2017年02月

2017年02月28日

人が心理の構造に着目しない理由

今日も心理研究を行っていて、ふと思いました。
   
私ほど、【 心理の構造 】に着目し、研究し、
理解しようとしている人間はいないだろうな…と。
  
マジで、世界に「私一人だけ」だと思います。
  
  
そして同時に、ふと疑問が湧いてきました。
  
なぜ、他の心理学者たちは、
「心理の構造」に着目しないのだろうか?と。
  
  
私が心理に詳しくなりたかったのは、
  
【 自分がストレスを無くしたい、幸せになりたい 】
  
という動機でした。 
  
  
だから、その結果に繋がる知識を大量に学んで来ました。
  
  
現在、心理に興味ある人は増えていると思います。
  
民間の「心理に関する資格、検定」なども増え、
大学でも、過去に比べて「心理学科」は増加傾向にあるでしょう。
  
  
でも、巷で学ばれている心理の多くは、
  
・ストレスを無くす
・幸せになる
  
という目的に、ちっとも繋がらない知識ばかりです。
  
  
私から見れば、「心理の構造」を理解することだけが、 
  
【 ストレスを無くし、幸福感を高める事に直結する学び 】だと思います。 
  
  
そして、私は「心理の構造」を教えているのに、
  
なぜ、私の教える「心理の構造」よりも、
別の人が語る「結果に繋がらない心理」に興味を持つ人がいるのでしょう?
  
  
まったくもって、意味不明です。
  
  
でも、しばらく考えて閃きました。
 
  
心理を学びたい人には、
  
「自分の問題を解決したい」のでは無くて、
【 他人の悩みを解決してあげたい人が多いんだ 】って事です。 
  
  
素人の自分でも、心理についてちょっと勉強したら、
他人の悩み相談に乗ってあげられるかもしれない…。
  
  
そう考えている人が多いのだと思います。
  
  
そして、自分自身があまり悩んだことがないから、
悩んでいる人の気持ちがわからないし、「統計学」に頼るのです。
  
  
傾向として、
  
自分が悩んだこと無い人は、
アカデミックな「統計学」をベースにした心理体系を学び、
  
自分も悩んだことが一応ある人は、
自己啓発系の「経験則」をベースにした心理体系を学びます。
  
  
でも、どちらも不完全ですし、
  
「本気で悩みを解決したい人」からすれば、
「物足りない」というか、「役に立たない内容」も多いと思います。
  
  
【 アカデミックな「統計学系」の心理 】は、
  
自分は悩んだことの無い人たちが、
悩んでいる人たちの臨床データを基に作った心理体系です。
  
  
普通、人が「心理を学びたい!」と思ったら、
  
目的にもよりますが、
  
心理学に関係する図書を読んだり、
心理学の検定を受けたり、資格取得を目指すでしょう。
  
  
でも、その中身は、
  
「悩んだことある人が、自分の悩みを解決した方法」
   
では無いのです。
  
  
つまりは、【 机上の空論 】です。
  
  
現在、巷で学ばれている「アカデミックな統計学の心理」は、
  
机上の空論の伝言ゲームです。
  
  
【 臨床データの寄せ集め・確率論 】でしかありません。
  
  
人が抱える「悩み」や「心理的問題」の根本原因もわからないのに、
そんなモノで、人の悩みの解決など出来ない事は、
  
容易に想像できると思うのですが…。
  
  
人体の医療に関しては、人体のメカニズムが解明され、 
  
その人体のメカニズムをベースに、治療法が確立されています。 
  
  
しかし、こと「心理」となると、
  
誰も心理のメカニズムを説き明かしておらず、
  
「臨床データの寄せ集め」でしか無いのです。
  
  
それって、【 おばあちゃんの知恵袋レベル 】の話ですよ。 
  
  
「ひな人形を早く片付けない人たちには、お嫁に行けない人が多い」
  
みたいな、迷信と変わりません。
  
  
もしくは、「脳内ホルモンに影響する精神薬」で、
表面的に対処しているに過ぎません。
  
  
つまり、そもそも【 心理の構造 】に着目した人が、 
 
「いまだかつて、世界に存在してこなかった」と言う事でしょう。 
  
  
「フロイト、ユング、アドラー」などの流れを、
そのまま引き継いでいるに過ぎません。  
  
  
しかし、心理を学ぶ人の多くは、
  
「自分の悩みを解決したい人」ではなく、
「他人の悩みを解決してあげたい人」です。  
  
  
自分の身体で実験している訳ではありませんから、
   
「何が正しくて、何が間違っているのか?」の判断が付かないのです。 
  
  
自分の悩みを解決したい人は、
いちいち難しい統計データなど学びません。
  
どちらかというと、
「経験則」がベースの【 自己啓発系の心理 】を学びます。
  
  
でも、「経験則」がベースの心理にも問題はあります。
   
  
人によって「精神状態」や「状況」は違うので、 
 
【 ある人には上手く行った方法が、
  他の人にも当てはまるとは限らない 】
  
と言う事です。
  
  
「経験則を語る本人」や、
「精神状態や状況が近しい人」は上手く行っても、
  
その他の人たちは、上手く行きません。
  
  
ビジネスノウハウも同じです。
  
同じビジネスノウハウを教えて、
成功する人と、成功しない人がいます。
  
 
それぞれ、個性も、状況も、精神状態も違うのですから、
当たり前の話です。
     
  
健康食品だって、人によって体質が違いますから、
「相性の良し悪し」があります。
  
  
人によって体質や体調が違う中で、
  
全ての人の、全ての状態に通用する健康食品は、  
この世に存在しないのです。
  
  
「私はこれで健康になれました!」って言っても、
  
他の全ての人に当てはまるとは限らないのです。
  
  
それは、ビジネスにも言えるし、心理にも言えます。
  
  
そういう意味で、
  
【「経験則」は明らかに不完全 】なのです。
  
  
成功者の語る成功法の多くは、その人だから上手く行った訳で、
   
他の人にも当てはまるとは限らないのです。
  
  
結局は、
  
【 統計学 】も【 経験則 】も、アテにならない
  
と言う事です。
  
  
じゃあ、何がアテになるの?って言うと、
  
それはもう、【 本質・法則・メカニズム 】しか無いのです。
  
  
例えば、人体のメカニズムでいうと、静脈と動脈があります。
  
その仕組みは「万人共通」です。 
 
  
だから、【 注射針の打ち方は、誰でも同じ 】です。
  
  
安定した結果を求めるのであれば、
  
【 万人共通の要素 】に目を向ける必要があります。
  
  
その「万人共通の要素」の事を、
  
【 本質・法則・メカニズム・構造 】と呼ぶのです。
  
  
人体のメカニズムは、かなり解明されていますが、
 
経済のメカニズム、心理のメカニズムは、誰も解明していません。
  
  
まず、主流の流れで学ばれてきた事と違いますし、
新たに「構造を研究しよう」と着眼する人もいません。
  
  
そういう訳で、巷の心理学、経済学は、レベルが非常に低いのです。
  
  
【 経済の本質と構造、心理の本質と構造 】を研究して来た人が、
  
今まで居ないのです。
  
  
心理学は、フロイト、ユング、アドラーでしょ?
  
経済学は、マルクス、ケインズ、アダム・スミスでしょ?
  
  
どちらも古典的な人の名前が、未だに良く引き合いに出されているのです。
  
つまりは、進化していないという事ですよ。
  
  
今のお医者さんは、
  
【 古典的な医者の知識体系 】から学んでいると思いますか?
  
  
常に塗り替えられている、最新の情報を学んでいるでしょう。
  
  
まぁ、感染病などは社会にとって死活問題だったので、
それを解決する手段は必要とされてきましたが、
  
それと比較して、
「経済や心理で真剣に悩む人が、相対的に少なかった」という事でしょう。
  
  
人間は、ピンチにならないと解決法を研究しませんからね。
  
  
「身体の痛み」は無視できなくても、
「お金の痛み」や「心の痛み」は無視できてしまう…
  
と言う事も、大きな要因でしょう。
  
  
【 必要は発明の母 】と言いますが、
  
真剣に困っている人が少ない領域では、
「効果的な問題解決法も、なかなか生まれない」と言う事です。
  
  
ま、私は「真剣に絶対に結果を出したい人だけ」を相手にしたいですし、
  
真剣に絶対に結果を出したい人で無いと、私から学ぼうとも思わないでしょう。
    
    
「結果を出す」という事に対してテキトーな気持ちの人には、
巷の「統計学」や「経験則」のテキトーな心理体系がお似合いです。


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2017年02月26日

世の中には、「危険」や「落とし穴」がいっぱい

ポジティブな人生を歩むには、
  
「世の中には、危険や落とし穴がいっぱい存在している」
  
という事実を理解する必要があります。
  
  
例えば、大概の人は、
海外に行くと、貴重品の扱いが日本よりも厳しくなると思います。
  
それは、「海外にはスリが多い」と認識しているからです。
  
  
もし、日本と同じように振る舞っていたら、 
  
貴重品を失ってしまうかも知れません。 
  
  
みなさんが自宅にカギを掛けるのも、犯罪から身を守る為でしょう。
  
  
【 この世には、「危険」や「落とし穴」がいっぱいあって、
  それらから身を守っていく必要がある 】
  
これも、紛れもない真実です。 
  
  
【「危険」や「落とし穴」がいっぱいある 】と思えていない人は、 
 
いわゆる「平和ボケ」をしていて、「危機感」が薄れています。
  
  
しかし、危機感の無い人ほど、
「ネガティブな存在」からすれば【 狙い目 】です。
  
  
危機感の無い人ほど、
  
・ひったくりやすい
・盗みやすい
・騙しやすい
  
という事です。
  
  
目に見える存在だけで無く、
私は「目に見えない存在の恐ろしさ」を知っています。
  
  
先ほども、カフェで隣に座った人が、
めちゃくちゃネガティブなエネルギーを発していて、
  
コンディションが乱され、仕事に集中できなくなったので、
席を移動しました。 
 
 
外見だけしか見なければ、
その人がネガティブかどうか?は、決してわからないでしょう。  
  
  
【 自分の足を引っ張る要素・要因 】は、至る所に存在しています。
  
それを理解しているから、防衛対策を取る事ができます。
  
  
「目に見えないエネルギーの危険さ」を知らない人、認めない人は、
  
【 財布のお金を盗まれても、気付いていないのと同じ 】です。 
  
  
攻撃されていることに気付くから、自分の身を守る事ができます。
  
  
ビジネスの世界でも、
  
優秀な経営者ほど、
「気を抜いたら会社が潰れる!」という危機感を持っています。
    
  
「危機感」が強いから、慎重に、念には念を押して対策します。
  
そうすると、会社は潰れにくくなります。
  
  
逆に、平和ボケしている社長には、危機感がありません。
   
危機感が無いから、対策をしないし、
対策をしないから、カンタンに会社が潰れるのです。
  
  
この世界には、
   
・「他人に与えようとする奉仕精神が強い、良い人」もいれば、
・「他人から奪おうとする、悪い人」もいます。
  
 
目に見えなくても、
   
・自分の引き上げてくれる「ポジティブなエネルギー」もあれば、
・自分を引き下げる「ネガティブなエネルギー」もあります。
  
  
宇宙はバランスですから、【 どっちもある 】のです。
  
  
「どっちもある」とわかるから、 
  
・悪い人からは身を守り、良い人と付き合おう、
・悪いエネルギーからは身を守り、良いエネルギーを浴びよう
  
という風に行動します。 
  
  
そういう建設的な行動をするから、
  
ネガティブな結果を避け、ポジティブな結果を生むことが出来ます。
  
  
「この世には良い人しかいない!」と思ったら、カンタンに騙されます。
  
「この世には悪い人しかいない!」と思ったら、疑心暗鬼になります。
  
  
どちらにバランスが崩れても、ポジティブな結果にはなりません。
  
  
「性善説」と「性悪説」も、バランスを取る必要があります。
  
  
どっちもいるわけで、
  
【「悪い影響」からは身を守り、「良い影響」を積極的に浴びに行く 】
   
そういう方向性が大切です。
  
  
日本は世界の中でも特に平和なので、
  
大きな「危険」や「落とし穴」に遭遇せず、
今まで生きて来れた人も多いでしょう。
  
  
そういう人にとっては、 
 
【 世の中には「危険」や「落とし穴」がいっぱいある! 】
  
と言われても、実感が湧かないかもしれません。
  
  
例えるなら、温室育ちの金持ちのボンボンで、
  
「貧乏な人がこの世に存在している事を知らない」って感じです。
  
  
だから、「自分も貧乏になる可能性がある」なんて、思えないのです。
   
でも、可能性はいつでも、どこにでも存在しています。
  
  
今まで、両親から守られ、過保護に育てられてきた子供は、
  
この世に危険がたくさんある事を知りません。
  
  
危険がある事を知らないから、
  
自分の身を守る必要があることも知りません。 
  
  
結果的に、落とし穴に落ちるのです。
  
  
実際、「大学生」や「新社会人」の人は、
  
傾向として非常に騙されやすい存在です。 
  
  
「世間知らず」だし、「騙す人が居ること」も知らないし、
他人の言うことをホイホイ信じます。
  
  
そういう理由で、
詐欺に遭う「大学生」や「新社会人」は多いのです。
  
  
これも、親が子供に「世間の厳しさ」を教えてこなかったからです。
  
  
子供に、「世の中には危険がたくさんあるよ」って事を教えなかったら、 
 
子供は危機感を持ちませんから、
   
カンタンに騙され、盗まれ、攻撃を受けてしまいます。
  
  
「危険がいっぱい存在している」という事を理解するから、
  
「自分の身は自分で守る必要がある」という認識になり、
  
【 主体性 】も高まります。
  
  
大切な事は、
 
「良い人と悪い人」「良いエネルギーと悪いエネルギー」を
 
キッチリ見分けられるようになる事です。
  
  
最近の子供は、
  
「知らない人に挨拶しちゃいけない」と教わっている様ですが、
  
性悪説に偏りすぎても、バランスが悪いです。 
  
  
犯罪者も存在していますが、良い人もたくさん居る訳ですから。
  
  
大切な事は【 良し悪しを見抜くチカラ 】です。
  
  
この世には、良い人も、悪い人もいる。
  
この世には、良いエネルギーも悪いエネルギーもある。
  
この世には、危険がいっぱいで、自分の身を守らなきゃいけない
 
この世には、サポートもたくさんあって、他人との信頼や助け合いが大切。
  
  
両方バランス良く教えていく必要があります。
  
  
ただ、傾向として、
  
日本には(特に経済的に)平和ボケしている人が多いですし、
目に見えないネガティブエネルギーに対して、無防備な人が多いです。
  
つまり、【 危機感の足りない人 】が多いわけです。
  
  
そういう人は、もうちょっと
  
「世の中の危険さ、厳しさ、シビアさ」を知った方が良いですね。


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2017年02月24日

商売は厳しくも楽しい

私は仕事が大好きで、
四六時中、仕事の事を考えています。
  
  
私は、よく自分の仕事を医者に例えますが、
   
【 大学病院は、「教育」「臨床」「研究」の三つの機能を持っている 】
  
と言われています。
  
  
・新人の医師を「教育」する
・患者さんに「治療」を施す
・新たな治療法を「研究」する
  
という事ですね。
  
  
上記に加え、私はさらに「経営」があると思います。  
  
  
病院だって赤字が積もれば潰れますから、
  
あらゆる活動を維持するためにも、
健全な経営をしなければなりません。
  
  
私も、自分の仕事では、
  
・教育
・臨床(コンサル・セッションなどの現場活動)
・研究
・経営
  
の4点を行っています。 
  
  
いかに優秀なお医者さんでも、
  
「上記の4つの領域の全てに精通した医者」は、
なかなか居ないんじゃ無いかと思います。
  
  
研究は得意だけど、臨床は苦手とか、
臨床は得意だけど、経営は苦手とか、
  
人によって得手不得手がある事の方が当たり前です。
  
  
頭脳労働の難易度的には、
  
1.研究・発明
2.経営・ビジネスモデルの構築
3.教育・部下の育成
4.臨床・現場
  
という順番です。 
  
  
私の元には、現在10人の弟子がいますけど、
4つの領域全てに高い才能がある弟子はいませんね。
  
だいたい「教育・臨床」の二つの領域だけです。
  
  
弟子の中で
経営の領域に高い才能があるのは、森本さん、大山さんの二人で、
    
大山さんは、「経営」と「臨床」の2領域。
森本さんだけは、「研究・発明以外の3領域」に才能があるでしょう。
  
  
私は4点の全てを、非常に高いレベルで行っていますから、
紛れもなく天才ですね(笑)
  
  
まぁ自慢はさておき、
  
大学病院で無くても、一般の企業であっても、
  
1.新サービスの「研究・開発・発明」
2.「経営・ビジネスモデルの構築」
3.仕事仲間や顧客に対する「教育・育成」
4.「臨床・現場・営業・サービスの提供」
  
という構図は変わらないと思います。
  
  
別に、全てが出来なきゃ自営業者になれないって事もありません。
  
  
ハリー・ポッターの作者のJKローリングさんや、
世界的に有名なハリウッド俳優などは、
    
別にバリバリのビジネス大好き人間では無いと思いますが、
並の経営者より、たくさんのお金を稼いでいますからね。
  
  
ただ、4つの領域を上手く繋げて回さないと、
商売というのは上手く行かないと思いますし、
  
【 自分の苦手分野に関しては、他人の協力を得る必要がある 】と思います。
  
  
話は変わりますが、
  
私は、「バイオハザード」っていうゲームがすごく好きで、
シリーズのほぼ全てを遊んでいる筋金入りのファンです。
  
  
バイオハザードの面白い所は、
  
ハラハラ・ドキドキする「緊張感」と
「謎解き」があるところです。
  
  
商売も同じように、
「失敗できない緊張感」と「謎解き要素」がありますよね(笑)
  
  
他にも商売には、
  
資源効率を考えたり、攻めと防御のバランスを考える
「戦略シミュレーション」の様な要素もあれば、
  
自分自身が成長し、仲間を集めたり、
お金を貯めて新しい装備を買うなどの、「RPG」的な要素もあります。
  
  
私にとって、商売とは、
  
「リセットやコンテニューの出来ないゲーム」を
やっているようなモノですね(笑)
  
  
  
で、商売の話に戻りますが、
  
「大きい商売」と「小さい商売」では、戦い方が全く違います。
  
  
まず、この違いについても、理解している人は少ないでしょうね。
  
  
大きい商売では、「薄利多売」が可能ですが、
小さい商売では、「薄利多売」はできません。
  
  
つまり、小さい商売では、
「売上高」よりも「利益率(粗利率)」の方が大切なのです。
  
  
小さい商売をしている人は、
  
【 利益率(粗利率)をいかに高めるか? 】って事を優先して考え続けないと、
  
いつまで経っても仕事がラクにはなりません。
  
  
私は、毎日快適に暮らしたいので、
  
【 利益率に対する基準 】は鬼厳しいです。
  
  
基本的には、ほとんど原価がかからない仕事をしていますから、
トータルの粗利率は99%以上でしょうね。 
  
  
今まで、自分の研究にたくさんお金を費やしてきましたけど、
それを含めたとしても、「粗利率80%」は超えているでしょう。
  
  
で、粗利率はどうやったら増えるの?っていうと、 
  
「頭脳労働」をして、「創造的な仕事」をして、
【 何も無い所から高い価値 】を生み出すしかありません。
  
  
私は、研究や発明によって価値を生み出しています。
  
自分の頭を使って仕事して、価値を生み出しています。
  
  
自分の頭を使って考える分には、原価は必要ないのです(笑)
  
ただ「紙」と「ペン」と、「お茶代」くらいでしょ?
   
   
【 自分に掛かる負担は減らしながら、
  お客さんに、めちゃくちゃ高い価値を与えるぞ! 】って決めて、
 
「その課題を解決する方法」を考え続けるのです。
  
  
既存の常識に囚われること無く、
「お客さんにとっての高い価値とは何か?」って事の本質を掴んで、
  
価値提供に必要ない無駄なモノは、徹底的に省いていく…。
  
  
これが、先述の【 ゲームの謎解き 】なのです。
  
  
考え続けて、謎が解けた瞬間に、爽快感があるのです(笑)
  
   
自分がその「謎解き」に情熱や楽しみを感じないのであれば、
  
それが得意な人にコンサルしてもらった方が良いかもしれませんが。
   
   
多くの人が、商売に対して、
強い「不安」や「プレッシャー」を感じていると思います。
  
でも、私はそれらの根本解決法を発見しました。
  
  
だから、クレームも怖くないし、
お金に困る不安も無ければ、商売が潰れる恐怖もありません。
  
  
ただ、お客さんに対して【 必ず結果を出さなきゃいけない 】という、
  
「適度な緊張感」はあります。
  
  
その緊張感すら、ゲームの様で楽しいのです。
  
  
  
1.新サービスの「研究・開発・発明」
2.「経営・ビジネスモデルの構築」
3.仕事仲間や顧客に対する「教育・育成」
4.「臨床・現場・営業・サービスの提供」
  
  
この4領域の中で、
  
自分は何が得意なのか? 何が苦手なのか?
  
  
苦手な事は、他人に協力してもらった方が良いです。
  
  
そして、小さい商売をしているのであれば、
   
「頭脳労働」や「創造的な仕事」をして、
最優先で利益率を高めなければ、
  
商売も生活も、一向にラクにならないという事です。
  
  
【 原価はあまり必要ないし、自分に負担も掛からないけど、
  お客さんに対しては非常に高い価値を提供できる 】
   
そんな「商品」や「サービス」を新たに開発する事です。
  
  
それが出来なきゃ、商売がラクになる事は無いのです。


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2017年02月22日

強者と弱者の病的思想

この世にはびこる病的思想に、
  
「強者が弱者を守る事が正しい・美しい」
  
というモノがあります。
  
  
巷の一般庶民にも、経済学者にも、
  
「一部の富裕層が富を独占している!」
  
と、批判している人がいます。
  
  
これほど、「お門違い」な批判もありません。
  
  
例えば、「iPhone」を発明したジョブズとアップル。
  
この発明で、世界は非常に便利になりました。
  
  
これは、10億人が束になっても生み出せないくらいの、
「非常に大きな価値」を生み出したことになるのです。
  
  
別に、特定の職業を見下す訳ではありませんが、
  
トイレ掃除したり、スーパーのレジ打ちなどのルーチンワークを、
10億人が束になってやったところで、
  
「iPhoneの発明」に匹敵する価値を生み出すことはできません。
  
  
「たった一人の人間の発明」が、
【 10億人のルーチンワークよりも高い価値 】を生み出すことはあり得ます。
  
  
だから、「10億人が束になった以上の対価・資産」を、
偉大な発明家は受け取る事ができるのです。
  
  
これが、世界の現実なのです。
 
  
自分が貧しいのは、金持ちが富を独占しているからではなく、 
   
【 単純に、自分が社会に対して高い価値を生み出せていないから 】です。
  
   
「大した価値を生み出していない人間」が、
「大きな価値を生み出している人間」に責任転嫁するなど、
  
「お門違い」も良い所です。
  
  
そもそも、富というのは奪い合うモノではありません。
   
人同士が助け合う事によって、世界全体の富は増えていくのです。
  
  
決して、「限られたパイの奪い合い」などではありません。
  
世界が進歩すると言う事は、
豊かさのパイ自体が成長して、大きくなっていくのです。
   
   
「江戸時代の平均的庶民」よりも、
「現代社会の平均的庶民」の方が、よほど快適な生活をしているでしょう。
  
  
洗濯機もある、掃除機もある、エアコンもあるのです。
  
井戸で水を汲まなくても、蛇口をひねれば水が出てきます。
  
無料のゲームもたくさん配信されています。
  
  
もし、豊かさが奪い合いなのだとしたら、
  
誰かが「洗濯機」を使えば、
  
他の誰かが「洗濯板」よりも、さらに不便な洗濯を
強いられる事になるでしょう(笑)
  
  
そんな事は起こりません。
  
  
世界全体が便利になり、大きな富を生み出している恩恵を、
普通の人もたくさん享受しているのです。
  
  
ですから、
  
【 世界の富を一部の人が独占している! 】
  
という主張は、
  
【「自分の実力の無さ」を責任転嫁している 】に過ぎません。
  
  
巨大な資産を持っている人は、
  
それだけ、社会に大きな貢献をしたのです。
  
  
10億人のルーチンワークが束になっても叶わないくらいの、
【 創造的で価値のある仕事 】をしたのです。
  
  
もし、富裕層が持っている資産を、
貧しい人に分け与えたらどうなるでしょう?
  
  
貧しい人は、お金の使い方を知りません。
 
ですから、「無駄遣い」をして終わります。
  
  
一方、富裕層の人々は、
  
また高い価値を創造して、社会に貢献し、
また資産を構築するでしょう。
  
  
ですから、何も変わらないのです。 
  
  
「貧しい人」と「富める人」は、
【 仕事やお金に対する思想が違う 】のです。
  
  
「思想の違い」が、「結果の違い」を生んでいるのです。
  
  
ですから、【 教育 】が大切です。 
  
お金よりもっと価値のあるものは、【 教育 】なのです。
  
  
「魚そのもの」を与えるのでは無く、「魚の釣り方」を教える事です。

ですから、私は【 弱者が強者になれる方法 】を伝えている訳です。
    
  
貧しい人たちを豊かにしたいのであれば、
  
「経済の仕組み、仕事やお金の本質、扱い方、考え方」について
教えてあげる事です。
  
  
社会では、自らが社会に価値を提供することによって、
 
自らも、社会から価値を受け取る事ができます。
  
  
基本的に、経済は【 交換 】によって成り立っています。
  
経済は、交換が原則です。
  
  
自分が社会に対して多くの価値を生み出せないのであれば、
  
社会から多くの価値を受け取る事も出来ないでしょう。
  
  
社会から多くの価値を受け取り、
快適で豊かで楽しい生活がしたいのであれば、
  
自らが、社会に対して高い価値を提供できる様に、
成長する事です。
  
  
この基本的な原則を、一般庶民も、経済学者も、誰もわかっていません。
 
  
交換とは、言い方を換えると、バランスを取ると言うことです。
 
バランスは、宇宙の法則です。
  
  
もしそのバランスを崩して、交換では無く、
  
「片方がもう片方に価値を与え続ける」という、
不公平で不平等な行為を続けたらどうなるでしょう?
  
  
片方は疲弊して潰れていきます。
もう片方は依存が当たり前になり、自信や自立心を失います。
  
どちらにしても、良い事はありません。
  
  
ですから、「経済は交換である」という原則は、全体の為に崩せません。
  
  
【 強者が弱者を守るのが正しい、美しい 】
  
という、「病的に間違った思想」が原因で、
  
弱者は強者に対して「依存的」になり、
強者は弱者に対して「過保護」になるのです。
  
  
ですから、経済が発展しません。 健全化しません。
  
  
唯一の解決法は、
  
【 経済的弱者が強者になれる「チャンス」と「教育」 】を提供することです。
  
  
それ以外、弱者を救う方法は無いのです。
  
  
強者が、いつまでも弱者を救い続ける事はできません。
  
  
日本人は、世界の中でも特に豊かな人種です。
  
じゃあ、貧しいアフリカの人たちの為に、全財産を捧げられるか?
  
っていうと、そうじゃないでしょう?
  
  
自分の生活を守る必要があります。
  
それは、富裕層だって同じです。
  
  
日本人がアフリカ人の為に全財産を捧げられないなら、
 
富裕層が「経済大国の中で比較的貧しい人々」の為に、
自分の財産を捧げることも無いでしょう。
  
  
本質的に、強者が弱者を救い続けることはできないのです。
   
弱者自身が自立するしか無いのです。
  
  
自分で自分を救うしか無いのです。
   
  
「弱者を守る」のが優れたリーダーでは無く、
  
「弱者を強者に成長させられる」のが、優れたリーダーです。
  
  
と言っても、弱者本人が強者になりたいかどうかは、本人の意志です。
  
  
向上心の無い人には、何もしてあげられません。
  
  
向上心を持てない限り、人生が良くなることもありませんし、
  
人生が悪くなっても仕方無いし、文句も言えません。
  
  
そして、私は【 向上心を高められる方法 】まで教えています。
  
  
それにすら取り組まない人は、
  
そもそも、
【 自分の「幸せ」や「快適さ」をそこまで望んでいない 】と言う事でしょう。
  
【 自分の人生が、不幸で貧乏なモノになっても、別に構わない 】と言う事でしょう。
  
  
望んでいない事は、手に入れられる訳がありませんからね。
  
  
まぁ、私は他人に「まともな感覚」を持って欲しいだけです。
  
  
【 強者が弱者を守る事が正しい・美しい 】
  
という、この世にはびこる病的な思想から抜け出さない限り、
  
「まともな感覚」を持つことは出来ません。
  
  
弱者に対しては、
【 強者になれる「チャンス」と「教育」を提供する事が正しい・美しい 】
  
  
これこそが、真実です。
  
  
そして、そのチャンスを掴まず、教育の機会も棒に振る様であれば、
   
その人は、【 弱者で居続ける選択をしている 】と言う事なのです。
  
  
極楽浄土に行ける「天から垂らされた蜘蛛の糸」を掴まず、
  
「ネガティブな世界に留まり続ける選択をしている」と言う事なのです。


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2017年02月21日

価値がわからないのは、無知だから

昨日に引き続き、経済の話をします。
  
  
多くの人が抱えるネガティブな思考パターンとして、
  
「自分にとって価値がわからないモノ」と出会ったとき、
それを【 価値が無いモノの様に扱う 】
    
というモノがあります。
  
  
これは、非常に傲慢な態度です。
  
自分に価値が解らないのは、自分が無知だからです。
  
  
例えば、最も価値がある国宝級の「お茶碗」には、
50億円くらいの値段が付くモノもあるそうです。
  
  
50億円のお茶碗と、
100円ショップで売っているお茶碗は、
  
一体何が違うのでしょう?
  
  
それがわからないとすれば、
【 自分が茶器に対して無知だから 】です。
  
  
何億円もするお茶碗を、
100円ショップのお茶碗と同じように扱いますか?   
  
扱いませんよね?
  
  
私も、別に茶器に詳しいわけではありませんが、
それは、「自分が無知だからだな」と素直に思います。
  
  
じゃあ、パワーストーンならどうでしょう?
  
  
私が持っている中で、最もパワーが強い部類の石は、
他人に売るとしたら、「数百万円」は欲しい所です。
  
それでも安いくらいかもしれません。
  
  
で、「宝石でも無いただの原石が数百万円? 高!」
  
と思う人もいるでしょう。
  
  
しかし、「モノの価値」が解らない時点で、
値段が高いか安いかなど、誰も判断出来ません。
  
  
高いか安いかは、【 費用対効果 】で決まります。
  
  
金額で計るのでは無く、モノの価値を見定めて、
  
費用対効果が高ければ、値段は安く、
費用対効果が低ければ、値段は高いのです。
  
  
モノの価値を見定めず、「額面だけで高いか安いか?」を判断する人は、
  
【「モノの価値」や「費用対効果」を理解していない 】という事です。
   
   
そんな思考で、良い買い物ができる訳ありません。
  
フェラーリが10万円で売っていても、「高!」って言うのですから(笑)
  
  
モノの価値を見定めることなく、
【「先入観」と「額面」で高いか安いかを判断する人 】は、
  
「良い買い物」は決して出来ませんし、商売人にも向いていません。
  
  
商売人とは、【 売り買いのプロ 】です。
  
「費用対効果」の高い買い物(仕入れ、投資)をして、
「費用対効果」の高い商品・サービスをお客さんに提供するのが使命です。
  
  
費用対効果が高い買い物をして、費用対効果が高いモノを売る。
  
それが、商売人です。
  
  
何事も「額面」で判断していて、
「モノの価値」がわからないとしたら、
  
クズみたいな価値の無い商品を、
高値で掴まされても仕方ありません。
  
  
逆に、お客さんに商品やサービスを提供するときも、
  
「本当に価値の高い商品やサービス」を提供できる訳がありません。
  
  
自分自身が、【 モノの価値を見抜けないアホ 】なのだから。
  
  
お客さんにとって、
価値の高い商品、サービスとは何なのか? 
    
って事の本質も、何もわかっていません。
  
  
商売のプロフェッショナルじゃ無くても、
職人のプロフェッショナルでも同じです。
  
  
モノの価値がわからない人は、プロ失格です。 
  
  
だからこそ、
  
自分が「価値が解らないモノ」と出会ったときには、 
先入観で「それが価値が無いモノだ」と決めつけるのでは無く、
  
謙虚に、【 自分が無知なのだ 】と認めて、
「その価値を積極的に理解しようとする姿勢」が必要です。
  
  
そういう姿勢を持てばこそ、
【 商売人や、プロとしてのスキル 】が高まっていきます。
  
  
「10億円の茶碗? 茶碗にそんな金額出す奴はバカじゃね?」
  
って言っている、自分がバカなのです。
  
  
私は、自分の発信している情報が、 
 
【 非常に価値が高い情報である 】と、自覚しています。
  
  
しかし、それを理解できる人は少ないです。
  
  
「10億円のお茶碗」と、「100円ショップのお茶碗」の、
見分けが付かない様な人ばかりだからです。
  
  
私は、【 自分の情報の価値の高さを理解できる人だけ 】を相手にしたい。
  
「10億円のお茶碗」を扱っているのに、
「100円の価値」しか感じない人には、来て欲しくありません。
  
  
こういう仕事をしていると、
同じ業界の人々と刺激を与え合うのは常ですが、
  
他人の文章を読んでいて、
「この人は、私の記事の影響を受けているな…」
   
って思う事が、よくあります。   
  
  
自意識過剰なのでは無くて、
客観的にチャネリングでも確認しています。
  
  
私は、自分が影響を受けた人は、名前を出して紹介します。
  
それが、筋だと思うからです。
  
    
しかし、私の影響を受けながら、私の名前を出す人は皆無です(笑)
  
  
本を出しているような著名な人も、
私の記事を読んでいて、影響を受けていますが、 
  
私の名を紹介する事はありません。
  
   
まぁ、それも当然だなと思いますけどね。
  
  
・世間にはスピリチュアルに否定的な人がまだまだ多いし、
 変な目で見られたくない、今の仕事を失いたくない
  
・優れた他人を紹介して、自分の存在価値が失われるのが怖い
  
  
そういう、
  
【 お金や仕事、存在価値に対する恐怖 】を感じているからです。
  
  
で、そういう人も、
私の発信する情報の【 神髄 】は理解できていません。 
     
  
私の記事の影響を受けていながら、
その「高すぎる価値」がわかっていないのです。
  
  
価値が解らないから、
100円ショップの茶碗と同じように、雑に扱うのです。  
  
    
まぁ、「非常に傲慢で舐めた態度」だとは思いますが、
  
恐怖をそのままにしていれば、それは現実化します。
  
  
自分より優れた人々が現れて、
  
「自分の存在価値、存在意義が淘汰される事」に対し、
強い恐れを感じているのであれば、
    
それは、現実化するのです。
  
  
だから、私は別に舐めた態度の人がいても、何とも思いません。
  
  
中国も、日本の知的財産を無許可でパクりまくっていますが、
  
そういう風に、他人に対して舐めた態度を続けていると、
いずれカルマが返ってきて、痛い目を見ることになります。
  
  
宇宙は、常にバランスを取ろうとしますし、公平です。
  
目先では不公平に見えても、
必ずバランスが取られて、公平な状態になるのです。
  
  
日本人の多くは、
中国の「知的財産のパクり」に対して、不快感を感じていますが、
  
日本人でも、
他人の知的財産を無許可でパクっている人はたくさんいます(笑)
  
  
悪質なモノは、法律で規制する必要もあるでしょうが、
  
軽微なモノは、いちいち法では規制できませんし、
線引きも難しいです。
  
  
でも、宇宙は常にバランスを取ろうとしますし、公平です。
  
  
自らの恐怖に負けて、
  
「他人に筋を通さない、誠実で無い態度」を続けていれば、
  
それは、自分に跳ね返ってくるのです。
  
  
地球全体の波動が高まっている影響で、
現実化のスピードが非常に速くなり、
  
ポジティブな意識も、ネガティブな意識も、すぐに現実化します。
  
  
ですから、ネガティブな態度を続ける人は、
近いうちに、それがわかる事になると思います。
  
  
【 自分が理解できない価値を、積極的に理解しようとする 】って、
   
人生に多大な大きな影響を与える習慣です。
  
  
でも、現代の学校では「奴隷的なサラリーマン」を育成しても、
  
【 幸せになるために必要な事 】は、何ひとつ教えてくれません。
  
  
アフリカやインドの子供が、家庭が貧しくて学校に通えず、
「読み書き」や「計算」を学べないのって可哀想だと思いません? 
  
読み書きや計算ができなきゃ、
大人になっても良い仕事に就けず、畑仕事をするしかありません。
   
  
それと同じく、両親や学校から「幸せになるために必要な事」を、
何一つ教わらないまま大人になった現代人も、可哀想です。
  
  
子供の頃に学べなかったら、大人になってから学ぶしかありませんが、
  
大人になって学ぼうとしない人は、どうしようもありません。
  
  
マザー・テレサの伝記には、
子供だけで無く、大人にも読み書きを教えるシーンが描かれています。
  
  
でも、大人は子供に混じって学ぶのを「恥ずかしい」と感じているのです。
  
本当は学びたいのに、
「今更もういいよ」って、意地を張って、投げやりになっているのです。
  
  
「意地を張る」っていうのは、「素直さ」と真逆です。
  
  
素直では無く、
強がって、意地を張って、見栄を張って、ひねくれている人は、
  
人生をポジティブに変える事が出来ません。
  
  
意地を捨てて、素直になれるかどうかが、人生の分かれ目ですね。


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2017年02月20日

商売は「比較」

先日、弟子に対して教えたことですが、
  
「仕事では、比較で勝たなきゃいけない」
  
という話をしました。
  
  
なぜなら、消費者というのは、 
 
【 常に何かと比較して、お金を使っているから 】です。 
  
  
人がお金を持っていたら、 
 
自分の中の価値観で、「優先順位が高い順」に、お金を使います。
  
  
例えば、飲食店を例に取ると、 
競争の激しい地域では、よくお店が閉店します。
  
  
もし、その地域に飲食店が一件しかなければ、
そのお店は潰れないでしょう。
  
「希少価値」があるからです。
  
  
しかし、魅力的なお店がたくさんひしめき合っていれば、
  
消費者は、その中で一番良いお店を選びます。
  
  
自分がラーメンを食べたいときに、
近所にラーメン屋が10件あったとしましょう。
  
その時、10件の中で一番食べたいお店に行きます。
  
  
それ以外の9件は、選ばれなかった訳です。
  
  
10件のうち、
  
・3件が塩ラーメン屋
・3件が醤油ラーメン屋
・4件が豚骨ラーメン屋
   
だっとしましょう。 
  
  
豚骨ラーメンが食べたい時は、
 
その4件の中から、
「今、一番食べたい!」と思うお店を選びます。
  
  
商売では、消費者にとって【 その時点での一番 】にならない限り、
  
「時間」や「お金」を使ってもらえないのです。
  
  
例えば、宇宙人がたくさん地球にやってきて、
その宇宙人には、「腕が4本」あるとしましょう。
  
  
腕4本でピアノの演奏をされたら、
人間の演奏は勝てないかも知れません。 
  
  
もし、「腕4本でのピアノ演奏」がスタンダードになれば、 
腕が2本のピアニストは、プロでいられなくなるかもしれません。
  
  
バスケットボールだって、
体格の良い黒人が有利で、小柄なアジア人には不利ですからね。
  
  
今、何かの仕事でプロとして認められている人がいても、
   
業界全体のレベルが上がったものの、
その人自身がほとんど成長していないとしたら、
   
その人はプロではいられなくなるのです。
  
  
コンビニが出てきて、
駄菓子屋が淘汰されるのと同じです。
  
  
昔は、駄菓子屋にも需要がありました。
  
でも、それよりも「もっと便利なお店」が出来て、
業界全体の基準が上がったわけです。
  
  
今までは必要とされていたモノがあっても、
業界のレベルが上がれば、必要なくなるのです。 
  
  
例えば、スマートフォンの登場で、
「デジカメ」や「カーナビ」の売上げが落ちるのと同じです。 
  
  
商売というのは、
  
【 世間のニーズ(パイの大きさ、潜在的需要) 】
【 同業者との比較(パイの占有率、ポジションの確立) 】
   
によって、大方上手く行くかどうか決まります。
  
  
ですから、商売人たるもの、
   
【 世間の動き、時代の流れ 】を読まなきゃいけないですし、
  
【 業界や同業者の観察、分析 】をしなければなりません。
  
  
それが出来ていないのに、
商売が長期的に上手く行く訳ありません。
  
  
上記の2点を見誤れば、「淘汰される側」に回っても仕方ありません. 
   
  
自分の提供している商品やサービスに関して、
  
・「世間のニーズ」は、増えていくのか? 減っていくのか?
  
・業界の平均レベルや同業者と比較して、自分は勝っているのか? 
  
 他人がマネできない様な、追随出来ない様な、
 他人に侵されないポジションは確立出来ているのか?
  
  
日々情報収集し、チェックしなければなりません。
   
  
もし、同業者と比較して勝っていても、
業界全体が時代に淘汰されたら、商売は潰れてしまいます。
  
  
例えば、自分が「日本一のそろばんメーカー」の社長だとしても、
電卓が誕生した瞬間に、商売は厳しくなるでしょう。
  
  
新聞やテレビ、雑誌などの既存メディアも、
ネットの登場で、昔よりどんどん厳しくなっているみたいです。
  
それを見越して対策を立てていないと、淘汰されても仕方ありません。
  
  
「ウチがヨソと比べて一番良い新聞だ!」って言っても、
新聞自体にニーズが無ければ、商売は成り立ちません。
  
  
商売人にとっては、
  
・「世間や時代の動き」を観察し、先読みする
  
・「業界のレベル」や「同業者」を観察・分析し、自分と比較する
 
  
それが、【 最低限必要な、日々の習慣 】です。
  
  
それが出来ていない商売人は、目先では上手く行っている様に見えても、
  
時代が変わった瞬間に、一瞬で淘汰される事になるでしょう。
  
  
しかし、上記の2点を意識していない人が、いかに多いか。 
 
何も考えず、目先だけ見て商売している人がめちゃくちゃ多い。
  
  
【 時代の動きは気にならない、業界や同業者について詳しくない、】
  
そんなんじゃ、商売が潰れても当然です。
  
  
お客さんがお金を払ってくれるのは、
【 他と比較した上で 】なのだから、
    
自分の「立ち位置」や「存在意義」が気にならないのはオカシイです。
  
  
結局、お客さんが来るかどうかは、 
 
「時代のせい、景気のせい、運次第」
  
という風に、【 自分以外のモノ 】のせいにしているから、
 
「主体性」が無く、「情報収集や観察・分析」もしないのです。
  
  
私は、常に「時代の流れ」と、
「業界や同業者のレベル」をチェックしています。
  
それは、末永く自分の商売を続けていく上で、必須の習慣です。
  
  
私のやっている仕事は、オンリーワンでナンバーワンですが、
   
何せ、「時代のニーズ」がまだ追いついてきていません。
  
 
今はまだ、世間的には
「結果の出ないエセ心理」の方が、需要ある訳です。
  
  
しかし、これから数年かけて、
   
確実に「時代のニーズ」は、
  
【 結果の出る「本物の心理」を求め始める 】と、確信を持っています。
  
  
例えば、私が「株の投資家」だとしたら、
  
「絶対に値上がりするとわかりきっている株」に対して、
徹底的に仕込んで仕込んで、仕込みを入れまくっている状態です。
  
  
あとは、「値上がりするタイミング」をのんびりと待つだけです。
  
  
ですから、私自身は悠長に構えてられるわけです。
  
  
商売でお金を使ってもらえるかどうかは、完全に比較なのだから、
  
息の長い商売をしようと思ったら、
  
【「時代のニーズ」に応え続ける 】と同時に、
【「比較」でも勝ち続ける 】必要があります。
  
  
その両方が揃って初めて、長期的に安心できる商売が出来ます。
  
  
その為に、「時代の流れ」と「同業者や業界のレベル」は、
絶対に知っておく必要があります。
  
「業界の平均」や「同業者」のレベルと比較して、
質の高い商品やサービスを、研究開発し続ける必要があります。
  
  
それを気にせず商売している人が、不思議でなりません。
  
  
特に、「時代の流れ」を気にしていない人が多すぎます。
  
  
それも、商売に対して主体性が無く、奴隷根性だからです。
   
奴隷社長は、商売を潰しますね。


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haxe501 at 19:12|Permalinkclip!

2017年02月19日

「自分に優しく」の意味

自己啓発の情報などではよく、
「自分に優しくしよう」という事が書いてあります。
   
  
じゃあ、具体的に「自分に優しく」ってどういう事なのか?
  
って話です。 
  
  
「自分を積極的に褒める」
「自分にご褒美を与える」
  
などの習慣もありますが、
  
  
もっと大切な事は、
  
【 自分の本音・本心(潜在意識の声)を聞いてあげる 】
  
って事です。
  
  
人間の意識には、
  
「顕在意識(表層意識)」と、
「潜在意識(深層意識)」があります。
  
  
しかし、顕在意識では、
  
「潜在意識が
 どのような意志・観念・感情を持っているのか?」
  
と言う事が、よく分かっていません。
  
  
【 自分で自分の事がよく分からない 】
   
それが、人間に備わっている「ややこしい性質」なのです(笑)
  
  
自分の事は、自分が一番良くわかっている…
   
「使い古された言葉」ですが、これは【 明らかな間違い 】です。
  
  
例えば、「健康や医療のプロ」が私の身体を観察すれば、
  
私自身が自覚しているよりも、
私の「健康状態」を深く読み取れるでしょう。
   
   
私が、他人の精神状態を観察すれば、
  
本人よりも、私の方が相手の「深い部分の意識」を読み取れます。
  
  
【 その分野の事は、その道のプロが一番良くわかっている 】
  
それが、真実です(笑)
  
  
そして、現代に生きるほとんどの人は、
  
「自分の潜在意識の声(本音・本心)」を、把握していません。 
  
  
私ですら、自分の「潜在意識の声」は非常にわかりにくいです。
  
だからこそ、
積極的に自分の「潜在意識の声」を知ろうとするのです。
  
  
自ら積極的に知ろうとしなければ、
自分の本音・本心は、「死ぬまでわからないまま」なのです。
  
  
例えば、
過去の私は、とにかく「お金持ち」に憧れていました。 
  
  
お金持ちになれば、
  
・他人からすごいと思ってもらえる
・他人から認められる
・自分を攻撃してきたヤツを見返せる
  
そんな風に想っていました。
  
  
学生が「高学歴」に憧れるのも、同じような理由ですよね。
  
  
でも、潜在意識が本当に求めているのは、
  
「目に見える形あるモノ」では無く、【 精神的な欲求 】です。
  
  
「他人から認められたい」という承認欲求です。
  
ではなぜ、承認欲求があるか?というと、
  
「今の自分には大した価値が無い」と思っていて、
  
「他人から認められている瞬間」だけは、
その劣等感を忘れられるからです。
  
  
麻薬と同じで、一瞬だけ気分が良いですが、
根本解決にはなりません。
  
  
自分が本当に求めているのは、 
   
【 他人から愛されているかどうか? いつも不安だから、
  他人から愛されている事を感じて、安心したい 】
  
ということです。
  
  
それこそが、「潜在意識の声(本音・本心)」です。
  
  
本当は、「お金」が欲しいんじゃ無くて、【 安心 】が欲しい訳ですが、
    
「お金」をどれだけ持っても、
「不安が一瞬紛れるだけ」で、【 安心 】は手に入りません。
  
  
「お金さえあれば、いろいろ安心できるだろう」と思い込んでいるのが、
  
【 そもそも、間違った勘違いだった 】と言うことです。
  
  
お金も、高学歴も、恋人も、
自分を根本的に安心させてくれるのでは無く、 
   
【 不安を一瞬紛らわせてくれるだけ 】です。
  
  
じゃあ、どうしたら根本的に安心できるの?
  
それは、【 精神的成長・霊的成長 】です(笑) 
  
  
ですから、私はお金を求めるよりも、
「精神的・霊的な成長」に取り組んで来て、
  
ついに、お金を持っていようが持っていなかろうが、
【 常に安心できる精神状態 】を手に入れる事が出来ました。 
  
  
これも、私が「潜在意識の声を積極的に聞こう」としてきたからです。
  
  
潜在意識の声を積極的に聞いていない人は、
  
「これがあれば安心出来るだろう」と思い込んでいる、
【 自分の外側の目に見えるカタチ 】を求めます。
  
  
お金、学歴、地位、権威、名誉、外見、美貌、恋人、結婚…、
  
  
どれもこれも、自分を安心させてくれる訳ではありません。
  
  
もちろん、上記の要素は、
  
「経済的価値」を生み出したり、
「社会で何らかの活動」をするには必要でしょう。
  
  
しかし、【「経済」と「精神」は別個 】です。
  
  
「経済」や「社会的地位」 で、【 愛されたい気持ち 】は埋められません。
  
自分の精神を埋められるのは、【 無条件の自己愛 】でしかありません。
  
  
「自分の内面」を埋めようとして、
「埋めれない外側のモノ」を求めているのだから、
  
永久に問題が解決しないのです。  
  
  
「お金、外見、学歴、社会的地位が無ければ、自分は愛されない」
だから、それを追い求める…ではなくて、
  
「お金、外見、学歴、社会的地位が無くても、既に愛されてる」    
って、気付いていく事が重要です。
  
  
【 幸せの青い鳥 】って物語がありますけど、
  
「幸せの青い鳥」は、どこか遠くにいるのではなくて、
「既に自宅にいたんだ!」って話です。
  
  
それに気付かない人は、
  
いつまでも自宅に戻らず、外を放浪し続け、
外では絶対に手に入らない「青い鳥」を、不毛に求め続けるのです。
  
  
ポジティブを求める「本当のワクワク」と、
ネガティブから目を背けたいだけの「ニセのワクワク」は、違います。
  
  
私にとって、
  
【 他人から認められる為に、お金持ちになりたい 】
  
というのは、ニセワクワクだったのです。
  
  
・不幸な金持ちもいるし、
・金持ちになっても安心できるわけではない
  
そういう事に気付いて、
  
自分が本当に求めているモノを、改めて深く考えてみたのです。
  
  
私が本当に求めていたのは、【 自由 】でした。
  
  
時間、経済、人間関係、情熱の自由。
  
それが手に入れば、別に「お金の多寡」にこだわる必要がありません。
  
  
「自分の自由が確保できるだけのお金」があれば良い訳で、
 
「他人からすごいと思われるための大金」は、余計なのです。
  
  
大金や他人の評価の為に、
  
・時間を犠牲にする
・好きでも無いヤツと無理して付き合う
・自分が好きでも無い退屈な活動をする
  
それは、【 自分の本当の望みで無い 】という事に気付きました。 
  
  
自分の内面と向き合って、
「本当の自分の望み」を明確にしない限り、
  
「これがあれば、安心できるだろう」という、
「目に見えるカタチ」や「条件」を追い求めてしまいます。
  
しかし、それは【 間違った思い込み、勘違い 】なのです。
  
  
いくら「目に見えるカタチ」や「条件」が手に入っても、
安心はできないからです。
  
  
多くの人が、「幸せの青い鳥」を求めて、
  
【 青い鳥が絶対に存在しない場所 】を彷徨っているのです。
 
  
「幸せの青い鳥」の居場所は、【 自分の潜在意識 】が知っています。
  
  
だから、自分の潜在意識と、
積極的にコミュニケーションを取る必要があります。
  
  
自分の潜在意識の声を聞くコツは、
   
子供に対して、自分が優しい両親にでもなったつもりで、
  
・本当はどうしたいの? 言ってごらん?
・本当は何処に行きたいの? 言ってごらん?
・本当は何が食べたいの? 言ってごらん?
・本当はどうされたいの? 言ってごらん?
・本当は何が好きなの? 言ってごらん?   
  
  
と、優しく問いかける事です。
  
  
ほとんどの人が、潜在意識の声を聞いていない理由は、
  
今まで生活の為に、
自分の「意志・本音・本心」を、折ってきたからです。
  
  
自分の「意志・本音・本心」を優先しようとすると、
生活できない、生きていけない、他人に嫌な顔をされる…、
  
  
生活の為に、生きていく為に、
  
【 自分の意志・本音・本心を、封印して生きるしかない… 】
  
そんな風に思っているからです。
  
  
子供の頃に植え付けられ、身に付けた「処世術」を、
大人になっても引きずり続けているのです。
  
  
ですから、多くの人は、
  
「子供の頃の願い」が満たされないまま、心の時計が止まっているのです。
  
  
私が、自分の情熱を見つけ、仕事に集中できるのは、
  
幼少〜学生の頃にかけて、自分の満足いくまで遊びまくったからです。 
  
  
幼少の頃は、
父親によく遊びに連れて行ってもらいましたし、
    
学生の頃は、廃人レベルまで、
朝から晩までゲームをやりまくってました(笑)
  
  
子供の頃に遊び足りていない人は、
  
自分の情熱もわからないし、
  
大人になっても、
「仕事に打ち込むよりは、遊んでいたい」と思うのです。
  
  
【 子供の頃の「満たされなかった想い」】を満たさない限り、
  
今後、幸せになる事はできません。
  
  
子供の頃で「心の成長の時計」が止まっているので、
子供の頃の想いを満たさない限り、
  
「心の成長の時計」が動き出さない、先へは進まないのです。
  
  
ですから、子供の頃に充分に遊べなかった人は、
  
【 大人になっても、精神が幼稚 】なのです。
  
  
子供の頃、遊ばずに受験勉強に明け暮れていた様な人ほど、
大人になっても精神が幼稚で、
  
私みたいにめちゃくちゃ遊びまくっていた人が、
精神的に大人になるのです。
  
  
子供の頃の「満たされない想い」を抱えている人は、
 
まず、それを満たさなければ先へは進めません。 
  
  
自分の「本音・本心」を把握するには、
  
自分が子供の頃、両親に掛けて欲しかった声(メッセージ)を、
自分の潜在意識に投げかけてあげる事です。
    
  
だいたい、ネガティブな人生を歩んでいる人は、
  
「親との関係」に絡んだ、大きなトラウマを持っています。 
   
   
子供の頃に満たされなかった想いを抱えているのです。
  
  
それを満たしてあげるには、
  
自分の潜在意識に対して、
自分自身が「理想の親」を演じて、声を掛けてあげる事です。 
  
  
肉体は大人になっても、
子供の頃に想いが満たされなかった人は、
  
子供の時点で「精神年齢」がストップしています。
  
  
子供の頃まで遡って、「子供の頃の想い」を満たしてあげないと、 
  
【 精神年齢 】は上がらないのです。
  
  
「自分に優しくする」という意味のひとつは、
  
【 自分の「潜在意識、幼少期」に対して優しくする 】と言う事です。
  
  
それは、
  
【 子供の頃の「気持ち」や「自由意志」や尊重してあげる 】
  
という意味でもあります。
  
  
子供の頃の「気持ち」や「自由意志」や尊重してあげられないと、
  
現在の自分の「気持ち」や「自由意志」も尊重する事は出来ないでしょう。  
  
  
自分の「潜在意識の内容」は、顕在意識では非常にわかりにくいし、
  
積極的に働きかけなければ、ほとんど自覚はできません。
  
  
自分の潜在意識と積極的にコミュニケーションを取っていない人は、 
   
【 自分で自分の事をまるでわかっていない 】と言う事です。 
  
  
「自分が本当は何を欲していて、何を得れば満足するのか?」
  
そういう事が、何もわかっていないのです。
  
  
自分の事よりも、
【 他人の機嫌や評価 】ばかり気にして生きているのです。
  
  
潜在意識の「考え」や「気持ち」は、本当にわかりにくいです。
  
プロの私が言うんだから、本当にわかりにくいのです。
  
  
だからこそ積極的に、真剣に声を聞こうとしないと、
   
「自分の本音の声」を聞き取れません。
  
  
【 自分の本音・本心の声を積極的に聞いてあげる 】
  
それが、「自分に優しくする」と言う事です。


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haxe501 at 16:43|Permalinkclip!

2017年02月18日

自分の幸せが最優先

私は、
  
・情熱
・時間
・人間関係
・お金
  
を、両立した生活を送っています。
  
  
それで、昨日の弟子会議では、
「みんなも、そういう生活を送りたくない?」
  
って話をしました。
  
  
「最高のライフスタイルを実現したい」と思えない理由を、
逆算して考えてみると、
  
  
1.まず、「時間」を大切に思えないのは、
  人生に「楽しい事」がたくさんあると思っていないから、
  
2.人生に「楽しい事」がたくさんあると思えていないのは、
  自分には「お金」は稼げないと思っているから、
  
3.自分に「お金」は稼げないと思っているのは、
  他人に高い「価値提供」ができる自信が無いから、
  
4.他人に高い「価値提供」ができる自信が無いのは
  自分が何かを「表現」することに自信が無いから、
  
5.自分の「表現」に自信がないのは、
  他人からの批判を強く恐れる「対人恐怖」があるから。
  
6.「対人恐怖」があるのは、
  自分の主張に「確信」を持っていないから。
  「厳しさ」を裁いていて、許していないから。
  
  
という所まで、掘り下げて説明しました。
  
  
結局、【 対人恐怖(人間不信) 】を無くさない限り、
  
【 ライフスタイルの質を高めることは、絶対に出来ない 】と言う事です。
  
  
ここまで説明したにも関わらず、
  
まだ、
  
「今、自分が抱えている対人恐怖を何としても克服するぞ!」   
と思えていない弟子もいました。
  
  
うーん。 どうしたものかな…?
  
  
まず、本人に【 やる気 】や【 向上心 】が無いと、
どんなに良い話をしても、馬の耳に念仏です。
  
吸収できません。
  
  
なんで、「対人恐怖を克服したい」という
【 やる気・向上心 】が沸かないんだろう?
  
しばらく考えました。
  
  
「向上心(自分を成長させたい、高めたい気持ち)」は、
  
【 自分の人生を良くしたい! 幸せになりたい! 】
  
という気持ちから生まれます。
  
  
【 向上心 】に乏しい人間は、
  
【 そもそも、「幸せになりたい」と思っていない 】と言う事です。
  
  
そこで、閃きました。
  
  
【 あぁ、これは「自分の幸せが最優先」って思えてないな 】って。
  
  
・自分に「幸福追求の権利」を認めていない
・自分に「幸せ」が相応しいと思えていない
    
  
だから、【 向上心 】が沸かないのです。
  
  
なぜ、自分の幸せが最優先と思えていないか?というと、
  
【 自分の両親が、自分よりも「子供の幸せ」を優先していたから 】です。
  
  
そういう育てられ方をしたので、
 
【 自分の幸せは後回し、他人の幸せが優先 】
  
という、「超絶なネガティブ観念」を植え付けられてしまいました。
  
  
  
なぜ、両親が「自分の幸せ」よりも子供の幸せを優先するか?
  
というと、親自身が「自分の存在価値」を感じられないので、
  
子供に何かしてあげる事で、自分の存在価値を感じたかったからです。
  
  
「自分に自信が持てない親」に育てられちゃったから、
  
子供も、自分に自信が持てなくなっている訳です。 
  
  
【 子供のために、親が自分の幸せを犠牲にする 】っていうのは、
  
残念ながら、「逆効果」でしかありません。
  
親が、自分の幸せを抑圧するんだったら、
子供も、自分の幸せを抑圧するように育ちます。
  
  
事実として、
  
自分が「幸せ」だったら、周り人も「ポジティブな影響」を受けます。
周りの人が「幸せ」だったら、自分も「ポジティブな影響」を受けます。
  
  
例えば、
  
自分の友達がみんな金持ちだったら、自分も金持ちになりやすいし、
自分の友達がみんな貧乏だったら、自分は金持ちになりにくいのです。
  
  
周りにいる人同士、影響を与え合っているのです。
  
  
ですから、他人に良い影響を与えたかったら、 
  
自己犠牲的にならず、
まず自分自身が幸せになる必要があります。
  
  
【 自分の幸せが最優先 】と思っていないと、
  
自分も幸せになれないし、他人も幸せになれません。
  
  
そして、【 自分を幸せに出来るのは、自分だけ 】です。
  
他人から強く影響を受けると言っても、
やっぱり根本的には自分で自分を変えなければ、幸せにはなれません。
  
  
「自分の幸せが最優先」と思えていない人は、
  
他人の幸せも、純粋に喜べません。
  
  
他人の幸せを純粋に喜べる人は、
「自分も幸せになれる」と思っているからです。
  
  
「自分は幸せになれない」と思っている人が、幸せそうな人を見ると、
  
表面的には祝うような素振りを見せても、
内心では、「ズルい」とか、「悔しい」とか、【 嫉妬心 】が沸いてきます。
  
  
【 自分の幸せが最優先 】と思えていないと、
  
他人にポジティブな影響を与えられないどころか、
自分の子供にも、「とてつもない悪影響」を与えますし、
  
他人の幸せも素直に喜べず、嫉妬ばかりするようになります。
  
  
「向上心」も持てませんから、学ぶ意欲もありませんし、
どんなに良い話を聞いても、自分に活かそうとすら思えません。
  
  
つまり、デメリットしかありません!(笑)
  
  
なぜ、そんな「デメリットしか無い考え方」をしているのでしょうか?
  
  
私は、
   
・自分一人の時は、徹底的に自分の幸せを考え、追究する
・他人と会っている時は、徹底的に相手の幸せを考え、追究する
   
というポリシーを持って、生きてきました。
  
  
ただ、私の両親は、自分が「社長になりたい」と言っても、
  
「正社員になって欲しい」と思っていました。
  
  
その「両親の要望」は聞けなかった訳ですが、 
  
それは、自分には成功できる自信があったし、
  
自分が成長して社長になった方が、
「両親にとっても良い結果がもたらされる」と確信していたからです。
  
  
「両親の長期的な幸せ」を考えればこそ、
  
「両親の短期的な要望」には応えなかったのです。
  
  
・自分が「幸せ」になること
・自分が「夢」を叶えること
  
【 それが、両親の為でもある 】という確信がありました。
  
  
そして現在、その通りになっています。
  
  
自分がもし両親の言うことを聞いて正社員になっていたら、
  
自分自身はもちろん幸せじゃありませんし、
両親も今ほど幸せでは無かったでしょう。
  
  
【 自分の幸福を追求することで、
  身の回りの人に絶大なポジティブ影響を与えられる 】
  
そういう確信が、私にはありました。
  
  
だから、私は「他人の期待や要望」よりも、
  
【 自分の幸せ、自分の夢 】を最優先にしたのです。
  
  
「他人の期待や要望」のために、「自分の幸せや夢」を犠牲にすると、
 
短期的には、他人の機嫌は良くなるかもしれません。
  
  
でも、長期的には自分も幸せじゃ無いし、他人も幸せじゃありません。
  
  
目先の機嫌を取っても、長期的にはお互い幸せにはなれないのです。
  
  
だから、私は両親の機嫌が悪くなっても、
  
両親の幸せを願い、「自分を成長させる道」を突き進んできました。
  
  
論理的に考えれば、
  
「自分の幸せを最優先」にする事で、
身の回りの人にも、ポジティブな影響を与えられるのです。
   
  
もちろん、自分の幸せを優先しようとすると、
短期的には機嫌が悪くなる人もいるかもしれませんが、
  
そんな事は気にする必要がありません。
  
  
その人は、ただ視野が狭いだけで、勘違いをしているのです。
  
   
逆に、「自分の幸せを犠牲」にすると、
自分が幸せになれないし、他人も幸せになれないのです。
  
  
「向上心」が持てない人は、 
  
【 自分の幸せを最優先 】に考えていません。
  
  
向上心が無ければ、成長できません。 
  
「成長と貢献はセット」です。
  
  
自分が成長せずして、どうやって他人に貢献するのでしょう?
   
  
自分の幸せを大切に出来ない人は、他人に貢献も出来ないのです。
  
  
「自分(親)の幸せを犠牲にして、
 他人(子供)に貢献しようとする人」は
 
多いみたいですが、
     
その行為自体、
【 論理的に破綻していて、逆効果、裏目 】なのです。
    
  
自分が幸せじゃ無いのに、
他人や子供を幸せにできるハズがありません。  
  
  
自分の幸せを最優先にする事で、全てが上手く回り始めるのです。 
  
  
まぁ、ここ最近よく学びましたが、
  
ポジティブな人にとって、当たり前の常識的な考えは、
世間(ネガティブな人々)にとっての非常識ですからね。
  
ポジティブな人が他人に何か教えようとしても、
「当たり前すぎる所」で躓いているので、盲点になっているのです。
  
  
弟子会議で話し合って、ネガティブ心理を研究していく度に、
「そんな所でつまづいてたの?」と、毎回毎回驚きますが、
  
弟子だけで無く、多くの人々が抱えているネガティブ観念でしょう。 
  
  
どう考えても「自分や他人の幸せ」に役立たず、
「デメリットしか無い考え方」に、多くの人がしがみついてますからね。
  
  
向上心が持てない人は、
  
・自分の幸せが最優先と思えていない
・自分が幸せに相応しいと思えていない
  
  
ということは、
  
・自分の幸せが最優先
・自分は幸せに相応しい
  
そう思えたら、自然と向上心も出てきますし、
  
他人の為の義務感で無く、
主体的に自分の為に成長しようと思えます。
  
  
この話も、まず理屈で理解して、検証して、
  
【 自分の幸せを最優先に考える事が、全体にとってベストな事だ 】
  
という風に確信が持てれば、その人の人生が大きく変わるでしょうね。
  
  
  
上記の「内容の理解」に取り組んで、
   
【 自分の幸せが最優先 】と思える事ができたなら、
    
次に、【 対人恐怖の克服 】です。


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2017年02月17日

教育は聖職

「教育」に携わろうと思ったら、強い責任感が必要です。
  
  
特に、思想や哲学に関連する教育は、人の一生を左右します。
  
  
医者は、「人の命を預かる仕事」です。
  
間違えば、人の命を奪ってしまう可能性がありますし、
カンタンには医者にはなれません。
   
  
教育者は、「人の人生(一生)を預かる仕事」です。
   
間違えば、人の人生を狂わせてしまう可能性があります。  
でも、カンタンになれるし、名乗れてしまいます。
  
  
だから、レベルの低い無責任な教育者が、巷には溢れているのです。
  
  
そもそも、ほとんどの教育者には、
   
【 人の人生を預かっている 】という自覚がありません。
   
  
子供の親、学校の先生なども含め、
  
【 他人の思想や哲学に影響する立場の、全ての人間 】は、 
  
「自分が他人の人生を左右している」という自覚が必要です。
  
  
本人の持つ思想や哲学によって、その人の一生が決まります。
  
  
医者が、間違って他人の命を奪えば刑事責任を問われますが、
  
教育者が、他人の人生を狂わせても、刑事責任を問われません。
  
  
だから、教育に対して緊張感が無いのでしょう。 
  
ミュージシャンがライブで演奏する時の方が、
よほど緊張しているんじゃ無いですか?
  
  
私は、自分のコンサルティングを【 手術 】だと思っています。
  
  
非常に高い集中力を発揮して、
時には、8時間くらいぶっ通しで思考をフル回転させながら喋ります。
  
  
それも、
  
【 自分が話す以上「高い成果を出さなければならない」】という、
  
強いプレッシャーを自分に掛けているからです。
  
  
「相手の観念が変わった」と思えるまで、
時間無制限で、粘り強く考え続けます。
  
  
私にとって、コンサルティング中に(波動的に)邪魔が入ると言う事は、 
  
自分の外科手術を邪魔されるのと同じ事なのです。
  
  
手術って、場合よっては、
何十万、何百万、何千万円ってお金が掛かります。
 
ですから、私がコンサルティングで高額な金額を受け取るのも、
別にぼったくっているのではなく、当然の対価です。
  
  
医者は、人の命を左右する「怪我」や「病気」を治療しますが、
  
私は、人の一生を左右する「ネガティブな思想」を治療します。
  
  
生命も、人生も、大して価値は変わらないと思います。
  
  
生命の方が価値が高くて、人生の方が価値が低いでしょうか?
   
  
でも、人生がお先真っ暗になって、自殺する人もいるわけですし、
終末医療などでは、延命よりも「QOL」が大切にされている訳で、
     
「人生」だって、「生命」と同じか、それ以上に大切でしょう。
  
   
しかし! 
  
  
人生を左右する「思想・哲学の教育」に携わりながら、
  
「責任感の無い奴ら」のなんと多いことか!
   
  
飲食店だって、
食中毒を出したら営業停止、客足が止まれば閉店です。 
  
リスクがあるわけですから、緊張感を持って営業しているハズです。
  
  
しかし、巷の教育者は、何のリスクも背負っていません。 
  
宗教家だって、自分の教える教義で他人を不幸にしても、
何のリスクも負いません。
  
 
個人的な「表現の自由、思想の自由」は許されるべきだと思いますが、
  
  
他人に強く影響する教育に関しては、
  
医者と同じように、カンタンになれなくしたり、
ずさんな仕事をしたら、刑事責任を問われたり、
  
そういう「リスク」を背負わせるべきです。
  
   
それぐらい、【 非常に重い責任の仕事 】なのですから。
  
  
リスクを持たせれば、
レベルの低い奴らを一掃できるでしょう。
  
  
私から見れば、
 
巷に「人を治せない藪医者」が溢れていてる様に見えます。
  
  
巷のレベルの低い教育者が教えているのは、主に【 経験則 】です。 
  
   
私から見れば、
  
【 私の健康の秘訣は、毎朝納豆を食べることです! 】  
  
と、堂々と教えて、お金を取ってプロぶっているのと同じ事です。
  
  
人によって体質も違いますから、
自分の健康法が万人に当てはまる訳がありません。
  
  
それと同じで、
巷の「心理、思想、哲学」を語っている人間も、
  
自分の「経験則」を堂々と語っていますが、
健康や医療に例えると、どれだけレベルが低いかわかるでしょう。
  
  
結局、自分の人生がネガティブでも、
  
それを
   
・「自分の思想」が原因
・「他人から受けた思想教育」が原因
    
と、思えていないのです。
  
  
別の、もっと表面的なこと…
  
例えば、「国や社会のせい」にしているのです。
  
  
つまり、国の政策や社会福祉は重要視されていても、
  
【「ポジティブな思想教育の価値」は、
  誰もわかっていないし、軽視されている 】
  
という事です。
  
  
現代の学校教育では、
  
学問は教えられますが、
思想的にはネガティブに洗脳されてしまいます。
  
つまり、学校側には自覚は無いでしょうが、
本質的には「ネガティブな思想教育」を受ける事になってしまうのです。
  
  
誰もかれも、
  
「思想が人生に与える影響力」や「何がポジティブな思想なのか?」
  
と言う事が、わかっていないのです。 
  
  
学ぶ側も、教える側も、 
  
【「思想」や「思想教育」の影響力や重要性 】を理解していません。
  
  
だから、【 責任感の無い、低レベルな教育者 】が社会に蔓延するのです。
  
  
「思想の自由」は許されるべきです。
  
例えば、とある宗教では輸血(他人の血を混ぜること)は、
良くないことだと教えられています。
  
  
そういう思想を持つこと自体は自由ですが、
  
ただ、「ネガティブな思想」は「ネガティブな結果」を生みます。
  
  
個人的にネガティブな思想を持ちたければ、そうしていれば良いですが、
 
もしそれが社会全体に正しい事として広まったら大変です。
  
  
それを理解した上で、
  
・ポジティブな思想を持つ事の「重要性」や「価値」
・ポジティブな思想を持てる「選択肢」や「機会」も、
  
同時に伝えられるべきだと思います。
  
  
本人の持つ「思想や哲学」が、「人生全体、一生」を左右します。
  
  
だからこそ、「他人の思想や哲学」に影響を与える教育者は、
  
「他人の人生を狂わせてしまうリスクもあるのだ」と自覚し、
  
【 他人の人生を預かるという強い責任感 】が必要なのです。
  
  
教育は、医者と同じく大事な仕事なのに、
  
誰も、その重要性を理解していません。
  
  
【 人生は、「本人の持つ思想や哲学」で決まる! 】
  
と、学ぶ側も、教える側も、誰もが思えていないからです。 
  
  
それが真実なのに、真実が理解できていないからです。
  
  
学ぶ側の見る目が厳しくならないと、教える側のレベルも上がりません。
  
消費者が厳しくなれば、企業の態度が変わるのと同じです。 
  
  
【 教える側も、学ぶ側も、何も解っていない 】と言うのが、
   
この惨状を創り出しています。
  
  
本来は、教育も医療と同じように価値と責任ある仕事のハズなのに、
  
教育を舐めた教育者が蔓延している現状は、本当に嘆かわしいです。
  
  
詐欺の被害者が、騙されたことに気付かない限り、
   
詐欺師は詐欺を続けます。
  
  
それと同じで、一般の人々が教育者に厳しい目を向けない限り、 
 
教育者のレベルは上がりません。 
  
  
それも、学校教育によって、
 
【 教育者(先生・権威・教授など)の言うことが、無条件にマル 】
  
【 自分が少数派だとしても、多数に合わせることが正しい 】
  
という、奴隷教育を受けて洗脳されているから出来ないのでしょう。
  
  
ですから、教育者に逆らえない、強気に出れないのです。
  
  
考えれば考えるほど、今の世の中は重症です。


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haxe501 at 14:17|Permalinkclip!

2017年02月16日

「表現」と「自己満足」と「相性」

私はPS4を使って、時々自宅カラオケをしています。
  
私は音楽の専門学校に通っていましたから、
音楽(歌と作曲)には強い情熱があります。 
  
  
そして、「自分は音楽とどう付き合っていきたいのか?」
  
そういう事を考えます。
  
  
・「他人の作った音楽」を楽しむだけで良いのか?
・自分も何か音楽で表現をしたいのか?
  
そういう事を考えます。
  
  
【「心理」と「その周辺分野」における研究・教育 】においては、
自分には他が追随できない程の才能があると自覚していますが、
  
音楽においては、私より才能のある人はたくさんいます。
  
  
「自己満足のカラオケ」と「他人に聞いてもらう歌」と、
  
何がどう違っていて、自分は何を求めているのだろうか?
  
  
いろいろ考えた結果、
  
【 自分の表現に、自分自身が納得したい! 】
  
というモチベーションが強い、と言う事がわかりました。 
  
  
他人の評価がどうこうよりも、
【 自分が自分の音楽表現に納得したい、満足したい 】
  
それが出来れば、他人にどう思われても構わないって思えます。
  
   
【 自分が自分に納得するため、満足するため 】に、
上達したいと思えます。   
  
  
自分が納得した出来が、他人にも喜んでもらえるかどうか?です。
  
・喜ぶ人が多ければ、仕事になる可能性もあるでしょうし、
・喜ぶ人が少なければ、仕事にはならない。 
  
ただ、それだけの話です。
  
  
それに、芸術表現って、
「スポーツの勝ち負け」とは違って「好み」です。 
  
  
私の声が嫌いって人もいれば、好きって人もいるでしょう。
  
「自分の声が好き」って言う人がいれば、
その人に喜んでもらう為に、表現してもいいなって思えます。
  
  
それに、何でも表現をする時には、
「読み手」や「聞き手」を意識した方が上達しますからね。
  
  
私は音楽の専門学校に通っていたとき、
歌の上手い人間の評価が高く、歌が下手な人間の評価は低かったです。
  
  
でも、考えていくウチに、
【 歌って、上手い下手じゃ無い 】って気付きました。
  
  
音程、声量、共鳴、リズム感などの基礎的な部分もありますけど、
「技術的に上手いだけの人」も、いくらでもいるし、
  
「声質」とか、「世界観」などの、個性の方が大事だと思います。
  
  
日本で売れているミュージシャンも、
技術より「個性」や「世界観」で勝負している人がたくさんいます。
  
もちろん、「高い技術と個性を両立している誰もが認める天才」
みたいな人もいますけど(笑)
  
  
とにかく、
  
【 学校での評価は、社会での評価では無い 】って事に気付きました。 
  
  
もちろん、学校で学べたことは数多くありますが、
  
「要らない思い込み」まで植え付けられてしまいました(笑) 
 
  
大事なのは、「学校の先生」や「同級生」の評価じゃ無くて、
  
【 自分の表現(世界観・個性)を気に入ってくれる人の評価 】です。
  
  
例えば、私が「文章の書き方」を学ぶ学校に通ったら、
  
講師から、めちゃくちゃいろんな事を注意されると思います(笑)
   
  
でも、「誰からも注意されない無難な文章」は書きたくはありません。
  
【 自分が自分で納得・満足する文章 】を書いて、
それを気に入ってくれる人の為に書くわけですから。
  
  
【 講師の持つ一般的な評価基準 】などに合わせる必要はありません。
  
  
「音楽」もそれと同じで、
  
別に全員から好かれなくていいし、
「誰からも注意されない表現」など目指すべきではありません。
  
  
「誰からもダメ出しされない無難な表現」では無く、
  
【 多数からダメ出しを受けても、誰かが強烈に気に入ってくれる… 】
  
そっちの方が、現実的には仕事になるのです。
  
  
ですから、学校での評価が低くても、気にする必要はありません。
  
万人受けしなくても、
【 少数でも、強烈に気に入ってくれる人 】がいればいいのです。
  
  
「大多数の評価」よりも、
【 自分の表現に、自分が納得できるかどうか? 】が何よりも大事なのです。
  
  
学校での評価は、社会では役に立たないのです。
   
   
学校での評価が高かったとしても、
社会に出たら評価が低い人もいるのです。
    
それが、【 技術だけで、個性の無い表現 】でしょう。 
  
  
スポーツなどの分野なら、
「技術」や「結果」が何よりも大事ですから、
  
まったく土俵が違う領域ですね。
  
  
私の研究している「心理・スピリチュアル分野」も、
芸術などでは無く、スポーツと同じで、
  
【「技術」や「結果」が最重要の領域 】です。
  
   
なぜなら、私がやっている事は「医療」と同じだからです。
  
外科医が、「大事なのは技術よりも個性だ!」とか言い始めたら、
怖いですよね?(笑)
   
  
スポーツ、医療、心理・スピリチュアルなどの分野は、
  
「芸術や食べ物の好き嫌い」とは違って、
【「技術」と「結果」が全て 】の世界です。
    
  
そのくせ、心理・スピリチュアル分野では、
【 技術が低く、結果も出せない、無責任なプロ 】が多過ぎです。
  
  
  
それと、話は変わりますが、
  
  
・この作曲家の曲は好みだな…とか、
・この歌手の声は素敵だな…とか、
  
そういう個人的に気に入る「人」や「表現」は、
  
自分と【 魂の相性度が高い 】って事にも気付きました。 
  
  
私は、作曲家っていう職業に強い興味があるので、
  
将来は、自分が好きな音楽を作曲している人と話してみたいですね。
  
  
レベルが低すぎる、
心理・スピリチュアル業界のエセプロたちよりも、
  
よほど仲良くできると思います(笑)


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haxe501 at 17:04|Permalinkclip!