2012年02月

2012年02月28日

次の一手

孫正義さんは、日本で起業されるときに、
「生涯にわたって自分が何の事業に携わるのか?」

という調査のためにひとつの会社を創りました。

そして、一年半もの間、その調査に時間をかけたのです。


私も、「自分が次に何をするべきか?」
と言う事に、一番時間をかけて考えます。


「チャレンジしてみたものの、
 やっぱり自分のやりたい事ではなかった。」

と気付くのもひとつの学びですし、

今までの人生で、そういう事を繰り返しながら
「自分が本当にやりたい事とは何だろうか?」

と言う事を学んできました。


でも、頭を使わずにそればっかりでは
フラフラして余計な時間がかかりますし、

やはり、始めにキチンと考えておくことが、
最終的には最短距離だと思うんですね。


そうやって、
「自分のやりたい事について考える事」を繰り返していると、

周りの状況にフラフラと流される事無く、
しっかりと自分の軸を確立することができると思います。


そして、なぜそういう発想に至るかというと、

私も、多くの偉業を成し遂げた偉人、先輩たちも、

「自分の人生」という長期スパンで
物事を考えているからだと思います。


「何か大きい事を成し遂げたい」と思う人にとって、
一度しかない今回の人生を、「一体何に捧げるのか?」

と言うのは、人生で最も重要なテーマです。


「視野の広さ」と「本質の深さ」は比例しますから、

人生の本質という「根っこ」を考える人は、
同時に広い視野を持とうとするのですね。


私は、試練があったり、新しい情報を取り入れて、
その結果、自分の価値観が変容すると、

今までの価値観を捨てるコトになりますから、

今まで自分の行動を支えていた
モチベーションも捨てるコトにもなります。


そして、新たなモチベーションを見つける必要がでてくるのです。


例えば、自己顕示欲によって仕事を頑張っていた人がいたとして、
その人の意識が成長し、自己顕示欲を捨てたとするならば、

もうその欲は無いので、
モチベーションも消えることになるんですね。


私は意識が成長するにつれて、
どんどんとエゴの欲求が消えていくので、

どんどんモチベーションも
新たに切り換えていかなければなりません。


無欲な私にとって
「自分は何の為に積極的に活動するのか?」

という動機を見つけることが、一番のテーマです。


長期的にはテコでも動かない固い決意があるのですが、

中期的なモチベーションは、
自分の「喜び、わくわく」によってもたらされますから、

自分が何に喜びを感じ、わくわくを感じるか?
という事を、しっかりと考える必要があるのです。


私は自分の能力を妥協なく高めてきた結果、
非常に偏った能力となってしまいました。


自分が興味のあること(人間の幸せと本質)について、

学ぶ事、考える事、教える事という
精神活動は大好きなのですが、

それに関係無いこと(中身の薄い雑談など)やルーチンワーク、
地道な手作業などが非常に苦手になってしまいました(笑)


精神は必ずバランスを取りますから、

何かがすごく得意と言うことは、
同時に何かがものすごく苦手と言うことになります。


そんな自分が、自分のやりたい事を通して、
どうやって社会に対して貢献していけるのだろう?

というのは、本当によく考えなければならないテーマです。


そして、めちゃくちゃ考えた末に、辿り着いた結論は、

「自分が体系化した心理学を学べる教材をたくさん量産しよう」

そして、

「それを日本中、世界中に販売していこう」

そうすれば、自分も、周りの人たちも、社会もハッピーになる、
という結論に辿り着きました。


ただ、またそのカタチにすると言う事がなかなか一筋縄ではいかず、

私は基本的に「個別の質疑応答」が大好きなのですが、
それが一番相手に理解してもらえるからです。


多くの人が学べる教材をつくると言うのは、

より多くの人々に深く理解してもらえるように、
表現に細心の注意を払わなければなりませんし、

誤解が生じないように気を付けなければいけませんし、
とてもエネルギーが必要な事です。


誰か開発と販売を一緒に手伝ってくれる人が
いてくれれば嬉しいのですが…。


そういう教材開発・販売のスペシャリスト、
同志を引き寄せるまでは、

とりあえず、
つたないですが、今自分にできる事をがんばります。


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2012年02月25日

試練とポリシーのシフト

この一ヶ月、一週間、久々に大きな試練の連続で、
地べたを這いずり回っていました(笑)

でも、試練が大きければ、その恩恵も大きく、
素晴らしい気づきを得て這い上がってきました。


これは、自分の生き方のシフトが起こるぐらい、
非常に大きな変化でした。


学んだ事は大きくふたつ。

 「(特に教育において)完全・完璧な情報など無い」という事

そして、

 「全ての人の内面に真我・神性を見いだすことが大切」という事です。


私は、人が幸せになっていく上での完璧な論理、
最短最速のステップを目指してきました。


しかし、宇宙の視点から見れば、
完璧な情報、完璧な体系というのはあり得ないのです。

完璧な音楽など無いように、教育にも完璧はあり得ません。

私の書いた、「新・幸せになる本」というのも、
高次の視点から見れば、正確とは言えない表現も含まれています。


「新・幸せになる本」
http://growheart.com/present/happy.html


それでも、あの本を読まれた方の中には、
感動して泣いてくださる方もいらっしゃいます。


それは何故かというと、

あの本には、純粋に「人を幸せにしたい」という、
私の精神、魂が宿っているからです。

しかも、無償で公開するつもりで書いていますので、

あの本には余計な邪念などが無く、
完全に奉仕のエネルギーが宿っています。


それを読者の方が感じてくださるので、
素晴らしいと感動して頂き、高い評価を頂いているのだと思います。


情報と言うのは、単に知識を伝えるだけでは無く、
そのエネルギーを伝えるモノなのですね。


そしてそれは、私の自我が書いたと言うよりも、
「高次の意識、真我、神性が書かせたモノ」であり、

別段、私個人が特別に優れている訳では無いのです。


そして、「精神、意識の成長」というのは、
他人が与えるモノでは無く、「自身の気づき」によって起こるものです。

私ができるのは、「情報」や「エネルギー」を伝達することにより、
そのお手伝いをする事だけなのです。


すべての人の意識には、真我、神性と呼ばれるものがあり、
それを自我が覆っているのです。


私は教育者、哲学者、心理学者としての
使命とプライドを持っていますが、

教育者、哲学者、心理学者として私がやるべき事は、

他人の中にネガティブな自我を見るのではなく、
「真我、神性」に焦点を当てることなのだと気付きました。


他人の内面にネガティブな自我を見るとき、
「成長させて幸せにしたい」という意欲が沸いてきますが、

自分自身の意識を進化させることは、その人本人の作業です。


「精神、意識の成長、悟り、解脱」と呼ばれるモノは、
本人の中での体験、理解、気づきによって起こりますから、

それらを外側から与える事など不可能なのです。


悟りや解脱を文章で伝える事ができるのであれば、
もう万人が悟って解脱していますね(笑)


全ての人は、内面に「真我、神性」を持っており、
その高次の意識がその人の人生の答えを知っているのです。

ですから、他人が答えを与えることは不可能です。


他人にできる事は、「情報」と「エネルギー」を伝え、
その気づきを加速させて上げる事だけです。


この一ヶ月間、一週間、試練にのたうち周り、

濃密な書物の知識を吸収し、
高次の視点を得て辿り着いた結論がそれです。


私は完璧な論理にこだわってきましたが、
それが不可能だと言うことがわかりました。

どこまで行っても、
真理について完璧に正確なる情報など創造できないのです。

それに近いことは言えますけどね。


自転車の乗り方を口で説明しても、
乗れる様になるには、自分で練習するしかないのと同じです。


ただ、どうせその説明を聞くのであれば、

 「自分と相性が良くて、
  説明のうまい人に聞いた方が早く上達するよね」 

というだけの話です。


「人生の幸せ」という分野において、

先輩というか、コーチやトレーナーという存在を持てば、
その分早く幸せになれるのは道理に適っています。


私は研究者ですから、私が苦しんで学んだ分、

他の人は苦しまなくて済むのです。
また、苦しみを最小限に抑えることができるのです。



この試練と気づきによって、
私の仕事のポリシーが大きく変容しました。


私の本質を伝えるという使命は、
論理的でわかりやすい説明はベースですが、

正確性にこだわっても限界がありますから、
どれだけ高いエネルギーを宿した情報を創造できるか?

という事にこだわっていきたいと思います。


そして、やはり個別の問題においては、
「質疑応答、問答」する事が一番です。

質疑応答は、理解を深めるための一番の方法です。


コンサルティングはもちろん、私のセミナーでは
質疑応答を重要視しているのもこれが理由です。


しかし、諸事情によって
セミナーやコンサルティングを受けられない人の為に、

今まで面倒臭がって書いてこなかった、
本をまた書きたいと思います。


本を書くのは、
本当にめっちゃくちゃエネルギーを使います。

使える状態にあったとしても、
ゴーストライターなんか使いませんし、

そのエネルギーが私の本には宿っています。


まだ読んでいない人は、
「新・幸せになる本」を読んでみて下さい。

http://growheart.com/present/happy.html


それでは、次回作を乞うご期待です。


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haxe501 at 01:27|Permalinkclip!

2012年02月10日

最後のトラウマ

今日は、情けない話をします。


ここ一週間、過去のトラウマ解放ばかりしていました。

流した涙の量は計り知れず(笑)

いやぁ、よくこれだけの悲しみを溜め込んでいたものです(笑)


私はネガティブ「観念」はだいぶクリアにしているので
新たにネガティブ「感情」を生み出す事は少ないですが、

過去のトラウマというのは、過去に生み出した感情ですから、
それは解放するまでずっと無意識の領域に残り続けるんですね。


そのほとんどが孤独のトラウマで、
「今まで自分は他人から愛されなかった」という悲しみでした。

それをだいぶクリアにした後に、
おそらく最後のトラウマに気付きました。


それが、「他人に理解されなかった悲しみ」です。

いつもセミナーではお伝えするのですが、

私は中学の時、正義感の強い生徒で、
校則を守らないクラスメイトに注意をするような存在でした。

それが、正しい事で、
学校の味方、先生の味方のつもりでした。


もちろん、クラスメイトとモメる事が多かったです。

でも、ある日先生から呼び出しをくらって、
「おまえはよくモメごとを起こすから気を付けろ!」

と、私が怒られてしまったのです。

その時の衝撃は本当に強烈でした。


今まで先生の味方のつもりだったのに、

自分が怒られ、裏切られ、
「もう学校に自分の味方はいないんだ…」と思いました。


その時に、

「自分がいくら良いことをしても、正しい事をしても、
 他人には理解できない、認められない。」

という観念をもってしまったのだと思います。


でも、自分の中には怒りがありました。

「なぜ自分が怒られなければならないのか?」

「正しいのは自分、悪いのは周りの人間であって、
 自分が悪者にされる道理はない!」

という怒りです。


その怒りが原動力となって、

「私は他人を見返したい、
 他人が否が応でも認める様な存在になりたい。」

と思うようになったのだと思います。


でも、人間は完璧になれません。

しかし、「人間は完璧に近いもの」を創造する事はできます。


ですから、

私は「完璧に近いもの」をこの手で生み出す事により、
他人が認めざるを得ないものを創りたかったのだと思います。


それで、完璧なモノって「法則」しかないんですね。

ですから、私は「法則・メカニズム」を探求してきました。


もちろん、それはそれで楽しかったのですが、

ネガティブな動機としては、
「他人に一切否定されない論理」を創り上げたかったのです。


まぁ幼稚な考えですが、

「完璧なものを創り出せば、人は認めざるを得ないに違いない」
という考えを持っていたのです。
 

そこで、徹底的に「穴のない論理」にこだわり、
理論武装してきました。


その「穴のない論理」のおかげで、

多くの人にわかりやすく心理を伝える事ができますし、
たくさんのネガティブ観念を外す事ができました。

その「穴のない論理」の恩恵は本当に大きなものでした。


でも、「穴のない論理」を構築したとしても、
他人が自分を認めるとは限りません。

なぜなら、人は「感情」で判断する生き物だからです。


私は徹底的に「論理」にこだわってきました。

でも、「感情」で自分の事を認めない人もいました。
自分の「論理」の価値を認めない人もいました。

そう言う人を見ると、
めちゃくちゃフラストレーションを感じました。


そう言う人を見ると、

「自分が完璧で正しい論理的な主張をしているにも関わらず、
 一時的な感情で間違った判断をしてしまう人」

という判断を下してきました。

ネガティブなレッテルを貼ってきました。


無意識的に、

「一時的な感情」でなく、
「長期的な論理」で判断を下せる人が
優秀な人だと思い込んでいました。


そして、延々と、自分の価値を認めさせるために、

「穴のない論理」かつ「高くて新しい視点」を追究し、
その知恵を周りの人々にシェアしてきました。

そうすれば、「自分のすごさを認めるだろう」と思っていたんですね。


でも、自分が思うどれだけ正しい行い、良い行いをしても、
自分が満足行くほど、人は認めてくれませんでした。


自分は正しいこと、良いことをしている、
でも人は認めてくれない。

その悲しみが、
いつの間にか蓄積されて巨大になっていました。


その悲しみや怒りが、

「否が応でも他人が認めざるを得ない存在になりたい」
という、ネガティブな動機を生み出していました。

でも、ネガティブな動機はネガティブな結果しか生みません。


そのいろいろな観念やトラウマが複合的に絡み合い、

「自分がいくら正しくて素晴らしい信念を突き通しても、
 完璧な論理で、世界の全員が幸せになる主張をしたとしても、

 自分の持てる最高のものを与え尽くしたとしても、

 結局他人は自分の事が一番大事で、
 僕の為に何かしてくれるわけじゃない。

 自分は周りから愛されない、認められない。

 だから、諦めるしかない。

 ネガティブな感情を生み出さないために、
 自分は他人に一切依存、期待、要求をしない。

 そうやって、一生完全に孤独でいるしかない。」


という、超ネガティブな「観念」と
「思考パターン」を創り出すに至ったわけです(笑)


でも、根底にあったのは、

自分の「人の幸せを想う気持ち」をわかって欲しい、
認めて欲しいという願いでした。


でも、自分の目に見えない「想い」なんか
どうせ理解できないだろうから、

理解させるには、

完璧な論理で人類全員が幸せになれる主張をして、
「全員が同意する意見」でねじ伏せるしかない、と(笑)


もちろん、自分が辛い思いをしてきたので、
純粋に人の幸せを願って生きてきましたけど、

そういうネガティブな部分があったのも事実です。


そうやって、私の本質の研究と心理学、
そしてわかりやすくて論理的な表現が生まれました(笑)

純粋に人の幸せを願う超ポジティブな動機と
自分の価値を認めさせる為の超ネガティブな動機の融合体です(笑)


でも、今週でもうほとんどのトラウマを解放できて、
スッキリして本当に清々しいです。


最後に言いますが、
人間が幸せになる為に一番必要なのは、「素直さ」だと思います。


自分がどんな問題を抱えていたとしても、
それを一瞬で解決できる人はこの世に存在しています。

表舞台には出てこれないだけで、
それを徹底的に研究し尽くしている人は必ず存在しています。


環境問題でも、エネルギー問題でも、経済問題でもそうです。

ちゃんと、その道の天才とかオタクはいるんです(笑)


そう言った人を引き寄せるには、
自分が素直であり、他人の言うことに耳を傾ける姿勢が必要です。


でも、「自分の間違いを認めたくない」というエゴが
素直な姿勢の邪魔をします。

そのエゴがどれくらい少ないかどうかが大切だと思います。


自分よりスゴイ人なんていくらでもいます。


自分で考えたり、議論したりするのが好きなら構わないですが、

結果だけを求めるのであれば、
知ってる人に頭を垂れて聞いた方が早いです。

それを認めて、素直に謙虚になれるかどうかだと思います。


私は人類全員幸せになれば良いと思っていますが、
素直な人でないと、成長して幸せになる事ができないと知っています。


負けを認める勇気が、
成長と幸せの最短最速のチケットだと思います。



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haxe501 at 19:45|Permalinkclip!

2012年02月09日

サイボーグのこころ

僕は今まで「自分の幸せ」と
「他人の幸せ」を本気で考えてきました。

そして、たくさんの向上心のある人々と出会い、
自分にできる事をやり、愛を注いできました。


でも、どんなに「僕のおかげで幸せになった」と
感謝してくれようと、いつかはみんな離れていきました。

僕が早く成長するからかもしれない。
人生の方向性が違うからかも知れない。
僕の厳しい面を見て幻滅したからかもしれない。


僕は人が大好きで、
僕にとって、みんながかけがえのない存在でも、

みんなはそれぞれ僕以外の居場所があって、
最後はそこに帰って行きました。

僕は、いつもみんなの一番にはなれなかったんです。


弟子でも教え子でも恋愛でも、なんでもかんでも。

僕が一方的にどれほど好きでも、

みんなは僕以外の違う人、違う環境の方が好きで、
最後にはそっちを取るんです。


いつもはそれで「悲しみ」や「怒り」を感じていましたが、
いつしか、自分は志に生きたい人だから仕方無い…。

と、「諦め」の感情を持つ様になりました。


人が好きでどんなに愛を注いでも、
拒絶され、最後には離れていく…、

その繰り返しばっかりでした。


そして、他人に対する不安や悲しみを消すために、
他人に対して期待すること、要求する事を完全に止めました。


自ら完全な孤独、孤立を引き受ける事で、
不安や悲しみを消すしかなかった。

そうするしかなかったんです。

そうしなければ、自分の心を守る事ができませんでした。


巨大な不安、怒り、悲しみに押し潰されるより、
完全に孤独でいる方がまだマシだったのです。


僕は心理を通してたくさんの人の人生を変えてきましたが、
僕の人生の為に何か本気でしてくれようとする人はいませんでした。

でも、それが自分の道だから仕方無いと思っていました。


みんな自分が一番大事です。
それはわかっています。

だから誰も責めることができず、
ただただ孤独を受け入れてきました。


そんな僕の心は人間味がないと言われてきました。

サイボーグみたいだって言われました。


でも、最近自分の理解者が現れ始めました。

人の内面が読める、スピリチュアルな能力を持った人です。

その人たちのおかげで、ちょっとずつ変わりつつあります。

その人たちは僕の内面を感じ、
僕の事を「どこまでも優しい人だ」と言ってくれます。

僕が弱くて繊細で苦しんでいる人間だという事を知って、
僕の心の為に何かしようとしてくれます。


でも、僕にはまだ自分に愛を注ごうという人の事が信じられません。

僕は他人にいくら愛を注いでも、
今まで僕に対して愛を注ごうという人はいませんでした。

でも、今泣きまくって、
孤独のトラウマを解放しまくってます。


そしたら、
そのうちまた人と絆をつくろうと思えるかもしれません。


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haxe501 at 00:37|Permalinkclip!

2012年02月01日

最後の試練

2月4日(土)の海王星の魚座入りを前に、

愛とコミュニケーションにおける、
(おそらく)最後の試練が自分に降りかかりました。


最後の試練は、

最愛の弟子、国本さんへの執着を捨て、
別れを受け入れる事でした。

彼女は、辛いときもずっと自分を支えてきてくれました。


自分の与える愛や知識、厳しさも優しさも、
両方喜んで感謝して受け取ってくれました。


そして、お互いのネガティブや思い通りにならない事も
許し合い、受け入れ合ってきました。


本当に、両親と同じくらい感謝しています。


でも、僕も成長、変化しますし、彼女も成長、変化します。

これからますますそのスピードは加速してくでしょう。


でも、彼女との別れを受け入れられていないと、

期待、執着、独占などの気持ちが出て、
今後、必ずお互いにネガティブな影響があるなとわかっているので、

彼女と一生離ればなれになっても、
たった一人でも、自分は使命を貫くという決断をしました。


お釈迦様も、妻子を捨てて出家したんだから、
絶対俺にもできる! 

みたいな気持ちで(笑)


これって文章で書くとあっさりしていますけど、

誰にも愛されず、誰にも認められず、
誰にも賞賛されず、誰からも受け入れられない、

そんな最高無比の孤独を受け入れてでも、
それでも自分の使命を貫くという、半端の無い覚悟です。


今だからわかるし書けますが、

僕は自分が教える事を素直に喜んで吸収してくれる人が大好きです。

でも、自分が一人で突き抜けて成長してしまうと、
彼らと別れてしまうんじゃないかと言うことが怖くて、

ずっと自分の外面の成長を押さえつけてきました。


ですから、ずっと彼らと足並み揃えて成長していこうと思っていました。


でも、人が成長するには、
やはりそれなりに時間がかかります。

彼らを待っていることはもうできないんだなと、
そういう所まで今追い詰められてきました。


私は、自分を取り巻く全ての人の別れを受け入れました。

ですから、もう別れは怖くありません。


自分一人だけ進んで、誰も付いて来てくれなくても、
それでも進むと決断しました。


それだけの価値が私の夢、ヴィジョンにあるのだろうか?
と、自ら疑う事もありました。


でも、自分の為に、彼らのために、
もう現状に留まっている事はできなくなりました。


この決断に至るまでに、この数ヶ月、

たくさんの他人のネガティブ、自分のネガティブを解放し、
大量の他人の涙を見て、自分も大量の涙を流してきました。


自分は精神が強い人間じゃなくて、最弱の人間だと思っています。

例えるなら、虚弱体質の病人が
フルマラソンに挑戦している様なものです(笑)


カッコ付けたくて、立派でいたいくせに、
超みじめな思いをたくさんしてきました。


私が周りの人たちの幸せを願うほどに、
私の幸せを願ってくれる人はほとんどいませんでした。


他人に愛を注ぎまくっても、

相手の成長の為に、厳しい面を見せた瞬間、
恨まれ、批判され、最後には人が離れていきました。


他人のせいにして、怒りをぶつける事ができれば
ラクなんだと思いますが、

自分に起こる事は全て自分の責任と捉え、

「貴雄」の名の通り、
気高く、高貴な魂を持ち続けたいと思って今までやってきました。


肉体の死は15歳の時に受け入れました。

そして、最高の孤独を受け入れた今、もう何も怖くありません。


それと同時に、依存心が消えたので、

もう人の助けを借りること、
愛を受け取ることにもブレーキはありません。


失う怖さが無くなったから、受け取る怖さもありません。


これから私はたくさんの人に
応援され、愛され、助けられながら生きていきたいと思います。



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haxe501 at 19:49|Permalinkclip!