2017年04月

2017年04月30日

結婚の成功法則

芸能人による離婚のニュースは多いですが、
  
私は、【 結婚が上手く行くかどうか? 】
    
という事の「本質」や「法則性」を理解しています。
  
  
私は、昔からなんですけど、
他人とは「長い付き合い」をしたいと思ってきました。
  
  
それは、私の「魂の性質的」に、
  
【 ひとつの事を徹底的に突き詰める 】
  
という個性を持っているからです。
  
  
その影響で、「浅く広い付き合い」が苦手です。
  
  
一人一人の事を、どこまでも深く考えてしまいますが、
  
相手も私の事を深く考えてくれないと、
エネルギーのバランスが保たれなくなってしまいますから、
  
相手と「お互い深く考え合える仲」で無いと上手く行かず、
結果的に、「狭い付き合い」しかできなくなるのです。
  
  
で、私はいろんなビジネスパートナーと
一緒に仕事をしたこともありますが、
    
結局、途中で上手く行かなくなってしまいます。
  
  
「なぜ上手く行かなかったのか?」という事の分析を続け、
  
そこで、【 長期的な人間関係が続く法則 】を見つけました。
  
  
・同じ「価値観」
・同じ「方向性」
・同じ「理想の高さ」
  
これらを共有できないと、いずれ別れてしまうのです。
  
  
ですから、私は他人を見る時に、
  
「上記が自分と同じかどうか?」
  
という事を見極める様になりました。
  
  
「ビジネスパートナー」も、「結婚」も、根本は同じで、
  
【 一緒に同じモノ(ビジネス・家庭)を運営して、長期的な関係を続ける 】
   
という事です。
  
  
ですから、私は「ビジネスにおける人間関係」を通じて、
  
【 長期的に人間関係を続けられるかどうか 】の法則性を見つけました。
  
  
で、基本は先ほど言った、
  
・同じ「価値観」
・同じ「方向性」
・同じ「理想の高さ」
  
なのですが、
  
特に結婚に関して言うと、「大きく2つの要素」が重要です。
  
  
一つ目は、相性
二つ目が、セルフイメージ
  
です。
  
  
そもそも、一つ屋根の下で共同生活をするには、
「相性」が良くなければなりません。
  
  
相性とは、
  
【 どれだけ相手に気を遣わず、リラックスできるか? 】
  
【 相手の雰囲気やエネルギーを心地良く感じるか? 】
  
という事です。
  
  
これは、「魂的相性、波動的相性」として決まっていて、変わりません。
  
  
ですから、結婚相手を考える時には、
  
何よりもまず最初に、「相性」を見抜く必要があります。
  
  
出会って間がなくても、
相性が良くてすぐ結婚してしまう人もいますよね。
  
  
私の計測する「相性の数値化」では、
結婚には、相手との相性が「50%以上」を推奨しています。
  
  
どんなに性格が良い人同士でも、
  
相性値が低いと、一緒に居ても居心地が良くないので、
長い時間を共有する事ができません。
  
  
私の計測によると、芸能人で離婚する人は、
互いの相性が「30%台」くらいの人が多いです。
  
  
そもそも、結婚するには相性が足りない相手だったという事です。
  
  
恋愛するには、相性が「30%、40%台」でも充分です。
  
それほどリラックスできる相手でなくても、
異性としての「性的魅力」が上回る事はありますからね(笑)
  
  
でも、「恋愛関係になれたから…」と言って、
  
【 結婚(一緒に暮らす)に充分な相性かどうか? 】は、別の話です。
  
  
【 恋愛の延長で結婚してしまうと、上手くいかないこともある 】
  
ということですね。
  
  
恋愛よりも、結婚の方が何倍もシビアなのです。
  
  
で、相性の次に大切なのが「セルフイメージ」です。
  
  
相性が良くても、セルフイメージが低いと、
これまた結婚生活はなかなか上手く行きません。
  
  
セルフイメージというのは、
 
【「自分は幸せな家庭に相応しい」というセルフイメージ 】です。
  
  
幸い、私はこの「家庭セルフイメージ」が極めて高い人間です(笑)
  
自分ほど、家族を大切にできる人間は中々いないだろうと思っていますし、
両親も非常に仲が良いですし、これは両親のおかげだと思います。
  
  
逆に、【「家庭セルフイメージが低い人」の気持ち 】が、
   
あまりわかりませんでした。
  
  
私の観察してきた経験上、
  
両親が離婚している子供には、
家庭セルフイメージの低い人が多いです。
  
  
私にとって、幸せな家庭はとてもイメージしやすいモノですが、
  
「家庭セルフイメージが低い人」にとって、
幸せな家庭の姿は、まったくイメージができないモノの様です。
   
  
私にとって家族とは、
  
【 信頼する相手、助け合う相手 】ですが、
  
  
家庭セルフイメージが低い人にとって、家族とは、 
  
【 信頼できない相手、不快感ばかり生み出す存在 】の様です。
  
  
まず、この【 家庭セルフイメージ 】を高めない限り、
 
「幸せな家庭」は絶対に手に入りませんし、
  
  
他にも、
  
「なぜか家庭的で無い、浮気性の異性ばかりに惹かれてしまう…」
  
「もともと、相性がそれほど高く無い異性に惹かれてしまう…」
  
などの現実を引き起こしてしまいます。
  
  
  
私は「幸せな家庭」で育ちましたが、
(と言っても、いろいろストレスはありましたが…笑) 
  
おそらく、日本においては、
「幸せな家庭」で育っている人の方が少ないんじゃ無いかと思います。
  
  
私は、人それぞれ、
【 家庭観、家族観、結婚観 】が千差万別な事に、正直驚きました。
  
  
私は、家族や家庭という事に関して、
非常にポジティブなイメージを持っていますが、
   
そうでは無い人もたくさん居るんだな… 
  
という事実を、ここ数年で学びました。
  
  
でも、自分の「家庭観、家族観、結婚観」って、
普通に生きていれば、なかなか変えるチャンスもありませんし、
    
生まれ育った家庭環境を、そのまま引きずってしまいがちです。
  
  
家庭というのは、「社会の最小単位」とも言われます。
  
  
「幸せな家庭」が増えていかなければ、
社会問題や国際問題も、解決しにくいと思います。
  
  
「家庭セルフイメージを高める方法」を語り始めると、
非常に長くなるので、ここでは書けませんが、
  
今回の記事でお伝えしたいのは、
  
結婚にしろ、ビジネスパートナーと一緒に仕事をするにも、
  
長期的な人間関係を続けるには、
  
1.「人生の根本(価値観、方向性、理想)を共有できる事」
  
が必要である事と、
  
   
特に結婚においては、
  
2.「恋愛、異性としての魅力」だけで無く、
  共同生活できるだけの相性の高さかどうかを確かめる事
   
3.自らの「家庭セルフイメージ」を高める事
  
  
が必要不可欠である…、という事ですね。  
  
  
  
どんなに努力を重ねても、お互いの性格が良くても、
 
もともと「人生の根本」を共有できない、「相性」が高く無い
  
そんな人とは、上手くやっていけない…という事です。
  
  
逆に言うと、「家庭セルフメージ」さえ高ければ、
 
自分にピッタリの相手をちゃんと見極められると思います。
  
  
家庭セルフイメージが低い人は、
  
【「相手を見る目」が曇った状態 】になっていますからね。
   
   
家庭セルフイメージが低い人は多いと思いますが、 
 
それは、両親との関係で生み出したトラウマが原因になっています。
  
  
家庭セルフイメージを高める事と、
  
両親に関するトラウマを癒していくことは、ほぼ同義です。
  
  
結婚生活を上手く成功させるためには、
  
「表面的な要素、行動、振る舞い」に囚われるのでは無く、
「自分の内面、心理」に向き合う事なのです。
  
  
自分がまずそうしないと、自分の子供にまで、
「ネガティブな家庭観」を引き継がせてしまうことになりますからね。
  
  
それは、経済観念(お金観・仕事観)にも同じ事が言えます。 
  
  
自分の子供のためにも、
まず自分自身が率先して取り組まなければならないのです。


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2017年04月29日

「AI時代の経済」と「ライフワーク」

経済のニュースを見ていて、
  
現在、厳しいと言われてる業界や企業を見てみると、
  
「メーカー・商品」と「消費者」を繋ぐ、
「中間業者」である場合が多いです。
  
  
たとえば、「古本屋・書店」や、「旅行代理店」などです。
  
  
インターネットの発達によって、
  
代理店を通さずとも、
企業が直接、消費者に対して商品を売れる様になったり、
  
または、「ネットオークション」や「フリマアプリ」などで、
個人が個人に直接、商品を売れるようになりました。
  
  
つまり、商品や情報を「右から左へ流すだけ」では、
 
価値を提供している事にはならなくなって来た訳です。
  
  
他にも、「クラウドファウンディング」の登場によって、
  
「銀行」や「証券会社」「ベンチャーキャピタル」などの役割も、
徐々に侵食されています。
  
  
これは、誰でもわかりやすい事なんですけど、
  
今後はさらに、【 AIの波 】がやってきます。
  
  
AIの発展によって、
さらに中間業者は厳しい立場に立たされる事になるでしょう。
  
  
大切な事は、「他人の作った価値」に頼るのでは無く、
   
【 自ら価値を創造する 】という事です。
  
  
そういう意味で、
  
「セールス」や「広告宣伝・集客」という行為の価値も、
今後は減少傾向にあると言えます。
  
  
昔は、
  
・営業さえできれば、食っていける
・集客さえできれば、食っていける
 
なんて言われていました。
  
  
確かに、どんなに良い商品が存在していても、
売れなければ、お金になりませんからね。
  
それに、それほど品質が高くない商品でも、
売れさえすれば、お金になります。
  
  
【 お金 】の事を思うのであれば、
  
「営業や集客に長けていること」は必須条件だったでしょう。
  
  
でも、私がいつも思ってきたのは、
  
売る為の「広告宣伝」や「営業」にお金や労力をかけて、
その分だけ、「商品の品質」や「費用対効果」を高められなかったとしたら、
   
それは、消費者の為にならないんじゃないか?
    
という事です。
  
  
結局、「広告宣伝」や「営業」にかけたお金は、
「商品価格」に転嫁されている訳で、
   
「広告宣伝」や「営業」にお金や労力を掛けるのであれば、
その分、商品開発にお金や労力を掛けて、品質を高めた方が、
  
消費者の為なんじゃ無いか?
  
  
いつもそう思ってきました。
  
  
もちろん、広告宣伝や営業を否定している訳ではありませんし、
私も、広告宣伝を見て、ある商品の存在を知り、買うこともあります。
  
  
ただ、「テクノロジー」や「人々の精神性」が高まれば、
自然と「広告宣伝」や「営業」という行為は必要なくなっていく。
  
  
昔から、そう予見していました。
  
  
例えば、「広告宣伝」に関しては、
  
どんどん【 見返りを求めない「口コミ」】の影響力が高まっています。
  
  
例えば、人気のユーチューバーが、
何の見返りも求めず、「この商品を使ってみて良かった!」と言う。
  
それだけで、もう広告宣伝になっています。
  
  
そういうインフルエンサーに満足してもらう為にも、
  
やはり、【 商品の価値の高さ 】が必要になります。
  
  
【 商品の価値が高い事自体 】が、広告宣伝になり、営業になる訳です。
  
  
この流れがどんどん加速していくと、
  
【 上手い「セールストーク」や「チラシ」で衝動買いさせる… 】
  
なんていう事に意味が無くなって、
 
   
【 商品の価値が高いかどうか? 】
  
しか問われない時代がやってきます。
  
  
テクノロジーが進化し、人々の意識が高まれば高まるほど、
 
そのような傾向が強くなっていきます。
  
  
それに今後、「テクノロジー」と「人々の意識」が高まれば、
 
世の中がどんどん高次元的になっていくという事です。
  
  
高次元の世界では、
「営業」や「広告宣伝」などという行為が存在するでしょうか?
  
  
否、存在しません。
  
  
【 自分に必要なモノは、シンクロによってスムーズに引き寄せる 】
   
という世界ですからね。
  
  
ですから、「営業」や「広告宣伝」という行為は、
  
低次元の世界でこそ、意味と価値のある行為なのです。
  
  
  
私はそういう時代を先読みして、営業や広告宣伝に労力を使わず、
  
ひたすら、【 商品とサービスの価値 】を高めてきました。
  
  
ですから、時代が進めば進むほど、
  
私にとっては「追い風」となるのです。
  
  
ユーチューバーが、自分の気に入った商品を紹介するのに、
企業から見返りを求めていません。
  
まぁ、お金をもらって宣伝する事もあるでしょうけど。
  
基本的には、本当に自分が気に入った商品を、紹介していると思います。
  
  
そして、見返りを求めずに紹介してるからこそ、
  
人々も、「本当に品質が良いのだろうな」と信頼する訳です。
  
  
広告宣伝費なんか掛けなくても、
  
自然と人々が口コミしたくなるくらいに、価値の高い商品・サービス。
  
  
それを創る事が、一番効率の良い方法だなと私は結論づけました。
  
  
事実、私の弟子たちは、
私の「ブログ」や「はこぶね倶楽部」を積極的に人に教えていますが、 
  
別に、私は弟子に見返りなど渡していません(笑)
  
命令や指示もしていません。
  
  
弟子たちは、本当に良いと思って、他人に教えています。
  
  
そして、弟子たちは見返りを受け取っていないので、
話を聞く方も、信頼しやすいと思います。
  
  
「見返りなんかなかったとしても、
 本当に良いと思って、他人に教えたくなる!」
  
そういう商品を創り続ける事が、
将来的に見て、もっとも上手く行く方法です。
  
  
インターネットの世界では、
「紹介マーケティング」が盛んですが、  
  
「知り合いだから…」とか、「見返りがあるから…」とか、
何かしらのバイアスが掛かっている事は明白です。
  
  
バイアスを見抜けない情弱人間は、
本当に「善意の口コミ」なんだろう…と思い込んで騙されるでしょうが、
  
人々の意識が進化すれば、いずれ通用しなくなります。
  
  
今現在、短期的利益が得られる事を続けていると、
  
次の時代では、あっけなく淘汰されてしまう事になるのです。
  
  
バブル時代に、土地を買った人間が大損したのと同じですね。
  
  
時代が変わった瞬間に、敗者となるのです。
  
  
今後、経済的に生き残って行くには、
  
【 自ら高い価値を創造できる人間になること 】
  
です。
  
  
その価値とは、
  
「肉体労働」や「時間労働」では無く、
「頭脳労働」や「創造労働」によって生み出されるものです。  
  
  
しかし、ほとんどの人は、
「肉体労働」や「時間労働」で価値を生み出す方法しか知りません。
  
  
サラリーマンとしてお金を稼ぐ方法くらいしか知らないのです。
 
自分の好きな事でお金を稼ぐ方法は、学んでこなかったのです。
  
  
自分の好きな事でお金を稼ぐ方法は、
サラリーマンでの仕事とはまったく異なるので、
    
ゼロから学ぶ必要があります。
  
  
サラリーマンで稼ぐ30万円と、自営業者で稼ぐ30万円は、
  
同じ額面でも、まったく質が異なります。
  
  
サラリーマンで稼いでいる人が、
自営業者で同じ額を稼げるとは限りません。
  
  
同じ仕事でも、同じスポーツでも、
  
「サッカー」、「バレーボール」、「テニス」、「水泳」くらい、
ルールや求められる能力が違います。
    
  
違うスポーツにチャレンジするなら、
ゼロからルールを学ぶ必要があります。
  
  
そういう意味で、私のやっている「はこぶね倶楽部」は、
  
「ライフワーク」にシフトしていく為の
【 専門学校 】みたいなものですね。
  
  
はこぶね倶楽部で得られるモノは、主に2つ。
  
一つ目(基本)は、
「ライフスタイルの質(精神・経済・健康の状態)」が高ま
る。
  
二つ目(応用)は、
「ライフワーク起業」の為のサポートが受けられる。
  
    
です。
  
  
もう一度言いますが、
  
・サラリーマンで生きる事
・自営業者として生きる事
・自分の情熱が持てる好きな仕事、ライフワークで生きること
  
  
は、それぞれ「ルール」や「求められる能力」が全然違います。
  
  
そして、現代の学校教育では、
サラリーマンとして生きる方法しか、教えてくれませんでしたが、
  
それは、ライフワークで生きるためには、
役に立たないどころか、邪魔にしかなりません。
  
  
ですから、ライフワークを目指すのであれば、
  
アタマを一回空にして、
【 全てをゼロから学び直す必要 】があるのです。
  
  
はこぶね倶楽部は、その為の専門学校みたいなモノです。
  
  
自分の情熱で生きるという事は、
 
自分の固有の才能を使って、
頭脳労働や創造労働で価値を生み出すことであり、
  
それは、今後AIが大きく発展したとしても、
むしろ、時代が進めば進むほど、それが追い風となる生き方なのです。
  
  
私は、こういうことを6年前くらいから予見していて、
その通りに生きてきました。 
  
  
でも、「先見の明がある人」というのは、
いつも凡人には理解されませんからね。
  
  
結局は、【 センスの良い人 】しか、

未来に対して賢い対策は打てないという事です。
  
  
センスの良い人は、私の言っている事がわかると思います。


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2017年04月26日

地球人生ゲームのシステム

先日、スピリチュアル的な「目的」や「学び」について、
ビデオゲームに例えて説明しました。
  
  
・集合意識     → プログラマ(開発者)
・ハイアーセルフ  → プレイヤー
・人間の意識・エゴ → 登場人物
  
という風にです。
  
  
ただ、ビデオゲームと違うのは、 
  
プレイヤーは、
  
【 登場人物を操作(コントロール)する訳では無い 】
  
という事です。
  
  
プレイヤーが行うのは、「操作」では無く、【 提案 】です。
  
  
プレイヤー(ハイアーセルフ)は、
「ベストな選択」を常に提案してくれているのです。
  
  
そして、登場人物である私たち人間は、
その提案を「無視」する事もできれば、「逆らう」こともできます。
  
  
「ハイアーセルフの提案」に忠実に従っていれば、
  
最も負担が少ない方法で、最短の道のりで成長して、
結果的に、幸せで豊かで、充実した人生を歩む事ができます。
  
  
しかし、この日本において、
  
ハイアーセルフの提案を積極的に採用する意志を持っているのは、
わずか3%くらいの人々でしょう。
  
  
ほとんどの人は、「ハイアーセルフの提案」に耳を傾けず、
  
【 人間としてのエゴの判断 】
  
【 恐怖心などのネガティブな心理からくる選択 】 
  
を優先し、
  
「最も負担が少なく、最短最速の道のり」から、  
大きく外れてしまっているのです。
  
  
本当はもっと速く進めるのに、大きく遠回りをしているのです。
  
  
私は、ハイアーセルフ・ハイアーマインドからの提案に対し、
  
【 全て忠実に従う決断 】を下しています。
  
  
それだけ、自分を導いてくれる存在に対する
  
【「信頼感」や「忠誠心」が強い 】ということです。
  
  
しかし、自分以外の存在をいきなり信じる事はできません。
  
  
人を欺こうとする、
  
「詐欺師」や「宗教家」、「自己啓発の講師」
なども存在していますからね。
  
  
ウソを付き、欺こうとする存在もたくさん存在している中で、
  
なぜ、「ハイアーセルフの提案」は信じられるのでしょう?
  
  
ひとつは、
  
【 シンクロニシティに対して敏感で、
  シンクロニシティを常に感じている 】
  
という事があります。
  
  
「偶然」では片付けられない様な、
【 奇跡とも言える現実 】が連発したら、
  
「人智を超えた何かしらのチカラ」が働いている事を、
認めざるを得なくなります。
  
  
きっと、スピリチュアルに対して懐疑的な人も、
   
目の前で「奇跡的な偶然」が連発したら、
これは何かのチカラが働いているなって、思えると思います。
  
  
数学的な確率論では、ぜったいに辻褄が合わなくなるからです。
  
  
私は、その「奇跡的な偶然」がどのようにして起こるのか?
  
という事を、検証してきました。
  
  
そして、その検証を繰り返す事で、
  
・「宇宙の法則」の存在
・「目には見えない高次元」の存在
  
に対して、確信が持てるようになった訳です。
  
  
ですから、まずは「シンクロニシティ」に対して敏感になり、
  
シンクロニシティがなぜ起こるのか? どのようにして起こるのか?
  
という事に、考えを巡らせて見ると良いでしょう。
  
  
「時計を見ると、頻繁に同じ時間を目にする」とか、
「ゾロ目をよく目にする」とか、
「たまたま耳に入った歌の歌詞が耳に残った」とか、
  
そういう事に、意識を向けるのです。
  
  
そうやって、偶然に対して敏感になると、
  
決して偶然では片付けられない様な、
【「奇跡的な出来事」が頻発している事 】に気付くと思います。
  
  
それに気がついてこそ、
  
「人智を越えた目に見えないチカラ」を信じられるようになります。
  
  
シンクロニシティこそが、「目に見えるカタチ」での、
ハイアーセルフからのメッセージであり、提案です。
  
  
まず、そこに対して敏感になれば、
  
いずれ、「目に見えないカタチ」でのメッセージや提案も、
感じられる様になるでしょう。
  
  
そうなれば、ハイアーセルフの提案する、
 
【 自分にとっての、負担最小限かつ最短最速の道のり 】
  
を、常に採用し続ける事ができるのです。
    
  
ハイアーセルフの提案は、
  
時に、「ネガティブな感情を伴う内容」という事もあるでしょう。
  
  
自分の「インナーチャイルド、潜在意識」を癒す過程では、
  
過去に溜め込んだネガティブ感情と向き合う必要があり、
  
その際に、非常にネガティブな気持ちを感じる必要があるからです。
  
  
  
ですから、ハイアーセルフの「提案」や「導き」に対して、
  
【 なんで自分がこんなイヤな想いをしなければならないのか? 】
  
という想いが沸いてくる事もあるでしょうが、
  
  
冷静に思い直して、 
   
「現時点の自分には理解できなくても、
 これがハイアーセルフの提案するベストな選択なのだ!」
   
と信頼する事で、ベストな選択を行う事が出来ますし、
  
  
後から振り返って検証しても、
  
「なるほど、やっぱりあれがベストな選択だったな…」と、
理解できる時が来るのです。  
  
  
  
ハイアーマインドからの提案を無視し、
  
ネガティブな心理から来る
「人間のエゴによる判断」を優先していると、
  
「目先のイヤな事」からは逃げ、
「心地良いことだけ」を追い掛けようとしてしまうでしょう。
  
  
でもそれは、
  
「寂しくて退屈だから、パチンコに行って気を紛らす」
  
というのと、同じです。
  
  
恐怖心などの、ネガティブな心理からやって来る欲求は、
  
「根本解決」では無く、【 その場しのぎ 】なのです。
  
  
もちろん、人間は周囲からの影響を受けますから、
「周囲からのネガティブな影響」は、極力減らすべきですし、
  
ネガティブなニュースばかり見ていると、
自分の意識もネガティブに洗脳されてしまいます。
  
  
でも、「自分の潜在意識を癒す」という事については、
 
自分の外側では無く、
【 自分の内側にネガティブなエネルギーが既に存在している 】ので、
  
それは、避けようと思って避けられるモノではありません。
  
  
私の記事を読むと、
  
自分の内側に潜んでいるネガティブエネルギーの存在が
浮き彫りになって感じるので、
  
イヤな気持ちになる事もあるでしょうが、
  
それは、私の記事がネガティブなのでは無く、
  
私はただ、「相手の内部に潜むネガティブエネルギー」の存在を、
きちんと自覚できるように、支援しているにすぎません。
  
  
外側に存在しているネガティブは、
避ける事が可能だし、避けるべきですが、
  
自分の内側に存在しているネガティブは、
避けられないのだから、
  
ネガティブ感情を伴ってでも、
ちゃんと向き合って、解放する必要があります。
  
  
その【「区別、見極め」が付いてない人 】も、散見されますね。  
  
  
以前、ハイヤーセルフの存在を、
  
マンガ「ヒカルの碁」の藤原佐為に例えました。
  
  
自分のそばに四六時中張り付いて、
常に、最善手を指してくれる存在です。
    
  
まずは目に見えるシンクロニシティを検証し、
  
その上で、「自分を導く存在」を信じ、提案を信頼すれば、
  
目先では無く、長期的にポジティブな人生を歩むことができます。
  
  
別に、遠回りしても何も悪い事はありません。
  
どれほどネガティブな選択をしようとも、
どれほどの遠回りしようとも、宇宙は自分の選択を尊重してくれます。
  
  
最終的には、「自分の好み」です。
  
  
私は、無駄が嫌いだし、人生における貴重な時間が大切だし、
ポジティブな状態が好きなので、
    
無駄が無く、ポジティブな状態に導いてくれる、
ハイヤーセルフの提案を受け入れる様にしているだけです。
  
   
「無駄」を楽しみたい、「ネガティブな状態」を楽しみたい
と言う人は、
    
どうぞ、自分をポジティブに導こうとする存在を無視し、
  
むしろ、自分をネガティブな方向に引っ張る存在に、
流されていけば良いと思います。


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2017年04月25日

論理的思考力のヒミツ

現代の学校教育で問われる能力は、
  
・6割が「暗記」
・3割が「計算」
・1割が「その他」
  
って感じだと思います。
  
  
理科・社会も基本的には「穴埋め問題」だし、
  
英語の勉強って言っても、
黙々と「単語」を暗記させられますからね。
  
  
もし、「論理的思考力」が問われる授業があれば、
私ほど得意な子供はそうそう居なかったと思いますが、
  
残念ながら、そんな授業はありませんでした(笑)
  
  
という事で、
  
現代の学校教育で「頭が良い」と言われる子供は、
ただ、「短期的な記憶力」に長けている子供の事なのです。
  
別に、テストの直前だけ「記憶力」を発揮して、
テストが終われば忘れてしまっても構いませんからね(笑)
  
  
でも、実際社会に出てから必要とされる能力は、
  
暗記では無く、
  
・コミュニケ−ション能力
・論理的思考力
・「粘り強さ」と「根性」
  
などです。
  
  
それらが、仕事をするのに必要だからです。
  
  
記憶力が高く、学歴はあっても、
仕事がまったくできない…、という人間もいますからね。
  
  
という事で、「論理的思考」が得意な私から見れば、
  
【 現代の人々は、いかに「論理的思考力」が無いのか? 】
  
という事に、驚かされます。
  
  
まぁ、暗算が得意な人から見れば、
  
「暗算が苦手な人はなぜ出来ないのか?」  
もわからないでしょうけど(笑)
  
  
で、巷の就職活動なんかで、
「ロジカル・シンキングが大事だ」って言われるのを聞きますが、
   
ロジカル・シンキングが超得意な私から見ると、
  
論理的思考力を鍛える方法は、
  
「誰でも間違った事を言う」という前提で物事を考え、
何事も鵜呑みにしない事です。
  
  
そういう前提を持つことによって、
  
【 自分のアタマで考え、検証して確かめる 】
  
という習慣を持つことになり、
結果的に、論理的思考力が鍛えられるのです。
  
   
つまり、「主体性」や「自立心」が強い人ほど、
  
論理的思考力に長けていて、
  
  
「依存心」が強い人ほど、論理的思考には長けていない…、
  
つまり、感情的になってしまうのです。
  
  
記憶力が高くて、学歴はあっても、
依存心が強ければ、論理的思考力には乏しいのです。
  
  
ですから、「ロジカルシンキングが大事だ…」といわれる本質は、
  
【「主体性」や「自立心」の強い人材が求められている 】
 
という事です。
  
  
「依存心の強い人間」が、表面的なテクニックを学んでも、
  
論理的思考力が磨かれる事はありません。
  
  
論理的思考力が身に付くかどうか?は、「日々の習慣」で決まるからです。
  
  
主体性や自立心の強い人は、自分のアタマで考えます。
  
そして、自分のアタマで考えるから、論理的思考力が鍛えられます。
  
  
暗記だけ得意で、親や先生から褒められても、
別に論理的思考力は鍛えられません。
   
  
で、
  
【 いかに現代人が精神的に依存的で、論理的思考力が乏しいか? 】
  
という事を説明するのに良い例があります。
  
  
あなたにとって、
  
「ランチ」と「人生全体」、どちらが大切ですか?
「映画やドラマ」と「人生全体」、どちらが大切ですか?
  
と聞くと、ほとんどの人は、「人生全体」と答えるでしょう。
  
  
でも、ほとんどの人は、
自分の人生については真剣に考えておらず
  
・ランチに何を食べるか?
・レンタルビデオ店で、どんな映画を借りるのか?
  
という事の方を、真剣に考えているのです。
  
  
なぜ、自分の人生について真剣に考える人が、
これほど少ないのでしょうか?
  
  
それは、自分がピンチになっても、
  
・両親
・日本という国(政府)
・勤め先の会社(企業)  
  
などが、
  
きっと何とかしてくれるだろうなどと、
非常に甘い考えを持っているからです。
  
  
親は先に死ぬだろうし、
国は借金だらけで破綻するかもしれないし、
会社だって潰れるかも知れません。
  
  
自分の外側には、頼れるモノは無いのです。
  
  
私がいくら「自分以外は頼りにならない」っていう話をしても、
 
依存的な人は、それが理解できません。 理解したくないのです。
  
  
そもそも、「論理的思考力」を持っていませんからね。
  
自分に都合の悪い情報は、検証すらしませんし、信じないのです。
  
  
いかに「常識的な価値観」が非論理的で矛盾していようとも、
  
他人からいかに自分の考えが論理的に破綻しているか説明されようとも、
   
  
「論理的思考」を捨てて、
「既存の常識や思い込み」を信じ続けようとするのです。
    
  
相当なアホですね(笑)
  
  
それも、【 親、国、会社 】に依存しきっていて、
  
自分以外の存在に依存している分だけ、
  
「論理的思考力」を持っていないからです。
  
  
あ、スピリチュアルが好きな人にとっては、
  
「宗教の教祖」や「アセンテッドマスター」や
「宇宙人」「天使」などに依存してますね(笑)
  
  
だから、自分のアタマを使って考えません。
  
  
どちらにしても、
  
「依存心の強い人間」に、「論理的思考力」はありません。
  
  
つまり、現代人の「論理的思考力」の無さは、
   
【 依存心の強さ 】から来ているという事です。
  
  
あなたは、論理的思考力に自信がありますか?
  
 
論理的思考力に自信がある人は、主体性や自立心が強いのです。
   
論理的思考力に自信が無い人は、主体性や自立心が無く、依存的なのです。
  
  
つまり、
  
「依存的な人間」=「論理的思考力が無い(アホ・バカ・アタマが悪い)」
  
という公式が成り立ちます(笑)
  
  
特に、日本人は日本政府を信頼していると思います。
  
発展途上国や新興国などであれば、
「政府を信じていない人」の割合は多いでしょうけど。
  
  
日本人は、特に外国と比べて政府を信じやすいと思います。
  
  
【 自分がピンチになっても、最終的には国が何とかしてくれるハズだ! 】
  
という、甘い考えを持った人が多いはずです。
  
  
その分だけ、主体性や自立心がなく、論理的思考力の低い人々で、
    
この国は溢れかえっているわけです。
  
  
「主体性・自立心の強さ」=「論理的思考力の高さ」
  
です。
  
  
そして、主体性や自立心の強い人ほど、
  
【 いざという時、頼れるのは自分しかいない 】
  
という前提で生きているのです。
  
  
もちろん、他人の助けを借りることも大切ですし、
  
他人の助けを否定する訳ではありませんが、
  
「自分で何でもするのが当たり前」と思っている人の方が、
他人の助けに感謝する事ができます。
  
  
依存心の強い人ほど、助けてもらって当たり前で、
  
助けてもらえないと、「何で助けてくれないの?」と、
  
被害者意識を持って、【 逆ギレ 】です。
  
  
そんな甘い考えで乗り切れるほど、
  
人生は甘くありません。
  
  
人生は甘くないのだから、甘くないっていう教育が必要です。
  
  
私は両親から、無意識的に、
  
・人生は甘くない
・いざというとき、頼れるのは自分だけ
・他人をアテにしていてはいけない
  
っていう教育を受けていたと思います。
  
  
だから、自立心が高くなったのだと思います。
  
  
でも、そういう教育を受けた人ばかりではありません。
  
  
優しい人ばかりに囲まれて生きていると、
  
自分が頑張らなくても、他人が何とかしてくれるのかな?
  
  
と、勘違いを始めてしまいます。
  
  
とにかく、他人に依存的になっている時点で、
  
自分は相当アホになっている訳で、
  
  
人生について真剣に考えられず、周りに流されるアホが
  
「充実した人生」を送れるハズがありません。
  
  
依存的な人が多いのは、
日本だけの傾向ではなく、世界中どこでもそうでしょうけど、
  
依存的な人が多いからこそ、
人類には初歩的な論理的思考力すら無く、アホになっているのです。
  
  
ここまで説明されて、
  
まだ自分は「賢い人間だ」と思えるでしょうか?
  
  
ここまで説明されても、
  
「まだ自分がバカだと認めたく無い」っていうのが、
  
依存的で、論理的思考力に乏しい人間のアホさです。
  
  
自分がどんなに認めたく無くても、
   
自分は既に、とてつもなくアホで、バカで、アタマが悪いのです。
  
  
さらにいうと、
  
「認めたく無い!」と、強く思う人ほど、
  
正比例して、「アホで、バカで、アタマが悪い」のです。
  
  
逆に、
  
【 そうか! 自分は依存的で、論理的思考力が無く、
  アホで、バカで、アタマが悪いんだ!】
  
という「気付き」を得た人が、賢いのです。
  
  
「無知の知」っていう言葉もありますけど、
  
【 自分がバカだって言う事を心の底から認めている人が、実は賢い 】
    
という事なのです。


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2017年04月24日

アタマが悪くても価値がある

一般的な学校教育を受けてきた、ほとんどの人間は、
  
【 自分という人間は、  
  どうしようもなくアホで、バカで、めちゃくちゃアタマが悪い 】
  
という事実を、頑なに認めたがろうとしません。
  
  
【 アタマの悪い人間には価値が無い 】
  
という、ネガティブな思い込みが非常に強固なためです。
  
  
人間の最大の恐怖は、
「自分には存在価値がない」という【 無価値観 】を感じることです。
  
  
ですから、人間の「無意識」は、
何としてでも【 無価値感 】から逃げようとします。
  
  
1.アタマが悪い人間には価値が無いんだ!
  
2.もし自分のアタマが悪いとなれば、自分には価値が無いんだ!
    
3.自分には価値が無いなんて、どうしても感じたくないんだ!
   
4.自分がアタマが悪いという事実は、絶対に認めたくないんだ!
  
  
という、心理が働いています。
  
  
ですから、
【 アタマの悪い人間には価値が無い 】という思い込みを持っている人は、 
   
  
・正確にわからなくても「解ったフリ」をする
・少し考えてもわからない事については、それ以上考えない、諦める
  
という、思考パターンを持っています。
  
  
【「自分はアタマが悪い」という事実 】と、直面したくないからです。
  
  
・わからなくても、わかったフリ
・わからないことは、それ以上考えない
  
こんな思考パターンを続けていて、賢くなる訳がありませんね?(笑)
  
  
ですから、
  
「アタマの悪い人間には価値が無い」という思い込みが強固な人ほど、 
   
【 むしろ、実際にアタマが悪くなってしまう 】という事です。
  
  
シンプルに結論だけ表現すると、
  
【「バカには価値が無い」と思っている人が、実際にバカになってしまう 】
  
という事です。
  
  
しかし、現代の学校教育では、
  
【「バカには価値が無い」という刷り込み 】が行われます。
  
  
1.勉強できない、
  
2.一流企業で働けない、良い給料がもらえない
  
3.経済力が無い、人生お先真っ暗
   
   
という風に教育されるからです。
  
  
でも、とっても皮肉な事ですが、
   
「バカには価値が無い」という教育を施せば施すほど、
  
自分のアタマで考えない【 バカを量産している事 】になるのです。
  
  
まったくの「逆効果の教育」を続けているのです。
  
  
私は、専門用語をも極力使わず、誰でもイメージしやすいように、
わかりやすい例え話を使って説明しているのに、
  
理解できない人が多くて、「何でだろう?」と思っていたのですが、
  
  
それだけ、【 アタマが悪い人間には価値が無い 】
  
という価値観を抱えて生きている人が多いわけです。
  
  
もし、本当に賢くなりたければ、
  
【 アタマが悪い人間にも価値がある 】
  
という価値観に切り換える必要があります。
  
  
多くの人間は、
  
【 自分という人間は、  
  どうしようもなくアホで、バカで、めちゃくちゃアタマが悪い 】
  
という事を頑なに認めたがろうとしませんが、
  
それを認めたく無いのは、
  
「アタマが悪い人間には価値が無い」と思っているからです。
  
  
逆に言うと、
  
「アタマが悪い人間でも価値がある」と思えば、
  
【 自分という人間は、  
  どうしようもなくアホで、バカで、めちゃくちゃアタマが悪い 】
  
という事実も、素直に認められる様になります。
  
  
私は、いくら他人から「アホ、バカ、アタマが悪い」と思われても、
  
何とも思いませんし、むしろ事実だとすら思います。
  
  
例えば、私は「計算」と「短期記憶」が苦手です。 
  
ですから、両方が必要な【 暗算 】がとても苦手です。
  
  
暗算が問われる場にいれば、
私は「アホで、バカで、アタマが悪い」という事になるでしょう。 
  
でも、何とも思いません。
  
  
むしろ、計算と記憶はコンピュータの得意分野です。
  
   
「私が苦手な作業は、コンピュータが得意。」
  
それは、めちゃくちゃラッキーな事だなと思います(笑)
  
  
私は、「アタマの良さにも種類がある」とわかっているので、
  
別に、特定の分野で思考力を発揮できなくても、問題無いのです。
  
  
私は、「自分がアホで、バカで、アタマが悪い」という事を
素直に認められるから、
 
・わからない事でも、わかろうとするし、
・自分が苦手な事は、他人にやってもらおうと思います。
  
  
「自分がアホで、バカで、アタマが悪い」と認めたがらない人は、
  
・分からない事を、わかろうとしないし、
・自分の苦手な事でも、自分一人で何とかしようと思います。
  
だから、問題解決が全然上手く行かないのです。
  
  
現代の教育によって、 
 
【 アタマが悪い人間には価値が無い 】
  
と思い込んでいる人は相当多いと思います。
  
  
アタマが悪い人間を
「犯罪者扱いする」ぐらいの人もいるみたいです(笑)
  
  
でも、とても皮肉なことですが、
  
「アタマの悪い人間には価値が無い」と思い込んでいる人ほど、 
 
実際に、【 本人のアタマが悪くなっている 】のです(笑)
  
  
カンタンな実験をしましょう。
  
    
【 なんでこんなにカンタンな事もわからないの?
  本当にアタマ悪いなぁ、アホすぎる、バカじゃ無い? 】
  
  
と、他人から言われて、イヤな気持ちがしますか?
  
  
嫌な気持ちがした人は、例外なく、
  
【 アタマが悪い人間には価値が無い 】と信じている人です。
  
  
そして、「アタマの悪い人間に価値が無い」と信じている人ほど、
 
【「自分のアタマが悪い」という事実 】を頑なに認めようとしないので、
  
実際に、自分のアタマが悪くなっているという事です。
  
  
【 自分が否定しているモノを引き寄せる 】
【 自分が否定しているモノになってしまう 】
  
という、「宇宙の法則」通りです。
  
  
まず、
  
【 目の前の事実を認めない 】
  
【 事実を自分の都合良くネジ曲げて解釈する 】
  
という時点で、相当なアホになっていますからね。
  
  
アタマの良さには種類があるし、
  
別に、特定の領域でアタマが悪くても別に問題はありません。
  
  
自分の仕事さえ出来れば良いのです。
  
  
中学生で将棋のプロ棋士になった人は、 
  
別に、学校の勉強がどれほどできなくても、
将棋さえ強ければ、生きていけるのですから。
  
  
現代の学校教育では、 
   
【「バカには価値」が無いという教育 】を施して、
この世にバカを量産しているのです。
  
  
これほど皮肉で滑稽な事もありませんね。
  
  
【 どうしようもなくアホで、バカで、めちゃくちゃアタマが悪い 】
  
そんな人間にも、価値がある。
  
  
そういう風に思えている人が、「真に賢い人」です。
  
  
「自分がアホかどうか?」 見極める方法はカンタンです。
  
    
他人から「アホだ、バカだ、アタマが悪い」と言われて、
  
嫌な気持ちがした人が、紛れもなく正真正銘のアホなのです。
  
  
アホから抜け出すには、【 アホにも価値がある 】と理解する事です。
  
  
【 アホ、バカ、アタマが悪い…、そんな人にも価値がある 】 
  
そう思えた人から、賢くなるのです。
  
  
アホ、バカ、アタマが悪い事を
無価値として、見下している人ほど、 
  
自分自身がアホで、バカになっているのです。
  
  
この仕組みは、「この世で最高の皮肉だな」と思います。
  
  
  
私は他人から、アホだ、バカだ、アタマが悪いと言われても、
  
何もイヤな気持ちはしません。 事実だと思います。
  
  
そういうメンタルになった人が、自分のアタマを使って考えるのです。
  
考えるから、賢くなるのです。
  
  
学校教育に逆らって、
  
【 アタマが悪くても、価値がある 】
  
そう思えた人から、実際に賢くなるのです。


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2017年04月23日

地球人生ゲームの目的と概要

前回の記事で、
「地球で生きる一生」をゲームに例えましたが、
  
そもそも、生まれてきた時点では、
ゲームの目的も、概要も忘れてしまっています。
  
  
まずは、その「ゲームの目的」を思い出すところから、
ゲームはスタートするわけです。
  
  
で、多くの人は、
  
【 自分の生きている意味を知りたい… 】
  
と思ってはみたものの、
そのテーマについて真剣に考えることがないので、
  
結局、ゲームの目的すら思い出せないまま、
時間切れでゲーム終了(死ぬ事)になってしまうのです。
  
  
で、ほぼ全員に共通する地球人生ゲームの目的は、
   
地球というネガティブで制限された環境の中で、
  
貴重な【「経験」と「学び」を得る事 】です。
    
  
人によって、学びたいことが
  
家族がテーマだったり、お金がテーマだったり、  
そういう細かい違いはありますが、
  
ほぼ全員に共通するゲームの目的は、
【「経験」と「学び」を得る事 】なのです。
  
  
ここで、またゲームの話に戻りますが、
  
なぜ、人はビデオゲームをするのでしょうか?
  
  
もちろんプレイヤーがゲームを行う目的は、
「楽しみたいから」です。
    
  
じゃあ、ゲームの中の登場人物の目的は何でしょう?
  
例えば、ドラゴンクエストの世界であれば、
  
【 勇者の目的は、魔王を倒し、世界に平和をもたらすこと 】
  
です。
  
  
それで、今一度思い出して頂きたいのですが、
  
私たち人間は、ゲームのプレイヤーでは無く、【 登場人物 】です。
  
  
ゲームのプレイヤーは、ハイヤーセルフ(高次の自己)です。
  
  
人間である私たち「登場人物」は、
  
・幸せになりたい! 
・お金が欲しい! 
・恋人が欲しい!
・生きる意味を見つけたい! 
  
と、言いますけど、
  
ゲームを楽しむプレイヤーであるハイヤーセルフは、
  
【 カンタンに目的が達成されてしまったら
  ゲームの意味が無いじゃん! 】
  
と思っている訳です。
  
  
ドラゴンクエストをスタートして、
もし、いきなり勇者のレベルが99で、魔王を楽勝で倒せてしまったら?
  
そんなゲーム面白いか? やる価値や意味があるか?
  
って話です。
  
  
そんなゲーム、つまらなさすぎて、売れっこありません。
  
  
【 勇者が「困難」を通じて、成長していくプロセスやストーリー 】を、
プレイヤーは楽しんでいるのです。
  
  
ですよね?
  
  
スタートして1分でラスボスを倒せるゲーム。
   
そんなの、何も面白くありません。
  
  
ゲームの登場人物(人間の意識)は、
「苦しいのイヤだし、早く幸せになれば良いな〜」と思っていますが、
  
ゲームのプレイヤー(ハイヤーセルフ)は、
「苦しい所から幸せになっていくプロセス」を楽しんでいるのです。
  
  
だから、チートでゲームをクリアしても、
  
【 貴重な「経験」も「学び」】も得られないわけで、
  
ゲームをプレイする意味が無くなるのです。
  
  
ですから、「ビジネスでお金を稼ぐ事」について探求したい人が、
「宝くじ」にあたったり、「玉の輿」に乗ったり…、
  
そんな事になっても、まったく意味がありません。
  
【 学びが無い 】からです。
  
  
まず、「プレイヤーの目的」と「登場人物の目的」は違う。
  
という事を、理解する必要があります。
  
  
「登山」も同じです。 
 
ただ山頂に辿り着く事が目的であれば、
ヘリコプターに乗れば良いです。
  
ではなぜ、わざわざ歩いて行くのか?というと、
  
【 過程を楽しむため 】です。
  
  
ラクにクリアできたら、【 ゲームの意味が無い 】のです。    
  
  
「引き寄せの法則」や、「意識次第」に依存して、
  
「ラクして自分の望む結果が手に入らないかなぁ…?」
  
と思っている人は、
  
  
ドラクエの勇者が、
  
【 いちいち敵を倒してくのが面倒くさいから、
  プレイヤーが「チート」とか「裏技」を使ってくれないかなぁ?】
  
と思っているのと同じです。
  
  
でも、プレイヤーの目的は、
  
【「成長していく過程」や「ストーリー」を楽しむ事 】なので、
  
チートなんかしたら、ゲームが台無しになってしまいます。
  
  
だから、滅多なことが無い限り、やらないのです。
  
  
もし、プレイヤーがチートを使うとすれば、
  
「地球人生ゲームを既にクリアしている人」に対してでしょう。
  
  
例えば、バイオハザードみたいなゲームなら、2週目、3週目以降は、
  
無限ロケットランチャーなどの「強力な武器」を使えたりします。
  
  
でも、1週目から強力な武器を使えたら、ゲームの意味がありません。
  
  
あなたは、地球人生ゲームを既にクリアした、
  
2週目、3週目の達人ですか?って事です。
  
  
あとは、まだ地球人生ゲームをクリアしていない人でも、
人によって学ぶテーマは違いますから、
  
普通の人には扱えない、
「強い霊能力」を備えて生まれてくる人もいます。
  
  
でも、その人が「強い霊能力」を扱えるからと言って、
他の人もマネできるとは限りません。
  
  
ですから、
  
【 理論上可能な事でも、人によっては使えない、利用できない 】 
  
という事も、多々あるのです。
  
  
霊能力に長けた人が、もしチートっぽい事をしたとしても、
その人に出来たから、自分にも出来るとは限らないのです。
  
  
人によって【 学ぶテーマ、個性、才能 】は違うからです。
  
  
(転職システムの無い)ドラクエで言うと、
  
自分は「戦士」として生まれたのに、
「魔法使い」に憧れるようなモノです。
  
  
しかし、自分が「戦士」として生まれた以上、
  
自分の学ぶべきテーマは「戦士の道」なのです。
  
  
スピリチュアルが好きな人は、
よく霊能力に憧れを持ちますが、
 
霊能力なんて、
地球人生ゲームをクリアするために必要な要素では全くありません。
   
  
地球人生ゲームの目的は、
「霊能力の向上」では無くて、「精神性の向上」です。
  
  
カルト宗教の教祖は、だいたい「霊能力者」です。
  
でも、霊能力者でも、それを「呪い」とか、
「依存心の強い人を操るため」に使っている訳で、
    
霊能力者だからと言って、精神的に優れているとは限りません。
  
  
地球人生ゲームをクリアするという事は、
  
・「罪悪感」と「被害者意識」をゼロにする事
・自分と他人の「自由意志」を完全に許せる様になること
・自分と他人を「無条件」に愛せるようになること
・何もかも裁かなくかる、否定しなくなること
・あらゆる物事の陰と陽をバランス良く捉えられる様になること
    
です。
  
(※ 上記は全部、同じ内容を別の表現にしているだけです。)
  
  
それを、【 人間の一生(約80年)以内に達成する事 】です。
  
  
初めは、ゲームの目的や概要すら
忘れてしまった状態からスタートするので、
   
難易度的には、「かなり難しいゲーム」と言えるでしょう。
  
  
でも、その難しいゲームを、ハイヤーセルフは楽しんでいるのです。
  
  
ハイヤーセルフは、イージーなゲームをしたい訳ではありません。
  
  
私たちは、【 難しいハードなゲームの登場人物 】なのです。
  
  
いくら、「チートを使ってくれ! 裏技を使ってくれ!」と叫んでも、
  
ハイヤーセルフは許可してくれません。 
  
  
貴重な【 経験、学び、プロセス 】が台無しになるからです。
  
  
「ラクがしたい? 何言ってんの? 
  
 この難しいゲームを正攻法でクリアする事に価値と意味があるんじゃん!」
   
   
って事です。
  
  
別に、このゲームを途中でドロップアウトしても良いですが、
(今世での悟り・アセンションを諦めるということ)
  
おそらく、クリアできるまで、
何度も何度も、このゲームをチャレンジし続ける事になるでしょう。
  
  
今の時期(地球規模のアセンション)に生きている人の多くは、
  
地球人生ゲームのクリアを目指して、生まれてきています。
  
  
クリアを目指している人々が非常に多いので、
他人からポジティブな刺激を受けやすい環境にある訳です。
  
  
でも、難しいゲームですから、
クリア出来る人の割合は、そこまで多くありません。
  
  
真剣に自分の人生と向き合った人のみが、クリアできるのです。 
  
  
さてみなさんは、自分が生まれてくる前に、
  
【 自分が何を求めてこの時代に生まれてきたのか? 】
  
思い出せているでしょうか?
  
  
地球人生ゲームは、非常に難しいゲームです。
  
  
バイオハザードをハードモードでプレイすると、
  
何度も何度も、ゾンビに殺される事になるでしょう。
  
  
プレイヤー(ハイヤーセルフ)は、痛くも痒くもありませんが、
  
登場人物(私たち人間)からすると、
  
何度も何度も、怪我をして苦しまなければならないので、
たまったものではありません(笑)
  
  
その世界から脱出するには、【 正攻法でクリアする事 】です。
  
  
みなさんは、こういうゲームをしているのです。
  
  
プレイヤー(ハイヤーセルフ)にとっては、
登場人物が殺されても、痛くも痒くもありませんが、
  
登場人物である私たちにとって、痛みや苦しみはリアルなのです。
  
  
さて、この地球人生ゲーム。
 
   
・今世でのクリアを目指しますか?
  
・今世は諦めて、来世以降にクリアのチャンスを延ばしますか?
     
  
今現在問われているのは、そういう事なのです。


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2017年04月22日

意識で出来る事、出来ない事の線引き

スピリチュアルに興味ある人で、
  
「引き寄せの法則」とか、
「意識や思い込み次第で何でもできる」とか、
  
そういう話を信じる人は多いですが、
  
  
そういう人たちに一度考えて頂きたいのは、
  
【 意識で出来る事と、出来ない事の「線引き」】って付いてますか?
  
って事です。
   
    
【 自分の意識や思い込みが現実を創っている 】
   
よく言われる事ですし、私も上記の言葉に異論はありません。
  
その通りだと思います。
  
  
しかし、上記の言葉を「拡大解釈」している人が、
  
あまりにも多いと思います。
  
  
じゃあ、出来るモノなら、
  
意識次第で、今すぐスーパーマンの様に空を飛んで欲しいです。
意識次第で、今すぐ宝くじを当てて欲しいです。
  
  
・「出来ない」のであれば、なぜ出来ないのか?
  
・頑張れば出来る様になるのか?  
 頑張っても出来る様にはならないのか?
    
・出来る事と出来ない事、その違いは何なのか?
   
  
そういう事について、考えたことは無いのでしょうか?
  
  
私はスピリチュアルの世界を、
  
・ゲームのプログラマー (集合意識)
・ゲームのプレイヤー (ハイヤーセルフ・高次の意識)
・ゲームの登場人物 (個人の意識・エゴ)
  
に分けて説明します。
  
  
それが、非常にわかりやすいと思うからです。
  
  
例えば、ドラゴンクエストをプレイしようと思ったときに、
   
ドラゴンクエストには
ドラゴンクエストのルールがあります。
   
  
ゲームのルールに逆らってパラメータを書き換える行為は、
「チート行為」と呼ばれます。
  
チートを行えば、
全く死なない不死身のキャラクターを作成する事も出来るでしょう。
  
  
「チート行為」は【 理論上可能、物理的には可能 】ですが、
   
オンラインゲームで過激なチート行為を行うと、
運営者から、排除されてしまいます。
  
  
前回の記事で、バシャールの言葉を引用して、
  
あまりにも一般的な観念からかけ離れた状態になってしまうと、
集合意識から弾かれてしまう…
  
と書いたのと同じ事です。
  
  
なぜ、オンラインゲームでチート行為は禁止されているのでしょうか?
  
それは、「他のプレイヤーに迷惑だから」です(笑)
  
  
他のプレイヤーは、
そのゲームのルールに則ってプレイしている訳で、
    
チート行為をする他人が現れると、
通常の遊び方でプレイしている人間の邪魔になってしまいます。
  
真面目に敵を倒してレベルアップしていくことに
楽しみを感じているのに、
    
隣でチート行為によってレベルアップされては、
その「楽しみ」も台無しです。
  
  
ですから、
オンラインゲームでのチート行為は禁止されているのです。
  
  
チート行為は、「理論上可能、物理的に可能」でも、
  
基本的には利用できない様になっている訳です。
     
  
「現実」は、「意識」が創っています。
  
「ゲーム」は、「プログラム」で出来ているのと同じです。
  
  
そして、【 地球上で現実を生きる 】という事は、
  
  
ゲームで言うと、「プレイヤー」では無く、
「登場人物の立場」で生きているという事です。
  
  
ゲーム内の「登場人物(勇者)」が、
  
「ゲームプログラマ(開発者)」の立場になって、
プログラムを書き換える事はほぼ不可能です。
  
  
だから、
   
現実(ゲーム)は意識(プログラム)が作っているけれども、
   
そのゲームの【 プログラム(世界観・ルール)】の中で、
自分がどの程度自由に身動きできるか?
   
という事には、「制限がある」という事です。
  
  
自分がプログラマであれば、
  
・シミュレーションゲームでも、
・シューティングゲームでも、
・アクションゲームでも、
  
好きなゲームを作ることが出来るでしょう。
  
  
しかし、自分の立場を弁えて欲しいのですが、
  
あなたは「プログラマ」でも無ければ、「プレイヤー」でも無く、
  
【 ゲーム内の、「いち登場人物(主人公)」】なのです。
  
  
プログラマが設定した世界観の中でしか、身動きができない存在なのです。
  
そして、プログラマの作った世界観から
「大きくはみ出す存在」になれば、
  
その世界観の中には存在しておられず、
はじき飛ばされてしまいます。
    
  
ロールプレイングゲームの登場人物である勇者が、
  
ゲームのプログラムを書き換えて、
魔王のステータスやパラメータを弱体化させる…
  
そんな事は出来ないし、もし出来たとしてもゲームが台無しです。
  
  
自分はプログラマ(開発者)では無いのだから、
  
「地球という舞台設定」を書き換える事はできません。
  
  
だから、登場人物である自分には、出来ない事も多々あるわけです。
  
  
代表的な例は、【 世界設定を覆すようなチート行為 】です。
  
  
もちろん、登場人物の立場ではなく、
プレイヤーの立場に立てば、「チート行為」も可能です。
  
しかし、チート行為をするかどうかは、
「登場人物」では無く、「プレイヤー」が決めるのです。  
  
  
「意識の使い方次第で、ラクに恋人やお金を引き寄せたい!」
  
って言っている人は、
  
  
ゲーム内の勇者(主人公)が、
「もう敵と戦うのは疲れたから、チートしてくれよ!」
  
って、プレイヤーに語りかけているようなモノです(笑)
  
  
でも、そもそも地球に生まれる人には目的があります。
    
【 厳しい環境の中で、試練を乗り越えることによって、貴重な学びを得る 】
  
という事です。
  
  
しかし、人間はその目的すら忘れた状態で、生まれてきているのです。
  
  
例えば、自分が登山しようと思ったときに、
  
  
一応、緊急事態用のヘリコプターもあるけど、
よっぽどの事が無い限り、使えないようにしているからな。
  
それは、管理者である私(ハイヤーセルフ)が管理しているから、
もし、あなたが登山中に疲れたからヘリコプターに乗りたいと思っても、
  
絶対に許可しないからね。
  
そして、この話すら忘れて、
あなたは登山に挑もうとしているけど、それでもいいのか?
  
  
と言われ、上記の話を了承した上で、
みんな生まれてきているのです。
  
  
ですから、
  
引き寄せの法則とか、意識次第でラクに結果を出したいという人は、
  
登山本来の目的(プロセスから学びを得る)を忘れ、
  
ラクに山頂に辿り着く事(ラクに望みを叶える事)を
願ってしまっている訳です。  
  
  
でも、それは「ハイヤーセルフ」が許可しません。
  
登山に挑んでいる自分には、
ヘリコプターの使用許可を出す権限は無いのです。
  
  
自分はゲーム内の「登場人物」であり、
プレイヤーは「ハイヤーセルフ」です。
  
  
登場人物が、【 チート行為の存在 】を知ったところで、
  
チート行為を行うのかどうか決めるのは、ハイヤーセルフです。
  
  
そして、多くの場合、チート行為は禁止されています。
  
  
厳しい環境の中で、試練を乗り越え、
貴重な学びを得ていくことにこそ、
    
価値があるからです。
  
  
チート行為でズルしたら、【 貴重な学び 】は得られません。
  
  
私たちは、【 学び 】の為に地球で生きている訳であって、
  
ラクに結果が出せる状態が良いのであれば、
  
ずっと「死後の世界」に留まっていれば良いのです。
  
  
ラクな死後の世界から、わざわざ苦しい地球に生まれてきたのは、
  
厳しい環境の中から、学びを得るためでしょう?
  
  
試練をすっ飛ばして、ラクに結果を得ようとする人は、
   
その本来の目的を忘れてしまっているのです。
  
  
たまたまチート行為の存在を知ってしまった勇者が、
  
ずっとプレイヤー(ハイヤーセルフ)に対して、
【 チートして、ラクにクリアさせてくれないかなぁ…? 】
  
と、期待しているのです。
  
  
でも、プレイヤーはよっぽどの事が無い限り、
  
チート行為は行わないので、期待するだけ無駄です。
  
  
いくらチートを期待しても、
その願いは叶わないまま死んでいくのがオチです。
  
  
ですから、真面目に敵を倒して、レベルアップして、
  
正々堂々と魔王を倒すのが、一番の正攻法なのです。
  
  
私の教える「成長・人生好転メソッド」は、ゲームに例えると、
      
ズルいチート行為では無くて、
正攻法で効率良くクリアしていくための、【 攻略本 】です。
  
  
そして、攻略本が無ければ、
なかなかクリア出来ないくらいに難しいのが、
  
この地球で生きるという「人生ゲーム」です。
  
  
もちろん、私のメソッドを使わずとも、
クリアできる(悟れる)人もいるでしょう。
  
  
その人は、よほどのゲームの達人という事になります。
  
  
私は、ゲームの効率良く攻略していく方法を研究し、
  
それを教えている人です。
  
  
インターネット上で、
ゲームの攻略サイトを作っている人がいますが、
  
そういう人です。
  
  
まぁ、攻略サイト自体は数多くありますが、
  
私の作る攻略サイトが「一番質が高い」と自負していますけどね。
  
  
とにかく、自分はプログラマ(開発車)でも無ければ、プレイヤーでも無く、
  
ゲーム内のいち登場人物(主人公)なのです。
  
  
世界観を書き換える事もできなければ、チート行為もできません。
  
チートができるとしたら、
【 プレイヤー(ハイヤーセルフ)が許可したから 】です。
  
  
そして多くの場合、許可されません。
  
「貴重な学び」が台無しになるからです。
  
  
「あなたがチート行為を望んでも、許可しないからね!」
  
とハイヤーセルフに言われて、地球というゲームに参加してきたのに、
  
「いくら願ってもチートは許可されない」という事をすっかり忘れて、
  
無駄にチートに期待し続けているのです。
  
  
それが、「意識次第」や「引き寄せ」に期待する人たちです。
  
  
「チート(プログラムの書き換え)」では無く、
「ゲームのルールに則った正攻法」でゲームをクリアしたい人は、
  
私が教えますよ。
  
  
あともう一つ重要な事は、
  
プログラマー(開発者)にも、出来ない事はあります。
    
  
それは、【「宇宙の法則」に反する事 】です。 
  
  
プログラマーは、
  
C言語などの「プログラム開発言語」を使って、
プログラムを構築していきますが、
  
プログラマーは、
プログラム開発言語に逆らうことは出来ません(笑)
  
  
ゲームの世界観やルールを作っている「集合意識」も、
「宇宙の法則」には逆らえないのです。
  
  
そして、宇宙の法則には「カルマの法則」があります。
  
  
人間の意識でも、「カルマの法則」に逆らうことは出来ません。
  
  
自分が「困難を経験するようなカルマ」を積んでいたら、
  
それはもう、困難を経験するしかないのです。
   
   
それは、プログラマでも、プレイヤーでも、止められない事です。
  
   
いくら引き寄せの法則を学ぼうが、意識の使い方を学ぼうが、
 
カルマの法則に背いて、困難を帳消しにするような事は出来ません。
  
  
ですから、プログラマでもプレイヤーでも止められない
  
「カルマの法則」を人間の意識ごときが止められる訳が無い。
  
  
カルマの法則によって、自分が貧乏を経験する事が決まっていたら、
  
それはもう、誰にも止められない事です。
  
  
そのカルマを解消した後なら、金持ちになる事はできるでしょうけどね。
  
  
ですから、いくら「引き寄せの法則」や「意識の使い方」を学ぼうが、
  
カルマ的に、ラクに金持ちになれない人は、なれないのです。
  
  
そういう制限も、ちゃんと理解した上で、
  
【 意識が現実を創っている 】
  
というフレーズを使って欲しいですね。
  
  
そういう細かい概要を知らずに、
  
「引き寄せの法則」とか、「意識次第」と語っている人が多いですが、
  
私から見ると、アホにしか見えませんね。


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haxe501 at 12:10|Permalinkclip!

2017年04月21日

「理論上可能」と「現実的かどうか?」

バシャール・ペーパーバック2には、
  
(病気などに関して)
「広いお花畑の中に立てば治る、と信じればそうなります」
  
という事が書いてあります。
  
  
「小さい子供が病気になるのは、
 ほとんどの場合、過去からのカルマのバランスを取る為」
  
とも書いてあります。
  
  
バシャールは、時々
「理論上はこういうことが可能」という事を語ります。
  
  
1000年以上生きている人間も存在しているらしいですし、
生身の人間がテレポーテーションを行う事も、理論上は可能でしょう。
  
  
しかし、「理論上可能」と「現実的かどうか?」は別です。
  
  
理論上、意識次第であらゆる事が可能なのかもしれませんが、
  
「それが普通の人にも勧められることか?」というと、それは別です。
  
  
1000年以上生きるなんていうのも、理論上は可能かも知れませんが、
  
ゲームで言うと「チート行為」みたいなモノです。
  
  
映画マトリックスの「ネオ」みたいな感じですね。
  
仮想現実内で、自分に適応される
ルールやプログラムを書き換えられるのです。
  
  
スピリチュアルが好きな人は、
  
「意識次第で何でもできる」という話が好きです。
  
  
【「お花畑に行けば病気が治る」と信じる事ができれば、治る 】
  
そんな話が大好きです。
  
  
でも、それが理論上可能でも、現実的には非常に難しいこともあります。
  
  
なぜなら、地球には【 地球の集合意識が作ったルール(制限)】があり、
  
ほとんどの人は、そのルール(制限)に則って生きているからです。
  
  
3次元や地球で採用されている特有の物理法則があり、
  
意識次第でその「物理法則」からはみ出す事が理論上可能だとしても、
  
現実的とは呼べません。
  
  
  
そして、バシャールは

バシャール・ペーパーバック6の中で、

こういう事を言っています。
  
  
----------------------------------------------------------------------------
   
みなさんが信じることを選んできたこの現実、
この次元の中においても、一般的にはほとんどすべてのことが可能です。
  
もし、身長を六メートルにして青い皮膚をもつことが、
本当にみなさんが望むことであれば、それも可能です。
  
でも、みなさんが選んできたこの次元の、
同意された一般的な観念とは大きく異なるので、
  
もしなれたら、きっとみなさんは
  
瞬間的に六メートルの身長が当たり前の世界に
テレポートしてしまうことでしょう。
  
そしてこの「地球というゲーム」の中から、瞬時にして消えます。
  
----------------------------------------------------------------------------  
  
  
つまり、あまりに一般ルールと違いすぎるチート行為を行えば、
  
ゲームの中から弾かれてしまうのです。
  
  
【「理論上可能」と「現実的かどうか」は違う 】
  
という事です。
  
  
私は何よりも自分と他人が望む結果を出すことを目的としているので、
  
「理論上可能」だとしても、「現実的で無い手段」は採用しません。
  
  
・理論上可能で、極めて難しい方法を選ぶのか?
  
・現実的で、誰もが結果を出しやすい方法を選ぶのか?
  
  
です。
  
  
私は、理論上可能だとしても、「現実的でない方法」は他人に勧めません。
  
  
「治ると信じれば治るんだから、信じろ!」
「金持ちになれると信じればなれるんだから、信じろ!」
  
って言ったって、
  
「集合意識からはみ出すレベル」で
すんなり信じる事ができれば苦労はしません。
  
  
宇宙では、「もっとも抵抗が少ないルート」で現実化が起こります。
  
電流が、もっとも抵抗が少ない道筋を選ぶのと同じです。
  
  
もしかしたら、意識次第で、
  
「運動せずに筋力を身に付ける事」も理論上は可能かも知れませんが、
  
一般ルールからみると、そんな難しい事に取り組むより、
    
【 潔く運動した方が、ラクで早いよ 】って話です。
  
  
出来る様になるかわからないテレポーテーションを習得する為に、
毎日何年も修行を積むより、
   
電車やタクシー、飛行機に乗った方が、
トータルでみたら、労力も少なくて済むし、早いよって話です。
  
  
チート行為は理論上可能かも知れませんが、
  
チート行為はできる人間が限られていたり、
習得するのに、何年かかるかわからないし、
  
もしかしたら、出来ないままに死んでしまうかも知れません。
  
  
そんなリスクの高い手段に賭けるより
私は、チートを使わない「現実的な方法」を推奨しているのです。
  
  
スピリチュアルが好きで、
「理論上は意識次第でこういう事が可能らしいよ!」って
  
そんな話に興味を持つのは別に構いませんけども、
  
じゃあ、自分の意識次第でがんばってチートをマスターして、
早く現実で結果を出してみて下さいって感じですね。
  
  
私は、効率的にスムーズに結果さえ出せれば良いですから、
  
チートの方が良いと判断したら、チートを推奨します。
  
  
でも、多くの場合、
  
【 集合意識から大きくはみ出す「チート行為」に取り組む方が遠回り 】
   
だと思うので、「現実的な方法論」を推奨するのです。


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haxe501 at 09:27|Permalinkclip!

2017年04月20日

優先順位の超重要性

・お金を稼ぎたければ…
・幸せになりたければ…
・健康になりたければ…
・望みを叶えたければ…
  
とにかく、現状よりも良い結果が欲しいなら、
「○○した方がいいよ」っていう方法論は、
  
巷に溢れかえっています。
  
  
・どれから手を付けて良いのかわからないほど、
・本当に効果があるのかどうか疑わしいモノまで、
  
非常に数多くの方法論が存在しています。
  
  
そんな時代に大切なのは、
  
何よりも【 優先順位 】なのです。
  
  
「優先順位の重要性」が理解しやすい例え話をすると、
  
例えば、風水では金運的に 
「黄色い財布」が良くて、「赤い財布」は良くない
  
と言われます。
  
  
じゃあ、
   
・300円の「黄色の財布」と
・エルメス、ヴィトン、シャネルなどの高級ブランドの「赤い財布」
    
どっちかプレゼントしますよって言われたら、
どっちが良いですか?(笑)
    
どっちが金運に良さそうですか?(笑)
  
  
おそらく、ほぼ全員が
「高級ブランドの赤い財布」を選ぶと思います。
  
  
って事は、黄色が良いって言われているけど、
  
高級ブランドの「ブランド力」や「素材の良さ」の前では、
  
黄色か、赤色か、っていう
【 色の優先順位は低い 】という事です。
  
  
「やった方が良い」と言われることが、腐るほど存在している中で、
    
その全てを気にして、全てを行う事など不可能です。
  
  
効率的に高い結果が欲しければ、
「より影響力の強い、優先順位が高い方法論」に取り組むべきです。
  
そして、「影響力が弱く、優先順位が低い方法論」は、
別に取り組まなくても良いし、捨てて良いのです。
  
  
「幸せになりたければ、これをやった方がいいよ」
っていう方法論が、100個あったとしたら、
  
そのうちの「最も影響力の強い3個」くらいしかやらなくて良いのです。
  
  
逆に言うと、残りの97個は捨てるべきです。
  
それに取り組む「時間」と「労力」が勿体ないですから。
  
  
大切な事は、無数に存在している方法の中で、
  
【 影響力が強く、優先度が高い方法はどれか? 】
  
を、見極める事です。
  
  
それを見極められないと、
無駄に「影響力が弱く、優先度が低い方法」に取り組んでしまって、
  
自分の望む結果も出ないという事になります。
  
  
多くの人は、「自分が取り組む方法」を選ぶときに、
  
・なんとなく良いかなと思って…
・他人に勧められたから…
   
という様な理由で、特に深く考えることもなく、
自分が取り組む方法をチョイスしています。
  
  
それが本当に結果に結びつくかどうか?
  
考えたりしないのです。
  
  
何となくでは、
  
【 結果を出すために影響力が強い方法 】を見抜く事はできません。
  
  
例えば、これから一週間、
「水」も「食糧」も得られない無人島で暮らしてもらいます。
   
「水」と「食糧」、どちらか持って行けるとして、
どちらを持って行きますか?
  
  
と聞かれたら、「水」を選択しなければなりません。
   
人間の身体にとっては、「水」の方が重要だからです。
  
  
  
他にも、「異性にモテたい!」って言う人がいて、
  
どう考えてもファッションがダサくて、トークも面白く無い。
    
そんな人が、「本に書いてある口説き文句」を必死に覚えようとしても、
【 その前に、先にやることがあるだろ!】って話ですよね?(笑)
   
   
こんな風に、「これよりも、あれの方が重要」って言うことは、
何にでもあるのです。
  
  
  
私は、どんな方法論に対しても、
  
「影響力の強さ」を確認して、
「優先順位」を自分の中で整理しています。
  
  
そして、常に
  
【「影響力」が強く、「優先順位」が高い方法 】から、
  
順番に取り組んでいきます。
  
  
ですから、効率的に望む結果を出すことができます。
  
  
「優先順位」がわかっていない人は、
「影響力の強さ」もわかっていないので、
  
「影響力の弱い方法」ばかりに取り組んで、
【 時間とお金と労力を「無駄」 】にしてしまうのです。
  
  
例えば、私のオススメする方法論に、
  
・不要品を捨てる(断捨離、無駄を省く)
・神棚を設置する
・パワーストーンを身に付ける
・派手な服装をする
   
などがあります。
  
  
これらの方法論自体は、他の人も言っていることですよね?
  
  
でも、どれよりもどれの方が影響力が強く、先に取り組むべきか?
  
  
という【 優先順位 】を理解している人は、他にいません。
  
  
とある一人の専門家が、追究している一つの専門分野は、
  
私のメソッドの中では、「ひとつの部品」でしかありません。
  
  
昔、「中井さんの言っている事って、他の人も言ってますよね?」
  
って言われたことがあるんですけど、笑ってしまいますね。
  
    
「私が言っている事」と「他の人が言っている事」は
【 大して変わりが無く、同じ様なモノだ 】と思われたようです。
  
  
そりゃ、他の人がオススメしている方法論と、
私がオススメしている方法論が被っている事もあります。
  
  
でも、
  
・パワーストーンの専門家
・心理の専門家
・教育の専門家
・ビジネスの専門家
  
この世にはいろんな専門家が存在していますけど、
  
大抵の専門家は、
ひとつかふたつくらいの分野しか詳しくありません。
  
  
ですから、無数にある方法の「影響力を強さ」をそれぞれ見極めて、
  
【 効果が高い順に「優先順位」を付ける 】
  
なんて言う概念すら持っていないでしょう。
  
  
パワーストーンの専門家は、
パワーストーンの事しか詳しくありませんが、
  
私にとってパワーストーンは、
「自分が知っている様々な手段のうちの一つ」でしかありません。
  
  
まぁ、石のエネルギーを実際に感じられておらず、
「パワーが無い石」を扱っている人ばかりなので、
  
本当に「石のエネルギー」を感じられる
まともなパワーストーンの専門家自体が、
  
世にほとんど存在していませんが…。
  
私から見ると、自分がエネルギーをわかってないクセに、
エネルギーがあるモノとして、
  
実際にはエネルギーが無いモノを売ってるんだから、 
詐欺師と変わりません。
  
  
一方私は、人の生活水準を引き上げるために、
  
(本当にエネルギーを放っている) 
「パワーストーンが何番目に取り組むべき方法論か?」
  
という、順番を理解しています。
  
  
そして、「優先順位」というのは、
順番を入れ換えるとまったく上手く行かなくなります。
  
  
例えば、部屋をキレイにしようとしたとき、
  
「整理収納」と「不要品の処分」
  
どちらを先に行うべきでしょう?
  
  
もちろん、「不要品の処分」です。
   
では、先に整理収納してから、
不要品の処分を行おうとすると、どうなるでしょう?
  
  
せっかく整理収納してキレイに収めても、
また穴が空いて、やり直しです。
   
   
他にも、経済状況を良くしようと思ったときに、
  
「無駄遣いを減らすこと」と「収入を高めること」
    
どちらを先に行うべきでしょう?
  
  
もちろん、無駄遣いを減らす事です。
  
無駄遣いを減らそうとしないままに、収入を高めても、
高めた収入をまた無駄に浪費していまいます。
  
  
このように、物事には「正しい手順」があるのです。
  
  
しかし、ほとんどの人は、
  
・経済状況を良くする為の手順
・幸せになるための手順 
・人間関係の問題を解決する為の手順
・健康になるための手順
  
を、理解していません。
  
  
まぁ、優先順位を研究している専門家がいませんからね(笑)  
  
  
何事も、「影響力の強い順」、「優先順位が高い順」に
取り組んで行かないと、効果は出ないのです。
  
  
影響力の強さや、優先順位がわかっていないから、
 
・なんとなく…
・他人に勧められたから…
  
という様な、
曖昧な理由で「特定の方法論」に取り組んでしまうのです。
  
  
しかし、【 影響力の強さ、優先順位 】がわかっていない状態で、
  
「なんとなく…、他人に勧められたから…」
  
という理由で取り組んでも、効果が出る確率は低いです。
  
  
  
私は、それぞれの方法論の「影響力の強さ」を確認し、
「優先順位」を付けて整理しているので、
   
非常に高い確率で、結果を出し続ける事が出来るのです。
  
  
それぞれの方法論の「影響力の強さ」と「優先順位」を理解しない限り、
  
確実に、効率的に、結果を出し続ける事はできません。
  
  
なんとなく、他人に勧められたから… という理由では、
   
【 影響力が弱く、優先順位が低い「ハズレの方法論ばかり」】
  
に取り組んでしまう事になるでなるでしょう。 
  
  
私のメソッドの真骨頂は、【 優先順位 】にあります。
  
  
「中井さんの言っていることは、他の人も言ってるよね」
   
って思う様な人は、本当にまったく何も解っていないのです。
  
  
  
私が他人のサポートをする時は、
  
「相手のどこが出来ていて、どこが出来ていないか?」を見抜いて、
  
相手にとって【 優先順位が高い方法論 】から勧めていきます。
  
  
相手の状況によっては、
  
「転職」を勧めるかもしれなしいし、
「引っ越し」を勧めるかもしれなし、
  
「お金」に関する方法論を優先的に伝えるかもしれないし、
「健康」に関する方法論を優先的に伝えるかもしれません。
  
  
私は、「生活水準を高める」という目的において、
【 あらゆる分野の方法論の影響力の強さ 】を整理しているから、
  
一つの分野のことしか詳しくない様な人とは、
「視野の広さ」が雲泥の差なのです。
  
  
私の伝えている内容では無く、
  
何より何が「先」で「重要」だ…、という優先順位こそが、
  
私のメソッドの【 神髄 】です。
  
  
優先順位こそ、確実に、効率的に、結果を出すために必要なのです。
  
  
料理でも、掃除でも何でも、
正しい手順を踏まないと、望む結果は出ません。
  
  
とある料理を作ろうとしたときに、
  
「食材を切ってから焼くか? 焼いてから切るか?」
   
それだけでも、まったく結果は違ってしまうでしょう。
  
  
パスタ(乾麺)を茹でてから、ソースに絡めるか?
茹でる前のパスタ(乾麺)をソースに絡めてから、茹でるか?
  
それを入れ換えるだけで、全然違ってしまいます。
  
  
「手順」や「優先順位」がわからず、
  
無数に存在する方法論を、ただバラバラに取り組んでいても、
  
結果など出せないのです。
  
  
そして、優先順位を解明することは、超高難易度の頭脳労働です。
  
私を、「他の人と言っている事が同じ」なんて思う人は、
  
物事を見る目がまったくありません。 
  
  
完全な節穴です。


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haxe501 at 17:54|Permalinkclip!

2017年04月19日

信じる基準

最近、私の「思考法」について、
他人にお話しする機会が多いのですが、
  
私は非常に論理的・合理的に考えます。
  
  
論理的思考…、英語ではロジカル・シンキングですね。
  
  
その「ロジカル・シンキング」の一種に、
「クリティカル・シンキング」という思考法があります。
  
  
どんな情報に対しても、
「鵜呑み」にせず「批判的な態度」で疑ってかかり、
   
目的や前提を明らかにし、問題や原因を特定し、
「最適解に辿り着くため」の思考法です。
  
  
既存の常識を疑ってかかり、
ゼロベースで考える思考法とも言えます。
   
  
私もこのクリティカル・シンキングという言葉を最近知ったのですが、
  
私は、この「クリティカル・シンキング」に、
非常に長けている様です。
  
  
おそらく、世界トップレベルに長けていると思います。
  
  
ちなみに、私は「計算」が苦手です。
  
「短期記憶」の能力もそれほど高くありません。
  
  
「ペーパーテストの点を取る為の能力」には、長けていないのです。
  
  
特に、暗算が苦手なので、暗算能力だけが問われる場にいれば、
私はその中で「アタマが悪い人」になってしまうでしょう。
  
別に、仕事に支障が無いので全然か構いませんけど。
  
  
ということで、「学校のお勉強」で言うと、
  
おそらく私の学力は、
全体から見て「中の上」くらいだと思います。
  
  
学校の勉強だけがアタマの良さではありませんからね。
  
私の才能と能力は、学校教育では計れない訳です。
  
  
しかし、コンピュータが発明されるまでは、
  
「計算力」と「記憶力」は、非常に重要な能力だったのでしょう。 
  
  
ですから、学校ではそれらを鍛える教育をしていた訳です。
  
  
ここで、私お得意のクリティカル・シンキングを発動させると、
  
「そもそも、勉強の目的は何なのか?」という問いが生まれます。
  
  
で、「子供が勉強する目的」はひとつしかありません。
  
【 将来、仕事をして、お金を稼ぐ為 】です。
  
  
勉強の本来の目的は、「お金(経済力)」なのです。
  
  
昔は、
  
勉強 → 学歴(大卒) → 公務員・一流企業 → 高卒よりも良い給料
  
という事で、【「学力」と「収入」】が連動していました。
  
  
ですから、
  
「学力が低い」=「経済力に期待が持てない、お先真っ暗」
  
と言うことで、「勉強できるかどうか?」は、
死活問題だと思われていた訳で、
  
勉強ができない事は、絶望的だった訳ですね(笑)
  
  
で、コンピュータが誕生すると、「仕事の全て」が変わりました。
  
計算と記憶は、コンピュータがやってくれます。
  
  
学校で鍛えられた能力は、大した価値を持たなくなりました。
  
  
今、ちょっと意識の高い親は、
子供に英語を教えようとしていますけど、
  
それも、将来の仕事に役立つだろう…と思っての事でしょう。 
 
  
しかし、人工知能の自動翻訳機能が発達したら、
「仕事における英会話の必要性」が、かなり下がってくるハズです。
  
  
今、子供に教えている事は、将来全く役に立たない可能性もあります。
  
  
「仕事の役に立たない知識や能力」の事を、【 趣味 】と呼びます。
  
  
ですから、現代の学校教育では、
    
何百時間もかけて、「趣味」を教えている事になります(笑)
  
  
思い出して頂きたいのですが、
  
勉強の目的は、「仕事」の為であり、「お金」の為です。
  
  
それ以外の知識や能力は、【 趣味・教養 】と呼ばれる部類です。
  
  
現代の学校教育では、
「趣味」や「教養」をたくさん教えていて、
 
将来、仕事に役立つ知識や能力を
身に付けさせられる場所ではありません。
  
  
コンピュータとインターネットの誕生で、
  
【「仕事」と「お金」に必要な知識と能力 】は、
昔とは、ガラッと変わってしまったのです。
  
  
次は、AIの波がやってきますからね。
  
それを見越して教育しないと、教育も無駄になります。
  
  
  
こうやって常識を疑ってかかるのが、
クリティカル・シンキングです。
  
  
しかし、普通の人は、常識を疑いません。
  
常識を鵜呑みにして、信じます。
  
  
次は、【 信じる 】っていう精神的行為について次は語ります。
  
  
人にはそれぞれ、何を信じるか?という、
   
【 信じる基準 】というモノが存在しています。
  
  
・常識だから、信じる
・親の言うことだから、信じる
・学校で教えられたから、信じる
・信頼している相手だから、信じる
・尊敬している相手だから、信じる
・大手のメディアだから、信じる
・有名人の発言だから、信じる
・大学教授や権威の発言だから、信じる
  
  
人は、「何を信じて、何を信じないのか?」という基準を、
   
無意識に持っています。 
  
  
そして多くの人は、
  
【「多数決で多い方」を信じる 】という基準を持っています。 
  
  
しかし、コペルニクスやガリレオが地動説を唱えたとき、
  
常識(多数決)では、天動説が信じられていました。
  
  
ほとんどの人が、
【 事実と異なる間違ったこと 】を信じていたのです。
   
  
そして、現代でもそれは同じです。
  
【 事実と異なる間違ったこと 】を多くの人々は信じています。
  
  
私は、「間違った事」を信じてしまうのがイヤです。
  
間違った事を信じていては、自分の望む結果が出せないからです。
   
  
例えば、子供がお金持ちになりたい!と思ったときに、
  
学校の先生に「どうしたらいですか?」と聞いたら、
「とにかく勉強しなさい!」って教えられると思います(笑)
  
  
それを信じていては、お金持ちにはなれません。
  
  
間違った事を信じていると、
自分の望む結果には辿り付けないのです。
  
 
私は、間違った事を信じたくないから、 
  
信じる基準が、人とは違って非常にシビアです。
  
  
私が信じる基準は、
  
「論理的に筋が通っているかどうか? 矛盾がないか?」
 
「自分が検証した事を、他人にも試してもらって、
 数多くの他人も同じ結果が出た、
 そして、それを覆す出来事は未だ起こっていない」
  
という事などです。
  
  
常識とか、有名人とか、権威とか、学校の先生とか、親とか、 
   
そういうのは、一切信じるに値しません。
  
  
私から見たら、「常識を鵜呑みにする人」は、
  
昔の【 地球は平面であると信じていた人たち 】と同じです。
  
  
別に、間違った事を信じていても特に困ってないし、
何の問題も無かったから、
  
当時の人たちはそれでも良かったのでしょう。
  
  
ただ、私の望みと目的は、
  
【 効率的に望む結果を出す 】
  
という事なので、
  
出来る限り慎重に、真実と事実を突き止めようとするのです。
  
  
ここで明らかにしたいことは、
 
常識を信じたい人は、別にそれでもいいですけど、
【 間違った事を信じてしまう確率が、極めて高くなる 】
  
という事です。
  
  
そして、事実と異なる間違った事を信じている限り、
  
【 自分の望むような結果は出せない 】という事です。
   
   
疑うっていうのは、自分のアタマに負荷がかかります。
  
他人の言うことを鵜呑みにして、信じてしまったほうが、
アタマを使わなくて良いのでラクでしょう。
  
  
おそらく、ほとんどの人が常識を覆されたくないのは、
  
「一体何を信じて良いのかわからなくなる状態」に
陥りたくないからだと思います。
  
  
本来、考える事は楽しいのですが、
  
多くの人は、用意された正解が無い「問い」について考え、
答えを探ることに、嫌気が刺している様です。
  
  
それも、学校教育の弊害です。
  
  
「今日の昼ご飯は何食べようかな?」は、考えるのに、
  
「これから人生をどうしていくの?」は、考えたく無いのです(笑)
  
  
他人から敷かれたレールに乗ることに慣れきっていて、
レールを用意して欲しいのです。
  
  
昔は、「終身雇用・定年退職」というレールが存在していましたが、
それも、もうほとんど存在しないも同然です。
  
だから、現代人は将来に不安を感じているのです。
  
  
そして、その不安は必ず現実化するでしょう。
  
  
私は、他人に「レール」や「正解」を用意することは出来ませんが、
  
納得の行く「答え」に辿り着くためのヒントを
たくさん持っています。
  
  
しかし、何よりも大切な事は、
  
【 本人が何を望むか? 】です。
  
  
「幸せになりたくない人」に対して、
【 幸せになる方法 】を伝えても、意味はありません。
  
「自分の情熱を見つけたくない人」に対して、
【 情熱を見つける方法 】を伝えても、意味はありません。
  
  
多くの人が、満たされた人生を送れないのは、
「強い望みを持っていない」からで、
  
「望みを持ってもどうせ無駄、叶わない」  
と思い込んでいるからでしょうね。
  
  
【「自分は無力だ」という思い込み 】が激しいのです。
  
それも、「先祖、親」から代々引き継いできた思い込みです。
  
  
子供は、親の思い込みを引き継ぎますからね。
  
  
そんな人に、
  
・現実は自分の意識が創っている
・自分を変えることで、現実も人生も大幅に変えられる
  
と言っても、なかなか信じられないでしょう。
  
  
私は、他人に何か強い望みや目的があれば、
その望みを叶え、目的を達成する方法を伝える事ができます。
  
ただし、絶対的な「宇宙の法則」に反すること以外は…ですが。
  
  
最終的に問われるのは、
  
本人の【 強い望み、想い、意志 】ですね。
  
  
それが無い人は、人生を変えることが出来ませんから、
諦めるしか無いでしょう。
  
  
人生は厳しいのです。
  
舐めてかかって、余裕しゃくしゃくで乗り越えられるほど、
イージーなゲームではありません。
  
  
舐めてかかったらやられてしまうからこそ、
真剣に、本気で取り組まなければならない。
   
それこそが、人生というゲームです。
  
  
それがわからない日本人はイージーモードで遊びすぎて、
本来の難易度を忘れてしまうくらいに、平和ボケしているのです。
  
  
他人から諦めろ!って言われて、それで諦めてしまうくらいでは、
  
どのみち、自分の意志はその程度で弱かったという事です。
  
  
もちろん、他人から「お前はやれば出来る!」って
励ましてもらったから、成し遂げられたっていう人もいるでしょうけど。
  
  
でも、この世には、
    
「諦めろ」って言う人と、「やれば出来る」って言う人と、
両方が存在していると思うんですね。
   
   
「宇宙の法則に反する願い(他人の自由意志の侵害など)」
はどうやっても叶いませんから、潔く諦めた方が良いですが、
   
自分の幸福追求は誰でも実現可能だし、諦める必要がありません。
  
  
最後は、「自分がどっちの意見を信じるか?」でしょう。
  
  
「何を信じるか?」という基準で、人の人生も決まってしまうのです。


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