2016年07月

2016年07月31日

人生観の変化

昨日、弟子たちと喋っていて、
  
「他人から刺激を受けること」は大事で、
  
その為に、一流の人の
「本」や「ドキュメンタリー番組」を見ることが大切、
  
という話をしました。
  
  
外科医の場合、
「手術の現場」などでプロの仕事ぶりを拝見できますが、
    
  
私の場合、仕事は「頭の中」で起こっている事なので、
  
私を観察されても、
「どれくらいスゴイ事をやっているのか?」が、
  
とてもわかりにくいと思います(笑)
  
  
たまに、私の出している結果から逆算して、
私の労力を推測できる、視野の広い優秀な人もいますけど、
  
そんな人は稀です。
   
  
私だって、「青色発光ダイオード」の発明に、
どれくらいの苦労や労力があったのか?
  
と言う事については、想像するのも難しいです。
   
その分野について、詳しくないからです。
  
  
素人にとっては、
「プロの仕事のレベルの高さ」を理解する事は難しいし、
  
それが、目に見える「スポーツ」ならわかりやすいですが、
研究という「目に見えにくい領域」なら、なおさらです。
  
  
とにかく、私の仕事ぶりは目に見えないし、
非常に伝わりにくいので、
  
もっとわかりやすい人を観察すれば良いと思います。
  
  
で、20歳前後で成功願望に目覚めた私は、
  
苦しい事をやるのが嫌いで、
「働かずに毎月20万円くらい収入があればいいなぁ」とか、
  
そういう「ラクをしたい願望」を抱いていました。
   
   
あとは、お金を稼ぎたい動機も、
   
「自分の気にくわないヤツに見せつけてやりたい!」
(※ 優越感を感じたい)
   
とか、そういう低レベルな動機です(笑)
  
  
  
でも、成長過程で夢がどんどん大きく膨らんでいって、
  
【「時間とお金の自由」を手に入れて、
 自分のやりたい放題やって、遊び呆けるだけ人生って、つまらんなぁ 】
  
と思い始めました。
  
  
巷のどんな書籍を見ても、レベルを低く感じるくらいに、
自分には心理教育に突出した才能があるし、
  
【 歴史に名前を残すぐらいの存在になりたい! 】
  
と思い始めたのです。
   
   
歴史を見てみても、
  
「商売が上手かった」とか、「お金持ち」というだけで、
歴史に名前を残している人はいません。
  
  
歴史に名を残す人に、「お金」はほとんど関係ありません。
  
  
それよりも、【 どれだけ大きく世の中に貢献したか? 】なのです。
  
私は、そっちを追求する方が面白そうだと思いました。
  
  
そうなると、「ラクをしたい!」から、
 
「しんどい事をしたい!」に、発想が切り替わりました。
  
  
「自分に負荷を掛け続けて、自分を限りなく高めたい!」
  
「自分に負荷が掛からなくなったら、堕落する。」
  
  
そういう発想になったのです。
  
  
そういう発想になってから、【 憧れる人 】も変わりました。
  
  
それ以前までは、
「時間とお金に自由な人」に対して憧れを持っていましたが、
    
ただ「自由な人」よりも、
【 使命感を持って、逆境の中を突き進む人 】に憧れるようになりました。
  
  
「20歳当時の自分」からすれば、考えられないくらいの変化です(笑)
  
  
「ラクをするのが賢い」と思っていましたが、
  
それは、ただ自分が「現実の見えていないバカ」だっただけでした。
  
  
本当は、
  
「他人はやりたがらないけど、価値の高い事」を、
  
【 長期的視野を持って、率先して出来る人 】こそ、
  
すごい人なのです。
  
  
他人がやりたがらないって言うのは、
  
・すぐに目に見える結果が出ないこと
・他人にあまり評価されないこと
・他人にあまり理解されないこと
・他人に嫌われること
・自分に大きな負荷が掛かること
  
などです。
  
  
それでも、【 意義があるから、やる! 】
  
  
そういう信念を持った人がカッコ良いと思います。
  
  
私自身、そういう人間でありたいと思って生きてきました。
  
  
そして、【 使命感を持って、逆境の中を突き進む 】
   
   
これを行うことは、大変な事ではありますが、
  
その分、とても「やり甲斐」や「充実感」があって、
  
自尊心も高まりますし、とても幸せな事です。
   
   
何事にも代えがたい、【 精神的報酬 】です。
  
  
「物質的報酬」も大事ですが、
  
「精神的報酬」の為に働く人こそ、輝かしい。
  
  
成長過程で私の価値観、人生観は大きく変わり、
  
それを、今の弟子たちに伝えています。
  
  
まぁ、ちょっとレベル高いと思いますけど、
  
少しでも伝わったら良いですね。


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2016年07月30日

観察し、平均を知る

私は、自信を持つこと、
  
  
つまり、
  
「自分で自分を高く評価し、褒めること」
  
「自己評価を高く持つ事」
  
  
それが出来るかどうか? で、
  
【 人生の質は決まる 】と言っています。
  
  
で、「自分を褒める事が大事だよ」って言うんですけど、
     
自分で自分を褒めない人にも理由があって、
   
「自慢して他人に嫌われなく無い」とか、
   
「褒める部分が見当たらない」とか、
  
そういう理屈があります。
  
  
万人に好かれることは不可能なので、
  
どうせ嫌われるなら、
ネガティブな人から嫌われたら良いと、私は思います。
  
  
誰からも嫌われない人は、誰からも好かれない人ですからね。
  
  
逆に、ポジティブな人から厳しく言われたら、
それは自分が「傲慢」という事ですからね。
  
  
で、「自分に褒める部分が見当たらない」っていう人は、
  
言い換えれば、「何を褒めれば良いのかわからない」って事です。
  
  
私は、
  
【 平均を上回れば、褒める(高評価)に値する 】
  
と思います。 
  
  
平均点が60点で、61点でも取れば、褒めるに値すると思います。
  
  
初めはそれくらいの、わかりやすい基準で良いと思います。
  
  
しかし、数値化されていればわかりやすいですが、
  
「優しさの平均点」ってどうでしょう?
  
  
「周りと比べて、自分がどれくらい優しい人間なのか?」は、
  
他人と比較しなければ、わかりませんし、
優しさの平均点も、周りの人たちを観察しなければわかりません。
  
  
結局、自分を褒めれない人は、他人を観察していないのです。
  
他人を観察していないから、平均がわからない。
  
  
平均がわからないから、客観的な【 自分の立ち位置 】がわからない。
  
  
それが褒めるに値することなのかどうか?もわからない。
  
  
と言う事です。
  
  
私は、自分の事をわりとオシャレな方だと思っていますし、
周りの人も、私の事をオシャレと言ってくれます。
  
  
そう思えるのも、私は道を歩きながら、
多くの人がどんな服装をしているのか? 観察しているからです。
  
多くの人(平均)と比較するから、
自分はオシャレだと思えるわけですが、
  
(平均以上の)オシャレな人ばかりに囲まれていては、
  
自分を高く評価する事も、
自分に自信を持つことが出来ないでしょう。
  
  
では、「なぜ、周りを観察するか?」というと、
  
自分には、こうなりたい!という目的意識があるからです。
  
  
受験勉強で「自分の偏差値」を知ろうとするのも、
  
「合格したい学校」があって、
「自分の立ち位置」を知りたいからだと思います。
  
  
これは、全てに言えることです。
  
  
目的意識があるからこそ、立ち位置を知りたいのです。
  
あらゆる仕事は、【 比較に晒される運命 】にあります。
  
  
例えば、街に「喫茶店」が数軒あったとして、
  
自分が通うお店は決まってくると思いますが、
  
それは、他のお店と比較して、そこが勝っているからです。
  
  
就職活動も、周りの就活生と比較されて、
  
内定をもらえるかどうか? が決まります。
  
  
学校から就活まで、
  
現代社会の子供は、
「学力、運動、就活」という狭い評価軸しか与えられていません。
  
  
・いくら優しい子がいたとしても、
・感受性の高い子がいたとしても、
・商売の才能が際立っていたとしても、
・霊能力が高かったとしても、
・エンターテイナーの才能があったとしても、
  
それは、「紙の上」では評価されないのです。
  
  
周りの学生と比較して、
「受験」や「就活」という評価軸しかありません。
  
ほとんどの学生は、
その大人から与えられた評価軸で、自己評価を決めてしまいます。
  
  
そして、社会人になったら、次は「お金」です。
  
  
【 お金を稼げば優秀、稼げないヤツは無能。】
  
また、そういう狭い評価軸が待っています。
   
   
人間の個性や才能を、
  
「学力(学校の勉強)」と「お金(収入、売上)」だけで判断する。
    
  
【 どれだけ狭い価値観で計っているのか? 】と思います。
  
  
そういう狭い価値観でしか人を計っていないから、
  
人は、自分の個性や才能に自信を持てず、
  
自信が持てないから、充実した人生を送れないのです。
  
  
要するに、【 多角的に物事を観察する能力 】
  
これが、大いに欠けているのです。
  
  
・自分を多角的に観察する
・他人を多角的に観察する
  
  
そうすると、
自分が平均を上回っている事も少なからず出てくるでしょう。
  
まずは、それを褒めれば良いのです。
  
  
自分に自信がある人は、自己評価が高く、
自分を高く評価する事が習慣になっています。
  
  
それは、目的意識もあるし、他人も観察しているからです。
  
目的意識が持てるのも、自信があるからです。
  
  
つまり、好循環を回しています。
  
  
一方、自分に自信が無い人は、
自分を高く評価する習慣がありません。
  
平均値を知る為に、周りを観察しようとも思っていません。
  
  
それは、目的意識が無いからですし、
  
目的意識が無いのは、自信が無いからです。
  
  
つまり、悪循環を回しています。
  
  
「悪循環」を「好循環」に持って行くには、
  
それなりに【 強い意志 】が必要です。
  
  
公園の遊具で、
  
ぐるぐる回せるジャングルジムみたいなモノがあるでしょう?
  
  
それが、既にぐるぐる回っていたとして、
  
それを逆方向に回そうと思ったら、結構なチカラがいりますよね?
  
  
逆方向にチカラをいれても、すぐに逆回転は始まりません。
  
徐々にスピードが遅くなって、一旦止まって、
ようやく徐々に逆方向に回り始め、勢いが付くまで、
  
それなりに時間もパワーも必要です。
  
  
自信が無い人が、自信を持とうと思ったら、
  
その回っているジャングルジムを逆回転させるくらいの、
時間とパワーが必要なのです。
  
  
自信があるかどうか?で、「人生の質」は決まります。
  
その自信を高めようとする動機は、
  
【 自分の人生をどれだけ充実した輝かしいモノにしたいか? 】
 
という事でしょう。
  
  
その意志がある人には、
  
私は【 万人に通じる方法論 】を教えることが出来ます。
  
  
最後は、「本人の決意」がモノを言います。


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2016年07月27日

一流のプロフェッショナルとは?

私は、たまにNHK番組のプロフェッショナルを見ます。
  
自宅でテレビは見ませんが、ホテルに宿泊したときや、
ネットの有料オンデマンド放送でたまに見ます。
  
  
特に、私は「外科医」の放送が好きです。
  
医師の「生死の境」という強いプレッシャーに立ち向かう姿が、
とても刺激になります。
  
  
自分もまだまだ頑張れるぞ!って気になれます。
  
  
で、一流のプロフェッショナルって、
自分の仕事に人生を懸けているんですね。
  
  
仕事に覚悟が決まっていて、モチベーションで悩む事がありません。
  
  
モチベーションが低下するっていうのは、
   
・本当にやりたい事じゃないか?
・現実逃避して甘えているか? 
  
の、どちらかだと思います。
  
  
本当にやりたい事をやっていて、甘えを捨てていれば、
「モチベーションという問題」で悩む事はありません。
    
別にモチベーションを上げようとか思わなくても、
常にモチベーションが高い状態がキープされます。
  
  
そういう人は、
  
【 どんな苦しみや試練がやってこようとも、
  自分の理想を追い求める! 】
  
と、自分の生き方に覚悟を決めている人です。
  
  
それが、一流のプロフェッショナルだと思います。
  
  
高い理想があるのも、覚悟を決められるのも、
    
結局は、【 自分に自信があるから 】です。
  
  
1.自分に自信があり、
2.高い理想を描き、
3.その理想を、どんな対価を払ってでも追い求める!という覚悟がある。
  
  
それが、一流のプロフェッショナルだと思います。
  
  
「自信がある人」って言うのは、

【 自画自賛が日々の習慣 】になっています。
  
  
テレビ番組で、
 
漫画家の「江川達也」さんと、
ミュージシャンの「m.c.A・T」さんが話していて、
  
「自分で自分の仕事のデキに惚れるよね」と言っていました。
  
  
「自分って絵が上手いなぁ」とか、
「こんな曲、自分にしか作れないだろう」とか、
  
そういう風に思っているのです。
  
  
モデルになるような人は、
  
鏡を見て、自分で自分の事をカワイイとか、
カッコ良いとか、本気で思っているのです。
  
  
無理矢理にそう思おうとしなくても、
本人にとってはそれが自然で、日々の習慣なのです。
  
  
自信がある人は、【 自分を高く評価する事が自然 】で、
だからこそ、さらに自信が付く…と言うことで、好循環です。
   
  
一方、自信が無い人にとっては、
自分を高く評価しようとする事も一苦労だと思います。
  
  
自信のある人がすんなり出来ている事に、抵抗があるのです。
  
それは、自分で自分を高く評価できるだけの、
【 最低限の自信 】が無いからです。
    
  
まずは、その「最低限の自信」を身に付け、
  
【 自分の全力を尽くす習慣 】と、
【 自画自賛の習慣 】が身につけば、
  
勝手に自信は高まっていきます。
  
  
実力の伴わない自信は、
地に足の付いてない、ただの過信ですからね(笑)
  
「実力を高める努力」も大事です。
  
  
で、自信を身に付けた上で、
高い理想を描き、それを追い求める覚悟が決まれば、
  
その人は、ほっといても一流のプロになると思います。
  
  
そして、一流のプロは、モチベーションなんかで悩みません。
  
  
「途中で苦しい事があっても、絶対に諦めない!」
  
と、決めているからです。
  
  
ですから、私は一流のプロとは、
  
【 モチベーションの問題を解決した人 】
  
と、言い換えても良いと思います。
  
  
実際のところ、私はそういう人たちと話したいし、
  
そういう人を相手に仕事がしたい。
  
  
  
モチベーションは、とても大事です。
  
  
「基礎中の基礎」と言っても良いと思いますし、
  
基礎が一番大事です。
  
  
しかし逆に言うと、
  
モチベーションで躓いている人というのは、
「初歩的な部分で躓いている」とも言えます。
  
  
初歩とか基礎も大事だし嫌いじゃありませんが、
そればっかりだと飽きてきますからね(笑)
  
  
私は、もっともっと、高度な事も語りたいのです。
  
  
たとえ一流のプロでも、
苦しい試練はやって来ますし、イライラすることもあると思います。
  
  
私は、そういう試練を負担最小限で乗り越え、
イライラも根本解決する方法を知っています。
  
  
そういう事を、一流のプロ向けに伝えていきたいなぁと思います。


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2016年07月25日

「義務感」と「責任感」は対極

「義務感」と「責任感」は対極って話なんですけど、
  
要は、「義務感で何かを行う」っていうのは「無責任」なんです。
  
  
「義務感で何かを行う」という事は、
   
「自分の意志」で行っているのでは無く、
  
【 自分以外の「誰か」に強制されている 】と思っている状態です。
  
  
ですから、上手く行かなかったら、
  
その「誰か?」のせいにして、
責任をなすり付けようとする気が満々、と言う事です。
  
  
「義務感」で行動する人は、
  
自分の責任(自己責任)において行動しているのではなく、
  
【 失敗したら他人のせいにしよう! 】
  
というマインドで行動しています。
  
  
ですから、【 無責任 】という事なのです。
  
  
無責任な人は、「慎重さ」がありません。
  
  
人間は、【 失敗したら自分の責任 】という状況だと、
  
慎重になります。 失敗したく無いからです。
  
  
でも、【 失敗しても自分に責任は無い(他人のせいに出来る) 】という状況だと、
  
「緊張感」も「慎重さ」も失って、判断がテキトーになります。
   
   
「責任を背負いたくない人」は、
  
【 失敗したときに自分が責められる事 】を恐れているのです。
  
  
その責任を背負いたくないから、
  
他人のせいにして、義務感で生きる事を選択しているのです。  
  
  
テレビゲームでもスポーツでも、
  
「負けてもいいや!」って投げやりに思ってると、
  
真剣に勝負しようと思いませんよね?
  
  
「失敗しても自分は傷付かない」という状況だと、
  
真剣にはなれないのです。
  
  
私は、自分の人生は完全に「自己責任、自分次第」だと思っているので、
  
  
自分が怠けたら「苦しい人生」になるし、
  
自分が頑張ったら「輝かしい人生」になると思っています。
  
  
だから、頑張ります。
  
  
でも、自分の人生を「周りのせい」にして、
  
【 人生は自分の努力では無く、「運」で決まる! 】
  
なんて思っている人がいたら、
  
「全てが運任せ」で、自分で努力しようとは思いません。
  
  
私は、「偶然という意味での運」は存在しないと思っています。
  
  
全てには、【 根拠 】と【 因果関係 】があります。
  
  
「宝くじ」に当たる人も、まったく偶然では無く、
  
目に見えない世界では、「根拠」や「因果関係」があるのです。
  
  
私は、一般的に言われる「運」を、
  
【 シンクロニシティ 】だと理解しています。
    
  
そして、シンクロニシティには、根拠や因果関係があります。
  
偶然はありません。
  
  
私は、【 ポジティブなシンクロニシティ(運が良い事)】
  
を数多く引き寄せていますが、
  
それも、"自発的にそうなるように"行動しているからです。
  
  
一般的に言われる運勢を上げるも下げるも、自分次第なのです。
  
自分の意志と努力でコントロール可能なのです。
  
  
責任を背負いたがらない人(無責任な人)は、
  
自立心や独立心がありません。
  
  
それは何故か?というと、
  
根本的に【 自信が無いから 】です。
  
  
自信がある = 「自立心・独立心旺盛、責任感が強い」
  
自信が無い = 「依存的、無責任、他人のせいにしたい」 
  
  
と言う事です。
  
  
私は数多くの試練、苦しみを経験してきましたが、
  
正直、「自信が無い人の気持ち」はわかりません。
  
  
世間には「自信が無い人」だらけなのに、
  
私はその人達に共感できません。
  
  
私は、「自信が無いところから、自信を身に付けるまでの過程」
  
を経験していないので、その点については、教えるのが難しいです。
    
  
しかし、私の弟子たちは、自信が無いところからスタートして、
  
徐々に自信を身に付けています。
  
  
弟子たちが自信を身に付けたら、
  
自信が無い人たちに【 自信を身に付ける方法 】を教えてあげて欲しいです。
  
  
でも、自信が無い人が自信を身に付けようとするのも、
  
そうカンタンな事ではありません。
  
  
その過程で、「数多くのネガティブ感情」を感じる事になるからです。
  
  
「自信を持つ事」に対して、
  
そこまでの犠牲や対価を支払ってまで、
「自信を持つ事」に価値を感じる人は少ないかも知れません。
  
  
無責任に「他人のせい」にし続けた方が、目先ではラクだからです。
  
  
よほどの決意が無い限り、
  
「自分を変えたい! 自信を身に付けたい!」とは思わないでしょう。
  
  
ただし、そこが【 人生の大きな分かれ目 】です。
  
  
・幸せになりたい!
・自信を身に付けたい!
・自分に価値を感じたい!
・自分を好きになりたい!
・自分を無条件に愛したい!
  
  
【 その気持ちが、どれほど強いのか? 】という事が試されます。
  
  
その気持ちが弱い人は、
  
「自分を変化・成長させる価値」を感じないでしょう。
  
  
私は、めちゃくちゃ苦しんで、
  
苦しみから逃れたくて、自分を変えようと思いました。
  
  
私もそうだったように、
  
多くの人は「激しい苦しみ」を経験してこそ、
  
【 幸せになりたい! 自分を変えていきたい! 】
  
と、本気で思うのでしょう。
  
  
「幸せになりたい!」と本気で思えない人は、
  
「まだまだ苦しみが足りない」のかも知れません。
   
  
そういう意味で、「苦しみ」にも【 ポジティブな側面 】はあります。
  
  
苦しむからこそ、幸せになりたいと願い、
  
幸せになりたいと願うからこそ、幸せになれるのであれば、
  
  
苦しみは、【 幸せになる為のキッカケ 】になります。
  
  
だから、【 苦しむのもまた良し 】なのです。
  
  
  
苦しみが本気でイヤになった人から、
  
「幸せ」や「成長」を目指してもらえれば良いのです。
  
  
今世で「やる気」が出なくても、来世があります。
  
いずれかの来世で、苦しみが本気でイヤになったら、
  
その人は、本気で成長を目指すタイミングと言う事です。
  
  
結局、自分が決断を下さない限り、苦しみは続きます。
  
  
【 本気で幸せになる! 成長する! 】と決断しない限り、
  
苦しみは終わりません。
  
  
自分から動かない限り、待っていても、根本解決は起こりません。
  
  
それだけは、間違いなく言えると言う事です。


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2016年07月22日

お節介を止める

よく、スピリチュアルな情報で言われることですが、
  
【 どんなに苦しいときでも、
  誰にでも「助けの手」は常に差し伸べられていて、
  本人がそれを掴まないだけだ! 】
  
という様な事が言われています。
  
  
それって、本当に本当だったなぁと、今になって思う訳です。
  
  
私が苦境に立たされている人を助けようとしても、
その「助けの手」を掴もうとしない人もいるからです。
  
  
高次元存在からも非常に数多くのサポートが入っているのに、
そのインスピレーションやシンクロに抵抗しているのは、
  
他ならぬ【 本人の選択 】です。
  
  
本人としては「八方塞がり」の様な気がしても、
実は「八方塞がり」など、存在しないのです。
  
  
どんな状況に追い込まれても、活路は必ずあります。
  
  
【 じゃあ、なぜその「助けの手」を掴めないのか? 】
  
って言うと、
  
それこそが、修行のテーマなのです。
  
  
他人からの「助けの手」を掴めないのは、
  
・「他人の愛」を信じられない
・「自分の弱さ」を認めたく無い
  
そういう理由で、「助けの手」を掴めないのです。
  
  
私の言っている、
  
・自分に自信が無い

→ 助けてもらう事が当たり前だと思っていて、依存的。
  
・自分の無力さを認めたく無い

→ 助けてもう事を惨めな事だと捉えて、意地を張っている。
  
  
そういう所に、「助けの手」を掴めない原因があるのです。
  
  
私は、人を助ける仕事をしていますが、
  
一人の人に対して、
私からだけで無く、いろんな方向から助けは来ています。
  
  
・人間からの直接的な助けもあれば、
・シンクロ(引き寄せ)的な助けもあれば、
・インスピレーション(直感)的な助けもあります。
  
  
それを、ことごとく受け取れていない人が、
苦境から抜け出せないのです。
  
  
精神的に成長すれば、他人の助けをスムーズに借りる事が出来て、
  
苦境から難なく抜け出せます。
  
  
精神的に成長しないから、他人のサポートを受け取れず、
  
いつまで経っても、苦境から抜け出せないのです。
  
  
今の時期に関して言うと、
これほどサポートの多い時期もありません。
   
  
私は、「現実好転のメカニズム」を解き明かし、
  
それを「具体的な実践法」にまで落とし込んでいます。
  
  
ここまで教えられていて、苦境から抜け出せないとすれば、
  
「本人のやる気が無いか」、「甘えているか」のいずれかです。
   
   
周りからのサポートは充分すぎるほど存在している訳で、
  
周りに問題は無く、「本人の姿勢や心構え」の問題です。
  
  
別に、人生はポジティブな方向に進まなければならない
  
と言うような事もありません。
  
  
私は、ポジティブな方向に行けない人に対して
「勿体ない」という気持ちが強かったですが、
  
今は、さらに高次の視点から捉えられるようになり、
    
本人の意志次第でアセンションが可能なのに、
アセンションを目指さない人の事を、
  
【 まだまだ「苦しみ」を探究したい人 】と解釈する事にしました。
  
  
私は、苦しみがイヤでお腹いっぱいだから、
もう苦しい世界は卒業したいだけで、そうじゃない人もいる訳です。
  
  
まだまだ「お化け屋敷」を楽しみたい、
  
まだまだ「ジェットコースター」を楽しみたい。
  
  
そういう人たちなんだと捉えるようになりました。
  
  
だから、「勿体ない」という捉え方も止めて、
  
「苦しみを探求し尽くしていないから、まだまだ探求したいんだな〜」と、
今ではそういう風に捉えています。
  
  
結局、これだけ充分過ぎるほどのサポートを受けていて、
  
それでもダメな人は、「そこまでの人だった」という事です。
  
  
それを無理に何とかしようとする事は、過保護です。
  
一線を越えて、「相手の領域」に踏み込む行為です。
  
  
依存的な人は、自分が甘えていても、
  
「いつまでも他人に構ってもらえる」と思っています。
  
  
でも、そんな事はありませんし、
  
そういう依存的な人には、「冷酷な対応」をした方が、
  
【 最後は自分が変わらなければならないんだ! 】
  
と気付き、「自立心を芽生えさせる事」に繋がります。
  
  
【 自分が甘えていたら、いずれ他人から構ってもらえなくなる 】
  
と理解させた方が、本人の為です。
  
  
苦境に立たされているにもかかわらず、
他人の「助けの手」を掴もうとしない人がいたら、
    
それは、【 自分の考え方を改めようとしない「甘え」 】です。
  
  
「自分の考えを変えたくない!」と、意地を張り続けているだけです。
  
  
自分が変わる事、成長する事をサボって、
   
それでも他人に構い続けてもらおうと、ただ甘えているだけです。
  
  
  
霊的向上を目指す人は、
  
他人にお節介を焼きたくなる事もあるかもしれませんが、
   
・まだまだ苦しみを探究し尽くしたい人(魂)もいる
・自分以外からも、たくさんのサポートが本人に注がれている 
  
そういう理解を深めると、余計なお節介や過保護を止められます。


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2016年07月21日

アドラー心理学

しばらく前から、アドラー心理学が流行っていますね。
  
それ以前には「NLP」が流行り、関連書籍がたくだん出されていました。
  
  
アドラー心理学で言われている事には、
  
・目的論 
・課題の分離
・「すべての悩みは対人関係の悩みである」という主張
・「トラウマは存在しない」という主張
・「無意識は存在しない」という否定
  
などがあります。
  
  
【 課題の分離 】というコンセプトは、
  
私の言う【 自業自得・自己責任・自分次第 】と同じ事なので、  
それは同意できますが、
  
確実に「トラウマ」は存在するし、「無意識」も存在するし、
明らかに「間違った事」も言ってます。
  
  
ただ、「心理に興味を持つ人」が増えるのは、喜ばしい事ですね。
  
  
アドラー心理学は、
「厳しい事が書かれている」という評判らしいですが、
  
アドラーで厳しいなら、
私は【 その数倍厳しい主張 】をしている事になるでしょうね(笑)
  
  
でも、「厳しい情報」を評価する人が増えると言うことも、
喜ばしい事です。
  
  
「厳しい現実」を受け入れられる人が、
成長し、根本解決し、幸せになります。
  
  
現実逃避を止め、幻想を捨て、現実を見据え、
「自分に厳しい情報を学んででも、根本解決を目指す」と言う人が、
  
増えて欲しいモノです。


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2016年07月20日

情熱の言語化

昨日は、かいじゅんが自宅に来て、
  
自分の「肩書き」を考えて欲しいと、相談を受けました。
  
  
肩書き作成は、
  
言い換えれば【 自分の情熱と役割の言語化 】です。
  
  
【 抽象的な事柄を「言語化」】するのは、私の得意技です。
  
  
吉田さんの「ヒーリングアーティスト」という肩書きも、
  
私が彼女と話し合いながら考えました。
  
  
で、かいじゅんといろいろ話し合った挙げ句、
  
既に一般的な「空間デザイナー」という役割に、
自分のやりたい事が近いという事で、
  
ただ、それだけだと面白く無いので、「心理」をプラス。
  
  
最終的に、
  
「空間心理デザイナー」という肩書きを本人が気に入ったので、
  
それで行くみたいです。
  
  
自分にピッタリの肩書きが出来ると、
  
自分の情熱と役割が言語化できて明確になり、
    
「セルフイメージ」も大きく変わります。
  
  
周りの反応も、
  
「ただの人」から、
【「その道のプロ」として見られる人 】に変化していく訳です。
  
  
そういう意味で、「初めて自分の肩書きを作る」というのは、
  
本人に「大きな意識の変化」を生まれますし、
  
本人にとっては【 大きな意味を持つ作業、転換機 】になりますね。
  
  
人間、自分の好きな仕事だったら、苦も無くいくらでも努力出来ます。
  
  
というより、むしろ逆算で、
   
「自分にとって苦が無い仕事」を見つけし、
  
試練があろうともそれで生きていくという決断が必要ですね。
  
    
人生の半分は仕事です。
  
  
【 自分の天職と出会えるかどうか? 】で、
  
「人生の質」が大きく変わってきます。
  
  
だから私は、みんなに天職と出会って欲しいと思っている訳です。
  
  
しかし、かいじゅんが自分で自覚していた、
  
「英語・農業・食が好き!」と言うのと、
  
全然違う結論に辿り着いて、
  
人がどうなるかは、
最後までわからんなぁと、常々思います。


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haxe501 at 19:37|Permalinkclip!

2016年07月19日

一夫一婦制のネガティブ観念を破壊したい

先日、正式に入籍しました。
  
  
奥さんは名字が変わるので、心境の変化はあるでしょうが、
  
私は元々、「一生付き合える人」を探して生きていますし、
教育者として「人の一生を背負う」という気持ちで仕事しているので、
  
特に心境の変化はありません。
  
  
その後、両親から結婚祝いを受け取りました。
  
両親は、私が結婚したことに対して、
とても嬉しそうでした。
  
  
それ自体は、私にとっても嬉しい事ですが、
  
やはり、世代が上の人たちは、
  
・「結婚」 = 「幸せ」
・「結婚」 = 「一人前」
  
という観念が強いのでしょう。
  
  
じゃあ、結婚できない人は不幸で決定なのか?って事です。
  
そんな事は無いでしょう。
  
  
それは、他人の勝手な決めつけです。
  
  
文明がそれほど進化していない時代は、
「肉体労働」がメインでした。
  
  
だから、「男性が働きに出る、女性は家に居る」
  
と言うスタイルが一般的だったのでしょう。
  
  
だからこそ、経済的な理由で「結婚」が重要だったのです。
  
  
しかし、文明が発達してきて、 
「サービス業」や「頭脳労働」が多く必要とされるようになり、
   
男性と女性の差はどんどん無くなって来ています。
  
  
その分、わざわざ結婚する必要の無い人たちも増えているでしょう。
  
  
私個人的には、結婚しようとしまいと、
   
それは「法律的にどう扱われるか?」の差であって、
  
自分の「生活」や「生き方」自体には、大した変化はありません。
  
  
じゃあ、なぜ結婚したかったか?というと、
  
私は「家庭」や「子育て」についても教えたいですが、
  
結婚していないと、
世間から「家庭を持っている人間」と認識されないでしょうし、
  
子供がいるのに結婚しないというのも、
いろいろ不都合だと思ったので、
  
「結婚した方が都合が良い」と判断している訳です。
  
  
もしかしたら、こんなことを書くと、
奥さんに「えー?」と思われるかもしれませんが、
    
私と一緒に暮らせる人は、
  
相当な【 精神性、精神力、向上心 】がある人です。
  
  
私が奥さんに何かを強制することはありませんが、
  
【 精神性、精神力、向上心 】を持っていないと、
  
私と一緒に暮らすにはストレスが溜まると思います(笑)
  
  
私は一緒に居る人の波動を思いっきり引き上げるので、
  
その分だけ、やってくる試練も大きい訳です。
  
  
それに耐え、乗り越えていけるだけの器が必要です。
  
  
それだけの【 精神性、精神力、向上心 】を備えている私の奥さんは、
  
私にとって、本当に貴重な存在です。
  
  
私と一緒に暮らせるぐらいの人なんて、
奥さん以外に、今後現れないんじゃ無いか?と思えますし、
  
そんな貴重な人と出会えて、いつも有り難いと思っています。
  
  
それでも、私は「一夫一婦制が正しい」という
世間のネガティブ観念を壊したいと思っていますが、
  
それは、私が個人的に多夫多妻を目指しているという事では無くて、
  
一夫一婦制は、愛を著しく制限し、
莫大な恐怖とネガティブ感情を生み出す諸悪の根源だからです。
  
  
自分個人の為では無く、
【 社会をポジティブにする上で、必要不可欠な事だから 】です。
  
  
  
例えば、私は奥さんと別の男性が一緒に会う事に対して、
ネガティブ感情は沸きません。
  
昔の私は、好きな女性が他の男性と仲良くするだけで、
発狂するくらいに独占欲が強かったですが、それを克服してきました(笑)
  
  
一夫一婦制に強くこだわる人は、
  
「浮気される恐怖」も、すごく強く持っている訳です。
  
  
その「強い恐怖」を感じる分だけ、不幸です。
  
  
私は、社会の「恐怖」や「ネガティブ感情」を減らしたいわけで、
  
一夫一婦制が、
  
ものすごく強い「恐怖」や「ネガティブ感情」を生み出す根源だから、
それを変える必要があると言っているのです。
  
  
実際、浮気や不倫の人口ってめちゃくちゃ多いみたいですが、
  
一夫一婦制は、「自然の摂理では無い」と言う事です。
  
  
愛に制限を掛けるルールが、自然の摂理な訳がありません。
  
  
【 男女関係の悩み 】ってめちゃくちゃ多いですけど、
   
そのほとんどが、
「たった一人の異性しか愛してはいけない」という観念に起因しています。
  
  
【 「複数の異性」を愛しても、別にいいじゃない! 】
  
って言うのが常識になれば、
  
世の男女関係の悩みのほとんどが解決すると思います。 
  
  
  
ネガティブで未熟な文明では、
一夫一婦制が上手く機能していた部分もあったかもしれませんが、
  
文明が発展するごとに、ルールも変えていく必要があります。
   
  
で、社会で問題が起きてから実際にルールが変わるまでって、
  
恐ろしくタイムラグがあります。
  
  
例えば、
  
「電車の女性専用車両」とか、
「ストーカー規制法」とか、
「飲酒運転の厳罰化」とか、  
  
問題が起きてからルールになるまでには、
時間が掛かります。
  
  
ですから、
  
一夫一婦制は変えるべきだと思いますが、 
それが正式に実現するまでには、それなりに時間が必要でしょうね。
  
  
それに、ルールを変える前に、
  
まず「人々の意識」が変わらねばなりません。
  
  
一夫一婦制を正しいと思っている人は、
  
【 人間は、一人の異性しか愛せない、愛してはいけない 】
  
とでも思っているのでしょう。
  
  
それが、「自然の摂理では無い」にも関わらずです。
  
  
だから、他人が「自分以外の別の誰かを愛する」と言う事は、
  
「自分の分が奪われる」という認識になるわけです。
  
  
人間の恐怖の根本は、
  
【 「自分には価値が無い」と感じる恐怖(無価値感への恐怖) 】や、 
【 「自分が愛されない事」に対する恐怖 】です。
  
  
・自分には価値が無い
・自分は愛されていない
  
そう感じる事が、人間は一番イヤなのです。
  
それは、私も例外ではありません。
  
  
でも、宇宙の視点から見れば、
  
誰にでも価値はあるし、誰でも何かから愛されている訳で、
  
・自分には価値が無い
・自分は愛されていない
  
というのは、【 壮大な勘違い 】なのです。
  
  
でも、その【 壮大な勘違い 】を改める(根本解決)には、
  
潜在意識に溜め込んでいる
【 ネガティブ感情(悲しみ、怒り)】を感じていく必要があります。
  
  
多くの人は、
そのネガティブ感情を嫌がって、根本解決を目指さないのです。
  
  
私は、「男女関係にまつわる悲しみ」を感じまくってきました。
  
その結果、素敵な奥さんを引き寄せる事が出来ました。
  
  
いつも愛されている事を感じ、安心しています。
  
浮気される恐怖や、愛されなくなる恐怖もありません。
  
  
昔はそういう恐怖を持っていましたが、
  
それらの恐怖は、全部乗り越えてきたからです。
  
  
だから、奥さんが別の男性と会っていても、嫉妬心はありません。
  
  
男女関係にまつわる「怒り、悲しみ」を解放し、恐怖を克服していけば、
  
【 「複数の異性」を愛しても、別にいいじゃない! 】
   
という境地に辿り着きます。
  
  
そうなれば、
男女関係で悩む事も、悲しみや怒りを感じることもありません。
  
  
その結果、自分にピッタリの、
素敵な異性を引き寄せる事も出来るでしょう。
  
  
「現実好転」は、【 試練を乗り越えた「ご褒美」】です。
  
  
世間の人々が、それらの試練を乗り越えていくのは、
負担の大きな壮大なプロセスかも知れませんが。
  
  
男女関係にまつわる、「性」「恋愛」「結婚」など、
  
あらゆるメンタルブロックを外していく必要があります。
  
  
私には、「男女関係の苦しみ」はよくわかります。
  
  
それを根本解決するには、
  
【 自分の考え方 】を変える必要があります。
  
  
「自然の摂理に反した常識」を、覆していく必要があります。
  
  
「自分の考え方」を変えない限り、【 苦しみ 】はいつまでも続きます。
  
  
人間の抱えている、
  
・「自分には価値が無い」と感じる恐怖(悲しみ)
・「自分は愛されない」と感じる恐怖(悲しみ)
  
は、非常に「莫大な量」です。
  
  
それを乗り越えていくのは、「骨が折れる作業」となるでしょう。
  
「悲しみ」を感じていくのは、精神的にも負担が掛かります。
  
  
でも、それをやらないと根本解決はできません。
  
  
覚悟を決めて、それをやる人は、ポジティブな世界へシフトし、
  
それをやらない人は、アセンションは来世以降に持ち越しです。
  
  
あとは、本人の選択です。


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2016年07月18日

「無くなったら困る」が、感謝対象の基準

「感謝するモノ(価値を感じるモノ)」は寄って、
「感謝しないモノ(価値を感じないモノ)」は離れていく。
  
という法則があります。
  
  
  
お金に困っている人は、
  
「お金」に感謝が足らない、
「お金」にさほど高い価値を感じていない。
  
  
自由時間に困っている人は、
  
「自由時間」に感謝が足らない、
「自由時間」にさほど高い価値を感じていない。
  
  
健康・体調に困っている人は、
  
「健康・体調」に感謝が足らない、
「健康・体調」にさほど高い価値を感じていない。
  
  
と言う事です。
  
  
で、感謝すべき対象の基準は、
  
単純に、【 無かったら困る 】です。
  
  
「無かったら困るモノに対して、感謝できていない」
  
と言う事は、【 視野が狭く、傲慢である 】と言う事です。
  
  
不幸な人は、
  
【 無かったら困るモノ 】に対して、感謝しておらず、
   
「あるのが当たり前」と感じていて、
  
  
それが無くなったら、「なんで無いんだ!」と、
  
【 被害者意識 】を持ち、文句を言います。
  
  
  
例えば、親に仕送りをしてもらっている大学生がいるとしましょう。
  
  
「親に仕送りしてもらって当たり前」と思っている子は、
  
仕送りが止まると、なんで止まるんだ!と、怒り出すでしょう。
  
  
逆に、「仕送りをしてもらうのは当たり前じゃない」と思っている子は、
  
仕送りしてもらっている事に対して、常日頃から感謝をしていますし、
  
たとえ仕送りが止まっても文句を言わず、自分で何とかしようと思います。
  
  
  
幸せな人は、【 無かったら困るモノ 】に感謝していて
  
無くなったら、自分で何とかしようと思います。
  
自立心があり、自業自得、自己責任、自分次第という姿勢です。
  
  
不幸な人は、【 無かったら困るモノ 】はある事が当たり前で、
  
無くなったら、他人のせいしにて、文句を言います。
  
非常に依存的で、被害者意識にまみれていて、傲慢な態度です。
  
  
【 感謝 】とは、シンプルにこれだけの違いです。
  
  
「食事が無かったら困る」というなら、
「食事」に感謝できていないとおかしい。
  
「お金が無かったら困る」というなら、
「お金」に感謝できていないとおかしい。
  
「トイレが無かったら困る」というなら、
「トイレ」に感謝できていないとおかしい。
  
  
それが、【 感謝の基準 】です。
  
  
しかし多くの人々は、「無かったら困るモノ」に囲まれて生きているくせに、
  
それに対して感謝が足りていません。
  
  
感謝していないと言う事は、
  
「あるのが当たり前」と捉えていて、
  
「無かったら困るモノ…」つまり、【 本当は価値が高いモノ 】に対して、
  
【 さほど高い価値を感じていない 】と言う事です。
   
  
【 実際の価値 】と【 自分の捉え方 】に、
   
「大きなギャップがある」という訳です。
  
  
自分が価値を感じないモノ、感謝していないモノは、
自分から離れていきます。
  
  
そうすると、
「無かったら困るモノ」が本当に自分から離れていって、
  
【 実際に困ることになる…、】と言う事です。
  
  
とてもシンプルなメカニズムです。
  
  
自分にとって「無くなったら困るモノ」をリストアップしたら、
  
【 その数は膨大な量になる 】と思います。
  
  
その一つ一つに感謝できていないとなると、
  
実際に比べ、【 自分の感覚の方がオカシイ 】という事になります。
  
  
その「おかしな感覚」を正すために、
  
自分にとって「無くなったら困るモノ」が、
実際に自分から離れていくのです。
    
  
で、
  
「自分の感覚が間違っていた!」 
  
「本当は大切なモノなのに、価値がわからず大切に出来ていなかった!」
  
と、気付けたら、【 気付きが広がった、視野が広がった 】と言う事です。
  
  
それが、【 精神的成長 】です。
  
  
自分にとって、「本当は価値があるモノ」なのに、
  
「あるのが当たり前」と思って、
【 高い価値を感じられていない 】のだとしたら、
  
それを失って、「痛い目を見ることになる」と言う事です。
  
  
「実際の価値」と「自分の感覚のズレ」が、それを引き起こします。
  
  
「無くなったら困るモノ」に対して、
  
【 感謝できている(高い価値を感じている)事が、普通 】なのです。
  
【 感謝できていない(高い価値を感じていない)事の方が、異常 】なのです。 
  
  
これが、シンプルな基準です。
  
  
私も、子供の頃は、
何でも「あるのが当たり前」と思っていました。
 
でも、数々の苦しい試練を乗り越えてきて、
  
「当たり前で無い」と気付きました。
  
  
そういうプロセスを経て、「感謝できる対象」が増えていったのです。
  
  
で、感謝できていると、何も問題は起きません。
  
感謝を失ったときに、問題は起きるのです。
  
  
本当は価値が高いモノに対して、
 
自分が高い価値を感じられていない。
  
  
それが、【 傲慢(感覚が異常) 】という事なのです。
  
  
「傲慢(感覚が異常)」だから、人生で問題が起きる訳で、
  
「無くなったら困るモノ」に対して感謝できている人…、
  
つまり、
  
そういう【 まともな感覚な人 】は、「人生がうまく行く」と言う事です。


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haxe501 at 18:48|Permalinkclip!

2016年07月17日

「そこそこ満足」の罠

私のメソッドを実践していくと、
現実がどんどん好転していきます。
  
  
・人間関係の問題が解決したり、
・友達がいなかった人に友達が出来たり、
・付き合う人の層が変わったり、
・収入が上がったり
・いままでやっていたイヤな事を止められたり
・昔より好きな仕事に出会えたり、
  
です。
    
  
ただ、自分の「目の前の問題」が解決すると、
  
どうしても、モチベーションが低下してきます。
  
  
私は心理全般のスペシャリストですが、
  
モチベーションに関しても、
私よりモチベーションの本質を理解している人はいないと思います。
  
  
私から見れば、巷に出回っているモチベーションに関する情報は、
非常に低レベルですね。
  
  
で、ひとつ言えることは、
  
【 モチベーションが高い状態は幸せである 】
 
と言う事です。
  
   
何かに対して、
【 「やる気」に燃えている状態 】自体が、幸せです。
  
  
逆に、「やる気」の無い状態(無気力)って、
あまり幸せじゃ無いと思います。  
  
  
ですから、私はどんなに幸せになって満たされていても、
  
常に、何かに対して
「やる気に燃えている状態でいたい」と思っています。  
    
  
しかし、目の前の問題が解決されて、自分が満たされてくると、
  
「頑張る動機」を失ってしまって、モチベーションは低下します。
  
  
自分が苦しい状況に追い込まれると、
苦しみから逃れるために、「やる気」が湧いてきます。
  
しかし、苦しい状況から脱して幸せになると、
頑張る動機を失い、「やる気」も低下します。
  
  
私は幸せとは、
  
「満たされる事」と「やりたい事をやること」
  
その二つだと思っています。
  
  
しかし、以前より幸せになって満たされてくると、
「次にやりたい事」が無くなって来ます。
  
  
ですから、どれだけ満たされても、
すぐに「次の目標や目的」を見つけて、突き進む…、
  
という生き方が、私は幸せだと思います。  
  
  
私は日本人の多くが、
  
「そこそこ幸せになって、
 次の目標を見失っている状態では無いか?」
  
と思います。
  
  
ハングリー精神を失って、ニートも増えています。
  
  
それは、「苦しくは無い」かも知れませんが、
【 情熱的 】とは言えないと思います。
  
  
「苦しみ」から脱したら、次は「情熱的に生きるステージ」なのです。
  
  
苦しみから脱したからと言って、情熱も見つけず、ダラダラ過ごす。
  
  
そうやってのんびりしている内に、時代は流れ、時間を無駄にし、
また苦しい状況に【 逆戻り 】してしまいます。
  
  
結局、「マイナスから逃れるモチベーション」はあっても、
  
「プラスを追い掛けるモチベーション」が無いのです。
  
  
「プラスを追い掛けるモチベーション」を燃やすには、
  
【 高い理想 】が必要です。
  
  
例えば、若い人の多くは選挙に行きませんが、
  
それは、国に対してそれほど不満が無いからでしょう。
  
  
本当に不満が募れば、選挙に行くと思います。
  
  
選挙に行く人は、
  
現状に満足しないくらいに、【 理想が高い 】という事です。
  
  
【 理想を高く持つ 】と言う事が、
  
「そこそこ幸せの罠」から逃れる方法です。
  
  
私は理想が高いので、現代社会に不満がたくさんあります。
  
  
不満があるから、不満を解決したいと思って、
  
モチベーションが湧くのです。
  
  
しかし、理想が低い人は不満が無い。
  
不満が無いから、何かアクションを起こそうとも思わない。
  
  
私は、「理想が高い人」の方が、
理想の低い人よりも「試練」や「不満」も多いですが、
  
【 結果的には幸せになる 】と思います。
  
  
そして、理想の高さも、自信から生まれます。
  
  
つまり、現代社会に生きる人々の多くが、
  
「自信を喪失してしまっている」と言う事です。
  
  
私は、自信を高める方法を熟知していますが、
  
自信を高めるには、苦しい事も出てきます。
  
  
「苦しい事を乗り越えてでも、自信を高めたい!」
  
そういう人は稀です。
  
  
私は、そんな「稀な人」を相手に仕事をしている訳ですが(笑)
  
  
ほとんどの人は、苦しい事をしてまで、
「自分の人生を根本的に良くしたい」と思っていません。
  
  
でも、それが人々の選択であり、自由意志です。
  
向上心が無い人に、無理矢理向上心を持たせることも出来ません。
  
  
それは仕方の無いことですし、
  
そういう人たちに、私が出来る事はほとんどありません。
  
  
結局は、本人の選択です。
  
  
自分を高め、他人に大きく貢献しようとする人は、
   
本当に貴重だと思いますし、有り難い存在です。
  
  
高い理想を持ち、【 成長と貢献の人生 】に目覚める人もいれば、
「この辺でいいや」と満足して、目覚めない人もいますが、
     
地道に「覚醒の連鎖」を起こしていって、
  
一人でも多く、覚醒する人を増やしていく。
  
  
それをやり続けるしかありません。


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