2018年04月

2018年04月30日

価値を正確に評価する方法

今回は、経済の話をします。
  
  
「価格(値段)を決めるのは、需要と供給である」
  
っていう言葉を聞いたことがると思います。
  
  
それが全てではありませんが、
私も、それは「おおよそ正しい」と思います。
  
  
しかし、実際には、
「モノの価格(値段)=モノの価値」とは限りません。
  
  
・価値の無いものが、高値で売られていたり、
・価値の高いものが、格安で売られていたり…、
   
そういうパターンは、数多く存在しています。
  
  
だからこそ、
  
【 価値が価格(値段)に見合っているのか? 】
  
それを、「正しく評価できるだけの見識」が無ければ、
「無駄なお買い物」を積み上げてしまいます。
  
  
私は、「費用対効果の重要性」について、
これまで語り続けてきましたが、 
  
それでも、まだまだ自分の周囲には、
「価値を正確に評価できない、見抜けない人」が多いです。
  
  
ですから、今回は【 価値を正しく評価する方法 】を伝授します。
  
  
以前にも書きましたが、
  
・最高の価値
http://growheart.livedoor.biz/archives/52051591.html
  
  
価値とは、カンタンに言うと、
「有る」と「無し」で、どれくらいの「差・違い」が生まれるのか?
   
という事です。
  
  
大きな「差・違い」を生むモノ・サービスほど、
価値が高いという事です。
  
  
じゃあ、「水」の価値は、
どの様に評価すれば良いでしょう?
  
  
水は、【 人間が生きるために必須の要素 】ですから、
「非常に価値が高い」と言えます。
  
水が無いと、死にますからね。
  
  
ただ、価値は高いですが、価格は安いですよね?(※ 日本では)
  
  
それは何故かっていうと、【 希少性が低いから 】です。
  
  
・どこでも手に入る
・誰にでもできる
・ありふれている
  
  
そういうモノは、「希少性が低い」ので、
経済的価値は下がるのです。
  
  
  
簡単に言うと、経済的価値というのは、
  
【「実用性」と「希少性」で、計る事ができる… 】という事です。
  
  
「実用性」と「希少性」を兼ね備えているモノほど、
  
経済的価値は非常に高くなっていくのです。
  
  
例えば、「小学生が紙に書いた落書き」はどうでしょう?
  
世界に一枚の作品で、希少性は高いですが、
実用性が無く、誰も欲しがらないので、
  
値段を付けても売れません。
  
  
まぁ、その小学生の親にとっては、
宝物になるかもしれませんが…(笑)
  
  
道端の石ころは、
実用性も希少性も無いので、経済的価値は皆無なのです。
  
  
では、私の「語る話」や、私の「描く絵」は、
  
どれくらい、「希少性」と「実用性」が高いでしょうか?
  
  
・私と同じ話ができる人が、この世界に他にいるでしょうか?
 
・私の話で、人の人生はどれくらい変わるでしょうか?
  
  
そういう「希少性」と「実用性」を考えれば、
  
【 私の「教育」や「発明」の価値 】が、正しく評価できる様になります。
  
  
私が、他人に話をした後に、
  
「俺の話と、一億円と、どっち取る?」
  
って質問をすると、
  
相手は「中井さんの話の方を取ります!」と答えます。
  
  
一億円もらっても、
効果的な使い方がわかる知性が無いと意味が無いし、
  
大金をもらっても、人生が良くなる話を聞けず、
人生が良くならないなら、そっちの方が痛い…
  
という事です。
  
  
って事は、相手にとっては、
私の話は「一億円以上の価値が有る」って事ですよね?
  
  
私の話の価値が分かる人間が、私の話を聞けば、
「一億円以上の価値を受け取っている」という事ですよね?
  
  
もし、私と同じ内容の話ができる人が他にたくさんいて、
  
一千万円を別の人間に払って、
同じだけの価値を受け取れるなら、
  
私の話より、一億円を取った方が良いでしょう。
  
  
でも、「私にしか生み出せない価値」だから、
お金に代えられないという事です。
  
  
つまり、【 希少性の高さ 】によって、
  
人によっては、
私の話は「一億円を超える価値になっている」という事です。
  
  
でも、私は一億円をお客さんからもらっている訳ではありません。
  
まぁ、もらえるなら受け取りますが(笑)
  
  
まぁ、私が言いたいことは、
  
私が安く仕事をしているからと言って、
私の話す「研究成果の価値が低い訳じゃ無い」って事です。
  
  
私の話や発明を、「無料・格安 = 価値が低い」だと思われたら、
  
「大いなる勘違い」をされている事になりますからね。
  
  
一億円以上の価値を、
無料とか、相手に払える値段で提供しているのです。
  
  
  
そもそも、「お金」って何でしょうか?
  
  
「お金」って言うのは、
  
【 他人に仕事を依頼するときに使う道具 】です。
  
  
例えば、太陽光には高い価値がありますが、
  
誰も、太陽にはお金を払いませんよね?(笑)
  
  
相手が、人間じゃないからです(笑)
  
  
じゃあ、いくらでもお金を払うから、 
  
・死んだ人を生き返らせて欲しい!
・寿命を延ばして欲しい!
・時間を巻き戻して欲しい!
  
と言っても、
  
実現できる人間がいないのですから、
人の手では不可能という事です。
  
  
「人の手で成し遂げられない事」にも、
お金が払われることはありません。
  
  
命や時間に対して、人間は無力です。
  
命や時間を失えば、二度と取り戻す事はできません。
  
  
それは、
  
人間が解決できない訳で、
お金で解決できない訳で、
  
そういうモノほど、本当に価値が高いモノです。
  
  
値段が付いているモノって、そこまで価値が高くなくて、 
  
値段が付けられない、
人間が解決できないモノ(命・時間)こそ、価値が高いのです。
  
  
  
ただし!
  
よく、【 人生で一番大事なのは命だ! 】って言う人いますよね?
  
  
私は、それをたった一言で論破できるんですけど、  
  
「人間にとって一番大切なのが命だったら、
 なんで自殺する人がたくさんいるの?」
  
って話です。
  
  
  
【「命」より、「幸せ」の方が大事なんじゃ無いの?】
  
って事ですよ。
  
  
  
じゃあ、
  
幸せになるための「教育」や「発明」って、
人生の「地獄の苦しみ」や「負けゲーム」を回避する方法って、
  
実は、【 命よりも価値が高いモノなんじゃ無いの? 】って事です。
  
  
  
って事は、私の話(研究成果)は、一億円どころか、 
  
【 命より大事な話 】【 命より価値が高い話 】って事になりますよね?
  
  
  
それに、魂は永遠で輪廻転生があって、
死んだ後も意識は続くとしたら、
     
「人としての命」は失っても、
「学んだ事」は残り、活かされ続けるでしょう。
  
  
だったら、魂にとっては、  
  
【 「命」より「学び」の方が大事なんじゃ無いですか? 】
  
  
  
私は先日の記事で、「教育が最高の価値」だと言いました。
  
  
人間が「読み書き」できるのは、教育を受けたからです。
  
  
「読み書き」が出来るのと出来ないのとでは、
生活や人生に極端な差が生まれてしまいます。
  
  
だから、【 読み書きを教わる価値 】は、非常に高いわけです。
  
  
ただ、読み書きを教えられる人は、この世にたくさんいます。
  
  
なので、【 希少性 】は低い。 序盤で説明した「水」と一緒ですね。
   
だから、経済的価値も低く、値段も安い。
  
  
  
一方、私が教える話は、「希少性」が非常に高いわけで、
  
さらに、「命」よりも価値の高い、「幸せ」が手に入る話です。
  
「地獄の苦しみ、死ぬまで続く負けゲーム」を回避できる話です。
  
  
その「実用性」と、
  
私と同じ話をできる人がいない「希少性」を考えれば、
    
本当に、【 値段が付けられないほど高い価値になっている! 】という事です。
  
  
  
決して、「価値=価格(値段)」ではありません。
  
  
だからこそ、価格に対して、
  
「どれくらい価値が高いのか? 低いのか?」
  
  
それを見抜く基準、見識を持っていなければなりません。
  
  
その目利きが出来なければ、満足にお買い物もできません。
  
  
もちろん、自分が自営業者としてビジネスをするにしても、 
  
「価値に対する見識」が深くないと、話になりません。
  
  
商売人は、【 価値に関するプロフェッショナル 】であるべきです。
  
  
経営者が、他の企業をM&A(買収)するにしても、
  
「買収する企業の価格に対して、価値が見合っているのか?」
  
それを正確に見抜けないと、失敗します。
  
  
商売人も、投資家も、
  
・価値の高いモノを、安く仕入れたり、
・仕入れたモノに手を加えて、価値と価格をさらに引き上げて売る…、
  
そういう仕事なのです。
  
  
価値についてわからないのに、
プロのビジネスマンを名乗っていたら、
  
勘違いも甚だしい訳です。
  
  
そういう人は、価値を考えず、
ただ単にお金を動かすだけで偉いと、
  
思い込んでいるのです。
  
  
そういう人が、
価値の無いものに、大枚はたいて大損するのです。
  
  
・お金が無くなっても、社会は回りますが、
・価値が無くなったら、社会は回りません。
  
  
お金は、価値交換の手段でしか無いのです。
  
  
経済の主役は、「お金」では無く、「価値」です。
  
  
経済学者も、そこんところがわかってないし、
  
数字を追いかけるだけなら、
経済学者じゃ無くて、金融学者って言った方が正確でしょ?
  
  
仕事でお金が欲しかったら、
  
【 実用性と希少性が高い価値 】を提供できれば、良いのです。
  
  
ただ、それなりに本人が努力しないと、
  
【 実用性と希少性が高い価値 】を生み出す事は出来ません。
  
  
希少性が高いってことは、
多くの人は、カンタンに真似が出来ないって事です。
    
  
真似されにくいことに高い価値があって、
  
それって例えば、
「他人がやりたくない事」とか「難易度が高い事」です。  
  
  
だから私は、 
  
・他人がやらないこと
・他人がやりたがらないこと
・難しいこと
  
に、チャレンジし続けるのです。
  
  
それこそ、自分の生み出す価値の
「希少性を高める事」になるからです。
  
  
ラクしてお金を稼げる方法があっても、
すぐに真似されて、儲けが少なくなってしまいます。
  
何事も、一長一短、表裏一体。
  
  
難しいことにチャレンジし続けるには、
それ相応のメリットがあるのです。
  
  
さて、今回の話の価値は?
  
希少性と実用性は、いかほどでしょうか?


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2018年04月29日

人生ゲームの必勝法

私は、よく人生を「他の何か」に例えます。
  
テーマパークとか、ゲームとか。
  
  
引き続き、人生を、
【 ルールが設定されたゲーム(試合)】に例えて話をします。
  
  
「ルールが設定されたゲーム」と言えば、
  
野球、サッカー、ボクシングの様な
スポーツ・格闘技にも例えられますし、
  
囲碁、将棋、麻雀の様な、
ボードゲームに例える事もできます。
  
  
でも、相手は人間ではありません。
  
  
人生ゲームの対戦相手は、
【 世間、現実、宇宙の法則…、】
  
そういう風に、呼ぶ事ができるでしょう。
  
  
言い換えるなら、「客観的な環境」です。
  
サバンナで暮らす「ライオン」や「ガゼル」が、
【 自然を相手に生きている 】と言えるのと同じです。
  
  
人生ゲームの相手は、
ゲームソフトのコンピュータの様なモノで、
  
一定の強さですが、感情がありません。
  
  
感情がないからこそ、「容赦情け」がありません。
  
  
こちらが弱いならば、容赦なく延々とボコられ続けます。
  
  
しかも、人生ゲームは相手に大差で大敗しても、
「死ぬまで延々と続くゲーム」です。
  
  
試合相手の「現実」や「宇宙の法則」は、
  
「相手は悲惨な状況だし、攻撃の手を緩めようかな?」 
   
などと、微塵も思ってくれません。
  
  
こちらが、相手に勝てるぐらいに強くなければ、
  
本人が死ぬまで延々と、
【 機械的な、容赦ない攻撃 】を受け続ける事になるのです。
  
  
これこそ、人生ゲームの恐ろしさです。
  
  
相手に大差で負けているとしても、
人生ゲームでは降参ができません。
  
  
自分が死ぬまで延々と、
「現実」に、「世間」に、「宇宙の法則」に、
  
情け容赦なく、機械的に、ボコられ続けるだけなのです。
  
  
こちらが破産しても、離婚しても、重い病気になっても、
  
対戦相手は「情け」など掛けてくれません。
  
  
だから、人生ゲームで大敗すると、
「恐ろしい状況」が待っているのです。
  
  
じゃあ、どうすれば人生ゲームで
「現実、世間、宇宙の法則」という相手に負けずに、
  
勝つ事ができるのか?
  
  
それは、シンプルに、
たったひとつの要素を鍛えれば良いのです。
  
  
それが、【 責任感 】です。
  
  
人生ゲームで、相手プレーヤーである、
「現実、世間、宇宙の法則」に勝ちたければ、 
  
「責任感」を鍛え続ける事なのです。
   
  
人生ゲームで勝てる人間…、
  
つまり、「幸せ、充実、快適さ、自己実現」が得られる人は、
  
全員、【 責任感が強い人 】です。
  
  
逆に、人生ゲームで負ける人間…、
  
「不幸、不快、破産、虚無、失敗、転落、堕落…」
という状況に陥ってしまう人は、
  
全員が、【 無責任な人間 】です。
  
  
人生ゲームの勝敗を決める、たったひとつの要素が、 
  
【 責任感 】なのです。
  
  
そして、以前から言っていますが、
  
「責任感」とは、「筋力を鍛える」のと同じで、
  
【 自分に負荷を掛けて、鍛えていくモノ 】です。
  
  
プレッシャー(重圧・緊張感)を背負って、
それに慣れていく…、というプロセスが必要なのです。
  
  
責任感が強い人は、
悪い事が起こっても「全て自分の責任」と捉えます。
  
【 家族や他人の不幸は、自分の責任… 】
  
そんな風に思えるくらいに責任感が強い人は、
精神的にも、経済的にも、成功できるでしょう。
  
  
逆に、無責任な人と言うのは、
とにもかくにも、「自分以外の何かのせい」にします。
  
【 被害者意識 】を持ち、【 責任転嫁 】を繰り返します。
  
  
  
「責任感が強い人」は、自分のみならず、
  
【 他人の不幸・失敗も、全てが自分の責任 】だと思えるのに、
  
  
「無責任な人」は、それとは逆に、
   
【 自分の不幸・失敗は、全てが他人の責任 】だと思っているのです。
  
  
まったくの、対極です。
  
  
どちらのマインドで生きている人が、
  
自分の人生をコントロールしていけるでしょうか?
  
  
答えは、明快、明白です。
  
  
精神的にも、経済的にも、
成功する為には、「強い責任感」が必要です。
  
  
逆に言うと、
  
【 責任感を鍛え続ける… 】
  
ただその習慣だけで、人生ゲームは勝てるのです。
  
  
非常に、非常に、非常にシンプルな答えです。
  
  
私は、「地球の命運は自分の頑張りに掛かっている」と思っています。
  
それぐらいの、強い責任感を感じています。
  
  
「子供の人生は、親である自分に全て掛かっている…」
  
そう思っている親の方が、良い子育てが出来るでしょう?
  
  
「お客さんが喜ぶかどうかは、全て自分に掛かっている…」
  
そう思って仕事している人が、仕事で成功できる人です。
  
  
【 他人の結果にも責任を負える人が、成功する人 】なのです。
  
  
逆に、「自分の結果にすら責任を負えない人」も数多くいます。
  
そういう無責任な人が、
人生で「負けゲーム」を延々と続けるのです。
   
   
責任感は、筋力と同じです。
  
  
自分に負荷を掛けて、鍛えていくモノです。
  
  
「勇気」や「根性」など、
他の精神力を鍛えるのも、同じ理屈です。
  
  
「精神力」は、【 自分に負荷を掛けて鍛えるモノ 】です。
  
  
その精神力が、人生ゲームの試合相手である、
   
「現実、世間」を軽く凌駕できるようになれば、
  
人生ゲームで勝ち続けられる…という事です。
  
  
責任感を鍛えるには、 
  
何が起こっても、悪い事が起こっても、
【 他人のせいにしない、言い訳しない 】
  
こういう心構えが必要です。
  
  
【 他人のせいにしない、言い訳しない 】
  
これが習慣になると、
責任感はどんどん鍛えられていきます。
  
  
責任転嫁したい所を、グッとこらえて、
全てを自分の責任だと捉える…。
  
  
私は、ずっとそうやって「己の責任感」を鍛えてきました。
  
精神的に成長して、精神性を高めたかったですからね。 
  
  
そういう習慣こそ、【 人生ゲームの必勝法 】なのです。
  
  
人生が狂う人は、だいたいが無責任な人です。
  
  
責任感が強い人は、「予想外に悪い事」が起こっても、
  
自分以外のせいにはせず、全て自分の責任だと捉えます。  
  
  
そういう姿勢が、人生を勝利に導くのです。
  
  
まぁ、私の場合は常に全力を尽くしていますし、
  
全力を尽くして、それでも結果が伴わない事もあります。
  
  
でも、その場合は自分を責めて落ち込んだりしません。
  
  
全力以上は出来ないから…です。
  
だから、潔く結果を受け入れる事ができます。
  
  
もし、私が全力を尽くさずに、結果が出なければ、 
  
「もし全力を尽くしていたら…?」と、
後悔するのが目に見えています。
  
  
だから、私は全力を尽くし続けるのです。
  
  
私が全力を尽くしても、
「無責任な人を助けることだけ」は出来ませんし、
    
自分が史上最高の「努力、知性、粘り強さ」を発揮しても、
それでも結果が伴わない時は、 
  
他の誰にも、どうにも出来ないだろうと思いますからね。
  
  
私は、責任感は強いですが、罪悪感はありません。
  
多くの人は、
「責任感=罪悪感」だと思っている人もいるでしょうが、
  
それは真実とは真逆であって、
【 責任感が強い人ほど、罪悪感とは無縁 】になっていきます。
  
  
なぜなら、
無責任な人は強い被害者意識を持っていますが 
   
「被害者意識」と「罪悪感」は、必ずセットです。
  
  
責任感が強い人は、
  
「被害者意識」を持ちませんから、
「罪悪感」も持たなくなっていくのです。  
  
  
むしろ、無責任な人ほど、
「強い罪悪感」を抱えてしまうモノです。
  
  
過剰に他人のせいにして、
「他人が悪い」と思う事が、責任転嫁で、
  
過剰に自分のせいにして、
「自分が悪い」と思う事が、罪悪感です。
   
  
自分が何かに「責任転嫁」した分は、
キッチリ、「罪悪感」となって跳ね返ってくるのです。
  
そういう、仕組みになっているのです。
  
  
責任感が強い人は、
  
過剰に他人のせいにしたり、自分のせいにしたりせず、
【 淡々と、自分にできる事をやり続けるだけ 】です。
  
  
もし、社長が仕事で何か大きな失敗して、
落ち込んで出社してこないとすれば、
  
「無責任だぞ! 仕事しろ!」って思われるでしょ?
  
  
責任ある立場の人は、落ち込んでいられないのです。
  
落ち込んでいる暇があったら、状況改善の為の努力をするのです。
  
  
責任感のある人は、
浮かれもしないし、落ち込みもしないのです。
  
  
そういう所まで、責任感を鍛えたら、
  
「人生ゲームでの勝利」が見えてきます。
  
  
【 何でも「自分の責任」だと捉える姿勢・心構え 】
  
  
それが、「人生ゲームの必勝法」なのです。


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2018年04月28日

人生ゲームの基本ルール

人生ゲームは、
  
オギャーと生まれた瞬間に、ゲームスタート。
  
  
もう、このゲームはとっくの昔に始まっている。
  
  
人生ゲームは、死ぬまで続く。
  
  
野球は、コールド負けがあるけど、
人生にコールド負けは無い。
  
  
どんなに「負けゲーム」でも、
何十点、何百点入れられようとも、
  
「負けゲーム」が死ぬまで続く。
  
何十年だろうと、延々続く。
  
  
逆転できないくらいの大差で負けていても、
「勝てる見込み」が無くなっても、
  
このゲームは死ぬまで決して終わらない。
  
  
人生ゲームを自ら降りる唯一の方法は、
自殺するしか無い。
  
  
でも、誰でも自殺する時は、
  
「死にたくなる程の精神的苦痛」や
  
「本当に死んでも良いのかどうか?」
という葛藤を抱えながら死ぬ。
  
【 ラクに自殺する方法など無い 】
  
  
一度始まってしまったら、今更どんなにジタバタしても、
「カンタンには降りる事ができない」のが、この人生ゲーム。
  
  
  
1.「負けゲーム」を死ぬまで続けるか?  
  
2.「自殺」して、このゲーム自体から降りるか?
  
3.「成長・成功」し続け、勝ちを狙っていくか?  
  
  
人生ゲームって、そういうゲームだよ?
  
  
どんなゲームも、
ルールを理解しないと勝てる訳が無い。
      
ルールを把握しないと、勝てる見込みはゼロ。
  
  
「負けゲーム」と「自殺」は何としても回避したい。
  
そう思うなら、
始めにルールをちゃんと理解して、攻めて勝ちに行かないと…ね?


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2018年04月27日

人生の可能性は、想像の限界を遥かに超える

私は、非常にヴィジョナリーな人間です。
  
未来の可能性について考えたり、
想像を膨らませたりするのが好きです。
  
  
ヴィジョナリーな私は、
「成功する自分のイメージ」を明確に持つ事も出来るし、
  
「他人が成功した姿」のイメージも、
明確に持つ事が出来ます。
  
  
私が、他人の「服装」や「高級ブランド品」を
コーディネイトする時には、
  
そういう、
【 相手が経済的に成功している未来の姿 】のイメージを元に、
  
そのイメージに近づけていくためのアイテムを選んでいます。
  
  
私は、他人の成功している姿が見えるので、
  
・相手がちゃんと「成功」に向かっているのか?
・それとも、「ズレた方向」に向かっているのか?
  
それを、感覚的に察知する事が出来ます。
  
  
でも、実際には、
私には「他人の成功した未来の姿」が明確に見えていたとしても、
    
「本人にはまったく自覚が無い…」という事ばかりです。
  
  
私にとって当たり前の、
この【 ヴィジョンを視るチカラ 】は、
  
独自の才能なのかも知れませんね。
  
  
「他人には全く見えていないモノが、自分には明確に見えちゃう」
っていう状態は、コミュニケーションで苦労しますね。
  
  
だって、相手には見えていないモノについて語ったら、
「奇人扱い」ですから。
  
  
でも、それは相手が自己中心的な視点で考えているからで、 
  
実際には、「本人には理解不能な事」も当たり前の様に存在しています。
  
  
「無知」や「理解不能」を悪い事だと思って、否定しているから、
  
理解不能な事に出会ったら、
「自分が無知なんじゃ無くて、周囲や他人がおかしいんだ!」
   
と、思いたくなる訳です。 
  
  
「幽霊が見える、オーラが見える、守護霊が見える…」
  
そんな事を言う人の方が、
「頭がオカシイんだ!」と思いたくなる。
  
  
でも、私には見えるんです。
  
幽霊じゃ無くて、未来が…。
  
  
正確には、未来の【 可能性 】です。
  
  
もちろん、未来の結果なんて、
人の意志次第でコロコロ変わります。
  
  
でも、私には「あらゆる可能性が見えます」
  
  
囲碁、将棋、オセロなど、ボードゲーム達人は、
「可能性に思いを巡らせ、先手を読んでいく」と思いますが、
  
私の場合、それが【「人生」というジャンル 】なのです。
  
  
自分や他人が、
  
・精神的にも経済的にも、成功している姿…、
・精神苦、経済苦で、自殺しそうになる姿…、
  
その両方の可能性が、私には見えているのです。
  
  
でも、ほとんどの人にはソレが見えません。 
  
  
多くの人は、人生で起こりうる「上下の振り幅」を、
「非常に狭いモノ」としてイメージしています。
  
  
でも、それは真実ではありません。
  
  
人生で起こりうる「可能性の振り幅」は、
  
【 非常に! 非常に! 非常に! 広く! 広く! 】
  
設定されているのです。
  
  
天井も見えないし、底も見えないくらいです。
  
  
例えば、私が15歳や20歳の時にイメージした未来と、
現在の私のライフスタイルや精神状態は、まったく異なります。
  
【 想像を遥かに超えて、良い状態 】なのです。
  
  
人生では、
「想像以上に良い生活が手に入るもんなんだな…」と思います。
  
  
想像力がたくましい私でも、
想像すら出来なかった事が、人生で起こるのです。
  
  
【 自分の狭い想像力なんかで、人生の可能性は計れない 】
  
って事ですよ。 良い方にも、悪い方にも。 
  
  
最高の可能性もあれば、最悪の可能性もある。
  
  
【 己の想像を、遥かに超える振り幅 】が設定されている…、
  
それが、人生というモノなのです。
  
  
人間の想像力では計り切れないのが、人生なのです。
  
  
だから、あんまり
「自分はよく分かってる…」なんて思わない方が良い。
  
  
あらゆる事に対して、
  
【 よく分かっていない事を前提 】に、生きた方が良いんですよ。
  
  
  
私が提唱しているのは、
  
・「心理」(情熱・人間関係)
・「経済」(時間・お金)
・「健康」(元気・若々しさ)  
  
全ての両立と、バランスの取れたライフスタイルです。
  
  
それで、はこぶね倶楽部に入ってくるメンバーも、  
この「基本コンセプト」に惹かれている人が多いです。
  
  
だから、メンバーのやりたい仕事も、大体は、
  
【 他人のライフスタイルのバランスを取る仕事 】なのです。
  
  
ただ、目的は一緒でも、手段は無限です。
  
  
その目的の為に、
  
・教育がやりたい人
・モノを作りたい人
・プロデュースしたい人
・コーディネイトしたい人
  
さまざまな手段が存在していますし、
    
  
・心理に特化したい人
・経済に特化したい人
・健康に特化したい人
・プライベートに特化したい人
・仕事に特化したい人
  
さまざまなセグメントが存在していますから、
  
その中で、【 自分だけの役割(やりたい事) 】を担うのです。
  
  
私は、その「役割の特定」が非常に上手です。
  
  
その役割を特定した上で、
  
・マーケティング
・ポジショニング
・ビジネスモデル
  
などを、本人に合わせてカスタマイズして組んでいきます。
  
  
特定のビジネスノウハウを、
全員に当てはめて教えようとするのとは、
  
ひと味も、ふた味も違います。
  
  
人によって「情熱」や「担う領域」が違う以上、
マーケティングもそれによって変化します。
  
  
ですから、ビジネスの具体的な話は、
ブログ記事にあまり書けないのです。
  
  
個人個人で、
「戦略」や「戦術」はことごとく変わってくるからです。
  
  
っていうか、ビジネスで結果を出そうと思ったら、
  
【 95%は、「心理」と「波動」の状態 】で決まります。 
  
  
具体的な戦略や行動なんて、「最後の5%の部分」ですよ。 
  
って言っても、
  
その「最後の5%」が無ければ完成しないのも、
事実ですけどね。
  
  
ですから、「戦略や行動に関する知識や知恵」も必須です。
  
  
自動車で例えるなら、
  
心理と波動は、  
「ガソリン、エンジン、アクセル」で、
  
【 とにかく前に進むため 】に必要な部分。
  
  
具体的な戦略や行動は、
「ブレーキ、ハンドル、ナビゲーション」などの、
  
【 事故を起こさず、目的地にスムーズに辿り着くため 】の部分。
  
  
…って感じですかね。
  
  
どっちもないと、目的地には辿り着けませんが、 
  
先に、「ガソリン、エンジン、アクセル」が必要です。
  
  
その後で、「ブレーキ、ハンドル、ナビゲーション」です。
   
  
「前に進まない自動車」に乗って、
地図だけ先に与えられても、何も起きません。
  
  
でも、【 とにかく前に進めば、何かが起きます! 】  
  
  
とにかく前に進めば、
もしかしたら、その先で地図を持っている人に出会うかもしれません!
  
  
だから、前に進むために必要な、 
  
「心理」と「波動」の方が、先に重要なのです。
  
  
私は「具体的なビジネスノウハウ」もあまり語らないし、
有名でもないから、マーケティングに詳しくないのかな?
  
って思ってた人います?
  
  
残念でした。
  
  
ただ、私の「信念」と「ライフスタイル」を維持しながら、
マーケティングを行っていくには、
  
これまで「人手が無かった」というだけです。
   
(※ それに私個人レベルでは、既に「ゴキゲン生活」ですからね。)
  
  
なぜ、人手が必要か? というと、
  
私が扱っているサービスは【 非常に特殊 】ですから。
  
  
言語化するなら、
【「非常識なコンセプト」を売っている 】のです。
  
  
モノを売るみたいに、
一人で広告宣伝すりゃ良いって訳じゃ無い。
  
  
今まで、人手が無かったので本当に苦労しましたが、
ようやく、人が育ってきました。
  
  
これも、私の「地道な努力の積み重ね」の結果です。
  
あとは、「私を信じ続けた人間」の結果です。
  
  
この状態には、
3年前くらいに、なっていて欲しかったですけどね。
  
  
それが実現できた可能性はあったのに、
  
私の周りの人間が、
私のヴィジョンを理解していなかったからです。
  
  
「3年も無駄にしやがって…」と、悪態を付きたい所ですが、
    
まぁ、これはこれで、私の精神力が鍛えられたので(笑)
  
そういうメリットもありましたけどね。
  
  
まぁ、人手が全滅していたら本当に日本はヤバかったですが、
少し、日本の未来にも希望が持てそうです。
  
  
  
私も人間ですから、
私の「可能性に対する想像力」にも限界があります。
  
  
しかし、ハイヤーマインドは、
  
本人が想像しているよりも、
遥かに素晴らしい未来の可能性を理解しているのです。
  
  
だから、自分の「想像力」なんて、アテにしちゃいけない。
  
  
自分の【 想像外 】の事は、常に存在しているのです。
  
  
その前提で、生きないと。
  
  
想像力のたくましい私でも、想像力に限界があるのです。
  
  
「小さな想像力」しか持っていないのに、
その自分の想像力を「過信」していると、
  
想像外の出来事に、打ちのめされてしまいますよ。
  
  
私は、【 良くも悪くも、想像を超える事が起こる! 】
  
と思っているので、
  
「危機感」も、「夢」も、その両方を持っているのです。
   
   
「危機感」と「夢」と、その両方を持っている人間は、
  
「己の夢を叶え、自己実現する」しかありません。


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2018年04月26日

ビッグチャンス

今日は、午前中からアポ3件。
  
先日はアポ4件で、
一日でトータル11時間くらい喋ってました。
  
  
でも、その甲斐あって、
  
ようやく、はこぶね倶楽部メンバーの情熱や役割が、
次々と固まってきてます。
  
  
私がやっているのは、いわゆる、
ポジショニングやマーケティングの話ですが、
  
普通のコンサルタントは、
「お金が儲かるかどうか?」っていう目線で、

話を進めると思います。
  
  
私の場合は、
  
「本人の情熱(やりたい事)」と
「他者への貢献」の【 両立 】を最優先に、
  
話を組み立てます。
  
  
「お金を稼ぐ手段」は、後からいくらでも変えられるけど、
「本人の情熱(やりたい事)」は、後から変えられませんからね。
  
だから、「情熱の特定」から話を進めます。
  
  
現在、6名ほどの「情熱の特定」が終わりました。
  
  
人間は、「自分の役割」を自覚すると、
責任感を持ち始め、意識や行動が変わります。
  
  
「立場が人を作る」って言葉もありますからね。
  
  
組織の中に居たとしても、
  
「今日からお前は○○の役割をやってもらう!」
     
と、任命されたら、意識が変わるでしょう?
  
  
だから、
  
【 情熱の特定 → 言語化 → 役割の自覚 】
  
このプロセスは、結構大事なのです。
  
  
早めにやっておいた方が良い。
  
  
  
ようやく、ビジネスマインドを持つ人が増えて、
嬉しい限りです。
  
  
彼らが、今から本気を出せば、
  
年収が億単位を超えることも、可能でしょう。
  
  
世界中の精神科医や心療内科に通っている人や、
世界中の心理や自己啓発を学んでいる人が、
  
私のところにやってきたら、
  
私の年収は「兆の単位」を超えると思ってますよ。  
  
  
それぐらい、
私のやっている仕事はブルーオーシャンです。
   
  
ブルーオーシャン過ぎて、
誰からも見向きもされていないくらいです(笑)
  
  
というか、
  
同業者のサービスのクオリティが低すぎて、
まったく話にならないんですよ。
  
  
心理学者や精神科医は、心理のメカニズムをわかってないし、
経済学者は、数字ばっかり追って経済の本質がわかってないし、
パワーストーン売ってる連中は、波動がわかってないし…。
  
  
よく分かってない連中がプロを名乗ってるのが、この世界。
  
  
で、消費者も目が肥えていないので、
そういう事がよくわかってない。
  
  
アフリカに「靴の営業マン」がやってきて、
住民がみな裸足なのを見て、
  
・誰も靴を履かないんだったら売れないな…
  
・誰も靴を履いていないなんて、なんてビッグチャンスなんだ!
  
  
と、二通りの反応をした人間がいる…なんて話もあります。
  
  
私は当然、後者の反応です。
  
  
未成熟過ぎる業界だからこそ、チャンスは無限大なのです。


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2018年04月25日

最高の価値

先日の記事では、
 
「教育こそが最高の仕事である」
 
という事を書きました。
  
  
って事は、
  
【 この世で最も価値の高いサービス 】は、
  
まさに「教育」なのです。
  
  
価値って何ですか?っていうと、
    
それが「ある」のと、「ない」のとで、
【 どれくらいの「差」が生まれるのか? 】
  
  
その【 差 】が大きければ大きいほど、
「価値が高い」という事です。 
   
【 大きな違い 】を生み出すモノほど、
「価値が高い」という事です。
  
  
人によって価値観は様々ですから、
  
「恋人のいる、いない」で
  
「大きな差が生まれうる人」にとっては、  
恋人の価値が高い訳ですが、 
    
「大きな差が生まれない人」にとっては、
恋人の価値が低いという事になります。
  
  
しかし、教育とは、
  
【 万人にとって等しく価値の高いモノ 】です。 
  
  
教育を受けなければ、読み書きすら出来ないのが人間です。
  
まともな教育を受けるか否かで、
「畜生」と「天才」ぐらいの差が生まれて当然なのです。
  
  
私は、
  
【 費用対効果の高いモノに資源(時間・お金・労力)を使おう! 】
  
という事を書いていますが、
   
そういった類いの教育をシッカリ受けるかどうかで、
  
一般のサラリーマンでも、  
一生のうちに、【 数千万円くらいの損益の差 】が出て来て当然です。
  
  
その違いを生み出すのが、【 教育 】です。
  
  
教育が最高の価値であれば、
  
・「高級ブランド品」をプレゼントされるより、
・「高級車」をプレゼントされるより、
  
「質の高い教育」を受け取った方が、
【 遥かに高い価値 】を受け取っている事になりますよね?
  
  
ですから、
「人生を良くしたい!」と本気で願う人にとっては、
  
ルイ・ヴィトンやエルメスのバッグをもらうより、
私の教育を受け取れる事の方が、 
  
よっぽど喜んでいないとおかしいんです。
  
  
私なら、フェラーリと教育と、どっちが欲しい?
  
って言われたら、即答で【 教育 】と答えます。 
  
  
質の高い教育を受けて、それを活かせば、
「フェラーリを何台だって買える身分」になれるのです。
  
  
でも、ルイヴィトンのバッグをもらうより、
   
「中井さんの記事を読めることの方が嬉しい!」と感じられる人は、 
  
この世にどれくらい居るでしょうね?
  
  
まぁ、ほとんど居なさそうですが、
  
それだけ、
  
・「価値の本質」も「教育の価値」もわかっていないし、
・人生を良くしようという「やる気」も無いのです。
  
  
私は、フェラーリよりも、ルイヴィトンやエルメスのバッグより、
よほど高い価値を、このブログで提供していると思っていますよ。
  
  
それがわからないのは、
  
「価値とは何か? 教育とは何か?」を、
  
理解していないからです。
  
  
それに、ほとんどの人が「教育」や「勉強」と聞くと、 
   
「企業に養ってもらう為」に、学歴や資格を身に付け、
【 履歴書を飾る為のモノ 】って感じでしょ?
  
  
日本人は教育に対して、その程度の見識しか無いのです。
  
だから、「勉強」と言えば、
何かしらの「試験勉強」しかやってないのです。
  
  
「教育の価値」がわかっていないから、
  
多くの大人は、日常的に学ぼうとしないんでしょう?
  
  
価値とは、言い換えると「大きな違いを生み出すモノ」です。
  
  
そして、教育ほど人の人生に大きな違いをもたらす要素は、
他にありません。
  
  
ですから、この世で最も価値が高いサービスは
  
【 優れた教育 】なのです。
  
  
では、二番目の価値とは何でしょう?
  
  
この世で二番目に高い価値…、
  
それは、【 優れた発明 】です。
  
  
インターネット、携帯電話、家電製品…、
  
そういった生活を便利にする発明も、非常に価値が高いです。
   
   
しかし、そもそもの「知性」が無ければ、発明もできないし、
優れた発明を使いこなす事は出来ないのです。  
   
バカに核爆弾を持たせても、ろくな事にはなりませんからね。 
  
  
ですから、甲乙付けがたくとも、
「便利な発明」よりも、「知性を高める教育」の方が、
  
優先順位は高いのです。
  
  
「水道」も、人間の生み出した便利な発明です。
  
水道が使える、使えないって、
生活に大きな違いが生まれますよね?
  
って事は、それは【 価値が高い 】という事なのです。
  
  
「価値が高いモノを、安く使えている」って事がわかるから、
有り難いなぁという気持ちが湧くのです。
  
それが、至って当然の反応です。
  
  
でも、水道が使える、使えないより、
  
【「優れた教育」を受けられるかどうか? 】の方が、
もっと大きな違いを生み出せます。
  
  
私が人類全体の子供の教育に携われば、
  
普通の人が想像も出来ないほどの、
「優秀な大人」に育てられる自信があります。
  
  
それって、
「水道が使える、使えない」より、よっぽど大事な事ですよね?
  
  
目先の保身と延命しか考えない、
バカな大人たちには全員死んでもらって、
   
将来性のある子供達を私が教育して、
彼らに「未来の地球」を任せた方が、
  
よほど明るい地球の未来が描けるでしょう。
  
  
「中井さんは、人類をバカにしているんですか?」
  
と聞かれたら、「そうだよ! 当たり前じゃん!」と、即答します。
  
  
私はまるで、【 猿の惑星 】で暮らしている気分です。
  
  
私は、AIの様に、超論理的思考を行う人間ですが、
  
多くの人たちの発言・行動は「支離滅裂」で理解不能です。
  
  
本当に、多くの人の発言・行動は、
  
【 支離滅裂 】という言葉が相応しいです。
  
  
何考えてんの? ってか、何も考えてないの?
  
本当によく分かりません。
  
  
でも、【「無意識の恐怖」が、人間を極度のアホにしている 】
っていうメカニズムは理解していますから、
  
めちゃくちゃ強い恐怖を抱えているんだろうな…と思いますけどね。
  
  
それだけ、自分の事を「無価値な存在」だと思っていて、
でも、出来る限りそう思わなくて済む「依存先」を求めて、
  
そこに、時間と、労力と、お金を投じるのでしょう。
  
  
でも、私がその心理状態を変える方法を教えているのに、
  
それに取り組まないとしたら、もう救いようが無いですね。
  
  
「一生、アホのままで暮らしていきます!」って事でしょ?
  
  
一生、恐怖を抱えて、アホのままで、支離滅裂な言動して、
「無駄な事に時間とお金と労力を注ぎ続ける」って事でしょ?
  
  
それがお好みなら、そんな人生を送れば良い。
  
  
多くの大人は、

ネガティブな教育を受けたから、
現在苦労しているのでしょう?
  
  
そして、成功した人は、
  
ポジティブな教育を受けて学んだから、
よりよい生活が手に入ったのでしょう?
  
  
その大きな違いを生み出しているのは、
  
他ならぬ【 教育の質 】です。
  
  
発明品は目に見えますが、教育は目に見えません。 
  
  
アホな人たちは、
  
「肉眼」しか働いておらず、
「想像力」が働いていないので、
  
あらゆる事を、
「目に映る要素」でしか判別できないのです。
  
  
目に見えない「教育、知性」より、
  
目に見える「資格、学歴」を求めるのです。
  
  
その肉眼だけに頼る生活を止めたらどうかな?と。
    
目が見えていない盲目の人の方が、
よっぽど想像力を働かせて生きているかもしれませんよ。
  
  
目に見えない「教育・知性・心理・波動」などが、
  
人生に【 多大なる違い 】をもたらすのです。
  
  
その「影響力の大きさ、価値の高さ」が理解できないとすれば、
  
人生に違いをもたらせていく事など、到底不可能です。
  
  
【「目に見えにない要素の価値」を、適正に評価・判断する 】
  
それが、私のやっている事です。
  
  
しかし、人類のほとんどが、それが出来ません。
   
備わっている想像力を働かせず、肉眼しか働いていないからです。
  
  
人間なら誰でも、
  
【「梅干し」と「レモン」を口の中に頬張る事 】をイメージすれば、
  
口の中に唾液が出てくるんでしょう?
  
  
それって、「想像力が備わっている」という事です。
  
  
せっかく備わっている能力を、ほとんどの人が使っていません。
  
  
【 目の前に無いモノを、イメージし、体感する… 】
  
これこそ、人間に備わった高度な知性です。
  
  
でも、使ってないんだから、
  
【 畜生みたいな生活と人生 】になりますよね?
  
  
食欲、睡眠欲、性欲…、
  
「動物的な、原始的な欲求」を追い求めるしか、能が無いのです。
  
  
動物みたいな大人が多いのは、教育がなっていないからです。
  
  
まず、【 教育の価値 】が理解できていない。
  
そして、【 価値とは何か? 】がわかっていない。
  
  
それじゃあ、何も知らずに
動物みたいな生活を送るしか無いでしょう?
  
  
動物的な人生で満足なら、それでも良いでしょうが、
  
私は、「人間らしい人生」を送りたい人に、語りかけています。
  
  
畜生人生がお好みの人は、
別に私の記事など読んでも時間と感情の無駄です。
  
  
「人間らしい人生」を求めるのであれば、
  
真っ先に、「動物と人間の違い」をもたらす、
【 教育の価値 】を理解する必要があります。
  
  
【 フェラーリ買ってもらうより、ブランドバッグ買ってもらうより、
 「高度な教育」を受け取れる事の方が嬉しい! 】
  
そういう捉え方ができるようになって、
ようやく「まともな感覚」です。
  
  
【 教育の価値を理解し、有り難がれる人間 】こそが、
「幸せな人生、充実した人生」を手に入れられるのです。


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2018年04月24日

世界で最も重要な仕事

最近も人と話していて、
「人間の底なしのアホさ」に辟易していました。
  
  
なんで、こんな「初歩中の初歩」を、
今になって自分が喋らなきゃならないのか?
  
私が何度、同じ内容の話を言い続けてきたのか?
  
なぜ、「初歩中の初歩」を何度言われても、
まったく理解できていないのか?
  
  
その脳みそで、よく大学に進学できたな…と。
  
大学って、そんなバカでも入れるの?って。
  
  
そんな風に、
「呆れ」を通り越して、「哀れ」に見えてきましたね。
  
  
  
それでは、今回の本題です。
  
  
みなさんは、
世界でもっとも重要な仕事って何だと思いますか?
  
さっさと結論を言ってしまいますが、
  
世界で一番重要な仕事は、【 教育 】です。
  
  
人間が他の動物と違うのは、
【 教育を受けることを前提として生きている生物だ 】
  
という事です。
  
  
例えば、オギャーと生まれた赤ちゃんに、
  
一切の教育(情報)を与えずに、食事だけ与えて、
20歳まで育てたとしましょう。
  
  
どんな姿になると思います?
  
  
・排泄物は垂れ流し
・食事は手づかみ
・歯も磨けない
・爪も伸びっぱなし
・衣服を自分で着られない
・言葉を喋れない
・文字は読めない
  
  
「犬」や「猿」みたいな動物と変わりません。
  
  
当然、社会に放りだしても、生きていく事は出来ず、
すぐに野垂れ死ぬでしょう。
  
  
という事は、
  
【 人間を人間たらしめるのは、教育 】という事です。
  
  
  
逆に、「虫」や「魚」みたいな生き物は、
  
教育を受けずとも、
【 生きていく為の本能 】を備えています。
  
  
人間は、教育を受けて学んでこそ、
まともに生きていける生き物なのです。
  
人間は、「知識と知恵を先代から受け継ぐことを前提」として、
生きている生き物なのです。
  
  
縄文時代の縄文人だって、
  
・竪穴式住居の建て方、
・狩りのやり方、
・作物の採り方などを、
  
親の代から学んでいました。 
  
  
学ばなければ、出来ない事です。
  
  
実際、発展途上国では、
「読み書き」を教えられないまま大人になってしまい、
  
「文字の読めない大人」もたくさんいます。
  
  
その国において、
「読み書き」ができる人がどれくらいいるか?
  
という割合の事を、識字率と言いますけどね。
  
  
  
では、「教育が最も重要な仕事」であれば、
  
「人間にとって最も重要な活動」は、【 学ぶ事 】です。
  
  
人間は、教育を受けてこそ、
【 ようやく他の動物と差が付く 】のです。
   
  
人間は、【 学んでこそ、人間 】なのです。
  
  
「学ばない人間」がいたら、
それは【 動物と変わらない 】という事です。
  
  
でも、世を眺めてみると、
「大人になったら学ばない」って人が多いですよね。
  
だから、動物みたいな生き方になっちゃうんですよ。
  
  
なぜ、「教える事」と「学ぶ事」は、
人間の営みにおいて、最重要に位置しているのに、
  
多くの人は、それを継続しないのでしょう?
  
  
それは、【 甘ッタレているからだろうが!!! 】
  
って話です。
  
  
要は、
  
【 自分が学ばなくても、他人が何とかしてくれる 】
  
と思っているので、人間は学ぶ事を止めるのです。
  
  
【 他者に依存しているから、学ぼうとしない 】のです。
  
  
そもそもの人生観が、
  
「他人に何とかしてもらう事を前提」に考えている。
  
  
だから、【 率先して自分が学ぶ必要性 】を感じていないのです。
  
  
私の人生観は、
  
【 人生とは厳しく、険しい道のりであって、
  他人に頼らず、自力で切り拓いていくモノ 】
  
です。
  
  
そういうシビアな人生観だから、成功できる訳です。
  
自分を助けてくれる相手にも、深い感謝が湧いてくるのです。
  
  
  
一方、成功しない人の人生観は、
  
【 人生とは、甘っちょろい道のりであって、
  困っても他人が何とかしてくれるモノ 】
  
です。
  
  
「貪欲に学び、教えようとする私」と、
「学ばない人」の差とは、この人生観にあります。
  
  
【 人生で失敗したら、どれほどの苦痛を味わう事になるのか? 】
  
という事もわかっていないし、
  
【 自分が困っていたら、他人は助けてくれるのが当然 】 
  
という風に、思い込んでいます。 
  
  
一言で言うと、
  
【「人生」と「他人」を舐めているから、学ばない 】のです。
   
  
で、私がどれだけ
「人生が厳しく、他人はアテにならないか?」
  
という事を説明しても、
  
その「甘ったれた人生観」を変えようとしません。
  
  
「自分に掛かるプレッシャー」から逃げようとしているからです。
  
  
そもそも、「他人が何とかしてくれる」と思っているから、 
  
私の話を聞く耳を持っていないのです。 
  
  
「それは違うよ!」って、どれだけ言われても、
  
頑なに聞く耳を持ちません。
  
  
【 依存している人間は、「人の話を聞く耳」すら持っていない 】
  
のです。
  
  
人の話を聞かず、学ばないのだから、動物と変わりません。 
  
  
「動物みたいな知性しか持っていない生き物が、
 人間らしい生活を出来ると思うなよ?」
  
と言いたい。
  
  
例えるなら、
  
学ばない人間は、
「動物園の檻の中で育てられた動物」です。
  
自動的にエサをもらえる環境で、甘やかされきって、
「自発的に生きていく気持ち」を失ってしまっているのです。
  
  
で、今更「サバンナに放り出すぞ!」と言われても、
  
厳しい環境で生きていく自信が無いし、
檻の中の環境に、しがみつき続けるのです。
  
  
要は、親や学校からの教育で、
  
【 人生とはどういうモノか? 】
  
という事について、
  
「間違った人生観」を植え付けられているのです。
  
  
で、20年以上その考えで生きてきて、
  
それを根底から覆すことに、苦労しているのです。
  
  
言い換えるなら、
  
「甘えを捨てきれない人間」とは、
  
【 事実や現実を、真正面から受け止める勇気や根性が無い 】
  
という事です。
  
  
だから、非現実的な幻想を追い求めて、
  
現実逃避を続けるのです。 
  
  
私が、ブログで書いている事って、 
   
自分の子供が「8歳前後」になったら教えようとしている事です。
  
  
それを、大の大人は学ぶ気も無いし、
  
学ばないし、理解できない。 
  
  
「小学生レベルの知性」すら、失っているのです。
  
  
ほとんどの人は、ネガティブな教育を受けてきて、 
その洗脳を覆すことに苦労していますが、
  
そもそも、一発目にポジティブな教育を施せば、
そんな苦労は要らないのです。
  
  
だから、私が教育を施すなら、
  
大人よりも子供の方が、圧倒的にラクです。
  
  
ですが、「子供にどういう教育を施すのか?」
  
という【 実権 】を握っているのは、残念ながら大人たちです。
  
  
だから、先に大人が変わらないといけないんですが、
  
その大人が、アホ過ぎる。
  
  
「恐怖を植え付けられていない子供」の方が、断然賢いですよ。
  
    
子供に、どれだけ良い事を教えようとしても、
子供は、「親の背中」を見て育ちます。
  
「言葉」じゃ無くて、「背中(態度・行動)」を見るのです。
  
  
子供に、口先だけで「勇気が大事だぞ!」って教えても、
親自身が、逃げまくってたら、子供もチキン野郎に育ちます。
  
言葉じゃ無くて、態度で示さなければ、説得力がありません。 
  
  
みなさんもそうでしょ?
  
例えば、社長が社員に対して「一生懸命に働け!」と言っても、
  
社長が一生懸命に働いてなかったら、
バカらしくて真面目に働けないでしょ?
  
  
一緒の事ですよ。 
  
子供が口先に騙される訳が無い。
   
  
  
それで、大人のアホさの本質は、【 依存心 】です。
  
  
他者に対して「過度に依存」しているから、
  
率先して学ぼうとしないし、知性は向上しないのです。
  
  
そして、その「依存心の原因」となっているのは、
  
【 誤った人生観 】です。
  
  
人生においては、
「死ぬより辛い苦痛」に遭遇することは有り得るのに、
  
自分にそういう事が起こるリスクについては考えず、
他人にそういう事が降りかかっても、他人事、対岸の火事。
  
  
そうやって、「現実逃避」を続けるのです。
  
  
私は何回でも言いますが、【 人生は厳しい 】のです。 
  
  
このブログでも、何回言ったかわかりません。 
  
  
でも、私がそう主張している
【 根拠・理屈 】を理解している人は、 
    
ほとんど居ないのです。 
  
  
ほとんどの人は、「学ぶ気の無いアホの動物」だから。
  
  
ほとんどの人は、
  
【 困っても、他人が何とかしてくれる 】
   
という「間違った思い込み」を、信じ続けたいのです。
  
  
そういう発想を持つに至る人って、
  
相当、甘やかされて育ってきたんでしょうね。 
  
  
可哀想に…。
  
動物園の檻の中で、育てられてきたのと同じです。
  
  
「狩りの仕方」を教えられていないのに、
サバンナに放り出されるのと同じです。
  
  
「子供を甘やかして育てる」っていうのは、そういう事です。
  
  
  
私が、経済領域で、
子供に真っ先に教えようとしているのは、
  
【 仕事の価値 】です。
   
  
例えば、毎月の水道代って1500円〜2000円くらいでしょ?
  
  
「2000円あげるから、1ヶ月間、水道使うな!」って言われたら、
  
その生活に耐えられますか?
  
  
川や井戸で水を汲んでこなければなりません。
  
昔の人は、そうしていたのです。
  
  
そんな事をしなくても、
たった、ひと月2000円払うだけで、蛇口をひねれば水が出る。
  
  
これが、スゴイ事なのです。
  
  
自分が水道管を引いたわけでもないのに、
自分が浄水したわけでもないのに、
  
蛇口をひねれば、水が出る。
  
  
なぜ、こんな事になっているのか?
  
【 他人が仕事をしてくれたから 】です。
  
  
私が子供に真っ先に教えるのは、
  
【 どれだけ他人の仕事に支えられて、生活しているのか? 】
  
という事です。
  
  
まぁ、学校じゃ微塵も教えないでしょうけどね。
  
社会の授業で、日本地図と県庁所在地でも暗記してろって話です。
  
  
  
【 受け取っている価値の高さを、正確に評価する 】
  
これがまず出来ていないないと、
  
「お買い物」すらまともに出来ません。 
  
  
価値がわからなければ、
一体、何を買って良いのか、わからないでしょう?
  
  
「モノの価値、他人の仕事の価値」がわからなければ、
  
【 価格に見合っているのかどうか? 】という判断すらできません。  
   
   
こういうことを教えられていないから、
  
日本人は、【 まともに「お買い物」すらできない国民 】なのです。
  
  
みんな買っているから…という理由だけで、
  
本当に長期的に役に立つかどうかも分からない、
  
「保険、マイホーム、自動車、子供の教育費」などの高額商品を、
ポンポンと買ってしまうのです。
  
  
アホです。
  
  
【 受け取る価値を理解した上で、お買い物する 】
  
  
こんなことも出来ないのが、日本国民です。 
  
いや、世界人類でしょう。
  
  
価値に対する認識と言えば、
  
・無料なら、価値が低い
・高額商品は、価値が高い
  
そんなバカみたいな風に、思ってるんでしょうね。 
  
  
だから、
  
無かったら生活に困るぐらいの、
めちゃくちゃ高い価値を受け取っているのに、
   
【 水道が使えることは有り難い 】
  
と思えないのです。 
  
  
「水道代って安いから、水道って価値が低いんでしょ?」
  
ぐらいの、アホな発想しか出来ないのです。
  
  
そんな発想では、まともに「お買い物」すらできませんよ。
  
  
逆に、「価値の無い、詐欺師の扱う商品やサービス」には、
有り難がって大金を払っているのですから…。
  
  
・目に見える「お金」がすごくて、
・目に見えない「価値」はすごくない。
   
そんな発想をしている人間が、
この日本にはウジャウジャしています。 
  
  
日本では、初乗り200円程度で電車に乗れます。 
  
  
仕事の価値がわからないなら、
「500円やるから、目的地まで歩いていけよ」って話です。
  
  
たった500円で、目的地まで移動できる。 
  
これが、スゴイ事なのです。
  
  
500円あったら、電車でどれだけ移動できますか?
  
それを徒歩で行くとしたら、
どれだけの労力と時間が掛かりますか?
  
たった500円で、
その「労力」と「時間」を節約できるのです。
  
  
日本人は、支払う値段に対して、
ものすごく高い価値を受け取っているのです。
  
  
なのに、出てくる言葉は文句ばっかりでしょ?
  
  
【 根性が甘ッタレているから 】です。
  
  
他人の仕事の価値が、まるで分かっていないからです。
  
  
こんなの、「幼稚園児」か「小学生」に教える事です。
  
  
私は、こういうことを何度も教えていますが、
  
なのに、大の大人が「依存心」丸出しで、
何も理解できていないのです。 
  
  
他人が自分にやってくれることを、
全て「当然、当たり前」と考え、
  
「感謝の気持ち」を微塵も持っていないのです。
  
  
クズみたいな根性です。 
  
  
じゃあ、受け取るのが当たり前みたいな、
そんな依存心丸出しのお前は、
  
他人に何かしてあげてんのか?と。
  
  
「自分はしてもらって当然」なのに、
「他人には、何かしてあげてるのか?」と。
  
  
アンタ、王様気取り? って。
  
  
【 他人の「労働力」や「仕事」】を有り難いと思えない人間が、
  
まともな人生を送れると思うなよって。
  
  
・国から生活保護もらって当然
・自分は働かなくて当然  
・他人から助けてもらって当然
  
  
そんな発想の人間が、
  
幸せで快適な人生を送れると思うなよ。
  
  
別に、現実逃避を続けるのは結構だけど、
  
地獄を見ないと「有り難み」に気付けないなら、
いっぺん、地獄に堕ちれば良いと思うよ。 
  
  
「人生」と「他人」を舐めている人間は、
いっぺん、地獄を経験すれば良い。
  
  
人生観が変わるくらいに、
【 死ぬより辛い精神的苦痛 】っていうのを、
 
いっぺん、味わってみると良い。
  
  
心底、そう思います。


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2018年04月23日

案外、みんな普通の人

前回の記事で、
  
「日本の上層に位置する人や企業」は、 
「国全体」の事を考えている訳では無く、
  
【 保身第一 】の連中である…
  
  
という事が、ある程度は伝わったかと思います。
  
  
でも、普通の人が思いそうな発想は、
【 そうは言っても、世の中は変わらないだろう… 】
  
って感じでしょうね。
  
  
それも、勘違いです。
  
  
なぜ、世の中は変わらないと思うのか?
  
  
それは、
  
・「学歴が高い」とか、、
・「お金を持っている」とか、
・「特別な地位に就いている」とか、
・「有名である」という事を、 
  
【 実際よりも、過大評価しているから 】です。
  
  
「よくわからないけど、スゴイだろうな…」と。
  
「そういう人たちは、
 自分とは違って特別な人たちなんだろうな…」と。
  
【 そんな、特別な人と自分が戦っても、勝てる気がしない… 】と。
  
  
まぁ、そんな風に思っている訳です。
  
  
そんな風に考えている人に言いたいのは、 
  
  
みなさんが「特別」だと思っている人たちは、
  
【 みなさんが思っているより、案外普通の人だよ 】って事です。 
  
  
みんな、普通の人なんです。
  
  
「自分が想像もできない立場に居るから、 
 何となく特別なんだろうな…?」
  
という気がしているだけです。
  
  
でも、実際は特別でも何でも無く、中身は至って普通の人です。 
  
  
・テレビに出ている人も、普通の人だし、
・政治家だって、普通の人だし、
・金持ちだって、普通の人だし、
・高学歴の人だって、普通の人。
  
  
みんな、案外思っているより「普通の人」です。
  
  
みんなと同じように、家では同じテレビ番組を見ていて、
みんなと同じように、メシを食っているのです。
  
  
特別に見えちゃう人も、
自分と変わらない、普通の人なのです。
  
  
ただ言っておくと、
私はかなり「普通じゃ無い人」だと思います(笑)
  
【 私みたいな人間が、本当に普通じゃ無い人 】です(笑)
  
  
私なんかよりも、
  
・テレビに出ている人たちの方が、
・国会議員たちの方が、
・金持ちたちの方が、
  
よっぽど「普通の人」ですよ。
  
  
でも、お金、有名、地位、肩書き、学歴…、 
そういった要素を過大評価しているので、
  
それらを持っている人間を特別扱いしてしまうのです。
  
  
芸能人だって、
自分の子供を良い学校に入れようとしていますよね?
    
そういう話を聞くと、「普通だなぁ…」と思いますね。
  
  
私なんかは、自分の子供を
  
小学生の年齢(10歳前後)で、
ビジネスデビューさせようと思っています。
  
我が子を小学生の年齢で、
自営業者にしようとしているのです。
  
  
そういう発想をする人が、【 普通じゃ無い人 】です。
  
  
・テレビに出ている人とか、
・国会議員とか、
・高級官僚とか、
・お金持ちとか、
  
  
そういう人たちって、
【 精神が強くて、すごい権力を持っている 】と思っているでしょう?
  
  
でも、全然そんな事ない訳ですよ。
  
  
普通に、ビビリです。
  
  
保身に走っている時点で、強い恐怖を抱えているって事です。 
  
  
テレビの出演者も、国会議員も、高級官僚も、お金持ちも、 
 
私に比べれば、「非常に大きな恐怖心」を抱えています。
  
  
人間は誰しも、「恐怖」や「罪悪感」を刺激すれば、
   
途端に弱くなってしまう生き物です。 
  
  
だから、テレビに出ているから…と言って、
  
そんなに強くも無いですよ。
  
  
【 脅しに屈しない様なメンタル 】を持っていたら、 
   
そもそも、テレビに出ていないと思います(笑)
  
  
私は、脅しに屈する程度のメンタルだから、
テレビに出られるんじゃ無いの?
    
って思いますよ。
  
  
・テレビに出ている
・高い地位に就いている
・お金を持っている
  
そういう人たちを、
  
勝手に「強い」と思い込んでいるだけです。
  
  
実際は、「普通の人間」とそれほど大差無いです。
  
  
普通の感覚を持っていて、普通に恐怖心を持っています。
  
  
「世の中、変わる訳が無い」と思っちゃうのは、
  
【 悪人が強い 】と思っているからです。
  
  
でも、そうじゃない。
  
悪人が強いからじゃ無いんです。
  
  
ただ、勝負しようと思ったら、
「勝負自体が悪人が有利になっているだけ」です。
  
  
例えば、
私がパワーストーンのブレスレットを作ろうと思ったら、
  
仕入れの時点もパワーを目利きして、
  
一粒ずつの石の波動を見て、
その人に合う石を20数個くらい選び、
  
配列も気を遣って、ブレスレットを作っています。
  
さらに、最近では「彫り」を入れる事によって、
波動アートを使って、石のパワーを強化しています。
  
  
ここまで、やっている訳です。
  
  
じゃあ、一般的な人たちは、そこまで気を遣ってますか?
  
やってません。
  
  
適当に仕入れて、適当に石をつまんで、適当に組んでいます。
  
  
要は、詐欺師には
【「商品」や「サービス」の質を高める努力 】が必要ないのです。
  
  
だから、商品やサービスは適当に手を抜いて、
【 売ることだけ 】に全精力を注げます。
  
  
一方、まっとうにやっている人は、 
  
「商品・サービスの開発」に多大なエネルギーを注ぎ、
そこから、「売る努力」もしなければなりません。
  
  
この時点で、かなりのハンデが付いている事になります。
  
  
消費者の目が肥えていれば、
質の低い商品・サービスは自動的に淘汰されていきますが、
  
「消費者の目が肥えていない業界」であれば、
【 詐欺師の方が圧倒的に有利 】なのです。
  
  
悪いヤツは、売ることだけに全精力を使えるし、
卑怯な手段だって使いたい放題です。
  
  
でも、良い事をしようと思ったら、
正々堂々と、誠実にやっていく必要がありますから、
  
その分だけ、「縛り、制約、自主規制」が多くなってしまいます。
  
  
勝負事っていうのは、そもそも【 悪人に有利 】なのです。
  
  
ですから、善人が悪人に勝とうと思ったら、
  
「10倍くらいの努力」は必要でしょう。
  
  
この世に、悪がのさばっているのは、
  
悪が強いから…じゃなくて、
  
【 そもそも、勝負事は悪人に有利な様に出来ているから 】です。
  
  
勝負事っていうのは、そもそも悪人に有利ですが、
  
だからといって、悪人がめちゃくちゃ強いって訳ではありません。
  
  
  
それに、悪人には弱点があります。 
  
  
・真実を隠さなければならない
・ウソを付き続けなければならない
・正々堂々とできない
  
という弱点です。
  
  
【 正々堂々と、真実を明らかにする 】
  
っていうのが、「悪人の弱点」なのです。
  
  
真実が明らかになれば、必ず【 悪人の負け 】です。
  
  
将棋で言うところの、【 詰み 】です。
  
  
善人には、真実が味方をします。
  
そして、真実は揺るがないのです。
  
  
絶対に揺るがない真実が味方なのだから、
  
正々堂々と戦い続ければ、必ず勝てるのです。
  
  
そう、私は【 必ず勝てる戦い 】だと分かっているから、
  
戦い続けられるのです。
  
  
悪人の弱点は、【 真実 】なのです。
  
  
勝負事はいろいろと「悪人」に有利ですが、
  
揺るぎない真実を武器に戦い続ければ、
必ず悪人に勝てるのです。
    
  
真実さえ広まれば、  
悪人は勝手に淘汰されていくのです。
  
  
悪人と直接戦う必要などありません。
  
  
ただやる事は、【 真実を正々堂々と広めるだけ 】です。
  
  
それだけで、世の中から悪人を一掃できるのです。
  
  
だから、「悪人に勝てる気がしない…」というのは、勘違いなのです。
  
  
絶対に勝てる方法があるのです。
  
  
ただ、悪人は「卑怯な手段」を使えるので、
  
悪人以上の「強い意志」と「努力」が必要です。
   
   
要は、頑張れば絶対に勝てるし、何もしなければ負けたまま…、 
  
って事です。
  
  
私は、どこまでもやり続けます。 勝つまでやります。
  
  
私ぐらい、
粘り強くて、執念深く、諦めの悪い人間もいないと思いますけど。
    
  
だから、私の方が勝つことは決まっているのです。
  
  
あとは、ただ時間の問題なのです。
  
    
真実を広め続ければ、悪は勝手に滅ぶのです。


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haxe501 at 15:04|Permalinkclip!

2018年04月22日

絞りカスはポイ捨て

搾れるだけ搾り取って、絞りカスはポイ捨て。
  
  
何の話だと思います?
  
人間の話ですよ。
    
  
別に「闇金ウシジマくん」の話じゃ無くて、
  
一般的な日本人の話です。
  
  
  
日本で普通に生活していると、
「有害な食品添加物」を摂取せざるを得ません。
  
  
【 コンビニで売られている、
  弁当、惣菜、パン、カップ麺、菓子類… 】
  
ほぼ全てに、
大量の「有害な食品添加物」が含まれています。
  
  
ファーストフード店で売られている、
あらゆる食品にも、
  
有害な食品添加物は使用されています。
  
  
さらに、一般に流通している
安物の「家畜の肉・乳・卵類」は、
    
不衛生な劣悪環境の中で、
   
・「化学的な成長促進剤」たっぷりの飼料
・「遺伝子組み換え作物」たっぷりの飼料
  
でスクスクと育てられ、動物虐待もされています。
  
  
国産ならまだマシかもしれませんが、
海外から輸入している家畜類はどうでしょうね?
  
  
こんな食品を人間が食べ続けるとどうなるでしょう? 
  
  
当然ながら、病気になりやすいですし、
精神も病んできます。
  
  
私は、自分と他人の経験から、
  
「身体に悪い食品」を食べると、肉体のみならず、
【 精神に多大な悪影響が及ぶこと 】を理解しています。
  
  
当然、肉体が健全な状態よりは、精神ストレスが増大していきます。
  
  
  
日本人の死因の3分の1は、ガンです。
  
さらに、心疾患、脳血管疾患、肺炎を合わせると、
3分の2は、それら主たる病気で死んでいる訳です。
  
  
怖いですねー。
  
じゃあ、日本人はどう対策しているのでしょうか?
  
  
【 ガン保険に入ろう! 医療保険に入ろう! 】
   
って事で、保険料を払います。
  
  
で、コンビニやファーストフードのメシを食い続けて、
精神ストレスを抱えながら働き続け、  
  
既定路線通り、
【 死因の3分の2を占める病気 】になりました。
  
  
入院していると当然働けませんが、
入っていた保険のおかげで、保険金が下ります。
  
  
そのおかげで、
きちんとした医療も受けられて、めでたし、めでたし…。
  
  
さて、この流れで儲かったのは誰でしょう?
  
・悪質、劣悪な食品を製造・販売している大企業
・保険会社
・病院
・製薬会社
  
です。
  
  
では、病気になった人は?
  
それまで、どれだけ「重要な仕事」をしていたとしても、
病気で入院していたら働けなくなります。
  
さらには、これまで必死で働いて得てきたお金を、
見事に、「食品企業、保険会社、病院、製薬会社」に搾り取られました。 
  
  
まるで、【「彼らを潤すため」に働いてきた様なモノ 】です。
  
  
どれだけ働いても、「得てきたお金」は彼らに搾り取られ、
自分は病気で働けなくなって、ポイ捨てにされる訳です。
  
  
いやぁー、非常に巧妙な搾取ですねー。
  
  
これが、日本に起こっている事です。
  
  
お医者さん一人一人は、良い人が多いかも知れませんが、
  
【 病院の経営者 】はどうでしょうね?
  
  
良い人と言い切れるでしょうか?
  
経営者ですから、やっぱりお金が大事なんじゃ無いですか?
  
患者たちを、金づるだと思ってるんじゃ無いですか?
    
   
  
「許せん! 行政は何をやっているんだ!?」
と思うかもしれませんが、
  
厚生労働省や消費者庁は、
  
大企業の売っている「お茶」や「コーラ」に
【 特定保健用食品(トクホ)マーク 】を付けようと、
  
がんばって仕事をしているのです。
  
  
大企業や医師会などは、政治家や政党に献金をしています。
   
これは、自分たちの儲けに不利になる様な、
法律や規制を作って欲しくないからです。
  
  
政治活動には、お金が掛かるので、
当然、政治家も献金してくれる企業を敵に回そうとは思いません。
  
  
そうして、【 無知でお人好しの国民 】は、
  
・「健康を害する食品」を食べ続けながら働いて、
・働いたお金で「保険金」を支払い、
・既定路線通り、病気になったら病院と製薬会社にお金を貢ぐ…、
  
という風に、
  
【 労働力やお金を搾取される人生 】を送る事になるのです。
  
  
無知でお人好しの国民は、
「テレビ」や「行政」を信じていますが、
    
「テレビ」や「政治家」に期待できますか?
  
  
大企業が、彼らのスポンサーです。
  
  
テレビ局も、政治家も、金主や票田を敵に回す事はしません。
  
  
という事で、
  
無知でお人好しの国民は、
  
【 一部の人間・企業の利益 】の為に、  
労働力を搾り取られるだけ絞られて、
  
利用価値を失った搾りカスとなれば、  
ポイ捨てにされている訳です。
  
  
この流れを変えるには、
「無知でお人好しの国民」が、 
  
大企業、政治家、行政、官僚、テレビなどへの盲信を、
捨て去る必要がありますが、 
  
彼らの多くは、
【 信じてきた事を覆したくない 】のです。
  
  
まるで、宗教の信者と同じですね。
  
  
自分の「労働力」や「お金」を
巧妙に搾取する悪人たちの事を、
 
「善人だと信じ続けたい」のです。
      
   
その代わりに、私の様な「真の善人」を、
「悪人、変人扱い」するのです。
  
  
「お人好しが過ぎる」と言うより、
お人好しを通り越してアホですね。
    
  
そして、お人好しの国民は、
相変わらず大企業にカネを貢ぎ続け、
    
大企業は、またそのカネを使って、
「テレビ局」や「政治家」を懐柔します。
  
  
金は払うから、
  
・自分たちに不利な法律や規制はするな(対政治家)
・自分たちに不利な情報は報道するな(対テレビ)
   
とね。
  
  
このサイクルが、終わることは無いのです。  
  
  
「世の中が変わるとき」があるとすれば、
   
【 国民の「お人好し」が終わったとき 】ですね。
  
  
  
今回は、主に「健康」にスポットを当てましたが、 
  
経済分野も、心理分野も、教育分野も、同じ話ですよ。
  
  
働き方改革、メンタルヘルス、子育て、学校教育…、
  
みんな同じ事です。
  
  
政治家や官僚、行政、大企業は、
【 国全体の事より、自分の利益になるかどうか? 】
   
が、一番大事なのですから。
  
  
そんな、【 保身第一の人や企業 】の「口先だけの偽善」を信じて、
  
彼らを信頼できると思っている「お人好し」が、
  
彼らの経済基盤を支え続ける為に、「稼いだお金」を貢ぎ続けるのです。
  
  
日本人は、
  
いつまで、「お人好し」を続けるんでしょうか?
  
  
この流れを理解して、
   
まだ、大企業や病院、政府や行政が、
「責任感が強くて、賢くて、誠実な、善人」だと思いますか?
  
  
実際には、何の頼りにもなりません。 
  
   
【 悪人が牛耳っているのが、この世界の真実 】ですよ。
  
  
そして、その悪人共を支えているのは、
  
【 無知でお人好しの国民 】です。


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2018年04月21日

中間の無い選択

私がここ最近、テーマにしているのは、
   
【 たった一人の人間の影響力の大きさ 】です。
  
  
これを、伝えようとしています。
  
  
「責任」を背負いたくない人は、  
私の記事を読むことすら避けたいと思います。 
  
  
ですが、「責任感」こそ、「やり甲斐」に繋がるのです。
  
  
【 責任感 = やり甲斐・存在価値・存在意義 】です。
  
  
ですから、責任感を感じない人は、
人生において「やり甲斐」を感じる事はありません。
  
  
例えば、最近は「財務省の文書改ざん」が話題になっていますが、
  
あれだって、
誰かたった一人の人間が、マスコミにリークしたから、
  
安倍政権を揺るがすような事になっている訳です。 
  
  
じゃあ、その「たった一人」って、
どういう人で、何したんですか?
  
特別な才能を持った人で、
物理的に難しい事を成し遂げたんですか?
  
  
違いますよね?
  
きっと普通の人で、
  
ただ知っている情報や掴んだ証拠を、
他人に伝えただけですよね?
  
  
  
別に、「特別な才能」など無くても、
「物理的に難しい事」をしなくても、
  
世の中に強い影響を与える事など、出来てしまうのです。
  
  
例えば、人通りが少ない場所を歩いていると、
「血まみれで倒れている人」を発見しました。
  
  
みなさんなら、どうしますか?
  
救急車を呼びますか? 素通りしますか?
  
  
・救急車を呼んだら、「命の恩人」かも知れません。
   
・素通りしたら? 「見殺し」かも知れません。 
  
  
この場合、
  
【「命の恩人」と「見殺し」の中間は無い 】のです。
  
  
血まみれで倒れている人を見かけたのは、
たまたまかも知れません。
    
でも、「見つけちゃった人に、責任が発生する」のです。
  
  
・救急車を呼べる立場にある。
・見殺しにできる立場にある。
  
  
別に、天才じゃ無くても、普通の人でも、
  
【 それが出来る立場にある 】というだけで、
  
責任は発生してしまうのです。
  
  
みなさんの多くは、
  
「特別な人だけが、重い責任を背負っている…」
  
そんな風に感じているかも知れませんが、
  
  
たまたま、重大な犯罪の現場を目撃しただけで、
  
自分が事件解決の鍵を握ってしまうかも知れないのです。
  
  
そこに、【 特別な才能 】など必要ありません。 
  
  
たまたま、そういう場面に遭遇しただけです。
  
  
みなさんは、目の前に血まみれの人が倒れていたら、
  
きっと、救急車を呼ぶと思います。
  
  
じゃあ、インターネットの向こう側には、
  
助けを求めて「苦しんでいる人たち」がいっぱい居るのに、
  
その人達の存在は無視で、その人達は見殺しなんですか?
  
  
【「肉眼」でしか、「人間の存在」を捉えられないのですか? 】
  
  
そんな事はありません。
  
  
私は事実を伝えましょう。
  
  
・お金を払ってでも、問題を解決したい。
  
・でも、自分の問題を解決できそうな人や情報が見当たらない…
  
  
そんな人は、【 腐るほど存在している 】のです。
  
  
精神科、心療内科、カウンセラー、
  
いろいろ通っても、苦しみが全然減らない…
  
  
そんな人も、たくさん居るわけです。
  
  
スピリチュアル業界では、 
  
私から見れば何のエネルギーも放っていない、
スピリチュアルのアイテムを、
   
平然と高額で売っている人間もゴマンといます。
  
  
代表的なのは、
パワーの宿っていないパワーストーンとかね。
  
  
私の記事を読んでいる人は、知っていますよね?
  
  
たった今、そういった詐欺にあっている人たちが、
たくさんいる訳です。
    
  
オレオレ詐欺は、銀行や警察が
「気を付けて下さい!」って頻繁に啓蒙活動しています。
  
だから、「騙されるおばあちゃん」は減っていると思います。
  
  
じゃあ、心理やスピリチュアルの業界で、
そういう啓蒙活動をしているのは? 
  
私ぐらいじゃないですか?
  
  
だから、騙される人は全然減らないのです。
  
  
私の情報を理解している人は、 
 
【 詐欺を止めさせる情報 】を持っているのに、
なぜ詐欺を止めさせようとしないのですか?
  
  
それは、血まみれで倒れている人を発見して、
  
素通りして見殺しにするのと、何が違うのですか?
  
  
目の前で肉眼に映らない人間は、存在していないのですか?
  
  
【「命の恩人」と「見殺し」の中間 】は無いのです。
  
  
「命の恩人」を選択しなきゃ、それは「見殺し」という選択です。
  
  
大金の入ったバッグを拾ってしまったら、
  
【 盗むか? 警察に届けるか? 】 だいたいどちらかです。
  
  
盗んだら犯罪で、
警察に届けたら、持ち主から深く感謝されるでしょう。
  
  
これも、ほとんど【 中間が存在しない選択 】です。
  
  
「元の場所に置いておく」っていう選択も有り得ますが、
ほとんどの人は、そうはしないでしょう。  
  
  
たまたまです。
  
  
・たまたま、知ってしまった
・たまたま、見てしまった
・たまたま、遭遇した
  
  
それだけで、既に責任は発生しているのです。
  
  
困っている人を見つけて、自分が救える立場にある…。 
 
そんなときは、
  
【 恩人か、見殺しか? 】   
  
極端に、どちらかなのです。
  
  
そんなとき、
  
【「善行・善業」と「悪行・悪業」の中間 】は、
  
存在していないのです。
  
  
ただ知っている。 ただそれができる立場にいる。
   
 
特別な人間じゃ無くても、それだけで既に責任は発生しています。
  
  
で、私から見れば、
【「見殺し」を選択するヤツが多いなぁ 】と思う訳ですが、
  
  
でも、ただこの事を知らなかっただけかも知れません。
  
  
苦しんでいる人たちがいて、その人たちに対して、
  
・自分が何かしらの影響を与えられる「立場」にいる。  
・影響を与えられる「情報」を持っている。
  
  
その事を、知らなかっただけかも知れません。
  
  
でも、もう知ってしまった訳ですから、
  
今この瞬間から、責任は発生しました。
  
  
いえ、正確には過去からずっと責任は発生し続けているのです。
  
怖いから、あえて見ないようにしてきたんでしょ?
  
  
  
恩人か? 見殺しか?
  
  
極端に、どちらかしか選べない選択は、多いのです。
  
  
救急車を呼ぶくらいなら、
自分にはリスクがないので呼べるでしょう。
  
  
じゃあ、「他人から変な目で見られる」っていうリスクがあれば?
  
    
他人から「変な目」で見られる事を怖れて、
  
目の前の血まみれの人を、見殺しにするんですか?
  
  
それは、仕方の無い選択と言えますか?
  
  
ぜひ、自分の心に問うてみて欲しいですね。
  
  
自分に降りかかる「ほんの少しのリスク」を怖れて、
  
もう「人助け」を止めて、他人を「見殺し」にする人たち…。
  
  
そういう人たちの事を、私は【 偽善者 】と呼ぶのです。


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haxe501 at 10:50|Permalinkclip!