2018年07月

2018年07月22日

「守られている安心感」を感じる方法

最近は、「6段階欲求」について語っていますが、
  
自分で解説していても、
非常にわかりやすいなと思います。
  
  
1.安全と肉体に関する欲求
2.安定と生活に関する欲求
3.自由と享楽に関する欲求
4.他人と情愛に関する欲求
5.自尊と意義に関する欲求
6.使命と大志に関する欲求
  
  
シンプルに、
「6段階の欲求」をそれぞれ満たしていく事で、
    
人間は幸せにもなるし、精神的に成長するし、
心の底から、他者に貢献したいと思える人間になれる訳です。
  
  
6段階欲求を満たしていく事こそが、
人間にとっての「万能幸福論、万能成長法」とも言えると思います。
    
   
では、今回は6段階欲求の2番目、
  
「2.安定と生活に関する欲求」について、
掘り下げて解説したいと思います。
  
  
この欲求が満たされていないという事は、
  
【 日々の生活に不安を感じている 】という事です。
  
不安の種類には大きく、
「精神的不安、経済的不安、肉体的不安」があります。
  
  
例えば、いくら莫大な資産を所有していても
  
「それが、いつ失われるかわからない…」
  
という不安に駆られている人は、
【 2の欲求を満たせていない 】という事です。
  
  
2の欲求が満たせていない人の世界観は、
  
【 いつ、目の前の安定が失われるか分からない 】
という世界観で、
  
だからこそ安心できず、不安に苛まれるのです。
  
  
6段階欲求を満たせていない人は、
  
幼少の頃に親から植え付けられた、
ネガティブな世界観が影響している…、 
 
という事については、これまで解説してきました。
  
  
では、「2の欲求」を満たせていない人は、
幼少期、どのような境遇で育ったのでしょう?
  
  
平たく言えば、家庭環境が荒れていた人でしょうね。
  
  
両親がいつもイライラしていたり…、
両親がちょっとしたことで激怒しだしたり…、
両親から「理不尽な八つ当たり」を受けたり…、
  
そういう家庭環境で育つと、
  
子供としては、
  
・いつも何かに脅かされている
・意味不明、理解不能な理由で、自分は危険に晒される
・理不尽な暴力には抵抗できないし、他人は守ってくれない
  
という世界観を持ってしまいます。
  
  
そして大人になっても、その世界観を引きずってしまい、
  
他人に対して安心できないし、
危険を感じると保身しか考えられなくなります。
  
  
逆に、2の欲求を満たせている人は、
  
【 自分より大きくて強い「存在・チカラ」に守られている 】
  
という感覚を持っている人です。
  
  
クラスメイトにいじめられても、
学校の先生も親も、誰も守ってくれなかった…、 
  
という経験を持つ人は、まさにその逆で、
「守られている感覚」を持つのは難しいでしょうね。
  
きちんと心理を学んで、理解しない限りは。
  
  
では、【 理不尽な「怒り」や「暴力」】を受けて育った人が、
  
守られている感覚を持つには、どうすれば良いでしょう?
  
  
私は、「守られている感覚」を持っていますが、
  
「守られている感覚を持つ」という事は、
「信頼している」という事です。
  
  
何を信頼しているか?
  
1.唯一絶対に揺るがない「宇宙の法則」
2.ポジティブな意図を持つ「高次元存在」
3.善意を持った「人間」
  
です。
  
  
第一に、宇宙の法則ですが、
  
自分の人生経験、膨大な他人の人生経験に照らし合わせても、
善い行いを積み上げている人には、やっぱり善いことが返ってきます。
  
  
悪い事をしなければ、
自分に悪い事が返ってくる理由も無いし、
  
悪い事をせず、善い事を積み上げていれば、
自分に良いことが返ってくる…、
  
だから善いことを積み上げ続ける…
  
  
シンプルに、この宇宙の法則に確信を持っています。  
  
  
  
第二に、「ポジティブな意図を持った高次元存在」ですが、
  
  
私は、ポジティブな意図を持った存在から、
  
・どうすれば守られるのか?
・どうすれば見捨てられるのか?
  
という、因果関係を理解しています。
  
  
ですから、
  
「自分がこういう生き方をしている限りは、絶対に守られる…」
と、確信しています。
  
先ほどの「宇宙の法則」とほとんど同じですけどね。
  
  
多くの人は、
  
「ポジティブな意図を持った存在が、何を狙っているのか?」
という事を理解していませんし、
  
「どうすれば守られて、どうすれば見捨てられるのか?」
という因果関係も理解していません。
  
  
守られていない…という感覚を持つ人は、
  
「自分がどう足掻いても、
 見捨てられるときは見捨てられる…」
  
と思っていますが、実際には違います。
  
  
【 他人が自分に対してどういうアクションを取るか? 】
  
という事に関しては、
ある程度コントロールをする事が出来ます。
  
  
例えば、私って「強気で過激な事」も書きますが、 
  
他の「過激な主張を行う論客たち」に比べると、
ほとんど中傷されていないと思います。
  
  
ごくごくたまに変なヤツが絡んできますが、
  
絡まれたときの対処法も熟知しているので、
別に大した事にはなりません。
  
  
それに、仕事でクレームを受ける事もありません。
  
  
これは私が、
  
【 他人が自分に対して、どういうアクションを取るのか? 】
  
という事の因果関係を理解しているからです。
  
  
「自分自身がこういう精神状態だったら、
 クレーム、炎上、誹謗中傷、荒らしが起こる」
  
という因果関係を理解しているのです。
  
  
「守られていない感覚」を持つ人は、
  
【 理不尽な怒り、暴力、嫌がらせには抗えない… 】
  
と思っているでしょうが、
   
心理を理解すれば、
  
「他人が自分に対して、どういうアクションを取ってくるか?」  
という現象の因果関係も理解できるので、
  
「理不尽な怒り、暴力、嫌がらせ」などを
意識的に避けることも可能になるのです。
  
  
心理を理解すれば、
【 人間関係において、地雷を避けて歩けるようなモノ 】ですね。
  
  
  
それで、
  
実際にポジティブな意図を持った存在に守られ、
彼らから守られている感覚を持つためには、
  
何が必要でしょうか?
  
  
まず、ポジティブな意図を持った存在が、何を狙っているのか?
  
という事を理解しなければなりません。
  
  
私は、自分自身をポジティブに成長させてきたので、
  
「ポジティブな意図を持つ高次元存在の目的」も、
深く理解できるようになりました。
  
  
基本的に、ポジティブな意図を持つ存在というのは、
  
【 弱者保護という意図・目的 】を一切持っていません。
  
   
世界中の多くの人間が、
「弱い人間を助けることは正義になる」と思っているでしょうが、
  
真にポジティブな意図を持つ存在は、そんな風には微塵も思っていません。
  
  
お金で言えば、【 寄付はしないが、投資はする 】という感じです。
  
  
ポジティブな存在は視野が広いので、
常に全体を眺めていますし、
  
ポジティブな存在にとっての優先順位は、
常に【 全体の利益・調和 】が一番です。
  
  
では、ここでわかりやすく例を出しますが、
ポジティブな存在が100万円を持っていたとしましょう。
  
目の前に、100人の子供たちがいます。
  
  
その子供たちに教育費を割こうとしたとき、
  
ポジティブな存在は、「一人ずつ一万円渡す」よりは、
【 将来、世界に貢献するであろう一人の子供に、100万円を投じます 】
  
残りの99人の子供には、残念ながら一銭も教育費を投じません。
  
  
まぁ、これは極端な例ですけど、
  
【 ポジティブな存在が、どういう判断基準を持っているか? 】
  
という事をわかりやすく示すための例です。
  
  
優秀な一人の人間が、思いっきり世の中の為に活躍した方が、
  
【 全体の利益・調和に適うから 】です。
    
  
ポジティブな存在は、「全体の利益・調和」を常に優先するので、
  
合理的かつ長期的に考えて、
【 より全体の利益・調和に繋がる判断 】を下します。
    
  
将来、全体の利益に貢献しなさそうな存在には、一銭も投資しません。
  
ポジティブな存在とは、そういう判断を下すのです。
  
  
ポジティブな存在の優先順位は明確で、
  
最優先は【 全体の利益・調和 】ですからね。
  
  
ポジティブな意図を持った存在は、
  
常に【 全体の利益・調和 】を最優先に判断を下す。
  
  
そういう存在だと思ってもらって間違いありません。
  
  
という事は、
  
ポジティブな存在から、
最も多くの「エネルギー」や「チャンス」を投資される人材とは、
  
【 将来、全体の利益に貢献しそうな人材 】という事になります。
  
  
「6段階欲求を満たし続ける意志・素質」と、
「大義や使命を全うする意志・素質」を持った人間です。
  
  
自分がそういう人間であれば、
  
ポジティブな存在から見れば、
【 守ってあげなきゃいけない人材 】という事になります。
  
  
私は、ポジティブな存在の意図を理解しているので、
  
その意図に沿う生き方をしているわけです。
  
  
自分も幸せになりつつ、全体にも貢献できる…、
  
まさに「WIN-WIN」でしょう?
  
  
逆に、「全体に貢献する意志や素質を持たない人間」は、
  
ポジティブな意図を持った存在からすれば、
【 守るに値しない人間 】なのです。
  
厳しいですけど、
ポジティブな存在は「全体の利益」を優先しますからね。
   
  
【 限られた資源 】を、
「いかに効率良く全体の利益に繋げるか?」
   
という事を突き詰めるのが最優先ですから。
  
  
ポジティブな存在から見れば、
  
「社会や世界全体に奉仕・貢献する気満々の人間」ほど、
エネルギーやチャンスを【 投資する甲斐のある人材 】なのです。
  
  
逆に、「全体の利益を犠牲にして、己の保身を優先する様な人間」は、
  
ポジティブな存在から見れば、【 投資するに値しない人材 】です。
  
  
私も、いろんな人を見ていますけど、
  
若い頃には素晴らしい素質を持っていたのに、
ある瞬間、「全体より保身を優先する判断」をしてしまい、
  
ポジティブな存在から見捨てられてしまった人々を、
多く見てきました。
  
  
世界中の人々は、「弱者保護を正義」だと思っているでしょうが、
  
それは、合理的に考えれば【 全体の利益・調和 】に適いません。
  
  
私も、「弱者を強者に育てる事」に興味はあっても、
  
「弱者を弱者のまま、養うつもり」など、毛頭ありません。
  
  
【 全体の利益に貢献しない存在は、見捨てられても仕方が無い… 】
  
これが、ポジティブな存在の判断基準です。
  
  
逆に言うと、
  
自分自身を限り無く成長させて、
自分自身の幸せを限り無く追求して、
  
全体の利益に貢献しようとする人材は、
  
ポジティブな存在から見れば、
【 何が何でも守ってやりたくなる人材 】という事なのです。
  
  
弱者保護を、ポジティブだとか、
正義だとか勘違いしている人は多そうですが、
  
まったくの勘違いです。
  
  
むしろ、「幸せ」や「成長」の為には
  
厳しい環境に晒され、強く逞しくなることも必要です。
  
  
ポジティブな存在は、「厳しさ、冷酷さ」を否定しません。
  
  
【「幸せ」と「成長」に必要な試練・トレーニング 】だと思っています。 
  
  
弱者保護は、その必要な試練から逃避させてしまうので、
  
「ポジティブな目的」の役には立たないのです。
  
  
という事で、
  
「守られる感覚」を持つ為には、
  
  
【 与えたモノが返ってくるという宇宙の法則 】や、
  
【「自分の精神状態」と「他人の態度」の因果関係を理解する 】と共に、
  
    
ポジティブな意図を持つ存在の目的…、つまり、
  
【「全体の利益・調和を最優先にする」という判断基準 】をちゃんと理解して、
  
ポジティブな存在の意図・目的に沿った生き方を心懸ける事です。


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2018年07月20日

精神的進化を妨げるモノ

ここ最近の40〜50本分くらい、
私の記事を読んだ人は、
  
きっとこれまでの世界観が、
ガラガラと音を立てて崩れているのでは無いかと思います。
  
  
ここまで、人の精神に強く影響を与え、
考え方を変えてしまう文章を作れるって、
  
ちょっとすごいでしょ?
  
  
まぁ、文章を作るロジックだけじゃ無くて、
霊能力も使ってますけどね。
  
  
SNSの「いいね!」や「シェア」のボタンというのは、
  
基本的に「共感した! 感動した!」という、
ポジティブな感情と共に押されますが、
    
私の記事の場合、「共感も感動も出来ない」でしょう?(笑)
  
だから、バズらないし、
  
さらに、論理・ロジックに穴が無いから、
揚げ足を取って炎上させる事も出来ない(笑)
  
  
なので、目に見える反応は皆無ですが、
  
別に目に見える反応が無くても、
ちゃんと読者が強い栄養を受けている事くらい、
  
私は遠隔でも感じる事が出来ます。
  
  
なので、目に見える反応が皆無でも、
私は自分がやった事の「手応え」を感じることが出来る訳です。
  
  
  
では、今回の本題に入りますが、
    
「世の中を良くするために!」と言って、
活動している人は多い訳ですが、
  
そのほとんどは、
【 他人から認められたい、賞賛されたい、評価されたい 】
  
という、承認欲求が動機で活動している人が多いという事です。
  
  
【 潜在意識レベルの本当の目的 】がその部分にあるので、
  
「自分がチヤホヤされる事」に対しては本気になれても、
  
「本当に世の中の役に立つ事」に対しては、
まったく本気では無いのです。
  
  
まぁ、ほとんどの人が「自分の潜在意識」と、
密にコミュニケーションを取っている訳では無いので、
  
自分自身が「承認欲求に突き動かされている事」すら
全く自覚できず、無自覚に動いている人ばかりでしょう。
  
  
でも一部で、承認欲求ではなく、
純粋に世の中の事を考えている人もいるでしょう。
  
  
そういう人も、私の記事を読む事で、
  
【 どこに問題の根本や本質があるのか? 】
  
という事が、わかってきたと思います。
  
  
多くの人々は、幼少期から、
   
【 リスクを冒さず、無難に寿命を全うする事 】を目的とした、
   
【「脅迫による束縛」という、洗脳教育 】を受けてきているのです。
  
  
私の6段階欲求で言うと、
  
「1〜2の欲求を最優先として、
 他の欲求(4〜6)は全て犠牲にする」
  
という思想です。
  
  
大昔の過酷な環境を生き抜いて行くには、
その戦略しか無かったかも知れません。
  
  
しかし、時代は急激に変化しています。
  
  
その時代の変化とは、
   
・IT技術の進化
・グローバル化
・生活必需品が低価格で手に入りやすい
・消費者の目や舌がすぐに肥える
  
という様な事で起こっているのです。
  
  
未だかつて、人類が直面したことの無いほどの、
急激な環境変化にさらされている訳です。
  
  
しかし、「人間の教育」と「教育によって作られる精神」は、
  
100年前から根本部分が大して変わっていません。 
  
  
【 リスクを冒さず、無難に寿命を全うする事 】を目的とした、
   
【「脅迫による束縛」という、洗脳教育 】 …ですからね。
  
  
要するに、これだけエンターテイメントが世の中に溢れているのに、
  
「真面目に勉強する方が大事! 遊んじゃダメだ!」と、
  
他人から縛られているのでは無く、
【 自分で自分を縛り付けてしまっている 】わけです。
  
  
幼いゾウの足に、足枷を付けて育てると、
  
大人になってチカラが強くなったとしても、
自ら足枷を外そうとしなくなる…
    
という話がありますけど、同じ事ですね。
  
  
「自由になれるパワー」が備わっているのに、
自らそのパワーを行使しようと思わないのです。
  
  
で、6段階欲求に照らし合わせると、
  
先進国に生きる人々は、
「1〜3の物質的欲求」がかなり満たせている訳です。
  
しかし、「4〜6の精神的欲求」については、
からっきし…、てんでダメです。
  
  
4.孤独だ! 寂しい!
5.自分に自信が無い!
6.夢や理想も描けない! 生きる意味もわからない!
  
って感じです。
  
  
それが、「先進国に生きる人々」の精神状態。
  
  
なぜ、こんな事になっちゃっているのでしょう?
  
  
その理由は、人類が視覚情報に頼りすぎているせいで、
   
【 心理、精神、感情に関する研究が不得意になっている 】
  
という事です。
  
  
科学技術がここまで進歩してきたのは、
  
そのベースとして、【 物理学の進歩 】がある訳です。
  
  
物理学の進歩無くして、科学技術の発展はありません。
  
  
たとえば、量子コンピュータという発明だって、
  
「量子の仕組みを解明する物理学」があってこそでしょう?
  
  
同じ事を、人間の精神に当てはめると、
  
一般の心理学のレベルが低すぎるから、
「人間の精神的な課題を解決する技術」も、発展しないのです。
   
  
でも、安心して下さい。
  
中井貴雄という天才心理学者が、それを成し遂げている訳です。
  
  
あれ? 
   
人間心理の仕組みを解明した人がいて、
  
しかも、わかりやすく明快に解説できて、
それを無料で公開しているにもかかわらず、
  
なぜ、それが自然に広まらないのだろう?
  
  
はい! 
  
  
この部分にこそ、
【 人類の根本的な問題 】が存在しているのです。
  
  
私の語る、「人間心理のメカニズム」を理解しようとすると、
  
ほとんど全ての人が、強い【 心理的抵抗 】を感じるでしょう。
  
  
敬虔なキリスト教の家庭で育てられておきながら、
  
「あなたの崇めている様な神様なんていないよ!」
という事実を思い知らされるのと、
    
同じくらいの精神的ショックを伴う訳です。
  
  
要は、人間が精神的に進化するためには、
「過去に植え付けられた世界観」を捨てなければなりませんが、
  
その時に生じる「精神的ショック」を、避けようとしている訳です。
  
  
つまり、【 痛みが伴う精神的進化 】 を、自ら避けているのです。
  
  
自ら「精神的進化」を拒んでいるのだから、精神的に進化する訳が無い。
  
  
これこそ、【 人類が抱える本当の問題・課題 】なのです。
  
  
医療だったら、わかりやすいんですけど、
  
肉体の痛みって避けられませんから、
「身体が痛いのが解決するなら、手術にだって耐えます!」
  
と言えるのですが、
  
「精神の痛み」というのは、
肉体の痛みほど明確じゃ無いんです。
  
   
あ、感受性に優れている人は、
  
「精神の痛み」を、
【 肉体の痛みと同レベルで感じられる 】でしょうけどね。
  
私も、そういうタイプですから。
  
精神的苦痛に耐えられないのです。
  
  
でも、世の中にはどちらかというと、
感受性に関しては鈍感な人の方が多いのです。
  
「感情を感じる感覚」が麻痺してしまっていて、
【 潜在意識との繋がりが断たれている人 】が多い。
  
  
それも、親や学校教育による脅迫洗脳によって、
【 感受性を麻痺させるように教育 】されてしまうからです。
  
  
自分の潜在意識の状態を感じる感覚を正常に戻せば、
  
「精神的激痛」を感じ始める人が増えるでしょうね。 
  
  
「そんなんだったら、感覚なんて麻痺させたままの方がいいや!」
  
って思う人もいて当然でしょう?
  
  
と言う事で、「肉体」と「精神」では、
  
【 痛みを感じる感覚と仕組み 】が異なるので、
  
  
「人間は精神的苦痛を根本から無くそう!」とするよりも、
  
感覚を麻痺させて、苦痛を隠したままにしておこうとしている訳です。
  
  
でも、根本解決している訳じゃ無いから、
  
4.孤独だ! 寂しい!
5.自分に自信が無い!
6.夢や理想も描けない! 生きる意味もわからない!
  
という気持ちが消える訳ではありません。
  
  
精神的に満たされない想いを抱え続け、
その「悲しみ」や「苦しみ」を紛らわせるために、
  
決して充足感を得る事はできないのに、
  
「他人からの評価」や「他人を見下す事による優越感」、
「その他、刹那の快楽」を追い求め続けるのです。
  
  
そうして、【 虚しい人生 】が完成する訳です。
  
  
私の記事は、医療で言うところの手術ですよ。
  
例えるならば、【 悪腫瘍 】をえぐり出している訳です。
  
  
精神的負荷に耐えつつ、私の記事を読み続け、
  
【 自分の精神に巣くう悪腫瘍 】を完全に取り除けた人は、
  
これからの時代に適合できるほどの、
精神的進化を成し遂げる事が出来るでしょう。
  
  
そうで無い人は、
  
取り巻く環境が「物質的進化」を続けるのに、
自分自身の「精神的進化」が追いつかなくなるので、
  
  
・社会的に淘汰されながらも都会にしがみついて暮らすか?
  
・田舎に引っ越して、
 世界のテクノロジーの進化や、他人の精神的進化とは距離を取り、
 農業をしながらマイペースに自給自足で生きていくか?
  
  
っていう方向に流れていく事になるでしょうね。
  
  
という事で、人類(先進国)が抱える問題を解決するには、
  
一人一人が、
【「痛みを伴う精神的進化」を成し遂げる事が出来るかどうか?】
  
という事に掛かっている訳です。
  
  
もし、人類全体が精神的進化を拒み、
物質的進化(科学技術)ばかりが加速してしまったら、
  
精神的苦痛は最大限に増え続け、
その影響で、無差別殺人や自殺が増えます。
  
  
世界レベル、人類レベルで言うと、
エイズ、少子化、テロや核戦争による自滅です。
  
  
正しい心理の知識が広まるか? 世界が破滅するか?
  
  
人類の行く末は、「私が語る心理の知識の普及」と、
  
一人一人の「痛みを伴う精神的進化」に掛かっているのです。


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2018年07月18日

潜在意識とのコミュニケーション

直近の5本の記事は、
「世界観シリーズ」ってところですが、
  
順調に、「既存のネガティブな世界観」が
崩壊している人も多いと思います(笑)
  
  
私自身も、これまでと異なる、
大きな手応えを感じています。
  
私は遠隔でも、
他人や集合意識の状態を読み取りますからね。
  
みなさんの「精神的ショックの余波」くらいは、
私自身が拒もうとしても感じてしまうモノです。
  
  
まぁ、目に見える「SNSのいいね!」で言うと、  
反響は無いも同然なのですが(笑)
    
私は、「いいね!」が少ないほど、
良い記事が書けていると思っています。
  
  
でも、私の記事に「いいね!」が集まらなければ、
私の記事がメディアに取り上げられることも無いでしょうね。
  
一定の支持も得ていない状態で、広報したところで、
空振りに終わるのは目に見えていますから。
  
  
かといって、共感も出来ないのに「いいね!」
を押す必要もありません。
  
  
みなさんの潜在意識の精神年齢は、
  
私の記事に共感できるほど、
「まだまだ大人じゃ無い」って事です。
  
  
その根本部分が成熟しなければ、
【 行動レベルで何をしようと空回り 】です。
   
  
まぁ、自分と、他人と、世の中を、本当に良くしたいなら、
  
【 早く自分自身の潜在意識を大人にしてください 】って事です。
  
  
潜在意識(精神年齢)が「ガキんちょの状態」では、
  
大して出来ることはありません。
  
  
金持ちだろうが、経営者だろうが、
政治家だろうが、有名人だろうが、
  
承認欲求に飢えている連中の精神年齢は、
  
【 みんなガキんちょ同然 】です。
  
  
たまに、
生まれつき「IQがめちゃくちゃ高い子供」っていますよね?
  
でも、いくら大人よりIQが高くても、子供はやっぱり子供です。
  
IQ以外は、「普通の子供」とまったく同じなのです。
  
  
それと一緒。
  
  
経営や政治に、ちょっとくらい長けていようが、
それが、【 精神的に大人である事 】とは一切関係がありません。
  
  
国会議員なんか見ていると、
  
・失言のレベル
・矛盾しまくっている主張、行動
・感情的になって野次を飛ばす
  
もう、【 子供そのもの 】じゃ無いですか?  
  
  
「肉体は大人」で、「IQが少し高く」ても、
  
精神年齢は【 ガキ同然 】なのです。
  
  
  
北朝鮮の金正恩と同じですよ。
  
  
「強い権力」や「核兵器」を持っていようが、
  
【 精神的に成熟している事とは関係が無い 】のです。
  
  
世間では、精神的に成熟していなくても、
  
「カネ」と「権力」を持ってさえいれば、
世間からはVIP扱いされちゃうんだからね。
  
アホを崇め奉っているのと同じことです。
  
  
「国民全体の精神年齢」が高まらなければ、
  
精神年齢の高い政治家が支持されることもありません。
  
  
まず、有名人、政治家、経営者なども含めて、
  
国民全体の精神年齢が低すぎるという事実を
理解しなければなりません。
  
  
じゃあ、【 潜在意識の精神年齢 】を高めるために、
まず最初に、どうすれば良いのか?
   
  
それが、【 毎日、瞑想する習慣 】です。
  
  
瞑想については、少し前に書きましたけどね。
  
・中井流の瞑想法
http://growheart.livedoor.biz/archives/52056517.html
  
  
まず、現代社会に生きるほとんどの人が、
  
潜在意識とのコミュニケーションを取らずに、
毎日、生活をしていると思います。
  
  
潜在意識の精神年齢の話の前に、
  
自分の潜在意識の状態も把握していないし、
コミュニケーションも取っていない。
  
  
だから、潜在意識の精神年齢が、
「幼児の時点で成長が止まってしまっている」のです。
  
  
それに、「潜在意識の意志」を無視して、
顕在意識だけで理屈をこねくりまわして結論を出しても、
  
それは、全然「本気じゃ無い」んですよ。
  
  
【 やった方が良いのかな?とは思っているけど、
  内心では、全然やる気が湧いてこない… 】
  
という状態になります。
  
  
それに、潜在意識の意志を無視して、
顕在意識で考えたとしても、
  
ただ、「上辺の体裁」を整えただけで、
中身が伴っていない、
  
【 ハリボテの活動 】になってしまいます。
  
  
  
みなさんが気付いていない事実をお伝えしましょう。
  
  
「社会を変える」なんて事は、本気じゃ無い人間には決して出来ません。
   
  
それぐらい、
社会を変えるには【 非常に強いパワー 】が必要なのです。
    
  
潜在意識の持つ、みなぎるモチベーションを活用しない限り、
出来る訳が無いんですよ。
  
  
潜在意識の意志を無視して、
「上辺の体裁だけ整えた活動」なんて、
  
まさに、【 焼け石に水 】です。
  
  
一切の効果無し。
  
  
でも、「他人から褒められたい! 認められたい!」  
というモチベーションでやっている人は、
  
【「焼け石に水」の活動 】だとしても、
    
カタチだけ何かやっていれば、周りから褒められちゃうから、
その程度で満足しちゃうんです。
  
  
実際に、社会が良くなるのかどうか? 何てことは、
  
二の次になっちゃっている。
  
  
要するに、本心では、
  
「社会を変えるという目的達成」が
別に重要だなんて思っていない。
  
自分の目的は、極めて個人的なモノで、
「他人から褒められる事、認められる事」だから…。
  
  
「実際に社会が変わらなくても、
 自分が褒められたらそれでいいや」って事です。
  
  
目的を達成できなくても、
「自分は何かやった!というプロセス」に満足しちゃう。
  
  
つまり、【 非常にヌルい基準で満足しちゃう 】という事です。
  
  
そんなヌルい基準で、「大義」が成せるわけないでしょう?
  
  
現実を、舐め過ぎ。
  
  
ってことで、潜在意識と顕在意識がタッグを組んで、
  
本気で取り組まないと、大きな事など成せるわけが無いのです。
  
  
自分をその状態に持って行くためには、
  
まず、潜在意識とちゃんとコミュニケーションを取る必要があります。 
  
  
その為の、【 瞑想習慣 】です。
  
  
それが、始めにやるべき事です。
  
  
潜在意識のパワーを有効活用せずして、
  
大事など、成せる訳が無い。
  
  
潜在意識の精神年齢が子供同然で、
  
「他人から認められたい…」という
幼児の時点で止まっている限り、
  
自分の活動の全てにおいて、
  
【 他人から褒められる、認められるという目的 】が、
最優先になっちゃっているのです。
  
  
そんな「低レベルな目的意識」の人間が、
  
社会を変える活動なんて、出来る訳が無いのです。
  
  
つまり、【 ガキは引っ込んでろ 】って事です。
  
  
本当に社会を変えたければ、
  
人間を見る時に、
年齢でも、立場でも、能力でも無く、
    
まず最初に【 精神年齢を見る 】という視点が必要です。
  
  
私の記事を読めば、精神的ショックを受けるでしょうが、
  
精神を揺さぶられたときこそ、瞑想をする時です。
  
  
「なぜ、潜在意識がショックを受けたのか?」
  
それを、内観して詳しく掘り下げることが必要です。
  
  
これまで、
社会や常識が定めたレールの上を生きてきた人は、
  
既存の世界観が崩壊したとき、
「これから、どうやって生きていけば良いのだろう?」
  
と、考え始める事になると思います。
  
  
そんなときも、瞑想をする時です。
  
  
「潜在意識の意志」を汲み取らなければ、
  
【 自分がどうやって生きれば良いのか?】ってことも、
  
顕在意識で考えるだけでは、わかりっこありません。
  
  
例えば、レストランの「バイキング・ビュッフェ」で、
  
「自分が食べる料理」をどうやって選びますか?
  
  
自分の食べたいモノです。 当然でしょう?
  
  
でも、社会の常識通りに生きてきた人は、
  
社会が「食え」と指示してきたモノを、食べてきているのです。
  
  
その「指示」が無くなって、
「一体、何を食べれば良いのかわからない状態」です。
  
  
食べたいモノぐらいは、自分で選んできたからこそわかる。
  
でも、「生き方」は自分で選んでこなかったからわからない。
  
  
じゃあ、今まで自分で食べ物を自分で選んでこなかった人は、
どうやったら自分の好きな食べ物がわかるようになる?
  
  
これから、いろいろ食ってみるしかないでしょう?
  
  
そう、様々な経験を積むしかありません。
  
「心の赴くまま」にね。
  
  
だから、潜在意識の声を聞かないと、
自分が積んでみたい経験すら、わからないのです。
  
  
今まで、社会や常識が良しとする事ばかりやってきた人は、
  
「他人が良いというモノ」ばかり採用してきて、
【 自分自身の興味 】を封じてきている訳です。
  
  
「自分自身の興味」を指針として、経験を積んでみる。
  
  
それは、【 潜在意識の声を指針にする 】という事です。
  
  
結局、自分の潜在意識の声を聴けていない人は、
  
【 あらゆる事を、他人軸で判断している 】という訳です。
  
  
他人軸で生きている人間が、
「大勢(たいせい)に逆らって、世の中を変えるために戦う…」
  
なんて事が出来る訳無いでしょう?
  
  
リンカーンや坂本龍馬を見て下さい。
  
みんな、世の中を変えるために、
大勢(たいせい)と戦っているんですよ。
  
  
そうでもしなきゃ、変わらないのが世の中です。
  
  
他人軸で生きている人間には不可能です。
  
  
なので、まず潜在意識レベルで大人にならないと。
  
  
その為には、何よりもまず
潜在意識とのコミュニケーションを取る必要がありますし、
  
その為の第一歩が、【 瞑想習慣 】なのです。


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2018年07月17日

これまでの正義感

どうも!
  
「心理の知恵」と「霊能力」を駆使して、
「他人の人生と生命」を救いまくり、
  
さらには「世界の命運を救う」という
世界で重要な活動をしているにも関わらず、
  
その「活動の重要性」と比べて、
  
世界で最も世間から評価されず、感謝もされず、
金銭も全くと言って良いほど受け取っていない中井です。
  
  
いやぁ、世界と人類は相変わらずのクソッタレぶりですね。
  
  
なぜ、そんな「最低最悪とも言える不遇」の中で
私は全力で活動を続けられるのかって?
  
  
【 いつか、みんな思い知る 】
  
という事に「確信」を持っているからですよ。
  
  
・私の教育を受けた人間の「人生」と「生命」が救われていて、
・私の活動によって世界の命運は救われ
・私が常人の理解を遥かに超えた天才であり、
・私が目先の利益を捨て、他人と世界の為に尽くし続けてきた…
  
という事を、みんな思い知る。 
  
  
きっと、2年後くらいにはね。 
  
それまでみなさんが無事に生きていれば…の話ですが。
  
  
まぁ、時期の予測についてはズレる事が多いですが、
  
大筋で、私の予測が裏切られた事は無いですね。
  
  
今は、みんな「私の賢さ」がわかるほど賢くないから、
まずは、私の賢さがわかるくらいまでには、賢くなってもらおうと、
  
私が血の滲むような苦労、努力、忍耐の末に辿り着いた、
「史上最高の知識と知恵」を、
  
あえて【 無料 】で提供している訳です。
  
  
みんなが一定レベル以上まで賢くなれば、
私に頭が上がらないし、足を向けて寝られなくなりますよ。
  
  
あー、そんな日が来るのが楽しみだから、
その未来の瞬間の為に頑張れるわ。
  
  
  
はい、では今回お伝えする内容ですが、
  
前回の  
【「ネガティブ」や「不快感」にも価値(有益性)がある 】
  
という事実に対して、
「激しい抵抗」を感じる人も多い様なので、
  
その抵抗の原因を探ってみました。
  
  
で、しばらく思考を巡らせて、探り当てましたが、
  
【 悪人は裁かれ、罰せられるべきだ! それが正義だ! 】
  
という観念・価値観が、その抵抗の原因です。
  
  
要は、
【「ネガティブ」や「不快感」にも価値がある 】と認めると、
  
自分の「正義観」が崩れてしまうのです。
  
  
それの何がイヤなの?って話ですけど、
  
【 自分が「善い行い」だと思い込んで努力してきたことが、
 実は、まったく「善い行い」でも何でもなかった… 】
  
という事実を認めるのがイヤなのです。
  
  
私も、15歳の時にそれを味わいました。
  
私の父親はかなりのモラリストなので、その影響で、
私は、「ルールを守ることが大事」だと考えていました。
  
  
みんながきちんとルールを守っていれば、
全ては上手く運ぶのに、
    
一部のルールを守らないヤツが、
調和を乱し、全体に害を為している…  
  
  
そう信じていました。
  
  
しかし私は、自分がルールを守り、
他人にも守らせることに努力してきたのに、
  
クラスメイトからは煙たがられるわ、
先生からは揉め事を起こす生徒だと認識されるわ、
  
散々な目に遭いました。
  
  
善い事をしているつもりなのに、
まるで上手く行かない、幸せになれない。
  
私のルール信仰は、そこで崩れ去りましたね。
  
  
「善い行いをしようとしている人間が不幸になる世の中なんて、
 理不尽で不条理だ、そんな世の中で生きる意味があるのか!」
     
というのが、私が自殺願望を持った理由です。
  
あと、受験勉強と睡眠不足によるストレスや、
カップ麺ばかり食べていたっていうのもありますけどね。
  
  
ガンジー、リンカーン、ネルソン・マンデラなどの、
世界の偉人、精神的指導者は、もともと法律の専門家でした。
  
法律の専門家になる人も、正義感の強い人が多いと思います。
  
  
でも、ルールを守らないヤツや、
不公平で理不尽なルールがあまりに多く、
  
過去の偉人達は、ルールに出来る事の限界を悟って、
「ルールの前に、人間の考えを変えなきゃいけない」
  
という結論に至ったのだと思います。
  
  
私も、彼らと同じような
ショッキングな経験を15歳でした訳ですね。
  
  
まぁ、昔と相変わらず現在も、
【 善い事をしている人間が大して報われない世界 】
  
ではありますけどね。
  
  
  
少し話を戻しますが、
  
とにかく、正義感が強い人間にとっては、
  
【「善いこと(悪を裁く、罰する)」をして来たつもりでも、
  それが実は、何の役にも立っていなかった 】
  
という事実が、かなりショッキングな内容なのです。
  
  
ですから、
  
【「ネガティブ」や「不快感」にも価値がある 】という事を、
  
頑なに「認めたく無い気持ち」が働く訳ですね。
   
  
「これまで、正義の味方になりたくて、
 
 善いことをしようと努力してきたのに、
 自分を律してきたのに、
  
 それが別に、大して何の役にも立っていなかった…、
 むしろ、有害ですらあったかもしれない…、」
  
  
そんな事実は、なかなか認めたく無い事でしょうね。
  
  
しかし、事実は事実と認めないと先へは進めません。 
  
  
大切な事は、
  
【「罰する事」と「責任を取らせる事」は、まるで違う 】
  
という事です。
  
  
ポジティブな思想、ポジティブな世界観から見れば、
  
「罰せられるべき対象」など、どこにもいません。
  
  
ただ、【 責任を取らせる必要 】はありますけどね。
  
  
例えば、私が害虫の駆除に容赦が無いのは、
  
害虫というのは、他人の何かを奪う生物だからです。
  
  
チョウチョ、バッタ、クワガタ、カブトムシなどは、
別に人間の家に入ってこないし、血も吸いません。
  
しかし、ヒル、ダニ、蚊などは血を吸いますね?
  
  
他人の生命力を奪おうとしているのだから、
それを阻止されて、返り討ちに遭って殺される事も、
  
仕方がありません。
  
  
でも、私には害虫を罰している感覚はまるでありません。
  
  
ただ、自分の身を守ろうとしているだけだし、
「人のモノを奪おうとした行為への責任を取らせている」
  
という感覚です。
  
  
「罰を与えるという動機」で厳しさを与える事と、
「責任を取らせるという動機」で厳しさを与える事は、
  
まったく内容が違います。
  
  
各々、自分の行為の責任を取る必要はありますが、
  
罰せられるべき存在などは、この宇宙に存在しないのです。
  
  
「罰」という概念自体が、非常にネガティブなのです。
  
  
しかし、一般的な意味で正義感が強い人は、 
 
【 悪人は罰せられるべきだ! 】
  
という価値観を、無意識レベルに強く抱いています。
  
  
その価値観が、
  
【「ネガティブ」や「不快感」にも価値がある 】  
  
という事実を認めることに抵抗している訳です。
  
  
「宇宙自体に善悪は無い、現象自体は中立である…」
  
心理やスピリチュアルの知識においては
かなり初歩的なフレーズですけど、
  
顕在意識では理解したつもりでも、
潜在意識レベルではまったく同意できていない様ですね?
  
  
正義感が強い事自体は、素晴らしい事だと思います。
  
「ポジティブな素質を持っている」と言えます。
  
  
しかし、
【「ネガティブ」や「不快感」にも価値がある 】
    
という事実を認めなければ、
  
その正義感と努力も、間違った方向に費やされてしまいます。
  
  
気持ちだけ強くても、
その「強い気持ち」を間違った方向に費やしてしては、
  
何の役にも立たないのです。
  
  
「努力する事は無条件に素晴らしい!」
と考えている人にも多いですが、
  
正しい方向性で努力をしないと、
結果が伴いませんし、意味がありません。
  
  
この世には、【 無駄な努力 】もあるのです。 
  
  
だからこそ、無駄な努力を避けるために、
先回りして慎重に考えようとするのです。
  
  
同じ意味で、この世には【 無駄な正義 】もあるのです。
  
  
それが、「悪人を裁き、罰しようとする事」です。
  
  
責任を取らせる行為は、ポジティブですが、
  
「罰する」のも、「責任を取らせないの」も、
どちらもネガティブです。
  
  
自分のこれまでの正義感が、  
「無駄な正義感だった」と認めることには、
  
強い抵抗があるかもしれませんが、
  
それを認めた上で、
【「ネガティブ」や「不快感」にも価値がある 】  
  
という事も認めないと、
  
そもそも、自分を愛することは出来ません。
  
  
そして、自分を愛していない人間は、
本当の意味で、他人への奉仕・貢献は出来ないのです。
  
  
自分を愛していない人間は、
他人への奉仕・貢献よりも、
  
「他人から評価されたい! 認めてもらいたい!」 
という気持ちの方が強いんだから。
  
  
そんな精神状態では、
本物の奉仕・貢献は出来っこないのです。
  
  
どれだけ正義感が強かろうが、
  
その正義感も、世の中全体の為ではなく、
「自分個人が他人から褒められる為」に使っているに過ぎません。
  
  
正義感が強い事自体は、素晴らしい素質ですが、
それだけでは足りません。
  
「正しい方向に活かせてこそ」です。
  
  
「努力家」である事も素晴らしい素質ですが、
頭も使わずに盲目的に努力ばかりしていても、
  
望ましい結果が伴う訳がありません。 
  
  
それと同じことです。
  
  
  
ということで、
  
【「ネガティブ」や「不快感」にも価値がある 】
  
という事実を早く理解して、さっさと精神的に成長して、
  
早く私の真価が理解できるレベルまでに達して頂きたいですね。


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2018年07月16日

他者から愛されている感覚を持つ方法

自分自身を愛すれば愛するほど、
「他者から愛されている感覚」も増していく様になっています。
  
  
違う言い方をすると、
  
セルフイメージが低い人ほど、「他者の愛を受け取る器」に乏しく、
  
どんなに外から大量の愛を注がれても、
キャッチできずに、ダダ漏れになっています。
  
  
そして、「自分自身を愛する事を極めた先」には、
  
【 宇宙から愛されている感覚 】という所に辿り着きます。
  
  
「宇宙から無条件に愛されている感覚…」ですね。
  
  
この感覚を得ることこそ、宗教で言うところの、
【「悟り」や「解脱」と呼ばれる地点 】といえるでしょう。
  
  
【 あらゆる存在・現象に、何らかの価値がある… 】
  
心の底からそう思える様になったら、それが「悟り・解脱」です。
  
  
  
「宇宙のあらゆる存在・現象に何らかの価値がある」と思えたら、
  
「宇宙の一部である自分にも価値がある!」と思えますからね。
  
  
それが、【 宇宙から無条件に愛されている感覚 】です。
  
  
  
でも、
  
・あらゆる存在・現象に、何らかの価値があるんだよ!
・宇宙から愛されている事を感じてみな!
  
って言われても、
  
容易に理解できたり、感じられるモノではありませんし、
そんなにラクなら、誰も苦労しません。
  
  
「自分を愛すること、他者からの愛を受け取るこ」とに関して、
一体何が抵抗になっているのでしょうか?
  
  
それは、
  
・ネガティブに価値は無い
・不快感をもたらすモノに価値は無い
  
という「価値観」です。
  
  
宇宙の中には、当然ながら、
  
「ネガティブなエネルギー」も約半分含まれていますし、
「不快感をもたらす現象」も存在しています。
  
  
それらを無価値だとして否定し、裁くということは、
【 宇宙の半分の存在・現象には、価値が無い 】という事になります。
  
  
さらに、現在の地球はネガティブな星ですから、
地球上に存在する「多くの存在と現象も無価値」という事になります。
  
そんな風に考えていて、自分自身を愛する事は出来ません。
  
  
  
・自分自身を愛する
・他者から愛されている感覚を持つ
  
  
その為には、
  
【「ネガティブ」や「不快感」にも、何らかの価値がある 】
  
と、心の底から理解できていなければなりません。
  
  
「ネガティブ」や「不快感」を無価値なモノとして捉え、
逃げ回っている人ほど、
  
自分自身を愛せなくなってしまうのです。
  
  
なぜなら、自分という人間の内部にも、
ネガティブな要素・側面は含まれていますし、
  
生きていれば、他人に不快感を与える事もあります。
  
  
そうなると、【 自分自身に価値は無い 】という結論に辿り着きます。
  
  
ですから、宗教で言われる「悟り・解脱」と言うのは、
  
「ネガティブ」や「不快感」に、どれだけ価値を見いだせるか?
  
  
つまり、
  
【 あらゆる「存在・現象」の
 「ポジティブ面」と「ネガティブ面」を、
 
 「50:50の比率」で、
 バランス良く見抜く事ができるか? 】
   
って事なのです。
  
  
目に映るあらゆる存在・現象に対して、
  
ポジティブ面とネガティブ面を
バランス良く見抜く事ができれば、
  
それこそが、「悟り」なのです。
  
  
一見、めちゃくちゃポジティブに見える現象にも、
その裏側には、同等のネガティブ要素が存在していますし、
  
一見、めちゃくちゃネガティブに見える現象にも、
その裏側には、同等のポジティブ要素が存在しています。
  
  
要するに、悪い事が起こった!と思ったときに、
その現象の隠れたポジティブ面を積極的に探せば、
  
「バランスの取れた捉え方」をする事に役立ちます。
  
  
それは、【 視点を引き上げて、俯瞰して眺める 】という事と同じです。
  
  
私は20歳の時、成長に目覚めてから、
この能力を鍛えに鍛えまくってきました。
  
  
悪い事が起こっても、どうにかポジティブ面を見抜く…。
  
  
それを繰り返していると、
  
【「ネガティブ」や「不快感」にも価値(有益性)がある 】という事が、
深く理解できてきます。
  
  
例えば、私は15歳の時に
自殺願望を持つほど精神的に苦しみましたし、
  
その後、20代後半くらいまで、苦労続きの人生で、
自分は精神的地獄を味わってきたと思っています。
  
でも、その試練のおかげで、私は鍛えられましたし、
夢や理想を実現する能力も、飛躍的に高める事が出来ました。
  
  
私が、何の「悩み」も「ストレス」も無く生きてきたら、
  
「自分の精神を鍛える理由や動機」もありませんから、
まったく精神的に成長しない人生を歩んでいたでしょう。
  
  
私は、邪気や怨霊という、
目に見えないネガティブエネルギーにも苦しめられてきましたが、
  
その苦しみのおかげで、様々な優れた発明を生み出すことが出来ました。
  
  
私にとって苦しみとは、
  
【 乗り越える事で、新たな「発見」や「発明」を生み出せる材料 】
  
のように捉えています。
  
  
「必ず報酬が約束されているチャレンジ」みたいなものですね。
  
  
ですから、「ネガティブ」や「不快感」を、
否定している訳ではありません。
  
  
蚊、ハエ、ゴキブリなどの害虫も鬱陶しいし、
私は容赦なく駆除しますが、
  
「害虫を防ぐ対処法」を考える中で、
新しい発見やアイデアを得る事もあります。
   
  
「ネガティブ」や「不快感」とは、
  
私にとっては【 成長に役立つ栄養促進剤 】です。
  
  
だからこそ、
  
・自分自身の内部に存在するネガティブ要素も、
・他人に不快感を与える自分も、
   
別に、無価値だとは思いませんし、
むしろ、「必要な事」だとすら思っています。
  
  
ということで、
  
・自分自身を愛する
・他人から愛される自信や感覚を持つ
  
という事に関しては、
  
「ネガティブ」や「不快感」から逃げ回らない、
【 精神的な強さ 】が必要になってくるわけです。 
  
  
「自分を愛し、他人から愛されている人」は、 
  
【「ネガティブ」や「不快感」から逃げない強い人 】なのです。
  
  
これも、ある人にとっては新常識でしょう?(笑)
  
これまで信じてきた事が、覆されたと思います(笑)
  
  
「ネガティブ」や「不快感」を避け、逃げ回っている限り、
  
絶対に、「自分自身を愛する事」も、
「他人から愛される感覚を持つこと」も出来ません。
  
  
なぜなら、自分自身の中にもネガティブ要素はあるし、
生きていれば、他人に不快感を与える事も避けられないからです。
  
  
決して避けられないのだから、
自分を高めてくれる栄養促進剤だと思って、
    
有効活用した方が賢いです。
  
  
・この「ネガティブ」には、
 どんな「ポジティブ面・価値・有益性」があるのか?
  
・この「不快感」には、
 どんな「ポジティブ面・価値・有益性」があるのか?
   
  
それについて考え、視点を引き上げる習慣を持つことで、
    
自分を愛し、他人から愛される感覚を持てるようになっていくのです。
  
  
  
・自分自身を深く愛する人
・他人から深く愛されている感覚を持つ人
・悟りや解脱に至った人
  
  
それはみな、現象を高い視点から俯瞰して眺める事ができて、
  
【「ネガティブ」や「不快感」の価値(有益性)を理解している人たち 】
  
の事なのです。


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2018年07月15日

ネガティブな本音からの逃避

私は以前の記事で、
「読者の反応を把握してから、次に書く文章を考えている…」
  
という事を書きました。
  
  
前回、前々回の「世界観に関する記事」の内容は、
かなり理解してもらっている感触はありますが、
  
しかし、一方で「大きな抵抗」も感じます。
   
   
その抵抗の正体を探ってみましたが、
  
【「良い人間では無い自分」を認めたく無い 】
  
というのが、抵抗の理由の様ですね。
  
  
私は、心理の動きを熟知していますから、
  
「読者がどのような反応をするのか?」
  
という事を計算しながら、文章を構築し、投稿しています。
  
  
私の文章を読んだ人間が、
  
幼少期に植え付けられた
「ネガティブな思い込み」から解放される様に、
  
設計してある訳です。
  
  
ネガティブな思い込みが外れれば外れるほど、
  
自分の「潜在意識の欲求」を汲み取れるようになって、
【 自発的&持続的な「やる気」】が湧くようになりますからね。
  
  
だから私の文章って、めちゃくちゃ心に刺さるでしょう?
  
ちゃんと、「心に刺さるように設計してあるから」です。
  
「刺さる」って言うか、
「えぐられる」って言う方が正しいかもしれませんが(笑)
  
それも、あえて「心に大きな変化」が起きるように
計算ずくなのです。
  
  
で、ここからが本題ですが、
  
ここ最近の40件くらいの記事は、
  
・自分を愛することの重要性
・潜在意識の仕組みとその活用法
・幼少期の世界観の植え付けが人生を左右していること
・人類が視覚情報に依存しているから、心理が不得意であること
・心理が不得意だから、経済も不得意になっていること
  
について、語ってきました。
  
  
みなさんが信じてきた事を、次々と覆しているので、
かなり頭の処理能力を使わされているんじゃ無いかと思います。
  
  
ただ、人間は「自分が認めたく無い事実」から、
  
「無意識的に目を背ける」ような力学が働いています。
  
  
先日の西日本の豪雨に関するニュースでは、
  
「自分だけは大丈夫…」と思ってしまう、
【 正常性バイアス 】の話が話題になりました。
  
  
「自分が危機的状況に追い込まれている…」 
  
それが事実だとしても、
それを感情的に認めたく無い人間は、事実から目を背けようとします。
  
  
要するに、人間はそもそも、
  
【(感情的に)都合の悪いことは、認めたがらない性分 】なのです。
  
  
だから、ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えた時も、
  
当時の宗教家にとっては「自分たちに都合が悪い話」だから、
中立的な視点から検証できずに、頭ごなしに否定した訳ですよ。
  
  
で、これまでの約40件の記事で、
「自分に都合の悪い事実」を、バイアスに負けず、
  
ちゃんと中立的に、
真正面から受け止められている人もいると思います。
  
  
一方で、まだまだ無意識レベルの
バイアスに負けてしまっている人もいるでしょう。
   
  
じゃあ、一体何がバイアスになっちゃってるんだろう?
  
って事を解き明かすのが、私の仕事です(笑)
  
  
で、大きなバイアスを生むひとつの原因となっているのが、
  
【 自分は「良い人間では無い」という事を認めたく無い 】
  
という、心理的抵抗です。
  
  
これまでに何回か言っている事ですが、
  
・夢は世界平和です!
・世の中を変えたい!
・人の役に立ちたい!
  
って、そういう事を言っている人はたくさんいる訳ですが、
そういう発言をしちゃっている人の本当の理由は、
  
【 無意識レベルの「承認欲求」から来ているパターン 】が  
非常に多いわけです。
   
  
【 世の中や社会を変えたい、役に立ちたい 】
  
という気持ちよりも、
  
  
他人から「優秀&良い人だ」と思ってもらう為に、
  
・善人ぶりたい
・賢ぶりたい
・有能ぶりたい
  
っていう「潜在意識下の欲求」の方が、遥かに強い訳です。
  
  
まぁ、【「悪人」と「バカ」を無価値な存在 】として、
裁きまくっているのでしょう。
  
  
なので、「社会貢献」を口にしている人で、
  
心の底から本気の人って、実はあんまりいないんですね。
  
  
それよりも、潜在意識レベルの本心では、
「自分が他人から良く思われること」の方が、遥かに大事なのです。
  
  
でも、そんな「自分の本音」は決して認めたく無い。
  
だって、めちゃくちゃダサいし、
自分が裁いている「悪人&バカ」みたいだから…。
  
  
それに、
  
「口先ばかりのヤツが多くて、
 本当は社会貢献を考えている人が少ない…」
  
という事実を理解してしまったら、
世界や社会の未来に、希望を持てなくなってしまいます。
  
世界や社会の未来に対して、【 幻滅&絶望 】してしまいます。
  
  
なので、
  
【 社会貢献を語るほとんどの人が、口先だけの人間ばかりである 】
  
という事実を、頑なに認めたく無いのです。
  
  
それは、【 自分と人類に対する幻滅・絶望 】に繋がっているからです。
  
  
イヤーな気持ちがしてきましたか? 計算通りです(笑)
  
  
でも、事実は事実と認めなければ、
バイアスによって身を滅ぼすことになります。
  
  
ガンになった人が、代替療法ばかりに依存しすぎて、
適切な手術が遅れて結果的に死んでしまう…
  
というパターンもありますけど、現実逃避は身を滅ぼします。
  
  
事実として、
  
社会貢献を口にする人の中で、
心の底から本気の人間はほとんどいないのです。
  
  
みんな、それよりも、
  
潜在意識レベルでは、
他人から「優秀かつ良い人だ」と思ってもらう為に、
    
・善人ぶりたい
・賢ぶりたい
・有能ぶりたい 
  
という気持ちの方が、遥かに強い訳です。
  
  
・本当に世の中を変えたい!
・それが自分の中で最も強い想いだ!
   
と思っている人がいたら、私に強く共感するハズです。
  
  
「中井貴雄が有名になったら、
 自分のお株が奪われるんじゃ無いか…?」
  
と、不安がっている様な人間は、
【 社会貢献よりも、保身の方が遥かに大事 】なのです。
  
  
なぜ、私が未だに有名では無いのか?
   
それは、「本気で世の中を良くしたい」と思っている人が、
そんなに数多くいないからです。
  
  
それよりも、
「他人から認められたい」という気持ちの方が遥かに強い。
  
要は、幼少期に満たせなかった、
「潜在意識の欲求」に翻弄されている訳です。
  
  
精神年齢が、「自分を見て!見て!」と主張する、
幼稚な子供の時のままで止まっているのです。
  
  
でも、それ自体は自然な事です。
  
  
幼少期に満たせなかった想いは、
大人になっても潜在意識下に残り続ける…、
  
それが、心理のメカニズムですから。
  
  
だから、本音じゃ無い口先の社会貢献を語る前に、
  
まず、【 他人からの賞賛に飢えている自分自身 】を、
素直に認めなさいよって事です。
  
  
本当は、口先だけで、
【 社会貢献なんて本気じゃ無い自分自身 】を認めなさいよ。
  
  
  
自分の潜在意識は、
社会貢献に本気になれるほど、まだまだ大人じゃ無いんだ!と、
  
それを、潔く認めなければなりません。
  
  
じゃあ、どうすれば
「他人からの賞賛に飢えている自分自身」を満たして、
  
【 潜在意識の精神年齢 】を高めて行けるのかって?
   
  
具体的な実践方法は、
私か、私の教え子に金払って学んで下さいな。


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2018年07月14日

世界観のメカニズム

前回に引き続き、
「世界観」というテーマで語りたいと思います。
  
  
「人間の持つ世界観」というのは、
【 幼少期に親から植え付けられるモノ 】です。
  
  
アメリカでは、
ダーウィンの進化論を信じていない人が多いらしいです。
  
多くのアメリカ人が、キリスト教の教義である、
「神が人間を創造した」という話を信じている訳です。
  
  
無宗教の人が多い日本では、あまり考えられない話ですよね?
  
  
日本人が仏教に触れるのは、「法事・法要」のときくらいで、
  
普段の生活から、「仏教やお坊さんの教え」を
人生の指針にしている日本人は、少ないでしょう。
  
  
年初には「初詣で神社」へ行って、
年末には「除夜の鐘でお寺」へ行く、
    
新生児の「お宮参り、七五三」は神社に行って、
死んだら仏教のお坊さんを呼ぶ。
  
  
始まりは神道、終わりは仏教…。
  
他にも、クリスマスなんかも祝うわけで、
日本人が「宗教にこだわりが薄い民族」である事は明白です。
  
  
その観点から見れば、
  
宗教の教義の方を信じて、
ダーウィンの進化論を否定するっていう発想は、
  
ちょっと理解しにくいかもしれません。
  
  
しかし、幼児というのは、
「親の話を何でも鵜呑みにしてしまう」のです。
  
親が、「神様が人間を作ったんだよ」と言えば、
それを疑う事もなく信じるのが幼児です。
    
  
そして、その世界観を信じたまま大人になってしまえば、
その本人の世界観は、容易には覆らなくなります。
  
親の教えとまったく違う内容を語る人がいても、
素直に、すんなりと受け入れることが出来ません。
  
  
この記事を読んでいる読者のみなさんも例外無く、
  
「親の教え、親の語る世界観」
を正しい事だと信じ込んだまま、大人になっています。
  
それが例え、
【 どんなに非論理的で間違っている内容でも… 】です。
  
  
人それぞれ、世界観や人生観が違いますが、
  
人間というのは、
自分の持つ世界観をベースに、生き方を決めているのです。
   
  
例えば、人によっては、
  
人間ってみんな良い人ばかりだ!と思う人もいるでしょうし、
人間ってみんな悪い人ばかりだ!と思う人もいるでしょう。   
  
性善説よりの世界観を持つ人もいれば、
性悪説よりの世界観を持つ人もいるわけです。
  
  
その本人の世界観によって、
他人の話を信じるのか? 疑うのか?というような、
  
「他人との接し方」も決まって来るのです。
  
  
そして、生まれたての子供が、
成長過程でどのような世界観を持っていくのか?
  
という事を左右するのが、「親の世界観」です。
  
  
子供というのは、
【「親の持つ世界観」を、そのまま引き継ぐ 】わけですね。
  
  
私の場合、私の父親が「超理系の世界観」を持っていたので、
私もその世界観を引き継ぎました。
  
  
【 あらゆる現象は、自然法則の上で起こっている事だ… 】
  
というのが、私の世界観です。
  
  
過去の「科学者、物理学者、数学者」は、
ありとあらゆる自然法則を解明してきました。
  
重力、気圧、慣性、電波、電気、光線、原子、遺伝子…、
  
  
そして、それらの自然法則は決して変わらないのです。
  
  
1000年前(過去)の円周率と、
1000年後(未来)の円周率は、
  
現在と比べて変化していると思いますか?
  
  
慣性の法則は? 遠心力の法則は? 重力の法則は?
  
  
変わる訳がありませんね?
  
  
時代や場所が移ろいでも、決して変わらない…、
  
「不変」かつ「普遍」…、それが自然法則です。
  
  
人の意志というのは、コロコロ変わりますが、
  
法則自体は意志を持ちませんし、
意志を持った存在が、法則をねじ曲げる事はできません。
  
  
サッカー選手が、サッカーのプレイ中に、
ルールをねじ曲げる事ができないのと同じです。
  
ルールをねじ曲げたら、それは皆が同意している
サッカーというスポーツではなくなりますし、
  
そんな事が出来たらめちゃくちゃになって、成立しません。
  
  
ルール自体が意志を持って勝手に変わる事もありません。
  
意志を持っていないからこそ、ルールであり、法則なのです。
  
  
生き物が「意思を持つ」という現象すら、
法則の中で起こっている事ですし、
  
この世で起こっているあらゆる現象は、
「自然法則の中」で動いている事なのです。
  
  
私は、幼少の頃からそういう世界観だからこそ、
  
「人間心理も何らかの法則の中で動いているはずだ」と着眼し、
研究を行ってきたわけです。
  
  
人間の持つ世界観というのは、
  
本人の【 生き方、考え方、選択、判断 】に強く影響しています。
  
  
「世界観」こそ、
  
【 本人の生き方を左右する根本的要素 】と言えるでしょう。
  
  
そして、その「世界観」というのは、
  
【 自分を育てた親から引き継ぐ 】のです。
   
   
では、多くのネガティブな人々は、
どんな世界観を、親から引き継いできたのでしょう?
   
  
一言で言うと、【 脅迫 】です。
  
  
ほとんどの人は、
  
生まれてから成人するまで、
自分の親からさんざん脅迫されて育ってきている訳です。
  
  
○○じゃないと、酷い目に遭うぞ!
○○してたら、痛い目に遭うぞ!
○○だと、価値が無いぞ!
  
  
そういう類いの「脅迫」です。
  
  
自分の親から、まさに脅されまくっている訳です(笑)
  
で、子供はその「脅し」を疑う事なく信じます。
  
  
その脅しが、
どんなに非論理的で、間違っている内容だとしても…です。
  
  
で、子供の頃から脅迫されまくって育った子供は、
  
○○しなきゃいけない
○○でなきゃいけない
○○するのは悪い事だ
  
という思いで、「がんじがらめ」になっている訳です。
  
  
なんで、親は子供を脅迫するのか?って事ですけど、
  
日本人は特に、
【 リスクは冒さず、無難がベスト 】
  
という価値観が強いですからね。
  
  
「酷い目に遭わないこと」を最優先にして、
人生設計を考えていた訳です。
  
  
これまでの時代では、
それが「生き残るために最適な戦略」だったかも知れません。
  
しかし、【 時代は変わった 】のです。
  
  
今現在の時代、人類が直面している状況というのは、
  
【「人類史上初めて」の状況 】なのです。
  
  
未だかつて、これほどまでに
テクノロジーが急激に進歩した時代は無かったわけですよ。
  
  
テクノロジーの急激な進歩によって、
人間の生活、仕事、価値観…、すべてが変わっているのに、
  
人間の精神や教育だけが、まったく追いついていない状態です。
  
  
要は、「世界のあり方」は、
ここ100年で急激に変化しているのに、
    
「人間の持つ世界観」は、
100年前からまったく変わっていないのです。
  
  
何故だと思いますか?
  
わからないですか?
  
  
じゃあ、逆から検証してみると、
なぜ、テクノロジーだけは急激に進歩したのでしょう?
  
  
テクノロジーの急激な進歩の理由は、
人間が「物理次元の自然法則」を理解したからです。
  
  
物理学者が、自然法則を解明し、
  
その「解明された自然法則」を元にして、
発明家がテクノロジーを発明するのです。
  
  
例えば、みなさんは電気や電波を使って生活していますが、
  
「電力や電波を使った発明」を行う前に、
【 電気や電波がどのような法則で動くのか? 】
    
を理解していなければ、発明はできませんからね。
  
  
例えば、CDで音楽を聴くとして、
  
みなさんは、
なぜCDで音楽が聴けるのか、知っていますか?
  
  
CDには、何が記録されていて、
どうやって機械で読み出しをして、音を鳴らしているのでしょう?
    
  
それも、「音」を「データ」に
変換する理屈を知っている人がいるから、
  
CDという発明が存在しているのです。
  
    
昔は「レコード」や「磁気テープ」だったのに、
それが、しばらくして「CD」や「MD」になりましたが、
  
よく知らないけど、勝手にできちゃった…
  
という訳ではありません(笑)
  
  
【 自然法則の解明 → 技術の進歩 】
  
という流れなのです。
  
  
これまで、物理次元の法則は解明されまくってきたので、
その知識をベースに、さまざまな発明が為されてきたのです。
  
  
では、「人間の精神について…」はどうでしょう?
  
  
そもそも、【 人間の精神に自然法則が存在する 】
  
という視点を持っている人間すら、ほとんど見当たりません。
   
   
人類は、人間の精神については、サッパリ何もわかっていないのです。
  
  
そういう理屈で、
  
テクノロジーは、ここ100年でめちゃくちゃ進歩したのに、
人間の精神は、100年前からまったく進歩していないのです。
  
  
人間の「教育・精神・世界観」が進歩せずに、
「テクノロジー」だけが急激に進歩したら、どうなるでしょう?
  
  
そのアンバランスさが、精神的苦痛となって跳ね返って来ます。
  
  
現代の若者の悩み通りです。
  
「どう生きれば良いのかわからない…」
「生きる意味がわからない」 
  
と、人生の迷子になるのです。
  
  
過酷な環境でとにかく生き残るために、
  
「リスクを冒さず無難を優先する教育」を受けてきたのに、
「人間を奴隷やロボットのように捉える教育」を受けてきたのに、
  
環境自体がガラっと変わってしまったわけです。
  
  
環境の変化に適応するには、
過去に植え付けられてきた世界観を、一旦捨てなければなりません。
  
  
それは、敬虔なキリスト教の家庭で生まれ育ち、
神様を信じて、努力してきた人間が、
  
「実は、あなたが信じている神様なんていないよ」っていう事実を、
いきなり思い知らされるのと、全く等しいことです。
  
  
過去の宗教の教義は、
自然法則の解明と共に、書き換わってきました。
  
  
ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えたとき、
宗教に否定され、宗教裁判に掛けられてしまいましたが、
  
地動説は正しい事が証明され始めると、
宗教側が変わらざるを得ませんでした。
  
  
・地上は平面である (実は球体だけど)
・地上は動いていない (実は公転してるけど)
  
そういう事を信じていたのに、
一気に覆された訳ですから、
  
当時の人々からしたら、相当ショックだったかもしれませんね。
  
  
でも、そういうショックを経て、人類の科学は進歩してきたのです。
  
  
で、私はこれまで、「心理の法則」を解明しました。
  
  
「心理の法則」が理解されない限り、
  
人類の「精神・教育・世界観」が進歩することはありません。
  
  
科学でいうと、疫病で人が死んでも、落雷で人が死んでも、
それを「呪いだ、祟りだ、神の怒りだ」と言っているのと同じです。
  
  
そういう意味で私は、
  
人間の「心理・精神分野」における、
  
コペルニクス、ガリレオ・ガリレイ、
ニュートン、アインシュタインなどと同じ役割なのです。
  
  
むしろ、これまで、
  
優れた物理学者や天文学者はたくさん生まれてきましたが、
優れた心理学者は生まれてこなかったわけで、
  
私の存在は【 人類にとって、超絶に貴重 】でしょう?  
  
  
私一人で、これまで生まれてきた数多くの、
科学者、数学者、天文学者、物理者たちと、
  
「科学・物理 ←→ 精神・心理」という軸で、
双璧を為しているわけですから。
  
  
テクノロジーの進歩・成熟と、精神の進歩・成熟は、
バランスを取らなければなりませんが、
  
現代は、テクノロジーだけが急激に進歩して、
アンバランスだからこそ、数多くの問題が起こっているのです。
  
  
統計データばっかり取って、エビデンスとかほざいている
センスのない心理学者たちは無視して、
   
【 心理・精神の法則 】が広く認知されなければ、
  
人類に明るい未来はありません。
  
  
そして、新しい自然法則の発見は、
  
ガリレオ・ガリレイの地動説の様に、
  
【 人々の世界観を覆す事実 】でしょうし、
  
世界観を覆されるときには、少なからずショックも受けるでしょう。
  
  
しかし、精神ショックを避けて、
天動説を信じ続けても科学の進歩は無かったわけで、
  
ロケットを飛ばすことも不可能ですからね。
  
  
精神的ショックの先にしか、人類の進歩はないわけです。


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2018年07月13日

世界観崩壊させ屋さん

今日も人と会って、
相手の「幼少期に受けたネガティブ洗脳」を覆しました。
  
  
今日も良い仕事したなぁ…と自画自賛です。
  
  
ほとんどの人は、 
  
親から「ウソ(間違い)」を教えられ、
【 そのウソを盲信して努力してきた 】訳です。  
  
  
でも、「親から教えられた事がウソだった」と、
  
それを認める事がイヤなのです。
  
  
なぜか?
  
【 自分が無駄な努力を積み重ねてきた 】
  
と認めたく無いから。
  
  
なぜ認めたく無いのか?
  
  
「無駄=無価値」だという観念があるからです。
  
  
いや、無駄は無価値じゃ無いですよ。
  
正しくは、「無駄=非効率」です。
  
  
無駄から、何かを学べば、
その無駄は無価値では無くなります。
  
  
何かを否定し、裁いていると、
その存在すら認められなくなります。
  
   
無駄を否定しているから、
自分が無駄な行為をしている事を、素直に認められないのです。
  
  
むしろ、一度ネガティブ洗脳に染まった後で、
  
それを覆していく中で得る貴重な経験こそ、
  
自分の魂(高次意識)が求めている経験だと思いますよ。
  
  
だって、「宇宙広し」と言えども、
  
この「クソッたれな地球」でしか、
なかなか経験できそうに無いプロセスですから。
  
  
親から受けた洗脳を解くという事は、
  
【 これまでの世界観の崩壊させる 】という事です。
  
  
子供は、サンタクロースがいると教えれば、それを信じます。
  
神様がいると教えると、それを信じます。
   
   
子供は、親の言う事を何でも信じちゃうんですよ。
  
それがたとえ、非論理的なウソだったとしても。
  
  
その親のウソを暴くということは、
  
「自分自身の世界観を崩壊させる事」に等しいのです。
  
  
私は15歳の時に、その「世界観の崩壊」を経験しました。
  
経験するなら、早い方が良いですよね。
  
  
私は、早く経験できて良かったです。
  
  
世界観の崩壊を経験しないと、
    
ポジティブな世界観にシフトできません。
  
  
今後、世界観の崩壊を経験して、ポジティブにシフトするか?
  
世界観の崩壊を拒んで、破滅の道を進むか?
  
  
そういう分岐点に立つ人が増えるでしょう。
  
  
まぁ、ある程度の結果は、
「これまでの本人の生き方で決まっている」とも言えますが、
  
この世界観の崩壊が、【 本番の試験、試練 】ってとこですね。  
  
  
親や学校から受けたウソの教えを、全否定できるのか?
  
その行為はつまり、【 自分の世界観の崩壊 】なのです。
  
 
私は、「世界観崩壊させ屋さん」ですな(笑)
  
  
今日アドバイスした相手の人も、
  
世界観の崩壊を経験して、
相当、ショックを受けていましたけど、
  
その胸が締め付けられるような精神的負荷を経ないと、
ポジティブな考え方に移行する事はできません。
  
  
その胸が締め付けられるような精神的負荷を経ることこそ、
「自他の幸せな人生を実現する為に、必要な経験」ですし、
  
【 褒め称えられるべき勇気と努力 】です。


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2018年07月12日

「6段階欲求」と「幸せ」

以前にも書きましたが、
  
「マズローの5段階欲求って、本当に合ってるのかな?」
って事が検証したくなって、
  
人間のあらゆる欲求をカテゴライズしようと、  
数時間ほど真剣に検証してみたら、
  
6段階欲求に落ち着きました。
  
  
・マズローへの挑戦
http://growheart.livedoor.biz/archives/52055695.html
  
  
1.安全と肉体に関する欲求
2.安定と生活に関する欲求
3.自由と享楽に関する欲求
4.他人と情愛に関する欲求
5.自尊と意義に関する欲求
6.使命と大志に関する欲求
    
です。
  
  
難しかったのは、3と4の順番ですが、
    
やはり、人間は自分の趣味に没頭した後で、
次に「趣味仲間」を求めるようになっている訳で、
  
人間関係と言っても、誰でも良い訳では無く、
自分の趣味と共感が出来る相手を求めますから、
  
「自分の楽しみを求める欲求の方が先だな」と結論付けました。
  
  
  
で、「幸せになる」って言うことは、
【 これらの欲求を満たしていく事 】だと言えると思います。
  
  
6段階の欲求を満たしていくだけ…、
  
非常にシンプルですよね?
  
  
しかも、別に自分の欲求を満たすことで、
他人に迷惑を掛けるわけでも無く、
  
自分が幸せになればなるほど、
他人も影響を受けて幸せになりやすくなります。
  
  
でも、多くの人が、
  
【 自分の幸せを追求する 】という、
  
シンプルな生き方が出来ません。
  
  
私は、「実行すればいくらでも幸せになれる方法」を、
これでもか!ってくらいに教えているのにも関わらず、
  
ほとんどの人は、
「目の前の大きなストレス」が無くなっただけで満足して、
  
「それ以上の幸せ」を積極的に追い求めようとはしません。
  
  
【 向上、成長への取り組みを止めれば、
  その先には衰退しか待っていない… 】
  
という事実について、
たくさんの例を出して説明しても、
    
それでも、「やる気」が出てこないのです。
  
  
決して有り得ない、現状維持にしがみついちゃってる。
  
  
む? なんでだろう? 
  
私は大いに疑問に感じました。
  
  
「ある一定以上の幸せ」に関しては、
  
・イメージができないのか? 
・自分に許していないのか?
  
  
とにかく、【 何らかの抵抗がある事 】だけは明白です。
  
本人すら自覚していない、無意識レベルの抵抗がね。
  
  
で、その抵抗っていうのは、
  
「幼少期に植え付けられていること」も、明白です。
  
  
例えば、大人になっても
「遊んではいけない!」と思っている人は、
 
子供の頃に親から「遊ぶな」と言われたことを、
そのまま信じちゃっている訳ですね。
  
  
そこで、
「6段階欲求を満たす事(幸せになる事)」への抵抗を生む、  
  
ありがちな「ネガティブ教育(洗脳))を洗い出してみました。
   
   
1.安全と肉体に関する欲求 → 虐待、いじめ
   
2.安定と生活に関する欲求 → 貧乏、両親同士の不仲
   
3.自由と享楽に関する欲求 → 勉強の強制、遊びの禁止
   
4.他人と情愛に関する欲求 → 劣等の否定
   
5.自尊と意義に関する欲求 → 個性の否定
  
6.使命と大志に関する欲求 → 失敗の否定
  
  
という感じです。
  
  
  
解説しやすいので、
逆順で「6.使命と大志に関する欲求」から解説していきますが、 
  
「夢や理想を描けない」という人は、親から、
「失敗を否定する思想」を植え付けられているからです。
  
  
失敗を否定していると、挑戦ができません。
  
挑戦ができないから、経験も積めないし、
経験を積めないから、実力が高まる事もありません。
  
実力が高まらなければ、自信を持つこともできません。
  
  
【 失敗者には価値が無い 】という洗脳が、
大きな夢や理想を描くこと自体にブレーキを掛けています。
  
  
「夢や理想を実現したい」という、
  
潜在意識下の根源的な欲求を満たそうという気すら
起きなくなります。
  
  
  
  
次に「5.自尊と意義に関する欲求」です。
  
これは、「自分で自分の事を価値ある人間だと思いたい!」
という欲求です。
  
  
この欲求を満たすことにブレーキが掛かっている人は、
【 個性を否定する思想 】を植え付けられています。
  
  
以前にも書きましたが、個性を否定するということは、
人間を「ロボットの様に捉える」という事です。
  
  
個性を否定される状態では、
「全員が一律の評価基準によって、性能を測られる」という事になります。
  
大量生産の商品の様に、
【 一定の性能を満たさなければ、不良品として扱われる 】
  
という事です。
  
  
こういう思想に染まってしまえば、
常に、「自分は不良品になりたくない!」という心理が働きますが、
  
それは、【 人それぞれの、生まれつき備わっている個性 】
に価値を見いだしていないからです。
  
  
まず最初に、「自分自身の生まれ持った個性」に、
「存在価値、存在意義」を認めなければ、
  
自分自身を「ロボットとして優秀かどうか?」
という基準でしか評価できなくなります。
  
  
そういう価値基準では、
自分のダメなところばかりに目が付きますし、
  
いつまで経っても、自分に自信を持つことなど出来ないのです。
  
  
  
  
次に「4.他人と情愛に関する欲求」です。
  
この欲求を満たすことにブレーキが掛かっている人は、 
【 劣等を否定する思想 】を植え付けられています。
  
  
要は、
  
・劣っている人間ほど価値はない
・優秀でなければ、他人から認められない、愛されない
  
という思想です。
  
  
人が集まって集団になれば、その中で、
必ず優れている側の人も、劣っている側の人も生まれますし、
  
分野によっても、人の得意・不得意はバラバラです。  
  
  
「劣っている人間に価値はない」と思っている人は、
  
他人に対して、
常に「優秀な自分像」を見せようとしてしまいます。
  
しかし、それは「建前」と「ハリボテ」です。
  
  
「未熟な人間には価値がない、愛されない」と思っているから、
「未熟な自分」を他人にさらけ出せないし、
  
「自分を他人にさらけ出せない」ってことは、
他人に対してオープンハートではありません。
  
要は、殻に閉じこもっていて、猫をかぶっているわけです。
  
  
未熟な自分をさらけ出せない人は、
他人と【 本物の信頼関係 】を築くことが出来ません。
    
  
そうなると、常に「孤独感」や「寂しさ」を感じることになります。
  
  
本当は、【 深い繋がり、深い絆 】を求めているのに、
  
「劣等」や「未熟さ」を裁いているから、
他人に見栄を張ってしまい、
  
他人に見栄を張っているから、
「深い繋がり、深い絆」が手に入らないのです。
  
  
  
  
次に「3.自由と享楽に関する欲求」です。
  
  
え? もうお腹一杯になってきましたか?(笑)
  
まぁ、そういう人は一休みしてから、続きを読んでください(笑)
  
  
これはわかりやすいですが、
  
この欲求を満たすことにブレーキが掛かってしまう原因は、
「勉強の強制、遊びの禁止」によって植え付けられる思想です。
  
  
【 遊ぶことに、大した価値は無い 】という洗脳ですね。
   
勉強して、高学歴を手に入れ、有名企業に就職…、
そういう「人が賞賛するブランド」には価値があるけど、
    
「遊びには価値が無い」という思想です。
  
  
しかし私自身は、
  
遊ぶことによって仕事に役立つ能力を高め、
遊ぶことによって仕事に役立つアイデアを得てきました。
  
ですから、遊びに価値が無いなんて事はありません。
  
  
奴隷やロボットが遊んでいて、命令に従わなければ、
奴隷やロボットとしては価値が無いかもしれませんけどね。
  
でも今の時代、
  
奴隷やロボットになる事が、
「生き残る事に適した戦略」ではありません。
  
  
仕事では、
【 人が求めるモノを、先手を打って提供する 】
   
って事ができるかどうか?です。
  
  
その為には、
  
「人が求めるモノ」を知らなければなりません、
考えなければなりませんし、
   
何よりも【 経験 】がモノを言います。
  
  
経験せずして、
「人が求めるモノ」などわかりっこありません。
  
多種多様な経験こそ役に立ちます。
  
  
「人が求めるモノの本質」を理解したり、
「流行」にアンテナを張る事も必要です。
  
  
遊ぶこと、贅沢することなどを封じていては、
【「人が求めるモノを察知して提供する」というセンス 】が磨かれません。
  
  
それに、楽しい事をするっていうのも、
純粋に、【 自分の幸せ 】の為です。
  
  
遊びを封じるって言うのは、
  
「幸せ」を犠牲にしてでも、
無難に経済的に困らず生きてける方が良い
    
という思想です。
  
  
【 幸せと経済を両立する事 】を、最初から諦めています。 
  
  
幸せを犠牲にしてでも、無難に寿命を全う出来る方が良いだろ?
    
っていう価値観でしょうけど、私個人はまっぴらご免です。
  
  
精神的苦痛で自殺する人間もいるのですから、
「生死、生命」より「幸不幸、幸せ」の方が大切なのです。
  
  
  
  
次に「2.安定と生活に関する欲求」です。  
  
この欲求を満たせていない人は、
幼少期に「安定した生活」を享受していなかった人でしょう。
  
特に、精神面、経済面おいての安定…です。
  
  
要は、家庭環境が荒れていた人に多いと思います。
  
・両親が不仲でよくケンカしていたり…、
・経済的に不安定で、住居を転々としていたり…、
  
  
精神的にも経済的にも、安定・安心するには、
  
【 自分よりも強く大きな存在に守られている 】
  
という感覚が必要です。
  
  
それは、人によって、
「大衆、社会、政府、勤め先の会社、親」かもしれません。
  
  
守られている感覚を持っていない人は、
  
「自分の生活は、常に脅かされている」と感じています。
  
  
実際に「安定した裕福な生活」を送っていたとしても、
  
【 いつ、目の前の安定が崩れ去るかわからない!】
  
という、恐怖や不安を抱えてしまうのです。
  
  
それは、【 守られている感覚 】を持っていないことが原因です。
  
  
私自身は、
絶対的な「宇宙の法則」と「高次元存在」を信奉していて、
  
それらに守られていると思っているので、安心しています。
  
  
【 守られている感覚 】を持つには、
  
「自分より強くて大きな何か?」が、
自分を守ってくれる事を信じなければなりません。
  
  
要は、【 信頼 】の問題です。
  
まぁ、信じちゃいけないモノを信じて、
騙されちゃってもダメですけどね。
  
  
でも、「信頼できる対象」まで、
疑ってしまって信じられないのは、大きな問題です。
  
  
私は、「宇宙の法則、高次元存在、善意を持った人間」を、
信じています。
  
それらを疑っていると、「2の欲求」が満たせないのです。
  
  
他人の善意を信じられない人は、
自分自身の善意も信じられません。
  
  
「2の欲求」を満たせていない人は、
「自分も悪人で、他人も悪人だ」と思い込んでいます。
  
だから、【 守られている感覚 】を持てません。
  
  
他者を信じるには、
この世には善意を持った存在が存在すると認める事が必要だし、
  
「自分自身の潜在意識下の善意」も感じ取ることが必要です。
  
  
  
  
最後に、「1.安全と肉体に関する欲求」です。
  
この欲求を満たせていない人は主に、
幼少期に「虐待」や「いじめ」を経験している人でしょう。   
  
  
・自分の肉体を、大切に思えていない
・世界も人生も、安全では無く常に脅かされている
・自分が虐げられていても、誰も守ってくれない
  
と、感じているでしょう。
  
  
子供というのは、親を神様ぐらいに思っちゃうモノですし、
家庭環境が世界や人生の基準になってしまいますから、
  
生まれ育った家庭環境が安全でないという事は、
  
世界や人生の全体が、
まったく安全で無いというイメージに結びついてしまいます。
  
  
言い方を換えると、
世界観や人生観が「過剰にネガティブ寄り」になっている訳です。
  
  
「1の欲求」を満たせていない人は、
  
【 自分で自分の身を守る 】という事を、諦めています。
  
  
幼少期に実現できなかったから、
  
あらゆる手段を講じて
「自分を守る」という自信を喪失しているのです。
  
  
むしろ、自分の身を守ろうとして、
一層酷い目に遭った経験から、
  
「為されるがままにしておいた方が良い」くらいに、
思っているかもしれません。
  
  
「自分の身を守る」というのは、生物の基本ですが、
  
それに対する自信が無いというのは、
【「生きとし生けるもの」としての自信が無い 】に等しい訳です。
  
  
自分の身を守るという行為には、
「脅威と戦う、脅威に抵抗する」という事も含まれています。
  
  
ただ、人間は個々で戦うのではなく、
「集団で戦う生き物」ですから、
  
【 集団を味方に付ける自信があるかどうか? 】
  
という事が重要になってきます。
  
  
「2の欲求」と同じですが、 
  
【 より強くて大きな存在に守られる自信 】が必要です。
  
  
それと同時に、肉体保護に関する欲求ですから、
  
「自分の身体を愛し、大事に想うこと」が大切です。
  
  
自分の身体を愛していない人が、
「身の危険」や「暴力」に屈してしまうのです。
  
  
自分の身体を愛さない理由は、
  
「身体的なコンプレックス」のせいかもしれないし、
「物質(モノ)」を大切に思っていないからかもしれません。  
  
  
モノを大切にしない人、モノをよく壊す人は、
自分の身体も大切にしていませんからね。
  
モノによって、自分の生活が成り立っている事を、
もっと理解した方が良いでしょう。
  
  
おそらく、父親とかが、
  
ブチギレた時にモノにあたって、
父親の怒りで、よくモノが破壊される家庭なんかでは、  
  
「モノに大した価値は無い」という思想を
植え付けられてしまうのでしょうね。
    
  
しかし、モノに当たって壊してしまうのも、
自分は他人に対して無力だと思っているからでしょう。
  
私は、怒った時には直接本人にぶつけますから、
モノに当たる事なんてありません。
  
そもそも、あまり怒りませんけど。
  
  
  
と、まぁざっと6種類解説してきましたが、
  
全体像は見えてきたと思います。
  
  
また、それぞれ深掘りしていくかもしれませんが、
  
これを読めば、自分がどこで躓いているのか…、
だいたい解ってくるんじゃ無いですか?


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haxe501 at 15:12|Permalinkclip!

2018年07月11日

人生の目的、生きる目的

現代人の多くは、
  
「何の為に生きるのか?」
という目的を見失っている。
  
  
ぜひ、リアルに想像して頂きたいのですが、
  
子供から、
「自分は何の為に生きれば良いの?」と聞かれたら、
    
あなたはキチンと答えられるだろうか?
    
  
教育の問題も、経済の問題も、
  
最終的には、
【 人間が何の為に生きるのかわからない 】
  
というところに起因している。
  
  
明確な目的地も無いのに、
正しい方向性や道筋など、導ける訳が無い。
  
  
例えば、「生きる目的は、幸せになるためだよ」
と子供に教えたとしましょう。
  
じゃあ、幸せに生きるにはどうすれば良いのか?
  
  
やりたくない勉強と、やりたくない仕事をして、
最終的に、人間は幸せになれるのか?
  
その方法論で、子供を「幸せな人生」に導けるのか?
  
  
無理でしょう?
  
  
そもそも、
大人が自分に幸せを許していないんだから。
  
  
・遊んじゃダメ、
・贅沢しちゃダメ、
・恋愛しちゃダメ、
・やりたい事やっちゃダメ、
  
ダメダメ祭りじゃん。
  
  
幸せになる事を我慢している間に、
老人になって死んじゃうよ。
  
  
本当は、死ぬまで経済的に困窮しない様、
老後に備える為に生きてるんでしょ?
  
  
「生きる目的」が、全く【 幸せの為 】じゃ無いじゃん。
  
  
ただ、無難に寿命をまっとうする為でしょ?
  
  
子供に対して、
「無難に寿命をまっとうする為に生きるんだよ」って言う?
  
  
わざわざ子供に言って無くても、
大人がそう思ってたら子供には伝わるよ。
  
  
昔は、働けば生活が劇的に快適になったけど、
今は、低価格で高品質な商品・サービスが巷に溢れ、
  
別にガムシャラに働いたところで、
そこまで生活が劇的に良くなるわけじゃない。
  
  
むしろ、給料はあまり変わらないのに、
  
テクノロジーの進歩と、競争の激化によって、
人間に掛かる労働の負担が劇的に増加している。
  
  
でも、人間は仕事自体がイヤなんじゃ無くて、
  
「やりたくない事」と「不快な人間関係」がイヤなの。
  
  
「やりたい仕事」で「楽しい人間関係」だったら、
誰だって進んで働くよ。
  
  
幸せに生きたいんだったら、
「やりたい仕事」と「楽しい人間関係」が必須。
  
でも、ほとんど誰もそれを実現する方法を知らない。
  
  
・親も、学校の教員も知らない。
  
・政治家も、官僚も知らない。
  
・経営者も知らない。
  
  
「幸せになる方法」を、みんな知らない。
  
  
本当に、【 幸せな人生を送るため 】に生きてるの?
  
  
子供に対して、【 幸せな人生を送るために生きろ 】って言える?
  
  
みんなね、精神的に迷子よ。
  
  
大人たち自身が、
「自分は幸せになれる」とも思っていない訳だから。
  
  
そんな大人たちに育てられる子供が、
どうやって未来に希望を持てば良いのよ?
  
  
みんな、子育てに無責任。
  
  
自分の人生を真剣に考えられない大人たちが、
  
子供の人生、真剣に考えられる訳が無いじゃん。
  
  
【 自分の人生について…なんて、怖すぎて考えたくない! 】
  
そんな、人生をネガティブに捉えていて、
現実逃避している大人たちに育てられちゃう、
    
子供に身にもなってみなよ。
  
  
大人が精神的に自立してないのに、
  
まともな子育てなんて出来る訳が無い。
  
  
人生に対してやる気ない大人に育てられる子供が可哀想。
  
子供はみんな、俺が教育してやりたいわ。


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haxe501 at 21:07|Permalinkclip!