2015年06月

2015年06月30日

投資されるという事

新居で寝泊まりするようになって数日ですが、
明らかに自分の成長が、勢いよく加速しています。
  
  
私はいつも、
「環境」と「浴びるエネルギー」の重要性を説いていますが、
  
まさに、その威力を身を持って体感しています。
   
  
このまま時間が経って、一ヶ月くらいすればどうなっているか?
  
非常に楽しみです。 
  
  
で、話は変わりますが、
  
最近、弟子たちが私の指導通り、
自分の「未熟さ、弱さ、無力さ、汚さ、醜さ」と向き合っています。
  
  
まぁ、「やらなければ弟子を辞めてもらう」という風に、
プレッシャーをかけてますからね(笑)
  
  
先日の記事で、
これから自分が抱えている「ネガティブ」を思い知ることになる。
  
それを素直に認めていけば、ポジティブな方向に行けるし、
そこから目を背け、逃げていけば、ネガティブな方向に向かう。
  
http://growheart.livedoor.biz/archives/51966991.html
  
と言うことを書きました。
  
  
波動が高まれば高まるほど、
自分のネガティブ面も表面化してくる訳ですが、
  
弟子たちは、それだけ波動の高まりが速いのです。
  
  
なぜか?
   
   
私は弟子たちに対して、思いっきりエネルギーを注ぎ、
「成長する機会」も、惜しみなく提供しているからです。
  
  
ですから、意識していようが、していまいが、
 
弟子たちの波動向上スピードは、
自動的にめちゃくちゃ速くなるのです。
  
 
その分だけ、ネガティブが表面化するスピードも速いのです。 
  
  
でも、その表面化するネガティブから目を背け、逃げていると、
強制的に「天狗の鼻」を折られるような現実が起こります(笑)
  
  
まず、私に思いっきり叱られます(笑)
  
それでもダメなら、現実で思いっきり痛い目を見るでしょう。
  
  
これが、私の弟子でいる事によって背負っている責任です。
  
  
先日まで、かいじゅんは成長に関して、
楽しい事(自己投資)だけは積極的にやるくせに、
   
「自分の抱えているネガティブ」からは頑なに逃げていたので、
思いっきり厳しい現実を引き寄せました。
  
  
でも、今ではそのおかげで「まともな精神状態」に戻れたので、
【「厳しさ」の有り難み】がよく解ったのでは無いかと思います。
  
  
弟子たちに対しては、遠慮も手加減も無用の、
「優しさ」も「厳しさ」も、全力のフルスロットルです(笑) 
  
私は、弟子たちに対して、「投資の感覚」で接しています。
  
  
「投資」とはつまり、
  
【彼らが将来成功してビッグになって、
 自分に出世払いしてくれる事を「信頼」して、
   
 自分の持てる資源を出し惜しみ無く、"先に" 提供する。】
 
 
と言うことです。
  
  
要するに、
  
私は、「弟子の成功を信頼して、"先払い" している」と言うことです。
  
  
ですから、私は弟子に対して、
  
【「成功」は弟子の責任であり、義務である】
   
という風に言っています。
  
  
逆に言うと、
  
私の弟子が、
【成功という「自分の責任・義務」を放棄し、私の「信頼」を裏切る】
  
と言うことをするならば、
   
今まで私が弟子に投資してきた「資源を無駄にする事」になりますし、
 
 
「お金」に例えるならば、
 
【借りたお金を無駄遣いして、
 さらに、借金を返さずに夜逃げする様なモノ】
 
です。
    
    
商売(事業)も一緒ですよね?
  
  
借金して商売し始めたら、【成功するしか道は無い】のです。
  
もし失敗して「倒産・廃業」する事にでもなったら、
債権者に土下座でもして許してもらうか、夜逃げでもするしか無い。
  
  
私に弟子入りするという事は、
  
私から投資してもらって、事業をやるのと同じです。
  
  
・投資されたお金を無駄にして、失敗して逃げるか?
  
・投資されたお金を有効活用して、早く成功して恩返しするか?
  
  
【どちらかしか道は無い】のです。
  
  
だから、弟子たちの立場というのは、
 
天国か? 地獄か? のどちらかです(笑)
  
  
それが、「借金をして商売を始める」と言うことです。
  
  
・借りたお金を無駄に使って、失敗して、地獄を見るか?
 
・借りたお金を有効に使って、素早く成功して、天国に行くか?
 
 
まさに極端な二択なのです。
  
  
それが、【私の弟子の置かれている立場】です。
  
ハイリスク・ハイリターンですね(笑)
  
  
でも、私はやれば確実に結果が出る事しか言っていませんし、
 
ただ、
 
・私の言うことを何でも聞く!
・私の指導に素直に従う!
  
という【覚悟】さえあれば良いのです。
  
  
普通の商売だったら、
成功するかどうかわからない部分も大きいですが、
 
私の弟子の場合は、「気持ちだけの問題」です。
  
  
ですから、「一般社会の厳しさ」に比べたら【楽勝】なのです。
  
覚悟が決まっている人間からしたら、
めちゃくちゃ「ローリスク・ハイリターン」なのです。
  
  
ここまで優遇されておきながら、
文句の一つでも言われたら、私も呆れますね(笑)
   
どれだけ現実や社会を舐めているのか?と(笑)
   
   
そういうヤツは、発展途上国にでも送って、
「生きる事の厳しさ」を味あわせてやりたいです。
  
  
何でも陰陽表裏一体ですからね。
  
ポジティブな何かを受け取ろうと思ったら、
その分だけ、ネガティブな何かを背負わなきゃならないのです。
   
  
ポジティブは欲しいけど、ネガティブはイヤ。
  
そういう人間は、
  
・幻想を見ている
・非現実的
・地に足が付いていない
・甘えている
・依存的
  
と言うことです。
  
  
まぁ、弟子たちも昔は、かなり「幻想」を見てましたけどね(笑)
  
私が「現実」を見せ続けるので、
ようやく「現実」というモノがわかってきたと思います。
   
   
弟子たちには、「私から投資されている」という事を忘れず、
  
自分の背負っている「義務と責任」を果たすため、 
ストイックに「成長」し、素早く「成功」して頂きたいモノです。


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2015年06月28日

自分で自分を認める

昨日、自分のネガティブ観念を探っていたのですが、
  
私は、自分の「仕事の能力」には、圧倒的な自信があるんです。
  
  
何故かっていうと、
他人と比較して、客観的に見て、
  
世界の著名人の中にも、
  
自分ほど「優れた結論」「優れた表現」に辿り着いている人は
見たことが無いからです。
  
  
私は、自分の「仕事の能力」に自信がありますし、
自分の事を天才だと思います。 
  
それが私のアイデンティティを支えていると言っても良いです。
  
  
もしどこぞの他人から、「アンタの主張は違うと思う!」
  
と否定されても、私は徹底的に考え抜いて結論を出しているので、
  
【私ぐらい徹底的に考えて抜いてから言って欲しいな。
 私の正しさがわからないのは、あなたの考えが浅いからだ。
  
 もっと経験を積んで、視野を広げたら、
 私の言っている事の正しさがわかるだろう。】
  
と、自信満々で切り返す事ができます。
  
  
しかし、「人間性」という領域になると、
  
【仕事ほどの自信が持てていない】という事に気付きました。
  
  
私は、自分の意見に圧倒的自信があるにも関わらず、
 
・「他人に理解して欲しい」
・「誤解されたくない」
 
と思っていました。
  
  
自分のメッセージ(真意)が他人に誤解されて、
ネガティブに捉えられると、
  
被害者意識を持ったり、罪悪感を持っていました。
  
  
なんでかなぁ?と考えてみると、
 
「他人に喜んで欲しい」と思っていて、
「他人に喜ばれないと意味(価値)が無い」と思い込んでいました。
  
  
【 他人の感情を満たせるかどうか? 】
  
と言うことに、とても執着をしていました。
  
  
他人を喜ばせる事によって、自己重要感を満たしていたので、
他人がネガティブな反応をすると、被害者意識と罪悪感を感じていました。
  
  
これまで、
「自分の良さがわかる人、自分の良さを見抜ける人」と出会いたい…
  
ずっとそう思っていました。
  
  
そういう人が、
 
「仕事のプロとしての自信」では無く、
「一人の人間としての自信」を強めてくれる人だからです。
   
   
でも、「自分の良さ」が見抜ける人には、なかなか出会いません(笑)
  
 
誰も「自分の良さ」を理解してくれない…。
  
だから、ずっと孤独でした。
  
  
まるで、「白馬の王子(自分を迎えに来てくれる相手)」
を待っているプリンセスの様です(笑)
    
  
私は、仕事の領域では、
世界中の人から「お前は間違っている!」と言われても、
  
【私の言うことは正しい! 私は天才だ!】と、主張出来ます。
  
他人の評価に依存せず、自分で自分を評価できます。
  
  
でも、人間性の領域では、そこまでの自信が持てず、
「お前は悪い人間だ!」と言われたら、
  
【うーん、そうかもしれない…。】と思ってしまっていました。
  
  
なぜなら、私は他人に「ネガティブ感情」を感じさせるからです。
  
  
・他人にポジティブ感情を与える → 人として価値がある
・他人にネガティブ感情を与える → 人として価値がない
  
という観念を持っている限り、
私は「人間としての自分」に自信が持てない訳です(笑)
  
  
でも、よくよく考えてみると、
 
私は、ポジティブな動機を持って、ポジティブな行いをしている訳です。
 
それを他人が勝手に誤解して、ネガティブな反応をしたとしても、
私が悪い人間か? と言われると、そうじゃない。
  
  
だから、私は「自分の良さを完全に理解してくれる人間」が現れるのを
待つのは止めて、
  
仕事の領域の様に、【まず自分で自分の事を認めよう】と思いました。
  
  
仕事の領域の様に、
 
冷静に考え、客観的に見て、他人と比較しても、
  
私ほど「愛の深い人間」はいないと思います。
私ほど「他人を想い、他人を愛している人間」はいないと思います。
私ほど「他人の為に全力で尽くせる人間」はいないと思います。
私ほど「他人に無条件の愛を注げる人間」はいないと思います。
私ほど「他人を幸せにできる人間」はいないと思います。
私ほど「他人の人生を深く考えられる人間」はいないと思います。
 
私ほど「自分がどれほど苦しくても、他人の幸せを優先して考えられる人間」
    はいないと思います。
  
   
だから、他人に理解されなくても、誤解されても、
  
私はポジティブな動機でポジティブな行いをしている、良い人間です。
  
  
世界中の人たちから、「お前は悪い人間だ!」と言われても、
  
・私ほど「良いヤツ」はいない!
・私ほど「良い男」はいない!
・私の良さがわからないのは、君たちが精神的に未熟だからだ!
  
そんな風に跳ね返したいと思います。
  
  
私の(人としての)良さを理解できなくても良い、誤解しても良い。
  
そんな事で、私の価値は変わらない。
  
私が良い人間であるという事実は揺るがない。
  
  
私の良さを理解できない人間の方が未熟であって、
  
そんな人たちの「評価」や「感情」に振り回される必要は無いんだ。
  
  
そういう風に思えるようになりました。
   
  
私は、たとえお客さんが喜んでくれなくても、
「自分が良い仕事をした!」と思えば、自分の仕事に満足できます。
  
自分で自分を評価しているからです。
  
  
でも、プライベートの領域になると、
どれだけ自分が相手の事を考え、尽くしても、
  
相手が喜んでくれなかったり、相手が不快感を感じると、
罪悪感を感じていました。
  
他人の評価に依存している訳です。
  
  
でも、それはもう「止め」です。
  
  
プライベートの領域でも、
  
私は他人の幸せを願い、他人の為に
自分が出来る全力を尽くしている事には変わりありません。
  
  
仕事に対する姿勢と同じです。
  
  
だから、他人の評価や感情に振り回されるのでは無く、
まず、自分で自分を認めます。
  
  
【 自分は良い人間。 自分は良い男。】
 
それは、誰がなんと言おうと変わらない。
  
  
自分の良さを他人に理解してもらって、
他人に評価してもらおう、他人に認めてもらおうと思うのでは無く、
  
まずは、自分で自分を認める。 自分で自分を評価する。
  
  
いくら他人に喜ばれなくても、他人がネガティブな反応をしても、
 
私はポジティブな動機を持ち、ポジティブな行いをしている以上、
良い人間、良い男なのです。
  
  
それがわからないのは、相手の方が精神的に未熟だからです。
  
  
そう思うと、
  
自分が少し無理をしてでも、
相手に喜ばれようとしていた事に気付きました。
  
  
もうそんな事をしなくても良くなったので、
今までそこに割いていたエネルギーが浮きましたね(笑)
  
  
自分を認めるために、
無理して他人を喜ばせる必要がなくなりました。
  
  
ただ、私の近くにい続けると、その人は絶対に幸せになります。
  
  
もちろん、私と付き合っていく事によって、
時には「ネガティブ感情」も沸くでしょう。
  
      
でも、それは「波動が高まった影響」で
【精神のデトックス】が起きている訳で、
   
私のせいでは無く、仕方が無い事です。
  
  
そのネガティブ感情を乗り越えてでも幸せになりたいという人は、
私の近くにいたら、必ず幸せになります。
  
  
仕事のプロとしてでは無く、
一人の人間、一人の男としてでも、そう思います。
  
  
私は、他人にポジティブな感情だけを与える人間にはなれません。
  
宇宙の法則的に、それは不可能です。
  
  
でも、私が「良い人間」である事には変わりありません。
  
  
私は、自分がどれほどポジティブな動機で行動しても、
まったく他人に理解されてこなかったから、
  
「自分で自分は善いことをしているんだ!」と、
  
自分で自分を褒め、自分で自分を励まし、
自分で自分を勇気付けて生きてくるしかありませんでした。
  
  
言い換えれば、他人に期待するのを諦めてきた訳です(笑)
  
  
でも、結果的に見れば、それがポジティブな姿勢というモノです。
  
  
またひとつ、他人に期待するのを諦めて、
  
精神的依存を脱却し、精神的に自立できました。


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2015年06月27日

表現で大切なこと

私は、自分の表現に対して強いこだわりを持っていますが、
    
  
よく、自己啓発の書籍のタイトルなんかで、
  
・「なぜポジティブ思考は上手く行かないのか?」とか、
・「努力はするな!」みたいな、
  
奇をてらった表現を見かけますが、
私はこういう「言葉遊び的な表現」が大嫌いです。
  
  
こういう表現をする目的は、
  
「他人にわかりやすく伝えよう」と言うような、愛ではなく、
  
ただ、
  
・他人と違う事を言って注目を集めたい!
・自分は世間のレベルより先を行っていると思われたい!
  
と言うような「自己顕示欲」にまみれた、
非常に「自己満足的」な表現だからです。
  
  
たとえば、「ポジティブ思考は良くない」という人の言いたい事は、
  
「ネガティブを否定しない方が良い」と言うことです。
  
  
「努力をするな」という人の言いたい事は、
 
「イヤな事を無理矢理やらない方が良い」と言うことです。
  
  
それを、わざわざ
【 誤解を生むような、わかりにくい表現 】にしているのです。
   
   
で、メッセージをわかりやすく表現しようと思ったら、
 
【言葉に込める「定義」】が大切です。
  
  
・あなたの言う「ポジティブ思考」の定義は?
 
・あなたの言う「努力」の定義は?
 
・あなたの言う「成長」の定義は?
  
  
それがハッキリしていなければ、
そもそもまともなコミュニケーションなど出来ません。
  
   
コミュニケーションを取る時に、
お互いに考えている【言葉の定義】が違えば、
  
それだけで、間違った情報が伝わります。
  
  
たとえば、信号機を見て、
  
信号が「リンゴの色」の時は止まりましょう!
  
と言ったとします。
  
  
でも、相手が「リンゴの色」を
【赤】では無く【青緑】の方をイメージした場合は、
  
「青信号」で止まってしまう事になりますね?
  
  
自分が意図したことと逆の事が伝わります。
  
  
奇をてらって言葉遊びの様な表現をする、
マスターベーション野郎共は、
  
「情報を伝える」という仕事をしながら、
【 言葉の定義の重要性 】すら知りません。
   
   
そんな人間たちから、まともな事が教われるハズがありません。
  
  
努力にも、楽しい努力もあれば、イヤイヤする努力もあります。
  
  
それを、努力自体が良い悪いなんて言うのは、
【 何もわかっていない人間の発言 】です。
  
  
この世の教育に携わる大半の人間は、
 
自分もよくわかっていないのに、偉そうに自説を語ります。
  
  
よく、わかっていないくせに自信満々に語れるなぁ?と思うのですが、
  
そういう人は、【洗脳されやすい様な、思い込みの激しい人】なのです。
  
  
「自分が正しいという思い込み」が激しいので、
間違った事でも、自信満々に語れてしまうのです(笑)
  
  
私の場合は、研究に研究を重ね、確信を持った上で、
自信満々に語っていますから、
 
考えが浅く、思い込みの激しい人たちとは、
表面的には表現が似た様に見えても、【中身、本質は真逆】です。
  
  
私は非常に「疑り深い人間」ですからね。
  
  
まぁ、人間って言うのは、自信のある人に付いていこうとしますからね。
  
  
例え間違っていたとしても、自信があれば、ある程度人は付いてくるし、
  
逆に、正しかったとしても、自信が無ければ、人は付いてきません。
  
  
そういう意味で、【自分の本音を堂々と語れる】っていうのは、
  
起業家(自営業者)にとって、最低現必要なことだと思います。
  
  
集客にもいろいろ方法はありますけど、
  
私みたいな教育者の様に
【「個人のスキルや人柄」が重要な仕事】において、
  
ネット経由で新規顧客を引き寄せよう思ったら、
「公に自分の本音を堂々と語れない」って事は、致命的です。
  
  
その人がどんな人かわからないと、仕事なんて依頼しませんからね。
  
  
国本さんも吉田さんも、普通の人には言えないような、
自分の考えや経験を赤裸々に語っているからこそ、
  
他人の信頼を得るのです。
  
  
「本音で語る人」は信頼されますが、
「本音を隠す人」は信頼されないのです。
   
   
信頼を得るには、自分をオープンにする必要があります。
  
自分をオープンに出来ないのは、自信が無いからですし、
他人からどう思われるかを気にして、怖れているからです。
  
  
その「怖れ」を抱えている限り、独立起業は難しいでしょうね。
  
  
対人恐怖を抱えている限り、人前に立つことは出来ません。
  
人前に立てなければ、仕事になりません。
  
  
別に、ネットをあまり活用しないで集客をしていくのも可能ですが、
  
新規開拓、営業活動に多くの時間を割き、
どうでも良い人とたくさん会い、身体を動かさなきゃならないので、
  
効率が悪く、私はやりたくないし、知り合いにも勧めたいとは思いません。
  
  
本当に独立起業しようと思ったら、
   
【 (友達限定ではなく)公に自分の本音を堂々と語る 】
   
これは最低限必要な能力だと思います。


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haxe501 at 18:37|Permalinkclip!

2015年06月26日

熱意の差

私に逆ギレしてきた人間って、
なんでそんな事をしてきたのかな?
  
っていう本質を突き詰めていくと、
  
結局、【人生に対する「真剣さ」や「熱意」】に差があるからですね。
  
  
自分に思っている事と、他人に思っている事は同じですから、
   
  
私は、【自分の人生に対して、誰よりも「真剣」】です。
  
その分だけ、【他人の人生に対しても、誰よりも「真剣」】です。
  
  
でも、不真面目なグループの中に、
超真面目な人間が一人現れたとしたら、
  
それってめちゃくちゃ鬱陶しがられますよね?(笑)
   
   
「ほっといてくれ! 余計なお世話だ!」って感じで(笑)
   
  
甲子園で優勝を狙っているチームは、
理想が高く、その分だけ、厳しい練習にも耐えます。
  
でも、甲子園優勝なんか狙っていないチームは、
理想も低いし、その分だけ、練習も生ぬるい。
  
  
だから、同じレベルの
「真剣さ」や「熱意」を持っている人間同士じゃ無いと、
  
チームとしては成り立たないのです。
  
  
私は、別に理想が低くても、不真面目でも構わないと思います。
  
  
でも、私がこれまで出会ってきた「逆ギレ連中共」は、
  
  
口では、「甲子園優勝!」とか言っている訳ですよ。
   
私は、その言葉を信じて、
   
「じゃあ、実際に優勝するためには、
 これぐらい厳しい練習が必要だよね!」
   
って事で、厳しい練習メニューを提案する訳です。
  
  
その瞬間、「やってられるかぁ!」って、
ちゃぶ台をひっくり返されるわけです。
  
  
別に、理想が低くても良いですけど、
  
せめて、「言ってること」と「やる事」くらいは、
【 一致させて欲しいな 】と思います。
  
  
・「優勝」って言うんだったら、本気でやれよ!って。
   
・本気でやれないなら、「優勝」なんて初めっから言うなよって。
  
  
そんな甘っちょろい考えで優勝なんて出来る訳ないだろって、
  
幼稚園児が「スーパーサイヤ人になりたい!」
って言ってるのと同じだよ。
  
現実ってモノを舐め腐って、子供みたいに幻想を見てるんだよ。
  
  
身体だけは大人になっても、
脳みそん中は、「サンタクロースを信じてるガキ」のまんまだよ。
  
  
私は、今までさんざん、
「口だけ人間」と「嘘つき」に騙されてきたので、
  
他人の発言は信じません。
  
  
【一貫した態度・行動】だけを信じます。
  
  
私にとっては、
  
【「言うこと」と「やること」を一致させること】は、
ごく自然な、当たり前の事だったので、
  
初めから「口だけ人間」を見抜くことが出来なかったんですね。
  
  
まぁ、今まで「口だけ人間」に騙されてきたおかげで、
  
【人を見抜く目】が鍛えられた訳ですが。
  
  
「口だけ人間」も、
ピンチになったら保身しか考えない「弱い人間」です。
  
  
「 誰を信じるべきか? 」っていうテーマについては、
  
【 自分と同じだけ「真剣」で、「熱意」のある人間 】
  
というのが、正解ですね。
  
  
別に、真剣じゃ無くても良いですよ。 熱意がなくても良いですよ。
  
それは、悪いことではありませんから。
  
  
ただ、他人を惑わせないように、
【 言行一致 】ぐらいはやって欲しいモノです。
  
  
「やる気が無い」なら、初めから「やる気が無い」と言うことです。
  
見栄を張って、本心を隠されていると、他人に迷惑ですから。
  
  
私は本気です。 真剣です。
  
  
そういう人は少ないですし、
  
同じくらい人生に本気で真剣な人とは、すぐに仲良くなれます。
  
  
私と深い仲になろうと思ったら、
  
【甲子園優勝を狙うチームに入る】くらいの覚悟が必要です。
  
  
もう「口だけ人間」が寄ってこないようにする為にも、
   
初めからこういう事を言わせてもらいます。


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弱さを許す

私は、「頭の悪い人間と、勇気の無い人間」が、
ずっと気にくわないと思って生きてきました。
  
  
私には、
  
【長い目で見たら、絶対にこっちの方がポジティブな選択だ!】
  
と言うのが、わかります。
  
  
だから、それを伝え続けている訳ですが、
  
それでも、「ネガティブな方の選択」をする人もいます。
  
  
私から見たら、それが【理解不能】でした。
  
  
「そっちに行ったら落とし穴に落ちるぞ!」
  
と前もって警告しているのに、
  
まんまと落とし穴に落ちてから、私に助けを求めてくるのです(笑)
  
  
「だから先に言っただろ!」って思いますし、
  
落とし穴に落ちた人間(ピンチの人間)を助けに行くのは、
こちらとしても、余計に膨大なエネルギーを使う事なのです。
  
  
【 注意しているのに言うことを聞かず、ピンチになってから助けを求める 】
  
なんて愚かなんだろう…?と思ってきました。
  
  
私の助言を聞かずに、
ネガティブな選択をしてしまう理由は、
   
・視野が狭く、頭が悪い、人生について深く考えていない
・目先の感情に翻弄されて、冷静に論理的に考えられない
・ネガティブ感情を感じていく度胸が無い、勇気が無い
・ネガティブな現実を、他人や状況のせいにして、責任転嫁している
  
そういう事が原因です。
  
  
私が、「そのまま行ったら落とし穴に落ちるよ!」
  
と注意した瞬間、逆ギレされて、私を責めて、
  
自分のネガティブ感情を全て私に責任転嫁し、なすりつけて、
 
全力で落とし穴に向かって走って行く。
   
   
そういう事をする人が、今まで理解不能でした。
   
「なんて頭が悪く、勇気(度胸)が無いんだろう…?」 と。
  
  
でも、そういう人たちは、【とても弱い人間なんだ…】
  
と理解する事で、許せる様になってきました。
  
  
  
見た目は、とても優秀な人たちに見えても、
   
別に心理に精通しているわけでもありませんから、
   
「心理のメカニズム」も知らなければ、「恐怖の対処法」も知らないのです。
   
  
私が教えようとしても、そもそも興味が無いのです。
  
  
相手が、目に見える領域では活躍しているように見えても、
   
精神の領域では、私とは比にならないくらい弱く、無知。
  
  
そして、相手は「目に見える部分」を【重視】し、
「目に見えない部分」を【軽視】しているので、
  
私自身の事も軽視しており、人を見る目も無い。
  
  
「自分が勝っている部分」ばかり認めたくて、
「自分が負けている部分」は認めようとしない。
 
だから天狗(傲慢)になり、人を見る目が曇る。
  
  
愚かだなぁと思いますが、愚かな人は、弱いのです。
  
  
別に本人に悪気がある訳では無い訳ですし、
  
人の「愚かさ、弱さ」を許す。
  
  
私は、もっと他人に強くあって欲しかったし、
  
実際に、人はもっと強く賢いものだと思い込んでいました。
  
  
でも、「愚かで弱い人」はたくさんいる。
   
例えビジネスでちょっとばかし成功していようが、
心理や宇宙の法則に卓越していない限り、
 
人は愚かな選択をしてしまうのです。
  
  
2017年になれば、
それが誰の目にも見て明らかになると思いますが…。
  
  
人間は、「仕方が無い」と思えば、受け入れられるモノです。
  
  
・自分には才能が無いから仕方無い
・生まれ育った環境が悪いから仕方無い
  
と言って夢や理想を諦めるのは、
間違ったネガティブな使い方ですけどね(笑)
  
  
何を諦めて、何を諦めないのか?
  
その見極めが大切です。
   
  
自分はいくらでも変われるけど、他人から変えることはできない。
  
  
だから、
  
・自分を変えていく事を諦めなくても良いですが、
・他人を思い通りにしたいって事は、諦めた方が良いです。
  
  
人間はいくらでも生まれ変われます。
  
今この瞬間から、ネガティブな過去をリセットし、
ポジティブな別人に生まれ変わることができるのです。
  
  
その為には、
過去のネガティブな自分を認め、許していく必要はありますが。
  
  
私は、自分の言ってることを理解して欲しいと思っていましたが、
  
でも、弱くて愚かな人には、いくら言っても伝わりません。
  
  
それを受け入れる事にしました。 
   
   
私が、なんでこんなにわかりやすく言ってるのに伝わらないのかなぁ…?
  
とヤキモキしていたのは、
相手に「理解して欲しい」と【期待】をしていたからでした。
  
  
そんな期待は捨てようと思います。
  
  
私が事前に忠告したとしても、
  
別に落とし穴に落ちても良いですよ。
  
あなたの「自由意志」を尊重しますから。
  
  
それも、【無条件の愛】です。
  
  
私が自分の背中を預けられるのは、
  
私と同じく、「強く賢い人」です。
  
  
そういう人は非常に少ないですが、
  
たった一人でもそういう人がいれば、私は孤独から救われます。
  
  
私にとっては、自分のメッセージが
  
他人に「理解」され、「共感」される時こそ、
【孤独から救われる瞬間】だからです。
  
  
理解される事が普通では無く、理解される事の方が異例。
  
  
そう思えば、
  
自分の良き理解者がいるって、とても有り難いなぁと、
  
より感謝できるようになりました。


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haxe501 at 18:36|Permalinkclip!

人一人を救う意義

今年に入ってから、本当に忙しいです。
  
  
まぁ、それだけ他人に貢献していると思えば、
やり甲斐はある訳ですが、
  
私の本業は「頭脳労働」ですから、
一人で過ごす時間が無くなってくると、
  
・思考を整理する時間
・身体をメンテナンスする時間
  
を確保できず、
  
体調が優れなかったり、思考がクリアでなかったり…、
  
という風に、心身のコンディションが悪くなります。
  
  
・一人で過ごしている時間にも、
 遠隔で他人にエネルギーやインスピレーションを送ったり、
  
・眠っている間にも、夢の中で仕事をしたり、
  
24時間稼働しています(笑)
  
  
なんでそこまでやるのか?って言うと、
  
「人一人の人生が救われる」という事は、
その人一人の問題では無いからです。
  
  
その人がこれから関わっていく、「全ての人」に影響があるのです。
  
  
例えば、お客さんや弟子の一人が成功したら、
  
1万人、10万人、100万人、1000万人に、
ポジティブな影響を与える事が出来るでしょう。
  
  
ですから、私が見ているのは、「目の前の一人」では無く、
  
【その人が今後関わっていくあらゆる人】を見ているのです。
  
  
【 自分の人生だから、自分の勝手だ! 】
と思う人もいるでしょうが、
  
人間は、社会の中で生きている限り、
社会と相互に影響を与え合っています。
  
  
だから、自分一人の人生は、自分だけの問題ではありません。
  
自分が落ちぶれたら、家族や社会に【負担】が掛かります。
自分が成功したら、家族や社会に【好影響】を与えます。
  
  
自分の人生は、自分だけの問題では無いのです。  
  
  
私は、自分の周りに居る人たちの一人を成功させたら、
  
【 10万人、100万人を助ける事 】だと思っています。
  
  
だから、「気合い」が入るのです。
  
  
私の弟子から外れるか? 残るか? で迷って、
  
結局残った子もいますが、
   
私はそれで、
【「100万人、1000万人を助けた事」と同義】だと捉えています。
  
  
私の弟子の多くは、社会の底辺を彷徨っていた様な子たちです。
  
だから、私に付いてくるしか、未来は無いのです(笑)
  
  
「背水の陣」だからこそ、成長を取るしか無く、
そういう相手だからこそ、私も信用しているのです。 
  
  
「成長しなくても、そこそこ良い人生が待っている…」
  
という相手だったら、
  
しんどい思いをしてまで成長していく必要が無いので、
逃げ道を作って、すぐに諦めてしまうのです。
   
  
私の弟子たちは、 
  
「成長しなかったら地獄が待っている…」
  
というタイプなので、成長するより他、逃げ道が無いのです(笑)
  
  
だから、私がいくら厳しくしようとも、
食らいついてこれる訳です。
  
私の厳しさも、「地獄よりはよっぽどマシ」ですからね(笑)
  
  
そういう意味で、社会の底辺を彷徨ってきた子の方が、
将来性があります。  
  
  
・逃げ道を作ったり、
・変なところで妥協したり、満足したり、
  
と言うことが無いからです。  覚悟が決まっています。  
  
  
自分の人生は、自分一人だけの問題ではありません。
  
  
自分の人生は、
  
家族、これから出会っていく人たち、社会全体…、
  
あらゆる他人に影響していく訳ですから、
  
  
自分が望もうと、望むまいと、
  
社会の中で生きている限り、
  
既に、【 他者に対する責任が発生している 】のです。
   
   
「家族、他人、社会」に「負荷、負担、迷惑」をかけまくって、
   
【お荷物として死んでいく人生】も、悪い訳ではありませんが、
    
そうしたいと望む人はほとんど居ないでしょうね(笑)
    
    
社会で生きている限り、「他者との関係」は切っても切れません。
  
必ず、【他者に対する責任】は発生しているのです。
  
  
そこからは、絶対に逃れられないのです。
  
  
【 自分の人生は、自分一人だけの問題では無い 】
  
  
社会で生きている限り、周りに対しては、
  
悪影響にしろ、好影響にしろ、何らかの影響を与えているのです。
  
  
良い影響を与えたかったら、成長してポジティブになること。
  
自分が試練から逃げ続けたら、他人にも悪い影響を与える事になります。
  
  
自分一人の決断は、自分だけの問題では無いのです。
  
  
自分の双肩には、「他人の人生や生活」も乗っかっているのです。
  
  
その【重み】を感じながら、慎重に自分の人生を考えて欲しいと思います。


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2015年06月25日

絶対的な自分の味方

みなさんには、
  
【この人は、絶対に自分の味方をしてくれる!】
 
と、心の底から信じられる人物はいるでしょうか?
  
  
私にとっては、両親がそうでしたが、
  
ここ最近、両親以外にもそうだなと思える人(信じられる人)が、
現れてきました。
  
  
自分がどんな状態であろうと、自分の事を想ってくれる。
  
それこそが、【 無条件の愛 】です。
  
  
そして「無条件の愛」を感じると、とても安心する事が出来ます。
  
  
しかし、みんな既に宇宙から無条件に愛されているわけですが、
  
それを感じられるかどうかは、自分の心が純粋であるかどうか?
  
と言うことが、非常に大切です。
  
  
他人は鏡ですから、
 
自分が純粋な気持ちで他人に親切をする様な人間であれば、
 
他人が純粋な気持ちで親切にしてくれた時も、
すんなりとそれを信じる事ができます。
  
そういう人の気持ちがわかるからです。
  
  
しかし、もし自分自身が「他人を騙す様な人間」であれば、
  
他人から親切にされたとしても、
 
「こいつには、何か裏があるんじゃないのか?」
「いつか裏切られるんじゃ無いのか? 騙されるんじゃ無いのか?」  
 
と、【他人の親切を疑う気持ち】が出てくる様になります。
  
  
まず自分が他人を無条件に愛するからこそ、
  
自分も他人から無条件に愛されていると、
感じられる様な現実がやってきます。
  
  
私にとっては、お客さんが「無条件の愛」を注ぐ対象です。
  
  
相手がどんなにネガティブな部分を持っていたとしても、
  
私はネガティブを許しているので、(また、許そうとするので、)
それが原因で、相手を嫌いになったりなどしないのです。
 
  
だから、安心してネガティブな部分をさらけ出して欲しいと思います。
  
それが、「許し」と「浄化」に必要だからです。
  
  
弟子たちも、自分で自分を裁いてきたわけですが、
  
私は弟子のネガティブをあまり裁かないので、
弟子たちは安心して、ネガティブをさらけ出せるのです。
  
  
ネガティブを表に出す事に対して怖れが無いからこそ、
弟子たちは、素早く成長していく事が出来るのです。
  
  
自分のネガティブな部分を隠そうとしている人ほど、成長は遅いし、
  
もし弟子でそういう子がいたら、私は厳しく追い詰めます。
  
  
相手の隠しているネガティブな部分をえぐり出します(笑)
   
   
自発的に自分のネガティブを表に出したら、
「おめでとう! 素晴らしい!」と賞賛します。
  
だから、私は弟子の佐々木さんを褒めるのです。
  
  
逆に、他人から責められる事や嫌われる事、見下される事を怖れて、
 
自分のネガティブを隠しているヤツは、
  
【 チキン(臆病者)扱い 】です(笑)
   
  
ネガティブを裁かずに、表に出せる雰囲気が大切です。
 
それは、教育者、指導者にとっては特に重要です。
  
  
ネガティブを裁いて責めていると、
他人はネガティブを頑なに隠そうとします。
  
隠されていると、対処が出来なくなります。
  
  
ネガティブな事を隠されて、被害が増えていくよりも、
早めに表に出して、治療する方が賢いのです。
  
  
ネガティブを裁かない、責めない人ほど、
優れた指導者・教育者と言えるでしょう。
  
  
だから、私ももっともっと、
あらゆる事を許していこうとしている訳です。
  
  
バシャールも言っている様に、
  
まずネガティブを表面化させなければ、
浄化したり、変えたりすることは出来ないのです。
  
  
これから、たくさんの隠れていたネガティブがあぶり出されます。
 
それは、社会的にもそうだし、個人的にもそうです。
  
  
抱えている全てのネガティブ要素が、表にえぐり出されてきます。
  
  
そこで、逃げ続けるのか? 許して乗り越えるのか?
  
そこで、人生は決まります。
  
  
結局、他人を許し、思いやるような「良い人」が、
良い人生を送れる訳で、
   
宇宙はどこまでも公平なのです。


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haxe501 at 14:05|Permalinkclip!

運命の分岐点(最重要!)

この、2015年というのは、
  
ポジティブな地球にシフトして、
ポジティブな人生を生きていくのか?
  
ネガティブな地球にシフトして、
ネガティブな人生を生きていくのか?
  
  
今後の一生の運命が問われる、重要な時期です。
  
  
今、世の中では、 
  
ポジティブなニュースも増えていますし、
ネガティブなニュースも増えています。
  
どちらに同調(シンクロ)していくのか? と言うことです。
  
  
それは、個人にも当てはまります。
  
  
ポジティブな地球で
ポジティブな人生を歩もうと思ったら、
  
自分が「絶対に認め無くない!」と思っている様な、
【ネガティブな自分】を直視していく必要があります。
 
 
要するに、自分がいかに、
   
「醜く、汚く、浅ましく、保身的で、度胸が無い人間か?」
   
という事を、思い知らされる様な現実がやってくるでしょう。
  
  
ポジティブな人生を歩める素質がある人ほど、
  
「大きな光」を生み出せる素質のある人ほど、
「大きな闇」と向き合い、解決していく必要があるのです。
  
  
そして、波動の高い人ほど、
その試練は早いタイミングでやってきます。
 
私は既に解決済みですし、
その経験から自分が学んできた事を人に教えています。
    
  
弟子の中でも、これまでの人生の中で、
  
一番苦しい時期を、既に乗り越え済みの子もいれば、
今が一番苦しい時期だという子もいるでしょう。 
  
  
精神性の波動が高い人ほど、試練のタイミングは早くなり、
精神性の波動が低い人ほど、試練のタイミングは遅いのです。
  
  
今まで、その試練と向き合ってこなかった人は、
  
これからその試練が必ずやってきます。
  
  
自分がいかに、
   
「醜く、汚く、浅ましく、保身的で、度胸が無い人間か?」
  
という事を思い知らされます。
  
  
要するに、
 
【 自分は本当に情けないクズ人間だな 】
 
と思わされる様な事が起こります。
  
  
何を隠そう、私も「20代 前半〜半ば」までの頃は、
  
とても怖いと感じる事がたくさんあって、
それが現実化すると、頭が真っ白になって、逃げまくっていました。
  
でも、その数々の修羅場を乗り越えたおかげで、
度胸が付いて、自分に自信が持てる様になったのです。
  
  
その試練から逃げたら、ネガティブ行き。
その試練を乗り越えたら、ポジティブ行き。
  
非常にシンプルです。
  
  
まぁ、
  
ネガティブな地球は、地獄みたいに苦しい場所でしょう。
ポジティブな地球は、天国みたいに楽しい場所でしょう。
  
  
・地上の天国に行きたいか?
・地上の地獄に行きたいか?
  
それを問われるのが、今なのです。
  
  
私は、世の中の流れを変える様なチカラを持っていません。
  
  
でも、世の中の流れの先を読んで、
  
「先回りしてこうしておいた方がいいよ!」
  
と、対策の手段を伝える事は出来ます。
  
  
「最低最悪な自分」を認めて、許せない限り、
「最悪の地球」と「最悪な人生」が待っています。
  
それは、試練から逃げた代償です。
  
  
「最低最悪な自分」を認めて、許す事ができれば、
「最高の地球」と「最高の人生」が待っています。
 
それは、試練を乗り越えた報酬です。
  
  
  
自分に自信が無い人は、他人を裁きまくっています。
  
  
しかし、「他人を見下し、裁いている人」は、
   
その自分が見下して、裁いている相手と同じぐらい、
 
【 自分自身がしょぼい人間である 】
  
と言うことを、思い知らされます。
  
  
自分が優越感に浸るために、
自分の劣等感を埋める為に、
  
他人を見下し、裁いている人は、
 
その他人に対して飛ばしているネガティブな想念が返ってきて、
 
自分自身が見下され、裁かれる様な現実を、必ず引き寄せます。
  
  
宇宙は絶対に公平です。
  
  
私は、中学校の頃、勉強できないクラスメイトを見下していました。
   
  
そうすると、私自身が高校受験に落ちて、
  
第二志望の高校で不登校になり、
通信制の高校に転校する…
  
と言う様な、学歴がぐちゃぐちゃになる様な現実を引き寄せました。
  
  
自分自身が、「見下していた人間の立場」を経験させられるのです。
  
そうすることによって、自分と他人を許す事が出来る様になるのです。
  
  
私の様に、正義感が強い人ほど、
そういうパターンにハマってしまう傾向を持っています。
  
  
「他人の価値観は間違っていて、自分の価値観が正しい」
という驕り高ぶり、傲慢さ。
  
その天狗の鼻は、必ず折られる事になります。
  
  
個人の価値観に正しいも間違っているもありません。
   
唯一、絶対的と呼べるのは、【宇宙の法則だけ】です。
  
  
宇宙の法則に照らし合わせたら、
世間の常識など、ネガティブだらけです。
  
  
常識人たちは、
「ネガティブな事」を「正しい事」だと思い込んでいるから、 
  
そこからなかなか抜け出すことが出来ないのです。
  
  
今まで隠し通してきたとしても、
 
これからは、自分の内面に隠れていたネガティブ要素が、
たくさんあぶり出されてきます。
  
  
それを認める事ができれば、
吐き出して浄化することができます。
 
それを認めなければ、自分の内面に抱え続ける事になります。
  
  
例えば、他人から
  
「中井さんってクズ人間ですよね? ダメ人間ですよね?」
  
と言われても、私は否定しません。 抵抗もしません。
  
  
自分自身のクズさ、ダメさを許しているからです。
  
そして、他人のクズさ、ダメさも許しています。
  
  
「あなたはクズ人間ですね? ダメ人間ですね?」
  
と言われて、抵抗がある、否定したくなると言うことは、
   
【許していない、怖れを抱いている】と言うことです。
  
  
そして、「許していない事、怖れを抱いている事」は、
  
放置していれば、必ず現実化します。
    
  
だから、
 
・自分がクズ人間だと認めたく無い!
・自分がダメ人間だと認めたく無い!
  
と思っている人ほど、
  
そう認めざるを得ない様な現実を必ず引き寄せます。
  
  
その「試練」を乗り越えられるかどうかが、
 
・天国行きのチケットを手に入れるか?
・地獄行きのチケットを手に入れるか?
 
その分かれ目になるのです。
  
  
まぁ、キツイ試練だと思いますよ。
  
  
でも、ポジティブな地球にシフトするって言うのは、
それほど楽勝な感じでも無いのです。
  
  
厳しさを受け入れ、試練を乗り越えていく覚悟のある人間しか、
行けないのです。
  
  
私は、自分の限界まで、全力で他人をサポートしています。
  
  
それでも覚悟を決められない人は、私もアッサリ諦めます。
   
そこまでの素質が無かったと言うことでしょうから。
  
  
どんなに先延ばしにしようと思っても、
どのみち、分岐点は必ずやってきます。
  
  
今この瞬間に、【 今後の人生の全て 】が決まるのです。
  
  
できれば、
みんなをポジティブな方向に連れて行きたいとは思いますが、
  
私の出来る事にも限界があり、【本人のやる気次第】って所もあります。
  
   
私に出来るのは、「警鐘を鳴らすことだけ」です。
  
  
・私を信じて食らいついてくるか?
   
それとも、
 
・そんなスピリチュアルな情報など「現実味が無い」と言って、
 取り返しが付かなくなる時点まで放置し続けるのか?
  
  
あとは、個人の選択です。 


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haxe501 at 14:04|Permalinkclip!

2015年06月24日

人それぞれの人生観

人それぞれ、人生観は違います。
  
私みたいに、
  
・自分の限界を知りたいから、限界を追求する
・何か意義のある事を成し遂げたいから、使命に生きる
   
と言う様な人生を生きたい人もいれば、
  
  
・人生は死ぬまでの暇つぶし
・人生は楽しむもの
  
という人生観の人もいるでしょう。
  
  
別に、正解はありません。
  
誰がどう生きようが、単なる個人の「好き嫌い」です。
  
  
映画だって、
 
コメディもあれば、ホラーもあれば、
ファンタジー、SF、アクション、
ヒューマンドラマ…、
  
いろんなジャンルがあります。
  
  
「どの映画を観るか?」 数々の選択肢があるのと同じように、
   
「どんな人生を生きるか?」も同じなのです。 個人の自由です。
  
  
ただ、私は【最高の幸せ】を手に入れたい。
  
その為なら、「最大の試練」でも乗り越えて見せます。  
  
その為なら、「他人の幸せ」にいくらでも貢献します。
  
  
これも、私個人の単なる好き嫌いです。
  
  
「試練」から逃げる人は、その分だけ「幸せ」も手に入りません。
  
  
どれだけの「幸せ」を手に入れる為に、
  
どれだけの「試練」を乗り越えるのか?
どれだけの「徳」を積んでいくのか?
  
  
それは、個人の【自由意志】に委ねられています。
  
  
自分の人生観を他人に押しつける人ってよくいますけどね。
  
  
自分の好みで選べば良いのです。
  
  
私自身、「最高の幸せ」を手に入れたいと思っていますし、
  
【「最高の幸せ」を手に入れたい!】と言う人を助けます。
  
  
人生で「最高」を求める人は、寄ってきて下さい。
  
  
そうで無い人は、他所に行くと良いでしょう。


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haxe501 at 14:04|Permalinkclip!

ネガティブな体験が向上心に繋がる

なぜ自分にここまでの向上心があるのか?
  
って言うと、
  
「ネガティブ体験の賜物」としか言いようがありません。
  
  
精神的に苦しんだ経験があるから、
心理に興味をもった訳だし、
  
これまで、自分より視野が狭く、頭の悪い人間たちに、
見下されてきたからこそ、
  
「自分が正しいって事を証明してやる!」って気になって、
  
【 誰もが認めざるを得ない様な、バカでかい結果を出してやる! 】
  
という、目標を持つに至りました。
  
  
【誰もが認める頂点に、絶対に立つ!】
  
それぐらいしないと気が晴れないくらいの、
とても強い「屈辱」を感じてきました。
  
  
それぐらい、
 
自分は良い事を行っているのに、正しい事を言っているのに、
  
自分より「視野が狭く、頭が悪く、勇気の無い人間たち」から、
誤解されて、石を投げられるという経験は、腹が立つモノです。
  
  
例えるならば、「みにくいアヒルの子」の超絶版ですね(笑)
  
  
「テメエらアヒルのクセしやがって!」
  
「時間が経てば見てろよ!」
  
  
ってな感じです(笑)
  
  
別に、相手に復讐したいと言うわけではありません。
  
ただ、目に見える結果を出すことによって、
自分自身が正しかったのだと、自分に納得させたいのです。
  
  
ネガティブな動機も混じっているかも知れませんが、
  
気を晴らす為の手段は
他人や社会への貢献であり、非常にポジティブなので、
  
別に問題はありません(笑)
  
  
そう思えば、
  
・ネガティブな経験にも価値があったな、
・ネガティブな経験も有り難かったな、
  
という風に思う事が出来ます。
  
  
ネガティブな経験も、
ひっくり返せばポジティブになります。
  
 
ひっくり返すには、ポジティブになる意志を持つこと。
   
   
それが出来なければ、延々とネガティブな現実が続きます。
  
  
私は膨大な「闇」を背負い、それを「光」にひっくり返してきました。
  
まだまだ、まだまだ、ひっくり返し足りません。
  
  
まだまだこれからです。
  
  
頂点に立つまで、私の気は晴れません。
  
  
だからこそ、
 
私は現状に全く満足したりなどしませんし、
  
私のモチベーションは落ちたりしないのです。


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haxe501 at 14:03|Permalinkclip!