2017年01月

2017年01月20日

貪欲に学ぶ人間とそうでない人間

昨日の弟子会議では、
  
【「学び」に高い価値を感じる人間 】と、
そうで無い人間の心理の差について、深掘りしてみました。
  
  
学びに価値を感じない人間は、
「勉強」に対して義務感を持っていて、
  
・やらなければならない
・他人にやらされている
  
という感覚を持っています。
  
  
何事にも共通して言えることですが、
  
・義務感を持って何かに取り組む事と、
・主体性を持って何かに取り組む事では、
  
モチベーションに天地の差が生まれますし、
そのまま「生産性」や「効率」に甚大な差が生まれます。
  
   
つまり、【 義務感で勉強している人間は、賢くならない 】と言う事です。
  
  
私は「学び」に何よりも高い価値を感じていますが、
  
なぜ、「学び」に対して高い価値を感じずに、
学びを義務感で行っている人は、どういう思考をしているのか?
    
という事を掘り下げると、
  
  
結局、
  
【 自分の人生の舵取りを、無意識的に他人に任せている 】
  
という事でした。
  
  
つまり、無意識的に
「自分の人生を他人に何とかしてもらおう」と思っているから、
  
自ら貪欲に学ぼう、深く理解しようとしないのです。
  
  
じゃあ、「なぜ自分の人生の舵取りを他人に任せているのか?」
  
というと、
  
【 実際は頼りにならないモノを、
 「頼りになる、アテになる」と、勘違いしているから 】です。
  
  
例えば、「北斗の拳」みたいな世界になったら、
自分が強くなるしか、生き残る方法って無いと思います。
  
【 自分しか頼れる存在がいない 】って事です。
  
  
で、「北斗の拳」の世界じゃ無くても、現代社会でも、
  
【 最後に頼れるのは自分しかいない 】のです。
  
  
それが、真実です。
  
  
例えば、この世に出回っている情報は、「ウソ」と「間違い」ばかりです。
  
ほとんどの政治家も、メディアも、大学教授も、学校の先生も、両親も、
「ウソ」と「間違い」ばかり教えます。
  
  
今まで、どれだけ世間で信じられてきた事が裏切られてきたでしょうか?
  
  
就職氷河期 → 「学歴主義」の崩壊
リストラ  → 「終身雇用」の崩壊
少子高齢化 → 「年金」の崩壊
  
  
私たちの両親の世代は、
  
「偏差値の高い学校」を出て、
「大手企業、一流企業」に就職して、
「厚生年金」を払いながら、定年まで勤め上げて、
  
【「退職金」と「厚生年金」で、老後は安心 】
  
という、ストーリーを信じていました。
  
  
で、フタを開けてみたら、それはみんな間違っていたわけですよね?
  
  
当時の大人達は、みんな「間違った事」を信じていたわけです。
  
  
「頼りにならないモノ」を、頼りになると勘違いし、
「アテにならないモノ」を、アテになると勘違いしているから、
  
裏切られるわけです。
  
  
私は、中学の時に挫折しました。
  
真面目にルールに従うことが、正しい事だと思っていました。
  
しかし、その結果、自分は報われず、不幸のどん底を味わいました。
  
  
終身雇用を信じていて、愛社精神に溢れ、
企業に身を捧げるつもりで働いていた人が、
  
ある日突然リストラを食らうくらいの衝撃です(笑)
  
  
その経験から、私は
  
【 世間で信じられている常識はアテにならない 】
  
という事実を、脊髄反射できるくらいまで深く理解しました(笑)
   
  
「世間の常識はアテにならない」となると、
  
あらゆる情報を、疑ってかかります。
  
  
「コイツは、本当の事を言ってるんだろうか?」と。
  
  
人は、平気で間違った事も言いますし、ウソも付きます。
  
自分に都合の悪い情報は隠して、ウソを言うのです。
  
  
例えば、アメリカでは
「地球温暖化の原因は、二酸化炭素のせいではない」
  
と言う事を信じている人が大勢います。
  
  
それは何故か?というと、
  
二酸化炭素の排出に制限を掛けられたくない企業が、
金に物を言わせて、専門家を抱え込んで、
  
自分たちに都合の良い「報告」や「研究内容」を発表させているからです。
  
科学者の風上にも置けない人たちだと思いますが…。
  
  
そして、一般庶民は、
「金で買収された科学者たち」の言うことを信じている訳です。
  
  
政治家も、企業も、「自分に都合の悪い情報」は言わないし、
「自分に都合の良い情報」を広めようとします。 
  
それも、メディアを使って。
  
  
自分は、都合の悪いときに平気で「ウソ」や「間違い」を言うのに、
  
「大学の教授は、自分に都合の悪い事でも、
 真実をきちんと語ってくれているだろう」と、信じているのです。
   
   
【 お人好し過ぎ 】ですね(笑)
   
   
ほとんどの人たちは、
  
・学校の先生
・大学の教授
・専門家
・政治家
・企業
・両親
・宗教と教祖
・メディア
   
の広める情報を、安易に鵜呑みにしています。
  
  
【それらが「頼りになる」】と思っているからです。
  
  
実際はまったく頼りにならないのに…です。
  
  
この世に溢れる情報は、ウソだらけ、間違いだらけです。
  
  
【 まず、そういう前提を持って生きているか? 】
   
ですね。
  
  
学ぶ事に貪欲で無い人は、 
  
頼りにならないモノを、頼りになると思っていて、
アテにならないモノを、アテにしているのです。
  
  
学歴主義も、終身雇用も、年金も、平気で信じているのです(笑)
  
どれだけ裏切られれば、「この世はウソだらけ」と気付くのでしょう?
  
  
先日も、キュレーションメディアが問題になりましたが、
  
まず、この世に溢れる情報は、
【「ウソ」と「間違い」だらけ 】って事に気付かないといけません。
  
  
あと、【 自分の人生の舵取りを、他人に任せている理由 】に、
  
  
「自分が困ったら、きっと誰かに助けてもらえる!」という、
  
根拠の無い自信を持っているのです(笑)
  
  
「んなわけない!」です(笑)
  
  
困っている人なんて、この世にいくらでも存在していますが、
  
自分は、自分の身を犠牲にしてまで、
困っている人に何かしてあげているのでしょうか?
  
  
自分がしてないんだったら、他人もしてくれる訳ありません。
  
  
「今まで他人に助けられてきた」っていう人もいますが、
  
それは、単に「過去世で行ったカルマ」が返ってきただけで、
  
【 無限に助けてもらえる権利 】を持っている訳ではありません。
 
  
そもそも、困っている人を助けたいと思っている人はたくさんいますが、
  
自分が【 他人からの助けを受け取る器・理由 】を持っていなければ、
  
「他人からの助け」を受け取る事は出来ません。
  
  
  
私のご先祖は、京都の資産家でしたが、
戦後の「財産税」と「インフレ」で、全ての財産を失いました。
  
だから、お金(貯金)だってアテになりません。
  
  
不安定な世の中で、頼りになるのは、
  
・「法則」と「論理」(理数系の学問)
・自分の「成長」と「貢献」
  
だけです。
  
  
これだけは、いくら世の中が変化しようと、誰が死のうと、
   
【 絶対に頼りになる 】と言い切れます。
   
  
例えば、学校で習う「理科」と「数学」という学問は、
代表的な【 法則と論理を扱う学問 】ですが
  
インドでも、ヨーロッパでも、中東でも、
どこでも学ぶ内容は変わりません。
  
つまり、間違っている可能性はほぼありません。
  
なぜなら、主観的では無く、「客観的な学問」だからです。
  
  
しかし、歴史という学問は、
国によって教える内容は違うでしょう?
  
もしかしたら、間違っている可能性も高い訳です。
  
  
「法則」と「論理」は、
  
【 客観的・中立・不変 】だから、信頼できる訳です。
  
  
さらに、「自分の成長と貢献」も頼りになります。
  
  
成長すれば、現実は好転しますし、
 
貢献によって「ポジティブなカルマ」を積みまくれば、
自分の人生にポジティブな結果がたくさん返ってきます。
  
  
これは、100%言い切れる事です。
  
だから、絶対に頼りになります。
  
  
そういう理由で、私は
  
・「法則」を「論理的に理解する事」の重要性
・「成長」と「貢献」の重要性
  
を説いているのです。
  
  
他人はアテになりません。
  
政治家も、企業も、大学の教授も、両親も、
誰の発言も、アテにならないのです。
  
  
それに、人間というのは「気が変わる生き物」です。
  
  
「この人は、自分を守ってくれるだろう」と思っていても、
  
人は、気が変わります。
  
  
意志や意図を持っている存在は、【 気が変わる可能性がある 】のです。
  
  
しかし、「論理」と「法則」は気が変わりません。
  
なぜなら、「意志や意図が無いから」です。
  
  
例えば、みなさんは電卓を使って計算するでしょう。
  
「機械」は気が変わらないし、間違いを犯さないから、
「電卓の出力する数字」を頼りにしているんでしょう?
  
  
人間に計算させたら、間違うかもしれないし、
状況によっては、故意にウソを答えるかも知れません。
  
  
「論理」と「法則」は、そういうリスクがありません。 ゼロです。
  
意志や意図を持った存在と違って、情に流されることもありません。
  
  
学ぶ事に貪欲で無い人は、
  
無意識的に、頼りにならないモノを頼りにし、
アテにならないモノを、アテにしています。
  
  
それが、
  
・国かも知れないし、
・企業かも知れないし、
・政治家かも知れないし、
・大学の教授かも知れないし、
・メディアかも知れないし、
・宗教や教祖かも知れないし、
・スピチュアル的な非物質存在かも知れないし、
・両親かもしれません。  
  
  
全てに共通して言えますが、
  
【 「ウソ」や「間違い」を教えている可能性は高い 】わけです。
   
  
今まで、散々「ウソ」や「間違い」を教えられてきたでしょう?
  
そろそろ「お人好し」は止めて、
情報を鵜呑みにせず、自分で検証してみることです。
  
  
ウソだらけの社会だとしても、
  
「論理」と「法則」だけは、誰にもねじ曲げる事は出来ません。
  
  
例えば、普通の人は、 
 
・学歴があれば、自分の生活は安心じゃ無いか?
・資格を取れば、自分の生活は安心じゃ無いか?
・お金があれば、自分の生活は安心じゃ無いか?
  
という風に想っていますが、
そんなもの、絶対に頼りになるモノではありません。
  
時代が変われば、
いとも容易く、アッサリと、役に立たなくなります。
    
  
自分が頼りにしている人も、
  
いつ死ぬかわからないし、やっぱり気が変わるかも知れません。
  
  
最後に頼りになるのは、【 自分の成長と貢献 】しかありません。
  
  
絶対に揺るがない宇宙の法則のひとつは、
  
【 与えたモノが返ってくる 】です。
  
  
自分の生活を安泰にさせたければ、他人に貢献し続ける事です。
  
自分自身が成長し、「他人に提供できる価値」を高め続ける事です。
  
  
これが、【 100%、安心できる方法 】です。
  
  
「周りが頼りになる」と勘違いしているから、
  
「自分がシッカリしなくても大丈夫だな」と、気が緩むのです。
  
  
「周りが頼りにならない」と言う事がわかると、
  
「自分がシッカリしないと!」という気持ちが芽生えます。
   
  
・「論理」と「法則」
・自分の「成長」と「貢献」
  
上記以外をアテにしている人は、真実が見えていません。
  
  
「間違った真実」を信じているから、
自分の外側にある「他人」や「お金」をアテにしているのです。
  
  
そして、実際は頼りにならない「自分以外の何か?」をアテにしているから、
「学ぶ事」に貪欲になれないのです。
  
  
貪欲に学ぶ意欲を持つためには、
  
・「論理」と「法則」
・自分の「成長」と「貢献」
  
以外は、頼りにならない、アテにならない
  
と言う事実を認め、理解する事です。
  
  
上記に集中する事で、
【 100%、絶対に安心できる生活・人生 】が手に貼ります。
  
(※ 成長って言うのは、主に精神的成長と仕事の能力向上。)
  
  
それ以外は、
  
アテにならない、頼りにならないリスクと可能性が、
常に存在しているのです。


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2017年01月19日

「法則」と「共通点・傾向」の「格の違い」

私の定義する「法則」と、他の人が定義する「法則」では、
【 中身がまったく違う 】と言う事がよくあります。
  
  
私の言う法則とは、「物理的法則」であり、
【 例外が無く、絶対に揺るがないモノ 】です。
  
  
しかし、他の人が「法則」という言葉を使うとき、
  
私から見れば、【 例外が存在する「共通点」や「傾向」】
  
という意味で使っている人が多いです。
  
  
そして、
 
・例外が存在しない「絶対的法則」と
・例外が存在する「共通点・傾向」では、
  
圧倒的に「格が違う」訳です。
  
月とスッポン、天地の差、雲泥の差、
将棋で言うと、「歩」と「飛車」くらい格が違います(笑)
   
  
たとえば、
  
「吉田という名字だと、
 ヨッシーというあだ名を付けられてしまう法則!」
  
っていうレベルで、【 法則 】という言葉を使っている訳です。
  
  
私からみれば、それ「法則」じゃありません。
  
【 よくある「共通点」とか「傾向」】です。
  
  
だって、「ヨッシー」というあだ名を付けられない人も、
この世に存在している可能性があるからです。
   
  
「成功法則」って言葉を使っている人も、
「引き寄せの法則」って言葉を使っている人も、
    
中身は「法則」じゃ無くて、【 共通点・傾向 】です。
  
  
だって、
  
例外なく100%経済的に成功できる方法でも無ければ、
例外なく100%引き寄せが成功する方法でも無いからです。   
  
  
ただ統計やデータを取って、
「そういう人の割合が多かった」というだけです。
    
  
私の定義する【 法則 】は、
  
「例外」が一件でも存在すると、それは【 法則 】では無くなります。
  
「例外」が一件でも存在している時点で、【 共通点・傾向 】に格下げです。
  
  
それは、別の言い方をすると、【「完全」と「不完全」の違い 】です。
  
  
私の定義する法則は、【 完全(例外がゼロ) 】である必要があります。
  
例外が存在する時点で、【 不完全(共通点・傾向)】に格下げです。
  
  
っていうか、科学者っていう人間は、
  
みな、そういう高い基準で科学を研究しているハズです。
  
  
そういう意味で、
  
・心理学
・自己啓発
・経済学
・ビジネス
・スピリチュアル
  
などの分野を、
「科学者の持つ高い基準」で研究している人は、ほぼ皆無です。
  
  
みな統計データを集め、「傾向」や「共通点」を探していますが、
  
例外を許している時点で、それは【 法則 】とは呼べません。
  
  
例外の存在しない法則を軸に研究している人は、
私以外では、Dr.ディマティーニぐらいでしょう。
  
私の研究の方が、完成度が高い自信はありますけどね。
  
  
科学の解明は、「統計」や「傾向」ではダメなのです。
  
  
「100回実験したら、3回くらいは例外的な事象が発生する」
  
そんな不完全な理論を元に設計された飛行機には乗りたくないでしょう?
そんな不完全な理論を元にした医療行為を受けたくないでしょう?
  
いつ事故が起こるかと思うと、怖すぎです。
  
  
科学者は、例外を見つけると、
「なぜ例外が起こるのか?」という原因を追究し、
  
原因を解明し、対策を立てます。
  
  
例外が発生しなくなるまで、それをやり続けます。
  
  
そうしてこそ、例外の存在する「傾向」や「共通点」では無く、
  
【 例外の存在しない法則の発見・究明 】に辿り着く事が出来るのです。
  
  
「共通点」や「傾向」レベルの話を、【 法則 】と呼ぶのは間違っています。
  
  
「完全」と「不完全」の差というのは、【 別格 】なのです。
  
創造や発明、起業の難しさを表して、
「0」と「1」の差は非常に大きいと言いますが、
  
それと同じく、
  
「100点満点(完全)」と「99点(不完全)」の差もまた、
非常に大きいのです。
    
  
私の理論は、例外が存在しないから「完全」であり、
  
他の人の理論は、大抵例外が存在するから、「不完全」なのです。


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2017年01月18日

「論理」と「法則」は、人生の方位磁石

昨日のライフワークミーティングでは、
  
・「才能」と「自分が勝負する土俵」の話
・「宇宙の法則」と「創造主」の仕組み
  
  
2次会では、
  
・新メンバーの質問への返答
・ビジネスモデルの話
・教育という仕事の特殊さ
・教育ビジネスを長期的に発展させるコツ
  
などについて語りました。
  
  
話題の幅が広すぎて、
自分でも何を喋ったのか忘れてしまいそうです。
  
  
特に、今回は「宇宙の法則」と「創造主」の話が、 
インパクトが強かったみたいですね。
  
  
まぁ、「生活に直結する話」では無いので、
  
創造主について、
正確に理解しようって思う人も少ないでしょう(笑)
  
まぁ、スピ系の人もだいたい誤解してるでしょうね。
  
  
でも、「創造主の性質」を理解する事は、
「無条件の愛」を理解する事でもあるので、
  
「自分って自由なんだ」っていう意識を持つためには、
役立ったんじゃ無いかと思います。
  
  
心理やスピリチュアルについて学んでいる人の多くは、
  
理系では無く、文系が多いと思います。
  
  
しかし、「心理」も「真理」も、
【 理(ことわり)】という字が使われています。
    
これは、理科の「理」、理系の「理」、論理の「理」です。
  
  
「理」とは、「仕組み」や「メカニズム」の事です。
  
  
なのに、心理や真理に携わる人間に、
  
論理的思考をする理系人間が少ないのはオカシイと思いますね。
  
  
私の未来予測では、
現在主流の、「文系の幻想的スピリチュアル」は早晩廃れます。
  
そして、「理系の現実的スピリチュアル」が主流になっていくでしょう。
  
  
私がバシャールを好きな理由は、
物理学的な視点で論理的に語ってくれるからです。
  
しかし、バシャールを好きな人間が、
理系人間ばかりではありません(笑)
  
  
だから、バシャールのメッセージを多くの人が誤解しているのです。
  
  
何回かお伝えしていると思いますが、
  
「論理」の良い所は、【 中立である 】と言う事です。
  
  
「論理的思考」は、先入観や偏見を排除して、
「客観的事実」を突き止める思考法です。
  
  
人間の変な思い込みを排除して、
【 中立・公平の結論 】を導き出すのが、論理です。
  
  
「論理」と「法則」、どちらも中立であって、
  
特定の誰か…、たとえば私個人の味方をしてくれる訳でもありません。
  
  
例えば、この社会には「裁判」がありますが、
  
裁判も、「論理的思考」によって、判決内容を導きます。
  
  
【 なんとなく個人的にムカつくから、コイツ死刑! 】
   
と言うような、「感情論」で判決を下すわけではありません(笑) 
  
  
論理的思考をしないヤツに裁判官を任せたら、
おそらく、「冤罪だらけ」になります(笑)
  
「なんとなく、コイツ犯人ぽいなぁ…」というイメージだけで、
証拠も無いのに、有罪判決を下すでしょう(笑)
  
  
裁判官は、(弁護士も、検事もですが)
「中立さ」が求められるので、論理的思考を行います。
  
  
論理的思考は、後天的に鍛えられる能力ですが、
  
強い精神力でもって目先の感情に流されず、
理性を働かせて、何事も慎重に考える必要があるので、
  
考えるのが面倒くさい人は、嫌がるでしょう。
  
  
裁判官で言ったら、
「証拠は無いけど、もうコイツが犯人で良いじゃん!」
  
っていうような感じで、思考を放棄している訳です。
  
そんなんだから、間違った判断を下すのです。
    
  
私は「論理」と「法則」は、絶対かつ中立なので好きです。
  
怪しい宗教の教義を信奉するより、
「論理」と「法則」を指針として生きる方が、
  
間違いもないし、頼りになります。
  
  
「感情論」と「不公平」と「差別」と「偏見」と「先入観」が
好きな人とは、対極でしょうけどね(笑)
  
  
スピリチュアルが好きな人には、
  
私とは対極に、【 宗教的な波動・思想 】を持つ人も多いです。
  
  
「論理」や「法則」を軸として、
自分で考え、結論を下し、主体的に生きるのでは無く、
    
自分より優れている存在(神様や教祖や宇宙人)に依存して、
  
「エラい存在」の言うことを聞くから、
自分の人生を何とかしてもらおうと思っています。
  
  
それも、「奴隷根性」の賜物でしょう。
  
  
特定のコンサルタントに依存する経営者も同じです。
  
「このコンサルタントの言うことを聞けば、
 何とかしてくれるんじゃ無いか?」
  
という、奴隷根性たっぷりの経営者も多く存在していますからね。
    
  
それは、宗教を信仰するのと大差ありません。
  
  
「奴隷的な波動と思想」を持つ人間が、宗教に依存するのです。
  
    
そして、宗教で崇められているのは、
法則でも論理でも無く、【 エラい人の指示 】です。
  
  
・宗教の信者も、
・宇宙人に依存するスピ系人間も、
・特定のコンサルタントに依存する経営者も、
  
奴隷根性の人ほど、人生は上手く行きません。
  
  
じゃあ、何を信じれば良いんですか?って言うときに、
  
「論理」と「法則」ほど、頼りになるモノは無い訳です。
  
  
それは、山道に持っていく「コンパス(方位磁石)」と同じです。
  
  
コンパスは、
どこに居ようとも、「北」を指してくれます。
  
北極星も、どこにいても「北」に位置しています。
  
  
昔から、人は絶対に揺るがないモノを指針とし、
旅をしてきました。
    
  
人生におけるコンパス(羅針盤・北極星)が、
  
「論理」と「法則」なのです。


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2017年01月17日

平和はタダじゃない

この世界には、「国同士の外交問題」がたくさん存在しています。
  
  
それって、どうやって解決すればいいんですか?って話ですが、
  
最終的には、世界が「ひとつの国」になれば根本解決しますし、
それが、世界平和です。
  
  
日本も、昔は統一されておらず、
数多くの争いを通じて、統合が進み、
  
最終的に「ひとつの国」になりました。
  
  
これが、世界レベルの規模になれば「世界平和」です。
  
  
しかし、現段階ではまだその域には達していません。
    
  
思想の違う人種同士が対立し、争っていますし、
  
隙あらば自分の領土を広げ、
支配を広げようとしている国や人々もいます。
  
  
そんな中で、国の独立を保とうと思えば、
  
単純に「軍事力」が必要です。
  
  
例えば、セコムのようなセキュリティ会社ってありますよね?
  
これも、泥棒から自分を守るために、お金を掛けている訳です。
  
  
警察官は「柔道」を習得するらしいですが、
それも、犯人との物理的な争いに負けないためです。
  
  
別に、自分に害を為す存在が居なければ、
武力や軍事力は必要ありませんが、
  
現実的に、国の独立を守るためには、
武力や軍事力は必要になります。
  
  
世界平和が達成されれば、軍事力は必要ありませんが、 
世界平和が達成されるまでは、自衛の為の軍事力が必要です。
  
  
軍事力を放棄すれば、
  
「世界をめちゃくちゃに破壊しようとする勢力」がいても、
対抗できませんからね。
  
そして、そういうネガティブな勢力に、話し合いは通じません。
  
  
揉め事が起こったときに、
他人を悪者扱いしたり、裁く事では、問題は解決しません。
  
しかし、「攻撃されているのに自分の身を守らない」
という姿勢でも、問題は解決しません。
   
  
「他人を裁くためのチカラ」では無く、 
最低限、「自分の身を守るためのチカラ」は必要なのです。
  
  
ネガティブな勢力が、自分に害を為そうとするのであれば、
最終手段として、自衛の為に軍事力を行使する必要があります。
  
  
そして、軍事力を維持するには、【 経済力 】が必要です。
  
  
セキュリティ会社に依頼して、
自宅の警備を強めるのに、お金が掛かるのと同じです。
  
  
日本では、「水と安全はタダ」と言われていましたが、
  
ネガティブな世界では、水も安全もタダではありません。
  
  
とにもかくにも、
「国の独立」を保つには、経済力が必要です。
  
  
そして経済力は、
「仕事を通じて他人の役に立つ事」によって、得られるのです。
  
  
人の役に立っていれば、自分の味方も増えます。
  
  
どんな事にでも言えますが、
  
【 他人との交渉 】を有利に運ばせるには、
  
自分が「価値を提供する側(経済力)」に回る事と、
「強さ(軍事力)」を兼ね備えている必要があります。
  
  
そういう意味で、
  
「世界に広く高い価値を提供している日本企業(輸出など)」が、
【 日本の国の独立を支えている 】と言えます。
  
  
有り難いですね。
  
  
世界にとって高い価値を与える
「商品」や「サービス」をたくさん輸出することで、
  
日本は、外国との交渉で有利に立つ事ができます。
  
  
何にでも共通して言えますが、
【 与える量の大きい存在 】が、交渉で有利に立てます。
  
  
その「他国に価値を与えるチカラ(基礎力)」が高くなければ、
交渉が有利になる事はありません。
  
  
自分に高い価値を提供してくれる相手を攻撃する事は、
自分の首を絞める事と同じです。
   
  
ですから、「価値を与える側に回る事」が、
  
対人関係で有利に立つ為に必要な事です。
  
  
「自衛の為のチカラ」まで否定する事は、ポジティブではありません。
  
  
それは、セコムの様なセキュリティ企業を否定する事と同じです。
  
  
自衛のチカラを持つ事は、
【 他人にネガティブな行為をさせない為 】にも、必要です。
  
万引き防止策として、万引きGメンを雇うのと同じ話です。
  
  
いちいちネガティブな行為をさせない事も、他人の為になりますし、
     
自衛のチカラは、
「犯罪」や「ネガティブな行為」の抑止力となります。
  
  
そして、自衛のチカラを持つためには、経済力も必要です。
  
  
それは、他人に価値を提供することによって、手に入ります。
  
  
自分にとって価値のある存在、必要な存在は、潰せません。
  
  
残念ながら、ネガティブな世界では平和も安全もタダではありません。
  
【 他人に価値を提供すること 】によって、結果的に手に入るモノなのです。
  
  
何が言いたいかっていうと、
  
とにかく「他人に価値を提供し続ける事」が大事だって事です。
  
  
そうすれば、ネガティブな相手が攻撃を仕掛けてきても、
  
自衛の為に、キチンと対処できると言う事です。
  
  
そして、「善の心」と「強さ」を併せ持つことで、
  
世の中に良い影響を及ぼすことが出来るのです。
  
  
たとえ「善の心」を持っていても、「弱い」存在には、
  
世の中に大した影響は与えられないのです。
  
  
世界平和は、
  
ポジティブな勢力が、他人に価値を提供し、自分の身を守りつつ、
人々の精神性を高める活動をし続ける事によって、実現するのです。
  
  
理性的に考えず、
感情的に軍事力や武力を悪者として否定し、裁いていても、
  
逆に、世界平和の為にはなりません。
  
  
マザー・テレサが、
「反戦の集会には参加しないが、平和の集会には参加する」
  
と言ったのは、そういう意味なのです。


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haxe501 at 20:52|Permalinkclip!

2017年01月16日

スピリチュアル学の基礎

先日、「ポジティブ思考・肯定解釈」は、
自己啓発における基礎中の基礎だ…、
  
という話をしました。
  
  
何でも「基礎の理解」が大切です。
  
  
スピリチュアルについて勉強すると、
  
【 人間は「創造主(神)の一部」である 】
  
という話がよく出てきます。
  
  
これも、耳にタコができるくらいに、
方々で言われている事です。
  
  
私は、それが真実だと信じていますが、
  
これも、「ちゃんと心の底からそう思えているか?」
  
って事が大事ですね。
  
  
「自分が創造主の一部であると、本気で思えているのか?」
  
って話です。
  
  
……、実際には、思えていない人が多そうですね(笑)
  
  
少し、スピリチュアル、宇宙の法則についておさらいすると、
  
宇宙の全ては、【「エネルギー」=「意識」】で出来ています。
  
  
これは、全ての物質が
「原子(中性子、陽子、電子)」で出来ているという、
  
中学の理科で習う話からも、イメージしやすいと思います。
  
  
根本は非常にシンプルであって、
その「シンプルな要素」の「無限の組み合わせ」によって、
  
ありとあらゆる物質が出来ている訳です。
  
  
中学で習う理科と違うのは、
  
【「エネルギー」と「意識」は同じモノである 】と言う事です。
  
  
つまり、物質は原子で出来ている…、というのと同じ感覚で、
  
・宇宙は「エネルギー」で出来ているとも言えますし、
・宇宙は「意識」で出来ているとも言えます。  
  
  
そして、宇宙の「全てのエネルギー、全ての意識」を指して、
「創造主」と言っているのです。
  
  
宇宙に存在する全てがエネルギーであり、
「創造主の一部」と言う事です。
  
  
だから、自分も、他人も、椅子も、机も、
普段、踏みつけまくっているコンクリートも、全て創造主の一部です。
  
  
そして、
  
創造主(エネルギー、意識)のあり方や動き方を、
「宇宙の法則」と言います。
  
宇宙の法則は、創造主にもねじ曲げる事が出来ません。
  
  
例えば、「ボール」を手に持ち、離せば落下します。
  
重力が働いているからです。
  
  
しかし、ただのボールが重力をねじ曲げる事はありません。
  
  
それと同じように、エネルギーそのもの(創造主)が、
  
エネルギーの法則(あり方、動き方)を
ねじ曲げる事はありません。
  
  
ですから、
  
創造主は常に変化していますが、  
宇宙の法則は、一切変化しないのです。  
  
  
宇宙の法則は、
宇宙で唯一、絶対に揺るがない因果関係・メカニズムなのです。
  
  
そして、宇宙における
「エネルギーと意識のあり方」には、階層があります。
  
  
それは、水分子が温度によって、
  
「固体(氷)、液体(水)、気体(水蒸気)」
にカタチを変えるのと同じです。
  
  
そして、全ての人間は、霊的成長を続ければ、
「キリスト」や「仏陀」の様になります。
  
  
キリストや仏陀を特別扱いしている人には悪いですが、
  
誰でも「キリスト」や「仏陀」の様になれるし、
霊的成長を続ければ、いずれ誰でもそうなる様になっているのです。
  
  
そもそも、キリストや仏陀というのは、
「高次の意識に目覚めた人」に対する敬称ですからね。
  
高次元文明の人々は、
全員が仏陀(悟った人)であるという事です。
    
  
全ての人が、創造主の一部であり、
  
誰でも成長すれば、キリストや仏陀の様に、
高い意識に到達できる素質を持っている訳です。
  
  
しかし、現実を見てみると、
全ての人が霊的成長に目覚めている訳ではありません。  
  
  
地球に暮らす多くの人々は、まだまだ未熟なのです。
  
  
全ての人がキリストや仏陀になれる素質を持っていると言っても、
  
「強い意志」と「不断の努力」を続けなければ、そうはなれません。
  
  
「強い意志」を持てない人間は、ラクな方に流され、
ネガティブな現実の中で、生活し続けるしかないのです。
  
  
【「ポジティブな存在」になれる素質を持っていても、
  その意志がなければ、「ネガティブな存在」のまま 】
  
それが、「人間の姿」という訳です。
  
  
人間は、
  
絶対的にポジティブな存在という訳でもなければ、
絶対的にネガティブな存在という訳でもありません。 
  
本人の選択次第で、【 どちらにもなり得る 】という事です。 
  
  
そういうポジティブとネガティブの両方を
バランス良く眺める、ニュートラルな人間観を持つ事で、
  
【 自分の本当に望んでいる生き方 】が出来る様になります。
  
  
まず、自分自身を、
  
・創造主の一部
・キリストや仏陀の様に、高次の意識に目覚める素質ある存在
  
という風に見なす事が、基本となります。
  
  
既存の宗教では、
「創造主」と「人間」は別物と教えられているかもしれませんが、
  
創造主とは、「無限のエネルギー(意識)そのもの」であって、
別に、ヒゲを生やしたおじいさんの姿をしている訳ではありません(笑)
  
  
既存の宗教が、神と崇めているのは「宇宙人」だったりします。
   
そして、その宇宙人にも、
ポジティブな宇宙人もいれば、ネガティブな宇宙人もいた訳です。
  
  
「宗教系の依存的な波動」を持つ人は、
  
どうも、「意志を持たない法則」よりも、
「意志を持った何らかの存在」を崇めようとします。
  
  
私から見ると、「意志を持った存在」に依存する方が、
危険だと思いますけどね。 
  
意志を持った存在は、心変わりしますし、
もしかしたら、ネガティブな存在かもしれません。
  
だから、私にとっては、
そういう危険性の無い法則が指針なのです。
  
  
これが、私の理解している「人間の姿」です。
  
  
全ての人間は、仏陀やキリストの様になれる素質を持ちつつも、
  
強い意志を持たなければ、
ラクな方に流され、ネガティブな現実の中で生き続ける。
  
  
だから、私は人間は「弱い存在」だと思う訳です。
  
  
すごい素質が備わっていても、
奴隷根性にまみれていて、自信も無く、弱いから、
  
自分の奴隷根性を叩き直す覚悟が無ければ、
素質も開花しないのです。
  
  
【 すごい素質を備えていても、意志を持たず、
  何もしなければ、ラクな方に流され続ける弱い存在 】
  
  
すごい素質はあっても、そのままでは弱い存在だからこそ、
強くなろうとしなければ、ポジティブな現実は手に入らない。
  
  
それが、私の人間観です。


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haxe501 at 22:55|Permalinkclip!

2017年01月15日

経営コンサルティング

私、経営コンサルティングもやれば出来るんですが、
  
私が経営コンサルをやろうとすると、
かなり「異色なアドバイス」になると思います。
  
  
経営コンサルと言っても、その種類は多岐にわたります。
  
  
・店舗経営に特化しているとか、
・ネットショッピングに特化しているとか、
・マーケティングに特化しているとか、
・コストダウンに特化しているとか、
・社労士の行う経営コンサルもあれば、
・税理士の行う経営コンサルもあるでしょう。 
  
大手コンサルティングファームだと、
大企業のビジネスに関わる数値をデータにして、
  
経営戦略に役立てるようなコンサルをしていると思います。
  
  
おそらく、ビジネスについて、
「何でも答えられるコンサルタント」は存在しないでしょう。
  
  
商売によって、やり方(成功法)が全然違いますからね。
  
  
解りやすく例えると、一口に「スポーツのコーチ」と言っても、
  
水泳と野球では、「必要な知識や経験」がまったく違いますよね?
  
  
それと同じです。
  
  
経営コンサルタントは、スポーツに例えると、
  
「スポーツ選手」をサポートをする、
【 スポーツのコーチ 】という肩書きです。
  
  
でも、野球も、柔道も、水泳も、サッカーも、マラソンも、
全てのスポーツについて教えられるコーチは存在しないでしょう。
  
スポーツ種目の他にも、「筋トレの専門家」もいれば、
「メンタルの専門家」「食事の専門家」もいるでしょう。
  
  
ですから、経営コンサルを依頼するには、
  
【 自分のビジネスや要望に合ったコンサルタント 】に依頼する必要があります。
   
  
もし自分が水泳選手なら、野球のコーチに依頼してもダメですよね(笑) 
  
  
じゃあ、私の専門領域って何なのか?って言うと、
  
・幸せに働くこと
・仕事とお金と自分の人生を調和させること   
   
ですかね。
  
  
とにかく、
  
・目先の利益が上がれば良い
・お客さんを集める方法が知りたい
   
とか、そういう次元の話ではありません。
  
  
私が経営コンサルタントとして、社長にアドバイスするとしたら、
  
【 あなたの人生の目的は何ですか? 】っていう質問をして、
  
まずそこをハッキリしてもらいます。
  
  
ピラミッド構造をイメージしてもらうと、
  
「人生」の上に、「仕事」が乗っかっています。
  
  
なので、まず「自分の生き方」が定まっていないのに、
  
「仕事のやり方」が定まる訳がありません。
   
  
例えば、ソフトバンクの孫正義社長は、
  
まず自分の生き方を定め、
その生き方に合致する事業を考えました。
  
それと同じで、まず自分の生き方を定めなければ、
いずれ、仕事と人生が調和しなくなってきます。
  
  
もし、仕事が上手く行っても、
  
・家庭が上手く行かないとか、
・人間関係が上手く行かないとか、  
  
何かしらの弊害が出てきます。
  
  
結局、お金だけ稼げても、幸せにはなれません。
  
  
私個人は、お金よりも「時間の自由」の方が大事です。
  
  
自分の価値観、自分が大切にしたいモノを理解しているので、
  
「時間の自由が得られる働き方」をしています。
  
  
「自分の価値観」を自覚し、
「自分の生き方」が定まらなければ、
  
【 自分の人生と仕事が調和する仕事のやり方 】も見つかりません。
  
  
私は、何でも長期的に、全体的に考えますから、
  
【 目先の利益があがれば、他の事は知りません! 】
  
というタイプのコンサルタントではありません。
  
  
目先の利益を上げる事が得意なコンサルタントがいて、
その人のサポートで目先の利益があがっても、
   
・その人が長期的、継続的に仕事で上手く行くか?
・その人の人生全体が上手く行くか?
   
という事とは関係ありません。 
  
  
まぁ、私は「目先の問題を解決する方法」もお伝え出来ますが、
  
それよりも、「長期」と「全体」を見ていますから、
  
とにかく、
【 全体的に、長期的に上手く行かせる方法 】を考えています。
    
  
「仕事」と「人生」は、一生続くパートナーです。
   
   
息の長い仕事をしようしなければ、人生も上手く行きません。
  
  
よく、自分の携わる仕事をコロコロ変える人がいますが、
  
そういう人って、客目線から見たら信用ならないですよね?
  
  
スポーツ選手で言ったら、
  
野球やったり、サッカーやったり、
マラソンやったり、水泳やったり…
    
って感じです。
  
  
そんなんで、その道を究められる訳がありません。
  
  
私なら、「その道一筋!」っていう人に、仕事を依頼したいと思います。
  
プロとして信頼できますし、長い付き合いができれば、
しばらくしてから何かが起こっても、頼りになります。
  
  
別に、いろんな仕事に手を出すのが悪いって訳では無くて、
一見いろんな仕事に手を出しているように見えても、
  
その人の中で、「高いプロ意識」があって、
  
「生き方」や「仕事に対する姿勢」に、
一本の筋が通っていたら良いのです。
  
  
仕事は一生続くのですから、
何よりも、長く続けられなければ上手く行きません。
  
 
そして、長く続けるには、
「自分の個性や価値観、生き方と調和した仕事」をしなければなりません。
  
  
ですから、私が経営コンサルをやるとしたら、
  
社長の
  
・人生の目的
・生き方
・価値観
・個性
・情熱
 
をハッキリさせる事からやるでしょうね。
  
  
その次は、「経済の本質」や「人間関係」の話をして、
  
仕事の内容は、その後です(笑)
  
  
逆に、仕事の話はシンプルで、
  
自分のやるべき仕事の内容と仕事のやり方が決まったら、
  
後は、
【 お客さんに対する「信頼」と「価値」をどれだけ高められるか? 】
  
って事の追求なので、そのアイデアとやるべき事を整理するだけです。
  
  
まぁ、基本的に私は細かい話は嫌いで、
  
【 大筋をハッキリさせる 】というのが、私の得意分野です。
  
  
って事で、私が経営コンサルをすると、
  
普通じゃ無い、かなり異色なアドバイスになると思います。
  
  
私が提供するサービスを求める人も少なそうですしね。
  
  
私の話が聞きたい人は、世間から見たら変な人だと思います(笑)
  
  
ここまで書いてみて、なんか、
  
相手が「世界レベルの仕事、事業がしたい!」って人じゃ無いと、
話が噛み合わないような気がしてきました(笑)


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haxe501 at 15:34|Permalinkclip!

2017年01月14日

ポジティブ思考・肯定解釈能力

ありとあらゆる自己啓発書に、
    
 現象は「中立・表裏一体」であり、
 ネガティブ面と同じ分のポジティブ面が存在する。  
  
 だから、あらゆる現象のポジティブ面を見抜き、
 
 一見、ネガティブに見える様な現象でも、
 肯定的に解釈する事、前向きに捉える事が大切だ
 
  
と言う様な事が書いてあります。
  
  
これって、めちゃくちゃ正しい事なのです。
  
  
自己啓発を学んだ事がある人間にとっては、
  
耳にタコができるくらいに聞き飽きた、
当たり前の常識でしょう。 
  
  
じゃあ、ちゃんと出来てるんですか?
  
って言われると、出来ていない人が圧倒的に多い。
  
  
何故かというと、「訓練・練習」をしていないからです。
  
  
イヤな事が起こったとき、
そのポジティブ面を見抜こうとすると、
  
頭を使いますし、精神力も必要です。
  
  
それを繰り返す事によって、上達し、
  
熟練してくると、
反射的にポジティブ面を見抜く事が出来るようになってきます。
  
  
逆に言うと、
  
【 練習しないとポジティブ思考は身に付かない 】のです。
  
  
あらゆる現象のポジティブ面が見抜けるようになると、
  
何が起こっても、
自分にとってプラスの影響を見抜き、受け取る事がでいます。
  
  
ですから、何が起こっても大して動じなくなりますし、
  
何が起こっても、
  
「自分の為に起こっている事だ」
「自分にとって益のある現象だ」
  
と思えるようになります。
  
  
ストレスを無くしたり、自分を精神的に安定させる為には、
  
【「何事も肯定的に解釈する」という練習 】が必要なのです。
  
  
でも、人間は情報を得ても練習しないんですね。
  
  
・「価値が解っていない」のか…
・ラクして結果が得られる、「存在しない幻想」を見ているのか…
・情報を知っているだけで、「体得したつもり」になっているのか…
  
  
実際に、本質的に、
「自分にとって害のある現象」というのは無いのです。
  
  
自分に害のある現象なのか? 益のある現象なのか?は、
  
【 自分の「捉え方」によって決まる 】のです。
  
  
人工知能の登場だって、
  
「これで、面倒くさい作業から解放されるぞ!」と、
前向きに捉える人もいれば、
  
「自分の仕事が無くなるかもしれないぞ!」と、
後ろ向きに捉える人もいます。
  
  
どちらに捉えている人か? で、
  
現象から受け取る影響が変わります。
  
  
これは、
  
「ネガティブ・ポジティブ、両面の視野を広げ、
 何事もニュートラルに眺められるポイントに立つ」
  
という練習でもあります。
  
  
自分にとって「イヤな気持ちがする現象」を、
理性を使って肯定的に解釈できないと言う事は、
  
即ち、「被害者意識」を持って、「他人のせい」にしている
  
と言う事です。
  
  
「目先の感情」に流され、「理性」が働いていないと言う事です。
  
  
私は一時期、「ポジティブ思考・肯定解釈」を徹底的に練習しました。
  
練習するから、身に付きます。
  
  
私は何事も【 体得しなければ意味が無い 】という事を理解しているからです。
  
  
しかし、学校教育に洗脳され、優等生病にまみれた人は、
  
「知っているだけ」で、
  
深く検証、分析せず、理解もできず、
練習もせずに、体得したつもりになっています。
  
  
知っているだけで点を取れるのは、「学校のテスト」だけです。
   
社会に出れば、知っているだけでは点は取れません。
  
  
「知る」だけなら、インターネットで充分です。
  
  
理解と体得にこそ、意味がありますし、
  
自分自身を見つめて、
  
・ちゃんと理解できているのか?
・ちゃんと体得できているのか?
  
という基準で、自分自身を評価する必要があります。
  
  
スピリチュアルや自己啓発について教えている人間の多くも、
  
理解・体得できていないくせに、
知っているレベルで、エラそうに話しますが、
  
それは、これからスポーツやろうとする時に、
「評論家から学ぼう」としている様なモノです。
  
  
自分が映画を撮りたい!と思ったときに、
  
・「映画監督」から学ぶのか?
・「映画評論家」から学ぶのか?
  
どちらの方が有効だと思いますか?
  
  
「監督」も「評論家」もごっちゃになっているのが、
  
心理学・経済学・自己啓発・スピリチュアルなど分野です。
  
  
こんなにも低レベルな業界は無いと思いますが、
  
低レベルな人間に権威が与えられているあたり、
  
どれだけ未成熟な社会なんだろうと思います。
  
  
まぁ、今回の本題は
「ポジティブ思考・肯定解釈」ですからね。
  
  
私は、未熟な社会だからこそ、
今後大きなチャンスもあると思っている訳で、
  
ちゃんとポジティブ面も理解している訳です。
  
  
「ポジティブ思考・肯定解釈」は、日々の練習です。
  
  
ただ、ひとつだけ注意しなければならないのが、
  
「ポジティブ思考」だからと言って、
自分のネガティブ感情を無視しようとする人が居る事です。
  
  
自分のネガティブ感情は、ちゃんと直視しなければなりませんし、
自分の弱さ、未熟さ、無力さも、潔く認めなければなりません。
  
  
ポジティブ思考だと言って、自分の弱さを認めないのは、
ただの強がり、見栄っ張りです。
  
    
ここら辺の区別が付いてない人、
区別が理解できていない人も多いです。
  
  
自分のネガティブ要素を否定しようとするのは、
ポジティブ思考じゃ無くて、「ダブル(2倍)ネガティブ思考」です。    
  
  
実際はダブル(2倍)のネガティブ思考なのに、
それをポジティブ思考だと勘違いしている人も多いのです。
  
  
まぁ、その区別についても、
私は過去から散々語ってきているわけですけどね。
  
  
何事にも言えることですが、
  
知っている事に大して意味は無く、
  
ちゃんと理解して、体得するまで、
「自分は出来ていないんだ」という基準で考える必要があります。


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haxe501 at 15:08|Permalinkclip!

2017年01月13日

教育の有り難み

私は、「教育」っていうのは、
とてつもなく価値があって、有り難いモノだと思っています。
  
  
しかし、どうやら私の様に思えている人は少ない様です。
  
  
教育に高い価値を感じていないから、積極的に学ぼうとしない。
  
積極的に学ぼうとしないから、成長しない。
  
成長しないから、現実が良くならないのです。
  
  
いいですか?
  
  
人間は、教育を受けなきゃ、文字すら読めないのです。
  
  
文字が読めるのは、
人間として生まれたから当然の事では無くて、
  
【 教育を受けたから 】です。
  
  
文字が読める人間と、
読めない人間の【 差 】生むのが、「教育」です。
  
  
私の父親は教育熱心で、
 
幼少の頃、私の自宅には、  
たくさんの「知育玩具、児童向け学習図書」がありました。
  
  
私の自宅には、楽しく学べる教材がたくさんあり、
そのおかげで、今の私が作られていると思います。
  
  
しかし、貧困家庭では、
  
そういう子供の成長に役立つオモチャや、
本すらも買ってあげられないのでしょう。
  
  
確かに、「経済格差」が「教育格差」を生んでいるとも言えます。
  
しかし、裕福な家庭で育った子が、みんなまっとうに育つか?
  
というと、そうでもありませんので、
  
「お金さえあれば、必ず教育が充実する」という訳ではありません。
  
  
なぜなら、お金よりも、
  
【 どのような教育を施せばよいか? 】
  
という、「中身」が何よりも大切だからです。
  
  
貧しい家庭で育っても、親がポジティブだったら、
それだけで、非常に優秀な子に育ちます。
  
逆に、裕福な家庭で育っても、親がネガティブだったら、
それだけで、自分に自信が持てない子に育ちます。
  
  
弟子たちを見ていたらよく分かります。
  
  
著名な事業家やスポーツ選手が、
将来は、教育に携わりたいと言います。
  
  
教育が大事。 それはその通りです。
  
  
しかし、【 何を教えるべきか? 】
  
という中身については、おそらく解っていないでしょう。
  
  
なぜそう言えるか?
  
  
私は、【 何を教えるべきか? 】について、研究してきましたが、
  
私の辿り着いた結論は、
  
膨大な時間とエネルギーをかけて徹底的に研究して、
ようやく辿り着いた結論なのです。
  
  
本業が事業家やスポーツ選手という人が、
  
パッと思いつくような中身では無いのです。
  
  
それに、教育の中身は大事ですが、
  
それよりも、【 教育を受ける側の姿勢 】も同じだけ大切です。
  
  
今の世の中、たくさんの人々が情報を求め、
本や雑誌を買ったり、ネットサーフィンをしています。
  
  
その情報を求める動機が、
  
「学びたい!」なのか?
「共感したい!」なのか?
  
で、大きく違います。
  
  
ほとんどの人は、
「学びたい!」よりも、「共感したい!」が優勢です。
  
  
何故かとういと、寂しいからでしょう。
  
  
寂しいから、自分が共感できる人や情報を求めているのです。
  
  
しかし、共感を求めると言う事は、
  
自分がネガティブ思考の人間であるならば、
「ネガティブな情報に共感する」と言う事です。
  
  
そういう判断基準である限り、成長はしません。
  
ネガティブな人間が、ネガティブな情報を見て、共感しても、
何も起きません。
  
  
例えば、
  
内心で、「戦争して隣国をぶっ潰せ!」と思っている人が、
「戦争は行うべきである!」という記事を読めば、
  
「うんうん、その通りだね!」って共感します。
  
  
情報を得て、何かその人の思想が変わるでしょうか?
  
変わりません。 
  
むしろ、ネガティブな思想が増長されます。
  
  
一方、「学ぼう」という動機で情報を求める人は、
  
「自分の耳が痛くなるような話」にも、素直に耳を傾けます。
  
  
目的が、寂しさを紛らわす「共感」では無く、「成長」だからです。
  
   
学びたいと思っている人、成長を目指す人は、
  
自分が考えも付かないような情報にこそ、価値を感じます。
  
  
どちらかというと、共感できない情報に価値を感じるのです。
  
  
例えば、私が過去にバシャールの本を読んだとき、
  
エササニでは、
【 惑星の全ての人々が、全員と結婚しているのと同じ状態 】
  
という事が書いてあって、当時は正直理解不能でした。
  
  
イメージ出来ないんです。(今では理解もイメージも出来ていますが。)
  
  
私は、そういう「自分の視野の外」にある情報にこそ、
価値を感じます。
  
  
なぜなら、そう言った情報こそが、
自分の視野を広げてくれるからです。
  
  
「共感できる情報」って言うのは、【 自分と同じレベル 】って事です。
  
  
「共感できない情報」って言うのは、
【 自分のレベルよりも、レベルが高い情報 】という事です。
  
  
共感を求める人は、レベルの高い情報に価値を感じない。
  
そもそも、成長よりも、目先の寂しさを埋める方が大事だから。
  
  
SNSのいいね!ボタンも、
  
「勉強になった!(理性)」じゃなくて、
「共感できた!(感情)」って意味で人は押しています。
  
  
日本人って、世界有数の「寂しがり屋の集まり」だと思いますね。
  
  
それは、
  
・一人では生きていけない。
・他人に嫌われたら、村八分にされてしまう。
  
という発想で、
  
狭い島国の中、同じ民族の中で生きてきた結果でしょう。
  
  
そして、大きく劣った人間、大きく優れた人間を仲間はずれにして、
  
「出る杭」を叩きまくって、
「平均の範囲内に収まる事」を一番良しとするのです。
  
  
その平均こそが、常識と呼ばれるモノです。
  
  
結局、各々が孤独を乗り越えなければ、
  
教育の価値すらも、人々は理解できないのでしょう。


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haxe501 at 13:50|Permalinkclip!

2017年01月12日

魂の相性度

面白くも残酷な計測を思いつきました。
  
「人と人との相性度」のパーセンテージ数値化です。
  
心理テストや誕生日なんかでの相性診断より、
よっぽど信頼性のある計測になると思います。
  
  
ちなみに、
  
相性度 100%  :双子レベル
  
相性度 70%以上 :一生の間に数人しか出会えない、ソウルメイトレベル
  
相性度 50%以上 : 長く一緒に住める、男女なら結婚できるレベル
  
相性度 30%以上 : 頻繁に会える親友、恋人、師弟関係になれるレベル
  
相性度 20%以上 : たまに会うと面白い友達レベル
  
相性度 10%以上 : 一対一でも多少時間を過ごせるレベル
 
相性度 5%以下 : 一対一なら話が盛り上がらず、気まずくなるレベル
  
って感じです。
  
  
30%でも、かなり仲良くなれる方ですが、
  
上に行けば行くほど数が少なくなる、
「ピラミッド構造」になっています。
  
  
これは魂の相性度なので、
別に男女関係だけで無く、同性同士にも同じ事が言えます。
  
  
「人間が誰と付き合おうとするか?」は、
  
この相性度でほとんど決まっていると思います。
  
  
ただ、自分が精神的に成長していかないと、
相手が誰であっても、良好な関係は築けませんし、
  
自分にとってより良い相手を引き寄せるにも、
自分の精神的成長が欠かせません。
  
  
どんなに魂の相性度が良くても、
  
自分の問題を相手のせいにしていると、
ケンカや揉め事になりますし、決裂の原因になります。
  
  
一方で、どんなに成長しても、
  
魂の相性度によって、
「お互いに近寄れる距離感の限界」というのは存在していると言う事です。
  
  
まぁ、何が言いたい買って言うと、
  
誰に対しても(相性度が低い人と)
無理して仲良くしようとする必要は無いし、
  
結局は、自分が精神的に成長しないと、
人間関係の問題は解決しない、良好にならないって事です。
  
  
さらに補足しておくと、
  
どれだけ相性度が高くても、
ポジティブ・ネガティブの差が大きすぎると、
 
「共有できる部分」が無くなってくるので、
【 深い付き合い 】が出来なくなってきます。
  
  
例えば、私と相性の良いホームレスの人がこの世に存在していても、
私と出会うことはほぼ無いと思います。
 
・自分がネガティブでないと付き合えない人
・自分がポジティブにならなければ付き合えない人
  
その両方が、存在していると言う事です。


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haxe501 at 13:49|Permalinkclip!

2017年01月11日

「善いことしてるつもり」という言い訳

子供に対して過保護に接している親御さんは多い訳ですが、
  
「子供に対して過保護に接する」というのは、
「自己犠牲的」になっている訳で、
  
親の「精神と体力」が疲弊してきます。
  
  
さらに、子供も依存的な態度になり、
他人に甘えるのが当たり前に育ちます。
  
  
だから、良い事なんて何にも無いんです。
  
  
子供に対して過保護な親に、
「止めた方が良いよ」って言っても、止めない人がいます。
  
  
なんでか?っていうと、
  
【 自分は善いことをしているつもり 】だからです。
  
  
「子供の事を大切に思っている自分はエラい!」と思っていて、
  
そこに自分の存在価値を感じているのです。
  
  
・自分は善いことをしているつもり
・自分は正しいことをしているつもり
  
それを覆すのは、相当な精神力が必要です。
  
  
テロリストだって、
「自分は善いことをしている、正しい事をしている」と、
  
自分の行為を【 正当化 】しています。
  
  
ただ、
  
・自分は善いことをしているつもり
・自分は正しいことをしているつもり
  
でも、本当にそれが「ポジティブな結果」に繋がっているのか?
  
という事を検証しなければなりません。
  
  
子供を過保護にする事は、
  
自分は「善いこと」をしているつもりでも、
本質的には「子供にとっては害のある行為」をしている訳です。
  
  
でも、親はその事実を認めたくありません。 理解したくありません。
  
子供の事を想ってやっている事が、
「実は、子供の為になっていない」なんて、
  
自分の過ちを認める事になりますし、  
      
自分の「存在価値」を失うような気がして、
怖いからです。悲しいからです。
  
  
でも、本当に子供の事を考えるのであれば、
  
「心を鬼にすること」も必要です。
  
  
そっちの方が、子供の事を考えている訳です。
  
  
自分は善いことをしているつもりだから…
自分は正しい事をしているつもりだから…
  
「だから私は悪くない!」なんていうのは、言い訳なのです。
  
  
子供を過保護にする親は、
子供の事を真剣に考えているんじゃ無いんです。
  
子供の事よりも、
  
・自分のやっている事を否定されるのが怖い
・自分の存在価値を失うのが怖い
・自分の間違いや過ちを認めたく無い
  
と、子供の事を考えるより、
【 自分の心が傷つかない様に、保身に走っている 】のです。
  
  
それが、その人の本心です。
  
  
だから、本質的には子供よりも、自分を大切にしている訳です。
  
  
子供は、それを見抜きますし、感じます。
  
  
「ああ、お母さんは、お父さんは、
 子供の未来よりも、自分が傷つかない事の方が大事なんだ…」
  
という風に。
  
  
そんな、ネガティブな親に育てられたら、
子供もネガティブに育って当然です。
  
「自分は愛されていないんだ」と感じて当然です。
  
  
親が、「自分の事よりも、子供を優先している」と言っても、
    
子供の側から見れば、
「嘘つけ! 自分が傷つかない事の方が大事なんだろう!」
  
と、ウソを見抜きます。
  
  
「私は自分の事よりも、子供を大切に想っています!」
  
って親は、実際には子供を大切に出来ていないんです。
  
  
「子供を大切に想っている、素晴らしい親である自分」
に酔っているのです。
  
  
子供を本当に大切に想うのであれば、
  
子供以前に、親が成長して、親が幸せにならなければなりません。
  
  
子供は、親の背中を見て育ちます。
  
  
親が臆病者であれば、子供も臆病者に育つでしょう。
  
親が自己犠牲的であれば、子供も自己犠牲的に育つでしょう。
  
  
・自分は善いことをしているつもり
・自分は正しい事をしているつもり
  
  
この、【「自己正当化」の心理 】は厄介です。
  
  
ポジティブな結果に繋がらない事をしているのに、
なかなか自分の過ちや間違いを認めようとしないし、
  
自分の考え方や行動を変えようとしません。
  
  
善い事をしているつもり、正しい事をしているつもりでも、
  
それが、ポジティブな結果に繋がっていなければ、意味がありません。
   
  
そして、ポジティブな結果に繋がっていないのは、
  
「子供の事を想っている」というのを【 建前、言い訳 】にして、
本当は、自分の心が傷つかない様に、逃げているからです。
  
  
子供を想う「ポジティブな気持ち」より、
恐怖から逃げたい「ネガティブな気持ち」の方が強いのです。
  
  
だから、ポジティブな結果を生み出せません。
  
  
自己正当化が習慣化している人は、ポジティブな結果を生み出せません。
  
  
こう見えて私は、自分で自分自身を疑い、否定しています。
  
何度も何度も自己批判を繰り返して、
「どう考えても間違いない!」って思う事だけを、表現しています。
  
だから、圧倒的な自信と確信があるのです。
  
  
「自信」の裏には、徹底的な自己批判があるのです。
  
  
自分で自分を厳しく批判できる人間、
自分で自分のお尻を叩ける人間が、大きく成長できるのです。


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haxe501 at 15:59|Permalinkclip!