2017年05月

2017年05月19日

両立の難易度

ライフワークという言葉も、
使う人によって定義が違いますが、
    
私の定義でカンタンに言うと、
「天職」の意味に近いです。
  
  
でも、天職という言葉には、
「既に存在している職に、自分が適合する」
  
という様なニュアンスを感じるので、
それとは少し違い、私の言うライフワークには、
  
【 自分の情熱に沿う仕事を、ゼロから創り出す 】
  
という意味合いがあります。
  
  
そして最終的に、
    
【「やりたい事(情熱)」と「収入(お金)」の両立 】によって、
  
ライフワークで成功するという意味になります。
  
  
で、何でもそうなんですけど、
  
片一方だけを選び取るのはカンタンでも、
両立って言うのは、難しいのです。
  
  
例えば、自分が畑で作物を作っていて、
ある動物が、畑を荒らしに来るとします。
  
  
すぐに思いつくアイデアは、
  
1.動物を殺す
2.荒されるのを我慢する
  
ですが、この2つなら、
アタマを使う必要はありません。
  
  
でも、
  
【 動物も殺したくないし、畑も守りたい! 】
  
と言うのであれば、アタマを使わなければなりません。
  
  
他にも戦争映画などで、
  
上官が「コイツを殺せ!」って言っても、
「部下が引き金を引けず抵抗する」っていうシーンがあると思います。
  
  
で、その部下って言うのは、
  
「本当にこれは正しい事なんだろうか?」とか、
違和感を感じ、アタマを使っているから、躊躇するのです。
  
  
鈍感でアタマを使っていない人間ほど、上官に従順で、
すぐに引き金を引けると思います(笑)
  
  
商売は、とても難しいですが、
  
お金だけを稼ぐだけなら、
それほど難しい事ではありません。
  
  
でも、【「やりたい事」と「お金」を両立する 】となった瞬間、
難易度が何倍にも膨れ上がります。
  
  
よく、成功している社長で、
  
「やりたい事、好きな事でお金を稼げるわけがない!」
  
って言っている人もいますけど、
それくらい、難しい事だという事です。
  
  
もしかしたら、そういう「お金だけの社長」は、 
  
やりたい事でお金を稼いでいる人が圧倒的に少ないから、
その存在を知らないだけか、
  
もしそういう人を見つけても、
  
自分が「やりたい仕事」をしている訳では無いので、
妬ましくなるのかもしれません。
  
  
ですから、「お金だけを狙う」のであれば、 
わりと早く結果が出せますけど、 
   
【「やりたい事」と「お金」を両立する 】と言うのであれば、
なかなかすぐに結果は出てきません。
  
  
お金だけを得るというゲームより、
何倍も難しい事(両立)に挑戦しているので、当たり前です。
  
  
でも、自分が
【 動物を殺したくないし、作物も守りたい 】という風に、
  
求める理想が高く、「両立でなければ満足できない人間」であれば、
   
もう難しかろうが、両立を目指すしかありません。
  
  
腹を括って、難しいゲームに挑戦するしかないのです。
  
カンタンなゲームで得られる報酬では、満足できない訳ですから。
  
  
私は、仕事において、
  
・情熱
・お金
・時間
・人間関係
  
を、全て両立しています。
  
  
「情熱」と「お金」の両立だけでも難しいのに、
さらに、「時間」と「人間関係」という条件をクリアしています。
  
  
「両立の条件」が増えれば増えるほど、
難易度は倍々ゲームで高まっていくので、
    
単純に、
  
ひとつの条件だけを満たすのでは無く、
四っつの条件を全て満たすという事であれば、
  
単純に2の4乗で、【 16倍以上の難しさ 】という事になります。
  
  
さらに、両親とも仲が良いですし、子育ても問題無く、
  
普通の人が抱えがちな「家庭の問題」もクリアしており、
プライベートも充実しています。
  
  
仕事の4要素で、2の4乗
プライベートの4要素で、2の8乗だとしたら、
  
たった一つの要素だけを得るより、8要素全てを得るなら、
【 256倍の難易度 】という事です(笑)
  
  
それくらい難しいゲームを、私はクリアしてきました。
  
  
「お金だけ」を求めている人より、
私は、256倍難しいゲームをしているのです(笑)
  
  
もちろん、この数字は比喩ですけど、
  
「両立の条件」の数がひとつ、ふたつと増えれば増えるほど、
難易度が格段に増えていくのは、イメージがしやすいと思います。
  
  
ルービックキューブも、4列、5列と、
一列増えるだけで、難易度は劇的に高まります。
  
  
ですから、普通にお金だけを求めて起業するより、
  
ライフワーク起業の方が、何倍も難しいのです。
  
  
まず、学校教育では
「情熱の見つけ方」を教えてもらっていませんから、
  
そこから学ぶ必要がありますしね。
  
  
でも、私は弟子をライフワークで起業させています。
  
  
一人なら、とてもじゃないけどクリア出来ないほどの
超高難易度ゲームでも、
   
【 負担最小限勝つ、最短最速の攻略法 】を教えれば、
クリアは可能なのです。
  
  
それでも、やはり「目に見える結果」を出すまでには、
  
それなりに時間がかかります。
  
  
1ヶ月、2ヶ月ではなく、「数年単位の修行と鍛錬」が必要です。
  
  
それでも、自分が「両立じゃないと満足できない人間」ならば、
  
やるしかないのです。
  
  
金だけ稼げれば良いと言うのであれば、
もっと早いスピードで結果を出す方法はいくらでもあるでしょう。
  
  
でも、それは両立では無く、 
動物を殺して、作物を守るという、「片手落ちの手段」です。
  
何かを犠牲にすることでしか、目的を達成できない訳ですから。
  
  
そして、【 何も犠牲にしたくない! 全てを両立したい! 】
  
という風に、
「求める理想が高い人」は、両立を目指すしかありません。
  
  
両立で無いと、自分の心を満足させる事はできないでしょう。
  
  
ただ、両立は難易度が非常に高くなります。
  
  
一握りの天才を除いて、
独力で成し遂げられる様な、容易な難易度ではありません。
  
  
だからこそ、人から教えてもらって、サポートを受けなければ、
  
到底成し遂げられないほどの、クリア出来ないほどの、難しいゲーム。   
  
  
それが、【 ライフワークで成功する 】というゲームなのです。
  
  
舐めて掛かって、クリア出来るゲームでは決して無いのです。


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2017年05月16日

有名人に対する過大評価

「人類ほぼ全員」に共通するネガティブ観念に、
【 有名人に対する過大評価 】があります。
  
  
私も、昔は「お金持ち」を過大評価していたので、
  
相手が「お金持ち」というだけで、
「スゴイ人なんだ!」と、盲目的に思い込んでいました。
  
  
でも、冷静に考えてみれば、
「何をもってすごいと評価するのか?」よく分かりません。
  
思い直してみれば、「漠然としたイメージ」でしかありません。
  
  
【 お金持ちを過大評価してしまう人の理由 】は、
   
自分がお金を持っていないことに対する劣等感があるからです。
  
  
自分の抱える劣等感により、
「お金を持っていない自分」を実質よりも過小評価している分だけ、
  
逆に、「お金を持っている人」を、実質よりも過大評価してしまうのです。
  
  
  
それと同じ理屈で、ほとんどの人は【 承認欲求 】に飢えています。
   
大勢から「認められていない自分」に、大きな劣等感を感じているのです。
  
  
だからこそ逆に、大勢に認められている有名人を、
  
実際の中身よりも【 過大評価 】してしまうのです。
  
  
【「有名人」=「スゴイ人、自分より格上」】
  
と、盲目的に思い込んでしまう訳です。
  
  
  
でも、私には自分が有名でない事に対する劣等感はありません。
  
ですから、「有名人=スゴイ、格上」という認識はありません。
  
  
相手が有名人だろうが、
  
自分にケンカを売ってくる(議論をふっかけてくる)連中は、
全員「論破」して、返り討ちにしてやるつもりです(笑)
  
  
実際、私のブログは「有名人」と呼ばれる人たちもたくさん読んでいます。
  
(※ テレビ、雑誌、新聞などの「メディア関係者」も読んでいますが。)
   
   
で、その特定の有名人が、
  
私の思想や主張に対してケンカを売る様な発言や異論を、
他所で展開している事もありますが、
   
結局は、相手の方が自分の考えの間違いを認めて、
私の主張に寄ってきていますからね。
  
  
有名人に嫌われたところで、何も怖いことなどありません。
  
  
そもそも、私は日本人に期待してないですし、
  
海外で仕事をすると思うので、
日本の有名人にいくら嫌われても、自分に害はありません(笑)
  
  
なぜ、私にそんなに自信があるか?というと、
  
【 論理は最強だから 】です。  
  
  
数学の数式と同じで、
論理には必ず【 誰もが認めざるを得ない答え 】が存在します。
  
  
そして、その【 絶対的な解 】を理解している私に、
議論を挑むというのが、そもそも無謀な挑戦です。
  
  
数学の世界チャンピオンに、数学で勝負を挑むようなモノです。
  
  
ということで、
私自身、有名人は怖くないし、別段すごいとも思いません。
  
  
政治の世界を見ればわかりますが、
必ずしも優秀な政治家が選出されるとは限りません。
  
知名度だけで、実力が無い人も選ばれたりします。  
    
  
「低レベルな多数の民衆」が支持する人間も、同じく低レベルなのです。
  
  
特に、日本は心理・スピリチュアル後進国ですから、
そもそも、人々の意識レベルが低い訳で、
  
そのレベルの低い人たちが支持する、
心理やスピリチュアルを語っている巷の有名人は、
  
一人残らずレベルが低いですね。
   
   
で、ほとんどの人は【 承認欲求 】に飢えていて、
  
「他人から認められる、認められない」という事に、
  
強い劣等感や優越感を感じています。
  
  
それが、有名人に対する過大評価を生んでいる訳です。
  
  
逆に言うと、
  
【 有名でない自分や他人を、過小評価している 】のです。
  
  
  
という事で、
  
【 有名人=スゴイ 】という価値観を持っている人は、
   
現段階で有名ではない私の実力を、過小評価して舐めている訳です。
   
   
でも、私はおそらく来年以降、有名になります。
  
  
私が有名になった途端、非常に多くの人が、
  
【 手のひらを返したような態度 】を取るでしょう(笑)
  
  
でも、私はそういうのが、めちゃくちゃ大嫌いです。
  
  
映画やドラマでも、
  
相手がスゴイ人だと思った瞬間、急にコロッと態度を変える人って、
   
観客から「気持ち悪い」と思われる役どころです。
  
  
なんの美学も持っていないし、
「自分の保身しか考えない人間だ」ということです。
     
   
結局、
  
【「人を見かけで判断してはいけない」という教訓は大事だよね! 】
  
って言っている人間が、
  
「人を見かけで判断している」という事です。
  
  
イエス・キリストの例もわかりやすいですが、
  
二千年前の存命時点で、
イエスは聖人では無く、「異端者扱い」だったわけです。
    
  
私は「イエス・キリストが好きです!」って言っても、
現時点で大衆から「聖人扱い」されているイエスが好きでも、
  
自分がその二千年前の当時に生きていたら、
  
当時の凡人たちと同じく、
イエスを異端者扱いしてたんじゃ無いか?
  
って話です。
  
  
凡人たちは、人を見かけで判断しているから、
  
【 有名人=スゴイ 】と盲目的に思い込むのです。
  
  
いくら、映画やドラマで、
【 人を見かけで判断してはいけない 】
  
という教訓が描かれていても、
本当は自分も見かけで判断しているくせに、
  
「自分は、たぶん他人を見かけで判断しない人間だぞ!」
   
と、勘違いしている訳です。
  
  
自分が他人を見かけで判断する人間かどうか?は、
    
「承認欲求の強さ(劣等感の強さ)」と比例します。
   
   
・他人から認められていないと価値が無い
・他人から認められる事によって、自分の価値を感じたい
   
  
そういう人間ほど、【 無能な有名人 】を過大評価し、
   
その分だけ、【 無名の天才 】を過小評価するのです。
  
  
ってことで、人を見る目がなくなってしまうわけです。
  
  
精神的な成長に取り組み、
   
【 他人から認められていなくても、自分には価値がある 】
     
そういう風に思えた人間から、私の実質が理解できるでしょう。
  
  
結局、「自分軸」を持っていない人間は、
目に見えるまでわからないのです。
  
  
だから、人を見かけで判断する。 
  
人を見る目が曇っているのです。
  
  
私が近い将来有名になったら、その瞬間、
  
他人がコロッと手のひらを返すのが目に浮かびます。
  
  
でも、そうなってからじゃもう遅いですけどね。
  
  
「他人から認められないこと」に
  
【 恐怖 】や【 劣等感 】を抱いている時点で、
  
    
「人を見る目」など、
【 完全に節穴になっている 】ということなのです。


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2017年05月14日

やる気の源泉

多くの人は、今以上に幸せになりたい、
経済的に恵まれたいという願望を持っています。
  
一方で、それがとても難しい事の様に
感じている人もいるでしょう。
  
  
・幸せになるのはカンタンじゃ無い。
・お金を得るのはカンタンじゃ無い。 
  
そんな風に。
  
  
しかし、自分の望む結果が出せるかどうかは、
「難易度の問題」ではありません。
  
【 やる気の問題でしか無い 】のです。
  
  
人間という生き物は、どんなに難しい事でも、
心の底からやりたい事には、チャレンジするのです。
  
  
しかし、どんなにカンタンな事でも、
やりたくない事は、まったく続かないのです。
  
  
例えば、テレビゲームが難しくても、
やりたいと思っていれば、とことん没頭しますし、
  
逆に、「毎日、日記を書く」というような、
  
一見簡単そうに見える事でも、
やりたくない事は続かないのです。
  
  
人間の「面倒くさい」には、底がありません。
    
どんな労力も、省けるなら省きたいと考えます。
  
  
家の中に居て、水をコップに汲むという事すら、
もう面倒くさいのです。
  
もし、他人が代わりにやってくれるなら、
そうして欲しいと思っています。
    
  
もし、「どこでもドア」が手に入ったとしたら、
移動する為に電車に乗る人は、いなくなるのです。
  
  
人間は、基本的にどんな事でも、面倒くさいのです。
  
  
でも、労力が掛かっても、
「面倒くさく感じない瞬間」があります。
  
それは、【 自分の情熱に沿って行動している時 】です。
  
    
どんな遊びも、
  
他人に命令されて無理矢理やらされるとしたら、
まったく面白くありません。 
  
やる気なんて湧いてきません。
  
  
逆に、トライアスロンなんていう、
めちゃくちゃ労力と負担が掛かる行為でも、
  
情熱を感じ、やりたいという人は、進んでやります。
  
  
つまり、
  
【 人間は基本的になんでも面倒くさがる生き物 】であって、
  
その「面倒くさい」という気持ちを乗り越えられる瞬間は、
  
1.自分の「情熱」に沿って行動している
(自分のやりたい事をやっている)  
  
2.その行為の「必要性」を理解している
(自分の望む結果を出すために、避けて通れない行為だと理解している)
  
  
その、2種類のパターンだけなのです。
  
  
例えば、ボディビルダーを目指す人は、
「ムキムキになる事」に情熱を感じています。
  
「ムキムキの為に、筋トレが必要だ」と理解しているから、
筋トレをするのです。
  
  
もし、筋トレをせずにムキムキになれるなら、
そっちの「ラクな方法」を選ぶかも知れませんが、
  
そんな方法は今のところ無い訳で、
「筋トレをするしか無い」と思うから、
  
【 筋トレを面倒くさく感じないし、やる気が出る 】のです。
  
  
「自分の本当に望む結果」があって、
「その為に絶対に必要だ、と感じる行動」に対しては、
  
【 人間は、面倒くささを感じない 】のです。
  
  
ですから、「やる気が湧かない」という人の原因は、
  
1.自分の「情熱・望み」がわかっていない
  
2.その自分の「情熱・望み」を実現させる為に、
  何が最低限必要なのか? を理解していない
  
  
大きく、その2つなのです。
  
  
つまり、

1.「自分の事」がわかっていない
2.「現実や世間の事」がわかっていない
  
だから、やる気が出ないのです。
  
  
孫子の言葉で、
【 敵を知り、己を知れば、百戦危うからず 】
  
という格言があります。
  
  
「自分と相手を深く知れば、勝てる」という事です。
  
  
「人生好転」や「自己実現」もまったく同じです。
  
  
「自分」を知り、「世間」を知れば、
自ずとやる気も湧いてきますし、夢は叶えられるのです。
  
  
ですから、「やる気が湧いてきません」って人は、
  
【 あぁ、「自分の事(情熱・望み)」も大してよく知らないし、
 「世間の事(現実の厳しさ)」も大してよく知らないんだな 】
  
って思った方が良いです。
  
  
「自分の情熱や望み」を知っていても、
「世間や現実の厳しさ」について知らない人は、
  
地に足がついていません。
  
  
「お金が欲しい」という望みや情熱はあっても、
  
「お金はラクに稼げるモノだろう」と勘違いして、
甘い儲け話に騙されてしまうタイプです。
  
夢は見えても、現実が見えていません。
  
「やる気なんかなくても、結果なんて出せるっしょ?」と、
現実を舐めているので、「本気のやる気」が湧いてきません。
  
  
逆に、「自分の情熱や望み」は知らないけど、
「世間や現実の厳しさ」は知っている…、
  
という人は、堅実なタイプです。
  
「老後の為に、せっせと貯金しなきゃ…」みたいな人です。
  
  
現実が見えても、夢が見えていません。
  
  
どちらにしても、
最高の人生、最高の現実は待っていません。
  
  
「やる気」を持つには、
  
・自分の内面にある「情熱・夢・望み」  
・自分の外側にある「世間・現実の厳しさ」  
  
その両方をバランス良く認識していく必要があるのです。
  
  
いかに世間や現実が厳しくて、商売が難しくても、
  
本人に「情熱」と「やる気」に満ちていたら、
必ず成功します。
  
  
何度失敗しても、
成功するまでチャレンジし続けるでしょう。
    
  
ですから、「厳しいから無理、難しいから無理」ではなくて、
    
【 やる気が無いから無理 】なのです。
  
  
そして、その「やる気の源泉」は、
  
1.自分の「情熱と望み」を自覚していること
  
2.「世間や現実の厳しさ」を理解していること
(面倒くさくても、結果を出すために必須の行為がある)
  
  
大きく、その2種なのです。
  
  
ですから、
   
自分を知り続ける事と、世間を知り続ける事が、  
【 夢を叶える上で、必要不可欠の習慣 】なのです。 
  
  
成功は難しいとか、難易度の問題ではありません。
  
自分を知らず、世間を知らず、
やる気が出せないから、成功できないのです。
  
難しくても、やる気さえあれば、成功できますからね。
  
  
そういう意味で、【 やる気の問題 】なのです。
  
  
そして、人間は「底なしの面倒くさがり屋」ですから、
  
【 やる気は無いのが普通 】です。
  
  
出来る限り、労力は省きたいし、
面倒くさいことはやりたくないのです。
    
  
でも、その「面倒くさい」を乗り越えられる瞬間があります。
  
  
1.自分の「やりたい行為」である
  
2.自分の「得たい結果」のために、
  「必要不可欠な行為」である
  
  
そのどちらかのパターンになると、
  
人間は「面倒くささ」を感じなくなって、自ら行動するのです。
  
  
自分を知り、世間を知れば、
自ずと「やる気」に満ちてきますし、
  
やる気に満ちている時点で、
【 自己実現は確定 】みたいなものです。
  
  
成功するかどうか?は、
難易度の問題では無く、やる気の問題だからです。
  
  
それに、「世間を知る」という事には、
  
【 他人の助けを借りる必要性を知る 】
    
という事も含まれています。
  
  
自分のやりたくない事、苦手な事は、
他人を頼っても良いのです。
  
  
成功している人は、例外なく【 他人を頼っている人 】です。
  
  
世間や現実は厳しいからこそ、他人を頼ろうと思うのです。
  
  
「自分一人で成功しよう、自己実現しよう」なんて言うのは、
明らかに無謀です。
  
    
確かに、世間や現実は厳しいですし、
商売は難しいんですけど、
   
自分のやりたくない事、苦手な事については、
他人を頼っても良いのです。  
  
  
他人と助け合って、結果を出せれば良いのです。
  
  
「自分一人で何でもやらなきゃ!」と思っている人は、
成功が不可能なくらい難しく思えるかもしれませんが、
  
難しいからこそ、人を頼ることで可能になるのです。
  
  
で、「人を頼りたくない」っていうのも、優等生病です。
  
「自分の無力さ」を直視したくなくて、
他人を頼らず、見栄を張るのです。  
  
  
【 全教科すべて、自分一人で満点を取ることが優秀 】という、
学校教育によるネガティブ洗脳に侵されているのです。
  
  
見栄を張っている人は、素直に他人を頼れません。
  
  
見栄を剥がした人から、
素直に他人を頼れるようになるのです。
  
  
見栄を張って、
「自分より優秀な人に、頭を下げて頼れない…」
    
という人は、そこまでです。
  
  
「他人を頼りたくない」なんていう考えを持っているのも、
世間知らずなのです。
  
  
「他人に頭を下げて頼らなきゃ、どうしようもないんだ」

って言うのが、リアルな【 現実の厳しさ 】なのです。
  
  
自分の内面(情熱・願望)を知り、
自分の外側(世間・現実)を知れば、
  
自然と「やる気」に満ちてきますし、
自己実現に向けて、人生はスムーズに進んでいくのです。


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2017年05月12日

物理と心理の共通点

・ガリレオ・ガリレイ(1564年 - 1642年)
・アイザック・ニュートン(1643年 - 1727年)
・アルベルト・アインシュタイン(1879年 - 1955年)
  
  
ガリレオ → ニュートン → アインシュタインと、
「近代物理学史」をおさらいしてみました。
  
  
何が知りたかったのか?というと、
   
【 天才の生み出した新しい理論が、
  どのようにして世に認められ、受け入れられて行ったのか? 】
  
という事が、知りたかったのです。
  
  
ニュートンの「万有引力の法則」も、
  
世に広く受け入れられるまで、
数十年の歳月を必要とした様です。
  
  
・ガリレオの理論も、
・ニュートンの理論も、
・アインシュタインの理論も、
  
スムーズに世に受け入れられた訳ではありません。
  
  
物理学者は、この宇宙に働いている力学を、
数式によって解明しようとします。
  
  
その数式(結論に至るまでのプロセス)は難しすぎて、
一般の人には理解不能です。
  
  
みなさんも一度、
「万有引力」や、「相対性理論」について、調べてみて下さい。
  
「難解な数式」が現れた瞬間、
アレルギー反応で、頭から煙が吹き出すことでしょう(笑)
  
  
ただ、物理学者がいくら
「自分の数式の正しさ」に自信を持っていても、
  
【 数式によって、筋の通った説明ができるという段階 】では、
  
まだまだ【 仮説の領域 】です。
  
  
  
まず、物理学者は、アタマの中で【 思考実験 】を行います。
  
  
自分の仮説が正しいかどうか?
  
頭の中で論理的に思考し、矛盾が無いか検証するのです。
  
  
私も思考実験を、繰り返し行いまくっています。
  
   
『思考実験とは…』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E8%80%83%E5%AE%9F%E9%A8%93#.E3.82.A2.E3.82.A4.E3.82.B6.E3.83.83.E3.82.AF.E3.83.BB.E3.83.8B.E3.83.A5.E3.83.BC.E3.83.88.E3.83.B3.E3.81.AE.E9.87.8D.E5.8A.9B.EF.BC.88.E4.B8.87.E6.9C.89.E5.BC.95.E5.8A.9B.EF.BC.89.E3.81.AE.E7.99.BA.E8.A6.8B.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.AA.E3.81.8C.E3.82.8B.E6.80.9D.E8.80.83.E5.AE.9F.E9.A8.93
  
  
そして、数式によって、
【 自分の理論に対する「論理的根拠」】を用意するのです。
  
  
この段階で、
物理学者がどれだけ自分の理論に自信を持とうとも、
  
他の人たちも、すんなりと理解できる訳ではありません。
  
  
他の物理学者たちや、一般の人々に広く認められるようになるには、
  
【 目に見えるカタチでの実験や観測 】が必要なのです。
  
  
望遠鏡での天体観測や、原子時計を使った実験などです。
  
その実験結果や観測結果によって、

ようやく【 理論の証明 】へと至るわけです。
  
  
今までのお話しをおさらいすると、
  
【 ガリレオ、ニュートン、アインシュタインの理論も、
  本人としては自信があった訳ですが、
  
  スムーズに世に受け入れられた訳では無く、
  「目に見える観測や実験」によって、
  
  ようやく認められるようになった 】
  
という事です。
  
  
  
ここで、ハッキリとさせたい重要な事は、
   
【「目に見える実験や観測」が行われる前から、
  物理学者は、自分の理論の正当性を理解していた… 】
   
と言うことです。
  
  
アインシュタインの理論も、実験や観測を行う前から、
  
アインシュタインは数式によって、
自分の理論に自信を持っていたわけです。
  
  
つまり、ガリレオも、ニュートンも、アインシュタインも、
  
【 目に見えない力学の法則性 】について、
   
【「目に見える実験や観測」が行われる前から、理解していた 】
  
という事なのです。
  
  
引力も、電気も、磁力も、電波も、放射線も、
  
今まで物理学で解明されてきたあらゆる力学は、目には見えません。
  
  
新しい機械で計測できるようになりましたが、
  
物理学者たちは、機械で計測される前から、
「力学の法則性」を理解していたのです。
  
  
つまり、
  
【 目に見えない力学の法則性を解明する 】という点において、
  
「物理学者と、私は共通している」という事です。
  
  
私と物理学者の違いは、
  
「数式を扱うか? 心理を扱うか?」の違いだけです。
  
  
「心理学は怪しくて、物理学はまともだ…」という様な意見は、
まったくもって本質を射ていません。
  
  
物理学も、私の心理学も、
  
・「観測や実験」が行われる前から、
・「観測や実験が可能な機器」が発明される前から、
  
「機械の発展」を待つ事なく、先回りして、
【 目に見えない力学の法則性 】を解明してきたのです。
  
  
理論の構築 → 目に見える観測・実験 → 証明
    
という順序です。
  
  
そして、「理論の構築」の段階では、
  
【 何も目に見えない段階 】で、思考実験を繰り返しているわけです。
  
  
ですから、「最先端の物理学」は、
【 常に「現代の機械で観測できる領域」の先 】を進んでおり、
  
「未だ、機械での観測や実験ができない領域」、
「目には見えない領域」を探求しているのです。
  
  
そういう意味で、私と物理学者は共通です。
  
現代では、ニュートン力学は物理学の初歩かもしれません。
  
  
でも、私もニュートンも、同じような立場です。
  
  
下記のページを見てもらえればわかりますが、
   
『ニュートンによる科学革命』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3#.E3.83.8B.E3.83.A5.E3.83.BC.E3.83.88.E3.83.B3.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.A7.91.E5.AD.A6.E9.9D.A9.E5.91.BD
    
  
《 万有引力の法則を提示するにあたっても、引力がなぜ発生するか、
 あるいは引力が何のために存在するのかということではなく、

 引力がどのような法則によって機能するのかという説明のみに終始し、
 それをもたらす原因については仮説を立てる必要はないとし、
 新しい方法論を提示したともされる。》
  
  
と書いてあります。
  
  
私も、ニュートンと全く同じような姿勢で、心理を研究しています。
  
   
現段階で解明できない事をいくら考えても仕方ないので、
【 現段階で解明でき得る「因果関係」を、優先して解明する 】
  
という事です。
  
  
私がこの記事を書いたのは、一般的な誤解を解くためです。
  
  
「物理学は目に見える。 心理学は目に見えない。」
  
ではなく、【 物理学も、目に見えない 】のです。
  
  
両方とも、同じく、 
  
【 目に見えない力学の法則性を解き明かす研究 】なのです。
  
  
この世に名を残す偉大な物理学者は、  
「目に見える観測、計測、実験」が行われる前から、
  
【 目に見えない力学の法則性を解き明かしていた 】
  
という事です。
  
  
そういう意味で、私は心理学史における
「ガリレオやニュートン的な立場」と言えるでしょう。
  
  
ガリレオやニュートンの時代には、
  
「精密な観測や実験ができる高度な機械」が
存在していませんでした。
  
  
目に見えない領域で、証拠がたくさん見つかっても、
   
【 目に見える証拠など、まったく出せない状態 】という事です。
  
  
そんな中で、【 目に見えない力学の法則性 】について、
  
思考と研究を繰り返し、広く適応される理論を構築していった訳です。
  
  
それは、【 目に見えない領域の証拠 】をたくさん集めていった結果です。
  
  
今のところ、「人間の心理・意識・精神・感情など」
を正確に観測できる機械は、発明されていません。 
  
  
それでも、「目に見えない領域の証拠」を積み上げる事によって、
  
【 法則性は解明できる 】のです。
  
  
ガリレオやニュートン、アインシュタインがやったようにです。
  
  
ガリレオやニュートンの理論は、
当時の常識とはあまりにも違うので、
  
初めはほとんど理解が得られなかったでしょう。
  
  
しかし、だからといって、
ガリレオやニュートンが間違っていた訳では決してありません。
  
  
ただ普通の人々と違い、【 論理的思考に長けていた 】という事です。
  
  
ニュートンも、アインシュタインも、
既存の常識を疑い、反発的だったらしいですが、
  
それは私も同じです。
  
  
常識を盲信してしまう様な人間に、
画期的な発見や発明は不可能ですから。
  
非論理や矛盾に対する反発心は、
【 偉大な科学者が持つ性質 】です。
  
  
普通の人と、科学者は、思考回路がまったく異なります。
  
  
普通の人には、科学者の理論が理解できないからといって、
  
【 科学者をバカにする「身の程知らずの人たち」】もいますけど、
  
逆で、「科学者が優秀すぎる」のです。
  
  
それくらいは、凡人たちにも理解して頂きたい所です。


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haxe501 at 14:24|Permalinkclip!

2017年05月09日

宇宙人の存在に対する確信度

ここ最近、「仕事」や「遊び」に掛けるエネルギーが、
あまり湧いてきません。
  
  
私は、自分のコンディション(体調)にとても敏感なので、
  
「意識や身体の状態」がいつもと違うと、すぐに気付きますし、
その原因を徹底的に突き止めようとします。
  
  
星の動きの影響かな? とか、
バイオリズムかな? とか、
  
いろいろ分析してみましたが、
  
結論は、無意識レベルで「宇宙との交信」に
多大なエネルギーを割いているので、
  
その分だけ、
  
普段、「仕事」や「遊び」に向かっているエネルギーが
割かれていた様です。
  
  
で、その「宇宙との交信」とはなんぞや?
  
という事で、具体的な内容を探ってみると、
  
  
【 高次の宇宙文明との「オープンコンタクト」、
 「ファーストコンタクト」に向けて、準備をしている 】
  
という事でした。
  
  
つまり、バシャールの言う「ヤイエル文明」と、
交信していた訳です。
  
  
ファーストコンタクトに向けて、
ヤイエル側の情報を、無意識レベルで受け取っていた様で、
  
その情報処理に多大なエネルギーが必要なのです。
  
  
そこで、ヤイエル文明に対して
チャネリングを試みてみましたが、
  
ヤイエル文明からのメッセージ(助言)は、
  
 
《 実際にディスクロージャー(情報公開)が起こって、
   
 「高度な宇宙文明が存在していた」という事が、
 世間に明らかになった時、
  
 自分はどういう風に振る舞っていくのか?
  
 という事について、
 シミュレーションしておいてください。 》
  
という事でした。
  
  
・こういうメッセージが降りてくる時点で、
・私がこういう記事を書いている時点で、
  
【 ディスクロージャーは近いウチに起きる 】
  
という事でしょう。
  
  
で、私がみなさんに言いたいのは、
  
【 みなさんは、宇宙人の存在なんて信じてないでしょ? 】
  
って事です。
  
  
私の「宇宙人の存在に対する確信度」は、【 100% 】です。
  
しかし、「目に見えない存在」についてそこまで確信を持つには、
  
あらゆる角度からの分析と検証が必要です。
  
  
コペルニクスやガリレオが、
ロケットで宇宙に行った訳でも無いのに地動説を唱えたのは、
  
【 目に見えないなりにも、根拠があったから 】です。
  
科学者が、空想や妄想なんかで言いませんよ。
  
  
私も、目に見えないなりに、
  
あらゆる角度からの分析と大量の検証によって、
そこまでの確信を得るに至りました。
  
  
そのプロセスを経ていない人は、
安易に宇宙人の存在など信じられないのです。
  
  
よく、ドラマとかで、
【 自分の目で見るまでは、にわかに信じられなかった… 】
  
ってセリフがあるでしょ?
  
  
五感に依存している人間は、
自分の目で確認するまでは、信じられないモノなのです。
  
  
私の周りの人でも、
高い人で、「70%〜80%の確信度」だと思います。
  
  
「スピリチュアル好き〜」
「バシャール好き〜」
「宇宙人は絶対いると思う〜」
  
とか言っている人でも、
  
実際の所は、20%くらいしか、
宇宙人の存在を信じられていないでしょう。
  
「半信半疑」にすら至っていません。
  
  
スピ系の人でそれですから、
一般人で宇宙人を信じているのは「ほぼ0%」です。
  
  
  
じゃあ、
  
「みなさんが宇宙人の存在を信じていない」
という事を証明するために、
  
ここでカンタンな実験をしたいと思います。
  
  
もし実際に、「アメリカ政府」が、
  
【 高度な文明と科学技術を持った宇宙人の存在 】を、
  
マスコミの前で公式に認めたら、
どんな事が起こると思いますか?
  
  
「めざましテレビ」とか、「報道ステーション」などで、
  
【 へぇ〜、宇宙人って実はいたんですね〜 】で終わりますか?
  
  
それじゃあ終わらないでしょう。
  
  
まず、そのニュースは新聞の一面を飾るでしょう。
  
  
テレビは特番を組むでしょうし、
日本政府の対応は? 声明は?
  
2ちゃんねる(ネット掲示板)には、
どういう書き込みがされると思いますか?
  
ツイッターなどのSNSでは、
どういう投稿があるでしょう?
  
  
「世界各国の政府」や「国連」は、
どういう声明と対応をするでしょう?
  
「ローマ法王」や「ダライ・ラマ」は?
宗教団体のトップは、何と発言するでしょう?
  
  
経済界の人たちのコメントは?
  
影響力を持った人や組織は、
何らかのコメントを求められるハズです。
  
  
「地球全体として、宇宙文明にどういう対応をしていくのか?」
  
という事も、何かしらの結論を迫られるでしょうし、
  
その議論も必要です。
    
  
今やっている、「憲法改正ってみんなどう思う?」
  
って言うどころの話ではありません!
  
  
一般人は、いきなり宇宙人って言われても、
どうして良いのかサッパリわからないでしょうし、
  
結論も出せないでしょう。
  
  
ですから、実際には「かなりのパニック」になるはずです。  
  
  
あなたは、そういう未来をリアルにイメージ出来ますか?
  
  
おそらく、こういう「想像」や「シミュレーション」など、
一切したことが無かったはずです。
  
  
なぜなら、【 本当は「宇宙人の存在が怖いから」】です。
  
人間は、「怖いこと」をわざわざやろうとは思いません。
  
  
そして人間という生き物は、
  
【 怖いことに対して、キレ〜イに無視できるスキル 】
  
を持っているのです(笑)
  
  
人間は、怖いことを無意識的に、
いくらでも「見て見ぬフリ」をする事が出来るのです。
  
  
人間のこの、
  
恐怖を目の前にすると【 事実を無視できてしまう能力 】こそが、
  
論理的思考力を失って、
「どこまでもバカになってしまう原因」でもありますが(笑)
  
  
スピリチュアルが好きで、宇宙人について語っている人間も、
  
リアルにディスクロージャーが起こった後の
シミュレーションをしている人は、ほぼいないでしょう。
  
  
アメリカでは、50%以上の人たちが、
既に宇宙人の存在を信じています。
  
  
それに引き換え、
日本人は、ほとんどゼロに等しい訳です。
  
スピリチュアル好きって言ってる連中も、
潜在意識レベルでは確信をまったく持てていない訳ですから。
  
  
理由は【 文化の違い 】にあります。
  
  
アメリカは「多民族国家、人種のサラダボウル」です。
  
【 違う人種同士のコミュニケーション 】が慣れているので、
  
宇宙人(自分とは違う相手)に対する抵抗も比較的少ないのです。
  
  
一方、日本人は「違う人種」にあまり慣れていません。
  
それはつまり、【 恐怖を感じやすい 】という事です。
  
  
ですから、単一民族国家である日本人ほど
「宇宙人に対して恐怖を感じる人種」もいない訳で、
  
私がいくら宇宙人について語ろうとも、
内心では怖くて考えたく無かったり、信じたくないのです。
  
  
ですから、ディスクロージャーが起こった後の
シミュレーションなども、自ら進んでやる訳が無いのです。
  
  
実際に、ディスクロージャー後の地球をイメージしてみて下さい。
  
  
それをイメージすれば、
  
・自分がどれだけ、宇宙人の存在に確信を持っていないか?
   
・また、自分がどれだけ宇宙人の存在を怖れているか?
  
  
という事も、実感を伴って理解できるでしょう。
  
  
一方、私はディスクロージャーを
「まだかまだか」と渇望している人間ですから(笑)
  
  
ディスクロージャーが起こっても、
パニックになる事はありませんし、
  
みんながどうして良いのかわからなくても、
私は冷静にドッシリ構えていられます。
  
  
ディスクロージャー後には、
多くの人が私の情報に群がってくると思いますけどね(笑)  
  
  
早くそうなって欲しいです。
  
  
とにかく、スピ系の人でも、
  
宇宙人の存在など、
無意識レベルでは、ほとんど信じていないのです。
  
  
宇宙人について語っているスピ系の人も、  
  
実際に宇宙人の存在が公になれば、
軽くパニックになると思いますよ(笑)
  
  
そうして、
  
自分がこれまでスピリチュアルの情報を、
深いレベルでは全然信じていなかった事に気付くでしょう。
  
  
自分が語り、教えている事を、
まず自分自身が信じられていないのです(笑)
  
  
例えるなら、キリスト教の神父や牧師が、
「神」や「聖書」を信じていない様なモノです(笑)  
  
  
これも、人が抱える矛盾です。
  
  
恐怖によって、
自分の内面の矛盾にすら、気付けないのです。
  
  
ディスクロージャーは、
世界がひっくり返るほどの衝撃を生むでしょう。
    
  
ありとあらゆる
社会的な「価値観」や「信頼」が根底から覆されていきます。
  
  
私はそれが待ち遠しいですが、
  
逆に、そうなったらヤバイ!と焦る人もいるでしょう(笑)


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2017年05月08日

テレビゲーム、ビデオゲーム

よく、テレビゲーム、ビデオゲームに対して、
  
「バカバカしい」とか、
「くだらない」という人がいます。
  
  
私はそれに反論したい。
  
  
今の私があるのは、完全にゲームのおかげです。
  
ゲームによって、私は賢くなったと思っています。
  
  
「自分がどのような情熱を持っているか?」
  
という事を知るのに、
「自分はどういうゲームが好きか?」
  
という事も、かなり参考になります。
  
  
そもそも、エルヴィス・プレスリー(ロックンロール)は、
「不良の聞く音楽だ」と思われていた時代もある訳です。
  
今、そんな事を言っていたら笑われるでしょう(笑)
  
  
古くさい価値観を抱く人間にとっては、
  
マンガも、アニメも、テレビも、ロックも、  
  
【「歴史の浅い娯楽」は、全て悪いモノ 】なのです(笑)
  
  
例えば、同性愛や同性婚も、
  
私が子供の頃の時代(20年〜30年前)ならば、
気持ち悪いと思っていた人も多いと思いますが、
  
今、そんな事を言ったら
差別主義者として批判されてしまうでしょう。
  
  
それくらい、
  
人の「常識」や「善悪」なんて、コロコロ変わるのです。
  
  
だから、
  
状況によってコロコロ変わる「人の持つ常識」なんて
一切アテにならない。
  
  
ですから、常識を人生の指針として生きている人は、
  
私には【 自分軸を持ってない奴隷(アホ)】にしか見えません。
  
  
「ゲームをするな」という人は、
  
「エルヴィス・プレスリーを聴くな、ビートルズを聴くな」
と言っているのと、まったく同じ事です。
  
  
ビデオゲームにも、
 
「アクション、シューティング」など、
反射神経を問われるゲームもあれば、
 
「ミステリー」などの、
謎解きや推理能力を問われるゲームもあれば、
  
「育成・戦略シミュレーション」など、
戦略や効率を考える能力を鍛えるゲームもあります。
  
  
ゲームを攻略していく過程で、頭が鍛えられるのです。
  
  
他にも、ファッションの着せ替えゲームなどもありますし、
  
美的感覚を鍛えるのにも役立つゲームもあるでしょう。
  
  
ゲームは、【 人間の能力を鍛える 】のです。
  
  
私は、ゲームのプレイによって、
「効率を考える能力」が飛躍的に高まりました。
  
ゲームを攻略しようとすると、
効率を考えざるを得なくなるからです。
  
  
「効率が良い」という事は、
言い換えると「生産性が高い」という事でもあります。
  
  
昨今、「生産性、生産性」と言われていますけど、
  
【 生産性を高める思考力 】は、
何かしらの方法で鍛える必要があるでしょう。
  
  
その為に、ゲームはうってつけだと思います。
  
  
ゲームの悪いところがあるとすれば、
  
「長時間」や「画面から近距離」のプレイで
目に負担が掛かることくらいでしょう(笑)
  
  
  
たくさん遊んでいる人間ほど、
自分の情熱を自覚してしますし、
  
  
逆に、「遊び」を抑圧し、
「やりたくもない勉強」ばかりしてきた人間は、
  
自分の情熱がわかりません。  
  
  
ですから、
  
「ゲームをするな!」なんて言っている人間には、
自分の情熱が解らないでしょうし、
  
「ライフワーク(天職)」なんて概念も、
まったく自分に関係無い話だと思っているでしょう。
  
  
別に、ゲームが好きじゃ無い人は、やらなくていいですよ。
  
でも、やりたい人は存分にやれば良いと思います。
  
  
私は、映画も観ますけど、
映画よりゲームの方が頭を使うし、主体的だし、
    
ゲームでも「ストーリー」や「音楽」「世界観」が、
非常に良く練られた作品もあります。
  
  
それこそ、「映画以上に心を動かされるゲーム」も、
たくさん存在しているでしょう。
  
  
ぜひ、ゲームを作っている人には、
面白いゲームをたくさん作って欲しいと思いますし、
  
その為にも、消費者はゲームに対して、
正当な対価(お金)を払う必要があると思います。
  
  
幼い頃は、お小遣いが限られていたので、
あまりソフトを買えませんでしたが、
  
今思えば、
もっとたくさんのソフトをプレイしたかったですね。
  
  
ゲームをバカにして、
ゲーム代をケチるなんて、勿体ないです。
    
それだけの価値があるのだから、
気前よくお金を払って楽しめば良い。
  
  
ゲームを楽しんだ分だけ、  
思考が鍛えられ、自分の情熱もわかってくるのです。
  
  
それに、最新のゲームには
最新の「技術」や「アイデア」が詰まっていますから、
  
先進的な感覚、センスを磨くのにも良いです。  
  
  
つまり、良い事だらけです。
  
  
「ゲームをするな」というのは、
「エルヴィスを聴くな」というのと同じです。
   
   
今や、ロックンロールはひとつの文化です。
  
ゲームもそうなっていくでしょう。
  
  
「なんとなく、新しいものを批判したくなる」
  
そこに、何の【 論理的根拠 】もありません。
  
  
批判自体が悪い訳ではありませんが、
  
「根拠の無い個人的感情(妬み、やっかみ、不安)」では無く、
  
ちゃんとした【 論理的根拠 】を用意する事です。
  
  
私みたいに、受験勉強の頃に挫折して以降、
廃人のごとくゲームをやりまくっていても、
   
その時に鍛えられた能力は、
ちゃんと仕事に活かされているのです。
    
  
目先で判断するのでは無く、

何事も、長期的に眺める必要があるのです。


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haxe501 at 17:40|Permalinkclip!

2017年05月07日

論理と矛盾、ボケとツッコミ

「数学は論理だ」と言っておきながら、
実は私、数学はあまり得意ではありません(笑)
  
  
「数字」とか「記号」にあまり興味が持てなくて、
  
私は「数字」や「記号」を使って考えるのでは無く、
  
代わりに【 意味や定義を持った言葉や行動 】を
方程式に当てはめて、考えている訳です。
  
  
「論理的思考」という部分は共通ですが、
  
・「数字」や「記号」を扱うのが【 数学 】で、
・「意味」や「定義」を扱うのが【 哲学 】だと思います。
  
  
と言いつつ、今、「哲学」をウィキペディアで調べてみたら、
    
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインという哲学者は、
  
【 哲学の目的は、思考の論理的明晰化である 】
  
と言ったらしいです。 私と同じ様な結論ですね。
  
  
別にパクった訳じゃ無くて、
  
記事を書きながら今、調べてみたら、
同じ事を言ってる人がいた訳です(笑)
  
  
で、論理的思考のひとつの目的は、
  
【 矛盾を無くす 】という事にあります。
  
  
私は幼少期から論理的思考に長けていますから、
  
たぶん、普通の人の1000倍くらい、
矛盾に対して敏感だと思います(笑)
  
  
生まれつき、「矛盾を放っておけない性格」だと思って下さい。
  
矛盾を発見すると、矛盾を解きたくて仕方が無くなるのです。
  
  
カンタンな例を出すと、
  
例えば、あなたが友達と食事をしているときに、
   
友達が「私、辛いモノが苦手で無理なのよね〜」と言いながら、
料理にタバスコを振りかけまくって食べていたらどうですか?
  
  
「え? どういうこと?」
「無理なの? 好きなの? どっちなの?」
  
って、その友達にツッコミたくなりませんか?(笑)
  
  
「まぁ、いっか…」と、
スルーできる人の方が珍しいと思います(笑)
  
  
私も、まったく同じ気持ちなのです。
  
目の前で変な事を言われると、ツッコミたくなるのです。
  
  
ただ、普通の人が気付かない様な
「論理的破綻」や「矛盾」にも敏感なだけです。
  
  
目の前で、「渾身のボケ」をかまされていたら、
大阪人として、ツッコまずにはいられないのです。
  
  
私が、他人の「論理的破綻」や「矛盾」を
ブログで解き明かしているのは、
   
【「ボケ」に対する「ツッコミ」】なのです(笑)
  
  
私から見ると、
世間には「やたらと矛盾している人だらけ」な訳ですが、
  
今では、その根本原因も理解しています。
  
  
人間が恐怖心を持っていると、論理的思考力が失われるので、
どこまでも「矛盾を許容してしまう」のです。
  
  
つまり、「恐怖心が強い人」ほど、
どこまでも、【 矛盾した言動や行動 】をする様になるのです。
  
  
ですから、
 
「どうしても独立したいです! 成功したいです!」
とか言っておきながら、
  
カンタンに諦めてしまうような、
【 口だけ人間 】も存在する訳です。
  
  
「恐怖心が強い」=「口だけ人間」なのです。
  
  
「恐怖心が強い人」には、  
論理的思考力も無いし、読解力も無いし、理解力もありません。
  
  
ですから、恐怖心の強い人が、
「わかりました! 理解しました!」と口先では言っても、
  
【 実際には全然理解できていない… 】なんて事もあるわけです。
  
  
【 恐怖心が強い人の「言動」や「行動」】は、
  
ほぼ必ずと言って良いほど、矛盾するモノなのです。
  
  
逆に、【 言行一致 】している人は、
  
そもそも恐怖心が薄かったり、
恐怖に出会っても、乗り越えていく習慣があるわけです。
  
  
私から見ると、
  
「心理系」とか「スピ系」の人間、
「ビジネスのコンサルタント」などの人たちの中でも、
  
多くの人の「言動」や「行動」が、矛盾に満ちています。
  
  
ですから、ひとつずつブログ記事で、
  
その「論理的破綻」や「矛盾」を解き明かしている訳です。
  
  
まぁ、別に解き明かされたくない人は読まなくていいんですけど。
  
  
ただ、私の気持ちとしては、
ボケ(矛盾)に対してツッコミを入れたいし、
  
そのツッコミ(論理的解説)が役に立つ人もいるだろうから、
書き続けます。
  
  
自分がやりたくても、
他人の迷惑にしかならないなら、やりませんよ(笑)
   
  
自分もやりたいし、誰かの役にも立つだろうから、
書き続けているのです。
  
  
例えば、下記の記事などで、
私がどれほど「学校教育の遅れや弊害」を語ろうとも、
  
・40年ギャップ説  
http://growheart.livedoor.biz/archives/52024336.html
  
未だに、「子供の教育費・学費を貯めないと…」
と考えている親もいるでしょう。
  
  
「将来的に役に立たない」って言ってるのに、
それは、どう考えてもわかりきった事なのに、
   
【 常識と違う事をする 】のが怖いのです。 
  
  
「常識から外れることが怖い」という恐怖心から、
  
【 論理的に破綻した、矛盾した行動 】をするのです。
  
  
そういう人の恐れは、
  
【 もし、「常識」や「大勢の人々」と違う事をやって、
  子育てに失敗したらどうしよう? 】
  
という、恐怖です。
  
  
結局、「子育ての責任」を、自分で取りたくないのです。
  
子育ての責任を、自分では無く、
【「世間」とか、「国」とかの責任 】にしたいのです。
  
  
「世間」や「国」の教育方針が間違っていたとしても、
    
自分の責任で子育てに失敗して、
「他人から責められるよりは良い」と思っているのです。
   
  
子供の教育に関して、国の教育機関(学校)に丸投げしていて、
親自身が、責任を取ろうとしていないのです。
   
そんな「無責任な親」に育てられている時点で、
子供にとっては有害です。
   
   
そして、親は恐怖でバカになってしまって、
子供を「奴隷養成所」に送り込む事になるのです。
  
  
結局、そういう親は、子供の将来の事なんか、
まったく考えていないという事です。
  
  
いや、考えたくても、冷静に考えられない訳で、
  
「子供に対する愛が無い」とは言いませんが、
恐怖でバカになっているから、頭が働かずに、
  
【 裏目、逆効果の教育 】をしてしまうのです。
  
  
親自身が恐怖を克服しないと、
  
【 子供が「とばっちり」を受けることになる 】という事です。
  
  
もし、本当に子供を想うなら、
  
親自身が恐怖を克服していく必要があります。
  
  
そして、私は「恐怖の克服法」を教えているのです。
  
でも、現時点で私から学ぼうとする人は非常に少数ですけどね。
  
  
  
親がチキン(臆病者)だと、子供が可哀想です。
  
まぁ、そういう「チキンな親」に育てられる子供も、
カルマ(自業自得)ですけどね。
   
  
恐怖心は、人間をどこまでもバカ(非論理的)にします。
  
バカから脱出し、賢くなるには、
「恐怖心」を克服していくしかありません。
  
  
実際、私の弟子やお客さんも、
  
恐怖を克服すればするほど、
頭が冴えて、明晰になる感覚を感じています。
  
  
そして、私は「恐怖心を克服する方法」を教えているのに、
  
なかなか、需要が少ないみたいですね(笑)
  
  
まぁ、
  
【 痛い目を見ないと気付かない、本気になれない 】
  
というのも、「人間の性(さが)」ですから、
  
まだそれほど痛くないんでしょうね。
  
  
ま、私は他人の自由意志を尊重しているので、
 
どっちでも良いですけどね。
  
  
この世には、
  
ボケ担当(矛盾している人)ばかりで、
ツッコミ担当(矛盾を突く人)が足りないですよね。
  
  
私もなかなか、ボケ担当の「渾身のボケ」が多すぎて
全部ツッコみたくてもツッコミ切れないくらいです(笑)


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haxe501 at 19:47|Permalinkclip!

2017年05月06日

「論理・法則・思考」と「感覚・直感・感性」

私の記事には、
「論理」や「法則」という言葉が良く出てきます。
  
  
私は「論理」や「法則」が好きなのですが、
  
論理や法則は、
「絶対的」で「中立」という所が良いですね。
  
  
学校のお勉強で言うと、
論理を学ぶのが「数学」で、法則を学ぶのが「理科」です。
  
ふたつ合わせて、【 理数系 】という事です。
  
  
どんな国においても、
「数学」と「理科」の授業内容は変わりません。
  
一方、社会や国語の授業内容は、国によって変わるでしょう。
  
  
つまり、理数系の学問は、
  
人種や宗教などに左右されない、
【 万人に共通する、普遍的な学問 】なのです。  
  
  
そういう所が好きなのです。
  
  
ただ、私は「論理」を推しているからと言って、
  
「感覚、直感、感性」などを否定している訳ではありません。
  
  
私は、「音楽」や「オシャレ」が好きだし、
  
第六感を使って「目に見えない波動」を感じ取り、
  
パワーストーン、人間関係、健康食品などの
「質」や「相性」を見抜く事もあります。
  
  
それに、そもそも【 自分の情熱を見つける 】という行為も、
非常に感覚的です。
  
感覚が研ぎ澄まされていないと、
「自分の情熱」などわかりませんからね。
  
  
ただ、「感覚」というものは、
  
やはり「論理」や「法則」に比べて曖昧だし、
自分の感覚がズレている場合もあるので、
  
【「論理・法則」に対する信頼度が100% 】だとしたら、
  
自分の
【 「感覚・直感・チャネリング」に対する信頼度は80%程度 】です。
  
  
お客さんも、私のチャネリングによる数値化の信頼度は、
「80%くらいの参考程度」だと思ってもらって、
  
やはりメイン(主役)は、
「論理と法則の理解」に努めて頂きたいと思います。
  
  
  
私は、上記の「論理」と「感覚」を
状況によって、バランス良く、上手く使い分けている訳です。
  
 
例えば、
  
私が他人のファッションコーディネイトをする時には、
  
「ロジカル(論理)」と「フィーリング(感覚)」を、
両方フルに駆使して、アイテムを選びます。 
  
  
論理的に導き出された結論と、
感覚的に導き出された結論と、
    
「両方が同じ結論」であれば、
かなり信頼できる結論だなと思える訳です。
  
  
状況によっては、
頭だけで考えても、上手く行かない場合があります。
  
  
私は、「妙な違和感」を感じると、放置せず、
立ち止まって、冷静に考え直すようにしていますし、
  
例えば、レストランを探すときに、
  
ネット情報を見てあーだ、こーだ考えるよりも、
フラフラ歩いていると、良い店が見つかったりします。
  
  
そういう時は、今までの思考を覆して考え直したり、
あるいは、思考を停止させて、感覚に身を委ねたりします。
  
  
これは、自分の人生経験の中で、
  
・こういう場合は、「思考」を使う
・こういう場合は、「感覚」を使う
・こういう場合は、「思考と感覚、両方」を使う
  
という「必勝パターン」を身に付けてきたからこそ、
出来る事ですし、
  
現在も、そのパターンの改良を続けています。
  
  
これは、「経験」や「鍛錬」を積み、「分析」や「検証」を重ねないと、
安易に習得できる事ではないと思いますが。
  
  
【 論理、法則、思考 】と【 直感・感覚、感性 】
  
これらには、それぞれ長所と短所があります。
  
  
片一方しか使えないというのは、結構問題なのです。
  
  
ですから、両方を上手く使いこなせるようになって、
  
良い人生を歩んでいって欲しいと思いますね。


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haxe501 at 14:51|Permalinkclip!

2017年05月05日

顧客の「感情」と「結果」は切り分ける

今回の記事は、弟子向けっぽい内容ですが、
多くの人の学びになるので、シェアします。
  
  
多くの人が、自分の仕事について語るときに、
「お客さんに喜ばれたい!」という事を語ります。
  
  
確かに、仕事の内容が
「飲食」や「エンターテイメント」の場合、
    
「お客さんの喜び、満足」=「提供した価値の高さ」
という方程式が成り立ちます。
  
  
しかし、
  
仕事が「教育」や「コンサルティング」の場合になると、
そうではありません。
  
  
顧客が自分の話に喜ぶ事と、
顧客の求める結果が出る事は、
  
まったく関係が無いからです。
  
  
教育者やコンサルタントが、お客さんを喜ばしたいなら、
  
「すごいですね! その通りですね!
 素晴らしいですね! あなたは全く悪くありませんよ!」
  
を、連発すれば良いです。
  
  
でも、やってる事は「金正恩の取り巻き」と同じです(笑)
  
それか、低レベルな「キャバ嬢」や「ホスト」です。
  
  
ただ、相手のゴキゲンを取っているだけです。
  
  
相手のゴキゲンを取るだけでは結果が出ないのが、
  
「教育」や「コンサルティング」という仕事です。
  
  
私は毎度、弟子に対して、
  
【「顧客の感情」と「自分の仕事の出来」は関係が無い 】
  
という事を伝えてきました。
  
  
もし、「お客さんが喜んでくれた!」
という事で満足している教育者やコンサルタントがいれば、
  
そいつは紛れもなく【 三流以下 】です。
  
  
人が「教育」や「コンサルティング」を求める時、
  
それは、何かしらの【 結果 】を求めているのです。
  
  
特定の結果を求めずに、
  
・「ただ気分が良くなりたいだけ」なら、
・「感情を満たしたいだけ」なら、
  
それは「エンターテイメント」という区分になります。
  
  
・ダイエットでも、
・ビジネスのコンサルでも、
・コーチングやカウンセリングでも、
  
人は、「何かしらの結果」を求めて、【 プロに相談 】するのです。
  
  
ただ、ゴキゲンを取ってもらいたいだけなら、
  
プロに相談するんじゃ無くて、
そこら辺の優しい人に愚痴を聞いてもらえば良いのです。
  
  
私は、そこら辺の「愚痴を聞いてくれる優しい人」ではなく、
プロフェッショナルです。
  
  
プロフェッショナルとしての「プロ意識」があるからこそ、
  
誰にでもできる「愚痴聞き」や「ゴキゲン取り」などは、
まったくやらないのです。
  
  
もし、お客さんがお金を払って、
私に「愚痴聞き」や「ゴキゲン取り」を求めるなら、
  
「私の仕事を舐めないで頂きたい!」と言いますね(笑)
  
  
愚痴を聞いて欲しい、ゴキゲン取って欲しいなら、
「他所を当たってくれ!」と言います。
  
  
プロがプロたる所以と、プロの意義は、
  
【 結果を出す 】という事でしかありません。
  
  
そして、「教育者」や「コンサルタント」にとっての結果は、
  
【 決して、「目先の感情」では無い! 】という事です。
  
  
「相手が喜んでくれたから…」と言って、
  
それだけで自分の仕事に太鼓判を押すようなら、
その人は三流以下です。
  
  
「喜んでくれました? それに何の意味があるの?」
  
って感じです。
  
  
例えば、セミナーなどで、お金をテーマに話すなら、
  
「参加者の意識や行動がどれくらい変わったのか?」
「その結果、参加者の経済状態がどれくらい変化したか?」
  
という事が、【 仕事の価値 】です。
  
  
「いい話を聞いた!」 「面白かった!」
  
感情は良くなっても、特定の結果が出ないとすれば、
その人は、「教育者としての仕事」は成し遂げていません。
     
 
その人の肩書きは、「エンターテイナー」に変えた方が良いです。
  
  
  
私は、「顧客の感情」などどうでも良いです。
  
  
なぜなら、私が顧客に約束しているのは、 
   
【 長期的かつ継続的な結果 】です。
  
「目先の感情」ではありません。
  
  
具体的に言うと、長期的に、
【 精神状態、経済状態、健康状態を良くしていく事 】です。
  
  
顧客が自分の話を聞いて、目先で喜んでも、
  
長期的に「精神・経済・健康状態」が良くなっていかないなら、
それは、私にとっては仕事をしたことにはなりません。
  
  
ですから、例えば弟子が、
 
「今日は、めっちゃ面白い話が聞けて良かったです!」
  
って言っていても、
  
  
私の心の中では、まったく満足しておらず、
    
「まだまだわかってねーなぁ…、もっと研究しないと…」
  
と思う事もあるわけです。
  
  
自分の仕事の出来は、「相手の反応」では無く、
「プロとしての基準」で判断するしかないのです。
  
  
相手が喜んでいても、
「自分はまだまだ研究が足りない」と思う事もあるし、
  
相手が喜んでいなくても、
「今日はめちゃくちゃ良い仕事をしたなぁ…」と思う事もあるのです。
  
  
実際、私のブログ記事を読んでいると、
  
良い気分になることばかりでは無いでしょう。
  
どちらかというと、
イヤな気持ちになる事の方が多いかも知れません(笑)
  
  
でも、「視野が広がって、人生に良い影響がある」から、
読み続けるのでしょう?
  
  
私としては、相手が「良い気分」にならなくても、 
  
その人の視野が広がって、人生に良い影響があるなら、
  
良い仕事をしたことになるのです。
  
  
「教育者」や「コンサルタント」は、
 
顧客の感情で、自分の「仕事の出来」を判断してはいけないのです。
  
  
喜んでくれた? そんな事に意味はありません。 
  
そんなのは、ただのオマケです。
  
  
顧客は素人なんです。
  
相手が喜んでくれたからと言って、それが結果にも結びつくとは限りません。
  
  
アンソニー・ロビンズの話に喜ぶ人は多いですが、
  
アンソニー・ロビンズのファンで、
全然結果を出してない人もいるでしょう?
  
  
結局、気分が良くなる事と、結果が出る事は関係が無いのです。
  
  
自己啓発セミナーで、
「喜びの大きい人ほど、成功してるのか?」って話です。
  
違いますよね?
  
  
成功がテーマなら、成功させてナンボです。
  
幸せがテーマなら、幸せにさせてナンボです。
  
  
「話に喜んでくれた」なんていうのは、何の指標にもなりません。
  
  
まぁ、感動したり、テンション上がったり、
良い気分になりたいだけなら、
  
「高額セミナー」に行くより、
「映画館」に行くことをオススメしますが、  
  
セミナー好きの多くは、寂しさ故に、
「ちょっと意識高い系同士」で群がって、
  
孤独感と寂しさを紛らわせ、慰め合っている訳です。
  
別名、【 自己啓発セミナー講師の「カモ、金ヅル」】です。
  
  
それで、
  
教育者やコンサルタントに、承認欲求があるウチは、
「顧客の感情」に振り回されてしまいます。
  
  
承認欲求が強い人は、「他人の感情」を気にしてしまうからです。
  
  
シビアに感情を無視して、「結果の差」を見抜く事ができません。
  
  
ですから、
  
承認欲求が残っている「教育者、コンサルタント」は、
   
プロとして【 二流、三流以下だ 】という結論が導き出される訳です。
  
  
教育者、コンサルタントとして、
一流のプロを目指すのであれば、
  
承認欲求を持っていては不可能です。
  
  
教育者やコンサルタントが、承認欲求を持っている時点で、
  
【 その人に、良い仕事ができる事はあり得ない 】という事です。
  
  
もし結果を出せたとしても、
相手した人数の割合的に数が少なかったり、質が低かったりで、
  
【 ただの「ラッキー」と「ショボイ結果」に満足している 】
  
という事でしょう。
  
  
弟子たちも、肝に銘じて欲しいと思いますね。


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haxe501 at 23:05|Permalinkclip!

2017年05月04日

子育ての成功法則

自分が30歳を越えて以降、
  
「自分は父親に似ている部分があるなぁ」と
気付く事が多くなりました。
  
親の「考え」や「教育」の影響を、
シッカリと受け継いでいるなぁと気付きます。  
  
  
まぁ、ポジティブな影響ばかりではありませんでしたし、
  
ネガティブな影響については、
「自分自身を教育し直す事」で、矯正してきました。
  
  
結局、
 
・やりたい事をやっていく人間
・夢を叶えていく人間
  
と、そうでない人を分けるのは、
  
【 いかに、子供時代に自信を身に付けさせるか? 】
  
という事に掛かっています。
  
  
幸い、私は自信を身に付けさせる教育を受けました。
  
  
兄は、学校の勉強がとても良く出来ました。
  
5段階評価で言うと、兄はほとんどが「5」で、
私はほとんど「4」で、「3」と「5」がちらほら…
  
という感じ。
  
  
でも、私の方が「価値が低い」という様な
接し方をされたことはありません。
  
  
むしろ、父親は「学校の勉強・成績」より、
【 性格の良さ 】を褒める人でした。
  
他にも、私の「アイデア力」や「理科に対する興味」を
褒められた記憶があります。
  
  
学校の成績以外の価値を、ちゃんと評価する人でした。
  
  
しかし、心理の仕事を通して、
「他人の思想が形成されていく過程」を研究していくと、
  
自信が無い人は、
親から「自信を失わせる教育」を受けている事がわかりました。
  
  
でも、大体の親は「子の幸せ」を願っています。
  
子を不幸にしようと思って、教育する親はいないでしょう。
  
  
逆から考えると、
つまり大体の親が「子の幸せを願ってやっている事」は、
  
実は【 逆効果・裏目 】になっているという訳です。
  
  
その「逆効果・裏目」の教育をしてしまう
根本的原因になっている「思い込み」が、
  
  
・子供は「弱い存在」である
・子供は「親の所有物」である
・子供に何かあったら「全て親の責任」である
・親は、自分を犠牲にしてでも子供を守るべきだ
  
というような考え方です。
  
  
こういう考え方をしていると、
  
子供は、自分に自信を持つことができません。
  
  
こういう風に思われて接せられると、
  
【 自分は弱い存在で、
  他人から守ってもらわないと、生きていけない存在だ 】
  
というネガティブな思想が身についてしまいます。
  
  
  
子供を弱い存在とみなし、
「守ってあげなきゃ!」と思っている人は、
  
自分自身に対しても「弱い存在である」と認識していて、
  
  
【「国(政府)」や「企業」「社会」】などに対して、
   
・強者(政府・企業)は、「弱い自分」を守るべきだ! 
 
・強者(政府・企業)に何とかしてもらわないと、
 自分は生きていけない!
  
  
というような、【 超依存的な発想 】をしてしまいます。
  
  
それが人によっては、
  
「宗教の教祖」であったり、
「スピリチュアル的な存在」である場合もありますが(笑)
  
  
とにかく、
  
・子供は「弱い存在」である
・子供は「親の所有物」である
・子供に何かあったら「全て親の責任」である  
・親は、自分を犠牲にしてでも子供を守るべきだ
  
こういう思想の元、子供を育てると、
  
  
・問題は、自発的に解決する!
・人生は、主体的に切り拓く!
  
ではなく、
  
・問題は、他人(強者)に何とかしてもらわないと!
・人生は、他人(強者)に何とかしてもらわないと!
・強者は、自分を犠牲にしてでも弱い私を守ってくれよ!
   
というような発想になり、
   
  
【 自分に自信が無く、依存心が満載の人間 】に育ってしまう、
  
という事です。
  
  
自分の頭で人生についても、問題についても考えない、
  
思考が停止した【 立派な奴隷人間 】のできあがりです。
  
  
  
我が子を「奴隷人間」にしたくなければ、
  
上記とは逆の教育が必要です。
  
 
子供は、
  
【 大人と同等の「人権」】を持ち、
【 各々、「固有の人格」を持った一人の人間 】である
  
という思想に基づいた教育です。
  
  
子供を「弱い存在」だと思っている人は、
  
無意識的に、
【 子供の人権と人格を否定し、見下している 】という事です。
  
  
おそらく多くの人が、
  
「親が心配性なのが鬱陶しくて、
 親からは心配では無く、信頼をして欲しかった」
  
と思っていると思います。
  
  
でも、自分が親の立場になれば、
  
信頼できず、心配してしまうのです。
  
  
自分が「やられてイヤだったこと」を、
そっくりそのまま、我が子に行っている訳です。
   
  
【 自分の経験から、何も学んでないじゃん! 】って話ですね。
  
  
心配は、「恐怖心」から生まれ、
信頼は、「恐怖の無い純粋な愛」から生まれます。
  
  
要するに、今までの人生で、
「自分の恐怖心」を克服してこなかったから、
   
子供にも、自分が親からやられた事と同じ事をするのです。
  
  
先祖代々引き継いできた【 ネガティブ洗脳の連鎖 】は、
自分のところで止めなければ、
  
そのまま、子供に引き継がせてしまうという事です。
  
  
子供が事件を起こしたり、事故にあったりすると、
  
「すぐ親のせいだ!」と言う人がいますけど、
  
子供も一人の人間であり、生まれた時点で、
性格も、個性も、人格も、何もかもがそれぞれ違います。
  
  
全員が、同じ個性の子供を育てるなら、
子供の行動の違いは、親の教育によるモノだと言えますが、
 
生まれた時点で、活発な性格、大人しい性格など、
決まっている部分も大きいのです。
  
  
もちろん、親の教育の影響は強いですが、
  
【 全てが親の教育のせい 】というのは、違います。
  
  
「CoCo壱番屋の創業者」の様に、
めちゃくちゃネガティブな家庭環境に育っても、
  
仕事で大成功してしまう人もいます。
  
  
じゃあ、また【 逆も真なり 】で、
  
どんなに愛情溢れる恵まれた家庭環境に育っても、
「犯罪者になってしまうような人」もいるのです。
  
  
親の教育と、本人の責任は…、
  
50:50のバランスなのです。
    
  
親が最善を尽くしても、
子供がネガティブな道に進むことはあります。
  
それが本人の意志であれば、止められません。
 
  
自由意志は、他の誰にも侵害できません。
  
  
アメリカの高校で銃を乱射して自殺した子の母のスピーチを読みましたが、
どう考えても、このお母さんはポジティブな人です。
  
それでも、子供のネガティブな行為は止められないのです。
  
https://www.ted.com/talks/sue_klebold_my_son_was_a_columbine_shooter_this_is_my_story/transcript?language=ja
  
  
親と子の関係だとしても、 
  
お互い、最終的には自分の事にしか責任を取れないのです。
  
  
そういう風に、
子供に対して「己の責任を自覚させる教育」をするから、
  
子供の【 自立心、主体性、自発性、積極性 】などが養われるのです。
  
  
「子供は弱い」という定義の元、子供を育てるならば、
  
子供は【 自信が無く、依存的で、無責任 】に育ちます。
  
  
本当に子供の幸せを願い、
子供に良い人生を送って欲しいのであれば、
    
やるべき事は、子供に「余計なお世話」を焼くことではなく、
  
  
【 親自身が、絶えず「精神的に成長」し続ける事 】なのです。
  
  
まず親である自分がシッカリしていないのに、
子供をシッカリさせられる訳がありません。
  
自分の成長テーマから逃げる親の子もまた、
「試練から逃げる子」に育ちます。
  
  
多くの場合、子は「親の背中」を見て育ちますからね。  
  
  
以前書いたブログ記事でも、
まったく同じ事を語っていますけど。
  
http://growheart.livedoor.biz/archives/52016903.html
  
  
「子供のために…」とか思っている親の多くは、
   
実は、まったく子供の為にならず、
   
【「逆効果・裏目」の、
  自分に自信が無く、依存的な「奴隷人間」に育てる教育 】
  
をしているのです。


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