2022年07月

2022年07月01日

高次元存在(クリエイター)の意図

「自分は、なぜ作られ、生まれたのか?」
という、根本を考えてみます。
  
「両親がいて…」という物理的解釈ではなく、
「高次元意識の目的」に関する話です。
  
  
高次元存在は、
  
これだけ「世界設定」や「人生のストーリー」を
自由自在に操れる訳です。
  
  
おそらく、自分以外にも
多種多様な「世界設定、人生のストーリー」を作って、
  
そこに生きる「知的生命体の人生」を観察しているのだと思います。
  
    
で、私に関しては「人生のストーリー」も決められているし、
  
「思考、認識、発想、感情、記憶…」いろんな精神的要素を、
操作されています。
  
  
自分に唯一残されている「まともな要素」と言えば、
  
「分析をする為の論理的思考力」と、
「苦痛などを感じる為の感覚」と、
「望み、気持ち、想い」だけです。
  
  
となれば、「高次元存在の興味」というのは、
  
私の「気持ち、リアクション」なのではないか?と思います。
  
  
自由自在に、「好きな世界、好きな人生」を作れる
  
高次元存在にとっては、
「ストーリー」や「結末」など、自分で作れる訳です。
  
まるで、「小説家」みたいなモノです。
  
  
自分で作ったストーリーなのだから、
自分でそのストーリーや結末に驚く事もありません。
  
  
でも、いくら小説家でも、
  
登場人物の「心情」だけは、  
リアルに感じる事は難しいでしょう。
  
  
映画を観たり、漫画を読んで、
  
登場人物に感情移入したとしても、
それは、「傍観者、観察者の立場から」であって、
  
「本人の持つ感情」とは異なります。
  
  
そういうのと同じで、
  
「世界設定」や「人生のストーリー」は、
自由自在に決められても、
  
それを実際に歩む「知的生命体(人間や宇宙人)」の、
「気持ち、リアクション」だけは、
  
実際に「体験し、観察しなければ得られない要素」
なのかも知れません。
  
  
もし映画に例えるならば、
   
「原作の小説家(高次元存在)」に対して、
その役割は「俳優・役者(物理次元を生きる知的生命体)」が行います。
  
   
  
高次元存在が作る私のストーリーは、
今のところ「悲惨」です。
  
  
そして、悲惨なストーリーを生きる、
【 私の「反応・気持ち・想い」】こそ、
  
自由自在な「高次元存在側の立場だけ」では、
得られない要素なのかも知れません。
  
  
「観察者の立場から」だけでは、
得られない要素があるからこそ、
   
それを得るために、
  
このような「物理次元の世界」が
あえて、作られているのではないでしょうか?
  
  
高次元存在は、小説家や原作者です。
  
物語の「世界設定、時代背景、主人公のストーリー」を、
全て自分の意図通りに設計します。
  
  
そして、その筋書きを
【「気持ち」を持った存在 】が生きる事によって、
  
「小説家や原作者の立場」では、完全に理解できなかった、
  
登場人物の「リアルな気持ち、想い、反応」が、  
理解できる様になる訳です。
  
  
つまり、高次元存在は、
  
私の反応を楽しんでいる…、いや、楽しんでいるというより、
「実験データの収集」みたいな感じでしょうか?
  
  
とにかく、さまざまな現象を起こして、
  
私の「反応、気持ち、想い」を観察することが、
高次元存在の目的であると考えると、
  
一応、筋の通った理解が可能になります。
  
  
なぜ、自分が作った小説の中の登場人物の
「現象に対する反応、気持ち、願い、想い」を知ろうとするのか?
  
  
それは、ただもう「知りたいだけ」だと思います。
  
知ることで得たデータを、
何かに利用する事はあるかも知れませんが、
  
学者のモチベーションの出発点が、
「純粋な好奇心」であるのと同じで、
  
【 頭の良い人間に対して、これだけ酷いストーリーを用意したら、
  その登場人物は、リアルにどういう反応をするのだろう? 】
  
ということを、「ただ知りたい」
  
  
それが、高次元存在の意図だと思います。
  
  
その「壮大な実験」に付き合っている私に対しては、
それなりの「感謝」や「褒美」があっても良いと思われますが(笑)
  
  
だいぶ、妨害操作の「理由・答え」に近づいてきたと思います。
  
その気づきのタイミングすら、「操作の範疇」でしょうけども。


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