2016年10月

2016年10月31日

波動的に優秀すぎる我が子と厳しい時代

先日、娘と一緒に居る時に、
ものすごく残酷なイメージが湧いてきました。
  
「子供を惨殺する場面(イメージ)」です。
  
  
私は、「すごいな!」って思いました。
  
  
「ポジティブな波動」は、
「ネガティブ(自分が否定しているモノ)」を【 浮き彫り 】にします。
  
  
私はまだ精神バランス的に過保護で、
「冷酷さ」や「残酷さ」を否定しているので、
  
子供のポジティブな波動によって、
「自分の否定している事」が浮かびあがってきたのです。
  
  
久々に、【 自分が他人に引き上げられる側 】を経験しました(笑)
  
  
千博さんも、赤ちゃんといると強制的に感情解放が起こる様で、
  
意図的にワークをしなくても解放できるのだから、
有り難い事だと思います。
  
  
私の記事も、読んでいると「イヤな気持ち」がすると思います(笑)
  
  
私の記事にも、非常に強いポジティブなエネルギーが込められているので、
   
読んでいる人が否定している「モノ」や「感情」が、
どんどん浮かび上がってきて、浮き彫りになると思います。
  
  
それは、成長においては「良い事」が起こっているのです。
  
それは、【 成長に必要な苦しみ 】なのです。
  
  
「成長に必要な苦しみ」を避ける人は、
  
私の記事を読む気が失せると思います。
  
  
イヤな気持ちがし続けても、読み続けたい人は、
  
相当、【「向上心」や「成長欲」や「学習意欲」が強い 】と言う事です。
  
  
  
私の事を厳しいと思う人もいるかもしれませんが、
  
ちょっとイメージしてみて下さい。
  
  
私は、城塞都市の周りを常に双眼鏡で監視しています。
  
ある日、遠くから軍隊が攻めてくるのが見えました。
  
  
で、みんなに対して、
  
「軍隊が攻めてきたぞー!!」
「急いで戦いの準備しないと殺されるぞー!!」
  
って教えます。
  
  
じゃあ、その警告を聴いた人が、
  
「え〜〜? 急いで戦いの準備しろって? 厳しい事を言うな〜。
 難しい事を言うな〜。そんなこと出来ないよ〜。」
  
って言う感じです。
  
  
私は、「現実が厳しい」という事を教える「優しい人」で、
  
私自身が「厳しい人」ではありません。
  
  
ただ、普通の人と違って「現実逃避していないだけ」です。
  
  
  
これから、「厳しい時代」がやってきます。
  
  
が、実際には「厳しい時代がやってくる」という表現も違いますね。
  
  
【 今まで甘すぎだったのが、ようやく「まともな時代」が来る 】
  
これが、「真実を表した正しい表現」です。
  
  
私たちの「おじいちゃん、おばあちゃん」の世代は、
  
しこたま働いて、さらに稼いだお金を使わずに、銀行に貯金しました。
  
  
銀行に預けられているけど、ほとんど使われないお金です。
  
銀行に、たくさんお金が余るようになりました。
  
  
公共事業の原資とする為に、
国民に貯金させる事が「戦後の国策」だったので、
  
国が「貯金しろ」と教えたのです。
  
  
で、国はその銀行からお金を調達して、
  
【 医療・福祉・社会保障 】などにも使います。
  
  
税収以上に、住民サービスにお金を使い続けて来たのです。
  
  
そこで、国民たちは思いました。
  
  
【 自分が頑張らなくても、国が助けてくれるんだ! 】
  
という風に。
  
  
【 自分の経済状態は、国や会社が何とかしてくれるモノ 】
   
これが当たり前なのだと、勘違いしてしまいました。
  
  
しかし、景気が悪くなって、税収も落ち込み、
今で使い込んできた「おじいちゃん世代の貯金」も無くなって来ました。
  
  
じゃあ、
・年金の支給額も減らそうか
・医療費の負担も値上げしようか
・生活保護の受給資格も厳しくしようか
  
という話になってきます。
  
  
今まで、「おじいちゃん世代の貯金」を使いまくって、
  
【 分不相応の生活 】をしてきたのです。
  
  
そして、その貯金が底をつき始めてきた。
  
  
ようやく、国や会社に依存するのでは無く、
  
【 自分の実力主義で、経済的に自立しなければならない 】
    
そういう時代になってきた訳です。
  
  
でも、学校で経済について教えてもらえなかったから、
  
【 会社を頼る以外に、サラリーマン以外に、収入を得る方法を知らない 】
  
  
だから、ブラック企業でも、身体を売ってでも、
生きるためには過酷な環境でも、雇われて働き続けなきゃいけない。
  
  
そういう事で、多くの人が経済的に困り始めている訳です。
  
  
それは、【 自営業者として収入を得る方法 】を、
  
学校でも、親からも、教えてもらえなかったからです。
  
  
今までは、国や会社に依存するのが当たり前の、甘い時代だったのです。
  
でも、それが出来なくなってきて、
ようやく「まともな時代」になってくるのです。
  
  
国や会社に依存する事しか考えられない人は、
  
生活がどんどん厳しくなっていきます。
  
  
【 自営業者として、収入を得る 】
  
これが出来ない人は、どんどん生活が厳しくなるのです。
  
  
サラリーマンでも高収入を維持できるのは、
  
よっぽど優秀で、仕事に情熱を感じている人でしょう。
  
  
学校で、バカ高い教育費を払っても、
  
「自営業者として収入を得る方法」は教えてもらえず、
  
「サラリーマンとして生きる方法」しか教えてくれません。
  
  
【 時代に合わない、時代遅れの教育 】をし続けて来たツケです。
  
  
  
じゃあ、「自営業者になる方法」ってどこで教えてもらえるの?
  
って話ですが、それも、自分で見つけなければなりません。
  
  
自分から、積極的に情報を取りに行かなければなりません。
  
本を読んだり、セミナーを受けたりです。
  
  
どれだけ質の高い情報を得ても、
  
「受け身の姿勢」でいては、どの道どんどん厳しくなります。
  
  
今まで、日本人はさんざん甘えてきました。
  
そして、甘えるのが当たり前の感覚になってしまいました。
  
  
「甘えるのが当たり前、依存するのが当たり前」
  
この依存感覚こそ、【 諸悪の根源 】です。
  
  
その甘すぎた時代から、
  
ようやく「まともな時代」になろうとしているのです。
  
  
「自営業者として収入を得る方法」を、
  
学校でも教えてくれなかったし、親も教えてくれなかった…、
   
  
じゃあ、自分で自発的に学ぶしかありません。
   
   
これまで、バカ高い教育費を費やして、
  
「時代に合わない、役に立たない教育」をされ続けてきた訳ですが、
  
だとすればこれからは、
  
【 自分で自己投資して、時代に合った教育を受けていくしかない 】
  
でしょう。
  
  
それが出来ない人は、どうしようもありありません。
  
  
「依存的な人、甘える人」には、厳しい時代です。
  
でも、それは当たり前の事です。
  
  
逆に、「自発的な人、主体性のある人、自立している人」にとっては、
  
非常に楽しい時代です。
  
  
これが、二極化です。
  
  
「二極化になるよ」ってさんざん言われ続けて来たのに、
対策しなかった人は、
  
現実逃避していたり、ひねくれているからです。
  
  
この時代の流れは、誰にも止める事は出来ません。
  
  
時代の流れはねじ曲げられないのだから、
    
幸せになりたければ、豊かになりたければ、
  
「時代の流れに上手く適応していくしか無い」のです。
  
  
今まで、人それぞれ、
充分に「情報」も「チャンス」も「助けの手」もあったはずです。
  
  
でも、それを掴まなかったのは、完全に自分の責任です。
  
自業自得です。
  
  
甘え続ける人には、厳しい未来が待っている。
  
これも、宇宙の法則であり、真理です。
  
  
私には、宇宙の法則も真理も変える事は出来ません。
  
ただ、伝えるだけです。
  
  
「自分で何とかするんだ!」という、自立心を持てない人には、
  
厳しい時代がやってきます。
  
  
そして、それはいたって「まともな時代」なのです。


mixiチェック

haxe501 at 20:28|Permalinkclip!

2016年10月30日

学校教育の具体的弊害

昨日に引き続き、子供の教育について語ります。
  
  
まず前回の記事でも明らかにしたように、
  
過去と現在では、  
【 豊かさのルール 】が変わったと言う事です。
  
  
昔は、
  
暗記と計算に優れ、上司の指示に忠実に従い、
正確でミスをせず、退屈な作業も淡々とこなせる
  
そういう人間が豊かになれました。
  
ある意味、コンピュータやロボットの様な人間です。
  
  
しかし、これからの時代はまったく逆です。
  
社交性、創造性、自発性に優れていて、
既存の常識を疑い、イノベーションを起こせる、
  
退屈を嫌い、自分の情熱に従って生きている人間が、
豊かになれるのです。
  
  
  
私が【 学校教育の弊害 】だと思っているのは、
  
  
1.暗記と計算を重視した学問の教え方
  
これは、コンピュータとインターネットの発明によって、
重要性が薄れたという事です。
  
  
  
2.減点方式のテスト
  
テストでは、「一発目で100点を取る事」が、
最も素晴らしいという観念を植え付けます。
  
そうすると、
  
何度もチャレンジして、
徐々に上達していく事が素晴らしいとは思えなくなり、
  
「完璧主義」と「失敗恐怖症」を生み出します。
  
  
  
3.イヤな勉強、退屈な勉強でも無理矢理やらなければならない
  
これは、サラリーマンになったときに、
  
「上司の指示」に対して何の疑問も持たず、忠実に従い、
「退屈な作業」も淡々と出来る様になるための訓練ですね。
  
その分だけ、人それぞれの固有の情熱や才能が発揮されなくなります。
  
  
  
4.みんなと違う事をするのは悪いこと
  
人と違っていたら怒られてしまうから、
これも、子供の情熱を削いでしまう。
  
人と違う事をやろうとする時のチャレンジ精神を奪う。
  
  
  
5.時間割が決まっている
  
現在では、時間や場所に縛られない
ノマドワーカーも増えていますが、
  
時間を縛っているのは、
「みんなで工場で働くことが当たり前の時代」の名残でしょう。
  
  
起きる時間も、何を勉強するのか?も、決められているから、
自発的に学ぶ意欲を削ぎ落とす。
    
  
という感じですね。
  
  
  
学校教育も良いところあるよって言う人もいるかもしれません。
  
でも悪いですが、私はまったく思えません。
  
  
  
私は子供の頃から、
本を読んで学習する事が大好きな子供でした。
  
  
自宅には、児童向けの学習図書がたくさんありました。
  
その多くは「マンガ」でわかりやすく表現しているモノが多く、
クソつまらない学校の教科書とは違って、楽しく学べました。
  
  
学校では、【 つまらない事に耐える訓練 】をさせられているのです。
  
  
私は、学問自体を否定しているのでは無いです。
  
「学校の教え方」が時代に合っていなさすぎて、
【 何世代前の教育をしているんだ!? 】と言っているのです。
  
  
みんなで「決まった時間に工場で働いていた時代」とは違うのです。
  
  
私が子供の頃に自発的に楽しく学んだ事は、鮮明に覚えています。
  
それに、人生を生きる上で、非常に役に立っています。
  
  
  
私は受験勉強を義務感で行っていましたが、
  
「受験勉強で何を学んでいたのか?」すら覚えていません。
  
今の仕事にも、まったく役に立っていません。
  
  
義務感でイヤイヤ学んだ事など、役に立たないのです。
  
  
学校で勉強した事より、
家で学んだ事の方が覚えているし、役に立っているのです。
  
  
  
私はエジソンの伝記をよく読んでいましたが、
  
エジソンは、学校に行っていないのです。
  
  
2つの「泥だんご」をくっつけて、1+1は=1じゃないのか?
  
とか、そういう質問を学校の先生にして、
  
「この子は頭が腐っている」と言われてしまった、と書いてありました。
  
  
なるほど、エジソンは【 ユニークな捉え方、視点、好奇心 】が才能で、
  
学校の先生には、それが理解できなかったんだ。
  
  
と、私は思いました。
  
  
エジソンの伝記を読んだ時点で、
既に学校教育はそれほど信頼していなかったのかも知れません(笑)
  
  
そして、私の子供時代を振り返っても、
  
本当に役に立っているのは、【 親の教育だったり、家で学んだ事 】です。
  
  
もちろん、学校で学んだ内容が楽しかったという人は、
それを覚えているし、役にも立っていると思います。
  
でも、その内容って、
わざわざ学校でなくても学べると思いますけど。
    
  
私は、中学生の時に不登校になりましたが、
  
それでも、高学歴の普通の人より、超絶幸せで自由な生活をしています。
  
  
しかし、短絡的に、
「学校に行かなければ上手く行く」という訳でもありません。
  
  
親自体がネガティブだったら、学校に行っても、行かなくても、
子供はネガティブな影響を受けます。
  
  
私は、学校教育を遥かに上回る教育が出来る自信があるからこそ、
  
学校に行かせなくても、優秀な人材に育てられる自信があるのです。
  
  
親がネガティブで賢くもなかったら、
  
もしかしたら、学校に行かせた方がまだマシかもしれません。
  
  
それは、家庭によってケース・バイ・ケースだと思います。
  
  
ただ、

「国が頼りにならない、学校が頼りにならない」
  
という状況になったときに、
  
  
「親として、自発的に対策を打てるのか?」って話です。
  
  
国や会社や学校がネガティブな方向に進んでいる事がわかっているのに、
  
【 これから「沈むとわかっている船」に乗り続けるのか? 】
  
って話です。
  
  
「学校が頼りにならないから、自分が子供の教育方針を考えないと!」
  
ってなった時に、ちゃんと考えてあげられるのでしょうか?
  
  
結局、子供の教育を「学校任せ」にしていて、
  
【 親としての教育責任 】を放棄しているのです。
  
  
そういう人は、子供がネガティブな方向に進んでいても、
  
それを止める事すらできません。
  
  
みんなが乗っている船から、「一人で脱出する覚悟」が持てない人は、
  
「これから沈むとわかっている船」でも、乗り続けるしかありません。
   
  
  
学校教育が、これからの経済的自立に役立たないとすれば、
  
学校教育は【 沈む船 】です。
  
  
「学校が頼りにならない」とわかっていても、

学校に行かせ続ける、親が教育方針を考えないという事であれば、
  
  
それは、【 沈む船に乗り続ける 】と言う事です。
  
  
私の父親は、「子育て」を学校に丸投げなんかしていませんでした。
  
  
私の父親は、自宅でたくさんの学習機会を与えてくれました。
  
母親も、厳しく躾けてくれました。
  
  
私は、学校に育てられたのでは無く、親に育てられました。
  
  
親が、自分が育てる!という意識を持たず、
  
「教育」や「子育て」を【 学校に丸投げ 】しているから、
  
「学校が頼りにならない」とわかっていても、
学校に行かせ続けるしか無いのです。
  
  
私の父親は、自立心が強い人でした。
  
だから私も、自立心が強く育ちました。
  
  
教育を学校に依存している限り、
  
子供をポジティブに育てる事は出来ないのです。
  
  
もし、学校が頼りにならないとしても、
  
それでも、学校に行かせますか?
  
  
それは、自分が親として
教育方針を考えてあげられていないのです。
  
  
学校が頼りにならないなら、自分で教育方針を考えないと!
  
それが、【 子育てや教育において、自立している親 】です。
  
  
教育を学校に丸投げしているとしたら、
  
「学校が頼りにならない、学校が間違った方向に進んでいる」
  
という状態になっても、何の対策も出来ません。
  
  
それは、【 自分の責任で子供を育てるんだ! 】という覚悟が無いのです。
  
  
【 みんなが乗っている沈む船から、一人で脱出する覚悟 】が持てないから、
  
沈む船に乗り続け、みんなと一緒に沈むのです。
  
  
学校が頼りにならなくても、学校に行き続けるというのであれば、
    
大人が、潰れるとわかっている会社に、
転職もせずに、しがみ続けるのと同じです。
  
  
潰れそうな会社でも、転職する覚悟を持てなければ、
  
勤め続けなければなりません。
  
  
それは、「依存しているから」です。
  
  
自立心を育み、依存心を断ち切らない限り、
  
国、会社、学校など、
「常識」や「既存の大きな組織」に頼り続けるしかありません。
  
  
たとえ、それが沈む船だとしても、脱出できないのです。
  
  
自分の人生を、子供の人生を、
いかに「会社、学校、国など」に依存しているか?
  
という事です。
  
  
じゃあ、会社、学校、国が頼りにならなくなったら?
  
その時はどうするのでしょう?
  
  
一緒に沈むのでしょうか?
  
  
子供の教育を「学校」に丸投げしている人は、
自分の経済状況も、「国」や「会社」に丸投げしています。
  
国や会社が頼りにならなくなっても、自ら対策をしません。
    
  
 
頼りにならない場所からは脱出する「フットワークの軽さ」が必要です。
  
  
海外の人は、「自分の国」が頼りにならなくなったら、
亡命したり、移民になったりします。
  
  
日本人にはイメージしにくいかも知れませんが。
  
  
そのフットワークの軽さがなければ、
  
国と一緒に滅びてしまいます。
  
  
学校教育が頼りにならなくなった時、
  
それ以外の選択肢を模索し、飛び移れるフットワークの軽さが、
  
身を助けるのです。


mixiチェック

haxe501 at 19:14|Permalinkclip!

2016年10月29日

子育てと時代の変化

昨日のライフワークミーティングでは、
合計、5時間くらいは喋り続けたと思います。
  
  
その中で、「子育て」についての話も行いました。
 
  
【 子供はなぜ勉強する必要があるのか? 】
  
というと、
  
それは【 将来の仕事の為、経済的自立の為 】です。
  
  
それ以外にありますか?
  
  
「バカ高い学費」を子供に投資するのは、
将来、子供が経済的に自立する為です。
  
子供のただの自己満足の趣味に、何百万円以上も投じるなんて、
金持ちでも無い限り、なかなか出来ません。
  
  
「2世代くらい前」の時代では、
  
学校の勉強が、仕事に役立っていました。
  
  
当時は、コンピュータもインターネットも、携帯電話もありません。
  
現在では、「表計算ソフト(エクセル)」を使って行う作業も、
全て「電卓」と「手書き」です。
  
  
「暗記」と「計算」に秀でていて、
「上司の指示を忠実に守ってくれる社員」が求められました。
  
そして、「高学歴である」ということが、それらの証明です。
  
  
ですから、高学歴の社員が重宝されました。
  
  
【 高学歴 = 経済的な豊かさ 】がリンクしていたのです。
  
  
じゃあ、今の時代はどうでしょう?
  
暗記も計算も、コンピュータがやります。
  
  
今の時代に、「暗記と計算だけは得意です!」
  
と言って、企業から内定をもらえるでしょうか?
  
  
どちらかというと、
  
【 体育会系の部活で、目標を掲げ、「厳しい練習」に耐えてきた 】
  
とか、そっちの方が役に立つんじゃないかと思います。
   
   
今、学校の勉強のやり方では、実際の仕事の役には立たないのです。
  
  
コンピュータとインターネットが発明されてからは、
  
【 高学歴 = 経済的な豊かさ 】というリンクは崩壊しました。
  
  
コミュニケーション能力であるとか、自発性が求められるようになり、
  
以前は重宝されていた、
【 正確に作業するロボットのような指示待ち人間 】
  
の需要は無くなってしまったのです。
  
  
経営者の仕事は、ビジネスを通して人々に貢献し、
対価として利益を得る事です。
  
その「目的」の為に、役に立つ人材が欲しいのです。
  
  
しかし、コンピュータとインターネットが発明されてからは、
「学校の勉強」が出来る事は、【 優秀な人材の定義 】ではなくなりました。
  
  
これから、子供に経済的に自立して欲しいのであれば、
  
・子供の情熱を育む環境を与えてあげる
・経済の本質について教育する
  
こういう事が、必要な訳です。
  
  
じゃあ、今現在の学校にそれが出来るでしょうか?
  
  
まず、「経済の本質」については教えられていませんね。
  
学校の先生自体が、雇われている人間ですし、経済を知りません。
  
  
それに、子供の情熱を育むどころか、
みんなと違っている事を一人でやっていると、怒られてしまいます。
  
  
これからは、人工知能には出来ない、
「オリジナリティさ」が大事になってきます。
  
【 人と違っている事 】の方が大事です。
  
  
ですから、これからの時代、
  
学校教育は、子供の経済的自立には、むしろ害なのです。
  
  
別に「学問」は、学校じゃなくても学べます。
    
私は、自分の方が学校の先生より、
学問を教えるのが上手い自信がありますしね。
  
   
  
コンピュータによって時代が変わってしまったから、
現代の学校教育で学ひ方は、実際の仕事では役に立たない。
  
理屈は、わかりやすいと思います。
  
  
ただ、「我が子を学校に行かせない」という決断は、
  
なかなか怖いと思います。
  
  
なぜか?
  
  
みんなと違った事をやって、失敗するのが怖いのです。
  
自分一人だけ失敗するより、
みんなと一緒に失敗する方が、精神的ダメージが少ないからです(笑)
  
  
まず親自身が、「みんなと違う事」を怖れているので、
  
子供が「みんなと違う事」をやろうとすると、怖いのです。
  
  
  
現在の学校は、サラリーマン養成所です。
  
でも、子供がサラリーマン以外になりたくなったらどうするのでしょう?
  
  
お笑い芸人とか、芸術家とか、将棋の棋士とか、
  
その仕事に、「学校のテストで高い点を取る事」は必要でしょうか? 
  
  
まず、親自体が子供に対して、
  
【 サラリーマンという人生プラン 】しか用意していないのです。
  
  
そして、親自身が、
自分はサラリーマンになるしかないと思っています。
  
  
親が自分自身に「狭い選択肢」しか許していないから、
子供に対しても、「狭い選択肢」しか与えられないのです。
  
  
私は、子供が将来何になりたいとしても、
それに対応できる環境を提供したいと思います。 
  
  
私は、子供が学校に行きたいというのであれば、行っても良いと思います。
子供が学校に行きたくないというのであれば、それを尊重します。
  
  
第一に、「子供の自由意志」を最も尊重しますが、
  
子供は無知ですから、
親としてのベストプランも用意しておきます。
  
  
もしかしたら、親のプランを蹴るかも知れませんが、
それでも良いです。
  
  
でも、親としてのプランも一応用意しておく必要があります。
  
  
多くの親は、
  
自分にサラリーマンという人生しか許していないし、
子供にも、サラリーマンという人生しか許していません。  
  
ですから、学校教育に縛られてしまうのです。
  
  
しかし、学校教育で優秀な成績を収めても、
   
それが「経済的豊かさ」を保証してくれる訳ではありません。
  
  
そんな時代は、とうに終わりました。
  
  
これからの時代は、
  
各々の【 ユニークな情熱や才能 】が、経済的豊かさに繋がります。
  
  
つまりは、【 ライフワーク 】です。
  
  
これからの時代は、
ライフワークこそが、経済的に豊かになる為に必要です。
  
  
誰にでも出来る、「企業の歯車」みたいな仕事は、
すべてが人工知能にとって変わられます。
  
  
ですから、私はライフワークで経済的に自立できるように、
  
子供を育てたいと思っています。
  
  
子供に対する「親としての勤め」は、
  
子供を【 精神的、経済的に自立させる 】と言う事だと思います。
  
  
私にとっては、
  
【 我が子をどれだけ早く、精神的、経済的に自立させられるか? 】
  
というのが、親としてのチャレンジです。
  
  
もし、子供を学校に行かせても、
それが経済的自立に繋がらないとして、
   
それでも、学校に行かせようと思いますか?
  
  
理屈はわかるけど、怖いと思います。
  
  
人と違う事をして、子育てに失敗するのが怖いから、
「なんとなく無難な選択をしたい」と思うでしょう。
  
それは、親自身が「無難な人生」を生きているからです。
  
  
結局は、恐怖心があれば、
「理屈にそぐわない判断」をしてしまうのです。
  
  
人間は恐怖を持っていると、
  
「間違っている」とわかりきっていても、
不合理な判断をしてしまうのです。
  
  
警察に捕まるとわかっていても、犯罪を犯してしまうのと同じです。
  
  
別に、学校に行く事が絶対悪だとは言いません。
  
  
たとえば、夫婦共働きだから、
  
経済的な意味で、幼い間は公立の学校に行ってもらった方が、
「総合的には良い」と言う家庭もあるでしょう。
  
  
でも、そういう場合は、
  
学校でネガティブな洗脳を受けるデメリットも
理解しておく必要があります。
  
  
子供が、
  
「学校の先生に〇〇って言われた」
「同級生に〇〇って言われた」
  
と言ってきても、
  
親が「それは違うよ、学校の先生も間違った事を言うからね」
  
と、子供に対するネガティブ洗脳を防げるならば、
悪影響は軽減されるでしょう。
  
  
どちらにしても、子供をポジティブに育てたければ、
  
まず、親がポジティブであらねばなりません。
  
  
子供の人生に、「数多くの選択肢」を用意したければ、
   
まず親自身が、自分に多くの選択肢を用意する必要があります。
  
  
親自身が、「サラリーマンで生きていくしかない」と思っていると、
  
子供に対しても、そういう狭い人生プランしか用意してあげられません。
  
  
しかも、これからは「会社組織」という形態自体が、
衰退していきます。
  
会社という組織の中では、速く成長できないのです。
  
  
「社会全体の成長」を上回る成長スピードで成長しなければ、
経済力や生活水準は落ちていきます。
  
  
そして、速く成長するには、
   
【 自分が情熱を傾けられる事 】をやることです。
  
  
情熱が持てることは、
前のめりで学習し、経験を積めるから、成長も早いのです。
  
「やりたいこと」をやらないと、速く成長できないのです。
  
  
  
親が「自分の人生」を真剣に考えなければ、
  
「子供の人生」も、【 真剣に考えてあげられない 】と言う事です。
  
  
親自身がよく考えず、なんとなくで無難な選択をするならば、
  
子供にも無難な選択を押しつけてしまいます。
  
  
  
子供に【 精神的自立、経済的自立 】をしてもらって、
  
「幸せで豊かな人生を目指して欲しい」と思うのであれば、
  
まず、【 時代の変化 】を加味する必要があります。
  
  
親が子供だった時代と現在では、
  
【 社会環境、境遇 】が全く違います。
  
  
自分が子供だった頃の方法論は、まったく通用しないのです。
  
  
親自身が、【 20年後の未来 】を正しく予測できていないと、
   
子供に20年後、ベストな人生を歩んでもらう事は不可能です。
  
  
そういう前提を、まず理解する必要があります。
  
  
人間は、恐怖を感じると、不合理な判断をしてしまいます。
  
  
理屈はわかっても、怖いから無難な選択をして、
  
「たった一人で間違うより、みんなで間違う方が良い」
と思ってしまいます。
  
  
恐怖を克服し、自分の人生を真剣に考えられない事には、
  
子供にも、ポジティブな選択肢を与える事は不可能です。
  
  
子供に幸せに、豊かになって欲しかったら、
  
まず、親自身が成長しないと、話にならないという事なのです。


mixiチェック

haxe501 at 20:04|Permalinkclip!

2016年10月28日

不倫のニュースで怒る人

最近は特に、
有名人の不倫のニュースが多くなってきています。
  
  
で、不倫が発覚すると、有名人は謝罪します。
  
  
「有名人が謝罪する理由」はわかります。
  
例えば、アイドルは「夢(幻想)を売る」のが仕事です。
  
  
ですから、恋愛が禁止だったりします。
  
恋愛が発覚すると、仕事に支障が出ます。
  
  
仕事仲間にも、迷惑が掛かります。
  
  
自分が仕事をする上でお世話になっている
「仕事仲間、利害関係者」に迷惑を掛けてしまった、だから謝る。 
  
この理屈はわかります。
  
  
では、逆の立場に立って考えてみましょう。
  
  
テレビの視聴者は、不倫をした有名人に対して、
  
なぜ「謝れ! 反省しろ!」と思うのでしょう?
  
  
「悪い事をしたから当然だ!」と思う人もいるかもしれません。
  
  
でもシリアでは、よっぽど酷い事が起こっています。
  
空爆によって子供たちが、がれきの下に埋もれてしまい、
血まみれ、ホコリまみれで救い出される映像が放映されています。
  
  
アフリカの難民が地中海を渡ってヨーロッパに向かおうとして、
途中でボートが沈没して、溺れ死んでいる人たちが大勢います。
  
  
女性差別が激しく、
女の子が人道的に扱われていない地域もたくさんあります。
  
  
でも、そのニュースを見て、
怒りや悲しみに震える人は少ないかも知れません。
   
「有名人の不倫のニュース」の方が、
よっぽど感情的になって怒っているのでは無いでしょうか?(笑)
  
  
政治家がニセの領収書で税金を私的に利用したり、
そういう事の方にも、もっと怒って良いのに、
  
なぜ有名人の不倫のニュースの方が、
感情を揺さぶられるのでしょうか?
    
  
ニュースを見て、「怒り」を感じる人は、
  
要するに「悪い事をした人に対して怒っている」のでは無く、
  
【 自分の「個人的な感情」 】で、怒っているのです。
  
  
不倫のニュースに怒るのは、
  
「大義名分を掲げた正義感」などでは無く、
いたって【 個人的な感情 】なのです。
  
  
本当に正義感が強いというのであれば、
  
「世の中で起こっている、諸々の残虐行為、殺戮行為」の方が、
よっぽど怒りに値します。
  
  
では、なぜ「浮気、不倫、二股は悪い」とされているのか?
  
  
ひとつは、
  
【 パートナーとの合意も無く、隠し事をしているなんて、不誠実だ 】
  
という話です。
  
  
それはその通りですね。 
  
まぁ、隠し事をされている方も自業自得ですが。
  
  
  
もうひとつは、
  
【 一人の人間が、同時に複数の異性と愛し合う事は悪い事だ 】
  
という話です。
  
  
これは、おかしな話です。
  
なぜ、悪い事なのか? という説明を、
  
【 論理的根拠 】に基づいて説明できる人はいるでしょうか?
  
  
「人が悲しい思いをするからイケナイ事なんだ!」
  
という人がいるかもしれません。
  
  
でも、学校の先生は、
  
子供が自分勝手な振る舞いで他人に迷惑をかけたとしたら、
叱らなければなりません。
 
叱られた子供は、悲しい思いをするでしょう。
  
  
「人を悲しませてはいけない」と言うのであれば、
  
【 子供を叱るのは悪い事だ 】という話になります。
  
  
私は、両親に厳しく躾けてもらった事を、深く感謝しています。
  
叱られたら悲しいですけど、
「それも自分に必要な事だった」と理解しています。
  
  
ですから、
  
【 人を悲しませる事が悪い事 】という訳ではありません。
  
  
  
【 一人の人間が、同時に複数の異性と愛し合う事は悪い事だ 】
  
と思っている人は、
   
【 愛情は有限であり、奪い合うモノである 】
  
という観念を持っています。
  
  
お金についても、
実際には有限でも無いし、奪い合うモノでもありません。
  
実際には、人間は助け合えば、全体の価値の総量が増えます。
  
   
他人からお金を受け取る時に、
相手から奪ってしまうというイメージを持っている人もいると思います。
  
かくいう私も、昔はそうでした(笑)
  
  
しかしお金は、助け合えば助け合うほど、増えていく性質を持っています。
  
人間が仕事を通して助け合えば、全体のお金は無限に増えていきます。
  
  
今回は経済の話では無いので、その理屈は説明しませんが。
  
  
話を戻しますが、
  
【 異性の愛情 】に対する「ネガティブ観念」が強い人は、
   
パートナーが「自分以外の誰かを愛する」と言う事は、
  
【 自分に対する愛情が減ってしまう、奪われてしまう 】
  
という発想になってしまうのです。
   
   
しかし、実際には愛情は有限でもありません。
  
  
愛情が有限というのであれば、
子供が生まれれば生まれるほど、愛情が減っていくという事になります。
  
  
もし、二人目の子供がうまれたら、
【 一人目の子供への愛情が半減する 】という事になります。
  
実際には、そんな事は起こりません(笑)
  
  
宇宙は無条件の愛で出来ており、無限です。
  
愛は無限なのです。
  
  
有限ではありません。
  
  
ただ、自分の「愛を受け取る器」が小さいと、
  
無限に存在する愛を充分に受け取れません。
  
  
海には膨大な水があります。
  
でも、「自分が持っている器の大きさ」によって、
【 すくえる量 】は決まるのです。
  
  
愛情を「海」だと思って下さい。
  
  
愛情をたくさん受け取れる人は、
ただ「自分の持っている器」が大きいのです。
  
  
海には無限とも思えるほどの水が存在していますが、
  
他人が海からたくさんの水をすくっていて、
「自分の分が取られた!」と思いますか?
  
  
愛を受け取る「量」を増やしたければ、
愛を受け取る「器」を大きくすれば良いのです。
  
  
私も、失恋ばかりしていた頃は、
「二股を掛けるような人」を否定し、嫉妬していました。 
  
  
自分は、たった一人とすら愛し合えていないのに、 
  
「二人以上の異性と愛し合っているのはズルい!」という風に。
  
  
みんなが異性関係で満たされていたら、
不倫のニュースなどには怒らないと思います。
  
  
要は、不倫のニュースに怒る人の根本原因は、【 嫉妬 】なのです。
  
  
自分の受け取る器が小さいから、大きい人がうらやましいのです。
  
  
しかし、自分も正しく努力すれば、愛を受け取る器は大きくなります。
  
嫉妬し続けている限り、自分の器は大きくなりません。
  
  
不倫のニュースに怒る人は、
 
・異性に対する愛情は有限だと思っている
・自分の愛を受け取る器が小さく、大きな人に嫉妬している
  
という事ですね。
  
  
「浮気、不倫、二股」について語る上では、
  
「不誠実」と「愛情」と、
もうひとつ、「性(セクシュアリティ)」というテーマがあります。
  
  
【 「性(セクシュアリティ)」に関する事柄を「汚らしい」 】
  
と思っている人も、
  
「複数の異性と愛し合う事」を否定するでしょう。
  
  
私の両親は、性に関する話題をタブー視していました。
  
そういう家庭環境で育ったので、 
私も、「性」に対するメンタルブロックは非常に強かったです。
  
  
だいぶ外しましたが、まだ残っているかも知れません。
  
  
世間で賑わせている「性」に関するニュースは、
  
「性犯罪」のモノが多いので、
性自体にネガティブイメージが付いてしまいそうです。
  
  
「性欲」自体を、非常に悪いモノだと思っている人もいるでしょう。
  
  
お金で困る事は、大きな苦痛です。
人間関係で困る事は、大きな苦痛です。
  
しかし、
  
お金で満たされると、とても幸せです。
人間関係で満たされると、とても幸せです。
  
  
何事も表裏一体です。
  
「大きな苦痛」を生み出すテーマは、
裏を返せば、「大きな幸福」を生み出すテーマでもあるのです。  
  
  
「性」も、時として多くの苦しみを生むでしょうが、
  
裏を返せば、それと同じだけの幸せを生む可能性を持っています。
  
  
お金に関しては、
  
昔よりも、
「お金が全てだ!」って思っている人は少なくなったと思います。
  
世間全体の「お金に対する観念」が変わり、
  
お金に執着しなくても、
幸せになれるっていう思想が広まっていると思います。
  
  
それと同じように、「性」に関しても、
  
世間全体の観念を変える必要がありますし、
今現在も、変わり続けていて、この流れは加速するでしょう。
  
  
【 性はタブーでは無く、
  性について、もっとオープンに考えたり、語っても良い 】
   
先進的な人たちは、そういうメッセージを多く発信しています。
  
  
不倫のニュースで、世間の人が怒る本質的な理由は、
  
【 悪い事だから当然だ! 】という訳では無い、
  
と言う事が、理解頂けましたでしょうか?
  
  
問題の本質は、
  
・愛を受け取る器
・愛情に対する観念
・性に対する観念
  
などにあるのです。


mixiチェック

haxe501 at 22:12|Permalinkclip!

2016年10月27日

生まれたばかりの娘の波動と性質

私は千博さんの出産に立ち会いましたが、
赤ちゃんが生まれた瞬間、生命の誕生に感動しました。
  
  
ですが、「めっちゃカワイイ!」と、
ハイテンションになる事は無く、
  
「あれ? 何かイメージと違うな?」
と、微妙な違和感を感じました。
  
  
自分の潜在意識に、「カワイイと思えてる?」
  
と聞くと、「カワイイと思えている」と返ってきます。
  
  
じゃあ、この違和感の正体は何なのか?
  
  
ひとまず、
  
「さすがレインボーチルドレンだし、普通の子と違うんだろうな」
  
と思う事にしました(笑)
  
  
で、出産から一日経って、赤ちゃんを見ながら、
  
「違和感の正体は何だろう? 何が違うんだろう?」
  
と、分析していたら、すぐに答えはわかりました。
  
  
まず、私は自分の身の周りの人たちに対して、
常に「遠隔ヒーリング」をしています。
  
ですが、生まれたばかりの娘に限っては、
どうやら、それが必要なさそうです(笑)
  
  
私は、他人に何かしてあげたい、
与えたい気持ちの非常に強い人間ですが、
  
生まれたばかりの娘には、それが必要ない。
  
  
私もまだ過保護なので、目に見えない領域で、
「相手に何もしてあげる必要がない」という事に、
  
ちょっと寂しさを感じました(笑)
  
  
もうひとつは、生まれたばかりの娘は、
  
【 男女エネルギーのバランスが非常に取れている 】
  
と言う事です。
  
  
ですから、非常に「中性的な波動」を放っています。
  
  
女の子、女の子していません。
  
  
【 つい守ってあげたくなっちゃう、か弱い女の子 】
  
という感じでは無いのです。
  
  
さらに、肉体は赤ちゃんですが、
  
波動的には、「成熟した大人の波動」を放っています。
  
  
自分の目を閉じれば、目の前に大人が眠っている様に感じます。
  
  
「子供らしく思いっきり遊びたい!」というよりは、
  
むしろ、【 仕事をしたくてウズウズしてる! 】というエネルギーです。
  
  
「フリフリ、フワフワ、キャピキャピの女の子」 ではなく、
  
私の想定以上に、成熟した魂だった様です。
  
  
まぁ、千博さんのお腹の中にいるときから、
そういうエネルギーを放っていましたけども(笑)
  
  
・既にアセンションしているので、遠隔ヒーリングは不要
・男女エネルギーのバランスが取れている
・自立し、成熟した大人のエネルギー
・仕事をしたいと思っているエネルギー
  
こういう感じなので、
  
普通の赤ちゃんの様な意味で、カワイイとは思えなかったわけです。
  
  
むしろ、【 仲間、同志 】だと思います(笑)
  
  
そう思えたら、非常にスッキリして、
  
「赤ちゃんとの接し方」がわかりました。
  
  
今回生まれた娘には、
【 スムーズに学習できる環境だけ整えてあげて、あとは邪魔をしない 】
    
それだけでいいんだなと思いました。
  
  
ホント、「既に悟った魂」って感じです。
  
  
イエスや釈迦が生まれた時も、こんな波動だったのでしょうか?
  
「悟った魂の子」を産んだから、千博さんは聖母ですね(笑)
  
  
レインボーチルドレンは、
  
・地球に生まれるのが初めて
・第三密度で解消するべきカルマが存在しない 
・既に悟っている(アセンションしている)魂
   
と言う事なので、
  
もしかしたら、
「過去世の繋がり」もそれほど強くないのかも知れません。
  
  
【 遠い遠い昔の知り合いが、
  自分の仕事を手伝いに、遠路はるばる手伝いにやってきてくれた 】
  
そういうイメージだと思います。
  
  
私の娘は「琴葉ちゃん」と名付けますが、
  
琴葉ちゃんは、自分が世話を焼いて育てるべき子供では無く、
  
【 仲間、同志 】として認識します。
  
  
そっちの方が、スムーズにコミュニケーションが取れそうです。
  
  
特殊な子供に対しては、特殊な対応が必要ですからね。
  
  
私は、【 教える事、育てる事 】が三度の飯よりも好きです。
  
  
しかし、琴葉ちゃんには、わざざざ私が教える事も無さそうです(笑)
  
既に本質を理解していると思いますし、
必要な情報は、環境さえ与えれば自分で勝手に学んで行くでしょう。
  
  
むしろ逆に、教えてもらえる事も多いかも知れません。
  
  
琴葉ちゃんに対しては、
「教えてやろう、育ててやろう」と思うのでは無く、
  
【 対等な同志 】として、接していきたいと思います。
  
  
「自分が子供を育てる」っていう事に対して、
  
「責任感」とか「プレッシャー」、「ワクワク」も感じていましたが、
  
琴葉ちゃんに限っては、アテが外れましたね(笑)
  
  
「自分が教える側、育てる側」という認識を手放し、
  
「対等」か、「むしろ教えてもらう側」という認識を持った瞬間、
  
自分が感じていた違和感もすっかり消えてしまいました。
  
  
そりゃ、子犬や子猫を可愛がるような意味での、
カワイイ、カワイイした気持ちにはなれない訳です(笑)
  
  
私は、人生を懸けて、
全力でめちゃくちゃストイックに成長してきましたが、
    
その私から教えることが無い、サポートが必要無いって、
  
【 むちゃくちゃにレベルが高い 】ってことです。
  
  
非凡中の非凡でしょう。
  
  
すごい子供が生まれてしまったものです(笑)


mixiチェック

haxe501 at 21:09|Permalinkclip!

2016年10月26日

私の子育て方針(その2)

私は、
  
【 子供(赤ちゃん)は「親の所有物」ではなく、一人の人間である 】
  
という信念を持っていますから、
  
子供の人生や生き方を、親の思い通りにしようとは思いません。
  
  
お節介なレールは敷きません。 
  
自分で考えて決めれば良いと思います。
  
  
極論、不良になりたければ、なっても良いです(笑)
  
ならないと思いますけど(笑)
  
  
ジャンクフードだって、
食べたければ、いくらでも食べれば良いです。
   
   
ただ、ひとつだけ教えておきたい事は、
  
【 自分の選択や行動の結果は、自分が責任を負う 】
  
という事です。
  
  
要するに、「身勝手、自分勝手」をしても良いけど、
  
そのシワ寄せは他人じゃなくて、自分に降りかかってくる。
  
  
【 他人に対して甘えた態度であれば、厳しくされるのが当然 】 
  
そういう当たり前の理屈だけ、教えておきたい訳です。
  
  
私がよく言っている、
  
【 人生は自己責任・自業自得 】というヤツです。
  
  
それさえ解っていれば、
  
あとは自由に好き勝手すれば良いと思います。
  
  
人生で一番くらいに不幸なことは、
  
【 人生を「自己責任・自業自得」と捉えて生きられない事 】
  
だと思います。
  
  
人生を「自己責任、自業自得」と捉えている人は、
  
人生を主体的に、自分の思い通りに生きていきますし、後悔をしません。
  
  
自分の人生を「自己責任、自業自得」と捉えていない人ほど、
  
行動の動機が、【 義務感 】によるモノになってきます。
  
  
人生そのものが、受け身になってしまうのです。
  
  
「自分の人生に対して、主体的か? 受け身か?」
  
  
これは、人生の質に【 天と地の差 】を生みます。
  
  
自分の人生に受け身な姿勢で、成功する人などいません。
  
  
人生を「自己責任・自業自得」と思えていない人は、
  
無意識レベルでは、
【 自分の人生を他人に何とかして欲しい 】と思っています。
  
  
「世間の常識や、偉い人、政治家」の言う事に従うから、
自分の人生を何とかしてくれよ!
  
っていう姿勢です。
  
  
だから、【 義務感 】で行動するのです。
  
  
「義務感」で行動している人は、
  
もし、上手く行かなかった時に、「他人のせい」にしたいのです。
  
  
【 あなたの言う通りにやったのに、上手く行かなかったじゃないか!? 】
  
とね(笑)
  
  
まず、その「他人に責任転嫁する姿勢」を正さなければ、
  
何を学んでも上手く行く事はありません。
  
  
「義務感」で行動している限り、
  
【 動機がネガティブ 】なので、何も上手く行かないのです。
  
  
逆に、「責任感」で行動している人は、
  
上手く行かなかったら、「自分の責任」だと思っています。
  
  
【 「責任」と「自由」はセット 】です。
  
  
責任感を放棄して、義務感で生きるという事は、
  
【 自分のやりたいように生きない 】という事です。
  
  
ライフワークの人生からも、一番遠くなってしまいます。
  
  
私は、自分の子供が不良になっても良いんですけど、
  
「ワガママに振る舞っても、怠けても、
 他人が尻を拭いてくれる訳では無く、
 自分で尻を拭かなければならない」
  
という当たり前の理屈だけは、理解してもらいたいと思います。
  
  
その理屈を理解していない子は、
  
「自分がワガママしても、怠けても、他人に尻を拭いて欲しい」
  
と思っています。
  
  
それも、
  
子供が犯した過ちに対して、親が尻を拭いてしまって、
甘やかされて育ったからです。
  
  
【 自分がいくら身勝手、自分勝手に振る舞っても、怠けても、
  他人が何とかしてくれる、他人に何とかして欲しい 】
  
そういう風に「勘違い」している子は、とても不幸だと思います。
  
  
自分に「試練」が訪れても、原因がわからず、解決も出来ないからです。
  
  
ということは、
  
ずっと問題の原因を「他人に責任転嫁」して、
ストレスを抱え続けて、生きていかなければなりません。
  
  
私は、そういう勘違いをさせない様に、子供に教えたいのです。
  
  
ジャンクフードを食べたら、
体調が悪くなるし、病気になっても自己責任で自業自得。
  
治療費が発生しても、他人が何とかしてくれる訳でも無い。
  
  
他人のモノを盗んだりしたら、
信頼を失うし、警察に捕まっても文句は言えない
  
他人が何とかしてくれる訳でも無い。
  
  
成長を怠ったら、不幸で不自由な人生が待っている。
  
他人が何とかしてくれる訳でも無い。
  
  
そういう、当然のことを理解させたいのです。
  
  
子供を甘やかして育てて、
  
【 自分が無茶苦茶やっても、怠けても、他人が何とかしてくれる 】
  
なんていう風に「勘違い」していても、他人は何とかしてくれません。
  
  
【 何とかしてあげたくても、出来ない 】と言った方が正確です。  
  
  
自分が努力すれば、それに相応しい人生が待っている。
  
自分が努力しなければ、それに相応しい人生が待っている。
  
  
自分が勇気を出せば、それに相応しい人生が待っている。
  
自分が勇気を出さなければ、それに相応しい人生が待っている。
  
  
他人に奉仕・貢献すれば、それに相応しい人生が待っている。
  
他人に奉仕・貢献しなければ、それに相応しい人生が待っている。
  
  
本当に当たり前で、当然の理屈です。
  
  
それを伝える事が、一番大事です。
  
  
もちろん、「英才教育的な事」もやるかもしれませんけど、
  
それは優先順位が低く、二の次です。
  
  
最も大事な事は、
  
・過保護にしない、虐待しない、特別扱いしない
・自分の選択・行動については、全て自分が責任を負う
  
という、当たり前の事なのです。
  
  
自分の人生は「全て自己責任・自業自得」とわかっていれば、
  
もし子供が「どうしても冒険家になりたい!」と言って、
危険地帯に行って死んだとしても、
  
私は反対もしないし、後悔もしないと思います。
  
  
自分の責任において、
  
【 好きな様に生きて、好きに死ぬ事 】
  
  
これが、もっとも意義のある人生だと思うからです。
  
  
結局、大人に必要な教育も、子供に必要な教育も、内容は同じですね。


mixiチェック

haxe501 at 21:22|Permalinkclip!

2016年10月25日

私の子育て方針(その1)

私は、妻の妊娠が発覚した時から、
  
「子供をどう育てるべきか?」
  
と言う事について、考えてきました。
  
  
「先回り」が好きなのです(笑)
  
  
で、私の「子育て方針」における一番重要なポイントは、
  
・子供は「親の所有物」では無い
・子供は「弱い存在」では無い 
・子供を「特別扱い」しない
  
という信念です。
  
  
「虐待」(優しさを与えない事)も、
「過保護」(厳しさを与えない事)も、
  
どちらも人間の性格を歪めます。
  
  
では、なぜ人は子供を虐待したり、
または過保護にしてしまうのだろうか? と考えた時に、
  
やはり、
  
・子供は親の所有物
・子供は弱い存在
  
という風に見なす事が、根本原因である様に感じます。
  
  
私は、子供を所有物だとも思わないし、弱い存在だとも思いません。
    
  
相手がゼロ歳児だとしても、
精神的には、大人と同じように接します。
  
【 自分もゼロ歳児も、同じ一人の人間である 】
 
という信念があるからです。
  
  
法的にもそうです。
  
ですから、ゼロ歳児の自分の子供を殺しても、
逮捕されてしまう訳ですね。
  
  
もちろん、未熟な子供は、一人では生きていけないので、
いろいろ世話をする必要はありますが、
  
「物理的に、未成熟な子供の世話をしてあげること」と、
「精神的に接すること」は、切り分けて考えます。
  
  
赤ちゃんは、「無条件の愛」に一番近い存在だと言われます。
  
  
その「無条件の愛」と接する事によって、
「無条件に自分を愛する事」を学びます。
  
  
無条件の愛は、「優しさ」と「厳しさ」が半分半分です。
  
  
多くの母親が、【 子供を虐待したくなる衝動 】に駆られる様ですが、
  
それは、自分の内面にある「暴力性」や「厳しさ」を
否定している事が原因となっている場合が多いと思います。
  
  
多くの母親は、子育てを通じて【 厳しさの必要性 】を学び、
  
それと同時に、「自分自身を無条件に愛する事」を学びます。
  
  
母親が「厳しさ」を悪いモノとして裁いていると、
  
子供に対して「厳しくしたい衝動」が沸いても、
それを無理矢理、抑え付けようとしてしまいます。
  
  
その反動が、「過保護」や「虐待」となって噴出するのです。
  
  
子供自身は、一切の抑圧をしません。
  
泣きたい時に、思いっきり泣きます。
  
  
自分を強く抑圧している人ほど、
自分を抑圧していない子供を見ると、イライラするでしょう。
  
  
それは子供が
  
「あなたも抑圧しなくていいんだよ」
「抑圧している事を許して、自由に行動・表現していいんだよ」
  
と、教えてくれているのです。
  
  
子供は、【 自分が否定している事 】を見せつけてくれます。
  
  
それは、
  
「一切の抑圧をしない事」であったり、
「厳しさの必要性」であったり、
「他人を頼る必要性」であったり、
  
です。
  
  
・何かを強く抑圧していたり、 
・厳しさを否定していたり、
・他人を頼ってはいけない

と思っている人ほど、
子育てには苦労するでしょう。
   
  
逆に言うと、
  
・何も抑圧しない(他人の目を気にせず、自分のやりたい放題やる)
・厳しさもオールオッケー
・たくさん他人を頼っても良い
  
と思っている人ほど、子育てはラクになります。
  
  
多くの女性は、これらを否定しています。
  
だから、子育て時に「強い負荷」が掛かってしまいます。
  
  
子供は「無条件の愛」であり、【 優しさと厳しさの半々 】です。
  
  
子供に優しくしたい、それは素直に表現できても、
  
子供に厳しくしたい…、
それを罪悪感無しで、素直に表現できる人は少ないです。
  
  
それは、【「厳しさそのもの」を否定しているから 】です。
   
  
赤ちゃんは、他人を頼らなければ生きていけない訳ですし、
赤ちゃん自身は「他人を頼る事」に罪悪感など感じていないでしょうが、
  
母親が「他人を頼ってはいけない」と思っていると、
赤ちゃんが「他人を頼らざるを得ない状況」を作ってくれるのです。
  
  
そうして、「自分が否定しているモノ」を見せてくれるのです。
   
  
・自分を抑圧しない、やりたい放題やる
・厳しさの必要性を理解し、受け入れる
・たくさん他人を頼る
  
これはライフワークで生きて行く為にも、非常に重要な心構えです。
  
  
子供は、仕事(経済活動)をしていませんが、
  
【 精神的には、既にライフワークで生きているようなモノ 】です。
  
  
大人になっても、子供のように生きられたら、
  
それが「ライフワークの人生」です。
  
  
子供からは、たくさん学べる事があります。
  
  
子供は弱いし、自分の所有物だし…、という様な見方をして、

【 自分より下位の存在 】だと捉えているから、
子供から学ぼうとも思わないし、心身の負担が増えます。
  
  
物理的なお世話は必要ですが、
  
【 精神的には対等 】という風に捉えた方が良いわけですね。
  
  
子供を「自分の成長にうまく利用しよう」という意志があれば、
  
子供は、自分の精神的成長に大きく貢献してくれます。
  
  
しかし、その意志がなければ、いつまでも心身の負担は減りません。
  
  
大人が正しい、子供が間違っているというのは、勘違いです。
  
子供のほうが自然体で、自然に近しい存在です。
  
  
【 子供の方がまともなのだ 】ぐらいに思えば、
  
大人も子供に対して謙虚になりますし、
  
大人たちの抱える様々な問題も、解決していくのです。


mixiチェック

haxe501 at 21:22|Permalinkclip!

2016年10月24日

愛される自信

今日は、自分の中にある大きなネガティブ観念を発見し、
  
そこから、過去世のトラウマ解放が始まりました。
  
  
「なぜ、過去世のトラウマとわかるのか?」と言われると、
  
私は、
  
・自分の感情
・邪気、邪念、悪霊の感情
・他人の感情
・過去世の感情
  
を見極めて、区別できるのです。
  
  
感情は「目に見えないエネルギーの一種」ですし、
自分が他人のエネルギーを感じる事もあります。
  
  
オドオドした人の近くにいると、不安になったり、
怒っている人の近くに居ると、イライラしてきたり、
  
そういう風に、
  
近くに居る人の感情の影響も受けるのです。
   
  
で、どんなネガティブ観念だったのか?という事ですが、
  
私は、非常に「愛の強い人間」です。
  
  
「愛の強さ、意志の強さ(精神力)」の定義って言うのは、
  
どれだけ、苦しみに耐えられるか? だと思う訳です。
  
  
・愛の深さ
http://growheart.livedoor.biz/archives/51956187.html  
  
・精神力・忍耐力の差
http://growheart.livedoor.biz/archives/51991967.html  

・「強い意志」と「決断」の定義
http://growheart.livedoor.biz/archives/52008051.html
  
  
【 自分にどれだけ肉体的、精神的に大きな負荷が掛かろうとも、
  他人に対する愛情が潰えない 】
  
それこそが、「愛の強さ」だと思います。
  
  
そういう意味で、
私は普通の人が諦めてしまう所で、決して諦めません。
  
自分にどれだけ大きな負荷が掛かろうとも、
どこまでも粘り強く、他人を愛し続ける事ができます。
  
  
私が、他人に対してエネルギーを割くのを辞める時は、
  
宇宙の法則的に照らし合わせて、
「相手に対して過保護になってしまう」と理解した時です。
  
  
自分がどれだけエネルギーを割こうとも、
「もうどうしようもないのだ」という無力さを理解した時です。
   
   
私の愛の強さは、本当に異常なレベルです。
  
「強靱」と言うより、「狂人レベル」ですね(笑)
  
  
しかし、どれだけ他者から愛を注がれようとも、
  
自分自身に受け取る器が無ければ、その愛を感じる事は出来ません。
  
  
私の「狂人レベルの愛」を全て受け止められる人がいたら、
 
その人もまた、「狂人レベルの強い愛」を持っていると言う事です。
  
  
私の「愛の強さ」がわかるには、
その人もまた「愛が強い」必要があります。
   
   
そこで、私の悩みは、
  
自分が「底無し」に自分と他人を愛しているのはわかりますが、
私の愛に対して、 
  
・気付いてくれる人
・理解してくれる人
・受け取ってくれる人
・応えてくれる人
  
が、ほとんどいないと言う事です。
  
  
弟子に対しても、
私は相手の人生を大きく左右する事に強く影響しています。
  
  
ですから、私は弟子の一生を背負う覚悟でいます。
  
  
しかし、私の弟子が「辞める」と言う事は、
  
その子は、【 私に人生を預けるつもりが無かった 】と言う事です。
  
  
私からの一方通行の愛であって、双方向の愛ではありません。
  
  
私は、弟子の一生を背負う覚悟なのだから、
弟子も私に「人生を預ける覚悟」を持つ事で、バランスが取れます。
  
  
実際、私に一生を預けるつもりだという弟子は、
9人中、「国本さん」と「かいじゅん」くらいだと思います。
  
  
その覚悟が持てないのは、
【 他人の「愛の強さ」を理解できる器 】を持っていないからです。
  
それは、自分自身がそれほど他人を愛していないからです。
  
そして、自分自身を愛していないからです。
  
  
他人を信じられる人は、自分を信じているのです。
   
まず自分を深く信じていないと、他人を深く信じられないのです。  
  
   
  
私は、「一方通行の愛」を数多く経験してきて、
「自分の愛が異常に強いのだ」と言うことを理解してきて、
  
  
自分が他人を愛する強さに比べて、
【 他人から愛してもらえる自信 】を持て無くなっていました。
  
  
「あぁ、自分は他人から愛してもらえる自信が無いんだ」
  
と、その事に気付いた時、非常にスッキリしました。
  
  
と同時に、過去世のトラウマ解放が始まりました(笑)
  
  
  
私はずっと、
  
【 私の愛が理解できる、愛の強い人はどこにいるんだろう? 】
  
と、探していました。
  
  
自分の放射する愛のエネルギーを半分くらいに制限した方が、
もっと「他人の人生なんてどうでもいいよ」と冷酷になった方が、
  
もっと多くの人に気付いてもらえるかも知れませんが、
  
でも、私としてはそれはしたくないのです。
  
  
「他人に評価されるかどうか?」よりも、
  
「苦しくとも、長期的目線で、自分が全力を尽くしたのかどうか?」
   
の方が大事だからです。
  
  
愛することに【 手を抜く 】と言う事が、私には出来ません。
  
手を抜いてしまえば、
人間から評価されたとしても、天からは評価されません。
  
  
私は、人間の評価よりも、天からの評価の方が大事ですから。
  
  
それでも、天の存在だけで無く、
  
自分の愛を理解して、受け止めてくれる、生きている人間も欲しいです。
  
  
昔に比べれば、だいぶ増えてきたので、すごく幸せになりました。
  
  
私の放射している愛を受け取って、返してくれる人が増えた。
  
「愛し合える人が増えた」と言う事だと思います。
  
  
しかし、まだまだ私は与える方が多い。
  
【 「与える愛」と「受け取る愛」のバランスが取れている 】とは言えません。
  
  
私は、宇宙の秩序に従って生きると決めていますが、
  
多くの人々は、宇宙の秩序よりも、世間の常識に従って生きています。
  
  
「宇宙の法則」と「世間の常識」は、水と油であり、相容れません。
  
  
宇宙の法則よりも、世間の常識を優先する多数派の人は、
私の目の前から去って行き、
  
世間の常識よりも、宇宙の法則を優先する少数派の人が、
私の目の前に引き寄せられてきます。
  
  
しかし、「世間の常識」を捨てて、
「宇宙の法則に従って生きる覚悟」を持った人は、
  
そう多くはありません。
  
  
世間の常識を優先する人が多いと、私は孤独です。
  
宇宙の法則に従って生きる人が増えれば増えるほど、
私の仲間が増えると言うことです。
  
  
弟子たちにも言える事ですが、
  
自分自身を強く愛していない子は、他人も強く愛していないし、
  
私の愛も理解できない、感じ取れない、気付けない、と言う事です。
  
  
  
私の妻は、私を深く愛してくれています。
  
それって本当にすごい事で、奇跡の様に思えます。
  
  
彼女の「愛の強さ」が、【 非凡である 】という事の証明です。
  
  
彼女自身の、「自分を愛する気持ち、他人を愛する気持ち」が強いから、
私の愛に気付いてくれるのです。
  
  
でも、まだまだ私は他人を愛しています。 広く、深く。
  
  
バシャールが、
  
「高次元存在がみなさんがどれだけ愛しているか?
 それを感じる事ができれば、必ず驚くでしょう」
  
という様なことを言っています。
  
  
私も同じ気持ちです。
  
  
私の愛を感じる事ができれば、きっと驚きます。
  
それは、本人の想像を遥かに超えているでしょう。
  
  
「自信を高めない、精神的に成長しない、視野を広げない」
  
と言う事は、【 他人の愛に気づけない方向に進む 】と言うことです。
  
  
成長すればするほど、他人の愛に気付く事が出来ます。
  
しかし、「あえてそうしない」という自由意志も、
尊重しなければなりません。
  
  
私は、自分の愛に気付いて欲しくて、
みんなに成長して欲しいと思っています。
  
弟子たちも、成長すればするほど、
私の愛に気づける様になっています。 
  
  
でも、「気付かないまま終わる人がいてもいいや」って
思えるようにもなる必要があります。
  
  
例えば、高次元存在(天使、守護霊、宇宙人など)に対して、
感謝しながら生きている人って少ないと思いますが、
  
高次元存在は、私たちに気付かれていなくても、
私たちをサポートしてくれています。
  
もちろん、彼らに感謝した方が、
より、彼らのサポートを多く受け取る事が出来ますけどね。
  
    
高次元存在は、「気付かれていなくてもいいや」って思っているのです。
  
  
私たちに期待せず、ただ自分がやりたくて奉仕しているのです。
  
  
私も今回の気付きで、より一歩、彼らに近づけたと思います。
  
  
「他者からの深い愛」に気付くには、
  
まず、自分自身を深く愛する必要があります。
  
  
自分自身を深く愛すればこそ、他人も深く愛する事が出来ます。
  
  
そして、他人を愛する気持ちがわかれば、
「自分を愛してくれる他人の気持ち」もわかりやすいのです。
  
  
私は、天から愛されている事を感じています。
  
だから不安なく、安心して生きていられます。
  
  
自分を深く愛するには、
  
【 自分が存在しているだけで、喜んでくれる人がいる 】
  
という事実に目を向ける事です。
  
  
多くの人にとっては、親だと思いますが、
   
親以外の他人にも、そういう人がいると思います。
  
  
自分がどれだけネガティブでも、自分がどれだけ未熟でも、
  
「自分に対して好意的な人」はいるはずです。
  
  
人間は、「自分の孤独を埋めてくれる人」を欲しがっています。
  
  
自分も存在しているだけで、誰かの孤独を埋めているのです。
  
  
私にとっては、
  
・常識を捨て、「宇宙の法則」に従って生きる人
・「愛(精神力)」が異常に強い人
・「波動的な相性」が良い人
  
が、自分の孤独を埋めてくれる人です。
  
  
私は、そういう人を守るためなら、いくらでもエネルギーを割きます。
  
(※ 過保護になっているとわかったら潔く諦めますが、
   それまでは全身全霊の全力です。)
  
  
そういう人は「私の理解者」なので、本当に貴重なのです。
  
そういう人は、特別に何もしてくれなくても、
存在しているだけで、自分にとっては有り難いのです。
  
  
まだまだ、私の愛は一方通行だなと思いますが、
  
「自分自身を深く愛する人」が増えれば、それも解決していきます。
  
  
私も、「仕事や使命の領域」に関しては、
他人から評価される自信がありますが、
    
プライベートの領域では、
「他人から愛される自信」がまだまだ足りないと感じます。
  
  
「仕事の領域」を取っ払ったとしても、
  
お互い一人の人として愛し合える事を、まだまだ求めているのです。
  
  
そこの自信が高まれば、もっと毎日が楽しく幸せになれると思います。
  
  
一人で遊ぶのも好きですけど、
   
プライベートでの楽しみや喜びを共有できる人が
もっともっと増えたら嬉しいです。
  
  
まだまだまだまだ、自分も他人も幸せになれる。 伸び代がある。
  
  
私は、「他人を愛する事」には一切のブレーキがありません。
  
どれだけ裏切られても、傷ついても、愛する事を止めません。
  
  
しかし、「愛される自信」についてはまだまだ乏しいと感じます。
  
  
自分の為にも、他人に為にも、まだまだ「愛される自信」を高めます。


mixiチェック

haxe501 at 20:54|Permalinkclip!

2016年10月23日

希望の価値

世の中には、
  
【 生きている事自体が辛い 】と言う人が、
ゴマンと存在しています。
  
  
私も、過去に「自殺願望」を持っていたので、
その気持ちはよく分かります。
  
  
人間の幸福にとって必要なモノのひとつに、【 希望 】があります。
  
  
どれだけ苦しい状況でも、「希望」があれば耐えられます。
  
前向きでいられるのです。
  
  
しかし、今どれだけ「恵まれた環境」に置かれていても、
  
将来に不安しか見えなければ、幸せを感じる事は出来ないでしょう。
  
  
私が、スピリチュアルな情報(宇宙の法則)を学んで、
一番良かったなぁと思う事の一つに、
  
「未来は明るい」という展望を与えてもらった事だと思います。
  
  
私が自殺願望を持ったのは、
「ネガティブな世の中」に絶望したからです。
  
  
【 不真面目で冷酷な人間が得をして、
  真面目で優しい人間が損をする 】
  
そういう世の中に絶望したからです。
  
  
私は自分が良い人だと思っていましたし、
  
良い人が苦しむ世の中なんて、
生きている意味が無いと思ったのです。
  
  
しかし、スピリチュアルの情報(宇宙の法則)を学んでいると、
  
【 いよいよ、「良い人」が「良い目」を見られる時代が来る! 】
  
という事が書かれている訳です。
  
  
それにも、ちゃんとした根拠がある訳です。
  
  
私にとっては、それが【 希望 】となりました。
  
  
その希望があればこそ、辛い試練にも耐える事が出来ます。
  
  
高次元存在が私に希望を与えてくれたように、
  
私も、他人に希望を与えています。
  
  
弟子たちも、私が与える希望があるから、
  
人生を前向きに考えられます。
   
  
「これから、自分の人生は良くなっていくんだ」と思えます。
   
  
「これから、人生は良くなっていくんだ」と思っている人と、
「これから、人生は悪くなっていくんだ」と思っている人では、
  
気分がまるで違います。
  
  
希望があるか無いかで、精神状態は「天と地の差」でしょう。
  
  
そして、その希望には【 根拠 】が必要です。
   
   
「根拠の無い希望」は、【 希望的観測 】というヤツで、
   
シビアな現実を直視せず、他人に甘えていて、
  
【 よく分からないけど、何とかなるだろう 】と言うような、
  
甘い考え、「現実逃避の一種」です。
  
  
【 現実を見据えた根拠のある希望 】が、
    
人間を前向きにさせるのです。
  
  
その根拠とは、【 成長 】です。
  
  
【 自分自身が精神的に成長して、現実が好転する 】
  
これを繰り返していく事で、いくらでも現実を良くする事が出来る。
  
  
その理解が、【 希望 】となります。
  
  
「成長」を止めれば、「根拠ある希望」も消えてしまいます。
  
残るのは「現実逃避」か、「不安と絶望」です。
  
  
私のメソッドは、実践すれば誰でも確実に結果が出ます。
  
  
結果が出ない人は、
  
【 人生を自己責任と捉えておらず、
  他人の目を気にして義務感で行動していて、主体性が無い 】
  
という理由しかありません。
  
  
実践すれば、いくらでも人生を良い方向に持って行ける。
  
この私のメソッドも、希望です。
  
  
私は、「絶望」した事があるからこそ、【 希望の価値 】がわかります。
  
  
希望を持てるかどうかで、
人間の精神状態は、天と地ほどの差を生みます。
  
  
同じ状況でも、同じ境遇でも、
  
「希望があるかどうか?」で、まったく精神状態は違ってきます。
   
  
「希望」は、【 人生を大きく変えるパワー 】を持っています。
  
  
それは、根拠のある希望で無ければなりません。
  
  
【 自分が頑張らなくても、他人が何とかしてくれるだろう 】
  
というのは、根拠のある希望では無く、
  
ただの「地に足が付いていない現実逃避」です。
  
  
人間は絶望する事で、「希望の価値」が分かります。
  
  
この世に、未来に希望を抱いて生きている人は、
  
2%くらいしか居ないんじゃ無いかと思います。
  
  
ほとんどの人は、
先行きの見えない社会に、自分の人生に、不安と絶望を抱えています。
  
  
その状況から脱するのは、ラクではありません。
  
  
しかし、本人にその気さえあれば、いくらでも人生は変えられます。
  
  
積極的に、絶望や不安と向き合うからこそ、
  
その後に、希望も見えてきます。
  
  
ほとんどの人は、ネガティブ感情から目を逸らそうとするので、
 
根本解決が出来ないのです。
  
  
絶望や不安に対して、勇気を持って、正面切って向き合える人は、
  
自分の将来に希望も持てますし、人生を良い方向に変えていけるのです。 


mixiチェック

haxe501 at 19:18|Permalinkclip!

2016年10月22日

真実を知りたい人

今日も、「ネガティブ心理」をひとつ解明しました。
  
  
私は、他人が「ネガティブな選択を行う事」は、
もう受け入れています。
  
昔は、「ネガティブな選択を行う人」を否定していましたが、
今は、もう否定はしていません。
  
  
ただ、自分には「理解できない事」が引っかかります。
   
  
【 どう考えても、自分にとって損な選択をする人 】を見ると、
なぜ、そのような選択をするのか?
  
自分にとって理解不能だからこそ、理解したくなります。
  
  
なぜ理解不能なのか? というと、
  
私には、「人間とはこういう生き物だろう」という前提があって、
  
その前提に乗っかっていない人は、自分にとって盲点になります。
  
  
盲点だから気付けない、理解できない訳です。
  
  
私が以前持っていた前提とは、
  
・人は幸せを求める
・人は苦しみを避けようとする
  
などです。
  
  
でも、「幸せを避け、苦しみを選択する人」もいますからね。
  
  
それで、今日もそういった「前提・盲点」に気付きました。
  
  
私は、
  
・人間とは、真実を知りたがる生き物だ
・人間とは、真実を知る事で賢くなりたい生き物だ
 
という前提を持っていました。
  
  
ですから、
  
・真実を知りたがらない人
・賢くなろうとしない人 
  
が、自分にとって意味不明だったのです。
  
 
私は「科学者タイプの脳みそ」をしていますから、
   
【 真実の探求 】は、自分にとって当たり前すぎる欲求です。
  
  
人類は、「真実の探求」によって、進化してきました。
  
  
昔の人は、カミナリを「神の怒り」だと捉えていましたが、
  
それが「真実で無い事」を解明しました。
  
そして、「電気の仕組み」を解明し、「避雷針」を発明しました。
  
  
昔の人は、地上を平面だと捉えていました。
  
しかし、コロンブスやマゼランなどによって、
「地上は球体である事」が証明されました。
  
  
それも、【 真実の探求 】です。
  
  
真実を知る事で人類は賢くなり、進化するのに、
  
真実を知りたくないと言う事は、
   
・「地上は平面である」と信じ続けたい
・「カミナリは神の怒り」だと信じ続けたい
・「地動説」では無く、「天動説」を信じ続けたい
  
と言う事です。
  
  
それって、【 自分は無知なバカのままでいたい 】って事じゃない?
  
私は、そんな人はいないだろうと思っていました。
  
  
真実を知る事で、自分にとって「ベストな選択」ができる訳で、
  
真実を知りたくないと言う事は、
「自分にとってベストな選択をしたくない」と言う事です。
  
 
そんな人、この世に居るのって?
   
  
しかし今回、私は「真実を知りたくない人」の心理が理解できました。
  
   
真実を知りたくない人、真実から目を背けたい人は、
  
「真実を受け止められる精神力」を持っておらず、
【 真実に心が耐えられない 】という訳です。
  
  
「真実(事実)」に対して、【 強い恐怖 】を感じていて、
  
出来る限り、逃げられる所まで逃げ続けたいと思っています。
  
  
私は、「心が恐怖に囚われている人」の気持ちはわかります。
  
  
私もまだ心理に詳しくなかった頃は、
  
「他人から責められる事」を極度に怖れていて、
その頃は、強い恐怖を感じると、逃げられる所まで逃げ続けていました。
  
  
でも、科学者的な脳みそをしていたので、
「真実から逃げたい」と思った事は無いので、
  
そういう人の気持ちがわからなかったのです。
  
  
「真実に恐怖を感じる」と言う事が、私にはわからなかったのです。
  
私は、真実を知る事で賢くなり、ベストな選択ができる訳ですから、
  
真実を伝える事は、誰にとっても良い事だろうと思っていました。
  
  
しかし、真実に対して極度に恐怖を感じている人は、
真実を知りたいと思っていませんし、
    
真実から、逃げられる所まで逃げたいと思っている訳です。
  
  
ですから、【 真実を語る人 】から逃げ出すのです(笑)
  
  
その知りたくない真実とは、
   
・【 現実の厳しさ 】かも知れないし、
・【 自分は間違っていた 】という事かも知れないし、
・【 自分は嫌われている 】という事かも知れないし、
・【 自分が未熟である、ネガティブである 】という事かも知れません。
  
  
しかし、正面から「恐怖を感じる問題」に取り組まなければ、
  
根本解決は出来ません。
  
  
恐怖は「自分の心」が生み出しているので、
  
「目の前の恐怖を感じる対象」から一時的に逃げても、
【 恐怖心 】はまったく消えないのです。
  
  
心理の法則からいうと、
逃げれば逃げるほど、恐怖心は強くなっていくのです。
  
  
私も、心理に詳しくなかった頃は、
恐怖から逃げ惑っていましたが、
    
現在の私は、【 恐怖の対処法 】を教えています。
  
  
その私が伝える「恐怖への対象法」を学んで、
  
私の弟子やお客さんは、恐怖を根本解決しています。
  
  
「恐怖への対象法」を教えてもらっていても、
恐怖に向き合いたくない人に対しては、
    
私も出来る事はありません。
  
  
本人の「意志、覚悟」の問題です。
  
  
恐怖は、「小さいウチ」に対処しておくと、対処しやすく、
  
逃げまくっていると、どんどん大きくなって、
いよいよ、正面から向き合わなければならなくなります。
   
  
いずれ正面切って対処しなければならないのは、
小さいウチでも、大きくなってからでも、どちらにしろ同じ事です。
  
  
私は、「恐怖心が小さいウチに対処する事」を勧めていますが、
 
恐怖心が強すぎて、
【 逃げられる所まで逃げたい 】という気持ちもわかります。
  
  
逃げられないところまで逃げて、追い詰められる…、
  
それも、良い経験です。
  
  
恐怖に対して、勇気を持って向き合える人は、負担が少なく、
  
逃げられる所まで逃げようとすると、負担は大きくなります。
  
  
「心が弱く、勇気や覚悟が持てない人」ほど、苦労します。
  
    
最期に問われるのは、【 本人の心の強さ、勇気 】です。
  
  
それも、「心強くありたい! 勇敢な人間でなりたい!」
   
と、本人がどの程度思っているかどうかだと思います。


mixiチェック

haxe501 at 17:57|Permalinkclip!