2014年07月
2014年07月15日
価値観が一つ違うと…
私が、今まで成長してきた中で、
様々な著者の本から学んできましたが、
特に、大きな影響を受けた人物を挙げるとすれば、
・斎藤一人さん
・本田健さん
・Dr.ディマティーニ
の三名が、パッと思い浮かびます。
現在は、私自身が大きく成長した事に加え、
高次元の存在から直接情報を受け取っているので、
彼らの本を買って読むことはありませんが、
斎藤一人さんの話は、今聞いても面白いですし、
一人さん独特の表現というか、
「一人さん節」が非常にユニークで、笑えます。
一人さんと私は、
・自由を大切にしている
・教えることが好き
・貢献意識が強い
・弟子を育てている
・「心、健康、経済、精神世界」の知識を伝えている
と言う風に、多くの共通点がありますけど、
一人さんは、自分でもおっしゃっていますが、
「商人(あきんど)が本業」だと思います。
要するに、
「お金を儲けること」に一番高い優先順位を置いている訳です。
でも、私は、「お金を儲けること」よりも、
【世の中を良くしたい】という方が、優先順位が上です。
もし、私の価値観で、
「お金を儲けること」の方が優先順位が高ければ、
今とは、まったく違う人生、違う道のりを歩んでいたと思います。
私が、自分のサービスのクオリティに妥協せず、
こだわり続けるのは、
お金を儲けたいからではなく、世の中を良くしたいからです。
ゴミの様な商品を売りさばいて、ばらまいて、
たくさんのお金を儲けても、世の中は良くなりませんからね。
世の中を良くするには、
【デメリットがなく、全体の利益となる「素晴らしい発明」】
が必要不可欠なのです。
それに、私がもしお金を優先しているのであれば、
【自分が発信する情報の質】を、
「一般受けするレベル」にまで引き下げていると思います。
一人さんは、お金を儲けることの方が優先だと思いますので、
一般の人々から嫌われるような発言はしないと思います。
別に、それは「良い悪い」で判断できることではありませんし、
人それぞれ「役割」が違うので、
ある部分では、世の中にとって必要な事だと思います。
お金を儲けているからこそ、
一般の人々に対して強い影響力を持つことができますし、
その分だけ、多くの人に貢献する事ができるのですから。
私は、お金を得るよりも、長期的に見て、
最も効率良く世の中に良い影響を与えて行きたいからこそ、
・世間一般受けを狙わず、迎合せず、
・自分の提供するサービスに妥協せず、
自分の持てる【最高の思想と知識】を、無償で公開し続けているのです。
無償と言っても、お金は受け取っていませんが、
ブログ記事を書くことによって、
自分に様々な良い影響がありますので、
別段、不満はありません。
私にとっては、お金、地位、名声などよりも、
【世の中に対して、最も効率よく貢献する】
という事の方が、重要なのです。
何故かというと、
そっちの方が「全体の為になる」とわかっておきながら、
その「最善の選択、最良の結果」を捨てて、
目先の短絡的な欲求を満たそうとする事は、
【自分の信念に反するから】です。
私は矛盾が嫌いなので、自分の信念に反する生き方が出来ません。
もし、「自分の信念に反する選択」をしてしまったら、
私は自信を喪失してしまい、情熱も失ってしまうと思います。
自分自身に価値を感じることが出来なくなってしまいます。
そんな人生を送ることが、自分にとっては一番耐えがたいのです。
逆に、周りの人々からどれだけ理解されなくても、
【自分は誰にも真似の出来ないくらい、良いことをやっているんだ!】
と思えていれば、
それはそれで、ハッピーな事なのです。
ですから、自分の「価値観の優先順位的」に、
私は「ビジネスマン」というよりも、
【心理・精神に関する研究者、教育者】が、
自分の本分というか本業になると思います。
私はその道のプロですから、
【心理状態、精神状態を良くする方法】について語らせたら、
私の右に出る人はなかなかいないと思います。
というか、私は自分の事を世界一だと思っていますからね(笑)
私が今まで大量に得てきた情報の中で、
「自分の研究成果より優れた結論」を導き出している人を
見たことがないからです。
( ※ 高次元の存在を除いてですが )
もし、自分を超える人が現れたら、
潔く負けを認めようと思っていますが、
今のところ、まだそういう気配はありません(笑)
一人さんも変な人ですが、私も変な人です(笑)
様々な著者の本から学んできましたが、
特に、大きな影響を受けた人物を挙げるとすれば、
・斎藤一人さん
・本田健さん
・Dr.ディマティーニ
の三名が、パッと思い浮かびます。
現在は、私自身が大きく成長した事に加え、
高次元の存在から直接情報を受け取っているので、
彼らの本を買って読むことはありませんが、
斎藤一人さんの話は、今聞いても面白いですし、
一人さん独特の表現というか、
「一人さん節」が非常にユニークで、笑えます。
一人さんと私は、
・自由を大切にしている
・教えることが好き
・貢献意識が強い
・弟子を育てている
・「心、健康、経済、精神世界」の知識を伝えている
と言う風に、多くの共通点がありますけど、
一人さんは、自分でもおっしゃっていますが、
「商人(あきんど)が本業」だと思います。
要するに、
「お金を儲けること」に一番高い優先順位を置いている訳です。
でも、私は、「お金を儲けること」よりも、
【世の中を良くしたい】という方が、優先順位が上です。
もし、私の価値観で、
「お金を儲けること」の方が優先順位が高ければ、
今とは、まったく違う人生、違う道のりを歩んでいたと思います。
私が、自分のサービスのクオリティに妥協せず、
こだわり続けるのは、
お金を儲けたいからではなく、世の中を良くしたいからです。
ゴミの様な商品を売りさばいて、ばらまいて、
たくさんのお金を儲けても、世の中は良くなりませんからね。
世の中を良くするには、
【デメリットがなく、全体の利益となる「素晴らしい発明」】
が必要不可欠なのです。
それに、私がもしお金を優先しているのであれば、
【自分が発信する情報の質】を、
「一般受けするレベル」にまで引き下げていると思います。
一人さんは、お金を儲けることの方が優先だと思いますので、
一般の人々から嫌われるような発言はしないと思います。
別に、それは「良い悪い」で判断できることではありませんし、
人それぞれ「役割」が違うので、
ある部分では、世の中にとって必要な事だと思います。
お金を儲けているからこそ、
一般の人々に対して強い影響力を持つことができますし、
その分だけ、多くの人に貢献する事ができるのですから。
私は、お金を得るよりも、長期的に見て、
最も効率良く世の中に良い影響を与えて行きたいからこそ、
・世間一般受けを狙わず、迎合せず、
・自分の提供するサービスに妥協せず、
自分の持てる【最高の思想と知識】を、無償で公開し続けているのです。
無償と言っても、お金は受け取っていませんが、
ブログ記事を書くことによって、
自分に様々な良い影響がありますので、
別段、不満はありません。
私にとっては、お金、地位、名声などよりも、
【世の中に対して、最も効率よく貢献する】
という事の方が、重要なのです。
何故かというと、
そっちの方が「全体の為になる」とわかっておきながら、
その「最善の選択、最良の結果」を捨てて、
目先の短絡的な欲求を満たそうとする事は、
【自分の信念に反するから】です。
私は矛盾が嫌いなので、自分の信念に反する生き方が出来ません。
もし、「自分の信念に反する選択」をしてしまったら、
私は自信を喪失してしまい、情熱も失ってしまうと思います。
自分自身に価値を感じることが出来なくなってしまいます。
そんな人生を送ることが、自分にとっては一番耐えがたいのです。
逆に、周りの人々からどれだけ理解されなくても、
【自分は誰にも真似の出来ないくらい、良いことをやっているんだ!】
と思えていれば、
それはそれで、ハッピーな事なのです。
ですから、自分の「価値観の優先順位的」に、
私は「ビジネスマン」というよりも、
【心理・精神に関する研究者、教育者】が、
自分の本分というか本業になると思います。
私はその道のプロですから、
【心理状態、精神状態を良くする方法】について語らせたら、
私の右に出る人はなかなかいないと思います。
というか、私は自分の事を世界一だと思っていますからね(笑)
私が今まで大量に得てきた情報の中で、
「自分の研究成果より優れた結論」を導き出している人を
見たことがないからです。
( ※ 高次元の存在を除いてですが )
もし、自分を超える人が現れたら、
潔く負けを認めようと思っていますが、
今のところ、まだそういう気配はありません(笑)
一人さんも変な人ですが、私も変な人です(笑)
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2014年07月14日
チャネリングの難易度
先日、国本さんにバシャールをチャネリングできるかどうか
試してもらおうと思って、
エササニのシンボルを用いて、チャネリングしてもらったら、
バシャールではない、別のエササニの人が出てきて、
いろいろと情報を教えてくれました。
バシャールと同じく、
早口で、声が大きくて、非常にエネルギッシュな波動を感じました。
流石はエササニ人。
その会話の中で、
【このチャネラー(国本さん)は、まだまだ特訓が必要。】
と、ダメ出しを頂きました(笑)
「質の高いチャネリング」を行うには、
高い精神性はもちろん、健全な肉体(健康)、
多岐にわたる知識の勉強など、
さまざまな要素が要求されます。
よく、【チャネリングは誰にでも出来ます!】
という謳い文句で、生徒を募っている、
スピリチュアルのスクールや講座、コースなどがありますが、
チャネリングは、そんなに甘いモノではないですね。
まぁ、だいたい巷の教育ビジネスなんて、
どこも同じですが、
「お金(人数)」が欲しいから、誰にでも出来るように見せるんですが、
「生徒を一人前に育てよう」なんて思ってませんから。
生徒からは、金さえもらえれば用無しですから、
教育の中身(クオリティ)なんてのは、二の次な訳です。
そりゃ、【質】を問わなければ
誰でもチャレンジ出来るでしょうが、
不味い料理でも、料理は料理ですからね。
「誰にでも料理はできます!」って、言えない事は無い訳です。
そうやって出来あがるのは、「くそ不味いメシ」かもしれませんが(笑)
しかし、【質】を求めるのであれば、
精神面、肉体面、知識面において、
チャネラーには、非常に高度な基盤(ベース)が求められます。
全ては類友ですから、
チャネリングの場合、
チャネラーがネガティブだと、
繋がる存在もネガティブになるので、
自分の精神が未熟なウチに手を出すと、
泥沼に足を突っ込むような事態となってしまいます。
ですから、【精神性の低い霊能力者】ほど、危険な訳ですね。
人をポジティブに導こうと思ったら、
「霊能力の強さ」よりも、「精神性の高さ」の方が大切なのです。
私は、国本さんには、セラピストという肩書きよりも、
チャネラーとして、世界トップレベルになって欲しいと思っています。
その為には、
まだまだ精神的にも肉体的にも鍛える必要がありますし、
知識の面でも学ぶ事はたくさんありますし、
経験を積むことによって、技術を磨き、
高い能力を習得していかなければなりません。
私の仕事のポリシーは、【量より質】
【品質(クオリティ)では絶対に妥協しない】と言う事です。
チャネラーという肩書きや業界自体、
日本ではまだまだ全体として成熟しておらず、
・何が良くて、何が悪いのか?
・どの情報が正しくて、どの情報が間違っているのか?
情報も基準も整理されていないような段階だと思いますが、
これから【強く求められる役割・ポジション】である事は間違いないので、
先手を打って、高次元の存在からも合格点をもらえるように、
国本さんの能力を鍛えていきたいと思います。
試してもらおうと思って、
エササニのシンボルを用いて、チャネリングしてもらったら、
バシャールではない、別のエササニの人が出てきて、
いろいろと情報を教えてくれました。
バシャールと同じく、
早口で、声が大きくて、非常にエネルギッシュな波動を感じました。
流石はエササニ人。
その会話の中で、
【このチャネラー(国本さん)は、まだまだ特訓が必要。】
と、ダメ出しを頂きました(笑)
「質の高いチャネリング」を行うには、
高い精神性はもちろん、健全な肉体(健康)、
多岐にわたる知識の勉強など、
さまざまな要素が要求されます。
よく、【チャネリングは誰にでも出来ます!】
という謳い文句で、生徒を募っている、
スピリチュアルのスクールや講座、コースなどがありますが、
チャネリングは、そんなに甘いモノではないですね。
まぁ、だいたい巷の教育ビジネスなんて、
どこも同じですが、
「お金(人数)」が欲しいから、誰にでも出来るように見せるんですが、
「生徒を一人前に育てよう」なんて思ってませんから。
生徒からは、金さえもらえれば用無しですから、
教育の中身(クオリティ)なんてのは、二の次な訳です。
そりゃ、【質】を問わなければ
誰でもチャレンジ出来るでしょうが、
不味い料理でも、料理は料理ですからね。
「誰にでも料理はできます!」って、言えない事は無い訳です。
そうやって出来あがるのは、「くそ不味いメシ」かもしれませんが(笑)
しかし、【質】を求めるのであれば、
精神面、肉体面、知識面において、
チャネラーには、非常に高度な基盤(ベース)が求められます。
全ては類友ですから、
チャネリングの場合、
チャネラーがネガティブだと、
繋がる存在もネガティブになるので、
自分の精神が未熟なウチに手を出すと、
泥沼に足を突っ込むような事態となってしまいます。
ですから、【精神性の低い霊能力者】ほど、危険な訳ですね。
人をポジティブに導こうと思ったら、
「霊能力の強さ」よりも、「精神性の高さ」の方が大切なのです。
私は、国本さんには、セラピストという肩書きよりも、
チャネラーとして、世界トップレベルになって欲しいと思っています。
その為には、
まだまだ精神的にも肉体的にも鍛える必要がありますし、
知識の面でも学ぶ事はたくさんありますし、
経験を積むことによって、技術を磨き、
高い能力を習得していかなければなりません。
私の仕事のポリシーは、【量より質】
【品質(クオリティ)では絶対に妥協しない】と言う事です。
チャネラーという肩書きや業界自体、
日本ではまだまだ全体として成熟しておらず、
・何が良くて、何が悪いのか?
・どの情報が正しくて、どの情報が間違っているのか?
情報も基準も整理されていないような段階だと思いますが、
これから【強く求められる役割・ポジション】である事は間違いないので、
先手を打って、高次元の存在からも合格点をもらえるように、
国本さんの能力を鍛えていきたいと思います。
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2014年07月13日
全体の調和・完璧なタイミング
私が信じている法則の中に、
「全体の調和」と「完璧なタイミング」
というモノがあります。
波動さえ高めていれば、
調和する部分が多くなり、
あらゆる物事のタイミングも、バッチリ合うようになります。
これは、表層意識では理解できなくても、そうなっているのです。
【全体の調和】というのは、
「誰かが誰かの為に犠牲になったりする事無く、
全てが収まる所にちょうど良く収まる」
という事です。
「全体の調和」の中では、
何かを奪い合ったり、取り合ったりする事もありません。
大きい家に住みたい人は、大きい家に住み、
小さい家に住みたい人は、小さい家に住みます。
誰かが「人前でパフォーマンスしたい」と望んだ時には、
「完璧なステージ」と「それを観たい完璧な観客」が用意されます。
「顧客を取り合う」とか、そういう概念もありません。
みんなの「願い」や「望み」がぶつかり合うという事が無く、
全ての人の「願い、望み」が上手く噛み合って、
完璧なバランスを取ると言う事です。
ポジティブな世界というのは、
そういう全体が調和した世界で、
アセンション(次元上昇)した地球は、
この様な世界になっていくと言うことです。
ネガティブな人は、
「奪い合い、取り合い」の概念を持っているので、
他人の望みが叶ったら、「自分の分が減った」と感じます。
でも、真実は、
他人の望みが叶っても、自分の分が減ることは無いのです。
他人の望みがいくら叶ったところで、
自分の分が奪われる事も、取られる事も無いのです。
逆に言うと、自分の望みが叶わないとすれば、
それは他人に関係無く、【全て自分の責任】と言うことです。
波動さえ高めれば、全ての自分の望み、願いが叶い、
その時、他人を犠牲にすることが一切ありません。
例えば、コンテストでは、一位を取るのは一人ですが、
自分が一位を取って、自分の願いが叶って、
他人が傷ついている様に見えても、
それは傷ついている本人の自己責任です。
二位以下の人たちは、そうなるべくしてそうなっていますから、
一位になった自分のせいではありません。
二位以下になることによって、
その人は、「自分に必要な経験」を引き寄せている訳です。
私も、「悔しい経験」をたくさんしてきましたが、
その悔しさのおかげで、今の自分があるので、
悔しい経験も、自分の「本当の望み」を叶える上では、
必要な経験だった訳です。
傷つくのは、
自分の「ネガティブな部分から来る欲求(例えば、見栄を張りたいなど)」
が裏切られたからで、
「自分本来の望みを叶える上」では何も傷つけられていないのです。
願いが叶わなかった…と、その時は落ち込むかもしれませんが、
そのネガティブな経験が、
実は、「本当の自分の願い」を叶える助けになっているのです。
それが、「全体の調和」です。
もうひとつ、【完璧なタイミング】と言う事ですが、
これも「全体の調和」のウチのひとつですが、
波動が高まってくると、全てが完璧なタイミングで起こります。
シンクロニシティが起こり、
完璧なタイミングで、完璧な出会い、完璧な引き寄せが起こります。
起こることが全て完璧なタイミングなのです。
もし、完璧なタイミングを信じられないのだとすれば、
それは、「時間に対するネガティブ観念」が存在しているか、
もしくは、「自分の視野が狭い」からです。
そして、近視的になって、焦りが出てきます。
私も、最短最速を目指しているので、
いつも、できる限り早く物事を進めたいという気持ちはありますが、
占星術の観点から見た時や、
高次元の存在からの助言をもらった時に、
今は、何もしない方が良い時期だといわれているので、
それを信じています。
この、「全体の調和・完璧なタイミング」というのは、
ある意味、表層意識(顕在意識)では、理解できない事もあります。
例えば、重要なアポの時に、電車が遅れてしまい、
「アポの時間に間に合わない、どうしよう!?」
と、焦る気持ちが沸いてくると思います。
でも、完璧なタイミングを信じた方が、上手くいくのです。
これは、経験則ですから、証明しろと言われても出来ないのですが、
私は、自分が遅れるにしろ、他人が遅れるにしろ、
その遅れた理由を表層意識で理解できなくても、
「完璧なタイミングだったんだ」と思うようにしています。
例えば、
「時間が遅れたおかげで、大きな事故に巻き込まれずに済んだ」
という経験をしている人もいますが、
高次元の視点から見れば、そういう事はよくあるらしいです。
なので、私は、
【 全体の調和・完璧なタイミング 】
というのを信じて、ひたすらに波動を高める事に集中しています。
波動を高めておくと、
・自分にとって悪い事は起こらない
・自分にとって良い事ばかり起こる
という事を信じているからです。
まぁ、不快感を伴う、試練やデトックスも、時には起こりますけど、
それも長い目で観れば良いことです。
時に、表層意識で理解できないことも起こりますが、
それでも、私は【表層意識の理解】より、
【法則に対する信仰心】を優先しています。
【この世界には、自分には理解できない事もある】という、
【無力さ】を受け入れているからです。
「表面的に起こる物事の理由」はいちいち理解できなくても、
【法則は絶対である】と言う事は、論理的に理解できます。
波動を高めれば高めるほど、
「調和の度合い、タイミングの良さ」は高まっていきます。
それは、波動を高めながら、
周りをよく観察していると、感じ取ることができると思います。
ネガティブ観念を外し、波動を高めれば高めるほど、
自分の「望み」と「現実」が【上手く噛み合う事】が多くなります。
この法則を信じていることが、
私が「ストイックに自分を高めていこう」と思える理由のひとつです。
「全体の調和」と「完璧なタイミング」
というモノがあります。
波動さえ高めていれば、
調和する部分が多くなり、
あらゆる物事のタイミングも、バッチリ合うようになります。
これは、表層意識では理解できなくても、そうなっているのです。
【全体の調和】というのは、
「誰かが誰かの為に犠牲になったりする事無く、
全てが収まる所にちょうど良く収まる」
という事です。
「全体の調和」の中では、
何かを奪い合ったり、取り合ったりする事もありません。
大きい家に住みたい人は、大きい家に住み、
小さい家に住みたい人は、小さい家に住みます。
誰かが「人前でパフォーマンスしたい」と望んだ時には、
「完璧なステージ」と「それを観たい完璧な観客」が用意されます。
「顧客を取り合う」とか、そういう概念もありません。
みんなの「願い」や「望み」がぶつかり合うという事が無く、
全ての人の「願い、望み」が上手く噛み合って、
完璧なバランスを取ると言う事です。
ポジティブな世界というのは、
そういう全体が調和した世界で、
アセンション(次元上昇)した地球は、
この様な世界になっていくと言うことです。
ネガティブな人は、
「奪い合い、取り合い」の概念を持っているので、
他人の望みが叶ったら、「自分の分が減った」と感じます。
でも、真実は、
他人の望みが叶っても、自分の分が減ることは無いのです。
他人の望みがいくら叶ったところで、
自分の分が奪われる事も、取られる事も無いのです。
逆に言うと、自分の望みが叶わないとすれば、
それは他人に関係無く、【全て自分の責任】と言うことです。
波動さえ高めれば、全ての自分の望み、願いが叶い、
その時、他人を犠牲にすることが一切ありません。
例えば、コンテストでは、一位を取るのは一人ですが、
自分が一位を取って、自分の願いが叶って、
他人が傷ついている様に見えても、
それは傷ついている本人の自己責任です。
二位以下の人たちは、そうなるべくしてそうなっていますから、
一位になった自分のせいではありません。
二位以下になることによって、
その人は、「自分に必要な経験」を引き寄せている訳です。
私も、「悔しい経験」をたくさんしてきましたが、
その悔しさのおかげで、今の自分があるので、
悔しい経験も、自分の「本当の望み」を叶える上では、
必要な経験だった訳です。
傷つくのは、
自分の「ネガティブな部分から来る欲求(例えば、見栄を張りたいなど)」
が裏切られたからで、
「自分本来の望みを叶える上」では何も傷つけられていないのです。
願いが叶わなかった…と、その時は落ち込むかもしれませんが、
そのネガティブな経験が、
実は、「本当の自分の願い」を叶える助けになっているのです。
それが、「全体の調和」です。
もうひとつ、【完璧なタイミング】と言う事ですが、
これも「全体の調和」のウチのひとつですが、
波動が高まってくると、全てが完璧なタイミングで起こります。
シンクロニシティが起こり、
完璧なタイミングで、完璧な出会い、完璧な引き寄せが起こります。
起こることが全て完璧なタイミングなのです。
もし、完璧なタイミングを信じられないのだとすれば、
それは、「時間に対するネガティブ観念」が存在しているか、
もしくは、「自分の視野が狭い」からです。
そして、近視的になって、焦りが出てきます。
私も、最短最速を目指しているので、
いつも、できる限り早く物事を進めたいという気持ちはありますが、
占星術の観点から見た時や、
高次元の存在からの助言をもらった時に、
今は、何もしない方が良い時期だといわれているので、
それを信じています。
この、「全体の調和・完璧なタイミング」というのは、
ある意味、表層意識(顕在意識)では、理解できない事もあります。
例えば、重要なアポの時に、電車が遅れてしまい、
「アポの時間に間に合わない、どうしよう!?」
と、焦る気持ちが沸いてくると思います。
でも、完璧なタイミングを信じた方が、上手くいくのです。
これは、経験則ですから、証明しろと言われても出来ないのですが、
私は、自分が遅れるにしろ、他人が遅れるにしろ、
その遅れた理由を表層意識で理解できなくても、
「完璧なタイミングだったんだ」と思うようにしています。
例えば、
「時間が遅れたおかげで、大きな事故に巻き込まれずに済んだ」
という経験をしている人もいますが、
高次元の視点から見れば、そういう事はよくあるらしいです。
なので、私は、
【 全体の調和・完璧なタイミング 】
というのを信じて、ひたすらに波動を高める事に集中しています。
波動を高めておくと、
・自分にとって悪い事は起こらない
・自分にとって良い事ばかり起こる
という事を信じているからです。
まぁ、不快感を伴う、試練やデトックスも、時には起こりますけど、
それも長い目で観れば良いことです。
時に、表層意識で理解できないことも起こりますが、
それでも、私は【表層意識の理解】より、
【法則に対する信仰心】を優先しています。
【この世界には、自分には理解できない事もある】という、
【無力さ】を受け入れているからです。
「表面的に起こる物事の理由」はいちいち理解できなくても、
【法則は絶対である】と言う事は、論理的に理解できます。
波動を高めれば高めるほど、
「調和の度合い、タイミングの良さ」は高まっていきます。
それは、波動を高めながら、
周りをよく観察していると、感じ取ることができると思います。
ネガティブ観念を外し、波動を高めれば高めるほど、
自分の「望み」と「現実」が【上手く噛み合う事】が多くなります。
この法則を信じていることが、
私が「ストイックに自分を高めていこう」と思える理由のひとつです。
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2014年07月12日
ルール・システムの質は精神性によって決まる
今回は、「ルール・システム」と「精神性」の関係について、
書きたいと思います。
現在、「学校教育」や「就職活動」のシステムが、
【 今の時代に合わなくなってきている 】
と言う事を、みんなわかっていると思います。
でも、昔においては、【上手く機能した時代】もあったわけです。
ですから、「現代の学校教育や、就職活動」が悪いと言うよりも、
「ネガティブな時代にとっては、それなりに適したルールだった」
と言う事です。
人間の精神性がポジティブになってくると、
「やりたくない事を無理矢理やる」と言う事が、
どんどん出来なくなってきます。
逆に、「やりたくない事でも耐えられる」と言う人の方が、
実はネガティブなのです。
ですから、「学校に行けない、会社に行けない」という、
「不登校、ニート、引きこもり」などが増えるのは当然です。
彼らは、ある部分でポジティブな資質を持っているからこそ、
「やりたくない事が出来ない」のです。
生まれてくる子供の精神性が
ポジティブになってきているので、
ネガティブな時代に合っていたルール・システムが、
どんどん合わなくなってきているのです。
例えば、昔は犯罪を犯すと、
「体に縄を付けられて、馬で引きずりまわされる」
と言うような刑があったらしいですが、
今の時代、そんなの無い訳ですよね(笑)
江戸時代の方が、ネガティブな人が多かったので、
刑罰を重くしないと、犯罪が増えてしまうからです。
ネガティブな人々が住む社会では、
ネガティブなルール・システムの方が上手く機能するのです。
ポジティブな人々が住む社会では、
ポジティブなルール・システムの方が上手く機能するのです。
今の時代、
若い人の中では特にポジティブな人々が増えているので、
若い人にとっては、
今のネガティブなルール・システムが合わない訳です。
要するに、「人の質」が変わるのであれば、
それに合わせて、「ルール・システム」というのは、
柔軟に変化させていく必要がある訳です。
でも、ネガティブなおじさん、おじいさんたちには、
そんな事がわからないんでしょうね。
ネガティブなルール・システムに適合できない若者に対して、
きっと「若者の質の方が悪くなった」と思っているのですから(笑)
今の時代、人を型にハメる方法は、上手く機能しません。
ですから、私は弟子に対して、
私が「役割」や「ポジション」を与えるのではなく、
「役割」や「ポジション」は自分で見つけて欲しいと思っています。
「立場が人を作る」という言葉がありますが、
今の時代は、
「人が立場を作る」という方が上手くいくと思います。
でも、現段階で、
自分で自分の立場(役割・ポジション)を作れる人は少数でしょう。
そのポジションは、既存の社会には存在しないわけですから、
それをゼロから創造するには、【起業家精神】が必要です。
「不登校、ニート、引きこもり」の様な人たちの中でも、
起業家精神を持って、そこから抜け出して、
自分の生き方を確立できる人は少数だと思います。
自らの強い意志によって環境を変えていける人と、
強い意志を持てず、環境に流されてしまう人を比べれば、
強い意志を持てる人の方が、少数だからです。
多くの人は、「ルールが悪い、システムが悪い」と、
ルールやシステムが原因だと思っているでしょうが、
「ルールやシステムの質」は、
「そこに属する人々の質(精神性)」によって決まるわけです。
世の中を良くするには、
・ルール・システムを作る「政治的リーダー」がポジティブになること
・人を作る「教育システム」がポジティブになること
が、一番早いわけですが、
皮肉なモノで、実際には、
「政治家」や「教育システム」が変わるのは、一番最後です。
民衆が変わり → 政治家が変わり → 教育システムが変わります。
ですから、国がポジティブに変わるのを期待せず、
民間でさっさと新しいシステムを創ってしまう方が早いわけです。
例えば、既存の就職活動のシステムに乗っかるのではなく、
新しい採用のスタイルを自社で創れば良いわけですね。
と言っても、全ては類友で、
優秀な人材は、優秀なリーダーの元に集いますから、
自分の組織が目指している方向性(理念・使命)が魅力的でなければ、
どれだけ表面的なシステムをいじったところで、
良い人は寄ってきませんけど。
私は、最終的には政治に興味がありますけど、
現段階で政治に手を出さないのは、効果的では無いからです。
民間から活動していく方が、効果的だからです。
そして、世の中を良くしていくために、
今、最も効果的な手段は、
【民衆に強い影響力を持つリーダーたち】の【精神性向上】であり、
その為の【心理・宇宙の法則に関する知識・教育】です。
政治家が変わるのは期待できませんが、
日本中の【経営者】の精神性が高まれば、それが一番効果的です。
実際に、社会を動かしているのは、政治ではなく、【経済】だからです。
社長にもいろいろいますけどね。
金は持ってるけど、家族関係が最悪で、子供がグレて犯罪者とかね。
でも、そういうのは他人に隠していて、
表面的には素晴らしい人生を送っている様に見える人。
私は、「経済的な豊かさ」だけでなく、
「精神的な幸せ」を重視する人をサポートしたい。
でも、戦後の「物質的に困窮した時期」を経験したからこそ、
その反動で、日本はここまで豊かになったと思いますし、
今、「精神的に辛い時期」を経験しなければ、
人々は、幸せの価値に気づけず、幸せを追い求めないと思います。
これからますます、精神、健康、経済…、
それぞれ面で、厳しい時期に入っていく人も多くなると思います。
その時こそ、今まで修行を積んで、自身の能力を磨いてきた、
ライトワーカーたちの出番ですね。
書きたいと思います。
現在、「学校教育」や「就職活動」のシステムが、
【 今の時代に合わなくなってきている 】
と言う事を、みんなわかっていると思います。
でも、昔においては、【上手く機能した時代】もあったわけです。
ですから、「現代の学校教育や、就職活動」が悪いと言うよりも、
「ネガティブな時代にとっては、それなりに適したルールだった」
と言う事です。
人間の精神性がポジティブになってくると、
「やりたくない事を無理矢理やる」と言う事が、
どんどん出来なくなってきます。
逆に、「やりたくない事でも耐えられる」と言う人の方が、
実はネガティブなのです。
ですから、「学校に行けない、会社に行けない」という、
「不登校、ニート、引きこもり」などが増えるのは当然です。
彼らは、ある部分でポジティブな資質を持っているからこそ、
「やりたくない事が出来ない」のです。
生まれてくる子供の精神性が
ポジティブになってきているので、
ネガティブな時代に合っていたルール・システムが、
どんどん合わなくなってきているのです。
例えば、昔は犯罪を犯すと、
「体に縄を付けられて、馬で引きずりまわされる」
と言うような刑があったらしいですが、
今の時代、そんなの無い訳ですよね(笑)
江戸時代の方が、ネガティブな人が多かったので、
刑罰を重くしないと、犯罪が増えてしまうからです。
ネガティブな人々が住む社会では、
ネガティブなルール・システムの方が上手く機能するのです。
ポジティブな人々が住む社会では、
ポジティブなルール・システムの方が上手く機能するのです。
今の時代、
若い人の中では特にポジティブな人々が増えているので、
若い人にとっては、
今のネガティブなルール・システムが合わない訳です。
要するに、「人の質」が変わるのであれば、
それに合わせて、「ルール・システム」というのは、
柔軟に変化させていく必要がある訳です。
でも、ネガティブなおじさん、おじいさんたちには、
そんな事がわからないんでしょうね。
ネガティブなルール・システムに適合できない若者に対して、
きっと「若者の質の方が悪くなった」と思っているのですから(笑)
今の時代、人を型にハメる方法は、上手く機能しません。
ですから、私は弟子に対して、
私が「役割」や「ポジション」を与えるのではなく、
「役割」や「ポジション」は自分で見つけて欲しいと思っています。
「立場が人を作る」という言葉がありますが、
今の時代は、
「人が立場を作る」という方が上手くいくと思います。
でも、現段階で、
自分で自分の立場(役割・ポジション)を作れる人は少数でしょう。
そのポジションは、既存の社会には存在しないわけですから、
それをゼロから創造するには、【起業家精神】が必要です。
「不登校、ニート、引きこもり」の様な人たちの中でも、
起業家精神を持って、そこから抜け出して、
自分の生き方を確立できる人は少数だと思います。
自らの強い意志によって環境を変えていける人と、
強い意志を持てず、環境に流されてしまう人を比べれば、
強い意志を持てる人の方が、少数だからです。
多くの人は、「ルールが悪い、システムが悪い」と、
ルールやシステムが原因だと思っているでしょうが、
「ルールやシステムの質」は、
「そこに属する人々の質(精神性)」によって決まるわけです。
世の中を良くするには、
・ルール・システムを作る「政治的リーダー」がポジティブになること
・人を作る「教育システム」がポジティブになること
が、一番早いわけですが、
皮肉なモノで、実際には、
「政治家」や「教育システム」が変わるのは、一番最後です。
民衆が変わり → 政治家が変わり → 教育システムが変わります。
ですから、国がポジティブに変わるのを期待せず、
民間でさっさと新しいシステムを創ってしまう方が早いわけです。
例えば、既存の就職活動のシステムに乗っかるのではなく、
新しい採用のスタイルを自社で創れば良いわけですね。
と言っても、全ては類友で、
優秀な人材は、優秀なリーダーの元に集いますから、
自分の組織が目指している方向性(理念・使命)が魅力的でなければ、
どれだけ表面的なシステムをいじったところで、
良い人は寄ってきませんけど。
私は、最終的には政治に興味がありますけど、
現段階で政治に手を出さないのは、効果的では無いからです。
民間から活動していく方が、効果的だからです。
そして、世の中を良くしていくために、
今、最も効果的な手段は、
【民衆に強い影響力を持つリーダーたち】の【精神性向上】であり、
その為の【心理・宇宙の法則に関する知識・教育】です。
政治家が変わるのは期待できませんが、
日本中の【経営者】の精神性が高まれば、それが一番効果的です。
実際に、社会を動かしているのは、政治ではなく、【経済】だからです。
社長にもいろいろいますけどね。
金は持ってるけど、家族関係が最悪で、子供がグレて犯罪者とかね。
でも、そういうのは他人に隠していて、
表面的には素晴らしい人生を送っている様に見える人。
私は、「経済的な豊かさ」だけでなく、
「精神的な幸せ」を重視する人をサポートしたい。
でも、戦後の「物質的に困窮した時期」を経験したからこそ、
その反動で、日本はここまで豊かになったと思いますし、
今、「精神的に辛い時期」を経験しなければ、
人々は、幸せの価値に気づけず、幸せを追い求めないと思います。
これからますます、精神、健康、経済…、
それぞれ面で、厳しい時期に入っていく人も多くなると思います。
その時こそ、今まで修行を積んで、自身の能力を磨いてきた、
ライトワーカーたちの出番ですね。
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2014年07月11日
可哀想な人を助けても、誰も助からない理由
私は、【矛盾】というのが、どうも気になってしまうのですが、
例えば、
「他人を見下すヤツは、頭の悪いクズ野郎だ!」と、
誰かが言ったとします。
でも、「頭の悪いクズ野郎だ!」という発言が、
既に他人を見下しているので、
自分自身の事を、「頭の悪いクズ野郎だ!」
って宣言したいって事ですか?
って事になりますよね?
私は、こういう「矛盾」や「パラドックス」が気になるんですね。
それで、「ネガティブ観念」というのは、矛盾しているんです。
ですから、
ネガティブな人ほど、自己の内面に矛盾を抱えている事になりますし、
内面に矛盾を抱えて生きている人ほど、ネガティブなのです。
逆に、ポジティブと言うことは、矛盾がなく、
自分の考えていること、言うこと、行動する事が、一致しているのです。
私も、普通の人よりはかなり少ないとは言え、
まだ少しはネガティブ観念を持っていますから、
発見する度に、除去するように努めています。
私は矛盾が非常に嫌いですから、
常に、自分自身の「言行が一致」していないと、気が済まないのです。
もちろん、自分だけでなく、
他人の「言行不一致(矛盾)」も気になりますが、
まぁ他人にやったことは自分に返ってきますし、
私は売られたケンカは買いますけど、
ケンカ自体は嫌いですし、できる限りやりたくないので、
自分から「それって矛盾してますよね?」と、仕掛けるのは好みません。
それで、もうちょっと複雑な例になりますけど、
よく、「可哀想な人(弱者)を助けたい!」
って思っている人がいるんですけど、
それって実は、本当の意味で人を助ける事にはならないんですよね。
私自身も、「人を助けたい」という気持ちを、
誰よりも強く持っていると思います。
でも、私が助けたいのは、【助かりたい人】です。
「弱者、強者」関係無く、助かりたい人。
何故かというと、【助かりたい人しか助けられないから】です。
私は今まで、誰にでも良くなって欲しいと思い、
たくさんの人にお節介を焼きましたが、
相手が望まぬ「お節介」を焼いて、人を助けられた試しがありません。
「可哀想な人を助けたい」と思っていると、
【相手が望まぬお節介を焼くこと】になります。
過剰なお節介は、相手にイヤがられるか、
相手を甘やかして、過保護にして、自立心や強さを奪うか、
どちらかです。
本当の意味で、相手の役に立たないばかりか、
自分にとっても、エネルギーの無駄遣いです。
「助かりたくない人」を助けようとしていると、
自分自身も含め、誰も救われないのです。
根本的な部分で、本当に人を助けると言うことは、
【自立させてあげる事、強くさせてあげる事】です。
ただ魚を渡し続けるのではなく、
「魚の釣り方」をマスターさせてあげる事です。
これが、本当の意味で、相手に、全体に貢献する事です。
そして、前にも言いましたが、
弱者を一人一人、ポジティブに変えていくよりも、
「たくさんの弱者」に影響力を持つ、
「少数の強者」をポジティブに変える方が、
より効率が良く、全体の為になります。
末端の人たちを、一人一人相手にしていく事に、
情熱を感じる人もいるでしょうが、
私は、【リーダーの教育】に情熱を感じています。
店舗で直接お客さんを相手にする店員の役割もあれば、
社長として全体をプロデュースする役割もあります。
人それぞれ、ポジション、役割は違うのです。
私の記事は、真実を含んでいるとしても、
まだまだ一般人受けしないと思いますし、
一般人が読まなくとも、各業界のリーダーが読んでくれて、
人を指導する時や、仕事や使命を全うする上での
参考にしてもられば嬉しいです。
そうすることによって、
私は間接的に、非常に多くの人々に好影響を与えていることになるのです。
本当に世の中のことを思えば、
常識とは違う所に「答え」があることばかりなのです。
そして、その「答え」というのは、
時に、人間の感情などを一切無視するかのような、
【非情なほどに、シビアな結論】だったりします。
要するに、私が言いたいのは、
「世の中を良くする」という使命を優先するよりも、
自分のエゴで、弱者を助ける事によって、ヒーローを気取って、
ヒーロー気分に浸る事を優先するのであれば、
「それは、あなたのネガティブな個人的欲求を満たすだけで、
全体の為の最善になってませんよ」
と言う事です。
もちろん、人を助けたいという想い自体は素晴らしいです。
自分の事しか考えない利己的な人間よりも、
よほど、精神的に成熟していると言えるでしょう。
しかし、その想いが【結果に結びつく手段】と結びつかなければ、
「最善の結果」は生まれないのです。
そして、リーダーというポジションに就く人にとっては、
結果に執着してナンボだと思います。
一般の人々にとっては合格点でも、
リーダーは、自他共に厳しく、
さらにその上を目指さなければならないと思います。
本当に、世の中の事を思えば、全体の事を思えば、
・「善人」を「強者」にする
・「強者」を「善人」にする
・可哀想な人を助けるのではなく、
弱者、強者関係無く、助かりたい人を助ける
・自分の成長、精神性向上こそ、他者への最大の貢献と理解する
という方向性を持つ事が大切です。
ただ自分のエゴ(個人的欲求)に生きるよりも、
全体を良くするという「使命」を何よりも優先する人には、
共感してもらえると思います。
例えば、
「他人を見下すヤツは、頭の悪いクズ野郎だ!」と、
誰かが言ったとします。
でも、「頭の悪いクズ野郎だ!」という発言が、
既に他人を見下しているので、
自分自身の事を、「頭の悪いクズ野郎だ!」
って宣言したいって事ですか?
って事になりますよね?
私は、こういう「矛盾」や「パラドックス」が気になるんですね。
それで、「ネガティブ観念」というのは、矛盾しているんです。
ですから、
ネガティブな人ほど、自己の内面に矛盾を抱えている事になりますし、
内面に矛盾を抱えて生きている人ほど、ネガティブなのです。
逆に、ポジティブと言うことは、矛盾がなく、
自分の考えていること、言うこと、行動する事が、一致しているのです。
私も、普通の人よりはかなり少ないとは言え、
まだ少しはネガティブ観念を持っていますから、
発見する度に、除去するように努めています。
私は矛盾が非常に嫌いですから、
常に、自分自身の「言行が一致」していないと、気が済まないのです。
もちろん、自分だけでなく、
他人の「言行不一致(矛盾)」も気になりますが、
まぁ他人にやったことは自分に返ってきますし、
私は売られたケンカは買いますけど、
ケンカ自体は嫌いですし、できる限りやりたくないので、
自分から「それって矛盾してますよね?」と、仕掛けるのは好みません。
それで、もうちょっと複雑な例になりますけど、
よく、「可哀想な人(弱者)を助けたい!」
って思っている人がいるんですけど、
それって実は、本当の意味で人を助ける事にはならないんですよね。
私自身も、「人を助けたい」という気持ちを、
誰よりも強く持っていると思います。
でも、私が助けたいのは、【助かりたい人】です。
「弱者、強者」関係無く、助かりたい人。
何故かというと、【助かりたい人しか助けられないから】です。
私は今まで、誰にでも良くなって欲しいと思い、
たくさんの人にお節介を焼きましたが、
相手が望まぬ「お節介」を焼いて、人を助けられた試しがありません。
「可哀想な人を助けたい」と思っていると、
【相手が望まぬお節介を焼くこと】になります。
過剰なお節介は、相手にイヤがられるか、
相手を甘やかして、過保護にして、自立心や強さを奪うか、
どちらかです。
本当の意味で、相手の役に立たないばかりか、
自分にとっても、エネルギーの無駄遣いです。
「助かりたくない人」を助けようとしていると、
自分自身も含め、誰も救われないのです。
根本的な部分で、本当に人を助けると言うことは、
【自立させてあげる事、強くさせてあげる事】です。
ただ魚を渡し続けるのではなく、
「魚の釣り方」をマスターさせてあげる事です。
これが、本当の意味で、相手に、全体に貢献する事です。
そして、前にも言いましたが、
弱者を一人一人、ポジティブに変えていくよりも、
「たくさんの弱者」に影響力を持つ、
「少数の強者」をポジティブに変える方が、
より効率が良く、全体の為になります。
末端の人たちを、一人一人相手にしていく事に、
情熱を感じる人もいるでしょうが、
私は、【リーダーの教育】に情熱を感じています。
店舗で直接お客さんを相手にする店員の役割もあれば、
社長として全体をプロデュースする役割もあります。
人それぞれ、ポジション、役割は違うのです。
私の記事は、真実を含んでいるとしても、
まだまだ一般人受けしないと思いますし、
一般人が読まなくとも、各業界のリーダーが読んでくれて、
人を指導する時や、仕事や使命を全うする上での
参考にしてもられば嬉しいです。
そうすることによって、
私は間接的に、非常に多くの人々に好影響を与えていることになるのです。
本当に世の中のことを思えば、
常識とは違う所に「答え」があることばかりなのです。
そして、その「答え」というのは、
時に、人間の感情などを一切無視するかのような、
【非情なほどに、シビアな結論】だったりします。
要するに、私が言いたいのは、
「世の中を良くする」という使命を優先するよりも、
自分のエゴで、弱者を助ける事によって、ヒーローを気取って、
ヒーロー気分に浸る事を優先するのであれば、
「それは、あなたのネガティブな個人的欲求を満たすだけで、
全体の為の最善になってませんよ」
と言う事です。
もちろん、人を助けたいという想い自体は素晴らしいです。
自分の事しか考えない利己的な人間よりも、
よほど、精神的に成熟していると言えるでしょう。
しかし、その想いが【結果に結びつく手段】と結びつかなければ、
「最善の結果」は生まれないのです。
そして、リーダーというポジションに就く人にとっては、
結果に執着してナンボだと思います。
一般の人々にとっては合格点でも、
リーダーは、自他共に厳しく、
さらにその上を目指さなければならないと思います。
本当に、世の中の事を思えば、全体の事を思えば、
・「善人」を「強者」にする
・「強者」を「善人」にする
・可哀想な人を助けるのではなく、
弱者、強者関係無く、助かりたい人を助ける
・自分の成長、精神性向上こそ、他者への最大の貢献と理解する
という方向性を持つ事が大切です。
ただ自分のエゴ(個人的欲求)に生きるよりも、
全体を良くするという「使命」を何よりも優先する人には、
共感してもらえると思います。
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2014年07月09日
「向上」と「受容」
「精神性を高めていく」には、二つの方向性があります。
それが、「向上」と「受容」です。
【向上】は、
自身の未熟な部分を改善し、強くなる事を目指し、
より自分を鍛え、高めていこうとする方向性(厳しさ)
【受容】は、
ネガティブな部分、弱い部分も含め、
ありのままの自分を認め、許し、受け入れ、
愛していこうとする方向性(優しさ)
私の記事を読み続けている人は、
「何事もバランスが大切」と言う事を理解していると思いますが、
この「2つ」もバランスが大切です。
しかし、私の最近のブログ記事は、
大抵【向上寄り】のメッセージが多いですね。
「新・幸せになる本」については、【受容寄り】ですが。
弟子やお客さんに対してメッセージを発信する時は、
バランス良く伝えています。
なぜ、ブログ記事では「向上寄り」のメッセージが多いかというと、
「受容」のメッセージは、弱い人に響きます。
「向上」のメッセージは、強い人に響きます。
そして、私が今、メッセージを伝えたい対象は、
世の中を良くしようと考えている、
「戦士タイプ」や「リーダータイプ」の人たちだからです。
斎藤一人さんの話で、
「ヘッドピンを倒せ」という話があるのですが、
要するに、「大きな変化」を起こしたければ、
【トップにアプローチするのが一番効率が良い】
という事なのです。
影響力の無い人間を、数多くたくさん変えるより、
影響力のある人間を、一人変える方が、
全体に、より大きな影響をもたらすことが出来るという事です。
私は、弱い人にも幸せになって欲しいと思っていますが、
その為には、「多数の弱い人たち」に直接アプローチするよりも、
「少数の強い人たち」にアプローチする方が、効率が良いのです。
世の中を良くするには、
・「良いヤツ(善人)」を「強いヤツ(強者)」にする
・「強いヤツ(強者)」を「良いヤツ(善人)」にする
その二つの方向性が大切です。
前者は、「弟子教育」でやっていますが、
後者は、「ブログ」や「コンサル」を通して行っています。
私のメッセージは非常に厳しいと思うので、
普通の人が読んだら、拒絶反応が出るかもしれません。
グサっと心を刺されてしまうかもしれません。
しかし、私はまだ「世間一般の人」を相手にする段階にありません。
ですから、世間一般の人々に理解されるメッセージなんて、
現段階では、発信する気もありません。
ゆくゆくは、そうなっていくのかもしれませんが、
現時点では、【高い精神性や、強さを求める人たち】にアプローチしたい。
ですから、メッセージの対象や焦点を絞っているのです。
ソフトバンクの孫正義さんも、
今でこそ、コンシューマ向け(B to C)のサービスを提供していますが、
起業当時は、業界トップに狙いを定めて、
ジョーシンやハドソンなどの大手と契約し、
ビジネス(B to B)を行っていました。
成長段階における「黎明期」では、
資源も少なく、規模も小さく、
全てを同時並行で行うことは出来ないので、
「一体何が、最も効率の良い手段・ルートなのか?」
優先順位を付けて、
何かを切り捨て、何かに集中するしかないのです。
私は今、「世間一般」を捨てて、
一に、将来のリーダー、
二に、現在のリーダー、に焦点を当てています。
なので、私のメッセージは「向上寄り(自分を鍛える)」なのです。
「受容寄り(自分を許す、愛する)」のメッセージが欲しければ、
弟子の吉田さんの情報をチェックしてもらったら良いですね(笑)
おそらく彼女は、「受容のメッセージ」を発信する事に、
情熱があると思うので。
でも、表面的に発信するメッセージがどちらかに偏っていても、
両方のバランスが大切なのは変わりないので、
お金を払ってくれたお客さんに対しては、
正確に、両方バランス良く伝えていきます。
それは、私でも、国本さんでも、吉田さんでも同じ事ですね。
【向上】と【受容】
どちらか片一方では、スムーズに成長する事ができません。
しかし、この二つのバランスを取るには、
「心理の本質に対する深い理解」と「高い精神性」が
必要となります。
その両方を兼ね備えている人は少ないと思いますし、
正しい指導を行う事は、本当に高度で、難しいことなのです。
高度だからこそ、やりがいがあって、楽しい訳ですが。
私は、気持ち的にはあらゆるレベルの人に、
「成長するチャンス」を掴んで欲しいと思っていますが、
現時点では、全ての人たちを同時に優先する事が出来ないので、
「強い人、強くなりたい人」に焦点を絞っています。
それ以外の人たちに対しては、
弟子たちがきちんとサポートできるように、日々、鍛えています。
もう少ししたら、その基盤も整うと思います。
やはり、自分自身の成長こそ、他者への最大の貢献です。
それが、「向上」と「受容」です。
【向上】は、
自身の未熟な部分を改善し、強くなる事を目指し、
より自分を鍛え、高めていこうとする方向性(厳しさ)
【受容】は、
ネガティブな部分、弱い部分も含め、
ありのままの自分を認め、許し、受け入れ、
愛していこうとする方向性(優しさ)
私の記事を読み続けている人は、
「何事もバランスが大切」と言う事を理解していると思いますが、
この「2つ」もバランスが大切です。
しかし、私の最近のブログ記事は、
大抵【向上寄り】のメッセージが多いですね。
「新・幸せになる本」については、【受容寄り】ですが。
弟子やお客さんに対してメッセージを発信する時は、
バランス良く伝えています。
なぜ、ブログ記事では「向上寄り」のメッセージが多いかというと、
「受容」のメッセージは、弱い人に響きます。
「向上」のメッセージは、強い人に響きます。
そして、私が今、メッセージを伝えたい対象は、
世の中を良くしようと考えている、
「戦士タイプ」や「リーダータイプ」の人たちだからです。
斎藤一人さんの話で、
「ヘッドピンを倒せ」という話があるのですが、
要するに、「大きな変化」を起こしたければ、
【トップにアプローチするのが一番効率が良い】
という事なのです。
影響力の無い人間を、数多くたくさん変えるより、
影響力のある人間を、一人変える方が、
全体に、より大きな影響をもたらすことが出来るという事です。
私は、弱い人にも幸せになって欲しいと思っていますが、
その為には、「多数の弱い人たち」に直接アプローチするよりも、
「少数の強い人たち」にアプローチする方が、効率が良いのです。
世の中を良くするには、
・「良いヤツ(善人)」を「強いヤツ(強者)」にする
・「強いヤツ(強者)」を「良いヤツ(善人)」にする
その二つの方向性が大切です。
前者は、「弟子教育」でやっていますが、
後者は、「ブログ」や「コンサル」を通して行っています。
私のメッセージは非常に厳しいと思うので、
普通の人が読んだら、拒絶反応が出るかもしれません。
グサっと心を刺されてしまうかもしれません。
しかし、私はまだ「世間一般の人」を相手にする段階にありません。
ですから、世間一般の人々に理解されるメッセージなんて、
現段階では、発信する気もありません。
ゆくゆくは、そうなっていくのかもしれませんが、
現時点では、【高い精神性や、強さを求める人たち】にアプローチしたい。
ですから、メッセージの対象や焦点を絞っているのです。
ソフトバンクの孫正義さんも、
今でこそ、コンシューマ向け(B to C)のサービスを提供していますが、
起業当時は、業界トップに狙いを定めて、
ジョーシンやハドソンなどの大手と契約し、
ビジネス(B to B)を行っていました。
成長段階における「黎明期」では、
資源も少なく、規模も小さく、
全てを同時並行で行うことは出来ないので、
「一体何が、最も効率の良い手段・ルートなのか?」
優先順位を付けて、
何かを切り捨て、何かに集中するしかないのです。
私は今、「世間一般」を捨てて、
一に、将来のリーダー、
二に、現在のリーダー、に焦点を当てています。
なので、私のメッセージは「向上寄り(自分を鍛える)」なのです。
「受容寄り(自分を許す、愛する)」のメッセージが欲しければ、
弟子の吉田さんの情報をチェックしてもらったら良いですね(笑)
おそらく彼女は、「受容のメッセージ」を発信する事に、
情熱があると思うので。
でも、表面的に発信するメッセージがどちらかに偏っていても、
両方のバランスが大切なのは変わりないので、
お金を払ってくれたお客さんに対しては、
正確に、両方バランス良く伝えていきます。
それは、私でも、国本さんでも、吉田さんでも同じ事ですね。
【向上】と【受容】
どちらか片一方では、スムーズに成長する事ができません。
しかし、この二つのバランスを取るには、
「心理の本質に対する深い理解」と「高い精神性」が
必要となります。
その両方を兼ね備えている人は少ないと思いますし、
正しい指導を行う事は、本当に高度で、難しいことなのです。
高度だからこそ、やりがいがあって、楽しい訳ですが。
私は、気持ち的にはあらゆるレベルの人に、
「成長するチャンス」を掴んで欲しいと思っていますが、
現時点では、全ての人たちを同時に優先する事が出来ないので、
「強い人、強くなりたい人」に焦点を絞っています。
それ以外の人たちに対しては、
弟子たちがきちんとサポートできるように、日々、鍛えています。
もう少ししたら、その基盤も整うと思います。
やはり、自分自身の成長こそ、他者への最大の貢献です。
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2014年07月08日
視覚に依存すると、逆に盲目的になる
先日、はこぶねメンバーである田中くんの宝石選びをしてきました。
彼もなかなかエネルギーに敏感なので、
一瞬で宝石の効果を感じ取ったようです。
「ピンクサファイア」と「ブルートパーズ」を選びましたが、
なかなか良い石だったと思います。
しかし、この「宝石のパワー」というのも、
自分で実感するまでは、懐疑的な人が多いです。
宝石のパワーを体感した人は、その効果の高さに驚きますが、
体感するまでは、今まで見たことも聞いたことも無い話なので、
なかなか素直に信じることが出来ないのです。
例えば、「心理(精神)の法則」に、
・感情は解放(発散)すれば消える
・感情は解放(発散)しなければ消えない
という法則があるのですが、
【「心理と波動」に関する法則】というのは、
ビフォア・アフターを、目で見る事が出来ません。
例えば、【感情を撮影できるカメラや、写真・映像】があれば、
感情の動きを「視覚で確認」する事が出来るかもしれませんが、
そんなものは、周りを見渡しても見当たりませんし、
もし、そういうモノがこの世に存在していたとしても、
現段階では公には認知されていませんね。
「視覚でビフォア・アフターが確認できない事」は、
その変化を他人に説明し辛いものです。
しかし、確実に変化は起こっています。
・感情を抑圧すれば、モヤモヤするし、
・感情を発散すれば、スッキリします。
それは、誰がやっても、同じ事です。
目で見て確認する事はできませんが、
そこに【法則】がある事は確かです。
この法則性を体感するには、
【「視覚」と「聴覚」以外の感覚】が必要です。
「触覚」や「第六感」と呼ばれる感覚を使い、
自分の身体で体感するしかありません。
【心理と波動の法則】に関するビフォア・アフターは、
目で見る事が出来ません。
目で見で確認する事が出来なくても、
「法則」は確かに存在しています。
「自然法則」というモノは、
目に見える部分においても、目に見えない部分においても、
必ず存在しているからです。
例えば、「電気」というのは、基本的に目に見えませんが、
電気には、【抵抗の低い方に流れる】という法則があります。
しかし、電気というモノの存在が知られておらず、
研究されていなければ、
そのような法則がある事すら、誰も知り得なかったでしょう。
それと同じようなモノです。
空中を飛び交う「電波」も目に見えませんが、
誰かが「電波の法則性」を解明し、利用できるようにして、
みんな、ラジオや携帯電話、無線LANを使っています。
目に見える「携帯電話」や「ラジオ」が無ければ、
「この世界には、電波ってモノがあるんだよ」って言っても、
それに精通している人以外には、伝わりづらかったでしょう。
ほとんどの人は、
「視覚・聴覚」という感覚だけに頼りすぎていているのです。
・目で見えたら、耳で聞こえたら、信じる
・目で見えない、耳で聞こえないなら、信じない
と言う風に。
ですから、【目に見えない事に対して、盲目的】なのです(笑)
私は、目に見えない「感情」や「エネルギー」に対する、
【非常に敏感な感覚】を持っています。
それを、「感受性」と呼んだりもします。
【心の動きを感じる感覚】が発達しているわけです。
この感覚のおかげで、
自分の「感情の動き」が敏感にわかって、
【感情の動きの法則性】を発見する事が出来ました。
しかし、この法則性を理解するには、
視覚・聴覚に頼ることは出来ません。
【「感情」は、目に見えませんし、耳で聞こえないから】です。
自分で実験して、
【自分自身の感情の変化】を【感覚】として掴み取るしかありません。
「感情を撮影できるカメラが無い」のですから、
「感情」は、「自分の感覚」で感じるしかないのです。
ですから、私が「自分の感情をコントロールする方法」を伝えても、
最終的には、自分自身でやってみて体感するしか、
それが有効かどうか、知る手段は無いのです。
私のお客さんは、みなそれを体感していますから、
私の言うことを信頼してくれていますが、
まだまだ人数が少ないのも事実です。
たぶん、これらの法則がテレビで紹介されるぐらいになれば、
みんな信じるんでしょうけどね(笑)
それは、みんなテレビを信じているからです(笑)
テレビでやるくらいだから、きっと正しいんだろうな…と(笑)
しかし、私から見れば、
テレビの方がウソの情報でまみれていますから、
「信じる・信じないの判断」については、特定の何かに依存せず、
やっぱり、何事も自分で確かめるのが、一番確実だと思いますね。
彼もなかなかエネルギーに敏感なので、
一瞬で宝石の効果を感じ取ったようです。
「ピンクサファイア」と「ブルートパーズ」を選びましたが、
なかなか良い石だったと思います。
しかし、この「宝石のパワー」というのも、
自分で実感するまでは、懐疑的な人が多いです。
宝石のパワーを体感した人は、その効果の高さに驚きますが、
体感するまでは、今まで見たことも聞いたことも無い話なので、
なかなか素直に信じることが出来ないのです。
例えば、「心理(精神)の法則」に、
・感情は解放(発散)すれば消える
・感情は解放(発散)しなければ消えない
という法則があるのですが、
【「心理と波動」に関する法則】というのは、
ビフォア・アフターを、目で見る事が出来ません。
例えば、【感情を撮影できるカメラや、写真・映像】があれば、
感情の動きを「視覚で確認」する事が出来るかもしれませんが、
そんなものは、周りを見渡しても見当たりませんし、
もし、そういうモノがこの世に存在していたとしても、
現段階では公には認知されていませんね。
「視覚でビフォア・アフターが確認できない事」は、
その変化を他人に説明し辛いものです。
しかし、確実に変化は起こっています。
・感情を抑圧すれば、モヤモヤするし、
・感情を発散すれば、スッキリします。
それは、誰がやっても、同じ事です。
目で見て確認する事はできませんが、
そこに【法則】がある事は確かです。
この法則性を体感するには、
【「視覚」と「聴覚」以外の感覚】が必要です。
「触覚」や「第六感」と呼ばれる感覚を使い、
自分の身体で体感するしかありません。
【心理と波動の法則】に関するビフォア・アフターは、
目で見る事が出来ません。
目で見で確認する事が出来なくても、
「法則」は確かに存在しています。
「自然法則」というモノは、
目に見える部分においても、目に見えない部分においても、
必ず存在しているからです。
例えば、「電気」というのは、基本的に目に見えませんが、
電気には、【抵抗の低い方に流れる】という法則があります。
しかし、電気というモノの存在が知られておらず、
研究されていなければ、
そのような法則がある事すら、誰も知り得なかったでしょう。
それと同じようなモノです。
空中を飛び交う「電波」も目に見えませんが、
誰かが「電波の法則性」を解明し、利用できるようにして、
みんな、ラジオや携帯電話、無線LANを使っています。
目に見える「携帯電話」や「ラジオ」が無ければ、
「この世界には、電波ってモノがあるんだよ」って言っても、
それに精通している人以外には、伝わりづらかったでしょう。
ほとんどの人は、
「視覚・聴覚」という感覚だけに頼りすぎていているのです。
・目で見えたら、耳で聞こえたら、信じる
・目で見えない、耳で聞こえないなら、信じない
と言う風に。
ですから、【目に見えない事に対して、盲目的】なのです(笑)
私は、目に見えない「感情」や「エネルギー」に対する、
【非常に敏感な感覚】を持っています。
それを、「感受性」と呼んだりもします。
【心の動きを感じる感覚】が発達しているわけです。
この感覚のおかげで、
自分の「感情の動き」が敏感にわかって、
【感情の動きの法則性】を発見する事が出来ました。
しかし、この法則性を理解するには、
視覚・聴覚に頼ることは出来ません。
【「感情」は、目に見えませんし、耳で聞こえないから】です。
自分で実験して、
【自分自身の感情の変化】を【感覚】として掴み取るしかありません。
「感情を撮影できるカメラが無い」のですから、
「感情」は、「自分の感覚」で感じるしかないのです。
ですから、私が「自分の感情をコントロールする方法」を伝えても、
最終的には、自分自身でやってみて体感するしか、
それが有効かどうか、知る手段は無いのです。
私のお客さんは、みなそれを体感していますから、
私の言うことを信頼してくれていますが、
まだまだ人数が少ないのも事実です。
たぶん、これらの法則がテレビで紹介されるぐらいになれば、
みんな信じるんでしょうけどね(笑)
それは、みんなテレビを信じているからです(笑)
テレビでやるくらいだから、きっと正しいんだろうな…と(笑)
しかし、私から見れば、
テレビの方がウソの情報でまみれていますから、
「信じる・信じないの判断」については、特定の何かに依存せず、
やっぱり、何事も自分で確かめるのが、一番確実だと思いますね。
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2014年07月07日
法則に対する信仰心
私は、自分の経験や思考を通した事しか信じないという「疑り深さ」と、
法則に対する絶対的な「信仰心」を持っています。
「疑り深い」からこそ、表面的な部分だけを見ずに、
あらゆる角度から、多角的に物事を捉え、考えます。
そして、「法則に対する確信」があるからこそ、
強気で、自信満々で、自分の意見を言えるのです。
「法則に対する確信」って何かというと
例えば、数学には、
【(平面上に、直線で描いた)三角形の内角の和は、常に180度】
という「定理」があります。
これは、世界中の誰がやっても、何回やっても、そうなんですね。
【誰がやっても、何回やっても、常に、同じ結果が出る。】
これが、「法則」です。
そして、「法則」というのは、
その条件下であれば、【絶対】なのです。
ただし、「前提条件」が崩れれば、法則が適応されない事もあります。
例えば、球面上に描いた三角形であれば、
内角の和は180度になりませんし、
次元が上がると、
それまで適応されていた法則が適応されなくなったりします。
しかし、逆に言うと、
【前提条件が同じ】であれば、【法則は絶対】なのです。
例えば、空中で手に持ったボールを放せば、下に落下しますね。
これは、重力が働いているからですが、
これも、誰がやっても、何回やっても同じ結果が出ます。
しかし、「小さな鉄の玉」を持って、上に「強力な磁石」を設置して、
その「鉄の玉」から手を放すと、ボールは上昇する事もあります。
それは、【前提条件が同じではない】という事になりますね。
と言う事で、
前提条件が同じでないならば、
出てくる結果が違ってくる事もありますが、
前提条件が同じであるならば、
【法則が導き出す結果は絶対】なのです。
私は、そういった法則を発見し、人生に応用してきました。
その研究態度は、数学や物理学の研究と同じようなモノだと思います。
しかし、それらの法則というのは、【目に見えない法則】です。
「三角形の内角の和が180度」なんていうのは、目に見えますが、
私の研究してきた法則というのは、
簡単に言うと、
【自分自身の波動(エネルギー)や精神が、現実創造に与える影響】
と言う事なので、目に見えません。
しかも、「波動や精神の変化」が現実に現れてくるまでに、
ある程度のタイムラグ(時間差)もあります。
ですから、
「目に見えない」
「瞬時に目に見える結果が現れてこない」と言う事で、
私の研究してきた法則は、非常に【証明し辛い】のです。
例えば、
「現実は内面の反映だから、内面が変われば、現実が変わるよ」
なんて言われても、
目に見えないし、瞬時に目に見えた変化が現れないので、
証明のしようが無い訳です。
ですから、私の研究してきた法則は、
他人が証明して、「他の人に目で見せる」という事が難しいので、
【自分で試してみる】
これが、一番手っ取り早いです。
「この目で見せてくれたら信じるよ」って人は、
いつまで経ってもその法則を感じる事は出来ないでしょう。
【理屈では一理あるな。 よし、自分で実際に試してみよう。】
そういう、「素直さ」と「好奇心」を持っている人でないと、
「目に見えない法則」を体感する事は出来ないでしょう。
学校教育で、「教科書に書いてある事が正解」と、
「無闇に盲信させられる事」を調教されられてきた人は、
【自分で実験して確かめる】と言う事を怠り、
「先生(権威者)」が言った事を、盲信し、鵜呑みにし、
「それ以外の人間」が言った事を、疑い、撥ね除けます。
私は、自分の経験と、法則を信じています。
逆に言うと、「宗教の教義」などは、
まったく信じるに値しないと思っています。
おそらく、80%、90%は、良いことを書いていても、
残りの10%、20%は、
「教祖」や「権力者」に都合の良い様に書かれているからです。
それは、歴史ある巨大な宗教も、新興宗教も同じです。
「歴史ある巨大な宗教」も、長い年月を経ることによって、
徐々に改ざんされているらしいですから。
自分を信じると書いて「自信」ですが、
「信じる事」には、とてつもなく大きなパワーがあります。
だからこそ、【間違った事】を信じてしまうと、
道を大きく逸れてしまったり、過ちを犯してしまったりします。
「信じる事」は大きなパワーをもたらしますが、、
「何を信じるか?」 その中身が大切です。
私は、「信じられるモノは法則しかない」と思っています。
この世で絶対と言えるモノは、法則ぐらいしか無いと思っています。
私は、その法則に対する強い信仰心を持っているからこそ、
自分の軸をブラさず、真っ直ぐに突き進めるのです。
例えば、
【波動さえ高めおけば、人生は絶対に良くなる】
これも、「法則」です。
ですから、あれこれ悩み考えずに、
ひらすら波動を高め続ければ、自己実現できてしまうのです。
その「絶対的な法則」に比べれば、
テクニックやノウハウなんて、非常に小さいモノです。
自己啓発の分野では、
自己実現のための、
あらゆるワークやセミナー、教材があると思います。
しかし、いくらノウハウやテクニックを学んでも、
波動が低い状態であれば、自己実現には至りません。
これは、【絶対的な法則】だからです。
「波動を高める事が何よりも重要だ」という基礎を理解した上で、
「自分に合った技術」を学ぶ事には意義がありますが、
それをしないと言うことは、
いつも例に出しますが、
「筋トレ」もせずに、
バスケで「3Pシュート」の練習をして、決めようとしている様なモノです。
筋トレして、基礎力が上がってこそ、あらゆる技術は活きてくるのです。
ですから、結果を出したければ、
【勉強はそこそこに、まずは筋トレしろ!】って言いたい。
無駄知識をいくらため込んでも、結果は出ません。
いつも言っていますが、
【インプットは、質優先。 アウトプットは、量優先です。】
結果が出ない人は、
インプットは無闇矢鱈と多いくせに、アウトプットが全然足りてません。
法則に沿って考えれば、あらゆる事がスッキリ明快になります。
世界中の人が、
この法則というモノを学び始める時期を待っていますが、
私は、それまで弟子を育てて、
「教えられる人数のキャパシティ」を広げる努力をし、準備しておきます。
法則に対する絶対的な「信仰心」を持っています。
「疑り深い」からこそ、表面的な部分だけを見ずに、
あらゆる角度から、多角的に物事を捉え、考えます。
そして、「法則に対する確信」があるからこそ、
強気で、自信満々で、自分の意見を言えるのです。
「法則に対する確信」って何かというと
例えば、数学には、
【(平面上に、直線で描いた)三角形の内角の和は、常に180度】
という「定理」があります。
これは、世界中の誰がやっても、何回やっても、そうなんですね。
【誰がやっても、何回やっても、常に、同じ結果が出る。】
これが、「法則」です。
そして、「法則」というのは、
その条件下であれば、【絶対】なのです。
ただし、「前提条件」が崩れれば、法則が適応されない事もあります。
例えば、球面上に描いた三角形であれば、
内角の和は180度になりませんし、
次元が上がると、
それまで適応されていた法則が適応されなくなったりします。
しかし、逆に言うと、
【前提条件が同じ】であれば、【法則は絶対】なのです。
例えば、空中で手に持ったボールを放せば、下に落下しますね。
これは、重力が働いているからですが、
これも、誰がやっても、何回やっても同じ結果が出ます。
しかし、「小さな鉄の玉」を持って、上に「強力な磁石」を設置して、
その「鉄の玉」から手を放すと、ボールは上昇する事もあります。
それは、【前提条件が同じではない】という事になりますね。
と言う事で、
前提条件が同じでないならば、
出てくる結果が違ってくる事もありますが、
前提条件が同じであるならば、
【法則が導き出す結果は絶対】なのです。
私は、そういった法則を発見し、人生に応用してきました。
その研究態度は、数学や物理学の研究と同じようなモノだと思います。
しかし、それらの法則というのは、【目に見えない法則】です。
「三角形の内角の和が180度」なんていうのは、目に見えますが、
私の研究してきた法則というのは、
簡単に言うと、
【自分自身の波動(エネルギー)や精神が、現実創造に与える影響】
と言う事なので、目に見えません。
しかも、「波動や精神の変化」が現実に現れてくるまでに、
ある程度のタイムラグ(時間差)もあります。
ですから、
「目に見えない」
「瞬時に目に見える結果が現れてこない」と言う事で、
私の研究してきた法則は、非常に【証明し辛い】のです。
例えば、
「現実は内面の反映だから、内面が変われば、現実が変わるよ」
なんて言われても、
目に見えないし、瞬時に目に見えた変化が現れないので、
証明のしようが無い訳です。
ですから、私の研究してきた法則は、
他人が証明して、「他の人に目で見せる」という事が難しいので、
【自分で試してみる】
これが、一番手っ取り早いです。
「この目で見せてくれたら信じるよ」って人は、
いつまで経ってもその法則を感じる事は出来ないでしょう。
【理屈では一理あるな。 よし、自分で実際に試してみよう。】
そういう、「素直さ」と「好奇心」を持っている人でないと、
「目に見えない法則」を体感する事は出来ないでしょう。
学校教育で、「教科書に書いてある事が正解」と、
「無闇に盲信させられる事」を調教されられてきた人は、
【自分で実験して確かめる】と言う事を怠り、
「先生(権威者)」が言った事を、盲信し、鵜呑みにし、
「それ以外の人間」が言った事を、疑い、撥ね除けます。
私は、自分の経験と、法則を信じています。
逆に言うと、「宗教の教義」などは、
まったく信じるに値しないと思っています。
おそらく、80%、90%は、良いことを書いていても、
残りの10%、20%は、
「教祖」や「権力者」に都合の良い様に書かれているからです。
それは、歴史ある巨大な宗教も、新興宗教も同じです。
「歴史ある巨大な宗教」も、長い年月を経ることによって、
徐々に改ざんされているらしいですから。
自分を信じると書いて「自信」ですが、
「信じる事」には、とてつもなく大きなパワーがあります。
だからこそ、【間違った事】を信じてしまうと、
道を大きく逸れてしまったり、過ちを犯してしまったりします。
「信じる事」は大きなパワーをもたらしますが、、
「何を信じるか?」 その中身が大切です。
私は、「信じられるモノは法則しかない」と思っています。
この世で絶対と言えるモノは、法則ぐらいしか無いと思っています。
私は、その法則に対する強い信仰心を持っているからこそ、
自分の軸をブラさず、真っ直ぐに突き進めるのです。
例えば、
【波動さえ高めおけば、人生は絶対に良くなる】
これも、「法則」です。
ですから、あれこれ悩み考えずに、
ひらすら波動を高め続ければ、自己実現できてしまうのです。
その「絶対的な法則」に比べれば、
テクニックやノウハウなんて、非常に小さいモノです。
自己啓発の分野では、
自己実現のための、
あらゆるワークやセミナー、教材があると思います。
しかし、いくらノウハウやテクニックを学んでも、
波動が低い状態であれば、自己実現には至りません。
これは、【絶対的な法則】だからです。
「波動を高める事が何よりも重要だ」という基礎を理解した上で、
「自分に合った技術」を学ぶ事には意義がありますが、
それをしないと言うことは、
いつも例に出しますが、
「筋トレ」もせずに、
バスケで「3Pシュート」の練習をして、決めようとしている様なモノです。
筋トレして、基礎力が上がってこそ、あらゆる技術は活きてくるのです。
ですから、結果を出したければ、
【勉強はそこそこに、まずは筋トレしろ!】って言いたい。
無駄知識をいくらため込んでも、結果は出ません。
いつも言っていますが、
【インプットは、質優先。 アウトプットは、量優先です。】
結果が出ない人は、
インプットは無闇矢鱈と多いくせに、アウトプットが全然足りてません。
法則に沿って考えれば、あらゆる事がスッキリ明快になります。
世界中の人が、
この法則というモノを学び始める時期を待っていますが、
私は、それまで弟子を育てて、
「教えられる人数のキャパシティ」を広げる努力をし、準備しておきます。
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2014年07月05日
愛によって恐怖が消え去り、感謝によって満たされる
私は、毎年「7月1日前後」に、
新しい変化が起こることが多いのです。
・学校の「転校」
・新しい職場に「転職」
・新居に「引っ越し」
・新しい「サービス」の開始
・新しい「商品」の取り扱い開始
そういうのが、
だいたい「6月末日」か、「7月1日」に起こります。
毎年こんな感じなので、
今年も何か起こるかなぁ?と思っていたのですが、
やっぱり今年も起こりました。
わかりやすく目に見える変化という感じではなく、
「内面の変化」であったり、
「変化の入り口」であったりしますが、
いつも起こっている「新しい変化」に相当する、
大きな変化が起こりました。
ひとつは、「高次元の存在からの愛」というモノを、
より強く、身近に感じられるようになった事です。
自分は今までの経験上、
【どんなに頑張っても褒めてくれる人、認めてくれる人が居ない】
という観念を持ってしまっていました。
自分の感覚としては、いつも、「100」頑張ったなら、
ようやく「5(%)」くらい認めてもらえる感じです。
いつだって、誰も自分の頑張りを褒めてくれない、認めてくれない。
それは何故かというと、
私がやっている事の、本当の価値が分かる人が居ないからです。
私は、この世の中を良くするために、一番重要な事をしています。
それは、リーダーに対する質の高い【教育】と【啓蒙活動】です。
私が「人間のリーダーたち」を教育しているように、
私も「高次元の存在たち」から、質の高い教育を受けていますが、
それが、世をポジティブに変化させていく上で、
一番価値のある事だと思います。
しかし、その価値を理解できる人は、ほとんど皆無です。
ですから、私はまだ無名なのです。
一般人にもわかりやすい、「目に見える価値」を提供している方が、
有名になれますからね。
私がやっている事の価値が本当に分かるのは、
高次元の存在くらいだと思います。
誰も認めてくれない、褒めてくれない。
それでも、なんで頑張れたのか?って言うと、
【自分で自分の事を嫌いになりたくなかったから】です。
いつも「他人や全体の事を考えている自分」が苦しんで、
目先や自分の事しか考えず、「自己中心的な他人」がラクをしている。
そんな状況の中でも、保身に走らず、信念を折らなかったのは、
自分が保身に走って、信念を折ってしまったら、
自分で自分の事を嫌いになってしまいます。
そんな人生を歩むことが、
自分にとって、一番耐えがたい地獄だと思います。
ですから、私は保身に走ること、信念を折ることをしませんでした。
両親が、息子としての自分を愛してくれているのは理解していますが、
「私の信念や活動の価値を理解してくれているか?」
というと、そうではありません。
ですから、私はいつも孤独でした。
自分のやっている事の価値を唯一認めてくれるのは、
高次元の存在だと思うので、
高次元の存在の愛を感じれば、
自分の孤独感は消えるのではないかと、
国本さんに、守護霊さんをチャネリングしてもらいました。
そうしたら、そのセッションによって、
中学生の頃に感じていた「孤独感、悲しみ」が溢れてきて、
同時にそれらが癒やされ、
より、「高次元の愛」を受け取れるようになったと思います。
そして、「愛のパワー」について、より深く理解できました。
人間が一番怖れている恐怖は、
「自分は愛されない、無価値な存在なのではないか?」
という恐怖です。
その恐怖が消え去る時は、
誰かが誰かに「無条件の愛」を与え、
相手が「その愛を感謝して受け取った時」です。
それが他人である必要は無く、
自分で自分自身に愛を与える事もできますが、
初めのキッカケとしては、他人からの影響が大きいと思います。
相手が恐怖に怯えている時は、
「無条件の愛」を与える事によって、その恐怖をぬぐい去る事ができます。
私も、自分が挫折している時に、
両親から「無条件の愛」を受け取ったからこそ、
「自信」と「勇気」を持てるようになったと思います。
しかし、この「無条件の愛」というモノを持てるようになるには、
【非常に高い精神性】が必要となります。
「愛」に条件を付ければ付けるほど、ネガティブになります。
自分の思い通りになったら、愛してあげます。
自分の思い通りにならなかったら、愛しません。
と言う事だからです。
「愛」に条件を無くせば無くすほど、ポジティブになります。
あなたがどんな状態でも、何をしていても、愛しています。
という事だからです。
そう思えるようになるには、
たくさんの試練を乗り越えなければなりません。
私は試練を乗り越えてきた結果、
自分自身を、より無条件に愛せるようになってきましたし、
自分の身近な人たちに対しても、そう思えるようになってきました。
その【無条件の純度】を高めていく事が、
「アセンション、悟り、解脱への道」だと思います。
私は、自身の「無条件の愛」の純度を高め、
「無条件の愛」を与える事によって、
「人の持つ恐怖」を消し去って行きたいと思っています。
それが、また回り回って私に返ってきて、
私の【無条件の純度】は、ますます高まっていくからです。
しかし、実は【愛を受け取る】のにも、勇気が必要です。
人は、人生で裏切られる経験をたくさんしているので、
「他人の愛」を素直に信じられなくなっているからです。
過去、無闇に人を盲信して失敗してしまった反動で、
今度は、無闇に人を疑って、懐疑的になっているのです。
大切な事は、【人を見抜く】と言うことなのですが。
「愛してます」と言われても、素直に信じられないのです。
「愛のエネルギー」を送られていても、素直に受け取れないのです。
自分に「受け取る器」がなければ、愛は受け取れないのです。
心は愛を求めているにも関わらず、愛が怖くなるのです。
【愛を与える側】に出来る事は、それでも愛を与え続ける事です。
相手が信じられるようになるまで、
相手のペースや許容量(キャパシティ)を尊重しつつ、愛し続ける事です。
【愛を受け取る側】に出来る事は、
「自分一人で何でも出来る」という【傲慢さ】を捨て、
自分の弱さを認め、素直に他人を頼ることです。
強がっているから、愛を受け取れないのです。
強がることは、他人の「愛・助け・サポート」を拒絶することです。
ですから、苦しくなるのです。
強がるのをやめて、
・素直に人に助けてもらおうと思った時に、
・他人からの愛、助け、サーポートに感謝できるようになった時に、
助けは、その時やってくるのです。
「あなたに愛を与えたい存在」は、
あなたが強がるのを止めるのを、ずっと待っているのです。
私も、強がるのを止めました。
そして、高次元の存在に、助けを乞いました。
ですから、私はより愛を受け取れるようになったのです。
【人を信じるのが怖い】という人は、
相手が信じるに足る人物か、納得行くまでじっと観察していれば良いのです。
本当に無条件の愛を持っている人物であれば、
【変わらぬ姿勢】を貫くでしょう。
逆に、あなたに対して無条件の愛を持たない人は、
どこかで諦めたり、幻滅したりして、去って行きます。
人を見抜く一番の方法は、「姿勢・態度・行動」が変わらないか?
と言う事です。
それがコロコロ変わる人は、信頼に足りません。
人は、口では何とでも言います。
「口だけ人間」なんて、世の中にごまんといます。
「口だけ」なら良い事を言うのです。
しかし、「良い行いを実践し、行動できる人」はなかなかいません。
姿勢・態度・行動が一貫している人は、なかなかいないのです。
私が弟子を見る時も、
言葉ではなく、「姿勢・態度・行動」を見ています。
弟子を育てるにも、
相手を信頼できなければ出来ないことですから。
「途中で自分を裏切り、恩を仇で返すような人間でないか?」
そういう事は、初めに厳しく選別しなければなりません。
「実践」と「行動」が大事です。
他人から「無条件の愛」を受け取れるようになるには、
まず、自分も「無条件の愛」を与えられる様に、
【自身の精神性を高める努力】をする事ですね。
結局は、日々の心がけが一番大切です。
新しい変化が起こることが多いのです。
・学校の「転校」
・新しい職場に「転職」
・新居に「引っ越し」
・新しい「サービス」の開始
・新しい「商品」の取り扱い開始
そういうのが、
だいたい「6月末日」か、「7月1日」に起こります。
毎年こんな感じなので、
今年も何か起こるかなぁ?と思っていたのですが、
やっぱり今年も起こりました。
わかりやすく目に見える変化という感じではなく、
「内面の変化」であったり、
「変化の入り口」であったりしますが、
いつも起こっている「新しい変化」に相当する、
大きな変化が起こりました。
ひとつは、「高次元の存在からの愛」というモノを、
より強く、身近に感じられるようになった事です。
自分は今までの経験上、
【どんなに頑張っても褒めてくれる人、認めてくれる人が居ない】
という観念を持ってしまっていました。
自分の感覚としては、いつも、「100」頑張ったなら、
ようやく「5(%)」くらい認めてもらえる感じです。
いつだって、誰も自分の頑張りを褒めてくれない、認めてくれない。
それは何故かというと、
私がやっている事の、本当の価値が分かる人が居ないからです。
私は、この世の中を良くするために、一番重要な事をしています。
それは、リーダーに対する質の高い【教育】と【啓蒙活動】です。
私が「人間のリーダーたち」を教育しているように、
私も「高次元の存在たち」から、質の高い教育を受けていますが、
それが、世をポジティブに変化させていく上で、
一番価値のある事だと思います。
しかし、その価値を理解できる人は、ほとんど皆無です。
ですから、私はまだ無名なのです。
一般人にもわかりやすい、「目に見える価値」を提供している方が、
有名になれますからね。
私がやっている事の価値が本当に分かるのは、
高次元の存在くらいだと思います。
誰も認めてくれない、褒めてくれない。
それでも、なんで頑張れたのか?って言うと、
【自分で自分の事を嫌いになりたくなかったから】です。
いつも「他人や全体の事を考えている自分」が苦しんで、
目先や自分の事しか考えず、「自己中心的な他人」がラクをしている。
そんな状況の中でも、保身に走らず、信念を折らなかったのは、
自分が保身に走って、信念を折ってしまったら、
自分で自分の事を嫌いになってしまいます。
そんな人生を歩むことが、
自分にとって、一番耐えがたい地獄だと思います。
ですから、私は保身に走ること、信念を折ることをしませんでした。
両親が、息子としての自分を愛してくれているのは理解していますが、
「私の信念や活動の価値を理解してくれているか?」
というと、そうではありません。
ですから、私はいつも孤独でした。
自分のやっている事の価値を唯一認めてくれるのは、
高次元の存在だと思うので、
高次元の存在の愛を感じれば、
自分の孤独感は消えるのではないかと、
国本さんに、守護霊さんをチャネリングしてもらいました。
そうしたら、そのセッションによって、
中学生の頃に感じていた「孤独感、悲しみ」が溢れてきて、
同時にそれらが癒やされ、
より、「高次元の愛」を受け取れるようになったと思います。
そして、「愛のパワー」について、より深く理解できました。
人間が一番怖れている恐怖は、
「自分は愛されない、無価値な存在なのではないか?」
という恐怖です。
その恐怖が消え去る時は、
誰かが誰かに「無条件の愛」を与え、
相手が「その愛を感謝して受け取った時」です。
それが他人である必要は無く、
自分で自分自身に愛を与える事もできますが、
初めのキッカケとしては、他人からの影響が大きいと思います。
相手が恐怖に怯えている時は、
「無条件の愛」を与える事によって、その恐怖をぬぐい去る事ができます。
私も、自分が挫折している時に、
両親から「無条件の愛」を受け取ったからこそ、
「自信」と「勇気」を持てるようになったと思います。
しかし、この「無条件の愛」というモノを持てるようになるには、
【非常に高い精神性】が必要となります。
「愛」に条件を付ければ付けるほど、ネガティブになります。
自分の思い通りになったら、愛してあげます。
自分の思い通りにならなかったら、愛しません。
と言う事だからです。
「愛」に条件を無くせば無くすほど、ポジティブになります。
あなたがどんな状態でも、何をしていても、愛しています。
という事だからです。
そう思えるようになるには、
たくさんの試練を乗り越えなければなりません。
私は試練を乗り越えてきた結果、
自分自身を、より無条件に愛せるようになってきましたし、
自分の身近な人たちに対しても、そう思えるようになってきました。
その【無条件の純度】を高めていく事が、
「アセンション、悟り、解脱への道」だと思います。
私は、自身の「無条件の愛」の純度を高め、
「無条件の愛」を与える事によって、
「人の持つ恐怖」を消し去って行きたいと思っています。
それが、また回り回って私に返ってきて、
私の【無条件の純度】は、ますます高まっていくからです。
しかし、実は【愛を受け取る】のにも、勇気が必要です。
人は、人生で裏切られる経験をたくさんしているので、
「他人の愛」を素直に信じられなくなっているからです。
過去、無闇に人を盲信して失敗してしまった反動で、
今度は、無闇に人を疑って、懐疑的になっているのです。
大切な事は、【人を見抜く】と言うことなのですが。
「愛してます」と言われても、素直に信じられないのです。
「愛のエネルギー」を送られていても、素直に受け取れないのです。
自分に「受け取る器」がなければ、愛は受け取れないのです。
心は愛を求めているにも関わらず、愛が怖くなるのです。
【愛を与える側】に出来る事は、それでも愛を与え続ける事です。
相手が信じられるようになるまで、
相手のペースや許容量(キャパシティ)を尊重しつつ、愛し続ける事です。
【愛を受け取る側】に出来る事は、
「自分一人で何でも出来る」という【傲慢さ】を捨て、
自分の弱さを認め、素直に他人を頼ることです。
強がっているから、愛を受け取れないのです。
強がることは、他人の「愛・助け・サポート」を拒絶することです。
ですから、苦しくなるのです。
強がるのをやめて、
・素直に人に助けてもらおうと思った時に、
・他人からの愛、助け、サーポートに感謝できるようになった時に、
助けは、その時やってくるのです。
「あなたに愛を与えたい存在」は、
あなたが強がるのを止めるのを、ずっと待っているのです。
私も、強がるのを止めました。
そして、高次元の存在に、助けを乞いました。
ですから、私はより愛を受け取れるようになったのです。
【人を信じるのが怖い】という人は、
相手が信じるに足る人物か、納得行くまでじっと観察していれば良いのです。
本当に無条件の愛を持っている人物であれば、
【変わらぬ姿勢】を貫くでしょう。
逆に、あなたに対して無条件の愛を持たない人は、
どこかで諦めたり、幻滅したりして、去って行きます。
人を見抜く一番の方法は、「姿勢・態度・行動」が変わらないか?
と言う事です。
それがコロコロ変わる人は、信頼に足りません。
人は、口では何とでも言います。
「口だけ人間」なんて、世の中にごまんといます。
「口だけ」なら良い事を言うのです。
しかし、「良い行いを実践し、行動できる人」はなかなかいません。
姿勢・態度・行動が一貫している人は、なかなかいないのです。
私が弟子を見る時も、
言葉ではなく、「姿勢・態度・行動」を見ています。
弟子を育てるにも、
相手を信頼できなければ出来ないことですから。
「途中で自分を裏切り、恩を仇で返すような人間でないか?」
そういう事は、初めに厳しく選別しなければなりません。
「実践」と「行動」が大事です。
他人から「無条件の愛」を受け取れるようになるには、
まず、自分も「無条件の愛」を与えられる様に、
【自身の精神性を高める努力】をする事ですね。
結局は、日々の心がけが一番大切です。
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2014年07月04日
正義の定義
リンカーン、ガンジー、ネルソン・マンデラ…
彼らは人種差別と闘いましたが、
もうひとつの共通点は、元々弁護士だったことです。
そういえば、私も中学生の時は、
【校則】というモノをとても重要視していました。
私は生まれつき、
「正しい事をしたい」という事と、
「間違っている事は許せない」という想いが強くありました。
そして、
・ルールを守ることが正しいことで、
・ルールから外れることは悪い事だ。
そういう、単純な考えを持っていました。
そして、「悪を裁く事こそが正義」だと思っていました。
しかし、私が真面目に校則を守り、
校則を破った不真面目なクラスメイトを注意すればするほど、
私は同級生と対立することが多くなり、
苦しみが増していきました。
学校や先生の為にやっているのに、
自分が先生から怒られた時は、
今までの信念が総崩れになり、呆然としました。
なぜ、良い事をしているハズの自分が
批判され、嫌われ、苦しむのだろう…?
そんな、「不条理、不公平、理不尽」を常に感じていました。
「宇宙の法則」を学んでから、
宇宙に善悪は無く、
むしろ【「善悪の価値観」こそ、争いの元凶である】
と言う事に、ようやく気づかされました。
私が、「法・ルール・規則」というモノに対する
「盲目的な信仰」を失ったのは、そういう経緯があります。
「法を信じて闘い、そして法に裏切られ、法の限界を知る。」
この流れは、
【 精神指導者たちの鉄板の王道 】なのかもしれません(笑)
宇宙の法則を学んでから、
私の中で、「正義の定義」が変わりました。
ネガティブや悪を裁くことでは無くなったのです。
今の私にとって正義とは、
【「公平」を実現し、「全体の調和」をもたらすこと】です。
高次の広い視野・視点から観れば、
宇宙というのは常に、絶対的に【公平】です。
一見、「理不尽、不条理、不公平に思える経験」も、
「カルマの解消」や「学び」の為であって、
長期的視野に立てば、必ずバランスが取れます。
しかし、少し視野を狭めて、
「この社会のシステムは公平なのだろうか?」
と考えると、絶対に公平ではありません。
「公平でない」と言う事は、
【誰かの利益の為に、誰かが犠牲になっている】
と言う事です。
そして、
【大した価値を生み出していない人間が、過剰に利益を得ている】
という事でもあります。
・価値を生み出している人間が報われず、
・価値を生み出していない人間が得をする。
そういう、不公平を無くせば、誰からも文句は出なくなります。
卑怯な手段、姑息な手段を使わず、
正々堂々と、正攻法で競争が行われる、健全な世の中になります。
人々は、他人を騙したり、出し抜こうとする「ずる賢さ」を捨て、
真面目に「自己研鑽」を始めます。
私は、そういう社会、世の中であるべきだと思っています。
そのために必要な事は何でしょうか?
それは、【「弱者」を「強者」に鍛え、育てる】と言う事です。
「弱者を守ろう」とするのは正義ではありません。
人は、「甘えられる環境」に居ると、
どこまでも甘えてしまう生き物なのです。
ですから、過保護に弱者を守り続けた先には、
「甘え続ける、依存的な弱者」しか残りません。
「弱者を強者に鍛え、育ててこそ正義」です。
そうしてこそ、「公平な社会」が創られます。
なぜ、この社会はネガティブな勢力に支配されているのか?
と言うと、
【悪人(ネガティブ)が強く、善人(ポジティブ)が弱いから】です。
でも、悪人に「弱くなれ、善人になれ」って言っても、なりませんからね。
それがすんなり叶っていたら、こんな社会になってません。
悪人が変わることを期待するのは、【期待するだけ無駄】です。
世の中を良い方向に変えるには、
【弱者や善人を強くするしかない】のです。
ですから、私は、
「弱者を守ろう」なんて思っていません。
弱者に対しては、【強くなれ!】って言いたい。
悪人は、自分に都合の良い「不公平な世の中」を作る気満々です。
そのために、自分を強く鍛えています。
そんな中で、抵抗していくには、
善人が強くなっていくしかないのです。
「マンガ」や「特撮」では、
「悪の怪獣」がやってきて、街を破壊している時に、
「強い正義の味方」がやって、怪獣を倒してくれます。
でも、現実には、
その「正義の味方」って、待ってても現れませんよ。
自分自身が正義の味方にならないと。
「正義の味方」は、悪に打ち勝つために、(正義・自衛の為に)
日々自分を鍛え、強くなるように努力しています。
自分が自分を鍛えないと、
怪獣に街を破壊され尽くされて、終わります。
もし、自分自身が「正義の味方」になれなくても、
正義の味方を陰で支える「サポーター、応援者」ぐらいにはならないと、
「正義の味方」も「悪の怪獣」に一人では勝てませんから。
とにかく、「正義」とは「公平を実現する事」であり、
「公平」を実現するには、「善人が強くなる」しかありません。
・「自分が正義の味方になる」と言う方向性
・「正義の味方を応援するサポーターになる」という方向性
どちらにしても、【自分自身を強く】変えていかなければ、
世の中は変わっていかないのです。
みなで、強くなりましょう。
彼らは人種差別と闘いましたが、
もうひとつの共通点は、元々弁護士だったことです。
そういえば、私も中学生の時は、
【校則】というモノをとても重要視していました。
私は生まれつき、
「正しい事をしたい」という事と、
「間違っている事は許せない」という想いが強くありました。
そして、
・ルールを守ることが正しいことで、
・ルールから外れることは悪い事だ。
そういう、単純な考えを持っていました。
そして、「悪を裁く事こそが正義」だと思っていました。
しかし、私が真面目に校則を守り、
校則を破った不真面目なクラスメイトを注意すればするほど、
私は同級生と対立することが多くなり、
苦しみが増していきました。
学校や先生の為にやっているのに、
自分が先生から怒られた時は、
今までの信念が総崩れになり、呆然としました。
なぜ、良い事をしているハズの自分が
批判され、嫌われ、苦しむのだろう…?
そんな、「不条理、不公平、理不尽」を常に感じていました。
「宇宙の法則」を学んでから、
宇宙に善悪は無く、
むしろ【「善悪の価値観」こそ、争いの元凶である】
と言う事に、ようやく気づかされました。
私が、「法・ルール・規則」というモノに対する
「盲目的な信仰」を失ったのは、そういう経緯があります。
「法を信じて闘い、そして法に裏切られ、法の限界を知る。」
この流れは、
【 精神指導者たちの鉄板の王道 】なのかもしれません(笑)
宇宙の法則を学んでから、
私の中で、「正義の定義」が変わりました。
ネガティブや悪を裁くことでは無くなったのです。
今の私にとって正義とは、
【「公平」を実現し、「全体の調和」をもたらすこと】です。
高次の広い視野・視点から観れば、
宇宙というのは常に、絶対的に【公平】です。
一見、「理不尽、不条理、不公平に思える経験」も、
「カルマの解消」や「学び」の為であって、
長期的視野に立てば、必ずバランスが取れます。
しかし、少し視野を狭めて、
「この社会のシステムは公平なのだろうか?」
と考えると、絶対に公平ではありません。
「公平でない」と言う事は、
【誰かの利益の為に、誰かが犠牲になっている】
と言う事です。
そして、
【大した価値を生み出していない人間が、過剰に利益を得ている】
という事でもあります。
・価値を生み出している人間が報われず、
・価値を生み出していない人間が得をする。
そういう、不公平を無くせば、誰からも文句は出なくなります。
卑怯な手段、姑息な手段を使わず、
正々堂々と、正攻法で競争が行われる、健全な世の中になります。
人々は、他人を騙したり、出し抜こうとする「ずる賢さ」を捨て、
真面目に「自己研鑽」を始めます。
私は、そういう社会、世の中であるべきだと思っています。
そのために必要な事は何でしょうか?
それは、【「弱者」を「強者」に鍛え、育てる】と言う事です。
「弱者を守ろう」とするのは正義ではありません。
人は、「甘えられる環境」に居ると、
どこまでも甘えてしまう生き物なのです。
ですから、過保護に弱者を守り続けた先には、
「甘え続ける、依存的な弱者」しか残りません。
「弱者を強者に鍛え、育ててこそ正義」です。
そうしてこそ、「公平な社会」が創られます。
なぜ、この社会はネガティブな勢力に支配されているのか?
と言うと、
【悪人(ネガティブ)が強く、善人(ポジティブ)が弱いから】です。
でも、悪人に「弱くなれ、善人になれ」って言っても、なりませんからね。
それがすんなり叶っていたら、こんな社会になってません。
悪人が変わることを期待するのは、【期待するだけ無駄】です。
世の中を良い方向に変えるには、
【弱者や善人を強くするしかない】のです。
ですから、私は、
「弱者を守ろう」なんて思っていません。
弱者に対しては、【強くなれ!】って言いたい。
悪人は、自分に都合の良い「不公平な世の中」を作る気満々です。
そのために、自分を強く鍛えています。
そんな中で、抵抗していくには、
善人が強くなっていくしかないのです。
「マンガ」や「特撮」では、
「悪の怪獣」がやってきて、街を破壊している時に、
「強い正義の味方」がやって、怪獣を倒してくれます。
でも、現実には、
その「正義の味方」って、待ってても現れませんよ。
自分自身が正義の味方にならないと。
「正義の味方」は、悪に打ち勝つために、(正義・自衛の為に)
日々自分を鍛え、強くなるように努力しています。
自分が自分を鍛えないと、
怪獣に街を破壊され尽くされて、終わります。
もし、自分自身が「正義の味方」になれなくても、
正義の味方を陰で支える「サポーター、応援者」ぐらいにはならないと、
「正義の味方」も「悪の怪獣」に一人では勝てませんから。
とにかく、「正義」とは「公平を実現する事」であり、
「公平」を実現するには、「善人が強くなる」しかありません。
・「自分が正義の味方になる」と言う方向性
・「正義の味方を応援するサポーターになる」という方向性
どちらにしても、【自分自身を強く】変えていかなければ、
世の中は変わっていかないのです。
みなで、強くなりましょう。
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