2017年06月
2017年06月28日
シンプルな石の浄化法
「具体的な方法論」については、
ほとんど一般公開のブログでは書きませんが、
今回は、「石の浄化法」をご紹介します。
「出血大サービス」というヤツです(笑)
はこぶね倶楽部メンバー以外でも、
私から石を買ってくれた人がいますので、
そういう方にもぜひやって頂きたいと思いますし、
今回、無料で方法論を伝えるのは、
石を持っている「人の為に」というよりも、
【 邪気まみれの石の方が可哀想 】なので、
石たちのために、方法論を伝えたいと思います。
一応、お断りしておきますが、今回紹介する方法は、
「石を完璧な状態にする方法」ではありません。
そういう意味では、不十分です。
ですが、
誰にでもすぐ取り組みやすいシンプルな方法ですし、
【 やらないよりは、やった方が断然マシ! 】
という方法なので、紹介します。
私は、石の浄化法については、非常に多種多様の、
さまざまなアプローチを試みてきました。
高度な浄化のテクニックもありますが、
複雑すぎると、実践が難しいですし、
【 シンプルかつ、効果が大きい 】
という方法でないと、
一般向きでは無いと思いますので、
そういう方法を、今回ご紹介します。
じゃあ、だいぶ引っ張りましたが、
「石の浄化法」についてお伝えします。
私がいろいろ研究してきて、
現段階で、一番浄化に効果的な方法は、
なんと、【 流水 】です。
流水にさらすことが、
一番石を短時間で浄化させる事ができます。
今後、研究がさらに進むと、
もっと効果的な方法が出てくるかも知れませんが、
私の現段階の研究では、「流水が一番」です。
ただ、流水にさらすまえに、
ハンドソープなどの洗剤で、石を洗う事が大切です。
まぁ、ハンドソープも、
メーカーによって質の違いがありますけど、
それはここでは言及しません。
ハンドソープを使って、
・「ブレスレット」や「表面が滑らかな石」は、もみ洗い、
・「アクセサリー類」や「表面がゴツゴツした石」は、
手では隙間の汚れを落とせないので、歯ブラシでゴシゴシ磨きます。
そして、ハンドソープで洗った後に、流水にさらします。
そのさらし方も、
100円ショップに売っているような、
プラスチックの「タッパー」や「ボウル」などの、
「割と大きめの器」に浄化したい石を入れて、
その器に向けて、水道水を流し込む…、
というだけです。
時間は、「約2分程度」が目安です。
以上、たったこれだけで、石は浄化されます。
まぁ、邪気の強さにもよりますから、
めちゃくちゃ強い邪気の場合は、
2分でも落ちないかも知れませんけどね。
ただ、大半の場合は2分で落ちるでしょう。
ただし、この方法は、
ネガティブなエネルギーを落とし、
ネガティブな影響を排除するだけで、
石にエネルギーをチャージ(充電)し、
フルパワーにするまでには至りません。
そこら辺を詳しく知りたい方は、
「はこぶね倶楽部」に入会して下さい(笑)
ですが、ネガティブな影響はかなり減らせますから、
【 やらないよりは、やった方が断然マシ 】です。
・クラスター、さざれ石
・月光、日光
・セージの葉っぱの煙
・土に埋める
などそういう一般的に言われている方法は、
ほとんど効果がありません。
エネルギーがよく分かっていない人が、
自分の商品を売るために適当に言っているだけです。
まぁ、流水もよく言われている方法のひとつですけどね。
「なぜ水が良いのか?」というと、
水は、波動を一瞬で伝達させる媒介になるからです。
「電流」にとっての「電線」みたいなものです。
エネルギーを伝える媒介なのです。
良いエネルギーも、悪いエネルギーも、
水はエネルギーを非常に伝えやすい媒介なのです。
でも、「水に弱いと言われる石」はどうなんですか?
という疑問を持つ人もいるでしょう。
私が検証した結果、
・「カルサイト系」や「ラリマー」には、
水溶性の成分が含まれるのでしょう。
表面の一部が水に溶け出して、表面がザラザラして、
光沢がなくなって来ます。
ですが、石のパワーには影響ありません。
・表面を染色している、例えばサンゴなどの石は、
染料が水に溶けて、色落ちして変色します。
しかし、これも石のパワー自体には影響ありません。
・「琥珀(アンバー)」は、元々が樹液なので、
どんどん水に溶けていきます。
これは、石のパワーに影響が出てきますので、
水に長時間触れ続ける事はオススメしませんから、
浄化が終わったら、すぐに水分を拭き取る事をオススメします。
注意点はこれくらいで、後はだいたい、
「ハンドソープで洗う」 → 「流水」の流れで、浄化が可能です。
もし、「さざれ石」や「クラスター」を浄化に使おうモノなら、
その「さざれ石」や「クラスター」の方に邪気が感染して、
自分の所有している石たちに「邪気感染」を広げてしまい、
逆効果になりかねません。
ですから、今のところ、
【 基本は流水で浄化するのが一番 】です。
浄化した後に、
「疲れた石をフルパワーに戻す方法」もありますが、
さすがにそれは、ここでは書きません(笑)
私の研究する最新の石の管理法をもっと知りたい人は、
「はこぶね倶楽部」に入って下さい。
でもまぁ、
・「まったく石を浄化していない人」や、
・「間違った浄化方法を実践している人」であれば、
【 やらないより、やった方が断然マシ 】なので、
ぜひ、やってみて頂きたいと思いますね。
ただ、最初に前置きしたように、
この方法を実践したからと言って、
完璧に浄化できるとは限りませんし、保証もできません。
邪気は本当に鬱陶しいので、
浄化できたと思っても、出来ていない場合も多々あります。
「邪気の判別方法」もありますし、
それは、はこぶね倶楽部のメンバーには伝えますが、
はこぶね倶楽部メンバーでも、
日々、練習しないと出来る様にならないと思います。
今回お伝えしたのは、
【 誰でもお手軽に実践できて、割と効果が大きい方法 】です。
そして、「浄化をまったくやっていない人」や、
「間違った浄化方法をやっている人」向けの情報なのです。
石に邪気を纏わせていると、自分の体調も悪くなりますが、
何より、石の方が可哀想です。
石に対して「傲慢で依存的な人の為」では無く、
「健気に、人知れず頑張っている石たち」の為に、
浄化方法をお伝えしているのです。
だから、本来はお金を払った人にしか伝えない、
「具体的な方法論」を、今回は特別に伝えているのです。
私が何を言いたいかというと、
【 石に感謝して、丁寧に扱って欲しい 】
という事です。
石をペットに例えると、
「ペットの世話をロクにしてくれない飼い主」に対して、
「動物愛護の精神を持つ人」が、
【 ペットの世話のやり方 】を伝えている様なモノです。
私は、「石たちの味方」であって、
「石を雑に扱う持ち主」の味方ではありません。
これを機に、
ネガティブなエネルギーが浄化されて、
「大切に、丁寧に扱われる石」が世に増えれば、本望です。
ほとんど一般公開のブログでは書きませんが、
今回は、「石の浄化法」をご紹介します。
「出血大サービス」というヤツです(笑)
はこぶね倶楽部メンバー以外でも、
私から石を買ってくれた人がいますので、
そういう方にもぜひやって頂きたいと思いますし、
今回、無料で方法論を伝えるのは、
石を持っている「人の為に」というよりも、
【 邪気まみれの石の方が可哀想 】なので、
石たちのために、方法論を伝えたいと思います。
一応、お断りしておきますが、今回紹介する方法は、
「石を完璧な状態にする方法」ではありません。
そういう意味では、不十分です。
ですが、
誰にでもすぐ取り組みやすいシンプルな方法ですし、
【 やらないよりは、やった方が断然マシ! 】
という方法なので、紹介します。
私は、石の浄化法については、非常に多種多様の、
さまざまなアプローチを試みてきました。
高度な浄化のテクニックもありますが、
複雑すぎると、実践が難しいですし、
【 シンプルかつ、効果が大きい 】
という方法でないと、
一般向きでは無いと思いますので、
そういう方法を、今回ご紹介します。
じゃあ、だいぶ引っ張りましたが、
「石の浄化法」についてお伝えします。
私がいろいろ研究してきて、
現段階で、一番浄化に効果的な方法は、
なんと、【 流水 】です。
流水にさらすことが、
一番石を短時間で浄化させる事ができます。
今後、研究がさらに進むと、
もっと効果的な方法が出てくるかも知れませんが、
私の現段階の研究では、「流水が一番」です。
ただ、流水にさらすまえに、
ハンドソープなどの洗剤で、石を洗う事が大切です。
まぁ、ハンドソープも、
メーカーによって質の違いがありますけど、
それはここでは言及しません。
ハンドソープを使って、
・「ブレスレット」や「表面が滑らかな石」は、もみ洗い、
・「アクセサリー類」や「表面がゴツゴツした石」は、
手では隙間の汚れを落とせないので、歯ブラシでゴシゴシ磨きます。
そして、ハンドソープで洗った後に、流水にさらします。
そのさらし方も、
100円ショップに売っているような、
プラスチックの「タッパー」や「ボウル」などの、
「割と大きめの器」に浄化したい石を入れて、
その器に向けて、水道水を流し込む…、
というだけです。
時間は、「約2分程度」が目安です。
以上、たったこれだけで、石は浄化されます。
まぁ、邪気の強さにもよりますから、
めちゃくちゃ強い邪気の場合は、
2分でも落ちないかも知れませんけどね。
ただ、大半の場合は2分で落ちるでしょう。
ただし、この方法は、
ネガティブなエネルギーを落とし、
ネガティブな影響を排除するだけで、
石にエネルギーをチャージ(充電)し、
フルパワーにするまでには至りません。
そこら辺を詳しく知りたい方は、
「はこぶね倶楽部」に入会して下さい(笑)
ですが、ネガティブな影響はかなり減らせますから、
【 やらないよりは、やった方が断然マシ 】です。
・クラスター、さざれ石
・月光、日光
・セージの葉っぱの煙
・土に埋める
などそういう一般的に言われている方法は、
ほとんど効果がありません。
エネルギーがよく分かっていない人が、
自分の商品を売るために適当に言っているだけです。
まぁ、流水もよく言われている方法のひとつですけどね。
「なぜ水が良いのか?」というと、
水は、波動を一瞬で伝達させる媒介になるからです。
「電流」にとっての「電線」みたいなものです。
エネルギーを伝える媒介なのです。
良いエネルギーも、悪いエネルギーも、
水はエネルギーを非常に伝えやすい媒介なのです。
でも、「水に弱いと言われる石」はどうなんですか?
という疑問を持つ人もいるでしょう。
私が検証した結果、
・「カルサイト系」や「ラリマー」には、
水溶性の成分が含まれるのでしょう。
表面の一部が水に溶け出して、表面がザラザラして、
光沢がなくなって来ます。
ですが、石のパワーには影響ありません。
・表面を染色している、例えばサンゴなどの石は、
染料が水に溶けて、色落ちして変色します。
しかし、これも石のパワー自体には影響ありません。
・「琥珀(アンバー)」は、元々が樹液なので、
どんどん水に溶けていきます。
これは、石のパワーに影響が出てきますので、
水に長時間触れ続ける事はオススメしませんから、
浄化が終わったら、すぐに水分を拭き取る事をオススメします。
注意点はこれくらいで、後はだいたい、
「ハンドソープで洗う」 → 「流水」の流れで、浄化が可能です。
もし、「さざれ石」や「クラスター」を浄化に使おうモノなら、
その「さざれ石」や「クラスター」の方に邪気が感染して、
自分の所有している石たちに「邪気感染」を広げてしまい、
逆効果になりかねません。
ですから、今のところ、
【 基本は流水で浄化するのが一番 】です。
浄化した後に、
「疲れた石をフルパワーに戻す方法」もありますが、
さすがにそれは、ここでは書きません(笑)
私の研究する最新の石の管理法をもっと知りたい人は、
「はこぶね倶楽部」に入って下さい。
でもまぁ、
・「まったく石を浄化していない人」や、
・「間違った浄化方法を実践している人」であれば、
【 やらないより、やった方が断然マシ 】なので、
ぜひ、やってみて頂きたいと思いますね。
ただ、最初に前置きしたように、
この方法を実践したからと言って、
完璧に浄化できるとは限りませんし、保証もできません。
邪気は本当に鬱陶しいので、
浄化できたと思っても、出来ていない場合も多々あります。
「邪気の判別方法」もありますし、
それは、はこぶね倶楽部のメンバーには伝えますが、
はこぶね倶楽部メンバーでも、
日々、練習しないと出来る様にならないと思います。
今回お伝えしたのは、
【 誰でもお手軽に実践できて、割と効果が大きい方法 】です。
そして、「浄化をまったくやっていない人」や、
「間違った浄化方法をやっている人」向けの情報なのです。
石に邪気を纏わせていると、自分の体調も悪くなりますが、
何より、石の方が可哀想です。
石に対して「傲慢で依存的な人の為」では無く、
「健気に、人知れず頑張っている石たち」の為に、
浄化方法をお伝えしているのです。
だから、本来はお金を払った人にしか伝えない、
「具体的な方法論」を、今回は特別に伝えているのです。
私が何を言いたいかというと、
【 石に感謝して、丁寧に扱って欲しい 】
という事です。
石をペットに例えると、
「ペットの世話をロクにしてくれない飼い主」に対して、
「動物愛護の精神を持つ人」が、
【 ペットの世話のやり方 】を伝えている様なモノです。
私は、「石たちの味方」であって、
「石を雑に扱う持ち主」の味方ではありません。
これを機に、
ネガティブなエネルギーが浄化されて、
「大切に、丁寧に扱われる石」が世に増えれば、本望です。
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2017年06月27日
死は身近に存在している
夜、昔の知り合いの事を考えていたら、
「ある仲の良かった同い年ぐらいの知り合いの人が、
事故か何かで亡くなった」
というチャネリング情報が降りてきました。
国本さんにその事を伝えたら、
国本さんのチャネリングでも、
同じく「その人は亡くなった」という内容の情報だったらしいです。
チャネリングは、
事実を把握するのに完璧では手段ではありませんし、
私は、自分のチャネリングの精度は、
8割程度だと思っています。
ですから、チャネリング情報はあくまで参考であって、
鵜呑みにはしませんが、
それでも、自分の中では頼りになる情報源です。
実際にその人が亡くなったかどうかを確かめるには、
探偵にでもお願いするしか無いのかも知れませんが、
そこまではしたくないので、真相はわかりません。
どちらにしても、死は身近に存在しているのです。
私は、中学生の時に自殺願望を持っていて、
「自分が死ぬ」という事について、真剣に考えました。
ですから、「人が死ぬ」ということを、
私は若い頃から受け入れていましたし、
心理とスピリチュアルの研究をする様になってさらに、
死を受け入れる事ができるようになりました。
ですが、多くの人は、
死が恐怖の対象であるが故に、
「死」について真剣に考えようとはしません。
私は、死について真剣に考えることができたからこそ、
人生についても、真剣に考えることができました。
死について真剣に考えられていない人は、
人生を真剣に考えられていません。
生と死は、【 表裏一体の関係 】だからです。
「自分や他人が死ぬ」という事実を認め、受け入れるから、
【 生きている間にやりたい事をやっておこう 】
という考えになるのです。
死ぬ間際になって、
・やりたい事をやっておけば良かった
・勇気を出してチャレンジしておけば良かった
と言い出す人は、
「自分が死ぬ」という事実から、
目を背けて生きてきたのです。
人が死ぬタイミングについては、
顕在意識、潜在意識、ハイヤーセルフ…
あらゆる階層の意識が関係しています。
自分の高次の意識が
「今、このタイミングで死んだ方が良い」
という判断を下す場合もあるみたいです。
それはケース・バイ・ケースですが、
例えば、
「これ以上生きていると、ネガティブなカルマを積み過ぎて、
霊的成長が遠回りになってしまう…」
とか、
「これ以上生きていると、
ネガティブな経験によってトラウマを作りすぎてしまうので、
一旦死んでやり直した方が良い」
という理由などもあり得ます。
まぁ、
【「人生の試練」を乗り越えられなかった人が、
それ以上、傷口を広げないための次善策 】
みたいな感じですね。
後は、「自分の死によって、他人に気付きを与える」という、
【 奉仕の為に死ぬ存在 】もいるでしょう。
ただ、ここで非常に重要な事は、
極端にネガティブな精神状態で死んだ場合、
自分が【 悪霊(浮遊霊・地縛霊など)】
になってしまう場合があります。
そうなると、人にもよりますが、
短いと数年、数百年、長いと数千年などの長期間、
成仏できずに苦しみ続けたり、
または、他人に取り憑き、
エネルギーを奪い続ける悪霊になってしまいます。
自殺した人の約9割は、スムーズに成仏できず、
死んでからも苦しみ続けてしまうようです。
目に見える世界しか信じていない人は、
「死んだら良くも悪くもお終いでしょ?」
「自分の意識なんてなくなるでしょ?」
と思っているでしょうが、
実際には、【 死んでからも、自分の意識は続く 】のです。
肉体が滅びて、物理的に死んでしまったとしても、
魂や意識が滅びることはなく、生き続ける訳で、
【 自分の意識からは、決して逃れられない 】という事です。
【 死んだらラクになれる… 】
そういう言葉ってありますよね?
でも、実際には、
【 生きている時よりも、死んでからの方が辛い人 】
もいるのです。
スピリチュアルの情報などで、
「死は怖くないですよ!」っていう話もあると思います。
でも、それもケース・バイ・ケースで、
【 自分が死ぬときの精神状態 】が大事なのです。
ネガティブな気持ちを抱えながら死んでしまった場合、
死んでからも苦しみは続くのです。
どこにも、逃げ場はありません。
よく、【 魂は不滅 】と言います。
私もその通りだと思っていますけど、
ポジティブな意味で使われることがほとんどでしょうが、
全ては「陰陽表裏一体」なので、
【 魂が不滅であることの「ネガティブ面」】も存在します。
それが、どれだけ自分がネガティブな状態になっても、
リセットができないし、「自分からは逃げられない」という事です。
ネガティブな気持ちで死んだ人は、
決してラクになれず、
【 死んでからも苦しみは続く 】という事です
結局、人生を真剣に、誠実に生きた人は、
幸せな死に方ができて、成仏もできるでしょうが、
人生の試練から逃げ続ている様な人は、
苦しい死に方をして、死んでからも苦しみが続く
という事です。
【 自分が今生をどう生きるか? 】
という事は、
死後の世界にも非常に大きく関わっています。
魂が不滅という事は、裏を返せば、
自分の魂や意識からは、
決して逃れる事はできないという事です。
宇宙の法則として、【 有は無に戻れない 】のです。
生きていたって、死んでいたって、
どちらにしても、
【 自分自身と向き合い続けるしかない 】のです。
「人生や他人を舐めていて、大失敗した!」と言う人は、
今生のみならず、来世以降にも悪影響を及ぼしているのです。
結局、
【 誠実に、真剣に、勇気と覚悟を持って、精神性を高め続ける 】
そういう生き方をする事が、後々ベストなのです。
別に、「魂は永遠に不滅」ですから、
100年と言わず、
1万年、10万年、100万年以上かけて、
苦しみながら学んで行っても良いですけどね。
まぁ、苦しむ事に飽き飽きした人は、
「精神性を高める事」に本気になれるでしょうけど、
そうで無い人は、
まだまだ苦しむ経験が足らないのかもしれません。
・傲慢になって、苦しみながら学んで行くのも良し、
・謙虚になって、苦しみを避けながら学んで行くのも良し、
どちらも、個人の自由なのです。
宇宙は無条件に、自分の選択を尊重してくれます。
それが、どれだけ長期間にわたる、
非常に過酷な、苦痛に満ちた道のりだとしても…。
それこそが、無条件の愛なのです。
「ある仲の良かった同い年ぐらいの知り合いの人が、
事故か何かで亡くなった」
というチャネリング情報が降りてきました。
国本さんにその事を伝えたら、
国本さんのチャネリングでも、
同じく「その人は亡くなった」という内容の情報だったらしいです。
チャネリングは、
事実を把握するのに完璧では手段ではありませんし、
私は、自分のチャネリングの精度は、
8割程度だと思っています。
ですから、チャネリング情報はあくまで参考であって、
鵜呑みにはしませんが、
それでも、自分の中では頼りになる情報源です。
実際にその人が亡くなったかどうかを確かめるには、
探偵にでもお願いするしか無いのかも知れませんが、
そこまではしたくないので、真相はわかりません。
どちらにしても、死は身近に存在しているのです。
私は、中学生の時に自殺願望を持っていて、
「自分が死ぬ」という事について、真剣に考えました。
ですから、「人が死ぬ」ということを、
私は若い頃から受け入れていましたし、
心理とスピリチュアルの研究をする様になってさらに、
死を受け入れる事ができるようになりました。
ですが、多くの人は、
死が恐怖の対象であるが故に、
「死」について真剣に考えようとはしません。
私は、死について真剣に考えることができたからこそ、
人生についても、真剣に考えることができました。
死について真剣に考えられていない人は、
人生を真剣に考えられていません。
生と死は、【 表裏一体の関係 】だからです。
「自分や他人が死ぬ」という事実を認め、受け入れるから、
【 生きている間にやりたい事をやっておこう 】
という考えになるのです。
死ぬ間際になって、
・やりたい事をやっておけば良かった
・勇気を出してチャレンジしておけば良かった
と言い出す人は、
「自分が死ぬ」という事実から、
目を背けて生きてきたのです。
人が死ぬタイミングについては、
顕在意識、潜在意識、ハイヤーセルフ…
あらゆる階層の意識が関係しています。
自分の高次の意識が
「今、このタイミングで死んだ方が良い」
という判断を下す場合もあるみたいです。
それはケース・バイ・ケースですが、
例えば、
「これ以上生きていると、ネガティブなカルマを積み過ぎて、
霊的成長が遠回りになってしまう…」
とか、
「これ以上生きていると、
ネガティブな経験によってトラウマを作りすぎてしまうので、
一旦死んでやり直した方が良い」
という理由などもあり得ます。
まぁ、
【「人生の試練」を乗り越えられなかった人が、
それ以上、傷口を広げないための次善策 】
みたいな感じですね。
後は、「自分の死によって、他人に気付きを与える」という、
【 奉仕の為に死ぬ存在 】もいるでしょう。
ただ、ここで非常に重要な事は、
極端にネガティブな精神状態で死んだ場合、
自分が【 悪霊(浮遊霊・地縛霊など)】
になってしまう場合があります。
そうなると、人にもよりますが、
短いと数年、数百年、長いと数千年などの長期間、
成仏できずに苦しみ続けたり、
または、他人に取り憑き、
エネルギーを奪い続ける悪霊になってしまいます。
自殺した人の約9割は、スムーズに成仏できず、
死んでからも苦しみ続けてしまうようです。
目に見える世界しか信じていない人は、
「死んだら良くも悪くもお終いでしょ?」
「自分の意識なんてなくなるでしょ?」
と思っているでしょうが、
実際には、【 死んでからも、自分の意識は続く 】のです。
肉体が滅びて、物理的に死んでしまったとしても、
魂や意識が滅びることはなく、生き続ける訳で、
【 自分の意識からは、決して逃れられない 】という事です。
【 死んだらラクになれる… 】
そういう言葉ってありますよね?
でも、実際には、
【 生きている時よりも、死んでからの方が辛い人 】
もいるのです。
スピリチュアルの情報などで、
「死は怖くないですよ!」っていう話もあると思います。
でも、それもケース・バイ・ケースで、
【 自分が死ぬときの精神状態 】が大事なのです。
ネガティブな気持ちを抱えながら死んでしまった場合、
死んでからも苦しみは続くのです。
どこにも、逃げ場はありません。
よく、【 魂は不滅 】と言います。
私もその通りだと思っていますけど、
ポジティブな意味で使われることがほとんどでしょうが、
全ては「陰陽表裏一体」なので、
【 魂が不滅であることの「ネガティブ面」】も存在します。
それが、どれだけ自分がネガティブな状態になっても、
リセットができないし、「自分からは逃げられない」という事です。
ネガティブな気持ちで死んだ人は、
決してラクになれず、
【 死んでからも苦しみは続く 】という事です
結局、人生を真剣に、誠実に生きた人は、
幸せな死に方ができて、成仏もできるでしょうが、
人生の試練から逃げ続ている様な人は、
苦しい死に方をして、死んでからも苦しみが続く
という事です。
【 自分が今生をどう生きるか? 】
という事は、
死後の世界にも非常に大きく関わっています。
魂が不滅という事は、裏を返せば、
自分の魂や意識からは、
決して逃れる事はできないという事です。
宇宙の法則として、【 有は無に戻れない 】のです。
生きていたって、死んでいたって、
どちらにしても、
【 自分自身と向き合い続けるしかない 】のです。
「人生や他人を舐めていて、大失敗した!」と言う人は、
今生のみならず、来世以降にも悪影響を及ぼしているのです。
結局、
【 誠実に、真剣に、勇気と覚悟を持って、精神性を高め続ける 】
そういう生き方をする事が、後々ベストなのです。
別に、「魂は永遠に不滅」ですから、
100年と言わず、
1万年、10万年、100万年以上かけて、
苦しみながら学んで行っても良いですけどね。
まぁ、苦しむ事に飽き飽きした人は、
「精神性を高める事」に本気になれるでしょうけど、
そうで無い人は、
まだまだ苦しむ経験が足らないのかもしれません。
・傲慢になって、苦しみながら学んで行くのも良し、
・謙虚になって、苦しみを避けながら学んで行くのも良し、
どちらも、個人の自由なのです。
宇宙は無条件に、自分の選択を尊重してくれます。
それが、どれだけ長期間にわたる、
非常に過酷な、苦痛に満ちた道のりだとしても…。
それこそが、無条件の愛なのです。
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2017年06月26日
心身の元気さで、人生が決まる
先ほど、田中くんに会って、
「コンディション維持向上の重要性」を語っていました。
(※ コンディションとは、「心身の状態・調子」の事です。)
私は今まで再三、
「コンディションの重要性」について語ってきましたが、
それでも、どうも「コンディションの重要性」が、
あまり他人に伝わっていない様です。
私は、コンディション…、
つまり【 心身の元気さ 】で、人生が決まると理解しています。
その理解が、他の人には伝わっていません。
まず、心身が元気で無ければ、
「ポジティブな活動」や「建設的な行動」をしよう!
という【 意欲 】すら湧いてきません。
「チャレンジ精神」も湧いてきませんから、
「新しい経験」も積めないし、
「新しい経験」が積めなければ、「自信」も身につきません。
例えば、私が何らかの商品やサービスを提供するときに、
私が疲れているか? 元気かどうか? というのは、
価格にはまったく影響しません。
元気で売っても、疲れて売っても、
「同じ商品」を提供するのであれば、もらえる「お金」も同じです。
むしろ、何か買い物をするなら、
「元気な人」から買った方が気分が良いでしょう?(笑)
私がビジネスで考えているのは、
1.「提供する価値」を高めること
2.お客さんの負担する「金銭的コスト」を下げること
3.自分に掛かる「負担・労力」を減らすこと
この3点の両立です。
これがイノベーションです。
例えば、私のお客さんたちが、
パワーストーンを「宝石店」で買っていた頃は、
ひとつの石を買うのに、
「数万」から「数十万円」も支払っていました。
で、今私が作っている「非対称ブレス」は、
エネルギー的な効果で言うと、
宝石店で石を買っていた頃よりも、
【 3000倍以上の効果 】がある様です。
お客さんの支払う価格は「桁違いに安く」して、
【 提供する価値は、3000倍以上 】です。
そういう事を、私は実現してきました。
私が、
「非対称ブレスは、言い値で良いなら500万円で売る」
と言うのも、それだけの価値が実際にあるからです。
でも、そこまでお金を出せる人はいないから、
【 未来への投資 】として、
「はこぶね倶楽部メンバー」には払える値段で提供しているのです。
まぁ、石のエネルギーの価値が解らない人は、
宝石店の石も、私の非対称ブレスも、
「どっちも同じようなモノ」だとおもっちゃうんでしょうけどね。
まぁ、舐められてますよね(笑)
「非対称ブレスの価値」や「投資だという事」が解らない人は、
別に買わなくていいですけど。
話を元に戻すと、
私は「研究・頭脳労働」と「弟子への教育」によって、
生産性を極端に向上させているから、
自分に掛かる負担や労力を減らせています。
でも、田名くんは、
「自分に負担を掛けず、お金を得る事に罪悪感がある」
と言いました。
それもよくわかります。
一般的に、【 お金を稼ぐ = しんどい行為で、それが当然 】
という風な観念が強いので、
「楽しく、ラクに仕事してお金を稼ぐ」という事が、
何か「悪い事」「ズルい事」の様に思えてしまうのです。
ライフワークで生きようと思うと、
いずれ誰もがぶつかる気持ちでしょう(笑)
でも、自分で商売をするなら、
元気に売っても、疲れて売っても、
もらえるお金は変わりません。
どうせなら、【 元気の方が良い 】のです。
それに、プロフェッショナルとしては、
常に安定して
高いパフォーマンスを発揮する必要がありますが、
その為には、自分が心身に元気で居続ける必要があり、
後々になって響く様な【 無理をしない 】ことが、
非常に大切なのです。
一度無理をして、それが後々に響いてしまうと、
「高いパフォーマンスを発揮し続ける」という事が出来ません。
ですから、自分の心身には、出来る限り
「無駄な労力や負担」を掛けない事が大切で、
提供する価値は高めつつ、
自分に掛かる労力や負担は、極力減らしていく必要があるのです。
ただ、【 精神力を鍛えるための負荷(耳に痛い話を聞く) 】は、
どうしても必要ですけどね。
それ以外では、
やはり自分に掛かる「無駄な負担や労力」は極力減らし、
常に高いパフォーマンスを発揮し続けられる必要があります。
という事で、まず心身が元気で無いと、
・ポジティブな活動、建設的な行動ができない
・プロフェッショナルとしても、
高いパフォーマンスが発揮できない
という事で、【 人生や仕事に多大なる悪影響を生む 】のです。
自営業者で、疲れた顔をしていても、
「しんどいのに頑張ってるね!」などと、誰も思ってくれません。
そんなのは、学校の中だけの話です。
飲食店やブランド店の店員が「疲れた顔」で仕事をしていたら、
それは、【 提供する価値を下げている事になる 】のです。
社会人になったら、【 身体がしんどい事は「恥」 】です。
自分のコンディション管理が「ずさん」という事です。
もしかしたら、身内は褒めてくれるかもしれませんが、
「お金を払うお客さん」には、
店員が疲れていようが、まったく関係がありません。
「あの人は疲れた顔をしているから、買ってあげよう!」
などと思いますか?
って話で。
もちろん、何かしらの特別な理由があって、
一時的に身体がしんどい事もあるでしょうが、
慢性的にいつも身体が疲れているなら、大問題です。
常に「心身が元気な人」と、常に「心身が疲れている人」であれば、
それだけで、人生単位で見ると「甚大な差」が生まれます。
心身のコンディションは、
【 意欲・モチベーション 】【 意志決定・判断 】などにも、
多大な影響を及ぼすからです。
心身のコンディションが悪いのに、それを甘く見て放置する…
と言う時点で、私から見れば「プロ意識」がありません。
そして、パワーストーンは、
自分の心身のコンディションを、
【「劇的」に「根底」から向上させてくれる、必殺アイテム 】
なのです。
人間の性格に影響する「チャクラ」に影響を及ぼし、
【 一瞬で性格まで変えてしまうパワー 】があるのです。
もちろん、
強すぎるパワーは、扱い方を間違えると「諸刃の剣」です。
「薬」も扱い方を間違えると、「毒」になりますからね。
だからこそ、【 慎重に、丁寧に扱う必要 】があります。
「自分自身のコンディション管理」が甘いのに、
「石のコンディション管理」など、出来るハズもありません。
「心身の元気さの価値」が解らない人も、
「石のエネルギーの価値」など、わからないでしょうね。
「コンディション」を維持向上させるだけで、
人生がまるっきり変わってしまいます。
それくらい、【 心身の元気さ 】は重要です。
エネルギーがみなぎっている時は、
親しくない他人とも、積極的に交流しようという気になります。
逆に、身体が疲れている時は、
極力、親しくない人とは会いたくないでしょう。
ですから、「心身の元気さ」は、
【「人間関係」や「社交性」】にも影響します。
それに、心身が元気でればあるほど、
「前向きな発想」が湧いてきて、
自分に「自信」を持ちやすく、「強気」にもなりやすいです。
1.モチベーション、意欲
2.意志決定、選択、判断
3.前向きな発想
4.自信、強気
5.仕事のパフォーマンス(提供する価値の高さ)
6.人間関係、社交性
これだけに影響を与えれば、
「人生が変わる」というのもわかるでしょう?
いつも元気な人と、いつも疲れている人、
その違いで、それぞれの人生が根底から変わってしまうのです。
みんな、「心身の元気さ」の重要性を舐めていますが、
それも、身体が疲れていても、
【 出勤さえしていれば、とりあえずお金がもらえる 】
という、「生ぬるい環境」に身を置いているからです。
自営業者は、そうは行きません。
出勤しているからと言って、
売上は保証されないのが、自営業者です。
ですから、常に高い価値を提供し続けるためにも、
【 心身の元気さは、常に維持し続けなければならない 】のです。
社会人にとって、
慢性的な心身の疲れ、コンディション管理の甘さは【 恥 】
と言いましたが、
自営業者にとって、
慢性的な心身の疲れ、コンディション管理の甘さは、
【 顧客に対する侮辱であり、無責任の極み 】です。
お客さんの払うお金が一定なのに、
「提供する価値にムラがある」という事は、
お客さんに対する態度が舐めていますし、甘えています。
もちろん、お寿司屋さんなどだったら、
日によって良い素材が入ったり、
入らなかったりする事はあるでしょうが、
それも含めて、ある程度のレベルを維持し続けなければ、
店の信用が落ちてしまいます。
多くの人は、元気な人を見て、
「生まれつきの体質」だとでも思って、
自分に言い訳をしているのでしょう。
それも無いとは言いませんが、
言い訳をしている限り、
自分の生活習慣を変えようとは思いません。
才能とか、生まれつきという言い訳は、
【 自分が全力を出し切った後で言えるセリフ 】であって、
「自分の全力を出し切っていない人間」には、
才能がどうとか語る資格はありません。
全力を出さないことには、
自分に才能があるのかどうか?すら、
わかっていない段階だからです。
どんな才能も、努力しなければ磨かれず、
埋もれてしまうのです。
結果を出している人は、
みな才能などに甘えず、必死の努力をしているのです。
逆に、若い頃に才能があると言われても、
努力を怠って、埋没していく人はゴマンと存在するのです。
「心身の元気さ」を維持向上させ、「基準」を高める気が無い人も、
快適な人生など、諦めるより他にありません。
「コンディション維持向上の重要性」を語っていました。
(※ コンディションとは、「心身の状態・調子」の事です。)
私は今まで再三、
「コンディションの重要性」について語ってきましたが、
それでも、どうも「コンディションの重要性」が、
あまり他人に伝わっていない様です。
私は、コンディション…、
つまり【 心身の元気さ 】で、人生が決まると理解しています。
その理解が、他の人には伝わっていません。
まず、心身が元気で無ければ、
「ポジティブな活動」や「建設的な行動」をしよう!
という【 意欲 】すら湧いてきません。
「チャレンジ精神」も湧いてきませんから、
「新しい経験」も積めないし、
「新しい経験」が積めなければ、「自信」も身につきません。
例えば、私が何らかの商品やサービスを提供するときに、
私が疲れているか? 元気かどうか? というのは、
価格にはまったく影響しません。
元気で売っても、疲れて売っても、
「同じ商品」を提供するのであれば、もらえる「お金」も同じです。
むしろ、何か買い物をするなら、
「元気な人」から買った方が気分が良いでしょう?(笑)
私がビジネスで考えているのは、
1.「提供する価値」を高めること
2.お客さんの負担する「金銭的コスト」を下げること
3.自分に掛かる「負担・労力」を減らすこと
この3点の両立です。
これがイノベーションです。
例えば、私のお客さんたちが、
パワーストーンを「宝石店」で買っていた頃は、
ひとつの石を買うのに、
「数万」から「数十万円」も支払っていました。
で、今私が作っている「非対称ブレス」は、
エネルギー的な効果で言うと、
宝石店で石を買っていた頃よりも、
【 3000倍以上の効果 】がある様です。
お客さんの支払う価格は「桁違いに安く」して、
【 提供する価値は、3000倍以上 】です。
そういう事を、私は実現してきました。
私が、
「非対称ブレスは、言い値で良いなら500万円で売る」
と言うのも、それだけの価値が実際にあるからです。
でも、そこまでお金を出せる人はいないから、
【 未来への投資 】として、
「はこぶね倶楽部メンバー」には払える値段で提供しているのです。
まぁ、石のエネルギーの価値が解らない人は、
宝石店の石も、私の非対称ブレスも、
「どっちも同じようなモノ」だとおもっちゃうんでしょうけどね。
まぁ、舐められてますよね(笑)
「非対称ブレスの価値」や「投資だという事」が解らない人は、
別に買わなくていいですけど。
話を元に戻すと、
私は「研究・頭脳労働」と「弟子への教育」によって、
生産性を極端に向上させているから、
自分に掛かる負担や労力を減らせています。
でも、田名くんは、
「自分に負担を掛けず、お金を得る事に罪悪感がある」
と言いました。
それもよくわかります。
一般的に、【 お金を稼ぐ = しんどい行為で、それが当然 】
という風な観念が強いので、
「楽しく、ラクに仕事してお金を稼ぐ」という事が、
何か「悪い事」「ズルい事」の様に思えてしまうのです。
ライフワークで生きようと思うと、
いずれ誰もがぶつかる気持ちでしょう(笑)
でも、自分で商売をするなら、
元気に売っても、疲れて売っても、
もらえるお金は変わりません。
どうせなら、【 元気の方が良い 】のです。
それに、プロフェッショナルとしては、
常に安定して
高いパフォーマンスを発揮する必要がありますが、
その為には、自分が心身に元気で居続ける必要があり、
後々になって響く様な【 無理をしない 】ことが、
非常に大切なのです。
一度無理をして、それが後々に響いてしまうと、
「高いパフォーマンスを発揮し続ける」という事が出来ません。
ですから、自分の心身には、出来る限り
「無駄な労力や負担」を掛けない事が大切で、
提供する価値は高めつつ、
自分に掛かる労力や負担は、極力減らしていく必要があるのです。
ただ、【 精神力を鍛えるための負荷(耳に痛い話を聞く) 】は、
どうしても必要ですけどね。
それ以外では、
やはり自分に掛かる「無駄な負担や労力」は極力減らし、
常に高いパフォーマンスを発揮し続けられる必要があります。
という事で、まず心身が元気で無いと、
・ポジティブな活動、建設的な行動ができない
・プロフェッショナルとしても、
高いパフォーマンスが発揮できない
という事で、【 人生や仕事に多大なる悪影響を生む 】のです。
自営業者で、疲れた顔をしていても、
「しんどいのに頑張ってるね!」などと、誰も思ってくれません。
そんなのは、学校の中だけの話です。
飲食店やブランド店の店員が「疲れた顔」で仕事をしていたら、
それは、【 提供する価値を下げている事になる 】のです。
社会人になったら、【 身体がしんどい事は「恥」 】です。
自分のコンディション管理が「ずさん」という事です。
もしかしたら、身内は褒めてくれるかもしれませんが、
「お金を払うお客さん」には、
店員が疲れていようが、まったく関係がありません。
「あの人は疲れた顔をしているから、買ってあげよう!」
などと思いますか?
って話で。
もちろん、何かしらの特別な理由があって、
一時的に身体がしんどい事もあるでしょうが、
慢性的にいつも身体が疲れているなら、大問題です。
常に「心身が元気な人」と、常に「心身が疲れている人」であれば、
それだけで、人生単位で見ると「甚大な差」が生まれます。
心身のコンディションは、
【 意欲・モチベーション 】【 意志決定・判断 】などにも、
多大な影響を及ぼすからです。
心身のコンディションが悪いのに、それを甘く見て放置する…
と言う時点で、私から見れば「プロ意識」がありません。
そして、パワーストーンは、
自分の心身のコンディションを、
【「劇的」に「根底」から向上させてくれる、必殺アイテム 】
なのです。
人間の性格に影響する「チャクラ」に影響を及ぼし、
【 一瞬で性格まで変えてしまうパワー 】があるのです。
もちろん、
強すぎるパワーは、扱い方を間違えると「諸刃の剣」です。
「薬」も扱い方を間違えると、「毒」になりますからね。
だからこそ、【 慎重に、丁寧に扱う必要 】があります。
「自分自身のコンディション管理」が甘いのに、
「石のコンディション管理」など、出来るハズもありません。
「心身の元気さの価値」が解らない人も、
「石のエネルギーの価値」など、わからないでしょうね。
「コンディション」を維持向上させるだけで、
人生がまるっきり変わってしまいます。
それくらい、【 心身の元気さ 】は重要です。
エネルギーがみなぎっている時は、
親しくない他人とも、積極的に交流しようという気になります。
逆に、身体が疲れている時は、
極力、親しくない人とは会いたくないでしょう。
ですから、「心身の元気さ」は、
【「人間関係」や「社交性」】にも影響します。
それに、心身が元気でればあるほど、
「前向きな発想」が湧いてきて、
自分に「自信」を持ちやすく、「強気」にもなりやすいです。
1.モチベーション、意欲
2.意志決定、選択、判断
3.前向きな発想
4.自信、強気
5.仕事のパフォーマンス(提供する価値の高さ)
6.人間関係、社交性
これだけに影響を与えれば、
「人生が変わる」というのもわかるでしょう?
いつも元気な人と、いつも疲れている人、
その違いで、それぞれの人生が根底から変わってしまうのです。
みんな、「心身の元気さ」の重要性を舐めていますが、
それも、身体が疲れていても、
【 出勤さえしていれば、とりあえずお金がもらえる 】
という、「生ぬるい環境」に身を置いているからです。
自営業者は、そうは行きません。
出勤しているからと言って、
売上は保証されないのが、自営業者です。
ですから、常に高い価値を提供し続けるためにも、
【 心身の元気さは、常に維持し続けなければならない 】のです。
社会人にとって、
慢性的な心身の疲れ、コンディション管理の甘さは【 恥 】
と言いましたが、
自営業者にとって、
慢性的な心身の疲れ、コンディション管理の甘さは、
【 顧客に対する侮辱であり、無責任の極み 】です。
お客さんの払うお金が一定なのに、
「提供する価値にムラがある」という事は、
お客さんに対する態度が舐めていますし、甘えています。
もちろん、お寿司屋さんなどだったら、
日によって良い素材が入ったり、
入らなかったりする事はあるでしょうが、
それも含めて、ある程度のレベルを維持し続けなければ、
店の信用が落ちてしまいます。
多くの人は、元気な人を見て、
「生まれつきの体質」だとでも思って、
自分に言い訳をしているのでしょう。
それも無いとは言いませんが、
言い訳をしている限り、
自分の生活習慣を変えようとは思いません。
才能とか、生まれつきという言い訳は、
【 自分が全力を出し切った後で言えるセリフ 】であって、
「自分の全力を出し切っていない人間」には、
才能がどうとか語る資格はありません。
全力を出さないことには、
自分に才能があるのかどうか?すら、
わかっていない段階だからです。
どんな才能も、努力しなければ磨かれず、
埋もれてしまうのです。
結果を出している人は、
みな才能などに甘えず、必死の努力をしているのです。
逆に、若い頃に才能があると言われても、
努力を怠って、埋没していく人はゴマンと存在するのです。
「心身の元気さ」を維持向上させ、「基準」を高める気が無い人も、
快適な人生など、諦めるより他にありません。
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2017年06月25日
狩りが出来ないチーター
昨日は、弟子のかいじゅんの相談に乗っていました。
テーマは、「お金」です。
人間が社会で生きる以上、
経済的に快適に暮らしたいのであれば、
【 お金の扱い方は、絶対にマスターする必要がある 】
という話をしました。
人生を生きる上では、
「他人を頼れること」と、「頼れないこと」があります。
生活する上で、
【 頻度が少なく、複雑な作業 】ほど、
他人を頼った方が効率良く、
【 頻度が高く、単純な作業 】ほど、
自分がマスターした方が効率良いのです。
例えば、お皿洗いは「頻度が高く、単純な作業」ですよね?
一人暮らしをするのであれば、
どんなに料理の出来ない男であろうとも、
皿洗いは自分がやる必要があります。
家政婦を雇うことも出来ますが、
経済力がある人以外は費用対効果が悪くなるので、
自分がやった方が良いという事です。
それじゃあ、「自動車を所有する」という行為はどうでしょう?
自分が自動車を設計し、組み立てる必要はありません。
それは、生活する上では、
「頻度が少なく、複雑な作業」なので、
他人にやってもらって、お金を払って自動車を買うのです。
自分で自動車を設計し、組み立てる方が、
費用対効果が悪くなるでしょう。
それじゃあ、【 お金の扱い 】についてはどうでしょう?
人間は、毎日お金を使っていますよね?
お金の扱い方について、いちいち他人に電話して聞きますか?
保険や家、自動車など、
「頻度の少ない、大きな買い物」なら
他人の助言を得る事も賢いですが、
コンビニなどで小さな買い物をするのに、
わざわざ他人に聞いていたらキリがありません。
コンビニで無駄遣いをするか? しないか?
という判断は、自分がマスターするしかないのです。
【 お金の扱い 】は日々の生活に密着しているからこそ、
自分がマスターする必要がある訳です。
「お金は、自分の苦手分野なんだよね〜」とか、
言っている場合じゃ無いのです。
お金に困っている人の中には、
「お金が稼げるかどうか?」を、
【 生まれつきの才能 】などと思っている人もいるでしょう。
しかし、【 お金を稼ぐ事と、使うこと 】は、
個人の生活に密着しているので、
自分自身がマスターしなければなりません。
もし、あるチーターが、他のチーターを見て、
「あいつは狩りの才能があるから良いな〜」
「俺は狩りが苦手だからな〜、やりたくないな〜」
とか言っていたとしたら、
それはもう、【 餓死するしか無い 】という事です。
人間にとって「仕事をして、お金を得る」というのは、
肉食動物にとっての「狩り」と同じです。
「狩りが苦手だからやらない」と言うなら、
待っているのは餓死です。
苦手だろうが、生きる為にはやるしか無いのです。
仕事もお金も、同じ事です。
「苦手だから真剣に考えない、やらない」
というなら、極貧生活をするしか無いのです。
「苦手だからやらない」なんて言っていられるのは、
単なる【 甘え 】でしか無いのです。
チーターにとって、狩りが上手くできるかどうか?は、
「生き死に」が掛かっています。
苦手だろうが、得意だろうが、
生き残りたければ狩りにチャレンジし続けるしかありません。
もし、経済的に恵まれた生活を送りたいなら、
「仕事」や「お金」の分野について、
苦手だろうが、腹を括ってやるしかないのです。
チーターは、子供の頃から狩りを学びます。
でも、日本人の子供の多くは、
親や先生から、「お金」や「仕事」について学びません。
【 就職活動の履歴書で有利になる方法 】
までは教えてくれるかも知れませんが、
その先はまったく教えてくれないのです。
「お金と仕事についてマスターしていない大人」というのは、
【 狩りのできないチーター 】と同じです。
「住む場所」や「食うモノ」にも困るほどに、ヤバいんです。
かいじゅんが、
親や先生から「お金」について教えてもらえなかった…
それは、仕方が無いことです。
チーターの子供は、親から狩りを教わりますが、
人間の子供の場合、「お金の教育」を受けていないのだから、
「狩りの出来ない大人のチーター」の様になってしまっても、
仕方ありません。
でも、大人になってから、
【 狩りを教えてくれる人 】に出会っているのです。
今までは教えてもらえなかったけど、
今は、【 教えてもらえるチャンス 】に出会っているのです。
そこで真剣に学ばないのだとしたら、それは自分の責任です。
一切、言い訳はできません。
チーターに例えると、
自分が狩り(お金・仕事)をマスターしなくても、
「他人が狩った獲物のおこぼれ」を目当てに生きようとしているから、
「自分が狩りをマスターすること」に対して、真剣になれないのです。
要は、他人をアテにして、甘えているから、成長に対して本気になれないのです。
人間が本気になれない理由は、
・自分が本気を出さなくても何とかなるだろうと、
現実を甘く見ているか
・自分がマスターしなくても、他人がやってくれるだろうと、
他人をアテにして、甘えているか、
【 世間知らずの現実逃避 】か【 過度の依存 】か、
どちらかの理由しかありません。
結局は、【 甘え 】なのです。
私は、「現実が厳しい」と何度も言っていますが、
私が厳しいというよりは、現実が本当に厳しくて、
私はその事実を正確に伝えようとしているに過ぎません。
もし、「甘えていても何とかなるよ!」なんて、
【 現実とは異なる間違った事 】を言う人がいれば、
それが、本当に「優しい」という事なのでしょうか?
「真実を伝える人」が、厳しくて、
「間違った事を伝える人」が、優しいのでしょうか?
間違った事を言う人が、【「優しい人」の定義 】なのでしょうか?
私はそうは思いませんけどね。
チーターは、狩りができないと餓死します。
人間は、お金と仕事をマスターしないと、
「劣悪な環境」で生活せざるを得ません。
まったく同じ事です。
チーターは狩りができないと餓死するのに、
人間ならお金と仕事をマスターしなくても、
生きていけるだろうと思うのは、
それは、【 動物園の檻の中でエサを待っている感覚 】です。
別に、動物園(自分の面倒を見てくれる親や国)が儲かっているなら、
死ぬまで動物園で生きていけるでしょうが、
動物園が潰れたら共倒れで、これまた餓死します。
動物園の動物は、狭い檻の中で
来園者に可愛がられているから、エサをもらえます。
・もし、動物園が潰れたら?
・もし、来園者に可愛がってもらえなくなったら?
その動物に「次の引き取り手」がなければ、死ぬしかありません。
動物も、人間も、どちらも過酷な環境で生きているのです。
現実は過酷だからこそ、
過酷だと理解して生きていく必要があります。
動物園(親、国、会社など)に守られていると、
「自分が狩りをマスターする必要」など感じないでしょう。
でも、エサをくれる動物園が潰れたらお終いですし、
そうでなくても、不自由な生活を延々続けなければなりません。
どのみち、経済的に快適に、自由に生きたければ、
自分自身が「仕事とお金についてマスターする」というのは、
必要不可欠になってくるのです。
人間が快適に暮らそうと思ったら、「お金・仕事」だけではなく、
「健康」や「心理・人間関係」もマスターする必要があります。
でも、どれも学校では教えてくれません。
親が優秀であれば、運良く教えてくれるかもしれませんが、
ほとんどの場合、そうではありませんから、
大人になってから主体的に学び直す必要があります。
で、教えてくれる人がいるのに、
真剣に学ぼうとしないのだとしたら、
【 幸せで快適な生活など、諦めてもらうしかない 】
という事です。
子供の頃に「狩り」を教えてもらえなかったチーターが、
大人になってから、狩りを教えてもらえるチャンスに出会えた…。
それでも、「真剣に狩りをマスターする気が無い」というなら、
【 どうぞ、餓死してください 】って事です。
それが、「現実の厳しさ」なのです。
多くの人が、人生を本気で生きていないのは、
【「世間知らず」で、「現実逃避」を続けているから 】です。
世間を知り、厳しい現実を理解すれば、
・自信が有ろうが、無かろうが、
・苦手だろうが、得意だろうが、
・才能が有ろうが、無かろうが、
【 どっちにしても、腹を括ってやるしかない! 】
という事です。
そうでなければ、「餓死するしか無い」のです。
私は、ただ現実の厳しさを正確に伝えようとしているだけで、
他意はありません。
それすら理解したくないというのであれば、
【 いずれ潰れる動物園と一緒に、共倒れコース 】に直行です。
テーマは、「お金」です。
人間が社会で生きる以上、
経済的に快適に暮らしたいのであれば、
【 お金の扱い方は、絶対にマスターする必要がある 】
という話をしました。
人生を生きる上では、
「他人を頼れること」と、「頼れないこと」があります。
生活する上で、
【 頻度が少なく、複雑な作業 】ほど、
他人を頼った方が効率良く、
【 頻度が高く、単純な作業 】ほど、
自分がマスターした方が効率良いのです。
例えば、お皿洗いは「頻度が高く、単純な作業」ですよね?
一人暮らしをするのであれば、
どんなに料理の出来ない男であろうとも、
皿洗いは自分がやる必要があります。
家政婦を雇うことも出来ますが、
経済力がある人以外は費用対効果が悪くなるので、
自分がやった方が良いという事です。
それじゃあ、「自動車を所有する」という行為はどうでしょう?
自分が自動車を設計し、組み立てる必要はありません。
それは、生活する上では、
「頻度が少なく、複雑な作業」なので、
他人にやってもらって、お金を払って自動車を買うのです。
自分で自動車を設計し、組み立てる方が、
費用対効果が悪くなるでしょう。
それじゃあ、【 お金の扱い 】についてはどうでしょう?
人間は、毎日お金を使っていますよね?
お金の扱い方について、いちいち他人に電話して聞きますか?
保険や家、自動車など、
「頻度の少ない、大きな買い物」なら
他人の助言を得る事も賢いですが、
コンビニなどで小さな買い物をするのに、
わざわざ他人に聞いていたらキリがありません。
コンビニで無駄遣いをするか? しないか?
という判断は、自分がマスターするしかないのです。
【 お金の扱い 】は日々の生活に密着しているからこそ、
自分がマスターする必要がある訳です。
「お金は、自分の苦手分野なんだよね〜」とか、
言っている場合じゃ無いのです。
お金に困っている人の中には、
「お金が稼げるかどうか?」を、
【 生まれつきの才能 】などと思っている人もいるでしょう。
しかし、【 お金を稼ぐ事と、使うこと 】は、
個人の生活に密着しているので、
自分自身がマスターしなければなりません。
もし、あるチーターが、他のチーターを見て、
「あいつは狩りの才能があるから良いな〜」
「俺は狩りが苦手だからな〜、やりたくないな〜」
とか言っていたとしたら、
それはもう、【 餓死するしか無い 】という事です。
人間にとって「仕事をして、お金を得る」というのは、
肉食動物にとっての「狩り」と同じです。
「狩りが苦手だからやらない」と言うなら、
待っているのは餓死です。
苦手だろうが、生きる為にはやるしか無いのです。
仕事もお金も、同じ事です。
「苦手だから真剣に考えない、やらない」
というなら、極貧生活をするしか無いのです。
「苦手だからやらない」なんて言っていられるのは、
単なる【 甘え 】でしか無いのです。
チーターにとって、狩りが上手くできるかどうか?は、
「生き死に」が掛かっています。
苦手だろうが、得意だろうが、
生き残りたければ狩りにチャレンジし続けるしかありません。
もし、経済的に恵まれた生活を送りたいなら、
「仕事」や「お金」の分野について、
苦手だろうが、腹を括ってやるしかないのです。
チーターは、子供の頃から狩りを学びます。
でも、日本人の子供の多くは、
親や先生から、「お金」や「仕事」について学びません。
【 就職活動の履歴書で有利になる方法 】
までは教えてくれるかも知れませんが、
その先はまったく教えてくれないのです。
「お金と仕事についてマスターしていない大人」というのは、
【 狩りのできないチーター 】と同じです。
「住む場所」や「食うモノ」にも困るほどに、ヤバいんです。
かいじゅんが、
親や先生から「お金」について教えてもらえなかった…
それは、仕方が無いことです。
チーターの子供は、親から狩りを教わりますが、
人間の子供の場合、「お金の教育」を受けていないのだから、
「狩りの出来ない大人のチーター」の様になってしまっても、
仕方ありません。
でも、大人になってから、
【 狩りを教えてくれる人 】に出会っているのです。
今までは教えてもらえなかったけど、
今は、【 教えてもらえるチャンス 】に出会っているのです。
そこで真剣に学ばないのだとしたら、それは自分の責任です。
一切、言い訳はできません。
チーターに例えると、
自分が狩り(お金・仕事)をマスターしなくても、
「他人が狩った獲物のおこぼれ」を目当てに生きようとしているから、
「自分が狩りをマスターすること」に対して、真剣になれないのです。
要は、他人をアテにして、甘えているから、成長に対して本気になれないのです。
人間が本気になれない理由は、
・自分が本気を出さなくても何とかなるだろうと、
現実を甘く見ているか
・自分がマスターしなくても、他人がやってくれるだろうと、
他人をアテにして、甘えているか、
【 世間知らずの現実逃避 】か【 過度の依存 】か、
どちらかの理由しかありません。
結局は、【 甘え 】なのです。
私は、「現実が厳しい」と何度も言っていますが、
私が厳しいというよりは、現実が本当に厳しくて、
私はその事実を正確に伝えようとしているに過ぎません。
もし、「甘えていても何とかなるよ!」なんて、
【 現実とは異なる間違った事 】を言う人がいれば、
それが、本当に「優しい」という事なのでしょうか?
「真実を伝える人」が、厳しくて、
「間違った事を伝える人」が、優しいのでしょうか?
間違った事を言う人が、【「優しい人」の定義 】なのでしょうか?
私はそうは思いませんけどね。
チーターは、狩りができないと餓死します。
人間は、お金と仕事をマスターしないと、
「劣悪な環境」で生活せざるを得ません。
まったく同じ事です。
チーターは狩りができないと餓死するのに、
人間ならお金と仕事をマスターしなくても、
生きていけるだろうと思うのは、
それは、【 動物園の檻の中でエサを待っている感覚 】です。
別に、動物園(自分の面倒を見てくれる親や国)が儲かっているなら、
死ぬまで動物園で生きていけるでしょうが、
動物園が潰れたら共倒れで、これまた餓死します。
動物園の動物は、狭い檻の中で
来園者に可愛がられているから、エサをもらえます。
・もし、動物園が潰れたら?
・もし、来園者に可愛がってもらえなくなったら?
その動物に「次の引き取り手」がなければ、死ぬしかありません。
動物も、人間も、どちらも過酷な環境で生きているのです。
現実は過酷だからこそ、
過酷だと理解して生きていく必要があります。
動物園(親、国、会社など)に守られていると、
「自分が狩りをマスターする必要」など感じないでしょう。
でも、エサをくれる動物園が潰れたらお終いですし、
そうでなくても、不自由な生活を延々続けなければなりません。
どのみち、経済的に快適に、自由に生きたければ、
自分自身が「仕事とお金についてマスターする」というのは、
必要不可欠になってくるのです。
人間が快適に暮らそうと思ったら、「お金・仕事」だけではなく、
「健康」や「心理・人間関係」もマスターする必要があります。
でも、どれも学校では教えてくれません。
親が優秀であれば、運良く教えてくれるかもしれませんが、
ほとんどの場合、そうではありませんから、
大人になってから主体的に学び直す必要があります。
で、教えてくれる人がいるのに、
真剣に学ぼうとしないのだとしたら、
【 幸せで快適な生活など、諦めてもらうしかない 】
という事です。
子供の頃に「狩り」を教えてもらえなかったチーターが、
大人になってから、狩りを教えてもらえるチャンスに出会えた…。
それでも、「真剣に狩りをマスターする気が無い」というなら、
【 どうぞ、餓死してください 】って事です。
それが、「現実の厳しさ」なのです。
多くの人が、人生を本気で生きていないのは、
【「世間知らず」で、「現実逃避」を続けているから 】です。
世間を知り、厳しい現実を理解すれば、
・自信が有ろうが、無かろうが、
・苦手だろうが、得意だろうが、
・才能が有ろうが、無かろうが、
【 どっちにしても、腹を括ってやるしかない! 】
という事です。
そうでなければ、「餓死するしか無い」のです。
私は、ただ現実の厳しさを正確に伝えようとしているだけで、
他意はありません。
それすら理解したくないというのであれば、
【 いずれ潰れる動物園と一緒に、共倒れコース 】に直行です。
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2017年06月24日
パワーストーンの落とし穴
非対称ブレスを作成するために、
他人の石を預かったせいで、
自分の石たちに邪気が感染し、広がってしまい、
ここ数週間は、大変な事になっていました。
自宅の石たちを一斉に浄化をするしかなく、
毎日、毎日、石の浄化ばかりしていました。
まぁ、そのおかげで、
【 いかに効率良く石を浄化できるか? 】
という研究が進んで、
以前よりさらに「邪気」や「浄化」について詳しくなれたので、
あらゆる試練というのは、乗り越えてみれば、
最後には「大きなメリット」しか残らなくなると思います。
今回学んだ、効率の良い邪気の浄化法は、
また「はこぶね倶楽部」に投稿したいと思います。
ちなみに、私の研究している浄化法は、
一般に言われている浄化法と大きく違うので、
「クラスター」や「さざれ」など、一切使いません(笑)
「さざれが浄化に使える」なんて言う話は、
おそらく、「使い道の無い余った石たち」を売る為に、
石を売る側が、【 売る為の建前 】で言っているだけでしょうね。
そうじゃないと、「さざれ」が在庫として余ったとしても、
なかなか売れないでしょうから。
それで、今日やっと石たちの浄化に一段落が付いたので、
心身共に調子を取り戻す事ができました。
自分の持つ石と、自分自身は、
「エネルギー的に繋がってしまっている」ので、
石の調子が悪いと、
たとえ身に付けていなくても、離れていても、
自分の調子も悪くなってしまいます。
私の持つ石たちが元気になってきたので、
ようやく、私も元気を取り戻せました。
「波動の高い石」というのは、
裏を返せば、【 それだけ邪気を寄せ付けやすい 】
という事でもあります。
これは、人間でも同じ事が言えます。
で、人間も石も同じですが、
邪気を纏ってしまうと、
周囲に対しても悪影響を及ぼします。
邪気った石をそのままにしておくと、
【 延々と自分に悪影響を及ぼし続ける 】という事なのです。
で、そういう事を一般の人々は知りません。
「天然石」や「宝石」の中で、
高い波動を持つ「パワーストーン」と呼べるモノは、
全体から見ると、【 10%程度 】です。
「天然石・宝石を売っているお店」で、
【 パワーストーンが含まれる割合 】は、
低いお店で「1%以下」、高いお店で「20%」って所でしょう。
日頃の行いが良い運の良い人は、
パワーの無い石では無く、パワーの宿った石を、
知らず知らずのうちに手に入れていると思います。
しかし、パワーがあると言う事は、
裏を返せば「邪気りやすい」という事です。
しかし、私のチャネリング情報では、
そのパワーストーンを所有している人のウチ、
・ネガティブな影響を受けている人が「7割」
・ポジティブな影響を受けている人が「3割」
という事らしいです。
一般の人々は、「邪気」や「浄化」に詳しくないので、
大半の人は、「邪気った石」をそのまま身に付け、
【「石に取り憑いた邪気」から
ネガティブな影響を受け続けてしまっている… 】
という事なのです。
「本末転倒」というか、「宝の持ち腐れ」というか…、
はこぶね倶楽部のメンバーの多くも、
これまで浄化の重要性をあまり解っていなかったようなので、
おそらく、ポジティブな影響よりも、
ネガティブな影響を多く受けていた人もいるでしょう(笑)
それじゃあ意味が無いので、改めて強調して、
「浄化の重要性」や「最新の浄化法」について伝えています。
邪気や悪霊は本当に鬱陶しい存在で、
波動の高い「人」や「石」に取り憑いて、
そのエネルギ−を吸い取り、自分自身を強化していきます。
そういう意味では、【 ウイルスと同じ性質 】を持っています。
自分自身を分裂させて他の宿主にも感染し、
宿主からエネルギーを吸い取って、どんどん強くなっていくのです。
ですから、邪気を浄化せずにそのままにしておくと、
邪気がどんどん増殖し、強くなっていくのです。
邪気がちょっと残っているけど、まぁいいか…
なんていうヌルい基準だと、
【 邪気がどんどん強くなる隙 】を与えている事になるのです。
「病原菌」や「ウイルス」と同じで、
一度感染したら、完全に滅菌する必要があります。
人間も元気だと、
「菌やウイルスに対する抵抗力・免疫力」がありますが、
身体が弱ってしまって抵抗力・免疫力が下がると、
菌やウイルスに感染しやすくなります。
それは邪気も同じで、
【 弱っている「人」や「石」】に対しては、
「邪気が取り憑きやすい、邪気が感染しやすい」
という、まったく同じメカニズムなのです。
「邪気った石を放置する」という事は、
自分自身が【 ネガティブな影響を受け続ける 】という事なのです。
ですから、石には丁寧なケアが必要なのです。
それは、ペットを飼っているのと同じような感覚です。
私が石のコンディションを見て、ケアをするのは、
ペットの世話をしているのに近い感覚があります。
「水質に敏感で繊細な熱帯魚」を飼っているかのように、
愛情を注いで、世話をしているのです。
以前、パワーストーンをペットに例えましたが、
ペットを飼うという事には、大きな責任が伴います。
「世話をしたくない」という無責任な人には、
ペットを飼う資格は無いのです。
吉田さんの絵は、高波動を放っていますが、
絵自体に高波動が宿っている訳では無く、
高次のエネルギーにアクセスするゲートの役割なので、
メンテナンスが不要です。
その点は、石とは大きな違いですね。
ただ、直接触ってエネルギーを受け取る事が出来ないので、
石よりも距離が遠い存在と言えるでしょう。
・自分は世話する必要が無い、【 動物園の動物 】と、
・自分が世話する必要がある、【 自分で飼うペット 】
との違いみたいなモノですね。
どんな高波動アイテムも一長一短ですから、
それぞれの長所を組み合わせると、最大限の効果が得られます。
もし自分がペットを飼おうと思うと、覚悟がいると思います。
どうしても、世話をする責任が発生するからです。
でも、「石」や「植物」の場合であれば、
覚悟して手に入れようとする人はいないでしょう。
動かないし、声を出すわけでも無いので、
【 雑に扱っても文句を言われないから 】です。
つまり、動物の事は尊重しているのに、
「喋らない・動かない存在」に対しては、
軽視して、蔑ろにしているのです。
いかに一般の人々が、五感に訴えるモノを過大評価し、
五感に訴えないモノを過小評価しているか?
という事が、よくわかります。
そもそも、日本人はモノに魂を込めて、
モノに感情移入して、モノを大切にする民族のハズです。
経済的に豊かになり、
「食事」も「モノ」も溢れかえってしまったせいで、
【「食べ物」や「モノ」に対する感謝 】
を忘れてしまった人が多いのでしょう。
それも、私のいう「平和ボケ」の一部です。
いろんなモノが溢れかえってしまったせいで、
「ある事が当たり前、当然」となってしまい、
【 本来の価値 】を忘れてしまうのです。
それこそ、日本人が全体的に
「傲慢な考え」に偏ってしまっているのです。
自分の周りの人もみんな傲慢だったら、
「自分が傲慢である事」に気づけないのです。
宗教の信者は、その宗教の集まりに行くと、
周りの他もみんなも信者ですから、
「自分は普通で、平均的な人間」だと思ってしまいます。
でも、もっと広い外側から見たら、まったく普通じゃ無いのです。
それと同じ事です。
より広い客観的視野を持てず、
「自分から直接目に見える範囲だけ」と比べている限り、
自分が正常か、異常かはわかりません。
客観的事実に則った「判断基準」や「軸」を持たず、
目に見える周りばかりに囚われていたら、
自分の周りみんなも異常だった場合、
自分が異常である事に気づけないのです。
「石の価値の高さ」を理解している人であれば、
ケアが必要と言われても、喜んでやると思いますが、
石のケアを喜んで出来ない人は、
【 石の価値や効果、影響力 】を舐めているのです。
【 あなたが思っている、
何百倍、何千倍もすごいアイテムなんですよ! 】
と言いたくなります。
そもそも、石の価値が解らない人は、
目に見えるモノに囚われ、
目に見えないエネルギー自体を軽視しているのです。
で、
「お金、知名度、有名、立場、権威、学歴、恋人、結婚」など、
「目に見えるモノに囚われる人々」は、
そもそも【 自分の存在価値に自信が無い 】のです。
自分の存在価値に「確固たる自信・確信」が無いから、
【 目に見えるモノにすがりたくなる 】のです。
私がどれだけ目に見えないエネルギーの重要性を語ろうとも、
「自分の存在価値に自信が持てない人」は、
目に見えない【 信頼・善意・波動 】などがわからないのです。
「目に見えないモノが信じられない…」という人は、
まず自分自身が信じられないのです。
自分に何か、目に見える
「お金、知名度、有名、立場、権威、学歴、恋人、結婚」
などが備わっていないと、価値が無いと思っているからです。
私は、自分に目に見えるモノが備わっていなくても、
自分自身に確固たる価値が備わっていると理解しています。
そういう「自分に対する自信」が身に付いてこそ、
目に見えない【 信頼・善意・波動・能力 】などの
本当の価値がわかるようになるのです。
目に見えるモノにすがりたくなるのは、
【 自分の存在価値に対する「自信の無さ」 】の反映です。
だから、「多数決」や「常識」などが判断基準になってしまい、
「自分軸」も「主体性」も無く、それらに流されてしまいます。
「自分の価値」が不安定に思えるからこそ、
【 目に見えて安定した何か? 】にすがりたくなるのです。
ですから、
・自分に自信が無い人の”語る”スピリチュアル情報
・自分に自信が無い人が”興味を持つ”スピリチュアル情報
は、ほとんどの場合、間違いだらけです。
お金にがめつい霊能力者とか、占い師とかいますけど、
そもそも、お金に執着がある時点で、
「目に見えない要素の影響力」を心の底から信じられていないのです。
自分が語っているクセに、それを信じていない。
矛盾していますし、まさにペテン師と呼ぶに相応しいでしょう。
そういう人も、自分の存在価値に自信が無いのです。
自分の存在価値に自信が無いから、お金に執着するのです。
「他人よりお金を持つこと」によって、
【 自分の存在価値を安定させよう 】としているのです。
とにかく、自分の存在価値に自信を持たない限り、
目に見える要素に囚われ続け、
目に見えない【 信頼・善意・波動・能力 】の価値がわかりません。
日本人の多くが、目に見えるモノに囚われているとすれば、
「それだけ、日本人が自分の存在価値を感じられていない」
という事です。
でも、いくら「目に見える要素」にすがろうとも、
自分の存在価値に自信を持つことはできません。
自分の存在価値に自信を持つには、
【 自分の心理(内面)に取り組む必要 】があるのです。
自分の心理・内面にアプローチせずして、
「目に見えるモノ」に執着し、追い掛け続ける人は、
「絶対に食べる事が出来ない、
目の前にぶらさがったニンジン」を、
ひたすら追い掛け続けるようなモノなのです。
まぁ、これだけ説明しても、わからない人はわかりません。
なぜなら、普通の人は自分に自信が無いあまり、
「お金」や「有名」に価値があると思っています。
そして、私が有名ではないので、
「有名人では無い人の話など信用できない」
という事です。
【 いや、自分のアタマで内容を吟味する主体性は無いのかよ! 】
と思いますが、自分に自信が無い人は、主体性も無いのです(笑)
自分で主体的に考えるのではなく、
「自分よりスゴイ人の言う事にただ従順に従おう」という、
奴隷根性にまみれているのです。
勇気を持って、
「自分の心理・内面に取り組もう!」という人が増えない限り、
人の人生も、世の中も、何も変わらないのです。
他人の石を預かったせいで、
自分の石たちに邪気が感染し、広がってしまい、
ここ数週間は、大変な事になっていました。
自宅の石たちを一斉に浄化をするしかなく、
毎日、毎日、石の浄化ばかりしていました。
まぁ、そのおかげで、
【 いかに効率良く石を浄化できるか? 】
という研究が進んで、
以前よりさらに「邪気」や「浄化」について詳しくなれたので、
あらゆる試練というのは、乗り越えてみれば、
最後には「大きなメリット」しか残らなくなると思います。
今回学んだ、効率の良い邪気の浄化法は、
また「はこぶね倶楽部」に投稿したいと思います。
ちなみに、私の研究している浄化法は、
一般に言われている浄化法と大きく違うので、
「クラスター」や「さざれ」など、一切使いません(笑)
「さざれが浄化に使える」なんて言う話は、
おそらく、「使い道の無い余った石たち」を売る為に、
石を売る側が、【 売る為の建前 】で言っているだけでしょうね。
そうじゃないと、「さざれ」が在庫として余ったとしても、
なかなか売れないでしょうから。
それで、今日やっと石たちの浄化に一段落が付いたので、
心身共に調子を取り戻す事ができました。
自分の持つ石と、自分自身は、
「エネルギー的に繋がってしまっている」ので、
石の調子が悪いと、
たとえ身に付けていなくても、離れていても、
自分の調子も悪くなってしまいます。
私の持つ石たちが元気になってきたので、
ようやく、私も元気を取り戻せました。
「波動の高い石」というのは、
裏を返せば、【 それだけ邪気を寄せ付けやすい 】
という事でもあります。
これは、人間でも同じ事が言えます。
で、人間も石も同じですが、
邪気を纏ってしまうと、
周囲に対しても悪影響を及ぼします。
邪気った石をそのままにしておくと、
【 延々と自分に悪影響を及ぼし続ける 】という事なのです。
で、そういう事を一般の人々は知りません。
「天然石」や「宝石」の中で、
高い波動を持つ「パワーストーン」と呼べるモノは、
全体から見ると、【 10%程度 】です。
「天然石・宝石を売っているお店」で、
【 パワーストーンが含まれる割合 】は、
低いお店で「1%以下」、高いお店で「20%」って所でしょう。
日頃の行いが良い運の良い人は、
パワーの無い石では無く、パワーの宿った石を、
知らず知らずのうちに手に入れていると思います。
しかし、パワーがあると言う事は、
裏を返せば「邪気りやすい」という事です。
しかし、私のチャネリング情報では、
そのパワーストーンを所有している人のウチ、
・ネガティブな影響を受けている人が「7割」
・ポジティブな影響を受けている人が「3割」
という事らしいです。
一般の人々は、「邪気」や「浄化」に詳しくないので、
大半の人は、「邪気った石」をそのまま身に付け、
【「石に取り憑いた邪気」から
ネガティブな影響を受け続けてしまっている… 】
という事なのです。
「本末転倒」というか、「宝の持ち腐れ」というか…、
はこぶね倶楽部のメンバーの多くも、
これまで浄化の重要性をあまり解っていなかったようなので、
おそらく、ポジティブな影響よりも、
ネガティブな影響を多く受けていた人もいるでしょう(笑)
それじゃあ意味が無いので、改めて強調して、
「浄化の重要性」や「最新の浄化法」について伝えています。
邪気や悪霊は本当に鬱陶しい存在で、
波動の高い「人」や「石」に取り憑いて、
そのエネルギ−を吸い取り、自分自身を強化していきます。
そういう意味では、【 ウイルスと同じ性質 】を持っています。
自分自身を分裂させて他の宿主にも感染し、
宿主からエネルギーを吸い取って、どんどん強くなっていくのです。
ですから、邪気を浄化せずにそのままにしておくと、
邪気がどんどん増殖し、強くなっていくのです。
邪気がちょっと残っているけど、まぁいいか…
なんていうヌルい基準だと、
【 邪気がどんどん強くなる隙 】を与えている事になるのです。
「病原菌」や「ウイルス」と同じで、
一度感染したら、完全に滅菌する必要があります。
人間も元気だと、
「菌やウイルスに対する抵抗力・免疫力」がありますが、
身体が弱ってしまって抵抗力・免疫力が下がると、
菌やウイルスに感染しやすくなります。
それは邪気も同じで、
【 弱っている「人」や「石」】に対しては、
「邪気が取り憑きやすい、邪気が感染しやすい」
という、まったく同じメカニズムなのです。
「邪気った石を放置する」という事は、
自分自身が【 ネガティブな影響を受け続ける 】という事なのです。
ですから、石には丁寧なケアが必要なのです。
それは、ペットを飼っているのと同じような感覚です。
私が石のコンディションを見て、ケアをするのは、
ペットの世話をしているのに近い感覚があります。
「水質に敏感で繊細な熱帯魚」を飼っているかのように、
愛情を注いで、世話をしているのです。
以前、パワーストーンをペットに例えましたが、
ペットを飼うという事には、大きな責任が伴います。
「世話をしたくない」という無責任な人には、
ペットを飼う資格は無いのです。
吉田さんの絵は、高波動を放っていますが、
絵自体に高波動が宿っている訳では無く、
高次のエネルギーにアクセスするゲートの役割なので、
メンテナンスが不要です。
その点は、石とは大きな違いですね。
ただ、直接触ってエネルギーを受け取る事が出来ないので、
石よりも距離が遠い存在と言えるでしょう。
・自分は世話する必要が無い、【 動物園の動物 】と、
・自分が世話する必要がある、【 自分で飼うペット 】
との違いみたいなモノですね。
どんな高波動アイテムも一長一短ですから、
それぞれの長所を組み合わせると、最大限の効果が得られます。
もし自分がペットを飼おうと思うと、覚悟がいると思います。
どうしても、世話をする責任が発生するからです。
でも、「石」や「植物」の場合であれば、
覚悟して手に入れようとする人はいないでしょう。
動かないし、声を出すわけでも無いので、
【 雑に扱っても文句を言われないから 】です。
つまり、動物の事は尊重しているのに、
「喋らない・動かない存在」に対しては、
軽視して、蔑ろにしているのです。
いかに一般の人々が、五感に訴えるモノを過大評価し、
五感に訴えないモノを過小評価しているか?
という事が、よくわかります。
そもそも、日本人はモノに魂を込めて、
モノに感情移入して、モノを大切にする民族のハズです。
経済的に豊かになり、
「食事」も「モノ」も溢れかえってしまったせいで、
【「食べ物」や「モノ」に対する感謝 】
を忘れてしまった人が多いのでしょう。
それも、私のいう「平和ボケ」の一部です。
いろんなモノが溢れかえってしまったせいで、
「ある事が当たり前、当然」となってしまい、
【 本来の価値 】を忘れてしまうのです。
それこそ、日本人が全体的に
「傲慢な考え」に偏ってしまっているのです。
自分の周りの人もみんな傲慢だったら、
「自分が傲慢である事」に気づけないのです。
宗教の信者は、その宗教の集まりに行くと、
周りの他もみんなも信者ですから、
「自分は普通で、平均的な人間」だと思ってしまいます。
でも、もっと広い外側から見たら、まったく普通じゃ無いのです。
それと同じ事です。
より広い客観的視野を持てず、
「自分から直接目に見える範囲だけ」と比べている限り、
自分が正常か、異常かはわかりません。
客観的事実に則った「判断基準」や「軸」を持たず、
目に見える周りばかりに囚われていたら、
自分の周りみんなも異常だった場合、
自分が異常である事に気づけないのです。
「石の価値の高さ」を理解している人であれば、
ケアが必要と言われても、喜んでやると思いますが、
石のケアを喜んで出来ない人は、
【 石の価値や効果、影響力 】を舐めているのです。
【 あなたが思っている、
何百倍、何千倍もすごいアイテムなんですよ! 】
と言いたくなります。
そもそも、石の価値が解らない人は、
目に見えるモノに囚われ、
目に見えないエネルギー自体を軽視しているのです。
で、
「お金、知名度、有名、立場、権威、学歴、恋人、結婚」など、
「目に見えるモノに囚われる人々」は、
そもそも【 自分の存在価値に自信が無い 】のです。
自分の存在価値に「確固たる自信・確信」が無いから、
【 目に見えるモノにすがりたくなる 】のです。
私がどれだけ目に見えないエネルギーの重要性を語ろうとも、
「自分の存在価値に自信が持てない人」は、
目に見えない【 信頼・善意・波動 】などがわからないのです。
「目に見えないモノが信じられない…」という人は、
まず自分自身が信じられないのです。
自分に何か、目に見える
「お金、知名度、有名、立場、権威、学歴、恋人、結婚」
などが備わっていないと、価値が無いと思っているからです。
私は、自分に目に見えるモノが備わっていなくても、
自分自身に確固たる価値が備わっていると理解しています。
そういう「自分に対する自信」が身に付いてこそ、
目に見えない【 信頼・善意・波動・能力 】などの
本当の価値がわかるようになるのです。
目に見えるモノにすがりたくなるのは、
【 自分の存在価値に対する「自信の無さ」 】の反映です。
だから、「多数決」や「常識」などが判断基準になってしまい、
「自分軸」も「主体性」も無く、それらに流されてしまいます。
「自分の価値」が不安定に思えるからこそ、
【 目に見えて安定した何か? 】にすがりたくなるのです。
ですから、
・自分に自信が無い人の”語る”スピリチュアル情報
・自分に自信が無い人が”興味を持つ”スピリチュアル情報
は、ほとんどの場合、間違いだらけです。
お金にがめつい霊能力者とか、占い師とかいますけど、
そもそも、お金に執着がある時点で、
「目に見えない要素の影響力」を心の底から信じられていないのです。
自分が語っているクセに、それを信じていない。
矛盾していますし、まさにペテン師と呼ぶに相応しいでしょう。
そういう人も、自分の存在価値に自信が無いのです。
自分の存在価値に自信が無いから、お金に執着するのです。
「他人よりお金を持つこと」によって、
【 自分の存在価値を安定させよう 】としているのです。
とにかく、自分の存在価値に自信を持たない限り、
目に見える要素に囚われ続け、
目に見えない【 信頼・善意・波動・能力 】の価値がわかりません。
日本人の多くが、目に見えるモノに囚われているとすれば、
「それだけ、日本人が自分の存在価値を感じられていない」
という事です。
でも、いくら「目に見える要素」にすがろうとも、
自分の存在価値に自信を持つことはできません。
自分の存在価値に自信を持つには、
【 自分の心理(内面)に取り組む必要 】があるのです。
自分の心理・内面にアプローチせずして、
「目に見えるモノ」に執着し、追い掛け続ける人は、
「絶対に食べる事が出来ない、
目の前にぶらさがったニンジン」を、
ひたすら追い掛け続けるようなモノなのです。
まぁ、これだけ説明しても、わからない人はわかりません。
なぜなら、普通の人は自分に自信が無いあまり、
「お金」や「有名」に価値があると思っています。
そして、私が有名ではないので、
「有名人では無い人の話など信用できない」
という事です。
【 いや、自分のアタマで内容を吟味する主体性は無いのかよ! 】
と思いますが、自分に自信が無い人は、主体性も無いのです(笑)
自分で主体的に考えるのではなく、
「自分よりスゴイ人の言う事にただ従順に従おう」という、
奴隷根性にまみれているのです。
勇気を持って、
「自分の心理・内面に取り組もう!」という人が増えない限り、
人の人生も、世の中も、何も変わらないのです。
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2017年06月23日
異性の愛がわからない人
先日、「善意」と「歪んだ愛情」
という記事を書きましたが、
「他人の善意」がわからず、
「信頼」ができないのは、
多くの場合、【 自分が親を恨んでいるからだ 】
という事を書きました。
そして、両親というのは、
子供にとっては、【 男女の代表 】でもあります。
・父親を恨んでいたら、「男性の善意」を信頼できない
・母親を恨んでいたら、「女性の善意」を信頼できない
という心理的パターンに陥ってしまいます。
よく、異性関係で悩んでいる人は多いと思いますが、
ほとんどの場合、「異性に対するイメージ」というのは、
【 自分の両親に対するイメージ 】が強く影響しています。
そして、親を恨んでいる人は、
・女とは○○な生き物だ!
・男とは○○な生き物だ!
と、 一括りにして単一のレッテルを貼ります。
それは、「親のイメージ」をそのまま当てはめているのです。
でも、私はブログ記事で何度も言っていますが、
・女にもいろんな人がいて、
・男にもいろんな人がいて、
その割合は、男も女も変わりません。
「男だからこう、女だからこう」
という「一括りの決めつけ」は、真実では無いのです。
とにかく、親を恨んでいる人ほど、
異性に対するイメージが、
「親のイメージ」に囚われてしまっているのです。
両親に対する「恨み」をまず認め、そして許していかなければ、
ありとあらゆる【 人間関係、異性関係 】は、
決して健全には向かわないのです。
それほど、両親の子に対する影響力は強いわけですが、
自分が親の立場なら、
まず自分が精神的に成長しない限り、
未熟な自分の影響を受けて子は育ちますから、
「子供の教育」を考える前に、
まず【 親である自分への教育 】が最優先なのです。
という記事を書きましたが、
「他人の善意」がわからず、
「信頼」ができないのは、
多くの場合、【 自分が親を恨んでいるからだ 】
という事を書きました。
そして、両親というのは、
子供にとっては、【 男女の代表 】でもあります。
・父親を恨んでいたら、「男性の善意」を信頼できない
・母親を恨んでいたら、「女性の善意」を信頼できない
という心理的パターンに陥ってしまいます。
よく、異性関係で悩んでいる人は多いと思いますが、
ほとんどの場合、「異性に対するイメージ」というのは、
【 自分の両親に対するイメージ 】が強く影響しています。
そして、親を恨んでいる人は、
・女とは○○な生き物だ!
・男とは○○な生き物だ!
と、 一括りにして単一のレッテルを貼ります。
それは、「親のイメージ」をそのまま当てはめているのです。
でも、私はブログ記事で何度も言っていますが、
・女にもいろんな人がいて、
・男にもいろんな人がいて、
その割合は、男も女も変わりません。
「男だからこう、女だからこう」
という「一括りの決めつけ」は、真実では無いのです。
とにかく、親を恨んでいる人ほど、
異性に対するイメージが、
「親のイメージ」に囚われてしまっているのです。
両親に対する「恨み」をまず認め、そして許していかなければ、
ありとあらゆる【 人間関係、異性関係 】は、
決して健全には向かわないのです。
それほど、両親の子に対する影響力は強いわけですが、
自分が親の立場なら、
まず自分が精神的に成長しない限り、
未熟な自分の影響を受けて子は育ちますから、
「子供の教育」を考える前に、
まず【 親である自分への教育 】が最優先なのです。
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2017年06月22日
無自覚の詐欺師
詐欺という犯罪は、法律上では、
「本人に騙すつもりがあったのかどうか?」
が大事らしいです。
しかし、私の個人的な定義では、
「実際には価値のないモノ」「相手に必要ないモノ」を、
価値があるかのように見せかけて売ってお金を取ったら、
それは、「詐欺と変わらない」と思う訳です。
別に「詐欺」って言う事が使いやすいだけで、
【 悪徳商法・悪徳営業 】と言っても良いです。
例えば、
携帯電話を買いたい!と思ったおばあちゃんが、
携帯電話ショップに行くとします。
そこの店員が、
「電話機」にも詳しくなく、
「契約内容」についても良くわかっていないのに、
適当なウソの説明で「これがいいですよ!」と、
おばあちゃんに携帯電話を売ってしまったら、
おばあちゃんは価値を受け取っていません。
「ウソ」を教えられて、
「必要の無いもの」を買わされているのです。
でも、おばあちゃんは携帯電話に詳しくないので、
店員さんの言うことを信じるしかありません。
それと同じ事が、
スピリチュアル業界ではまかり通っています。
例えば、パワーストーン。
「石のエネルギー」を感じられない人間が、
「これはパワーがありますよ!」と言って、
ウソをついて売るわけです。
でも、それは、
携帯電話について何もわかっていない
携帯電話ショップの店員と同じです。
石のエネルギ−を感じていないくせに、
パワーがありますよというのは、真っ赤なウソなのです。
なぜなら、全体から見て、
パワーのある石は少ないからです。
そういう事実すらわかっていない様であれば、
その人は石のエネルギーについてなど、何もわかっていません。
携帯電話の場合、問題になるのは、
適当な説明で契約させられた人は、
後になってウソを付かれたことに【 気付くから 】です。
パワーストーンの場合は、
「買った人が、売る人間のウソに気付かない」から、
問題にはならず、売る方は詐欺を続けられるのです。
私が、
・スピリチュアルにしろ、
・心理にしろ、
・ビジネスコンサルにしろ、
同業批判を繰り返すのは、
【 消費者を守りたいから 】です。
消費者には、無駄なお金を使って欲しくないからです。
先ほどの携帯電話の例で言うと、
悪いのは「おばあちゃん」でしょうか?
「携帯電話の店員」でしょうか?
おばあちゃんは素人なんだから、
基本的にはプロを信用するしかありません。
でも、相手が素人なのを良いことに、
適当なウソの説明でも売れて良かったと喜んでいるようでは、
その人は、詐欺師と変わりません。
売る側が訴えられないのは、
【 相手が、騙されたことに気付いていないから 】です。
別に、パワーストーンだけで無く、
精神科医やカウンセラー、ビジネスコンサルでも同じです。
相手が素人なのを良いことに、
結果が出ない適当な内容を教えている人がなんと多い事か。
結局、消費者の意識が高まらないと、
売る側はそれに甘えて、詐欺を続けるのです。
だから、私は消費者の意識を高めるために、
事実を伝え続けるのです。
消費者の意識を高めることで、
詐欺は行われにくくなるからです。
私は基本的に、消費者の味方です。
だからこそ、商売する側には厳しいのです。
「商売する側に甘い」とすれば、
それは、
【 最終的にお金を払う消費者を舐めている 】という事です。
携帯電話の店員に、
「俺のノウハウがあれば、売上げが上がるだろ!?」
と、教える側では無く、
おばあちゃんに、
あそこの携帯電話ショップの店員は、
何もよく分かっていない無能店員だから、
「まっとうな店員」と「そうでない店員」の、
見極め方を教えてあげるね
と、教える側なのです。
結局、ビジネスコンサルの連中の多くも、
末端の消費者の事よりも、
自分のクライアントの売上げの方が大切なのです。
その分だけ、末端の消費者に「無駄な負担」を強いているのです。
私は、商売をするという事は、
「他人から効率良くお金を奪うこと」では無く、
【 他人に価値を与え、まっとうな対価を受け取ること 】
だと思っています。
つまり、価値を与えなければ、
対価(お金)を受け取る資格が無いと思うわけです。
しかし、ここで問題なのは、
消費者が価値のないものを売られた事に気付かない限り、
【 詐欺師は詐欺を続ける 】という事です。
しかも、
・スピリチュアル業界
・心理業界
・ビジネスコンサル業界
の多くの連中は、
自分が悪徳商法を行っている事に対して、
無自覚です。
本当に、相手に価値を与えたのか?
そんな事は意識に上らないくらい、無責任なのです。
「中井さんは同業批判ばっかりで厳しいですね!」
ではなく、
「中井さんは消費者を守る為に一生懸命で優しいですね!」
なのです。
あなたは、「素人のおばあちゃんの味方」より、
「無責任な携帯電話の販売員の味方をするのか?」
っていう話なのです。
どっちに優しく接して、どっちに厳しく接するべきか、
カンタンな話なのです。
でも、ここでまた問題があって、
おばあちゃんが、
【「自分が騙された」と思いたくない人 】だった場合。
私が、「あの人は悪徳商法の人ですよ!」と教えようとしても、
【 私が信じている優しいあの人を否定しないで! 】
と、おばあちゃんが「販売員の味方」をし始めます。
自分の事を
・騙されるバカな人間
・愚かな選択を行った人間
・他人の見抜く目が無い人間
だと思いたくないのでしょう。
そういう人は、救いようが無いですけどね。
カルト宗教だって、教祖が犯罪で逮捕されても、
「私はあの人を信じ続けます!」と、
【 教祖の味方を続ける信者 】はいますからね。
それと同じ事です。
精神力の弱い人は、現実を視たくないのです。
私は、自分の啓蒙活動を通じて、
多くの人の「無駄銭(死に金)」を救ってきたと思っています。
詐欺師に流れるお金を、減らしたと思っています。
価値のないものを買うくらないなら、
何も買わない方がまだマシですから。
私が、詐欺師を詐欺師だと説明しても、
「詐欺師を信じ続けたい人」も存在していて、
そういう人からすれば、私は非道いヤツなんでしょうけど(笑)
どっちが優しい人なのか?
それくらいは理解して頂きたいですが、
精神力の弱いチキンの人間は、
恐怖で頭が真っ白になって、思考力を失っているので、
【 誰が優しくて、誰が酷い人間なのか? 】
それを、逆転させて見てしまうようですね。
「本人に騙すつもりがあったのかどうか?」
が大事らしいです。
しかし、私の個人的な定義では、
「実際には価値のないモノ」「相手に必要ないモノ」を、
価値があるかのように見せかけて売ってお金を取ったら、
それは、「詐欺と変わらない」と思う訳です。
別に「詐欺」って言う事が使いやすいだけで、
【 悪徳商法・悪徳営業 】と言っても良いです。
例えば、
携帯電話を買いたい!と思ったおばあちゃんが、
携帯電話ショップに行くとします。
そこの店員が、
「電話機」にも詳しくなく、
「契約内容」についても良くわかっていないのに、
適当なウソの説明で「これがいいですよ!」と、
おばあちゃんに携帯電話を売ってしまったら、
おばあちゃんは価値を受け取っていません。
「ウソ」を教えられて、
「必要の無いもの」を買わされているのです。
でも、おばあちゃんは携帯電話に詳しくないので、
店員さんの言うことを信じるしかありません。
それと同じ事が、
スピリチュアル業界ではまかり通っています。
例えば、パワーストーン。
「石のエネルギー」を感じられない人間が、
「これはパワーがありますよ!」と言って、
ウソをついて売るわけです。
でも、それは、
携帯電話について何もわかっていない
携帯電話ショップの店員と同じです。
石のエネルギ−を感じていないくせに、
パワーがありますよというのは、真っ赤なウソなのです。
なぜなら、全体から見て、
パワーのある石は少ないからです。
そういう事実すらわかっていない様であれば、
その人は石のエネルギーについてなど、何もわかっていません。
携帯電話の場合、問題になるのは、
適当な説明で契約させられた人は、
後になってウソを付かれたことに【 気付くから 】です。
パワーストーンの場合は、
「買った人が、売る人間のウソに気付かない」から、
問題にはならず、売る方は詐欺を続けられるのです。
私が、
・スピリチュアルにしろ、
・心理にしろ、
・ビジネスコンサルにしろ、
同業批判を繰り返すのは、
【 消費者を守りたいから 】です。
消費者には、無駄なお金を使って欲しくないからです。
先ほどの携帯電話の例で言うと、
悪いのは「おばあちゃん」でしょうか?
「携帯電話の店員」でしょうか?
おばあちゃんは素人なんだから、
基本的にはプロを信用するしかありません。
でも、相手が素人なのを良いことに、
適当なウソの説明でも売れて良かったと喜んでいるようでは、
その人は、詐欺師と変わりません。
売る側が訴えられないのは、
【 相手が、騙されたことに気付いていないから 】です。
別に、パワーストーンだけで無く、
精神科医やカウンセラー、ビジネスコンサルでも同じです。
相手が素人なのを良いことに、
結果が出ない適当な内容を教えている人がなんと多い事か。
結局、消費者の意識が高まらないと、
売る側はそれに甘えて、詐欺を続けるのです。
だから、私は消費者の意識を高めるために、
事実を伝え続けるのです。
消費者の意識を高めることで、
詐欺は行われにくくなるからです。
私は基本的に、消費者の味方です。
だからこそ、商売する側には厳しいのです。
「商売する側に甘い」とすれば、
それは、
【 最終的にお金を払う消費者を舐めている 】という事です。
携帯電話の店員に、
「俺のノウハウがあれば、売上げが上がるだろ!?」
と、教える側では無く、
おばあちゃんに、
あそこの携帯電話ショップの店員は、
何もよく分かっていない無能店員だから、
「まっとうな店員」と「そうでない店員」の、
見極め方を教えてあげるね
と、教える側なのです。
結局、ビジネスコンサルの連中の多くも、
末端の消費者の事よりも、
自分のクライアントの売上げの方が大切なのです。
その分だけ、末端の消費者に「無駄な負担」を強いているのです。
私は、商売をするという事は、
「他人から効率良くお金を奪うこと」では無く、
【 他人に価値を与え、まっとうな対価を受け取ること 】
だと思っています。
つまり、価値を与えなければ、
対価(お金)を受け取る資格が無いと思うわけです。
しかし、ここで問題なのは、
消費者が価値のないものを売られた事に気付かない限り、
【 詐欺師は詐欺を続ける 】という事です。
しかも、
・スピリチュアル業界
・心理業界
・ビジネスコンサル業界
の多くの連中は、
自分が悪徳商法を行っている事に対して、
無自覚です。
本当に、相手に価値を与えたのか?
そんな事は意識に上らないくらい、無責任なのです。
「中井さんは同業批判ばっかりで厳しいですね!」
ではなく、
「中井さんは消費者を守る為に一生懸命で優しいですね!」
なのです。
あなたは、「素人のおばあちゃんの味方」より、
「無責任な携帯電話の販売員の味方をするのか?」
っていう話なのです。
どっちに優しく接して、どっちに厳しく接するべきか、
カンタンな話なのです。
でも、ここでまた問題があって、
おばあちゃんが、
【「自分が騙された」と思いたくない人 】だった場合。
私が、「あの人は悪徳商法の人ですよ!」と教えようとしても、
【 私が信じている優しいあの人を否定しないで! 】
と、おばあちゃんが「販売員の味方」をし始めます。
自分の事を
・騙されるバカな人間
・愚かな選択を行った人間
・他人の見抜く目が無い人間
だと思いたくないのでしょう。
そういう人は、救いようが無いですけどね。
カルト宗教だって、教祖が犯罪で逮捕されても、
「私はあの人を信じ続けます!」と、
【 教祖の味方を続ける信者 】はいますからね。
それと同じ事です。
精神力の弱い人は、現実を視たくないのです。
私は、自分の啓蒙活動を通じて、
多くの人の「無駄銭(死に金)」を救ってきたと思っています。
詐欺師に流れるお金を、減らしたと思っています。
価値のないものを買うくらないなら、
何も買わない方がまだマシですから。
私が、詐欺師を詐欺師だと説明しても、
「詐欺師を信じ続けたい人」も存在していて、
そういう人からすれば、私は非道いヤツなんでしょうけど(笑)
どっちが優しい人なのか?
それくらいは理解して頂きたいですが、
精神力の弱いチキンの人間は、
恐怖で頭が真っ白になって、思考力を失っているので、
【 誰が優しくて、誰が酷い人間なのか? 】
それを、逆転させて見てしまうようですね。
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2017年06月21日
「善意」と「歪んだ愛情」
昨日は、「悪意を持った存在」について書きましたから、
次は、「善意」について書きたいと思います。
創造主は、
宇宙の法則の枠内で「創造可能なモノ」を、
全て創造します。
つまり、この世に「悪意が存在する」とすれば、
その裏側で、「善意も存在する」という事です。
この事は、
「陰陽表裏一体」や「コインの裏表」などと言われます。
つまり、この宇宙では、
「極端な悪意」も創造されていますし、
「極端な善意」も創造されているのです。
私は「悪意」を、
【 自己の為に他を犠牲にする事に抵抗がなく、
さらに「積極的な攻撃性」を持った精神的主義 】
という風に表現したいと思います。
「善意」はその逆ですから、
【 自己の「損得・利害」に関係無く、
むしろ自分に一時的に負荷が掛かろうとも
「全体に奉仕」しようとする精神的主義 】
という風に表現したいと思います。
創造主の創り出す宇宙というのは、
【 善意と悪意のせめぎ合い 】であり、
その中で起こる様々なドラマを、私たちは経験しているのです。
ですから「極端な善意」も「極端な悪意」も、
その両方が、この世に存在しているのです。
でも、人によって性善説であったり、性悪説であったりで、
「悪意の存在」を認められなかったり、
「善意の存在」を認められなかったりします。
陰陽表裏一体なんだから、
【「どっちもいる」っちゅーに! 】って話なんですけど(笑)
「極悪人」もいれば、「聖人・偉人」もいるのが、この地球です。
昨日は、「悪意が存在する」という話を書きましたから、
今日は善意について書きますが、
人によっては、
「他人の善意を信じられない」という人が存在しています。
・どうせ裏があるんだろ?
・どうせ保身に走るんだろ?
という「斜に構えた態度」で、他人を見ているのです。
そういう人は、
なぜ「他人の善意」を素直に信じられないのでしょう?
この理由が最近明確にわかりましたが、
他人の善意を信じられない人は、
【「愛される」という事 】がわからないのです。
「愛される感覚」がわからない。
「愛とは何か?」がわからない。
だから、他人を信頼することもできません。
私は、両親から深く愛されている事を感じています。
だから、両親からたとえ
「厳しい事」や「ネガティブな事」を言われても、
【 自分の事を心配して言ってくれてるんだな〜 】
と、そこから愛を感じる事ができます。
私は両親からの愛を感じ、両親を信頼しているのです。
でも、「愛される感覚」が解らない人は、
【 自分の「目先の感情」を満たしてくれるかどうか? 】
を、「愛の基準」にしてしまっています。
つまり、他人から「厳しい事」や「ネガティブな事」を言われて、
自分が少しでも「ネガティブな感情」を感じたら、
その瞬間に、「自分は愛されていないんだ!」
と、解釈してしまうのです。
本当の愛は、「厳しさ」も含むのに、
「厳しい愛」を受け取っても、
【 自分は愛されていない 】と解釈してしまうのです。
なぜ、そういう風な考えになってしまうのでしょう?
全員とは言いませんが、ほとんどの場合、
両親から「歪んだ愛情」を浴びて育ってきたからでしょう。
親から「愛が込められたポジティブな叱られ方」
などされたことなど無いのでしょう。
愛が解らない人の多くは、【「自分の親」を恨んでいる 】と思います。
でも、「親を恨んじゃいけない」という儒教的な思想に囚われ、
その恨みの感情すら、抑圧してしまっています。
でも、本当に親を許したければ、
まず、「親を恨んでいる自分の気持ち」を、正直に認める必要があります。
「恨み」を認めてこそ、次に「許す事」が可能になるのです。
私は「心理」と「宇宙の法則」のプロフェッショナルとして言いますが、
【 親を恨むこと 】は、なんら悪い事ではありません。
「素晴らしい親」もいれば、「ろくでもない親」もいるのです。
全ての子の親が、成熟している訳がありませんからね。
親から虐待されたら、親を恨んでもいいですよ。
素直に恨んだ次に、許しがあるのです。
「恨み」を抑圧していたら、永遠に許せません。
本当は「恨みの気持ち」があるのに、
その「恨みの気持ち」を認めずに許そうとしても、
許せる訳がありません。
「腐った弁当箱」の中身をキレイにするには、
弁当箱を開ける必要があります。
箱を開けずに、「腐った中身」を触らずして、
弁当箱の中身をキレイにする方法はないのです。
まず、「腐った中身」の存在を認め、向き合わなければ、
弁当箱はキレイにできないのです。
もし自分が「他人の善意」を信頼しているのであれば、
その他人が「自分にとって理解不能な行為」をしても、
自分に「ネガティブ感情が沸くこと」をしてきても、
【 きっと、自分の為を思ってやってくれてるんだな〜 】
と、思えます。
まぁ、それも度が行き過ぎると、
「カルト宗教の教祖を盲信する信者」になってしまうので、
バランスが大切です。
カルト宗教の盲信者は、
善意を認めていても、悪意を認めていないから、
「教祖が悪意を持っている可能性」を見抜けず、
教祖に騙されるのです。
「悪意」を認められなくても、「善意」を認められなくても、
どちらにしてもバランスが崩れ、現実に害が及ぶ…
と言うことです。
人間関係でトラブルがある人は、
「性善説と性悪説のバランス」が取れていないのです。
善意も悪意もどちらもあるのに、
どちらかを否定していて、その存在を認めていないのです。
そして、「他人の善意を信じられない人」は、
多くの場合、【 親を恨んでいる 】という事です。
自分にとって一番身近な「親」を信じられないのに、
他人を信じられる訳がありませんからね。
自分の親を許さなければ、
「他人の善意を信じる事」など出来ないでしょうし、
もし目の前に「善意の人」が現れても、
「その人の善意」が見抜けないでしょう。
そして、親を許したければ、
まず、「親を恨んでいる自分の気持ち」を、
【 素直に、正直に認める事 】です。
「親を敬え」っていうのは、儒教の教えです。
でも、全ての親が「尊敬できる対象」であるハズがありません。
どちらかというと、「未熟な親」の方が、圧倒的多数でしょう。
でも、その親を選んで産まれてきたのは、
「自分で自分に課した修行」なのです。
親を恨んでいる人は、親を許さない限り、
「他人を信頼すること」など絶対に出来ないでしょう。
この世には、
「信頼に足る人」もいるし、「信頼できない人」もいます。
親を許さなければ、
そういう人たちの差を見抜く眼力すら持てません。
ネガティブな親に育てられたからこそのメリットも、
たくさんあるハズです。
親の持つ「ネガティブ面のメリット」を理解し、
親のネガティブさを許す事は、
あらゆる人間関係をポジティブにしていく上で、
避けられない課題です。
私の善意を理解できない人も、
結局は、親から「歪んだ愛情」で育てられてしまって、
他人の善意を信じられない、他人を信頼できない
だから、「目先の感情」で愛を計ってしまう。
・「愛」って何?
・「愛される感覚」ってどんなの?
・どうやったら「他人の善意」を信じられるの?
って感じで、
【 愛のある厳しさ、ポジティブな叱り 】
が、理解不能なのです。
そして、ネガティブな自分の両親も、
また祖父母からネガティブな教育を受けて育ってきた訳で、
これは、先祖代々受け継がれてきた「ネガティブ連鎖」なのです。
それを、【 自分の代で断ち切るかどうか? 】
は、自分次第なのです。
次は、「善意」について書きたいと思います。
創造主は、
宇宙の法則の枠内で「創造可能なモノ」を、
全て創造します。
つまり、この世に「悪意が存在する」とすれば、
その裏側で、「善意も存在する」という事です。
この事は、
「陰陽表裏一体」や「コインの裏表」などと言われます。
つまり、この宇宙では、
「極端な悪意」も創造されていますし、
「極端な善意」も創造されているのです。
私は「悪意」を、
【 自己の為に他を犠牲にする事に抵抗がなく、
さらに「積極的な攻撃性」を持った精神的主義 】
という風に表現したいと思います。
「善意」はその逆ですから、
【 自己の「損得・利害」に関係無く、
むしろ自分に一時的に負荷が掛かろうとも
「全体に奉仕」しようとする精神的主義 】
という風に表現したいと思います。
創造主の創り出す宇宙というのは、
【 善意と悪意のせめぎ合い 】であり、
その中で起こる様々なドラマを、私たちは経験しているのです。
ですから「極端な善意」も「極端な悪意」も、
その両方が、この世に存在しているのです。
でも、人によって性善説であったり、性悪説であったりで、
「悪意の存在」を認められなかったり、
「善意の存在」を認められなかったりします。
陰陽表裏一体なんだから、
【「どっちもいる」っちゅーに! 】って話なんですけど(笑)
「極悪人」もいれば、「聖人・偉人」もいるのが、この地球です。
昨日は、「悪意が存在する」という話を書きましたから、
今日は善意について書きますが、
人によっては、
「他人の善意を信じられない」という人が存在しています。
・どうせ裏があるんだろ?
・どうせ保身に走るんだろ?
という「斜に構えた態度」で、他人を見ているのです。
そういう人は、
なぜ「他人の善意」を素直に信じられないのでしょう?
この理由が最近明確にわかりましたが、
他人の善意を信じられない人は、
【「愛される」という事 】がわからないのです。
「愛される感覚」がわからない。
「愛とは何か?」がわからない。
だから、他人を信頼することもできません。
私は、両親から深く愛されている事を感じています。
だから、両親からたとえ
「厳しい事」や「ネガティブな事」を言われても、
【 自分の事を心配して言ってくれてるんだな〜 】
と、そこから愛を感じる事ができます。
私は両親からの愛を感じ、両親を信頼しているのです。
でも、「愛される感覚」が解らない人は、
【 自分の「目先の感情」を満たしてくれるかどうか? 】
を、「愛の基準」にしてしまっています。
つまり、他人から「厳しい事」や「ネガティブな事」を言われて、
自分が少しでも「ネガティブな感情」を感じたら、
その瞬間に、「自分は愛されていないんだ!」
と、解釈してしまうのです。
本当の愛は、「厳しさ」も含むのに、
「厳しい愛」を受け取っても、
【 自分は愛されていない 】と解釈してしまうのです。
なぜ、そういう風な考えになってしまうのでしょう?
全員とは言いませんが、ほとんどの場合、
両親から「歪んだ愛情」を浴びて育ってきたからでしょう。
親から「愛が込められたポジティブな叱られ方」
などされたことなど無いのでしょう。
愛が解らない人の多くは、【「自分の親」を恨んでいる 】と思います。
でも、「親を恨んじゃいけない」という儒教的な思想に囚われ、
その恨みの感情すら、抑圧してしまっています。
でも、本当に親を許したければ、
まず、「親を恨んでいる自分の気持ち」を、正直に認める必要があります。
「恨み」を認めてこそ、次に「許す事」が可能になるのです。
私は「心理」と「宇宙の法則」のプロフェッショナルとして言いますが、
【 親を恨むこと 】は、なんら悪い事ではありません。
「素晴らしい親」もいれば、「ろくでもない親」もいるのです。
全ての子の親が、成熟している訳がありませんからね。
親から虐待されたら、親を恨んでもいいですよ。
素直に恨んだ次に、許しがあるのです。
「恨み」を抑圧していたら、永遠に許せません。
本当は「恨みの気持ち」があるのに、
その「恨みの気持ち」を認めずに許そうとしても、
許せる訳がありません。
「腐った弁当箱」の中身をキレイにするには、
弁当箱を開ける必要があります。
箱を開けずに、「腐った中身」を触らずして、
弁当箱の中身をキレイにする方法はないのです。
まず、「腐った中身」の存在を認め、向き合わなければ、
弁当箱はキレイにできないのです。
もし自分が「他人の善意」を信頼しているのであれば、
その他人が「自分にとって理解不能な行為」をしても、
自分に「ネガティブ感情が沸くこと」をしてきても、
【 きっと、自分の為を思ってやってくれてるんだな〜 】
と、思えます。
まぁ、それも度が行き過ぎると、
「カルト宗教の教祖を盲信する信者」になってしまうので、
バランスが大切です。
カルト宗教の盲信者は、
善意を認めていても、悪意を認めていないから、
「教祖が悪意を持っている可能性」を見抜けず、
教祖に騙されるのです。
「悪意」を認められなくても、「善意」を認められなくても、
どちらにしてもバランスが崩れ、現実に害が及ぶ…
と言うことです。
人間関係でトラブルがある人は、
「性善説と性悪説のバランス」が取れていないのです。
善意も悪意もどちらもあるのに、
どちらかを否定していて、その存在を認めていないのです。
そして、「他人の善意を信じられない人」は、
多くの場合、【 親を恨んでいる 】という事です。
自分にとって一番身近な「親」を信じられないのに、
他人を信じられる訳がありませんからね。
自分の親を許さなければ、
「他人の善意を信じる事」など出来ないでしょうし、
もし目の前に「善意の人」が現れても、
「その人の善意」が見抜けないでしょう。
そして、親を許したければ、
まず、「親を恨んでいる自分の気持ち」を、
【 素直に、正直に認める事 】です。
「親を敬え」っていうのは、儒教の教えです。
でも、全ての親が「尊敬できる対象」であるハズがありません。
どちらかというと、「未熟な親」の方が、圧倒的多数でしょう。
でも、その親を選んで産まれてきたのは、
「自分で自分に課した修行」なのです。
親を恨んでいる人は、親を許さない限り、
「他人を信頼すること」など絶対に出来ないでしょう。
この世には、
「信頼に足る人」もいるし、「信頼できない人」もいます。
親を許さなければ、
そういう人たちの差を見抜く眼力すら持てません。
ネガティブな親に育てられたからこそのメリットも、
たくさんあるハズです。
親の持つ「ネガティブ面のメリット」を理解し、
親のネガティブさを許す事は、
あらゆる人間関係をポジティブにしていく上で、
避けられない課題です。
私の善意を理解できない人も、
結局は、親から「歪んだ愛情」で育てられてしまって、
他人の善意を信じられない、他人を信頼できない
だから、「目先の感情」で愛を計ってしまう。
・「愛」って何?
・「愛される感覚」ってどんなの?
・どうやったら「他人の善意」を信じられるの?
って感じで、
【 愛のある厳しさ、ポジティブな叱り 】
が、理解不能なのです。
そして、ネガティブな自分の両親も、
また祖父母からネガティブな教育を受けて育ってきた訳で、
これは、先祖代々受け継がれてきた「ネガティブ連鎖」なのです。
それを、【 自分の代で断ち切るかどうか? 】
は、自分次第なのです。
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2017年06月20日
悪意を持った存在はいる
ちょっとスピリチュアルの話をします。
スピリチュアルの情報ではよく、
【 宇宙は「無条件の愛」によって創られている 】
などという話があります。
私も、もちろんその通りだと思っていますが、
多くの人は、「無条件の愛」を誤解しているように思います。
無条件の愛というのは、
・誰かがどれだけ酷い目に遭おうとも、それすら許す
・誰かがどれだけ残酷な行為を行おうとも、それすら許す
という事です。
残酷さ、冷酷さ、非情さ、残忍、凶悪、無慈悲、悪意…、
それら【「愛という言葉」と真反対に思えそうな要素 】も、
それらも含めて、全てを許しているのが「無条件の愛」です。
つまり、創造主は、
「蚊」や「ゴキブリ」などの存在も許しているという事です。
創造主が、「蚊」や「ゴキブリ」の存在を許しているからこそ、
彼らは、存在できているのです。
創造主は、
「宇宙の法則の枠内」で創造できるモノは
全て創造しますからね。
創造主は、
「蚊」の存在も許し、「ゴキブリ」の存在も許し、
「強盗」の存在も許し、「拷問」の存在も許し、
「コンピュータウイルス」の存在も許し、
「スパムメール」の存在も許し、「無差別殺人」の存在も許し、
「詐欺」の存在も許し、「戦争」の存在も許しているのです。
ありとあらゆるネガティブを許しているのが、創造主です。
この世にある全ては、
創造主が許しているから、存在できているのです。
そして、創造主はネガティブも含め、全ての存在を許します。
つまり、創造主は
「善意の存在」を許すと同時に、
「悪意の存在」も許しているのです。
この宇宙には、確かに【 悪意は存在している 】という事です。
「悪意なんて無い」というのは、ただの【 現実逃避 】です。
悪意をもっと具体的に言うと、
【 自分の生存や快楽のために、
他の存在を傷つける事に罪悪感や抵抗がない 】
という事です。
「蚊」や「ダニ」は、動物の血を吸うのに、罪悪感があるでしょうか?
「蜘蛛」は、巣を張って虫を捕らえ、捕食するのに罪悪感があるでしょうか?
「菌」や「ウイルス」は、人を病気にするのに、罪悪感を持つでしょうか?
「寄生虫」が、宿主に罪悪感を持つでしょうか?
そんなモノはありません。
自然界では、自分が生きながらえるために、
抵抗もなく他を犠牲にする生物がたくさん存在しています。
当たり前の事ですよね?
じゃあ、それがスピリチュアルの領域になると、
【「悪霊」や「邪気」という存在 】になります。
「悪霊」や「邪気」は、悪意の存在です。
「蚊・ダニ・ゴキブリ・蜘蛛・菌・ウイルス・寄生虫」などと同じです。
インターネットで見ましたが、
人間を一番殺している動物は、「蚊」らしいです。
蚊は、知らない間に病原菌を運び、人を病気にします。
もし、現代の科学や医療を知らない人々であれば、
病気になった理由が「蚊」だとは思わないかもしれません。
でも、「蚊」は知らない間に、人を病気にして、殺すのです。
それと同じ事が、目に見えない領域でも起こっていて、
それが、私の言う「邪気」や「悪霊」なのです。
蚊が原因だとわかっている人は、蚊に対策をするでしょう。
でも、蚊が病気の原因だなんて信じられない!
と言う人は、対策などしないでしょう。
邪気・悪霊が「心身の調子」や「運気」を
著しく悪くすると解っている人は、
邪気対策を真剣にやります。
そうで無い人は、何の危機感も持たないでしょう。
「この世には、悪意をもった存在が居る」と理解するから、
危機感が高まり、対策も講じられるのです。
「悪意を持った存在が居ない」というのは、
ただの【 平和ボケ 】の【 現実逃避 】です。
私は、商売に関しても、スピリチュアルに関しても、
危険性を理解し、危機感を持っているから、真剣で慎重なのです。
危険性を理解しない人は、危機感を持ちません。
危機感を持たないから、真剣にもならないし、慎重にもなりません。
結果、自分の行動が甘く、ヌルくなって、
自分の望まぬ結果を招いてしまう事になるのです。
私がいつも、【 現実は厳しい 】と言うのには、
確固たる根拠があるのです。
人間関係も、商売も、スピリチュアルも、
現実には至る所に危険性が潜んでいるからこそ、
強い危機感が湧いてきて、行動が真剣・慎重になり、
結果的に、「危険」や「危機」を回避できるのです。
平和ボケして、現実が甘いと思っている人は、
行動がそもそも甘く、ヌルくなってしまいます。
【 甘い考えの人が、一体どういう末路を辿るのか? 】
そもそも、そういう事が解っておらず、
まったくの世間知らずの様ですね。
悪意を持った存在は、絶対に存在しているからこそ、
【 悪意を持った存在から身を守る術 】も、必要不可欠なのです。
目に見える領域なら、
蚊・ゴキブリ・ヒル・寄生虫
菌・ウイルス・カビ・
泥棒・強盗・詐欺
などかもしれませんが、
「目に見えない領域」にもたっぷりと存在しています。
インフルエンザが存在していて、
除菌対策するのは、現代では当然でしょう?
それと同じく、邪気・悪霊も存在しているのに、
スピリチュアルの領域になると、
急に「邪気・悪霊の存在」を否定し始める人たちがいます。
そういう人は、論理的に考えるのが苦手の様ですね。
詳しくないのに、自分の狭い先入観で否定するって、
よほどアタマを使っていないです。
この宇宙に、この世に、悪意を持った存在は居るのです。
まず、その事実を認めないと、
アタマを使わず、現実逃避し続けているという事です。
「菌やウイルスなんて存在していない!」って言う人は、
菌やウイルスに対策もせず、
菌やウイルスのせいで病気になっても、
【 適切な治療を行えない 】という事です。
そして、菌やウイルスにむざむざ殺されるハメになるのです。
「蚊を殺さずに助けて、蚊の命を救った!」と言う人は、
ウイルスに対しても除菌せず、病気で死ぬことになるでしょう。
そもそも、人間の体内には、
身体に害ある菌やウイルスに抵抗し、
殺すシステムが備わっていますけどね。
人間である限り、知らない間に
菌やウイルスを殺しまくってますけど。
「身体の立場」からすれば、自分を守る為に、
蚊も殺せるなら殺したいと思っているでしょう。
だからこそ、蚊は血を吸うときに、
身体に気付かれないようにしているのです。
悪意のある存在から自分の身を守る事は、大切な事です。
悪意のある存在に対して過保護にしても、
それはバランスを取るポジティブな行為とは言えないのです。
スピリチュアルの情報ではよく、
【 宇宙は「無条件の愛」によって創られている 】
などという話があります。
私も、もちろんその通りだと思っていますが、
多くの人は、「無条件の愛」を誤解しているように思います。
無条件の愛というのは、
・誰かがどれだけ酷い目に遭おうとも、それすら許す
・誰かがどれだけ残酷な行為を行おうとも、それすら許す
という事です。
残酷さ、冷酷さ、非情さ、残忍、凶悪、無慈悲、悪意…、
それら【「愛という言葉」と真反対に思えそうな要素 】も、
それらも含めて、全てを許しているのが「無条件の愛」です。
つまり、創造主は、
「蚊」や「ゴキブリ」などの存在も許しているという事です。
創造主が、「蚊」や「ゴキブリ」の存在を許しているからこそ、
彼らは、存在できているのです。
創造主は、
「宇宙の法則の枠内」で創造できるモノは
全て創造しますからね。
創造主は、
「蚊」の存在も許し、「ゴキブリ」の存在も許し、
「強盗」の存在も許し、「拷問」の存在も許し、
「コンピュータウイルス」の存在も許し、
「スパムメール」の存在も許し、「無差別殺人」の存在も許し、
「詐欺」の存在も許し、「戦争」の存在も許しているのです。
ありとあらゆるネガティブを許しているのが、創造主です。
この世にある全ては、
創造主が許しているから、存在できているのです。
そして、創造主はネガティブも含め、全ての存在を許します。
つまり、創造主は
「善意の存在」を許すと同時に、
「悪意の存在」も許しているのです。
この宇宙には、確かに【 悪意は存在している 】という事です。
「悪意なんて無い」というのは、ただの【 現実逃避 】です。
悪意をもっと具体的に言うと、
【 自分の生存や快楽のために、
他の存在を傷つける事に罪悪感や抵抗がない 】
という事です。
「蚊」や「ダニ」は、動物の血を吸うのに、罪悪感があるでしょうか?
「蜘蛛」は、巣を張って虫を捕らえ、捕食するのに罪悪感があるでしょうか?
「菌」や「ウイルス」は、人を病気にするのに、罪悪感を持つでしょうか?
「寄生虫」が、宿主に罪悪感を持つでしょうか?
そんなモノはありません。
自然界では、自分が生きながらえるために、
抵抗もなく他を犠牲にする生物がたくさん存在しています。
当たり前の事ですよね?
じゃあ、それがスピリチュアルの領域になると、
【「悪霊」や「邪気」という存在 】になります。
「悪霊」や「邪気」は、悪意の存在です。
「蚊・ダニ・ゴキブリ・蜘蛛・菌・ウイルス・寄生虫」などと同じです。
インターネットで見ましたが、
人間を一番殺している動物は、「蚊」らしいです。
蚊は、知らない間に病原菌を運び、人を病気にします。
もし、現代の科学や医療を知らない人々であれば、
病気になった理由が「蚊」だとは思わないかもしれません。
でも、「蚊」は知らない間に、人を病気にして、殺すのです。
それと同じ事が、目に見えない領域でも起こっていて、
それが、私の言う「邪気」や「悪霊」なのです。
蚊が原因だとわかっている人は、蚊に対策をするでしょう。
でも、蚊が病気の原因だなんて信じられない!
と言う人は、対策などしないでしょう。
邪気・悪霊が「心身の調子」や「運気」を
著しく悪くすると解っている人は、
邪気対策を真剣にやります。
そうで無い人は、何の危機感も持たないでしょう。
「この世には、悪意をもった存在が居る」と理解するから、
危機感が高まり、対策も講じられるのです。
「悪意を持った存在が居ない」というのは、
ただの【 平和ボケ 】の【 現実逃避 】です。
私は、商売に関しても、スピリチュアルに関しても、
危険性を理解し、危機感を持っているから、真剣で慎重なのです。
危険性を理解しない人は、危機感を持ちません。
危機感を持たないから、真剣にもならないし、慎重にもなりません。
結果、自分の行動が甘く、ヌルくなって、
自分の望まぬ結果を招いてしまう事になるのです。
私がいつも、【 現実は厳しい 】と言うのには、
確固たる根拠があるのです。
人間関係も、商売も、スピリチュアルも、
現実には至る所に危険性が潜んでいるからこそ、
強い危機感が湧いてきて、行動が真剣・慎重になり、
結果的に、「危険」や「危機」を回避できるのです。
平和ボケして、現実が甘いと思っている人は、
行動がそもそも甘く、ヌルくなってしまいます。
【 甘い考えの人が、一体どういう末路を辿るのか? 】
そもそも、そういう事が解っておらず、
まったくの世間知らずの様ですね。
悪意を持った存在は、絶対に存在しているからこそ、
【 悪意を持った存在から身を守る術 】も、必要不可欠なのです。
目に見える領域なら、
蚊・ゴキブリ・ヒル・寄生虫
菌・ウイルス・カビ・
泥棒・強盗・詐欺
などかもしれませんが、
「目に見えない領域」にもたっぷりと存在しています。
インフルエンザが存在していて、
除菌対策するのは、現代では当然でしょう?
それと同じく、邪気・悪霊も存在しているのに、
スピリチュアルの領域になると、
急に「邪気・悪霊の存在」を否定し始める人たちがいます。
そういう人は、論理的に考えるのが苦手の様ですね。
詳しくないのに、自分の狭い先入観で否定するって、
よほどアタマを使っていないです。
この宇宙に、この世に、悪意を持った存在は居るのです。
まず、その事実を認めないと、
アタマを使わず、現実逃避し続けているという事です。
「菌やウイルスなんて存在していない!」って言う人は、
菌やウイルスに対策もせず、
菌やウイルスのせいで病気になっても、
【 適切な治療を行えない 】という事です。
そして、菌やウイルスにむざむざ殺されるハメになるのです。
「蚊を殺さずに助けて、蚊の命を救った!」と言う人は、
ウイルスに対しても除菌せず、病気で死ぬことになるでしょう。
そもそも、人間の体内には、
身体に害ある菌やウイルスに抵抗し、
殺すシステムが備わっていますけどね。
人間である限り、知らない間に
菌やウイルスを殺しまくってますけど。
「身体の立場」からすれば、自分を守る為に、
蚊も殺せるなら殺したいと思っているでしょう。
だからこそ、蚊は血を吸うときに、
身体に気付かれないようにしているのです。
悪意のある存在から自分の身を守る事は、大切な事です。
悪意のある存在に対して過保護にしても、
それはバランスを取るポジティブな行為とは言えないのです。
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2017年06月19日
「はこぶね倶楽部」再入会規定の追加
はこぶね倶楽部は、一度退会すると、
基本的に「再入会不可」にしています。
それにももちろん理由があって、
本人の人生が懸かっている訳ですし、
私も自分の仕事に命を懸けていますから、
【 入会も退会も、覚悟を持って決断して欲しい 】
という想いからです。
それに、入退会を繰り返されると、
ずっと続けているメンバーに対しても不公平ですからね。
しかし、先ほど妻と話していて、
・「辞めたい」という人の気持ちもわかるし、
・「もう一度やり直したい」という人の気持ちもわかる…、
という話を聞いたので、
【「再入会費」というのを設けるのはどうか? 】
というアイデアが湧いていきました。
基本的には入会金を設けていませんが、
再入会を希望される方には、初月の会費とは別に、
【 再入会金5万円で、再入会可能 】というルールです。
しかもこれは、「一人に付き一度限りの特別ルール」です。
このルールなら、私も納得できるかなと思います。
まぁ、お金よりも本人の覚悟の方が試されるでしょうけどね。
戻って来る人いるかな〜?(笑)
でも、私としては人生における「選択のチャンス」だけは、
提供したいですからね。
妻はまだ私ほど非常識に染まっておらず(笑)
一般的な感覚を残していますが、
だからこそ、話していて学びになる事もありますね。
基本的に「再入会不可」にしています。
それにももちろん理由があって、
本人の人生が懸かっている訳ですし、
私も自分の仕事に命を懸けていますから、
【 入会も退会も、覚悟を持って決断して欲しい 】
という想いからです。
それに、入退会を繰り返されると、
ずっと続けているメンバーに対しても不公平ですからね。
しかし、先ほど妻と話していて、
・「辞めたい」という人の気持ちもわかるし、
・「もう一度やり直したい」という人の気持ちもわかる…、
という話を聞いたので、
【「再入会費」というのを設けるのはどうか? 】
というアイデアが湧いていきました。
基本的には入会金を設けていませんが、
再入会を希望される方には、初月の会費とは別に、
【 再入会金5万円で、再入会可能 】というルールです。
しかもこれは、「一人に付き一度限りの特別ルール」です。
このルールなら、私も納得できるかなと思います。
まぁ、お金よりも本人の覚悟の方が試されるでしょうけどね。
戻って来る人いるかな〜?(笑)
でも、私としては人生における「選択のチャンス」だけは、
提供したいですからね。
妻はまだ私ほど非常識に染まっておらず(笑)
一般的な感覚を残していますが、
だからこそ、話していて学びになる事もありますね。
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