2016年09月

2016年09月30日

「その場しのぎ」と「根本解決」

結局は、数々の国際問題、社会問題が、
これだけ複雑化しているのも、
  
人々が、【 痛みを伴う根本解決 】よりも、
   
【 「その場しのぎ」の、「問題の先送り」 】ばかりしてきたから。
  
  
それは、人間の心理も同じで、
  
多くの人は、「ネガティブ感情を伴う根本解決」を避け、
  
抑圧の反動である衝動…、
  
つまり、「その場しのぎ」である、
「ネガティブなストレスの解消法」ばかりに頼ってる。 
  
  
代表的な例が、【 ストレスを紛らすための暴飲暴食 】
  
  
その結果、健康を害し、病気になる。
  
  
国家も、本質的にはまったく同じメカニズムで、
  
経済的に行き詰まっている。
  
  
要は、国民の大半が、
  
【 痛みを伴う根本解決 】より、
【 その場しのぎ、問題の先送り 】を選択している結果、
  
世界の金融が破綻しようとしている。
  
  
私も教育者として、いろんな人に助言してきましたが、
  
痛みを伴う根本解決を目指す人は少ないです。
  
  
それよりは、
  
・現実逃避
・その場しのぎ
・問題の先送り 
  
を選択する人の方が多い。
  
  
でも、そういう人は、類友ですから、
  
【 問題が根本解決された平和な世界 】で暮らすことは不可能です。
  
  
これから、国家単位、世界単位で、
「その場しのぎ」すらできなくなると思いますが、
  
個人の人生でも、
いよいよ「その場しのぎ」ができなくなってくるでしょう。
  
  
痛みを伴って、問題を直視するしかなくなります。
   
   
その場しのぎを選択し続けるなら、時代と共に淘汰されます。
  
  
古い政治システム(国家のその場しのぎ)が破綻するのと同様に、
   
個人の「その場しのぎの人生」も、破綻していくのです。
    
  
「人間」と「世界」も類友です。
  
  
人生で根本解決を目指す人間は、
「社会問題が根本解決された世界」で暮らします。
  
  
その場しのぎを選択し続ける人間は、
「その場しのぎを続ける世界」で暮らします。
  
  
しかし、「その場しのぎ」は、
いずれ追い詰められて、できなくなる時が来ます。
  
バブルが崩壊するのと同じです。
  
  
その場しのぎを続ければ、最終的には「破綻」が待っています。
  
  
・国家の選択と結果、
・人生の選択と結果、
   
本質的には同じです。
  
  
「個人の人生の選択」の集合体が、「国家の選択」です。
  
  
・痛みを伴う根本解決
・その場しのぎ、問題の先送り
  
自分が今までの人生で、どちらを選択してきたのか?
  
  
その総決算の時期が、いよいよ近い未来に迫っています。


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2016年09月29日

経済の変化

もし、世界平和が成されたら…、
  
その時には、どんな経済システムになっているでしょうか?
  
  
バシャールは、ヒントとして、
  
【 全世界共通の交換手段(通貨?)】を模索するようになる
  
【 発明を基盤とした経済 】が形成される
  
と言っています。
  
  
そうなれば、とりあえず「FX(為替取引)」は存在しなくなりますね。
  
「他人への価値」を生み出していないのに、
「お金だけ儲ける」って事が、出来なくなります。
  
  
ルーチンワークの多くは、人工知能やロボットが担うようになるので、
  
その代わりに、【 クリエイティブな活動 】に経済的価値が付与されます。
  
  
私は、人間が精神的に成熟すればするほど、
  
【 「セールス」や「マーケティング」は衰退する 】と思っています。
  
  
例えば、テレビを付けたときに、
  
「テレビショッピングによるサプリメントの通販」が
本当に多いと思いますが、
  
そのサプリメントを購入する人は、
  
・本当に自分に必要な栄養素か?
・品質はどれくらい高いのか?
  
という事を、まるで理解していません.
  
  
なんとなく宣伝文句を見て、
良さそうだと思うから注文するわけです。
  
  
しかし、
  
「個人」や「人種」によって、全く体質が違うので、
サプリメントにも相性があります。
  
【 このサプリメントは、全ての人に必要だ! 】
  
【 このサプリメントさえ飲んでいれば大丈夫! 】
  
という事は、あり得ません。
  
  
ですから、通販で売っているサプリが、
   
「自分に合っているかどうか?」は、わからないのです。
  
  
一方、私は、
  
・自分に必要なサプリメント(栄養素)
・他人に必要なサプリメント(栄養素)
  
が、霊能力でわかってしまいます。
  
  
「他人と相性の良いパワーストーンを選ぶ」のと同じ要領です。
  
  
別に、特別な能力では無く、
「キネシオロジーの筋力テスト(Oリング)」と同じです。
  
鍛えれば、誰にでも可能なことだと思います。
  
  
もし、それを鍛える事にまったく情熱を感じないしないとしたら、
  
「キネシオロジー」や「霊能力(チャネリング)」で、
人に合うサプリメントを選べる他人に、
  
自分に合うサプリメントを選んでもらえば良いのです。
  
  
「通販の広告」を見て購入するよりも、よっぽど【 確か 】です。
  
  
「セールス」や「広告宣伝」には、多大な費用が必要です。
  
  
しかし、その費用は【 商品の品質 】にはまったく関係ありませんし、
  
もちろん、「商品の価格」に「転嫁(上乗せ)」されています。
  
  
もちろん、現段階でセールスやマーケティングは必要でしょう。 
  
【 第三密度での経済活動 】には…。
  
  
しかし、高次元文明…たとえば、エササニのバシャールが、
  
新聞の折り込みチラシを見て、「コレ買おうかな…?」
とか悩んでいると思いますか?
  
   
第四密度は、シンクロの世界です。
  
  
【 自分に必要なモノは、必要なタイミングで、確実に引き寄せられる 】
  
  
そういう世界で暮らす人々に、
 
「セールス」も「マーケティング」も必要ありません。
  
  
エササニでは、
全ての人々がテレパシーで繋がっているので、
  
広告宣伝も、セールスも必要ないのです。
  
  
人類の精神が成熟すればするほど、
そういう世界に近づいていきます。
  
  
つまり、精神的に成熟した文明では、
  
「広告宣伝」は必要ありませんし、
「低品質の商品」は淘汰されます。
  
  
消費者が本当に求めているのは、
  
【 自分にとって、確実に価値と効果のある商品 】です。
  
  
例えば、人を衝動買いさせるコピーライティングで、
サプリメントを大量に売りさばいたとしましょう。
  
たくさんお金も儲かりました。  
  
でも実際には、
必要の無い人にまで、サプリメントを売っています。
  
  
そのカルマは、
  
次に、【 自分が必要の無いモノを買ってしまう 】
   
という事で返ってきます。
  
   
多大な労力を掛けて、
  
他人に「必要無いモノ」を売って、
次は、自分が「必要の無いモノ」を掴む。
  
ただ、「お金」だけはたくさん動いています。
  
  
お金はたくさん儲かったように見えて、
次は、自分がたくさん無駄遣いしてしまって、
  
結局、バランスが取れるのです。
  
  
無駄なモノを売って1000万円儲かっても、
次に、そのカルマで900万円を無駄遣いしたら、
  
手元に残るのは100万円です。
  
まるで、漫画の「カイジ」みたいですけど(笑)
  
  
それだったら、初めっから100万円だけ儲けて、
まったく無駄遣いしないのと同じ事です。
  
  
ですから、無駄なモノをたくさん売って、お金だけ動かしても、
  
最終的に手元に残るのは、「本当に他人に貢献した分だけ」です。
  
  
他人にとって無駄なモノをたくさん売って、
たくさんお金を儲けて、「俺はすごいだろう!?」
  
って、思っている人もいると思いますが、
  
私から見れば、何もすごくありません。
  
  
ただ、【 多大な労力をかけて無駄な事をした人 】です。
  
次は、自分が無駄なモノにお金をつぎ込むハメになります。
  
  
そして最終的に、手元にはそれほど残らないのです。
  
  
前回の記事で、
私は「ネガティブな衝動・依存症の正体」を明らかにしました。
    
これだって、無料で書いていますが、
  
プロデュースのやり方によっては、大金を稼げるネタだと思います。
  
  
【 依存症を根本解決する方法! 】っていう売り方で、
  
・ランディングページ作ってメールアドレスを集め、
・集めたメールアドレスにステップメールを送って  
・セールスコピーを書いて、そのリンクを送る
・そうやって、ようやく「記事で書いている様な情報」を売る
  
そういうステップを踏めば、大金を稼ぐ事も可能だと思います。
  
  
でも、面倒くさいからやりません(笑) 
  
私は、お金をもらっても、面倒くさい事はやりたくないのです。
  
  
ほとんどの人は、
お金を稼ぐ為に面倒くさい事をやっていると思いますが(笑)
  
  
  
私にとっては、【 有償と無償の境目 】がありません。
 
   
【 他人と自分の境目 】もありません。
  
  
私は、
  
・自分の欲しいモノを買うように、
・他人の欲しいモノを買ってあげます。
  
全体に対する【 費用対効果 】さえ高ければ、
自分にお金を使うのも、他人にお金を使うのも、
  
変わりが無いのです。
  
  
それに、有償だろうが、無償だろうが、
人に奉仕・貢献したことは、カルマで返ってきます。
  
  
お金を受け取っても、受け取らなくても、
他人に奉仕・貢献する事は、全て【 徳を積む事 】になります。  
  
  
ですから、人に価値を与えるビジネスも、徳を積む事なのですが、
  
そのビジネスで面倒くさい事をしなければならないとすれば、  
徳を積む事自体が面倒になってしまいます。
  
  
私は、自分自身の為に、たくさん徳を積みたいのです。
  
  
徳を積むために、
いちいち面倒くさいセールスコピーなど書きたくありません(笑)  
  
それだったら、無償で公開する方がラクに徳を積めます。
  
  
私は、巷の人が大金を取って教えている様な内容を、
無償で公開しています。
  
  
現在、ありとあらゆるモノがタダで手に入ります。
  
ゲームやアプリ、動画も、無償のモノが多いです。
  
  
でも、お金をまったく払わず、
「無償で楽しんでばかりいる人」は、貧しくなります。
  
  
社会から価値をたくさん受け取っているのに、
自分は社会にまったく価値を提供していない。
  
そういう人は、貧しくなって当然です。
  
  
まったくお金を払わず、無償で遊びまくっているのに、
一方、仕事は真面目にしていない。
  
そういう人は、カルマによって貧しくなります。
  
  
無償で遊びまくっている人は、
次は、「サービス残業」なんかをさせられて、
  
「タダ働き」させられるハメになるのです。
  
  
【 他人や社会に価値を与えた分だけ、自分も価値を受け取る 】
  
  
これが、絶対的な法則です。
  
  
他人に価値を与えずに、
お金だけ儲けても、自分は価値を受け取れません。
  
他人に価値を与えずに、
無償で遊びまくっていたら、次は自分がタダ働きさせられます。
  
  
結局、どのような方法であれ、有償であれ、無償であれ、
  
他人に価値さえ与えていたら、自分は価値を受け取れるのです。
  
  
【 他人に価値を与える 】という事が、本質的に重要な部分です。
  
目に見える「お金(数字)」は、それほど重要ではありません。
  
  
宇宙は、目に見えない所で、必ずバランスを取ります。 
  
  
そして、私は他人に価値を与えるために、
  
わざわざ面倒くさい事はやりたくないのです。
   
  
他人に価値を与えたら、1ポイントが得られるとして、
  
1ポイントを得るのに、面倒くさい事をしたくないのです。
  
  
成熟した文明では、ありとあらゆる無駄が省かれます。
  
無駄は淘汰されるのです。
  
  
現代社会は、私から見れば無駄だらけです。
  
  
ですから、世界平和が成されるときには、
  
その数多くの無駄が、キレイに掃除されている事でしょう。
  
  
  
自分のやっている活動や生き方は、
  
  
・他人に価値を与えて"いる"でしょうか?
  
・他人に価値を与えて"いない"でしょうか?
  
  
・無駄な事に資源(時間・お金・労力)を使っているでしょうか?
  
・それとも、無駄を省き、資源(時間・お金・労力)を
 費用対効果の高い事だけに使っているでしょうか?  
  
  
それが、【 豊かに生きられるかどうか? 】の本質です。


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2016年09月28日

ネガティブな衝動(ストレス解消)の解決

ネガティブな衝動に悩まされている人は多いと思いますが、
  
ネガティブな衝動の原因は、「ポジティブの抑圧」にあります。
  
  
例えば、
 
・アルコール依存症でも、
・恋愛依存症でも、
・ギャンブル依存症でも、
  
共通して言えることですが、
  
依存してしまうのは、ストレスを抱えているからです。
  
そのストレスを紛らす手段が、【 依存対象 】です。
  
  
その依存の根本原因となっているストレスを解決する事が、
  
ネガティブな衝動を止める「根本解決法」です。
  
  
例えば、「今、幸せ絶頂!」と言う人が、
パチンコに行くでしょうか?
  
あんまり、そういう話は聞きません。
  
  
って事は、パチンコに行くのは、
自分がそれほど幸せでは無いからです。
    
  
本当に自分がワクワクする活動をしていたら、
  
パチンコで得られるワクワクなんて、
「大したことが無い」と思うはずです。
  
  
パチンコに行きたがる人に対して、
  
「パチンコに行くな!」
  
って言うのは、根本解決ではありません。
  
  
その人の「ストレス」が解決されたり、
「ワクワク」したり、「幸せ」になることで、
  
【 もうパチンコに依存しなくても良くなる 】という事です。
  
  
アルコール依存の人に、「酒を飲むな!」
  
…じゃなくて、もっと「別の所」に根本解決法があるのです。
  
  
例えば、
  
・歌うことかも知れません
・踊ることかも知れません
・遊ぶことかも知れません
  
  
でも、本当に自分がやりたい事がわかっていなかったり、
  
本当に自分がやりたい事に対して、
それをやることは「イケナイ事」だ、と抑圧しているので、
 
その抑圧の反動として、「ネガティブな衝動」が生まれるのです。
  
  
パチンコ依存症の人が、パチンコを止めるには、
もしかしたら、その人が歌を歌うことが必要なのかもしれません。
  
  
でも、そういう本質的な部分に、自分も周りの人も、気付かないのです。
   
   
ほとんどの人は、「自分の本当の気持ち」を自覚していないのです。
  
  
私は、15歳の時に、
「他人が敷くレールの人生」からはみ出しました。
  
そこから、私は【 自分は何がやりたいのか? 】
  
という事を、真剣に考えるようになりました。
  
  
しかし、ほとんどの人は、
大人になっても、「他人が敷くレール」に乗り続けています。
  
  
「親」の言う事であったり、
「世間」の言うことであったり、
「会社」の言うことであったり、
「権威」の言うことであったり、
  
そういう「他人(自分より上位の存在)が正しい」
という道筋を進んでいて、
    
自分の人生の方向性について、
主体的に自分の脳みそで考えていません。
  
  
自分が「他人が敷くレール」に乗っているかどうか?は、
  
【 自分がどれだけ義務感で行動しているか? 】
  
で、わかります。
  
  
私は、「義務感で行動する事」はほぼ皆無です。
  
生活の全てを、主体的に、責任感を持って、判断、行動しています。
  
  
「他人が敷くレール」に乗っている人ほど、「義務感」で行動していて、
自分の脳みそを使っておらず、考えておらず、  
  
その分だけ、【 自分の本当の気持ち 】など、自覚していないのです。
  
  
「自分の本当の気持ち」がわかっていないから、
  
「自分の本当にやりたい事」もわかっていないし、抑圧しています。
  
  
その抑圧の分だけ、【 ネガティブな衝動 】が沸いてきます。
  
  
依存対象は、
  
【 酒、異性、友達、ギャンブル、お金、タバコ、子供、親
  麻薬、ニュース、過食、砂糖、八つ当たり、ワガママ 】
  
ありとあらゆるモノが、依存対象になり得ます。
  
  
依存している人は、
  
・自分に必要なこと
・自分がやりたいこと
  
を、やっていないのです。
  
  
妻の千博さんからも、
「ネガティブな衝動が沸いてくる」と相談を受けますが、
  
千博さんは、
  
・経済的に他人を頼ってはいけない
・全てを自分で何とかしなければならない
  
と言って、「他人を頼ること」を抑圧していました。
  
  
でも、他人を頼ることは何ら悪い事ではありません。
  
  
会社の株式上場も、【 他人(投資家)のお金を頼ること 】です。
  
  
他人を頼った方が全て上手く行くのに、
  
勝手に「他人を頼ってはいけない」という価値観で抑圧して、
  
その抑圧の反動で、様々なネガティブ衝動が沸いてくるのです。
  
  
・頼ってはいけない
・甘えてはいけない
・遊んではいけない
・休んではいけない
・弱みを見せてはいけない
・迷惑をかけてはいけない
・傷つけてはいけない
・怒ってはいけない
・厳しくしてはいけない
・不真面目ではいけない
  
  
そういう抑圧が、
全て「ネガティブな衝動」となって噴出します。
    
  
本来、何も悪く無いことを、悪い事だと決めつけて、抑圧しているので、
ネガティブな衝動が沸いてくるのです。
  
  
  
たとえば、本来、「歌を歌うこと」が大好きな人がいたとして、
けれど、「自分は歌を歌ってはいけないんだ!」と思い込むとします。
  
そうすると、「やりたい事ができない」ので【 ストレス 】が溜まります。
  
そのストレスの解消に、酒を飲んで、パチンコに行くのです(笑)
  
  
「いや、歌えよ!」って話でしょう?(笑)
  
自分が好きな歌を歌ったら、
酒も飲まなくて良いし、パチンコにも行かなくて良いのです。
  
  
多くの人が、こういう状況にハマっています。
  
  
表面的に噴出する【 ネガティブな衝動 】にフォーカスしても、
  
根本解決法は一切見えてこないのです。
  
  
もっと深く潜って、本質的な部分にフォーカスする必要があります。
  
  
【 外の「衝動」の方を何とかしようとするのは無駄 】です。
  
【 内の「抑圧」の方を何とかするのが、根本解決 】です。
  
  
しかし、「衝動」は目に見えても、「抑圧」は目に見えないので、
ほとんどの人が、気付けないのです。
  
  
ですから、私の様なプロに相談した方が良いですよ。
  
一瞬で解決出来ますから。
  
  
まぁ、「解決法を伝えるまで」が、私の役割で、
  
「それを実践するかどうか?」は、完全に本人の責任ですが。
  
  
抑圧と衝動が多い人ほど、
「他人が敷いたレールの人生」を「義務感」で歩んでいます。
  
  
自分や他人のネガティブな衝動…、
   
つまり、【 「ネガティブなストレス解消法」への依存 】
  
  
で、悩んでいる人は、真剣に内面と向き合って、
  
【 一体、何を抑圧しているのか? 】
  
それを明らかにしない限り、根本解決は出来ないのです。


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2016年09月27日

表現の目的

昨日、私は記事の中の例え話で、
「温かい氷は存在できない!」と、言いましたが、
  
今日、ネブラさんのブログを見ていたら、
  
「分子の動きが遅く、
 凍結しながら熱を発する物質は存在する」
  
と書いてありました。
  
  
別に、私は何も驚きません。
  
  
液体が固体に変わるのは、
分子の動きが遅くなって分子同士が結合するからで、
    
高い温度を維持しながら、
水分子の動きを遅くできるとしたら、温かい氷は存在できます。
  
  
ただ、私の「表現の目的」は、
  
【 わかりやすい「例え話」で理解させる 】
   
これを、最優先にしています。
  
  
もし、正確性を重視して、
「例外」や「注釈」ばかりが含まれる記事だったら、
  
テンポ良く、わかりやすく理解させるどころか、
読んでいる人の意識はあちこちに飛んで、混乱します。
  
  
私は、簡略化して、シンプルに表現するために、
「例外の存在」を省いている訳です。
  
  
例えば、「水は何度で沸騰しますか?」
  
「100℃」です。
  
  
でも、気圧の低いところでは、「80℃」でも沸騰します。
  
  
でも、そんな例外をいちいち語る必要はありません。
  
  
本来の目的は、
 
【 簡略化して、シンプルに、わかりやすく、伝える 】
  
と言う事です。
  
  
それで、「温かい氷」など、物理的には例外中の例外で、
  
理論上は可能だとしても、
未だ人類の誰も為し得ていないことです。
  
  
だから、現段階では「存在できない」と言っても良いと思いますし、
  
「例外」や「注釈」ばっかり書かれている、
【 携帯電話のカタログ 】みたいな記事だったら、
   
そもそも、読む気が失せます(笑)
  
  
私の目的は、ポジティブな概念を理解させる事であって、
  
・簡略化して
・シンプルに
・わかりやすく
  
という表現をしているのです。
  
  
逆に、例外や注釈ばかりを持ち出すと、
  
【 ポジティブな概念を理解させる 】
  
という、「本来の目的」が阻害されます。
  
  
どんな事にも言えることですが、
  
「大筋」さえ合っていれば、良い結果は出ますし、
  
良い結果を出すためには、
「枝葉末節の細かい事」の正確性など、優先順位は低いのです。 
  
  
私は、「本来の目的である大筋」を優先するために、
「枝葉末節」については捨てているのです。
 
そっちの方が、効率が良いからです。   
 
  
今後、私が有名になったとき、
  
例外ばかり持ち出して、
  
重箱の隅をつつくような事ばかり言ってくる人が
現れるかも知れませんが、先手を打っておきます(笑) 


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2016年09月26日

世界平和には、淘汰が絶対に必要

私は、これから世界が平和に向かうと思っています。
  
そして、2025年くらいには、
地球外文明との「正式な交流」もスタートすると思っています。
  
  
幕末の時代…、欧米諸国は、日本と交渉する場合、
  
・【「将軍」のいる幕府 】に話せば良いのか?
・【「天皇」のいる朝廷 】に話せば良いのか?
  
と言う事で、混乱したと言います。
  
  
結果的に、「大政奉還」により、
「日本の総意は朝廷が代表する」と言う事で、まとまりました。
  
  
同じように、地球外文明が正式に地球と交流しようとすると、
  
まず、【 地球を代表する組織 】を決めてもらわなければなりません。
  
  
現在だったら、
  
・アメリカなのか? 
・ロシアなのか?
  
まったくもって、
「地球の総意」はひとつにまとまっていません。
  
  
【 地球外文明と交流する = 地球の総意をひとつにまとめる必要がある 】
   
と言う事です。
  
  
って事は、今の様に、
  
・「資本主義」と「共産主義」の戦い
・「キリスト教、ユダヤ教、イスラム教」の戦い
  
こういう風に、争っていては不可能です。
  
  
幕末の日本では、
薩摩藩と長州藩はケンカしていましたが、
  
坂本龍馬の活躍によって、
「薩長同盟」を結ぶことになりました。
  
  
それと同じような事が起こる必要があります。  
  
「幕末の日本」と「現代の国際社会」は、非常に似ています。
  
  
あとほんの十年で、
【 地球の総意がある程度まとまる 】と仮定すれば、
  
その間に、何が起こっていなければならないのか?
  
と言う事です。
  
  
こうやって、結果を固定して、そこから逆算する方法が、
  
私の【 未来予測の論理的根拠 】です。
    
   
そして、もうひとつの大前提として、
ポジティブな地球では、ネガティブな人間は存在できません。
  
  
私は、スピリチュアルを「水の変化」に例えますが、
    
「氷」が温まれば、「水」になり、
「水」が温まれば、「水蒸気」になります。
  
  
第三密度は、「冷たい氷の世界」です。
  
「氷の世界(低温)」から、
「水の世界(高温)」で生きようとしたとき、
  
  
【「高温の氷」は存在できない】と言う事です。
  
  
お湯のように「温かい氷」は、存在できません。
  
水になるしかないのです。
  
  
自分自身を、「氷」から「水」に変化させなければ、
「高温の世界」では存在できないのです。
  
  
自分自身が、「冷たい氷のままでいる事」を選択するのであれば、
「低温の世界」でしか、存在できません。
  
  
同じように、ポジティブな世界で、ネガティブな人間は存在できません。
  
  
つまり、ポジティブに向かう世界で、
自分自身がネガティブで居続けようとすれば、
  
【 死ぬしかない 】と言う事です。
  
  
冷酷な様に聞こえるかも知れませんが、これが現実です。
  
  
  
現在、地球全体が振動数を高め、高温になっています。
  
  
ですから、自分自身も高温になりやすいわけですが、
  
高温になるという事は、
氷の状態では隠れていた「ネガティブなエネルギー」が、
  
どんどん溶け出してくると言う事です。  
  
  
多くの人は、それを感じたくないので、
  
自分自身が「高温になっていく流れ」に抵抗し、
氷のままで居続けようと、自分を低温に保とうとしています。
  
  
そういう人は、「高温の水の世界」では存在できません。
  
だから、死ぬしか無い。
  
  
 
そして、現在の人類全体を見てみると、 
 
・自分を高温に、ポジティブにしていこうと思っている人と、
・自分を低温に、ネガティブなままでいようと思っている人と、
  
どちらが多いか?って話なのですが、
  
  
「ネガティブな方向性を持った人」の方が多い訳です。
  
だから、将来的に、
【 人類の総数は、現在の半分以下 】になります。
  
  
ネガティブな人は、
「多数決で全てが決まる」と思っているかもしれませんが、
  
ポジティブな人の方が、ネガティブな人よりも、
強いエネルギーを持っています。
    
  
70億人のネガティブな人より、
14万4000人のポジティブな人の方が、強いエネルギーを生み出します。
  
  
つまり、少数派のポジティブな人たちが、【 地球の行方 】を動かすのです。
  
  
もし、私たちが生きている間に、
   
・「世界平和」が実現される
・「地球外文明」と正式に交流する
  
こういう事が実現すると信じるのであれば、
  
  
それは、
  
・人類の総数が半分以下になる
  
という事と同義なのです。
  
  
ネガティブな人々がゴッソリと死んでいくからこそ、
  
「ポジティブな流れに抵抗する人々」も減って、
さらに、「ポジティブな流れ」が加速していきます。
  
  
そうやって、短期間のうちに世界平和が実現するのです。
  
  
世界平和が実現されるには、
人類全体が、ポジティブな方向性を持たなければなりませんが、
  
人間は、「痛い目」を見ないと、真剣になれない生き物です。
    
   
ですから、これからたくさんの「痛い目」を見ていきます。
  
  
・原発事故
・金融危機
・テロ
・天災(地震、水害、風害など)
  
  
ポジティブな世界では、
 
・ネガティブな企業も、
・ネガティブな政府も、
・ネガティブなシステムやルールも、
  
一切、存在できません。
  
  
ですから、現在巨大なチカラを持っている、
  
ネガティブな企業も、政府も、システム、ルールも、
全てが崩れ去っていきます。
  
  
今後、数十年で世界平和が実現されるには、
  
【 波乱があって当然 】という事です。
  
  
こういうことを、私は今まで伝えてきたつもりですが、
  
先日の弟子会議で私の「未来予測の根拠」を伝えたら、
  
弟子たちもまるで初めて聞いた事の様に、ビックリしていました。
  
  
私は、結果を固定し、
論理的に逆算して結論を導き出しているので、
    
ノストラダムスとか、宗教家の予言とは違います。
  
  
もし、今後数十年で
地球がポジティブになる、世界平和が実現される…、
     
こういう結果を固定するのであれば、
  
【 逆算すれば、どういう事が起こらなければならないか? 】  
  
という事も、見えてきます。
  
  
・人がゴッソリ死ぬ
・波乱が起きる
  
  
これは、世界平和に向けた、当然のプロセスなのです。
  
  
人が大量に死ぬと言うことについて、現実逃避したい人もいるでしょう。
  
  
しかし、宇宙の歴史的には、
  
核兵器によって、
人の住む星がまるごと壊されたこともありますし、
  
古代アトランティスの時代では、隕石の落下により、
一夜にして人類のほとんどが死滅しました。
  
  
歴史的に、「人が大量に死ぬこと」は起こっていますし、
何も不自然な事はありません。
  
  
世界平和に向かうには、
人が大量に死ぬことは、避けて通れないプロセスです。
  
  
そして、すでに世界平和に向けて、
地球全体は動き出しています。
  
  
もし、世界平和に向かわないのであれば、
  
環境汚染や、核兵器の使用によって、
どのみち、【 人類全体が自滅 】することになります。
  
  
人類が半分以下になっても世界平和に向かう方が、
「人類全体の自滅」よりは、よっぽど良いでしょう。
  
  
人生も同じです。  
 
どちらにしても、「試練」や「苦しみ」からは逃れられません。
  
  
私が、
 
・終わる苦しみか? (試練を乗り越えるか?)
・終わらない苦しみか? (試練から逃げるか?)
  
と言っているのは、
  
「個人の人生」のみならず、「文明という規模」でも同じ事です。
  
  
ポジティブな方向性を目指さないのであれば、
【 自滅の道 】を辿るしかありません。
  
  
これが、現実です。
  
  
そして、
  
・高温の「水の世界」を目指すのか?
・低温の「氷の世界」に留まるのか?
  
それは、本人の選択です。


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2016年09月25日

国際紛争の解決

【 国際紛争が解決しないのは何故か? 】
と言う事を考えてみるのに、
  
「国際連合」や「常任理事国の拒否権」について調べていたら、
「国際連盟」についても知らなければならなくなって、
  
そうしたら、日本が国際連盟を脱退した理由である
「満州」についても知りたくなって、
  
今は、「満州」について調べています。
  
  
中学2年生の時に、世界史を学びましたが、
「リットン調査団」という単語を暗記するだけで、
  
【 国際的にどういう背景や動機があって、事件が起こったのか? 】
  
と言う事については、
まったく興味も無かったし、知りませんでした。
  
   
今は、無駄な情報は学ばず、
自分に必要だと思う情報だけを学んでいるわけで、
  
効率も良いし、なにより「興味・関心がある」という事が、
学習においては一番重要です。
  
  
・一体、何の為の勉強なのでしょうか?
  
・勉強の目的は何なのでしょうか?
  
  
学んだ事が、「自分の生き方」に反映されない、
「将来の仕事の能力」を高めるのに役に立たない
  
そういう勉強の仕方をしても、意味がありません。
  
  
私は学校教育に批判的ですが、学問自体を否定している訳では無く、
  
【 「教え方」が無駄すぎる、ネガティブ過ぎる 】
  
という事を言いたいのです。
  
  
本当に大事なのは、「表面的に何が起こったのか?」ではなく、
  
【 当時の人々は、どういう思惑だったのか? 】
  
という、「人々の心理・思想、時代の背景」などを理解する事です。
   
  
事件が起こった年号を暗記するだけでは、
  
人生で何の役にも立ちません。
  
  
どんな勉強も、自分の興味があることで、
「教え方が上手い人」から教われば、楽しいモノです。
  
  
  
「世界平和」も、
「個人レベルのあらゆる人間関係、家族・家庭内の平和」も、
  
本質はまったく同じですが、
   
【 要は、相手の立場を理解し、共感できるか? 】
  
って事に掛かってきます。
  
  
私は、幼少の頃より、「自分は善人」だと思っていましたし、
  
それなりに
「自己中心的(他人に合わせず、自分の意志を貫ける)」でした。
  
    
そういう父親に育てられたので。 
  
ただ、「利己的(ネガティブ)」である事は裁いていましたけど…。 
  
  
私は、幼少の頃より、総合的にはかなりポジティブだった訳です。
  
まぁ、めちゃくちゃネガティブな部分もあったわけで、
その領域においては、ものすごく苦しみましたが…。
  
  
私は、
  
・自分に自信が無い
  
・自分を善人だと思っていない
  
・自己中心的である事を裁いている
 (自分の意志より他人の意志を優先する)
  
そういう、「ネガティブな人の気持ち」が理解できませんでした。
  
  
でも、私は弟子の教育を通して、
【 ネガティブな人の考え方 】を、理解できるようになってきています。
  
  
要は、自分とは違う価値観、発想の人を理解できて来ていると言う事で、
その分だけ、視野が広がっています。
  
  
【 どれだけ「様々な立場」を理解できるか? 】
   
が、「視野の広さ」になります。
  
  
私は、「ネガティブな人の気持ち」を
積極的に知ろうとしているわけです。
   
それが、ネガティブからポジティブに向かいたい人を、
助ける事にもなるからです。
  
  
そして私は今、イスラム教や、ユダヤ教についても学んでいます。
  
  
・イスラム教の人の立場
・ユダヤ教の人の立場
・共産主義の人の立場
・ロシアの立場
・中国の立場
  
  
いろんな人の思惑を理解する事によって視野が広がり、
「全員が納得できる回答」を導き出しやすくなります。
  
  
国同士も、人間関係同士の争いも同じです。
  
根本解決するには、相手側の立場を理解しなければなりません。
    
  
だからこそ、【 勉強・学習 】が必要です。
  
  
それに、根本解決する為には、
【 中立的な立場 】に立つ必要があるからです。
  
  
「中立」と言うことは、「客観的事実」に基づいて情報を精査し、
  
誰に対しても「公平」に考え、判断すると言う事です。
  
  
世界史を学べば、
「イスラム教の人も、そりゃ怒るよな」って事を、
  
異教徒の人々からされてきています。
  
  
おそらく、イスラム教の人々の大多数は、
非常に大人しい人たちだと思います。
  
だからこそ、抑圧の反動で「過激派」が生まれます。
  
  
「極端に偏った何か」が生まれる…と言うことは、
   
その逆にも偏っている部分・要素が必ず存在しています。
  
  
バランスは、絶対的な【 宇宙の法則 】だからです。
  
  
「中立・公平に考えること」こそが、ポジティブな訳ですが、
  
現段階で人類は、「中立・公平」には考えられていません。
  
  
【 自己の利益を確保するためには、他人を虐げても構わない 】
  
もしくは逆に、
  
【 他人の利益を優先するあまり、自分に対して自虐的 】 
   
という発想をしています。
  
  
違う観点から見れば、「善悪の価値感」に囚われ、
  
【 自分は正しい、相手が間違っている 】という発想をしています。
  
  
中立でもなければ、公平でもありません。
  
しかし、私は今までの経験で理解しましたが、
ネガティブな人を説得することはできません。
    
  
私は、「国家とは何か?」と言う事について考えてきましたが、
  
国家とは、「その土地に暮らす人々の意識の反映」です。
  
  
「恐怖政治を行う独裁国家」が存在するとすれば、
その土地に住む人々のセルフイメージが極めて低いと言う事です。
  
  
ネガティブな人を説得する事は出来ませんから、
   
そこに暮らす人々が、自発的に意識を変えない限り、
国家も変わらないのです。
  
周りは大して何も出来ません。
  
  
自分に出来る事と言えば、「自分の身を守る事だけ」です。
  
あとは、本人が気付くまで見守る事しか出来ません。
  
  
「他人に対する働きかけ」に関しては、
大きく分けて3種類しかありません。
  
1.優しく伝える
2.厳しく伝える
3.放置(現実で痛い目を見てもらう)
  
です。
  
  
ポジティブな人は、優しく言われた段階で気付きます。
  
ネガティブな人ほど、厳しく言われてもわからないし、
現実で痛い目を見てから気付く事になります。
  
  
でも、いくら自分の近くでネガティブな人が暴れようとも、
  
自分自身が本当にポジティブであれば、
自分に被害が及ぶことはありません。
  
  
全ては、自分の内面の反映であり、自分の引き寄せだからです。
  
  
例え、ネガティブな人々を救いたいと思ったとしても、
   
ネガティブな人には何もできないという無力さを感じて、
自分の身を守り続ける事しか出来ないのです。
  
  
心理教育は、
ポジティブになろうとする意志のある人にしか、有効ではありません。
  
  
ネガティブで居続けようとする人に対しては、全てが無力です。
  
  
私も、人類全体に「ポジティブになりたい」と思ってもらわないと、
  
まったくの「用無し」です(笑)  
  
  
まぁ、私はいずれ、
「人類全体がポジティブを目指し始める」と言う事を信じているし、
    
そういう地球にシフトするつもりです。
  
  
人類全体がポジティブを目指し始めるには、
  
もうちょっと痛い目を見ないと気付かないでしょうけどね。 


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2016年09月24日

集合意識の影響力

私は「はこぶね倶楽部」というコミュニティを運営していますが、
  
私は常に、「はこぶね倶楽部」の
【 集合意識の状態 】をチェックしています。
  
  
目には見えませんが、
  
人間には「意識同士の繋がり」があり、
「自分の意識」を「他人と共有」しています。
  
  
その集合体が、集合意識です。
  
  
そして、その「意識共有・集合意識」という意識の繋がりは、
  
互いにとって、【 人生を左右するほどの強い影響力 】を持っています。
  
  
例えば、一般的に親は、いつも子供の事を考えています。
  
「他人の事をずっと考える…」と言うことは、
相手との「意識の繋がりが強い」と言う事です。
  
  
ですから、一般的に、
「親と子の意識共有」はとても大きく、強い訳です。
  
  
そこで、子供の人生がめちゃくちゃ幸せになったとしましょう。
  
そうすると、親の人生まで幸せになります。
  
  
親子でも、意識の繋がりが強い家庭と、
そうでない家庭がありますから、個人差はありますけどね。
  
  
【 意識の繋がりが強い相手 】の影響を、ダイレクトに受けるのです。
  
  
成功していく人の多くは、
成功している人との意識の繋がりを強めています。
  
  
周りの「向上心に乏しい友達」よりも、
「成功者との意識の繋がり」を強めようとしているので、
  
成功していくのです。
  
  
成功者との繋がりより、
向上心に乏しい友達との繋がりを優先している人は、成功しません。
  
  
そして、【 意識共有・集合意識 】というのは、
  
「同じ方向を向く人間」が加われば加わるほど、
そのエネルギーは、倍々で強くなります。
  
  
たとえば、はこぶね倶楽部では、
  
・アセンションするぞ!
・ライフワークで生きるぞ!
  
と思っている人が、複数人います。
  
  
同じポジティブな方向性を持った人間が集まっているから、
集合意識の生み出すポジティブエネルギーは、莫大な量になります。
  
  
たった一人でポジティブに向かおうとしたとき、
自分一人が生み出すエネルギーを「1」とすると、
   
はこぶね倶楽部に属していると、
一人でポジティブに向かおうとするより、
  
【 50億倍 】くらいのエネルギーを受け取れます。
  
 
はこぶね倶楽部をやめて、
自分たった一人でアセンションを目指そうと思うと、
  
「50億分の1」程度のエネルギーになってしまいます。
  
  
これは、同じ方向性を持ったメンバーが集まった事により、
相乗効果が生まれているのです。
  
  
私一人のチカラでは無く、
複数の人間が集まった事によるチカラです。
  
  
はこぶね倶楽部に所属していると、
だいたい波動の振動数も20万近くになっていますが、
 
はこぶね倶楽部を辞めたら、
振動数は、人類の平均値である11万くらいまで下がります。
  
  
はこぶね倶楽部に属している人は、「普通の人」が多いです。
  
特に、飛び抜けた能力を持っているわけでもありません。
  
  
おそらく、たった一人で向上心を維持できるほど、
意志が強い訳でも無いと思います。
  
  
でも、成長した暁には、「大成する素質」があるからこそ、
「環境」と「チャンス」が与えられているのだと思います。
  
  
その「環境」と「チャンス」を手放したら、
  
大成して成功者・ライフワーカーになるどころか、普通の人に逆戻りです。
  
  
  
バシャールは、
  
「ポジティブな人たちが14万4000人いれば、
 ネガティブは人たち70億人とバランスが取れる」
  
と言っています。
  
  
ポジティブな14万4000人の人々は、
みな同じ方向を向いているので、相乗効果を発揮しますが、
  
ネガティブな70億人の人々は、
みなバラバラの方向を向いているので、相乗効果がありません。
  
  
14万4000人が、同じ方向を向くことで、
【 5万倍くらいの相乗効果 】を生み出し、
   
70億人の、方向性がバラバラな人たちよりも、
強いエネルギーを生み出せるのです。
  
  
私の両親は、オカルト嫌いですし、
スピリチュアルもそれほど信じていません。
  
でも、必ずアセンション出来ると思います。
  
  
なぜなら、
世界一ポジティブな私と、意識を強く共有しているからです。
  
  
「意識の繋がりが強い」と言う事は、
  
ある部分で、「意識が同化している」と言っても良いです。
  
  
昨日、弟子にも伝えましたが、
  
現在の「波動の高さ、精神的コンディション」は、
はこぶね倶楽部に属しているからこそ、維持できている訳で、
  
決して、【 自分の実力 】と勘違いしないように。
  
  
と、伝えました。
  
  
はこぶね倶楽部から離れたら、
  
自分を取り巻くポジティブエネルギーが、
【 50億分の1 】になってしまうのです。
  
  
私の両親がポジティブなのは、
私がポジティブになったおかげです。
  
  
まぁ、私がネガティブな時期には、
だいぶ負担を掛けてしまいましたが。
  
その時は、両親も相当大変だったと思います。
  
  
とにかく、意識の繋がりの影響力は、
  
【 人生を左右するほどに強い 】のです。
  
  
「自分の意識を、誰の意識と繋げているか?」
  
で、人生が大きく変わってしまうのです。
  
  
親子関係では、否応なしに繋がっていると思いますが。
  
  
自分に自信が無い人ほど、
  
目に見えない要素を信じられず、
目に見えるモノに囚われます。
  
  
そして、
  
【 目に見えない部分での影響力を、ことごとく軽視 】します。
  
  
それも、「自分は善人である」と思えているかどうか?
  
に掛かっています。
  
  
「目に見えない要素」を信じられない人ほど、
  
・自分は善人では無い
・自分は悪人だ、ゴミクズ野郎だ、ダメ人間だ、
  
と、潜在意識では思っています。
  
  
【「自分が善人である」と思えているかどうか?】で、
  
人生が180度、変わってしまうのです。
  
  
「自分の善意を認め、他人の善意を信じている人」ほど、
  
目に見えない要素を信じる事ができます。
  
  
・自分の善意を認め、他人の善意を信じて生きるか?
  
・それとも、他人の善意を疑い、自分をも疑って生きるか?
  
  
人生の方向性は、そこで決まってしまうのです。


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2016年09月23日

善意 × 自己中 = 独善 → みんな幸せ

前回の記事の続きです。
  
  
「自分の幸せ」を求められないのは、
「自分が善人」だと思っていないからで、
  
「自分の幸せ」を願えないと言う事は、
「他人の幸せ」も願えないと言う事です。
  
  
他人の幸せを願えていないのだから、
ますます、「自分は善人ではない」という思いは強くなっていきます。
  
  
「自分の幸せ」を望めない人は、
そういうスパイラル(悪循環)にハマっています。
  
  
自分の幸せを望むためには、
「自分の善意を認めること」と、
  
もうひとつ重要なキーワードがあります。
  
  
それが、【「自己中心的さ」を許す 】
  
と言う事です。
  
  
「自己中心的である事」を裁いている人は、
  
常に、自分の気持ちや行動を、他人に合わせています。
  
  
そういう人も、幸せにはなれません。
  
  
例えば、
  
・リンカーン
・ガンジー
・マザーテレサ
・キング牧師
  
いろんな偉人がいますけど、
  
偉人になった人は、全員「自己中心的」です。
  
  
例えば、リンカーンは奴隷解放活動をしましたが、
  
奴隷経済に依存しているアメリカ南部の人たちは、
奴隷解放に反対しました。
  
  
反対意見もある中で、
  
「奴隷は解放すべきだ!」と、
自分の意見を押し通した訳です。
 
それって、自己中心的って事です。
  
  
「自己中心的である」と言う事は、「意志の強さ」でもあるのです。
   
つまり、「自己中心的さ」を裁いている人ほど、
反対意見に心が揺れたり、心が折れたりしますし、
  
その分だけ、意志は弱くなります。
  
  
成功する人は、全員「自己中心的な部分」を持っています。
  
自己中心的である事は、まったく悪くありません。
  
  
正義のヒーローは、暴力を使って、人々を守ります。
  
暴力自体は悪では無く、ただの「中立的なエネルギー、パワー」です。
 
  
それを、ポジティブに使うか? ネガティブに使うか?
  
が、大事です。
  
  
暴力自体を裁いていると、ポジティブなパワーも失ってしまいます。
  
  
それと同じで、自己中心的である事を裁いていると、
自分の中のパワーを失ってしまいます。
  
  
「反対意見に負けない!」って事が、「自己中心的」って事です。
  
  
人が、ポジティブな事をやろうとすると、
当然ながら、ネガティブな勢力から反対されます。
  
  
でも、自分は善人であり、
自分のやっている事が「世のため、人のため」と思っているから、
  
ネガティブな勢力の反対意見にも負けず、自分の意志を貫けるのです。
  
  
【 自分だけ幸せになったら、他人に悪い 】
  
とか思っている人もいるかもしれませんが、とんだ大間違いです。
  
  
自分が幸せになった分だけ、他人を幸せに出来るのです。
自分が豊かになった分だけ、他人を豊かに出来るのです。
  
  
例えば、私が大金持ちになれば、
弟子たちは、より多くの恩恵を受けることになります。
  
例えば、私が豪邸に住めば、
弟子たちを豪邸に招待する事もできます。
  
  
逆に、弟子たちの収入がグングン上がれば、
彼らを相手に仕事をしている私にとっても、恩恵が大きいです。
  
  
身近な人が幸せになったり、豊かになることは、
自分にとっても、「莫大な恩恵」がある訳です。
  
  
「自分なんかが幸せになっちゃいけない…」じゃなくて、
  
本当に他人の事を思ってるんだったら、
「自分がさっさと幸せになれよ!」って話です(笑)
  
  
偉人たちは、「善人」であり、「自己中心的」です。
  
つまり、【 独善的 】なのです。
  
  
そして、「独善的な人間」が、世の中を良くしているのです。
  
  
世の中を動かしている人は、必ず【 独善的な要素 】を持っています。
  
  
テロ組織のメンバーも、独善的でしょう。
  
  
しかし、テロリストは、
【 身内だけが大事で、ヨソ者はいくら殺したって構わない 】
 
と思っています。
  
  
一方、偉人たちは、
  
【 人類全員が幸せになれば良い 】
  
と思っています。
  
  
「偉人」も、「テロリスト」も、両方独善的ですが、
  
  
全体の事を考えているのが、偉人。 
  
身内さえ良ければ、他人はどうなっても良いと思っているのがテロリスト。
  
  
その違いです。
  
  
身内と他人を分けて考えている「分離感」が、ネガティブなのです。
  
  
テロリストや独裁者は、自己中心的であり、「利己的(ネガティブ)」で、
  
偉人たちは、自己中心的であり、「利他的(ポジティブ)」なのです。
   
  
つまり、自己中心的である事自体は、何も悪い事ではありません。
  
  
「自己中心的」である事と、「利他的」である事は、両立できるのです。
  
  
日本人の多くは、自己中心的である事を裁いているので、
  
自己中心的な中国人を相手に、修行させられているのです。
  
  
日本人にも悪人はいますし、中国人にも善人はいます。
  
しかし、一部ではなく、国全体という単位でみると、
やはり、中国という国家は自己中心的な振る舞いをしています。
  
  
自己中心的である事を許すことによって、バランスが取れるのです。
  
  
自己中心的という事は、
 
・他人の目を気にしない
・反対意見に負けない
  
という、【 意志の強さ 】でもあります。
  
  
ですから、「善人」が「自己中心的」になれば、
  
「全体の為」という大義名分を持って、
自分の意志を貫こうとするので、
  
「爆発的なパワー」が備わります。
  
  
やはり、いくら自己中心的に振る舞おうとしても、
  
自分がやっている事に
「罪悪感」や「後ろめたさ」があれば、
  
爆発的なパワーは生まれません。
  
  
自分が幸せになる、豊かになる、ライフワークで生きる
  
という事を目指すのであれば、「爆発的なパワー」が必要です。
  
  
それには、「自分は善人である」というセルフイメージと、
  
ネガティブな反対意見に負けない「強い意志(自己中心的さ)」が必要です。
  
  
そして、自分が幸せになり、豊かになるからこそ、
  
他人も幸せに、豊かに出来るのです。
  
  
ですから、
  
他人を幸せに、豊かにしようと思えばこそ、
  
自分は【 自己中心的になる必要 】があるのです。
  
  
その過程で、ネガティブな勢力から反対されるのは仕方ありません。
  
  
でも、その反対意見に負けていては、
  
自分も幸せに出来ないし、他人も幸せに出来ません。
  
  
自己中心的さを裁いていると、
  
ネガティブな勢力からの反対意見に、あっけなく負けてしまいます。
  
  
なぜなら、自己中心的を裁くと言うことは、
  
【 大多数の他人に、自分の意見や行動を合わせる 】
  
と言う事です。
  
  
そして、ネガティブな人の方が、数は多いのです(笑) 
  
  
偉人たちは多数決に負けず、
孤独になっても意志を貫いたから、偉人なのです。
  
  
多数決で判断していたら、いつまで経ってもネガティブな側です。
  
  
多数決を抜け出すには、自己中心的であらねばなりません。
  
  
ネガティブな人ほど、自己中心を裁いています。
  
  
だから、知り合いが自己中心的になろうとすると、
否定的な反応をするでしょう(笑)
  
  
ネガティブな人たちは、
   
「私は幸せにならないし、やりたい事もやらないから、
 お前も幸せになるなよ! やりたい事をやるなよ!」
  
と、お互いを縛り合っています。
  
  
で、身近な人が幸せになったり、やりたい事をやり始めたら、
  
「(ネガティブの)仲間だと思っていたのに裏切られた!」と、
被害者意識を持つのです(笑)
  
  
そして、ネガティブとポジティブの間で揺れ動いている人は、
  
「本当は、幸せになりたいし、やりたい事をやりたいけど、
 そうしたら、ネガティブな人から反対されて、嫌われるしなぁ…」
  
と、葛藤しているのです。
  
  
その葛藤は、自己中心的さを裁いているから、生まれます。
  
  
自己中心的である事を許せば、そんな葛藤は生まれません。
  
  
ポジティブ一直線に進むには、
  
ネガティブな人々の反対や抵抗を押し切る、意志の強さが必要です。
  
  
その意志の強さは、「自己中心的である事を許すこと」から生まれます。
  
  
「自己中心的さ」を裁いていれば、
いつまでもネガティブな仲間内で縛り会う事になり、
  
自分も幸せに出来ませんし、他人も幸せに出来ません。
  
  
「誰か一人が幸せになるより、
 みんなで不幸でいる方が、平等でいいじゃない!」
    
と、社会主義、共産主義のような思想に染まってしまいます。
  
  
言い方を換えれば、【 嫉妬の世界 】です。
  
  
しかし、真実は、
  
誰か一人が幸せになり始めるから、
みんなが幸せになり始めるのです。
  
  
誰かが、自己中心的になって、率先して不幸グループから抜けるから、
  
みんなも不幸グループから抜けやすくなるのです。
  
  
自分の幸せを思えば、他人の幸せを思えば、
  
自己中心的である事を、許すしかありません。


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2016年09月22日

自分は幸せになっても良いという許可が出せない人

昨日の弟子会議では、またひとつ「新たな大発見」が出来て、
非常に中身の濃いMTGとなりました。
  
  
私にとっては、
【「幸せになりたい」と思わない人 】が非常に不可解で、
  
「自分の幸せを望む事に対して、何のデメリットがあるのか?」
  
と思っていました。
  
  
「もっと幸せになりたい」と望む事が、【 向上心 】ですから、
  
向上心を持つ為には、
「自分の幸せ」に対して、貪欲になる必要があります。
   
  
しかし、ネガティブな人は、
「自分の幸せ」を望むことすら、許可していないのです。
  
だから、貪欲な向上心が持てないのです。
  
  
じゃあなぜ、そういう人が何故、
  
・自分の幸せを望めないのか?
・自分が幸せになる事を許可できないのか?
  
と言う事を掘り下げていくと、
   
【 自分は善い人間ではないから… 】
   
という結論に辿り着きました。
  
  
自分は「善い人間」では無いから、  
  
・自分は幸せに相応しくない
・自分は幸せになっちゃいけない
  
という【 理屈 】になっている訳です。
  
  
【 こんな「クズみたいな悪人の自分」が、幸せになれる訳が無い 】
  
そういう理屈を持っているのです。
  
  
だから、「自分の幸せを望めない、求めない」と言う事です。
  
  
「自分の幸せを求めない」と言う事は、
「他人の幸せも願わない」と言う事です。
  
  
私は、幼い頃から「自分は善い人間」だと思っていました。
  
  
だからこそ、「自分の幸せ」も貪欲に追い求めるし、
他人に対しても、「みんな幸せになったらよろしいやん」  
  
と、純粋に思っています。
  
  
つまり、自分や他人の幸せを求められない、願えないのは、
  
「自分は善人である」というセルフイメージを持っていないからです。
  
  
私は、「人としての自信、人間性の自信」が
一番重要だと伝えてきましたが、
  
その結論に、さらに強い確信が持てるようになりました。  
  
  
「自分が善人」だと思えないのは、
  
おそらく、過去に「自分の正義感」に従って
行動できなかった事があるからでしょう。
  
  
例えば、クラスでイジメられている子を見て、
本当は助けてあげる事が善いことだと思っているのに、
  
自分もイジメられるのが怖くて、何もしなかった。
   
  
そういう風に、恐怖に負けて、
「自分の保身」に走った事に対して、
  
無意識は罪悪感を抱えたりします。
  
  
ただ、過去に悪事を働いたり、保身に走ってしまったとしても、
「善意」は全ての人間に存在しています。
  
  
過去、善人の行動が取れなかったとしても、善意はあったのです。
  
  
例えば、目の前の人が落とし物をして、
「落としましたよ!」って声を掛けるのは、善意です。
  
他人に何かしてあげたいと思うのは、全て善意です。
  
  
そういう【 自分の善意 】にフォーカスしていく事で、
  
自分の幸せを許せる様になっていきます。
  
  
そして、自分が善人であるとういセルフイメージが高まると、
  
過去、【 自分が行った悪事、保身に走った出来事 】が、
「罪悪感を伴うトラウマ」として浮かび上がってきます。
  
  
本当に大切な事は、
それを直視して、許せるかどうか?です。
  
  
自分が善人だと思いたくないのは、
  
過去の悪事、保身に走った出来事、
その罪悪感を直視しなければならないからです。
  
  
「自分が善人だと思う事」と、
「罪悪感と向き合う事」は連動しています。
  
  
多くの人は、「激しい罪悪感」を感じたくないから、
「自分は善人」だとも思いたくないのです。
  
  
しかし、「自分が善人」だと思えない限り、
絶対に、幸せになる事はできません。
  
  
【 「善人」で無ければ、「幸せ」には相応しくない 】
  
と、無意識では思っているからです。
  
  
  
「自分の善意」にフォーカスし、
「自分は善人だ」と言うセルフイメージを高め、
  
過去の「自分の悪事、逃げたこと」を直視し、認め、許す。
  
  
そういうプロセスを踏まない限り、
  
自分は悪人だと思っている人間が幸せになる事は不可能です。
  
  
もし、自分が善人だと思えるようになれば、
もっと勢いよく、他人に奉仕・貢献できるようになりますし、
  
純粋な気持ちで他人に奉仕・貢献できれば、
さらに自分の事を善人だと思えるようになります。
  
  
そういう風に、プラスのスパイラル(好循環)が生まれます。
  
  
ネガティブな人は、
  
自分が悪人だと思っているし、
いつも「後ろめたさ」や「罪悪感」を感じていて、
  
他人に奉仕・貢献する事に対しても、本気になれません。
  
  
純粋に「他人の幸せ」を願えていないから、
また自分は善人では無いと思って、
    
そういう風に、マイナスのスパイラル(悪循環)にハマっています。
  
  
過去、悪事を働いてしまったとしても、
  
それは、自分の心の弱さ故にやってしまったことで、
  
本当は、「自分は善い行いがしたい」と思っているハズです。
  
  
過去、「自分の心の弱さ」に負けてしまったとしても、
  
全ての人間に、善意は絶対にあるのです。
  
  
ネガティブな行動を取ってしまっても、
  
心の奥底では、
「ポジティブな行動がしたかった」と思っているハズです。
  
  
それが、善意です。
  
  
幸せになるには、まず「自分の善意」を認めなければなりません。
  
  
それと同時に、過去、自分の心の弱さに負けてしまったことを認めて、
悔い改める必要があります。
  
  
多くの人は、自分の悪事を思い出して、
  
【 無意識の罪悪感 】を直視したくないのです。
  
  
しかし、それを乗り越えない限り、幸せになる事は不可能です。
  
  
まずは、自分の「善意(ポジティブな想い)」を認める事。
  
次に、過去の「悪事(ネガティブな行動)」を悔い改めることです。
  
  
「幸せになりたい」と思えない人、
「自分は幸せに値する」と思えない人は、
  
まず、そのプロセスを踏まない限り、
一生、幸せになる事はできません。
  
  
もし、幸せになりたければ、 
  
【 自分の善意を積極的に認める 】
  
それが最優先です。


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2016年09月21日

後悔しない唯一の方法

よく、老人に向けた「人生で後悔していることは?」という、
  
インタビューがあります。
  
  
・もっとやりたい事をしておけば良かった
・もっとチャレンジしておけば良かった
・もっと健康を大事にしていれば良かった
・もっと家族と一緒に過ごせば良かった
・もっと他人の目を気にせず生きれば良かった
  
  
などなど…。
  
  
要は、そう言っている「人生の先輩」を反面教師として、
「自分の人生の教訓にしろ」って話ですね。
     
  
私にはどれも当てはまりませんし、全てクリアしています。
  
  
私は、「後悔したく無い」という気持ちがとても強いので、
  
【 後になってから「後悔しないような生き方」】をしているからです。
  
  
その為に、
  
・「将来」について、慎重に考えに考え抜いて、
・「目の前の事」に全力を尽くしています。
  
  
死ぬ間際に後悔しない為には、
  
将来について全力で考え、目の前の事に全力を尽くす。
  
  
本当に、ソレしか無いのです。
  
  
私は、「自分が死ぬときの事」をイメージしています。
  
その時になって後悔しないように、考え、生きているのです。
  
  
ほとんどの人は、死を恐れるあまり、
  
「自分が死ぬ瞬間」について考えていません。
  
  
おそらく、多くの人は高齢に差し掛かってから、
ようやく「自分の死」について考え始めるのでしょう。
  
  
「死」と向き合う事と、「生」と向き合う事は同じです。
  
「自分の死」と真剣に向き合っていない人は、
「自分の人生」とも真剣に向き合っていません。
  
  
「後悔したく無い!」という気持ちが、
「全力で生きる事」に繋がるのであれば、
  
一度くらい、思いっきり後悔した方が良いと思います。
  
  
「あのとき、ああしておけば良かった!」
  
と、本気で後悔して、悔やめば良いのです。
  
  
悔やむことすらしない人は、
  
「あれは、仕方が無かったんだ…」
「自分は間違った選択はしていない…」
  
と、自分に言い訳するんでしょうが。
  
  
後悔しないより、後悔する方が、
「視野が広くなって、成長した」と言う事です。
  
今まで気付けなかったことに、気づける様になったからです。
  
  
今世で大きな過ちを犯し、激しく後悔した人は、
来世でも必ず、同じチャレンジがあるハズです。
  
  
そうして、同様の試練をクリアできるようになるまで、
何度でも同じような状況を引き寄せます。
  
  
そして、輪廻転生を繰り返していく中で、
いつか自らの「後悔の念」に耐えられなくなったとき、
  
初めて、【 全力で生きよう!】と思えるようになるのだと思います。
  
  
ですから、
  
後悔っていうのは、しないよりはした方が良いのです。
  
  
【 後悔する 】って言うことは、
  
「現実と向き合っている」という事です。    
  
  
「自分の過ちを認めない」と言う事は、 
【 現実逃避 】をしているのです。
  
  
自分の過ちを認めず、
  
「仕方が無かった…」と言い訳を続ける限り、
 
何度でも同じ目に遭います.
  
  
同じ目を回避する為には、「後悔」を通らなければなりません。
  
  
そりゃ、「後悔」も「罪悪感」も、無駄に感じる必要はありませんし、
  
回避できるなら、それに越したことはありません。
   
  
しかし、人間は「大きな痛み、苦しみ」を感じたことから、
  
真剣に学習する生き物です。
  
  
私も、過去世で数多くの後悔を経験してきたのだと思います。
  
だからこそ、もう「後悔する事」がイヤになったのです。
  
  
ですから、ポジティブに向かう為にも、
    
一旦、思いっきり痛い目を見ておいた方が、
  
「次は、真剣に生きよう!」と思えるわけです。
  
  
もし何か過ちを犯してしまったのであれば、
  
「仕方無かった…」と言い訳をして、現実から目を背けるよりは、
自らの過ちを直視し、思いっきり後悔した方が良いのです。
  
  
人間は、過ちを犯す生き物です。
  
全てにおいて、「最善の選択」ができる人間など、
ほとんど存在していないでしょう。
  
私は、それを目指していますが。
  
  
でも、そうでも無い限り、
  
やはり人生に「過ち」は付きものです。
  
  
自らの過ちを直視するには、「勇気」と「心の強さ」が必要です。
  
  
自分の過ちから目を背けたり、隠蔽しようとする人ほど、
  
心が弱いのです。
  
  
心が弱い人は、「心を強くしたい!」と、本気で思えるようになるまで、
  
苦しみ、後悔し続けるしかありません。
  
  
今世で出来なければ、来世以降も続きます。
  
  
「死んだらソレでお終い」と思っている人は、
   
どうせ死ぬんだから、めちゃくちゃして死んでやるぜ!
   
と、投げやりになるかもしれません。
  
  
でも、「死んだ後も続きがある」と思うから、
  
今世でも、真剣に生きようと思えるわけです。
  
  
ですから、「魂の世界」を信じている人の方が、
  
人生を真剣に生きようと思っているわけです。
  
  
輪廻転生すると言っても、今世は一度きりです。
  
  
【 自分が死ぬ間際に後悔する最期を向かえてしまうのか? 】
  
は、未来について真剣に慎重に考えることと、
目の前の事に全力を尽くせるかどうか? 
  
  
に、掛かっています。


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