2022年04月

2022年04月30日

NPCの分類

私の存在を知っているNPCには、
大きく3分類あると思っています。
  
  
【 A. 私の記事や動画を見ていて、内容を理解している 】
  
・この世界はシミュレーテッド・リアリティであること
・中井貴雄は世界一の学者、能力者であること
・私の情報に触れている人の挙動が異常であること
・妨害操作が働いていること
・マンデラ・エフェクトの事実とそれを無視する異常な人々
  
こういう事を理解しているタイプのNPC。
  
  
ほぼ、いないですね。
  
  
まともな神経なら、こういう事実を目の当たりにして、
「正常な精神状態」を保てる訳がありません。
  
  
現実を正しく認識できる設定のNPCがいるとすれば、
【 自分に対しても妨害操作が働いている事 】を認めざるを得ないし、
  
絶望的な気分に支配されるはず。
  
  
陽気にSNSの投稿なんかしていられる精神状態ではないはず。
  
  
ブロックしたり、友達を外す方が、まだ正常な反応と思うわ。
  
  
  
【 B. 私の記事や動画を見ているが、内容は理解していない 】
  
例えば、私の動画やSNSに批判的なコメントを飛ばしてくる輩とかですね。
  
あと、私の家族とか。
  
  
小中学生にでも分かるように、超わかりやすく解説しているのに、
以前は、「相手の頭が悪いのかな?」と思っていましたが、
  
操作によって、
【 理解できない状態を続ける"設定"にされているNPC 】
  
という事で納得。
  
  
  
【 C. 記事や動画をあまり見ていない 】
  
その状態で、俺に絡んでくるのは、人として失礼やろ。
  
人とコミュニケーションを取ろうと思ったら、
「相手が何が好きか? 何が嫌いか? どういう思想か?」
  
そういう事を下調べするのが礼儀。
  
    
イスラム教の人に、「豚肉料理」や「酒」を出すのと同じ。
  
高級フレンチに、ドレスコード無視で入店するのと同じ。
  
  
互いに良好な関係を築きたいなら、調べられることは調べてから、
コミュニケーションを取るべき。
  
    
「礼儀知らずのNPC」というか、
「意味不明な設定」にされてるNPC。
  
  
  
とまぁ、「分類分け」をして見ましたが、
  
「Aタイプ」のNPCと出なければ、
コミュニケーションを取るのは非生産的です。
     
「B,C」のタイプのNPCとコミュニケーションを取るのは、
極めて非生産的です。
  
  
私とコミュニケーションを取りたければ、
  
自分が「Aタイプである」という自覚を持ってから、
連絡してきてください。


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haxe501 at 16:59|Permalinkclip!

2022年04月27日

価値観が削ぎ落された先

ここ最近は、「目の前の現実」を正しく捉えるべく、
  
「人間としての価値観」を削ぎ落していく
というプロセスを経ていました。
  
  
過去の著名な哲学者たちと同様の、  
「哲学的な思索」に対して考えを巡らせる事ぐらいしか、
  
やることも無いので。
  
  
例えば、「希少価値がある(ない)」というのは、

【 人間的な価値観 】です。
    
  
時間、お金、物質などの「有限な世界」に生きていればこそ、
希少価値は重要な概念となりますが、
  
例えば、高次元の魂の世界に、
  
なんでも自分が望み描いたことが即座に叶う、
「無制限の自由」が備わった世界があるとします。
  
  
例えば、ゲームプログラマーが、プログラミングを使って、
「自分の思い描いた世界」を作り上げられるのと同様に。
  
  
そんな世界では、「希少価値」など意味を持ちません。
  
  
ゲームの世界では、数値を操作するだけ(チート行為)により、
一瞬で「能力や資源、所持金など」を増やし、最強の金持ちになれるのと同じです。
  
(その代わり、ゲームバランスの崩壊を引き起こしますが)  
  
  
同様に、

「他者と比較して優れている方が価値がある」とか、
「他者に貢献することに価値がある」とか、
「ルールを守ることに価値がある」とか、
  
それらも全ては、「人間的な(社会的)価値観」です。  
  
  
この全てが支配・管理された「シミュレーテッド・リアリティ」においては、
  
【「他人(NPC)」と「自分」を比較して一喜一憂すること 】にも意味はありません。
  
  
「何に価値があるとか、ない(役に立つ、立たない)」などと論じることも、
全ては、あくまで「人間的(社会的)な価値観」です。
  
  
そういった価値観を全てそぎ落としてしまえば、
  
残るのは、【「快」と「不快」という「体験の質」】だけです。
  
  
全ての価値観を失ってしまえば、
  
残るのは、
自分の経る体験が「快なのか、不快なのか」という事だけです。
  
  
それ以外の事は、価値観も、社会も、他人も、

「全てが(高次元によって)創り上げられ、
 操作されている幻想(プログラム)」
   
なのです。
  
  
そして、体験の質を一般的に大まかに分けると、
  
・プロセス(快)+ 結果(快)  (例:生産的な事に情熱を注ぐ
・プロセス(不快)+ 結果(快) (例:勇気を出す
・プロセス(快)+ 結果(不快) (例:自制心を失う
・プロセス(不快)+ 結果(不快)(例:無益な行為を強制される
  
という感じです。
  
  
それらが複雑に絡んで、「総合的な体験の質」が決定されます。
  
  
他人と比較して、自信が付いたり、または失ったり、
他人に貢献して、嬉しい気持ちになったり、
他人に迷惑を掛けて、罪悪感を覚えたり、
  
そういうのは、人間的(社会的)価値観です。
  
  
それを取り除いて、自分の体験を俯瞰して眺め、分析してみると、
  
「退屈、面倒、不自由、心身の苦痛など」が【 不快の本質 】です。
  
  
不快を減らしたいと思うのが、「生物としての自然な本能」だと思いますが、
  
まぁ、それを望んだところで「叶わない不自由」を私には強制されているので。
  
  
無限なる宇宙の中では、
「意味不明な不快を強制される体験」にも何らかの価値があるのでしょうし、
  
その役を、なぜか自分がやっているのでしょうし。
  
  
真っ暗闇の中、身動きの取れないまま、
行動支配によって自殺する事すら許されないまま、
  
自分の意思と無関係に流れ続けるベルトコンベアに乗せられ、
  
日々、淡々と不快を体験し、それに耐えるというのが、
  
「自分に課せられた命運」の様です。
   
   
いつか、「この不快が終わる時」がくるのかと、
ひとかけらの希望を頭の片隅に抱きながら。


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haxe501 at 02:43|Permalinkclip!

2022年04月22日

「霊的な目的」と「納得」

人間が持つ「最もパワフルな能力」の一つが、
論理的思考力。
  
  
その論理的思考力を鍛え上げた末、
  
「論理的思考力が全く役に立たない世界」  
に放り込まれてしまった訳で、
  
最も信頼に足る思索の基盤と考えていた「自然法則」すら、
捻じ曲げられるシミュレーテッド・リアリティ。
  
  
論理的な分析も、予測も、何も当てにならない。
  
  
これはつまり、人間として生まれてきたけど、
「人間として生きること」を止めざるを得ない。
  
  
周りが「論理的思考が吹っ飛んでいるNPC」で溢れようとも、
  
自分だけは「人間らしさ(人間らしい思考、基準)」を
保ち続けようとしてきた。
  
  
でも、自分の体験を省みると、
  
そもそも、自分は「人間らしい幸福や達成」を目的として、
生まれてきていないと思わざるを得ない。
  
  
自分を成長させて、経済活動して、
社会や他人に貢献して、子供を立派に教育して、
  
「自分と他者(社会)の物心両面の幸福」を追求する。
  
  
それが、人間らしい「人生の目標の一つ」だと思うけど、
  
どうも、自分が生まれ、生かされているのは
そういう目的の為では無いらしい。
    
  
別の、【 何か「霊的な目的」がある 】と思わざるを得ない。
  
  
世俗に対する執着や目的を捨てて、
「個人の霊的な目的」の為に身を費やす、委ねるなんて、
  
まるで釈迦みたいな、「出家するお坊さん」みたい。
  
  
やりたくも無いのに、
【 坊さんみたいな人生 】を強要されている感じか。
  
  
「精神や霊的な成長に好奇心」を持っていた時期もあるし、
その気持ちもわかるけど、もうそれは卒業したんだよな。
  
  
人間にとって、「幸福」よりも重要なのは、
  
【 納得 】なんだよね。
  
   
ホームレスだって、自分がその境遇に納得してりゃ、
それほど不幸な気持ちにはならない。
  
  
苦しい境遇であっても、
  
自分は「過去の罪を償うためにその辛苦を背負う」と
本人の意思で決めているなら、耐えていける。
  
  
命を懸けた勝負であっても、その結果で死ぬとしても、
本人が納得しているならば、「不幸な最期」とは言えない。
  
  
  
だから、精神にとって重要なのは、
「周囲の環境や境遇の質」じゃなくて、
  
【 本人が(論理的に)納得しているかどうか? 】
  
  
全員が「金持ち」にはなれないし、(経済活動は競争だから)
全員が幸福にはならないかも知れないけど、(事故、事件はゼロにはならない)
  
【 全員が自分の「境遇・判断・結果」に納得できる世界 】に住みたい。
  
 
私だって、自分の境遇に「納得」できるなら、
「感じる辛さ」は大幅に軽減できるだろう。 
  
  
納得できないからこその、苦痛。
  
  
幸福よりも重要なのは「(論理的な)納得」であり、
  
「納得」こそが、最も健全な精神状態。


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2022年04月07日

人生は体験型の映画

またここ最近、「シミュレーション仮説」の動画がアップされているのを見ていますが、
  
(もう、「仮説」じゃなくて「明らかな事実」なんですけど)
  
シリコンバレーのIT関係者、科学者たちは、
シミュレーション仮説を採用すると、
  
現代における、「ありとあらゆる科学上の謎」が解けて、
「筋の通った説明が可能になる」ということで、
 
私も「物理学好きの人間」として、完全に同意します。
  
  
「光速度不変の原理」や、「量子力学」
「ダークマター、ダークエネルギー」などの謎も、
  
「シミュレーション仮説」を採用すると、
筋の通った説明が可能になります。
  
  
私は、【 この世界がシミュレーテッド・リアリティである 】
  
という事を理解している「NPC(他人)」としか、
もう話が合わないと思うのですが、
  
  
人間や人生を研究してきた学者として、
「人生観」を最新にアップデートするとなると、
  
【 人生とは、体験型の映画、もしくはRPGである 】
    
という風に言えるかなと思います。
  
  
映画はストーリーが決まっていますし、
  
ビデオゲームのRPGにしても、
自由に動ける部分もありますが、
  
ストーリー進行に絡む重要なイベントは、
あらかじめ決まっています。
  
  
まぁ、自分は自分の人生にしか言及できませんし、
自分以外の人生の事は分かりませんが、
  
過去を振り返ってよくよく考えれば、
  
操作に気づく前の出来事でも、
「あれも操作だったな…」と思うことはたくさんありますし、
  
私ほど極端でなくても、他人の人生であっても、
操作が皆無って事はなくて、
  
ある程度の操作は受けているハズです。
  
  
運命は決まっているなんて、何も面白くないし、
  
「知らぬが仏」と言って、
気づかない方が幸せのこともあるでしょう。
  
  
しかし、人間がある程度賢くなってしまうと、
  
生物学にしろ、物理学にしろ、天文学にしろ、脳科学にしろ、
科学的に説明の付かない謎はたくさん出てきますし、
  
その謎を解こうとすれば、
  
・人智を超えた非物質次元の知性(神か宇宙人か)が存在する
・この世界はそんな知性が創り上げたシミュレーション
  
としか考えられなくなります。
  
  
そんな気づきは、「賢くなった人間」の宿命です。
  
  
問題は、その気づきを得た後に、どう生きるか?です。
  
  
結局、私みたいに自由が無ければ、
  
「ストーリーの決まっている体験型の映画」だと思って、
  
腹を括って、覚悟を決めて、
成り行きを見守るしかないのかも知れませんが、
  
それも、意識ある存在にとっては「退屈」の一言です。
  
  
せっかく「高度な思考ができる脳みそ(意識)」が備わっているのに、
  
何も意義あることが考えられないなんて、本当に退屈。
  
  
そのまま年老いて死ぬなんて、
人生のプランとしては本当にしょうもない。
    
  
もしかしたら、
「自分の想像を超えた展開」が待っているのかも知れません。
  
  
いい意味で、「自分の予想を裏切る面白い展開」を
期待するしかありません。


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