2014年04月
2014年04月12日
組織が変化する過程
最近のキャパオーバー状態からようやく解放されてきました。
やはり、組織が大きくなっていく過程では、
あらゆる事が変化していくので、
その変化に適応していかなければなりません。
少人数では、【一人が何でもこなす】
というやり方の方が効率良いですが、
大人数になってくると、
【明確な役割分担】が必要になってきます。
リーダーが全部抱える事は出来ないので、
メンバーに仕事を振っていかなければなりません。
よく、「社長一人で面倒が見れる人数は10〜20人まで」
と言われています。
それ以上の規模になると、
優秀な【マネージャー(中間管理職)】が必要になります。
ですから、社長一人が頑張っている企業では、
社員数が20人〜25人以上に増えないのだとか。
いくら新人を採用しても、人間関係の問題が絶えず、
ザルの様に人が辞めていきます。
結局、優秀な腹心を抱え、育てていかなければ、
組織の規模にも限界が出てくると言う事ですね。
私にとっては国本さんがマネージャーですが、
弟子が育てば育つほど、組織の規模を大きくする事ができます。
私一人でがんばっても、面倒みれる人数には限界がありますから。
ですから、今は国本さんに対して、
今まで自分がやっていた役割をどんどん引き継いでいます。
私は、経営で一番大事なのは、人を育てる事だと思っています。
優秀な人間ほど、【貪欲に成長したい】と思っていますから、
【成長できる環境】を提供できない企業には、
【優秀な人材も集まってこない】と言う事になります。
優秀な人材がいなければ、
顧客に高い価値を提供する事も出来ない。 規模も大きくならない。
結局、長期的に見れば、
【人を育てる事】が最優先事項だと思うんですね。
松下幸之助さんも、
「松下電器は人をつくる会社です。」と仰っています。
人を育ててない企業は、
いずれ人材不足、後継者不足で悩む事になると思いますが、
後継者なんて、将来を見据えて長期間かけて育てていないと、
すぐに解決する問題ではありません。
強い組織は、【強固な信頼関係】によって成り立っています。
「ノウハウ」とか、「人を操る上手いやり方」とかじゃないんですよね。
超アナログな【人間力】です。
そして、「信頼」は時間をかけて積み上げて行くものです。
組織には、図体が大きいだけで中身が非常に脆い組織もあります。
人数はとにかく集まってるけど、烏合の衆であって、
何かの問題で亀裂が入ると、一気に崩壊します。
【お金の自由】は、「規模(量)」によってもたらされます。
【時間の自由】は、「質」によってもたらされます。
【量】を優先する人は、とにかく人だけは増えて行きますが、
質が低いので、どんどん問題が起きて、
その対処に時間や労力が取られてしまします。
新規顧客ばかりを追い求めているマーケターみたいな人がそうです。
「時代の変化」や「ライバルの登場」などによって、
カンタンに人が離れていきます。
一方、【質】を優先する人は、人数を無闇に増やしません。
お金の面では増えにくいですが、
集める人を良い人だけに限定するので問題があまり起きませんし、
ビジネスがリピーターによって支えられているので、
時間や労力にいつも余裕があります。
もちろん、どちらも大切ですが、
どちらを優先するかによって、
自分のやり方のスタイルや結果が異なります。
私は、【質】を最優先にして、【質】を保ちつつ、
【量】を最大限に増やす事を目指しています。
もちろん、「お金」よりも「時間」を優先しています。
私は面倒くさがり屋ですからね(笑)
そして、最近は【量】も増えてきて、
一人では捌ききれない程になってきました。
規模が大きくなると、
「幅広い層」にアプローチできるのがメリットです。
今の私は、【情熱の塊】みたいな感じですから、
「本気の人」以外寄せ付けない波動をまとっています(笑)
でも、弟子たちはそこまでではありませんから、
もっと気楽な感じで仕事を依頼できると思います(笑)
私は「本気の人」しか相手にしたくありませんし、
「本気でない人」は寄りにくいようなエネルギーを持っています。
ですから普通の人、一般的な人は来ません(笑)
でも、弟子たちには、普通の人たちを
たくさんサポートしてあげて欲しいなと思っています。
私は【質】の担当。 弟子は【量】の担当になって欲しい。
そうやって、幅広い人たちに対して、
「高い価値」を提供していきたいと思っています。
やはり、組織が大きくなっていく過程では、
あらゆる事が変化していくので、
その変化に適応していかなければなりません。
少人数では、【一人が何でもこなす】
というやり方の方が効率良いですが、
大人数になってくると、
【明確な役割分担】が必要になってきます。
リーダーが全部抱える事は出来ないので、
メンバーに仕事を振っていかなければなりません。
よく、「社長一人で面倒が見れる人数は10〜20人まで」
と言われています。
それ以上の規模になると、
優秀な【マネージャー(中間管理職)】が必要になります。
ですから、社長一人が頑張っている企業では、
社員数が20人〜25人以上に増えないのだとか。
いくら新人を採用しても、人間関係の問題が絶えず、
ザルの様に人が辞めていきます。
結局、優秀な腹心を抱え、育てていかなければ、
組織の規模にも限界が出てくると言う事ですね。
私にとっては国本さんがマネージャーですが、
弟子が育てば育つほど、組織の規模を大きくする事ができます。
私一人でがんばっても、面倒みれる人数には限界がありますから。
ですから、今は国本さんに対して、
今まで自分がやっていた役割をどんどん引き継いでいます。
私は、経営で一番大事なのは、人を育てる事だと思っています。
優秀な人間ほど、【貪欲に成長したい】と思っていますから、
【成長できる環境】を提供できない企業には、
【優秀な人材も集まってこない】と言う事になります。
優秀な人材がいなければ、
顧客に高い価値を提供する事も出来ない。 規模も大きくならない。
結局、長期的に見れば、
【人を育てる事】が最優先事項だと思うんですね。
松下幸之助さんも、
「松下電器は人をつくる会社です。」と仰っています。
人を育ててない企業は、
いずれ人材不足、後継者不足で悩む事になると思いますが、
後継者なんて、将来を見据えて長期間かけて育てていないと、
すぐに解決する問題ではありません。
強い組織は、【強固な信頼関係】によって成り立っています。
「ノウハウ」とか、「人を操る上手いやり方」とかじゃないんですよね。
超アナログな【人間力】です。
そして、「信頼」は時間をかけて積み上げて行くものです。
組織には、図体が大きいだけで中身が非常に脆い組織もあります。
人数はとにかく集まってるけど、烏合の衆であって、
何かの問題で亀裂が入ると、一気に崩壊します。
【お金の自由】は、「規模(量)」によってもたらされます。
【時間の自由】は、「質」によってもたらされます。
【量】を優先する人は、とにかく人だけは増えて行きますが、
質が低いので、どんどん問題が起きて、
その対処に時間や労力が取られてしまします。
新規顧客ばかりを追い求めているマーケターみたいな人がそうです。
「時代の変化」や「ライバルの登場」などによって、
カンタンに人が離れていきます。
一方、【質】を優先する人は、人数を無闇に増やしません。
お金の面では増えにくいですが、
集める人を良い人だけに限定するので問題があまり起きませんし、
ビジネスがリピーターによって支えられているので、
時間や労力にいつも余裕があります。
もちろん、どちらも大切ですが、
どちらを優先するかによって、
自分のやり方のスタイルや結果が異なります。
私は、【質】を最優先にして、【質】を保ちつつ、
【量】を最大限に増やす事を目指しています。
もちろん、「お金」よりも「時間」を優先しています。
私は面倒くさがり屋ですからね(笑)
そして、最近は【量】も増えてきて、
一人では捌ききれない程になってきました。
規模が大きくなると、
「幅広い層」にアプローチできるのがメリットです。
今の私は、【情熱の塊】みたいな感じですから、
「本気の人」以外寄せ付けない波動をまとっています(笑)
でも、弟子たちはそこまでではありませんから、
もっと気楽な感じで仕事を依頼できると思います(笑)
私は「本気の人」しか相手にしたくありませんし、
「本気でない人」は寄りにくいようなエネルギーを持っています。
ですから普通の人、一般的な人は来ません(笑)
でも、弟子たちには、普通の人たちを
たくさんサポートしてあげて欲しいなと思っています。
私は【質】の担当。 弟子は【量】の担当になって欲しい。
そうやって、幅広い人たちに対して、
「高い価値」を提供していきたいと思っています。
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2014年04月11日
「自由」と「責任」
私は「幸せについての研究家」ですが、
「幸せ」と「自由」はとても深い関係がありますし、
私自身、自由をとても大切にしています。
でも、「自由」には「責任」が伴います。
人は、【責任を背負った分だけ自由になれる】と言う事です。
「責任を負う」って言葉には、
「不自由になってしまう」様なイメージがありますが、
何事も表裏一体だと言う事です。
【自由】というのは、
「自分で好き放題選択できる」と言う事ですが、
逆に言うと、その「自らの選択の結果」に対しては、
責任を負わなければなりません。
例えば、ニートを例に取ってみると、
近年では「働きたくない」という若者も多いと思いますが、
「自分は働かない」という自由を選択する代わりに、
「お金がもらえない」という、責任を負い、
ある部分では、経済的に不自由になってしまうと言う事です。
対極の例でいうと、
大きな組織のリーダーやトップというのは、決裁権を持ち、
その組織に対して自由に影響を与える事ができます。
しかし、その組織全体の責任を負っている事になります。
ある部分で、【責任(不自由)】を背負うからこそ、
【自由】が手に入るのです。
私は昔っから「自由」を目指してきたので、
今ではかなり「自由な生活」をしていますが、
その分だけ、大きな責任も背負っています。
弟子やお客さんに対する責任です。
その責任を背負っているからこそ、
私は自由でいられるのです。
私がお客さんに対する責任を放棄すれば、
今の私の自由なライフスタイルも失う事になります。
自由が欲しければ、
自分が背負えるだけの責任を、
積極的に背負っていく必要があります。
多くの人は、「自由(成功)」は欲しいけど、
「責任は背負いたくない」と思っています。
ですから、不自由なままなのです。
「価値ある何か」手に入れるには、
「相応の対価」を支払う必要があるのです。
その対価を支払いたくないというのは、
非常に「子供じみた発想」だという訳です。
どんな組織を見ても、
トップは自由ですが、その分だけ重い責任を背負っています。
【自由】が欲しければ、
【その分だけ責任を積極的に背負う事】です。
「他人のせいにして、責任転嫁して、被害者意識を持つ」
と言う事は、自己責任の反対です。
ですから、不自由になってしまうのです。
自由な人は、「自己責任」で生きています。
不自由な人は、「他人のせい」にして生きています。
企業の社長や、一家の主など、
他人に対する大きな責任を背負っている人もいますが、
まずは、「自分一人ぐらいの人生」に対して
責任を取れる様にならなければ、
ずっと自分以外の他の誰かからの【指示と命令】に従い、
【拘束と束縛の元に】生きる事になります。
「責任を放棄」するのは、目先ではラクですが、
その分だけ、「自由を放棄」する事にもなるのです。
私は、弟子8人の人生を背負っています。
今、組織が大きくなろうとしているので、
さらに大きな責任を、
これからもたくさん背負っていく事になります。
でも、だからこそ私の自由度はさらに増えていくのです。
責任を背負うほど、自由度は広がり、
責任を放棄するほど、自由度は減るのです。
自由になれない人は、責任を背負う事を怖れています。
多くの人が大口を叩けない理由は、
「自分の発言には責任が発生するから」です。
大口を叩いたのに出来なかったら恥を掻きますから、
その恥を怖れて、大きな事が言えないのです。
私は大口を叩いていますが、
将来に対して、それだけの責任を背負っています。
「責任を積極的に背負う姿勢と覚悟」が、【自由への道】なのです。
「幸せ」と「自由」はとても深い関係がありますし、
私自身、自由をとても大切にしています。
でも、「自由」には「責任」が伴います。
人は、【責任を背負った分だけ自由になれる】と言う事です。
「責任を負う」って言葉には、
「不自由になってしまう」様なイメージがありますが、
何事も表裏一体だと言う事です。
【自由】というのは、
「自分で好き放題選択できる」と言う事ですが、
逆に言うと、その「自らの選択の結果」に対しては、
責任を負わなければなりません。
例えば、ニートを例に取ってみると、
近年では「働きたくない」という若者も多いと思いますが、
「自分は働かない」という自由を選択する代わりに、
「お金がもらえない」という、責任を負い、
ある部分では、経済的に不自由になってしまうと言う事です。
対極の例でいうと、
大きな組織のリーダーやトップというのは、決裁権を持ち、
その組織に対して自由に影響を与える事ができます。
しかし、その組織全体の責任を負っている事になります。
ある部分で、【責任(不自由)】を背負うからこそ、
【自由】が手に入るのです。
私は昔っから「自由」を目指してきたので、
今ではかなり「自由な生活」をしていますが、
その分だけ、大きな責任も背負っています。
弟子やお客さんに対する責任です。
その責任を背負っているからこそ、
私は自由でいられるのです。
私がお客さんに対する責任を放棄すれば、
今の私の自由なライフスタイルも失う事になります。
自由が欲しければ、
自分が背負えるだけの責任を、
積極的に背負っていく必要があります。
多くの人は、「自由(成功)」は欲しいけど、
「責任は背負いたくない」と思っています。
ですから、不自由なままなのです。
「価値ある何か」手に入れるには、
「相応の対価」を支払う必要があるのです。
その対価を支払いたくないというのは、
非常に「子供じみた発想」だという訳です。
どんな組織を見ても、
トップは自由ですが、その分だけ重い責任を背負っています。
【自由】が欲しければ、
【その分だけ責任を積極的に背負う事】です。
「他人のせいにして、責任転嫁して、被害者意識を持つ」
と言う事は、自己責任の反対です。
ですから、不自由になってしまうのです。
自由な人は、「自己責任」で生きています。
不自由な人は、「他人のせい」にして生きています。
企業の社長や、一家の主など、
他人に対する大きな責任を背負っている人もいますが、
まずは、「自分一人ぐらいの人生」に対して
責任を取れる様にならなければ、
ずっと自分以外の他の誰かからの【指示と命令】に従い、
【拘束と束縛の元に】生きる事になります。
「責任を放棄」するのは、目先ではラクですが、
その分だけ、「自由を放棄」する事にもなるのです。
私は、弟子8人の人生を背負っています。
今、組織が大きくなろうとしているので、
さらに大きな責任を、
これからもたくさん背負っていく事になります。
でも、だからこそ私の自由度はさらに増えていくのです。
責任を背負うほど、自由度は広がり、
責任を放棄するほど、自由度は減るのです。
自由になれない人は、責任を背負う事を怖れています。
多くの人が大口を叩けない理由は、
「自分の発言には責任が発生するから」です。
大口を叩いたのに出来なかったら恥を掻きますから、
その恥を怖れて、大きな事が言えないのです。
私は大口を叩いていますが、
将来に対して、それだけの責任を背負っています。
「責任を積極的に背負う姿勢と覚悟」が、【自由への道】なのです。
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2014年04月08日
波動は金で買う
ここ数日は、「充実」を通り越して、
軽く「キャパオーバー」になってしまい、
もっと休息を大事にしないとなぁ…と感じていました。
【短期効率】を求めすぎると、
やっぱり無理やガタが出てきて、
結局【長期効率】を犠牲にしてしまう事になります。
私は「長期効率」にこだわっているので、
目先の「短期効率」はあまり重視していません。
常に、大局を見る様にしていますからね。
「電車の運転手」なんていう仕事は、
一番向いていないと思います。
【 分刻み、秒刻みで時間に正確、同じ事の繰り返し 】
ですからね(笑)
私は基本的には気長で、のんびりした性格をしていますが、
こと「成長(波動向上)」に関しては、超が付く「せっかち」です。
【最短最速の成長(波動向上)】が自分のポリシーですから、
成長(波動向上)スピードに対しては、かなり短気です。
それで、私のメソッドの一番コアとなる部分は、
「波動をいかに上げるか?」って事なんですね。
【現実】というのは、「波動の引き寄せ & 類友」です。
ですから、自分の波動さえ上げていれば、
勝手に現実は好転していくのです。
それで、波動はどうやって上げれば良いんですか?
って言うと、
私がいつも言っている「日頃の行い」に加えて、
やはり、波動にお金をかけなきゃいけない訳です。
「波動が高いモノ」というのは、たいてい高価です。
でも高価だからと言って、必ず波動が高い訳でも無いですが。
「宝石」や「芸術作品」などは代表的ですが、
目利きが出来ないと、良いモノは選べませんからね。
私は、【最小の労力で最大限の結果】がポリシーです。
出来る限り経済的負担の少ない道を示しているつもりですが、
それでも、やっぱりお金を払わなきゃ行けないときは、
どっぷりとつぎ込まなきゃなりません。
わかりやすく顕著に現れるのが、
私の継続型サービス(コンサルティングなど)を受けていた人が、
お金を理由に止めてしまうとどうなるか?って事なのですが、
止めても「一ヶ月」くらいは、今までの惰性で調子は良いのですが、
「二ヶ月」くらい立つと、どんどん調子が落ちていくんですね。
「お金を払う」と言う事は、「相手とのエネルギー交換」です。
ですから、私にお金を払うのを止めて、
私の【高いエネルギーの供給】が切れると、
当然ながら、今まで引き上げられていたエネルギーが
低下していく事になります。
私は弟子に対して、
私に払うコンサルティングの金額は自分で決めて良いよと言っています。
でも、何らかの理由でお金に困って、
今まで私に払っていたお金がストップすると、
明らかに調子が落ちていきます。
別に、本人が満足するのであれば、
どこで卒業して頂いても構わないと思いますし、
私は「止めたい」という人を一切引き留めません。
でも、今までより調子が落ちるということだけは、
覚悟してもらった方が良いかも知れません。
こう言ったことは、「脅し」みたいに思われる可能性があるので、
あまり言いたくは無い事ですが、事実としてあります。
それで、私は「お金」よりも「成長」の方が大事なので、
お金を受け取らなくても、
今までと同じ量のエネルギーを注ぐとします。
すると、どうなるか?というと、
私の伝えるメッセージが相手に理解されなくなったり、
私の注ぐエネルギーを相手が受け取れずに、
無駄になったりしてしまうのです。
お金を受け取らずして、
相手に何かしてあげるにも限界が出てくるのです。
結局、宇宙は【等価交換】が原則です。
お金以外でもエネルギーのバランスが取れれば良いのですが、
お金はひとつの便利な道具ですからね。
成長こそが目的ですから、
「お金」よりも「成長」の方が大事だとは思いますが、
「お金」は【成長に必要な手段】です。
ですから、【いくら波動にお金をつぎ込めるか?】で、
その人の成長のスピードや度合いが変わってくるんですね。
アフリカの貧しい国では、
いくら本人にやる気があっても、
お金が無いために学校に行けず、
大人になっても文字も読めず、良い職に就けず、
貧しい一生を送る人もいると思います。
先進国であっても、
いくら将来性があっても、銀行や投資家がお金を出してくれず、
当面の運転資金が無いために、潰れてしまう企業もあります。
それと同じ事です。
もしも、「自己投資する為のお金」が無ければ、
将来性を失う事になるのです。
ですから「お金」って、
ものすごく大切ですねって話なのです。
でも、お金の問題って、
最終的には人間関係の問題に辿り付きます。
「お金を払う相手」は機械ではなく、人間です。
「お金を借りる相手」も機械ではなく、人間です。
ですから、人間関係が本当に良好であれば、
この豊かな日本で、お金に困る事ってあまり無いんです。
ですから、手持ちのお金が無いって事で、
夢や自分の将来性を諦める必要はありません。
自分を助けてくれる援助者がいればよいのですから。
なので、この豊かな日本で、
【お金が無いから夢が叶わない】って
あんまり言い訳にならないんですよ。
私から見れば、
「対人関係に本当の障害があるんじゃないですか?」って感じです。
それと、お金を何に自己投資するかって話なのですが、
ほとんどの人は、
学校教育で「勉強こそが成功方法」だと洗脳されているので、
「知識」や「情報」にお金を投資していますが、
それは効果的ではありません。
本当に価値ある自己投資とは、
【理解・経験・波動(エネルギー)】に投資する事です。
私のメソッドのコアは、
目に見えない「波動・エネルギー」にフォーカスしている事です。
しかし、ほとんどの人は、
【目に見えないエネルギーを買う】という発想も無ければ、
「それに高い価値を見いだす」という事も無いでしょう。
知識だけ持っていても、頭でっかちになるだけで、
知識をベースに喋っている人の話って、説得力が無いんですね。
結局は、他人から学んだ情報の受け売り、知識の横流しです。
経験を通して、大切な事を理解し、確信している人の話にこそ、
説得力があり、他人に影響を与え、他人を動かすチカラがあるのです。
ただ勉強して無駄知識を増やすよりも、
・一流の人たちが提供してくれる質の高いサービスを受けたり、
・一流の人たちと深い人間関係を築いたり、
・高級な場所に行ったり、高級品を手に入れる方が、
よほど、自分の成長の役に立ちます。
知識だけたくさん持っていても、大した意味はありません。
本質を理解したり、何らかの技術を体得する事によって、
初めて高い価値を他人に与えられる様になるのです。
「お金」は大事です。
それ以上に、「お金の使い道、使い方」はもっと大事です。
自分の内面、心理に取り組み、人間関係の改善に努め、
何とかして、自分の将来の為に、
自己投資の為のお金を調達、確保し、
その「お金」を有効な自己投資につぎ込む。(波動を金で買う)
それが、私の示す
【最短最速の「成長(波動向上・現実好転)」への道】なのです。
軽く「キャパオーバー」になってしまい、
もっと休息を大事にしないとなぁ…と感じていました。
【短期効率】を求めすぎると、
やっぱり無理やガタが出てきて、
結局【長期効率】を犠牲にしてしまう事になります。
私は「長期効率」にこだわっているので、
目先の「短期効率」はあまり重視していません。
常に、大局を見る様にしていますからね。
「電車の運転手」なんていう仕事は、
一番向いていないと思います。
【 分刻み、秒刻みで時間に正確、同じ事の繰り返し 】
ですからね(笑)
私は基本的には気長で、のんびりした性格をしていますが、
こと「成長(波動向上)」に関しては、超が付く「せっかち」です。
【最短最速の成長(波動向上)】が自分のポリシーですから、
成長(波動向上)スピードに対しては、かなり短気です。
それで、私のメソッドの一番コアとなる部分は、
「波動をいかに上げるか?」って事なんですね。
【現実】というのは、「波動の引き寄せ & 類友」です。
ですから、自分の波動さえ上げていれば、
勝手に現実は好転していくのです。
それで、波動はどうやって上げれば良いんですか?
って言うと、
私がいつも言っている「日頃の行い」に加えて、
やはり、波動にお金をかけなきゃいけない訳です。
「波動が高いモノ」というのは、たいてい高価です。
でも高価だからと言って、必ず波動が高い訳でも無いですが。
「宝石」や「芸術作品」などは代表的ですが、
目利きが出来ないと、良いモノは選べませんからね。
私は、【最小の労力で最大限の結果】がポリシーです。
出来る限り経済的負担の少ない道を示しているつもりですが、
それでも、やっぱりお金を払わなきゃ行けないときは、
どっぷりとつぎ込まなきゃなりません。
わかりやすく顕著に現れるのが、
私の継続型サービス(コンサルティングなど)を受けていた人が、
お金を理由に止めてしまうとどうなるか?って事なのですが、
止めても「一ヶ月」くらいは、今までの惰性で調子は良いのですが、
「二ヶ月」くらい立つと、どんどん調子が落ちていくんですね。
「お金を払う」と言う事は、「相手とのエネルギー交換」です。
ですから、私にお金を払うのを止めて、
私の【高いエネルギーの供給】が切れると、
当然ながら、今まで引き上げられていたエネルギーが
低下していく事になります。
私は弟子に対して、
私に払うコンサルティングの金額は自分で決めて良いよと言っています。
でも、何らかの理由でお金に困って、
今まで私に払っていたお金がストップすると、
明らかに調子が落ちていきます。
別に、本人が満足するのであれば、
どこで卒業して頂いても構わないと思いますし、
私は「止めたい」という人を一切引き留めません。
でも、今までより調子が落ちるということだけは、
覚悟してもらった方が良いかも知れません。
こう言ったことは、「脅し」みたいに思われる可能性があるので、
あまり言いたくは無い事ですが、事実としてあります。
それで、私は「お金」よりも「成長」の方が大事なので、
お金を受け取らなくても、
今までと同じ量のエネルギーを注ぐとします。
すると、どうなるか?というと、
私の伝えるメッセージが相手に理解されなくなったり、
私の注ぐエネルギーを相手が受け取れずに、
無駄になったりしてしまうのです。
お金を受け取らずして、
相手に何かしてあげるにも限界が出てくるのです。
結局、宇宙は【等価交換】が原則です。
お金以外でもエネルギーのバランスが取れれば良いのですが、
お金はひとつの便利な道具ですからね。
成長こそが目的ですから、
「お金」よりも「成長」の方が大事だとは思いますが、
「お金」は【成長に必要な手段】です。
ですから、【いくら波動にお金をつぎ込めるか?】で、
その人の成長のスピードや度合いが変わってくるんですね。
アフリカの貧しい国では、
いくら本人にやる気があっても、
お金が無いために学校に行けず、
大人になっても文字も読めず、良い職に就けず、
貧しい一生を送る人もいると思います。
先進国であっても、
いくら将来性があっても、銀行や投資家がお金を出してくれず、
当面の運転資金が無いために、潰れてしまう企業もあります。
それと同じ事です。
もしも、「自己投資する為のお金」が無ければ、
将来性を失う事になるのです。
ですから「お金」って、
ものすごく大切ですねって話なのです。
でも、お金の問題って、
最終的には人間関係の問題に辿り付きます。
「お金を払う相手」は機械ではなく、人間です。
「お金を借りる相手」も機械ではなく、人間です。
ですから、人間関係が本当に良好であれば、
この豊かな日本で、お金に困る事ってあまり無いんです。
ですから、手持ちのお金が無いって事で、
夢や自分の将来性を諦める必要はありません。
自分を助けてくれる援助者がいればよいのですから。
なので、この豊かな日本で、
【お金が無いから夢が叶わない】って
あんまり言い訳にならないんですよ。
私から見れば、
「対人関係に本当の障害があるんじゃないですか?」って感じです。
それと、お金を何に自己投資するかって話なのですが、
ほとんどの人は、
学校教育で「勉強こそが成功方法」だと洗脳されているので、
「知識」や「情報」にお金を投資していますが、
それは効果的ではありません。
本当に価値ある自己投資とは、
【理解・経験・波動(エネルギー)】に投資する事です。
私のメソッドのコアは、
目に見えない「波動・エネルギー」にフォーカスしている事です。
しかし、ほとんどの人は、
【目に見えないエネルギーを買う】という発想も無ければ、
「それに高い価値を見いだす」という事も無いでしょう。
知識だけ持っていても、頭でっかちになるだけで、
知識をベースに喋っている人の話って、説得力が無いんですね。
結局は、他人から学んだ情報の受け売り、知識の横流しです。
経験を通して、大切な事を理解し、確信している人の話にこそ、
説得力があり、他人に影響を与え、他人を動かすチカラがあるのです。
ただ勉強して無駄知識を増やすよりも、
・一流の人たちが提供してくれる質の高いサービスを受けたり、
・一流の人たちと深い人間関係を築いたり、
・高級な場所に行ったり、高級品を手に入れる方が、
よほど、自分の成長の役に立ちます。
知識だけたくさん持っていても、大した意味はありません。
本質を理解したり、何らかの技術を体得する事によって、
初めて高い価値を他人に与えられる様になるのです。
「お金」は大事です。
それ以上に、「お金の使い道、使い方」はもっと大事です。
自分の内面、心理に取り組み、人間関係の改善に努め、
何とかして、自分の将来の為に、
自己投資の為のお金を調達、確保し、
その「お金」を有効な自己投資につぎ込む。(波動を金で買う)
それが、私の示す
【最短最速の「成長(波動向上・現実好転)」への道】なのです。
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2014年04月05日
早く行くか、遠くへ行くか
「人を育てる」ってのは、本当に大変だなぁと感じます。
世の中に【名プレイヤー】はたくさんいます。
自分は成功できる、自分は結果を出せるって人。
でも、教えている人を成功させたり、
結果を出させたりすることはできません。
逆に、世の中に【名コーチ】は少ないです。
教えている人間を成功させることが出来る、
教えている人間に結果を出させる事が出来るって人。
でも、ほとんどの人は
「名プレーヤー」から学ぼうとしちゃうんですよね。
【目に見えてわかりやすいから】です。
でも、彼らは自分自身が目立つことに一生懸命で、
「教育の中身」についてのこだわりって薄いんです。
自分が目立つために、たくさんの人にウケる事を狙っていて、
それが基準なので、【万人受けしそうな事】しかいいません。
逆に、どれほど大切な事だとしても、
「たくさんの人々にウケない事」は言わないのです。
でも、本当の成功への道は、
【多くの人が見たくない、聞きたくない部分】にあるのです。
私も、「名プレーヤー」の道を目指すのであれば、
「万人受け」を狙って、もっと早く結果を出せていたと思います。
しかし、アフリカのことわざに、
【早く行きたいなら、一人で行きなさい。
遠くへ行きたいなら、みんなで行きなさい。】
とあります。
私は、早く行くよりも、遠くへ行きたい。
もし、一人きりで早く行く道を選んでいたなら、
きっと自分が本当に望む「大きな高み」へとへは、
登れなかったと思います。
そして、自分自身が【名プレーヤー】であるより、
他人に結果を出させる【名コーチ】であることに、
私は強いプライドを持っています。
ですから、私は時間がかかっても、
「みんなと行く道」を選んだのです。
でも、その「共に高みを目指す仲間」ってのが、
なかなか見つからなくて苦労しました(笑)
「自分は高みへ登るんだ!」と説明しても、
・相手にやる気がないか、
・自分を信じてもらえないか、
そのどちらかばかりでした(笑)
一番弟子の国本さんですら、
しばらくは半信半疑でしたから。
【やる気もあって、自分を信じてくれる】
そういう人間をずっと探していて、
今は徐々に増えていますが、
初めの頃は、無残そのものでした(笑)
自分がどれだけ相手の将来を想ったところで、
人がどんどん離れていく苦痛を味わい尽くしてきました。
おかげで、他人に対する執着がだいぶ取れましたね。
「来る者拒まず、去る者追わず」です。
でも、【来る者】に対しても、
それなりの覚悟を求めているので、
初めは興味を持ってやって来ても、
結局は「覚悟を持てずに去っていく」という者もいますが。
「名コーチ(先生)」と言っても、
「名プレイヤー(生徒)」がいてこそ、仕事が成り立ちますからね。
「優秀な生徒」も、本当に貴重なのです(笑)
ですから、本当に大切に想っています。
大きい夢・理想を叶えるには、
それだけの何かを背負わなければなりません。
その対価を背負う気の無い人は、
詐欺師の甘言に惑わされ、騙されてお金を失ってしまうでしょう。
私が示す道は、
【最短最速かつ、一番負担が少ない道】です。
ですから、私のメソッドを学んで結果が出ない人は、
そもそもやる気が無いと思うので、
他所(よそ)へ行ってもダメだと思います。
ただ、私は自分から学んだ人には、
全員満足のいく結果を出して欲しいと思っているので、
初めの「入り口の時点」でかなり制限しています。
私は本気で相手の人生を考えているのですから、
そちらも本気なのかどうか、試すのは当然です。
もし、相手が本気でないのであれば、
私の本気の情熱と労力は徒労に終わってしまいますからね。
私は無駄が嫌いで、無駄な事はしませんから。
結果が出ないとわかっている人に割くエネルギーはありません。
お金をもらえるとしてもイヤです。
もし、お金を払うからと言われても、
【興味本位】や【エンターテイメント性】を求めている人は、
「お帰り下さい、他所(よそ)へ行って下さい」です。
私は自分の仕事に「プライド」と「誇り」を持っています。
【結果を出してナンボ】という「強いプライド」です。
ですから、「中途半端な気持ち」で来られたら、
自分がエネルギーを割いたとしても、結果も出ずに、
自分のエネルギーを無駄に奪われてしまう分、逆に迷惑です。
私は、そういう「目に見えないハードル」を課していますが、
そのハードルを乗り越えて来た人に対しては、心から歓迎します。
その勇気と覚悟を称えます。
本気で「尊敬に値する」と思います。
今後も、見せかけだけのやる気でなく、
本気の覚悟を携えた、
尊敬の出来る勇敢な人たちと付き合っていきたいと思います。
世の中に【名プレイヤー】はたくさんいます。
自分は成功できる、自分は結果を出せるって人。
でも、教えている人を成功させたり、
結果を出させたりすることはできません。
逆に、世の中に【名コーチ】は少ないです。
教えている人間を成功させることが出来る、
教えている人間に結果を出させる事が出来るって人。
でも、ほとんどの人は
「名プレーヤー」から学ぼうとしちゃうんですよね。
【目に見えてわかりやすいから】です。
でも、彼らは自分自身が目立つことに一生懸命で、
「教育の中身」についてのこだわりって薄いんです。
自分が目立つために、たくさんの人にウケる事を狙っていて、
それが基準なので、【万人受けしそうな事】しかいいません。
逆に、どれほど大切な事だとしても、
「たくさんの人々にウケない事」は言わないのです。
でも、本当の成功への道は、
【多くの人が見たくない、聞きたくない部分】にあるのです。
私も、「名プレーヤー」の道を目指すのであれば、
「万人受け」を狙って、もっと早く結果を出せていたと思います。
しかし、アフリカのことわざに、
【早く行きたいなら、一人で行きなさい。
遠くへ行きたいなら、みんなで行きなさい。】
とあります。
私は、早く行くよりも、遠くへ行きたい。
もし、一人きりで早く行く道を選んでいたなら、
きっと自分が本当に望む「大きな高み」へとへは、
登れなかったと思います。
そして、自分自身が【名プレーヤー】であるより、
他人に結果を出させる【名コーチ】であることに、
私は強いプライドを持っています。
ですから、私は時間がかかっても、
「みんなと行く道」を選んだのです。
でも、その「共に高みを目指す仲間」ってのが、
なかなか見つからなくて苦労しました(笑)
「自分は高みへ登るんだ!」と説明しても、
・相手にやる気がないか、
・自分を信じてもらえないか、
そのどちらかばかりでした(笑)
一番弟子の国本さんですら、
しばらくは半信半疑でしたから。
【やる気もあって、自分を信じてくれる】
そういう人間をずっと探していて、
今は徐々に増えていますが、
初めの頃は、無残そのものでした(笑)
自分がどれだけ相手の将来を想ったところで、
人がどんどん離れていく苦痛を味わい尽くしてきました。
おかげで、他人に対する執着がだいぶ取れましたね。
「来る者拒まず、去る者追わず」です。
でも、【来る者】に対しても、
それなりの覚悟を求めているので、
初めは興味を持ってやって来ても、
結局は「覚悟を持てずに去っていく」という者もいますが。
「名コーチ(先生)」と言っても、
「名プレイヤー(生徒)」がいてこそ、仕事が成り立ちますからね。
「優秀な生徒」も、本当に貴重なのです(笑)
ですから、本当に大切に想っています。
大きい夢・理想を叶えるには、
それだけの何かを背負わなければなりません。
その対価を背負う気の無い人は、
詐欺師の甘言に惑わされ、騙されてお金を失ってしまうでしょう。
私が示す道は、
【最短最速かつ、一番負担が少ない道】です。
ですから、私のメソッドを学んで結果が出ない人は、
そもそもやる気が無いと思うので、
他所(よそ)へ行ってもダメだと思います。
ただ、私は自分から学んだ人には、
全員満足のいく結果を出して欲しいと思っているので、
初めの「入り口の時点」でかなり制限しています。
私は本気で相手の人生を考えているのですから、
そちらも本気なのかどうか、試すのは当然です。
もし、相手が本気でないのであれば、
私の本気の情熱と労力は徒労に終わってしまいますからね。
私は無駄が嫌いで、無駄な事はしませんから。
結果が出ないとわかっている人に割くエネルギーはありません。
お金をもらえるとしてもイヤです。
もし、お金を払うからと言われても、
【興味本位】や【エンターテイメント性】を求めている人は、
「お帰り下さい、他所(よそ)へ行って下さい」です。
私は自分の仕事に「プライド」と「誇り」を持っています。
【結果を出してナンボ】という「強いプライド」です。
ですから、「中途半端な気持ち」で来られたら、
自分がエネルギーを割いたとしても、結果も出ずに、
自分のエネルギーを無駄に奪われてしまう分、逆に迷惑です。
私は、そういう「目に見えないハードル」を課していますが、
そのハードルを乗り越えて来た人に対しては、心から歓迎します。
その勇気と覚悟を称えます。
本気で「尊敬に値する」と思います。
今後も、見せかけだけのやる気でなく、
本気の覚悟を携えた、
尊敬の出来る勇敢な人たちと付き合っていきたいと思います。
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2014年04月02日
美学について
先日、ある人から
「中井さんってなんでそんなに意志が強いんですか?」
という質問を受けました。
【 それは、一言でいうと「美学」ですよ 】
と答えました。
「美しさ」をとても大切にしているので、
・カッコ良くありたい
・カッコ悪くはなりたくない
という気持ちが強いのです。
生きるとか、死ぬとか、
ラクができるとか、しんどいとか、
そういうのを越えた所にある欲求です。
「美しさ」は生存に必要不可欠ではないですから。
日本の武士は、美学に命を懸けていました。
カッコ悪いまま生きるくらいなら、
生き恥をさらすくらいなら、潔く腹を切る! みたいな。
まぁそれが良いか悪いかはおいておいて、
武士にとって美学が重視されていた事は確かだと思います。
人間の内面には、「美しさを求める本能」があると思います。
だからこそ、芸術作品や映画などを観て、
物質的美しさや、精神的美しさに対して、
感動したり、涙を流したりするのです。
私は、【逆境においても意志を貫く人】に感動します。
でも、人間全員が、
同じレベルで意志が強くなることは不可能でしょう。
「2:8の法則」に代表されるように、
「個」が集まって「集団」が生まれたならば、
みんなピラミッド型のヒエラルキー(階層)ができますから。
「2:8の法則」と同じように、
ピラミッド型というのも、
「宇宙の法則」や「バランス」を示しているので、
それを覆すことは出来ないでしょう。
世の中全体をポジティブにするというのは、
ピラミッドのカタチを壊すことではなく、
ピラミッドのカタチのまま、「全体を向上させる事」です。
要は、最低ラインの引き上げ、【底上げ】ですね。
じゃあ、【底上げ】には、
「底の人たちにアプローチする事ですか?」
って言うと、そうじゃないんです。
【 ピラミッドの質は、トップで決まります 】
ですから、「トップの質」が高まらないと、
「ピラミッド全体の質」も上がらないのです。
ですから、
・リーダーの質を高める
・質の高いリーダーを多く輩出する
という事が、何よりも大切なのです。
でも、トップがすんなりと変わってくれれば早いのですが、
現実的にはそうじゃない訳ですね。
民主主義では、トップを選ぶのは民衆ですから。
「じゃあ、やっぱり底の人にアプローチする事なの?」
と、話が戻ってきますが、
底の人の中でも、
・【ピラミッドの質(社会全体)を良くしたい】という、
強い願いを持っている人
・将来トップまで上り詰めたいと思っている人
そういう人たちにアプローチする事が、
最終的に出来る事になってきます。
そう言う前向きな人も全員じゃありませんから、
【発掘して、ふるいにかけて、素質のある人間を引き上げる】
【素質のある人間を影響力を持つリーダーまで育て上げる】
そういう活動が必要になってきます。
対象は、「口だけ人間」では無くて、
【実際に責任を背負って、行動できる人】です。
それで、私は考え抜いた末に、
そういう結論に辿り付いたので、
今その活動を行っている訳ですね。
めちゃくちゃ大変ですけど、
でも、誰もやりたがらない事をやるってカッコイイと思うからです(笑)
「目先の損得勘定」で生きている人は、二流以下です。
「美学」に基づいて生きる人が、一流なのです。
「中井さんってなんでそんなに意志が強いんですか?」
という質問を受けました。
【 それは、一言でいうと「美学」ですよ 】
と答えました。
「美しさ」をとても大切にしているので、
・カッコ良くありたい
・カッコ悪くはなりたくない
という気持ちが強いのです。
生きるとか、死ぬとか、
ラクができるとか、しんどいとか、
そういうのを越えた所にある欲求です。
「美しさ」は生存に必要不可欠ではないですから。
日本の武士は、美学に命を懸けていました。
カッコ悪いまま生きるくらいなら、
生き恥をさらすくらいなら、潔く腹を切る! みたいな。
まぁそれが良いか悪いかはおいておいて、
武士にとって美学が重視されていた事は確かだと思います。
人間の内面には、「美しさを求める本能」があると思います。
だからこそ、芸術作品や映画などを観て、
物質的美しさや、精神的美しさに対して、
感動したり、涙を流したりするのです。
私は、【逆境においても意志を貫く人】に感動します。
でも、人間全員が、
同じレベルで意志が強くなることは不可能でしょう。
「2:8の法則」に代表されるように、
「個」が集まって「集団」が生まれたならば、
みんなピラミッド型のヒエラルキー(階層)ができますから。
「2:8の法則」と同じように、
ピラミッド型というのも、
「宇宙の法則」や「バランス」を示しているので、
それを覆すことは出来ないでしょう。
世の中全体をポジティブにするというのは、
ピラミッドのカタチを壊すことではなく、
ピラミッドのカタチのまま、「全体を向上させる事」です。
要は、最低ラインの引き上げ、【底上げ】ですね。
じゃあ、【底上げ】には、
「底の人たちにアプローチする事ですか?」
って言うと、そうじゃないんです。
【 ピラミッドの質は、トップで決まります 】
ですから、「トップの質」が高まらないと、
「ピラミッド全体の質」も上がらないのです。
ですから、
・リーダーの質を高める
・質の高いリーダーを多く輩出する
という事が、何よりも大切なのです。
でも、トップがすんなりと変わってくれれば早いのですが、
現実的にはそうじゃない訳ですね。
民主主義では、トップを選ぶのは民衆ですから。
「じゃあ、やっぱり底の人にアプローチする事なの?」
と、話が戻ってきますが、
底の人の中でも、
・【ピラミッドの質(社会全体)を良くしたい】という、
強い願いを持っている人
・将来トップまで上り詰めたいと思っている人
そういう人たちにアプローチする事が、
最終的に出来る事になってきます。
そう言う前向きな人も全員じゃありませんから、
【発掘して、ふるいにかけて、素質のある人間を引き上げる】
【素質のある人間を影響力を持つリーダーまで育て上げる】
そういう活動が必要になってきます。
対象は、「口だけ人間」では無くて、
【実際に責任を背負って、行動できる人】です。
それで、私は考え抜いた末に、
そういう結論に辿り付いたので、
今その活動を行っている訳ですね。
めちゃくちゃ大変ですけど、
でも、誰もやりたがらない事をやるってカッコイイと思うからです(笑)
「目先の損得勘定」で生きている人は、二流以下です。
「美学」に基づいて生きる人が、一流なのです。
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2014年04月01日
「メンター」と「アドバイザー」
私は、【先生】には二種類いると思います。
・「メンター的な人」と、
・「アドバイザー的な人」です。
人によって「使う言葉の定義」は違うと思いますが、
私にとって
・メンターとは、【「思想(考え方)」や「生き方」を学ぶ対象】
・アドバイザーとは、【「専門知識」や「専門技術」を学ぶ対象】
という風に区分しています。
ある人にとって、私はメンターかもしれませんし、
またある人にとっては、私はアドバイザーかもしれません。
私は、昔、斎藤一人さんの自由かつ、
人々を教育し、啓蒙していく生き方に憧れていたので、
直接学んでいた訳では無いにしろ、
メンターという区分に入るかもしれませんが、
今は、もっと大きな夢を描いているので、
今メンターと呼べる人がいるかどうか?
と聞かれたら、微妙ですね。
強いて言えば、生身の人間では無く、
「高次元の存在」とかになると思います(笑)
と言っても、
高次元の存在に質問するのは判断材料であって、
自分の「生き方」や「思想」は既に確立されているので、
どちらかというとアドバイザー的な存在です。
私は、自分の専門分野(心理など)について、
直接師事し、学んだ先生はいません。
読書などを通して、様々な人の考え方を学びながらも、
主には自分自身で研究してきましたから。
「研究」と「学習」の違いですが、
「研究」は、誰も教えてくれない事について、
自分で考え、検証、実験し、
【新たな発見をする】と言う事です。
つまり、誰かの「後追い」や「模倣」ではなく、
【最先端を行く】と言う事ですね。
「発明」は、【新たな「手法(メソッド)」を開発】する事です。
そして、私は自分で研究と発明をしてきたので、
当然ながら最先端です。
ですから、自分の専門分野について、
「学べる先生はいない」と言う事になります。
パイオニア(先駆者)になる人は、
・学べる人がいないからこそ、
・まだ誰もやっている人がいないからこそ、
自分で新しい事をやってる訳ですからね。
私にとって、自分の健康の先生は、
アドバイザー的な先生です。
あそこまでの健康オタクにはなれそうにありません(笑)
自分の基準よりも、高い基準を持っているから先生です。
自分よりも、広い視野と経験を持っているから先生です。
優秀な人ほど、【高い基準】を持っています。
私は当然ながら、健康の先生に比べれば、
「健康の基準」については低いです。
ダメ出しばっかりされています(笑)
しかし、「心理分野における基準」は、鬼の様に高いです。
自分の専門分野ですからね。
無理は言いませんし、やりませんが、
一切の妥協を許しません。
「心理分野(精神性・人間力)」
における最も重要なキーワードは、
【自業自得・自己責任】と【精神バランス】と
【無条件の愛(自由意志の尊重)】です。
要は、
・他人のせいにして責任転嫁をしない
・精神バランスを整える
・他人に自分の価値観を押しつけない
・他人の自由意志を尊重する
これらについては、私は徹底的です。
他にも、重要な要素として
・波動向上
・コンディションの維持向上
などもありますけどね。
自分のネガティブな現実を
「他人のせい」にして、「責任転嫁」をして、
「被害者意識」を持っている人にとっては、
私はすごく厳しく映ると思います(笑)
【 通り魔に殺されても自業自得・自己責任 】
と言っていますから(笑)
まったく、普通に平凡に生活している人の感覚ではありません(笑)
「そんなに厳しい基準で生きているのか?」って、
それがトップレベルのプロフェッショナルです。
トップレベルのプロフェッショナルは、
【他人に勝つため】に自己研鑽しているのではなく、
【己の限界に挑むため】に自己研鑽しています。
私は弟子に対して、
「カメを見るな、ゴールを見ろ」と言っています。
ウサギは、カメに今現在勝っていることに安心して、怠けました。
ウサギの目的は、ゴールに辿り着く事ではなく、
カメに勝つことだったのです。
それは、二流の考え方です。
一流は、己の限界に挑むモノです。
そこには、安心して怠けられる領域などありませんからね。
ですから、本物の一流は、
二位以下を大きく引き離して、断トツの一位になります。
「厳しい基準」で生きている人と触れ合っていれば、
自動的に「自分の基準」も引き上がっていきます。
自分の持っている基準が、人生の質を決めます。
そして、一番大切なのは、
その高い基準の場所に飛び込んで行く【勇気】と【覚悟】です。
飛び込んだ後は、
初めはしんどくても、慣れれば徐々にラクになっていきます。
ですから、「飛び込む前」の気持ちが一番重要です。
【勇気・意志・覚悟】
あれこれと色々言ったとしても、
最終的には根本の【 精神力 】がモノを言います。
・「メンター的な人」と、
・「アドバイザー的な人」です。
人によって「使う言葉の定義」は違うと思いますが、
私にとって
・メンターとは、【「思想(考え方)」や「生き方」を学ぶ対象】
・アドバイザーとは、【「専門知識」や「専門技術」を学ぶ対象】
という風に区分しています。
ある人にとって、私はメンターかもしれませんし、
またある人にとっては、私はアドバイザーかもしれません。
私は、昔、斎藤一人さんの自由かつ、
人々を教育し、啓蒙していく生き方に憧れていたので、
直接学んでいた訳では無いにしろ、
メンターという区分に入るかもしれませんが、
今は、もっと大きな夢を描いているので、
今メンターと呼べる人がいるかどうか?
と聞かれたら、微妙ですね。
強いて言えば、生身の人間では無く、
「高次元の存在」とかになると思います(笑)
と言っても、
高次元の存在に質問するのは判断材料であって、
自分の「生き方」や「思想」は既に確立されているので、
どちらかというとアドバイザー的な存在です。
私は、自分の専門分野(心理など)について、
直接師事し、学んだ先生はいません。
読書などを通して、様々な人の考え方を学びながらも、
主には自分自身で研究してきましたから。
「研究」と「学習」の違いですが、
「研究」は、誰も教えてくれない事について、
自分で考え、検証、実験し、
【新たな発見をする】と言う事です。
つまり、誰かの「後追い」や「模倣」ではなく、
【最先端を行く】と言う事ですね。
「発明」は、【新たな「手法(メソッド)」を開発】する事です。
そして、私は自分で研究と発明をしてきたので、
当然ながら最先端です。
ですから、自分の専門分野について、
「学べる先生はいない」と言う事になります。
パイオニア(先駆者)になる人は、
・学べる人がいないからこそ、
・まだ誰もやっている人がいないからこそ、
自分で新しい事をやってる訳ですからね。
私にとって、自分の健康の先生は、
アドバイザー的な先生です。
あそこまでの健康オタクにはなれそうにありません(笑)
自分の基準よりも、高い基準を持っているから先生です。
自分よりも、広い視野と経験を持っているから先生です。
優秀な人ほど、【高い基準】を持っています。
私は当然ながら、健康の先生に比べれば、
「健康の基準」については低いです。
ダメ出しばっかりされています(笑)
しかし、「心理分野における基準」は、鬼の様に高いです。
自分の専門分野ですからね。
無理は言いませんし、やりませんが、
一切の妥協を許しません。
「心理分野(精神性・人間力)」
における最も重要なキーワードは、
【自業自得・自己責任】と【精神バランス】と
【無条件の愛(自由意志の尊重)】です。
要は、
・他人のせいにして責任転嫁をしない
・精神バランスを整える
・他人に自分の価値観を押しつけない
・他人の自由意志を尊重する
これらについては、私は徹底的です。
他にも、重要な要素として
・波動向上
・コンディションの維持向上
などもありますけどね。
自分のネガティブな現実を
「他人のせい」にして、「責任転嫁」をして、
「被害者意識」を持っている人にとっては、
私はすごく厳しく映ると思います(笑)
【 通り魔に殺されても自業自得・自己責任 】
と言っていますから(笑)
まったく、普通に平凡に生活している人の感覚ではありません(笑)
「そんなに厳しい基準で生きているのか?」って、
それがトップレベルのプロフェッショナルです。
トップレベルのプロフェッショナルは、
【他人に勝つため】に自己研鑽しているのではなく、
【己の限界に挑むため】に自己研鑽しています。
私は弟子に対して、
「カメを見るな、ゴールを見ろ」と言っています。
ウサギは、カメに今現在勝っていることに安心して、怠けました。
ウサギの目的は、ゴールに辿り着く事ではなく、
カメに勝つことだったのです。
それは、二流の考え方です。
一流は、己の限界に挑むモノです。
そこには、安心して怠けられる領域などありませんからね。
ですから、本物の一流は、
二位以下を大きく引き離して、断トツの一位になります。
「厳しい基準」で生きている人と触れ合っていれば、
自動的に「自分の基準」も引き上がっていきます。
自分の持っている基準が、人生の質を決めます。
そして、一番大切なのは、
その高い基準の場所に飛び込んで行く【勇気】と【覚悟】です。
飛び込んだ後は、
初めはしんどくても、慣れれば徐々にラクになっていきます。
ですから、「飛び込む前」の気持ちが一番重要です。
【勇気・意志・覚悟】
あれこれと色々言ったとしても、
最終的には根本の【 精神力 】がモノを言います。
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