2018年06月

2018年06月30日

本物の人格者

人間、自分が苦しいときほど、
他人に親切に出来るのに、
  
自分の生活がある程度満たされてきちゃうと、
その「親切心」も消え失せてしまう。
  
  
相手に「自分の姿」を投影するからだろうな。
  
  
自分が苦しいときは、
「他人も苦しんでるだろうな」と共感できる。
  
自分が満たされているときは、
「他人も満たされてるだろうな」と思い込む。
  
  
でも、それまで他人に親切にしたから、
自分の運気が上がってきたのであって、
  
自分が満たされたから…と言ってそれを止めたら、
運気が下がるに決まってるじゃん。
  
  
なんで止めちゃうかな?
  
  
たとえ、自分の問題が解決しても、
「他人が抱える未解決の問題」を気にし続けられる…、
  
それが、運気を下げずに上げ続けられる人間。
  
  
自分の生活が満たされても尚、
他者への親切心を失わない人が、本物の人格者。


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2018年06月29日

全面を同時に揃える思考

私がなぜ、「情熱・時間・人間関係・お金」の全てを両立し、
さらに将来に不安も一切無く、
自分と関わる人たちの生活レベルを高め続ける事が出来るのか?
  
  
私が心理や経済について、世界ダントツ詳しいから…、
というのもあるけど、
  
実は、私が
【 全体が調和して機能するシステム 】を構築するのが得意だから。
  
持続可能とか、サスティナブルと言っても良い。
  
まるで「永久機関を備えた機械」を組み立てるような感覚。
  
  
以前にも言ったけど、
  
「あちらを立てればこちらが立たず…」と言う状態は、
平面思考をしているから。
  
問題解決というのは、ルービックキューブを解くような、
【 俯瞰して同時に全面を揃える立体思考 】が必要。
  
  
「一面を揃える為に、他の一面を犠牲にして捨てる」なんて、
誰にでもできる。
  
同時に全ての色を揃えるからこそ、意味がある。
  
  
ルービックキューブを解くように、問題を立体的に捉え、
【 一面同士(他分野)の繋がり 】を理解しなければ、
  
「根本的問題解決」や「永続的システム構築」は不可能。
  
これが出来る人は少ないんだ。
  
  
私が関わらないと、解けない問題は腐るほどあるだろう。
  
各分野の専門家を寄せ集めても、逆立ちしたって問題解決は不可能。
  
  
素人が【 子育て支援の「ルール」や「制度」】を考えたところで、
ルービックキューブでいうと、1〜2面揃える程度。
  
結局、私が表に出ていかなきゃ、社会問題は解決しないぞ。


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haxe501 at 14:28|Permalinkclip!

2018年06月28日

他人・社会・世界を救う前に、自分を救え

ここ最近に書いた記事のテーマは、
  
・経済と心理の関係
・潜在意識の概要
・自分を愛する事の重要性
・真実では無い思い込みの弊害
  
などです。
  
  
ここまで書いてくると、
  
察しの良い方には、
【 いかに人類が重症なのか? 】
    
という事が、ご理解頂けたかと思います。
  
  
そうです。 手が付けられないくらいに重症です。
  
  
「人類の科学技術や知性」を過信しすぎていて、
  
「人間の内面」に関するテーマも、
きっと科学と同じレベルで詳しくなっているのだろうと、
  
とんでもない「勘違い」をしている訳です。
  
  
いやいや、「人間の内面」に関する事は、
何一つ理解されていないのです。
  
歴代の著名な心理学者ですら、
根本的には何も理解できていなかったのです。
  
  
まぁ、海外の学者さんにもキリスト教の人が多いでしょうし、
「ダーウィンの進化論すら否定する人が多い」と聞きます。
  
結局、よくわからないことは「神秘」とか、「神」とか、
そういう風に捉えがちなのかも知れません。
  
  
私にとっては、
「あらゆる現象は自然法則に基づいて起こっている」
  
という世界観は当たり前ですが、
  
その世界観を持って心理を研究した人は、
人類史上、これまで存在してこなかった訳です。
  
  
私にとって当たり前の捉え方が、
人類にとっては、非常に高難易度の捉え方の様ですね。
  
  
で、人間の精神構造でややこしい所は、 
  
【 人間は、自分の潜在意識について無自覚である 】
  
という事です。
  
  
自分の潜在意識が、
どのような「思い込み、感情、情熱、欲求」を抱いているのか?
  
   
それらについて、自覚する事は非常に難しい事なのです。
  
  
集中して感じようとしなければ、何もわからないのです。
  
  
で、自分の「潜在意識の中身…」つまり【 本心 】が分かってくると、
  
  
【 自分の本性って、こんな感じだったの? 】
  
と驚くこともあるかもしれません。
  
  
それだけ、自分の本性を隠して生活することに、
慣れきって生きてきている訳です。
  
  
で、自分の本心を知っていくと、
  
多くの人が、
【 自分自身をそこまで深く愛している訳では無い 】
  
という事に気付くと思います。
   
  
という事は、
  
「他人や社会の事を考えているフリ」をしているのも、
  
【 賢ぶって、良い人ぶって、正義の味方ぶって、
  他人と比べて優越感を感じたい、他人から認められたい 】
  
そういう動機だったのだ…と気付きます。
  
  
別に、他人や社会の事など、大して真剣に考えておらず、
  
ただ、「自分の低すぎる自尊心」を埋めたかったのだ…
  
それが、本当の欲求だったのだ…と気付きます。
  
  
そこまで気付く事ができれば、上等です。
  
  
本当に他人や社会を良くしたいのであれば、
【 まず、自分を深く愛する事から始めないと、絶対に不可能である 】
  
という事です。
  
  
つまり、自分を愛していない人は、 
 
【 他人に奉仕・貢献するステージに、そもそも立っていない… 】
  
という事です。
  
  
まだまだ奉仕・貢献のステージに立てるほどでは無く、未熟なのです。
  
そのことを受け止める謙虚さが必要です。
  
  
本当に、奉仕・貢献のステージに立つことに憧れを感じるのであれば、
  
まず、「他人や社会の事」は一旦完全に忘れて、
  
【 自分を満たすこと 】に集中しなければなりません。
  
  
急がば回れってヤツです。
  
  
自分を深く愛せていない人は、
  
自分の親が、自分の本性を受け入れてくれずに、
否定されたからです。
   
その事実も、認めなければなりません。
  
  
もしかすると、我が子が経済的に困窮してしまう事を怖れ、
  
・とにかく大学を出て就職して欲しい
・その為に、学校の勉強をして欲しい
    
そういう自分の考えを押しつけてきたのかも知れません。
  
  
その道筋にそぐわない「本当に自分がやりたい事」を、
否定されてしまったのかもしれません。
  
  
自分の親が未熟だったと認める事に抵抗がありますか?
  
しかし、ありのままの真実を認めるべきです。
  
  
「親の影響」以外に、
【 自分を愛せなくなる理由 】はほとんどないのです。
  
  
自分を愛せないままに育ってしまったのは、
親の影響でしかないのです。
  
  
ですから、本当に自分を愛そうと思ったら、 
  
まず、【 親の考えに逆らう事 】が必須となります。
  
  
もっと言うと、
  
【 親からウソを教えられた 】と認識する事です。
  
  
そうすれば、本当の真実はどこにあるのだろう?と考えます。
  
  
親は、本当の自分を受け入れてくれなかったけど、
親以外に、本当の自分を受け入れてくれる人がいるかもしれない…、
  
そういう発想に向かいます。
  
  
ただ、「親」や「他人」の評価を求める前に、
  
まず、自分が主体性を持って、
自分を認め、自分を愛する必要があります。
  
  
自分で自分を高く評価する人間の事を、
  
ナルシストみたいだと思って、ネガティブなイメージがありませんか?
  
  
しかし、ナルシストで構いません。
  
  
むしろ、ナルシストが成功するのです。
  
  
気持ち悪いナルシストは、現実を直視していないだけです。
  
「自分を好きになる事」が悪い事では無く、
「地に足が付いていない現実逃避」が、気持ち悪いのです。
  
  
【 現実を直視できているナルシスト 】は、成功者になります。
  
  
自分自身を素敵だと思っていない人間が、
人前のステージに立つことは出来ませんし、
  
自分自身を素敵だと想っているからこそ、
他人もそう思ってくれるのです。
  
  
もう一度言いますが、
  
ナルシストを気持ち悪く感じる場合、
   
「自分自身を好きなこと自体」が気持ち悪いのではなく、
「現実を直視していない事」が、気持ち悪いのです。
  
  
現実を直視してさえいれば、
「ナルシスト」も「自画自賛」も結構、結構。
  
どんどんやったら良いのです。
  
  
それこそが、【 自分を愛する 】という事です。
  
  
そして、そのプロセスを経ずして、
潜在意識レベルで社会貢献に意識が向くことはありません。
  
  
例えば、この世にはいろんな音楽がありますが、
万人に好かれる音楽って、きっと存在しません。
  
ならば、万人受けを狙っても意味がありません。
  
  
誰か少数でも、自分の作品に本気で惚れてくれる人がいれば、
それで良いじゃないですか?
  
  
で、他人に惚れてもらう前に、
まず自分自身が惚れなければなりません。
  
  
どんな仕事、どんな表現にも言える事ですが、
まず、自分の生み出したモノに自分が惚れないと。
  
というより、
自分が惚れられる作品を、自分が作らないと。
  
  
  
私が心理を研究し始めたのは、まず自分を幸せにする為です。
  
で、その研究成果が他人にも役立つのだから、一石二鳥です。
  
  
まず、「自分の為の仕事」で無いと。
  
「自分で自分に惚れられる仕事」じゃ無いと。
  
  
多くの人は、多数決ばかりに気を取られて、
  
【 自分本位で評価する 】という事を怠っています。
  
  
私は、他人の誰から見向きもされて無くても、
  
自分で「自分の作品」や、「自分の仕事」に惚れています。
  
  
だから、楽しんでいられるし、自信もあるのです。
  
  
いくら他人が評価してくれても、
  
自分が納得していなかったら、幸せじゃ無いし、
その違和感は消えません。
  
  
きっと、それは「不幸」という状態です。
  
  
音楽と同じように、多様な表現と価値観があるのです。
  
  
「万人ウケ」などそもそも必要ありません。
  
  
まず、自分が自分のファンになる。
  
自分自身をカッコ良いと思える様な生き方や仕事を生み出す。
  
  
それが、【 自分を愛する 】という事です。
  
  
そのステージをクリアしていない人間が、社会貢献など述べても、 
 
まったくの詭弁、妄言なのです。  


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2018年06月27日

全ての元凶

最近の私の発信している情報は濃いので、
  
正直、読むのが大変だと思います(笑)
  
  
人間の知識の習得段階は、
  
「知る → 理解する → 体得する」
  
という風になっています。
  
  
ただ「知る」だけなら、流し読みでも構わないでしょう。 
   
  
しかし、理解をするには少し骨がおれるでしょう。
  
文章の内容を理解するには、論理的思考を働かせ、
検証しなければならないからです。
  
  
さらに、書かれている事を完全に体得するためには、
日々の継続的な鍛錬が必要です。
  
  
しかし、学校のテストでは「知る」だけで点が取れます。
  
  
インターネットで知りたい事をすぐに知れる時代に、
ただ知っている事など、何の役にも立たない訳ですが。
  
  
私は、「体得しなければ意味が無い」という基準で、
  
あらゆる知識を学んで来ました。
  
  
みなさんは、そういう基準を持っているでしょうか?
  
まぁ、人生で実現したいことが無ければ、
そういう高い基準にならないでしょうけどね。 
  
  
多くの人は、客観的に自分を見つめて、
  
・自分がちゃんと理解できているか?
・自分がちゃんと体得できているか?
   
という事すら、判別できない様ですが。
  
  
ま、「流し読み」だけしても、人生において
あまり意味が無いことだけは、何度も言っておきます。
  
  
それで、前回の記事では、
  
多くの人は、
「自分の感情を感じる感覚」を麻痺させていて、
  
さらに、
「真実では無い思い込み」を無自覚にたくさん抱えている…、
  
という事を書きました。
   
  
もう、それだけで
  
【 自分の意識の中身がどうなっているか? 】なんて、 
  
何も分かりっこ無いですよね(笑)
  
  
私が心理のメカニズムをいくら語ろうとも、
  
本人が「感情を感じる感覚」を閉ざしていると、
検証のしようもありませんから、一切の理解も出来ないでしょう。
  
  
心理に興味を持つ人の多くは、
「激しい精神的苦痛」に苛まれた事がある人ですが、
  
それは、精神的苦痛を感じたからこそ、
「精神的苦痛を治療したい」と思って、治療法を探すという事ですね。
  
  
これまで解説したとおり、
  
本人の「思い込み」によって、「感情」が作られます。
  
しかし、その「思い込み」は、
無意識レベルに存在していて、無自覚なのです。
  
  
「自分がどういう思い込みを持っているか?」を知るには、
   
【 自分の「感情」をヒントに、逆算して考えるしかない 】のです。
  
  
だから、自分の「感情」を感じない人は、
  
自分が「真実では無い思い込み」を持っていても、
まったく気付けないし、
  
間違った真実をベースに、思考を巡らせて、
「まったく的外れな結論」に辿り着いてしまうのです。
  
  
例えば、わかりやすい例を挙げると、
  
イスラム過激派組織に属して、
自分たちのテロを正当化する人も、
  
「間違った思い込み」を真実だと信じているから、
「間違った結論」を導き出しているのです。
  
  
事実と異なる「間違った思い込み」は、
全て「間違った結論」へと繋がっているのです。
  
  
ですから、どんな分野にも言える事ですが、
  
真の「問題解決」を行おうと思ったら、
「間違った思い込み」は、全て排除しなければなりません。  
  
  
私は、あらゆる「思い込み」を排除してきたからこそ、 
  
真実や事実を冷静に見極めようとする事が出来るし、
物事をゼロベースで考えられるし、
常識的だけどまったく役に立たない無駄などを排除し、
   
【 効率的な問題の根本解決法 】を導けるのです。
  
  
そして、「自分がどういう思い込みを持っているか?」を知るには、
  
【 自分の感情を細かく観察する 】しかありません。
  
  
自分の感情を細かく観察していると、 
  
「だいたい、自分はこういう思い込みを持っているな…」
という事に気づけます。 
  
あとは、
  
・より正確に思い込みを「特定するテクニック」や、
・無意識下の思い込みを「書き換えるテクニック」を使って、
  
「真実では無い思い込み」を手放していく訳です。
  
  
私から見れば、現代社会の問題が解決しないのは、
  
みんな、【 人間の内面についてわかっていないから 】です。
  
  
そこが、元凶です。
  
  
視覚化できる「科学分野の問題」は、
次々と解決していきますが、
      
視覚化できない「人間の内面が絡む問題」は、
全然根本解決ができないのです。
  
  
具体的には、
  
・家庭、子育て
・経済全般(仕事、お金)
・メンタルヘルス
・教育全般
・人間関係全般(恋愛なども含む)
  
などです。
  
  
そもそも、人類の思っている、
【 人間の内面とはこういうモノだ… 】という前提が、
  
既に大きく間違っていますからね。
  
  
「人間の内面が、どういう仕組みで動いているのか?」
  
その正確な理解が、
  
【 社会問題を解決するカギ 】になっているのです。
  
  
「真実と異なる間違った思い込み」を持っていて、
それを前提に思考を巡らせているから、 
  
「的外れな結論」に辿り着いてしまうのです。
  
  
それもこれも、人々が
  
・「自分の感情」や「潜在意識の要望」を集中して感じていない
・自分を愛していないから、問題を解決したいとも思わない
   
という状態だからです。
  
  
1.まず自分の無意識下の感情を集中して感じる
2.自分を愛していく
3.真実と異なる思い込みに気付き、消していく
  
  
そういう事を、一人でも多くの人がやっていかないと、
  
社会問題を解決したいとも思わないし、
  
社会問題を解決したいと思っている人がいたとしても、
問題の根本解決法に気付く事すらできません。
  
  
もし、人々の精神が成熟していかないままに、
科学やテクノロジーだけが発展していったら、どうなるでしょう?
  
  
それは、「アタマの悪い人間」が「宝くじ」に当たったのと同じ事です。
  
大きなパワーを上手く扱えず、むしろ悪い状況に陥るという事です。
  
  
大きなパワーを上手く扱うには、それだけの「力量・器」が必要です。
  
「力量・器」の無い人間に膨大なパワーを与えても、
それは、パワーを暴走させるだけです。
  
  
科学やテクノロジーの進化に、
【 人間の精神の成熟 】が追いついていかなければ、
  
早晩、人類文明の終焉は目に見えているのです。


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haxe501 at 17:52|Permalinkclip!

2018年06月26日

感情と現実の捉え方

前回の記事では、
「私がどういうスタンスで心理を研究してきたのか?」
  
という事をお伝えしました。
  
  
心理を研究している人間を大別すると、
  
大学系 → 「統計データ」と「傾向」を研究
  
自己啓発系 →「自分の経験則」や「上手く行った人の共通点」を研究  
  
宗教系 → 釈迦やキリストの発言が正しいという前提で、解釈を考える
  
って感じに分かれると思いますけど、
私は、そのどれでもありません。 
  
  
そして、
【「感情のメカニズム」を最優先に研究してきた 】
  
という事も書きました。
  
  
私がまず不思議に思ったのは、 
    
まったく同じような状況に遭遇しても、
  
・ある人はネガティブな気持ちになるのに、
・ある人はネガティブな気持ちにならない事です。
  
  
そのメカニズムが解明できれば、
「ストレスを減らす事に役立つだろう」と思いました。
  
  
そして、人間の感情を生み出すのは、 
  
【 本人の「考え方、捉え方、思い込み」である 】
  
という結論に辿り着きました。
  
  
例えば、「注射を打たれる」という現象があります。
  
「見知らぬ覆面の男」に注射を打たれたら、
「殺される!!!」と思うかもしれません。
  
でも、実はその人はお医者さんで、
自分の病気を治すワクチンを打ってくれたのです。
  
そう思えば、「ありがたい!」という気持ちになります。
  
  
どちらにしても、注射は痛いです。
  
  
【 痛いという感覚(肉体にとっては不快)】がする事ですら、
  
「自分にとってめちゃくちゃ良い事をしてくれている!」と思えば、
「有り難い」という気持ちになるのです。
  
  
・自分にとって良い事が起こっていると解釈するのか?
・自分にとって悪い事が起こっていると解釈するのか?
   
【 感情 】とは、シンプルにそれだけの話なのです。
  
  
ただ、ここで注意が必要です。
  
  
実際には「自分にとって悪い事」が起こっているのに、
それを良い事だと思い込むパターンも有り得ますし、
  
その逆に、
  
実際には「自分にとって良い事」が起こっているのに、
それを悪い事だと思い込むパターンも有り得ます。
  
  
例えば、「宗教の教祖」に騙されてお金を奪われているのに、
【 その教祖に救われていると感じている信者 】は、
  
実際には、自分は騙されているのに、
それを「有り難い」と思っちゃっている訳です。
  
  
逆パターンで行くと、「犬」や「猫」は、
「シャンプー」や「動物病院」を嫌うかも知れませんけど、
  
それは、「自分の為になる」と理解できていないからです。
  
  
【 不快感=自分に取って害 】だと、単純に思っていますが、
  
実際には、イヤな注射を打たれることで、
狂犬病などから救われているかもしれません。
  
  
まぁ、人間にもそういう人はいますけど(笑)
  
  
ですから、誤解を無くすためには、
  
【 本当に自分の為になる事なのかどうかを、きちんと理解する必要 】
  
があります。
  
  
もし人間に、
「目先の不快感を乗り越えてでも成し遂げたい何か?」
  
という目的意識が無ければ、
  
その人は、「ただ目先の不快感から逃げようとするだけ」の、
【 動物的な人生 】になってしまうでしょう。
  
  
そんな人は、
  
ただ、「目先で心地良い感覚」を与えてくれる宗教の教祖に、
騙されてしまうかもしれません。
  
  
もちろん、人生の中で「ネガティブな感情」を減らし、
「ポジティブな感情」を増やしていく事は大切ですが、
  
「感情だけを判断基準」にしてしまうと、上手くは行きません。
  
  
人生においては、「目先の感情」に振り回されず、
【 理性的な判断 】をした方が良い場合が多いのです。
  
  
例えば、多くの場合、
  
・小学生くらいの年齢だと、「運動が得意な男子」がモテます。
・中学、高校生くらいの年齢だと、「不良っぽい男子」がモテます。
  
  
でも、「その男子と将来結婚して上手く行くかどうか?」は、
まったく別の話ですからね(笑)
  
  
一時の感情に振り回されることが、人生の成功法則では無いのです。
  
  
むしろ、「感情に対する知識・知恵」は、 
  
人生において、極力「理性的な判断」をしていくために、
    
【 自分の感情を、自由にコントロールする為 】に使うべきなのです。
  
  
  
それで先ほど、感情を生み出すのは、
  
【 本人の考え方・捉え方、思い込み 】だと言いました。
  
  
しかし、その「人間の考え方・捉え方・思い込み」というのは、
  
無意識(潜在意識)レベルに存在していて、
多くの場合、【 無自覚 】なのです。
  
  
例えば、以前の記事に書いたことですが、
  
【 お金は奪い合うモノだ! 】という思い込みを持っているがいます。
  
  
実際には、まったく真実じゃありませんが、
本人にとっては真実だと思い込んでいる訳です。
  
  
そういう「真実では無い思い込み」の事を、
  
【 ネガティブ観念 】と呼びます。
  
  
で、その「ネガティブ観念」が一般常識化している事ほど、
  
真実が理解しにくくなります。
  
  
例えば、現代の社会においては、
【「お金」について真実で無い思い込み 】を持っている人が多いです。
  
・お金は限られている
・お金は奪い合うものだ
・お金を儲けるには特別な才能が必要だ
  
そういう「真実では無い思い込み」を持っている人が多い訳です。   
  
  
例えば、ベーシックインカムの賛成派の人のほとんどは、
  
【 経済的弱者は、自力で自由にお金を稼ぐ事はできない 】
    
という「真実では無い思い込み」を持っています。 
  
  
私の様に、「子供の頃から適切な教育を施せば、
誰でも、自由に経済力を高められる」と考えている人間は、
  
強者から奪ったお金を弱者にばらまくより、
経済教育を施して、そもそも強者に育てれば良いと考えます。
  
  
でも、ベーシックインカム賛成派の人は、 
 
自分がそういう「真実で無い思い込み」を持っている事にすら、
気付いていません。
  
  
言われないと気付かないくらい、
自分にとっては当たり前の真実になっちゃっている訳です。
  
実際には間違った思い込み…、つまり「勘違い」なのですが(笑)
   
   
しかし、「真実ではない思い込み」をたくさん持てば持つほど、 
   
世界や現実を、歪めて捉えている事になります。
  
  
そうすると、【 適切な対策 】を打つことが出来ません。
  
  
しかも、その「真実ではない思い込み」が、
一般常識化している事もあります。
  
  
そんな場合が、非常に厄介です。
  
  
例えば、
  
【 日本人のほとんどが勘違いしていて、間違った事を信じている… 】
  
という事もたくさんあるのです。
  
  
昔は、「地球が球体であるという事実」も、全く信じられていませんでしたし、
  
【 人類全体が間違った事を信じる可能性 】は、いくらでも有り得ます。
  
  
まぁ、私から見れば【 有りすぎ 】なのですが…。
  
    
では、【 真実では無い思い込み(ネガティブ観念)】は、
  
どうやって自分の意識に植え付けられるのでしょう?
  
  
大体は、親の思想を受け継いだり、常識を盲信します。
   
   
アインシュタインは、
「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」
  
と言いましたけどね。
  
  
何度も言っていますが、
  
「視覚化できる分野」については、
人類はそこそこ賢いと言えるでしょうが、
  
「視覚化できない分野」については、
人類は未だ、間違った事を信じまくっています。
  
  
そもそも、潜在意識下のネガティブ感情を感じたくないから、
「自分の感情を感じる感覚」を麻痺させている人も多いのです。
  
そんな状態では、
【 感情について理解する 】どころではありません。
  
  
人類は、感情について無知なのです。
  
というより、「ネガティブ感情」を嫌がりすぎて、
【 見ない様に無視している 】のです。
  
  
例えば、転んで怪我をしたら、肉体が痛みを感じます。
  
肉体が痛みを感じると、「何とかしないと!」と思って、
病院に行くなり、対策を取るでしょう。
  
  
しかし、肉体の痛覚が麻痺していたらどうですか?
    
骨折していても、気付けないかもしれません。
  
  
そうして放置していたら、どんどん症状が悪化していきます。
  
  
肉体の痛覚を麻痺させるのは出来なくても、
感情の痛覚を麻痺させることが出来るのが、人間です。
  
  
で、感じないままに溜まりに溜まったネガティブ感情が爆発して、
うつ病になったり、暴力的になったり…、
  
という目に見える症状として現れるようになるのです。
  
  
ここで言いたい事は、
  
【 痛いことには早く気付いて、対処した方が良い 】という事です。
  
  
傷が浅いウチに、さっさと治した方が良いのです。 
  
その為には、「感情を感じる感覚」を鋭敏にする必要があります。
  
  
痛みを感じないと、まず治療しようとも思いません。
  
  
臭いモノにフタをしたところで、
臭いモノは消えないどころか、状況は悪化の一途を辿ります。
  
  
例えば、味覚がバカになっている人々が暮らす国で、
「美味しい料理」が研究され、発展する訳が無いのです。
  
  
人間が感情について深く理解するには、
  
まず、【 感情を感じる事に集中 】する必要があるのです。
  
  
まず自分の感情がわからないと、
  
自分が【 真実で無い思い込み(ネガティブ観念)】を、
持っている事にすら気付けません。
  
  
自分の感情を感じていない人は、
  
・「間違った真実」を信じていても、
・「現実を誤認」していても、
  
その事自体に、まったく気付けないのです。 
  
まず自覚すら出来ません。
  
  
積極的に「感情」を感じることで、
「真実で無い思い込み」に気付けるのです。
  
  
そして、「真実で無い思い込み」に気付くから、 
 
現実や真実を正しく理解できるようになり、
正しい対処・選択が取れるのです。
  
  
実は、
  
【 感情とは、現実の捉え方に深く影響している 】という事です。
  
  
「感情を感じる感覚」が正しく機能していない人は、 
  
「現実の捉え方」がどんどん歪んでいくのです。
  
  
感情を初めから排除するから、理性的になるのではないのです。
  
感情をちゃんと感じた上で、律するからこそ、理性的なのです。
  
  
まず己の感情を麻痺させるのでは無く、
しっかり感じた上で制さなければ、理性的になる事は出来ないのです。


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2018年06月25日

人類史上初めての偉業

私は、人類史上初めて、
「人間心理」を「物理学的」に捉えて研究をした人間だと思います。
  
  
私が20歳の時点で心理に興味を持ったとき、
  
【 必ず、人間心理にも万人共通のメカニズムが存在するはずだ 】
   
そう確信していました。
  
  
私は、幼少の頃から「理科」や「科学」が大好きでした。
  
  
幼少の頃は、「電気、自然法則、コンピュータ、ロボット」などに
対する興味が非常に強かったですし、
  
私は筋金入りの「理系思考」をしている人間です。
  
  
私が理科で学んだのは、
  
【 全ての現象は「法則」に基づいて起こっている… 】
  
という事です。
  
  
幼少の頃に読んだ、
「児童向けの理科のマンガ」で印象に残っているのが、
  
【 もし、地球上の摩擦が無くなったら…? 】という話です。
  
  
もし摩擦が無くなれば、
  
・人間は立っていられなくなる
・全てのネジやクギは抜けて、「全ての建物」が崩壊する
・土や石同士摩擦が無くなって、「全ての山」が崩れていく
  
という事で、
  
全ての「建造物」や「山」が、
まるで液体のようにガラガラと崩れて行く訳です。
  
  
人間の身体では、眼球が飛び出したり、
髪の毛がゴッソリ抜けたりするでしょうね。
   
  
「摩擦が無くなる」という事は、
非常に恐ろしい事だと思いました。
  
  
でも、摩擦だけでなく、全てに言える事です。
  
「遠心力が無くなれば? 慣性が無くなれば?」
  
  
もうそれだけで「天体のバランス」は崩れ、
太陽系や銀河系は崩壊します。
    
以前にも書きましたが、
  
「法則が変わる」という事は、
【 世界が崩壊するに等しい出来事 】なのです。
  
  
逆に言うと、
「世界が同じあり方を、何億年も続けている」と言う事は、 
  
その間、【 法則はずっと変わっていない 】という事です。
  
  
この世の全ての現象に、自然法則が関わっているし、
その法則が変化する事は、非常に考えにくい。
  
それが私の、「幼少の頃からの世界観」なのです。
  
  
少し余談ですが、スピリチュアルの情報では、
「次元が変われば法則も変わる」と言われています。
  
しかし、それは「低次の法則」の話であって、
宇宙を成り立たせている「根本的な法則」は絶対に不変です。
  
  
どこかに「絶対不変の法則」というモノが存在していない限り、
【 世界のあり方が安定しているハズがない 】のですから…。
  
  
何にしても、宇宙や世界が同じあり方を続ける限り、
  
「現象の土台となっている法則は変わっていない」という事です。
  
  
という事で、
私は【 人間心理にも法則性があって当然だ 】と思った訳です。
  
もちろん、人それぞれの「価値観」や「個性」は違いますよ。
  
でも、それは人間という種族の中にも、
「肌の色、髪の色、目の色」が違う人が存在しているのと同じです。
  
    
人間であるからには、
どんな人種でも、「骨格」や「臓器の働き」は共通しているでしょう?
  
どんな人間も、一応「血液の色は赤色」です。
  
  
そんな感じで、
人それぞれ細かい部分は違っていても、大本は一緒です。
  
  
肉体にも、「全人類共通の働き・メカニズム」がある訳ですから、  
心理にも、「全人類共通の働き・メカニズム」があるハズだと思った訳です。
  
私は、そこに焦点を当てて、研究をしてきました。
  
  
そして、研究の目的は、
  
【 人間の精神ストレスを減らし、幸福感を高める事 】です。
  
  
まず、自分がそうなりたかったからですね(笑)
  
  
その目的達成の為には、
まず「感情のメカニズム」を知る必要がありました。
  
【 あらゆる感情は、どのようにして生まれるのか? 】
  
最優先で、それを研究しました。
  
  
私が知りたかったのは、【 全ての現象に通じる法則 】です。
  
【 統計データでわかる傾向 】ではありません。
  
  
「全てに通じる法則」を見つけ出す為には、何が必要でしょう?
  
それは、【「一切の例外を許さない」という態度 】です。
  
  
「数学者」や「物理学者」と同等の基準です。
  
  
自分の出した結論・方法論に「例外」がひとつでも存在すれば、
  
「それは法則でも無い、メカニズムでも無い、本質でも無い」
  
という事です。
  
  
全ての現象に通じる「法則、本質、メカニズム」を発見するためには、
  
【 徹底的に例外を潰していく 】というプロセスが必要になります。
  
  
だから、これまで私は【 徹底的な「例外潰し」】をしてきました。
  
  
そして、自分の出した結論に「穴」が無いかどうか?
  
徹底的に自己批判を繰り返して来ました。
  
  
わかりやすく言うと、
  
自分が作った鉄壁のセキュリティシステムの強度を測るために、
自ら全力でハッキングを試みる…
  
自分の作った「最強の盾」の強度を計るために、
全力で壊そうとしてみる…、
  
みたいな感じです(笑)
  
  
そうして結論づけた心理の法則を、25歳の時から、
カウンセリングやセミナーなどで人に伝えてきました。
  
今から、【 約9年前 】の事です。
  
  
9年前の時点で、私は世界中のどの心理学者よりも、
人間心理を深く理解していた訳です。
  
当時は、「NLP(神経言語プログラミング)」が流行ってましたね。
  
  
で、9年経った現在でも、
  
まだ私の語る【 本物の心理の質の高さ 】は、
世間に理解されていない訳ですよ。
  
  
まぁ、その理由も最近言っているように、
  
あまりにも「心理学者を含む世間の人々」が、
  
・「自分の潜在意識の要望を感じる」という事ができていない
・「自分を愛する」という事ができていない
  
という所に原因がある…、
  
という事までは突き止めましたけどね。
  
  
「感じる事」をせずに「考えよう」としても、
  
・「人間そのものの捉え方」もズレているし、
・「真実では無い思い込み」を抱えている状態で、
  
【 えらく「的外れ」な方向に思考を巡らせてしまう… 】
  
という事です。
  
  
そもそもの「人間観」が思いっきりズレている状態で、
ズレている事にも自覚が無く、気付いてもいない状態で、
  
「人間という生き物」を研究しようとしても、
真実は突き止められないに決まっています。
  
  
例えば大昔では、
「流行病の原因」は「呪いや祟り」だと思われていました。
  
【 病気の原因は、「呪いや祟り」に違いない! 】
という前提で研究しようとすれば、
  
「誰が、どういう呪いをかけたんだ!?」
「呪いを解くには、どうすればいいんだ!?」
  
という方向で研究しようとしますよね?
  
  
そんな前提で研究していても、
【「菌」や「ウイルス」という真実 】に辿り付ける訳が無いのです。
  
  
私以外の心理を研究している人間が、
どのような前提を持って心理を研究しているかは知りませんが、
  
人間心理に対する、
そもそもの前提がズレていたら、絶対に真実はわかりません。
  
  
要するに、
  
「理系の思考をしている人間」が心理を研究しないと、
絶対に【 人間心理の真実 】はわからないのです。
  
  
そもそも、人間は視覚化できないモノについて、
研究するのが苦手です。
  
【 視覚に依存しているから 】です。
  
  
私は、「視覚」では無く、
  
【 感情を感じる感覚 】を頼りに研究してきました。
  
  
心理を研究する者は、
【 人間の感情 】に詳しくなければならないでしょう。
  
なのに、「感情を感じる感覚」を使わず、
視覚だけで捉えようとしても不可能です。
  
  
そういう意味で、
  
「人間心理に詳しくなる」という事は、
ワインの味に詳しい「ソムリエ」に近いと思います。
  
  
ソムリエに、ワインのテイスティングをせず、
「色だけで判別しろ」と言っている様なモノです。
  
  
心理職に携わる者は、ワインを味覚で判断するソムリエと同じ様に、
  
「感情を感じる感覚」が鋭敏で無ければ、決して務まりません。
  
  
・感情がわからない「心理学者」は、
・味がわからない「ソムリエ」と同じです。
  
まったく仕事にならないでしょう?(笑)
  
  
なのに、「自分の潜在意識下の感情」について、
  
何も知らない、何もわかっていない心理学者がたくさん居る訳です。
  
  
まさに、「や・く・た・た・ず」ですね。
  
  
まず、【 感情の正体、感情の仕組み 】が理解できていない時点で、
  
心理学者は名乗れないと思いますが。


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2018年06月24日

ポジティブとは何か?

今回は、前回の記事の補足をしたいと思います。
  
  
まず、最初に「自分を愛していない人」の中にも、
  
なぜ、
  
・お金を持っているけど、不幸とか、
・お金は持っていないけど、幸せとか、 
  
そういうパターンが生まれるのか?
  
  
それは、人それぞれ「お金」や「幸せ」に対する
【 観念(無意識レベルの思い込み)】が違うからです。
  
  
例えば、お金には困っているけど、
そこそこ幸せという人の多くは、
  
「清貧が素晴らしい」と思っています。
  
  
「お金」に対して、
【 限られた資源の奪い合い 】というイメージが強く、
  
「自分がお金を持てば、誰かの分が減る」と思い込んでいます。
  
「完全なる誤解」ですけどね。
  
  
詐欺、泥棒、ギャンブルなど、アウトローの手段でなければ、
  
お金を稼ぐ方法は、
「他人に価値を提供し、対価を受け取ること」です。
   
【 対価なんて受け取らず、全てを無償で提供すれば良いじゃないか! 】
  
と思う人もいるでしょう。
  
  
しかし、経済の原則は【 交換 】なのです。
  
「無償での提供」ではなく、「対等な交換」が原則です。
  
  
もし、全てを無償で提供し合おうとすれば、
それはそれで、上手く行くかもしれません。
  
でも、それが上手く行く条件は、
  
地球上に住むほとんどの人が、
【 自発的に、一生懸命に働く 】という条件が必要です。
  
  
実際には、「別に、好んで働きたくない人」が多い訳です。
  
例えば、地球上の労働人口の中で、
「無償で働く人が半分、働かない人が半分」になったとしましょう。
  
そうなると、働く人が必死に頑張っても、
働かない人は、ラクして得をする事になります。
  
そうなると不公平を感じて、働いている人の
「努力するモチベーション」が著しく低下します。
  
  
「不公平」という状態を作ってしまうと、
努力する側の人間が、バカバカしくなってしまう訳です。
  
  
結局、誰も真面目に働かなくなって、経済は落ち込みます。
  
  
社会主義、共産主義の国は、
  
どんなに高度な仕事をしていても、
どんなに頑張っても、みんな給料が一緒ですから、
  
努力する事がバカバカしくなって、
それで経済が停滞して崩壊したのです。
  
  
日本では、一人が高額な報酬を得ることに対して、
不快感を感じる人が多いですが、
  
人間が感じるのは、「お金そのものが欲しい」と言うよりも、
【 自分のやった仕事を正当に評価して欲しい 】という事です。
  
その評価が、「報酬の金額」に現れている訳です。
  
  
例えば、私がビル・ゲイツより、
遥かにすごい仕事・偉業を成し遂げたとしましょう。
  
ハリーポッターの作者、J・K・ローリングさんより、
遥かにすごい仕事・偉業を成し遂げたとしましょう、  
  
  
ビル・ゲイツは、「何兆円」もの資産を得ていますし、
J・K・ローリングさんは、「千億円」の資産を得ていますが、
  
「ただ、人生を生きて行くには10億円くらいで充分だし、
 中井さんの生涯収入は、それくらいでいいよね?」
  
と言われたら、不公平を感じますよ。
  
  
いや、別に俺は社会貢献にガンガンお金を使うつもりだし、
お金に執着してる訳じゃ無い。
  
ただ、仕事の評価は別だし、それはそれでキッチリしてくれよ!
  
と、そう思います。
  
  
お金の役割は、【 価値交換のバランスを取る 】という事です。
  
  
別に、生きていく為にどれくらい必要かどうか?という次元じゃなくて、
  
「公平な評価」のために、
わかりやすく「お金」という指標を使う事もある訳です。
  
  
なので、「清貧が素晴らしい」と思っている人は、
  
【 真実では思い込み 】によって、
「必要以上のお金を持つことが悪い」と思っているのです。
  
言い方を換えると、
  
生活に必要以上のお金を持つ人間は、
【 人として価値が無い、愛するに値しない 】という思い込みです。
  
  
そういう人は、
「必要以上のお金を持っている状態の自分」は愛せないので、
  
自ら、「お金を持っていない状態」を選択しているのです。
   
  
しかし、「価値のある仕事」をした分だけ、
正当な報酬を受け取る事は【 当然の権利 】です。
  
ですから、
「その報酬として得たお金を、一体何に使うのか?」
  
という、【 お金の使い道 】の方で、その人の人間性が計れるのです。
  
  
正当な報酬として、多額の金銭を受け取る事自体は、
何も悪い事ではありません。
    
  
  
次に、「お金を持っているけど、不幸」という人は、
  
自分がお金を持つこと自体は許せているけど、
  
「自分の人間性、時間、人間関係、情熱など」の部分で、
不満を感じているという事ですね。
  
  
  
では、次の補足です。
  
  
一般に考えられている「善悪の定義」と
私が語っている「ポジティブの定義」は、違う…、
    
という事を書きましたが、その部分について解説します。
  
  
ポジティブ・ネガティブとは何でしょう?
  
スピリチュアルが好きな人は、
「統合と分離でしょ?」と言うと思いますが(笑)
  
「統合や分離」と言っても、まだまだ「抽象的で曖昧」です。
  
  
多くの人が、ポジティブ、ネガティブに対して、
明確な定義を持っておらず、
  
単なる「雰囲気」や「ノリ」で捉えていると思います。
  
  
私流の解説をすると、
  
ポジティブとは、「バランスと調和が取れている事」で、
ネガティブとは、「バランスと調和が崩れている事」です。
 
  
過去の記事にも書きましたけどね。
  
・「ポジティブ・ネガティブ」と「善悪」の違い
http://growheart.livedoor.biz/archives/52040712.html
  
  
で、「ポジティブな行い(善行)」をしようとする時に心懸ける事は、
  
大切な事は、「動機」と「結果」であって、「手段」ではないという事です。
  
  
人間の行動ステップは、
「動機」 → 「手段(行動)」 → 「結果」 
  
です。
  
  
で、多くの人は、【 手段に善悪がある 】と思い込んでいます。
  
しかし、「手段に善悪は無い」のです。
  
  
例えば、「ゾウを殺す」という手段があります。
  
「象牙を取る為の密猟」であれば、ネガティブな行為ですが、
  
動物園から抜け出して、暴れ回るゾウを殺すのであれば、
それは一般的には肯定される行為です。
  
  
他にも、「刃物で人を切る」という手段があります。
  
通り魔のように、無差別に人を傷つけるのは、
もちろん重大な犯罪です。
  
しかし、外科医が手術でメスを使うのは、
「患者を救う」という動機・目的があります。
  
  
つまり、動機と結果が重要なのであって、
   
・絶対的にポジティブな手段、
・絶対的にネガティブな手段…、 
   
というのは、存在しないのです。
  
  
でも、常識的には「手段に善悪がある」と思い込まされています。
  
無視は良くない! 人殺しは良くない! とかね。
人助けは良いこと! 他人を喜ばせるのは良いこと! とかね。
  
  
でも、「他人の自立」を促そうとすれば、
【 あえて助けない事 】も大切だったりするのです。
   
  
大切な事は、 
  
【 ポジティブな動機に基づく、
  ポジティブな結果を生み出す行為だったのか? 】
  
という事です。
  
  
本人としては、良い事をしたつもりでも、
結果が悪くなってしまう事もあります。
  
たとえば先日、自分の恋人を介抱してくれた人を、
恋人が襲われている!と勘違いして、その人をボコボコに殴りつけた…、
  
というニュースがありました。
  
  
それは、「勘違い」が原因になっていますから、
そういう「勘違い」も、極力減らしていく必要があります。
  
  
「現実の捉え方」が間違っていたり、「真実を誤認」していると、
  
「ポジティブな動機」を持っていても、
「ポジティブな結果」に繋がらない事をしてしまう事もあります。
  
  
まぁ、事実を誤認してしまうのも、
ほぼ全て「ネガティブ観念」が原因になっています。
  
ネガティブ観念を持っていると、
目に見える現実や世界を、歪めて捉えてしまうのです。
  
だから、【 勘違い 】が多発する。
  
  
なので結局のところ根本解決には、
無意識下の「ネガティブ観念」を変えていくしかありません。
  
  
【 ネガティブ観念(真実では無い思い込み)】を持っていると、
  
真実や世界を誤認し、「勘違い」が多発してしまいます。
  
  
「必要以上のお金を持つことは悪だ!」とか、
「他人の感情を傷つけるのは良くない!」とかね(笑)
  
  
で、自分の意識の中で、
「これは悪い行為だ!」という定義をたくさん作っていると、 
  
がんじがらめになって、
どんどん、自分や他人を愛せなくなっていきます。
  
  
とにかく、「自分への愛」を強めて行くには、 
  
自分の無意識下の「ネガティブ観念」を、
徹底的に消していくほか、無いのです。
  
  
その習慣こそが、
ポジティブなスパイラル(好循環)を生み出すのです。
  
  
逆に、その習慣を止めた瞬間、
ネガティブなスパイラル(悪循環)に入ってしまいますよ。  
  
  
多くの人は、視覚に依存していて、
  
【 目に見えない「心理」や「波動」の影響力 】を舐め腐っていますが、
  
プロの私は、それが「人生の根本を左右する要素」だと理解しています。
  
  
自分が完全に理解できない事に対しては、
  
【 自分はまだまだ視野が狭いし、
  自分の想像以上に、重要な事があるんだろうな… 】
  
という、「想像力」や「謙虚さ」を持っていないと、
   
落とし穴に落ちて、後悔する事になりかねません。
  
  
人生に対して本気のスイッチが入って、
毎日、情熱的に生きられるようになるまでは、
  
ネガティブ観念をひたすら消し続けないと、
  
いくらでも「まさか!」という
落とし穴にハマる危険性は、残っているのです。
  
  
そして、人生に対する本気のスイッチが入れば、
  
それまで以上にもっともっと、
積極的にネガティブ観念を消したくなるでしょうね(笑)


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2018年06月23日

自分を愛するために

前回の記事は、
【 筆舌に尽くしがたい程に重要な内容 】でした。
  
  
読者のみなさんにも、
「あらゆる情報の中でも、最も重要な話」だと感じてくれたら…
  
と思いますけどね。 
  
そう感じた方はどのくらいいるでしょうか?
  
  
前回の記事が、あまり重要な話だと捉えられなかったら、
私の伝えたい事は、まったく伝わっていない事になります。
  
  
本日、病気について書かれたバシャールの新刊を読んだのですが、
  
その中に、
【「自己重要感の欠如」が、ほとんどの病気の出発点である 】
    
と書かれていました。
  
  
・自分に「自信」が無い
・自分に「存在価値、存在意義」を感じない
・「自己重要感、自己肯定感、自尊心」が低い
・自分を大切に想っていない、自分を愛していない
  
全部、同じ事を言っています。
  
  
前回は、その中でも
「自分を愛していない」という表現をしたので、
    
今回もその表現を継続します。
  
  
「自分を愛していない」という事は、
  
・「幸せになりたい、快適に暮らしたい」とすら思わない
・「幸せになりたい、快適に暮らしたい」と思う事にすら、罪悪感が沸く
・「精神的」にも、「経済的」にも、向上心が湧かない
・「お金、時間、労力、チャンス」などの貴重な資源を、いくらでも無駄にする
・「精神ストレス」や「体内毒素」を溜めがち、病気になりがち
・子供をポジティブに育てることができない
  
  
という事で、
  
「不幸、病気、貧困、家庭内不和、時間的ゆとりの無さ」などの、
全ての元凶になっている訳です。
  
  
もちろん、人によってケース・バイ・ケースで、
  
「お金は持っているけど、病気になる」
「お金は持っているけど、ストレスが多い」
  
という人もいますけどね。
  
  
要するに、自分を愛している人ほど、
  
今以上の「さならなる幸せ、さらなる快適さ」を求め、
【 建設的な行動 】を積み上げていきます。
  
自分を愛している人ほど、他人も愛しているので、
【 奉仕精神、貢献意識 】が旺盛です。
  
  
私なんかは、自分を愛しまくっているので、
  
【 出来る限り、自分に「良い思い」をさせてあげたい 】と思うし、
その気持ちを、他人に対しても持っています。
  
  
自分を愛していない人は、そうはなりません。
  
  
自分を愛していない人は、 
  
【 自分の為にもならないし、他人の為にもならないし、
 「悲惨な結果・末路」を引き寄せてしまう… 】
  
という事については、
前回の記事と合わせて、お分かり頂けたかと思います。
  
  
では、次は
  
・どうやったら自分を愛せるのか?
・どうやったら自分に価値を感じられるのか?
  
という話です。 
  
  
無料でこの話が聞けるなんて、恵まれ過ぎてますよね(笑)
  
普通なら、何も知らないまま、
「不幸」か「病気」を引きずったまま死ぬところです。
  
  
【 私が、なぜ自分を愛しているのか? 】
   
それについて思いを巡らせてみると、
  
基本的な部分では、
  
・自分が幸せになる事で、他人も幸せになりやすい
・自分の経済力を高める事で、他人も経済力を高めやすくなる
・自分の欲を満たそうとするほど、他人の欲も満たせる  
  
つまり、
  
・自分のメリットが、他人のメリットにもなる
・自分の状態が良ければ良いほどに、他者への貢献力が高まる
  
という事を理解しています。
   
  
この理解には、【 視野の広さ 】が必要です。 
  
  
「幸せ」や「お金」などを、
「奪い合うモノだ」と思っている人も多いですが、
  
それは【 まったくの勘違い 】です。
  
  
もちろん、「奪って手に入れる」という方法もありますが、
別に、他人から奪わなくても、自分が欲しいモノは手に入ります。
  
多くの人は、その「概念」や「方法」をただ知らないだけです。
  
  
「他人から奪わなければ手に入らない」というのは、
  
【 真実ではない思い込み…、つまりネガティブ観念 】です。
   
  
「欲」については、下記の記事を読んで下さい。
  
・己の欲望を満たす為に生きる  
http://growheart.livedoor.biz/archives/52049340.html
  
  
  
ネガティブなアプローチを使わず、
ポジティブなアプローチだけを使うのであれば、
  
自分の状態が良くなることによって、他人への貢献になるわけで、
悪い事なんて何も無く、【 メリットしかない 】のです。
  
  
これが、一つ目の理由。
  
で、次に二つ目の理由ですが、
  
   
【「自分は誰かの孤独を埋めている」と理解している 】
  
ですね。
  
  
人間はみな孤独で、「人との繋がり」を求めています。
  
かといって、誰でも良い訳ではありません。
  
  
自分と、【「相性の良い人」との繋がり 】を求めているのです。
  
  
・会話で共感しあえる
・笑いのツボが似ている
・価値観が似ている
・理想の高さ、目指すべき目標が似ている
・長時間一緒に居ても、あまり疲れない
・マニアックな共通の話題や趣味がある
  
そういう人との「繋がり」を求めています。 
  
  
こればっかりは、【 個性の問題 】です。
  
  
・お金を持っているから良いとか、
・美人だから良いとか、
・能力が高いから良いとか、
  
そういう条件の話じゃありません。
  
  
「自分と相性の良い他人」は、誰にとっても貴重です。
  
そして、相性が良い他人って、実はあんまりいないんです。
人生の中で、それほど多くは現れません。
  
  
相性が良い他人は、
「特別なソウルメイト」と言っても良いでしょう。
  
自分も、誰かにとってのソウルメイトなのです。
  
  
自分の個性でしか、「ソウルメイトの孤独」は埋められないのです。
  
だから、優秀とか、無能とか、賢いとか、愚かとかに関わらず、
「自分固有の個性」が「ソウルメイトの孤独」を埋めるのだから、 
  
誰にとっても、「基本的な存在価値」はそこにあります。
  
  
ただ、自分がオープンハートにならないと、
「自分の本性を誰にも見せたくない」と思って隠してしまうので、
  
オープンハートじゃ無い人は、
特別なソウルメイトを引き寄せにくい状況になっています。
  
  
友達の数が多くても、深く付き合える人が少ない…、
恋人や結婚相手にも、自分の本性・個性をさらけ出せない…、
  
とか、【 他人の反応や評価を怖れる人 】は、
「相性の良い他人」と「良好な関係」を築く事は難しいです。
  
  
あと、【 無責任 】もダメですね。
  
無責任というのは、「自分の役割・責務を放棄」して、
「他人に負担を押しつける」という事です。
  
  
いくら家族やソウルメイトと言えど、
「無責任」というだけで、良好な関係は築けません。
  
たとえ家族(夫婦、親子)と言えど、
度が過ぎる無責任だったら、離婚や勘当、絶縁も有り得ます。
  
「責任を果たす・約束を守る」という事は、
【 全ての人間関係に共通する土台 】だからです。
  
  
  
で、次に三つ目。 
  
  
・「自分には善意がある」と感じる
・「自分は善行を積み重ねてきた」と誇りを持つ
  
  
これこそ、
  
【「自分への愛」を限り無く強めていく手段 】です。
  
  
やっぱり、卑怯で姑息な事をしている人は、
自分を愛することが出来ません。
   
自分にウソは付けませんからね。
  
  
「卑怯で姑息な事をしているけど、
 私は自分を深く愛しています!」って、
  
そう思える人はいません。
  
  
今まで、姑息な行為を積み重ねてきて、
これからも「悔い改める気が無い」と言う人は、
  
自分を愛することを諦めて下さい。 無理です。
  
  
そういう人は、【 苦しみから学ぶ道 】を選んでいます。
  
今世も来世も、苦しむ人生を送って、
  
遠い未来のいつかに、
「勇気・忍耐・善意・善行の大切さ」に気付いて下さい。
  
  
  
という事で、自分への愛を強めて行くには、
  
【 自分の思う「善意」を行動に移し、「善行」を積み重ねる 】
   
という習慣が必要です。
  
  
これを繰り返せば繰り返すほど、 
 
・「自信(自尊心、自己肯定感、自己重要感)」が身に付く
・自分の「存在価値、存在意義」を感じられる
・「自分への愛」が強まる
  
という事です。
  
  
ただ、現代社会の常識的な意味での善悪と、
  
私がここで言う「ポジティブ(善意・善行)の定義」は、
少し違います。
  
  
私の言うポジティブ(善意・善行)とは、
  
・他人の崩れたバランスを取ってあげる
・他人を不調和の状態から調和の状態に導く
・短期的では無く、長期的に良い事を選択する
  
という事です。
  
長くなるのでここでは詳しく書きませんが、
  
「巷の善悪とは、定義が違う可能性もある」という事に、
注意して下さい。
  
  
自分の思う「善い行い」をしようと思ったら、
勇気や覚悟が問われる場面もあるでしょう。
  
でも、そこで勇気を振り絞るから、
そんな自分に対する愛も強まっていくのです。
  
  
「自分を愛する」という事は、弱々しい事では無く、
  
むしろ、【 強くなっていく事で、実現できる 】のです。
  
  
別に大きい事をする必要は無くて、
まずは小さな事からでも、高く評価していく事です。
  
・自分の善意を高く評価する
・自分の過去の善行を高く評価する
  
そういう小さな事を認めれば認めるほど、 
  
次に、もっと大きな事が出来るようになります。
  
  
「スゴイ事をしなければ、認めちゃいけない!」
  
というのも、ネガティブ観念です。
  
  
小さな事から評価するから、勢いが強まるのです。 
  
多くの人は、赤ちゃんが少しずつ成長すると、
その度に、「すごいねー!えらいねー!賢いねー!」と、褒めませんか?
  
自分自身にも、そうしてあげる事です。
  
  
赤ちゃんが成長しても、
「成長遅いなー、大した事ないなー」とか言ってると、
  
その子に自信なんて身に付きませんよ。
  
  
子供の頃から、積極的に褒めてもらえればベストですが、 
大人になってから、他人に褒められても、大した効果はありません。
  
大人になってから他人に言われても、拒絶してしまうのです。 
  
もしくは、勘違いを起こして、
自分を評価してくれる他人に依存します。
  
  
だから、他人の評価には依存せず、
自分で「自分の善意・善行」を高く評価する。
  
  
そこからですね。


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2018年06月22日

「自分を愛する」という事

私はこれまで、「時間」や「チャンス」を無駄にする人を、
数多く見てきました。
  
そして、そういう人たちの思考回路を、
ずっと理解できませんでした。
  
  
「時間」や「チャンス」を最大限有益に活かせば、
【 素晴らしい生活や人生 】が手に入るのに、なぜそうしないのか?
  
ずっと不可思議でした。
  
  
私が思うあるべき姿は、【 チャンスは平等、結果は公平 】です。
  
チャンスを活かさずに、良い結果が得られないとしても、
それは完全に本人の自業自得です。
  
私は、チャンスを活かさない人が野垂れ死のうとも、
一切同情しません。
    
  
この世には、「やる気」も「才覚」も備わっているのに、
【 チャンスが無くて苦渋を舐めている人 】もいるのです。
  
  
現代の日本では考え辛いかもしれませんが、
  
歴史を振り返れば、
  
どんなに「やる気」や「才覚」を備えていても、
「生れた家柄・人種によって、既に決着が付いてしまっている…」
  
という状況もたくさんあったのです。
  
  
「どんなに優秀でも、家柄・人種によって活躍の場を与えられない…」
  
そんな人もいたのです。
  
  
それを世間では、【 差別 】と呼びます。
  
身分・家柄差別、部落差別、人種差別、男女差別、学歴差別…、
  
  
世間から「差別・偏見」が無くなれば無くなるほど、
  
チャンスは平等に与えられ、「公平な実力主義」に変化していきます。
  
  
そして、チャンスが平等に与えられている中で、
  
自分に結果が伴わないとしたら、完全に【 自分の実力不足 】です。
  
  
私は、個人的に
「歴史」というジャンルの学問は、あまり好きな方じゃ無いです。
  
でも、きちんと歴史から学ぶべき部分は学んでいます。
  
  
昔は、差別もあったし、飢饉で人が死ぬこともあった。
  
職業選択の自由、表現の自由、思想の自由も無かった。
  
  
昔に比べれば、
「非常に素晴らしい世界になった」と言えるでしょう。
  
  
昔の、「ないない尽くし」の状態から、
現代は、「あるある尽くし」の社会になったのです。
  
  
で、多くの人が、それに慣れきって平和ボケを起こし、
  
【「あるある尽くし」の有り難み 】を忘れてしまいました。
  
  
食べ物、便利な生活、人権、自由、時間、チャンス…、
  
貴重なモノたちを、貴重だと思えなくなってしまったのです。
  
  
特に、【 憲法 】で保障されている、
「言論の自由、思想の自由、表現の自由」は、素晴らしいモノです。
  
  
私がもし「中国」か「ロシア」の生まれだったら、
【 刑務所の中 】にいるかもしれませんからね(笑)
  
まぁ、そういう国に生まれたら生まれたで、
捕まらないように、目立たないようにやりますけど(笑)
  
  
堂々と政治家や権力者を批判できる社会というのは、
非常に健全で、素晴らしい事なのです。
  
  
それで、話は元に戻りますが、
  
私が「時間」や「チャンス」を無駄にしたくないのは、
「この一度きりの人生」に、思いっきり懸けているからです。
  
この自分の人生自体が、
【 一切無駄に出来ない、貴重すぎるチャンス 】だと捉えているのです。
  
  
・そんな風に捉えている私と、
・特に人生に懸けておらず、時間やチャンスを無駄にしまくる人と、
    
一体、何が違うのか?
  
  
その答えは、【 自分自身を愛しているか否か? 】にあります。
  
  
「自分を愛して下さい。」
  
宗教家や、自己啓発の講師・著者もそう言うかも知れませんが、
そのような軽々しく薄っぺらい綺麗事じゃ無くて、
  
この事は、【 非常にシリアスに、真剣に 】捉えて下さい。
  
  
「愛する」という言葉を別に言い換えるなら、
  
【 大切に想う 】という言葉が適当かと思います。
  
  
要するに、この社会では、
  
【 自分自身を大切に想っていない人が大多数 】なのです。
  
  
これは、極めて異常な事です。
  
  
自分自身を愛している人は、
呼吸するかのように自分を愛し、他人を愛します。
  
呼吸するかのように自然にやっている事だから、
【「自分を愛していない人」の「気持ち」や「感覚」】がわかりません。
  
  
「自分を愛する? 自分を大切に想う? 
 当たり前じゃん! 何をわざわざ当然のこと言ってんの?」
  
って感じです。
  
  
しかし、自分を愛していない人からすると、
  
「自分を愛する? 自分を大切に想う?
 何を言っているのかわからない… どういうことかわからない…」
  
という感じなのです。 
  
  
当然ながら、成功者には、
呼吸をするかのように自分を愛している人が多いです。
  
  
でも、多くの成功者は、
【「自分を愛さない人がたくさんいる」という事実 】にすら気付いていません。
  
だから、成功者が他人にアドバイスしても、
【 根本の部分で「深い溝」がある 】から、話が通じない事も多い訳です。 
  
  
「自分を愛する」という感覚は、
基本的に【 自分を育てる親 】から教わります。
  
  
ですが、「自分を愛していない親」に育てられた子供は、
【 自分を愛さない事の方が自然 】という感覚に育ちます。 
  
  
「核家族化」の加速や、「近所付き合い」が減っているご時世、
  
子供が「人生観」や「人間観」を学べる大人は親しかおらず、
  
その親がネガティブであれば、
子供も「親の思想」に、そっくりそのまま染まってしまいます。
  
  
もちろん、学校教育では、
【「自分を愛する事」を学ぶ授業 】などありません。
   
  
ですから、「自分を愛する感覚」を教わる機会が無く、
  
そのまま大人になっている人々で、社会は溢れかえっている訳です。
  
  
では、「自分を愛していない人」の思考回路は、
どういう風になっているでしょう?
  
  
一言で言えば、【 自分よりも、他人の方が大切 】です。
  
  
「自分よりも、他人の方が価値がある」という観念です。
  
  
まるで、インドの様な階級社会の中で、
奴隷に生まれついたかのような思想です。
  
  
日本の憲法や法律の中に階級は定められていませんが、
人間の思想の中に、階級が存在しているのです。
  
  
「自分よりも他人の方が価値がある」と思い込んでいると、
ことある毎に自分より他人を優先する事になりますし、
  
何よりも、
【「自分を大切にする」という「行為」や「気持ち」】に、
  
強い「罪悪感」を感じるようになってしまいます。
  
  
【 自分自身を大切に想おうとすると、罪悪感を感じる… 】
  
この思考回路が、どれほど異常な事かわかりますか?
  
  
アメリカ、ヨーロッパ、日本…、それぞれの近代的な憲法は、
  
「国民みんなが幸せになれる様に…」という理想を元に、
作られている訳です。
  
  
でも、国民自身が無意識レベルで、
「自分は幸せになってはいけない」と思い込んでいるのです。
  
  
つまり、憲法によって階級制度は廃止されても、
人間の無意識の中に、階級制度は残り続けているのです。
  
  
「自分は幸せになれない」と思い込んでいる人は、
心の奥底では【 他人の幸せを妬む 】ようになります。
  
つまり、他人の幸せの足を引っ張る様になるのです。
  
  
自分をうまく愛せない人は、他人もうまく愛せないのです。
   
  
「自分は幸せに相応しくない」と思い込んでいる人は、
  
どれだけ周囲からサポートやチャンスを与えられても、
「差し延べられた手」を掴もうとはしません。
  
そもそも、
【 無価値な自分が幸せになる事は、悪い事だ! 】と思っているからです。
  
  
真実は、自分の幸せを追求する事で、他人の役にも立てるのに…。
  
  
この「論理的に筋の通った事実、真実」を理解できず、
【 非論理的で歪んでいる、親から受け継いだ思い込み 】の方を、
  
盲目的に信じてしまうのです。
  
  
  
社会貢献に対して本気になれる人は、自分を愛している人です。
  
  
「義務感」や「見栄」が動機で社会貢献を
しようとしている人もいるでしょうが、
  
そういう人たちは、みな本気じゃありません。
  
  
人間が、自分自身に対しても、他人や社会に対しても、
  
【 建設的かつ生産的な行為 】を行おうとするのであれば、
  
まず、「自分を愛する」という項目をクリアしなければなりません。
  
  
自分を愛するからこそ、
「もっと幸せになりたい! もっと快適に暮らしたい!」  
  
という、向上心も湧いてくるのです。
  
  
おそらく、この日本社会においても、
   
【 自分を愛していない社長、経営者 】がたくさん存在しているでしょう。 
  
  
しかし、自分を愛していない社長、経営者は、
  
「お金」や「仕事の成果」によって、
自分の存在意義を埋めようとしているので、
  
【 自分と社員の幸せ 】に意識が向かうことはありません。
  
  
「幸せ」に意識が向かない限り、【 真の「働き方改革」】は不可能です。
  
  
  
私個人は、お金より幸せを重視しているから、
「時間にゆとりのある生活」をしているのです。
  
  
時間を犠牲にして、金儲けに走る事もできますが、
私は「お金」で自尊心を埋めようとしている訳では無いので、
  
そんな事をする必要が無いのです。
  
  
「自分を愛していない人」は、
自分の存在価値や存在意義を、外側の何かで埋めようとします。
  
お金、地位、名誉、学歴、他人の評価、友人の数、恋人…、  
  
  
しかし、いくら外側の何かを手に入れても、決して満たされる事はありません。
  
  
根本部分で、「自分には価値が無い」と思っているので、
  
【 自分の価値を失って、他人から見捨てられなくない! 】
  
という「不安」や「強迫観念」が、常に付きまとっているのです。
  
  
「外側の何か?」には高い価値があって、
「自分の内面には価値が無い」と思っているのです。
  
しかし、それは思いっきり勘違いですし、
「外側の何か?」を手に入れても、満たされないのです。
  
それに、「外側の何か?」は、
いつ失われるかもわかりませんから、常に不安が付きまとうのです。 
  
  
という事で、
  
【 自分を愛する 】というテーマをクリアしない限り、 
  
人間が抱える根本的な問題は、絶対に解決しないのです。
  
  
日本社会が抱える、【 家庭、経済、教育 】の問題も、
  
各々が「自分を愛する」というテーマをクリアしない限り、
絶対に解決しないのです。


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2018年06月21日

感性がなければ非論理

論理的思考というのは、カンタンに言うと、
「何と何がイコールで、何と何がイコールで無いのか?」
  
という事をハッキリさせていく事です。
  
そうやって、
【「事実」や「物事の因果関係」を解明し、説明する 】のが論理的思考です。
  
  
そういう意味で、「数学」に似ています。
  
数学の公式や定理も「○○=○○」という式になっているでしょ?
  
  
私はあまり「数字」には興味がありませんけど、
  
「数字」の代わりに、
【 単語の定義(概念)】を用いて考えているのです。
  
  
裁判所で容疑者が犯人かどうか?特定していくのにも、
「論理的なプロセス」が使われていますが、
  
「論理的」という事は、「客観的」という事です。
  
  
「理科」や「数学」は【 客観的な教科 】だからこそ、
世界中どこの国で学んでも、内容は同じです。
  
   
しかし、「歴史」や「宗教」になると「主観」が入ってきますから、
教える国によって内容が変わってきます。
  
  
で、私は「人間の心理」を物理学的に捉えて、研究してきました。
  
「人間の心理にも必ずメカニズムがあるはずだ!」と、そう考えたのです。
  
  
ところが、大学においては、
「経済学」や「心理学」は【 文系 】に区分される所が多い様です。
  
「どこが文系やねん!」と、全力でツッコミを入れたい。
  
  
しかも、「統計データ」を持って来ては、
  
「科学的なアプローチによる心理学!」とかのたまっているのです。
  
  
もうね、アホかと。
  
  
統計データの、どこが科学やねん!と。
  
  
科学って言うのは、「絶対の自然法則」を明らかにしてこそ科学。
  
  
・慣性の法則
・質量保存の法則
・フレミング左手の法則
  
そういう「あらゆる現象に通じる法則」を明らかにするのが科学なんだよ。
  
  
「統計」って傾向を知る為のモノでしょ?
「統計」って例外を許すでしょ?
   
その時点で、科学じゃねーーーーーーーーーよ!!!!
  
  
東大に入学する学生の親は、統計的に高収入が多いから、
「東大学生の親は高収入の法則」って言うのか?
  
言わねーよ。
  
  
高収入じゃない家庭の中から、
東大に入学する学生が一人でもいたら、それは法則とは呼ばない。
  
  
で、私は「科学や物理学の法則」と同等に、
  
【 人間心理に共通する法則 】をこれまで明らかにしてきた訳です。
  
  
で、ここ最近は「潜在意識」について語ってきましたが、 
  
  
潜在意識下には、本人がまったく自覚していない、
「盲点となっている思い込み」が存在しています。
  
それを、【 ネガティブ観念 】と呼びます。
  
  
「ネガティブ観念」を持っている状態とは、 
  
無意識レベルで、
【 真実では無い事を、真実だと思い込んでいる状態 】です。
  
  
このネガティブ観念というのは、非常に厄介で、
  
プロの私でも、
自分のネガティブ観念の存在に気付くのは難しかったりしました。
  
  
まぁ、現在の私は、
全てのネガティブ観念を根こそぎゼロにしましたけどね。  
   
  
【 真実では無い事を、真実だと思い込んでいる状態 】
  
の具体例を出すと、
  
例えば、「お金(豊かさ)は限られていて、奪い合うものだ!」
  
というネガティブ観念があります。
  
  
「世の中のお金(豊かさ)は限られている」と思い込んでいると、
  
他人からお金を受け取る事に罪悪感を持ったり、
他人にお金を支払うときに被害者意識を持ったりします。
  
  
しかし、実際はそうではありません。
  
  
多くの人間が、自身の仕事によって、
ゼロから価値を生み出しています。
    
人間は、いくらでも無から有を生み出せる存在です。
  
  
豊かさが限られているなら、
なぜみんな、江戸時代より快適な暮らしをしているのですか?
  
  
実際には、
  
みんなが、ゼロから価値を生み出したことによって、
「社会全体の富」が増えているわけです。
  
  
なので、「お金(豊かさ)が限られている」というのは、
まったく、真実ではありません。
  
  
他人にお金を支払うときには、
多くの場合、それ以上の価値を受け取っている訳です。 
  
自分は得をしているのに、「お金を奪われた」と感じるのは、
【 まったくのお門違い 】なのです。
  
  
昔と比べ、毎月の給料はあまり変わっていないかも知れませんが、
  
便利な製品が世の中にたくさん出てきて、それを購入する事で、
人々の生活は、昔に比べて格段に良くなっているのです。
  
  
なので、お買い物をしたときに、
お金を奪われていると感じるのは、非常に非論理的なのです。
  
  
と、こんな風に、
  
人々は無意識的に「真実で無い思い込み」をたくさん抱えています。
  
  
もうひとつお金で言うと、
多くの経済学者が、「富裕層に多くの税を課せ!」と言います。
  
それも、まったく「的外れ」だなと思うんですが、
  
本当に経済をわかっているのは、
経済学者よりも、商売をしている経営者ですよ。
  
  
経済学者は、大学から給料をもらっているでしょ?
  
【 お金を稼ぐ方法 】なんて、まったく知らないのです。 
   
   
自分がお金を稼ぐ方法を知らないのに、
人々が経済力を身に付ける方法なんて思い付きません。 
 
だから、「既にたくさん持ってるヤツから取れば良い!」
  
みたいな、【 短絡的な発想 】しか出来ないのです。
  
  
「自ら価値を生み出して、それを売って金を稼ぐ…」
  
そのプロセスを経験していない人間が、
経済の何を知っていると言うのでしょう?
  
  
まぁ、そんな風に、
  
人々が抱える「無意識レベルかつ無自覚」の、
【 真実では無い思い込み 】は、多岐にわたります。
  
  
そして、「真実ではない」という事は、
  
【 まったく論理的では無い 】と言う事です。
   
   
人間が潜在意識下に抱える、
「無意識レベルかつ無自覚の、真実では無い思い込み」
  
これは、全てが論理的では無い、非論理的な思い込みです。
  
  
この非論理的な思い込みに気付き、
「自分の信じてきたことは真実ではない」と理解するには、
  
【 自分の潜在意識の要望を感じる事 】と、
【 心理のワークに取り組む事 】が、必要不可欠です。
  
  
それをせずして、
自らの「非論理的な思い込み」に気付く事はできません。
  
  
つまり、
  
・自分の潜在意識の要望を感じていない、
・自分の心理や内面に取り組んでいない…、
   
その時点で、もう非論理的な考えに染まってしまっているのです。
  
  
科学がここまで発展してきたのは、
  
「視覚化できる科学的現象」については、
非論理であれば、すぐに発見され、修正されるからです。
  
  
ところが、人間の内面となると、視覚化できません。
  
  
視覚化できませんから、
自分の考えに矛盾を抱えていても、なかなか気付けないのです。
  
  
という事で、、
視覚化できる「数学、科学、物理学」などは良いのですが、
  
心理学、経済学については、
【 視覚化できない人間の内面 】が絡んでいて、
  
しかも、なかなか自覚できない
【 真実でない思い込み 】も、人それぞれ抱えているので、
  
なかなか真実を解明できず、発展もしない訳です。
  
  
という事で、心理学や経済学においては、
  
・視覚化できない人間の内面の動きを観察できる「感性」と、
  
・真実では無い思い込みに気付いたり、
 客観的なメカニズムを解明できる「論理的思考力」と、
  
その両方が求められる訳です。
  
  
もっと簡潔に言うと、
  
・「感情」や「欲求」をモニターできる【 感性 】
・真実で無い思い込み、メカニズムを明らかにできる【 論理的思考 】
  
です。
  
  
感性に乏しいのに、論理的思考だけ働かせようとしても、
  
潜在意識下の【 真実では無い思い込み 】には気付けません。
  
  
真実では無い思い込みを、真実だと信じたまま、
  
それをベースに思考を巡らし、的外れな方向に進んでしまうのです。 
  
  
なので、心理や経済について語るとき、
  
「感性」と「論理的思考力」と、
その両方を兼ね備えていない人は、
    
【 全員が、真実では無い事を真実だと信じたまま、
 「非論理的」かつ「的外れ」な事を語っている 】
  
という訳です。


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