2016年01月

2016年01月31日

最重要なのに、あまりにも出来ていない事

私にとっては、息を吸うように、
ごくごく自然に行っている「至って当たり前の事」ですが、
  
  
【 多くの人は、それが出来ていないために、
  人生をポジティブに変えることが出来ないんだな 】
  
  
という「根本原因」を、国本さんのおかげで発見できました。
  
  
それは、
  
1.自分で自分を褒める事
2.自分の本心(本当の気持ち、感情)を知る事
  
です。
  
  
多くの人は、
  
「自分で自分を褒めていません」し、
「自分の本当の気持ち」も自覚していません。
  
  
だからこそ、
  
「自分の本当にやりたい事」もわからないし、
  
それがわからないから、とりあえず
「他人から褒められる為」だけに行動し、
  
「他人の意向」に振り回され、
  
「自分の軸」や「強い意志」が無く、  
【 他人に流されるままの人生 】を送ってしまうのです。
  
  
自分で自分を褒め、自分の本心がわかっていれば、
  
「他人から褒められる為」になど行動しませんし、
  
他人に振り回されることなく、
「純粋に自分がやりたい事」を、素直にやっていく事が出来ます。
  
  
1.自分で自分を褒める習慣
2.自分の内面と向き合って、自分の本心を探る習慣
  
  
この2つの習慣こそ、
ポジティブな人生を生きる上で、【 最低限必須の習慣 】です。
  
  
自分にあまりにも自信が無さ過ぎるから、
   
【 自分の人生に対して全ての責任を背負う 】という事からも、
逃げ続けてしまうのです。
  
  
私は、幼少の頃から、割と「自信家」でした(笑)
   
それは、今とほとんど変わっていません(笑)
  
  
小学生の時に、女子から付けられた「あだ名」が、
   
「自慢男」ですからね(笑)
  
  
しかし、多くの人は、「自信家」どころか、
  
「謙遜」を通り越して、あまりにも【 自虐的 】過ぎます。
  
  
自虐的では、ポジティブな人生を生きることは不可能です。
  
   
そして、自分をポジティブに出来ないという事は、
   
他人をポジティブにしていく事も不可能です。
  
  
自虐的では、
自分を不幸にするだけでなく、他人も不幸にしてしまうのです。
  
  
「幸せな人」と一緒にいると、自分も幸せになります。
  
  
自分がまず「幸せになる事、ポジティブになる事」が、
   
【 周りの人を幸せにし、ポジティブにする事 】なのです。
  
  
「自虐的」という事は、
自分を過小評価し、他人をも過小評価しています。
    
  
私は、自分の仕事に誇りを持っているからこそ、
  
他人の仕事もめちゃくちゃ尊重、尊敬しています。
  
  
私は「自分の仕事」も「他人の仕事」も、高く評価しているので、
  
常連の飲食店のスタッフの方々から、気に入られちゃいます。
    
  
逆に、自分の仕事も、他人の仕事も、
 
「大した事はしてないんだ」と低く評価する人は、
  
自分の仕事にも誇りを持てないし、  
他人からサービスを受け取るときも、感謝が出来ません。
  
  
「経済的な豊かさ」とは、他人を通じてやってきます。
  
つまり、【 豊かさとは他人 】なのです。
  
  
ですから、「他人」と「他人の仕事」を高く評価する人の所に、
  
たくさんの豊かさがやってきます。
  
  
そして、他人を高く評価する前に、
  
まず自分自身のことを高く評価できなければ、
 
他人を高く評価することなど不可能です。
  
  
だからこそ、
  
「自分を高く評価する習慣」
  ↓
【 自分を褒める習慣 】
  
が、必要なのです。
  
  
自分を高く評価する人は、他人も高く評価できます。
  
自分自身を軽んじている人は、他人の事も舐めているのです。
  
  
  
次に、「自分の本心(本当の気持ち、感情)を知ること」ですが、
  
私は、中学生の時に挫折して、
うつ病みたいになって、不登校児になって、
  
それから、自分の内面と向き合う事が習慣になりました。
  
  
普通の人は、何も考えずに、
高校、大学と受験し、就活をしていくでしょうが、
  
私は、高校でも不登校になり、大学にも行けず、
  
既成のレールから外れて、
自分の進路について、真剣に考える機会がたくさんありました。
  
  
当時は、将来について考える事がすごくイヤでした。
  
学歴を失って、未来に絶望していたからです(笑)
  
  
でも、
 
・自分は何がやりたいのか?
・自分はどうやって生きていけば良いのか?
  
それを、考える機会がたくさんあったおかげで、
   
【 自分のやりたい事が何なのか? 】 
  
普通の人よりは、よほどわかるようになりました。
  
  
ホリエモンも、刑務所に入れられて、
たくさん自分の内面と向き合ったと思いますが、
  
だいたい「挫折経験」が無いと、
  
【 自分の内面と真剣に向き合う機会 】も無いと思います。
  
  
でも、いちいち挫折しなくても、
  
「白紙の紙」と「ペン」を持って、
 
【 自分の考えや気持ちを積極的に知ろうとする習慣 】
 
を身に付ければ、
  
いちいち挫折するまで待たなくても良いです(笑)
  
  
国本さんも、しばらく「自分の本心」を無視し続けてきましたが、
  
それでは人生上手く行きません。
  
  
いずれ、厳しい試練がやってきて、
  
向き合わざるを得ないような状況にまで、追い詰められていきます。
  
  
まずは、
  
【 自分で自分の事など、何一つ分かっていないのだ 】
  
という事実を認めて下さい。
  
  
それがわかっていれば、
とっくにライフワークも見つかっています(笑)
   
自分の事がわかっていれば、人生で迷うことなど無いのです。  
  
  
自分で「自分の事がわかっていない」のだから、
  
【 自分の事を知ろう! 】と思う事が大切です。
  
  
「自分を知り続けようとする習慣」を持てない限り、
  
一生、「他人の評価」や「他人の意向」に振り回される人生で、
  
【 自分の人生 】を生きることなど不可能です。
   
   
【 情熱に満ちた、自分の人生 】を生きたければ、
  
  
1.自分で自分を褒める習慣
2.自分の内面と向き合って、自分の本心を探る習慣
  
  
これが、必要不可欠です。
  
  
まぁ、「自虐的な人」の対極に、私の様な「自信家」もいますが、
  
自信家の多くは、現実で頭を打ち、
天狗の鼻を折られながら学んで行く運命です(笑)
  
  
ホリエモンや、私の様な自信家に必要なのは、
逆に【 謙虚さを身に付ける事 】です。
    
  
自分に自信を持てない人は、
  
まず、
  
・自分で自分を褒められないと、
・自分で自分を高く評価できないと、
  
何も始まりません。
  
  
【 幸せになりたければ、とにもかくにも自分を褒める事 】です。
  
  
「自信」が身につけば、「勇気」が持てます。
  
「勇気」があるから、「責任」を背負う事が出来るのです。
  
  
「責任を背負う勇気」が持てない人は、
  
まず、その前段階として、【 徹底的に自分を褒める事 】です。


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2016年01月28日

私の語る宇宙の法則、心理のメカニズムは、理科の授業

私の語る「宇宙の法則、心理のメカニズム」は、
  
【 理科の授業 】と同じです。
  
  
で、「理科」って生活と密着していますよね?
  
  
生活の中で、「てこの原理」を使ったりする事もあると思いますし、
  
冬に窓ガラスに水滴が付くのは、「結露」という現象です。
  
  
そういうのも、理科でだいたい習います。
  
  
「なぜ、水が0度以下で氷になり、
 水が100度で水蒸気になるか?」
  
という事を説明できますか?
  
http://www.suntory.co.jp/company/mizu/jiten/know/kn_01_01.html
  
  
物質というのは、
  
温度が下がってくると、「分子の振動」が止まってきて、
温度が上がってくると、「分子の振動」が激しくなります。
      
  
それと、スピリチュアルの世界はまったく同じです。
  
  
スピリチュアルの世界も、大きく分けて、
  
  
( ↑ 波動の振動数が高い)
  
・「光」の世界(水蒸気)
・「霊」の世界(水)
・「物質」の世界(氷)
  
( ↓ 波動の振動数が低い)
  
  
という風に分かれています。
  
  
で、私たちは今、「氷の世界(物質世界)」にいるわけですが、
  
どんどん振動数を高めていって、
「氷の世界」から、「氷水の世界」に移行しているのです。
  
  
スピリチュアルって、ぜんぜん不思議なんかじゃなくて、
  
ちゃんとした「法則性、規則性に則った物理」ですからね。
  
  
江戸時代に携帯電話を持って行ったら、
たぶん【 魔法 】だと思われるでしょう?
  
それと同じです。
  
  
スピリチュアル分野について、科学的に解明できないくらい、
  
【 現代の科学力がまだまだ未熟 】というだけです。
  
  
で、法則とか、方程式とか、規則性とか、
  
そういう【 絶対的に揺るがないパターン 】が理解できれば、
  
自分自身で、当てはめて、応用して、
  
問題を解けていけるという事です。
  
  
私は、「問題の解き方」を一生懸命教えているのに、
  
学校教育で「点さえ取れれば良い」
という気持ちで勉強してきた子は、
  
【 正解を短期記憶で暗記して、解答用紙に記入して、忘れる 】  
 
という事を繰り返して来ているだけなので、
  
まったく【 理解 】が出来ていないのです。
  
  
理解がなければ問題は解けないのに、
  
【 理解 】にフォーカスせず、【 正解 】にフォーカスしているから、
  
いつまで経っても
「他人から答え教えてもらいたいカンニング野郎」で、
    
自分で問題を解く気が無く、バカなままなのです。
  
  
「自分が正確に理解できているかどうか?」は、
  
【 他人にちゃんと教えられるかどうか? 】でわかります。
  
  
先日、弟子の佐々木さんが、他の弟子たちに対して、
  
【 どの程度私の心理を理解しているか? 】
  
という「理解度」を試したら、まったく理解できていませんでした。
  
  
私は、音楽の専門学校に2年間通いましたが、
  
私は下手くそからスタートして、かなり上手くなりました。
  
  
でも、「厳しさ」から逃げ続けた同級生は、
   
下手くそのまま、まったく上手くなっていませんでした。
  
  
2年間、学費の300万円と、一人暮らしの費用を掛けて、
ただ、自己満足のカラオケを楽しんだだけでした(笑)
  
  
私の弟子も、2年間私の話を聞いてきて、
まったく心理のメカニズムを理解できていないとなると、
  
後者の「2年経って音痴のままの同級生」と同じです。
  
  
私に弟子入りするという事は、
もう一度専門学校に通うのと同じようなモノですからね。
  
  
それで2年経って、
ほとんど上達してないって、そうとうヤバイでしょ。
   
  
「理科」と「数学」は、世界のどの国で教えても、
授業内容は同じだと思います。
  
それは、【 万国共通、宇宙共通の法則 】を教えているからです。
  
  
でも、社会とか歴史、国語となると、
国によって教える内容は変わります。
  
それは、「国の思想、宗教の思想の影響」を受けているからです。
  
  
私は宗教家ではありません。 
  
【 理科の教師 】と言う方が、よっぽど近いです。
  
  
「根拠もなしに、私を信じろ」なんて言ってません。
  
ちゃんと検証・分析すれば、
私の言っている事の正当性が解るハズですが、
  
  
頭を使わず、検証・分析をサボって、
  
根拠も無しに、「自分の曲がった考え」を頑なに信じる…、
そっちの方がよっぽど宗教でしょう。
  
  
【 心理 】の「理」は、理科の「理」であり、物理の「理」です。
  
  
私は、心や精神の力学、メカニズムを説き明かして伝える、
  
「物理学の研究者」であり、「理科の教師」なのです。
   
  
私の心理は、「統計学」でもなければ、「歴史」でもありません。  
  
  
私の心理を学ぶ人は、
  
「理科や数学の授業」を受けているつもりで学んで頂きたいです。
  
  
そして、その授業を受けて、学習して、
  
【 「メカニズム」や「法則」をきちんと理解できたのか? 】
  
という事が、重要なのです。
  
  
もし理解できていなかったら、
 
数学の公式や方程式を理解できていないのと同じで、
  
【 自分で応用して問題を解くという事がまったく出来ない 】
 
という事です。
  
  
お金を掛けて、文章を読んでも、
  
「理解」が出来ていなければ、まったく意味がありません。
  
  
「論理や理屈の理解」がなければ、現実で役に立てられていないからです。
  
  
こういう事がわからない事自体、
  
いくら学校教育のテストで良い点が取れたとしても、
  
「頭が相当悪い」と言わざるを得ません。


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2016年01月27日

国本裕美さんの夢は、世界最高の指導者

弟子の国本さんの夢は、
  
「世界最高の指導者になること」
  
です。
  
  
私も、世界の頂点に立つつもりですから、似た様なモノです(笑)
  
  
私と国本さんは、似ていますし、
   
世界一の私と「一番近い位置」に居られるわけですから、
  
その素質、才能は充分にあると思います。
  
  
でも、今までは
国本さん自身が「自分のポテンシャル」を信じてなかったし、
   
「人間を表面的に判断する優等生人間」は、
国本さんのポテンシャルを見抜けず、表面的に判断し、
 
国本さんに対して舐めた態度を取って来ました。
  
私としては、それがとても歯がゆかったです。
  
  
私が大切に育てている金の卵を、
バカにされている様な気がするからです。
     
  
しかし、他人のポテンシャルがわからない人は、
自分のポテンシャルもわからないので、
  
そういう優等生人間は、絶対に大成しません。
  
   
  
「夢を公言しない方が良い」と言う人もいれば、
  
「夢を公言して自分を追い詰めた方が良い」と言う人もいます。
  
  
それぞれに理屈があるんですけど、
  
私は、「夢は公言した方が良い」と思っています。
  
  
自分自身への洗脳(アファメーション)にもなりますし、
  
もし出来なかったら、恥を掻くリスクはありますが、
   
そのリスクがあるからこそ、
「やらなければならない!」という気にもなります。
  
  
ただし、「夢を公言した方が良い場合」というのは、
  
【 自分が本気の時だけ 】です。
  
  
もし本気じゃなければ、言わない方がマシです。
  
  
もし本気じゃないのに言ってしまったら、
  
自分で自分の発言や想いを「冗談だ」と思ってしまいます。
  
  
そうなると、逆効果になってしまいます。
  
  
だから、「夢を公言するな」って言う人は、
  
自分が本気じゃないパターンの事を考えて…ですね。
  
  
だから、夢を語る前に、
   
「それが自分にとって本気の夢かどうか?」
  
まず徹底的に慎重に、考え抜く事です。
  
  
本気だったら言った方が良い。
  
そこまでの「本気さ」がないのであれば、言わない方がマシ。
  
  
つまり、【 自分の気持ちに正直であれば良い 】のです。
  
  
もし本気じゃないのに「やります!」なんて言ったら、
   
それは、自分自身にウソを付いた事になるので、
逆効果になるわけです。
  
  
もし【 本気の決断 】が下っているなら、
   
夢を公言しようが、公言まいが、夢を実現できるでしょう。
  
  
でも、本気の夢を公言することは、
自分のモチベーションに対してアクセルを踏む事になるので、
  
本気だったら言った方が良いと思います。
  
  
「目標」や「夢」を語った方が良い? 語らない方が良い?
  
  
それは、【 自分が本気かどうか? 】
  
で、変わってくるのです。


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2016年01月26日

衝動・感情・理性

人間には、3種類の判断基準があります。
  
  
1.衝動的判断
2.感情的判断
3.理性的判断
  
です。
  
  
で、わかりきったことですが、
  
「衝動的判断、感情的判断」をすれば、
後で後悔する事になり、
   
「理性的判断」をすれば、最善の行動を取ることが出来ます。
  
  
よく、「直感に従え!」って言う人がいます。
  
私も理性で分からない事に関しては、
直感に従って生きていますから、直感は大切です。
  
  
しかし、
 
【 人間が「衝動的、感情的」になっている 】
 
という事は、「冷静では無い!」という事です。
  
  
なぜ、人が衝動的、感情的になるか?
 
というと、
  
「ネガティブ観念」によって自分自身を抑圧していて、
  
その【 抑圧の反動 】として、衝動的になってしまうのです。
  
  
つまり、衝動とは
「ネガティブな精神状態から来る欲求」なので、
  
ネガティブな精神状態で行動して、
ポジティブな結果が得られる訳が無いという事です。  
  
  
私も、衝動が沸き起こる事が過去にたくさんありました。
  
  
でも、【 冷静さを欠き、衝動的になったら、必ず失敗する 】と、
  
経験上理解しているので、
   
【 自制心 】を働かせて、自分の衝動を抑え、
  
その代わりに、【 根本原因である自分のネガティブ 】と向き合い、
「根本解放する事」に取り組み続けて来ました。
  
  
しかし、心理のメカニズムを理解していない人は、
  
「自分の衝動」が「ポジティブな直感」であると【 勘違い 】しています。
  
  
「エゴによる衝動」は「高次元の直感」ではないのです。
  
この区別も付けられないのに、適切な判断など出来ません。
  
  
まず、1.衝動、2.感情、3.理性とあるなかで、
  
【 「自分の理性」が「感情や衝動に負けている時点」 】で、
  
その人は、判断で必ず失敗する事になるのです。
  
  
男女関係の話に例えれば、
  
1.衝動的(肉体関係・短期の付き合い)
2.感情的(恋人関係・中期の付き合い)
3.理性的(婚姻関係・長期の付き合い)
  
という風になります。
  
  
「お見合い結婚が上手く行きやすい」と言われるのは、
  
お見合いでは、
お互いの事を「感情的」ではなく、【 理性的 】に考えているからです。
  
  
結婚は、「理性的判断」でするべきです。
  
「理性的判断」で結婚しないから、
後ですれ違いが大きくなり、離婚する事になるのです。
  
  
結婚では、「感情が満たされるか?」という事よりも、
   
【 お互いに望むライフスタイルが近しいかどうか? 】
  
という事の方が重要です。
  
  
・人生の方向性は同じか?
・価値観は同じか?
・金銭感覚は同じか?
・食べ物の趣味は同じか?
 
そういう事が、非常に大切なのです。
  
  
「マクロビ離婚」という言葉があるらしいですが、
結婚したら生活を共にしますし、一緒に食事をする事がほとんどです。
  
  
「食事の趣味が違う」とか、「金銭感覚が違う」とか、
【 生活で大きな部分を占める要素 】で食い違いがあったら、
  
一緒に居て居心地が悪くなって当然です。
  
  
結婚する前に、そういう事を慎重に考えるのが、【 理性的判断 】です。
  
  
ただ、【 お互いに好きだから! 】というだけで、
  
結婚が上手く行くとは限らないのです。
  
  
なぜなら、結婚は【 非常に現実的な事 】だからです。
  
  
感情的になってしまうのは、
メンタルブロックがあり、依存的になっているからです。
  
まず、メンタルブロックを外し、冷静になってから、
理性的な判断を下せば、何事も上手く行くのです。
  
  
冷静さを欠いている状態では、ポジティブな直感など受け取れていません。
  
  
「ギャンブルで破産する人」は、【 冷静さを失った人 】です。
  
  
「負ける確率の方が高い」のに、「次はきっと勝てる!」と、
    
【 根拠も無いのに、「自分に都合の良い幻想」を抱いてしまったから 】
  
です。
  
  
理性的判断ほど、長期的に物事を捉えられているという事です。
  
  
お買い物をするにしたって、
「衝動買い」をすれば、後で後悔する事になりますし、
  
「理性的な判断」で買い物をすれば、
それは【 投資の感覚でお金を使っている 】という事になります。
  
  
子供に向けた実験で、「マシュマロ実験」というものがあります。
  
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%AD%E5%AE%9F%E9%A8%93
  
  
カンタンに言うと、
  
こどもの目の前にマシュマロを一つ置いて、
 
「15分食べるのを我慢したら、もうひとつあげるけど、
 15分待てずに食べたら、二個目はナシだよ。」
  
という実験です。
  
  
「自制心」や、「忍耐力」を試させるテストで、
  
3分の1の子供は、15分待って2個目を手に入れたけど、
3分の2の子供は、15分待てずに1個目を食べてしまった。
  
という結果らしいです。
  
  
その後の追跡調査で、「自制心、忍耐力のある子供」は、
 
【 他の子供に比べて優秀に育っている 】という事です。
   
  
自制心、忍耐力の無い子供は、
 
まさに、衝動的、感情的に行動してしまっていて、
2個目のマシュマロを失い、
  
さらに、「人生の質」でも負けてしまっています。
  
  
逆に、自制心、忍耐力のある子供は、
  
理性的な判断をしていて、2個目のマシュマロを得て、
  
「人生の質」でも勝っているという事です。
  
  
よく、マーケティングをやっている人が、
  
「人は感情でモノを買う」と言いますが、
  
私はそれに反論します。
  
  
感情でモノを買うのはバカな人たちで、
  
優秀な人間は、【 理性で、投資感覚で、モノを買っている 】
  
という事です。
  
  
そして、これから一般の人々は、どんどん賢くなって、
 
【 ますます、衝動や感情ではなく、理性的に判断していく事になる 】
  
という事です。
  
  
それは、「ごまかしが効かなくなる」という事です。
  
  
私の弟子の吉田さんや佐々木さんも、
「元々は衝動的に行動する人間」でしたが、
  
私の元で成長し続けて、徐々に「衝動」ではなく、
「理性」で判断・行動出来る様になっていっています。
  
  
【 成長して、賢くなっている 】という事です。
  
  
まだまだ、衝動で行動してしまう弟子もいますが、
  
そういう弟子は、「非常に未熟だ」と言う事です。
  
  
メンタルブロックがなくなれば無くなるほど、
  
【 ネガティブな精神状態から来る衝動 】がなくなっていきますし、
 
もし衝動が起こっても、それを自制心と忍耐力で抑える事が出来ます。
  
  
衝動の原因は、メンタルブロックなのだから、
  
メンタルブロックを外さず、衝動的に行動しても、
  
ポジティブな結果など得られる訳がありません。
  
  
会社の経営だって、感情的にやって儲かる訳がありません。
  
ギャンブルや投資と同じで、
感情的になったヤツから負けて、潰されていくのです。
  
  
普通の人が感情的になってしまう場面でも、
冷静に、理知的に考えられる人間が、成功していくのです。
    
  
【 どれだけ理性的に、自制心と忍耐力を働かせられるか? 】
  
  
それが、どれだけ成功していけるかどうか?
  
  
【 人間としての器 】なのです。


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2016年01月22日

責任感

多くの人々に価値と影響を与え、「多くの報酬を得る人間」と、
  
他人から価値を受け取る事しか考えない「寄生虫の様な人間」と、
  
  
その根本的な違いは、【 責任感の強さ 】です。
  
  
「責任感 と 責任力」を鍛えていく事が、成功への道なのです。
  
  
「同じ人間だから同じ価値」という人がいますが、
  
そんな事は、まったくのキレイ事です。
  
  
「道端の石ころ」と「ダイヤモンド」は、同じ鉱物です。
  
  
例え、同じ重さ、同じ大きさだとしても、
  
「経済的な価値」は、【 天と地の差 】です。
  
  
それは、人間にも言えます。
  
  
世界を代表する経営者だったスティーブ・ジョブズと、
  
心身共に健康なくせに「働きたくない」と言って、
親のスネをかじり続けるニートと、
  
「(社会的に)同じ価値か?」って、違うに決まってます。
  
  
年齢とか、体型とか、
そんな事で人間の価値は計れません。
  
  
多くの他人に高い価値を与える「偉大な人間」と、
  
他人から価値を奪うことしか考えていない「寄生虫人間」と、
  
  
「見た目」は同じように見えても、「中身」がまったく違います。
  
  
私が教えている人の中には、
 
「25歳前後の若者」も数多くいますが、
  
人によって、【 中身 】が全く違います。
  
  
それこそ、「雲泥の差、月とスッポン」です。
  
  
同じぐらいの年齢だから、同じ立場だと思ったら大間違い。
  
  
年齢が同じくらいだとしても、
  
もう既に、 
【 経験値、責任感、精神力、集中力、思考力、覚悟 】
 
などの面において、「非常に大きな格差」が生まれています。
  
  
「肉体の年齢」は同じくらいでも、
  
【 精神年齢 】においては、「年相応という子」もいれば、
  
「幼稚園児並の考えしか持っていない子」もいます。
  
  
「肉体の年齢」は同じくらいでも、
  
心の年齢では、【 幼児と大人ほどの大差 】が出来てしまっています。
  
  
同じ老人にでも、
   
裕福になる人もいれば、ホームレスになる人もいます。
   
  
これは、年齢は同じでも、「中身がまったく違った」という事です。
  
  
見た目が同じ、年齢が同じ、
  
そういう事で人の価値は判断出来ないのです。
  
  
外側からは見えない、目には見えない、
  
【精神年齢、精神力、責任感】によって、人生は決まるのです。
  
  
それを日々鍛え高めている人間と、
  
動物の様に目の前の「快楽のみ」を求め、
「苦痛から逃げ続けるだけ」の人間とで、
  
人生に決定的な差が生まれるのです。
  
  
私も、5年くらい前は、  
同い年くらいの人たちと仲良く一緒に過ごしていました。
  
  
でも、「年齢」が同じでも、「中身」はまったく違いました。
  
  
だから現在、私と過去の友人は、
まったく違うような人生を歩んでいます。
  
  
人間は、年齢などでは無く、中身で判断することです。
  
  
そうすれば、他人と自分と、
  
【 将来性においてどれほどの差があるのか? 】
    
  
それが、正確にわかるようになります。


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2016年01月18日

プロの責任

最近まで、国本さんがしばらく不調だったので、
   
「しばらくお客さんや弟子への返信などは後回しにして、
 自分のワークに集中しなさい」
  
と、指導していました。
  
  
国本さんは、自分の事も、他人の事も、
  
全部を「並行」して、「完璧」に行おうとして、
「いっぱいいっぱい」になっていました。
  
  
これが、【 捨てられない状態 】です。
  
  
「捨てない」から、【 集中力が出ない 】のです。
  
  
そして、「集中力が無い」から、何事も「非効率」になるのです。
  
  
国本さんは、
「自分の目先の責任を果たさないといけない」
  
という恐怖に囚われていました。
  
  
しかし、私は
 
【 優先順位を明確にして、  
  一つずつ集中してこなしていった方が、結果的に速くなる 】
  
という事を理解しているので、
  
  
【 もし問題が起きたら、俺が全ての責任を取るし、
  自分で手一杯の仕事があれば、俺に振れば良い。
  
  だから、「他人の事」は忘れて、
  とりあえず「自分の事」に集中しなさい。 】
  
  
という風に、強く指導を行いました。
  
  
「俺が全部責任を取るから…」
  
と言える上司はカッコ良いでしょ?(笑)
  
  
で、昨日、
  
ようやく国本さんのコンディションが上昇軌道に乗って、
私の心配も、ようやく晴れてきました(笑)
  
  
私や国本さんの仕事は、
  
【 他人の成長に貢献する事 】です。
  
  
その為には、まず
  
【「自分の成長」を最優先】にしなければなりません。
  
  
その為には、多少、
「お客さんや弟子へのサポート」が遅れたとしても、
    
「自分の成長を最優先」にするべきなのです。
    
   
「自分が先に進んで、後から続く人が歩きやすいようにする」
  
と言うのが、私たちの仕事なのです。
  
  
だから、自分の事を忘れて、他人の事ばっかりやっていたら、
  
「自分の使命を果たせない」という事です。
  
  
私が、お客さんに約束しているのは、
  
  
【 「人生単位」という長期的な視点において、
  「最短最速、最善最高の成長方法」を伝える 】
  
【 「自分の利益」より、「お客さんの利益」を優先する 】
  
  
という事です。
  
  
「かかってきた電話をワンコールで出る」とか、
「メッセージのレスポンスがめちゃくちゃ早い」とか、
  
そういう事は、まったく約束していないのです。
  
  
吉野家で、牛丼が出てくるのが遅かったら、
それはクレームになるでしょう。
  
吉野家が約束しているのは、
【 はやい、やすい、うまい 】ですから。
  
  
「プロとしての責任」というのは、
  
【 お客さんに対して約束したことを、死んでも守る! 】
  
という事です。
  
  
逆に言うと、「約束していない事」は守る必要は無いし、
  
そもそも、お客さんは余計なモノを望んでいません。
  
  
吉野家に「高級感」を求めているお客さんはいないでしょう?(笑)
  
  
私はお客さんに対して、非常にフレンドリーに接していますが、
  
私が「高級レストランのスタッフ」の様な接客態度で
お客さんに接したら、逆に気持ち悪がられるでしょう(笑)
  
  
全てを大切にする必要は無いし、そもそもそんな事は出来ません。
  
  
【 何かを捨てるから、集中力が出る 】のです。
  
  
私は、お客さんに対して、
「最高のクオリティ」を約束しています。
  
【 スピードも大事ですが、何よりクオリティが最優先 】です。
  
  
スピードを優先して、
低いクオリティのサービスを提供するというのは、
  
私の信念に反します。
  
  
もしかしたら、
  
新聞記者や雑誌記者などの「締め切りがある仕事」は、  
クオリティより、スピードの方が優先かもしれませんけどね。
  
  
でも、「はやい」とか、「やすい」とか、
  
そういう100円ショップやファストフードみたいなモノは、
巷にたくさんありふれてるし、だいたい大企業がやっています。
  
  
心理やスピリチュアルの分野でも、それは同じ事です。
  
  
だから、すぐに陳腐化するし、
  
新しいネタを用意しては、取っ替え引っ替えしているのです。
  
  
  
私は、【 自分にしか出来ないこと 】がしたいし、
  
その為に、【 クオリティで極限を目指す! 】
  
それが、私の仕事のポリシーなのです。
  
  
お客さんにしても、
そこそこのクオリティで良ければ、他所に行っているハズです。
     
  
【 たとえ時間が掛かっても、「最高のクオリティ」を手にしたい! 】
  
そういうニーズを持っている人が、私のお客さんです。
  
  
それが、私の「プロとしての責任」であり、
  
「お客さんに対して約束している事」です。
  
  
「本当に大切なモノ、クオリティの高いモノ」が少数あれば、
   
「ありふれた平凡なモノ」は、要らなくなります。
  
  
それが、シンプルで快適な生き方です。
  
「余計なモノ、レベルの低いモノ」がたくさんあっても、
それでは豊かさは感じられません。
  
  
「数」より「量」より、【 質 】を求める。
  
  
「質の低いモノ」をたくさん持っている事と、
  
「質の高いモノ」を少数持っている事と、
  
  
どちらが幸せでしょうか?
  
  
私は、後者に幸せを感じます。
  
  
だから、友達(知り合い)がたくさんいる事にそれほど価値を感じないし、
  
「友達がたくさんいるぞ!」って自慢されても、羨ましいとは思いません。
  
  
それよりも、私にとっては、
  
【 本当に「心の底から信頼し合える仲間」が何人いるか? 】
  
という事が、大切なのです。
  
  
私は、スピードより、クオリティ優先の人間です。
  
  
その為に、「お客さんへの対応」を後回しにしてでも、
  
「自分の成長」を優先した方が、
結果的に長い目で見れば、お客さんの為になるのです。
  
  
それに、お客さんに割くエネルギーや時間が一時的に減っても、
   
何とも思われないくらい、常日頃から全力で与えまくっていますから、
   
私には「信頼の貯金がある」と思っています(笑)
  
  
いざという時の為に蓄えておくから、
  
自分に余裕が無くなって来た時も、安心できるのです。
  
  
「プロとしての責任」とは、
  
【 お客さんに対してした約束を死んでも守る 】
  
という事です。
  
  
お客さんが自分を生かしてくれているのだから、
  
お客さんの信頼を失うという事は、自分が死ぬことと同じです。
  
  
だから、「死んでも守る」と言うのは、大袈裟ではありません。
  
  
逆に言うと、約束していない事は、守る必要がありません。
   
誰も吉野家に高級感を求めていないように、
お客さんは、何でもかんでもを求めている訳ではありません。
  
  
「お客さんは、自分に対してコレを期待しているから、
 その期待だけには、絶対に応える!」
  
その覚悟だけ必要です。
  
  
別に期待されていない事に対して、無理に期待に応えようとしても、
  
時間とエネルギーの浪費、無駄遣いでしかありません。
  
  
なんでもかんでもやろうとする人は、
「常識」や「周りの目」に惑わされていて、
  
【 本質が見えていない 】のです。
  
  
本質を掴めばこそ、無駄な事はしなくて済むのです。


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2016年01月13日

「経済力」は「責任力」

たくさんのお金を稼げる人は、
  
ほとんどが【 責任あるポジション 】に就いている人です。
  
  
「大きな責任」を背負っているから、「責任感」が強いから、
  
それだけのお金を稼げている訳です。
  
  
そして、「自分の責任を果たすため」にも、
【 経済力 】は必要です。
  
  
【 人間は、生きているだけでお金が掛かる 】
  
という事実があります。
  
  
住む場所、食べ物…、
  
【 他人の仕事のお世話 】にならなければ、
  
「日々の生活」は成り立ちません。
  
  
・自分の土地で、
・大工のように、自分で家を建てて、
・農家のように、自分が作った野菜を食べて生きている
  
  
そういう風に「自給自足している人」であれば、
  
他人の仕事の世話にもならず、
生きるためにお金も要らないかもしれませんが、
   
そんな人はほとんどいないでしょう(笑)
  
  
他人は、タダで自分の為に働いてくれている訳ではありません。
  
  
「経済」は【 交換による助け合い 】によって成り立っています。
  
  
基本的に、相手から食べ物を受け取ろうと思ったら、
  
自分も相手に何かを差し出す必要があります。
  
  
だから、食べていくために、
仕事をして、お金を稼ぐ必要があるのです。
  
  
「経済的に自立できていない状態」では、
  
その分だけ、「他人のスネをかじっている」という事ですし、
  
【 自分の責任を果たせていない 】という事です。
  
  
別に、責任を果たせなくても、
宇宙的に悪という訳ではありませんが、
  
「ネガティブな状態」ではありますから、
本人も、周りの人間も、心地良くは無いでしょう。
  
「ネガティブを許す事」は大切ですけどね。
  
  
人間は、生きているだけでご飯を食べる必要がありますし、
つまりは、「他人の仕事の世話」になる必要があります。
   
逆を言うと、ご飯を手に入れ、生きていくためには、
自分も「他人のお世話」をしなければなりませんし、
   
【 生きているだけで、責任が発生している 】のです。
  
  
そして、結婚して子供ができれば、
  
「お金のかかる人間が、一人増える」と言う事です。
  
  
その子供を育てるために、またお金がかかります。
  
子供もご飯を食べるからです(笑)
  
   
「親の責任を果たすため」には、また「お金」が必要なのです。
   
  
ですから、【 経済力 】は【 責任力 】だと思う訳です。
  
  
私は、女性と付き合おうと言うときは、
  
めちゃくちゃ真剣ですし、
とてつもない責任感、緊張感も感じますし、強い覚悟を決めています。
  
「中途半端に女性と付き合う事」や
「女遊び」と言われる様なモノには興味ありませんし、
  
むしろ、女性に対して責任を取れない事が怖いと思っています。
  
  
中絶には反対ですし、もし子供ができたら、
  
その子を育てていく為のお金を
自分が用意しなければならないと思いますし、
  
経済力が無ければ、責任は果たせません。
  
  
だから、私は好きな女性や家庭を大切にするためにも、
  
「先に、経済的に豊かにならなければならない」と思って来ました。
  
  
私は、【 自分が責任を果たせない事 】が何よりもイヤです。
  
  
もし、「責任を果たせない事自体」を裁いていたらネガティブですが、
  
私の美学的に、
自分が責任を果たせない事は「恥」だと感じます。
  
  
そして、私にとっては「自分の命」よりも「美学」の方が重いので、
  
【 責任を果たすためなら命懸け 】です。
  
  
チャネリング情報では、
  
結婚制度もこれからどんどん変わっていって、
私は将来的に一夫多妻になる可能性があると言われているんですけど、
  
確かに、お金持ちで複数の家庭を持っている人はいますし、
  
もしかしたら、そういう事もあり得るのかも知れませんが、
現時点では絶対に無理です。
  
  
そこまでの「責任力」も「経済力」もありません。
  
たぶん一人がやっとこさです(笑)
  
  
お客さんや弟子に関しても、
一気に増えたら対応出来ないと思うので、
   
自分の実力に見合った人数だけ、
徐々に増えていってもらうのがベストです。
  
  
私の「お客さんに対する責任感」は、かなりヘビーです。
  
お客さんより、「弟子に対する責任感」の方が、さらにヘビーです。
  
そして、弟子よりも、
「自分のお嫁さんになってくれる女性に対する責任感」は、
  
さらにさらに、もっとヘビーです。
  
  
私は、自分を成長させ、高めていく上で、
   
「積極的に責任を背負っていく必要がある」と理解しているので、
  
貪欲に責任を背負っていこうと思いますが、
  
  
自分にかける負荷というのは、
少しずつ重くしていかないといけません。
     
キャパオーバーの負荷を一気に掛けたら、潰れてしまいます(笑)
  
  
私は、どんどん「他人の人生に対する責任」を背負っていきたいです。
  
  
その為に、「仕事上の責任」を高めていく事も必要ですし、
   
お金を稼いで、「家庭に対する責任力」を高めていく事も必要です。
  
  
私は、自分がどこまでの責任を背負えるのか?
  
それを知りたいし、チャレンジしがいのあるテーマだと思っています。
  
  
これからも、ガンガン責任を背負って、
  
自分に負荷を掛けて、人として成長していきたいです。


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2016年01月12日

流されないチカラ

私は、いつも不思議でした。
  
  
おそらく、「一般的・平均的な人々」に対して、
  
【 人生で一番頑張ったのは何時ですか? 】
  
と聞くと、【 受験勉強! 】と答えると思います。
  
  
でも、過去に「受験勉強」を思いっきり頑張ったにも関わらず、
  
社会人になった後、
  
【 自分の「人生」や「生活水準」を良くする事 】に対しては、
  
受験勉強ほど頑張っていないのです。
  
  
以前、
  
「偏差値の高い学校」に入ったからと言って、
幸せや豊かさは保証されていませんが、
   
「私のメソッド」を愚直に実践するならば、
幸せや豊かさは保証されている
  
という事を言いました。
  
  
「自分の人生そのもの」と、
「偏差値の高い学校に入ること」と、 
  
どちらが大切か?
  
と聞かれたら、答えは簡単です。
  
  
でも、その答え通りに生きていないのが、
世間一般の人間なのです。
    
  
で、最近、そのナゾが解けました。
  
  
学生の時に「受験勉強」を頑張るのは、
周りのほとんどの人が頑張っているからです。
  
  
そして、社会人になってから、
「生活水準の向上」を頑張っていないのは、
  
周りのほとんどの人が、頑張っていないからです。
  
  
要は、
  
【 周りに同調して、「自分がどうするか?」を決めている 】
  
という事です。
  
  
周りに流されているから、
  
「自分の意志」では無く、「周りの人間の動向」を見て、
それで「自分の立ち振る舞い」を決めているのです。
  
  
じゃあ、なぜ社会人になってからは、
  
【 普通の人々が、本気で「幸せ」や「豊かさ」を追い求めないか? 】
  
と言うと、諦めているからです。
  
  
「給料が決まっているから…」と、他人のせいにして、
  
自分の経済力の向上を諦めているのです。
  
  
確かに、お金を稼ぐ事はカンタンではありません。
  
  
でも、「経済の本質」を学び、「正当な努力」を続ければ、
  
確実に、経済的に豊かになることが出来ます。
  
  
むしろ、受験勉強よりはラクかもしれませんよ(笑)
  
  
しかし、普通の人は、経済的に豊かになることを諦めています。
  
  
それは、「お金を稼ぐ」と言う事に対して、
  
【 自分の実力次第、努力次第 】だと思っておらず、
  
他人のせいにして、責任転嫁しているからです。
  
  
私が提唱しているのはライフワークですから、
  
【 自分が情熱を持てる事で、お金を稼ぐ 】と言う事です。
  
  
受験生の様に、イヤイヤ勉強して、努力するのではなく、
  
自分の「情熱」や「やり甲斐」を感じる事で、努力するのです。
  
  
私のメソッドを、受験生並の真剣さを持ち、努力し、実践すれば、
  
確実に、好きな事で豊かになれます。
  
  
でも、受験生と違うのは、
  
「周りの人間は、成長を頑張っていない」という事です。
  
  
【 周りの人間が頑張っていない中で、自分だけ頑張る 】
  
これが出来るかどうか? が試されているのです。
  
  
依存的、受動的で
「周りの人間に流される」のでは無く、
  
自立性、自発性、主体性、積極性を発揮し、
「ゴーイング・マイウェイ」を貫く人間が、
    
幸せに豊かに、生活水準を向上させていくことが出来るのです。
  
  
やっぱり、成長して人生を根本的に良くする為に必要なのは、
   
【 強靱な精神力 】です。
  
  
「意志、忍耐力、勇気、覚悟、度胸」
  
それがあるかどうか、持てるかどうかです。
  
  
周りに流されていては、ラクな方に流されていては、
幸せに豊かになることは決して出来ません。
  
  
周りやラクな方に【 流されないチカラ 】を持っているどうかです。


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2016年01月10日

社会的価値・経済的価値

以前、【「役立たず」は切られて当然 】という記事を書きました。
  
http://growheart.livedoor.biz/archives/51945089.html
  
  
要するに、
  
【 社会の役に立たない企業、ビジネスは潰れて当然 】という事です。
  
  
なぜなら、「社会的、経済的に価値が無いから」です。
  
  
そして、それは【 人間の命 】にも当てはまります。
  
  
この社会では、人と人とが「助け合いながら」生きています。
  
  
他人や社会の役に立つ人間は、生かしておく価値が有りますが、
  
他人や社会の役に立たない人間は、生かしておく価値が無いのです。
  
  
だってそうでしょう?
  
  
・「社会の役に立とう!」と、必死に生きている人間と、 
  
・「社会なんてどうでも良い、自分がただラクに生きたい」という人間と、
    
どちらが社会にとって重要人物でしょうか?
  
  
「社会の運営や発展」という視点から見たときに、
どちらを残し、どちらを捨てるか?
  
非常にシンプルな問いです。
  
  
たまに、「一人の生命は地球より重い」という人がいますが、
  
それは、完全なる「キレイ事」です。
  
  
実際、貧しい国で人がバタバタと死んでいても、
多くの場合、見殺しにされています。
   
    
貧しい国に生きる人は、まともな教育さえままならず、
  
人々が世の中の役に立つ様な
「経済的価値」を生み出せていないからです。
  
  
宇宙的にではなく、
  
この社会・経済における「人一人の生命の価値」は、
その人が【 社会的・経済的にどれだけの価値を提供できるか? 】
  
という事なのです。
  
  
  
それが、【 「社会で生きる」という事のシビアな現実 】です。  
   
  
もし、死にそうな人が【 社会にとっての重要人物 】であれば、
  
社会は、その人を何としてでも生かそうとします。
  
  
これは、「宇宙的に価値が有る無い」と言う話ではありません。
   
  
「社会的、経済的に価値」が有れば、社会は生かそうとするし、
   
「社会的、経済的に価値」が無ければ、社会から淘汰されて消えるしか無い。
  
  
自分が社会に価値を与えた分だけ、
社会から価値を受け取って、生きていられるのです。
  
社会に価値を与えない人間は、社会から価値を受け取れず
ホームレスのように自給自足するしかありません。
  
  
要は「経済」とは、【 価値の交換 】をしている訳です。
  
  
「社会に価値を与えていない」という事は、
  
社会から見捨てられても、淘汰されても、文句は言えません。
  
  
だから、
 
・社会の役に立てるか? 
・他人の役に立てるか?
 
という事は、【 死活問題 】なのです。
  
  
自分が、
  
・社会の役に立てるか? 
・他人の役に立てるか?
  
という事は、自分の【 生き死に 】が掛かっているのです。
  
  
・社会の役に立っていない
・他人の役に立っていない
  
そういう人が、
  
社会や他人から守ってもらえる訳がありません。
  
  
自分がたくさんの価値を社会から受け取ろうと思ったら、
 
自分の方から、【 たくさんの価値を社会に与える事 】です。
  
  
私は、経済的に豊かになりたいですから、
  
出来る限り、たくさんの人の役に立ちたいと思って生きています。
  
  
それこそ、最終的には世界中の人々の役に立つつもりです。
  
  
世界中の人々の役に立てる人間は、大富豪や大金持ちになって当然です。
  
それだけ、他人を助けているからです。
  
  
今しているのは、【 社会経済の話 】です。
  
別に、貧しくとも幸せを感じる事は出来るでしょう。
  
  
「豊かな日本より、ある貧しい国の方が、幸福度が高い」
  
なんていうデータもあるくらいです。
  
  
でも、「経済力があまりにも無い」という状況であれば、
   
自分の命すら守れなくなります。
  
  
貧しい国では、ワクチンが無くて、死ぬ子供が多いそうです。
  
そのワクチンも、お金で買えるわけです。
  
  
お金が無いから、命を守れないのです。
  
  
それは、日本でも同じで、 
住む場所、食べる場所、病気の治療費。
 
何にでもお金はかかります。
  
  
その分だけ、他人のお世話になっている訳です。
   
  
自分はたくさん他人のお世話になって生きておきながら、
   
自分は「他人のお世話をしたくない」って言うのが、
   
【 非常に甘えた、子供じみた考え 】なのです。
  
  
お金があるかどうかは、自分の命を左右する死活問題です。
  
  
そして、「お金が得られるかどうか?」は、
 
【 自分がどれだけ社会の役に立っているか? 】という事です。
  
  
私たちは、「他人や社会のお世話」になって生かされています。
  
   
だから、自分が「他人や社会に奉仕・貢献しない」という事であれば、
  
自分も、他人や社会から生かされる事も無いわけです。
  
  
【 「社会的な助け合い」に参加しない人間は、社会から孤立して当然 】
  
という事です。
  
  
これこそが、【 本質の経済学 】です。
  
  
自分という存在が、
 
・社会の役に立てるかどうか?
・他人の役に立てるかどうか?
 
で、
  
「自分が社会や他人から生かされるかどうか?」が決まります。
  
  
私たちは、社会や他人から助けられ、生かされているわけで、 
「社会や他人の助け」が得られなければ、生きていけないのです。
  
【 死ぬしか無い 】のです。
  
   
【 働かざる者食うべからず 】という事です。
  
  
他人の役に立つ、社会の役に立つ、
   
これを真剣に考えている人間が、社会的、経済的に豊かになるのです。
  
  
他人の役に立つ気が無い、社会の役に立つ気が無い、
 
そんな人間は、他人からも、社会からも、見捨てられて当然なのです。


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2016年01月07日

死生観・人生観

先日、映画「ライフ・イズ・ビューティフル」
の話題を出したので、もう一度見てみましたが、
  
何度見ても、やっぱり同じ所で泣いてしまいます(笑)
  
  
ここまで自分の心が動かされる映画は、他にありません。
  
  
なぜ、フィクションだと分かっていても泣くのだろう?
  
と思いましたが、
きっと「過去世のトラウマ」と関係がある気がします。
   
   
【 愛する人がピンチの時に、命を懸けて守ろうとする 】
   
そういう姿に、過去世のトラウマが反応している気がします。
  
  
私は、「命を懸ける」という言葉をよく使いますが、
  
なぜそういう言葉を使うか?というと、
  
私は【 自分自身の死 】というモノを、
とてもリアルに感じているからだと思います。
  
  
中学生の時に、自殺願望を持ち、
 
【 死ぬか? 生きるか? 】
 
【 自分の人生は、
  生きる価値があるのか? 生きるに値するのか? 】
  
という事を、本当に真剣に考えました。
  
  
別に、年老いたりするまでも無く、いくら若かろうとも、
   
人間、【 精神的、経済的、健康的 】のいずれかが、
落ちるところまで落ちると、【 死 】が待っています。
  
  
私は、それをリアルに感じているのです。
  
  
【 落ちるところまで落ちると、「死」が待っている 】
  
  
それを実感していますし、
  
「大きなテーマ」を考えるときには、
  
・これは、「自分の生命」よりも重いのか?  
・これは、「自分の人生」よりも重いのか?
 
と、
   
【 自分の生命や人生と、他の何かを、天秤に掛けて考える 】
  
という癖が染み付いているのです。
  
  
だから私は、自分の人生に対して【 命懸け 】なのです。
  
  
それは、【 自分の「死」をリアルに意識している 】という事が、
  
とても大きな要因となっています。
  
  
私にとっては、「死と隣り合わせの状況」を生き抜いてきたので、
  
「死」は身近な存在なのです。
  
  
中学校とかの義務教育で、
  
「自分の死について真剣に考える授業」
とかがあっても良いんじゃ無いかと思います。
  
  
それぐらい、生きる上で大切なテーマだと思います。
  
  
若い人ほど、「自分は死なない」と思っています。
  
しかし、それは現実が見えていません。
  
  
自分が死ぬ可能性は、いつでも存在しています。
  
  
【 精神的、経済的、健康的 】のいずれかが、 
 
落ちるところまで落ちると、死んでしまうのです。
  
  
そうならない為には、
  
【 精神性、経済力、健康体 】の維持向上に対して、
 
真剣になる事です。
  
  
「落ちるところまで落ちれば、死ぬ」と言う事がわかると、
  
自然と真剣になると思います。
  
  
海で溺れかけているのに、必死に助かろうとしない人は、
おそらくいません。
  
  
自殺願望を持つくらいの苦しい事が無い限りは、
  
人は、「生きていたい」と思うモノです。
  
  
今の私は、何が何でも生きていたいと思っています。
  
  
もちろん、
  
宇宙から「全体の為に命を捧げろ」と言われたら、
そうすると思いますが、
  
自分が全体に奉仕・貢献をし続けるには、
生きている必要がありますし、
  
【 生きている間に、自分の責任を果たさなければならない 】
  
という責任を感じるからです。
  
  
私は、【 生死 】について、よく語りますが、
  
それは、私にとって【 生死 】が身近なテーマだからです。
  
  
普通の人は、面倒くさかったり、怖かったりして、
 
自分の【 生死 】について、真剣には考えていないでしょう。
  
  
「何でそんな事を考えなきゃいけないんだ?」と、
 
【 考える意味や価値 】を感じない人もいるでしょう。
   
  
しかし、宇宙は陰陽表裏一体です。
  
  
「自分の死」というテーマを考える事によって、
 
「自分の生」についても、真剣に考えざるを得ません。
  
  
「死」を最悪の出来事と考えて、
真剣に向き合うのであれば、
    
自分にとっての「最高の人生」についても、
同時に真剣に考える事になるのです。
  
  
最高の人生を送るためには、自分の死について考える事が、
  
必要不可欠な事です。
  
  
【 自分の死について真剣に考え、リアルに感じる 】
    
  
これが出来たら、「生き方」が変わりますよ。
  
もちろん、良い方向にです。


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haxe501 at 14:46|Permalinkclip!