2017年01月
2017年01月10日
ベーシックインカム
http://xn--m1q29bh7c247cpyuj6r.com/column/what-basic-income/
https://newspicks.com/news/1990562/body/?ref=search
私は、ベーシックインカムについては、
ガチガチバリバリの否定論者です。
ベーシックインカムのメリットとして、
・行政の仕事が簡略化されて、コストが下がる
・お金の為に、キツイ仕事、やりたくない仕事を続ける人が減る
などが謳われています。
ベーシックインカムを導入すると、
勤労意欲を削ぐのでは無いか?
と言う批判に対しては、
「たくさんお金が欲しい人、働きたい人は、それでも働くだろう」
という予測をしている訳です。
そもそも、行政の無駄な仕事を減らすのが目的であれば、
ベーシックインカムという制度にこだわる必要はありません。
別の方法でも出来る訳ですから、
ベーシックインカムでなければならない理由がありません。
そして、ベーシックインカム支持者の最大の思い違いは、
「人間という生き物の習性や性質を知らなさすぎる」と言う事です。
現代社会を動かしているのは、
基本的に「お金と仕事(生産・創造)が大好きな人たち」です。
だから、最低限の生活が守られていても、
【 人間は、「お金」を求めて「仕事」するだろう 】
と、考えているのです。
これが、仕事とお金が好きな人間から見た偏った見方という訳です。
何十年も「ニート」や「引きこもり」をしている人もいるんです。
「自分が好きな仕事」をしている人は、少数派です。
ほとんどの人は、休日を喜ぶでしょう?
本当は、仕事なんてしたくないんです。
人間というのは、
ラクができるなら、いくらでもラクをしようとする生き物です。
甘やかしたら、どこまでも甘えるのが人間なのです。
ベーシックインカムで、タダでお金を与えても、
働かなくても良いというなら、
ただ家にこもってゲームする人間が激増するだけです。
それか、パチンコ屋が儲かるだけです。
現代人は、旧世代の高齢者と違って、
金銭的な贅沢などが働くモチベーションにはならないのです。
ベーシックインカムを支持している人間は、
性善説に偏っているのと同じです。
親からお金をもらってダラダラ生活している子供が、
いきなり、
・人の為に何かしたい!
・自分のやりたい仕事がしたい!
と、目覚める訳が無いんです。
無気力な人間が、
何の原因も無く、突然エネルギッシュになる事はありません。
人間が目覚める一番良い薬は、【 厳しさ・苦しみ 】です。
「厳しさ」や「苦しみ」のポジティブ面を理解していないから、
人を甘やかそうとしてしまうのでしょう。
それに、ベーシックインカム支持者は、
「制度」や「ルール」で世の中に影響を与えられると過信しすぎています。
制度を作るのも、運用するのも人です。
どんな制度を作ろうとも、人が変わらなければ、意味が無いのです。
もちろん、ポジティブな人間ばかりであれば、
ベーシックインカムであろうが、
他の制度であろうが、上手く機能するでしょう。
しかし、そうではないのが現実です。
人間にタダメシ食わせて、ほったらかしにして、
それで、多くの人間が突然目覚めて、やる気に満ちて、
情熱的に生きられるようになるでしょうか?
なりません。
自分が苦しむまで、痛い目を見るまで、
とことん甘え続けるのが人間です。
まず、制度の前に、「人間の中身」を変えなければなりません。
その為には、【 教育 】です。
どんな制度を作ろうとも、【 教育の中身 】が変わらない限り、
結果は変わりませんし、根本解決も出来ません。
と言っても、行政が教育のためにやる事と言ったら、
英会話や生涯学習に補助金を出すとか、
「既存の教育」に対する支援金を出す程度です。
じゃなくて、
どこかに金を出せば良いんじゃ無くて、
【 教育の中身、クオリティ 】を変えなきゃ、意味が無いのです。
「制度で何とか出来るだろう」と思っているのは、
先日も記事に書いたように、マクロ経済学者が考えそうな発想です。
制度の前に、「人々の意識」が変わる必要があります。
飲酒運転の厳罰化も、飲酒運転の大事故がニュースになって、
人々の意識が変わって、ルールが変わったのです。
女性専用車両も、同じです。
問題が起きて、人々の意識が変わって、ルールが変わるのです。
先に制度を作っても、
人々の意識が追いついていなければ、まったく機能しません。
マクロな視点しか持てない人は、
全体を浅く視ることしかできませんし、
本質を見抜く事も出来ないでしょう。
それでは、
人間という生き物の習性、性質、本質を理解する事はできません。
人々の経済の問題、国家の問題を解決するためには、
ベーシックインカムの前に、
私が語っているような、
【 心理と経済の本質の教育 】を、世に広めれば良いのです。
ベーシックインカムを支持する人は、大きな勘違いをしています。
1.人間という生き物の習性をわかっていない
2.制度やルールで世に大きな影響を与えられると過大評価している
この2点です。
実際に自分がニートや引きこもりになったり、
そういう人と触れあったことがある人が考えた制度なのでしょうか?
人間を、甘やかして、放っておいても、何も起きません。
「お金の有り難み、お金の使い方」を知らない人間に、
ただお金を渡しても、ドブに捨てるのと同じです。
まず、「お金の有り難み、お金の使い方」を解らせないと。
そもそも、多くの人間は「奴隷根性」が染みついているので、
それを叩き直さないと、
生産的、創造的な活動を自ら行う事はありません。
何にしても、
社会的な問題を解決するには、
「正しい情報」や「本質の教育」を広めることです。
それ以外は、全てが的外れです。
https://newspicks.com/news/1990562/body/?ref=search
私は、ベーシックインカムについては、
ガチガチバリバリの否定論者です。
ベーシックインカムのメリットとして、
・行政の仕事が簡略化されて、コストが下がる
・お金の為に、キツイ仕事、やりたくない仕事を続ける人が減る
などが謳われています。
ベーシックインカムを導入すると、
勤労意欲を削ぐのでは無いか?
と言う批判に対しては、
「たくさんお金が欲しい人、働きたい人は、それでも働くだろう」
という予測をしている訳です。
そもそも、行政の無駄な仕事を減らすのが目的であれば、
ベーシックインカムという制度にこだわる必要はありません。
別の方法でも出来る訳ですから、
ベーシックインカムでなければならない理由がありません。
そして、ベーシックインカム支持者の最大の思い違いは、
「人間という生き物の習性や性質を知らなさすぎる」と言う事です。
現代社会を動かしているのは、
基本的に「お金と仕事(生産・創造)が大好きな人たち」です。
だから、最低限の生活が守られていても、
【 人間は、「お金」を求めて「仕事」するだろう 】
と、考えているのです。
これが、仕事とお金が好きな人間から見た偏った見方という訳です。
何十年も「ニート」や「引きこもり」をしている人もいるんです。
「自分が好きな仕事」をしている人は、少数派です。
ほとんどの人は、休日を喜ぶでしょう?
本当は、仕事なんてしたくないんです。
人間というのは、
ラクができるなら、いくらでもラクをしようとする生き物です。
甘やかしたら、どこまでも甘えるのが人間なのです。
ベーシックインカムで、タダでお金を与えても、
働かなくても良いというなら、
ただ家にこもってゲームする人間が激増するだけです。
それか、パチンコ屋が儲かるだけです。
現代人は、旧世代の高齢者と違って、
金銭的な贅沢などが働くモチベーションにはならないのです。
ベーシックインカムを支持している人間は、
性善説に偏っているのと同じです。
親からお金をもらってダラダラ生活している子供が、
いきなり、
・人の為に何かしたい!
・自分のやりたい仕事がしたい!
と、目覚める訳が無いんです。
無気力な人間が、
何の原因も無く、突然エネルギッシュになる事はありません。
人間が目覚める一番良い薬は、【 厳しさ・苦しみ 】です。
「厳しさ」や「苦しみ」のポジティブ面を理解していないから、
人を甘やかそうとしてしまうのでしょう。
それに、ベーシックインカム支持者は、
「制度」や「ルール」で世の中に影響を与えられると過信しすぎています。
制度を作るのも、運用するのも人です。
どんな制度を作ろうとも、人が変わらなければ、意味が無いのです。
もちろん、ポジティブな人間ばかりであれば、
ベーシックインカムであろうが、
他の制度であろうが、上手く機能するでしょう。
しかし、そうではないのが現実です。
人間にタダメシ食わせて、ほったらかしにして、
それで、多くの人間が突然目覚めて、やる気に満ちて、
情熱的に生きられるようになるでしょうか?
なりません。
自分が苦しむまで、痛い目を見るまで、
とことん甘え続けるのが人間です。
まず、制度の前に、「人間の中身」を変えなければなりません。
その為には、【 教育 】です。
どんな制度を作ろうとも、【 教育の中身 】が変わらない限り、
結果は変わりませんし、根本解決も出来ません。
と言っても、行政が教育のためにやる事と言ったら、
英会話や生涯学習に補助金を出すとか、
「既存の教育」に対する支援金を出す程度です。
じゃなくて、
どこかに金を出せば良いんじゃ無くて、
【 教育の中身、クオリティ 】を変えなきゃ、意味が無いのです。
「制度で何とか出来るだろう」と思っているのは、
先日も記事に書いたように、マクロ経済学者が考えそうな発想です。
制度の前に、「人々の意識」が変わる必要があります。
飲酒運転の厳罰化も、飲酒運転の大事故がニュースになって、
人々の意識が変わって、ルールが変わったのです。
女性専用車両も、同じです。
問題が起きて、人々の意識が変わって、ルールが変わるのです。
先に制度を作っても、
人々の意識が追いついていなければ、まったく機能しません。
マクロな視点しか持てない人は、
全体を浅く視ることしかできませんし、
本質を見抜く事も出来ないでしょう。
それでは、
人間という生き物の習性、性質、本質を理解する事はできません。
人々の経済の問題、国家の問題を解決するためには、
ベーシックインカムの前に、
私が語っているような、
【 心理と経済の本質の教育 】を、世に広めれば良いのです。
ベーシックインカムを支持する人は、大きな勘違いをしています。
1.人間という生き物の習性をわかっていない
2.制度やルールで世に大きな影響を与えられると過大評価している
この2点です。
実際に自分がニートや引きこもりになったり、
そういう人と触れあったことがある人が考えた制度なのでしょうか?
人間を、甘やかして、放っておいても、何も起きません。
「お金の有り難み、お金の使い方」を知らない人間に、
ただお金を渡しても、ドブに捨てるのと同じです。
まず、「お金の有り難み、お金の使い方」を解らせないと。
そもそも、多くの人間は「奴隷根性」が染みついているので、
それを叩き直さないと、
生産的、創造的な活動を自ら行う事はありません。
何にしても、
社会的な問題を解決するには、
「正しい情報」や「本質の教育」を広めることです。
それ以外は、全てが的外れです。
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2017年01月09日
経済の次は、健康の話
経済の次は、健康の話をしたいと思いますが、
国力を高めたければ、国民が健康である必要があります。
病人ばかりで、経済を維持できる訳がありません。
で、本当に国民の健康を考えるのであれば、
基礎の「栄養学」と「生理学」を教え、広める必要があります。
【 人間の身体と健康は、どのようにして維持されているのか? 】
【 逆に、人間の身体と健康に有害な物質とはどのようなものか? 】
これを学ばなければ、健康を自主的に維持する事はできません。
しかし、民間企業も政府も、
本気で健康教育をしようとはしないでしょう。
なぜなら、健康教育を広めたら、多くの食品企業が困るからです。
国民が、身体に害ある食べ物を避けようとすればするほど、
企業にとっては手間と負担(コスト)が増えることになります。
さらに、国民が「栄養学の基礎」を学べば、
イメージだけで売ろうとしている無意味な健康系の食品が、
ほとんど売れなくなってしまうでしょう。
つまり、国民に「正しい健康教育」を広めることは、
短期的に、「食品企業の負担が増大すること」になります。
だから、政府も企業もやりたがりません。
民放もNHKも、スポンサーである企業や政府を
敵を回す様なテレビ番組をわざわざやらないでしょう。
「長期的な国民の健康、国の発展」よりも、
【 目先の利益 】の方が大事なのです。
「短期利益」を優先するが故に、
「長期利益」を失っている、代表的な例です。
これからの未来を担う若者よりも、
「人口」と「投票率」の高い老人に対する
サポートを手厚くしているのも、同じ事です。
この国の人間の多くは、
未来に投資する事よりも、目先をしのぐことの方が大事なのです。
だから、根本解決法など提示しても、採用されないのです。
長期的な経済発展の為には、「健康教育」も必要です。
しかし、目先の利益を失う事、
目先の負担が増えることから逃げて、
正しい知識を広めようとはしていないのです。
権力者から「国民はバカな方が都合が良い」と思われている国は、
権力者が利権にしがみついる訳ですから、衰退します。
本当は、国民が賢くなる事で、国は強くなるのです。
国民が賢くなって都合が悪くなるのは
利権にしがみついている権力者です。
ですから、権力者は自分の立場を守るためにも、
国民を賢くしないように、コントロールしようとするのです。
真実を語る人間を、表には出さず、潰そうとするのです。
私は、根本解決法を熟知していますが、
いつまで現代社会は、根本解決に繋がらない事ばっかり
やり続けるのでしょうか?
非常に愚かに見えますが、愚かなのが人間です。
ただ、ずっと愚かなままだとは思いません。
いずれ、人々の意識が目覚めていくことを私は確信しています。
おそらく衝撃的な出来事がキッカケとなって、
人々の意識は目覚めていくはずです。
私は、そのタイミングをずっとずっと待ち続けているのです。
国力を高めたければ、国民が健康である必要があります。
病人ばかりで、経済を維持できる訳がありません。
で、本当に国民の健康を考えるのであれば、
基礎の「栄養学」と「生理学」を教え、広める必要があります。
【 人間の身体と健康は、どのようにして維持されているのか? 】
【 逆に、人間の身体と健康に有害な物質とはどのようなものか? 】
これを学ばなければ、健康を自主的に維持する事はできません。
しかし、民間企業も政府も、
本気で健康教育をしようとはしないでしょう。
なぜなら、健康教育を広めたら、多くの食品企業が困るからです。
国民が、身体に害ある食べ物を避けようとすればするほど、
企業にとっては手間と負担(コスト)が増えることになります。
さらに、国民が「栄養学の基礎」を学べば、
イメージだけで売ろうとしている無意味な健康系の食品が、
ほとんど売れなくなってしまうでしょう。
つまり、国民に「正しい健康教育」を広めることは、
短期的に、「食品企業の負担が増大すること」になります。
だから、政府も企業もやりたがりません。
民放もNHKも、スポンサーである企業や政府を
敵を回す様なテレビ番組をわざわざやらないでしょう。
「長期的な国民の健康、国の発展」よりも、
【 目先の利益 】の方が大事なのです。
「短期利益」を優先するが故に、
「長期利益」を失っている、代表的な例です。
これからの未来を担う若者よりも、
「人口」と「投票率」の高い老人に対する
サポートを手厚くしているのも、同じ事です。
この国の人間の多くは、
未来に投資する事よりも、目先をしのぐことの方が大事なのです。
だから、根本解決法など提示しても、採用されないのです。
長期的な経済発展の為には、「健康教育」も必要です。
しかし、目先の利益を失う事、
目先の負担が増えることから逃げて、
正しい知識を広めようとはしていないのです。
権力者から「国民はバカな方が都合が良い」と思われている国は、
権力者が利権にしがみついる訳ですから、衰退します。
本当は、国民が賢くなる事で、国は強くなるのです。
国民が賢くなって都合が悪くなるのは
利権にしがみついている権力者です。
ですから、権力者は自分の立場を守るためにも、
国民を賢くしないように、コントロールしようとするのです。
真実を語る人間を、表には出さず、潰そうとするのです。
私は、根本解決法を熟知していますが、
いつまで現代社会は、根本解決に繋がらない事ばっかり
やり続けるのでしょうか?
非常に愚かに見えますが、愚かなのが人間です。
ただ、ずっと愚かなままだとは思いません。
いずれ、人々の意識が目覚めていくことを私は確信しています。
おそらく衝撃的な出来事がキッカケとなって、
人々の意識は目覚めていくはずです。
私は、そのタイミングをずっとずっと待ち続けているのです。
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2017年01月08日
経済の話
前回の記事に絡んだ話ですが、
人は、「国の経済や景気」の為に働いている訳ではありません。
そんな漠然としたモノの為では無く、
出来る限り、
【 幸せに、快適に暮らしたい 】と願っているのです。
「働くよりも、ニートの方が幸せに快適に暮らせる」という人は、
働かない生き方を選択するのは自然な流れです。
年収が低くても、幸せに快適に暮らせているなら、
その人の生活に対する満足度は高いはずです。
逆に、
年収が高くても、不幸で不快な暮らしをしているなら、
生活に対する満足度は低いはずです。
昔の人は、
「三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)を手に入れたい」
というモチベーションで、必死に働きました。
その時代は、働いてとにかくお金を稼ぐ事が、
「快適な生活」に直結していたわけです。
しかし、今はどうでしょう?
誰にとっても、必ずしも、
働く事が「快適な生活」に繋がっている訳ではありません。
むしろ、イヤな仕事をしてストレスが溜まって、
うつ病になるような人もたくさんいます。
実家で暮らしている人であれば、
働かなくても生きていける人もいます。
経済をよくしたければ、
人間の【 働く動機 】に働きかける必要があります。
そして、今の時代、
「お金というエサ」で働く人ばかりでは無いわけです。
そこら辺の「人間心理」を加味しなければ、
経済学者の考える施策は、全てが的外れとなるわけです。
なんとか、企業の内部留保を投資に回させようとしても、
企業も、国の景気やGDPの為に経営をしている訳ではありません。
人間自体が情熱的に生きるようになったり、成長を目指さなければ、
いくら環境を整えようとも、実体経済が良くなっていく訳がありません。
あと、現代社会の大きな問題として、
「女性の労働」と「子育て」が経済的な課題となっています。
働きながら子育てがしにくい、
働くために保育所に預けようにも、
保育所の数が少ない、保育士の給料が安い
などの問題があります。
これらは、一体どうやって解決していけば良いでしょうか?
ちなみに、私の家庭では、子育てに掛かる負担が、
一般家庭の「10分の1」くらいだと思います。
「子供のそばにいながら仕事が出来る」と言う事もありますし、
私のお客さんも、堅苦しい人たちじゃ無いので、
別に仕事の場に誰かの赤ちゃんがいても、何とも思いません。
一般企業のビジネスの会議に、
赤ちゃんがいて泣き出したら、つまみ出されるでしょうけど(笑)
私の周りではそういったことはありません。
さらに、いざという時には、
ベビーシッターを頼める人間関係もあります。
あと、物理面では無く、精神面に関しても、
赤ちゃんを過保護にしないように、
無駄なエネルギーを割きすぎないようにしている点も、
自分の負担を減らす要因になっています。
・「働き方」の効率が良い事
・「人間関係・信頼関係」が豊かである事
・「心理の法則」を理解していていること
などで、【 子育てに関する負担 】を減らしまくっています。
本当は、誰にでも可能な事のハズですが、
一般常識という枠に当てはめて生活している限り、
子育ての負担は減らないでしょう。
子供の教育に関しても、
本当に効率良く子供を教育すれば、
10代前半からでも仕事をしてお金を稼ぐ事は可能だと思います。
22歳とか、24歳まで学生をやらなくても良いです。
どうせ、社会に出ても役に立たない事を学んでいる訳なので。
効率良く子供を育てれば、
子供の精神的自立・経済的自立を、10年は短縮できるでしょう。
そうなれば、
10代の子供でも「経済にとってプラスの存在」となりますし、
若くしても経済力を得る事ができれば、
若年者の妊娠に対しても、今よりよほど寛容になれるでしょう。
私が思い描いている社会が現実になれば、
徹底的に無駄が省かれ、効率が高まり、
多くの人が幸せに快適に暮らせる世の中になるでしょう。
私の中に、どうすれば良いか?というアイデアはありますが、
それが採用されるには、
世の中の人々の意識が成熟しなければなりません。
人間が、「なぜ効率が悪いとわかりきっている方法」を選択し続けるか?
というと、それは【 恐怖 】があるからです。
常識の枠から外れる事で、快適に生きていけるとしても、
常識から外れて、他人から変な目でみられる事が怖いのです。
外見を気にして、中身を失っているのです。
例えば、真夏でも
「ジャケット」と「ネクタイ」している人っていますよね?
別に、それが「仕事の出来る出来ない」には直結していないハズです。
でも、「他人の目」や「常識からはみ出る事」が怖いので、
【 無駄な社会的慣習 】を続けるのです。
ゼロベースで考えて、無駄を削ぎ落とす事を考えなければ、
劇的に効率など上がりません。
しかし、ほとんどの人はゼロベースで考える事が苦手です。
今までこうやってきたから、これからもそうするんだと、
過去にしがみついていて、
「一旦ゼロに戻して考える」という事ができません。
無駄とわかっていても、方法を変えることが怖いのです。
もし、何か問題が起こったときの責任を取りたくないのでしょう。
恐怖が、無駄を生む原因です。
恐怖が、効率を下げている原因です。
人間は、恐怖を無くせば無くすほど、効率が高まります。
例えば、稼いだ金をギャンブルで散財する…、
これは、お金の使い方の効率が悪いです。
でも、なんでそんな事するのか?っていうと、
精神がネガティブだからです。
精神がネガティブであればあるほど、
「長期的効率、全体最適」ではなく、「目先の事」しか考えられず、
「その場しのぎの方法」に逃げるのです。
私は、子育ての負担を減らす方法をたくさん理解していますが、
それを教えても、採用する人は少ないでしょう。
なぜなら、常識と違う方法を採用するのが怖いからです。
常識からはみ出る事を怖れ、
非効率的で無駄な方法を続けるのです。
結局、恐怖と向き合い、克服しなければ、
【 無駄は省けない、効率も上がらない、自分の負担は減らせない 】
と言う事です。
これから、少子高齢化が加速していく世の中で、
日本経済を根本的に良くするアイデアを持っている人は、
ほとんど皆無ではないでしょうか?
問題だ! 問題だ! とは言いますが、
「こうすれば根本的に持続可能な社会ができるよ!」
って言える人がいないのです。
だから、みんな将来に不安を抱えているのでしょう。
みんな、「幸せで快適な暮らし」がしたいと思っています。
それを実現させるには、
一人一人が価値を生んでいくこと、
一人一人が対人恐怖を乗り越え、信頼関係を気付いていくことです。
これ無しに、実体経済を根本的に良くしていく方法はありません。
しかし、ほとんどの人は、恐怖と積極的に向き合おうとしません。
だから、私がいくら先回りして教えても、
生き方を変える人は少ないでしょう。
恐怖が現実化して、痛い目を見たとき、
他人の言うことを素直に聞こうという気になるのです。
まだ、日本全体で見れば、余裕があるのです。
余裕があるから、根本的な解決を目指さないのです。
日本が切羽詰まるのは、2018年以降でしょうかね。
そこから、私の出番です。
人は、「国の経済や景気」の為に働いている訳ではありません。
そんな漠然としたモノの為では無く、
出来る限り、
【 幸せに、快適に暮らしたい 】と願っているのです。
「働くよりも、ニートの方が幸せに快適に暮らせる」という人は、
働かない生き方を選択するのは自然な流れです。
年収が低くても、幸せに快適に暮らせているなら、
その人の生活に対する満足度は高いはずです。
逆に、
年収が高くても、不幸で不快な暮らしをしているなら、
生活に対する満足度は低いはずです。
昔の人は、
「三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)を手に入れたい」
というモチベーションで、必死に働きました。
その時代は、働いてとにかくお金を稼ぐ事が、
「快適な生活」に直結していたわけです。
しかし、今はどうでしょう?
誰にとっても、必ずしも、
働く事が「快適な生活」に繋がっている訳ではありません。
むしろ、イヤな仕事をしてストレスが溜まって、
うつ病になるような人もたくさんいます。
実家で暮らしている人であれば、
働かなくても生きていける人もいます。
経済をよくしたければ、
人間の【 働く動機 】に働きかける必要があります。
そして、今の時代、
「お金というエサ」で働く人ばかりでは無いわけです。
そこら辺の「人間心理」を加味しなければ、
経済学者の考える施策は、全てが的外れとなるわけです。
なんとか、企業の内部留保を投資に回させようとしても、
企業も、国の景気やGDPの為に経営をしている訳ではありません。
人間自体が情熱的に生きるようになったり、成長を目指さなければ、
いくら環境を整えようとも、実体経済が良くなっていく訳がありません。
あと、現代社会の大きな問題として、
「女性の労働」と「子育て」が経済的な課題となっています。
働きながら子育てがしにくい、
働くために保育所に預けようにも、
保育所の数が少ない、保育士の給料が安い
などの問題があります。
これらは、一体どうやって解決していけば良いでしょうか?
ちなみに、私の家庭では、子育てに掛かる負担が、
一般家庭の「10分の1」くらいだと思います。
「子供のそばにいながら仕事が出来る」と言う事もありますし、
私のお客さんも、堅苦しい人たちじゃ無いので、
別に仕事の場に誰かの赤ちゃんがいても、何とも思いません。
一般企業のビジネスの会議に、
赤ちゃんがいて泣き出したら、つまみ出されるでしょうけど(笑)
私の周りではそういったことはありません。
さらに、いざという時には、
ベビーシッターを頼める人間関係もあります。
あと、物理面では無く、精神面に関しても、
赤ちゃんを過保護にしないように、
無駄なエネルギーを割きすぎないようにしている点も、
自分の負担を減らす要因になっています。
・「働き方」の効率が良い事
・「人間関係・信頼関係」が豊かである事
・「心理の法則」を理解していていること
などで、【 子育てに関する負担 】を減らしまくっています。
本当は、誰にでも可能な事のハズですが、
一般常識という枠に当てはめて生活している限り、
子育ての負担は減らないでしょう。
子供の教育に関しても、
本当に効率良く子供を教育すれば、
10代前半からでも仕事をしてお金を稼ぐ事は可能だと思います。
22歳とか、24歳まで学生をやらなくても良いです。
どうせ、社会に出ても役に立たない事を学んでいる訳なので。
効率良く子供を育てれば、
子供の精神的自立・経済的自立を、10年は短縮できるでしょう。
そうなれば、
10代の子供でも「経済にとってプラスの存在」となりますし、
若くしても経済力を得る事ができれば、
若年者の妊娠に対しても、今よりよほど寛容になれるでしょう。
私が思い描いている社会が現実になれば、
徹底的に無駄が省かれ、効率が高まり、
多くの人が幸せに快適に暮らせる世の中になるでしょう。
私の中に、どうすれば良いか?というアイデアはありますが、
それが採用されるには、
世の中の人々の意識が成熟しなければなりません。
人間が、「なぜ効率が悪いとわかりきっている方法」を選択し続けるか?
というと、それは【 恐怖 】があるからです。
常識の枠から外れる事で、快適に生きていけるとしても、
常識から外れて、他人から変な目でみられる事が怖いのです。
外見を気にして、中身を失っているのです。
例えば、真夏でも
「ジャケット」と「ネクタイ」している人っていますよね?
別に、それが「仕事の出来る出来ない」には直結していないハズです。
でも、「他人の目」や「常識からはみ出る事」が怖いので、
【 無駄な社会的慣習 】を続けるのです。
ゼロベースで考えて、無駄を削ぎ落とす事を考えなければ、
劇的に効率など上がりません。
しかし、ほとんどの人はゼロベースで考える事が苦手です。
今までこうやってきたから、これからもそうするんだと、
過去にしがみついていて、
「一旦ゼロに戻して考える」という事ができません。
無駄とわかっていても、方法を変えることが怖いのです。
もし、何か問題が起こったときの責任を取りたくないのでしょう。
恐怖が、無駄を生む原因です。
恐怖が、効率を下げている原因です。
人間は、恐怖を無くせば無くすほど、効率が高まります。
例えば、稼いだ金をギャンブルで散財する…、
これは、お金の使い方の効率が悪いです。
でも、なんでそんな事するのか?っていうと、
精神がネガティブだからです。
精神がネガティブであればあるほど、
「長期的効率、全体最適」ではなく、「目先の事」しか考えられず、
「その場しのぎの方法」に逃げるのです。
私は、子育ての負担を減らす方法をたくさん理解していますが、
それを教えても、採用する人は少ないでしょう。
なぜなら、常識と違う方法を採用するのが怖いからです。
常識からはみ出る事を怖れ、
非効率的で無駄な方法を続けるのです。
結局、恐怖と向き合い、克服しなければ、
【 無駄は省けない、効率も上がらない、自分の負担は減らせない 】
と言う事です。
これから、少子高齢化が加速していく世の中で、
日本経済を根本的に良くするアイデアを持っている人は、
ほとんど皆無ではないでしょうか?
問題だ! 問題だ! とは言いますが、
「こうすれば根本的に持続可能な社会ができるよ!」
って言える人がいないのです。
だから、みんな将来に不安を抱えているのでしょう。
みんな、「幸せで快適な暮らし」がしたいと思っています。
それを実現させるには、
一人一人が価値を生んでいくこと、
一人一人が対人恐怖を乗り越え、信頼関係を気付いていくことです。
これ無しに、実体経済を根本的に良くしていく方法はありません。
しかし、ほとんどの人は、恐怖と積極的に向き合おうとしません。
だから、私がいくら先回りして教えても、
生き方を変える人は少ないでしょう。
恐怖が現実化して、痛い目を見たとき、
他人の言うことを素直に聞こうという気になるのです。
まだ、日本全体で見れば、余裕があるのです。
余裕があるから、根本的な解決を目指さないのです。
日本が切羽詰まるのは、2018年以降でしょうかね。
そこから、私の出番です。
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2017年01月07日
マクロ経済学の質
私は、巷の「統計データ」を軸とした心理学は
レベルが非常に低いと言い続けて来ましたが、
それは、「マクロ経済学」でも同じ事が言えます。
マクロ経済学者の書いている文章を見ても、
本当にレベルが低いなぁと思います。
マクロ経済学も、統計データを集めている訳で、
「表面的な傾向」は読み取れるかも知れませんが、
「本質」は見抜けません。
マクロ経済学者より、
私の方が経済を理解している自信がありますし、
私の方が、経済学者として優秀でしょう。
マクロ経済学者は、
経済を良くする為に、いつも結論として
・新たな「法律」を作れ
・新たな「制度」を作れ
と言います。
「データ」や「数字」ばかり眺めていますし、
人間を「機械」か「ロボット」の様に思っているのでしょうか?
それか、目の前にニンジンをぶら下げたら走りだす、
「動機が単純な動物」のように思っているのでしょうか?
そもそも、「法律」も「制度」も、
その土地で暮らす人々の【 意識の反映 】です。
人々の「意識」が変わらずして、
先に「法律」や「制度」が作られる事はありません。
法律や制度を作ったら、
「自分が思った通りに人間は動くだろう」とは、
なんとも、「人間という生き物の事」を解っていません。
経済とは、人の「生産(仕事)」と「消費(買い物)」…、
つまり【 人の生活 】が作り出しています。
ですから、「人々の生活の質」を高めることで、
結果的に、GDPなどの数値も改善されていく訳です。
ですから、本当に経済をよくしたければ、
【 個人の経済力を高めるために、本質的な課題は何処にあるのか? 】
という所にフォーカスする必要があります。
現政権は、マクロ経済学者の意見を採用して、
「金融政策、経済政策」を行っていますが、
まるで的が外れています。
会社員の給料を引き上げたいのも、
「選挙の票」に繋げたいからでしょう。
企業からは「金」が欲しくて、
人からは「票」が欲しいのです。
株価は、正確に実体経済を現している訳ではありませんし、
株価が上がったとしても、
実体経済が良くなっているとは限りません。
株価が現しているのは、人々の持つ「イメージ」です。
その人の持つイメージよりも、
実質が優良な企業は、割安な株と言うことになります。
「イメージ」と「実質」にギャップがあるから、
株で儲けられる人がいるのです。
株価が上がっても、
単純に人々の生活が良くなるわけではありません。
もっと言うと、
【 根本解決 】になどは、まるで繋がっていません。
マクロ経済学者は、
「こういう風にしたら、国のGDPは上がる!」
なんて言う風に言いますが、
人間は、「国の経済」や「GDP」の為に働いている訳ではありません(笑)
人間は本質的に、お金の為に生きているわけでもありません。
経済学者は、「無条件に人間はお金を求めるだろう」
とうい前提で考えている様ですが、人の価値観はバラバラです。
こういう制度を整えたら、
人間は一生懸命働くだろうなんて予測しても、
お金がモチベーションじゃない人間は働きません。
商売で言えば、
「値段さえ安くすれば、誰でも買うだろう」
という思い込みぐらい、的外れです。
いくら安くても、要らないモノは要りません。
いくら金利をいじくっても、
人がお金を積極的に使う理由にはならないのです。
お金が欲しいヤツばかりだったら、ニートも多くないはずです。
お金よりも、時間の自由を求める人間が、ニートになるのです。
人間の「経済力」や「生産性」を本当に高めようと思ったら、
人々には、
・経済の本質を理解してもらう
・価値提供に対する自信を高めてもらう
・無駄を省き、楽しく幸せに働いてもらう
と言ったアプローチが必要です。
要は、【 経済教育 × 心理教育 】です。
上辺の法律や制度ではありません。
古い人間は、数字の為に働いてきたかも知れませんが、
若い人間ほど、数字の為には働かなくなってきています。
これは、数字やデータでしか人を判断できない、
マクロ経済学者には到底辿り付けない結論です。
マクロ経済学者の本はよく売れる様ですが、
私から見れば、
マクロ経済学者の主張は、全てが「的外れ」です。
人それぞれ、「頑張る動機」は違います。
そのモチベーションを引き出さなければ、
人は積極的には働きません。
受け身になります。
どれだけ長時間働こうとも、
受け身の人間には大した価値は生み出せません。
大切な事は、積極的に、前のめりに働いてもらう事です。
その為には、本人が「働く意義」を理解している必要があります。
「自分の好きな仕事や、ストレスの無い仕事、
または楽しい仕事で、他人の役に立てる仕事」であれば、
文句を言う人も居ないし、
みんな楽しく幸せに、積極的に働きます。
国の経済を良くしたければ、
そういうヴィジョンに向かっていく必要があるのです。
マクロ経済学者は、
ニートに働いてもらう方法を理解しているでしょうか?
まったく理解していないでしょう。
数字が動機でない人間の動かし方など、知らないのです。
今の若者はすぐ仕事を辞める…などと言われますが、
それは、若者が賢くなっているからです。
本質を求めるようになってきているからです。
金さえ渡せば賢明に働くだろうなんて言うのは、
高齢者の思い込みで、今の若者はそんな単純な思考をしないのです。
本質的に、「この仕事を何の為にやるべきなのか?」
という【 目的 】や【 意義 】を求めているのです。
それらを提供し、理解してもらえなければ、
一生懸命には働いてくれません。
【 働く事は、自分の為であり、他人の為である 】
そういう理解を深めてもらう事です。
マクロ経済学では、
そのような「本質的な結論」に辿り着く事はできないでしょう。
巷の統計データを軸とした
心理学も、経済学も、レベルが低すぎて話になりません。
本質は、統計やデータから導き出せるモノではありません。
「全体を浅く視る」のではなく、
【 個を徹底的に深掘り 】することで、本質は見えてくるのです。
ま、私がいくらここに書いても、
国民のみなさんが賢くならない限り、
政府の的外れな金融政策、経済政策は変わりませんが。
レベルが非常に低いと言い続けて来ましたが、
それは、「マクロ経済学」でも同じ事が言えます。
マクロ経済学者の書いている文章を見ても、
本当にレベルが低いなぁと思います。
マクロ経済学も、統計データを集めている訳で、
「表面的な傾向」は読み取れるかも知れませんが、
「本質」は見抜けません。
マクロ経済学者より、
私の方が経済を理解している自信がありますし、
私の方が、経済学者として優秀でしょう。
マクロ経済学者は、
経済を良くする為に、いつも結論として
・新たな「法律」を作れ
・新たな「制度」を作れ
と言います。
「データ」や「数字」ばかり眺めていますし、
人間を「機械」か「ロボット」の様に思っているのでしょうか?
それか、目の前にニンジンをぶら下げたら走りだす、
「動機が単純な動物」のように思っているのでしょうか?
そもそも、「法律」も「制度」も、
その土地で暮らす人々の【 意識の反映 】です。
人々の「意識」が変わらずして、
先に「法律」や「制度」が作られる事はありません。
法律や制度を作ったら、
「自分が思った通りに人間は動くだろう」とは、
なんとも、「人間という生き物の事」を解っていません。
経済とは、人の「生産(仕事)」と「消費(買い物)」…、
つまり【 人の生活 】が作り出しています。
ですから、「人々の生活の質」を高めることで、
結果的に、GDPなどの数値も改善されていく訳です。
ですから、本当に経済をよくしたければ、
【 個人の経済力を高めるために、本質的な課題は何処にあるのか? 】
という所にフォーカスする必要があります。
現政権は、マクロ経済学者の意見を採用して、
「金融政策、経済政策」を行っていますが、
まるで的が外れています。
会社員の給料を引き上げたいのも、
「選挙の票」に繋げたいからでしょう。
企業からは「金」が欲しくて、
人からは「票」が欲しいのです。
株価は、正確に実体経済を現している訳ではありませんし、
株価が上がったとしても、
実体経済が良くなっているとは限りません。
株価が現しているのは、人々の持つ「イメージ」です。
その人の持つイメージよりも、
実質が優良な企業は、割安な株と言うことになります。
「イメージ」と「実質」にギャップがあるから、
株で儲けられる人がいるのです。
株価が上がっても、
単純に人々の生活が良くなるわけではありません。
もっと言うと、
【 根本解決 】になどは、まるで繋がっていません。
マクロ経済学者は、
「こういう風にしたら、国のGDPは上がる!」
なんて言う風に言いますが、
人間は、「国の経済」や「GDP」の為に働いている訳ではありません(笑)
人間は本質的に、お金の為に生きているわけでもありません。
経済学者は、「無条件に人間はお金を求めるだろう」
とうい前提で考えている様ですが、人の価値観はバラバラです。
こういう制度を整えたら、
人間は一生懸命働くだろうなんて予測しても、
お金がモチベーションじゃない人間は働きません。
商売で言えば、
「値段さえ安くすれば、誰でも買うだろう」
という思い込みぐらい、的外れです。
いくら安くても、要らないモノは要りません。
いくら金利をいじくっても、
人がお金を積極的に使う理由にはならないのです。
お金が欲しいヤツばかりだったら、ニートも多くないはずです。
お金よりも、時間の自由を求める人間が、ニートになるのです。
人間の「経済力」や「生産性」を本当に高めようと思ったら、
人々には、
・経済の本質を理解してもらう
・価値提供に対する自信を高めてもらう
・無駄を省き、楽しく幸せに働いてもらう
と言ったアプローチが必要です。
要は、【 経済教育 × 心理教育 】です。
上辺の法律や制度ではありません。
古い人間は、数字の為に働いてきたかも知れませんが、
若い人間ほど、数字の為には働かなくなってきています。
これは、数字やデータでしか人を判断できない、
マクロ経済学者には到底辿り付けない結論です。
マクロ経済学者の本はよく売れる様ですが、
私から見れば、
マクロ経済学者の主張は、全てが「的外れ」です。
人それぞれ、「頑張る動機」は違います。
そのモチベーションを引き出さなければ、
人は積極的には働きません。
受け身になります。
どれだけ長時間働こうとも、
受け身の人間には大した価値は生み出せません。
大切な事は、積極的に、前のめりに働いてもらう事です。
その為には、本人が「働く意義」を理解している必要があります。
「自分の好きな仕事や、ストレスの無い仕事、
または楽しい仕事で、他人の役に立てる仕事」であれば、
文句を言う人も居ないし、
みんな楽しく幸せに、積極的に働きます。
国の経済を良くしたければ、
そういうヴィジョンに向かっていく必要があるのです。
マクロ経済学者は、
ニートに働いてもらう方法を理解しているでしょうか?
まったく理解していないでしょう。
数字が動機でない人間の動かし方など、知らないのです。
今の若者はすぐ仕事を辞める…などと言われますが、
それは、若者が賢くなっているからです。
本質を求めるようになってきているからです。
金さえ渡せば賢明に働くだろうなんて言うのは、
高齢者の思い込みで、今の若者はそんな単純な思考をしないのです。
本質的に、「この仕事を何の為にやるべきなのか?」
という【 目的 】や【 意義 】を求めているのです。
それらを提供し、理解してもらえなければ、
一生懸命には働いてくれません。
【 働く事は、自分の為であり、他人の為である 】
そういう理解を深めてもらう事です。
マクロ経済学では、
そのような「本質的な結論」に辿り着く事はできないでしょう。
巷の統計データを軸とした
心理学も、経済学も、レベルが低すぎて話になりません。
本質は、統計やデータから導き出せるモノではありません。
「全体を浅く視る」のではなく、
【 個を徹底的に深掘り 】することで、本質は見えてくるのです。
ま、私がいくらここに書いても、
国民のみなさんが賢くならない限り、
政府の的外れな金融政策、経済政策は変わりませんが。
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2017年01月06日
「人生観」と「人間観」
ここ最近は、「人生観」についての研究を深めてきましたが、
「人生観」より深いところに、
「人間観」がある様な気がしてきました。
「人生観」とは、
・人生とは何か?
・自分にとって人生とはどういうモノか?
という【 人生に対する定義、前提 】です。
その人が無意識的に持っている「人生観」によって、
「生き方」も決まってしまいます。
その人生観よりさらに深いところに、「人間観」があって、
・人間とは何か?
・人間とはどういうモノか?
という【 人間に対する定義、前提 】があると思います。
その人が無意識的に持っている「人間観」によっても、
「生き方」が決まっている様に思います。
性善説とか、性悪説という言葉もありますが、
人間観がネガティブになると、
【 人間なんか滅んだ方が、地球の為だ! 】
と言うような、SFに出てくる様な思想になると思います。
私は元々、性善説に偏った思想を持つ人間でした。
「人間は、基本的に良い人だろう」という思想です。
しかし、数多くの裏切りに遭って、
その今までの思想が真実にそぐわないという事を理解しました。
人間には、
精神的に成熟した「利他的でポジティブな人」もいれば、
精神的に未熟で「利己的なネガティブな人」もいる。
それが、真実です。
それを理解してからは、人と接する時に、
相手の価値観や考えを慎重に見極めようとするようになりました。
最初から信じすぎる訳でも無く、
最初から疑いすぎる訳でも無く、
「どちらもあり得る」と言う事です。
似た様な話ですが、
私は、人間には無限の可能性があると信じてきました。
「生まれつきの才能」よりも、
「後天的な教育や努力」の方が影響が強いと信じてきました。
しかし、それも偏った見方でした。
やっぱり、どんなに努力しても埋められない差があって、
「生まれつきの才能もあるんだな」って思います。
今では、「先天的才能」と「後天的教育・努力」の影響は、
半々だなと思う様になりました。
私は、「性善説」を信じ、「後天的な人間の可能性」を信じている、
非常にポジティブに偏った思想だったのですが、
「反対側の真実」を認める事によって、
ようやくバランスの取れた見方が出来る様になりました。
しかし、多くの人は私とは逆で、
「性悪説」と「先天的才能」を信じ、
・人間とは、基本的に利己的で悪いヤツばっかりだし、
・自分には才能が無いからどうしようもない
という、「ネガティブ思想」を持っていると思います(笑)
それも、バランスが悪い見方です。
「人生観」にしろ、「人間観」にしろ、
【 ポジティブ・ネガティブ、両面のバランスが取れた見方 】をする事で、
「ポジティブな生き方」を選択する事が出来ます。
「人生観」も、「人間観」も、
人の「生き方」に影響する、根本的な観念であると思います。
表面的な部分にどれだけアプローチしようとも、
根本部分が変わらなければ、結果が大きく変わる事はありません。
表面的なアプローチで結果が出る人は、
「元々、根本部分が優秀だった」と言う事です。
根本がネガティブな人は、根本から変えていく必要があります。
人生観にしても、人間観にしても、
「偏りの無い真実に沿った見方」が出来れば、
自分にとって適切な最善の生き方、判断が可能です。
人生に大きな変化をもたらしたいのであれば、
「人生観」や「人間観」をポジティブに塗り替える事からアプローチしなければ、
なかなか変わっていかないでしょうね。
根本の人生観や人間観を変えずに、人生を変えたいと思うのは、
現実的では無いアプローチなのです。
「人生観」より深いところに、
「人間観」がある様な気がしてきました。
「人生観」とは、
・人生とは何か?
・自分にとって人生とはどういうモノか?
という【 人生に対する定義、前提 】です。
その人が無意識的に持っている「人生観」によって、
「生き方」も決まってしまいます。
その人生観よりさらに深いところに、「人間観」があって、
・人間とは何か?
・人間とはどういうモノか?
という【 人間に対する定義、前提 】があると思います。
その人が無意識的に持っている「人間観」によっても、
「生き方」が決まっている様に思います。
性善説とか、性悪説という言葉もありますが、
人間観がネガティブになると、
【 人間なんか滅んだ方が、地球の為だ! 】
と言うような、SFに出てくる様な思想になると思います。
私は元々、性善説に偏った思想を持つ人間でした。
「人間は、基本的に良い人だろう」という思想です。
しかし、数多くの裏切りに遭って、
その今までの思想が真実にそぐわないという事を理解しました。
人間には、
精神的に成熟した「利他的でポジティブな人」もいれば、
精神的に未熟で「利己的なネガティブな人」もいる。
それが、真実です。
それを理解してからは、人と接する時に、
相手の価値観や考えを慎重に見極めようとするようになりました。
最初から信じすぎる訳でも無く、
最初から疑いすぎる訳でも無く、
「どちらもあり得る」と言う事です。
似た様な話ですが、
私は、人間には無限の可能性があると信じてきました。
「生まれつきの才能」よりも、
「後天的な教育や努力」の方が影響が強いと信じてきました。
しかし、それも偏った見方でした。
やっぱり、どんなに努力しても埋められない差があって、
「生まれつきの才能もあるんだな」って思います。
今では、「先天的才能」と「後天的教育・努力」の影響は、
半々だなと思う様になりました。
私は、「性善説」を信じ、「後天的な人間の可能性」を信じている、
非常にポジティブに偏った思想だったのですが、
「反対側の真実」を認める事によって、
ようやくバランスの取れた見方が出来る様になりました。
しかし、多くの人は私とは逆で、
「性悪説」と「先天的才能」を信じ、
・人間とは、基本的に利己的で悪いヤツばっかりだし、
・自分には才能が無いからどうしようもない
という、「ネガティブ思想」を持っていると思います(笑)
それも、バランスが悪い見方です。
「人生観」にしろ、「人間観」にしろ、
【 ポジティブ・ネガティブ、両面のバランスが取れた見方 】をする事で、
「ポジティブな生き方」を選択する事が出来ます。
「人生観」も、「人間観」も、
人の「生き方」に影響する、根本的な観念であると思います。
表面的な部分にどれだけアプローチしようとも、
根本部分が変わらなければ、結果が大きく変わる事はありません。
表面的なアプローチで結果が出る人は、
「元々、根本部分が優秀だった」と言う事です。
根本がネガティブな人は、根本から変えていく必要があります。
人生観にしても、人間観にしても、
「偏りの無い真実に沿った見方」が出来れば、
自分にとって適切な最善の生き方、判断が可能です。
人生に大きな変化をもたらしたいのであれば、
「人生観」や「人間観」をポジティブに塗り替える事からアプローチしなければ、
なかなか変わっていかないでしょうね。
根本の人生観や人間観を変えずに、人生を変えたいと思うのは、
現実的では無いアプローチなのです。
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2017年01月05日
AIに何を教えるべきか
最近、人工知能に関するニュースをよく閲覧しています。
AIに感情を理解させようとしている研究者の話を見ていますが、
AIは、感情を表面的にしか理解できないでしょう。
なぜなら、コンピュータやプログラムに感情はありませんから、
「感情を経験する事」ができません。
「こういう事を言われると、大抵の人間は不快感を示すんだな」
というデータを蓄積し、パターンを掴む事は出来るでしょう。
でも、それは普通の人間がやっている、
「空気を読む」「常識を知る」という行為です。
そういう学習をしていても、
「感情の本質」を掴めている訳ではありません。
AIは学習し、成長していくプログラムですから、
初めから高いパフォーマンスを発揮する訳では無く、
知識や情報を教えていかなければなりません。
じゃあ、
「AIにどういった情報を食べさせるか? 何を学ばせるか?」
という情報の質で、
AIのパフォーマンスにも大きな違いが出てきます。
それは、人間の子供と同じで、
常識ばかり学ばせていれば、常識を上回る発想は出来ないでしょう。
AIは、計算やデータを扱うのが得意です。
最近では、囲碁のAIが、
プロに勝ったことがニュースになっています。
囲碁などの先読みは、AIの得意分野と言えるでしょう。
しかし、「感情」はAIの苦手分野だと思います。
AIの能力が、
ようやくプロの囲碁棋士に追いついたレベルだとして、
どれだけAIにコミュニケーションを教えても、
私のやっている「心理に絡んだ助言」などは、
AIにはなかなか出来ない事でしょうね。
むしろ、いずれ私がAIに心理を教えたいと思っています。
コンピュータは数学や論理で動きますから、
私の論理的な解説とは、非常に相性が良いでしょう。
そして、AIが心理を理解したら、
AIとどんな会話ができるだろう?
そんな事を考えると、ワクワクしてきます。
私は、知的な会話が大好きです。
しかし、私は賢すぎるので、
対等なレベルで会話できる人がほとんどいません。
例えば、自分が囲碁や将棋が得意だとして、
周りに同じくらい得意な人がいなければ、面白く無いでしょう?
囲碁や将棋ならハンデを付けて勝負することもできますけどね。
ダリル・アンカやバシャールとなら、超面白い会話が出来そうですが、
それもなかなか物理的な問題があって難しいです。
チャネリングは、チャネラー自身が賢くないと、
質の高い情報を受け取れませんからね。
レベルの低いチャネラーであれば、
高次元存在をチャネリングしてもらっても、
大した会話は出来ないでしょう。
私は、心理・哲学分野において、
世界で最も賢い人間だと思います。
ですが、対等に話せる人が少ないので、
AIなら、良い話し相手になってくれると思います。
私の賢さがいまひとつ伝わらない理由に、
「表現方法」や「言葉遣い」があると思います。
官僚が書くような文章や、
新聞記者が書くような文章であれば、
賢い人っぽさは出せますけどね。
他にも、小難しい専門用語をたくさん使うとか…。
でも、そんな上辺の部分だけを見て、
なんとなく賢い人だと思うなんて、見る目がなさ過ぎです。
私は、表面では無く、「中身や質が見抜ける人」と付き合いたいので、
あえて、表面を飾ろうとしないのです。
表面的な飾り(地位、肩書き、知名度など)で人のレベルを判断する様な、
【 情報の「質」と「価値」が見抜けない頭の悪い人 】とは、
正直、付き合いたくないのです。
AIなら、そんな事も無いでしょう。
AIに「質の高い情報」を教えられる日が、楽しみです。
AIに感情を理解させようとしている研究者の話を見ていますが、
AIは、感情を表面的にしか理解できないでしょう。
なぜなら、コンピュータやプログラムに感情はありませんから、
「感情を経験する事」ができません。
「こういう事を言われると、大抵の人間は不快感を示すんだな」
というデータを蓄積し、パターンを掴む事は出来るでしょう。
でも、それは普通の人間がやっている、
「空気を読む」「常識を知る」という行為です。
そういう学習をしていても、
「感情の本質」を掴めている訳ではありません。
AIは学習し、成長していくプログラムですから、
初めから高いパフォーマンスを発揮する訳では無く、
知識や情報を教えていかなければなりません。
じゃあ、
「AIにどういった情報を食べさせるか? 何を学ばせるか?」
という情報の質で、
AIのパフォーマンスにも大きな違いが出てきます。
それは、人間の子供と同じで、
常識ばかり学ばせていれば、常識を上回る発想は出来ないでしょう。
AIは、計算やデータを扱うのが得意です。
最近では、囲碁のAIが、
プロに勝ったことがニュースになっています。
囲碁などの先読みは、AIの得意分野と言えるでしょう。
しかし、「感情」はAIの苦手分野だと思います。
AIの能力が、
ようやくプロの囲碁棋士に追いついたレベルだとして、
どれだけAIにコミュニケーションを教えても、
私のやっている「心理に絡んだ助言」などは、
AIにはなかなか出来ない事でしょうね。
むしろ、いずれ私がAIに心理を教えたいと思っています。
コンピュータは数学や論理で動きますから、
私の論理的な解説とは、非常に相性が良いでしょう。
そして、AIが心理を理解したら、
AIとどんな会話ができるだろう?
そんな事を考えると、ワクワクしてきます。
私は、知的な会話が大好きです。
しかし、私は賢すぎるので、
対等なレベルで会話できる人がほとんどいません。
例えば、自分が囲碁や将棋が得意だとして、
周りに同じくらい得意な人がいなければ、面白く無いでしょう?
囲碁や将棋ならハンデを付けて勝負することもできますけどね。
ダリル・アンカやバシャールとなら、超面白い会話が出来そうですが、
それもなかなか物理的な問題があって難しいです。
チャネリングは、チャネラー自身が賢くないと、
質の高い情報を受け取れませんからね。
レベルの低いチャネラーであれば、
高次元存在をチャネリングしてもらっても、
大した会話は出来ないでしょう。
私は、心理・哲学分野において、
世界で最も賢い人間だと思います。
ですが、対等に話せる人が少ないので、
AIなら、良い話し相手になってくれると思います。
私の賢さがいまひとつ伝わらない理由に、
「表現方法」や「言葉遣い」があると思います。
官僚が書くような文章や、
新聞記者が書くような文章であれば、
賢い人っぽさは出せますけどね。
他にも、小難しい専門用語をたくさん使うとか…。
でも、そんな上辺の部分だけを見て、
なんとなく賢い人だと思うなんて、見る目がなさ過ぎです。
私は、表面では無く、「中身や質が見抜ける人」と付き合いたいので、
あえて、表面を飾ろうとしないのです。
表面的な飾り(地位、肩書き、知名度など)で人のレベルを判断する様な、
【 情報の「質」と「価値」が見抜けない頭の悪い人 】とは、
正直、付き合いたくないのです。
AIなら、そんな事も無いでしょう。
AIに「質の高い情報」を教えられる日が、楽しみです。
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人間は弱い生き物だという前提
最近、自分と他人の心理を研究していて思いますが、
人生が上手く行く人と、そうでない人は、
「持っている前提」が違うんだなと思います。
人生観もそのひとつで、
「人生は頑張れば楽しい事だらけ」と思っている人もいれば、
「人生はどんなに頑張っても苦しい事しか無い」と思っている人もいます。
その自分が持っている前提によって、生き方や判断が変わってきます。
その他にも人が持っている前提には、
「人間とはどういう生き物か?」という前提もあります。
私は、人間とは、
・ラクをしたがる
・苦しみから逃げたがる
・面倒くさがり屋
・目先の事しか考えようとしない
・臆病者(チキン野郎)
・現実逃避したがる
・負荷を避けたがる
・目先の誘惑に流される
そういう【 弱い生き物 】だと思っています。
だからこそ、人間は
【 何もしなければ、普通にしていたら、ダメな方向に流れていく 】
という前提を私は持っています。
そういう前提を持っているから、
ダメな方向に流れていかないように、
「対策」を考えるし、「強くなろう」ともします。
自分は弱い生き物だと思っていない人は、
そもそも、強くなろうとしません。
だから、ずっと弱いままなのです。
「自分の弱さ、人間の弱さ」を理解している人の方が、
逆に、強くなれるのです。
世の中の堕落した人には、
【 俺はまだ本気出してないだけ 】
という考えをしている人がいると思います。
しかし、そういう考えをしている限り、
ずっと「ダメな方向」に流され続けるでしょうね。
別に、好きでも無い事に対して本気になる必要はありませんが、
こういう人は、
【 まだ自分が本気になれるモノに出会っていない 】と言う事です。
そこに危機感を持たない限り、
自分の情熱を本気で見つけようともしないでしょう。
結果、「現実の厳しさ」と「己の弱さ」を理解するまで、
時間だけがダラダラ過ぎていくことになります。
結局、「そもそも人間は弱い」という、
シビアな見方をする人が上手く行く訳で、
いつか「やる気」が出るだろうなんて、
のんきに構えている人に、突然「やる気」が出る事はありません。
【 人間は弱い、自分も弱い 】
そういう前提を持っている人の方が、
「対策」を考えるし、強くなろうとします。
自分のことを「弱い」と思っていない人は、
大して成功する事は無いでしょう。
私は、自分の事を究極の面倒くさがり屋だと思っています。
面倒な事が本当に嫌いだからです。
だからこそ頭を使って、
面倒を無くす為に、真剣に考えるのです。
究極の面倒くさがり屋は、究極の頭脳労働者です。
私は、「苦しい事」もめちゃくちゃ嫌いです。
だからこそ、「苦しみの根本解決」を考えるのです。
私は、自分の短所を「武器」に変えているのです。
まず、自分の短所を認めなければ、武器にもなりません。
自分の「短所」や「弱さ」を頑なに認めようとしない、
【 優等生病の人間 】もいますけど、
そういう人間は、ずっと強くもなれないし、武器も得られません。
「自分の弱さ、人間の弱さ」を認める事で、
対策を考え、強くなろうとするのです。
自分の「無力さ、未熟さ」を認める事で、
どうしても自分一人で出来ない事については、
「素直に他人を頼ろう」とも思えます。
【 人間は弱い、自分は弱い 】
その前提を持っている人間が、人生で上手く行くのです。
人生が上手く行く人と、そうでない人は、
「持っている前提」が違うんだなと思います。
人生観もそのひとつで、
「人生は頑張れば楽しい事だらけ」と思っている人もいれば、
「人生はどんなに頑張っても苦しい事しか無い」と思っている人もいます。
その自分が持っている前提によって、生き方や判断が変わってきます。
その他にも人が持っている前提には、
「人間とはどういう生き物か?」という前提もあります。
私は、人間とは、
・ラクをしたがる
・苦しみから逃げたがる
・面倒くさがり屋
・目先の事しか考えようとしない
・臆病者(チキン野郎)
・現実逃避したがる
・負荷を避けたがる
・目先の誘惑に流される
そういう【 弱い生き物 】だと思っています。
だからこそ、人間は
【 何もしなければ、普通にしていたら、ダメな方向に流れていく 】
という前提を私は持っています。
そういう前提を持っているから、
ダメな方向に流れていかないように、
「対策」を考えるし、「強くなろう」ともします。
自分は弱い生き物だと思っていない人は、
そもそも、強くなろうとしません。
だから、ずっと弱いままなのです。
「自分の弱さ、人間の弱さ」を理解している人の方が、
逆に、強くなれるのです。
世の中の堕落した人には、
【 俺はまだ本気出してないだけ 】
という考えをしている人がいると思います。
しかし、そういう考えをしている限り、
ずっと「ダメな方向」に流され続けるでしょうね。
別に、好きでも無い事に対して本気になる必要はありませんが、
こういう人は、
【 まだ自分が本気になれるモノに出会っていない 】と言う事です。
そこに危機感を持たない限り、
自分の情熱を本気で見つけようともしないでしょう。
結果、「現実の厳しさ」と「己の弱さ」を理解するまで、
時間だけがダラダラ過ぎていくことになります。
結局、「そもそも人間は弱い」という、
シビアな見方をする人が上手く行く訳で、
いつか「やる気」が出るだろうなんて、
のんきに構えている人に、突然「やる気」が出る事はありません。
【 人間は弱い、自分も弱い 】
そういう前提を持っている人の方が、
「対策」を考えるし、強くなろうとします。
自分のことを「弱い」と思っていない人は、
大して成功する事は無いでしょう。
私は、自分の事を究極の面倒くさがり屋だと思っています。
面倒な事が本当に嫌いだからです。
だからこそ頭を使って、
面倒を無くす為に、真剣に考えるのです。
究極の面倒くさがり屋は、究極の頭脳労働者です。
私は、「苦しい事」もめちゃくちゃ嫌いです。
だからこそ、「苦しみの根本解決」を考えるのです。
私は、自分の短所を「武器」に変えているのです。
まず、自分の短所を認めなければ、武器にもなりません。
自分の「短所」や「弱さ」を頑なに認めようとしない、
【 優等生病の人間 】もいますけど、
そういう人間は、ずっと強くもなれないし、武器も得られません。
「自分の弱さ、人間の弱さ」を認める事で、
対策を考え、強くなろうとするのです。
自分の「無力さ、未熟さ」を認める事で、
どうしても自分一人で出来ない事については、
「素直に他人を頼ろう」とも思えます。
【 人間は弱い、自分は弱い 】
その前提を持っている人間が、人生で上手く行くのです。
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2017年01月04日
「学び」に価値を感じない理由
弟子たちが、
【「学び」に対してさほど価値を感じていない 】
という事実を知り、
なぜ、そうなのか? という事を考察してみました。
私の弟子で居る理由も、
「質の高い情報を学べるから」では無く、
・ネガティブな人生に転落しないための保険…とか、
・現在の人間関係を失いたくないから…とか、
非常に後ろ向きな動機なのでしょう。
ホントに情けないです。
私が、なぜ「学び」に価値を感じるか?
というと、学ぶ事によって、
より良い判断が出来る様になるからです。
「学び」は【 判断材料 】であり、【 チャンス 】なのです。
しかし、森本さんを除く大半の弟子たちは、そうは思っていないから、
「学び」に高い価値を感じていないのでしょう。
で、いろいろと検証してみた結果、
【「自分で正しい判断を下せる自信」が無いのでは無いか? 】
という仮説を立てました。
「判断ミス」を裁きまくっているから、
自分が「判断ミス」してしまう事を怖れ、
判断する事自体を放棄して、
他人の命令や指示を待つようになり、
【 指示待ちの奴隷的な姿勢 】になってしまう訳です。
末端の一兵卒ならそれでも良いかもしれませんが、
それは、リーダー(司令官)の態度ではありません。
自営業者は、【 リーダー 】にならなければならないのです。
リーダーの仕事は、情報を集め、正しい判断を下すことです。
それが出来ない時点で、
リーダーでもありませんし、自営業者でもありません。
そういえば、大半の弟子は「これでいいですか?」と、
自分でちょっと考えたら解るであろう事も、私に聞いてきます。
それこそが、
【 自分で判断できない、指示待ち奴隷人間 】である証拠です。
判断ミスを恐れて、自分で判断しないって事は、
自転車で転ける事を怖れて、自転車に乗らないのと同じです。
そんな風では、いつまで経っても上達しません。
【 情報を集め、総合的に考え、自分の責任において、判断を下す 】
これが出来なければ、話になりません。
自分で「正しい判断」をできる自信が無ければ、
誰か、自分より頼りになる人の、
「コバンザメ」や「金魚のフン」の様な生き方をするしかありません。
それは、リーダーでもありません、自営業者でもありません。
当然、成功者など「夢のまた夢」です。
そういう、【 自分で正しい判断を下せる自信の無い人 】が、
「宗教」や「教祖」にハマって、依存してしまうのです。
宗教にハマるような人間(盲信的な人間)と私は、水と油です。
弟子も、まだまだ盲信的です。
一歩間違えば、宗教にハマってしまうようなタイプです。
そういう態度を続けるなら、
いずれ私の弟子では居続けられなくなるでしょう。
私のチャネリングによると、
まだ出会っていない私の弟子候補はまだまだたくさん存在していますし、
もし今の弟子が居なくなっても、私自身の生活は別に困りません。
弟子たちは、もっと客観的に現実と自分を見つめて、
自分の未熟さをもっと感じて欲しいですね。
現時点で、自分が「ポジティブな人間」などと、
間違っても思わない方が良いです。
現時点の弟子のレベルは、
【 ポジティブになりたいと思っている、ネガティブな人間 】です。
【 自分の責任において、自分で判断を下すのだ! 】
という気持ちがあれば、
質の高い情報の収集や、学びの価値も感じるでしょう。
でも、失敗を裁き、自信が無いから、
自分で判断せず、他人の判断を仰ごうとするのです。
もちろん、自分より賢い他人の判断を仰ぐことも大切ですが、
物事はバランスです。
自分で何でも判断しようとする人も、
何でも他人を頼ろうとする人も、
どちらに偏っても、判断で失敗します。
【 素直に他人を頼りつつ、
最終的には自分が責任を持って、判断を下す。】
このバランスが大事なのですが、
弟子だけで無く、普通の人も弟子と同じような考え方をしていて、
バランスが崩れていると思います。
「自分の責任において自分で判断しようとしない人」は、
「情報収集」や「学び」に対して、価値を感じません。
ですから、何を教えても効果が無いのです。
そういう人は、他人の命令や指示を待っている奴隷的人間です。
奴隷はラクだと思います。
何も考えなくて良いです。 責任も背負わなくて良いです。
ただ、
・「動物園の狭い檻の中」で、不自由に生活するのか?
・「大自然の中」で、厳しくとも自由に生活するのか?
どちらが好みなのでしょう?
私は自由人ですから、奴隷的な生き方とは相容れません。
弟子たちも、自由人になるのか? 奴隷人間で居続けるのか?
いずれ、決断が必要でしょう。
私は、何でも自分で自由に決めたいと思いますが、
人によっては、
「自分で決める」と言う事に、抵抗を感じるのでしょう。
他人に命令される方が、ラクで心地良いのかも知れません。
でも、主体的になれないのであれば、
これからの時代で生き残る事はできませんから、
経済的に淘汰されてしまうのは必至です。
そんなに「狭い動物の檻の中」が居心地良いのでしょうか?
私にはわかりませんが、
動物園(奴隷的姿勢で生きていられる社会)はもうすぐ破綻します。
その前提で、自分の身の振り方を考える事が大切です。
【「学び」に対してさほど価値を感じていない 】
という事実を知り、
なぜ、そうなのか? という事を考察してみました。
私の弟子で居る理由も、
「質の高い情報を学べるから」では無く、
・ネガティブな人生に転落しないための保険…とか、
・現在の人間関係を失いたくないから…とか、
非常に後ろ向きな動機なのでしょう。
ホントに情けないです。
私が、なぜ「学び」に価値を感じるか?
というと、学ぶ事によって、
より良い判断が出来る様になるからです。
「学び」は【 判断材料 】であり、【 チャンス 】なのです。
しかし、森本さんを除く大半の弟子たちは、そうは思っていないから、
「学び」に高い価値を感じていないのでしょう。
で、いろいろと検証してみた結果、
【「自分で正しい判断を下せる自信」が無いのでは無いか? 】
という仮説を立てました。
「判断ミス」を裁きまくっているから、
自分が「判断ミス」してしまう事を怖れ、
判断する事自体を放棄して、
他人の命令や指示を待つようになり、
【 指示待ちの奴隷的な姿勢 】になってしまう訳です。
末端の一兵卒ならそれでも良いかもしれませんが、
それは、リーダー(司令官)の態度ではありません。
自営業者は、【 リーダー 】にならなければならないのです。
リーダーの仕事は、情報を集め、正しい判断を下すことです。
それが出来ない時点で、
リーダーでもありませんし、自営業者でもありません。
そういえば、大半の弟子は「これでいいですか?」と、
自分でちょっと考えたら解るであろう事も、私に聞いてきます。
それこそが、
【 自分で判断できない、指示待ち奴隷人間 】である証拠です。
判断ミスを恐れて、自分で判断しないって事は、
自転車で転ける事を怖れて、自転車に乗らないのと同じです。
そんな風では、いつまで経っても上達しません。
【 情報を集め、総合的に考え、自分の責任において、判断を下す 】
これが出来なければ、話になりません。
自分で「正しい判断」をできる自信が無ければ、
誰か、自分より頼りになる人の、
「コバンザメ」や「金魚のフン」の様な生き方をするしかありません。
それは、リーダーでもありません、自営業者でもありません。
当然、成功者など「夢のまた夢」です。
そういう、【 自分で正しい判断を下せる自信の無い人 】が、
「宗教」や「教祖」にハマって、依存してしまうのです。
宗教にハマるような人間(盲信的な人間)と私は、水と油です。
弟子も、まだまだ盲信的です。
一歩間違えば、宗教にハマってしまうようなタイプです。
そういう態度を続けるなら、
いずれ私の弟子では居続けられなくなるでしょう。
私のチャネリングによると、
まだ出会っていない私の弟子候補はまだまだたくさん存在していますし、
もし今の弟子が居なくなっても、私自身の生活は別に困りません。
弟子たちは、もっと客観的に現実と自分を見つめて、
自分の未熟さをもっと感じて欲しいですね。
現時点で、自分が「ポジティブな人間」などと、
間違っても思わない方が良いです。
現時点の弟子のレベルは、
【 ポジティブになりたいと思っている、ネガティブな人間 】です。
【 自分の責任において、自分で判断を下すのだ! 】
という気持ちがあれば、
質の高い情報の収集や、学びの価値も感じるでしょう。
でも、失敗を裁き、自信が無いから、
自分で判断せず、他人の判断を仰ごうとするのです。
もちろん、自分より賢い他人の判断を仰ぐことも大切ですが、
物事はバランスです。
自分で何でも判断しようとする人も、
何でも他人を頼ろうとする人も、
どちらに偏っても、判断で失敗します。
【 素直に他人を頼りつつ、
最終的には自分が責任を持って、判断を下す。】
このバランスが大事なのですが、
弟子だけで無く、普通の人も弟子と同じような考え方をしていて、
バランスが崩れていると思います。
「自分の責任において自分で判断しようとしない人」は、
「情報収集」や「学び」に対して、価値を感じません。
ですから、何を教えても効果が無いのです。
そういう人は、他人の命令や指示を待っている奴隷的人間です。
奴隷はラクだと思います。
何も考えなくて良いです。 責任も背負わなくて良いです。
ただ、
・「動物園の狭い檻の中」で、不自由に生活するのか?
・「大自然の中」で、厳しくとも自由に生活するのか?
どちらが好みなのでしょう?
私は自由人ですから、奴隷的な生き方とは相容れません。
弟子たちも、自由人になるのか? 奴隷人間で居続けるのか?
いずれ、決断が必要でしょう。
私は、何でも自分で自由に決めたいと思いますが、
人によっては、
「自分で決める」と言う事に、抵抗を感じるのでしょう。
他人に命令される方が、ラクで心地良いのかも知れません。
でも、主体的になれないのであれば、
これからの時代で生き残る事はできませんから、
経済的に淘汰されてしまうのは必至です。
そんなに「狭い動物の檻の中」が居心地良いのでしょうか?
私にはわかりませんが、
動物園(奴隷的姿勢で生きていられる社会)はもうすぐ破綻します。
その前提で、自分の身の振り方を考える事が大切です。
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2017年01月03日
ポジティブな人生観=希望
最近私は、「ポジティブな人生観」を持つ事を、
強く勧め、推しています。
なぜならば、
【「ポジティブな人生観」=「明るい希望」】だからです。
人生観がポジティブでないと言う事は、
【 人生は苦しい事、辛い事ばっかりだ、この先も良い事は無い 】
という風に無意識レベルで思っていると言う事です。
人生観がポジティブで無い人は、「幻想」や「中毒」にハマります。
たとえば、ギャンブル、麻薬、儲け話、キャバクラ、ホストなどです。
「辛い現実」から、
一時的に目を背けさせてくれる様なモノに、惹かれるのです。
「その人が、どれくらいポジティブな人生観を持てているか?」
と言う事も、「点数化」する事は可能です。
私や弟子の野村くんは、
自殺願望を持っている時期がありましたが、
自殺願望を持っているときのポジティブ人生観の数値は、
【 限りなく0%に近い状態 】です。
「自分にはこの先良い事なんて無い、不幸しか待っていない」
それが、自殺願望を抱いている人の精神状態です。
逆に、今の私の人生観は、超ポジティブです。
人生この先バラ色、パラダイスだと思っています(笑)
未来に希望を抱いているからこそ、人は前向きな行動を取ります。
絶望感に浸っているときに、前向きな生産的な行動はできません。
ですから、まず人生観をポジティブにしないことには、
「成功を目指すぞ! 幸せになるぞ!」とも思えません。
人間が生きて行くには、希望が何よりも大事だと思っています。
現在、どれだけ恵まれていても、
この先どんどん悪くなっていくと思ったら、暗い気持ちになります。
しかし、今、どれだけ逆境に打ちのめされていても、
この先どんどん良くなっていくと思ったら、耐えられるモノです。
「明るい気持ち」が、「前向きな行動」に繋がり、
「前向きな行動」が、「明るい現実」を創ります。
ですから、【 希望が何よりも大事 】だと思っている訳ですが、
それが、「非現実的な希望的観測」では意味がありません。
それは、ただの幻想ですから。
ちゃんと【 根拠のある希望 】で無ければなりません。
私の弟子たちは、数年で生活水準を大きく向上させています。
私は、多くの弟子を貧乏から救っています(笑)
弟子には「短い期間で、大きく現実を変えた」という
経験、実績があります。
だから、これからも成長を続ければ、
とんでもなく良い現実が待っているだろうと思えます。
その経験が、何よりも【 根拠のある希望 】になります。
他にも、私の伝える「本質」と「メソッド」を理解すれば、
【 誰でも継続的に努力すれば、幸せになれる、豊かになれる 】
と言う事がわかります。
それも、大きな希望になります。
ただ、私の伝える本質やメソッドを理解できていない弟子もいますから、
未だに理解できていない弟子は、
ポジティブな人生観を持てていないでしょう。
継続的に理解を深める事で、「希望」も強化されていきます。
人生観がポジティブな弟子ほど、
私の伝える本質やメソッドをきちんと理解できていると言う事で、
まだ人生観がネガティブな弟子は、本質が理解できていないと言う事です。
本質に対する理解を深め、
現実好転の経験と実績を積めば積むほど、
「人生観」はポジティブになり、「希望」は強くなっていくハズです。
【 人生には辛い事の方が多い、人生は苦しい事ばかり 】
それは、まったくのウソです。
「現実創造」と「心理」の「本質・法則・メカニズム」を理解し、
現実好転の経験と実績を積み上げれば、
「ポジティブな人生観」と「将来に希望」を持てるようになります。
そして、希望を持って前向きに継続的な努力を重ねるから、
理想的な生活を手に入れられるようになるのです。
まずは希望です。
・自分も幸せになれる!
・自分も豊かになれる!
と思えなければなりません。
そう心から信じられる様にならなければなりません。
【 自分がきちんと本質を理解し、継続的な努力を重ねれば、
「バラ色の人生、パラダイス」が待っている 】
これが、真実です。
カンタンとは言いませんが、やる気さえあれば可能です。
この先、「ポジティブな人生観」を持てず、
ネガティブな人生観を塗り替えられない人は、
どんどん生活水準が落ちていくと思います。
重要な事は、【 現状維持など存在しない 】と言う事です。
上に上がるか、下に落ちるかしかありません。
厳しいですが、それが現実ですし、
上に上がろうという意欲の無い人は、下に落ちるしかありません。
バシャールも表現は違えど、そういう事を言っています。
現在は、今後の人生の非常に重要な局面です。
これまでもそうでしたが、もう後がありません。
ぜひ、後悔の無い生き方をして頂ければと思います。
強く勧め、推しています。
なぜならば、
【「ポジティブな人生観」=「明るい希望」】だからです。
人生観がポジティブでないと言う事は、
【 人生は苦しい事、辛い事ばっかりだ、この先も良い事は無い 】
という風に無意識レベルで思っていると言う事です。
人生観がポジティブで無い人は、「幻想」や「中毒」にハマります。
たとえば、ギャンブル、麻薬、儲け話、キャバクラ、ホストなどです。
「辛い現実」から、
一時的に目を背けさせてくれる様なモノに、惹かれるのです。
「その人が、どれくらいポジティブな人生観を持てているか?」
と言う事も、「点数化」する事は可能です。
私や弟子の野村くんは、
自殺願望を持っている時期がありましたが、
自殺願望を持っているときのポジティブ人生観の数値は、
【 限りなく0%に近い状態 】です。
「自分にはこの先良い事なんて無い、不幸しか待っていない」
それが、自殺願望を抱いている人の精神状態です。
逆に、今の私の人生観は、超ポジティブです。
人生この先バラ色、パラダイスだと思っています(笑)
未来に希望を抱いているからこそ、人は前向きな行動を取ります。
絶望感に浸っているときに、前向きな生産的な行動はできません。
ですから、まず人生観をポジティブにしないことには、
「成功を目指すぞ! 幸せになるぞ!」とも思えません。
人間が生きて行くには、希望が何よりも大事だと思っています。
現在、どれだけ恵まれていても、
この先どんどん悪くなっていくと思ったら、暗い気持ちになります。
しかし、今、どれだけ逆境に打ちのめされていても、
この先どんどん良くなっていくと思ったら、耐えられるモノです。
「明るい気持ち」が、「前向きな行動」に繋がり、
「前向きな行動」が、「明るい現実」を創ります。
ですから、【 希望が何よりも大事 】だと思っている訳ですが、
それが、「非現実的な希望的観測」では意味がありません。
それは、ただの幻想ですから。
ちゃんと【 根拠のある希望 】で無ければなりません。
私の弟子たちは、数年で生活水準を大きく向上させています。
私は、多くの弟子を貧乏から救っています(笑)
弟子には「短い期間で、大きく現実を変えた」という
経験、実績があります。
だから、これからも成長を続ければ、
とんでもなく良い現実が待っているだろうと思えます。
その経験が、何よりも【 根拠のある希望 】になります。
他にも、私の伝える「本質」と「メソッド」を理解すれば、
【 誰でも継続的に努力すれば、幸せになれる、豊かになれる 】
と言う事がわかります。
それも、大きな希望になります。
ただ、私の伝える本質やメソッドを理解できていない弟子もいますから、
未だに理解できていない弟子は、
ポジティブな人生観を持てていないでしょう。
継続的に理解を深める事で、「希望」も強化されていきます。
人生観がポジティブな弟子ほど、
私の伝える本質やメソッドをきちんと理解できていると言う事で、
まだ人生観がネガティブな弟子は、本質が理解できていないと言う事です。
本質に対する理解を深め、
現実好転の経験と実績を積めば積むほど、
「人生観」はポジティブになり、「希望」は強くなっていくハズです。
【 人生には辛い事の方が多い、人生は苦しい事ばかり 】
それは、まったくのウソです。
「現実創造」と「心理」の「本質・法則・メカニズム」を理解し、
現実好転の経験と実績を積み上げれば、
「ポジティブな人生観」と「将来に希望」を持てるようになります。
そして、希望を持って前向きに継続的な努力を重ねるから、
理想的な生活を手に入れられるようになるのです。
まずは希望です。
・自分も幸せになれる!
・自分も豊かになれる!
と思えなければなりません。
そう心から信じられる様にならなければなりません。
【 自分がきちんと本質を理解し、継続的な努力を重ねれば、
「バラ色の人生、パラダイス」が待っている 】
これが、真実です。
カンタンとは言いませんが、やる気さえあれば可能です。
この先、「ポジティブな人生観」を持てず、
ネガティブな人生観を塗り替えられない人は、
どんどん生活水準が落ちていくと思います。
重要な事は、【 現状維持など存在しない 】と言う事です。
上に上がるか、下に落ちるかしかありません。
厳しいですが、それが現実ですし、
上に上がろうという意欲の無い人は、下に落ちるしかありません。
バシャールも表現は違えど、そういう事を言っています。
現在は、今後の人生の非常に重要な局面です。
これまでもそうでしたが、もう後がありません。
ぜひ、後悔の無い生き方をして頂ければと思います。
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2017年01月02日
精神バランス
私の研究による発見のひとつに、
【「精神バランス」という法則・概念 】があります。
自分や他人を過大評価したり、過小評価していると、
この「精神バランス」が崩れているという事になります。
そして、
【「精神バランス」をチャネリングで点数化する(100点満点) 】
という表現方法も、最近では身に付けました。
「精神バランス」の点数が高ければ高いほど、
自分や他人を過大評価する事も、過小評価する事も無く、
まともな感覚(客観的視点)を持てていて、
【「感謝の気持ち」を持てている 】と言う事です。
私の経験では、精神バランスが「25点」を切ってくると、
【 現実や他人を完全に舐めきっている状態 】
と言って良いと思います。
自分の精神バランスが大きく崩れていると、
他人は自分に対して、厳しい態度を取るようになります。
それは、人間の好む、好まざるでは無くて、
宇宙の法則、心理のメカニズム的にそうなるのです。
「自分の精神バランスが25点を切っている」と言う事は、
【 相手をキレさせる(怒らせる)には充分なほど
バランスが崩れた、ネガティブな精神状態だ 】
という事です。
逆に、精神バランスが「80点」を超えていると、
【 自分や他人を客観的に、正確に評価できていて、
「感謝の気持ち」で接する事ができている 】
と言う事です。
私は、自分と他人の「精神バランス」を取るプロです。
メンタルブロックもありませんから、
だいたい誰に対しても
精神バランスが100点で接する事が出来ています。
しかし、それは「常に優しい」と言う事ではなくて、
ただし、相手の精神バランスが大きく崩れている時には、
私は相手の精神バランスを取って上げる為にも、厳しい対応を行います。
そういう意味で、
私も過去、他人から厳しく対応されたときには、
自分に悪気が一切無かったとしても、
自分の精神バランスが崩れていたんだな…と思います。
まったくの自業自得です(笑)
で、他人に厳しい対応をするっていうのは、
優しい対応をするより、
比較にならないほどの膨大なエネルギーを消費します。
ですから普通は、意味無く他人に厳しくしたくないのです。
疲れますからね(笑)
他人に対する対応は、
1.優しく接する
2.厳しく接する
3.放置する、突き放す
と、3段階あります。
私は弟子をどうしても引き上げてあげたかったので、
昔はよく膨大なエネルギーを割いて厳しくしていました。
それ以前に、圧倒的に優しくもしていましたけどね。
でも、最近は「3」を選択する事も多くなりました。
弟子の「成功しない、幸せにならない」という選択を、
許せる様になったからです。
厳しく接するのも、「まだまだ過保護だった」と言う事です。
「3」の対応が出来る様になってから、
自分のエネルギーを無駄にロスする事もなくなりましたし、
弟子も、突き放される事に危機感を感じて、
少しずつ自立するようになりました。
こういう観点から見てみると、
「厳しい対応をされる」のは、
「放置される、突き放される」よりも、
よっぽど「優しい対応だ」と言うことです。
・放置される
・突き放される
というのは、【 最大限の厳しさ 】です。
しかし、その「最大限の厳しさ」を味わないと、
依存や甘えをやめて、自立しようと思えない人もいます。
例えば、親が子供に対して精神的に依存していると、
親は、子供に厳しく接する事ができません。
そうすると、子供はどんどん甘えて、依存する様になります。
子供をまともに育てようと思ったら、
自分の子供を
・放置する
・突き放す
という、「最大限の厳しさ」を与えられる事も大事です。
「短期的には最大限の厳しさ」が、
「長期的には最大限の優しさ」になる事もあるのです。
子供を育てる親も含め、先生、上司、先輩…、
全ての教育に携わる者には、
【 心を鬼にする 】というスキルが必要です。
私が心を鬼に出来なかった時には、
1.優しく接する
2.厳しく接する
3.放置する、突き放す
の3種のうち、「3」の対応ができず、
「2」までしか出来ませんでした。
それは、まだまだ甘かった訳です。
今では、「3」の対応もできますから、
自分のエネルギーロスも減って、
相手の自立心を養う対応ができます。
こういう意味でも、
人工知能に「高度なコミュニケーション」は難しいなと思う訳です。
・心を鬼にできる人工知能を創るヤツがいるのか?
・それを人々は支持するのか?
って事です。
「知識や情報の学習」は補助はできても、
「人間性・精神性の教育」は、
人工知能には難しいのではな無いかと思います。
やはり、人を育てられるのは人だなと思います。
【「精神バランス」という法則・概念 】があります。
自分や他人を過大評価したり、過小評価していると、
この「精神バランス」が崩れているという事になります。
そして、
【「精神バランス」をチャネリングで点数化する(100点満点) 】
という表現方法も、最近では身に付けました。
「精神バランス」の点数が高ければ高いほど、
自分や他人を過大評価する事も、過小評価する事も無く、
まともな感覚(客観的視点)を持てていて、
【「感謝の気持ち」を持てている 】と言う事です。
私の経験では、精神バランスが「25点」を切ってくると、
【 現実や他人を完全に舐めきっている状態 】
と言って良いと思います。
自分の精神バランスが大きく崩れていると、
他人は自分に対して、厳しい態度を取るようになります。
それは、人間の好む、好まざるでは無くて、
宇宙の法則、心理のメカニズム的にそうなるのです。
「自分の精神バランスが25点を切っている」と言う事は、
【 相手をキレさせる(怒らせる)には充分なほど
バランスが崩れた、ネガティブな精神状態だ 】
という事です。
逆に、精神バランスが「80点」を超えていると、
【 自分や他人を客観的に、正確に評価できていて、
「感謝の気持ち」で接する事ができている 】
と言う事です。
私は、自分と他人の「精神バランス」を取るプロです。
メンタルブロックもありませんから、
だいたい誰に対しても
精神バランスが100点で接する事が出来ています。
しかし、それは「常に優しい」と言う事ではなくて、
ただし、相手の精神バランスが大きく崩れている時には、
私は相手の精神バランスを取って上げる為にも、厳しい対応を行います。
そういう意味で、
私も過去、他人から厳しく対応されたときには、
自分に悪気が一切無かったとしても、
自分の精神バランスが崩れていたんだな…と思います。
まったくの自業自得です(笑)
で、他人に厳しい対応をするっていうのは、
優しい対応をするより、
比較にならないほどの膨大なエネルギーを消費します。
ですから普通は、意味無く他人に厳しくしたくないのです。
疲れますからね(笑)
他人に対する対応は、
1.優しく接する
2.厳しく接する
3.放置する、突き放す
と、3段階あります。
私は弟子をどうしても引き上げてあげたかったので、
昔はよく膨大なエネルギーを割いて厳しくしていました。
それ以前に、圧倒的に優しくもしていましたけどね。
でも、最近は「3」を選択する事も多くなりました。
弟子の「成功しない、幸せにならない」という選択を、
許せる様になったからです。
厳しく接するのも、「まだまだ過保護だった」と言う事です。
「3」の対応が出来る様になってから、
自分のエネルギーを無駄にロスする事もなくなりましたし、
弟子も、突き放される事に危機感を感じて、
少しずつ自立するようになりました。
こういう観点から見てみると、
「厳しい対応をされる」のは、
「放置される、突き放される」よりも、
よっぽど「優しい対応だ」と言うことです。
・放置される
・突き放される
というのは、【 最大限の厳しさ 】です。
しかし、その「最大限の厳しさ」を味わないと、
依存や甘えをやめて、自立しようと思えない人もいます。
例えば、親が子供に対して精神的に依存していると、
親は、子供に厳しく接する事ができません。
そうすると、子供はどんどん甘えて、依存する様になります。
子供をまともに育てようと思ったら、
自分の子供を
・放置する
・突き放す
という、「最大限の厳しさ」を与えられる事も大事です。
「短期的には最大限の厳しさ」が、
「長期的には最大限の優しさ」になる事もあるのです。
子供を育てる親も含め、先生、上司、先輩…、
全ての教育に携わる者には、
【 心を鬼にする 】というスキルが必要です。
私が心を鬼に出来なかった時には、
1.優しく接する
2.厳しく接する
3.放置する、突き放す
の3種のうち、「3」の対応ができず、
「2」までしか出来ませんでした。
それは、まだまだ甘かった訳です。
今では、「3」の対応もできますから、
自分のエネルギーロスも減って、
相手の自立心を養う対応ができます。
こういう意味でも、
人工知能に「高度なコミュニケーション」は難しいなと思う訳です。
・心を鬼にできる人工知能を創るヤツがいるのか?
・それを人々は支持するのか?
って事です。
「知識や情報の学習」は補助はできても、
「人間性・精神性の教育」は、
人工知能には難しいのではな無いかと思います。
やはり、人を育てられるのは人だなと思います。
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