2017年02月

2017年02月05日

絶対は存在するという確信のメカニズム

昨日は、弟子の吉田さんと喋って、
  
「感情に対する認識」と、
「人生観・人間観」のチェックを行いました。
  
  
で、この世に出回っている情報は、
ウソだらけ、間違いだらけ、詐欺だらけ。
  
  
【この世に存在する情報の約95%は、
 「間違った情報」だと思った方が良い 】
    
だから、「検証が大切なんだ」という話をしました。
  
  
じゃあ、「検証とはなんぞや?」って話なんですけど、
  
【 真実に確信を持つため 】に、検証が必要なのです。
  
  
自分が何らかに確信を持っていると、
迷いが無くなり、強気になります。
  
  
迷いが無くなり、強気になるという事は、
【 力強いパワーが湧いてくる 】と言う事です。
  
  
確信は、パワーなのです。
  
  
じゃあ、どうやったら確信を持てるか?というと、
  
1.理屈を理解する(この段階では、自分の中ではまだ仮説)
2.何回も検証を重ねる(検証数が多い方が、確信が深まる)
3.上記を覆す「反証」が未だ出てきていない、発見されていない
  
この、3つの条件をクリアすると、確信が持てるのです。
  
  
数学の方程式の計算に例えると、
  
1.公式を理解する
2.何度も公式を使って計算問題を解く
3.公式が間違っていたという反証は未だ出てきていない
  
だから、「公式」に確信が持てるわけです。
  
  
【 理屈の理解 → 何度も検証 → 反証が存在しない → 確信が持てる 】
  
ということです。
  
  
例えば、円周率は3.1415…ですが、
  
この円周率が間違っている事って、想像しにくいですよね?
  
  
この世に存在するあらゆる商品・建築物は、  
円周率を用いて、計算して作られています。
  
  
円周率が間違っていると言う事は、
  
この世の全ての人が、円に対する考えを同じように間違っていて、
あらゆる商品、建築物の円は歪んでいる…、
  
と言う事になります。
  
  
そんな事はあり得ないですよね?
  
  
「宇宙の法則」に関しても同じです。
  
  
例えば、この三次元空間では、重力が働いています。
  
「重力の強さ」に変更が加わることも想像しにくいです。
  
  
そんな事が起これば、
惑星の軌道が崩れ、銀河も太陽系も崩壊します。
  
人間の作った建築物も崩壊します。
  
  
40億年以上も、地球は太陽の周りを回っています。
  
その間に、一回でも重力に変更が加わっていたら、
地球は軌道を崩して、太陽系は崩壊しているでしょう。
  
  
【 「物質」や「現象」が安定して存在しづける 】には、
  
土台となる安定した「法則」が必要なのです。
  
  
全ての物質も、現象も、法則を土台にして存在していると言う事です。
  
もしも、法則に変更が加わる様な事があれば、
物質も現象も、安定して存在し続ける事が出来ません。
    
  
ですから、「数学や理科(自然法則)」は、普遍であり、不変なのです。
  
  
【 科学・論理・数学・法則 】は、
「100%を追求する学問、思考プロセス」であり、
  
統計学(多くの人間の傾向)とはまったく違います。
  
  
中学校の理科で、
BTB溶液を使って「ph」を計る実験がありました。
    
中性は緑、アルカリ性は青、酸性は黄色になります。
  
  
人間は二酸化炭素を吐きますから、
ストローでブクブクとBTB溶液に息を吐き続けると、
    
水は二酸化炭素を吸収して炭酸水になって、
酸性になり、黄色になります。
  
  
世界中の理科の授業で、この実験は行われています。
  
それでも、実験結果がおかしくなった事は無いのです。
   
  
そんな事があれば、科学者がまた研究し出しますし、
理科の教科書は書き換えられるでしょう。
   
   
もし、色が黄色にならない学生がいたら、
その子は人間か?って話になりますね(笑)
  
  
例えば、名探偵コナンとか、金田一少年の事件簿とか、
トリックを解いて、真犯人を見つけるミステリー作品があります。
  
  
その真犯人を見つけ出すプロセスも、論理的思考を使っています。
  
  
論理的思考とは、カンタンに言うと、
  
1.鳥は卵を産みます。
2.カラスは鳥です。
3.さて、カラスは卵を産むでしょうか?
  
という様な、思考プロセスです。
  
  
「A.鳥」=「B.卵を産む」
  
「A.鳥」=「C.カラス」 
  
「C.カラス」=「B.卵を産む」
  
  
「A=B」「A=C」であるならば、「B=C」である…、
  
という風に、数学と同じように、イコールとイコールを繋げる訳です。
  
  
探偵の推理も、
  
・犯人は、こういう条件の人間であらねばならない
・犯人の条件を満たす人間は、この人しかいない
・だから、犯人はこの人だ
  
と、イコールで繋げている訳です。 
  
  
で、論理的思考では、
  
【 100%、絶対 】を軸に、考えます。
  
  
「100%、絶対なモノとは何か?」
  
という事を明らかにして、それをベースに考えるのです。
  
  
ある「100%絶対」と、別の「100%絶対」をイコールで繋ぐのが、
  
論理的思考です。
  
  
もし「100%絶対」で無ければ、イコールで繋げられませんよね?
  
  
例えば、
  
1.全ての鳥は卵を産むかもしれないし、産まないかも知れない
2.ペンギンは鳥かもしれないし、鳥じゃ無いかも知れない
3.さて、ペンギンという生き物は卵を産むでしょうか?
  
ペンギンをまったく知らない人からすれば、
そんなのわかんねーよ!って話です(笑)
  
  
【 100%絶対を明らかにして、それをイコールで繋げていく 】
  
それが「論理的思考」です。
   
  
言い換えれば、「数学的思考、科学的思考」です。
  
  
そして、【 100%絶対と言えるモノ 】の条件は、
  
1.理屈で筋が通っている(論理的に破綻していない)
2.何回検証を重ねても、同じ結果が出続ける
3.上記を覆す「反証」が存在していない
  
という事です。
  
  
科学も数学も、上記の様な思考プロセスを通して、
  
研究されてきた学問です。
  
  
「科学」も「数学」も、
統計学とは違って、「100%絶対そうなる!」が基準です。
   
  
フェルマーの最終定理も、
  
【 仮説では無く、理屈で証明される必要 】があったわけです。
  
  
そういう科学も数学も、
【 絶対に揺るがない自然法則を追究する学問 】なので、
    
多くの人が、科学や数学を頼りに仕事をして、生きているのです。
  
  
私もそうです。
  
  
火を使って水を沸騰させるのも、
冷凍庫で氷を作るのも、科学です。    
  
毎日、何十億人もの人が、
火を使ってお湯を沸かしています。    
  
  
火を使って、水が氷になった人は、未だ存在していないのです。
  
世界中の人々が、毎日検証して、
自然法則を証明してくれているのです。
   
  
科学者とは、「最も疑り深い性格」の人種です。
  
  
科学者にとっては、「90%」も「99%」も信頼できません。
  
100%絶対の自然法則を求めるが故に、「例外の存在」を許しません。
  
  
例外が存在すれば、
自分はまだ完全にメカニズムを理解していないという事になりますし、
  
完全にメカニズムを理解するために、
なぜ例外が存在するのか?を研究し続けます。
  
  
例外が存在しなくなる所まで、深い部分のメカニズムを突き詰めると、
  
それは、「自然法則」と呼べるシロモノになるのです。
  
  
まぁ、この記事を読んでも、ほとんどの人は理解不能でしょうね(笑)
  
  
私は科学者ですが、科学者タイプの人間は少なく、
「私の方が少数派である」という事は理解していますから。
  
  
ただ、何かに確信を持ちたければ、
   
【 筋の通った「理屈」や「仕組み」を理解して、
  その理論を元に、何回も検証を重ね、
  
  例外が発生する事なく、同じ結果が出続ければ、     
  自然と確信が深まる 】
  
という事です。
  
  
【 1.理屈の理解 】と【 2.大量の検証 】
  
  
これが、確信の根拠であり、確信のメカニズムです。
  
  
これが出来なければ、何に対しても確信を持つことは出来ません。
  
  
主体性が無い人は、理解もしないし、検証もしません。
  
「他人(目上や権威)」の言うことを、
  
理解する事も無く、検証する事もなく、鵜呑みにしています。
  
  
それも、学校教育のせいです。
  
学校教育では、学校の先生が正解か不正解を決めます。
  
  
インターネットで、最新の歴史を学んだ生徒が、
  
学校の先生に、
 
・教科書の内容は間違ってます!
・次のテストでも、明らかになった最新の歴史の答えを書きます!
  
と言えば、その生徒はバツをもらうでしょう。 
  
  
要は、
  
【 先生の言うことが、無条件にマル 】
   
【 先生がシロと言えば、クロでもシロになる 】
  
という教育です。
  
  
そういう教育を受けたら、
  
自分で考えるのがバカバカしくなって、思考を放棄して、 
  
【 ただ、目上の人の「言いなり」になって生きていこう 】
  
っていう思想になります。
  
  
先生の教えることを疑おうものなら、
  
テストではゼロ点になってしまいます。
  
  
テストで良い成績を収めるためには、
他人の評価を得るためには、
  
真実を明らかにする事よりも、先生の発言に従うことなのです。
  
  
そうやって、
人々にネガティブな奴隷根性が叩き込まれていく訳です。
  
  
その奴隷根性を叩き直すには、
  
・先生も間違ったことを教える可能性がある
・先生は頼りにならない、責任を取ってくれない
  
という真実を認めなければなりません。
  
  
そうすればこそ、
自分の頭で考えて理解し、検証することの重要性もわかります。
  
  
奴隷根性を持ち続けている人間は、
  
【 権威や先生のいうことに従って生きていればいいんだ 】
   
と思っている訳です。
  
  
だから、深く考えません。 
  
  
主体性もないし、受け身の姿勢で、
理解しようともしない、検証しようともしない…。
  
  
結果的に、何も理解できず、何に対しても確信を持てず、
  
よくわからないまま、目先の感情に流されて生きていくのです。
  
  
私は、主体性のない人間は、
どれほど物事を理解しようとしていないか?
   
ということに、最近驚きました。
  
  
いくら理解させようとして教えても、
本人が理解をする気がないのです。
  
「理解したつもり」とか、「理解できたフリ」をするのです。
  
  
そして、人間は恐怖を感じると、頭が真っ白になって、
  
理性など吹っ飛んで、感情的に行動してしまうのです。
  
  
ですから、どんなにIQが高い人だとしても、
人間は恐怖を克服し続けないと、愚かな行動をし続けるということです。
  
  
そして、恐怖を克服するには、
  
【 自分が感情を作っている 】という事実を理解する必要があります。
  
  
「感情に対する認識」が間違っている人は、 
 
【 自分で感情をコントロールできる 】とは思っていません。
  
  
ですから、恐怖を克服しようともしません。
  
  
恐怖を持ち続ける限り、
人間はバカで愚かな考えと行動を続けるのです。
  
  
賢くなりたければ、恐怖を消し続ける事なのです。
   
  
  
うーん、今日の話は難しすぎますかね?
  
まぁ、プロ仕様です(笑)
  
  
素人には難しく感じるかもしれませんが、
教育を仕事にしている人にとっては、勉強になったと思います。


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2017年02月04日

感情に対する認識

昨日、弟子の田中くんと話していましたが、
  
私が、「人生観・人間観を塗り替える事が最優先」と言っても、
未だにそれに取り組めていないようでした。
  
  
その原因を探ろうと、話し合ってみましたが、
  
どうやら、
  
「ネガティブ感情を感じたくない」という気持ちがとても強い事が、
邪魔をしている様だと感じました。
  
  
そこで、私はいつものトークを繰り出しました。
  
成長を目指しても、試練はやってくるし、
成長を諦めても、辛い人生が続くだけだし、
  
「どのみち、苦しい事は絶対にあるよ」って話です。
  
  
もちろん試練を乗り越え、成長を続ければ、
最終的に苦しみ(ネガティブ感情)は無くなりますよ。 
  
今の私がそうです。
  
しかし、成長過程では「試練」や「苦しみ」は避けて通れません。
  
  
それでも、田中くんは、
  
「それでも、どっかに苦しまなくて済む方法があるんじゃないか?」
  
と、存在しない逃げ道を探したい気持ちが抜けないようです。
  
  
「それは無理だ」と何回伝えても、逃げ道を探したいのです。
  
  
私から見れば、
  
【 筋力は身に付けたいけど、「筋トレ」みたいな事はしたくない 】
  
って言っているのと同じです。 
  
  
そんな方法はあり得ません。
  
  
次に私は、
  
【 人生においては、自分の身は自分で守る必要がある 】
  
【 誰も、自分の人生の責任を取ってはくれない 】
  
って話をしました。 
  
  
例えば、「学校の先生」や「塾の先生」が、
  
【 学校の勉強を頑張れば、良い人生が送れる! 】
  
と言ったとしましょう。 
  
  
しかし、私は学校の勉強を頑張らずに、 
学歴も無く、企業に就職する事なく、
  
それでも良い人生を送れています。 
  
  
「先生の言った事はウソだったじゃ無いか!」
  
と、文句を言ったところで、
  
学校の先生は責任を取ってはくれません。
  
  
自分が学校の勉強を頑張って、それでも良い人生を送れなかった時、
学校の先生が養ってくれる訳ではありません。
  
  
ダライ・ラマや、ローマ法王の「有り難い話」を聞いて、
  
その通りにやってみて、
それでも人生が上手く行かなかったとき、
  
ダライ・ラマや、ローマ法王は、責任を取ってくれるでしょうか?
  
取ってくれる訳がありません。
  
  
誰も、他人の人生の責任など取れないのです。
  
  
それに、世の中には良い人もいれば、悪い人もいます。
  
  
例えば、迷惑メールで、
  
「もうすぐ私は死ぬから、遺産を受け取って下さい!」
  
という文面の迷惑メールがあります。
  
  
それを信じて、騙された人に対しては、
  
「そんなのウソってわかりきってるじゃない!?」
「そんなわかりきったウソに、騙される方がどうかしてるよ!」
  
って思いませんか?
  
  
この世に出回る情報には、
「ウソ」や「間違い」、「詐欺」もたくさんあります。
  
それらから自分の身を守るのも、自分の責任です。
  
  
「世の中、良い人ばっかりじゃない」って事を知るのも、
当たり前の社会勉強です。
  
  
・誰も、自分の人生の責任を取ってはくれない
・世の中には、悪い人もたくさんいる
  
だから、【 自分の身は、自分で守る必要がある 】
  
これが、正しい認識です。
  
  
今は両親を頼りにしていても、両親もいつか死んでしまうのです。
  
  
しかし、他人に依存し続けたい人は、
  
そういう【 当たり前の事実 】すら、認めたく無い様です。 
  
  
ポジティブな人生、幸せで豊かな人生を送るには、
  
【 精神的にも、経済的にも、自立しなければならない 】って事実を、
  
認めたく無いのです。
  
  
・人生では、成長してもしなくても、どのみち苦しい事は避けられない
・精神的、経済的に自立しなければならない
  
  
そういう事実を認めて、「腹を括る」しか無いのですが、
  
田中くんは、どうも腹を括れないのです。
  
  
なんで腹が括れないのか? 
  
私も話しながら考え続けました。
  
  
なぜ、苦しい事から逃げられないか?というと、
  
ネガティブ感情は、既に自分の潜在意識に溜まっているからです。
  
  
太っている人が痩せようとしても、
脂肪は魔法のように消えてくれません。
  
  
身体に不要な物質は、なんとかして排出する必要があります。
  
  
ネガティブ感情も、それと同じです。
  
既に、潜在意識に溜まっているネガティブ感情は、
感じて解放しなければ、消えないのです。
  
  
ネガティブな考えとネガティブな感情はセットですから、
  
「ネガティブな考え」を「ポジティブな考え」に塗り替えたら、
  
ネガティブな考えとくっついていたネガティブな感情は、
解放に向かいます。
  
  
そのとき、苦しみ(不快感)を感じることになります。
  
  
便秘になったとき、
下剤を飲むと下痢になって、お腹が痛くなるのと同じです。
  
排出に、苦しみを伴うのです。
  
  
排出に抵抗するって事は、便秘を続けると言うことです。 
  
  
ネガティブ感情を感じることを避けていたら、
  
それは即ち、「ネガティブな考えを持ち続ける」と言う事です。
  
  
お腹が痛くなるのを避けて、
ウンチを出さず、不健康な便秘を続けるということです。
    
  
それじゃあ、生活や人生が好転する訳ありません。
  
  
そこまで話していて、あれ?と気付きました。
  
  
もしかして田中くん、
  
「感情」は、【 他人から与えられるモノ 】って思ってない?
  
  
そう聞いたら、ズバリその通りでした。
  
  
田中くんは、感情は自分が作っているのでは無く、
「他人から与えられるモノ」と思っていました(笑)
  
  
「他人から与えられるモノ」だから、
【 他人と感情からは逃げられる 】と思い込んでいた訳です(笑)
  
そして、自分が他人にネガティブ感情を与える事を怖れて、
ビビって自分の思っていることが言えないのです(笑)
  
  
いやいや、私、25歳でセミナーし始めていた頃(2008年頃)から、
   
「自分の考え方が感情を作っている」って説明してたよ!(笑) 
  
  
初めてバシャールの本を読んだのが、2010年でしたが、
  
バシャールが、「観念が感情を作っている」と説明していて、
  
「私が発見した事と同じ事を言ってるなぁ…」と、思いましたもん。
  
  
私が発見した心理の法則の中では、【 基礎中の基礎 】です(笑)
  
私にとっては、「太陽は東から昇る」ってくらい、当たり前の事です(笑)
  
  
【 感情に対する認識 】が間違っているから、
  
ネガティブ感情を感じる事から逃げ続け、
  
  
ネガティブ感情(気持ち)を感じる事を避けているから、
  
ネガティブな観念(思い込み)を
ポジティブに塗り替える事も出来なかったのです。
  
  
「ネガティブな観念(思い込み)」をポジティブに塗り替える時には、
  
「ネガティブ感情(気持ち)」が伴う場合も非常に多いからです。 
  
  
「ネガティブ感情」を避けていたら、
  
「ネガティブ観念」をポジティブに塗り替える事が出来ません。
  
  
便秘でお腹が苦しいのを、
  
自分の腸の中のウンチが原因では無く、
「自分の外側から与えられている痛み」だと勘違いしているから、
  
「下剤を飲まなくても良い方法、
 痛みから逃げられる方法があるんじゃないか?」と、
    
不可能な事を考えてしまうのです。
  
  
【 感情は、外からやってくるのではなく、 
  自分自身が生み出しているから、逃げられっこない 】
  
そういう当たり前の理解が、足りていなかったのです。
  
  
「逃げられる」と思っているから、「腹も括れない」のです。
  
  
絶対に逃げられないって事が理屈でわかると、覚悟も決まります。 
  
  
借金した人が、
  
・何とか踏み倒す方法は無いか?
・他人に肩代わりさせる方法は無いか?
    
って考えているのと同じです。
  
  
「あり得ない逃げ道」を探しているから、
  
腹を括って返済しようと思わない。
  
  
まず、逃げ道は無いのだと、理屈で理解する必要があります。 
  
  
田中くんの場合、
  
「感情は、他人から与えられるモノ」という間違った認識が、
  
「あり得ない逃げ道」が存在するのだと勘違いしてしまう
原因になっていました。
    
  
私は、
  
・自信を高める事が大事…の次に、
・人生観・人間観を塗り替える事が大事…、と言ってきましたが、
  
さらに深く、優先度の高い事柄を発見しました。 
 
  
それは、【 感情のメカニズムを理解すること 】です。
  
  
「感情に対する認識」を正さないと、
  
【 ネガティブ感情からは、絶対に逃げられない 】って事がわかりません。
  
  
人体は、「オシッコを排出する必要がある」のと同じで、
感情も排出する必要があるのです。
  
  
オシッコは、体内で作られます。
  
自分のオシッコから逃げる事は出来ませんよね?(笑)
  
  
それと同じ事です。
  
  
ポジティブな人生観・人間観を持とうと思うと、
  
ネガティブ感情を伴うこともあるでしょう。
  
  
ネガティブ感情を避けていたら、
  
いつまで経っても、人生観・人間観をポジティブに出来ないし、
自分に自信を持つこともできません。
  
  
【 自分の感情からは逃げられない 】
 
【 なぜなら、感情は自分で作っているから 】
  
  
この、初歩中の初歩の認識が、最優先なのです。
  
  
まぁ、これでもまだネガティブな弟子が変わらない場合、
  
まだ深い部分があるかもしれませんけどね(笑)
  
  
・感情は自分が作っている
・人生観・人間観をポジティブにする
・自分に自信を持つ
  
どれも、私にとっては当たり前の事だったので、
そんな所で躓いているの?と、自分的には盲点でした。
  
  
それに、散々今まで語ってきた事ですからね。
  
「どれだけ、自分の教えを理解できていないのだろう?」と、
  
軽く呆れます(笑)
  
   
いかに、普通の人が、
  
【 人の話を聞いていなくて、自分の頭を使わず、考えていないか? 】
  
という事に、衝撃を覚える日々です。
  
  
それも、奴隷根性があって、他人に依存しきっていて、
  
「主体的に生きていないから」です。
  
  
「他人の主体性を高める教育」って、一番大事ですけど、
  
人の「ネガティブな思想」を「ポジティブな思想」に変えていくのは、
  
本当に一苦労です(笑)
  
  
まぁ、超絶にネガティブな弟子のおかげで、  
私は「ネガティブな人間の心理」が研究できるので、
  
自分の研究に役立っていて有り難いですけどね。
  
  
この世に「良い話」はたくさんあっても、
何を優先して理解するべきか?という、
  
「優先順位を理解する事」が重要です。
  
  
優先順位が明確だから、
相手にとって必要な話がピンポイントで出来る訳です。
  
  
これでもまだ変わらない弟子がいたら、
私の研究は、さらに深まっていくだけです。
  
それはそれで、面白いですけどね(笑)


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2017年02月03日

欲しいモノが手に入らない?

よく、ネット上のニュースで、
「SNS疲れ」について書かれている記事があります。
  
  
「間接自慢」と言って、本題と関係無いなのに、
さりげなくブランド品を背景にした写真を撮る…とか、
  
「結婚テロ」と言って、結婚式の準備から新婚旅行まで、
延々と結婚に関する記事と写真をアップし続ける人…とか、
  
そういった「SNS事情」について、書かれています。
  
   
で、「他人の幸せを素直に喜べない自分」を卑下して、
自己嫌悪に陥り、
  
他人の姿を見てもイヤだし、自分の姿を見てもイヤだし、
堂々巡りしているようです。
  
  
別の言い方をすると、
【「自慢」と「嫉妬」の繰り返し 】に疲れている様ですね。
  
  
私にとっては、「SNS疲れ」は意味不明です(笑)
  
疲れる人の気持ちがわからない。
まぁ、他人を気にしないからでしょうね(笑)
  
疲れる人は、他人を気にしすぎているのです。
    
  
妻の千博さんにその事を話すと、
「私はSNSで疲れる人の気持ち、めっちゃわかる!」と言います(笑)
  
  
この違いの根本原因は何なのか? 
二人で話し合って分析してみました。
  
  
まず、私は他人の自慢を見ても、嫉妬しませんが、
「なぜ、他人の自慢を見て嫉妬する人がいるのか?」
  
というと、
  
・自分の欲しいモノは、手に入らない
・自分がなりたいモノには、なれない
  
という、誤ったネガティブ観念が根本原因だという事がわかりました。
  
  
私は、 
 
・自分が欲しいモノは、自分次第で手に入れられる
・自分がなりたいモノには、自分次第でなれる
 
と思っています。  
  
それが、自分にとって自然な考え方です。
  
  
・自分の欲しいモノは、手に入らない
・自分がなりたいモノには、なれない
  
そんな考え方をしていると、人生が苦痛でしか無いでしょう?(笑)
  
  
そういう考え方をしていると、
人生が「灰色の地獄」になるなぁ…と思います。
  
  
なぜ、私は「自分の願いは叶えられる!」と思っているのか?
  
  
私は、自分で自分の事を頭が良いと言っていますが、
苦手分野もあります。
  
  
「時間制限」と「数字の計算」が苦手です。
  
つまり、IQテストみたいなモノは、私にとっては苦手分野です。
  
  
私は、時間無制限でとことんジックリと考えるのが好きなのです。
  
  
ですから、私がどんなに努力しても、
「数学の世界でトップに立つ事」は出来ないでしょう。
  
自分の得意分野では無いからです。
  
  
で、「自分には絶対に無理だ!」と思う事は、
  
【 そもそも、望まない 】のです。
  
  
逆に言うと、
  
・アレが欲しい!
・ああなりたい!
 
という、願いを持っている時点で、
   
【 願いを叶えられる「可能性」を感じている 】のです。
  
  
可能性を感じない事は、「そもそも望まない」のです。
  
  
私は、自分がプロのスポーツ選手になれるとも思わないし、
なりたいとも思いません(笑)
  
  
「 なれない = なりたいと思わない 」は、セットです。
  
  
ですから、
  
【 自分の望み = 実現の可能性がある 】
  
という方程式が成り立ちます。
  
  
【 自分の望み = 手に入らない 】
 
というのは、間違った思い込みです。
  
  
で、次に「実現の可能性がある」と思っていても、
  
それが、自分のチカラで成し遂げられるとは思わない…、
  
という人もいます。
  
  
・「宝くじに当たる」とか、
・「玉の輿に乗る」とか、
  
そういう、【 外的要因のラッキー 】でも起こらない限り、
自分には無理だろう…と思っている人もいるでしょう。
  
  
私は、可能性があるなら、あとは自分次第だと思っています。
  
  
なぜそう思えるのか?というと、
 
【 どん底の状態から、自分のチカラで人生を変えた! 】
  
と言う人たちが、腐るほどいるからです。
  
  
そういうエピソード、ストーリーをたくさん知っています。
  
  
いろんな状況から「人生を変えた人」がたくさんいるんだから、
  
自分だって出来るし、他人だって出来るハズです。
  
  
【 自分だけ特別に出来ない 】って事は無いでしょう。
  
  
そういう理屈で、
  
・自分が欲しいと思っているモノ
・自分がなりたいと思っているモノ
  
  
これらは、「手に入る可能性」が存在している訳で、
  
【 それは、自分次第で手に入れられる 】と、私は思っているのです。
   
  
・自分の欲しいモノは手に入らない
・自分がなりたいモノにはなれない
  
そんな風に思っていると、人生がとても苦しいでしょう。
  
希望が持てませんし、絶望しかありません。
   
それは、安易に想像できます。
  
  
しかし、「希望がある」と言う方が、紛れもない真実です。
  
理屈で考えれば、
「希望はある方が現実的だ」と思えるでしょう。
  
  
他人に嫉妬する人は、
【「自分は無力で、どうにも出来ない」と勘違い 】しているのです。
  
  
他人に嫉妬する人は、自分の願いが叶えられるかどうか?は、
  
「自分次第」では無く、【 他人次第、ラッキー次第 】だと思っています。
  
  
しかし、そう思っている限り、
  
「自分から変わろう、自分を成長させよう」と思いませんから、
現実が良くなる事はありません。
  
  
「嫉妬」は、
  
【 自分の人生好転や現実好転に繋がらない、非生産的な行為 】です。
  
  
そんな無駄な事をしているよりは、
本当に自分が幸せになりたいのであれば、
  
他人に気を取られるより、自分に集中する事です。
  
  
【 自分の望み = 実現の可能性がある 】です。
  
  
そして、自分の望みを実現させている人が腐るほどいる中で、
  
どうして、「自分だけは実現させられない」と思うのでしょう?
  
  
それは、他人次第、ラッキー次第と思っていて、
  
他人やラッキーをアテにしているからでしょう。 
   
  
その分だけ、「自分から変わろう」という気が持てません。 
  
  
自分を変えて、自分の願いを実現させている人は、
非常にたくさんいます。
  
  
しかし、「自分の考え方を変える」と言うことは、
  
【 今までの自分の考え方を否定する 】と言う事でもあります。
  
  
普通の人は、それをやりたがりません。
  
「今までの自分」を否定したくないのです。
  
  
今までの自分を否定して、
ポジティブな未来を手に入れるより、過去に固執します。
  
  
私は、「過去の否定」が成長だと思っています。
  
あらゆる企業は、
過去を否定する様な「新商品・新サービス」を開発しています。
  
  
今までの自社商品が古くさく感じる様な、
新しい商品を開発しています。
  
それこそが、成長だと思います。
  
  
大企業でも、過去を否定せず、逆に過去の栄光を守ろうとする企業が、
成長せず、淘汰されていくのだと思います。
  
  
成長したければ、新しい未来の為に、
「過去を否定し続けること」でしょう。
    
それは、当たり前の事だと思います。
  
  
変化とは、「過去とは変わっていく」という事です。
  
過去に固執していたら、成長もありません。
  
  
・過去の自分はバカだったなぁ…
・過去の自分は未熟だったなぁ…
  
そう思えることが、成長だと思います。
 
 
それは、情けない事では無く、素晴らしい事です。
  
  
逆に、「過去の自分は賢かったんだ!」と思いたい人は、
成長しないのです。
  
  
過去の自分は勘違いして、間違った思い込みを持っていた…。 
  
それを素直に認められる人が、人生を変えていくのです。
  
  
非生産的な嫉妬を止めるには、
  
過去の古い思い込みや考え方を捨て、
  
  
【 自分の願いは、実現の可能性がある 】
  
【 そして、それは自分次第である 】
  
  
という「真実」を理解し、「新しい考え方」を持つ事です。


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2017年02月02日

「意志の強さ」は何で決まる?

一週間くらい前に、
  
江戸初期におけるキリスト教弾圧を描いた
「沈黙」という映画を観てきました。
  
  
私は、「宗教の教えが正しい訳では無い」と理解しているので、
ニュートラルな気持ちで淡々とみていましたが、
   
敬虔なキリスト教信者が観たら、
きっと心揺さぶられるだろうな…と思いました。
  
だからこそ、海外で映画化されたのでしょう。
  
  
子供の頃は、やっぱり娯楽映画が好きでしたが、
大人になってからは、クソ真面目な映画も好きになりました(笑)
  
  
一方的に日本が悪い訳でも無いし、
キリスト教が悪い訳でも無い…
   
「善悪で計れないテーマ」だからこそ、
惹き付けられる人もいるでしょう。
  
  
私はキリスト教信者では無いので、
その映画を観て、特に感動する場面はありませんでした(笑)
  
  
心理のプロとしては、
  
「あー、自分はめちゃくちゃ善いことをしているつもりでも、
 精神的に傲慢だから苦しむんだよなぁ…」と、
  
当時の人々に突っ込みを入れたい所が多かったですね(笑)
  
  
でも、仕事で使えるネタを得ました。
  
  
良い人生、良い生活を送りたければ、
【 何よりも「人間観・人生観」をポジティブにする事が最優先 】
  
という発見が、私の最新の研究成果ですが、
   
  
人間観がネガティブな人の中には、
  
【 人間はみんな、追い詰められたら我が身可愛さに他人を裏切る 】
  
という思い込みを持っている人が多いです。
  
  
そういう人も居ることは確かですが、裏切らない人もいます。
  
  
キリスト教弾圧下では、「踏み絵」が行われました。
  
  
イエスやマリアの絵を踏ませ、
  
キリスト教信者かどうか見極めたり、
キリスト教への信仰を捨てさせる訳です。
  
  
でも、「踏み絵」を踏まずに、
拷問されたり、殺された人も、たくさんいる訳です。
  
  
そういう人って、「意志が強い」ですよね?
  
国の政治の方針に従う事も無く、逆らって、
殺されても、拷問されても、信仰を捨てないのです。
  
  
目先でラクになるよりも、どれだけ苦しめられても、
「自分が正しいと信じる信念」を貫いている訳です。
  
どれだけ苦しめられても、命が危険に晒されても、
自分が守り抜きたい「信念」や「他人」を裏切らないのです。
  
  
たとえ「宗教の教え」が間違っていたとしても、
  
どれだけ苦しめられても信念を貫く姿勢は、
「純粋で、強く、美しい」と思います。
  
  
つまり、事実として「意志が強い人はたくさんいる」という事です。 
  
  
【 人間はみんな、追い詰められたら我が身可愛さに他人を裏切る 】
  
こういう思い込みを抱いている人は、
「間違った思い込み」を持っていると言うことです。
   
   
なぜ、「人は裏切るモノだ」と思いたがるのでしょう?
  
それは、自分こそが意志弱く、他人を裏切る人間だからです。
  
  
自分自身が弱いから、「他人にも弱くあって欲しい」のです。
  
自分が弱い事に対して、
「みんなそうだし、仕方が無いよね」と、言い訳をしたいのです。
   
  
「他人の強いところ」を見せつけられるとと、
【 自分との歴然の差 】を感じて、惨めさを感じる訳です。
  
  
「人間はみんな弱いから、自分が弱くても仕方が無い」
と思いたいのです。 
    
  
しかし、そういう思い込みに反して、
実際に「意志が強い人」は数多く存在しています。
  
  
拷問されても、殺されても、信念を折らない人はたくさんいるのです。
  
  
じゃあ、「意志が強い人」ってどういう人か?
  
それは、【 主体的に情熱に従って生きている人 】です。
  
  
誰でも、自分が好きな活動に夢中になって、
没頭して、ハマっている時には、意志が強くなるモノです。
  
  
母親が、「ご飯できたよ〜」って呼んで来ても、
  
【 今やっていることをやめたくない! 】
  
そういう時は、誰でも意志が強くなっているのです。
  
  
私の意志が強いのは、 
 
偉人が成し遂げる様な、
「偉大な達成」に情熱を感じているからです。
  
「偉大な達成」に情熱を感じているから、
多少苦しくても、折れないのです。
  
  
逆に、自分がイヤイヤやっている時は、意志が弱くなります。
  
  
多くの人が、勘違いしています。
  
意志の強さとは、
「イヤな事をどれだけ無理矢理できるか?」だと。
  
  
それは、大きな間違いです。
  
  
学生時代に、イヤな受験勉強を無理矢理に頑張れる人を、
「意志の強い人だ」と思い込んだのでしょう。 
  
  
違います。
  
  
・イヤな事を我慢できる = 意志が強い
・イヤな事を無理矢理できる = 意志が強い
  
  
そういう風に勘違いしている人は多そうですが、
まったくの間違いです。
  
  
「意志の強さ」とは、【 どれだけ好きな事を頑張れるか? 】です。
   
   
イヤな事に対しては、意志が強くなる必要がありません。
  
  
「自分の意志が弱いこと」を裁き、罪悪感を抱いている人は、
  
本当は、「自分も意志が強くなりたい」のだと思います。
   
   
意志が強くなりたいのであれば、
  
・主体的になること
・情熱的になること
  
が、必要です。
  
  
義務感で、イヤイヤやっている事に対して、
意志が強くなる必要は無いのです。
  
  
じゃあ、どうすれば主体的になれるか?
  
・頼り(アテ)にならないモノを頼り(アテ)にしない
・他人の期待には応えられないし、応える必要も無いと理解する
  
そういう事が大切です。
  
  
「他人の期待に応えたい」と思う人は、
  
他人の期待に応えることによって、
「好かれたい、愛されたい」と思っているのです。
  
裏を返せば、「好かれる自信、愛される自信」がありません。
  
  
私は、あまり他人の期待に応えていませんが、 
愛される自信も、好かれる自信もあります(笑)
  
  
別に、他人の期待に応えなくても、好かれるし、愛されるのです。
  
自分のやりたい事をやっていれば、
それだけで好かれて、愛されるのです。
   
  
他人を気にしてばかりいるから、
自分軸が持てず、他人軸で生きていて、
  
「主体性」も「情熱」も持てないのです。
  
  
そして、自分は意志の弱い人間だと、自分を責め続けるのです。
  
  
意志が弱いのは、自分が好きでも無い事をやっているからです。
  
そして、主体的に生きていないからです。
  
  
意志を強く持ちたいのであれば、
  
まず、
  
【 人間はみんな、追い詰められたら我が身可愛さに他人を裏切る 】  
  
という思い込みを捨てる事です。 
  
  
それは、間違いなのですから。
  
  
どれだけ苦しめられても逃げない、
「意志が強い人」は確実に存在しているし、
  
  
意志が強い人になりたければ、
  
【 主体的になる、情熱的になること 】を目指す事です。
  
  
もちろん、生まれつき、
比較的に意志が強い人、弱い人はいるでしょう。
  
個性や才能にバラツキはあるでしょう。
  
  
しかし、「後天的に伸ばせる余白」も多く存在しているのです。
  
  
それを伸ばそうとするかどうかは、本人次第です。


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haxe501 at 23:02|Permalinkclip!

2017年02月01日

科学・物理学の法則を検証する

今日は、かいじゅんがウチに来たので、
その後、カフェでお茶をしていました。
  
  
そして、私の心理の特徴の話になったのですが、
  
おそらく、私のメッセージに対して、
【 何故、そんなに強く言い切れるのか? 断言できるのか? 】
  
という疑問を持っている人もいると思います。
  
  
「いろんな考え方があっていいし、中井さんの話もその一つでしょ?」
  
と思っている人も居るでしょう。
  
  
しかし、それは違います。
  
  
私は、科学的な視点で心理を研究しています。
  
私は、【 科学者 】なのです。
  
中学の理科で、「メンデルの法則」って勉強したと思います。
  
メンデルは、
「エンドウ豆の遺伝に関する法則性」を発見しました。
   
それと、私のやっている事は同じ様なモノです。
  
  
では、巷の心理やスピリチュアルについて語っている人間で、
  
科学者タイプの人間がどれほど居るでしょうか?
  
  
私の見る限り、ほとんど皆無です。
  
  
手にボールを持って、手を離したら、ボールは落ちます。
  
重力が働いているからです。
  
  
それは、世界中の何処だろうと、何時の時代だろうと、
一切変わらない、普遍的な法則です。 
  
  
「人それぞれの考え方」によって、
ボールが落ちないことってありますか?
  
無いです。
  
  
そんな事があり得るなら、ビルだって建てれません。
  
ビルは、重力を計算して建てられています。
  
  
人の考え方によって、重力が変わる様な事があれば、
利用する人によっては、ビルが崩壊します(笑)
  
  
それと同じ事で、
  
人間の心理にも、万人共通のメカニズムが存在しています。
  
  
「自分は他人から愛されてなくて、すごく幸せを感じる!」とか、
そういう事は、あり得ません。
  
  
それは、「考え方の違い」などでは無いのです。
  
  
例えば、ガリレオ・ガリレイは、地動説を唱えました。
  
それには、明確な根拠があるのです。
  
  
しかし、当時の宗教家は地動説を否定しました。
  
「論理的な根拠」などありません。 感情論です。
  
  
じゃあ、一般の人々はどうでしょう?
  
・地面が平らなのか? 地面は丸いのか?
・地面は止まっているのか? 地面が動いているのか? 
  
   
「いろんな考え方があるよね!」
「どれも正しいよね!」
  
とでも考えていたのでしょうか?
  
  
いや、違うでしょう。 真実はひとつです。
  
  
地面は丸くて、地面が動いているのです。
  
それが、揺るぎない真実です。
  
  
私は、そういう揺るがない真実を語っているので、
断言できるのです。
  
  
「人によって考え方が違う」というのは、 
  
例えば、社長の考え方によっては、
 
・地域密着型の企業を目指すか?
・世界に広がるグローバル企業を目指すか?
  
それは、社長の考え方によって違いますし、
絶対に正しいビジネスモデルというのもありません。
  
人の好みです。
  
  
でも、どんなビジネスをやるにしても、
  
【 顧客に価値を提供し、対価を受け取る 】
 
これは、どんなビジネスでも共通です。
  
  
「人の考え方によって違う事」と、
「万人共通の揺るがない真実」は、
  
分けて考えるべきです。
  
  
これが、ごっちゃまぜになっている人はめちゃくちゃ多い。
  
  
絶対に揺るがない万人共通の真実に対して、
  
「いろんな考え方があるよね」って言われても、そんなものは無いんです。
   
   
誰がやっても、ボールは下に落ちるのです。
  
同じ条件下で、
人によってボールが宙に浮かぶわけがありません。
    
  
私は、「万人共通の揺るがない真実」を語っているので、   
断言できるのです。
  
  
「たくさん存在している、いろんな考え方のウチのひとつ」
ではありません。
  
  
かいじゅんに、そういう理屈を語りましたが、
  
少しは、私の追究してきた心理の特徴が理解できたと思います。
  
  
  
私に言わせれば、
世間でイメージされている心理は、心理ではありません。
  
  
心理の「理」は、「ことわり」です。
  
【「理屈」「論理」「理科」「物理」「道理」の「理」】です。
  
「理」とは、法則やメカニズムの事です。
  
   
「法則」や「メカニズム」を明らかにしようとしない心理は、
心理ではありません。
  
  
ただの「傾向」を計る「統計学」でしょう。
  
  
私の心理は、【 心理科学・心理物理学 】であり、
  
巷で言われる心理は、
【 心統計学 】であったり、【 ただの個人的な思想・宗教 】です。
    
  
まったく中身が違います。
  
    
科学は、万人共通です。
  
  
人によって、「電気の法則」が変わる訳無いですね?
  
使う人によって、冷蔵庫の機能が変わったら驚きます。
  
  
ただ、私の解明している科学の法則、物理学の法則は、
  
【 目に見えない 】と言う事です。
  
  
「水の温度を下げると、氷になる」
  
これは、誰にでも目に見えて解ります。
  
  
しかし、私の語る「考え方」と「感情」の法則は、 
 
目に見えません。
 
  
弟子たちが、私の話によってどれだけポジティブになっても、
  
それは、外から見るだけではわかりません。
  
  
他人の考え方や、感情の変化は、外からではわかりません。
  
  
ですから、私の語る「科学的法則」を理解するには、
  
本人が「自分で検証する」しかありません。
  
  
目に見えないから、
自分の頭を使って検証した人間にしか、理解できません。
  
  
しかし、「目に見えない」のを良いことに、
  
「ウソ」や「間違い」ばかり教える、
心理職の人間も腐るほど存在しています。
    
  
心理を理解するには、自分で検証するしかありません。
  
  
権威っぽい人の言うことを鵜呑みにしても、
何も理解できません。
  
  
目で見せて伝えられれば、爆発的に広められるでしょうが、
  
目に見えない事なので、一人一人が検証していくしか無い…、
そこが厄介な部分です。
  
  
そして、なぜ人が検証をしないのか?
  
というと、
他人の情報を鵜呑みして、盲信しているからでしょう。
  
  
学校の先生や、教授が常に正しくて、
   
【 彼らが、正解か不正解かを決める 】
  
 
そういう教育を受けてきたので、
  
【 「学校の先生」や「教授」の教えを疑う 】という発想が無いのです。
  
  
実際には、「ウソ」や「間違い」も言うにも関わらず…です。
  
  
アテにならない権威をアテにしているから、
  
「自分で検証する」という行為を怠るのです。
  
  
「権威がアテにならない」って事がわからないと、
    
人は、自分で検証しようとは思わないでしょう。
  
  
まぁ、来年中には、
  
権威がアテにならないって事が、
世間にも目に見えて理解できる事件が起こると思います。 
 
  
まぁ、キュレーションメディアの事件など、
徐々に、「巷の情報がアテにならない」って事実は広まっていますけどね。
  
  
権威の情報がアテにならない…、そういう事件が起こった時、
  
人は、【 自分で検証する事の大切さ 】を理解するでしょう。
  
  
そして、自分で検証し始めた時、
  
「全て、中井さんの言っていることが正しかった…」
  
と、ようやく理解できるでしょう。
  
  
これは、私の人生や信念を懸けた予言です。
  
もし私の語る法則が間違っていたら、
YouTubeに、土下座しながら謝罪する動画をアップしますよ(笑)
  
  
まぁ、私は負けようがありませんがね。
  
  
ちゃんと検証すれば、
地面は動いているし、地面は丸いのです。
  
それは、揺るがない事実です。
  
  
私のメッセージに抵抗したい人は、自分で検証していないだけです。
  
  
自分で頭を使わず検証していないクセに、
「他人の言っている事が間違いだ」とは言えないハズです。
  
  
ガリレオ・ガリレイと同じく、宗教家や思想家が何と言おうと、
科学的な事実と法則は揺るぎません。
  
  
「それでも、地球は回っている…」です。


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