2016年11月

2016年11月04日

人生観

私は、20歳で経済的成功を目指し始めました。
  
  
中学生の時に「やりたくない受験勉強」をやり過ぎたせいで、
精神的におかしくなって死にかけたので、
    
とにかく、
  
【 「やりたくない事」をやらなくて済む生き方 】   
  
を求めていたのだと思います。
  
  
ですから、「やりたい事をやるぞ!」というよりは、
   
独立して「サラリーマン以外の何か」になりたかったのです。
    
  
最初の一歩は、そんなに高尚な動機ではありません(笑)
  
  
私がまず初めにやった事は、
とにかく、「自己啓発本」を読み漁りました。
  
そして、「ビジネスチャンス」が目の前に訪れたら、
とりあえずチャレンジしました。
  
  
私は、「それで成功できる」と信じていました(笑)
  
今思えば無謀ですが(笑)
  
  
でも、世間の自己啓発本には、
  
「それで成功できる」みたいな事が書いてあるので、
  
素直にそれを信じちゃっていた訳です(笑)
  
  
過去の私は「経済」についても、「商売」についても、
まったく無知な人間でした。
  
自己啓発の知識だけで、商売が上手くなるはずもありません(笑)
  
ですから、最初は本当に全然上手く行きませんでした。
  
  
でも、【 自分は絶対に成功できる! 】と信じていました。
  
  
その根拠は、
  
  
1.やる気が違う
  
既に成功している人たちとも会いましたが、
自分の方がモチベーション高いんじゃないの?
  
って思う事がよくありました。
  
  
2.頭が良い
  
既に成功している人たちと話していても、
自分の方が頭が良いんじゃないの?
  
って思う事がよくありました。
  
  
と言う事で、
  
「自分には成功できる素質が十二分にある」と思っていたのですが、
  
実際には、なかなか上手く行きません。 
  
  
「やる気」があって、「努力」さえすれば、
  
「結果は必ず出るだろう」と思っているのに、まったく出ないのです。
  
  
結局、勉強して努力するだけじゃ、結果が出るとは限らないのです。
  
  
なぜなら、どんなに努力しても、

【 努力の方向性 】が違っていたら、結果は出ない訳です。
  
  
いくら机の上で勉強しても、スポーツは上達しないのと同じです(笑)
  
  
私は、「1.勉強」「2.チャレンジ」「3.努力」
  
「この三拍子が揃っていれば、成功できる」と思っていましたが、
  
その予想は大きく違っていました。
  
  
本当に必要だった事は、上記にさらにプラスして、
  
「ネガティブ感情に向き合う勇気」と「経済・商売の本質を理解すること」
  
この二つが大切だったのです。
  
  
  
「努力」と言っても、
  
「義務感でイヤイヤやる努力」もあれば、
「自発的に、主体的に、好きでやる努力」もあります。
  
  
私は、中学生の時の挫折で「イヤイヤの努力」は懲りましたが、
  
後者の「好きでやる努力」は続けました。
  
  
音楽の専門学校に通っていた頃の一時期は、
作詞作曲をして、毎日、ピアノを練習していました。
  
毎日練習するから、演奏できるようになる訳です。
  
  
練習が無ければ、演奏もありません。
  
  
【 自分の望む結果を出すために、努力(練習・鍛錬)は必須である 】
  
当たり前の話ですね?
  
  
おそらく親の教育の影響でしょうけど、
  
【 結果を出すには、努力が必要である 】
  
これは私にとって、至って普通の感覚として身に付いています。
  
  
・スポーツ選手になる為には、身体を鍛える必要がある
・ミュージシャンになる為には、楽器の練習が必要である
  
当たり前の話ですよね?
  
  
でも、私が弟子を指導する中で、
  
【 努力せずに結果を出したい 】と思っている子もいて、
  
それに初めはビックリしましたね。
  
  
「それは無理だよ」って事を教えるのに、えらい労力を割きました(笑)
   
「どんだけ人生舐めきってるねん!」という話です。
  
  
私は、「本来は親が教えるべきような事」を
弟子には伝えてきましたし、今もそうです。
    
一回、ネガティブに育った子を
ポジティブに育て直すのは、とても大変な事です。
  
  
私は、【 望む結果を得るには努力が必要 】という人生観に加えて、
  
  
【 そもそも人生とは、(地球上で生きていくという事は、)
  厳しく、辛く、苦しいものである 】
   
という人生観を持っています。
  
  
お釈迦様は、「人生は苦に満ちている」と言ったらしいですけどね。
  
  
・人生とは、厳しいのが当たり前
・人生とは、苦しいのが当たり前
・人生とは、辛いのが当たり前
    
私は、そう思って生きています。
  
  
・貧しい地域では、食べるものがありません。
  
・紛争地域では、毎日の様に人が殺されています。
  
・女性差別が激しい地域では、女性対する虐待が常習です。
  
・豊かな先進国でも、物質的には恵まれていても、
 「精神的に病んでいる人」がたくさんいます。
  
  
この世界を見渡してみても、
  
【 自分の境遇や生活に満足している人 】って、
ほとんど居ないんじゃないですか?
  
  
むしろ、【 不幸と貧乏が当たり前。】 
  
これが、「地球で生きる」と言うことだと思います。
  
  
私は、そういう前提で生きているから、
  
多少の「苦しみ、辛さ、厳しさ」っていうのは、
既に覚悟しているんです。
  
覚悟しているから、耐えられるんです。
  
(※ 「我慢し続ける」っていう意味じゃ無くて、
   必要な試練を「乗り越える」っていう意味でですよ。)
 
   
でも、多少の「苦しみ、辛さ、厳しさ」で、
 
「すぐに音を上げてしまう人」って言うのは、
     
【 どれだけ今まで苦労もせずに、
  他人に守られて生きてきたんだろう? 】
  
と思います。
  
  
日本人には、
  
【 強者が弱者を守るのが当たり前 】
  
と思っている人が多いと思います。
  
  
みなさんは、役に立たないモノは買いたくないですよね?
  
一回買ってしまっても返品できればしますよね?
  
  
でも、経営者からしてみれば、
  
一回雇った正社員が役に立たなくても、
すぐにはクビを切れないし、給料を払わなければなりません。
  
  
どう考えても、圧倒的に【 労働者に有利な条件 】です。
  
そして、それがさも当たり前のように思われています。
  
  
「非正規雇用が問題だ!」と言いますけど、
  
「自分が労働者として非常に優秀」という自負があっての事でしょうか?
  
  
要は感覚として、
  
【 経営者はたくさん人を雇用して、他人の生活を守ってあげてね!】
  
という訳です。 
  
  
「強者が弱者を守る」  それが日本の常識なのです。
  
  
でも、経済がグローバル化していく中で、
  
それを続ける事も出来なくなってきています。
  
  
強者にも、「弱者を守る余裕」って言うのが
無くなって来ているのです。
    
そうなると、弱者は切り捨てられます。
  
  
スポーツで言うところの、【 戦力外通告 】です。
  
  
そうなると、「強者が弱者を守る!」ではなく、
  
「生き残りたければ、自分が強くなって下さいね!」
「自分の身は、自分で守って下さいね!」
  
という論理になってきます。
  
  
今まで、日本では、
  
【 強者が弱者を守る 】という習慣が当たり前でした。
  
 
だから、
  
「努力せずに結果を出したい」という人とか
   
「苦労知らずの平和ボケ」の人が、普通に生まれるのです。
  
  
親に守られ、企業に守られ、強者に守られ、
  
それで成り立っている生活を、
「自分の実力」だと勘違いする人がたくさん生まれてしまいました。
  
  
そうやって、強者に守られ、苦労を知らずに生きてきた人は、
  
ちょっとやそっとの「厳しさ、辛さ、苦しみ、苦労」で、
  
すぐに音を上げるようになってしまいます。
  
  
精神的に「ひ弱」なのです。
  
  
現実的に、お金を稼げなければ、人間は死ぬしかありませんが、
そのお金を稼ぐ事も、本来はとても大変な事です。
  
ですから、生きていく事自体が、
「この地球上において生存を維持する」という事自体が、
  
本来は大変で当たり前なのです。
  
  
多くの人が人生に対して真剣じゃ無くても生きていられるのは、
多くの場合、「家族のカネ」をアテにしているからです。
  
しかし、経営者はみな、真剣で無いと商売が潰れてしまいます。
  
  
私は、人生とは、
  
・厳しいのが当たり前
・辛いのが当たり前
・苦しいのが当たり前
 
と思っています。
  
  
私は、自分が成功を目指す過程で、
「強者に助けられた事」がほとんどありません(笑)
  
  
ですから、どんな試練も自分一人で乗り越えてきました。
  
  
しかし、【 強者に助けてもらえるのが当たり前 】と思っている人は、
  
・厳しいのが当たり前
・辛いのが当たり前
・苦しいのが当たり前  
  
とは、思えていません。
  
  
ちょっとやそっとの「厳しさ、辛さ、苦しみ」で、
  
すぐに音を上げて、折れてしまいます。
  
  
日本には、過保護が蔓延しています。
  
  
でも、自分も過保護で、周りも過保護だったら、
  
差を感じないので、自分たちが異常である事に気づけません。
  
  
世界の常識は、日本の非常識なのです。
  
  
  
・「強者に助けてもらえる」のは当たり前では無い
・人生は、「厳しい、辛い、苦しい」のが当たり前
  
私は、そういう人生観ですし、苦しみを背負う覚悟があります。
  
  
だから、多少の苦しみは当たり前であり、付きものだと思うので、
  
自分にとっては、別段、騒ぎ立てるほどのモノではありません。

  
  
・「強者に助けてもらえる」のは当たり前では無い
・人生は、「厳しい、辛い、苦しい」のが当たり前  
 
こういう人生観を持っていると、
  
いちいち試練に対して「逃げ腰」にもなりません。
  
  
試練に対して逃げ腰の人は、
  
たいして苦労もせず、強者に守られてきたからでしょう。 
   
   
別に、絶対に苦労しなきゃならないって話でもありません。
  
賢い人は、他人の経験からも学習します。
  
  
他人の経験から学習できる人は、苦労しなくても良いんです。
  
  
他人の経験から学習しない人は、身を持って苦労を経験する事になります。
  
  
そこは、その人が素直であるか? ひねくれているか? の違いですね。
  
  
そして、私は【 苦しみに耐え続けるのが当たり前の世界 】で、 
  
「根本的に幸せに、豊かになる方法」を伝えているのだから、
   
非常に高い価値を提供しているという自負があるのです。
  
  
私は「弱者を守る」のではなく、
「弱者が強者になれる方法を伝える」ことによって、
  
【 苦しみの根本解決 】を目指している訳です。


mixiチェック

haxe501 at 10:41|Permalinkclip!

2016年11月03日

子供への精神的依存

「なぜ、自分の事よりも子供を大事にする親がいるのか?」
  
と言う事ですが、
  
それは、親が子供に対して精神的に依存しているからです。
   
   
「なぜ、子供に対して精神的に依存しているか?」
  
と言うと、
  
【 家族(子供)以外に、「心を開いている他人」が居ないから 】です。
  
  
私は、「依存症の原因」について語る時に、
  
【「依存症」とは、楽しみを分散できていない状態 】
  
という風に説明します。
  
  
アルコール中毒者は、お酒しか楽しみが無いのです。
  
他にも、色々と楽しめる事は探せばあるのに、
ごく限られた楽しみしか自分に許していないのです。
  
  
「恋愛依存症」も、「過食症」も、同じメカニズムです。
  
  
「数多くの種類の楽しみ」を自分に許し、
楽しみを分散させればさせるほど、依存症は減っていきます。
  
  
弟子の国本さんは、お金でとても苦労していたので、
  
【 自分の趣味や娯楽にお金を使う事 】に対して、
ものすごく抵抗を持っていました。
  
  
趣味や娯楽という「楽しみ」を自分に許していない分だけ、
  
自分に唯一許している楽しみ、【 食べる事 】に依存していました。
  
  
で、「パン」や「甘い物」を食べ過ぎて、健康を害してしまいました。
  
  
私は、「お金に対する恐怖心」を取り除いて、
  
「趣味」や「娯楽」にもお金を使うようにアドバイスしました。
  
  
そうしたら、コンビニに売っているクロスワードパズルの雑誌や、
オモチャ屋に売っているジグソーパズルを買ってやり始めて、
  
そうやって、今まで許していなかった、
新しい楽しみに没頭すればするほど、過食症が収まっていきました。
  
  
依存症とは、【 「楽しみ」や「ストレス解消」の偏り 】なのです。
    
  
それと同じメカニズムで、
  
【 ある特定の人間関係でしか心を開けない人 】は、
  
その関係に依存してしまうのです。
  
  
・恋人にしか心を開けない人は、恋愛依存症
  
・家族にしか心を開けない人は、家族依存症
  
・友達にしか心を開けない人は、友達依存症
  
  
という風になってしまいます。
  
  
で、子供にしか心を開いていない人は、「子供依存症」です。
  
  
「子供依存症」になると、
とにかく子供を過保護にして、甘やかしてしまいます。
   
   
結果的に、
子供はワガママに育ったり、弱々しく育ってしまいます。
    
  
昔の親たちは、子供を叱る時に、
  
「ウチを出て行って、ヨソの子になればいいだろ!」
「今から山に行って捨ててきてやろうか!」  
  
と、強気でした。
  
  
ドラえもんに出てくる、「神成(カミナリ)さん」の様にです(笑)
  
(※ 現代では、他人の子供を叱る大人は滅多に見られないかも知れません)
  
  
しかし、子供に依存している親は、子供に対して強気に出れません。
  
  
そして自分の事よりも、子供を優先する様になってしまいます。
  
  
子供が親からそういう接し方をされていると、
  
【 家庭内ではワガママで、外に出ると弱々しい 】
  
という、「内弁慶キッズ」の出来上がりです。
  
  
結局、【 親の「社交性の乏しさ」 】のシワ寄せが、子供に向かい、
  
「子供の発育に悪影響を与えている」と言う事です。
  
  
・家族にしか心を開けない
・家族以外信用していない
  
そういう親に育てられた子供は、
  
【 社会の中(家庭の外)で強く生きていくチカラ 】を身に付けられません。
  
  
子供をポジティブに育てるには、
  
子供を過保護にしてはいけませんし、甘やかしてはいけません。
  
  
と言う事は、親が子供に依存していてはいけないのです。
  
  
子供に依存してしまうのは、家族以外に心を開いていないからです。
  
  
要するに、【 親の社交性や人間関係 】に問題がある訳です。
  
  
子育てをする上では、他人に頼る必要も出てきますが、
  
他人を信頼していないと、子供を他人に預けられません。
  
  
結局、「他人に対する恐れ」が自らの孤独感に繋がっていて、
  
その孤独感を埋める為に、自分の子供に依存している訳です。
  
  
【 親が「家族以外の他人」に心を開いていないと、
  子供はポジティブに育たない 】
  
と言う話です。
  
  
「自分に自信が無く、社交性に乏しい親」に育てられた、
【 内弁慶キッズ 】は、時代と共に増加していると思います。
  
  
(親が)「他人と関わる事」に対して恐れるのでは無く、
  
「恐れ」を乗り越えて、他人と健全な関係を築こうとする事は、
  
子供の発育にも、非常に重要な関わりがあるのです。
  
  
「大人とコミュニケーションを取るのは怖いけど、
 子供なら怖くないから…」という理由で
   
幼児教育の仕事に興味を持つ人もいますが、
   
「大人とのコミュニケーション」を怖がっている時点で、
子供を上手く育てられる訳も無いのです。


mixiチェック

haxe501 at 10:49|Permalinkclip!

2016年11月02日

「子供の教育」の前に、「親への教育」

「義務教育の是非」についての議論を観察していると、
  
  
私みたいに、
「学校教育が時代に合っていない」と主張する人間と、
  
それに対する反論として、
  
【「それほど優秀でない子」もいて、
  そういう子には学校教育が必要だ 】
  
という主張をする人が居ます。  
  
  
なぜ、このように意見が分かれるのか?というと、
  
各々の持っている【 前提 】が違います。
  
  
片一方は、前提として「人間の可能性」を強く信じていて、
片一方は、前提として「人間の可能性」をそれほど信じていません。
  
  
この「前提の相違」こそ、意見が対立する根本要因です。
  
  
どちらも一理あって、正しいと思います。
  
  
子供も、生まれた時点で
「魂の成熟度、素質、才能」がそれぞれ違います。
  
  
誰に対しても同じ教育を行って、それで上手く行くとは限りません。
  
   
「類い希なる才能を持つ子」に関しては、学校教育によって、
その才能の発揮が潰されてしまう恐れもあります。
  
  
逆に、「優秀で無い子」を学校に行かせなければ、
  
何も学習せず、人間関係を構築するチカラも磨かれず、
社会的に孤立していく恐れもあります。
    
  
  
ですから、要は「教育の選択肢」がたくさんあれば良い訳ですよね。
  
  
問題点は、【 教育の選択肢 】が少なすぎる事でしょう。
  
  
でも、社会がその選択肢を用意し始めるには、時間が掛かります。
  
  
ですから、一番手っ取り早いのは、親がポジティブになる事です。
  
  
教育を学校任せにせず、
  
親がポジティブになって、親がまず「我が子の第一の教師」となって、
その子に最適な教育方針を考えてあげる。
  
  
これが出来れば、社会が変わるのを待たずとも、
最善手を打つ事が出来ます。
  
  
【 今を生きる子供をどうしていくか? 】
  
よりも、
  
【 子を持つ親がどうなるべきか? 】
  
の方が、先なのです。
  
  
「ポジティブな子供を育てる為の学校」を用意するよりも、
   
【 ポジティブな親を育てる為の学校 】の方が先に必要です。
  
  
  
私が最近改めて思うのは、日本人は特にかもしれませんが、
    
【 自分より子供を大事にしている人 】が多いのです。
  
  
【 自分の身を削って、
  自己犠牲的に子供に尽くしている人 】が多いのです。
  
  
「自分の人生」については真剣に考えない癖に、
 
「子供の人生」については真剣に考えている…とかね。
  
  
でも、それって絶対に上手く行きません。
  
  
それは、子供に対して、
【 自分より他人(弱者)を大切にしろ! 】って教えているのです。
  
  
そういう教育を受けた子供も、
  
また自分を大切にしないし、幸せになる事も出来ません。
  
  
子供は、【 弱者のままで居た方が得なんだ! 】と思いますよ。
  
だから、状況を改善する為に、自分が強くなろうともしません。
  
  
子供に対して、「自分を大切にしろ」とか、
「幸せになって欲しい」とか思うのであれば、
  
  
先に親自身が、自分を大切にして、
親自身が、まず真っ先に幸せになるべきです。
  
  
もし、
  
「自分はどうでも良いんです!」
「子供には幸せになって欲しいんです!」
  
って言う人が目の前に現れたら、
  
  
【 まず、「自分はどうでも良いんです」とか思っている限り、
  子供は絶対に幸せにはなりません! 】
  
という事実を伝えなければなりません。
  
  
結局、自分が成長して、幸せにならなきゃ、
子供が幸せになる事はあり得ません。
 
  
結局、我が子の幸せを願っても、その手段は、
  
【「自分自身の成長」という結論 】に戻ってくるのです。
  
  
「自分は精神的に成長せずに、子供には幸せになって欲しい」
  
これは、無理な相談です。
  
  
  
子供が大切だから、自分の好きな事、やりたい事を優先しません。
  
子供が大切だから、自分の好きな事、やりたい事はガマンします。
  
子供が大切だから、自分を成長させるための自己投資にお金を使いません。
  
  
  
これは、【 最も子供を大切にしていない行為 】です。
  
  
【 一番、子供を幸せにしない行為 】なのです。
   
  
  
「自分の成長こそ、他者への最大の貢献」です。
  
  
自分が成長して幸せになる以外に、子供を幸せにする方法はありません。
  
  
  
【 目的 】は、「子供の幸せ」かも知れませんが、
  
【 手段 】は、まったく「目的と逆の事」をしているのです。
  
  
自分の精神的成長こそ、自分の本物の情熱に従う事こそ、
  
【 全ての問題を解決する万能策 】です。
  
  
子供が大切だから、
真剣に成長に取り組まないと言っている人は、
  
子供を言い訳にして、自分のネガティブ感情から逃げているだけです。
  
  
子供を一番に想っているようで、
  
実は、子供の幸せよりも、
【 自分が怖い事から逃げる事 】の方が大事なのです。  
  
  
そうやって、親がネガティブな選択をしているから、
  
子供もネガティブな影響を受けるのです。
  
  
親自身が子供を「言い訳の材料」にしているから、
  
子供も「言い訳」ばかり言うようになるのです。
  
  
  
私に子供が生まれて、
  
周りの人は、「成長が楽しみですね!」と言ってくれます。
  
  
私にとっては、自分の子供以上に、
  
【 弟子やお客さんの成長 】が楽しみです。
  
  
成長って楽しみに感じるのが普通です。
  
  
肉体の成長は、20歳くらいで止まります。
  
でも、精神の成長は死ぬまで続きます。
  
  
子供が成長しなかったら、不自然ですよね?
  
  
子供が、「ずっと赤ちゃんのままでいたい!」とか思っていたら、
  
不安になりますよね? 
  
  
成長とは、至極「自然」で「楽しいモノ」です。
  
  
親自身が精神的に成長していないのに、
「子供には成長を望む」というのが、矛盾しているじゃ無いですか。
  
  
子供に成長を望むのであれば、まず、親自身が成長しないと。
  
  
「子供の教育」を論じる前に、まず【 親への教育 】を論じるべきなのです。
  
  
そうでなければ、
  
子供は【 ただの「親の言い訳の材料」 】になっているだけです。


mixiチェック

haxe501 at 21:16|Permalinkclip!

2016年11月01日

市場調査を行い、世間のレベルを知る

【堀江貴文】東大も大学もいらなくなる日
https://newspicks.com/news/1799248?ref=index&block=series
  
  
私は有料登録していないので、
ホリエモンさんの記事は読んでいませんが、
  
それよりも、コメント欄での「賛否両論、議論」が面白いです。
  
  
いろんな人の考え方を知れるのが学びになります。
  
  
普通の人は、「賛否両論」を見ると、
結局何が正しいのかわからないまま、
  
考えるのを止めてしまうと思います。
  
  
しかし、私は考えるのを止めません(笑)
  
ベストな根本解決策を見つけるまで、考え続けます。
  
  
私は、ホリエモンさんの、
  
これは非効率だとか、これは無駄だとか、
そういう「問題点の提起」には同意できますが、
  
ホリエモンさんが提案する「解決策」には同意できません。
  
  
ここら辺には、
【 心理やスピリチュアルの視点があるかどうか? 】
  
という、「視野の広さの違い」だと思いますね。
  
  
「今現在の教育制度」に大きな問題がある事は、みんなわかっています。
  
  
でも、「ベストな代替案」や「ポジティブなヴィジョン」が見えていないから、
  
・ああすれば良いんじゃないか?
・こうすれば良いんじゃないか?
 
という、議論が起きるわけですね。
  
  
  
現在の学校教育には、問題がある。
  
「でもだからと言って、自分はどうすれば良いの?」って感じです。
  
  
ほとんど人は、「問題点」はわかっていても、
【 根本解決策 】を見つける事はできません。
  
  
全てが調和する根本解決策を見つけるには、
非常に高度な頭脳労働が必要となります。
  
誰にでも出来る事ではありません。
  
  
しかし、実際には根本解決策を考え出している頭の良い人が、
この世の中にたくさん存在しています。
   
   
例えば、環境問題にしても、食糧問題にしても、
  
【 こうすればみんな上手くいく! 】
 
という、優れたアイデア、
調和したヴィジョンを持っている人は存在しています。
  
  
でも、世間の人々や、権力を持った人が、
そういう人たちのアイデアを理解し、賛同しない限り、
  
大きな規模で、「優れたアイデアの実践」は為されません。
   
   
世間の人々が、問題に無関心だったり、
権力を持った人が、自分の利権を守りたがるのです。
  
  
結局は、世間の人々が成熟しないと、
  
「成熟したアイデア」は世間には取り入れられないのです。
  
  
ですから、世間の理解を得ようとするのでは無く、
  
まず、【 自分がやってみせる事 】が大事です。
  
  
  
よく、「子育てって大変だよ!」って言われますよね?
  
でも、我が家に限っては、全然大変じゃありません。
  
  
それは、
  
・私が「子供をどう教育すれば良いか?」という指針を理解している
・子供自体が精神的に優秀である
・ベビーシッターを頼める弟子が複数いる 
・千博さんも子育てが上手く、子供が泣き出す前に対処できる
・経済的、時間的に自由度が高い仕事をしている
  
などなどの要因があります。
  
  
もちろん、何もしてこなかった人が、
一朝一夕で真似できる事ではありません。 
    
  
私は、これを実現する為に、
  
10年以上も、他人にバカにされながらも、
コツコツ努力してきました。
  
  
よく、【 なんでカネにならない事をやってるの? 】
  
と言われました。
  
  
弟子を育てる事は、それほどカネにはなりませんでしたが、
  
【 時間的自由、精神的自由 】をもたらしてくれます。
  
  
私は、お金よりも「幸せ」と「自由」が欲しかったのです。
  
  
お金を持っていても、不自由な人はたくさんいます。
  
私は、そうはなりたくなかった。
  
  
だから、真の自由を得るために、必要な事を何年も積み上げて来ました。
  
  
別に、完全に私の真似はできなくとも、
  
今すぐに実践できて、即効性のある
「子育ての負担を減らす方法」なら、いくらでも語れます。
  
  
まず、自分がやってみせて、知りたい人にその方法を教える…。
  
その連鎖によって、少しずつ世間も変わっていくのです。
  
  
  
先日、弟子の野村くんが見つけてきた記事ですが、
   
  
不倫でも浮気でもない複数愛 33歳の私が見つけたポリアモリー人生
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161031-00000003-withnews-soci
  
  
これも、一番下に表示されるコメント欄をみると、  
   
世間のレベルがわかります。
  
  
私が20代前半の頃、
「彼氏が3人いる」という大学生の女性と出会いました。
  
そして、仲良く4人で遊んでいるのです。
  
  
その時私は、「彼氏たちの方はすごく柔軟だなぁ」と思いましたね。
  
  
彼氏って言うより、もしかしたら友達感覚に近いのかもしれませんが、
  
本人たちが同意していて満足であれば、何も問題は無いと思います。
  
  
でも、コメント欄を見ていると、
  
「反吐が出る」とか、「理解したくも無い」とか、
「倫理的では無い」とか、「浮気を正当化している」とか、
  
反発意見と、それに同調する人が「9割」くらい(笑)
  
  
いやぁ、世間は超絶ネガティブですね(笑)
  
  
  
【 自分が理解できない → 否定する 】
  
っていう、「傲慢な思考パターン」が染みついています。
  
  
「自分が理解できない事は、間違ってると決めつける」って、
  
どれだけ自分の事を【 偉い存在 】だと思っているのでしょうか?(笑)
  
  
「いつでも自分の意見が正しい」と思い込みたい、
  
優等生病にまみれています。
  
  
  
過去のホモセクシャル、レズビアン、トランスジェンダーなどの、
   
【 セクシャルマイノリティに対する差別 】と同等の扱いです。
  
  
セクシャルマイノリティに対しては、
  
まだまだ差別する人はいるかもしれませんが、
「LGBT」という言葉が出てきて、積極的に啓発も行われているので、
  
徐々に差別は無くなる方向に向かっていると思います。
  
  
でも、「複数愛」はまだまだ差別されています。
  
  
昔の殿様には、「側室」ってのがいましたが、
   
それも、「倫理的では無い」と言う事でしょうか?
  
  
「倫理的である事」と「倫理的で無い事」の線引きは、
  
どこで行われるのでしょうか?
  
  
日本が一夫一婦制になったのは、
  
明治の時期に外国の文化を取り入れた事であったり、
キリスト教の影響だと言われています。
  
  
西洋思想が絶対に倫理的なのでしょうか?
  
過去に、「黒人奴隷、黒人差別を正当化していた西洋文明」の、
どこが倫理的なのでしょうか?
   
   
外国で、女性や子供がレイプされ、殺されている事も
倫理的では無いと思いますが、
   
それについては、何とも思わないのでしょうか?  
  
  
私個人は、ポリアモリーではありません。
  
  
複数の女性がいないと満足できないって事もありませんし、
キャバクラ、風俗、女遊びの類にも、一切の興味がありません。
    
  
むしろ、人生で「恋人がいなかった時期」がほとんどですし、
一人で居る事が大好きなので、独身でも全然オッケーです。
  
  
幸せな家庭で暮らす事も半分は好きですが、
一人暮らしも半分は好きです。
    
  
ただ、この地球をポジティブにしていくには、
  
「愛情のメンタルブロック」は外して行かなければなりません。
  
  
私個人に直接害が無かったとしても、
  
やっぱり、「中東で起こっている問題」は解決されて欲しいし、
それと同じです。
  
  
  
別に、世間の人々を見下してバカにしたい訳ではありません。
  
自分も、成長に目覚める前には、世間の人と同じ考え方でした。
  
  
私の方が、先に早く成長しちゃっただけです。
  
  
コミュニケーション能力を高めるには、
  
様々な人の立場、意見を理解することです。
  
  
ビジネス的に言うと、マーケティングの一環です。
  
  
ですから、「世間の人々のレベル」を把握する事も大事です。 
 
  
その認識がズレていると、
無駄にイライラしたり、自分の話が通じなかったりしますからね。
  
  
世間の人々のレベルがわかると、
  
世間に対する不満が無くなります。
  
  
「世間の人々が目覚めるには、時間がかかる」とわかれば、
  
世間の人々に対する過度な期待を捨てて、
  
【 今の自分に出来る事 】に集中できます。
  
  
自分がまず、「ポジティブな状態、理想的な状態」を実現して、
  
【 それが実現可能である事 】を目で見せて、証明すること。
  
  
世間の人々が目覚めるまでは、それをやり続けることです。


mixiチェック

haxe501 at 19:38|Permalinkclip!