「哀れみの心」が大切だ。

という事が出てくるのです。



私は、今まで哀れみというのを意識してきませんでした。

なぜなら、人を見下すようでイヤだったのです。


同情は相手の自尊心を傷つける行為だと思っていましたし、

自分も、何があっても同情されたくないと思っていました。


気遣いは快く受け取っても、
本質の部分で同情されて喜ぶ人間なんかいないと思っていました。


それに、苦しみを取り去ることは、
相手の成長のチャンスを奪うことにもなります。


哀れみの心を持つと、悲しいことがたくさん増えます。

私は自分の精神のために、ネガティブ情報を遮断していますが、
実際にこの世は、苦しんでいる人だらけですからね。



でも、哀れみの心は相手の置かれている境遇に対して
哀れむのではなく、

相手の「我」「煩悩」「悪業」によって、真理が見えず、
それ故に苦しんでいる事に哀れむのだ、

そして、相手の「我」「煩悩」「悪業」が浄化される事を祈るのだ、

という事を教わって、価値観が変わりました。


意味合いは違いますが、
「罪を憎んで、人を憎まず」の精神ですね。


今、権力を持っている人の中には、

この権力を失いたくない、
他人を支配したい、コントロールしたい、

と言う、所有というネガティブ観念から生まれる、
恐怖を持っている人もいるでしょう。


私は、そのネガティブ観念を破壊したいのです。


その権力者達は、私が今学んでいる事を知っていて、

その能力を全ての人類ではなく、
自分たちの為だけに使っているのです。

まさに、スターウォーズの世界です(笑)

でも、それは自然の秩序に沿いません。


ですから、今多くの人が世界を良くすると言うことに目覚め、
いろんな活動が水面下で起こっていると思うのです。

私も、水面下でいろいろやってます(笑)

表面に打って出るには、水面下で十分チカラを蓄えた後です(笑)

その時がいまから楽しみです(笑)


とにかく、あらゆる人に対して、
ネガティブ観念を持っている事に対する哀れみを持つ事。

それが、さらに高い精神性を身に付ける為の道の様です。



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haxe501 at 22:04│clip!幸せに生きる