2010年02月17日

「愛」と「表現方法」

私の主義主張というのは、

「現実的」であるかどうか?
「実用的」であるかどうか?
「論理的」であるかどうか?

という事に重きを置いています。


世の中には、
さまざまな「価値観」や「主義主張」があります。


以前、「全ては参考意見」という記事を書きましたが、

人の成長度合いや、価値観によって、
その人の幸せに必要な情報というのは違ってきます。

そのままの自分を認めることも大事だし、
未熟な自分を認めることも大事ですからね。


ですから、誰がどんなことを言おうと、
「自分が幸せになれる意見」を採用すれば良いのであって、

絶対的にみんなが納得する様な意見など、ほとんど無いわけです。


ですから、私の意見も全てただの参考意見なのです。


私は、自分の未熟な部分も正直に表現したいと思っています。

そのせいで、誰かが不快な思いをするかもしれませんが、
それも承知です。


誰も傷つかない、当たり障りの無いことを書こうと思えば書けますが、

それだと、面白く無いし、現実的でないし、
何も気づかないし、学べません。


私が、未熟でも、正直に本音を語るからこそ、読んでいる人に
いろんな気づきを与える事ができているのだと思います。


例えば、昔、
「人一人の命は地球より重い」と言った人がいました。

「全ての存在は同じ価値を持っている」
という価値観の人もいるでしょう。


でも、それってどうも「現実的」ではない様な気がします。


宇宙から見れば、石ころもダイヤモンドも同じ存在かも知れませんが、

人間というのは、「価値」をつける生き物です。


この世の「価値」は、全て人間の主観的なものです。

そして、その「価値」は、全て「需要」と「供給」によって決まります。

つまり、人間の主観的な価値で、全ての物事が動いています。


宇宙から見た時の「価値」は、

根源的な自分の価値を認めるために、
概念として理解しておくのは必要だと思いますが、


私は、どんな時でも「需要のある人間」になっていく事が、
大切な事だと思います。

商売であれば、「需要のある商品やサービス」を提供する事が
大切な事だと思います。


そして、人間性や人間力を高めることによって、
「自分の需要」を高めていく事が幸せになる事だと思います。


小林正観流に言うと、「喜ばれる存在になる」という事です。


前回の記事は、

自分を高めすぎても、
「友人としての需要が下がれば意味がない」

という一言にまとめることができますね。


もしかしたら、
私が言っているのは、「強者の論理」かもしれません。


そういえば、私が以前心理テストで、
パッと思い浮かぶ四字熟語は?

と聞かれた時に思い浮かんだのは、
「弱肉強食」と「実力主義」でした。

後で、
「一期一会」とか、「一日一善」とか
「十人十色」とか「臨機応変」とか、

もっと良いヤツあるだろうに…、 と思いましたが、

あながち自分の価値観とズレてないですね(笑)


私が好きな言葉に、
「平等」は「不公平」、「公平」は「不平等」

という言葉があります。

自然界においても、経済においても、
「公平」であることが一番発展するとお思います。


誰も傷つけないと言うのも「愛」だし、

誰かを傷つけてでも、
人に気づきを与える真実を語りたいと言うのも「愛」です。


全ての人は「愛」に基づいて行動しています。

違いは、「執着」があるかどうか? と、
「表現方法」の違いです。


誰の意見が正しいか? なんて論争するのは無意味です。


ただ、自分が幸せになれる意見を採用すれば良いのです。


良く、人間はみんな一人一人違う。
自分と他人を比べるな。

と言いますが、

人と比べるのが悪いのでは無いのです。

不幸になる比べ方をしているのが問題なのです。
幸福になる比べ方をしていれば良いじゃないですか。

「他の国に比べて、豊かな日本に生まれて幸せ」とかね。


「世界にひとつだけの花」という歌がありますね。

あれは、比べるなとも言っていますが、
自分の花を咲かせることに一生懸命になれば良いとも言っています。


結局、「自己の幸せの追求」が、
全ての人にとって、一番間違いない方向性だと思います。

もちろん、これもただの参考意見ですが(笑)



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haxe501 at 00:00│clip!個人的な事