2016年12月

2016年12月31日

好きな事に全力投球できない原因

カフェに行ったら、偶然野村くんがいたので、
人生観についてアドバイスしました。
  
  
【 なぜ、ポジティブな人生観を持てないのか? 】
  
というテーマについて語ってみましたが、
  
  
まず、「宝くじ」が当たったような生活を、
【 自分自身のチカラで手に入れられる 】と思っていない訳です。
  
  
それが可能なのは、
「生まれつき、特別な人だけだ」と思っているからでしょう。 
  
  
しかし、私は、
  
「何も無い所から、這い上がって成功を手に入れた」という
サクセスストーリーをたくさん見てきました。
  
  
あの人にも出来るんだったら、
自分にも出来るじゃんって思える訳です。
  
  
継続的に努力をすれば、大抵の事は成し遂げられるハズです。
  
  
しかし、ほとんどの人は、その努力が嫌いです。
  
  
なぜなら、「受験戦争に勝つ」とか、「お金を稼ぐ」とか、
  
全て、イヤな事を頑張って、結果を手に入れてきたからです。 
  
  
【 良い結果を得るためには、イヤな事を努力しなければならない 】と、
   
今までの「経験」や「常識」で、刷り込まれています。
  
  
確かに、何らかの成果を得るには努力は必要です。
  
  
そして、人間は「イヤな努力」はできません。
 
「好きな努力」なら、思いっきり出来るのです。
  
  
多くの人が、「努力できる自信」が無いのは、
  
【 自分が好きなことに対して、全力投球した経験 】が無いからでしょう。
  
  
私は、自分が好きな音楽を頑張って、上達するという手応えを感じました。
  
  
【 自分が好きな事を思いっきり頑張って、好ましい結果を得る 】
  
こういう経験を持っていない人は、多いと思います。
  
  
受験も、就職も、
全てイヤな努力を続けて、勝ち抜いてきた人は、
    
「自分の好きな努力」をしたことがないのです。
  
  
そもそも、「自分の好きな事が何か?」もわかっていません。
  
  
自分の情熱がわからない人は、
    
・自分の情熱にお金を使うことに抵抗がある
 (お金が減ったら生きていけない)
  
・他人から反対されることに抵抗がある
  
  
などの理由が大きいでしょう。
  
  
結局、「お金」や「他人」を気にしているから、
  
自分の情熱がわかりません。
  
  
そして、「お金」や「他人」の問題は、
「自力で解決できない」と思っている人は、 
  
永遠に、自分の情熱を見つける事が出来ないでしょう。
  
  
私は先日、「才能と努力は半々だ」と書きました。
  
  
好きな事に全力投球して、100%の努力をしなければ、
  
自分の才能も100%引き出すことはできません。
  
  
自分が好きな事に全力投球もしてないのに、
自分の才能を引き出してもいないのに、
  
「あの人は特別だからな、あの人は才能があるからな」
  
とは、言えないでしょう?
   
  
自分の才能も、どれほどのモノか自覚していないのに。
  
  
まず、自分の才能を100%引き出さないと、 
「あの人は特別だからな…」とは言えないでしょう。
  
  
・他人やお金に対する恐怖をクリアにして、自分の情熱を見つける
  
・自分の情熱に対して、全力投球する
  
  
そうしなければ、
  
自分の才能がどれほどのモノかわからないまま、
死んでいくことになります。
  
  
もしかしたら、自分が「特別だ」と思っていた人よりも、 
  
自分の方が才能あるかもしれませんよ。
  
  
私の場合、結構そういう事が多くありましたから。
  
  
そして、自分の情熱に対して全力投球して、
自分の才能や能力を100%引き出したら、
  
他人の役に立てる事も出てくると思います。
  
  
他人の役に立てたら、自分は豊かになれます。
  
  
そうしたら、【「宝くじ」に当たったような、豊かな生活 】を、
  
自分も出来るかも知れません。
  
  
・他人やお金を言い訳にせず、自分の情熱を見つける
  
・自分の情熱に対して、全力投球する
  
・自分の才能が引き出され、人の役に立って自分は豊かになれる
  
  
こういうステップです。
  
  
これは、誰にでも可能なステップです。
  
実際に、やる気のある人は多くないかもしれませんが(笑)
  
  
あと、野村くんと話していて、
  
「自分に自信が持てない原因」について、
【 両親の影響 】を言い訳にしている事が多いこともわかりました。
  
  
・親がこういう感じだから、自分は不幸なんだ
・親がこういう感じだから、自分は成功できないんだ
  
という感じです。
  
  
野村くんの親は、
「お前は成功できない」って言ってくるらしいです。
  
  
でも、親の意見を信じるかどうかも、自分の選択です。
  
私は、「親の洗脳を塗り替える方法」を教えています。
  
  
それをやらないのは、自分の選択で、自分の責任です。
  
  
結局、自分が良い人生を送れない原因を、「親のせい」にしているのです。
  
  
【 親の教育が悪かったから、自分の人生はパッとしないんだ! 】
  
と言い続けている限り、一生、人生は変わりません。
  
  
親の影響を受け入れたのは自分だし、
  
親の影響を塗り替える方法まで教えてもらっているのに、
  
それを本気でやらないのは自分です。
  
  
そもそも、ネガティブな親に育てられるのも自分のカルマだし、
  
それを塗り替えていくのが、今世の修行でしょう。
  
  
親との関係も、親からの影響も、
  
全て、自分が引き起こしたことです。
  
  
「自分の人生の質」について、
  
「親」のせいにして、
「親」を言い訳にしている人は多そうだなと思います。
  
  
しかし、親のせいにしている限り、人生が好転する事はありません。
  
  
「自分の問題」だと思うから、自分を変えようと思うのです。
  
「親のせい」にしている限り、自分を変えようとは思いません。
  
  
自分の人生は、「親の影響」で決まるのではありません。
  
【 自分の意志と選択 】で決まるのです。
  
  
多くの人は、その責任を背負いたくありません。
  
自分が努力しない理由を、
自分が変わらない理由を、
  
「親のせい」にしていたいのです。
  
  
そして、子育てに失敗してら、
  
「私の教育が悪かったんだわ!」と、自分を責めるのです。
  
  
親の影響が絶対的だと思いすぎです。
  
  
同じ親に育てられても、兄弟で全然違うタイプに育ちます。
  
同じ境遇で育っても、成功する人もいれば、堕落する人もいます。
  
  
「親の問題」じゃ無く、完全に【 本人の問題 】です。
  
  
どんだけ親の影響が強いと思っているのでしょうか?
  
  
一番影響力が強いのは、【 本人の意志 】です。
  
  
【 自分の意志や勇気が弱い理由を、親のせいにするのは一切止める 】
  
という事が、大切ですね。


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2016年12月30日

「人生観」と「お金」

先日、弟子の吉田さんに会った時に、
「どれくらい人生観は変わりましたか?」
  
って話をしました。
  
  
まぁ、かなり進んでいますけど、
まだまだ完全にポジティブという訳では無かったので、
  
その理由を話し合って探ってみることにしました。
  
  
で、いろいろ喋った結果、
  
・自分で「お金」を稼げる自信が無い
・自分では「お金」はどうにもならない 
  
と思っている事が、ネックになっているとわかりました。
  
  
確かに、お金で解決できる領域は多いです。
  
  
人生において、「お金の自由」を封じられたら、
かなりの部分で不自由になってしまうでしょう。
  
  
逆に言うと、
  
【 お金は、自分次第で好きなだけ稼げる! 】
  
という気持ちになれたなら、
  
「ポジティブな人生観」を持てるようになるハズです。
  
  
そこで、吉田さんに対して、
いろいろ「お金の本質」について解説した結果、
   
・自分も豊かになれる気がしてきた!
・自分もお金を得られる気がしてきた!
  
という感覚が得られたようです。
  
  
まぁ、今まで「お金」については散々語ってきましたが、
  
相手の情報を受け取る器が無ければ、
同じ話をいくらしても通じませんからね(笑)
  
  
この社会に生きるほとんどの人は、
  
【 お金を稼ぐ事は難しい 】と思っています。  
  
  
なぜなら、「雇われる」という手段しか知らないからです。
  
  
他にも、いろんな手段があるにも関わらず、
  
「雇われる」という手段しか知らないから、
経済的に苦しくなってしまうのです。
  
  
お金を稼ぐのは難しい…、それは全くの誤解です。
  
確かに、カンタンではありません。
  
  
「カンタンにお金が稼げる」などとは、決して言いません。
  
  
しかし、お金を得るためにやるべき事は、
まったく複雑などでは無く、非常にシンプルなのです。
  
  
そして、そのシンプルな事を続ければ、誰でも豊かになれます。
  
  
シンプルな事を続けるのは、大変な事かも知れません。
  
でも、続ければ豊かになれるのです。
  
  
登山やマラソンとまったく同じです。
  
  
やるべき事は、一歩ずつ歩むことです。
  
非常にシンプルです。
  
  
しかし、それを続ければ、いつか山頂、ゴールに辿り着く訳です。
  
登山やマラソンはカンタンでしょうか? そうでは無いでしょう。
  
  
歩き続けるのは、大変です。
  
  
でも、やるべき事はシンプルなのです。
  
  
諦めずに頑張れば、誰でも山頂に辿り着けるのです。
  
  
そして、もうひとつ、お金に対する大きな誤解は、
  
【 お金を受け取る事は、相手から奪うことだ 】
  
というイメージです。
  
  
経済は、【 交換 】が原則です。
  
  
・他人に価値を与えるには、自分が受け取らなければなりません。 
・自分が価値を受け取りたければ、他人に与えなければなりません。
  
   
これが、原則です。
  
  
ですから、相手に価値を与えたときに、
 
「対価・報酬を受け取ること」は、
本人が好む、好まざるに関係無く、【 避けられない事 】なのです。
  
  
もし、無償で他者に価値を与え続けようとしても、
それは過保護になりますから、長くは続きません。
  
  
過度に与える事で、相手は依存し続け、自立心を失います。
  
与える側も疲弊してくるので、いつかは破綻します。
  
  
私は、与えたい気持ちがとても強いです。
  
  
別に報酬が無くても、タダでも与えたいくらいなので、
無償でブログを書いていますが、
    
私の情報を理解できるは、他者に良い情報を与えている人です。
  
  
徳の高い人が私の記事を読めば、理解できるでしょうが、
  
徳の低い人が私の記事を読んでも、何も理解できないでしょう。
  
  
自ら与えなければ、相応の価値を受け取れないのです。
  
  
ですから、私の与える価値を存分に受け取りたい人は、
  
私にお金を払って、お客さんになってもらうしかありません。
  
  
そういう「対価を支払う気持ち」が無い人には、
私は与えたくても、与えられないのです。
  
  
私は、与えるためにも、受け取らなければならないのです。
  
  
それに、人間は助け合う事で、より大きな価値が生み出せるわけです。 
  
  
例えば、「木こり」と「大工」がいて、
  
木こりは木を切って、大工は家を建てます。
  
  
「木こり」だけでも、「大工」だけでも、家は建たないのです。
  
  
二人が協力し合って、家が建つのです。
  
協力しなければ、家は建ちません。 
  
  
この世に何も価値は生まれないのです。
  
  
人間は、それぞれ役割や才能が違う訳ですから、
  
助け合えば助け合うほど、より大きな価値を生み出せるのです。
  
  
  
【 経済は交換が原則 】という事がわかれば、
  
他者に与えれば与えるほど、自分は豊かになれると言う事です。
  
  
しかも、自分が豊かになって、誰も損する人はいないし、 
 
むしろ、自分が豊かになって喜ぶ人ばかりです。
  
  
詐欺では無く、まっとうな仕事をしてお金を得る事に、
悪い事は一切無く、良い事しかありません。 
  
  
しかし、多くの人は、
  
まず、「自分も他人の役に立てるんだ!」と思っていません。 
 
  
【 他人に高い価値を提供できる自信 】が無いのです。
  
  
まずは、その自信を身に付けなければなりません。
  
  
  
そしてもうひとつは、 
  
対人恐怖が強すぎて、他人と関係を築く事に抵抗があったり、
「他人に対する奉仕精神」が持てずにいたりします。
  
  
ですから、豊かになる為にやるべき事は、【 対人恐怖の克服 】です。
  
  
【 対人恐怖 】は、自分の豊かさにブレーキを掛ける存在です。
  
  
豊かになりたければ、
  
まず「他人に対する恐怖・対人恐怖」をクリアにする必要があります。
   
   
【 「自分も他人に高い価値を提供できる」という自信を身に付け、
  「対人恐怖」を克服する 】
  
  
これが、他人に価値を与え、豊かになる為に必要不可欠なのです。
  
  
会社からもらう給料以外にも、お金を受け取る手段はいろいろあります。
  
  
自分が勤めている会社との関係が良好でも、
  
それ以外の他人との関係が悪ければ、
他のルートからお金を得ることはできません。
  
  
自分にお金を持ってきてくれるのは、いつでも他人です。
  
  
ですから、他人との関係が良くないと、お金は手に入らないのです。
  
  
お金うんぬんより、まずは【 人間関係 】が大事なのです。
  
  
・「他人に高い価値を提供できる自信」を身に付ける
  
・「対人恐怖」を克服する
  
・他人に全力で価値を提供し続ける
   
・「お金の本質」を理解し、
 スムーズに相手からお金(対価)を受け取れるメンタルになる
   
   
それをやり続ける事ができれば、誰でも豊かになれます。
  
つまり、お金を稼ぐ事はできるのです。
  
  
対人恐怖が強い人にとっては、
  
対人恐怖を乗り越える事は、非常に大きな試練となるでしょう。
  
  
しかし、複雑な事は何もありません。
  
  
登山やマラソンと同じく、シンプルな事を一歩ずつやり続けるだけです。
  
  
大変かも知れないけど、
  
【 シンプルな事をやり続ければ、自分も豊かになれる、お金を稼げる 】
   
そういう気持ちになれたら、
   
ポジティブな人生観を持つ事が出来るでしょう。


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2016年12月29日

研究のレベルの高さ

私の研究のレベルの高さを解りやすく表すには、
  
「フェルマーの最終定理」がわかりやすいと思います。
  
  
※ フェルマーの最終定理
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%AE%9A%E7%90%86
  
  
フェルマーの最終定理は、
見た目が非常にシンプルな公式です。
  
  
「xn+yn=zn」(nは累乗)
  
【 nが、2の時は成り立つけど、3以上の場合は成り立たない 】
  
って話ですから。 
   
  
しかし、「なぜそうなるのか?」
  
というメカニズムを解明することは、容易ではなく、
  
過去、数々の数学者がメカニズムを解き明かそうとして、
できなかった数学的問題なのです。
   
※ 数学では、「メカニズムを解き明かすこと」を【 証明 】と言います。
  
  
しかし近年、そのメカニズムを解き明かした数学者がいて、
  
その人は、このメカニズムを説き明かすために、
7年以上の年月を費やしたのです。
  
「どんだけ!?」って感じですね(笑)
  
  
で、そのフェルマーの最終定理の
メカニズムを解明した論文がネット上にありますが、
  
「A4 109ページ」にも及ぶ論文となっています。
    
http://math.stanford.edu/~lekheng/flt/wiles.pdf
  
  
  
「xn+yn=zn」(nは累乗)
  
【 nが、2の時は成り立つけど、3以上の場合は成り立たない 】
  
  
非常にシンプルに見えますが、
  
そのメカニズムをきちんと理解するには、
「109ページの論文」を読んで、理解しなければなりません。
  
  
私も、
  
【 人生の質を高める = 自信が大事だ、人生観が大事だ 】
  
という、一見シンプルなメカニズムを「証明」した訳ですが、
  
「なぜそうなるのか?」というメカニズムを本当に理解するのは、
  
容易な事では無いでしょう。
  
  
「宇宙人をチャネリングしたチャネラーがそう言ってたからそうなんだ!」
  
と言ってる人は、ただの盲信であって、メカニズムの証明ではありません。
  
  
証明というのは、
  
誰もがそうだとわかる、認めざるを得ないカタチで、
「理屈」と「論理」によって証明しなければなりません。
  
  
「この公式は、宇宙人が言ってたからきっと合ってるだろう…」
  
なんて言うのとは、まったく違うんです。
  
そういう盲信している人は、まったく理屈が理解できていません。
  
  
「理屈が理解できていない人」は、
数学で言うと「公式や方程式を理解できていない人」ですから、
  
問題もきちんと解ける訳がありません。
  
  
私も、心理を研究し始めて、今で13年目です。
  
13年も研究し続けて、ようやく解き明かせたメカニズムなのです。
  
  
しかし、「フェルマーの最終定理」の様に、
  
見た目が非常にシンプルに見えますから、そのスゴさがわかりにくいのです。
  
  
「xn+yn=zn」(nは累乗)
  
【 nが、2の時は成り立つけど、3以上の場合は成り立たない 】
  
  
このメカニズムを解明することの難しさは、
  
証明にチャレンジした数学者にしかわからないでしょう。
  
  
フェルマーの最終定理は、
過去に数々の数学者がチャレンジして解けなかった問題(証明)を、
  
近年の数学者が解き明かしたという話です。
  
  
「心理、自己啓発、経済」の分野についても、
過去に数々の人がチャレンジして、解き明かせなかった問題を、
私が解いたのです。
  
  
学会ってモノがあって、そこに私が出られるなら、
論文発表したいですよ(笑)  
  
  
でも、「数学」は「スポーツ」と同じで、
  
何が正しいか、どっちが強いか、
【 誰の目にも明らか 】という分野なので良いですが、
    
  
「医療」や「科学」「歴史」「考古学」の分野だと、
  
既存の学説を覆すような、
あまりにも新しい説は、なかなか受け入れられません。
  
  
・過去を否定されたくない
・自分たちを否定されたくない
・利権が絡んでいる
  
などの理由によって。
  
  
例えば、過去にフリーエネルギーを研究・発明していた研究者も、
石油利権を持つ人々に潰されたりした訳です。
   
ニコラ・テスラも、そうやって潰されました。
  
  
革新的で、飛び抜けて優れている人は、認められないのです。 
  
  
ですから、「数学」や「スポーツ」はわかりやすいですけど、
  
その他の分野であれば、学会も完全に信頼できる訳ではありません。
  
  
研究者だって人間ですから、生きるにはお金が必要です。
  
だから、「お金がもらえない研究」は、普通やりたがりません。
  
  
研究者は、研究にお金を回してくれ、投資してくれと思っているでしょう。
  
  
しかし、私は自分の研究にお金を出してもらった事はありません。
  
全て自前です(笑)
  
  
まぁ、生活費に困って家族を頼ったことはたくさんありますが(笑)
  
  
「大学からお金もらって研究して、
 研究成果が良ければ、公に発表できて認められる」
  
めちゃくちゃ、恵まれてますよね。  
  
  
私には、そういった部分では何も無いです(笑)
  
  
何時になったら、私の研究成果が、
「アカデミックな場、公の場」に出るのでしょうか?
  
  
20代の頃から、首を長くして待っているんですけど、
  
なかなか時代が追いついてきませんね。


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2016年12月28日

人生はテーマパーク

私は、「人生」というモノを、
  
閉園時間が決まっている
テーマパークの様なものだと思っています。
    
そこで、自分の好きに、自由に時間を過ごして良い訳です。
  
  
多くの人は、テーマパークに行ったら、
  
「出来る限り効率良く巡って、
 アトラクションを出来る限り楽しみたい」
  
と思うのではないでしょうか?
  
(※ 近所に住んでいる年間パス保持者は除いて 笑)
  
  
私は小学校4年生の時に、ディズニーランドに行きましたが、
  
当日までにガイドブックを眺めながら、
「何処を回ろうか?」と、考えていました。
  
  
人生に対しても、同じような気持ちです。
  
  
閉園(死ぬ)までに、効率良く、
いろんな楽しい事を体験して巡りたいのです。
  
  
ただ、「人生」と「テーマパーク」の違いは、
  
人生には、
  
・不快、地獄エリア
・退屈、我慢エリア
・快適、天国エリア
  
の、大きく分けて3種類のエリアに分かれています。
  
  
で、閉園時間(死ぬまでの時間)は限られている訳ですから、
  
出来る限り早く、「不快・退屈エリア」から抜け出して、
  
「快適エリア」で、残りの時間を過ごしたいと思っているわけです。
  
  
「人生は苦しいことしかない」という人生観を持つ人もいるでしょうが、
  
この世には、底辺から這い上がった人もいます。
  
  
実際に、「快適エリア」で生きている人は存在していますし、
  
覚悟を決めて、努力すれば、そうなれる訳です。
  
  
  
人生を別のカタチで表現すると、 
  
ほとんどの人たちは、
【 カタログの中から選ばされる人生 】に慣れきって、
  
ゼロから自分の方向性を考えるっていう事が出来ていないんです。
  
  
高校受験、このリストの中から選んでください。
大学受験、このリストの中から選んでください。  
就職活動、このリストの中から選んでください。
  
  
例えば、レストランに入って、メニューを広げて、
  
その中に本当に欲しい食べ物がなければ、
  
別のレストランに行くって手もあります。
  
  
でも、ほとんどの人は、
  
・目の前に他人が提示してきたメニューやリスト以外のモノを選ぶ
・ゼロから、自分が本当に求めているモノを考え、選ぶ  
  
という事をしていません。
  
  
人生の全てを、【 リストの中からの消去法 】で選択しています。
  
結婚相手ですら、そんな感じで決めている人が多いでしょう。
  
  
本当に自分の理想を手に入れたければ、
    
リストの中から消去法で選ぶような、受け身の姿勢では不可能です。
  
  
「世間の常識」が用意した
人生のカタログ、メニュー、リストは全部捨てて、
  
ゼロから、自分で考え、探し出さなければなりません。
  
  
カタログ、メニュー、リストもなしに、
 
どうやって、自分の理想を見つければ良いのか?
  
  
それは、積極的に【 憧れる人物 】を探す事です。
  
  
積極的に、世の中で活躍している人を
調べてみよう、観察してみようと思えば、
  
自然と出てくると思います。
  
  
「自分が憧れる人物」とは、
 
【 自分の理想の一面を現してくれている存在 】です。
   
  
私には、憧れている人物がたくさんいます。
  
  
完全にその人になりたいって訳では無くて、
  
いろんな人の、
「この部分は自分にとって理想的だな…」という部分を、
  
自分の人生にも取り入れたいという事です。
  
  
・「経済力」で憧れるのはこの人
・「外見」で憧れるのはこの人
・「教育者」で憧れるのはこの人
・「研究者」で憧れるのはこの人
・「政治家」で憧れるのはこの人
・「ポジション」で憧れるのはこの人
  
という風に、
  
いろんな人の、自分にとって理想的なパーツを、  
自分に組み込んでいる訳です。
  
  
で、「憧れの人物」を見つけたとしても、
  
それを素直に目指せない、また一つの大きな抵抗が生まれます。
  
  
それは、【 特別な人間 】というコンセプトです。
  
  
世間で活躍している人を見て、
  
「あの人は、生まれつき特別だから…」
  
と言うような、発想です。
  
  
私は、「生まれつきの身分」って言うのが嫌いです。
  
  
貴族の生まれだろうが、
ろくでもないヤツはろくでもないし、
  
スラム街の生まれだろうが、
素晴らしい人間性と才能を備えた人はいます。
  
  
貴族の生まれだからと言って、
ロクデナシでも、さも偉い存在かのように扱う。
    
スラム街の生まれだからと言って、
素質ある人間でも、価値が低い存在かのように扱う。
  
  
そういう風に、
実力主義で無く、不公平に扱われる事が嫌いです。
  
  
私は、「先天的な才能」と、「後天的な努力」は、
半分半分だと思います。
  
  
確かに、どんなに努力しても乗り越えられない、
「先天的才能の差」ってモノは存在していて、
  
野球少年の誰もが、イチローみたいになれる訳では無いと思います。
  
 
先天的才能を持っている人は、過去世で努力してきた人です。
  
それを、今世一代だけではひっくり返せません。
  
  
しかし、どれだけ「先天的な才能」に恵まれていても、
努力をせずに堕落している人もいます。
  
  
類い希なる才能を持っていても、
麻薬に溺れて堕落していくスポーツ選手も存在しています。
  
ミュージシャンも、そうです。
  
  
【 特別な人間 】というコンセプトを信じている人は、
  
おそらく、90%くらいは、
先天的才能で決まっていると思っているでしょう。
  
しかし、それは違います。
  
  
人生は、予め勝者が決まっている出来レースなどではありません。
  
  
「先天的才能」が50%
「後天的努力」が50%
  
として、
  
先天的才能を「引き出す」のが後天的努力だとしたら、
  
後天的努力を「5%」しか頑張っていない人は、
自分の先天的才能も、「5%」しか引き出せていないと言う事です。
  
  
そうだとして、自分はその50%の後天的努力を
MAXまで頑張っていると言えるでしょうか?
  
  
そうで無ければ、
まだまだ自分には「伸び代がある」と言う事です。
  
  
もちろん、努力は義務ではありません。
  
真面目に生きなきゃいけないって事もないですし、
努力しなきゃいけないって事もないです。
  
  
私は、自分の幸せの為に努力する訳だし、
  
自分の幸せに繋がらない努力など、微塵もしたくありません。
  
  
・人生には「幸せエリア」が存在する
  
・その「幸せエリア」に行けるのは、
 生まれつき特別な人間などではなく、
 「後天的努力」を絶やさなかった人間である
  
  
そういう前提を理解した上で、
  
・人生の「幸せエリア」に行きたいのかどうか?
・自分は理想を手に入れたいのかどうか?
・その為に、努力を続けたいと思うのかどうか?  
    
と言う事を、考えていく必要があります。
  
  
別に、絶対に幸せにならなきゃいけないって事もありません。
  
ポジティブな選択をしなきゃならないって事もありません。
  
 
自分は何を選択しても良いのです。
  
  
もし自分が「不快エリア、退屈エリア」で人生を過ごしても、
誰にも文句を言われる筋合いはありません。
  
  
それぞれのエリアの「メリット・デメリット」を総合的に判断して、
  
他でもない【 自分の為 】に、決めれば良いのです。
  
  
人生観がネガティブな人は、
  
【 特別な人間 】というコンセプトを強く信じていると思います。
  
  
私は、「特別な人間などいない」と思っています。
  
  
先天的才能に恵まれていても、堕落する人もいるのです。
  
  
世間で活躍し続けられる人は、後天的努力を怠らなかった人です。
  
そこが、尊敬に値する部分だと思います。
  
  
それは、義務感のイヤイヤやっている努力では無く、
  
【 自分自身の長期的幸せの為の努力 】です。
  
  
私に対して、
  
「中井さんは生まれつき特別だからなぁ…」なんて言われても、
まったく嬉しくありません。
  
私は、血がにじむような苦労と努力を重ねていたので、
どっちかというと、そっちの方を評価して欲しいです。
  
  
誰でもそうだと思います。
  
  
「生まれつき恵まれてていいね!」なんて言われるより、
  
「普通の人が諦めそうな所でも、めちゃくちゃ頑張ってるね!」
って言われた方が嬉しいでしょう?
  
  
「最終的な結果」しか評価しないから、ネガティブなのです。
  
  
本当に大事なのは、【「プロセス」と「努力」 】です。
  
  
結果で評価するってことは、まぐれの一発屋でも評価するって事です。
  
  
しかし、まぐれは続きませんし、
  
コンスタントに結果を出し続けるには、
  
確固とした【「プロセス」と「努力」 】が必要です。
  
  
安定的に良い結果を出し続ける為にも、
  
「プロセス」や「努力」を高く評価しなければならないのです。
  
  
人生における「幸せエリア」に行けるのは、
  
特別な人間では無く、後天的努力を怠らなかった人間。
  
  
・恐怖やネガティブ感情と向き合い続ける
・自分の幸せや理想について考え続ける
  
  
そういう【 継続的な取り組み 】を続けた人間です。  
  
  
「特別な人間」というコンセプトは、
  
自分が内面と向き合う努力を怠ける言い訳にしか過ぎません。
  
  
「特別な人間などいない」と自分の意識に刷り込むことも、
  
ポジティブな人生観を持つ上で、必要な事です。


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2016年12月27日

貧富のメカニズム

最近、楽天マガジンというアプリを、
iPadにインストールしました。
  
定額で、雑誌が読み放題のサービスです。
  
 
私は、普段雑誌を買ったりしないのですが、
  
いろんな雑誌の、読みたい記事だけ抜粋して読めるなら、
コストパフォーマンス的に良いんじゃ無いか?
  
と思ったからです。
  
  
で、私は社会問題に関心があるので、
「貧困特集」の記事を読んでみました。
  
  
で、経済的に貧しい人の生活っぷりが描かれているのですが、
  
私は、「何とかしてあげたいな」って気持ちが湧いてきます。
  
  
私も、不幸、貧乏は経験済みですから、
 
【 他人の苦しみに共感できるから 】です。
  
  
むしろ、「そんなに苦しんでいない人」には共感できません(笑)
  
  
で、発展途上国とは違ってチャンスだらけの日本において
なんで貧しさから抜け出せない人がいるのか?
  
って事なんですけど、
  
それは、【 貧富の差を生む原因・メカニズム 】が、
  
世の中に理解されていないからだなって思う訳です。
  
  
貧しい人は、「なぜ自分が貧しいのか?」
  
と言う事を、理解していないと思います。
  
  
まぁ、富める人も、「なぜ自分が富んでいるのか?」
  
を、理解していないと思いますが。
  
  
巷で「成功法則」や「成功哲学」が学ばれていても、
成功する人が少ないのは、
  
その【「成功法則」や「成功哲学」が不完全だから 】です。
  
  
人々は、【 貧富の原因 】が正確に理解できていないのです。
  
  
今まで、非常に非常にたくさんの人々が、
「貧富」をテーマに研究してきたと思いますが、
  
根本原因・根本メカニズムに辿り着いた人は(ほぼ)いない訳です。
  
     
私を除いて(笑)  
  
  
私は根本原因に辿り着きましたからね。
  
  
貧しい人の多くは、「条件の良い仕事」を求めていると思います。
  
そして、
  
【「条件の良い仕事」が無いから、自分は貧しいんだ 】と思っています。
  
  
そして、「条件の良い仕事」には、「資格」が必要で、
  
資格を取らなきゃいけない、頭が良くないといけないと思っている。
  
  
それが、【 世間の常識 】でしょう。 
    
  
それが、間違いですね。
  
  
難関試験を突破した弁護士ですら、
経済的に豊かで無い人もいるのです。
  
  
資格を取った人が、全員豊かになれる訳ではありません。
  
  
逆に、資格が無くても豊かな人はいます。 
  
  
私も資格を持っていませんから(笑)
  
  
  
豊かな人は、
  
・社交性がある、人間関係を大切にしている、対人恐怖が少ない
・自分は他人に高い価値を提供できると思っている
  
という所が本質的な部分なのです。
  
  
要は、「自信」と「社交性」です。
  
  
その二つが備わっている人は、積極的に行動します。
  
そして、行動するから、良い結果が生まれるのです。
  
  
貧しい人の多くは、自分に自信が無く、対人恐怖も強いのです。
  
  
対人恐怖が強いと、社交性が低くなりますし、
社交的で無い人は、会社組織にいても上手く馴染めません。
  
  
私の弟子の佐々木さんという人は、
  
まぁ、元々社交性に乏しい人でしたけどね。
  
  
私の指導・サポート、本人の努力・経験で、
今ではかなり社交性が高まりました。
  
  
だからこそ、【 より条件の良い仕事 】が得られるのです。
  
  
さらに、「自信」と「社交性」が高ければ、
職場でも上手く馴染めますし、同僚からも重宝されます。
  
  
こういうメカニズムが広く広まれば、
  
学校教育や、行政の行う職業訓練などの質も上がるでしょうけどね。
  
  
まぁ、資格を取ることで、自信に繋がる人もいますし、
  
それが本人にとっての自信を得る為の許可証であれば、
それでもいいんですけど、
  
資格取得じゃ無くても自信は身に付けられますし、
  
根本は、【 自信 】だという事です。
  
  
「じゃあ、自信と社交性ってどうやったら高めたらいいの?」
  
って話になったときに、私の創ったメソッドが極めて有効な訳です。
  
  
「自信と社交性が備わっている人が、
 さらに豊かになるには、どうすれば良いのか?」
  
って話もありますし、それについても私は語れますが、
  
まずは「基本・基礎」が大事です。
  
  
で、自信を高める方法を教えても、自分の為にやらない人は、
  
「自分の幸せの為に何かをする事」を許せていません。
  
  
そういう人は、人生観自体がネガティブです。
  
  
キリスト教の、「生まれながらにして罪を背負っている」
  
という概念でも信じているのでしょうか。
  
  
そんなのは、民衆をうまくコントロールする為に、
為政者が創り上げたウソっぱちです。
  
  
奴隷DNAの影響で、それを信じてしまうのでしょう。
  
  
「人生観を塗り替える方法」を伝えて、
それでもダメな人については、今は研究中ですが、
  
テロリストに世界平和のヴィジョンを理解させられないように、
  
何事にも、他人に理解させるには限界があります。
  
  
私は、どんなにわかりやすく伝えても、
  
相手が理解する気がなければ、
感情的になって、論理的思考など吹っ飛んで、
  
まったく理解できないという事を知っています。
  
  
だから、価値ある情報に触れても、
それを積極的に吸収しようとしない人は、そこまでだと思います。
  
  
それでもダメな人は、現実で苦しむしか無いと思います。
  
  
この世の不幸は、
「不幸な人、貧しい人が存在している事」では無く、
   
人生を変えられる素質ある人にチャンスや情報が届いていない事です。
  
  
「チャンス」や「情報」を得ていても、
自分の人生を変えようとしない人も、たくさんいます。
  
  
むしろ、「チャンス」や「情報」が目の前にあっても、
変わろうとしない人の方が多いでしょう。
  
  
高次元存在は、
常に「チャンス」や「情報」をもたらしてくれています。
  
  
それを受け取ろうとしない人は、もうどうしようも無いのです。
  
  
ただ、「チャンス」や「情報」が充分に広まっているか?  
  
というと、そうでも無いと思います。
  
  
ですから、「チャンス」や「情報」を広めることには、
  
意義があると思う訳です。


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2016年12月26日

「力(技術)」と「心(精神)」

「人工知能」が発達すれば、
人間の仕事を脅かすんじゃ無いか? という、
  
「漠然とした不安」を
感じている人も多くいると思います。
    
  
中には、「開発を抑制するべきだ」なんて人もいますけどね。
  
  
しかし、「テクノロジーの発達」というのは、
基本的には喜ばしい事です。
  
  
テクノロジーが発達すればするほど、
【 人間は退屈な作業から解放されるから 】です。
  
  
「洗濯機」が無かった時代は、
寒い冬でも、「洗濯板」を使って洗濯していた訳ですよ。
  
  
「苦しみ」や「退屈な作業」「不便さ」から解放してくれるのが、
テクノロジーです。
  
  
産業革命は、
多くの失業者を生み出したと言われています。
  
  
「コンピュータ」「とインターネット」の登場によって、
既存の仕事が無くなった人もいるでしょう。
  
  
しかし、次はコンピュータとインターネットを
使いこなすという仕事が増えました。
  
「Web制作会社」なんて言うのは、その代表例です。
  
  
SNS関連、スマートフォン関連の仕事も、
今までは存在していなかったのに、新しく生まれたでしょう。
  
  
人工知能が発達するというのであれば、
  
・人工知能を使って何ができるのか?
・人工知能を使った、どういう新しい仕事が生まれるだろうか?
   
という事を考えた方が、生産的です。
  
  
要は、
  
【「人工知能を使いこなす側」に立つ事 】を考えた方が良い訳です。
  
  
退屈な仕事から解放されるのが、テクノロジーのメリットですから、
退屈な仕事をして、給料をもらっている人は困る事になるでしょうし、
  
逆に、
  
「こんなしょうもない仕事、やっていたくないよ!
 もっと価値ある、意義ある、レベルの高い仕事をさせてくれ!」
  
って思っている人にとっては、テクノロジーは追い風になります。
  
  
  
しかし、テクノロジーの発達は、無条件に喜ばしい事ではありません。
  
  
テクノロジーは、言い換えると「強大なパワー」です。
  
  
その「強大なパワー」を使いこなす、「人間の心」が発達していないと、
  
そのパワーを「破壊」や「自滅」に使ってしまいます。
  
  
「核兵器」や「原子力発電所」もそうですが、
人間には使いこなせていない訳です。
  
  
要は、「技術力(知性)」と「精神性」は、
  
【 バランス良く発達させなければならない 】と言う事です。
  
  
「技術」と「精神」のバランスの崩れを例えるならば、
  
【 未熟な赤ちゃんに、鉄砲を持たせるようなモノ 】です。
  
危険極まりない。
  
  
「お金」もパワーの一種ですが、
バカにお金を持たせても、浪費や無駄遣いばかりしますし、
  
お金も、ポジティブな目的に使える人に持たせた方が良いわけです。
  
  
と言う事で、
  
どちらかというと「精神性」の方が大切であって、
  
「技術力」が無くても、「精神性」が高い状態の方が、
不便かも知れませんが、平和に暮らせます。
  
  
逆に、バカに「強大なパワー」を与えたら、
何をやらかすかわからなくて、ハラハラしてしまうでしょう。 
  
軍隊の司令官を、アホに任せるようなモノですからね。
  
  
私の過去世のニコラ・テスラは、「科学技術のプロ」でしたが、
  
「技術」で世の中を変えられる限界を知って
次は、「精神」を追求したくなったのかも知れません。
  
  
「知性」と「精神性」は違います。
  
  
「知性」は高くても、「精神性」が低かったら
それは、マッドサイエンティスト(悪の科学者)です。
  
  
ロックマンで言うところの、ワイリー博士です。
  
  
「知性」や「技術」を安全に使いこなせる「精神性」が伴わなければ、
  
知性や技術は安全に運用されないのです。
  
  
現代社会では、科学技術の価値は認められているので、
  
ほっといても発展していくでしょう。
  
  
しかし、「精神性の価値」は「科学」ほど認められていません。
  
  
要は、世の中には
  
お金や支配に目がくらんでいる「ワイリー博士タイプ」の人間が、
たくさん存在していると言う事です。 
  
  
「科学技術」に対して、「人類の精神性」が追いついていないので、
  
私は、【 人類の精神性を高める仕事 】をやっているのでしょう。


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2016年12月25日

時間を生み出す仕事のリスク

私は、麺類が好きです。
  
さらに、麺類の中でもラーメンが好きです。
  
   
近所にラーメン屋が新しくオープンすると、
必ず食べに行きます。
  
ただ、リピーターになる確率は半々くらいですね。
  
  
ラーメンが好きと言っても、
遠方のラーメン屋に出かけて食べに行くほどではありません。 
  
  
私にとってラーメンとは 日常食なので、
近所だからこそ意味があります。
  
遠方に出かけたなら、ラーメン屋よりも、
現地の高級レストランに行きたいですね。
  
  
最近、近所にまた新たなラーメン屋ができました。
  
「うまい麺には福来たる」
http://umaimenpuku.jp/
  
  
で、どんな感じなのか見てみると、
見た目が「人類みな麺類」にそっくりです。
  
http://www.jinrui-minamenrui.com/
  
  
おそらく、料理から内装、接客まで、
かなりの部分をマネ(コピー)していると思います。
  
  
「人類みな麺類」は、
  
数年前に近所にオープンしたラーメン屋で、
オープン当初は並ばなくても入れたのに、
  
最近は長蛇の列ができている超人気店です。
  
  
私は時間を重要視していますし、並んでまで食べたくないので、
行列ができるようになってからは、あまり行っていませんけどね。
  
  
で、ラーメンの話は実はどうでも良いのですが、
  
【 商売って言うのは、「マネされて当然だ」】と思う訳です。
  
  
「マネされるのが当然だ」って言う前提で商売を考えていかないと、
  
そうでなければ甘い認識だと思う訳です。
  
  
私は、時間が自由な働き方がしたいと思って、
  
「時間が自由になる仕事」とは何か? を研究しました。
  
  
私の結論は、
  
・「時間労働、肉体労働」ではない、「頭脳労働」を行う
  
・「優秀な部下や弟子」を育てて、末端の仕事を任せられる様にする
  
・クリエイティブな仕事を行い、
 「知的財産」を構築し、ロイヤリティ報酬をもらえるような仕事をする
 
・「圧倒的なブランド」を構築し、営業や集客にそれほど労力を掛けなくても、
 仕事が成り立つようにする
  
  
ということです。
  
  
  
私は、上記の通りに仕事をしているから、時間があります(笑)
  
  
「時間がある」と言っても、決して暇をしているわけではありません。
  
  
「他人に時間を拘束されない」という意味での自由であって、
  
何か意義のある生産性の高い活動をしていないと気が済まないので、
無駄に私の時間を奪うような人とは会いたくありませんし、
  
私は自由な時間をほとんどすべて、「研究」か「頭脳労働」に充てているので、
決して、暇ではないのです。
  
  
で、私は「時間の自由が確保できる働き方」を目指してきましたが、
  
それにはリスクがあります。
  
  
それは、
  
・自分が苦労して創った「発明品」や「創作物」をコピーされること
 
・自分が苦労して育てた部下が自分から離れて独立し、
 自分の商売敵になってしまう事。
  
です。
  
  
私にとって、これは絶対に避けたい事でした。
   
  
効率を何よりも大切にし、無駄が嫌いな私にとって、
「苦労が水の泡」っていう事態が、一番イヤなのです。
  
  
斎藤一人さんも、小俣さんという弟子が離れて、
独立されされたようですが、
  
そういう事態は、出来る限り避けたい事です。
  
  
・苦労して作った「発明品・創作物」がコピーされる
・苦労して育てた「部下」が自分から離れて敵になる
  
  
こういう事態を避けるにはどうすれば良いか?
  
めちゃくちゃ考えました。
  
  
で、その対策を考えながら、仕事をしてきたので、
   
私は、マネされることも、弟子の離反も、まったく怖くありません。
  
  
既に、先回りして考えて、
そういう事態を回避する方法を考え尽くしてきました。
  
  
「自分の仕事や商売がコピーされて、
 無断でマネしたモノを売るなんて、何てヤツだ!」と、
  
文句を言いたくなる気持ちはわかりますが、
  
もともと、
【「ビジネスモデル」も「商品」も、マネされるモノなんだ 】
  
という前提で考えた方が良いですね。
  
  
仕事はマネされるからこそ、
一回すごいモノを作ったからと行って、安心は出来ません。
  
自分自身が成長を続けなければ、ポジションは維持できないのです。
  
  
マネやコピーされて、困ってしまうとしたら、
「カメとウサギの童話」のウサギの様に、
  
他より先に進んでいるからと言って、気を緩めてしまったからです。
  
  
成長に手を緩めて、サボってしまったツケは、
必ず後から返ってくるようになっているのです。
  
だから、目先で調子が良いからと言って、一切気が抜けないのです。
  
それが人生であり、商売なのです。
  
  
ちなみに、私は無断でマネしたりはしませんし、
  
自分が影響を受けたソース(情報源)は、ちゃんと公開しています。
  
  
私は、「質の高い情報」を教えてくれることに対して、
  
「感謝」と「リスペクト」がありますからね。
  
  
無断でマネしたモノを、我が物として売るような人は、
「先人に対する感謝」が足りませんし、
  
もし、「質の高い情報」を教えてくれる事に感謝をせず、
無断で他人からコピーした様な情報を売っているとしたら、
  
そういう人は、
「質の高い情報」に対する感謝が足りないので、
    
その人からは、「質の高い情報」が離れていくでしょう。
  
  
「感謝しないモノ、相応の価値を感じていないモノ」は、
自分から離れていく様になっています。
  
  
なぜ、私が、
マネされることも、弟子の離反も、まったく怖くないのか?
  
という事については、
細かい話になるので、ここでは書きませんが、
  
  
弟子に対して言えることは、
  
「将来的に離反してもいいけど、
 もし離反するならちゃんと成功してからにしてくれ」って感じです。
  
  
成功する前に私から離反しても、成功できる訳が無いのですから。
  
  
商売も、人生も、厳しい世界なのです。
  
  
でも、「厳しい世界なんだ」っていう前提で考えれば、
  
それが普通で当たり前なんだと思います。
  
  
商売、人生、現実を、「甘い世界だ」と勘違いしている人ほど、
  
自分が上手く行かない事を「他人のせい」にして、文句を言うのです。
  
  
【 そもそもが「厳しい世界」なんだ 】って思ったら、
  
別に文句も出てこないモノです。


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2016年12月24日

机上の空論

霊的に成長していく上で、一番の試練となるのが、
  
・「厳しさ」の価値を認める   
・「厳しさ」を許し、受け入れる
  
という事だと思います。
  
  
私は、
  
・知る
・理解する
・体得する
  
は、それぞれ全然違う事だと言っています。
  
  
例えば、野球において、
  
「ホームランとはどういう状態か?」を知っている事と、
「実際にホームランを打てること」は、全然違いますよね?
  
  
しかし、スピリチュアルについて語っている人の多くは、
  
自分は「内野ゴロ」しか打てないくせに、
「ホームランの打ち方」を偉そうに語っている様な人が多いです。
  
  
「ホームラン」を知っているだけで、
「ホームランの打ち方」を教えられると思っているのです。
  
  
しかし、「ホームランの打ち方」を教えられるのは、
「実際にホームランを打てる人」です。
  
  
スピリチュアルに興味のある人の中でも、
「厳しさ」を否定している人は多いです。
  
  
しかし、「経営者(の多く)」は、厳しさを受け入れている人種ですから、
  
社会貢献を真剣に考えている経営者の方が、
  
「内野ゴロしか打てないスピリチュアルワーカー」よりも、
霊的に進化しているという事です。
  
  
経営者は、「机上の空論を語るだけ」で無く、
実際に奉仕や貢献を【 具現化 】している訳ですからね。
  
  
例えば、私はこれまで修行を積んできて、
  
「厳しさ」や「冷酷さ」を許し、受け入れていますし、
「厳しさ」や「冷酷さ」の価値を認め、理解しています。
  
それに、お金に対する不安も一切ありません。
  
  
よく、スピリチュアルを語る人は、
 
「宇宙の無限の豊かさを感じよう! 信頼しよう!」
などと言っていますが、
  
【 本当に自分は出来てるのか? 】 と思います。
  
  
「厳しさ」や「お金」に関する試練を乗り越える事は、
  
霊的成長において非常に重要なポイントですが、
  
自分が出来ていないのに、人に教えられる訳がありません。
  
  
それは、「机上の空論」とか、「絵に描いた餅」とか、
「取らぬ狸の皮算用」とかいうのです。
  
  
要するに、想像だけで中身が伴っていないのです。
  
  
スピリチュアルを語る多くの人たちは、
  
「野球をあまり知らない人」に対して、
自分は「内野ゴロ」しか打てないくせに、
堂々と「ホームランの打ち方」を語っている様なモノです。
  
  
「スピリチュアルをあまり知らない人」に対して、
それほど「自分の望み」を実現させていないくせに、
偉そうに「引き寄せの法則」を語っているのです。
  
  
自分は金持ちじゃ無いクセに、
「金持ちになる方法」を堂々と語っている様な人が多いのです。
  
  
それは、「傲慢病、天狗病」です。
  
  
そういう人は、時代が進むにつれて、
  
偉そうに他人に「ホームランの打ち方」を語ってきたけれども、
実際には、自分は「内野ゴロ」しか打てないんだ…
  
と言う事に、気付いていくと思います。
  
  
私は、ホームランが打てるから、
ホームランの打ち方を語れます。
  
(※ 私は野球をやっている訳では無く、「比喩」ですよ 笑)
  
  
私は、
  
厳しさや冷酷さを許し、受け入れています。
厳しさや冷酷さの価値を認め、理解しています。
  
それに、お金の試練も乗り越えてきて、
現在は「お金に対する不安」が一切ありません。
  
  
それこそ、「宇宙の無限の豊かさ」を感じている訳です(笑)
   
  
スピリチュアルを語る人は、「地に足が付いていない人」が多いです。 
  
ですから、自分も実現できていない様な、「机上の空論」を語るのです。
  
  
経営者は、地に足が付いていないと成功できませんから、
  
スピリチュアルに理解があって、
経済的にも成功していて、社会貢献を考えている経営者の方が、
  
自分がホームランを打てると勘違いしている
スピリチュアルワーカーよりも、
  
「霊的に成熟している」と言う事なのです。
  
  
スピリチュアルワーカーの多くは、
  
自分は引き寄せの法則とか、愛について語っているけど、
  
・自分はホームランを打てない
・自分は内野ゴロしか打てない
  
という、「自分の未熟さ」を直視した方が良いと思いますね。
  
  
そうしてこそ、バランスが取れるのです。


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2016年12月23日

ポジティブな概念を理解するのは容易では無い

最近、人と話していると、
  
「中井さんと話していると、頭を使って疲れる…」
  
と言われます。
  
 
まぁ、私と話すと、
普段は使っていない頭を強制的に使わさせられますからね(笑)
  
  
例えば、【 自分にとって、何が幸せなのか? 】
  
というテーマは、他人から教えてもらえる訳では無く、
  
自分で考えていく必要があります。
  
  
人によって「好きな食べ物」は違いますけれど、
  
自分の好きな食べ物は、
他人から教えてもらう訳ではありませんよね?
  
  
「自分の好み、自分の幸せ」を見つけるのは、
他人の仕事では無く、自分の仕事です。
  
  
「自分の人生を他人に何とかしてもらおう」と思っている人ほど、
      
普段、他人の命令に従うだけで、自分の頭を使っていません。
  
  
幸せになるには、
「自分にとって何が幸せなのか?」を自覚する必要があります。
  
それは、他人が教えてくれるモノではありません。
  
  
ですから、
  
幸せになるには、自分の頭を使って考える事が必須なのです。
  
  
私は、考える事が好きなので、それが苦になりませんけどね。
  
   
私にとって考える事は、「なぞなぞ」を解くようなもので、
  
答えが解った瞬間のスッキリ感、爽快感が好きなのです。
  
  
しかし、私みたいに考える事が好きな人ばかりではありません。
  
  
私は筋トレが好きか?って言われると、好きではありません。
  
必要だからやっている感じです。
  
  
でも、筋トレがめちゃくちゃ好きな人もいますからね。
  
  
でも、引き締まった身体を手に入れる為に、筋トレが必要な様に、
  
【 幸せになるためには、考える事は必須 】です。
  
  
で、私はいつも、「ポジティブな概念」を
他人に理解させようとしていますが、
  
私にとっては「楽しくすんなりと出来る事」でも、
他の人にとってはそうでない様で、
  
【「ポジティブな概念」を理解する事 】って、
  
めちゃくちゃ頭を使う事なんだなって思います。
  
  
私の記事も、頭を使って読まないと、
  
まったく理解できないと思います。
  
  
考えずに流し読みしている人は、何も理解できていないのと同じです。
  
  
常識に染まった考えをして生きてくると、
  
意識が、「ネガティブな概念」に染まっています。
  
  
その概念を塗り替えようとしたとき…、
  
【 今まで信じてきた事と「違う事」】を言われるわけです。
  
  
人間にとって、
  
【 今まで信じてきた事を塗り替える 】
  
という行為は、非常に頭脳に負担がかかる事です。
  
  
例えば、今まで自分が悪いと決めつけてきたことに対して、
  
「実は、全然悪く無いんだよ!」って言われたときに、
  
「え?どういう事?」と、混乱すると思います。
  
  
で、「新しい概念」が正当かどうか、検証する事になります。
  
  
その【 検証 】に、めちゃくちゃ頭を使うのです。
  
  
「本当に悪く無いの? 本当に?」 と、
  
新しい概念が正しいのかどうか、自分で納得するまで考えます。
  
  
そして、考え抜いて、腑に落ちて、心底納得できて、
  
ようやく、【 新しい概念 】を採用する訳です。
  
  
ですから、【 自分の持っている概念を塗り替える 】というのは、
  
「超」が付くほどの「頭脳労働」な訳です。
  
  
例えば、私は「お金って奪い合うモノじゃ無いんだよ」と人に言います。
  
「お金って、助け合えば増えるんだよ」って言います。
  
  
それが真実なのですが、
  
今まで「ネガティブな概念」に染まってきた人は、
  
それをカンタンに信じる事がでいません。
  
  
私が「例え話」を使って、「わかりやすい話」を何度もして、
  
ようやく、理解できてくるのです。
  
  
理解には、検証(シミュレーション)が必要ですからね。
  
  
で、他人の命令に従いたい、他人から答えを教えてもらいたい
  
という、奴隷根性に染まっている人ほど、
   
【 自分が新しい概念を理解する 】ことでは無く、
  
「手っ取り早く、自分が何をしたら良いのか教えてくれ!」
  
という、目先の方法論に依存した態度になります。
  
  
しかし、自分の頭で「新しい概念」を理解しなければ、
  
「目先の方法論」を教えてもらっても意味がありません。
  
  
「奴隷人間」から「自由人間」になればなるほど、
  
他人の命令に従うのでは無く、
「自分自身が理解しなければならない」という態度に変化していきます。
  
  
奴隷人間は、
  
・他人の指示や命令を待つ
  
・その分、自分の頭を使って考えない
  
・「なぜ、それをするべきなのか?」という【 目的 】では無く、
 「とりあえず何をすれば良いのか?」という【 表面的な行動 】を知りたがる
  
という感じです。
  
  
まず、「奴隷人間」から脱却しない限り、
  
自分の頭を使って、「ポジティブな概念」を理解する事も出来ません。
  
  
全ての人間に、「自由意志」は元々備わっている性質です。
  
   
【 自分に自由意志は無い 】というのは、勘違いなのです。
  
  
例えば誰かが、
「どうしてもこうしたい!」という頑なな意志を持てば、
  
それを、他人が止める事は出来ません。
  
  
肉体は止められるかも知れませんが、意志は止められません。
  
  
それは、【 自由意志は他人から侵害できない 】という証拠です。
  
  
全ての人に、自由意志が許されています。
  
許されていると言うよりも、元々備わっている性質です。
  
  
自分には、完全な自由意志が許されている。
  
  
例えば、自分がやろうとした事に対して、
親が反対してくるかも知れません。
  
  
でも、
  
親に刃向かう自由意志もありますし、
親に従う自由意志もあります。
  
  
どちらにしろ、自分の自由意志によって決める選択です。
  
  
親のせいで、自分の自由意志が侵害された!と思うのは、勘違いです。
   
ただ、自分の意志が弱いのを、他人のせいにしているだけです。
  
  
本当に、強い意志を持っていれば、親に刃向かうことだって可能です。
  
  
そうしなかったのも、自分の自由意志によって決めたことです。
  
  
自分に自由意志が無いと感じるのは、
  
自分の意志が弱い事を、他人のせいにしているからです。
  
  
他人に自由意志を侵害されたのではありません。
  
反対されたときに、「自分が折れる」という選択をしたのです。
  
  
自分の意志によって、
親の態度は変えられません。 自分の個性も変えられません。
  
自分の意志では変えられないモノはあります。
  
  
でも、その「変えられないモノ」に出会ったときの、
自分のリアクション(反応)は、自分の自由意志に委ねられています。
  
  
まず、自分の意志には、完全な自由が備わっています。
  
それは、誰にも侵害できないのです。
  
  
自分の意志が他人に影響されたと思っても、
  
影響される事を選んだのも、自分です。
  
  
他人の影響を「撥ね除ける選択」も自分にはあったわけですから。
  
  
カンタンに自分を取り巻く環境は変えられないかもしれませんが、
  
人間には、「選択の自由、意志の自由」が備わっています。
  
  
どんな選択をしても良いのです。
  
どんな意志を持っても良いのです。
  
  
それは、誰にも邪魔されません。
  
  
自分のやろうとしている事を他人に話したとき、
反対されるかも知れません。
    
  
でも、他人は動かせませんから、
  
・他人の反対を押し切って、自分のやりたい事をやる
・他人の意見に流されて、自分が折れる
  
どちらを取るか?は、自分の自由に選べます。
  
  
もし、他人の自由意志に影響できたら、
  
テロだって止められるハズです。
  
  
でも、「どうしてもテロをやりたい!」って言う人を、
他人が止められないから、テロが起きます。
  
  
あなたがやろうとしている事も、  
他人が止められる訳では無いのです。
  
  
他人の話は参考にするかも知れませんが、
  
最終的に、やるか?やらないか?は、自分の意志で決める事です。
  
  
まず、自分には
  
【「選択の自由、意志の自由」が、元々備わっている 】
  
その理解が必要ですね。


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haxe501 at 15:25|Permalinkclip!

2016年12月22日

「統計」と「法則」

巷の「心理学、経済学、教育学」
に関する記事や情報を読んでいると、
    
本当に「レベルが低い!」と感じます。
  
  
「言われる側」はイヤかもしれませんが、
事実なので仕方ありません。
  
  
まず、巷の「心理、経済、教育」を語る人の多くは、
  
【 統計データ 】を元に、自分の理論を構築していますが、
  
  
そもそも、【 統計 】を理論の軸にしている時点で、ズレています。
  
  
科学者という人種は、「自然の法則」を解明しようとしていますよね?
  
  
例えば、トーマス・エジソンと、ニコラ・テスラは、
  
電力の供給に「直流が良いか? 交流が良いか?」
  
と言う事で、論争しました。
  
  
結果的に「交流」が採用されましたが、
交流になった理由は、統計学じゃないんですよ。
  
  
自然の法則的に、「交流の方が効率が良い」と、
  
完全に解明されたので、交流が採用されました。
  
  
アインシュタインは、
「E=mc2」という法則を発見しました。
 
これも、統計によって導き出された訳はありません。
  
  
円周率は、3.14…というのも、
「統計」では無く、「法則(定理)」です。
  
  
「統計」と「法則」では、【 確実性 】に雲泥の差があります。
  
  
巷の「心理学、経済学、教育学」では、
【 統計データ 】を軸に考えられていますが、
  
統計である限り、確実ではありませんし、
本質を捉えられている訳ではありません。
  
  
統計データを軸に考えていては、
  
「表面的に現れてくる傾向」しかわかりません。
  
  
例えば、統計って言うのは、
  
子供を100人集めてきて、
AとBのグループに分けて、
  
Aのグループには、こういう風に接して、
Bのグループには、こういう風に接して、
  
Aグループの子供達には、こういう傾向が出た。
Bグループの子供達には、こういう傾向がでた。
  
そんな事を調べたって、
  
「なぜそうなるのか?」
  
という【 メカニズム 】を理解できている訳ではありませんから、
  
【 100発100中の、確実に根本解決できる方法 】など、
  
導き出せる訳がないのです。
  
  
なぜ、巷の人々は、「心理学、経済学、教育学」を
統計を頼りに研究しているのでしょうか?
  
  
統計なんかで、真に効果的な方法など解明できないのに。
  
  
私は、「心理学、経済学、教育学」を、統計では無く、
  
科学者と同じく、【 法則を追究する視点 】で研究しています。
  
  
法則でわかるのは、表面的に現れてくる傾向などではありません。
  
【「なぜそうなるのか?」というメカニズム 】です。
  
  
そして、メカニズムの事を、【 本質 】と呼ぶのです。
  
  
メカニズム(本質)がわかれば、
100発100中の問題解決法を見つける事ができます。
  
  
「こうすれば、こうなる割合が多い…」という【 傾向 】と
  
「100発100中で、絶対にこうなる!」という【 メカニズム 】と、
  
  
「信頼性」や「確実性」に【 圧倒的な差 】があるのは、
誰にでもわかると思います。
  
  
にも関わらず、
  
世間では、「心理、経済、教育」に関して、
「統計を基にした理論」が利用されています。
  
  
そして、「統計を基にした理論」を唱える人間が、
  
その業界の権威として、偉そうに自説を垂れています。
  
  
科学者的な脳みそを持つ人間が、
  
「心理、経済、教育」を研究していないと言う事でしょう。
  
  
もしそういう研究をしようとしても、
    
現在のアカデミックな場では支持されないのでしょう。
  
  
大学の研究者は、
肩書きもあるし、大学からお金をもらって研究できるからいいですが、
    
私の場合は、全部自前ですよ(笑)
  
  
大学の研究者とは、「たくましさ」が違います(笑)
  
  
科学者は、全ての事象に
  
【 メカニズム(法則)が働いている 】
  
と言う事を理解しています。
  
  
人間の「心理、意識、精神、感情」にも、
  
メカニズム(法則)は存在しているのです。
  
  
まず、そういう前提を持っている人が少ないのでしょう。
  
  
現代に至るまで、
科学者達によって、数々の「自然界の法則」が解明されてきました。
  
  
電子、電気のメカニズム、細菌やウイルスのメカニズム…、
  
それが、「電子機器の開発」や「医療」に活かされてきました。
   
  
しかし、心理、経済、教育などの業界になると、
  
【 メカニズムの解明 】が為されていないのです。
  
  
科学や医療の業界では、ものすごく賢い人たちが、
  
電気の世界、人体の世界、生物の世界を研究しています。
  
  
しかし、【 心理、経済、教育の業界 】となると、
  
なんと基準が「生ぬるい」のでしょう?
  
  
まぁ、科学や医療は、「目に見える世界」ですからね。
  
  
電気だって、ウイルスだって、通常は目には見えませんが、
  
顕微鏡などを使って、「目に見える形」に表すことができます。
  
  
しかし、人間の心理はそうではありませんから。
  
  
【「目に見えない世界」の法則 】を解明しようという人は、
  
希有なのでしょうね。
  
  
心理・経済・教育に関しても、
  
【 100発100中のメカニズムが存在している 】
  
  
そういう理解が広まらなければ、
  
巷の「心理学者、経済学者、教育学者」の質も上がらないですね。
  
  
  
私は既に、あらゆる問題解決の方法を既に理解していますが、
  
それを知りたがる人はあまりいません。
  
  
それほど困っていないからでしょうね。
  
  
既に「問題解決法(答え)」は存在しているのに、
  
それを素直に採用しようとしないのは、人間の愚かさの一つです。


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haxe501 at 14:39|Permalinkclip!