2016年09月

2016年09月08日

平等 VS 公平

国際情勢を語るには、
「宗教、思想、経済、政治」の勉強が欠かせません。
  
  
で、「反共とか、赤狩りってなぜ起こったのか?」
って事を学んでいたのですが、
  
シンプルに表現すると、
  
・共産主義の目指す所は、平等だけど、不公平。  
・資本主義の目指す所は、公平だけど、不平等。
    
という風に言って良いと思います。
  
  
「社会主義、共産主義」には、
どれだけ頑張っても収入は増えないから不公平だ!という不満が募り、
  
「資本主義」には、
貧富の差が広がって不平等だ!という不満が募ります。
  
  
過去に、「一億総中流社会」と言われた日本は、
最も成功した社会主義国とも言われています。
  
  
で、この【 平等と公平のバランス 】が大事だと思う訳ですが、
  
  
私は、以前の記事でも書きましたが、
  
「チャンス」や「環境」は平等に与えられるべきで、
  
その先は、「本人の努力次第」ですから、
その後の結果においては、公平であるべきだと思います。
  
  
つまり、子供時代は、【 等しく高い水準の教育 】を与えるべきで、
  
「大人になってからどれだけ成功するか?」は、本人の努力次第なので、
大人になってから飢えようが、野垂れ死のうが、本人の責任。
  
  
こういう風に切り分けると、スッキリ調和すると思います。
  
  
私は、才能や素質のある子供に、
「チャンス」や「環境」が与えられないことが問題であって、
  
「チャンス」や「環境」が与えられているのに貧しいとすれば、
完全に【 本人の自己責任 】だと思います。
  
    
そんな「甘えた人間」を助けようとする事は過保護ですし、
助けようとするべきではありません。
  
  
私は、「お金を持っているかどうか?」で、
【 チャンスや環境を制限される社会 】がイヤなので、
  
今まで、格安で高い水準の教育を提供してきたつもりです。
  
  
それこそ、世の中には100万円のセミナーなどもあります。
  
しかし、私はそれとは比較にならないほど質の高い教育を、
比較にならないほどの安さで提供してきました。
  
  
これも、
  
【 お金を持っていないから、チャンスが得られない 】
  
という人を可哀想だと思っていたので、そうしてきました。
  
  
例えば、弟子のかいじゅんは、
私に弟子入りする前は、「超」が付く【 貧乏 】でした(笑)
  
  
でも、私は「彼にも支払える金額」で教育を提供し、
  
その結果、現在では彼の年齢では、
平均以上の給料を得ていると思いますし、
  
副業のライフワークでも、そこそこ収入を得ています。
  
  
もちろん、将来は完全に独立して、
自営業者として成功してもらいたいと思います。
  
  
ちなみに、
ただ流行のビジネスチャンスでお金を儲けるよりも、
    
ライフワーク(自分の情熱)でお金を稼ぐ方が、
はるかに難しいのです。
  
  
これも以前の記事に書きましたが、
  
「部活と勉強を両立している学生」は、
片一方だけを頑張っている子の何倍も努力しています。
  
  
お金だけ…、情熱だけ…、片一方は得られやすくても、
両立するのは、何倍も難しいのです。
  
  
  
私は、こういう投資がやりたくて、それを実現してきました。
  
  
単に、自分が稼ぎたいだけなら、
お金を持っている中高年以上を相手にすれば良いわけですが、
  
私は、「社会にとって価値ある事がしたい」から、
長期目線で「お金を持っていない若者」を相手に投資してきたのです。
  
  
しかし、私の教育を等しく受けていても、
やる気のある人、無い人、結果を出す人、出さない人がいます。
  
  
私は、「万人に例外なく適応される法則」をベースに、
自分の成長メソッドを作りました。
  
  
それを目の前にしておいて、結果が出ないのは、完全に自己責任です。
  
  
私は、やる気があるのに、結果が出ない…という事を経験してきたので、
  
【 やる気さえあれば結果が出せる方法 】を知りたかった。
  
  
それを作れば、みんな成功すると思いました。
  
でも、そもそも「やる気のある人」が少ない(笑)
  
  
史上最高最大のサポートを受けていても、それを活かせない人がいる。
  
  
その事実を目の当たりにして、当初の思惑が外れましたけどね(笑)
  
  
とにかく、「チャンス」や「環境」が平等に与えられていたとしても、
  
それでも結果は不平等になります。
  
  
人の「やる気」に差があるからです。
  
それは仕方の無いことです。
  
  
結果を平等にしようとすることは、不公平です。
  
  
【 スタート地点は「平等」】であるべきで、
【 ゴール地点は「公平」】であるべきなのです。
  
  
社会を、その状態に近づけていくことで、
誰にとっても不満の無い、理想的な社会になっていくのです。  
  
  
全ての人に、「教育のチャンス」を与えたいと思いますが、
  
そのチャンスを目の前にして、チャンスを活かさないのは自己責任、
それで飢えても、野垂れ死んでも自業自得。
  
  
と言う事です。


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2016年09月05日

真実(製造工程)に目を向ける

人間は、日々生活していく中で、
あらゆるモノを購入し、消費していますが、
  
それらの「製造工程」には関心が無い人が多いです。
  
  
キレイにパッケージされた、
最後の部分だけを見ていたくて、
  
出来上がるまでの過程を知りたくないのです。
  
  
それは、「アイドルへの信仰」と同じです。
  
  
アイドルも、影や裏では色々ありますが、
それを表に出さず、キレイな部分だけを見せています。
  
メンバー同士、本当は仲が悪いけど、
観客の前では仲の良いフリをする様に。
    
そして、民衆も真実とは違っても、
キレイな部分だけを見ていたいのです。
   
   
でも、そういう「裏側を知りたくない」というのは、
  
ただの「現実逃避」でしかありません。
  
  
人間は、真実を知らなければ、正しい判断が出来ないのに、
  
真実を知ろうとしないのは、【 真実から逃げたいから 】です。
  
  
例えば、自分の購入する商品やサービスの製造工程を見ると、  
  
ポジティブな側面の例で言えば、
「プロフェッショナルたちのストイックな努力」を知る事によって
  
より有り難みを感じ、感謝が湧いてくるでしょう。
  
  
ネガティブな側面の例で言えば、
  
自分の口に入れる食品が、
「劣悪な環境」で製造されている事を知れば、
  
購入するのを止めたくなるでしょう。
  
  
どちらにしても、【 真実 】を知れば、
「正しいモノの見方」ができ、「正しい判断」ができます。 
  
  
つまり、
 
・ポジティブな真実にしろ、
・ネガティブな真実にしろ、
 
【 真実を知る事で、人は正しい判断ができる 】のです。
  
  
「正しい判断」には、
【 真実という客観的事実 】を知る事は、絶対的に必要なのです。
  
  
しかし、現実逃避が好きな人は、真実を知りたくないのです。
  
  
例えば、「自分は頭が悪い」という真実などです。
  
  
本当は頭が悪いのに、
「自分は頭が良いんだ」と思い込んでいる人ほど、
  
手が付けられず、どうしようもありません。
  
  
例えるならば、
  
本当は音痴のクセしして、自分は歌が上手いと思っている、
「ドラえもんのジャイアン」の様に、本当に痛々しいです。
  
  
「頭の悪い自分」を直視したくなくて、
  
【 自分の「考え」や「判断」が正しい 】と思い込もうとします。
  
  
でも、真実から目を背けている訳ですから、
  
正しい判断ができる訳はありません。
  
  
自分の「未熟さ」や「無力さ」を認める事で、謙虚になり、慎重になり、
  
素直に自分より優れた存在の意見を参考にしようと思えますが、
  
  
「現実逃避をしたがる優等生病の方々」は、
  
真実では無く、自分に都合の良い、甘い幻想に浸っていたいのです。
  
  
SMAPのメンバーは、仲が悪い様ですが、
私はとても自然な事だと思います。
  
【 他人と長く付き合っていく 】っていうのは、
本当に難しい事だからです。
  
  
だから、離婚だって多い訳です。
  
  
それが真実です。
  
  
「仲が悪いのを見たくない」って、それが現実逃避です。
  
  
そういう人は、「自分の望み通り夢」が見られる発明とかできたら、
ずっと寝てると思います。
  
現実で望みを実現するより、
ずっと「自分に都合の良い幻想」の中に閉じこもっていたいのです。  
  
  
牛肉の牛が、
どうやって生まれ、育てられ、殺され、捌かれ、目の前に来ているのか?
  
豚肉の豚が、
どうやって生まれ、育てられ、殺され、捌かれ、目の前に来ているのか?
  
鶏の鶏肉や卵が、  
どうやって生まれ、育てられ、殺され、捌かれ、目の前に来ているのか?
  
  
それを知って、動物性食品を食べる気が失せたのなら、
その人は、「食べるべきでは無い」と言う事です。
  
  
私は知った上で、感謝して食べています。
  
  
マグロの解体ショーは見ても言いけど、
牛、豚、鶏の解体は見たくないって言うのが、自分勝手です。
  
ただ、
【 自分が残酷な行為や非道に関わっている事を認めたく無い 】
  
という、自分勝手な発想です。
  
  
食べ物が殺されて、食卓の上に来ている事を知れば、
  
より感謝して食べるのが当然の発想です。  
  
  
「知らない方が良かった」なんて自分勝手すぎます。
  
世界が自分の為に作られているとでも思っているのでしょうか?
  
  
アイドルの裏側なんて知らなければ良かったって
    
他人はあなたの為に生きている訳じゃ無いのに、
  
何を甘えきった事を言っているのでしょうか?
  
  
それは、
  
SMAPにはストレスを抱え続けてでも、自分を犠牲にしてでも、
自分たちの為に仕事を続けて欲しいと言っている様なモノです。
  
  
「他人に不幸になってもらってまで、自分を幸せにして欲しい」
なんて事を言っているのと同じです。
  
自分勝手の極みです。
  
  
そういう発想が平然とできる、
他人に無関心で、自分の事しか考えていない人間ばかりだから、
  
【 残酷な社会 】が形成されているのです。
  
  
私は、真実を伝え続ける事にモチベーションがありますが、
  
真実を知る事で、人はポジティブな考えや発想が出来るからです。
  
  
真実を知る事で、
ネガティブな気持ちになる事もあるかもしれませんが、
  
それも、ポジティブな行動には必要です。
  
  
世の中で「非道い行い」がなされている事を知れば、
ネガティブな気持ちにもなるでしょうが、
  
だからこそ、「そんな世界を変えたい」という発想になるのです。
  
  
自分に都合の悪い真実は知りたくない、公表して欲しくない。
  
そういう人は、
ずっと眠って【 自分に都合の良い夢や幻想 】を見ていれば良いです。
  
  
【 自分は歌が上手いと思い込んでいる、痛々しいジャイアン 】を
続けてればよいです。
  
  
ただ、【 目覚めの時 】は必ずやってきます。
  
  
いくら現実逃避を続けても、
「現実を目の当たりにする時」はやってくるのです。
  
  
現実を直視し、それに備えてきた人と、
  
現実逃避を続け、準備を怠ってきた人と、
  
  
そこで、命運は別れるのです。


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2016年09月03日

自己中心的になる必要性

ここ最近、身体的に本当に辛い日々を送っていました。
  
  
邪気、邪念の影響も多少はありますが、それは今までと同じで、
  
これまでと違うのは、
「とても大きな負荷」が自分にのし掛かっている感覚なのです。
  
  
・考えなきゃいけないこと
・背負わなきゃいけないこと
  
これらの負荷が、
いつもの3倍くらいになっている感覚です。
  
  
私は、成長においても、プロフェッショナルにおいても、
【 コンディションの維持向上が最優先 】と教えていますし、
  
これは由々しき事態だなと感じていました。
  
  
で、もちろん、自分でも原因の見当は付いましたが、
きっとバランス的に過保護になっているんだろうな…
  
と思っていました。
  
  
で、私の身体が辛そうなのを見て、
千博さんが国本さんに原因のチャネリングを依頼してくれました。
  
まぁ、私も依頼していたのですが(笑)
  
  
で、出てきたメッセージがこちら。
  
【 中井さんのエネルギー的な負担を減らすにはどうすれば良いか? 】
  
  
今、彼には徹底的に「過保護、過干渉」な観念をそぎ落とすための、
試練、訓練を与えられています。
  
  
彼の優しすぎる「エネルギー」と「観念」は、
  
それを持ち続けていると、
今後、彼が大きく活躍した時に、「命取り」になってしまうからです。
  
   
「自分のエネルギー、身を守る」ということを、
完全、完璧に理解して出来るようになるまで、
  
今のようなしんどい状況は続きます。
   
  
彼は準備させられています。
   
   
自分のエネルギーを守ること…、
  
自己中心になり、多少のことであれば、 
他人を切ってでも自分を優先し、
  
自分を守れるくらいの「自己中心的さ」が求められています。
   
  
ヒーラーの要素を持ち、
純粋なポジティブなエネルギーを送ることをしているのですが、
  
無防備な為に、エネルギー的なダメージをくらって、
  
ストレートに受け取ってしまうことがよくあるのです。
  
  
自己中心的で、自分勝手な人、自分を最優先で守る人であれば、
  
絶対に受けるはずがないような、跳ね除けられるエネルギーを、
ストレートに受け取ってしまい、
  
しんどくなってしまう事がよくあります。
  
  
・他人を軽視できない、
・ぞんざいに扱えない、
・粗末にできない、
  
その為に、そういう事が起こってしまうのです。
  
  
しかし今までの経験からよく理解できたと思いますが、
  
割くべき「エネルギーの配分」をよく考え、
効率よく、幅広い人に行き届かせるには、
   
人をもっと軽視し、ぞんざいに扱うような視点を持って
対策を持たなければできない事があるということです。
  
  
自分が思っている以上に早い段階で見切りをつける、
切り捨てることをしていかなければ、
  
逆に助けられる人、生き残れる人が生き残れなくなったり、
助けられなくなったりするものです。
  
  
あなたは今、日々大きく成長しています。
 
  
あなたの冷酷さ、残酷さ、冷たさは、
  
やがてより多くの人を生き残らせる事に役立つ事になるでしょう。
  
ポジティブな地球、アセンションしていく地球に、
あなたの冷酷さや残酷さが必要不可欠なのです。
  
  
以上。
  
  
と言う事でした。  まぁ、予想通りですね。
  
  
「自己中心的になることが修行」って、
  
どんだけ優しい人間なんだと思いますね(笑)
  
  
でも、成長する、成功する、リーダーになる、
  
こういう事は、【 厳しさを身に付けていく 】と言う事です。
  
  
優れた上司とは、
【 部下に嫌われる事が出来る人間だ 】
  
という人もいます。
  
  
要は、人に嫌われるような事でも、
必要とあらば、率先して出来る人です。
  
  
他人から嫌われたくない人は、大成する事ができません。
  
  
まぁ、私は他人に嫌われるのは慣れっこなので、
どうでも良いです。
  
  
私が「冷酷になる事」に対して抵抗があるのは、
人の可能性を信じすぎている事にあると思います。
  
  
人の可能性を、ポジティブに見過ぎている…、
  
言い方を換えれば、過大評価をしていて、
他人をよく買いかぶってしまう…という事です。
  
  
でも、「思ったより、他人はショボかった…」
  
そういう思い違いばかりしていますね(笑)
    
  
ポジティブ面は正しく見抜けていますが、
ネガティブ面を、正しく見抜けておらず、
  
バランス良く他人を評価していないのでしょう。
  
  
・良い人だと思っていた人が、本当は悪人だった。
  
・見込みがあると思っていた人が、実はそうでも無かった。
  
・ポジティブだと思っていた人が、実は相当ネガティブだった。
  
・勇敢だと思っていた人が、実はチキン野郎だった。
  
  
そういう事もよくある訳です。
  
  
でも、現実が全てです。 現実が答えです。
  
  
現実はいつも正しくて、思い違いをしてしまうのは、
  
【 自分の見方 】の方が狂っているからです。
  
  
なぜ、人のネガティブ面を見たくないのか?
  
というと、私が孤独で、仲間が欲しいからでしょう。
  
  
人がポジティブになればなるほど、
私に共感してくれるようになりますが、
  
ネガティブなままでいる人は、
私の事を理解できないし、共感も出来ないからです。
  
  
だから、他人にポジティブになって欲しい。
  
共感できる仲間が欲しいのです。
  
  
人のネガティブ面を認める事は、
自分にとっては孤独を感じることなので、イヤだったわけですね。
  
  
私はスーパーポジティブなので、
大多数がネガティブな人々で占められている世界では、
  
仲間が全然できません。
  
  
でも、私はどれだけ孤独になろうとも、
 
ポジティブな道を突き進むと決めています。
  
  
弟子が全員いなくなったとしても、
たった一人でも、成長街道まっしぐらです。
  
  
エササニで言うところの、「シヴァイ」というヤツです(笑)
  
  
私はよく、
  
「人を取るか?(孤独の恐怖に負けるか?) 
 それとも成長を取るか?」
  
と言っています。
  
  
それくらい、孤独はとても大きな精神的試練です。
  
  
おそらく、格闘技をやってる人って、
「痛いこと」に慣れてるんでしょうね。
  
ある意味、「痛いこと」が仕事な訳です。
  
  
それと同じで、私も孤独に慣れているのだと思います。
  
過去世でも、ずっと孤独だったと思いますから。
  
  
ニコラ・テスラは、
人類史上3本の指に入る大天才だと思いますが、
  
(※ アインシュタインは5本の指って所ですね。)
  
理解もされず、評価もされず、孤独に死んでいった訳で、
まぁすごい修行だなと思います。
  
  
でも、私は長い目で見れば、
どんどん孤独では無くなっています。
  
  
特に、自分の子供はスーパーポジティブに育てるので、
私の良き理解者になってくれるだろうと思いますから(笑)
  
  
多くの家庭では、
親子で理解し合えていないと思いますが、
      
私の家庭では、
親子が一番の理解者となりそうです。


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2016年09月02日

「環境」と「チャンス」

前回の記事でも言いましたが、
  
他人を無理矢理に自立させたり、
ポジティブな道に誘導する事は出来ません。
  
  
他人に出来るのは、
  
【 環境 】と【 チャンス(選択の機会)】を与えることだけです。
  
  
それ以上踏み込むと、
  
「自由意志の侵害」や「過保護」となり、  
「無条件の愛」では無くなります。
  
  
私の予測では、数年後から世界人口は減少に転じ、
その後約10年間で、世界人口は35億人まで減ります。
  
「どれだけの人が死ぬのか?」と思いますが、
  
私は死んでいく人を救えるわけではありません。
  
  
とても無力だと思いますが、
「自分の外側」には影響できません。
  
影響できるのは、「自分の内側のみ」です。
  
  
パラレルワールドによっては、世界のほとんどが海に沈み、
世界人口が3億人程度になっている世界もあるので、
  
それよりは遥かに多いですし、
  
無数にある地球のパラレルワールドの中でも、
35億人も生き残れば、かなり優秀な方なのでしょう。
  
  
それは、私が自分に与えられた「環境」と「チャンス」を、
最大限に活かしてきた結果だと思います。
  
  
高次元的な視点とは、
  
・自分は「外側の世界」を変えられない.
・「自分が何を体験したいか?」を選択するだけ
  
という事です。
  
  
私は、これから「急激な波乱と進化」を迎える地球の中で、  
何を体験したいのか?
  
これが、自分の人生にとって一番大事な選択であり、
人生における方向性の決定でもあります。
  
  
私は、【 成長と貢献に生きる 】と決めています。
  
それが自分にとって、一番幸福な道だと理解しているからです。
  
  
私は、【 何かを変えたい 】という欲求が強く、
  
自分が何かをする事によって、
「変化を加えたい、変化に関わりたい」のです。
  
  
私は、ネガティブな人を見ると、
・ポジティブにしてあげたい
・ポジティブになって欲しい
 
と思いますが、
 
これからの地球では、ネガティブな人は死んでいきます。
  
  
そして、それを私は止める事ができません。
  
自然災害を人間のチカラで止められないのと同じです。
  
  
私は、ネガティブな人をポジティブにして、
生き残らせることはできません。
  
  
私に出来るのは、
  
【 環境とチャンス(選択の機会) 】を提供する事だけですから。
  
  
ポジティブになって生き残れた人は、
自分に与えられた「環境」と「チャンス」を活かしたのです。
  
  
「思う事」と「行動する事」は、大いに違います。
  
よく、殺人のニュースで犯人が、
「カッとなって殺した」と言いますが、
 
「殺意を持つ事」と、「殺人を犯すこと」は大いに違います。
  
  
私も、小中学生くらいの時は、
非道いヤツに対して殺意を持つ事もありました。
  
そのカルマで、
自分に対して殺意を持たれる事もあったでしょうが(笑)
  
   
でも、殺人を犯すわけではありません。
  
普通の人は、理性で衝動を抑えるからです。
  
  
カッとなって人を殺した人は、
「感情」や「衝動」に負けてしまったのです。
  
殺意を持つだけなら、刑務所に入る事はありませんが、
殺人者は、刑務所で長い間暮らすことになります。
  
  
「思う事」と「行動する事」は、これだけの違いを生みます。
  
  
逆に、「たった一度の勇気ある行動」が、
自分や他人の人生を大きく変えることもあります。  
  
  
ネガティブな行動を犯したくなるときに、
グッと耐える。
      
ポジティブな行動するのが怖いときに、
エイ!っと勇気を出して行動する。
  
  
この【 たったひとつの選択 】が、
人生に多大な影響を及ぼすこともあります。
  
  
・カッとなって人を殺すか?
・グッと我慢して殺さないか?
  
この行動の結果が大きく違うように…です。
  
  
人生は、選択の機会の連続です。
  
  
しかし、選択肢を与える事ができても、
 
最終的に、他人の選択には影響できません。
  
  
これだけは、理解しておかなければなりません。


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2016年09月01日

貧困、飢餓の根本解決法

日本という国は、
食糧を大量に輸入しておきながら、大量に廃棄しています。     
  
他にも、農作物を作りすぎると、価格が下落して
農家の人が利益を得られなくなるから、
  
「作りすぎた農作物をわざと捨てている」
という現実があります。
  
  
一方で、世界では飢餓(食糧不足)によって、
毎日、一日に四万人もの人々が死んでおり、その多くは子供です。
  
  
みんな、こういう事が起こっているのは知っていると思いますが、  
  
【 じゃあ、どうやって解決したら良いのか? 】
  
  
その手段を知る人は、ほとんどいません。
  
  
「余った食べ物を、タダで送ればいいんだよ!」
  
なんて、単純な答えではありません。
  
  
輸送のコストもかかりますし、消費期限もあります。
  
それに、そもそも、
貧しい人たちが【 経済的に自立 】しなければ、意味が無いのです。
  
  
「タダで食べ物をもらえる」と思ったら、人は働きません。
  
甘えて依存します。
  
  
それは、根本解決ではありません。
  
  
「遠い国の人の事など知らない」と思う人もいるでしょうが、
  
島国の日本と違って、海外では陸続きだったりするので、
お隣の国が不安定だと、難民が流入してきます。
  
  
結局、隣の国が自立してくれないと、
  
どんどん寄りかかってこられて、
自分の国も苦しくなってしまうのです。
  
  
日本は島国だから、
海外との関わりについて考える事が薄く、
  
いつまでも平和ボケしていられるのです。
  
  
で、本題に入りますが、
  
「貧困、飢餓、食糧問題」を解決するには、
  
【 貧しい人々に、自立してもらう事 】です。
  
  
それしかありません。
  
単純に、「余った食べ物」を渡して解決する話では無いのです。
  
  
  
自立しない人が貧しいのは仕方の無い事ですし、
日本でもそれは同じです。
  
働かない人は、貧しくて当然です。
  
  
海外の場合、働きたくても仕事が無い訳で、
  
仕事が腐るほどある日本で貧しいのは、自己責任です。
  
  
  
それで、貧しい人々に自立してもらう為には、
  
最低限の「ライフライン」と「教育」を提供する必要があります。
  
  
そういう風に、
  
【 自立したい人が自立できる環境を整えてあげる事 】が、 
  
大切です。
  
  
その環境を作っても、
真面目に自立しようとしない人は、飢えても仕方ありません。
  
そういう人は、一定の割合でいますから。
  
  
全員を救おうと思うのでは無く、結局他人にできる事は、
  
【 素質のある人にチャンスや環境を提供する事 】しかないのです。
  
  
その環境やチャンスを活かすかどうか?は、一人一人のやる気次第です。
  
  
子供時代に恵まれた環境を与えてもらっておいて、
  
大人になってから貧しいというのは、完全に本人の責任です。
  
  
で、その環境を提供する為には、
  
【 発明 】と【 教育 】が必要です。
  
  
発明は、「物質的環境」を整え、
教育は、「精神的環境」を整えます。 
  
  
私は、【 発明 】と【 教育 】どちらも好きですが、
  
それが人を幸せにしたり、豊かにする為の本質中の本質だからです。
  
  
例えば、貧しい国の人々が、
「フリーエネルギー」と「インターネット」を使える様にして、
   
そして、それらを使って勉強できるようになったら、
  
素質のある人は、自立していきます。
  
  
全員を等しく救おうと思うのでは無く、
  
「素質のある人」に先に頑張ってもらう事で、
人が後からどんどん続いていくのです。
  
  
・フリーエネルギー
・インターネット
・キレイな水
・質の高い教育
  
これらが、あらゆる国々に行き届けば、
貧しい人々は自立してきます。
  
  
その為に、【 発明 】や【 教育 】が最重要項目という認識が必要です。
  
単純に、「寄付をして終わり」では無いのです。
  
  
もし、ご飯を食べられて命が助かっても、
  
まともな教育を受けられず、
仕事ができない大人になってしまったら、
  
なんの解決にもなりません。
  
  
【 魚を与えるのでは無く、魚の釣り方を教える 】
   
これが、根本解決です。
  
  
しかし、ほとんどの人は、
目先に囚われて、長期的な視点が持てません。
  
  
ニコラ・テスラは、
頭の中で、発明品をイメージ&シミュレーションして、
  
それがちゃんと動くかどうか? 
  
実際に作る前からわかっていたと言いますが、
  
  
私も同じです。
  
  
頭の中でシミュレーションして動かしてみて、
全ての歯車が噛み合うかどうか?
     
事前にわかってしまうのです。
  
  
これは、普通の人には真似の出来ない、天賦の才だと思いますね。
  
  
  
日本でも貧しい人はいますが、
  
その人を助けるために、お金を渡し続けるのが良い事か?
  
というと、違います。
  
  
結局、人は自立しなければなりません。
  
  
素質ややる気のある人に対して、環境や教育を与え、
  
「自立をサポートすること」こそ本当にやるべき事ですし、
  
自立する気が無い人は、貧しくても、飢えても仕方ありません。
  
  
それは、どこの国でも同じ事です。
  
  
ほとんどの人は、
目に見えるシステムやルールを変えて何とかしようと思いますが、
  
そういう枝葉末節、表面的な部分にアプローチしても、
根本解決は不可能です。
  
  
「ご飯が食べられない事」が可哀想なのではありません。
    
【 経済的に自立するための「チャンス」や「環境」が無い事 】が、
  
本質的な問題なのです。
  
  
だから、単純に余った食糧を渡して解決する話では無いのです。
  
  
これは、「貧しいことが可哀想」という概念を持っている人には、
  
辿り付けない結論です。
  
  
・生活をラクにする為の「発明」や
・将来、質の高い仕事が出来るようになる為の「教育」を通じて、
  
【「チャンス」と「環境」を提供する事 】が、
  
一番大切なことなのです。
  
  
その為に、
  
「電気、インターネット、明かり、キレイな水」などを
人々に行き届かせる発明が、一番価値のある事なのです。


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haxe501 at 13:44|Permalinkclip!