2018年04月
2018年04月10日
「やる気」の次に大切な事
前回の苦痛の話は、とどのつまり、
「やる気・モチベーションを高める為」の話です。
・人生で失敗したら、こんな破滅と地獄を味わう事になるんだ!
・破滅と地獄って、こんなに苦しくて辛い事なんだ!
それをリアルに感じて、理解できれば、
【 成長に対する「やる気」と「モチベーション」が高まる 】
という事です。
結局、「人間は苦しみたくない!」っていう動機が、
一番強いですからね。
「金持ちになりたい!」って気持ちと、
「拷問を受けたくない!」って気持ちだったら、
拷問を受けたくない!って気持ちの方が、絶対に強いです。
「金持ちになれるなら、拷問を受けます!」って人は、
まず居ないでしょう(笑)
絶対に誰しも、「成功願望」より
【「苦痛を避けたい動機」の方が、強い 】です。
だからこそ、まずは、
もし自分が人生で失敗したら、
【どれほどの苦痛を味わう事になるのか? 】
という事を、正しく理解する必要があるのです。
だからこそ、
本当に苦痛を避けたければこそ、
【 苦痛について正しく知る必要がある 】のです。
本当に、【 人生における地獄と破滅の苦しみ 】がわかれば、
それを「どうしても避けたい!」という気持ちが沸いて自然です。
で、「やる気」と「モチベーション」が湧いてきたら、
次は、「何をしていけば良いですか?」って話になります。
【 最優先で何に取り組んで行けば、
地獄と破滅を回避できるんですか? 】
って話です。
その答えが、【 視野を広げる事 】なのです。
「視野を広げる事」が、
【 地獄と破滅を避けていく上で、最優先となる活動 】です。
「視野が広がる」という事には、
・「判断力」が高まる
・重要な事と無駄な事の「区別」が付く
・望む結果を出すための「道筋」が見える
こういう効果があります。
人間が、「自分の望む結果」を出そうとすると、
何らかの「活動」や「努力」を行うと思います。
しかし、この世には、
【 無駄な活動、無駄な努力 】というモノが存在します。
どれだけたくさん活動しても、努力しても、
それが「結果に結びつかない無駄な作業」であれば、
【 自分の望む結果 】を出すことは出来ません。
例えば、私のライフスタイルを例にしましょう。
私は、世界最先端の研究や発明をしていながら、
家族との時間を大切にできるくらいの「ゆとり」があります。
睡眠時間もたっぷりで、毎日、寝たいだけ寝ています。
それに、最近は絵の仕事が落ち着いてきたので、
自宅でよくゲームをやってます。
「プレイステーション4」や「ニンテンドースイッチ」なんかで(笑)
あんまり、そういう人っていないと思います。
「世界最高レベルの仕事に携わっている人」のほとんどは、
毎日忙しく活動しているでしょう。
でも、私は時間的に余裕がある。 何故でしょう?
それは、一言で言うと、
【「無駄な活動・費用対効果の低い活動」を一切していないから… 】
です。
私が成功を目指し始めた時、
私は「斎藤一人さん」に衝撃を受けました。
社長が旅行に行っているのに、
社員がバリバリ働いて、お金も儲かっている。
ここまで「時間」と「お金」と「人間関係」
を両立している人は、いないだろうなと。
じゃあ、何でそのようなことが可能なのか?
私なりに分析してみると、
「徹底的に無駄を省いて、
見栄の為なんかに、一切お金を使わない」
「自分は頭脳労働に特化して、
ルーチンワークは他人にやってもらう」
「確固たるブランド(信頼)があり、ファンがいる」
そういう所だな…と。
じゃあ、どうすれば無駄を省けるのか?
って事を、私は考え始めました。
ひとつは、
【 結果に繋がらない活動には手を出さない 】
【 その活動が望む結果に繋がるかどうか、慎重に見定める 】
という事です。
で、結果を出すために、
【「無駄な事」と「重要な事」を見極める 】には、
それだけの「視野の広さ」が必要となるのです。
逆に言うと、
「視野が狭い」って事はその分だけ、
【「無駄な努力・無駄な活動」している可能性と割合 】
が増えていきます。
例えば、「受験生」や「就活生」の方が、
私なんかよりも、よっぽどたくさん「活動」して、
「努力」もしていると思います。
じゃあ、受験生や就活生は、
私よりも多く「努力」しているから、
私より「優れた結果」を生み出せるでしょうか?
そんな事は無いですよね?
【 自分が「情熱を持てる仕事」に就いて、
その仕事で「経済力」を身に付ける… 】
それを目的とするならば、
受験勉強も、就職活動も、【 完全に無駄な努力 】です。
「公務員」や「大企業のサラリーマン」になりたいなら、
「受験」と「就活」を頑張って頂きたいですけどね。
それが必要でしょうから。
でも、「受験と就活における努力・活動」というのは、
【 ライフワークの自営業 】を目指す上では、
一切の関係も必要もありません。
自分のやっている努力が、
「自分の望む結果」に結びつかないとすれば、
それは【 完全に無駄な努力 】です。
つまり、「頑張る事」の前に、「賢いこと」の方が大事なのです。
【 賢くないままにどれだけ頑張っても、望む結果は出ない 】のです。
これも、現実のシビアさです。
「石の上にも三年、とにかく続けなさい」と言って、
無駄な努力を続けても、何の成果も生まれません。
努力を始める前に、
「それが有益な努力・活動か? 無駄な努力・活動か?」
それを見定める【 知性・視野の広さ 】の方が、
「圧倒的に重要」なのです。
以前にも書きましたが、ゲームで勝つ事と同じです。
【 ルールを理解する前に、ゲームをプレイするな 】という事です。
麻雀のルールを覚える前に、
賭け麻雀をやっても、負けてお金を失うに決まってます。
【 負けるとわかっているゲームをプレイするな 】という事です。
【 有益か無駄かも「判別が付かない活動」には、手を出すな 】
という事です。
【「無駄に負ける」と決まっている 】のだから。
人生を生きるほとんどの人が、
「人生がどういうゲームか? どういうルールか?」
それがわからないままに、
人生ゲームをプレイしているのです。
だから、
「どれだけ努力しても結果が伴わない人」が多いのです。
「自分がどう生きていけば良いのか?」
それが分からずに、混乱している人が多いのです。
私は、
負けるゲームはしたくないし、
勝てるゲームしかしたくありません。
だから、本当に勝ちたければ、
まず最初にルールを完全に把握するのです。
もし、本当に、
人生における「地獄と破滅の苦しみ」を避けたいなら、
【「人生のルール(概要)」を把握する必要 】があります。
「視野が狭い、概要やルールを理解していない」
それだけで、もう「無駄な活動、無駄な努力」をしています。
で、私は視野を広げるための、視点を増やすための記事を書いています。
ただ、私の記事を流し読みしても、
理解した事にはならないし、視野は広がっていません。
「視野が広がる、理解する」って事は、言い換えるなら、
【 頭の中のモヤモヤが晴れて、スッキリした感覚になる 】
って事です。
私の記事を読み終わって、
・頭の中がモヤモヤしている
・何かが引っかかっている
それは、まだ理解できていないって事です。
私は、頭の中の「モヤモヤ」や「引っかかり」が大嫌いです。
だから、それを消すために、何事も完全に理解しようとします。
頭の中のモヤモヤが晴れて、スッキリした分だけ、
視野は広がっているのです。
「判断力」は高まっているのです。
無駄な努力と、有益な努力が
見定められる様になっているのです。
「頭の中のモヤモヤを解決せずに放置している」という事は、
何も理解できていない、視野は広がっていない、
それは、これからも
【 人生で無駄な努力、無駄な活動を続ける 】という事です。
当然、自分の望む結果は出ないし、望まない結果が出るでしょう。
【 頭のモヤモヤを晴らした分だけ、人間は成長する 】のです。
「頭の中のモヤモヤが晴れたこと」を、【 理解できた 】というのです。
頭の中のモヤモヤが晴れて、理解ができたら、
【 もう、無駄な努力をしなくて済む 】という事です。
理解が、無駄な努力を減らすのです。
理解が、モチベーションを高めるのです。
理解が、結果を出すまでの道筋を示すのです。
そして、理解とは、
【 頭の中のモヤモヤを晴らし、スッキリさせる事 】です。
それが、成長です。
私のメッセージが理解できたら、
・モチベーションは上がるし、
・無駄な努力は減るし、
・結果を出すまでの道筋も見えてくるし、
理解しただけで、自己実現に向かえるのです。
逆に言うと、理解できていないのに、
何をやっても「無駄な努力、無駄な活動」です。
理解が、全てを解決するのです。
理解が、成長なのです。
理解とは、
「モヤモヤを晴らすこと、視野を広げる事」とイコールです。
理解とは、【 頭の中の「矛盾」や「疑問」を解決する事 】です。
理解が深まらなければ、何も成長していないのです。
じゃあ、今までどれだけの量の情報を得てきて、
それを、どれだけ理解してきたのでしょう?
それが、「自分がどれだけ成長できたか?」を示すのです。
「理解」を重視しない人、
「理解」にフォーカスを当てていない人は、
どれだけ大量の情報を得ても、
中身はまったく成長していないのです。
延々と、
「結果に繋がらない無駄な努力、無駄な活動」を続けるだけです。
貴重な「時間」と「お金」と「労力(エネルギー)」を、
無駄な事に垂れ流し続けるだけです。
「やる気・モチベーションを高める為」の話です。
・人生で失敗したら、こんな破滅と地獄を味わう事になるんだ!
・破滅と地獄って、こんなに苦しくて辛い事なんだ!
それをリアルに感じて、理解できれば、
【 成長に対する「やる気」と「モチベーション」が高まる 】
という事です。
結局、「人間は苦しみたくない!」っていう動機が、
一番強いですからね。
「金持ちになりたい!」って気持ちと、
「拷問を受けたくない!」って気持ちだったら、
拷問を受けたくない!って気持ちの方が、絶対に強いです。
「金持ちになれるなら、拷問を受けます!」って人は、
まず居ないでしょう(笑)
絶対に誰しも、「成功願望」より
【「苦痛を避けたい動機」の方が、強い 】です。
だからこそ、まずは、
もし自分が人生で失敗したら、
【どれほどの苦痛を味わう事になるのか? 】
という事を、正しく理解する必要があるのです。
だからこそ、
本当に苦痛を避けたければこそ、
【 苦痛について正しく知る必要がある 】のです。
本当に、【 人生における地獄と破滅の苦しみ 】がわかれば、
それを「どうしても避けたい!」という気持ちが沸いて自然です。
で、「やる気」と「モチベーション」が湧いてきたら、
次は、「何をしていけば良いですか?」って話になります。
【 最優先で何に取り組んで行けば、
地獄と破滅を回避できるんですか? 】
って話です。
その答えが、【 視野を広げる事 】なのです。
「視野を広げる事」が、
【 地獄と破滅を避けていく上で、最優先となる活動 】です。
「視野が広がる」という事には、
・「判断力」が高まる
・重要な事と無駄な事の「区別」が付く
・望む結果を出すための「道筋」が見える
こういう効果があります。
人間が、「自分の望む結果」を出そうとすると、
何らかの「活動」や「努力」を行うと思います。
しかし、この世には、
【 無駄な活動、無駄な努力 】というモノが存在します。
どれだけたくさん活動しても、努力しても、
それが「結果に結びつかない無駄な作業」であれば、
【 自分の望む結果 】を出すことは出来ません。
例えば、私のライフスタイルを例にしましょう。
私は、世界最先端の研究や発明をしていながら、
家族との時間を大切にできるくらいの「ゆとり」があります。
睡眠時間もたっぷりで、毎日、寝たいだけ寝ています。
それに、最近は絵の仕事が落ち着いてきたので、
自宅でよくゲームをやってます。
「プレイステーション4」や「ニンテンドースイッチ」なんかで(笑)
あんまり、そういう人っていないと思います。
「世界最高レベルの仕事に携わっている人」のほとんどは、
毎日忙しく活動しているでしょう。
でも、私は時間的に余裕がある。 何故でしょう?
それは、一言で言うと、
【「無駄な活動・費用対効果の低い活動」を一切していないから… 】
です。
私が成功を目指し始めた時、
私は「斎藤一人さん」に衝撃を受けました。
社長が旅行に行っているのに、
社員がバリバリ働いて、お金も儲かっている。
ここまで「時間」と「お金」と「人間関係」
を両立している人は、いないだろうなと。
じゃあ、何でそのようなことが可能なのか?
私なりに分析してみると、
「徹底的に無駄を省いて、
見栄の為なんかに、一切お金を使わない」
「自分は頭脳労働に特化して、
ルーチンワークは他人にやってもらう」
「確固たるブランド(信頼)があり、ファンがいる」
そういう所だな…と。
じゃあ、どうすれば無駄を省けるのか?
って事を、私は考え始めました。
ひとつは、
【 結果に繋がらない活動には手を出さない 】
【 その活動が望む結果に繋がるかどうか、慎重に見定める 】
という事です。
で、結果を出すために、
【「無駄な事」と「重要な事」を見極める 】には、
それだけの「視野の広さ」が必要となるのです。
逆に言うと、
「視野が狭い」って事はその分だけ、
【「無駄な努力・無駄な活動」している可能性と割合 】
が増えていきます。
例えば、「受験生」や「就活生」の方が、
私なんかよりも、よっぽどたくさん「活動」して、
「努力」もしていると思います。
じゃあ、受験生や就活生は、
私よりも多く「努力」しているから、
私より「優れた結果」を生み出せるでしょうか?
そんな事は無いですよね?
【 自分が「情熱を持てる仕事」に就いて、
その仕事で「経済力」を身に付ける… 】
それを目的とするならば、
受験勉強も、就職活動も、【 完全に無駄な努力 】です。
「公務員」や「大企業のサラリーマン」になりたいなら、
「受験」と「就活」を頑張って頂きたいですけどね。
それが必要でしょうから。
でも、「受験と就活における努力・活動」というのは、
【 ライフワークの自営業 】を目指す上では、
一切の関係も必要もありません。
自分のやっている努力が、
「自分の望む結果」に結びつかないとすれば、
それは【 完全に無駄な努力 】です。
つまり、「頑張る事」の前に、「賢いこと」の方が大事なのです。
【 賢くないままにどれだけ頑張っても、望む結果は出ない 】のです。
これも、現実のシビアさです。
「石の上にも三年、とにかく続けなさい」と言って、
無駄な努力を続けても、何の成果も生まれません。
努力を始める前に、
「それが有益な努力・活動か? 無駄な努力・活動か?」
それを見定める【 知性・視野の広さ 】の方が、
「圧倒的に重要」なのです。
以前にも書きましたが、ゲームで勝つ事と同じです。
【 ルールを理解する前に、ゲームをプレイするな 】という事です。
麻雀のルールを覚える前に、
賭け麻雀をやっても、負けてお金を失うに決まってます。
【 負けるとわかっているゲームをプレイするな 】という事です。
【 有益か無駄かも「判別が付かない活動」には、手を出すな 】
という事です。
【「無駄に負ける」と決まっている 】のだから。
人生を生きるほとんどの人が、
「人生がどういうゲームか? どういうルールか?」
それがわからないままに、
人生ゲームをプレイしているのです。
だから、
「どれだけ努力しても結果が伴わない人」が多いのです。
「自分がどう生きていけば良いのか?」
それが分からずに、混乱している人が多いのです。
私は、
負けるゲームはしたくないし、
勝てるゲームしかしたくありません。
だから、本当に勝ちたければ、
まず最初にルールを完全に把握するのです。
もし、本当に、
人生における「地獄と破滅の苦しみ」を避けたいなら、
【「人生のルール(概要)」を把握する必要 】があります。
「視野が狭い、概要やルールを理解していない」
それだけで、もう「無駄な活動、無駄な努力」をしています。
で、私は視野を広げるための、視点を増やすための記事を書いています。
ただ、私の記事を流し読みしても、
理解した事にはならないし、視野は広がっていません。
「視野が広がる、理解する」って事は、言い換えるなら、
【 頭の中のモヤモヤが晴れて、スッキリした感覚になる 】
って事です。
私の記事を読み終わって、
・頭の中がモヤモヤしている
・何かが引っかかっている
それは、まだ理解できていないって事です。
私は、頭の中の「モヤモヤ」や「引っかかり」が大嫌いです。
だから、それを消すために、何事も完全に理解しようとします。
頭の中のモヤモヤが晴れて、スッキリした分だけ、
視野は広がっているのです。
「判断力」は高まっているのです。
無駄な努力と、有益な努力が
見定められる様になっているのです。
「頭の中のモヤモヤを解決せずに放置している」という事は、
何も理解できていない、視野は広がっていない、
それは、これからも
【 人生で無駄な努力、無駄な活動を続ける 】という事です。
当然、自分の望む結果は出ないし、望まない結果が出るでしょう。
【 頭のモヤモヤを晴らした分だけ、人間は成長する 】のです。
「頭の中のモヤモヤが晴れたこと」を、【 理解できた 】というのです。
頭の中のモヤモヤが晴れて、理解ができたら、
【 もう、無駄な努力をしなくて済む 】という事です。
理解が、無駄な努力を減らすのです。
理解が、モチベーションを高めるのです。
理解が、結果を出すまでの道筋を示すのです。
そして、理解とは、
【 頭の中のモヤモヤを晴らし、スッキリさせる事 】です。
それが、成長です。
私のメッセージが理解できたら、
・モチベーションは上がるし、
・無駄な努力は減るし、
・結果を出すまでの道筋も見えてくるし、
理解しただけで、自己実現に向かえるのです。
逆に言うと、理解できていないのに、
何をやっても「無駄な努力、無駄な活動」です。
理解が、全てを解決するのです。
理解が、成長なのです。
理解とは、
「モヤモヤを晴らすこと、視野を広げる事」とイコールです。
理解とは、【 頭の中の「矛盾」や「疑問」を解決する事 】です。
理解が深まらなければ、何も成長していないのです。
じゃあ、今までどれだけの量の情報を得てきて、
それを、どれだけ理解してきたのでしょう?
それが、「自分がどれだけ成長できたか?」を示すのです。
「理解」を重視しない人、
「理解」にフォーカスを当てていない人は、
どれだけ大量の情報を得ても、
中身はまったく成長していないのです。
延々と、
「結果に繋がらない無駄な努力、無駄な活動」を続けるだけです。
貴重な「時間」と「お金」と「労力(エネルギー)」を、
無駄な事に垂れ流し続けるだけです。
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2018年04月09日
危機管理の重要性
最近、人と話していて、
日々、心理研究が高速で進んでいます。
一時期、絵に関する事ばかりやっていましたが、
今は完全に「心理のターン」ですね。
で、現在の研究テーマは2点、
・精神的苦痛をイメージして、リアルに感じる
・視野を広げる(視点の数を増やす)ことの重要性
ですね。
では、苦痛に関して分かったことを解説していきますが、
例えば、「飲酒運転をしない人」は、なぜしないと思いますか?
飲酒運転で、もし事故って他人を轢き殺してしまったら、
「人生が破滅するくらいの大きなリスク」があるからですよね?
警察に逮捕されて、被害者遺族から恨まれ、
裁判になって、損害賠償を請求され、仕事も失って…、
とにかく、最悪です。
「ちょっとした気の緩み」で、
そういう【 地獄に堕ちるリスク 】があるから、
多くの人は、飲酒運転をしないのです。
飲酒運転の加害者になれば、人生が破滅する…、
そういう現実を、テレビのニュースなどで学んだからです。
では、次の話に移ります。
夏になれば、人々は水遊びをしますが、
毎年、水難事故で何人か亡くなっています。
私が幼少の頃を思い出すと
父親とプールや海、川などに行ったとき、
・水面が胸あたりまでの所(水深)で遊びなさい!
・足の付かない所には絶対に行くな!
と、言われていました。
それも、水難事故で死ぬ人が毎年いるので、
危機意識の高い父親の、危機管理だった訳です。
飲酒運転、水難事故…、
多くの人は、気を付けていると思います。
・自分は絶対に運転で事故らない!
・絶対に自分は溺れない!
そう言い張れる人はいないでしょう?
では、【 精神的苦痛による自殺 】の話に移ります。
飲酒運転や水難事故は、
「自分に関係ある話だ!」と思っているのに、
多くの人は、
【 精神的苦痛による自殺は、自分に関係が無い 】と思っています。
いくら、「自殺に関するニュース」を見たところで、
【 精神的苦痛によって自殺する人が、数多く存在する 】
という事実すら、
「認識したくない、目を背けたい」と思っているかもしれません。
ほとんどの人は、
死について考えたく無いほどに、
「自分が死ぬ事」を極度に怖れています。
でも、精神苦を理由に自殺する人は、
その「死の恐怖」を振り切るくらいの、
【 激しい精神的苦痛 】を感じている訳です。
じゃあ、自殺したくなる人って、
どういう境遇の人でしょう?
私は、中学生の頃に自殺願望を持っていたので、
よくわかりますよ。
一言で言うと、
【 どんなに苦しくても、辛くても、
「自分の悩みを聞いて、その苦しみに共感してくれる人」がいない 】
そういう時です。
たった一人でも、
【 苦しいよね、辛いよね、よくわかるよ 】
っていう、「自分の苦しみの共感者・理解者」がいれば、
【 相当なガス抜き 】が出来るので、
苦痛が限界に達することはありませんし、
「自分の事を理解してくれる人がいるなら…」と、
【 人生自体にも、希望を持つこと 】が出来ます。
孤独感も、相当軽減されるでしょう。
ですから、
【 自分の抱える苦しみに対する「共感者・理解者」がゼロ 】
そういう時に、人は絶望して死にたくなります。
たった一人でも、
「苦しみの共感者・理解者・相談相手」がいれば、全然違います。
じゃあ、自分が精神的に苦しくなっても、辛くなっても、
【 共感者・理解者が得にくい人 】ってどういう人でしょう?
1.本人が特殊な感性を持っているか、特殊な境遇の中にいて、
「大半の人が共感しにくい状況」に置かれている人
2.「本音」を全く語らずに、「建前」で生きていて、
「心を開いて打ち解けられる家族・友人」が全くいない人
だいたい、この【 2タイプのどちらか 】です。
私の場合は、
子供の頃から割と本音で生きていましたから、
「1の方」ですね。
私の感性は特殊で、悩みも特殊だったので、
家族に話しても、共感・理解してくれない。
例えば、セクシャルマイノリティの人たちなんかも
同じでしょうね。
理解者・共感者が得にくい。
で、1か2に当てはまる人というのは、
状況次第で【 自殺願望を持つ可能性は、かなり高い 】です。
つまり、共感者・理解者が得られず、
「死の恐怖」を軽く振り切るくらいの、飛び越えるくらいの、
【「死ぬより辛い精神的苦痛」を味わう可能性が高い 】
ということです。
状況次第では、そうなる可能性が高いのです。
どうです?
ある人が「自殺願望を持つかどうか?」は、
生まれつきの遺伝的欠陥でも何でもありません。
タイプ1、2の、「どちらかに当てはまる人」は多いし、
他人事じゃなさそうでしょ?
「理由1」に当てはまる人には、
変えられないこともあるでしょう。
生まれつき「大半の人と違う感性や個性」を持っているなら、
それを後天的に変えることはできません。
でも、「理由2」に当てはまる人は、変えることができます。
【 コミュニケーションの領域 】ですからね。
理由2を潰していくには、
他人に対して心を開き、本音を語り、
【「信頼関係を築ける人」を、増やしていくこと 】です。
誰かたった一人でも、他人と信頼関係を築けていたら、
死にたくなるほどの精神的苦痛にはなりません。
【 誰一人として、周囲に共感者・理解者・相談者がいない 】
そういう時に、精神的苦痛が限界に達し、死にたくなる訳ですから。
タイプ1、2の両方に当てはまっちゃう人もいるでしょうが、
両方当てはまる人は、
自殺願望を抱く可能性は、片方だけよりもさらに上がります。
特殊な個性を持っていたり、
特殊な境遇に置かれているのに、
本音を語って他人と付き合っていない
そういう人もいるでしょう。
「はこぶね倶楽部」には、
そういうタイプの人が多く集まってきているのかもしれませんが(笑)
まず、
人生では、
【 死ぬより辛い精神的苦痛に遭遇する可能性がある 】
その事実を、正確に認識する必要があります。
それは、
飲酒運転のリスクや、水難事故のリスクと全く同じです。
危険性を感じるから、人は慎重になるのです。
危険性を感じていない人は、慎重になれません。
私から見れば、
「自分は自殺願望なんか持つはずがない!」
と思い込んでいる人は、
酒を飲んで、ベロベロに酔っ払って、
さらにヘルメットを付けずに、
大型バイクを運転している人の様に見えます。
「いつか、他人を殺すか、自分が死ぬぞ…、」と。
死にたくなるほどの精神的苦痛を味わう事が…、
自殺願望を持つことが…、
「特殊なこと」だと思い込んでいる人は多いでしょうが、
まったくそんな事はありません。
1.本人が特殊な感性を持っているか、特殊な境遇の中にいて、
「大半の人が共感しにくい状況」に置かれている人
2.「本音」を全く語らずに、「建前」で生きていて、
「心を開いて打ち解けられる家族・友人」が全くいない人
どちらかに当てはまる人は、状況次第で、
「死にたくなるほどの精神的苦痛」を味わい、
「自殺願望」を持つ可能性は高いです。
自動車やバイクを運転している人で、
実際に他人を殺したり、自分が事故死する人は少ないでしょう。
でも、数は少なくても確実に存在しています。
「自分はそうならない!」と言い切れる人はいないでしょう?
だからこそ慎重になるし、
慎重になるからリスク(危険性)を減らせるのです。
「自分は自殺願望を持つはずがない!」
そう思い込んでいる人は、
余裕で「飲酒運転する人と同じ」です。
飲酒運転する人は、
【 自分が事故を起こすはずが無い! 】
と思い込んでいるのです。
そうやって過信しているから、
「人生破滅の危険性がある、飲酒運転」が出来るのです。
飲酒運転にしろ、水難事故にしろ、
【 ちょっとした気の緩み 】で、人は死にます。
それが、現実です。
だからこそ、人は危機感を持ち、「気の緩み」を戒めるのです。
「人生全体」や「精神的苦痛」に対して
気が緩んでいる人は、その「気の緩み」によって、
自殺願望を持つくらいの、
【 死にたくなるほどの精神的苦痛を味わうリスク(危険性) 】を、
背負う事になるのです。
で、
「人生で失敗したら、そんな目に遭うんだ!」
って事が、本当に理解できたら、
そんな最悪な事態を回避する為に、モチベーションが高まります。
人生に対するモチベーションが低いのは、
危機意識が低いからです。
危機感が薄いからです。
一度、お金持ちになっても、
失敗して全財産を失う人は居るのです。
人生には、
【「地獄」と「トラップ(罠)」】が、そこかしこに用意されています。
私は、他人の人生を観察して、
それを理解しているから、非常に慎重です。
【 人生における「地獄」と「罠」の多さ 】を理解したら、
誰もが、自分の人生に対して、
もっとモチベーションが上がると思いますよ。
だからこそ、
【「他人の苦痛」から学ぶ事 】に、
「非常に大きな意義と価値」があるのです。
飲酒運転や水難事故のニュースを見て、
危険性を理解するから、人は慎重になるのです。
でも、自殺のニュースを見ても、それは他人事なのです。
そこが、人々の【 認識違い 】です。
タイプ1、2。 どちらかに当てはまる人は、
自分の選択と行動次第で、
【 自殺したくなる様な状況と精神状態 】になりますよ。
そういうシビアな事実を理解してこそ、
真に、「成長と成功に対するモチベーション」が高まるのです。
まず、【 死ぬより苦しく辛い精神的苦痛 】って、
「どれくらい苦しくて辛いのだろうか?」
それを、【 出来る限り正確に、リアルに感じる事 】です。
日々、心理研究が高速で進んでいます。
一時期、絵に関する事ばかりやっていましたが、
今は完全に「心理のターン」ですね。
で、現在の研究テーマは2点、
・精神的苦痛をイメージして、リアルに感じる
・視野を広げる(視点の数を増やす)ことの重要性
ですね。
では、苦痛に関して分かったことを解説していきますが、
例えば、「飲酒運転をしない人」は、なぜしないと思いますか?
飲酒運転で、もし事故って他人を轢き殺してしまったら、
「人生が破滅するくらいの大きなリスク」があるからですよね?
警察に逮捕されて、被害者遺族から恨まれ、
裁判になって、損害賠償を請求され、仕事も失って…、
とにかく、最悪です。
「ちょっとした気の緩み」で、
そういう【 地獄に堕ちるリスク 】があるから、
多くの人は、飲酒運転をしないのです。
飲酒運転の加害者になれば、人生が破滅する…、
そういう現実を、テレビのニュースなどで学んだからです。
では、次の話に移ります。
夏になれば、人々は水遊びをしますが、
毎年、水難事故で何人か亡くなっています。
私が幼少の頃を思い出すと
父親とプールや海、川などに行ったとき、
・水面が胸あたりまでの所(水深)で遊びなさい!
・足の付かない所には絶対に行くな!
と、言われていました。
それも、水難事故で死ぬ人が毎年いるので、
危機意識の高い父親の、危機管理だった訳です。
飲酒運転、水難事故…、
多くの人は、気を付けていると思います。
・自分は絶対に運転で事故らない!
・絶対に自分は溺れない!
そう言い張れる人はいないでしょう?
では、【 精神的苦痛による自殺 】の話に移ります。
飲酒運転や水難事故は、
「自分に関係ある話だ!」と思っているのに、
多くの人は、
【 精神的苦痛による自殺は、自分に関係が無い 】と思っています。
いくら、「自殺に関するニュース」を見たところで、
【 精神的苦痛によって自殺する人が、数多く存在する 】
という事実すら、
「認識したくない、目を背けたい」と思っているかもしれません。
ほとんどの人は、
死について考えたく無いほどに、
「自分が死ぬ事」を極度に怖れています。
でも、精神苦を理由に自殺する人は、
その「死の恐怖」を振り切るくらいの、
【 激しい精神的苦痛 】を感じている訳です。
じゃあ、自殺したくなる人って、
どういう境遇の人でしょう?
私は、中学生の頃に自殺願望を持っていたので、
よくわかりますよ。
一言で言うと、
【 どんなに苦しくても、辛くても、
「自分の悩みを聞いて、その苦しみに共感してくれる人」がいない 】
そういう時です。
たった一人でも、
【 苦しいよね、辛いよね、よくわかるよ 】
っていう、「自分の苦しみの共感者・理解者」がいれば、
【 相当なガス抜き 】が出来るので、
苦痛が限界に達することはありませんし、
「自分の事を理解してくれる人がいるなら…」と、
【 人生自体にも、希望を持つこと 】が出来ます。
孤独感も、相当軽減されるでしょう。
ですから、
【 自分の抱える苦しみに対する「共感者・理解者」がゼロ 】
そういう時に、人は絶望して死にたくなります。
たった一人でも、
「苦しみの共感者・理解者・相談相手」がいれば、全然違います。
じゃあ、自分が精神的に苦しくなっても、辛くなっても、
【 共感者・理解者が得にくい人 】ってどういう人でしょう?
1.本人が特殊な感性を持っているか、特殊な境遇の中にいて、
「大半の人が共感しにくい状況」に置かれている人
2.「本音」を全く語らずに、「建前」で生きていて、
「心を開いて打ち解けられる家族・友人」が全くいない人
だいたい、この【 2タイプのどちらか 】です。
私の場合は、
子供の頃から割と本音で生きていましたから、
「1の方」ですね。
私の感性は特殊で、悩みも特殊だったので、
家族に話しても、共感・理解してくれない。
例えば、セクシャルマイノリティの人たちなんかも
同じでしょうね。
理解者・共感者が得にくい。
で、1か2に当てはまる人というのは、
状況次第で【 自殺願望を持つ可能性は、かなり高い 】です。
つまり、共感者・理解者が得られず、
「死の恐怖」を軽く振り切るくらいの、飛び越えるくらいの、
【「死ぬより辛い精神的苦痛」を味わう可能性が高い 】
ということです。
状況次第では、そうなる可能性が高いのです。
どうです?
ある人が「自殺願望を持つかどうか?」は、
生まれつきの遺伝的欠陥でも何でもありません。
タイプ1、2の、「どちらかに当てはまる人」は多いし、
他人事じゃなさそうでしょ?
「理由1」に当てはまる人には、
変えられないこともあるでしょう。
生まれつき「大半の人と違う感性や個性」を持っているなら、
それを後天的に変えることはできません。
でも、「理由2」に当てはまる人は、変えることができます。
【 コミュニケーションの領域 】ですからね。
理由2を潰していくには、
他人に対して心を開き、本音を語り、
【「信頼関係を築ける人」を、増やしていくこと 】です。
誰かたった一人でも、他人と信頼関係を築けていたら、
死にたくなるほどの精神的苦痛にはなりません。
【 誰一人として、周囲に共感者・理解者・相談者がいない 】
そういう時に、精神的苦痛が限界に達し、死にたくなる訳ですから。
タイプ1、2の両方に当てはまっちゃう人もいるでしょうが、
両方当てはまる人は、
自殺願望を抱く可能性は、片方だけよりもさらに上がります。
特殊な個性を持っていたり、
特殊な境遇に置かれているのに、
本音を語って他人と付き合っていない
そういう人もいるでしょう。
「はこぶね倶楽部」には、
そういうタイプの人が多く集まってきているのかもしれませんが(笑)
まず、
人生では、
【 死ぬより辛い精神的苦痛に遭遇する可能性がある 】
その事実を、正確に認識する必要があります。
それは、
飲酒運転のリスクや、水難事故のリスクと全く同じです。
危険性を感じるから、人は慎重になるのです。
危険性を感じていない人は、慎重になれません。
私から見れば、
「自分は自殺願望なんか持つはずがない!」
と思い込んでいる人は、
酒を飲んで、ベロベロに酔っ払って、
さらにヘルメットを付けずに、
大型バイクを運転している人の様に見えます。
「いつか、他人を殺すか、自分が死ぬぞ…、」と。
死にたくなるほどの精神的苦痛を味わう事が…、
自殺願望を持つことが…、
「特殊なこと」だと思い込んでいる人は多いでしょうが、
まったくそんな事はありません。
1.本人が特殊な感性を持っているか、特殊な境遇の中にいて、
「大半の人が共感しにくい状況」に置かれている人
2.「本音」を全く語らずに、「建前」で生きていて、
「心を開いて打ち解けられる家族・友人」が全くいない人
どちらかに当てはまる人は、状況次第で、
「死にたくなるほどの精神的苦痛」を味わい、
「自殺願望」を持つ可能性は高いです。
自動車やバイクを運転している人で、
実際に他人を殺したり、自分が事故死する人は少ないでしょう。
でも、数は少なくても確実に存在しています。
「自分はそうならない!」と言い切れる人はいないでしょう?
だからこそ慎重になるし、
慎重になるからリスク(危険性)を減らせるのです。
「自分は自殺願望を持つはずがない!」
そう思い込んでいる人は、
余裕で「飲酒運転する人と同じ」です。
飲酒運転する人は、
【 自分が事故を起こすはずが無い! 】
と思い込んでいるのです。
そうやって過信しているから、
「人生破滅の危険性がある、飲酒運転」が出来るのです。
飲酒運転にしろ、水難事故にしろ、
【 ちょっとした気の緩み 】で、人は死にます。
それが、現実です。
だからこそ、人は危機感を持ち、「気の緩み」を戒めるのです。
「人生全体」や「精神的苦痛」に対して
気が緩んでいる人は、その「気の緩み」によって、
自殺願望を持つくらいの、
【 死にたくなるほどの精神的苦痛を味わうリスク(危険性) 】を、
背負う事になるのです。
で、
「人生で失敗したら、そんな目に遭うんだ!」
って事が、本当に理解できたら、
そんな最悪な事態を回避する為に、モチベーションが高まります。
人生に対するモチベーションが低いのは、
危機意識が低いからです。
危機感が薄いからです。
一度、お金持ちになっても、
失敗して全財産を失う人は居るのです。
人生には、
【「地獄」と「トラップ(罠)」】が、そこかしこに用意されています。
私は、他人の人生を観察して、
それを理解しているから、非常に慎重です。
【 人生における「地獄」と「罠」の多さ 】を理解したら、
誰もが、自分の人生に対して、
もっとモチベーションが上がると思いますよ。
だからこそ、
【「他人の苦痛」から学ぶ事 】に、
「非常に大きな意義と価値」があるのです。
飲酒運転や水難事故のニュースを見て、
危険性を理解するから、人は慎重になるのです。
でも、自殺のニュースを見ても、それは他人事なのです。
そこが、人々の【 認識違い 】です。
タイプ1、2。 どちらかに当てはまる人は、
自分の選択と行動次第で、
【 自殺したくなる様な状況と精神状態 】になりますよ。
そういうシビアな事実を理解してこそ、
真に、「成長と成功に対するモチベーション」が高まるのです。
まず、【 死ぬより苦しく辛い精神的苦痛 】って、
「どれくらい苦しくて辛いのだろうか?」
それを、【 出来る限り正確に、リアルに感じる事 】です。
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2018年04月08日
成長の定義
以前から、
私の周りの人が「成長」という言葉を発するときに、
私の考えている成長の意味と、
少しズレがある気がしていましたが、
そのズレを感じる理由が分かりました。
そこで、今回は私の定義する成長について、
解説したいと思います。
成長と言っても、幅広い意味を含みます。
「子供の成長」と言えば、
多くの場合、「身体的な生育」を指すでしょうし、
「企業の成長」と言えば、
「規模や売上高の増加」を指すでしょう。
では、私の指す(精神的な)成長とは何か?
それは、
・「視点の数」を増やす事
・「視野」を広げる事
これに尽きます。
・経験を積むこと、
・自信を高めること、
・無意識の観念を変えること、
・トラウマを減らしていくこと、
・愛を感じること、
・感謝の気持ちが湧くこと…、
全てが、【 視野が広がる事 】と関係しています。
私は、継続的な努力の末に、
ネガティブ観念を無くしましたが、
それでも、まだまだ成長しています。
具体的に言うと、
学ぶ、経験を積む、研究する、
イメージする、気付きを得る…、
そうやって、毎日自分の視野を広げているのです。
自信を高める事が成長…、そうとも言えますが、
自信を高めることで手に入る
「新たな視点・視野の広さ」の方が、重要なのです。
また、視野を広げる事で自虐的な発想が捨てられて、
自信を高める事に繋がっている場合もありますからね。
結局、全てが【「視点・視野」という一言 】に繋がるのです。
私にとっては、
「幸せになる事」が成長じゃないし、
「お金を稼ぐ事」が成長でもありません、
それは、「目に見える成果」であって、
【 成長の結果として、時間差で手に入るモノ 】です。
私の指す成長とは、
何か目に見える結果を出すことでは無く、
単に、【 視点の数を増やす事、視野を広げる事 】なのです。
では、これから「視点の数、視野の広さ」がなぜ重要なのか?
という解説に移ります。
例えば、「お金」をテーマにしましょう。
皆さんは、
「お金とは何ですか?」と聞かれれば、
どう答えますか?
・紙切れと金属片
・数字
・労働の対価
・買い物に必要なモノ
・たくさん持っていれば他人からスゴイと思われやすい
どれも正解です。
どれも、「お金の側面」を表していますからね。
ただ、私は普通の人よりも、
お金とは何ですか?と聞かれて、
「解説できる量」が圧倒的に多いです。
これこそが、【 視点の数・視野の広さ 】です。
言い換えると、「お金」という一つの概念を、
【 どれだけ多角的に捉えられるか? 】という事です。
そして、
「視点の数・視野の広さ」と
「本質を見抜く目、本質の理解度」は、
【 完全に比例 】します。
初めに、成長とは
「視点の数を増やし・視野を広げる事だ」と言いましたが、
視点の数を増やし、視野を広げれば広げるほど、
【 本質を見抜き、理解する能力 】も高まるのです。
私が、
「精神的な成長とは、一言で言えば、視野を広げる事だ!」
と言っているのも、
自分が理解している本質を、シンプルに表現している訳です。
「一言に集約して本質を説明できる」って事は、
その分だけ、「多角的視点・広い視野」が必要になりますよね?
成長とは何か? を、一言で表現するためには、
成長に対する、幅広い知識・見識が必要です。
「幅広い知識・見識」を持たずして、
シンプルに一言で説明する事は出来ません。
例えば、みなさんが、
「お金って、つまり何ですか?」と聞かれて、
答えに詰まってしまうとしたら、
それは、「お金に対する知識・見識」が乏しいので、
わかりやすくシンプルに説明ができないのです。
私なら、お金を「価値交換の手段」と一言で表現しますね。
「本質を語る」という事は、
「包括と集約が為された表現をする」という事です。
「お金」や「幸せ」などの抽象的な概念を、
【 ひとつの言葉に「包括・集約」して説明する 】には、
それだけの幅広い知識と見識が必要です。
ですから、数多くの視点、幅広い視野を持つことで、
物事の「包括・集約された本質」がわかるようになってくるのです。
本質とは、
その一言に全てが「包括・集約」されていますから、
簡単に言い換えれば、【 最も重要な事 】です。
まぁ、本質の話はこれくらいにして、
今回は「視点・視野」の話です。
「視点の数が少ない、視野が狭い」という事は、
その分だけ、【 何が重要かわからない 】という事です。
視点の数が増え、視野が広がれば、
本質を見抜く目、理解度も高まり、
「何が重要で、何が重要で無いか?」の、
【 区別 】が付くようになります。
これが、「非常に重要な事」なのです。
結果を出すために何が重要かわかっていない人は、
望む結果を出すことは出来ませんよね?
視点の数が増え、視野が広がれば、
「どうでも良い事」と「重要な事」の、
【 区別 】が付くようになるのです。
これが、最大のメリットです。
先ほど、精神的成長で最も重要なのは、
【 視点の数を増やすこと、視野を広げること 】
と言いましたが、逆を言えば、
それに関係しない事は、「成長に関係無い事」です。
例えば、
自己成長の為に、セミナーに行くぞ!って言って、
セミナーに行って誰かの話を聞いたとしても、
視点の数が増えなければ、視野が広がらなければ、
実際には、【 何も成長していない 】という事です。
成長において、
「視野を広げる事が最も重要」とわかっていれば、
重要な事ばっかりに集中できますよね?
【 重要な事に集中するから、結果が出る 】のです。
よく、
・無駄な努力は存在する
・だから努力は方向性が大事
という話を私もしますし、他所でも言われると思います。
闇雲にエネルギーを割くのでは無く、
「効率良く結果が出る作業」にエネルギーを割かなければ、
結果には繋がらない。
じゃあ、
・何が無駄な努力であって、
・何が必要な努力なのか?
それを見極めるために、
【 視点の数、視野の広さ 】が必要なのです。
例えば、お金に関していうと、
ただ「宝くじ」に当たって、2億円手に入っても、
それは、「お金持ちになった」とは言えません。
・お金に対する知識
・お金を稼ぐスキル
・お金を扱うスキル
こういうモノを備えていないと、
結局、無駄に散財してしまうからです。
引き寄せの法則とかが好きな人は、
「臨時収入を手に入れる事」を目的としているでしょうが、
本当の意味で経済的に自由になりたければ、
【 お金に関するスキル 】を身に付ける必要があります。
その為には、
知識を得て、経験を積まなければなりません。
引き寄せの法則の本を読んだだけで、
お金の問題の全てが解決する訳ないでしょう?
超高収入のハリウッド俳優ですら、
お金の使い方が下手で、
借金している人もいるくらいですから。
それで、
・経済的にゆとりのある人
・経済力を持っている人
というのは、
【 お金に対する捉え方 】が優れているのです。
「お金に対する捉え方」が未熟なまま、
お金を得ても、そのお金を使いこなせません。
現金や臨時収入を手に入れる事よりも、
「お金に対する捉え方」をレベルアップさせる方が、
よほど重要なのです。
私は、
・時間の捉え方、
・お金の捉え方、
・労力の捉え方、
この人生における三大資源の捉え方は、
非常にシビアです。
シビアだからこそ、ゆとりがあるのです。
私と同じくらいシビアに捉えられる様になれば、
誰でも、私と同じくらいのゆとりを生み出せるでしょう。
結局、「捉え方」や「心構え」が大事だという事です。
「お金に対する捉え方」が未熟なままに、
お金を扱おうとしても、失敗するに決まっています。
上手く行っている人は、
【 上手く行っている人たち特有の視点 】を持っているのです。
例えば、異性からモテる人は、
モテる人特有の視点を持ち、
モテる人特有の捉え方をしているのです。
まず、それを身に付けない限り、
行動レベルで何をしようが一緒です。 結果は出ません。
上手く行っている人は、視点の数が多く、視野が広いのです。
その人たちの「視点」や「視野の広さ」を手に入れる事で、
「同じような結果」を出すことが出来るのです。
「視点の数を増やす、視野を広げる」っていうのを、
もっと別の表現をするなら、
【 ゲームのルールを理解する 】って事と似ています。
どんなゲームをプレイするにしても、
ルールを理解していないと、上手くプレイできないし、
勝てる訳がありません。
麻雀、囲碁、将棋、サッカー、野球…、
何にでも「ルール(規則・原則)」が存在しています。
視点の数が少ない、視野が狭いってことは、
ゲームのルールを理解せずに、
ゲームをプレイしている様なモノです。
私の記事を読んでいると、
視点の数が増え、視野が広がると思いますが、
新たな気付きを得たときに、
「知らなかった! 人生って、そういうゲームだったの?」
っていう感覚になると思います。
お金のゲームで勝つには、お金のルールを知る必要があるし、
健康のゲームで勝つには、健康のルールを知る必要があるし、
幸せのゲームで勝つには、幸せのルールを知る必要があるし、
人生のゲームで勝つには、人生のルールを知る必要がある。
そういう事です。
ルールを理解しないと、ゲームで勝つことは出来ません。
だから、ゲームを始める前に、
【 ルールを理解する事が、最も優先的で重要 】なのです。
そういう意味で、
精神的成長を目指すのであれば、
精神的成長の結果として、
自己実現を成し遂げたいのであれば、
まず、視点の数を増やし、視野を広げる事が、
【 何よりも最優先 】されるわけです。
ですから、毎日、
「視点を増やすぞ! 視野を広げるぞ!」
って気持ちで生きているのが、
【 精神的成長を目指し、追求している人間の「正しい姿」 】です。
毎日、「今日も視点を増やすぞ! 視野を広げるぞ!」
って気持ちで生きていないとしたら、
成長したいといいつつも、
それは、成長に関係無い事をしている可能性が高いです。
私はもちろん、
「今日も視点を増やすぞ! 視野を広げるぞ!」
って気持ちで毎日を生きていますよ。
だから、
人と話して、相手の躓いている部分を知って研究を深めたいし、
ニュースも見るし、想像力を働かせてイメージもします。
私は、「読者の視野を広げる目的」で、記事を書いています。
【 視野を広げる事が、最も重要な事だから 】ですよ。
どんなに努力して、活動しても、
視野を広げる事に繋がっていないのであれば、
何をやったとしても、「成長していないのと同じ」なのです。
ここ最近、
「他人の苦痛をイメージした方が良い」って言ってるのも、
それが、「視野を広げる事になるから」です。
視点の数を増やし、視野を広げ、
物事を多角的に捉えられるようになっていく…。
それが、成長です。
そして、視野が広がれば、
「自分の望みの結果」を出すために、
「何が重要で、何が重要で無いのか?」の見極めが付きます。
「自分の為に、どういう判断を下せばベストなのか?」がわかります。
あとは、自分の気の向くままに、
重要な事だけに集中していれば、
自己実現が為せるという事です。
視野が広がらないと、
「何に努力すれば結果に繋がるのか?」がわかりません。
だから、「無駄な努力」が増えるのです。
視野の狭い人間は、無駄な努力ばかりやってしまいます。
私はそれがわかっているし、無駄が嫌いだから、
視野を広げる事を最優先にしているのです。
私の周りの人が「成長」という言葉を発するときに、
私の考えている成長の意味と、
少しズレがある気がしていましたが、
そのズレを感じる理由が分かりました。
そこで、今回は私の定義する成長について、
解説したいと思います。
成長と言っても、幅広い意味を含みます。
「子供の成長」と言えば、
多くの場合、「身体的な生育」を指すでしょうし、
「企業の成長」と言えば、
「規模や売上高の増加」を指すでしょう。
では、私の指す(精神的な)成長とは何か?
それは、
・「視点の数」を増やす事
・「視野」を広げる事
これに尽きます。
・経験を積むこと、
・自信を高めること、
・無意識の観念を変えること、
・トラウマを減らしていくこと、
・愛を感じること、
・感謝の気持ちが湧くこと…、
全てが、【 視野が広がる事 】と関係しています。
私は、継続的な努力の末に、
ネガティブ観念を無くしましたが、
それでも、まだまだ成長しています。
具体的に言うと、
学ぶ、経験を積む、研究する、
イメージする、気付きを得る…、
そうやって、毎日自分の視野を広げているのです。
自信を高める事が成長…、そうとも言えますが、
自信を高めることで手に入る
「新たな視点・視野の広さ」の方が、重要なのです。
また、視野を広げる事で自虐的な発想が捨てられて、
自信を高める事に繋がっている場合もありますからね。
結局、全てが【「視点・視野」という一言 】に繋がるのです。
私にとっては、
「幸せになる事」が成長じゃないし、
「お金を稼ぐ事」が成長でもありません、
それは、「目に見える成果」であって、
【 成長の結果として、時間差で手に入るモノ 】です。
私の指す成長とは、
何か目に見える結果を出すことでは無く、
単に、【 視点の数を増やす事、視野を広げる事 】なのです。
では、これから「視点の数、視野の広さ」がなぜ重要なのか?
という解説に移ります。
例えば、「お金」をテーマにしましょう。
皆さんは、
「お金とは何ですか?」と聞かれれば、
どう答えますか?
・紙切れと金属片
・数字
・労働の対価
・買い物に必要なモノ
・たくさん持っていれば他人からスゴイと思われやすい
どれも正解です。
どれも、「お金の側面」を表していますからね。
ただ、私は普通の人よりも、
お金とは何ですか?と聞かれて、
「解説できる量」が圧倒的に多いです。
これこそが、【 視点の数・視野の広さ 】です。
言い換えると、「お金」という一つの概念を、
【 どれだけ多角的に捉えられるか? 】という事です。
そして、
「視点の数・視野の広さ」と
「本質を見抜く目、本質の理解度」は、
【 完全に比例 】します。
初めに、成長とは
「視点の数を増やし・視野を広げる事だ」と言いましたが、
視点の数を増やし、視野を広げれば広げるほど、
【 本質を見抜き、理解する能力 】も高まるのです。
私が、
「精神的な成長とは、一言で言えば、視野を広げる事だ!」
と言っているのも、
自分が理解している本質を、シンプルに表現している訳です。
「一言に集約して本質を説明できる」って事は、
その分だけ、「多角的視点・広い視野」が必要になりますよね?
成長とは何か? を、一言で表現するためには、
成長に対する、幅広い知識・見識が必要です。
「幅広い知識・見識」を持たずして、
シンプルに一言で説明する事は出来ません。
例えば、みなさんが、
「お金って、つまり何ですか?」と聞かれて、
答えに詰まってしまうとしたら、
それは、「お金に対する知識・見識」が乏しいので、
わかりやすくシンプルに説明ができないのです。
私なら、お金を「価値交換の手段」と一言で表現しますね。
「本質を語る」という事は、
「包括と集約が為された表現をする」という事です。
「お金」や「幸せ」などの抽象的な概念を、
【 ひとつの言葉に「包括・集約」して説明する 】には、
それだけの幅広い知識と見識が必要です。
ですから、数多くの視点、幅広い視野を持つことで、
物事の「包括・集約された本質」がわかるようになってくるのです。
本質とは、
その一言に全てが「包括・集約」されていますから、
簡単に言い換えれば、【 最も重要な事 】です。
まぁ、本質の話はこれくらいにして、
今回は「視点・視野」の話です。
「視点の数が少ない、視野が狭い」という事は、
その分だけ、【 何が重要かわからない 】という事です。
視点の数が増え、視野が広がれば、
本質を見抜く目、理解度も高まり、
「何が重要で、何が重要で無いか?」の、
【 区別 】が付くようになります。
これが、「非常に重要な事」なのです。
結果を出すために何が重要かわかっていない人は、
望む結果を出すことは出来ませんよね?
視点の数が増え、視野が広がれば、
「どうでも良い事」と「重要な事」の、
【 区別 】が付くようになるのです。
これが、最大のメリットです。
先ほど、精神的成長で最も重要なのは、
【 視点の数を増やすこと、視野を広げること 】
と言いましたが、逆を言えば、
それに関係しない事は、「成長に関係無い事」です。
例えば、
自己成長の為に、セミナーに行くぞ!って言って、
セミナーに行って誰かの話を聞いたとしても、
視点の数が増えなければ、視野が広がらなければ、
実際には、【 何も成長していない 】という事です。
成長において、
「視野を広げる事が最も重要」とわかっていれば、
重要な事ばっかりに集中できますよね?
【 重要な事に集中するから、結果が出る 】のです。
よく、
・無駄な努力は存在する
・だから努力は方向性が大事
という話を私もしますし、他所でも言われると思います。
闇雲にエネルギーを割くのでは無く、
「効率良く結果が出る作業」にエネルギーを割かなければ、
結果には繋がらない。
じゃあ、
・何が無駄な努力であって、
・何が必要な努力なのか?
それを見極めるために、
【 視点の数、視野の広さ 】が必要なのです。
例えば、お金に関していうと、
ただ「宝くじ」に当たって、2億円手に入っても、
それは、「お金持ちになった」とは言えません。
・お金に対する知識
・お金を稼ぐスキル
・お金を扱うスキル
こういうモノを備えていないと、
結局、無駄に散財してしまうからです。
引き寄せの法則とかが好きな人は、
「臨時収入を手に入れる事」を目的としているでしょうが、
本当の意味で経済的に自由になりたければ、
【 お金に関するスキル 】を身に付ける必要があります。
その為には、
知識を得て、経験を積まなければなりません。
引き寄せの法則の本を読んだだけで、
お金の問題の全てが解決する訳ないでしょう?
超高収入のハリウッド俳優ですら、
お金の使い方が下手で、
借金している人もいるくらいですから。
それで、
・経済的にゆとりのある人
・経済力を持っている人
というのは、
【 お金に対する捉え方 】が優れているのです。
「お金に対する捉え方」が未熟なまま、
お金を得ても、そのお金を使いこなせません。
現金や臨時収入を手に入れる事よりも、
「お金に対する捉え方」をレベルアップさせる方が、
よほど重要なのです。
私は、
・時間の捉え方、
・お金の捉え方、
・労力の捉え方、
この人生における三大資源の捉え方は、
非常にシビアです。
シビアだからこそ、ゆとりがあるのです。
私と同じくらいシビアに捉えられる様になれば、
誰でも、私と同じくらいのゆとりを生み出せるでしょう。
結局、「捉え方」や「心構え」が大事だという事です。
「お金に対する捉え方」が未熟なままに、
お金を扱おうとしても、失敗するに決まっています。
上手く行っている人は、
【 上手く行っている人たち特有の視点 】を持っているのです。
例えば、異性からモテる人は、
モテる人特有の視点を持ち、
モテる人特有の捉え方をしているのです。
まず、それを身に付けない限り、
行動レベルで何をしようが一緒です。 結果は出ません。
上手く行っている人は、視点の数が多く、視野が広いのです。
その人たちの「視点」や「視野の広さ」を手に入れる事で、
「同じような結果」を出すことが出来るのです。
「視点の数を増やす、視野を広げる」っていうのを、
もっと別の表現をするなら、
【 ゲームのルールを理解する 】って事と似ています。
どんなゲームをプレイするにしても、
ルールを理解していないと、上手くプレイできないし、
勝てる訳がありません。
麻雀、囲碁、将棋、サッカー、野球…、
何にでも「ルール(規則・原則)」が存在しています。
視点の数が少ない、視野が狭いってことは、
ゲームのルールを理解せずに、
ゲームをプレイしている様なモノです。
私の記事を読んでいると、
視点の数が増え、視野が広がると思いますが、
新たな気付きを得たときに、
「知らなかった! 人生って、そういうゲームだったの?」
っていう感覚になると思います。
お金のゲームで勝つには、お金のルールを知る必要があるし、
健康のゲームで勝つには、健康のルールを知る必要があるし、
幸せのゲームで勝つには、幸せのルールを知る必要があるし、
人生のゲームで勝つには、人生のルールを知る必要がある。
そういう事です。
ルールを理解しないと、ゲームで勝つことは出来ません。
だから、ゲームを始める前に、
【 ルールを理解する事が、最も優先的で重要 】なのです。
そういう意味で、
精神的成長を目指すのであれば、
精神的成長の結果として、
自己実現を成し遂げたいのであれば、
まず、視点の数を増やし、視野を広げる事が、
【 何よりも最優先 】されるわけです。
ですから、毎日、
「視点を増やすぞ! 視野を広げるぞ!」
って気持ちで生きているのが、
【 精神的成長を目指し、追求している人間の「正しい姿」 】です。
毎日、「今日も視点を増やすぞ! 視野を広げるぞ!」
って気持ちで生きていないとしたら、
成長したいといいつつも、
それは、成長に関係無い事をしている可能性が高いです。
私はもちろん、
「今日も視点を増やすぞ! 視野を広げるぞ!」
って気持ちで毎日を生きていますよ。
だから、
人と話して、相手の躓いている部分を知って研究を深めたいし、
ニュースも見るし、想像力を働かせてイメージもします。
私は、「読者の視野を広げる目的」で、記事を書いています。
【 視野を広げる事が、最も重要な事だから 】ですよ。
どんなに努力して、活動しても、
視野を広げる事に繋がっていないのであれば、
何をやったとしても、「成長していないのと同じ」なのです。
ここ最近、
「他人の苦痛をイメージした方が良い」って言ってるのも、
それが、「視野を広げる事になるから」です。
視点の数を増やし、視野を広げ、
物事を多角的に捉えられるようになっていく…。
それが、成長です。
そして、視野が広がれば、
「自分の望みの結果」を出すために、
「何が重要で、何が重要で無いのか?」の見極めが付きます。
「自分の為に、どういう判断を下せばベストなのか?」がわかります。
あとは、自分の気の向くままに、
重要な事だけに集中していれば、
自己実現が為せるという事です。
視野が広がらないと、
「何に努力すれば結果に繋がるのか?」がわかりません。
だから、「無駄な努力」が増えるのです。
視野の狭い人間は、無駄な努力ばかりやってしまいます。
私はそれがわかっているし、無駄が嫌いだから、
視野を広げる事を最優先にしているのです。
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2018年04月07日
ショック療法
人間には想像力があり、
それは、どんな人にも備わっています。
「私、想像力が高くないし…」なんて事はありません。
・梅干しとレモンを口の中に頬張ることを想像して下さい。
・口の中が酸っぱい感じになって、唾液が出てきましたか?
これは、【 小学生でも知っている実験 】です。
じゃあ次です。
1.次のランチかディナーには、何が食べたいですか?
または、今すぐ飲みたい物はありますか?
2.「食べたい食事」か「飲みたい物」は決まりましたか?
これも、【 誰でも日常的にやっている事 】です。
この2つの実験で解る事は、
両方とも「目の前に無いモノ」を想像して「感じている」し、
それは、【 誰でも日常的にやっている事だ 】という事です。
さらに、レストランのメニューの中から、
「食べたいモノを選んで注文する」という行為を分析すると、
1.いろんな料理を食べている自分を【 想像する 】
2.その料理がどんな味か【 感じる 】
3.様々な料理の味をイメージして、感じながら、
【 シミュレーションして考え、ひとつに絞る、決断する 】
という事をやっている訳です。
特に、美味しい「食べ物」や「お菓子」が好きな人は、
注文内容を選ぶ際に、
「全力でリアリティある想像」を膨らませているでしょう。
これは、誰でもやっている事なので、
「自分には想像力が無い」なんて事はあり得ません。
そういう言い訳は、たった今、封じられました(笑)
私は、「言い訳を封じるプロ」ですからね(笑)
【 想像して、感じて、考える 】
このプロセスは、誰にでも出来る事です。
例えば、映画館に「映画を観に行く」にしたって、
なんで行くのか?って、「何かを感じたいから」でしょう?
スリル、恐怖、感動、ワクワク、切なさ…、
そういう感情を感じたくて、映画館に人は足を運びます。
映画を見て、「感じる事」よりも「考える事」が優勢の人は、
きっと、分析しようとしている映画監督か映画評論家です(笑)
でも、映画のプロだって、
一発目は「感じようと思って見る」でしょう。
2回目以降に、分析に入ると思います。
という事で、
映画を観て、何か感じることができる人も、
【「想像力」と「感じる能力」】に、問題はありません。
でも、いくらアメリカで銃の乱射事件が起きようとも、
そのニュースを見た時に、
・「料理のメニューを選ぶ」ときのような、
・「映画を観るとき」のような、
そういう想像力を、【 わざと使っていない 】のです。
・自分には一切関係がない「対岸の火事」か、
・現実味の無い「フィクション」の様に思っているから、
ネット上で「茶化したようなコメント」ができるのです。
例えば、私が最近よく使う質問に、
・目の前で知らない人がいきなり自殺したら、どう感じますか?
・学生時代の同級生が自殺したと聞いたら、どう感じますか?
というモノがあります。
実際にそういう事が起これば、
まず最初に、ショックを受けるでしょう。
そして、そのショックを落ち着いてきたら、
いろいろ考え始めるでしょう。
・本人はどのような苦痛を抱えていたのか?
・過去の自分はどうするべきだったのか?
・今後の自分はどうしていくべきなのか?
という事について、自然に想いが巡ると思います。
私は過去に、「考える事の重要性」を説いてきましたが、
最近分かったことは、
人間は、
【 衝撃を感じれば、自動的に深く考え始める… 】という事です。
感じていないから、考えていない訳なので、
まず最初にやるべき事は、「強く感じる事」なのです。
その為には、
・強く感じる何か?
・衝撃を受ける何か?
に出会う必要があります。
例えば、統計上、
日本では毎日80人近くもの人数が自殺している訳ですが、
自殺のニュースをいくら見ても、
普通の人はニュースを見るときに
【 想像して感じる事 】をオフにしているので、
ショックを受けません。
でも、いきなり目の前で自殺されると、
強いショックを受けるわけです。
もし自殺のニュースを見たときに、
食べたい料理を選ぶ時の様な「想像力」を使っていれば、
それなりに、ショックは受けるでしょう。
でも、それをしない習慣が身に付いています。
なぜか?
「悲しい気持ち、辛い気持ち」を避けているからです。
ニュースを見る度に、いちいちリアルに想像していたら、
「自分の精神に多大な負荷が掛かるから」です。
でも、私はどんなニュースを見ても、
リアルに想像し、感じる様にしています。
自分の精神に負荷が掛かるとしても、
【「想像して感じるメリット」を理解しているから 】です。
そもそも、以前の記事に書いたような、
「建前で生きすぎて、
無意識がパニックになっている人」は、
完全な【 逃げ癖 】が付いています。
・苦痛から逃げる。
・苦痛を感じそうな事を事前に察知して逃げる。
そういう、習慣が身に付いているのです。
そういう人は、
現実の生活で、なかなか苦痛に出会いません。
例えば、多重債務者の人で、
首が回らなくなっているのに、
全然プレッシャーを感じていない人もいると思います。
そういう人は、
自分が「危機的な状況」に陥っているのに、
現実逃避をして、
「危機感を感じる事から逃げている」のです。
だから、根本解決など考えず、
目の前の借金を返すために、別の所から借金するのです。
目の前の苦痛から逃れるために、苦痛を先送りして、
「その場しのぎ」をするのです。
もし、まともな感覚を持ってしまえば、
「返せるかどうかもわからないし、返せる自信が無い」
そんな【 絶望的な気分 】を味わう事になるでしょう。
でも、そんな「絶望的な気分」を先に感じて、対策を打てば、
まだ対処のしようもあるかもしれないのに、
ギリギリ追い詰められるまで逃げ続けて、
結果的に、手遅れの最悪な事態を招くことになるのです。
無意識がパニックになっている人は、
【 危機的状況におかれても、危機感を感じられない 】のです。
正確に言うと、
「危機感を感じたくなくて、無意識的に逃げている」のです。
そんな、「逃げ癖」が付いた人をまともな感覚に戻すには、
ショック療法しかありません。
「苦痛から逃げる癖」が付いていて、
それが現実逃避に繋がっているので、
【 逃れられない苦痛 】を与えなければ、
いつまでも、「まだ逃げられる限り、逃げ続ける」という
思考・行動パターンは変わりません。
でも、危機的状況の人が、
「もう逃げられない」と言う所まで追い詰められて、
「逃れられない多大な苦痛」を感じるときには、
大抵の場合、もう手遅れです。
だからこそ、先回りして、
「イメージの世界の中で、苦痛を感じさせること」
に意味があるのです。
「イメージの世界で、苦痛を感じる事」と、
「実際に自分の身を持って苦痛を感じること」は、
・アダルトビデオを見るのか?
・実際に異性と性行為をするのか?
ぐらいの差があります。
それを、「快感」ではなく「苦痛」に置き換えてみて下さい。
相当な違いでしょう?
・実際に身を持って体感する苦痛…、
・イメージの世界で感じる苦痛…、
それには、おそらく「20倍くらいの差」があります。
先回りして苦痛をイメージ出来たら、
苦痛が「20分の1」に減って、
実際に身をもって体感する苦痛を避けられるのです。
例えば、みなさんは
拷問で爪を剥がされるときって、
どれくらいの激痛か、だいたい想像できますか?
それがわかる人は、
・爪を切るときに深爪をしちゃったときとか、
・爪の隙間にトゲが刺さったときの痛みを知っているから、
その痛みを拡大したら…?と、想像しているのです。
「小さな火傷(やけど)の痛み」を知っている人は、
「全身大火傷がどれくらいの激痛か?」も、イメージ出来ます。
だからこそ、
【「火」や「熱湯」の扱い 】には気を付ける訳ですよね?
自分の身体で苦痛を感じたことが無くても、
大きな苦痛が先回りしてイメージ出来るから、人は慎重になる訳です。
苦痛をリアルにイメージしないって事は、
【 火傷(やけど)の痛みを知らない幼児 】と同じです。
幼児は、「痛みを知らない」からこそ、
「危なっかしい行為」が出来るのです。
だから、「痛みを知る」って言うのは、
人間が普通に生きて行くにも、非常に重要な事です。
でも、普通の人は、
【「孤独で貧しい老人」が、
どれくらいの苦痛を感じながら老後を暮らしているか? 】
という事を、先回りしてイメージしていないでしょう?
「孤独で貧しい老人の苦痛」がわからないから、
【 そうならない様に、対策を考えながら生きよう! 】
って、思えないのです。
【 苦痛をイメージしていないから、考えられない 】のです。
【「他人」や「未来の自分」の苦痛 】をイメージする事は、
幼児が「火傷の痛み」を知るのと、同じ効果があります。
痛みを知るから、人は慎重になるのです。
私は、他人の苦痛をイメージして、
感じるメリットを理解しています。
だから、多少の精神的負荷が掛かろうとも、
他人の苦痛をイメージし、感じるのです。
例えば、私がもっとも耐えがたいなと思うのは、
「拉致されて、10年近く監禁されていた人」の事件です。
たまに、そういう事件が発覚しますけど、
被害者の抱える苦痛を想像すると、
本当に耐えがたいです。
いつ出られるかもわからないし、もう出られないかもわからない。
死にたくても簡単に死なせてもらえない。
毎日、「不安」と「絶望」しか感じないでしょうね。
それが、10年近くも続くのです。
想像を絶します。
私は特に自由を好む性格なので、
そういう境遇になったら精神が崩壊しそうです。
私はそういうニュースを見ても、
食べたい料理を選ぶ時と同じように、想像し、感じているのです。
人間の持つ「想像力・感じる能力」には、問題ありません。
誰にでも備わっています。
ただ、ニュースを見るときに、
そのスイッチをオフにしているというだけです。
私は、スイッチをオンにしてニュースを見ていますから、
孤独な老人のニュースを見れば、
その人の気持ちを想像して感じるし、
いじめられて自殺した学生のニュースをみれば、
その人の気持ちを想像して感じます。
ネガティブな事ばかりじゃなく、
ドバイの大金持ちのニュースを見れば、
その大金持ちの気持ちを想像して、感じます。
あらゆる他人の気持ちを、想像して、感じるのです。
そうすれば、自然と思考が働きます。
・自分はどうなりたくて、どうなりたくないのか?
・自分はどうしたくて、どうしたくないのか?
自分の「情熱」や「本心」も少しずつ見えてくるでしょう。
人生を変えたければ、
【 いかに大きなショックを受けるか? 】です。
大きなショックを受けるから、人間は真剣に考え始めるのです。
ショックが、人生を変えるのです。
それは、実際に体験しなくても、
想像力を膨らませれば、イメージの世界で出来る事です。
実際に現実で苦痛を体験する前に、
イメージの世界で苦痛を味わってもらう。
それは、非常に価値の高い事なのです。
無意識パニックに陥っている人を、まともな感覚に戻すには、
【 本人の想像力を発揮させて、イメージの世界でショックを与える 】
これが、必要なのです。
具体的には、
・目の前で人が自殺したらどう思うか?
・自分の過去親しかった人が自殺したらどう思うか?
そういう事から、リアルに想像して、感じてもらう事です。
それは、どんな人にも備わっています。
「私、想像力が高くないし…」なんて事はありません。
・梅干しとレモンを口の中に頬張ることを想像して下さい。
・口の中が酸っぱい感じになって、唾液が出てきましたか?
これは、【 小学生でも知っている実験 】です。
じゃあ次です。
1.次のランチかディナーには、何が食べたいですか?
または、今すぐ飲みたい物はありますか?
2.「食べたい食事」か「飲みたい物」は決まりましたか?
これも、【 誰でも日常的にやっている事 】です。
この2つの実験で解る事は、
両方とも「目の前に無いモノ」を想像して「感じている」し、
それは、【 誰でも日常的にやっている事だ 】という事です。
さらに、レストランのメニューの中から、
「食べたいモノを選んで注文する」という行為を分析すると、
1.いろんな料理を食べている自分を【 想像する 】
2.その料理がどんな味か【 感じる 】
3.様々な料理の味をイメージして、感じながら、
【 シミュレーションして考え、ひとつに絞る、決断する 】
という事をやっている訳です。
特に、美味しい「食べ物」や「お菓子」が好きな人は、
注文内容を選ぶ際に、
「全力でリアリティある想像」を膨らませているでしょう。
これは、誰でもやっている事なので、
「自分には想像力が無い」なんて事はあり得ません。
そういう言い訳は、たった今、封じられました(笑)
私は、「言い訳を封じるプロ」ですからね(笑)
【 想像して、感じて、考える 】
このプロセスは、誰にでも出来る事です。
例えば、映画館に「映画を観に行く」にしたって、
なんで行くのか?って、「何かを感じたいから」でしょう?
スリル、恐怖、感動、ワクワク、切なさ…、
そういう感情を感じたくて、映画館に人は足を運びます。
映画を見て、「感じる事」よりも「考える事」が優勢の人は、
きっと、分析しようとしている映画監督か映画評論家です(笑)
でも、映画のプロだって、
一発目は「感じようと思って見る」でしょう。
2回目以降に、分析に入ると思います。
という事で、
映画を観て、何か感じることができる人も、
【「想像力」と「感じる能力」】に、問題はありません。
でも、いくらアメリカで銃の乱射事件が起きようとも、
そのニュースを見た時に、
・「料理のメニューを選ぶ」ときのような、
・「映画を観るとき」のような、
そういう想像力を、【 わざと使っていない 】のです。
・自分には一切関係がない「対岸の火事」か、
・現実味の無い「フィクション」の様に思っているから、
ネット上で「茶化したようなコメント」ができるのです。
例えば、私が最近よく使う質問に、
・目の前で知らない人がいきなり自殺したら、どう感じますか?
・学生時代の同級生が自殺したと聞いたら、どう感じますか?
というモノがあります。
実際にそういう事が起これば、
まず最初に、ショックを受けるでしょう。
そして、そのショックを落ち着いてきたら、
いろいろ考え始めるでしょう。
・本人はどのような苦痛を抱えていたのか?
・過去の自分はどうするべきだったのか?
・今後の自分はどうしていくべきなのか?
という事について、自然に想いが巡ると思います。
私は過去に、「考える事の重要性」を説いてきましたが、
最近分かったことは、
人間は、
【 衝撃を感じれば、自動的に深く考え始める… 】という事です。
感じていないから、考えていない訳なので、
まず最初にやるべき事は、「強く感じる事」なのです。
その為には、
・強く感じる何か?
・衝撃を受ける何か?
に出会う必要があります。
例えば、統計上、
日本では毎日80人近くもの人数が自殺している訳ですが、
自殺のニュースをいくら見ても、
普通の人はニュースを見るときに
【 想像して感じる事 】をオフにしているので、
ショックを受けません。
でも、いきなり目の前で自殺されると、
強いショックを受けるわけです。
もし自殺のニュースを見たときに、
食べたい料理を選ぶ時の様な「想像力」を使っていれば、
それなりに、ショックは受けるでしょう。
でも、それをしない習慣が身に付いています。
なぜか?
「悲しい気持ち、辛い気持ち」を避けているからです。
ニュースを見る度に、いちいちリアルに想像していたら、
「自分の精神に多大な負荷が掛かるから」です。
でも、私はどんなニュースを見ても、
リアルに想像し、感じる様にしています。
自分の精神に負荷が掛かるとしても、
【「想像して感じるメリット」を理解しているから 】です。
そもそも、以前の記事に書いたような、
「建前で生きすぎて、
無意識がパニックになっている人」は、
完全な【 逃げ癖 】が付いています。
・苦痛から逃げる。
・苦痛を感じそうな事を事前に察知して逃げる。
そういう、習慣が身に付いているのです。
そういう人は、
現実の生活で、なかなか苦痛に出会いません。
例えば、多重債務者の人で、
首が回らなくなっているのに、
全然プレッシャーを感じていない人もいると思います。
そういう人は、
自分が「危機的な状況」に陥っているのに、
現実逃避をして、
「危機感を感じる事から逃げている」のです。
だから、根本解決など考えず、
目の前の借金を返すために、別の所から借金するのです。
目の前の苦痛から逃れるために、苦痛を先送りして、
「その場しのぎ」をするのです。
もし、まともな感覚を持ってしまえば、
「返せるかどうかもわからないし、返せる自信が無い」
そんな【 絶望的な気分 】を味わう事になるでしょう。
でも、そんな「絶望的な気分」を先に感じて、対策を打てば、
まだ対処のしようもあるかもしれないのに、
ギリギリ追い詰められるまで逃げ続けて、
結果的に、手遅れの最悪な事態を招くことになるのです。
無意識がパニックになっている人は、
【 危機的状況におかれても、危機感を感じられない 】のです。
正確に言うと、
「危機感を感じたくなくて、無意識的に逃げている」のです。
そんな、「逃げ癖」が付いた人をまともな感覚に戻すには、
ショック療法しかありません。
「苦痛から逃げる癖」が付いていて、
それが現実逃避に繋がっているので、
【 逃れられない苦痛 】を与えなければ、
いつまでも、「まだ逃げられる限り、逃げ続ける」という
思考・行動パターンは変わりません。
でも、危機的状況の人が、
「もう逃げられない」と言う所まで追い詰められて、
「逃れられない多大な苦痛」を感じるときには、
大抵の場合、もう手遅れです。
だからこそ、先回りして、
「イメージの世界の中で、苦痛を感じさせること」
に意味があるのです。
「イメージの世界で、苦痛を感じる事」と、
「実際に自分の身を持って苦痛を感じること」は、
・アダルトビデオを見るのか?
・実際に異性と性行為をするのか?
ぐらいの差があります。
それを、「快感」ではなく「苦痛」に置き換えてみて下さい。
相当な違いでしょう?
・実際に身を持って体感する苦痛…、
・イメージの世界で感じる苦痛…、
それには、おそらく「20倍くらいの差」があります。
先回りして苦痛をイメージ出来たら、
苦痛が「20分の1」に減って、
実際に身をもって体感する苦痛を避けられるのです。
例えば、みなさんは
拷問で爪を剥がされるときって、
どれくらいの激痛か、だいたい想像できますか?
それがわかる人は、
・爪を切るときに深爪をしちゃったときとか、
・爪の隙間にトゲが刺さったときの痛みを知っているから、
その痛みを拡大したら…?と、想像しているのです。
「小さな火傷(やけど)の痛み」を知っている人は、
「全身大火傷がどれくらいの激痛か?」も、イメージ出来ます。
だからこそ、
【「火」や「熱湯」の扱い 】には気を付ける訳ですよね?
自分の身体で苦痛を感じたことが無くても、
大きな苦痛が先回りしてイメージ出来るから、人は慎重になる訳です。
苦痛をリアルにイメージしないって事は、
【 火傷(やけど)の痛みを知らない幼児 】と同じです。
幼児は、「痛みを知らない」からこそ、
「危なっかしい行為」が出来るのです。
だから、「痛みを知る」って言うのは、
人間が普通に生きて行くにも、非常に重要な事です。
でも、普通の人は、
【「孤独で貧しい老人」が、
どれくらいの苦痛を感じながら老後を暮らしているか? 】
という事を、先回りしてイメージしていないでしょう?
「孤独で貧しい老人の苦痛」がわからないから、
【 そうならない様に、対策を考えながら生きよう! 】
って、思えないのです。
【 苦痛をイメージしていないから、考えられない 】のです。
【「他人」や「未来の自分」の苦痛 】をイメージする事は、
幼児が「火傷の痛み」を知るのと、同じ効果があります。
痛みを知るから、人は慎重になるのです。
私は、他人の苦痛をイメージして、
感じるメリットを理解しています。
だから、多少の精神的負荷が掛かろうとも、
他人の苦痛をイメージし、感じるのです。
例えば、私がもっとも耐えがたいなと思うのは、
「拉致されて、10年近く監禁されていた人」の事件です。
たまに、そういう事件が発覚しますけど、
被害者の抱える苦痛を想像すると、
本当に耐えがたいです。
いつ出られるかもわからないし、もう出られないかもわからない。
死にたくても簡単に死なせてもらえない。
毎日、「不安」と「絶望」しか感じないでしょうね。
それが、10年近くも続くのです。
想像を絶します。
私は特に自由を好む性格なので、
そういう境遇になったら精神が崩壊しそうです。
私はそういうニュースを見ても、
食べたい料理を選ぶ時と同じように、想像し、感じているのです。
人間の持つ「想像力・感じる能力」には、問題ありません。
誰にでも備わっています。
ただ、ニュースを見るときに、
そのスイッチをオフにしているというだけです。
私は、スイッチをオンにしてニュースを見ていますから、
孤独な老人のニュースを見れば、
その人の気持ちを想像して感じるし、
いじめられて自殺した学生のニュースをみれば、
その人の気持ちを想像して感じます。
ネガティブな事ばかりじゃなく、
ドバイの大金持ちのニュースを見れば、
その大金持ちの気持ちを想像して、感じます。
あらゆる他人の気持ちを、想像して、感じるのです。
そうすれば、自然と思考が働きます。
・自分はどうなりたくて、どうなりたくないのか?
・自分はどうしたくて、どうしたくないのか?
自分の「情熱」や「本心」も少しずつ見えてくるでしょう。
人生を変えたければ、
【 いかに大きなショックを受けるか? 】です。
大きなショックを受けるから、人間は真剣に考え始めるのです。
ショックが、人生を変えるのです。
それは、実際に体験しなくても、
想像力を膨らませれば、イメージの世界で出来る事です。
実際に現実で苦痛を体験する前に、
イメージの世界で苦痛を味わってもらう。
それは、非常に価値の高い事なのです。
無意識パニックに陥っている人を、まともな感覚に戻すには、
【 本人の想像力を発揮させて、イメージの世界でショックを与える 】
これが、必要なのです。
具体的には、
・目の前で人が自殺したらどう思うか?
・自分の過去親しかった人が自殺したらどう思うか?
そういう事から、リアルに想像して、感じてもらう事です。
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2018年04月06日
心理業界のブラック・ジャック
私はよく断言口調で語りますが、
それは、【 論理的根拠 】があるからです。
世の中には「様々な仕事」が存在していて、
その仕事の種類によって、「必要な能力」は違います。
例えば、プロのスポーツ選手には、
「筋肉量」や「身体を動かす技術」が必要でしょうが、
別の仕事をするのであれば、
その能力は必要ないかもしれません。
例えば、エンターテイメント性のある仕事って、
商品に「正しい、間違い」はありません。
「人の好み」は千差万別だからです。
「プリンを30個並べて、どれが一番美味しいと思うか?」
って聞いても、人それぞれでしょうし、
「お笑い芸人のネタを30人見せて、誰が一番面白いと思うか?」
って聞いても、人それぞれでしょう。
「音楽を30曲聴かせて、どれが一番良かったか?」
って聞いても、人それぞれでしょう。
【「人の好み」が関わる領域の商品・サービス 】というのには、
正解がありません。
ですから、エイターテイメントの分野において
一人残らず万人に受ける商品・サービスというのは、ありません。
・特定の人に深く気に入られるか?
・幅広く気に入られるか?
「深く」ウケるか、もしくは「広く」ウケると、
そのエンターテイメントはビジネスになるという事です。
それで、私がやっている心理研究・心理教育っていうのは、
【 エンターテイメント領域の仕事 】でしょうか?
否!
どちらかというと、「科学・医療」に近い分野です。
そこには、歴然とした「正しい、間違い」
「正解、不正解」が存在しています。
例えば、医療の現場では、
「こういう症状の患者には、この薬をこの量だけ投与する…」
という事が、ほとんど決まっているでしょう。
「どれくらいの量がお好みですか?」って、患者に聞きますか?(笑)
「並み」にしますか? 「大盛り」にしますか? って。
「甘口」にしますか? 「辛口」にしますか? って。
科学分野にも、歴然とした「正しい、間違い」が存在しています。
その科学を応用して、
人間は「飛行機」や「ロケット」を飛ばしています。
重力、慣性、空気抵抗…、いろいろ計算している訳です。
その計算が大幅に間違っていたら、飛行機は墜落します。
「飛行機を飛ばす計算」にも、
正しい、間違っているが存在しています。
その計算式は、お客さんの好みですか?(笑)
お客さんによって計算を変えますか?
違いますよね?
世の中の仕事には、
「人の好み」が影響する、
正解、不正解のないエンターテイメント性のある仕事と、
「人の好み」など全く関係の無い、
「科学、自然、力学」を土台とした、
正しい、間違いが明確に存在する仕事と、
その両方が存在している訳です。
で、私がやっている仕事は、明らかに「後者」です。
しかし、
巷の「自己啓発、スピリチュアル、ビジネス教育」を眺めていると、
顧客や生徒自身が、
そこに「エンターテイメント性」を求めている訳です。
私から見たら、
自分の腹を切る手術の執刀医師に対して、
技術よりも、
「顔立ち」や「お笑い」の要素を求めるようなモノです。
私は自分の腹を切る医師に対しては、
別に、顔がカッコ良くなくても、面白く無くても、
卓越した「知識・経験・技術」が欲しいですけどね。
多くの人は、そうでは無いようです(笑)
「間違った事を教えていても、
面白い先生の方が楽しいから好き!」って感じです。
まぁ、私がいくら真実を語ろうとも、
「自分に都合の悪い真実は知りたくない」
と考えるのが人間ですから、
そういう判断をするのも理解できますけどね。
まぁ、現在の人々の「見る目」がいくら乏しくても、
私は悲観していません。
なぜなら、人間は【 便利 】を求めるからです。
人は、「不便」より「便利」を求める。
これも、例外を除いて、
ほとんど「正解・不正解が存在する領域」です。
・洗濯板と、洗濯機と、どちらで洗濯したいですか?
・ワープロと、パソコンと、どちらが欲しいですか?
・ポケベルと、スマホと、どちらを使いたいですか?
この質問の答えも、ほとんど決まっています。
余程の理由が無い限り、人は「便利な方」を選びます。
例えるなら、私はエレベーターの発明家です。
みんなが階段を使って歩いている所に、
エレベーターを設置しました。
どう考えても、エレベーターの方が便利です。
でも、ほとんどの人がまだ階段を歩いているし、
一人でエレベーターに乗るのは怖いなぁ…
と言って、目の前に便利なエレベーターがあっても、
わざわざ階段を使い続けるのが、【 孤独を怖れる人々 】です。
発明家の私が、
いくらエレベーターの便利さを伝えても、
「ネットワークビジネスをやってる人みたいに、
誰でも自分の扱ってる商品が良いって言うでしょ?」
という、【 斜に構えた態度 】で見られてしまいます。
結局、発明家の自画自賛より、
「お客さんの生の声」の方が有効なのです。
「人を成功させる塾」であれば、
その塾に通って成功した人が、
自分の経験談を広めようとすれば、
その塾もさらに繁盛するでしょう。
私の場合、
その「お客さんの声、生徒の声」が
まだ小さすぎる、少なすぎるだけです。
エレベーターを使ってみた本人は、
「エレベーターが便利だ!」と思っていても、
「その便利さを他人に教えてあげたい!」とまでは、
思っていないだけです。
まぁ、私が積極的にお客さんの声を
書いてもらおうとする事もできますが、
それは、私の意図する事ではありません。
私は、自分の顧客を増やしたいのではなく、
私の心理を理解した人間が自営業者となり、
それを活用して自分が幸せになり、自分の顧客にも貢献し、
その素晴らしさを「この世に体現してもらう事」です。
私が求めているのは、
「口先だけの声」ではなく、「体現」ですからね。
私は本気ですから、自分の生徒に対しても、
格闘技道場の門下生みたいな態度になってしまうので、
やっぱり、それぐらいのやる気のある人じゃないと、
そもそも続きませんし、
「お客さんの声を見て、やってきました!」
っていう感じの人は、私が相手をしたい人じゃありません。
それと、私が悲観をしていないもう一つの理由に、
【 人間は真実を一度知ったら、無知には戻れない 】
という事があります。
例えば、中世以前は、
「菌・ウイルスの存在」が知られていませんでした。
疫病で人が大勢死んでも、その理由もわからず、
「呪い」や「祟り」だと言って、
死体を火葬せずに、土葬していました。
人間が「菌・ウイルスの存在」を知る前から、
人間は、「菌・ウイルスの影響」を受けていたのです。
他にも、人類が「紫外線(UV)」の存在を知る前から、
「紫外線」の影響を受けて日焼けしていたのです。
それと同じで、
私は「邪気・邪念・怨霊」などの存在を知って、
それらからの悪影響も痛感し、
その「ネガティブな存在やエネルギー」から
身を守る術まで、発明しました。
それは、人類に
「菌・ウイルス」の存在が知られていない時代に、
【 抗菌・除菌・殺菌アイテムを発明した 】のと同じです。
風邪・インフルエンザの原因が、
「菌・ウイルスのせいだ」と知られていない時代に、
「薬用ハンドソープ」や「うがい薬」を発明したのと同じです。
で、人々が「菌・ウイルス」の存在を知る前から、
「菌・ウイルスの悪影響を受けていた」のと同じで、
人々が、「邪気・邪念・怨霊」の存在を知らなくても、
それらからの悪影響は、確実に受けているのです。
で、それらの悪影響から身を守るアイテムは、
一度使えば、その「利便性・有効性」がわかります。
私から見れば、
私の語るスピリチュアルを怪しむ人は、
菌・ウイルスを知らない人が、
「うがい薬? 怪しいなぁ? 効果あるの?」
と、疑っている様に見えます。
しかし、今がどれほど無知だろうとも、
人類は確実に、「真実」と「便利」を求めます。
そして、「真実」と「便利」を知った後に、
「無知」と「不便」には戻れないのです。
ですから、私には「追い風」が吹くしかないのです。
人類が賢くなればなるほど、私には有利になります。
「人類は無知のままの方が都合が良い」
と、現在の利権にしがみつく人々もいるでしょうが、
私はそれに対抗し、
便利なモノを発明し、真実を語り続けます。
私は、真実と便利…、
「人類が根本的に求めるモノ」を提供している訳ですから、
その力学には、誰も逆らう事は出来ません。
人類が「真実」と「便利」を求める限り、
私に利する流れになるしかありません。
ですから、私に「対抗心や敵意、疑い」を抱いていた人々も、
全員、そのうち「自分の浅はかさ」を思い知る事になります。
自分自身の「無知」と「恐怖心の強さ」と「論理的思考力の無さ」を。
それも正解・不正解が存在する領域と同じく、
人類が「真実」と「便利」を求め、一度知ったら戻れない…。
というのが、【 自然の力学 】です。
私は、現代の主流派ではありませんが、実力は世界一。
手塚治虫の描く、天才外科医…。
まるで、心理業界の「ブラック・ジャック」ですね。
ブラック・ジャックは、
エンターテイナーじゃないでしょう?(笑)
心理研究と心理教育に、
エンターテイメント性を求める一般の人々は、
一言で言うと、【 無知 】です。
自分の腹を切る執刀医に「知識・経験・技術」よりも、
【 友達に対する打ち解けやすさ 】を求めるぐらい、ズレています。
ただ、人々が無知な状態から、真実を理解していくのも、
時間の問題です。
私はその為に、全力を尽くし続けますから。
それは、【 論理的根拠 】があるからです。
世の中には「様々な仕事」が存在していて、
その仕事の種類によって、「必要な能力」は違います。
例えば、プロのスポーツ選手には、
「筋肉量」や「身体を動かす技術」が必要でしょうが、
別の仕事をするのであれば、
その能力は必要ないかもしれません。
例えば、エンターテイメント性のある仕事って、
商品に「正しい、間違い」はありません。
「人の好み」は千差万別だからです。
「プリンを30個並べて、どれが一番美味しいと思うか?」
って聞いても、人それぞれでしょうし、
「お笑い芸人のネタを30人見せて、誰が一番面白いと思うか?」
って聞いても、人それぞれでしょう。
「音楽を30曲聴かせて、どれが一番良かったか?」
って聞いても、人それぞれでしょう。
【「人の好み」が関わる領域の商品・サービス 】というのには、
正解がありません。
ですから、エイターテイメントの分野において
一人残らず万人に受ける商品・サービスというのは、ありません。
・特定の人に深く気に入られるか?
・幅広く気に入られるか?
「深く」ウケるか、もしくは「広く」ウケると、
そのエンターテイメントはビジネスになるという事です。
それで、私がやっている心理研究・心理教育っていうのは、
【 エンターテイメント領域の仕事 】でしょうか?
否!
どちらかというと、「科学・医療」に近い分野です。
そこには、歴然とした「正しい、間違い」
「正解、不正解」が存在しています。
例えば、医療の現場では、
「こういう症状の患者には、この薬をこの量だけ投与する…」
という事が、ほとんど決まっているでしょう。
「どれくらいの量がお好みですか?」って、患者に聞きますか?(笑)
「並み」にしますか? 「大盛り」にしますか? って。
「甘口」にしますか? 「辛口」にしますか? って。
科学分野にも、歴然とした「正しい、間違い」が存在しています。
その科学を応用して、
人間は「飛行機」や「ロケット」を飛ばしています。
重力、慣性、空気抵抗…、いろいろ計算している訳です。
その計算が大幅に間違っていたら、飛行機は墜落します。
「飛行機を飛ばす計算」にも、
正しい、間違っているが存在しています。
その計算式は、お客さんの好みですか?(笑)
お客さんによって計算を変えますか?
違いますよね?
世の中の仕事には、
「人の好み」が影響する、
正解、不正解のないエンターテイメント性のある仕事と、
「人の好み」など全く関係の無い、
「科学、自然、力学」を土台とした、
正しい、間違いが明確に存在する仕事と、
その両方が存在している訳です。
で、私がやっている仕事は、明らかに「後者」です。
しかし、
巷の「自己啓発、スピリチュアル、ビジネス教育」を眺めていると、
顧客や生徒自身が、
そこに「エンターテイメント性」を求めている訳です。
私から見たら、
自分の腹を切る手術の執刀医師に対して、
技術よりも、
「顔立ち」や「お笑い」の要素を求めるようなモノです。
私は自分の腹を切る医師に対しては、
別に、顔がカッコ良くなくても、面白く無くても、
卓越した「知識・経験・技術」が欲しいですけどね。
多くの人は、そうでは無いようです(笑)
「間違った事を教えていても、
面白い先生の方が楽しいから好き!」って感じです。
まぁ、私がいくら真実を語ろうとも、
「自分に都合の悪い真実は知りたくない」
と考えるのが人間ですから、
そういう判断をするのも理解できますけどね。
まぁ、現在の人々の「見る目」がいくら乏しくても、
私は悲観していません。
なぜなら、人間は【 便利 】を求めるからです。
人は、「不便」より「便利」を求める。
これも、例外を除いて、
ほとんど「正解・不正解が存在する領域」です。
・洗濯板と、洗濯機と、どちらで洗濯したいですか?
・ワープロと、パソコンと、どちらが欲しいですか?
・ポケベルと、スマホと、どちらを使いたいですか?
この質問の答えも、ほとんど決まっています。
余程の理由が無い限り、人は「便利な方」を選びます。
例えるなら、私はエレベーターの発明家です。
みんなが階段を使って歩いている所に、
エレベーターを設置しました。
どう考えても、エレベーターの方が便利です。
でも、ほとんどの人がまだ階段を歩いているし、
一人でエレベーターに乗るのは怖いなぁ…
と言って、目の前に便利なエレベーターがあっても、
わざわざ階段を使い続けるのが、【 孤独を怖れる人々 】です。
発明家の私が、
いくらエレベーターの便利さを伝えても、
「ネットワークビジネスをやってる人みたいに、
誰でも自分の扱ってる商品が良いって言うでしょ?」
という、【 斜に構えた態度 】で見られてしまいます。
結局、発明家の自画自賛より、
「お客さんの生の声」の方が有効なのです。
「人を成功させる塾」であれば、
その塾に通って成功した人が、
自分の経験談を広めようとすれば、
その塾もさらに繁盛するでしょう。
私の場合、
その「お客さんの声、生徒の声」が
まだ小さすぎる、少なすぎるだけです。
エレベーターを使ってみた本人は、
「エレベーターが便利だ!」と思っていても、
「その便利さを他人に教えてあげたい!」とまでは、
思っていないだけです。
まぁ、私が積極的にお客さんの声を
書いてもらおうとする事もできますが、
それは、私の意図する事ではありません。
私は、自分の顧客を増やしたいのではなく、
私の心理を理解した人間が自営業者となり、
それを活用して自分が幸せになり、自分の顧客にも貢献し、
その素晴らしさを「この世に体現してもらう事」です。
私が求めているのは、
「口先だけの声」ではなく、「体現」ですからね。
私は本気ですから、自分の生徒に対しても、
格闘技道場の門下生みたいな態度になってしまうので、
やっぱり、それぐらいのやる気のある人じゃないと、
そもそも続きませんし、
「お客さんの声を見て、やってきました!」
っていう感じの人は、私が相手をしたい人じゃありません。
それと、私が悲観をしていないもう一つの理由に、
【 人間は真実を一度知ったら、無知には戻れない 】
という事があります。
例えば、中世以前は、
「菌・ウイルスの存在」が知られていませんでした。
疫病で人が大勢死んでも、その理由もわからず、
「呪い」や「祟り」だと言って、
死体を火葬せずに、土葬していました。
人間が「菌・ウイルスの存在」を知る前から、
人間は、「菌・ウイルスの影響」を受けていたのです。
他にも、人類が「紫外線(UV)」の存在を知る前から、
「紫外線」の影響を受けて日焼けしていたのです。
それと同じで、
私は「邪気・邪念・怨霊」などの存在を知って、
それらからの悪影響も痛感し、
その「ネガティブな存在やエネルギー」から
身を守る術まで、発明しました。
それは、人類に
「菌・ウイルス」の存在が知られていない時代に、
【 抗菌・除菌・殺菌アイテムを発明した 】のと同じです。
風邪・インフルエンザの原因が、
「菌・ウイルスのせいだ」と知られていない時代に、
「薬用ハンドソープ」や「うがい薬」を発明したのと同じです。
で、人々が「菌・ウイルス」の存在を知る前から、
「菌・ウイルスの悪影響を受けていた」のと同じで、
人々が、「邪気・邪念・怨霊」の存在を知らなくても、
それらからの悪影響は、確実に受けているのです。
で、それらの悪影響から身を守るアイテムは、
一度使えば、その「利便性・有効性」がわかります。
私から見れば、
私の語るスピリチュアルを怪しむ人は、
菌・ウイルスを知らない人が、
「うがい薬? 怪しいなぁ? 効果あるの?」
と、疑っている様に見えます。
しかし、今がどれほど無知だろうとも、
人類は確実に、「真実」と「便利」を求めます。
そして、「真実」と「便利」を知った後に、
「無知」と「不便」には戻れないのです。
ですから、私には「追い風」が吹くしかないのです。
人類が賢くなればなるほど、私には有利になります。
「人類は無知のままの方が都合が良い」
と、現在の利権にしがみつく人々もいるでしょうが、
私はそれに対抗し、
便利なモノを発明し、真実を語り続けます。
私は、真実と便利…、
「人類が根本的に求めるモノ」を提供している訳ですから、
その力学には、誰も逆らう事は出来ません。
人類が「真実」と「便利」を求める限り、
私に利する流れになるしかありません。
ですから、私に「対抗心や敵意、疑い」を抱いていた人々も、
全員、そのうち「自分の浅はかさ」を思い知る事になります。
自分自身の「無知」と「恐怖心の強さ」と「論理的思考力の無さ」を。
それも正解・不正解が存在する領域と同じく、
人類が「真実」と「便利」を求め、一度知ったら戻れない…。
というのが、【 自然の力学 】です。
私は、現代の主流派ではありませんが、実力は世界一。
手塚治虫の描く、天才外科医…。
まるで、心理業界の「ブラック・ジャック」ですね。
ブラック・ジャックは、
エンターテイナーじゃないでしょう?(笑)
心理研究と心理教育に、
エンターテイメント性を求める一般の人々は、
一言で言うと、【 無知 】です。
自分の腹を切る執刀医に「知識・経験・技術」よりも、
【 友達に対する打ち解けやすさ 】を求めるぐらい、ズレています。
ただ、人々が無知な状態から、真実を理解していくのも、
時間の問題です。
私はその為に、全力を尽くし続けますから。
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2018年04月05日
愛を感じる為に、他人視点を持つ
先日、人と話しながら、
「どうすれば他人の愛を感じる事ができるようになるのか?」
というテーマについて、考えていました。
「自分は他人から愛されている」と感じる事で、
人は、「ポジティブに生きよう」と思えますからね。
先日も書いた通り、
「他人から自分に向けられた愛」を感じられない人は、
幼少期に「両親・先生・同級生」などから、
「お前には価値が無い」と言われて、
それを鵜呑みにしてしまったからです。
「自分には価値が無い」と思っているから、
「他人の愛」を感じられないのです。
ですから、その幼少期の自分にネガティブな洗脳を掛けてきた、
【「両親、先生、同級生」などに刃向かう 】ぐらいの、
【「強気の姿勢」を持つ事が大切である 】という事を書きました。
それは、まずネガティブ洗脳を真っ白に戻すために大切です。
「大切なモノ(自尊心)」を守るには、時に「闘う事」も必要ですからね。
で、「ネガティブな影響を減らしていく方向性」の次は、
「ポジティブな影響を増やしていく方向性」が必要です。
で、私自身の過去を振り返ると、
そういえば、若い頃に、
知り合った女性に誘われて、少し遊んだことがあったな…と。
失礼な話、
私はまったく異性(恋愛対象)として認識してませんでした(笑)
でも、今思えば、もしかしたら、
向こうは私の事を恋愛対象として
見ていたのかもしれないな…と思います。
当時の自分は、鈍感すぎて気付けませんでした(笑)
その当時の自分は、
「自分がモテるハズがない…」
という観念を持っていたと思います(笑)
それに、恋愛対象外の人から好かれたとしても、
好意を断るのに気を遣うから、
自分が好きになった人以外には、
あまり好かれたくないなぁとも思っていました。
まぁ、いろんなネガティブ観念が働いて、
自分に対する好意に、気付けなくなっていた訳です。
「自分はモテるハズがない」と思っているのに、
実際に自分に好意を持つ人がいたとしたら、
それは、言い換えると、
【 自分の魅力に、自分自身が気付いていない 】
という事になります。
まず、自分で「自分の価値」を自覚できないと、
「他人から注がれる好意や愛」も、感じられない訳です。
自分では「魅力じゃないだろう…」と思っている部分を、
他人は「魅力的だ!」と感じている訳です。
自分と他人の感覚に、ズレがある訳です。
その「ズレ」があるから、「他人の愛」がわからないのです。
自分で商売をするにしても、
自分が魅力だと思う部分と、
お客さんが魅力だと思う部分は違う事が多いです。
そこの感覚がズレていたら、商売は上手く行きません。
お客さんの視点で、「どう思うか?」がわかっていないと、
「商品開発」も「営業」も、【 的外れ 】になってしまいます。
何が言いたいかというと、
どちらにしても、
【 他人視点を持つことが、非常に重要 】なのです。
前回の記事に書いた、
【 他人の精神的苦痛を理解する 】って事も、同様です。
要は、
【「他人の視点」に立って「感じたり、考えたり」するスキル 】
これは、人生を生きる上で、非常に重要なスキルなのです。
これを持っていない人は、
他人の愛を感じられないし、空気も読めない。
他人の苦痛もわからないし、まともに思考もできない。
他人って言うのは、
「自分が思ってもいない部分」を、魅力的だと感じてくれているのです。
それを知る事で、自分に自信を持つ事が出来ます。
「自分には、自分で気付いていなかった価値があるんだ」
と気付く事が出来ます。
まず、
・自分の感じ方(価値観)と
・他人の感じ方(価値観)には
非常に大きなギャップがある…
そういう前提を持つ事が大切です。
自分には、
「自分で気付いていない価値や魅力」があって、
「それを感じてくれる他人が存在している」という事です。
例えば、ある男性が、
「男の魅力はお金だ!」と思っているとします。
でも、自分はそこまでお金を持っていないから、
「男として、自分に自信が持て無い」とします。
でも、女性の側に立ってみると、
「お金が魅力だ!」と思う人も、当然いるでしょうが、
そうでない人も居るわけで、
「特に、お金に魅力を感じない女性」からしてみれば、
その男性が自信喪失しているのが、勿体なく見える訳です。
そんな感じで、
自分が魅力・価値だと思っている事と、
他人が魅力・価値だと思っている事には、ズレがあるのです。
自分が自覚していない魅力・価値に気付いて行くには、
【 他人視点を借りる事 】が必要です。
様々な価値観を知る事で、
【 自覚していなかった、自分の価値・魅力に気付ける 】のです。
例えば、私は「話が合う人」が少ないので、
「自分と話しが合う」というだけで、
私にとっては、【 ものすごく価値の高い他人 】になるのです。
でも、人によっては、
「ただ話が合うことくらい、
別に取るに足らない、価値の低いことだろう」
と思ってしまいそうですけどね。
とにもかくにも、
「狭い自分の主観」しか持っていなければ、
精神的にも、経済的にも、上手く回ることはありません。
私はしばらく、
女性が男性に好意を持つ感覚って、
どんな感じかわかりませんでした。
女性が男性に何を求めているのかわからなかった。
でも、今は以前より少しわかりますから、その分だけ、
女性から好感を持ってもらえる自信も高まりました(笑)
【 他人の立場・視点に立って、感じる、考える 】
このスキルが、
・自分に自信を持つためにも、
・他人の愛に気付くためにも、
・コミュニケーションスキルを高める為にも、
・他人の苦痛から学んで、自分の人生に生かすためにも、
・商売でお客さんの視点に立って商品開発をして、営業するためにも、
全てに必要になってくる訳です。
でも、それが得意な人ばかりでない所を見ると、
学校教育では、
まったくこのスキルを鍛えられていないという事でしょう。
ま、「協調性」ばかり重視して、
「個性や感覚、捉え方の違い」など邪魔者扱いですからね。
むしろ、
【 このスキルが苦手になるような教育を受けている 】と言えます。
やっぱり、学校教育はクソです。
人を不幸にする教育です。
・個性の違い
・価値観の違い
・感覚の違い
・捉え方の違い
人それぞれの違いに価値を見いだすから、
人は、【「ありのままの自分」に自信が持てるようになる 】のです。
【 自分のユニークさが、誰かにとっての高い価値なんだ 】
と思えるようになるのです。
学校教育に洗脳されている人はむしろ逆で、
自分は多数派と違って異質な存在だから、
自分には価値が無いと思い込んでいるでしょう。
もちろん、経済の領域においては、
役に立たないモノには価値が有りません。
経済的価値とは、役に立つかどうか?です。
でも、精神の領域においては、
【 自分の個性が、誰かの孤独を埋める 】としたら、
特に何もしなくても、存在しているだけで、
誰かにとっての価値になっているのです。
まず、親世代が率先して、
学校教育のクソ洗脳から脱洗脳しないと、
今幼少期を送っている子供世代に、
そのままクソ洗脳を施すことになります。
・親世代の責任を果たすか?
・恐怖と責任から逃げるて、子供世代にツケを回すか?
その選択です。
「どうすれば他人の愛を感じる事ができるようになるのか?」
というテーマについて、考えていました。
「自分は他人から愛されている」と感じる事で、
人は、「ポジティブに生きよう」と思えますからね。
先日も書いた通り、
「他人から自分に向けられた愛」を感じられない人は、
幼少期に「両親・先生・同級生」などから、
「お前には価値が無い」と言われて、
それを鵜呑みにしてしまったからです。
「自分には価値が無い」と思っているから、
「他人の愛」を感じられないのです。
ですから、その幼少期の自分にネガティブな洗脳を掛けてきた、
【「両親、先生、同級生」などに刃向かう 】ぐらいの、
【「強気の姿勢」を持つ事が大切である 】という事を書きました。
それは、まずネガティブ洗脳を真っ白に戻すために大切です。
「大切なモノ(自尊心)」を守るには、時に「闘う事」も必要ですからね。
で、「ネガティブな影響を減らしていく方向性」の次は、
「ポジティブな影響を増やしていく方向性」が必要です。
で、私自身の過去を振り返ると、
そういえば、若い頃に、
知り合った女性に誘われて、少し遊んだことがあったな…と。
失礼な話、
私はまったく異性(恋愛対象)として認識してませんでした(笑)
でも、今思えば、もしかしたら、
向こうは私の事を恋愛対象として
見ていたのかもしれないな…と思います。
当時の自分は、鈍感すぎて気付けませんでした(笑)
その当時の自分は、
「自分がモテるハズがない…」
という観念を持っていたと思います(笑)
それに、恋愛対象外の人から好かれたとしても、
好意を断るのに気を遣うから、
自分が好きになった人以外には、
あまり好かれたくないなぁとも思っていました。
まぁ、いろんなネガティブ観念が働いて、
自分に対する好意に、気付けなくなっていた訳です。
「自分はモテるハズがない」と思っているのに、
実際に自分に好意を持つ人がいたとしたら、
それは、言い換えると、
【 自分の魅力に、自分自身が気付いていない 】
という事になります。
まず、自分で「自分の価値」を自覚できないと、
「他人から注がれる好意や愛」も、感じられない訳です。
自分では「魅力じゃないだろう…」と思っている部分を、
他人は「魅力的だ!」と感じている訳です。
自分と他人の感覚に、ズレがある訳です。
その「ズレ」があるから、「他人の愛」がわからないのです。
自分で商売をするにしても、
自分が魅力だと思う部分と、
お客さんが魅力だと思う部分は違う事が多いです。
そこの感覚がズレていたら、商売は上手く行きません。
お客さんの視点で、「どう思うか?」がわかっていないと、
「商品開発」も「営業」も、【 的外れ 】になってしまいます。
何が言いたいかというと、
どちらにしても、
【 他人視点を持つことが、非常に重要 】なのです。
前回の記事に書いた、
【 他人の精神的苦痛を理解する 】って事も、同様です。
要は、
【「他人の視点」に立って「感じたり、考えたり」するスキル 】
これは、人生を生きる上で、非常に重要なスキルなのです。
これを持っていない人は、
他人の愛を感じられないし、空気も読めない。
他人の苦痛もわからないし、まともに思考もできない。
他人って言うのは、
「自分が思ってもいない部分」を、魅力的だと感じてくれているのです。
それを知る事で、自分に自信を持つ事が出来ます。
「自分には、自分で気付いていなかった価値があるんだ」
と気付く事が出来ます。
まず、
・自分の感じ方(価値観)と
・他人の感じ方(価値観)には
非常に大きなギャップがある…
そういう前提を持つ事が大切です。
自分には、
「自分で気付いていない価値や魅力」があって、
「それを感じてくれる他人が存在している」という事です。
例えば、ある男性が、
「男の魅力はお金だ!」と思っているとします。
でも、自分はそこまでお金を持っていないから、
「男として、自分に自信が持て無い」とします。
でも、女性の側に立ってみると、
「お金が魅力だ!」と思う人も、当然いるでしょうが、
そうでない人も居るわけで、
「特に、お金に魅力を感じない女性」からしてみれば、
その男性が自信喪失しているのが、勿体なく見える訳です。
そんな感じで、
自分が魅力・価値だと思っている事と、
他人が魅力・価値だと思っている事には、ズレがあるのです。
自分が自覚していない魅力・価値に気付いて行くには、
【 他人視点を借りる事 】が必要です。
様々な価値観を知る事で、
【 自覚していなかった、自分の価値・魅力に気付ける 】のです。
例えば、私は「話が合う人」が少ないので、
「自分と話しが合う」というだけで、
私にとっては、【 ものすごく価値の高い他人 】になるのです。
でも、人によっては、
「ただ話が合うことくらい、
別に取るに足らない、価値の低いことだろう」
と思ってしまいそうですけどね。
とにもかくにも、
「狭い自分の主観」しか持っていなければ、
精神的にも、経済的にも、上手く回ることはありません。
私はしばらく、
女性が男性に好意を持つ感覚って、
どんな感じかわかりませんでした。
女性が男性に何を求めているのかわからなかった。
でも、今は以前より少しわかりますから、その分だけ、
女性から好感を持ってもらえる自信も高まりました(笑)
【 他人の立場・視点に立って、感じる、考える 】
このスキルが、
・自分に自信を持つためにも、
・他人の愛に気付くためにも、
・コミュニケーションスキルを高める為にも、
・他人の苦痛から学んで、自分の人生に生かすためにも、
・商売でお客さんの視点に立って商品開発をして、営業するためにも、
全てに必要になってくる訳です。
でも、それが得意な人ばかりでない所を見ると、
学校教育では、
まったくこのスキルを鍛えられていないという事でしょう。
ま、「協調性」ばかり重視して、
「個性や感覚、捉え方の違い」など邪魔者扱いですからね。
むしろ、
【 このスキルが苦手になるような教育を受けている 】と言えます。
やっぱり、学校教育はクソです。
人を不幸にする教育です。
・個性の違い
・価値観の違い
・感覚の違い
・捉え方の違い
人それぞれの違いに価値を見いだすから、
人は、【「ありのままの自分」に自信が持てるようになる 】のです。
【 自分のユニークさが、誰かにとっての高い価値なんだ 】
と思えるようになるのです。
学校教育に洗脳されている人はむしろ逆で、
自分は多数派と違って異質な存在だから、
自分には価値が無いと思い込んでいるでしょう。
もちろん、経済の領域においては、
役に立たないモノには価値が有りません。
経済的価値とは、役に立つかどうか?です。
でも、精神の領域においては、
【 自分の個性が、誰かの孤独を埋める 】としたら、
特に何もしなくても、存在しているだけで、
誰かにとっての価値になっているのです。
まず、親世代が率先して、
学校教育のクソ洗脳から脱洗脳しないと、
今幼少期を送っている子供世代に、
そのままクソ洗脳を施すことになります。
・親世代の責任を果たすか?
・恐怖と責任から逃げるて、子供世代にツケを回すか?
その選択です。
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2018年04月04日
他人の苦痛から学ぶ
私のここ最近の記事を読んでいる人には、
「自分って何の為に生きてるんだろう?」
って、疑問が沸いてきた人も多いと思います。
そういう疑問が沸くって事は、
【 ようやくまともな神経になってきた 】という事です。
ようやく、
「この世界がとてもネガティブである事を理解し始めた」
という事です。
ネガティブな世界で生きても、
ネガティブな世界に適応できないし、
適応する気も無いし、苦しい事の方が多い。
それに、未来に大した希望も持てない。
それなら、死んだ方がマシなんじゃないか…?
そういう発想が沸く方が、まともなのです。
私は、その疑問を「15歳」の時に抱えました。
でも、私は生きることにしました。
将来に対して完全に絶望したわけではなく、
死ぬ事はいつでも出来るから、
「ほんの少しの希望や可能性に掛けてみよう」と…、
そんな風に決断を下したのです。
生きる上で何より大切なのは、【 希望 】です。
今が苦しくても、
「未来が良くなっていく」という希望があれば、
目の前の苦しみに耐えることが出来ます。
一方、今がどれだけ恵まれていても、
「未来はどんどん悪くなっていく一方だ…」と思っていたら、
将来が不安でしかありません。
現在の私は、未来に希望しか持っていません。
だから、
まだ叶っていない夢もありますし、
まだ満足していない部分もありますが、
未来に対して、不安は一切ありません。
この先、「自分には追い風しか吹くことがない」と、
理解しているからです。
私は、絶望している間、希望を一生懸命に探しました。
この絶望的な状況の中で、どこかに希望はないのか?と。
そして、最終的に希望を見つけ出したから、生きているのです。
希望って言うのは、探さないと見つかりません。
でも、ほとんどの人は、
「自分の希望を探す」という行為をしていない。
面倒くさいからです。
目先でそれほど困っていなければ、
わざわざ本気で希望を探す動機もない。
でも、絶望的な状況になったら、
・完全に絶望するか?
・一生懸命に希望を探すか?
どちらかしか無いと思います。
私は、一生懸命に希望を探しました。
そして見つけたので、希望を失いません。
自分は経験上、希望を見つけてきたから、
【 自分は希望を見つける事が出来る 】という信念もあります。
私は、
【 ネガティブな世界で生きても、苦しい事の方が多い 】
その事に、15歳で気付きました。
でも、努力すれば、
「自分の生活」も変えられるし、「世の中」も変えられる。
今はそう思っているから、希望を持って生きているのです。
「自分の生活も、世の中も変えられない」と思っていたら、
とっくの昔に、
「未来」と「世界」に絶望して、自殺してますよ。
自分の生きる意味を見つけたから、私は生きています。
でも、自分の生きる意味を見つけたければ、
「自分って何の為に生きてるんだろう?」っていう問いに対して、
真剣に考える必要があります。
ほとんどの人は、【 死ぬのが怖い 】から生きています。
それが、「生きる意味」なのです。
そして、それは【 何も考えていないのと同じ 】です。
でも、
【 死ぬより辛い苦痛 】がこの世に存在している事を知ったら、
「死ぬのが怖いから生きる」っていう理由も、バカらしくなります。
「死ぬより辛い苦痛に遭遇するなら、死んだ方がマシじゃん」って思います。
【「死ぬより辛い苦痛」が存在するこの世の中で、なぜ生きるのか? 】
それこそが、真剣に考えるべきテーマです。
今の私の生活は、
圧倒的に「精神的苦痛(ストレス)」が少なく、
「幸福感」や「満足感」の多い生活をしています。
そういう生活をしているなら、死なない方がマシかなと思います。
だから私は、自分の人生で、
【 苦痛より幸福が遥かに上回る生活 】を目指して、
努力してきました。
人間は、「死ぬより辛い苦痛」っていうのがイメージ出来ないと、
「死の恐怖」が優勢になり、「死なない為に生きている」という訳です。
だから、【 保身と延命が最優先 】になる。
でも、リスクを背負う「攻めの姿勢」が持てないから、
「幸福感、満足感」などはなかなか手に入りません。
人間は、自分が経験しなくても、
他人の経験をイメージする事は出来ます。
例えば、拷問で「爪を剥がされる痛み」ってありますよね?
どれくらいの激痛か? 想像できませんか?
身体に硫酸をかけられて、全身大火傷になる痛みって、
どれくらいの激痛か? 想像できますか?
想像できるから、慎重になって、回避しようと思う訳ですよね?
他人の苦痛をイメージ出来るから、自分は苦痛を回避できるのです。
私は、失敗した経営者が、どれほどの苦痛を背負う事になるのか?
たくさんの例を見て、学んでいます。
「お金」も「人間関係(信頼)」も失い、
顧客、取引先、金融機関…
あらゆる他人から、ひどく責め立てられます。
それが、失敗した経営者の末路です。
「ああは、なりなくない」と、心底思います。
だから、経営判断には慎重になるのです。
他人の身体的苦痛はイメージしやすいのかもしれませんが、
他人の精神的苦痛はイメージしにくいですか?
日本人の多くは、他人の精神的苦痛がわからないから、
社会的に「ストレスケアの領域」が未熟なのです。
でも、日本人の多くは、
「孤独」や「仲間はずれ」を心底怖がっていますよね?
ということは、
「孤独」や「仲間はずれ」の精神的苦痛を、
本当は理解できるハズです。
できるのに、していない。
ネガティブ感情を感じたくなくて、
自分の「感じる感覚」や「想像力」をオフにしているのです。
極度に「精神的苦痛」を怖れているから、
【 その存在すら、無視してしまっている 】のです。
相当の重症ですな…。
他人の苦痛から学べない人は、
自らの身を持って、苦痛を経験するしか有りません。
他人の苦痛をイメージする事すら怖れている人は、
その怖れが自分の身に降りかかり、現実のモノになるのです。
「恐怖に負けた人間は、その身で苦痛を味わう事になる…。」
これは、【 法則 】です。
これまでの数年のプロセスで、
日本人は相当恐怖から逃げて来ていますから、
今後、日本人の多くは、痛い目を見ることになるでしょうね。
「他人の苦痛」を感じれば、
まともに思考が働き、生き方が変わります。
そうしてこそ、
自分に降りかかる痛みを回避できるのです。
他人の苦痛から学ばないから、
自分が身を持って苦痛を味わう事になるのです。
「自分って何の為に生きてるんだろう?」
って、疑問が沸いてきた人も多いと思います。
そういう疑問が沸くって事は、
【 ようやくまともな神経になってきた 】という事です。
ようやく、
「この世界がとてもネガティブである事を理解し始めた」
という事です。
ネガティブな世界で生きても、
ネガティブな世界に適応できないし、
適応する気も無いし、苦しい事の方が多い。
それに、未来に大した希望も持てない。
それなら、死んだ方がマシなんじゃないか…?
そういう発想が沸く方が、まともなのです。
私は、その疑問を「15歳」の時に抱えました。
でも、私は生きることにしました。
将来に対して完全に絶望したわけではなく、
死ぬ事はいつでも出来るから、
「ほんの少しの希望や可能性に掛けてみよう」と…、
そんな風に決断を下したのです。
生きる上で何より大切なのは、【 希望 】です。
今が苦しくても、
「未来が良くなっていく」という希望があれば、
目の前の苦しみに耐えることが出来ます。
一方、今がどれだけ恵まれていても、
「未来はどんどん悪くなっていく一方だ…」と思っていたら、
将来が不安でしかありません。
現在の私は、未来に希望しか持っていません。
だから、
まだ叶っていない夢もありますし、
まだ満足していない部分もありますが、
未来に対して、不安は一切ありません。
この先、「自分には追い風しか吹くことがない」と、
理解しているからです。
私は、絶望している間、希望を一生懸命に探しました。
この絶望的な状況の中で、どこかに希望はないのか?と。
そして、最終的に希望を見つけ出したから、生きているのです。
希望って言うのは、探さないと見つかりません。
でも、ほとんどの人は、
「自分の希望を探す」という行為をしていない。
面倒くさいからです。
目先でそれほど困っていなければ、
わざわざ本気で希望を探す動機もない。
でも、絶望的な状況になったら、
・完全に絶望するか?
・一生懸命に希望を探すか?
どちらかしか無いと思います。
私は、一生懸命に希望を探しました。
そして見つけたので、希望を失いません。
自分は経験上、希望を見つけてきたから、
【 自分は希望を見つける事が出来る 】という信念もあります。
私は、
【 ネガティブな世界で生きても、苦しい事の方が多い 】
その事に、15歳で気付きました。
でも、努力すれば、
「自分の生活」も変えられるし、「世の中」も変えられる。
今はそう思っているから、希望を持って生きているのです。
「自分の生活も、世の中も変えられない」と思っていたら、
とっくの昔に、
「未来」と「世界」に絶望して、自殺してますよ。
自分の生きる意味を見つけたから、私は生きています。
でも、自分の生きる意味を見つけたければ、
「自分って何の為に生きてるんだろう?」っていう問いに対して、
真剣に考える必要があります。
ほとんどの人は、【 死ぬのが怖い 】から生きています。
それが、「生きる意味」なのです。
そして、それは【 何も考えていないのと同じ 】です。
でも、
【 死ぬより辛い苦痛 】がこの世に存在している事を知ったら、
「死ぬのが怖いから生きる」っていう理由も、バカらしくなります。
「死ぬより辛い苦痛に遭遇するなら、死んだ方がマシじゃん」って思います。
【「死ぬより辛い苦痛」が存在するこの世の中で、なぜ生きるのか? 】
それこそが、真剣に考えるべきテーマです。
今の私の生活は、
圧倒的に「精神的苦痛(ストレス)」が少なく、
「幸福感」や「満足感」の多い生活をしています。
そういう生活をしているなら、死なない方がマシかなと思います。
だから私は、自分の人生で、
【 苦痛より幸福が遥かに上回る生活 】を目指して、
努力してきました。
人間は、「死ぬより辛い苦痛」っていうのがイメージ出来ないと、
「死の恐怖」が優勢になり、「死なない為に生きている」という訳です。
だから、【 保身と延命が最優先 】になる。
でも、リスクを背負う「攻めの姿勢」が持てないから、
「幸福感、満足感」などはなかなか手に入りません。
人間は、自分が経験しなくても、
他人の経験をイメージする事は出来ます。
例えば、拷問で「爪を剥がされる痛み」ってありますよね?
どれくらいの激痛か? 想像できませんか?
身体に硫酸をかけられて、全身大火傷になる痛みって、
どれくらいの激痛か? 想像できますか?
想像できるから、慎重になって、回避しようと思う訳ですよね?
他人の苦痛をイメージ出来るから、自分は苦痛を回避できるのです。
私は、失敗した経営者が、どれほどの苦痛を背負う事になるのか?
たくさんの例を見て、学んでいます。
「お金」も「人間関係(信頼)」も失い、
顧客、取引先、金融機関…
あらゆる他人から、ひどく責め立てられます。
それが、失敗した経営者の末路です。
「ああは、なりなくない」と、心底思います。
だから、経営判断には慎重になるのです。
他人の身体的苦痛はイメージしやすいのかもしれませんが、
他人の精神的苦痛はイメージしにくいですか?
日本人の多くは、他人の精神的苦痛がわからないから、
社会的に「ストレスケアの領域」が未熟なのです。
でも、日本人の多くは、
「孤独」や「仲間はずれ」を心底怖がっていますよね?
ということは、
「孤独」や「仲間はずれ」の精神的苦痛を、
本当は理解できるハズです。
できるのに、していない。
ネガティブ感情を感じたくなくて、
自分の「感じる感覚」や「想像力」をオフにしているのです。
極度に「精神的苦痛」を怖れているから、
【 その存在すら、無視してしまっている 】のです。
相当の重症ですな…。
他人の苦痛から学べない人は、
自らの身を持って、苦痛を経験するしか有りません。
他人の苦痛をイメージする事すら怖れている人は、
その怖れが自分の身に降りかかり、現実のモノになるのです。
「恐怖に負けた人間は、その身で苦痛を味わう事になる…。」
これは、【 法則 】です。
これまでの数年のプロセスで、
日本人は相当恐怖から逃げて来ていますから、
今後、日本人の多くは、痛い目を見ることになるでしょうね。
「他人の苦痛」を感じれば、
まともに思考が働き、生き方が変わります。
そうしてこそ、
自分に降りかかる痛みを回避できるのです。
他人の苦痛から学ばないから、
自分が身を持って苦痛を味わう事になるのです。
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2018年04月03日
「お金」と「幸福」の関係
今のご時世で、
まだ「お金自体」に囚われている人って、
どれだけ時代遅れなんだろう?
私は、よく例えを使いますが、
年収200万円の人が、
年収400万円になったら、かなり幸せになるでしょう。
年収400万円の人が、
年収800万円になったら、かなり幸せになるでしょう。
でも、
年収1000万円の人が、
年収2000万円になっても、
それほど幸福感は増えません。
年収2000万円の人が、
年収1億円になったからって、5倍幸せでしょうか?
そんな事はありません。
何でか?って言うと、
100円のコーヒーに比べて、
1000円のコーヒーが、10倍美味しい訳じゃないから。
ダイソンの掃除機が、8万円だとして、
2倍の16万円出すから、
その「2倍の性能」の掃除機が欲しいって言っても、
そんなのは存在しない訳。
何が言いたいか?って言うと、
【 生活費には上限がある 】という事です。
お金は出すから、
価値が高いモノが欲しい!って言っても、
「生活必需品の金額の上限」は決まっているのです。
洗濯機や冷蔵庫、エアコン…、
「一番性能が高いヤツが欲しい!」って言っても、
その金額の上限は決まっているのです。
日本は、石油王が暮らすドバイじゃないんだから。
自分が満足いくだけの生活必需品を、
ある程度揃えられるようになったら、
収入がいくら増えても、比例して幸福感は増えません。
「住める家のランク(家賃)」は、かなり上までありますが、
毎日食べる「野菜」や「米」に関しては、
10倍支払うから、10倍の価値のモノが欲しいって言っても、
そんなのは無いのです。
あったとしても、「10倍の味」がする訳じゃない。
だから、高収入でも「お金の使い道がない人」は、
・異性との付き合い(キャバクラ、ホストなど)
・高級ワイン
・ギャンブル
・投資
などのお金持っている人が「散財できる使い道」に、使うわけです。
と言っても、そこまで幸福感には関係ありません。
「お金に関してストレスがない程度の収入」を得た後は、
【 時間のゆとり 】【 人間関係 】や【 情熱 】などが、
幸福感に関係あるのです。
お金だけ極端に多く持っていても、
【 時間のゆとり 】【 人間関係 】や【 情熱 】が無いとすれば、
それは、辛い生活です。
お金を稼ぐ為に、
顧客に本音を隠して、建前で生きたとしても、
「幸せ(情熱・人間関係)」は手に入らないのです。
「高収入なら、比例して幸福感が増える」なんて思い込み、
いつの時代の人間でしょう?
脳内バブル世代ですか?(笑)
現代の日本人は「儲かる話」よりも、
・時間のゆとり
・人間関係
・情熱
を、潜在的に求めているのです。
で、現代のサラリーマンでは、それらが手に入らないから、
【 働き方改革 】などと叫ばれるのです。
まぁ、私はお金を得ることよりも、
・時間のゆとり
・人間関係
・情熱
を、優先してきましたから、現在はストレスフリーです。
と言っても、
まだまだ人々から「金持ち=すごい」という、
先入観がなくなった訳ではありません。
潜在的に「お金以外」を求めていても、それに自覚がないのです。
人間は、「自分の本心がわからない生き物」ですから。
それに、自らの幸福を追い求めようとすると、
「孤独感」を通る必要がありますから、それがイヤなのでしょう。
【 自分の心が満たされないままでも、多数派に所属している方が良い 】のです。
まぁ、心が満たされなくても、その状態に耐えられているのだから、
わざわざ、何かを変えようと思わないのでしょう。
でも、守りに入った時点で、人間は衰退するしかありません。
現状はまだ耐えられるくらいにマシでも、
だんだん、キツくなっていきます。
逃避を続けても、
いずれ無視できなくなるくらい、
「心の叫び声」が大きくなっていきます。
まぁ、一度逃げる事を選択した人間は、
逃げられなくなるまで、追い詰められるまで、
逃げ続ける事を選択するモノです。
そもそも、死と孤独への怖れが強すぎて、
「自分の人生」について真剣に考えられず、
毎日、惰性で生きているのです。
「死と孤独への怖れ」を乗り越えない限り、
目の前のストレスは多少減らせるかも知れませんが、
【 心を満たすこと 】は出来ないのです。
人間は、いつ死ぬか分からないし、誰でもいずれ絶対に死ぬ。
自分の死に際に、怖れに立ち向かわず、逃げてばかりで、
【 人生で「心を満たす経験」が出来なかったな… 】と振り返って、
それでも満足・納得できるなら、構いませんけどね。
まだ「お金自体」に囚われている人って、
どれだけ時代遅れなんだろう?
私は、よく例えを使いますが、
年収200万円の人が、
年収400万円になったら、かなり幸せになるでしょう。
年収400万円の人が、
年収800万円になったら、かなり幸せになるでしょう。
でも、
年収1000万円の人が、
年収2000万円になっても、
それほど幸福感は増えません。
年収2000万円の人が、
年収1億円になったからって、5倍幸せでしょうか?
そんな事はありません。
何でか?って言うと、
100円のコーヒーに比べて、
1000円のコーヒーが、10倍美味しい訳じゃないから。
ダイソンの掃除機が、8万円だとして、
2倍の16万円出すから、
その「2倍の性能」の掃除機が欲しいって言っても、
そんなのは存在しない訳。
何が言いたいか?って言うと、
【 生活費には上限がある 】という事です。
お金は出すから、
価値が高いモノが欲しい!って言っても、
「生活必需品の金額の上限」は決まっているのです。
洗濯機や冷蔵庫、エアコン…、
「一番性能が高いヤツが欲しい!」って言っても、
その金額の上限は決まっているのです。
日本は、石油王が暮らすドバイじゃないんだから。
自分が満足いくだけの生活必需品を、
ある程度揃えられるようになったら、
収入がいくら増えても、比例して幸福感は増えません。
「住める家のランク(家賃)」は、かなり上までありますが、
毎日食べる「野菜」や「米」に関しては、
10倍支払うから、10倍の価値のモノが欲しいって言っても、
そんなのは無いのです。
あったとしても、「10倍の味」がする訳じゃない。
だから、高収入でも「お金の使い道がない人」は、
・異性との付き合い(キャバクラ、ホストなど)
・高級ワイン
・ギャンブル
・投資
などのお金持っている人が「散財できる使い道」に、使うわけです。
と言っても、そこまで幸福感には関係ありません。
「お金に関してストレスがない程度の収入」を得た後は、
【 時間のゆとり 】【 人間関係 】や【 情熱 】などが、
幸福感に関係あるのです。
お金だけ極端に多く持っていても、
【 時間のゆとり 】【 人間関係 】や【 情熱 】が無いとすれば、
それは、辛い生活です。
お金を稼ぐ為に、
顧客に本音を隠して、建前で生きたとしても、
「幸せ(情熱・人間関係)」は手に入らないのです。
「高収入なら、比例して幸福感が増える」なんて思い込み、
いつの時代の人間でしょう?
脳内バブル世代ですか?(笑)
現代の日本人は「儲かる話」よりも、
・時間のゆとり
・人間関係
・情熱
を、潜在的に求めているのです。
で、現代のサラリーマンでは、それらが手に入らないから、
【 働き方改革 】などと叫ばれるのです。
まぁ、私はお金を得ることよりも、
・時間のゆとり
・人間関係
・情熱
を、優先してきましたから、現在はストレスフリーです。
と言っても、
まだまだ人々から「金持ち=すごい」という、
先入観がなくなった訳ではありません。
潜在的に「お金以外」を求めていても、それに自覚がないのです。
人間は、「自分の本心がわからない生き物」ですから。
それに、自らの幸福を追い求めようとすると、
「孤独感」を通る必要がありますから、それがイヤなのでしょう。
【 自分の心が満たされないままでも、多数派に所属している方が良い 】のです。
まぁ、心が満たされなくても、その状態に耐えられているのだから、
わざわざ、何かを変えようと思わないのでしょう。
でも、守りに入った時点で、人間は衰退するしかありません。
現状はまだ耐えられるくらいにマシでも、
だんだん、キツくなっていきます。
逃避を続けても、
いずれ無視できなくなるくらい、
「心の叫び声」が大きくなっていきます。
まぁ、一度逃げる事を選択した人間は、
逃げられなくなるまで、追い詰められるまで、
逃げ続ける事を選択するモノです。
そもそも、死と孤独への怖れが強すぎて、
「自分の人生」について真剣に考えられず、
毎日、惰性で生きているのです。
「死と孤独への怖れ」を乗り越えない限り、
目の前のストレスは多少減らせるかも知れませんが、
【 心を満たすこと 】は出来ないのです。
人間は、いつ死ぬか分からないし、誰でもいずれ絶対に死ぬ。
自分の死に際に、怖れに立ち向かわず、逃げてばかりで、
【 人生で「心を満たす経験」が出来なかったな… 】と振り返って、
それでも満足・納得できるなら、構いませんけどね。
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2018年04月02日
「愛」と「肉親」の関係
前回、
・他者から注がれる「愛」を感じる感覚
http://growheart.livedoor.biz/archives/52049811.html
という記事を書きました。
私は、読者の「層、理解度、反応」などを、
テレパシーやチャネリングでいつも把握する様にしています。
が、前回の記事は、目を通しても、
あまり内容が入ってこなかったという人も多かったと思います。
人間は、イメージしながら文章を読みますが、
そのイメージが出来ないと、内容が理解できません。
「問題の核心」に迫れば迫るほど、
「無意識の抵抗」も、それだけ最大になってきますからね。
そういう時は、
他人の話を聞いても、内容がまったく理解できずに、
「ただ音声を拾っているだけ」の状態になります。
人の話(音声)が伝えようとしている「意味・意図」が、
まったくイメージ出来ません。
それが、「無意識の抵抗」が働いている状態です。
人が音声で会話している時には、
同時にテレパシーも使って、情報を伝えようとしていますが、
「無意識の抵抗」が激しいときには、
そのテレパシーがまったく受け取れていない状態です。
例えるなら、
アメリカ人は、会話でボディランゲージを使いますが、
それが一切封じられている様なモノです。
そうなると、情報伝達率が下がって当然です。
それと、前回の記事は、
「全体像」をざっくりと書きましたからね。
それなりに「予備知識」と「理解力」のある人でないと、
理解はできないでしょう。
まぁ、この「愛される感覚・愛される自信」
というテーマで、何本か記事を書き続ければ、
ジワジワと伝わっていくと思います。
だから、しばらくは、
このテーマで数本記事を書くと思います。
で、今から本題です。
前回の記事を掻い摘まんで説明すると、
・人間は、既に他者から愛されているにも関わらず、
それを感じられていないから、
「自分は愛されていない」と勘違いしている。
・「自分は愛されていない」と勘違いしているから、
【 ポジティブな意図・方向性 】を持つことが出来ない。
・「自分は愛されていない」と勘違いしているのは、
「他者の愛を感じる事」に対して、【 激しい抵抗感 】を持っているから。
・その抵抗感の原因は、
【 潜在意識下の「孤独感」と向き合いたくない 】という気持ち。
・その孤独感を避けるために、
「大して信頼し合えない知り合い」と会話して、傷を舐め合っている。
・他人と「本当に信頼できる関係」を目指すと、
「自らの孤独感」と向き合う必要があるが、
そこまでの「やる気」は無いから、
たまたま目の前に現れた知り合いと、傷の舐め合いを続ける。
という事です。
まぁ、この「掻い摘まんだ説明」ですら、
激しい「無意識の抵抗」が働いてしまう人もいるでしょう。
一言で言うと、
【 孤独が怖すぎて、ポジティブに生きようとも思えない 】
という事です。
孤独感によって、
【「ポジティブに生きる意志」すら、折られている 】という事です。
ポジティブな生き方っていうのは、
・自分の幸せ、夢、理想を目指す
・他人の幸せ、夢、理想に貢献する
という生き方ですよ。
私は、
【 人生最大の恐怖は「死」と「孤独」】
と言ってきましたが、
現代の日本人は、どちらも世界トップクラスにビビっています。
本当に、日本人は
自分の命より大切なモノの為に
切腹する習慣を持っていた、
勇敢な【「武士」や「侍」の末裔 】なのでしょうか?
幕末の維新志士が、現代の日本人の現状を知ったら、
「不甲斐ない、情けない」と、涙するのではないでしょうか?
まぁ、太平洋戦争で、
アメリカにコテンパンにやられたのが、
日本人集合意識下で相当なトラウマになっているのでしょう。
まぁ、話を元に戻しますが、
「死への恐怖」を持っていると、
自分の人生を真剣に考える事ができない。
「孤独への恐怖」を持っていると、
「ポジティブ(自他の幸せの為に)に生きる意志」を持つことが出来ない。
という事です。
孤独への恐怖が強いから、「多数派」に流されちゃうんでしょ?
その多数派が「ネガティブな勢力」だとしても。
学校でイジメが起こったとき、
自分を仲間はずれにされたくないから、
悪い事だとわかっていても、イジメる側に回るんでしょ?
「死ぬ事」と「仲間はずれ」を極度に怖がるのが、日本人です。
私が孤独を怖くないのは、
きっと、「両親からの愛」を感じているからです。
他人からいくら嫌われても、
常に、「両親は自分の味方だ」という確信があるから、
怖くないのです。
という事は、
やっぱり行き着くところは【 家庭環境 】です。
「家庭環境」において、
【 孤独への恐怖 】が植え付けられるのです。
「子供を持つ親」の人たちに問いたいですが、
子供は、「親である自分の愛」を感じていると思いますか?
それが伝わっていないと、
子供は「チャレンジ精神」を持てませんよ。
リスクを極端に怖れるようになります。
親が子供にとって、
【 自分が失敗しても、休める居場所 】として機能していないと、
子供は、自分の人生に対して「攻めの姿勢」に出られません。
・「子供の失敗」を裁いて責めて、
・「わかりやすい愛情表現」をしていないとしたら、
子供は、
【 自発心なんて持たない方が良い、
「目上に従順な優等生」でなければ愛されない 】と思うでしょう。
それこそ、【 模範的な奴隷 】です。
【 家庭で、奴隷を育てている 】のです。
子育てに対して、非常に無責任です。
まぁ、そうやって祖父母の時代から、
「代々受け継がれてきた教育方針」なのでしょう。
ただ、過去に起こった事を今更嘆いてもどうしようもありません。
問題は、ネガティブに育てられてしまった大人は
どうやったら変わるのか? という事です。
「変わりたいという本人の意志」は言わずもがな必要ですが、
意志を持った人間が、
どういう行動を起こせば、変わる事が出来るのか?
その「方法論」を確立するのが、心理のプロの仕事です。
で、初めにやるべき事っていうのは、
【 親に逆らうこと 】だと思うんですね。
親は「ネガティブな人間」で、
自分は「ネガティブな育てられ方」をした。
それを、潔く認める必要があると思います。
何故かっていうと、
今更、(ポジティブな)親が、子供に接するみたいに、
わかりやすい愛情を注いでくれる人の登場を、
他人には期待できません。
そんなのを期待していたら、一生が終わってしまいます。
もし、赤の他人から
「赤ちゃんや幼児をあやすような態度」をされても、
ちょっと気持ち悪いと思いますしね(笑)
ですから、積極的に
・自分で自分を愛する事
・自分で自分を認める事
を、しなければなりませんが、
孤独が怖い人というのは、
親から、【 子供のお前には価値がない! 】という
真逆の洗脳を受けてきた人たちです。
その親のネガティブ洗脳に対して、
真正面から反抗する必要があります。
・親がナンボのもんじゃい!
・お前のクソ教育のせいで、私の人生メチャクチャじゃ!
・もう、私に口出しすんな!
・親のお前が私に価値が無いと言っても、
私には価値が有るんじゃ!
ってぐらいの、強い気持ちを持つ事は必要でしょう。
ネガティブな親に育てられたくせして、
【 親に刃向かえないから、そこから抜け出せない 】のです。
「親に逆らってはいけない」というのは、
「儒教の教え」らしいですが、
それも、【 クソな思想 】です。
親だろうが、クズはクズ。 クソはクソです。
この世には、非常にたくさんな人々が存在しています。
親より自分の事を大切にしてくれる、
「血の繋がっていない他人」だって、【 存在して当然 】です。
ネガティブな親より、
そういうポジティブな他人を大切にした方が良いんじゃ無いですか?
まったく、
【「親」というポジションを過大評価しすぎ 】ですよ。
私は、今まで様々な人に教育を施してきましたが、
「ポジティブでプロ」の私の教えより、
「ネガティブで素人」の親の教えの方を優先しちゃう人がいるんですね。
まぁ、冷静に考えたらアホな判断だと思いますけど、
それくらい、【 親は特別 】って観念が強いのでしょう。
それも、覆さなければ、
親に施された「ネガティブ洗脳」は解けません。
【 親は、特別などでは無い 】という事です。
私は、自分の子供に
「親は特別だぞ!」なんて教育する気は一切ありません。
ネガティブな親は、
子供を自分の思い通りに「支配」したいんでしょう。
弱者を支配する事で、優越感に浸って、
自分の「劣等感まみれの気持ち」の中に、
「ほんの少しの自尊心・自己重要感」を感じたいのでしょう。
吐き気がしますけどね。
自分の親がクズなら、ちゃんとクズだと認めなければなりません。
クズな親も、世の中に絶対に存在しているのですから。
クズな「血の繋がった親」より、
ポジティブな「血の繋がっていない他人」の方が、
よほど頼りになるんです。
私の感覚では、
血の繋がりなど、さほど価値がある様には思えません。
肉親同士、殺し合ったりする事件もあるんですよ?
「肉親が味方」と決まっている訳じゃない。
肉親を過大評価し過ぎるから、
他人を軽視・過小評価しているのです。
私は、人間を【 魂 】として見ています。
「血の繋がり」による関係より、
「魂の相性」の方が、よほど人生において重要です。
血は繋がっていても、遠い親戚なんかは、
自分の人生に、あまり関わりありませんしね。
私が重視するのは、
「血の繋がり」より、「魂の繋がり」です。
私にとっては、血の繋がった家族より、
魂の繋がったソウルメイト、ソウルファミリーが大事です。
私の両親がポジティブだったのは、
たまたま運が良かっただけです。
自分を愛するためには、他者からの愛を感じる為には、
【 まともに愛してくれなかった親に刃向かうこと 】が、
第一にやるべき事です。
肉親に囚われているから、「他者の愛」がわからないのです。
「赤の他人」から愛されていても、まったく感じられないのです。
肉親なんてクソ食らえ。
まず、そういう気持ちが第一です。
そう思えたら、
【「赤の他人」から自分に注がれている愛 】がわかりますよ。
・他者から注がれる「愛」を感じる感覚
http://growheart.livedoor.biz/archives/52049811.html
という記事を書きました。
私は、読者の「層、理解度、反応」などを、
テレパシーやチャネリングでいつも把握する様にしています。
が、前回の記事は、目を通しても、
あまり内容が入ってこなかったという人も多かったと思います。
人間は、イメージしながら文章を読みますが、
そのイメージが出来ないと、内容が理解できません。
「問題の核心」に迫れば迫るほど、
「無意識の抵抗」も、それだけ最大になってきますからね。
そういう時は、
他人の話を聞いても、内容がまったく理解できずに、
「ただ音声を拾っているだけ」の状態になります。
人の話(音声)が伝えようとしている「意味・意図」が、
まったくイメージ出来ません。
それが、「無意識の抵抗」が働いている状態です。
人が音声で会話している時には、
同時にテレパシーも使って、情報を伝えようとしていますが、
「無意識の抵抗」が激しいときには、
そのテレパシーがまったく受け取れていない状態です。
例えるなら、
アメリカ人は、会話でボディランゲージを使いますが、
それが一切封じられている様なモノです。
そうなると、情報伝達率が下がって当然です。
それと、前回の記事は、
「全体像」をざっくりと書きましたからね。
それなりに「予備知識」と「理解力」のある人でないと、
理解はできないでしょう。
まぁ、この「愛される感覚・愛される自信」
というテーマで、何本か記事を書き続ければ、
ジワジワと伝わっていくと思います。
だから、しばらくは、
このテーマで数本記事を書くと思います。
で、今から本題です。
前回の記事を掻い摘まんで説明すると、
・人間は、既に他者から愛されているにも関わらず、
それを感じられていないから、
「自分は愛されていない」と勘違いしている。
・「自分は愛されていない」と勘違いしているから、
【 ポジティブな意図・方向性 】を持つことが出来ない。
・「自分は愛されていない」と勘違いしているのは、
「他者の愛を感じる事」に対して、【 激しい抵抗感 】を持っているから。
・その抵抗感の原因は、
【 潜在意識下の「孤独感」と向き合いたくない 】という気持ち。
・その孤独感を避けるために、
「大して信頼し合えない知り合い」と会話して、傷を舐め合っている。
・他人と「本当に信頼できる関係」を目指すと、
「自らの孤独感」と向き合う必要があるが、
そこまでの「やる気」は無いから、
たまたま目の前に現れた知り合いと、傷の舐め合いを続ける。
という事です。
まぁ、この「掻い摘まんだ説明」ですら、
激しい「無意識の抵抗」が働いてしまう人もいるでしょう。
一言で言うと、
【 孤独が怖すぎて、ポジティブに生きようとも思えない 】
という事です。
孤独感によって、
【「ポジティブに生きる意志」すら、折られている 】という事です。
ポジティブな生き方っていうのは、
・自分の幸せ、夢、理想を目指す
・他人の幸せ、夢、理想に貢献する
という生き方ですよ。
私は、
【 人生最大の恐怖は「死」と「孤独」】
と言ってきましたが、
現代の日本人は、どちらも世界トップクラスにビビっています。
本当に、日本人は
自分の命より大切なモノの為に
切腹する習慣を持っていた、
勇敢な【「武士」や「侍」の末裔 】なのでしょうか?
幕末の維新志士が、現代の日本人の現状を知ったら、
「不甲斐ない、情けない」と、涙するのではないでしょうか?
まぁ、太平洋戦争で、
アメリカにコテンパンにやられたのが、
日本人集合意識下で相当なトラウマになっているのでしょう。
まぁ、話を元に戻しますが、
「死への恐怖」を持っていると、
自分の人生を真剣に考える事ができない。
「孤独への恐怖」を持っていると、
「ポジティブ(自他の幸せの為に)に生きる意志」を持つことが出来ない。
という事です。
孤独への恐怖が強いから、「多数派」に流されちゃうんでしょ?
その多数派が「ネガティブな勢力」だとしても。
学校でイジメが起こったとき、
自分を仲間はずれにされたくないから、
悪い事だとわかっていても、イジメる側に回るんでしょ?
「死ぬ事」と「仲間はずれ」を極度に怖がるのが、日本人です。
私が孤独を怖くないのは、
きっと、「両親からの愛」を感じているからです。
他人からいくら嫌われても、
常に、「両親は自分の味方だ」という確信があるから、
怖くないのです。
という事は、
やっぱり行き着くところは【 家庭環境 】です。
「家庭環境」において、
【 孤独への恐怖 】が植え付けられるのです。
「子供を持つ親」の人たちに問いたいですが、
子供は、「親である自分の愛」を感じていると思いますか?
それが伝わっていないと、
子供は「チャレンジ精神」を持てませんよ。
リスクを極端に怖れるようになります。
親が子供にとって、
【 自分が失敗しても、休める居場所 】として機能していないと、
子供は、自分の人生に対して「攻めの姿勢」に出られません。
・「子供の失敗」を裁いて責めて、
・「わかりやすい愛情表現」をしていないとしたら、
子供は、
【 自発心なんて持たない方が良い、
「目上に従順な優等生」でなければ愛されない 】と思うでしょう。
それこそ、【 模範的な奴隷 】です。
【 家庭で、奴隷を育てている 】のです。
子育てに対して、非常に無責任です。
まぁ、そうやって祖父母の時代から、
「代々受け継がれてきた教育方針」なのでしょう。
ただ、過去に起こった事を今更嘆いてもどうしようもありません。
問題は、ネガティブに育てられてしまった大人は
どうやったら変わるのか? という事です。
「変わりたいという本人の意志」は言わずもがな必要ですが、
意志を持った人間が、
どういう行動を起こせば、変わる事が出来るのか?
その「方法論」を確立するのが、心理のプロの仕事です。
で、初めにやるべき事っていうのは、
【 親に逆らうこと 】だと思うんですね。
親は「ネガティブな人間」で、
自分は「ネガティブな育てられ方」をした。
それを、潔く認める必要があると思います。
何故かっていうと、
今更、(ポジティブな)親が、子供に接するみたいに、
わかりやすい愛情を注いでくれる人の登場を、
他人には期待できません。
そんなのを期待していたら、一生が終わってしまいます。
もし、赤の他人から
「赤ちゃんや幼児をあやすような態度」をされても、
ちょっと気持ち悪いと思いますしね(笑)
ですから、積極的に
・自分で自分を愛する事
・自分で自分を認める事
を、しなければなりませんが、
孤独が怖い人というのは、
親から、【 子供のお前には価値がない! 】という
真逆の洗脳を受けてきた人たちです。
その親のネガティブ洗脳に対して、
真正面から反抗する必要があります。
・親がナンボのもんじゃい!
・お前のクソ教育のせいで、私の人生メチャクチャじゃ!
・もう、私に口出しすんな!
・親のお前が私に価値が無いと言っても、
私には価値が有るんじゃ!
ってぐらいの、強い気持ちを持つ事は必要でしょう。
ネガティブな親に育てられたくせして、
【 親に刃向かえないから、そこから抜け出せない 】のです。
「親に逆らってはいけない」というのは、
「儒教の教え」らしいですが、
それも、【 クソな思想 】です。
親だろうが、クズはクズ。 クソはクソです。
この世には、非常にたくさんな人々が存在しています。
親より自分の事を大切にしてくれる、
「血の繋がっていない他人」だって、【 存在して当然 】です。
ネガティブな親より、
そういうポジティブな他人を大切にした方が良いんじゃ無いですか?
まったく、
【「親」というポジションを過大評価しすぎ 】ですよ。
私は、今まで様々な人に教育を施してきましたが、
「ポジティブでプロ」の私の教えより、
「ネガティブで素人」の親の教えの方を優先しちゃう人がいるんですね。
まぁ、冷静に考えたらアホな判断だと思いますけど、
それくらい、【 親は特別 】って観念が強いのでしょう。
それも、覆さなければ、
親に施された「ネガティブ洗脳」は解けません。
【 親は、特別などでは無い 】という事です。
私は、自分の子供に
「親は特別だぞ!」なんて教育する気は一切ありません。
ネガティブな親は、
子供を自分の思い通りに「支配」したいんでしょう。
弱者を支配する事で、優越感に浸って、
自分の「劣等感まみれの気持ち」の中に、
「ほんの少しの自尊心・自己重要感」を感じたいのでしょう。
吐き気がしますけどね。
自分の親がクズなら、ちゃんとクズだと認めなければなりません。
クズな親も、世の中に絶対に存在しているのですから。
クズな「血の繋がった親」より、
ポジティブな「血の繋がっていない他人」の方が、
よほど頼りになるんです。
私の感覚では、
血の繋がりなど、さほど価値がある様には思えません。
肉親同士、殺し合ったりする事件もあるんですよ?
「肉親が味方」と決まっている訳じゃない。
肉親を過大評価し過ぎるから、
他人を軽視・過小評価しているのです。
私は、人間を【 魂 】として見ています。
「血の繋がり」による関係より、
「魂の相性」の方が、よほど人生において重要です。
血は繋がっていても、遠い親戚なんかは、
自分の人生に、あまり関わりありませんしね。
私が重視するのは、
「血の繋がり」より、「魂の繋がり」です。
私にとっては、血の繋がった家族より、
魂の繋がったソウルメイト、ソウルファミリーが大事です。
私の両親がポジティブだったのは、
たまたま運が良かっただけです。
自分を愛するためには、他者からの愛を感じる為には、
【 まともに愛してくれなかった親に刃向かうこと 】が、
第一にやるべき事です。
肉親に囚われているから、「他者の愛」がわからないのです。
「赤の他人」から愛されていても、まったく感じられないのです。
肉親なんてクソ食らえ。
まず、そういう気持ちが第一です。
そう思えたら、
【「赤の他人」から自分に注がれている愛 】がわかりますよ。
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2018年04月01日
他者から注がれる「愛」を感じる感覚
今回は、人生における最大の精神的苦痛である、
「絶望」について書こうと思いましたが、
やっぱり止めました。
先ほど、
はこぶね倶楽部メンバー全員の精神状態を眺めていて、
どうも不可解な点があったので、その部分を分析していました。
「感じる感覚」が高い人でも、
・潜在意識内の「ポジティブな勢力」や、
・人生の分岐における「ポジティブな選択」が、
【 比例して増えている訳では無い 】のです。
これは、ただ「感じる感覚」を高めたからと言って、
必ずしも、ポジティブになっていく訳では無い事を示しています。
それよりも、
【 もっと重要で根本的な要素がある 】という事です。
で、少し考えてすぐに閃きました。
【 他者から自分に注がれている愛を、どれだけ感じられているか? 】
これが、ポジティブな生き方をする為には必須なのです。
ホームレスでも、
ボランティアで炊き出しをしてくれる、
「赤の他人」から愛されているのです。
あらゆる人は、「既に他人から充分に愛されている」のに、
それを、【 当の本人がまったく感じられていない… 】
これこそ、不幸の原因です。
で、「感じられない」と言っても、
感覚器官に問題がある訳では無く、
無意識で【 感じたくない理由がある 】という事です。
他人から既に注がれている愛を
感じたくない理由があるにも関わらず、
そのくせ、「愛されたい」と願っているのです。
矛盾しまくりです(笑)
例えば、わかりやすい例でいうと、
他人から親切にされるって事は、
他人から愛されているって事です。
他人から親切にされても、
「自分が愛されている」と思えない人は、
・「親切なんて、大した価値が無い」と思っているか…、
・そもそも、「親切にされている」と認識できていないか…、
・「何が裏があるんじゃないか?」と親切心を疑っているか…、
まぁ、そんな所じゃないですか?
他人から何かしてもらっても、
上記の様な、【 うがった見方・捉え方 】をしているから、
愛を感じられないのでしょう。
それは、
【 他者からの愛を感じたくない理由 】が存在しているからです。
私は他人から親切にしてもらったら、
「優しいなぁ! 有り難いなぁ!」と、素直に思えますが、
ほとんどの人は、そう思えないのでしょう。
それって、【 すげぇ傲慢な態度 】だと思います。
日本人が、「親切に大した価値が無い」と思っていても、
外国人は、その親切に驚いてくれるから、
外国人が「日本の親切やおもてなし」に感動する話を、
日本人は好きなのでしょう(笑)
日本人より外国人の方が、
【 他者からの愛を感じる感度が高い 】のです。
日本人の傾向として、
【 他者からの愛を感じたくない理由 】があって、
そのせいで、先進国の中で幸福度が低く、
自殺率が高かったりするのでしょう。
例えば、「愛される事」や「愛を求めること」を、
【「弱い人間のやる事」だと、ネガティブに定義している… 】
とかね。
他にも、他者から愛される事自体に、
「強い恐怖心」を感じている人も居るでしょう。
・裏切られるのが怖いのか?
・自分は愛されると思ったときに、直面するトラウマがあるのか?
そんな所でしょう。
とにかく、ポジティブな生き方ができない人は、
「他者から注がれる愛」に対して、【 不感症 】です。
これも日本人の国民性ですかね。
何よりも「仲間はずれ」を怖れ、
「和」からはみ出す事、「和」を乱すことを怖れ、
「他人に合わせる為」に生きていて、
他人に親切にするのも、自分に自信が無いから、
「他人からの評価が下がるのが怖いという動機」で、
「自分の愛」も「他人の愛」も、わからなくなっているのです。
日本人ほど、
「和」を重視するあまり、「個」を尊重せず、
「個」に対する自信が無く、
「個に注がれる愛」が、
感じられなくなっている民族も珍しいでしょう。
マジで、過剰すぎるほどの【 全体主義 】です。
正直言って、キモいです。
全体(平均)に合わせる為に、
「個を押さえつけ、潰すのが正しい」と思い込んでいるのです。
だから、日本からは天才が生まれにくいし、
もし生まれても、海外に流出していくのです。
日本の今の教育を見ていると、日本は「沈む大船」です。
でも、沈むと言っても、
「小さい船」より「大きい船」に安心するのが、日本人です。
「自分一人だけ幸せになる」より、
「みんなで一緒に不幸に突入していく方」が好きなのです。
自分一人でも幸せになった方が、
他人の幸せに貢献できるのに、
「自分の幸不幸」より、「他人の幸不幸」より、
何よりも、【 みんな一緒 】が一番大事。
不幸に突入していくとしても、
【 みんな一緒 】が一番大事なのです。
私には共感も理解もできませんね。
自らを「和(全体主義)の中に押し込むこと」を最優先としているから、
【 他人から自分に注がれる愛 】が分からないのでしょう。
【 自分という「個」】に注がれている愛が、わからないのです。
かといって、全体の為に死ぬほどの覚悟もないし、
個より全体を優先しているのも、自分が傷つかない為であって、
全体の為に我が身を犠牲にする意志も無く、
結局は【 自己保身の塊 】です。
全てではありませんが、
自己保身しか考えない人間が非常に多い。
それが、日本人です。
政治家を見ていればわかるでしょう?
国会議員は、
日本人の代表であり、総意を表しているのです。
「政治家って、日本の為に頑張ってると思いますよ?」
っていう人は、建前と本音が見抜けていないだけです。
善人ぶっているのも、
結局は選挙で選ばれるためのパフォーマンスです。
例えば、ヤフーニュースのコメント欄に、
「日本の為にこうするべきだ!」って書き込む人いるでしょ?
そういう人の中で、
本気で世の中の事を考えている人は少ないのです。
真面目な正しい事を主張して、
賢い人ぶりたい、良い人ぶりたいのです。
でも、正論を言うだけなら簡単です。
【 実行してこそ、本物 】です。
「政治家は、正論を実行できますか?」って。
正論は言えても、実行できない人が圧倒的多数でしょう。
だから、本音ではなく、建前なのです。
国民も、良い人ぶりたいし、
政治家も、良い人ぶりたいのです。
それを、「実際に良い人だ」と勘違いしてはいけません。
私は、「口だけ人間」をたくさん見てきましたから。
良い事を言う。 正論を言う。
でも、自分自身がリスクを背負ってまで実行しない。
それは、【 本物 】じゃないんです。
全体の為に、我が身を犠牲に出来てこそ、
本物の「全体主義」ですが、
それが出来ないのであれば、
ニセモノの全体主義であり、ただの【 保身目的 】です。
結局、日本人は、
「全体からはみ出すと、愛されない」と思っているのでしょう。
だから、保身の為に全体を優先するパターンが染みついている。
実際は、全体からはみ出そうが、
ホームレスぐらい落ちぶれようが、自分に愛は注がれるのです。
日本人は、「愛される自信」が無さ過ぎて、
【 既に自分に注がれている愛すらも、感じられない 】のです。
まぁ、私が他人に注ぐ愛などは、
大きすぎて理解できないでしょう(笑)
まず、【 愛される自信 】を高めなければ、
ポジティブな生き方も出来ないし、幸せになる事もできません。
でも、愛される事を感じたくないってことは、
無意識が拒否しているって事ですし、
・「愛される事を感じよう」とすることには、
・「愛される自信を高めよう」とすることには、
【 恐怖がある 】って事です。
自分が既に愛されている事を感じる事にすら、
【 勇気 】が必要なのです。
「勇気」を持てない人は、
心理を学んで多少のストレスは減らせるでしょうが、
それで行き止まりで、
それ以上、幸せになれないのです。
【 ストレスを減らす事 】と【 満たされていく事 】は違います。
ストレスを減らすのは、割と簡単です。
低レベルな心理のプロでも、多少は出来るでしょう。
でも、満たされていくことは、次元が違います。
本人の勇気も必要だし、サポートには卓越したプロが必要です。
・多少の向上心が芽生えても、
ストレスを減らしてそこでストップ。
・それ以上の幸せなど求めない。
・自分が愛されている事など感じたくない。
・あとは、保身が最優先。
それが、日本人の傾向です。
孤独が怖いのでしょう?
「孤独は、愛されていない事だ」と思い込んでいるから。
日本人が抱える怖れは、【 孤独への怖れ 】です。
それが、世界において稀なほどの大きさです。
しかし、孤独感を通り抜けた先に、
「真の人間関係」と、「真の幸せ」が待っています。
ただ目の前に他人に合わせているだけだと、
それは、孤独感から一時的に逃避するために、
「傷を舐め合っている」のと同じ事です。
多くの人々にとって、
・「愛される自信」を高めていくことと、
・「孤独感」を乗り越えていく事は、
きっと連動しているのでしょう。
「愛される自信」を高めようとすると、
「潜在意識下に溜め込んだ孤独感」を感じて吐き出さなきゃならない。
それがイヤで、
【 ずっと孤独感を潜在意識に溜め込み続ける選択 】をしている。
私はこれまでの人生において、
究極とも言えるほどの孤独感を味わってきました。
だからこそ、私は【 愛を感じられる 】のです。
だからこそ、「他人の評価」が気にならないし、
「他人からどう思われるか?」を怖れないのです。
愛を感じられるから、
勇気を出せるし、自分の本心に従えるのです。
愛は、誰に対しても既に注がれています。
なんてったって、ホームレスですら、
ボランティアの人から愛されているのです。
自分への愛を感じられないから、
「全体からはみ出す事」を、極度に怖れ続けているのです。
「自分が愛されている事」を感じられたら、
「全体からはみ出す事」など、まったく怖くありません。
孤独を極度に怖れているから、
自分に向けられた愛がわからないし、
自分一人で幸せになるより、
みんな一緒に不幸になる方がまだマシだと思うのでしょう。
勇気を持って、
【 自分に向けられた愛を感じる、理解する、受け取る 】
それが出来なきゃ、次に進めません。
「絶望」について書こうと思いましたが、
やっぱり止めました。
先ほど、
はこぶね倶楽部メンバー全員の精神状態を眺めていて、
どうも不可解な点があったので、その部分を分析していました。
「感じる感覚」が高い人でも、
・潜在意識内の「ポジティブな勢力」や、
・人生の分岐における「ポジティブな選択」が、
【 比例して増えている訳では無い 】のです。
これは、ただ「感じる感覚」を高めたからと言って、
必ずしも、ポジティブになっていく訳では無い事を示しています。
それよりも、
【 もっと重要で根本的な要素がある 】という事です。
で、少し考えてすぐに閃きました。
【 他者から自分に注がれている愛を、どれだけ感じられているか? 】
これが、ポジティブな生き方をする為には必須なのです。
ホームレスでも、
ボランティアで炊き出しをしてくれる、
「赤の他人」から愛されているのです。
あらゆる人は、「既に他人から充分に愛されている」のに、
それを、【 当の本人がまったく感じられていない… 】
これこそ、不幸の原因です。
で、「感じられない」と言っても、
感覚器官に問題がある訳では無く、
無意識で【 感じたくない理由がある 】という事です。
他人から既に注がれている愛を
感じたくない理由があるにも関わらず、
そのくせ、「愛されたい」と願っているのです。
矛盾しまくりです(笑)
例えば、わかりやすい例でいうと、
他人から親切にされるって事は、
他人から愛されているって事です。
他人から親切にされても、
「自分が愛されている」と思えない人は、
・「親切なんて、大した価値が無い」と思っているか…、
・そもそも、「親切にされている」と認識できていないか…、
・「何が裏があるんじゃないか?」と親切心を疑っているか…、
まぁ、そんな所じゃないですか?
他人から何かしてもらっても、
上記の様な、【 うがった見方・捉え方 】をしているから、
愛を感じられないのでしょう。
それは、
【 他者からの愛を感じたくない理由 】が存在しているからです。
私は他人から親切にしてもらったら、
「優しいなぁ! 有り難いなぁ!」と、素直に思えますが、
ほとんどの人は、そう思えないのでしょう。
それって、【 すげぇ傲慢な態度 】だと思います。
日本人が、「親切に大した価値が無い」と思っていても、
外国人は、その親切に驚いてくれるから、
外国人が「日本の親切やおもてなし」に感動する話を、
日本人は好きなのでしょう(笑)
日本人より外国人の方が、
【 他者からの愛を感じる感度が高い 】のです。
日本人の傾向として、
【 他者からの愛を感じたくない理由 】があって、
そのせいで、先進国の中で幸福度が低く、
自殺率が高かったりするのでしょう。
例えば、「愛される事」や「愛を求めること」を、
【「弱い人間のやる事」だと、ネガティブに定義している… 】
とかね。
他にも、他者から愛される事自体に、
「強い恐怖心」を感じている人も居るでしょう。
・裏切られるのが怖いのか?
・自分は愛されると思ったときに、直面するトラウマがあるのか?
そんな所でしょう。
とにかく、ポジティブな生き方ができない人は、
「他者から注がれる愛」に対して、【 不感症 】です。
これも日本人の国民性ですかね。
何よりも「仲間はずれ」を怖れ、
「和」からはみ出す事、「和」を乱すことを怖れ、
「他人に合わせる為」に生きていて、
他人に親切にするのも、自分に自信が無いから、
「他人からの評価が下がるのが怖いという動機」で、
「自分の愛」も「他人の愛」も、わからなくなっているのです。
日本人ほど、
「和」を重視するあまり、「個」を尊重せず、
「個」に対する自信が無く、
「個に注がれる愛」が、
感じられなくなっている民族も珍しいでしょう。
マジで、過剰すぎるほどの【 全体主義 】です。
正直言って、キモいです。
全体(平均)に合わせる為に、
「個を押さえつけ、潰すのが正しい」と思い込んでいるのです。
だから、日本からは天才が生まれにくいし、
もし生まれても、海外に流出していくのです。
日本の今の教育を見ていると、日本は「沈む大船」です。
でも、沈むと言っても、
「小さい船」より「大きい船」に安心するのが、日本人です。
「自分一人だけ幸せになる」より、
「みんなで一緒に不幸に突入していく方」が好きなのです。
自分一人でも幸せになった方が、
他人の幸せに貢献できるのに、
「自分の幸不幸」より、「他人の幸不幸」より、
何よりも、【 みんな一緒 】が一番大事。
不幸に突入していくとしても、
【 みんな一緒 】が一番大事なのです。
私には共感も理解もできませんね。
自らを「和(全体主義)の中に押し込むこと」を最優先としているから、
【 他人から自分に注がれる愛 】が分からないのでしょう。
【 自分という「個」】に注がれている愛が、わからないのです。
かといって、全体の為に死ぬほどの覚悟もないし、
個より全体を優先しているのも、自分が傷つかない為であって、
全体の為に我が身を犠牲にする意志も無く、
結局は【 自己保身の塊 】です。
全てではありませんが、
自己保身しか考えない人間が非常に多い。
それが、日本人です。
政治家を見ていればわかるでしょう?
国会議員は、
日本人の代表であり、総意を表しているのです。
「政治家って、日本の為に頑張ってると思いますよ?」
っていう人は、建前と本音が見抜けていないだけです。
善人ぶっているのも、
結局は選挙で選ばれるためのパフォーマンスです。
例えば、ヤフーニュースのコメント欄に、
「日本の為にこうするべきだ!」って書き込む人いるでしょ?
そういう人の中で、
本気で世の中の事を考えている人は少ないのです。
真面目な正しい事を主張して、
賢い人ぶりたい、良い人ぶりたいのです。
でも、正論を言うだけなら簡単です。
【 実行してこそ、本物 】です。
「政治家は、正論を実行できますか?」って。
正論は言えても、実行できない人が圧倒的多数でしょう。
だから、本音ではなく、建前なのです。
国民も、良い人ぶりたいし、
政治家も、良い人ぶりたいのです。
それを、「実際に良い人だ」と勘違いしてはいけません。
私は、「口だけ人間」をたくさん見てきましたから。
良い事を言う。 正論を言う。
でも、自分自身がリスクを背負ってまで実行しない。
それは、【 本物 】じゃないんです。
全体の為に、我が身を犠牲に出来てこそ、
本物の「全体主義」ですが、
それが出来ないのであれば、
ニセモノの全体主義であり、ただの【 保身目的 】です。
結局、日本人は、
「全体からはみ出すと、愛されない」と思っているのでしょう。
だから、保身の為に全体を優先するパターンが染みついている。
実際は、全体からはみ出そうが、
ホームレスぐらい落ちぶれようが、自分に愛は注がれるのです。
日本人は、「愛される自信」が無さ過ぎて、
【 既に自分に注がれている愛すらも、感じられない 】のです。
まぁ、私が他人に注ぐ愛などは、
大きすぎて理解できないでしょう(笑)
まず、【 愛される自信 】を高めなければ、
ポジティブな生き方も出来ないし、幸せになる事もできません。
でも、愛される事を感じたくないってことは、
無意識が拒否しているって事ですし、
・「愛される事を感じよう」とすることには、
・「愛される自信を高めよう」とすることには、
【 恐怖がある 】って事です。
自分が既に愛されている事を感じる事にすら、
【 勇気 】が必要なのです。
「勇気」を持てない人は、
心理を学んで多少のストレスは減らせるでしょうが、
それで行き止まりで、
それ以上、幸せになれないのです。
【 ストレスを減らす事 】と【 満たされていく事 】は違います。
ストレスを減らすのは、割と簡単です。
低レベルな心理のプロでも、多少は出来るでしょう。
でも、満たされていくことは、次元が違います。
本人の勇気も必要だし、サポートには卓越したプロが必要です。
・多少の向上心が芽生えても、
ストレスを減らしてそこでストップ。
・それ以上の幸せなど求めない。
・自分が愛されている事など感じたくない。
・あとは、保身が最優先。
それが、日本人の傾向です。
孤独が怖いのでしょう?
「孤独は、愛されていない事だ」と思い込んでいるから。
日本人が抱える怖れは、【 孤独への怖れ 】です。
それが、世界において稀なほどの大きさです。
しかし、孤独感を通り抜けた先に、
「真の人間関係」と、「真の幸せ」が待っています。
ただ目の前に他人に合わせているだけだと、
それは、孤独感から一時的に逃避するために、
「傷を舐め合っている」のと同じ事です。
多くの人々にとって、
・「愛される自信」を高めていくことと、
・「孤独感」を乗り越えていく事は、
きっと連動しているのでしょう。
「愛される自信」を高めようとすると、
「潜在意識下に溜め込んだ孤独感」を感じて吐き出さなきゃならない。
それがイヤで、
【 ずっと孤独感を潜在意識に溜め込み続ける選択 】をしている。
私はこれまでの人生において、
究極とも言えるほどの孤独感を味わってきました。
だからこそ、私は【 愛を感じられる 】のです。
だからこそ、「他人の評価」が気にならないし、
「他人からどう思われるか?」を怖れないのです。
愛を感じられるから、
勇気を出せるし、自分の本心に従えるのです。
愛は、誰に対しても既に注がれています。
なんてったって、ホームレスですら、
ボランティアの人から愛されているのです。
自分への愛を感じられないから、
「全体からはみ出す事」を、極度に怖れ続けているのです。
「自分が愛されている事」を感じられたら、
「全体からはみ出す事」など、まったく怖くありません。
孤独を極度に怖れているから、
自分に向けられた愛がわからないし、
自分一人で幸せになるより、
みんな一緒に不幸になる方がまだマシだと思うのでしょう。
勇気を持って、
【 自分に向けられた愛を感じる、理解する、受け取る 】
それが出来なきゃ、次に進めません。
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