2018年03月

2018年03月21日

己の欲望を満たす為に生きる

私は、地球上で生きる人生って言うのは、
「辛くて、苦しくて、過酷なモノ」だと思っているんです。
  
  
別に、悲観して言っている訳じゃなくて、
「客観的な視点」から見て、そう思うのです。
  
  
生きている以上、メシを食べなきゃなりません。
  
  
でも、「農業」で食糧を生産してくれている人、
「牧畜、畜産」や「漁業」をしてくれている人がいて、
  
さらに、「加工食品」を製造したり、
「料理」をしてくれる人が居て、
  
ようやく、自分はメシにありつける訳です。 
  
  
他人にメシ食わせるために、
数多くの人が懸命に働いています。
  
  
で、メシを食っておいて、
自分だけ働かないっていうのは、不公平ですね。
  
  
別に、自分にメシを用意してくれる人は、
ボランティアじゃありませんから、
  
対価(お金)と引き換えに、
メシを作って、提供してくれています。
  
  
だから、メシを買いたければ、
  
自分も何かしらの仕事をして、
人の役に立って、お金を稼がなきゃならない。
  
  
これが、経済です。 非常にシンプルなことです。
  
  
でも、その「仕事」というのが、非常に大変です。
  
  
「人の役に立つ」って言っても、カンタンじゃなくて、
  
仕事をするって言うことは、遊びじゃありませんし、
【 責任を背負い、果たす必要がある 】のです。
  
  
責任を果たすためには、
プレッシャーもあるし、アタマも使います。
  
時には、体調が悪くても、
休まずに仕事をしなきゃいけない時だってあります。
  
  
それぐらいの責任感がなければ、「お金」って言うのは稼げない。
  
  
なぜか? 人がお金を払うときはシビアだからです。
  
誰も、役に立たない事にお金を払いませんし、
  
自分に最も役立つと思う優先順位が高い順番に、
お金を使っていきます。
  
  
他の商売人に負けてばかりなら、一銭も稼げないのです。
  
  
カンタンに人の役に立てるなら、
誰でも金持ちになれますが、
  
「人の役に立つ事自体」がかなり難しいから、
成功している経営者は少ないのです。
  
  
現代人は、そこそこ衣食住が満たされていますし、
数多くの商品やサービスを体験し、見る目も肥えています。
  
そんな消費者として成熟してきた現代人の
役に立っていく事は、かなり難しい事になっています。
  
  
それで、自分がただ生きているだけでも、
色々と他人の世話にならなきゃ生きていけないし、
  
その分だけ、
自分も働いて他人の世話をしなきゃいけません。
  
  
これがカンタンじゃなくて、非常に厳しいから、
  
【 生きる事自体が、大変な事だ 】と思うのです。
  
  
じゃあ、みなさんは何で生きてるんですか?
  
人生って大変なのに、何で生きてるんですか?
  
  
生きている事自体に、大きなメリットを感じていますか?
  
  
  
私は正直言うと、人生が辛いだけなら自殺します。
  
希望が完全に絶たれて、この先苦しい事しか待っていない…。
   
   
そんな人生に、わざわざ生きる価値を感じないので、
   
さっさと死んでラクになりたいと思います。
  
  
  
極端な例を出せば、
  
自分がドラム缶にコンクリート詰めされて、
海に沈められる…。
  
それでも死なずに生きていたら、最悪でしょ?
  
  
誰も助けてくれないのに、真っ暗で身動きできないのに、
何十年、何万年と、たった一人で意識のある状態を耐え続ける…。
  
そんなの、無理です。
  
  
そんな状況だとしたら、
死ねるなら、さっさと死にたいでしょう。
  
  
生きていても苦しいだけなら、「自ら命を絶つ」という事も、
特定のシチュエーションでは、妥当な判断になり得ると思います。
  
  
そして、私にとっては、
サラリーマンとして生きるという事が、
  
「死ぬほど苦しいだけで、全く希望のない人生」なのです。
  
  
まぁ、私はこういう風に自分を一切曲げない性格ですし、
人生で自由な時間を何よりも必要としていますから、
  
サラリーマンなんかできません。
  
  
社会不適合者と言われても、否定はしません。
  
  
そんな私が、サラリーマンとして何十年も生活する…。
  
それは、私にとっては牢獄のようなモノです。
  
  
別に、サラリーマン自体を否定している訳では無く、
  
私の個性が、極めて特殊なのです。
  
  
ですから、私は成功願望を持たずに、
サラリーマンを続けていたら、自殺していたかもしれません。
  
  
でも、私は20歳の時、成功願望を持ちました。
  
  
「経済的に成功すれば、地獄の生活が回避できるぞ!」
  
と思ったからです。
  
  
人生を生きることは、そもそも大変な事です。
  
  
現代の日本ならまだマシですが、
  
「戦国時代の日本」なら、
今とは比較にならない程に過酷でしょう。
  
  
快適に暮らせる家電製品はないし、
  
農作物の不作・飢饉が起これば、
「大量の餓死者」が出るくらいです。
  
さらに、いつ戦に巻き込まれたり、
落ち武者が襲ってきて殺されるかもしれません。
  
  
人類は、そんな過酷な状況で、
よく生き残ってきたなと思います。
  
  
私がこの地球で生きる事に希望を見いだすとしたら、
それは、「自分の欲を満たせる生き方」が出来るかどうかです。
  
  
私は、成功したら
「快適に暮らせるし、欲を満たせるぞ!」と思ったら、
    
成功願望を持ったのです。
  
  
もし、人生で欲を満たせないなら、
  
苦しみと楽しさを比べれば、苦しみの方が多くなるでしょう。
  
  
私は自分に優しく、「苦しみ」が大嫌いな人間なので、
  
「苦しみ」と「楽しさ」を比較して、
苦しみの方が大きい人生は、「生きる意味や価値」を感じません。
  
  
だから、死んだ方がマシだと思うのです。
  
  
でも、経済的に成功したら、
「苦しみより楽しさの方が上回る人生を送れるかも知れない!」
  
まぁ、死ぬのはいつでも出来るし、
「自分の限界まで、成功を目指してみるか!」
  
という判断をしたのです。
  
  
ですから、
私に成功の目がなければ、きっと自殺していたと思います。
  
私にとって、サラリーマンの牢獄人生は耐えられませんから。
  
  
私にとっては、「サクセス・オア・ダイ(成功か?死か?)」
  
という人生だったのです。
  
  
で、死ぬ気で目指したら、成功くらいできてしまうモノです。
  
  
で、私のように社会不適合者なのに、
サラリーマンが向いていないのに、
  
成功願望も持たず、
希望のない人生を生きている人がいます。
  
  
そういう人って、なんで生きてるんでしょうね?
  
  
まぁ、死ぬのが極度に怖いから、
  
大きな精神的苦痛や肉体的苦痛があったとしても、
「出来る限り死なないため」に生きているのでしょう。
  
  
私にとっては、そんな人生は辛すぎるので、
  
「死に対する恐怖」がない私は、きっと自殺します。
  
  
でも、私が死なずに成功願望を持つことができたのは、
  
【 満たしたい欲 】があったからです。
  
  
・お金の事を気にせず自由に買い物がしたい!とか、
・眠たいときに、できるだけ寝たい!とか、
・快適な家で暮らしたい!とか、
・美味しいモノが食べたい!とか、
・普通の人ができない体験をしてみたい!とか、
  
そういう欲がありました。
  
  
つまり、「欲望」こそ【 成功願望の源 】です。
  
  
で、成功願望を持っていない人って言うのは、
  
自分の「欲望」を自覚していないのです。
  
  
・そもそも欲望に対するイメージが悪かったり、
  
・欲望を持ってもどうせ叶わないだろう…と、悲観的になっていて、
 惨めな気持ちになるくらいなら…と、
 自分の欲望にフタをして、抑圧していたり、
  
  
とにかく、「己の欲望」というテーマに、
  
なにかしらネガティブな要素を抱えているのでしょう。
  
  
・人間の欲望を肯定し、
・自分の欲望を自覚し、
・自分の欲望を満たすために生きなければ、
  
人生なんて、きっと辛くて苦しい事の方が多いですよ。
  
  
で、辛くて苦しいだけの人生に、私は生きる意味を感じません。
  
これは個人的な価値観ですけどね。
  
  
「苦しいだけの人生でも、耐えて生きろ!」
なんて他人から言われても、
    
「絶対イヤだ!」と言って、私は抵抗しますね(笑)
  
  
私にとっては、「命」より「幸せ」の方が重いのです。
  
不幸に生きながらえるより、
短命でも、幸せな人生の方が、格段に良い。
  
  
80歳まで不幸な人生を歩むより、
10歳で死んでも、その10年間が幸せな方が良い。
  
  
誰でもいつか死ぬんです。 早いか遅いかだけの違いです。
  
長生きしたら、死んだ後に誰かから褒められるんですか?
  
  
どうせ、人生なんて「死ぬのが早いか遅いかだけの違い」だし、
  
「長生きした方が良い理由」なんて、私にはありません。
  
  
私が自分の人生に求めるモノは、
  
人生において「最低限生じる苦しみ」よりも、
【 それを遥かに上回る、楽しさ、喜び、やりがいを得たい! 】
  
という事だけです。
  
  
楽しさ、喜び、やりがい…
  
そういうポジティブな要素が自分の人生に存在するなら、
  
自分が生きる意味や価値もあるのかな…と思います。
  
  
もう一度言いますが、これは個人的な価値観です。 
  
  
苦しみの多い人生を生きる人に、
価値が無い、意味が無いという訳ではありません。
  
  
私なら、自分の個人的価値観において、
「苦しみの方が多い人生は選択しない」という事です。
  
  
私は、【 トータル(総合的)の損得勘定 】で、
  
判断を下しています。
  
  
1.人生を生きる事には、様々な「苦しみ」や大変さが伴う
  
2.私にとっては、命より「幸せ」の方が大事。
  
3.「苦しいだけの人生」なら死んだ方がマシだと思う。
  
4.苦しみより「楽しさ、喜びの方が多い人生」を送れるなら、
  その為に、【 全力で努力する価値 】を感じる
  
  
整理すると、非常ににシンプルな思考プロセスです。
  
  
サラリーマンとして生きていて、
収入も低いし、楽しい事も無いし、
  
そういう人生を送っている人もいるでしょうが、
  
「苦しいのに、死なない為に生きてる」って、
  
私から見れば辛すぎますし、拷問にも思えます。
  
  
私なら、死んでさっさとラクになろうと思うかもしれません。
  
  
でも、死ぬのはいつでもできますから、
  
【 自分の人生において、
  自分が「己の欲を満たしていける可能性」はないのか? 】
  
という事に、一度想いを巡らせてみて欲しいですね。
  
  
欲には、
  
「寝たい、食べたい」という
動物的な欲望もあれば、
  
「やりがい、達成感を感じたい」などの
人間的な高次の欲望もあります。
  
  
どちらにも共通していえる事ですが、
  
「欲を満たす」というプロセスが、
  
「楽しみ」や「喜び」などの【 ポジティブな感情 】を生むのです。
  
  
欲望を否定している人には、
  
人生においてポジティブな感情を感じる機会が
ほとんどありません。
  
  
だから、【 欲を肯定する 】という事は、
  
自分の人生を考える上で、「根幹的な要素」でもあるのです。  
  
  
よく、「過ぎた欲(強欲)は良くない」なんて言われますが、
  
私は、それを真っ向から否定します。
  
  
欲は悪く無いのです。
  
  
己の欲を満たす方法に、
  
ポジティブな方法(アプローチ)と、
ネガティブな方法(アプローチ)があるのです。
  
  
例えば、「勝負に勝ちたい」と言っても、
  
正々堂々と自己研鑽を重ねて勝とうとする人と、
姑息な手段を使って勝とうとする人がいます。
  
  
「性欲を満たしたい」と言っても、
  
他人に迷惑を掛ける手段を使う人と、
  
自己研鑽して、他人からモテるくらい、
まず自分自身が魅力的になろうとする人もいます。
  
  
という事で、【 ポジティブなアプローチ 】であれば、
  
いくらでも大きな欲を持って良いし、
いくらでも大きな欲を満たしても良いのです。
  
  
誰にも迷惑は掛からないし、
自分が欲望を満たす過程では、むしろ喜ばれることばかりでしょう。
  
  
私は、レストランでお金を払って、
美味しいモノを食べます。
  
自分の欲望を満たします。 
    
で、美味しい!美味しい!と、喜びを表現します。
  
すると、料理人の人が喜んでくれます。
  
お金が儲かって、経営者も喜びます。
  
  
自分の欲も満たせて、他人も喜ぶのです。
  
  
このプロセスに、悪い事は一切ありません。
  
  
「欲が悪い」と言っている人間は、
短絡的な脳みそしか持っていないだけです。
  
  
己の欲の満たし方に、
  
「他人も一緒に喜んでくれるポジティブな方法」と、
「他人に迷惑を掛けるネガティブな方法」がある。
  
  
これが、真実です。
  
  
私は、ポジティブな方法でしか、
己の欲を満たそうとしていないので、
  
誰にも迷惑を掛けないし、
むしろ己の欲望を満たす過程で、
  
他人にたくさん喜ばれていくでしょう。
  
  
だから、ポジティブな手段を使って欲を満たそうとする限り、
  
欲というのは、
【 自分と他人に喜びを与えてくれる根源 】となるのです。
  
  
だから、自分の欲にブレーキを掛けている人は、
  
一人残らず、勘違いをしているのです。
  
  
勘違いをしているから、人生が面白く無いのです。
  
人生に希望が持てないのです。
  
  
欲を肯定し、欲を満たそうとする過程で、
  
自分と他人が一緒に喜んで、
全体の幸せを増やせていけるのです。
  
  
私の言っている事が真実です。
  
  
この記事を読んで、
衝撃を受けたり、混乱した人は、 
  
【「常識の方が、真実とかけ離れて間違っていた」という事実 】を、
  
初めにシッカリと理解して頂きたいです。


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2018年03月20日

チカラに伴う責任

有名な「ブラックジャックによろしく」 
という漫画があります。  
   
  
第2巻は、心臓外科の話です。
  
  
そこで、北三郎という心臓外科医が登場するのですが、
  
その北三郎のセリフに、
  
「極論すれば、俺はこの手で何人もの患者を殺している。
 殺したんだ。 その自覚が無い者は医者をすべきではない。」
  
というモノがあります。
  
  
BJ

  
(著作権がフリーなので、ネット上にて無料で読めると思います。
 前後のストーリーが知りたい人は、読んで下さい。)
  
  
私はリアルタイムに単行本を買って読んでいましたが、
たぶん、高校生の頃ですね。
  
当時の若い私には、
   
・なぜ、そういう発言に至るのか?
・なぜ、患者を殺したと思わなければならないのか?
   
その根拠がわかりませんでした。
  
  
今なら、
  
よーーーくわかります。
  
  
  
一言で言えば、
「それくらいの責任感を持て!」って事です。
  
  
もし、自分が関わった患者が死んだとき、
  
・手に負えなかったから仕方無い
・自分は悪く無い
  
という風に思ってしまえば、
「今以上に、自分の腕を磨こう」と思いません。
  
  
「救えるはずだった患者を、
 自分の実力不足で救えなかった」
  
「救えるはずだった患者を、
 自分の実力不足で殺した」
  
そういう風に捉える方が、
  
ひとつひとつの判断も慎重になり、
自分の腕を磨く事にも本気になります。
  
  
「殺した」という意味は、
「殺意を持って殺した」という意味ではなく、
  
【 本当に最善を尽くしていくためには、
  結果が伴わなくて患者が死んだときに、
 「自分が殺した」と思うくらいの責任感が必要だ 】
    
という事なのです。
  
  
じゃあ、みなさんに
ここで考えて頂きたいテーマがあります。
  
  
もし、マンガみたいな奇跡が起きて、
超能力を手に入れたとしましょう。
  
  
その超能力とは、
  
「人に自分の手をかざせば、その人の怪我や病気を治せる」
  
という超能力です。
  
  
しかもその能力は、継続的に努力すれば、
さらにレベルアップさせていく事が出来ます。
  
  
その気になれば、
  
たくさんの人々の怪我、病気を治し、
命を救えちゃう超能力を手に入れてしまいました。
  
  
さて、みなさんは、
その能力をどのように使いますか?
  
  
・自分の為だけに使いますか?
・他人の為にも使っていきますか?
・その能力を努力して磨いていこうと思いますか?  
  
  
もし、自分の目の前に「死にそうな人」がいて、  
自分次第(超能力)でその人の命を救える…。
  
  
そんな状況の時に、超能力を行使しなかったら、
  
・それは、
 「見殺しにした」という事になりますか?
  
・それとも、
 「元々死ぬ予定」だったから「殺したとは言えない」ですか?
  
  
どちらの解釈になりますか?
  
  
  
私は、どちらも正しいと思います。
  
  
どちらの解釈を採用するかは、人の好みだし、
  
細かい状況によっても変わっていくと思います。
  
  
  
ただ、本当に人を救うような生き方をしていきたいのであれば、
  
死にかけている人を「救えたのに救わなかった事」を、
「自分が殺した」という解釈を採用する方が、
  
それくらいの責任感を持つ方が、
  
結果的に、たくさんの人々を救えるようになるでしょう。
  
  
何が言いたいかというと、
  
大きなチカラを持ってしまった時点で、
「それをどのように扱うのか?」
  
という事には、責任が伴う訳です。
  
  
例えば、宝くじに当たって、1億円手に入りました。
  
  
そのお金を、
  
・「自分の快楽の為だけ」に使うこともできれば、
・「他人の命や人生を救うこと」にだって使えるのです。  
  
  
「他人の命を救えるチカラ」を手にしておきながら、
そのチカラを行使しなかったら、
  
それは、殺したという事になりますか?
  
  
「他人の命を救える超能力」を手にした人は、
  
もし、そのチカラを他人の為に行使しなかったときには、
それは、殺人になるのか?
    
というテーマと、向き合わざるを得ません。
  
  
死にかけの人を見て、
自分次第で生かす事も、死なすことも出来る。
  
  
そんな「自分の判断で人命を左右する責任」を、
  
【「自動的」に、背負う事になる 】のです。
  
  
  
つまり、大きなチカラには、
  
それに伴う大きな責任が付随するモノなのです。
  
  
では、ここからが本題です。
  
  
「知識」や「知恵」も、大きなチカラでは無いですか?
  
  
私は、「人の人生や命が救われるような情報」を、
提供していると思っています。
  
  
私のブログに出会い、
そして内容が理解できた人は、
    
先ほどの超能力の例の様に、
  
好む、好まざるに関わらず、
  
人の人生や命を救えるほどの、
大きなチカラを手にしてしまっているのです。
  
  
でも、そのチカラを他人の為に役立てようという人は、
日本国内に皆無です。
  
(※ 居たら、互いに引き寄せ合って既に一緒に仕事してます。)
  
  
要は、自分の為だけにしか、使いたくないのです。
  
  
そのチカラを他人の為に使おうとした時に、
  
・自分や他人にとって良い結果が出なかったら怖い
・他人からどう思われるかが怖い
  
そんな所でしょう。
  
  
もし、本当に他人の役に立ちたいと思っている人であれば、
  
他人に役立つチカラを手にしておきながら、
そのチカラを行使しなかった場合、
  
・自分が、救えるはずの人を不幸にしている
・自分が、救えるはずの人を殺している
  
そういう解釈になるでしょう。
  
  
本当に他人の役に立ちたいと思っている人であれば、
  
他人を不幸にしない為に、殺さないために、
  
人の役に立つチカラを、積極的に使っていくでしょう。
   
  
みなさんは、
何かしら他人の役に立てるチカラを持っているハズです。
  
  
私の提供している知識や知恵などは、その最たるモノのひとつです。
  
  
でも、誰もそれを他人の為に行使しません。
  
  
「他人を救いたい気持ち」より、「怖れ」の方が勝っているのです。
  
  
そういう意味で、
  
一番最初の話に戻りますが、心臓外科医ってすごいですよね。
    
  
医者って、手術でミスしたら人を殺す事になって、
  
患者や遺族から訴えられたり、業務上過失致死で  
刑務所に入れられたりするリスクもあるのです。
  
  
そのリスクを背負ってでも、積極的に人を救っているのです。
  
  
そんなハイリスク、普通は背負いたくありません。
  
  
それでも、そのリスクを上回るほどの、
  
「やりがい」「達成感」「自己重要感」などの、
  
【 精神的報酬 】の為に、責任の重い仕事をしているのです。
  
  
  
別に、自分が人を救うチカラを手にしておいて、
  
それを行使しなくても、悪い事ではありません。
  
  
自分なら救えたかもしれないけど、
  
そもそも死ぬ予定の人間だったし、
死んでも予定通りじゃん。 
  
見殺しにしても、自分は悪く無い。
  
  
そんな風に思っても、間違っちゃいない。
  
  
ただ、
  
・自分は本当に人を救いたいのか? 救いたくないのか?
   
・過去に「人の役に立ちたい」と発言していた人は、
 その気持ちは本物だったのか?
  
  
自分の「考え」と「発言」と「行動」が矛盾しないように、
  
そういう事を、考えてみて頂きたいですね。


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2018年03月19日

「世の中や人の役に立ちたい」と仰っていた人に問う

あなたが全力で成長していれば救えていたかもしれない人々を、
自分が成長を怠る選択をしたことで、何人殺しましたか?
  
  
あなたが勇気を出して行動していれば、救えていたかもしれない人々を、
自分が勇気を出さない選択をしたことで、何人殺しましたか?


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2018年03月18日

学校教育の害

私は、現代の学校教育はクソだと、
もう何回も書いています。 
  
その理由と根拠も書いています。
  
  
それでもまだ、
「現代の学校教育がどれほど害悪か?」
  
という事が、
よく理解できていない人が多いでしょう。
   
   
私は、日本が抱える社会問題のほとんどは、
「学校教育の弊害」によって起こっていると思っています。
   
その理解がないので、
  
「政治家や官僚の定めるルールやシステムが悪いから、
 政治家や官僚がシッカリすれば、社会問題は解決する」
  
などと、全く的外れな期待と発想をしてしまうのです。
  
  
例えば、日本が抱える代表的な問題に、
「労働問題」があると思います。
  
「過労自殺」や「働き方改革」などのテーマが、
ニュースになっています。
  
  
この根本的な問題は、
  
「過去の労働者に求められていた能力」と、
「現在の労働者に求められている能力」は、
  
まったく異なっている…という事にあります。
  
  
パソコンとインターネットの登場によって、
「価値を生み出す為のスキル」が大幅に変わってしまったのに、 
  
未だに、学校では暗記と計算ばかりさせています。
  
  
大量生産の時代が終わり、
「個性」や「カスタマイズ」が商品になる時代なのに、
  
【 あえて、個性を潰す教育 】をしているのです。
  
  
協調性が最優先で、他人と違う事をやったり、
違う発想をすると、怒られる訳だから。
  
  
  
例えば、体育で習う、
「気を付け! 前にならえ!」って、
  
大人になってから使います? 
  
  
私は、使ったことないです。 
  
  
仕事に微塵も役立たないのに、
  
なんであんな事をさせられていたのか? 非常に謎です。
  
  
むしろ、あれが役に立つ仕事を探す方が難しいでしょう(笑)
  
  
昔の工場で「流れ作業を行う労働者」には
必要な躾けだったかもしれませんけど、
    
現代の学校教育には、
「将来の仕事に役立つかどうか?」という視点が、
  
まるで抜け落ちています。
  
  
「教師に従順で無いと怒られる教育」を受けているので、
  
怒られないために、極力自分の脳みそで考えず、
目上の指示に従うようにしているのです。
  
  
さらに、現代の若い人は、
「新しい時代」に必要な「新しい感覚」を持っているのに、
  
年配の経営者や上司は、「古い感覚」を持ったままです。
  
  
若い人が新しい感覚を持ち込もうとすると、
「今までの常識と違う」と言って、潰されるのです。
  
  
人間自体が、
【 時代の差、世代の差 】に適応できていないのです。
  
  
人間の思想形成においては、
「幼少期の教育の影響」が、最も強くなります。
  
  
真っ白な布に、初めて何か色を染めようとすると、
カンタンに染まりますが、
  
その後で、違う色に染めようと思うと、
脱色するプロセスは、非常に骨が折れる事なのです。  
  
  
私は、ネガティブな考えをしている人に、
ポジティブな考えを提案している訳ですが、
  
「ポジティブな考え」の方が、
筋が通っていて、精神的にラクで、幸せになれるのです。
  
  
それなのに、
ネガティブな人は考えをなかなか変えられません。
  
親や学校などから、
「最初に染められた考え」を捨てるのには、苦労するからです。
    
  
ですから、【 幼少期の教育 】が、
人の人生を大きく左右しているのです。
  
  
で、その幼少期に施す現代の学校教育が、 
  
【 時代にまるで合っていない 】のです。
  
  
例えば、
  
「学校の勉強が将来何の役に立つの?」
  
という、子供からの質問があると思います。
  
  
その質問に対して、
  
大人は【 屁理屈 】をこねまくって正当化しようとします。
  
  
「無理矢理に屁理屈をこねなければ、答えられない…」
  
そんな教育を、子供に施しているのです。
  
  
本来は、屁理屈をこねなくても、堂々と、
  
「こういう事に役に立つぞ!」と、
  
自信満々で答えられる教育が必要なハズです。
  
  
それを、大人自身がわかっていないから、
  
誤魔化すために、
いちいち、屁理屈をこねなければならなくなるのです。
  
  
私が子供から、
  
「学校の勉強が何の役に立つの?」と聞かれたら、
   
正直に答えますよ。
  
   
【 何の役にも立たないどころか、むしろ害悪でしかない! 】とね。
  
  
それより、「心理・経済・健康の本質」を学んで、
  
自分の「才能」や「情熱」を開花させる事に集中し、
その為に必要な「勉強」と「経験」を積んで、他人の役に立てば、
  
【 幸せで経済的にゆとりのある、情熱的で充実した生活 】が手に入るぞ!
    
と、正直に答えます。
  
  
これこそ、私が子供たちに与える未来のヴィジョンです。
  
  
じゃあ、今の大人が、
子供に明るいヴィジョンを示せるのか?って。
  
  
大人自身も、未来に明るいヴィジョン持ってないでしょ?
  
子供に示せる訳が無い。
  
  
現代の大人は、
子供に対して無責任で、不誠実で、
  
自分たちの思惑通りに従わせるために、
屁理屈をこねているだけです。
  
  
まず、子供達に謝れって。
  
「未熟な大人達でごめんなさい」ってね。
  
   
子供に対して、大人が自分たちの非を認めろって。
  
  
今の年長者たちは、いつかみんな死んで、
  
現在の子供たちが、いずれ世界を動かすようになるのです。
  
  
地球の未来は、現在の子供達に掛かっているのです。
  
  
で、現代の大人達は、地球の未来に責任を背負っていない。
  
  
子供達の事より、地球や世界の未来より、
  
「自分たちの保身と延命」しか考えていない、
クソ野郎のチキン野郎。
  
  
まるで何も考えていない。 アタマを使っていない。
  
  
そりゃ、昔は優秀な目上の人間に従順に従っていれば、
全てが上手く回った…。 
  
そんな時代もあったでしょう。
  
  
でも、もう時代が違うんです。
  
  
「時代が違う」という事を、その本質を、
  
誰も深く理解していない。
  
  
昔は、「権威の導き」に従っていれば、
それなりに上手く行っていたかもしれません。
  
  
でも、現代の権威たちは、
もう自分の利権維持と保身しか考えていないクソ野郎なのです。
  
彼らを信頼するのは止めなければなりません。
  
  
私が、理路整然と因果関係を語っているのに、
  
私は世間的に権威でもないし、有名でもないから、
普通の人は、私を信頼できないのでしょう。
  
  
それも、
権威を盲信するように、学校教育で仕込まれてきたからです。
  
自分のアタマで考えないように、仕込まれてきたのです。
  
  
普通の人は、「権威がアテになる」と思っていたいのです。
  
国のやっている事が、アテになると思っていたい。
  
  
そう教えられ、そう思って生きてきたことを、
覆されたくない。
  
  
今更、覆されても、
これからどう生きれば良いのかわからなくなるから。
  
  
それそこ、権威の思うツボです。
  
  
自分のアタマで考えないアホたちを、

【 自分の保身に利用できるから 】です。
  
  
現代の大人達は、子供達に対して、
  
「こういう風に生きれば、
 幸せに、充実して、経済的にもゆとりある生活が送れるよ!」
  
っていうヴィジョンを示せないでしょう?
  
  
その時点で、現代の大人達は【 無能 】なのです。
   
  
「イヤな勉強して、イヤな仕事をして、
 それでも何とかお金を稼いで、死なない様に生きていくしかないんだ!」
  
って、そんな悲壮感が漂うヴィジョンしか示せないでしょ?
  
  
で、「自分の無知と無能さ」を認めたく無いから、
   
子供に対して、屁理屈をこねるのです。
  
  
まず、「自分たちの無能さ」を認めないと、
  
新しい知識を得ようとも思いません。
  
  
現代の大人達が、自分たちの無能さを認めたく無い。
  
  
現代の子供達は、
その大人達の「ショボイ見栄と虚栄」の犠牲になっているのです。
  
  
子供に何かを教える資格すら無い。
  
  
そもそも、いつの時代も、子供世代の方が、
優秀な人材が多く生まれるようになっているのです。
  
  
無能な大人達が、自分たちの権力維持の為に、
子供たちの未来を犠牲にしているのが、
  
今の日本社会の構図です。
  
  
私は、子供達に明るいヴィジョンを示せますよ。
  
  
でも、大人達にはまったく理解できないし、
私から教えを乞おうとも思わない。
  
  
大人達が無能だからです。
  
子供達に対して、無責任で不誠実だからです。
  
  
子供に対して、堂々と
  
「こういう風に生きれば良いぞ!」
  
と胸を張って言えますか?  
  
  
言えない時点で、
子供に対して偉そうに出来ないだろ。
  
  
私は子供たちの未来を真剣に考えています。
  
  
真剣に考えた結果、
  
・心理・経済・健康の本質を教える
  
・本人の情熱と才能を開花させる
  
  
そういう教育が必要だという結論に辿り着きました。
  
  
両方とも、「はこぶね倶楽部」でやっている事です。
  
  
人間は、幼少期における、
親と学校の教育の影響を大きく受けるのだから、
  
まず、親自身が学ばなければ、子供に教えられません。
  
  
現代の子供達に対して、本当に、
  
学校の教育をシッカリ受けていれば、
受験勉強を頑張って、就職活動を頑張れば、  
  
「明るい未来が待っているぞ!」と、胸を張って言えますか?
    
  
言えないのに、なんでさせてるの?
  
わからないのに、なんでさせてるの?
  
  
無責任だね。 不誠実だね。 無知だし、無能だね。
  
  
そんな無能な大人達に屁理屈をこねられ、洗脳される、
  
子供達が可哀想です。


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haxe501 at 16:36|Permalinkclip!

2018年03月17日

空間の資源効率

昨日は、両親が「部屋の模様替え」を手伝ってくれました。
  
父親はエンジニアで、工場の中で
電気配線や機械の設置を考える仕事をしていたので、
  
そういうのが得意みたいです。
  
  
・あの棚を、こっちに持って来た方が良いと思うんやけど?
・この電気コードを、こっちに回した方が良いと思うんやけど ?
  
と言われても、
  
父親の「発想」や「イメージ」が、
私にはまるで伝わってこない(笑)
    
  
だから、「お任せします」の一言。
  
  
私が人間心理をパズルのように捉え、解決していける様に、
  
父親も、「空間、家具、電気配線」などを、
パズルのように捉え、効率良く配置していけるのでしょう。
  
  
結果的に、以前より空間が快適になりましたが、
  
そこで私は思いました。
  
  
  
やはり、
  
・「生活に役立つスキル」を持っている事には価値がある。
  
・そういうスキルを持っている人が家族に居ると有り難い。
 
・そして、自分は「整理収納のスキル」が低すぎる(笑)
  
  
ちょっと問題意識が芽生えました。
  
  
プロとして他人の問題を解決レベルじゃなくても、
最低限自分の事が自分で出来ないのはマズイぞ、と。
  
  
私は料理を作るのが割と好きです。


かといって、料理人になるほどではありませんし、  
  
料理を自分で作って、後片付けをする分の
時間と労力が勿体ないので、最近は作りませんが。
  
  
ただ、自分は美味しいモノが好きだし、
自分で作ると言っても、美味しいモノが食べたい。
  
だから、他人に食べさせるまでじゃなくても、
自分が美味しいと思えるモノくらい、自分で作りたい。
  
  
それと同じ事です。
  
  
プロレベルじゃなくても、
自分が最低限快適に暮らせるくらいの、
  
整理収納スキルは必要なんじゃないか?
  
そう思いました。
  
  
私は、これまで整理収納のスキルを鍛えてこなかった。
  
  
・他にやることがあったとか、
・仕事が忙しかったというよりは、
  
おそらく、
整理収納の価値を軽視していたからでしょうね。
  
  
あと、昔はお金も無かったので、
「空間(家賃)」や「家具」に使える余分なお金も無く、
  
一方、部屋の中は
  
「膨大な書類やノート、書籍、
 PC関連の周辺機器、メディア(CD、DVD)」
    
で埋もれていたし、
    
そんな中で、最低限、暮らせるだけの空間があれば良い…
って感じだったのでしょう。
  
  
幸い、私は自分の研究を深めれば深めるほど、  
シンプルな結論に辿り着くので、
  
「本、書類、ノート類」がさほど要らなくなり、
  
「高波動絵画」を活用するようになってから、
それまで使用していた波動アイテムも要らなくなり、
  
徐々に、必要なモノが減って行っていますけど。
  
  
整理収納も、結局は【 効率の追求 】だと思います。
  
  
「限られた空間(資源)の中で、優先順位を定め、
 優先度が低いモノは捨てて、高いモノを配置していく…。」
  
  
私が「意識や精神、価値観の世界」でやっている事を、
「空間の世界」でやっている様なモノでしょう。
  
  
そして、「効率の追求」は、ハイレベルな頭脳労働です。
  
  
部屋の中に存在する物体を、カテゴライズして分類し、
優先度が高いモノを取り出しやすく、しまいやすくする。
  
  
本当に、今までやってこなかった分だけ、
アタマが働きませんね。
  
経験も知識も足りません。
  
  
「お金、時間、エネルギー(体調・労力)」の資源効率は、
これまでめちゃくちゃ追求してきましたが、
  
「空間」の追求は、ほとんど出来てません(笑)
   
   
ただ、人間はこれまで面倒くさいと思っていた事でも、
価値を理解すれば、やり始めます。
  
  
私も、過去には運動が面倒くさいと思っていましたが、
  
あるとき運動の価値を理解して、
定期的に運動するようになりました。
  
  
初めの頃は慣れていないので多少の辛さはありましたが、
一度慣れてしまえば、どうってことありません。
  
  
本当に、これまでは空間に無頓着だったなと思いました。
  
  
「心理」と「アート」の仕事が落ち着いてきたので、
  
少し【 空間の資源効率の追求 】でもして、
  
整理収納スキルを高めようかと思います。


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haxe501 at 15:20|Permalinkclip!

2018年03月16日

子供への苛立ち

今日、両親が預かってくれていた長女が
自宅に戻ってきて、新生児の次女と姉妹初対面でした。
  
  
子供が二人いると賑やかで、
一気にファミリー感が増しますね。
  
  
私は、幼い子供に対してイライラする事がありません。
  
何か、子供が大人に迷惑を掛ける事があっても、
子供に悪気は無いのです。
  
  
「大人にとって都合の悪い行為(落書き、破壊など)」
が出来る環境を、
  
大人が子供に対して与えていた。
  
  
これが、真実です。
  
  
「子供に与える環境」を工夫すれば、
親にとって負担になる行為は未然に防げます。
  
子供のせいにして責任転嫁しているから、
親自身がアタマを使って工夫をしないのです。
  
  
  
いくら泣こうとも、変なモノを口に入れようと、
落書きしようと、モノを壊そうと、子供に悪気はないのです。
  
だから、私は子供に対してまったくイライラしません。
  
  
もしそういう事があっても、同じ事を繰り返さない為に、
淡々と対策を講じるだけです。 
  
    
それに、悪気のない行為に怒られても、
子供は何が悪いのかわかりません。
  
  
子供からすれば、 
ただ、理不尽に八つ当たりされているのと同じです。
   
だから怒っても不毛です。
  
  
私は、子供に感情的に怒ったことがないと思います。
  
軽い注意ぐらいならありますけどね。
  
  
子供にイライラする人は、
子供を大人と同じ目線に置いて、
  
幼い子供の知性を過大評価しているから、
イライラするのです。
  
子供が空気読めるわけないでしょ?
大人だって、読めてない人が多いんだから。
  
  
一方で、
子供の才能やポテンシャルは過小評価しているのです。
  
  
おそらく、
幼い子供にイライラする人って多いんでしょうけど、  
  
それって、親が背負うべき責任を、
子供に責任転嫁しているのです。
  
  
子供をどう育てるか? の前に、
親自身が精神的に未熟過ぎるので、
  
まず親自身が成長しないと、
子供を上手く育てることなど不可能なのです。
  
  
子供に対して感情的に怒りをぶつける前に、
未熟な親でごめんなさいと、子供に謝罪する方が先でしょう。
  
  
親や先輩などの年長者を敬え。
  
相手がたとえ「バカで能なし」でも、
一つでも学年が上なら先輩として敬語を使わされる。
  
意味不明の慣習。  
  
それが、日本の教育。
  
  
年上だろうが、親だろうが、能なしは能なし。
  
年下だろうが、子供だろうが、優秀なヤツは優秀。


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haxe501 at 22:08|Permalinkclip!

2018年03月15日

日本人の国民性

今日、人と話していて、
日本人って、本当に「権威」が好きなんだなと。
  
改めてそう思いました。
  
  
たぶん、一般の人々の思考レベルは、
私の想像を超えて遥かに低いので、
  
私の想定する10倍くらい、
日本人は「権威の情報」に依存しているんでしょう。
  
  
要は、「自力で対象の質を見定める眼力」が無いし、
【「権威」や「有名人」が良いと言った情報 】を鵜呑みにする。
  
その分だけ、自分の頭で一切考えていない。
  
  
自分が良いと思ったモノすら、
「周りも良いと思っているか?」を確認してから、良いと言う。
  
自分の「好み」や「価値観」が一般人と違う事をビビってる。
  
  
自分オリジナルの判断基準をまるで持っていない。
  
個性もクソもない。
  
  
「大学教授が言っている」というだけで、
本当だと信頼してしまう。
  
「芸能人御用達」というだけで、
なぜかレベルが高いと感じてしまう。
  
  
芸能人って、そんなにセンス良いか?
  
  
日本は、「権威」と「有名人」の天国だな。
  
  
日本人は、「権威」と「有名人」を崇拝し、
自分一人では何も決められない盲信者。
  
    
そんなアホな盲信者を利用する「権威」と「有名人」
  
  
テレビに出ている権威と有名人なら、中身がバカでも崇拝されるし、
  
権威と有名人が売るなら、ゴミでも売れる。
  
  
日本は、そんな国です。
  
   
  
これも、教師に従順である事と、
他人と問題を起こさない協調性が徹底的に評価される、
  
【 学校教育の大いなる成果 】ですな。


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haxe501 at 16:47|Permalinkclip!

2018年03月14日

恐怖の定義

ウィキペディアによる恐怖の解説。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E6%80%96
  
  
百科事典の解説も、どこぞの心理学者の解説も、
まるで的を射ていない。
  
  
私が世界的に有名になったら、この項目が書き換わるだろう。
  
本来、恐怖のメカニズムや定義は、非常にシンプルなのだから。
  
  
人類は、「恐怖の正体」がわかっていないし、
正体がわからない対象だから、余計に怖いわけだ。
  
  
私は、「恐怖の正体」を知っているけど、
それはブログには書いてない。
  
弟子やお客さんにしか教えていない。
  
  
でも、弟子やお客さんでも、
あんまり理解できて無いかもしれませんが(笑)
  
  
「恐怖のメカニズム」はめっちゃシンプルなんだけど、
  
シンプルな事をわからなくさせるのが、
「恐怖という感情」の性質。
  
    
「自分のアホさに気づけないくらいのアホ」になっちゃうからね。  
  
めちゃくちゃ「論理的に破綻した矛盾した考え」をしているのに、
  
【「自分は理性的で賢い」と勘違いさせる 】くらいに、
極度のアホにしてしまうのが、恐怖心。
  
  
恐怖という感情には、
人を「極度のアホ」にしてしまう性質があるから、
  
アホな頭のままで、
恐怖を克服し、乗り越えるのは、我流では難しいかも。
    
    
プロに頼るのが一番。
  
まぁ、そんなプロ、私ぐらいしかいなさそうだけど。
   
  
ただ、「恐怖を解決したいと思わない人」も多い。
  
【 強い不快感と直面する事 】から逃げたいから。
  
  
あぁ、恐怖を乗り越えるには、不快感は避けて通れませんから、
  
それを先に言っとかないとね。
  
  
不快感を感じてでも、
根本解決がしたいという人だけ、解決できる。
   
  
【 不快感に耐え、乗り切る覚悟のある人間だけ 】が、
  
能動的に恐怖を克服できる。
  
  
「根性無し」には、ちょっと無理ですね。
  
  
覚悟が出来た人にだけ、その方法を教えます。


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haxe501 at 19:47|Permalinkclip!

2018年03月12日

幸せな人生

ここ最近は、会った人、会った人に、
「死の恐怖」について話をしていますが、
  
  
そもそも、
  
・「自分が死を極度に恐れている事」にすら自覚が無いとか、
  
・「なぜ死の恐怖を乗り越えた方が良いのか?」
 私の記事を読んでも、そのメリットすらよく理解できないか、
  
そういう部分で躓いている人もいました。
  
  
なので、今日はその辺の話を書きたいと思いますが、
  
私は、人生を「テーマパーク」によく例えます。
  
  
テーマパークには、閉園時間があります。
  
それが、人間の寿命です。
  
  
年間パスを持って頻繁に通っている人では無く、
「初めてテーマパークに行く」という人の場合、
  
閉園時間を意識して、
ガイドブックを見ながら、効率良く巡ろうと思いますよね?
  
  
でも、閉園時間を意識しなかったらどうでしょう?
  
ダラダラ過ごして、いつの間にか、
  
「あれ? もう閉園時間?」 
「あー、あのアトラクション乗り過ごした!」
  
という風になります。
  
  
「人生にとって死を意識するかどうか?」というのは、
「テーマパークで閉園時間を意識するかどうか?」という事と同じです。
  
  
それに、テーマパークでは
限られた時間帯しかやっていない、
  
タイムスケジュールが設定されている
アトラクションやショーもあります。
  
  
テーマパークを思いっきり楽しみたい人は、
そういう要素も含めて考えて、効率良く巡ると思います。
  
  
人生でも、
  
子供の頃にしかできない事もあれば、(子供向けの遊びなど)
大人になってからようやくできる事もありますよね。(飲酒など)  
  
  
先日の記事で、3つの死の特性について語りましたが、
  
1.誰でも等しく絶対死ぬ
2.誰が、いつどこで、死ぬかわからない
3.死後の世界はあるかどうかわからない
  
です。
  
  
で、テーマパークと違うのは、「2番」です。
  
人生ではいつ、
「はい、今すぐ地球から出ていって下さい!(死んで下さい!)」
  
と、【 急な強制退場 】を食らうかもわからないのです。
  
  
テーマパークもそういうルールだったとしたら、
  
「閉園時間ギリギリ手前に、
 一番好きなアトラクションに乗ろう!」とは思いません。
  
チャンスがあれば真っ先に、
一番好きなアトラクションから順に乗っていくと思います。
  
  
いつ、テーマパーク(人生)から
強制退場させられるかわからないからです。
  
  
で、人生をテーマパークのように、
   
「限られた時間」を前提に、
いろいろ考えながら巡れないとしたら、
  
それは、閉園時間…、
  
つまり【「死」を意識していないから 】です。 
  
  
閉園時間(死)を意識していないから、
テーマパーク(人生)をダラダラと過ごしてしまうのです。
  
  
それで、「死を意識していない理由」は、
【 死を極度に怖れているから 】です。
  
  
「限られた時間」を意識せずに毎日を生きている。
  
もう、この時点で、
【 己の死に対してビビリまくっている証拠 】なのです。
  
  
では、死を意識せずに生きたとしたら、
「死に際」にどう感じるでしょう?
  
  
・もっとあれをやっておけば良かった…
・ああしておけば良かった…
  
と、ほとんどの人が後悔すると思います。
  
  
例えば、学校の卒業式では、
総決算として、過去の学校生活を振り返ると思います。
  
それと同じ事です。
  
  
中学校の卒業式に出席しておきながら、
  
「学校生活(過去)」を思い出さず、
「高校(未来)」の事しか考えない人はいないでしょう?(笑)
  
  
「死に際」っていうのは、【 人生の卒業式 】です。
  
ですから、過去を振り返って、
自分の人生の総決算をするのです。
  
  
その時、何を感じると思いますか?
  
  
自分の死を極度に恐れている人は、
もう、「保身」と「延命」しか考えられません。
  
自分の頭に銃口でも突きつけられたら、
   
もうパニックになって、
「何でもするから命だけは助けて下さい!」
  
って感じになるでしょう。
   
  
で、現代社会において「保身」と「延命」に繋がるのは、 
  
「お金」と「他人の評価」です。
  
  
・他人の評価が良いと、お金をもらいやすい。
  
・お金があれば、死の恐怖から逃れやすい。
  
  
餓死やホームレス、自殺などを避けられるし、
医療費も払える、健康にもお金を使える、
  
さらに、恐怖から逃げる為の娯楽や中毒にお金を使えますからね。
   
  
そういうカラクリで、死を怖れている人は、
無意識的に、「お金」と「他人の評価」求めます。
  
  
でも、何回も言いますけど、
誰でもいつか絶対に死ぬんですよ。
  
  
絶対に逃れられないモノから逃れるために、
エネルギーを注ぎ続けるって、無駄でしょ?
  
  
強い恐怖は、理性を吹っ飛ばして、
自分にとって損な選択をさせるのです。
  
  
・幸せで短い人生
・不幸で長い人生
  
どっちが良いですか?
  
  
と聞くと、
  
だいたいの人が【 幸せで短い人生! 】
と、答えます。
    
  
じゃあ、今はどっちの人生を生きていますか?
  
と聞くと、
「不幸で長い人生」の方を生きているのです。
  
  
・やりたい事をやった方が幸せだし、
・本音で生きた方が幸せです。
  
もし短い人生だとしても、そうした方が幸せでしょう。
  
  
でも、「他人の評価」と「お金」を失うのが怖くて、
それが出来ないのです。
  
  
結局、「幸せで短い人生」が良い!と言っておきながら、
  
実際に「死の恐怖」が迫ってきたら、
その恐怖から逃れるために、
  
「不幸で長い人生」の方を選択してしまうのです。
  
  
で、一定期間頑張って、
「他人の評価」と「お金」をたくさん集めました。 
   
他人からは、明らかに成功者だと思われています。
  
  
でも、
  
やりたい事をやっていなかったら…、
本音で語り合える人間関係がなかったら…、
  
その人は不幸だし、
「お金」と「他人の評価」があっても、ただ虚しいだけです。
   
  
幸せって何でしょう?
  
  
いろいろありますが、具体的に言うと、
  
・「本音で語り合える相手」が存在する
・「自分のやりたい事」をやっている
  
という事だと思います。
  
  
でも、死の恐怖から逃げる為に、
  
他人に嫌われたくないから、
本音を言わずに建前ばかり語って、
  
お金の為にやりたくない仕事をしているとしたら、
  
いくら「お金」と「他人の評価」が集まっても、
まったく幸せではありません。
  
  
「本音」を語っていないから寂しくて、
「やりたい事」をやっていないから虚しいだけです。
   
  
他人からいくら成功者だと思われても、
  
本音を語らず、やりたい事をやっていなければ、
心の中はすさんでいるのです。
  
  
先日の記事に書きましたが、
  
孤独感を減らすには、
日頃から【 本音を語る事 】が不可欠です。
  
  
「他人の見る目」を気にして、
本音を隠し、建前ばかり語っている人は、
  
他人と深く繋がれないから、とても寂しい人なのです。
  
  
孤独感を減らすのは、
人間関係の「数」ではなく、「深さ」なのです。
  
  
   
じゃあ、
  
・なぜ本音を語らないの?
・なぜやりたい事をやらないの?
  
というと、【 怖いから 】です。
  
  
他人の評価を失い、お金を失い、
  
己の【 死の恐怖 】と直面するのが怖いからです。
  
  
死の恐怖を乗り越えたら、
  
「他人の見る目」など、どうでも良くなります。
  
だって、自分の人生にも、幸せにも、
まったく関係が無いんだから。
  
  
自分を嫌った他人も死ぬし、自分も死ぬのです。
  
  
死(人生の時間制限)を意識したら、
  
「他人の見る目」を気にするよりも、
【 自分のやりたい事 】をやるのに忙しくなります。
  
  
自分の死に際に、
  
「あー、結局自分は死ぬんだな…、
  
 自分はこれまで、
  
 死ぬのが怖くて、他人から嫌われるのが怖くて、
 お金を失うのが怖くて、
  
 他人のご機嫌取りばっかりやってきて、
 自分のやりたくもない事ばかりやってきたな…」
  
  
そんな風に、
自分の人生を回想するのがお好みですか?
  
  
そんなのを望む人間はいないでしょう。
  
  
でも、死の恐怖を乗り越えない限り、
  
そんな、【 望まない死に際 】が待っています。
  
  
要するに、「死の恐怖」を消さない限り、
  
「やりたい事」も出来ないし、「本音」も語れない。
  
  
孤独感は消えないし、寂しいし、虚しい。
  
  
だから、【 充実した幸せな人生を歩めない 】のです。
  
  
という理由で、
  
「死の恐怖は早めに消した方が良いですよ」
  
と、提案しているのです。
  
  
  
死を極度に怖れている人は、
  
「自分の死に際」すら、イメージしたくないでしょう。
  
  
いつか絶対に起こる事なのに、考えたく無いのです。
  
  
いくら他人が死んでも「他人事」で、
自分が死ぬとは思えない、思いたくない。
  
  
恐怖心は、「現実逃避」と「誤魔化し」の天才です。
  
  
絶対に起こる自然現象すら、否定するのです(笑)
  
  
「そうですよね、誰でも死にますよね!」と、
言葉では言えても、
    
内心では、まるで自分が死ぬことを納得していないのです。
   
    
それぐらい、
【 内心とまったく異なる建前の発言 】が出来てしまえる。
  
  
ある意味、ものすごい高等スキルです(笑)
  
  
他人は死ぬのに、自分は死なないと思っている。
  
  
じゃあ、不老不死がお好みですか?
  
自分の友達も、子供も、恋人も、みんな先に死んでいくし、
人類が滅亡しても、自分だけは生きている…、
  
そんなのがお好みですか? っていうと、
  
不老不死もイヤだって言う。
  
  
死ぬのもイヤだし、不老不死もイヤなのです(笑)
  
どっちもイヤ。
  
  
だから無意識的に、
  
理論的にはメチャクチャで破綻しているけど、
とりあえず「自分は死なない」という事にしている。
  
  
それって、
ある方向から見たらとんでもないバカですが、
  
ある方向からみたら、
そんな非論理・非現実を無意識的に正当化してしまえるほど、
  
【 非常に高度な「ゴマカシ能力」】
  
を持っているとも言えます(笑)
  
    
自分が死ぬことは、
怖すぎて考えたく無いし、イメージ出来ないのです。
  
事実だとしても、まるで受け入れられないのです。
  
  
とにかく、死の恐怖を抱えている時点で、
  
・人生について真剣に考えることはできない
・自分にとって「最も大切な価値観」に気付くこともできない
  
  
「他人の評価」と「お金」を失うのが怖くて、
  
・本音を語れない
・やりたい事ができない
  
  
という事です。
  
  
いや、もう散々ですね。
  
  
で、死ぬ時に感じるのは、
  
・やりたい事をやってこなかった(虚しい)
・本音で語り合える相手がいなかった(寂しい)
  
という事です。
  
  
死の恐怖から逃げていると、
これだけのデメリットがあります。
  
  
だから、
さっさと死の恐怖くらい、乗り越えた方が良いです。
  
  
どうせ、誰でもいつか絶対に死ぬんだから。
  
  
死は、自然現象ですよ。
   
   
「森友学園問題の真実を知りたい! 究明して公表するべきだ!」
    
と言うのに、
  
「自分が死ぬ」という真実は、知りたくないのです(笑)
    
   
【 死に対するイメージ 】が悪すぎるのが、
  
「人類のアホさの根源」ですね。
  
  
もっと、「死」をポップでライトに捉えられたら、
  
人生変わりますけどね。
  
  
ま、一人きりで死を乗り越えるのは大変かもしれませんが、
  
はこぶね倶楽部に入ったら、
「死の恐怖」を乗り越える為の、全てのサポートは揃っていますよ。


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haxe501 at 14:48|Permalinkclip!

2018年03月11日

個人的な夢・目標

そろそろ、今までほとんど誰にも口外した事の無かった、
私の「真の目標」を、公表したいと思います。
  
  
基本的に、私は夢や理想を思い描くときに、
「二段構え」にしています。
  
  
一段目は、
実際に叶えられるだろうと予測できる具体的な目標…
  
二段目は、
叶えられるかどうかもわからない、
荒唐無稽にも思えるくらいの漠然とした夢…
   
です。
  
  
以前の記事で、    
  
「目標や夢っていうのは、
 自分のやる気を引き出すためのニンジン(エサ)だ」
  
という事は解説しました。
  
  
・人生のやる気を支える理由
http://growheart.livedoor.biz/archives/52045152.html
  
  
と言う事で、
  
所詮、夢や目標というのは、   
「己のやる気・モチベーションを引き出すこと」が目的なのです。
  
  
それで、一段目だけの目標だけでは、私は面白く無いんです。
  
「実際に叶えられる」とわかっている様な目標だけだと、
先が見えていて面白く無い。
  
  
映画に例えるなら、
「先の展開が見えてしまっている映画」です。
  
  
私は、先の展開が読めず、良い意味で
視聴者の予測を裏切ってくれる映画が好きです。
  
  
私は賢いので、先を読むのが好きだし、
普通の人より、よほど先が読めてしまうのですが、
  
「先の展開が読めている人生」は、つまらないのです。  
  
  
ですから、
私は一段目の「目標」の先に、二段目の「夢」を用意するのです。
  
  
私にとって「二段目の夢」は、
自分でも叶えられるかどうかわからないぐらいのレベルです。
  
  
まぁ、私の場合、「一段目の目標」すら、
口外したら「他人から非現実的だと思われるくらい」なので、
  
私にとっての「二段目の夢」というのは、
口外したら、【 アタマがオカシイ人間 】だと思われるでしょう(笑)
  
  
そう思われる事が解っているから、
私は「二段目の夢」は安易に口外しないのです。
   
   
ただ、一段目の目標が、
「ほぼ叶えられそうだな…」という機運になってくると、
  
私は、一段目の目標には興味を失います。
  
  
「実現がほぼ確定路線」になると、
その目標は、努力して追い掛けるに値しません。
  
  
「頑張れば実現できる…」っていうレベル(高さ)だから、
わざわざ【 目標として設定する意味 】があるのです。 
  
    
別に全力で頑張らなくても叶うなら、
目標として設定する意味がありません。 
  
  
ですから、まだ実現していなくても、
一段目の目標の実現がほぼ確定路線になった段階で、
  
私の「夢・目標」は更新されます。
  
  
それまで荒唐無稽だと思われていた「二段階目の夢」が、
「一段階目の目標」に降りてくるのです。
   
そして、「二段階目の夢」は、【 新たに描く 】のです。
  
  
みなさんは、「夢や目標」について語られるとき、
「叶うかどうか…?」と言う事が気になるでしょうが、
  
私にとっては、どうでも良いことです。
  
  
だって、本来の目的は
【 自分のやる気を出すためのエサ 】なんだから。
  
夢や目標が叶う前に、人間はいつ死ぬかわかんないし。
  
  
ですから私にとって、夢・目標というのは、
「叶うことが大事」なのではなく、
  
【 たった今、やる気が湧いてくれば良い 】のです。
  
  
で、私は「実現可能だと思える目標」だけだと、
先の展開が読めるので面白くない。
   
だから、自分でも実現できるか怪しいくらいの、
「夢」を描くのです。
  
  
単純に、
  
実現が予測できる「目標」だけでなく、
実現できるか怪しいくらいの「夢」を描いた方が、
  
やる気が湧くからです。
  
  
で、私のこれまでの「第一段の目標」は、
  
ブログにも書いてありますが、
【 心理学者やその他の専門家として、名実共に世界一になる】
  
という事です。
  
  
まぁ、実力においてはとうに世界一ですが、
地位や知名度においては、まだまだだったので、
  
「実力に相応しい地位や知名度」を手に入れるのが、
私の目標でした。
  
  
でも、その第一段の目標が、
「ほぼ叶うことが確定路線だ」と思えるようになりました。
  
  
昨年の12月下旬から、2月下旬にかけて、
私は人類の集合意識の波動調整を行っていましたが、
  
その間、パラレルリアリティの分化が、
激しく行われていました。
  
  
・ネガティブに向かう地球
・だらだらと、何とか現状維持を続ける地球
・ポジティブに向かう地球
  
いろんな路線(可能性)があったのです。
  
  
で、3月に入って、それが落ち着いた感があります。
  
要は、今後地球が歩むであろう命運が、
ほぼ決まったと言う事です。
   
   
で、今後の地球が歩む道筋においては、
私が「世界一の地位や名誉」を手に入れる事は、
  
決まっています。
  
  
そこに確信が持てるようになりました。
  
だらだらと現状維持を続ける地球に行ってしまえば、
私は無名のままでしょうけどね(笑)
  
  
でも、ようやく地球のポジティブ路線が確定したので、
  
私の「一段目の目標」の実現も、ほぼ確定と言えるのです。
  
  
で、ほぼ確定しちゃったら、
私は「一段目の目標」に興味を失います。
  
  
だから、今まで二段目だった「夢」が、
一段目の「目標」として降りてきます。
  
  
で、これまで口外してこなかった、
  
これまでの「夢」であり、
これからの「目標」というのは、
  
【 地球を政治的に統一し、そのトップに立つ事 】
  
です。
  
  
実は、このインスピレーションは、2011年ごろからありました。
  
2011年の自分にとっての「荒唐無稽な夢」が、
2018年の自分にとっての「具体的な目標」に降りてきたのです。  
   
   
そもそも、バシャールの言うように、
「地球文明」が「宇宙の数々の文明」と交流する為には、
  
地球としての意志をひとつにまとめる必要があります。
  
  
江戸時代の日本に、黒船が来航しましたが、
  
朝廷と幕府…、
    
日本には二種のトップが存在していて、
外国はどちらと交渉して良いのか手間取ったらしいです。
  
  
外国と交渉するには、
日本の代表を決める必要がありました。
  
そういった経緯で、大政奉還が行われたのです。
  
  
それと同じように、
地球文明が宇宙文明としてデビューするには、
  
地球の政治を統一しなければなりません。
  
  
世界平和の為にも、そうしなければなりません。
  
  
で、私は統一された政治機構のトップに立つのです。
  
それが、今後の私の「目標」です。
  
  
その地位が、大統領と呼ばれるのか、
  
または、議長、理事長、総長…、  
なんと呼ばれるのかわかりませんが、
  
私のイメージするニュアンスとしては、
「王様」って感じです。
  
  
様々な利害が存在する中で、
話し合いでゴチャゴチャ決めていては、
  
地球統一は難しいですし、
    
時には、強引とも呼べるほどの、独裁者に思われるくらいの、
「強烈なリーダーシップ」が必要になるでしょう。
  
  
で、私は地球の統一王になるのです。
  
でも、王様と言っても
別に世襲制じゃありませんし、一代限りです。
  
  
地球を統一して、それが軌道に乗れば、
  
あとは民主的に選挙でもして、
いろいろ決めたら良いと思います。
  
  
でも、統一するまでは、
選挙なんかでは何も決められないでしょう。
  
  
ですから、私は一代限りの王様。  
  
まぁ、私くらい、
「意志」と「知性」と「徳」において突出した人間が、
  
この先、地球に産まれてくるとも思えませんしね。
  
  
私のやりたい事は、
  
強烈なリーダーシップで地球を統一して、
  
その中で「民主的な意志決定プロセス」を確立し、
「宇宙文明としての基盤」を整えて、
  
後は、バトンタッチ。
  
  
それが、私のやりたい事です。
  
  
少し前までは、
  
インスピレーションを受けている自分でも、
「このご時世に王様って…」って感じでしたが、
  
人類の超絶なアホさを深く理解してくると、
「王様ぐらいが丁度良いかもな…」って気がしてきました。
  
  
  
で、これが一段目の目標です。
  
まぁ、今でもだいぶ荒唐無稽で、
気が狂ってると思われそうですがね(笑)
  
  
じゃあ、今後の二段目の「夢」は何でしょう?
  
ここまで来たら、もうこれも口外しても良いかもしれませんが、
  
  
それは、地球が宇宙文明としてデビューする前後。
  
  
チャネリング本によると、この天の川銀河には、
  
数々の宇宙文明で組織された、
「宇宙連合」や「銀河連盟」という組織がある様ですが、
  
そう言った「銀河規模」や「宇宙文明組織」の中で、
自分はどういう影響を与えられるのか?
  
そういう事を模索したいと思っています。
  
  
ま、何度も言っていますが、叶うかどうかはどうでも良いです。
  
  
ただ、私はそういうビッグな目標や夢を思い描いているとき、
  
超絶にワクワクしてきます。
  
  
「やる気」も「モチベーション」も、際限なく湧いてきます。
  
  
だから、叶うかどうかは置いておいて、
  
どれだけ他人から非現実的で荒唐無稽と思われようと、  
  
私には、この「目標と夢の設定」が、
自分には合っているし、正解なのです。
  
  
  
あと、こういうことを書くと、
  
普通の人は「ドン引き」するでしょうし、
  
また、人をバカにしたくてたまらない
「荒らし」みたいなのが現れそうなモノです。
  
  
それでも何故書けるか?というと、
私は【 日本人には期待していないから 】です。
  
  
私は、日本よりも先に海外で有名になるでしょう。
  
日本人には、私の価値を見抜くセンスがありません。
  
  
だから、私は日本人に期待しないし、
  
いくらでも日本人が不快に思う事を書けるのです。
  
  
まぁ、クソ日本人たちは、
   
海外で活躍する私の姿を見て、
  
「自分たちの見る目の無さ」や
「チキンっぷり」を省みてろって事です。


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haxe501 at 07:59|Permalinkclip!